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2021-05-16

周りを見て行動できないアスペ

君たちアスペ自分アスペということを理解してないから、どんな行動を取っても優しい周りのお友達が見て見ぬふりをしてるのも気づかないんだろうね。

幸せ者だね。

もう諦められてるから誰も何も言ってくれないんだよ。

生気づかないで輪の中心だと思って生きてくんだろうね。

幸せだね。

2021-05-14

なんか最近

街中に小汚いっつーか生気のない顔でのそのそ動く見るから精神状態やばそうなおっさん増えてきた気がする

2021-05-08

出産直後の女性って生気なくてものすごい心配になるな

血の気なくなってて赤ん坊が元気なことよりも母親のほうに気が向いてしまう。

赤ん坊は元気でよかったです。

2021-04-19

例の事件で色んな思いがわいて出てきたかチラ裏ログ

一応書いておくけどここで書いてるのは山と集落しかないようなド田舎の話。

でも多少都会だったとしてもそんなに変わらないのかもしれない。


役に立つかどうかはわからないけど少なくとも第三者の目がある分都会のイジメは隠れてする(あくま想像)だろうけど田舎はそんなの気にならない。

誰もいないし誰も通らないし何よりみんなでいじめる。

いじめられてる方=村に馴染めない子供=仕方ない という方程式まであり得る。

あとかっぺにはモラルがない。

「ここまで」という線引きがない。

下手に都会に憧れてる分メディアが作ったいじめをそのまま再現してイキってるクソ馬鹿ガキもいるんじゃないかと思う。

都会へのコンプレックスヘイトという形で相手にぶつけることを何とも思っていない人が多い。

まず比較対象がいないか自分がしていることが異常だと一生気付かない。

異常者ばかりだから異常行動にも何にも感じない。


田舎隠蔽やすい分色んなことを隠して真人間みたいに暮らしてる人が多い。

都会的で平均的な感性の人は暮らしていけない。

博愛的で平等な人も無理。殺される。

カーストの上位に椅子がある家は一生安泰。

カーストの下位に椅子がある家は一生奴隷

カースト下位の子供はカースト上位の子供に傅きながら青春を終える。

その階級制度に疑問を持つ人は住まないほうがいいよ。


個性」が少しでもはみ出る子供は一瞬にして的になる。

生徒数が少ない分みんなでいじめる。

泣いてるのが面白くていじめる。

面白いか明日も同じようにいじめる。

他にすることがないかいじめる。

今は下手にスマホから情報が取得できる分ずっと悲惨だと思う。

強く生きてほしいなんて口が裂けても言えない。


村によっても結構違う。

金持ちの多い村は平和

貧乏人が多い村は悲惨

そんなイメージ絶対じゃないだろうけど。

移住考えてる人は本当にやめておいた方がいい。

子供が馴染めなかったら何されるかわからいから。

もし子供が村の価値観に染まったら子供が何考えてるかわからなくなる可能性もある。

これ読んで移住成功体験マウント取る人少なからず出てくるだろうけどこれはあなた否定する内容じゃないから突っかからないでね。

あなた幸せならそのまま幸せ暮らしてください。

以上。

2021-04-16

生気の知れた男友達だと思って一切ブリブリしないでボロジャージにすっぴんの女っ気ゼロ、飯も割り勘で酒飲みながら毎日夜中までゲームして遊んでても

好きです付き合ってくださいとか告白されるからもう男女の友情は成立しないが正しい

2021-03-07

東京23区大学定員抑制、アホすぎて笑ってしま(笑)

なぜ学生は、東京以外の私立大学に行きたいと思わないのか。

答えは簡単だ。

東京以外では、しょうもない大学しかいかである

今や就活で一目置かれる私立大学早慶GMARCHしか無い。

この状況こそが異常なのだ

なぜ、お金を払うのは我々なのに、入る大学を国に制限されなければならないのか。

お門違いもいい所(笑)

何様のつもりだ(笑)

頭が弱すぎて、客はこちらだということを忘れてしまったのだろうか(笑)

それよりも、「なぜ東京以外の私立大学は質が低いのか」という所に目を向けるべきだろう。

我々は東京に行きたいか東京大学を目指すのではなく、

東京以外の大学があまりにもしょうもないから仕方無く東京大学を目指すのである

地元就活で有利になれる程の優れた私立大学があるなら、東京大学なんか目指すはずもない。

なぜ東京以外の大学の質を上げるのではなく、「大学を脅して、東京大学には定員を定めよう!」という思考回路になってしまうのか(笑)

この国には阿呆しかいないのだろうか?

地方は廃れるべくして廃れているのだ。

阿呆達は、いつこの事実に気付くのだろう。一生気づけはしないだろうか?(笑)

