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はてなキーワード: 完璧主義とは

2021-01-11

「まだ声優ラジオなんて聞いてんのかい?」

そう言われて、僕は慌ててアイフォーンを弄って音量を下げ、耳からブルートゥースのイヤフォーンを外した。

「五月蝿かったですか?」

そう言いながら僕は同業者の方に振り返る。

名札を見て、声の主が「田中」さんだったことを思い出した。

「いや、そうでもない。たださっき画面がチラッと見えてね」

(そんなことなら放っておいて欲しいなあ)

そう考えながらも、「田中」さんがこの現場における僕の同期であることを思い出すに連れて彼の気持ちもなんとなく把握しつつあった。

田中さん、今日のお昼もカレーですか」

免疫をつけないとね。また、この近所にもコロナが出たろ?」

(それならご飯中に話しかけないで欲しいなあ)

しかし、君が声優ラジオなんて聞くとはね」

面白いですよ。なんのかんの言って放送作家仕事が安定してますんで」

「割り切った言い方だね。それじゃあVのモノも同じように捉えてるのかな」

コイツ同族として認定したな)

「そうですね。でも、あっちは玉石混交に感じます

「俺なんてランキングの高いのしか見てないからそういう風には感じないな」

「確かに今はそうかも知れませんね」

「なら声優ラジオなんか聞いてないで聞くのもVでよくないかい?」

ラジオは音だけで完結してるから職場でならラジオに限りますよ」

「僕なんてゲームやりながら聞くから画面はあんま見てないけどな」

「でも、たまに画面見てる前提で進むじゃないですか。気になるんですよね」

完璧主義だね」

「そうなんでしょうね」

「でも、声優ラジオじゃあ話題にはついてけないだろ?」

「こっちにはこっちの話題がありますよ」

こっちが二重にかかってしまたことが向こうに伝わったのか、田中さんは少し黙ってしまった。

仕方ないので食事に集中した所で彼が口を開いた。

「ところで誰のが好きなんだい?」

増田増子の匿名ダイアリー

「その人、ハテナ・テオノの中の人だっけ?」

「あっちは、放送作家が違うっぽいんで」

「そこ、やっぱ大事なのね」

大事ですよ」

「君にとっての魂はそこか」

「魂とは違いますね。聖霊です」

「神ではないのか」

安直表現から嫌いなんですよ。神」

「なるほどね」

2021-01-06

締め切りを守れない創作者の習性

自分ビビリなので、締め切りを破ったことがない。

しかし、世の中にはそうでない人が少なくない。

観察者側から、こういうタイプが多いように見える、というのを書き出してみたので、答え合わせをしたい。

自分の手の速さを過信する

ギリギリまで手をつけない。ギリギリではなくほぼアウトになるまで手をつけない。自分が描くのは速いと思ってるが、思ってるよりは速くない

完璧を目指す

スケジュールが押してるのに、上手く書けないと何度もゼロからやり直したりする。

100点を目指す。

70点で締め切りに間に合わせようという発想はない。

・体調管理ができない

持病とかではなく、深酒や夜更かしなどで、体調をくずす。

思ったより書けなかった。

基本的に、完璧主義者である一方、管理能力が低い、自分のペースを把握してない感じかなと思っている

実際守れない人から意見も聞きたい

自分は、趣味で締め切り守れないのは人に迷惑をかけない限りは、好きにすればいいんじゃないかな?というスタンス

2021-01-05

急に歯を磨けなくなった

一昨日バイトで変なミスやらかした。久しぶりに叱られた。

年に一度の楽しみである箱根駅伝子供の頃から応援していた駒澤大学の優勝を、リアルタイムで見ることはできなかった。シフト適当に出した自分が悪いんだけど。

そこから完璧調子が狂った。

まず、朝ベッドから起き上がることができない。