私はこれから日本がとても心配だ。

2021-03-02

anond:20210302020621

たとえばスーパー男爵イモよりキタアカリという通販で買うイモのほうが1.5倍ほど高いのだが、味が全然違う。

また白米より玄米で購入してぶづき米や胚芽米にするとコメ自体が美味いのでおかずがいらないということもある。

こんなことは肉食を続けていたら一生気づくこともなかったと思う。

いや気づくでしょ。そのくらい。肉食ってようと。

この感じだと米の銘柄の違いも分かってなさそう。

anond:20210301142202

こういう風に肉食者とかヴィーガン関係なく、頭の良い人は客観的に公平に分析できることがわかり単純にうれしい。

いろんなスレでも書いてるがヴィーガンになると食費は3割~5割減になる。

肉にさいていたエンゲル係数を米とか他のものに費やすことになる。

自分オーガニックとか無知だけど、ヴィーガン女性オーガニックにこだわるのはよく目にする光景

なのでそれは余裕といえば余裕だし、1食分を丁寧に食べるので、はたからみてリッチに見えるのも事実である

しかし全体のエンゲル係数は肉食者よりかなり低いのである

また一般論として教育水準が高いことによって自分畜産環境の現状を調べることができるというのはあると思うので、

やはりその意味で親の収入が高いという「傾向」はあると思う。

なお自分は平均以下の低所得者であり親戚家族にもヴィーガンは皆無である

とくにヴィーガンを開始した時期は明日生活にも困る生活であったので、人によると思うが、

自分場合は低収入で苦しいことで逆にヴィーガンメリット気づき継続しているという事実もある。

たとえばスーパー男爵イモよりキタアカリという通販で買うイモのほうが1.5倍ほど高いのだが、味が全然違う。

また白米より玄米で購入してぶづき米や胚芽米にするとコメ自体が美味いのでおかずがいらないということもある。

こんなことは肉食を続けていたら一生気づくこともなかったと思う。

このようにヴィーガンメリット知識がつく(=料理もうまくなる)ということもある。

ヴィーガンを横目から見る人はいかに上から目線高慢のように見えるかもしれないが、

それは縛りプレイをしていることで否応なく食生活の知恵がつき、一見金持ち享楽のようにも見えるからであろう。

実際は自分のように低所得理由からヴィーガンになる人もおり、

そして低所得でもそこそこリッチ食生活になるということが可能、という意味で、コントロールができている満足感がある。

考えてほしいがスーパーにいって98%のモノが買えないというのはいわば断捨離である

その意味ヴィーガンとは断捨離メリットに近いともいえる。

2021-02-27

東京毀損されて嬉しい

コロちゃん唯一にして最大の功績、「リアルワールドで人がたくさん集まる」の価値を反転させたところにあると思う

かつては渋谷スクランブルだとか、東京ライブハウスだとかがすし詰めなのを見て「東京ってすげえな、人メチャクチャいるな!」と羨むような気持ちになった

今は違う 真逆

「ウワ、"密"じゃん キッショ エンガチョ!」

こういう気持ちしかならない

この感覚敷衍されて、東京全体が不潔感染魔都みたいなイメージになってきた

「オシャレなオフィス街に暮らすハイソ東京人」ってイメージが、「意味もなく高い家賃を払って狭苦しい病巣都市に暮らす哀れな土竜人」って感じに変わってきた

可処分所得チョー少ないらしいし

正直、もはや東京人への羨望も嫉妬もない

ただ可哀想だと思う

都市暮らしは快適、埋没できるから!とか言って田舎を見下し、自分たちの方が進んでいてイケているって自己暗示をかけ続けながら生きていくんだろうな

田舎も大概埋没できるということには一生気付かないんだろう

東京で、消耗して行くんだろう…w

俺は田舎で、5万で借りた3LDKで悠々と暮らさせていただきます

2021-02-12

anond:20210212004445

頑張れ。気づいてよかったね。一生気づかない大人もいると思う。

私も似たようなもんだった。

これから人生でまた自信を積んで、気付かなかった場合人生よりもずっと密度濃く豊かに生きればいいさ。

2021-02-03

しか読んでこなかったら鬱になった

私は小中高と本の虫だった。

無人島に持っていくならスマホよりも本が良いと語るくらい本が好きだった。そう自負していた。大学に入るまでは。

大学に入ってから幾月が過ぎ、私はもはや本を手に取ることすらなくなっていた。理由はわからない。

あれほどまでにあった本への執着はもはや塵芥のごとく消え失せ、本以外に活力を見出せなかった私はそれから無機質なスクリーンを虚に眺めるだけの廃人と化した。

生気を失っていた。

それから何年経ったのだろう。あまりにも長い期間を無意に過ごしていたことだけは覚えている。私は誰から必要とされないし、誰からも気にかけてはもらえない。かといって人目が気にならないわけでもなく、むしろ人目を怖がるようになった。私は身を守るために引きこもることしかできなかった。

うつ病だった。

気づいたらいつの間にか蝕まれている恐ろしい病魔。私はその中の茹でガエルの一匹に過ぎなかった。

悪魔に踊らされているようなそんな恐ろしい感覚を覚えた。

それからは浮いたり沈んだりと地獄を行ったり来たりの毎日だった。

そんなときだった。ニコニコで「ひぐらしのなく頃に」がアップされていた。話には聞いたことがあった。だが見たことはなかった。ものは試しと視聴を始めた。

そこには普段忘れかけていた人の温もりがあった。それも痛いほどに。

何かが目の前を流れ出したのを感じた。まさしく浮かむ瀬だった。

この河を渡れば何か素晴らしいものが待っているのかもしれない。そう思って私は”ひぐらし”を見続けた。

私は舟を作ろうと思う。この流れを渡れるような頑丈な舟を。世間の波に揉まれても動じない舟を。

向こう岸に楽園があるのかどうかはわからない。ただ誰かが何かをやってくれるのを待つだけの人生今日でもう終わりだ。


今日私は一歩を踏み出す。

2021-02-01

子どもの頃「命」という概念理解するのに苦労した

というか、今でも理解してるか怪しい。

いや、「なんで人を殺しちゃいけないんですか?」とかそういう話ではなく

純粋にこの単語が何を指しているのかという国語問題としてね。

「生きてる」「死んでる(死んだ)」は分かる。

虫とか殺してたしな。

「心」も「魂」もそれがどこにあるか、実在するかはともかく

概念、コンセプトとしては何を指しているのかは分かる。

例えば「生気」「精気」と言われれば、これも実在するかはともかくイメージはわく。

でも「命」って生きてるものには有って、それ以外には無いというもの

何と言うか「電源ON状態」に名詞を一つはっ付けた感じだよな?

なんかその他の名詞と比べて運用のされ方が特殊なような気がする。

と、いうようなことを

https://anond.hatelabo.jp/20210128221455

を読んで思い出した。

2021-01-07

マインドコントロールカフェ

人生アルバイト

私(A)が3日で辞めた人生初のアルバイト先では、従業員洗脳が行われていました。

だいぶ時間が経ったため、そのときたことを日記にしてみたいと思います

すべての始まり

1x 歳のある日、家から遠くなく初心者歓迎とあったカフェ求人を見かけて応募しました。

翌日早速連絡が来て面接を受けることになり、そのカフェで 30 分ほど話をしました。

1 日目

カフェの仲間たち

前回の面接時に「x 日 x 時にまた来てください」と言われたので、てっきり事務的手続きを行うと思ってカフェに来ると、いきなり勤務が開始しました。

出勤初日。まずは新人として先輩がたに挨拶しました。

学生バイトは、少し怖くて気だるげな女性の先輩たちと、優しそうだけど生気を失った男性の先輩が一人。

厨房にはニコリとも笑わない若い男性社員

先輩に店内を案内してもらっていると、背後から「おい、挨拶しろ!!」と声が。

振り返ると、そこには客席にどかっと座る私服おっさん

もちろん初めて見る人でした。

偉そうなその人がオーナーであると先輩に伝えられ、仕方なしに愛想よく挨拶しましたが、無視。隣にはクスクス意地悪く笑う妻らしき女性

旦那煽り運転したとき被害者ガラケー撮影するおばさんが脳裏をよぎりました。

思ったほど歓迎されていない雰囲気に緊張が絶えないでいると、明るい声が聞こえました。

「君は新人の A さん?僕は B って言います!新しいバイト大変だと思うけど、よろしくねっ!😁」

笑顔が素敵でかっこいい、親しみやすそうな男性社員 B でした。

この人がマインドコントロールの主です。

面談

その日は初日ということで、配膳のみ担当することになりました。

不器用ながらも一生懸命働きました。

退勤時間を知らされていなかったので、いつまで働くのかと不安になりながら働いていると、半日ほど経ったとき社員 B に声をかけられました。

「あがっていいよ。タイムカード書いたらちょっと話そう!」

私服に着替えて空いた客席につき、社員 B と面談することになりました。

第一印象と異なり少し厳しい雰囲気でした。

最初給料の振込先などを聞かれたため事務的手続き目的かと思いきや、話はどんどん精神論のような説教に逸れてゆきました。

「まだできることが少なくて悔しいだろ?"あの先輩を超えたい" って思うだろ?」

まりぴんと来ていませんでしたが勢いに押されてハ、ハイと答えました。

「その言葉が聞きたかった。A さんなら本当にできる。超えられるよ、先輩全員を」

激励してくれているのに、嬉しさより違和感がありました。

まり成果を出せた感覚がなかったので、出会って数時間である基本的厨房しかいない社員 B は、無根拠に私を信頼すると言っているように感じられました。

しかしながら、やる気を引き出すための軽いお世辞という感じでもなく、じっとこちらを見つめる妙に真剣眼差しがまるでマルチ勧誘のようでした。

この面談という名の一方的説教は 1 時間半に及びました。

2 日目

指導フォロー

次回以降の勤務日程について何も知らされていないためひょっとしてバイトの話はナシになったのだろうかと考えていると、数日後の 22 時頃、初日LINE を交換した社員 C からメッセージが届きました。

明日 11 時に来てください」

来てくださいって、たまたま大丈夫だけどさ、用事あったらどうするんだ。

その日も初日と同様退勤時間は知らされていませんでした。先輩や社員に尋ねてもたらい回しにされるだけで、結局何時まで働くことになるのかわからないまま勤務を始めました。

初めてのバイトだったので、当時はこんなものかなとなんとなく納得していました。

その日は、先輩にハンディスマホ)を使った注文のとり方を教わり、お客さんからの注文をとることになりました。

しかし、使い慣れない機器記憶していないメニューで注文をとる際操作に失敗してしまいました。

すると、社員 B が女性の先輩に怒鳴りました。

「A にオーダーやらせんなっつっただろうが!A はなーーんにもできねぇんだからさ!!A の失敗はお前の責任からな!!」

もちろん私に聞こえるように言っています

ふてくされた先輩は私に「もうオーダーはやらなくていいから」と冷たく言い放ちました。社員 Bは、「A さぁーん、オーダーはやらなくて大丈夫からねぇー😊」と、猫なで声で言いました。

その後も社員 B が「A がさぁ……」と女性の先輩に何かを話し、直後先輩が何かを注意しに来る、ということが何度かありました。

社員 B は、私に対する威嚇は間接的に行うのみで直接強い態度で出ることは一切なく、必ず部下を使って "指導" を行わせました。

また、こうして笑顔で "フォロー" を行いました。そして、先輩の苛立ちの視線自分に向けられ始めたことに気がつきました。

尋問と涙

その日も唐突に退勤を促され、今度は若い男性社員 C と面談を行うことになりました。

社員 C は人生出会った人間の中で最も無表情でした。

気弱で声が小さく、誰の前でもおどおどしているタイプでした。

経験上こういったおとなしいタイプの人は意外と豊かな世界を持っていることが多く、今までよく仲良くできてきたので、社員 C とは打ち解けられるかもしれないと期待しました。

しかし、社員 C は初めて出会った瞬間から警戒とも異なる、敵意のような態度を向けてきました。

とあるごとに近寄ってきてはぼそぼそと小さな声で小言を言うのですが、内容は抽象的な言葉ばかりで、小言の目的が後輩の教育ではなく上に立つための嫌味であることはすぐに分かりました。

面談では、その月の出勤可能日を尋ねらました。

C「…… x 月 x 日は出勤できますか」

私「その日は難しいです」

C「……それはさぁ……なんでですか……!」

私「大学実験があります

C「……それって何時から何時まで……なんですか……!」

私「わからないのでシフトはやめときたいです」

C「……実験の内容って……何なんですか……!」(本当に知りたいのか?)

以下続く。これを 31 日分行います一言一言に棘を演出しようとしている努力は伝わりましたが、すべて聞き取るのに苦労するほどの音量でした。

正直社員 C にあまり怖さを感じていなかったので、途中から理由はすべて「私用です」と答えるようにしました。

C「……私用って内容は何ですか……!」

私「だから、私用です!」

苛立って語気を強めてしまい顔をあげると、社員 C は目を腫らしてうつむいていました。

新人バイトが強めに言い返しただけで泣くとは思わなかったため動揺しましたが、この尋問社員 C が誰かにやらされているものである気づきました。

やらせている人間は間違いなく社員 B であると勘づきました。

社員 B は、勤務中常にネチネチと社員 C をいじめていました。

人間性を否定するような言葉はもちろん、社員 C が作った料理調理器具ごとガシャーン!と目の前でゴミ箱に捨てたり、執拗に小突いたりしていました。

社員 C はやらされているとはいえ私に強く当たることがあったため味方をする道理はありませんが、同情せざるをえない部分がありました。

3 日目

勤務 3 日目も、前日唐突に来た連絡で出勤が決定しました。

もはや退勤時間が知らされていないのは当然です。

一応尋ねましたがやはりたらい回しで結局わかりませんでした。

その日は先輩からレストランフロアの床を雑巾で水拭きするよう言い渡されました。

(出勤初日に知りましたが、併設の喫煙飲酒ができる薄暗いレストランもなぜか仕事範囲に含まれていました)

今ならレストランの土足スペースの掃除普通モップでやるものだとわかりますし、あの言いつけは嫌がらせだったと思います

お客さんから視線も痛かったですが、当時の私はたとえそんな仕事であっても一人で作業できる分ほっと嬉しく思うくらい、他の従業員と関わる仕事が嫌になっていました。

面談」2

そしてこの日も退勤後に社員 B との面談タイムがありました。

初日面談とは打って変わり、社員 B はにこやかでした。

「C 君に聞いたよ、全然出勤してくれないんだって?だめじゃないか!😊」

面接時に「土日も出勤できますか?」との問いにハイと答えていました。

社員 B はこれを「土日はすべて出勤できる」と曲解し、土日に出勤できない日が 1 日でも存在することを責めているのです。

B「都合とか仕事内容とか、バイトでどうしてもうまくいかないときがあるよね。そういうとき、どうすべきだと思う?」

私「辞めるしかないと思います……」

退職意思は既に固まっていました。

私の返答は社員 B にとって想定外だったようで、笑顔が一瞬引きつったように見えました。

しかし、笑顔を保ったまま「ううん、違うよ。がむしゃらにやるしかないんだよ」と言いました。

私の退職オーラを感じ取ってか、その日の社員 B は終始にっこり笑顔でした。

最後に何か困ったことはないかと聞かれたので、出勤日と退勤時間を出勤数日前には知りたいと伝えると、「わかった。これから気をつけるね!」とあっさり前向きな返事をもらいました。

この日の「面談」は 1 時間足らずで解放してもらえました。

そして退職

初のアルバイトなので最初こそ我慢が足りないかと思いましたが、他で働く友達が面倒くさがりながらもそこそこ楽しそうにバイトの話をするのを見て、勤務 1 回 1 回が嫌でしょうがないことに疑問を感じ始めました。

前回面談後もご想像通り次回のシフトの連絡は来ないわけですが、いっそシフトが決まらない(っていうか連絡が来ない)うちに退職の意を示しそのまま辞めてしまおうと思いました。

勤務分約 1 万 5000 円はもしかしたら振り込まれいかもしれない。

でも、たとえ 1 万 5000 円損しても構わないからとにかく辞めたいと感じていました。

そして勇気を振り絞ってアルバイト先に電話しました。

電話に出たのは社員 B でした。

B「おう、A さん!どした?^^」

私「バイトを辞めさせていただきたくて……」

B「……てめェふざけんなよ!!辞めたいじゃねえよボケ!!そういうのは直接来て言うもんだろうがよ!!いいか、次絶対来いよ、絶対だぞ、わかったな」

突如豹変し、映画で見るヤ●ザのような巻き舌でまくしたてる社員 B。

初めて社員 B が直接私を威嚇した瞬間でした。

私は衝動的にバイトから電話の着信拒否設定と社員 C の LINEブロックを行い、借りていた制服を郵送しました。

もちろんバイト先にはこの後 1 度も行きませんでした。

(だいたい、「次」がいつなのか教えてくれなかったのは向こうです!)

1 万 5000 円は振り込まれていました。👏

マインドコントロールの手口

社員 C から涙の尋問を受けたとき社員 B のやり口に気が付きました。

部下を吹聴して新人をいびらせ、自分はその新人をなだめる親切な上司ポジションに立つ。

しか自分が恐い人間であることは間接的にしっかりアピールする。

最終的に従業員新人時代孤立し、従業員同士は疑心暗鬼になり、全従業員にとって信頼できる人間社員 B のみになっていました。

また、社員 B は相手性別によって態度を少し変えているようでした。

女性に対してはアメとムチで巧みに操る。たまにキレるとき以外はお世辞や冗談で喜ばせていることが多かったです。

男性に対してはとにかく自己肯定感を下げる言動をとっていました。お前は一人では何もできないと常に言い聞かせていました。

女性従業員が皆社員 B を慕い、男性従業員が皆生気を失っていたのはこのためでした。

ちなみにこの日、一瞬だけ店長に会う機会がありましたが(なぜか最初最後)、店長実質的立場社員 B より低く口出しできないようで、他の男性従業員同様に生気を失っていました。

社員 B は、競争心、恐怖心、猜疑心を煽って人を操ることや、アメとムチの使い分けがとても上手でした。

本物のサイコパスは、明るくユーモアがあり、笑顔が素敵で魅力的であることを知りました。

その後

退職後は新たに飲食店でのバイトを始め、数年間お世話になりました。

苦労もありましたが洗脳もなく楽しく働けたので、本当に辞めてよかったと思います

1 年ほど経ったある日、風の噂でカフェが閉店したと聞きました。

最近近くを通る機会がありましたが、更地になっておりなんとも複雑な気持ちになりました。

同時に自分体験は完全に過去出来事になったと感じたので日記にしてみた次第でした。

おわり。

2020-12-26

 これから書くことは、すべて本当のことです。

嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。

知り合いの大塚くんが、わざわざ電車タクシーを乗り継いで、東京郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。

 とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このとき自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、

「利子はいらんよ。きっと、君はい画家になる」

といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。

 そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくり侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。

 まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓からきれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。

 そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家生活するというのは、彼女生活よりも、はるか地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。

 浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。

「どうした?」

彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコン暖房つけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。

仕事……無くなりました」

お金か?なら僕が」

「いいえ、いりません」

 彼女はぼそりと言いました。言葉が空中で、飽和しました。

「困っているのだろう? 大丈夫。僕は作家だ」

貧乏な人に恵まれるのは、嫌なんです」

 貧乏な人。

 僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。

「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。

彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女なすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。

から僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。

寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。

彼女自殺をしたと知ったのは、その翌日のことでした。

もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。

彼女体重は僕が最後彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパート大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。

過食症ですよ、ご存じですか」

「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。

「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」

 いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。

「ほかにも、死んだ人が?」

「いますよ。伝染病流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」

 一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。

 もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます

寂しい

 この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。

 彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアム人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。

 特にテレビ報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥ものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判タネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。

 一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。

 僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。

 雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています

949。

 この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だってあんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから

「またいつか」という言葉の空しさを知ります

僕は狭い6畳のアパートにいます学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。

若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。

コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たち自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。

そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章ネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まり文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから

 大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。

 みんなと同じ。

 そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナース彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独から、寂しいから、みんな、死んでいくのです。

 みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。

 なんとか、なる。

 そう書いた作家もおりました。みんな同じです。

 みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます

 僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。

 僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。

 みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。

 いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。

 でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。

 経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。

 一般化された苦しみを、言葉に起こしてみました。

 それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。

 僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます

 それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。

2020-12-14

audeeっていうラジオ放送チャンネル?よくわかんないけどそういうの今知ったんだけど

ググったら

インターネット用に特化した配信専用の「オンデマンドオーディオコンテンツ」を中心に、TOKYO FMおよびJFNC制作する人気番組スピンオフオーディオコンテンツ広告主のブランド向上とエンターテインメントを兼ね備えた「ブランデッドオーディオコンテンツ」がお聴きいただける他、

っていうよくわかんないけどFMラジオ番組転用してんのかな?よくわかんないけど今さっき知って聞いてるんだけど

すでにいっぱい番組があって、それもちゃんテレビ名前を聞くような人がやってるラジオ番組が並んでて

今まで全然知らんかったけどこういうとこでもちゃん経済活動してんだなってびっくりした

こういうの知らん人は一生気付かないわけだし、テレビ世代の、情報が向こうからやってくるのに慣れた世代の人たちにどうやって気づいてもらえるようになるのか、その辺どうやってみんな頑張ってるんだろう

2020-12-13

毒親持ちの元親友が多分死んでる話

誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。

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そいつの親から鬼電かかったけど無視

非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。

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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、

死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。

余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。

ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」

とか言うのにも、行き場のないモヤモヤゲスいんだよ。

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ウチの親は、そいつそいつ母親のことも嫌っているが、

しかし、私とそいつ小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、

私とそいつが似た者同士だったからだ。

小学校ではじめてそいつに会ったとき

同じグループの子からぽっちゃりからポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。

でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。

それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、

綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。

さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。

私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。

小学校中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。

私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対ルールを持っていて、

泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋椅子に座らせられた。

今でも私は美容院キライだ。

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そいつも、小学校入学時にはロングヘアだったはずなのだが、

三年生になる前には短髪になっていた。

ツヤツヤ過ぎてリアル天使の輪ができていた、

日本人形みたいなキレイな髪だったので、

どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、

そいつがなんて応えたかは覚えてない。

でも、そいつとつるんでいるあいだずっと、

小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。

私は、高校に入ってからはどうにか髪を伸ばすことが出来た。

親の意向無視することができるようになった。

高校卒業して、服も自分で選ぶようになった。

でもそいつは、大学の時も、成人式の時も、最後に会った時も、

小学校のころとまったく同じ、短い髪をしていた。

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髪型だけじゃなくて、そいつ成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。

周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。

誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、

なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。

今だったら、性の多様性ってことでスルーなんだろうけど、

でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。

皆はそう思ったかもしれないけど。

私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。

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そいつの親よりは私の親のほうがいくらかマシではあった。

そいつ母親に虐め殺されたも同然だけど、

私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。

ヒールと化粧は覚えなかったけれど、まあそれはいい。

私は成人式卒業式では着物を与えてもらえた。

私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、

ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。

別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身子供のころ欲しかったものなんだってさ。

あ、ピアノ祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。

まあ、ウチはその程度だったけど、

そいつの家、そいつの部屋に遊びに行ったとき

所謂女の子らしいものは何もなかったような気がするのだ。

ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。

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そいつ母親は、いつ見てもそいつとまったく同じ短い髪型で、

GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。

私とそいつは、程々に外遊びなどもしたが、

ずっと机でイラストを描いてるようなオタク気質だった。

毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。

家にない本や図書館児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。

私の母は、皮肉作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。

母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。

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そいつとは小学校を挟んで家が反対方向だったので、

放課後は違う女の子と遊ぶことが多かった。

三姉妹末っ子の子や、地元パチ屋の子とよく遊んだ

そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんなかよしを読んでいた。

ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドル流行りの歌の話をした。

の子たちは髪型しょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。

悪気なく「あなたも髪を伸ばしたらかわいいのに」と言った。

遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。

の子たちのことが嫌いではなかったけれど、

ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。

私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。

母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。

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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、

旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつホームページがまだ残っている。

今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。

日記もあるが、悩みや病気内面に関することは何も書かれていない。

家族の仲良し面白エピソードが書かれている。

中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。

私もそいつも、大学進学で地元を出た。

それで一度偶然、帰省電車で会ったのだが。

後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。

小柄なのはアレだが、変に生気に乏しいとでもいうのか。

ファッションおかしかったんだと思う。

かぶかよれよれのメンズウインドブレーカーか何かを着ていて、

息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。

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成人式スーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。

小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。

縄文系というか、小動物系というか目がくりっと大きかった。

髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。

面食い自分毎日見ても不快ではなかった。

でも、そういえば、

そいつ母親は、私とそいつが並んでいるのを見て、

我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。

「お前は顔がでかいねえww」みたいな。

その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。

私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。

いや、地獄かよ。

しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。

私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。

いやそれフォローか?まあもう記憶が定かでもないけど。

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私の母親は、子供の頃は頑として私の髪を切り続け、

髪を伸ばしたいという私の希望却下され続け、

その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、

まあ、高校以降はほぼそういう行為は無かった。

進学も希望通り、金銭的にも十分にしてもらえた。

流行りの服を買うこともできたし、趣味私生活に口出しされることもなかった。

周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。

オタク気質生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。

そいつは多分、そうではなかった。

大学行って、一人暮らしはできていたのかもしれないが、

母親の束縛や支配内面化してしまってたのかもしれない。

心の中の母親が、そいつの髪を切り続けていたのかもしれない。

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昨今の性の多様化からすると、そいつ髪型服装趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。

肉体的に女性でも、精神的には男性だとか珍しい話でもない。

そいつ自発的に、自然に、ただ好きで、

髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーバイクサッカーを愛していたなら、

それはそれで良かった。

そいつ母親は、そういう姿でピンピンしている。

でも、そいつは多分そうではなかった。

生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、

そしてそれが自分だと思い込まされていた。

母親が間違っていると気がついてはいけなかった。

コンフリクトがあって、それが体に出た。

病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。

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大学を出て、就職して、

そういえば携帯アドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、

就職先のイベント新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。

私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代記憶ごとまとめて、

そいつのことは思いだしたくない相手だった。

折角小奇麗になることを覚えたのだ。

陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、

根深陰キャコンプを刺激する見たくないモノになる。

仕事時間内は客としてもてなしたが、

プライベートで会いなおしたりはしなかった。

そいつ空気を読んだのか、

それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。

いや、水の一滴も口にできないんだから食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。

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しかし、一度ならず数回ほどそいつイベントに客としてやってきた。

ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。

ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、

インパクト強烈過ぎて覚えてるけど。ドン引きしたわ。

いや、その若さでそうはならんやろ・・・っていう。

転んで受け身をとれないことにしろ、骨密度しろ

もう回復不能分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。

しかし、そんな話をそいつ世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。

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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、

私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、

物知りで成績優秀者だったプライド邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、

同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。

しかし、そいつ自分日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。

藁にも縋る思いだったかもしれないが、

疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて

カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。

というか、そいつ自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?

気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。

いや、そういえば鬼電がかかってきたか訃報と決めつけているが、

フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。

もう、それを知りたいとも思わないのだが。

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既に超長文だけど、続きもあって御免。

https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/mental/1607548535/l50

2020-10-31

月経を抱えた人生が始まった12

お礼と追記------------

ホッテントリ入したので多くの方に読んでもらえたようで、感謝です。

どうかあなたの周りにいる思春期まっただなかの娘さんたちの辛さにも、ちょっと心を向けてあげてください。


あとあれだ・・・男のつらさについて語りたい感じのブコメの方。

別のところで存分に語ってくれたらいいんですよ、あなたの辛さも。

ここでは女性の体とホルモンについての話をしていますので。


娘は中容量のピルの投薬がもうすぐ終わるけど、割と絶好調に近付いてきている。一安心

彼女の二大懸念事項である生理不順とニキビのどちらにも劇的に効果があると知って、低用量ピルの投与を始める可能性が濃厚です。

ブコメでもピル飲んでQOL爆上げという方が複数いたけど、私も実は昔飲んでました。

ライナーで事足りるくらいの出血量になるし、傷みもほぼ無くなるし、いつ来るかが確実にわかから月経生理現象から制御対象になるんだよね。

それでも思春期女子にいきなり使う事への抵抗があったのは、自分の中に残った「性と生殖自然に任せたら問題ない」という根拠不明のなにかがそうさせたのかも。

タンポンも、ピルも、痛み止めも。もしかしたら無痛分娩も同根なのかも。

あしかし。

コメントでも自分思春期が辛かった事を書いてくれた人がいっぱいいるけど、やっぱり必要だよね「思春期外来」っていう結論に至りました。

できれば親の付添なんか無くても気楽に行ける、若者向けの性と生殖相談窓口が欲しいのよ。

(本当は男子の陰茎周りの話もティーンカップルの性の話も相談できる医者必要だよね。)

これが少ないためにどんだけの子供が苦しんでいるかと。

母親なのに30日も生理が続いてて気付かないの!?とも言われたけど、これがまさにそういう問題

「血が止まらないんだけど」→「10日くらい続くのはよくあるよ」

「まだ続いてるんだけど」→「止まって、再開して、また2週間以上続くのもぜんぜん珍しくないよ」

みたいな感じで母親自分経験者だからこその無理解で、子供医療から遠ざけがち。

ほんとかわいそうな事をした。

睡眠外来とかもここ10年くらいでかなり増えたな、という実感があるけど、このくらいの数になってほしいなあ、思春期外来も。

各所の婦人科医さん、頼んだ・・・

以下本文------------

https://note.com/wakari_te/n/ne5fc8dd14fda

これ読んだのでここ1ヶ月のことを書き残しておきたい。

中1の娘がいる。

初潮からちょうど1年くらい。

初経から1年はぜんぜん出血量も多くなかったが、その頃から不定愁訴というのかな、

「頭がいたい」

だるい

「おなかが痛い」

「なんかしんどい

が明らかに増えてきた。

小学生時代はとにかく健康優良児、スポーツ万能。

ワクチン以外で病院に行ったことも殆ど無いような子。

いつもやる気に満ちあふれていて、溌剌という言葉がぴったり来るような女子

それがいきなりどんよりモードになってきたのだから、親としても戸惑った。

でも思春期というのは男女問わずそういうもんだということも言える。

寝る時間が遅くなったり、友達関係も心の動きも複雑になるし、心身症みたいなこともおこるだろう。

ホルモン暴走が数年が続くのだから、男女とも体がおかしくもなるだろう。

そう考えていた。

ところが先週、娘が

「頭がフラフラする」

と言い出した。

寝不足なんじゃない?と軽くあしらっていたが、生理が止まらいからかな?と言い出す。

何日続いてるのか聞くと、32日と。

1ヶ月ダラダラ出血してるわけ。

ここ1週間くらいは出血量も増えて辛いと。

あーこれはそろそろ産婦人科に連れて行かないといけないのか、でも近所は産婦がメインだし、友達の目とかも気になるかもしれないし。

思春期外来もあるレディースクリニックは人気すぎて全然予約取れないな~

とか考えているうちに、次の日には

頭痛がしてダルい、起きられない」

と臥せってしまった。

慌てて貧血用のサプリを飲ませ、取り急ぎ近所の産婦人科に連れて行った。

運良く女医さんがいた。

取り急ぎ貧血気味なので生理止めないとね、という話になり、プラノバール14日分を処方される。

中容量ピルだ。

ところが、これを飲むと高頻度で吐き気副作用が出るらしい。

娘はバッチリはまって吐き気で起きられなくなった。

吐き気止めを朝夕飲み、体を引きずって学校に行ったが体育は当然できず、早退。

飲むタイミング食事を調整することで、数日かけてようやく吐き気がマシになり、日常生活が送れるようになってきた。

(余談だがこのプラノバールは緊急避妊で使われるケースもあり、この場合は数倍の量を一気に飲むのでさぞキツかろう・・・と思った)

ここ1ヶ月、おそらく貧血通奏低音様の腹痛に邪魔されて、娘のパフォーマンスはガタ落ちだった。

運動系習い事は1/3も通えず、塾も半分しか行けなかった。

それが原因で数学英語で全くわからない単元が出てきてしまったらしく、初めて「わからいから塾に行きたくない」と言い出した。

やっぱり英数というのは明確に階段状になっている科目なので、一段つまずくとそこを抜かしての巻き返しはできない。

追加で登校したり、動画学習をしたり、質問に行ったりそれなりに大変だったけど、早めにわからない部分に気付いたため何とか追いつけた模様。

おやすみのために塾や習い事学校電話して説明しまくって(コロナ禍なので体調不良に皆センシティブで、娘には気の毒だがかなり詳細な説明を求められる)。

何回も説明しているうちに気付いた。

この紆余曲折みんな、男子だったら全く必要無い苦労なんだよね。

むろん、障害がある子、持病がある子、体力が無い子も相対的に不調が続いている状態といえる。

でも、人口の半数が(いわゆる高温期の)月間14日程度は相対的不調、うち7日程度は絶不調。

それなのに、統計的に差が出ないレベルにまで勉強や諸々の活動をできてるというのは、これは相当に、がむしゃらに頑張っているという事なのでは?!と気付いた。

中学受験すらこのハンデの中でやってたんだな。

自分もしてきた苦労なのに、(むしろ自分生理が重い方なのに)なんでこのハンデに今まで気付かなかったんだろうと不思議に思う。

思うに人間は慣れるからだ。出血にも痛みにも。

そういえば出産後、保健師さんに

貧血でも人間からだは血がない状態に慣れるんですよ。

でも、鉄剤を飲んで『体が楽になった!』と気付いて、初めて貧血自覚するんです。」

という話をされたけどこれに似てる。

私だけじゃないし、調子が悪いのが普通だし、慣れるし慣れさせられる。

いわゆる生理痛があまりなく、「生理が重い」という自覚が無い娘だが、それでもフツーの日常を送り、フツーの中学生としてフツーのパフォーマンスを出すのにこれだけの紆余曲折がある。

小学生の時みたいな男女区別がつかないくらいの、生気が充溢してる毎日ってのは送れないもんなのだなーと。

婦人科では低用量ピルを勧められた。

ローティーンあいだは無排卵性の月経である事が多く、この場合子宮内膜の増殖は多くなく、したがって出血も少なめだが、周期が安定せず、月に何度も出血したり、何週間もダラダラ出血したりする。

逆に排卵のある月経になってくると出血も痛みも増して「重い」月経になってくる。

金銭負担もあるし、副作用もあるし、また調整に時間かかるかもしれないけど、痛みと出血PMSが大幅に軽減するならやるべきかも。

妊娠する必要が無い時には生理不要なのだ本来は。

思えば自分思春期の頃、月経が来るたびに憂鬱で苛立っていたが、単に体調不良からでない。

このアンコントローラブルで自分の足を引っ張るだけの生臭い血みどろのヤツがずっと自分人生に付き纏うことに対して、えも言われぬいら立ちがあったのではないだろうか。

もっとコントローラブルな対象として見ていいはずだ、月経も。

というわけで、考えても見なかったが、娘に低用量ピルをすすめると共に、もはや「生み上げた」存在である自分にもミレーナを使う事で、月経からの開放を目指そうと思う。 

月経を「受け入れて共存するもの」とするか「克服すべき不調」とするかによって対応が変わるのだろうと思う。 

娘にも娘の選択があるだろうが、私は後者を選ぶ。


ちなみに、女はツラいマウントしたいわけじゃなくて、この初潮直後のローティーンの体調グダグダしんどい感じ、言語化がうまくできないのか世の中であんまり見ないな、と思って親の立場からですが書いてみました。

成人女性月経にまつわる話はすごく出回るようになってきたと思うんですがね・・・普通は恥ずかしいし、隠したいしね。

2020-10-25

彼氏セックスしたくない

付き合って半年ほどの彼氏がいる。

一度付き合って3ヶ月ほどで別れ(私が打ち解けられなかったのが原因)、それから約3年後に元サヤに収まった。

仕事もすごい頑張ってるみたいで尊敬してるし、気を使わずに一緒にいられる。すごく楽。

好き好き〜って感じではないけど、目が合えばどきどきするし隣にいるのが心地よい。

けど、セックスがほんとにしたくない。

元々私はあんまり気持ちよくなれない体質で、人生で数十回ほどした中で気持ちよくなれたのは1回だけ。(回数の少なさで私の慣れてなさが伝わると思う)

相手もたぶん慣れてないんだと思う。

ハグをしてる時はめちゃくちゃ幸せなのに、キスから先はどんどん気持ちが盛り下がってしまう。

惰性というか、相手気持ちよくなるならと思ってしてるとこがある。

ただ、相手は昔かなり頻度でこなしていたようなことを言っていて、今の月1あるかないか自分と比べると、けっこう自信がない。

価値観の違いも今のところ上手くすり合わせられてて、お互い20代後半だしこのまま行ったらたぶん結婚する。

けど、この人と結婚したらもう一生気持ちいいセックスできないのかな、と思うとちょっとためらってしまう。

楽しい性活を送れないものか。

2020-10-15

恋って何だろう

友達好きな人の話をしたら

それは恋じゃないんじゃない?と言われて

恋ってなんだ…?となっている

みんな恋人がいる人や片思いをしている人は

正しく共通感情というか恋をしているものなんだろうか

憧れや情を恋と認識して一生気づかない人はいるんだろうか

そもそもそれで困るのか?

野生動物にも同じような感情はあるのか?

好きっていったい何だろう

正しく恋をしてみたいけれど

一生恋なんてできないのかもしれない

追記

はじめて投稿してみたけれど反応してくれて、

私が思ったなら恋なのだとこの気持ち肯定してくれて嬉しかったです

既婚者のその友人には

本当に好きになったら秘密にしたくなるもの、といわれて

そういうものなのかなとも思ったり

憧れを勘違いしているだけかもとも思ったり

終結果は相手がどう受け取るかによります

もう少しこれを恋だと思って自分なりに頑張ってみます

ありがとうございます

2020-10-02

anond:20201001170719

自分はのうのうと生きてる癖に反出生気取る奴〜w

それ生の喜びを独り占めしてるだけよな?

2020-09-03

anond:20200903223344

あ、あたしたちはどこにだっているよ!

生気を抜くな~~~?

2020-08-31

夏休みのある学校がうらやましい

小中高と夏休みがなかった。正確にいうとお盆の期間しか休ませてくれなかった。

それ以外の期間はずっとクーラーのない学校に来させられて勉強部活をやらされていた。

大学生になって夏休みというものを知った。大学同級生は小中高と夏休み謳歌していたと聞いてカルチャーショックを受けた。

春休み冬休みも同様になかった。ドラえもんちびまる子ちゃん春休みには宿題がないからいいよね〜という台詞を聞いた時、意味がわからなかった。3月末も4月の初めも学校で授業があったからだ。

若い頃の長期の休みというのはいものだ。そして二度と取り戻せない。これから子育てをする人

、くれぐれも九州田舎町で子どもを育てるなんてことはしないでほしい。あの町は子ども奴隷しか思っていない。外にでなければ一生気づかなかった。

2020-08-28

福満の嫁と結婚したい

マッチングアプリ全然上手くいかなくてつらい

自分コミュ力は決して高い方ではない。生気の感じられない目をしながら通勤時間に前を歩く女性の尻の品評会をして過ごすのが日課だ。しか結婚のことになると目の色が変わった。

「福満の嫁みたいな人と結婚がしたい」

これに尽きる。福満の嫁みたいな人と結婚がしたいということは、福満の嫁みたいな人と結婚がしたいということである

自分には自信がない。だが自分の器に収まりきらないクソデカプライドがある。

顔面崩壊していなくて電車で隣の人に圧をかけるような体型でもなくて、そして福満の嫁みたいな女性結婚がしたいのである

自分コミュ力は決して高い方ではないしむしろ低い方かもしれない。趣味に打ちこむ体力も無くなり、平日のアフターファイブはもちろん土日もTwitterに張り付く有様である

Twitterは毒だ。行動力のある人、特別技能のある人、ちんちんがついていない人が己の欲求を満たす場だ。

繰り返すが自分にはもう何かに打ちこむ体力はない。平日も休日Twitterに入り浸り、流れてもいないTLを更新し、承認欲求を満たす神の投稿を指を咥えて見ることしか出来ない。

残るのは劣等感と寂しさだけである

縋る先はマッチングアプリだ。

自分には自信がない。

福満の嫁と結婚したいのにも関わらず当たり障りのない話しかしないのだ。

自分もっと趣味の話をしたい。休日何しているのかと聞かれて「朝から晩までゲームしたり、ラーメン食べに行ったり友達うまい酒を飲みに行っています!」とドヤ顔で言いたいのだ。

だがそれが出来ない。

プライドで溢れかえっている器にヒビが入るのに耐えられないのだ。へーそうなんですね、それで?って興味のなさそうな返答をされるのがつらいのだ。

福満の嫁ならきっと「へーそうなんですね(なんかよくわからんけど楽しそうだからヨシ!)」ってニコニコしながら言うはずだし、自分が求めているのもそういう女性のはずだ。

「へへ…最近コロナで出かけられなくて…掃除したり洗濯したり、あとyoutubeゲーム実況動画見てます笑」なんて本心でもないつまらない回答ではいくら福満の嫁でも飽きてしまうだろう。

というか福満の嫁みたいな人って婚活市場に来る前になんだかんだで結婚できてそうw

おわり

2020-08-23

朽ちていく 2

anond:20200822033803

ホテルエントランスに戻り、濡れた傘を折りたたんだ。

一泊二千円台の安宿に部屋を借りている。安宿ではあるが、値段の割にサービスも質も悪くないのだ。しかし、どうやらこのホテルは霊がいるらしいと、Google検索ボックスが教えてくれた。確かに、このホテルは何かうら悲しい感じがしないでもない。礼儀正しいフロント従業員から鍵を受け取り、エレベータに乗り3階で降りると、真っ暗でソファの置かれた空間にでる。そこの奥には普段は使われていない宴会場があるようで、いつも消灯されているのだった。そして、数段だけの小さな階段を降りて、私の部屋のある棟へ歩く。私の部屋の前にもソファがあって、壁に時計がかかっている。その時計は一分ごとに、「ギイ」という錆びた螺子の音をさせて、心霊ホテル演出している。

ハムスターが餌をとって自分の巣へ戻るように、私も外から戻るときはいつもなぜか足早に部屋へ急ぐ。いつも通り駆け足でエレベータから私の部屋に向かって、鍵を開け、私の部屋につくと、濡れたパーカーを脱ぎ、帽子をとった。靴下にも雨水浸食して気持ちが悪い。「Do not disturb」の札を下げて何日も封印している私のもので散らかった部屋に帰ってくると、少し安堵した気持ちになった。

この日は確か、目的もなく、見知らぬ駅の周りを歩いた日だった。駅には隣接するビルがいくつかあったが、私が出歩いた時には、商業施設も、映画館営業してなかった。

飲み屋街を歩いてみた。老夫婦が、腕を組んで歩いていた。若者グループテントの下で何か民族的楽器を鳴らしながら歓談していた。スーツを着た3人の男たちが、「じゃあ、また!」とご機嫌に挨拶していた。私は、なんだか自分お化けになった気持ちになって、ゲームセンターに向かってみた。ゲームセンターはもうすぐ閉店するようだった。湿っぽい雨の夜に、真っ白な蛍光灯で照らされて冷たく乾燥した空間は、とても無機質だった。カラフルな景品たちがガラスの中に入っていて、それが無数に繰り返されていた。私は、暇だったので、景品の一つ一つを見て、欲しいか、欲しくないか、考えてみることにした。愛らしい丸みを帯びたデザイン動物モチーフぬいぐるみ、あどけないの顔つきの成熟した身体の女のフィギュア原色で彩られた小包装のお菓子。どれも夢のようであったが、今欲しいものは、そのどれでもなかった。

スロットアーケードゲームのコーナーをうろつくことにした。そちらのコーナーは少し薄暗く、音も大きかった。広くて新しい店内ではあったが、時間時間なので、人はほとんどいなかった。仕事帰りの若いサラリーマン風の男が何かロボット系のアーケードゲームをやっていた。レーシングゲームのコーナーには、若いカップルがいて、二人ともマクドナルドの青い飲み物を飲んでいた。音楽ゲームのコーナーには、もう一人、メガネをかけたサラリーマン風の男が、グローブをしてゲームに熱中していた。

私は、何回も彼らの横を通り過ぎながら、どのゲームをしようか考えていた。でも、うろうろと歩きすぎていいかげん不審者に思われているかもしれない、そう思って、考えるのはやめて個室風に覆われたシューティングゲームをやることにした。そのシューティングゲームでは、ゾンビが次から次へとやってきて、それを銃で撃ち殺していくゲームだった。何かゲームについての説明があったが、その説明の画面が流れるのが早すぎて、理解する前にゾンビが襲ってきた。とりあえず照準を合わせトリガーを引くと、簡単ゾンビたちが死んでいった。ゾンビたちで埋まったパーティ会場から脱出するべく、次から次へと撃っていった。「いけてるかも」普段ゲームをしない私であったが、私がトリガーを引くたびに死んでいくゾンビたちをみて、そう思った。そして、救出しにきたヘリコプターに群がるゾンビにも、乱射をお見舞いした。しかし、次の画面で、何やら今までとは体格の違うゾンビが出てきたと気がついたときには、「Incert coin to continue」と表示されていて、しばらく経って、ようやくゲームが終わって現実に戻ったのだと気がついた。

私が遠回りをして、ゲームセンターからホテルの部屋へ帰る頃には、頭にこびりついたゲームセンター騒音は消えかけていた。

ふと、私は、黄色が嫌いなことを思い出した。黄色、というのは何か溌剌としたエネルギーを感じる色である。けれど、気狂いっぽいそんな雰囲気も私は感じ取ってしまう。ところで、「ち」というひらがなを見ると、私は、黄色をなぜか連想する。

霊(ち)、地、血、乳。

ち、という言葉には、生生しい印象をうける。

ぴちぴち、みちみち、ぱちぱち、かちかち。

ち、という音は、何か瞬時に飛び出していく感じがするのだ。

私が、黄色を好きになれないのは、私に生気が足りないことを叱られているような気持ちになったから、というのもあるのかもしれない。

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