疲れているというよりは、エンジンがかからない。

洗顔も、風呂も、歯磨きも駄目。

ご飯を食べても不味いおからみたいな味しかしない。

化粧なんてとんでもない。

もうすぐ大学の授業が始まるけど、資料ダウンロードはおろか、zoomの立ち上げすらままならない。

外出の予定も全てキャンセルした。

元々鬱の気配はあったのだが、これほどまでに何もできないことなど今までなかった。本当に困惑している。

ものを考えるのが面倒くさい。この文章も、ゆっくりゆっくり打っている。

辛さと無感情が交互にやってくる。

変に完璧主義なところがあるのは自覚していた。

バイトでの叱責程度でポッキリ折れるとは思わなかった。

気力を振り絞って心療内科に行くべきだろうか。

何もやる気が湧かないので、とりあえず寝ることにする。今日ずっと寝てたけど。

2021-01-01

anond:20201231132730

人格ある人間としての彼女に興味があるのでなく、恋人を作るための練習台として彼女を利用したために、印象が残っていないのではないか

算数で何を習ったかは覚えていても、どういう算数ドリル勉強たかはおぼえていないでしょう。

なぜ彼女が魅力的に思えるのか、を見定めるために観察するのでなく、“何か可愛いポイントそうじゃないか”… 典型的パターンに当てはめて振る舞いを評価しようとしている。

これから接していく対等であるべき恋人に対して、“嗜虐性”… イジメることを楽しむ気持ちを善しとして積極的に発揮するつもりでいる。

彼女感情を表情から読み取るのでなく、「私が楽しくないと思っているのだから相手も恐らくそう思っているのではあるまいか」… 写し鏡のように自分基準想像している。

彼女自身を見るのでなく、机上の原則論で判断しているように見える記述は他にもある。誘ったのだから楽しくエスコートすべきとか、食事中に喋るのがダメとか、容姿を褒めてやるべき、とか。

虚心坦懐に自分の心をみつめて冷静に分析できる能力の高さは、さすがに完璧主義者を自分で名乗るほどのことはあると思う。

欠けているファクターは「彼女はどうなのか? を中心に見る見方」だ。

彼女容姿を褒めて欲しがっているのか? 彼女デートを楽しんでいる? 見せた弱みに嗜虐性をそそられたと言ったらどう感じる? 彼女完璧主義者の存在を感じ取れていた?

—— 相手質問し、発言意図を考え、よく観察し、こちらも言外のメッセージを送ろうとしてみる。通じたかどうかを聞いてみる…

そういうループを試みることが、相手に関心を持つ、ということだと思っています

自問自答の習慣がある人は自分がどんな人間かをよく知っている。あなたメタ認知能力が高い。

同じことを他人もできるようになれば、楽しいデート… お互いに楽しめるデートが実現する、そのように存じます

2020-12-31

完璧主義童貞ブサイクな女

気になる女の子映画デートへ行った。いや正しくいうなら気になろうとしている女の子であろうか。以前私は配信者の男がこう語っているのを聞いた。まずはブスと付き合え。衝撃を受けた。モテてない奴はまずは誰でもいいから付き合って練習しろというのだ。妙に納得してしまった。私はこの日からストライクゾーンダイジョーブ博士にでも頼んだかというぐらい広くなった。そこで今日バイト先の女の子映画デートへ行くことと相成ったのである。けれども正直可愛くない。可愛くないが一緒にいて気取らなくていいので落ち着く。そんな子だった。アニメ映画を観た。140分もあったものから頻尿な私は途中でトイレに行きたくならないかとても心配になった。結果として大丈夫であった。水分を取らないことが幸いして上映中にトイレに立つことは無かったし、上映外も常人レベルトイレ回数だったと思う。上映中彼女お腹が鳴り恥ずかしそうに鞄を抱き抱えているのが可愛かった。厳密に言えば特に何も思わなかったが可愛いと思い込もうとしていた。何か可愛いポイントそうじゃないか。そういうところ。けれどもコンプレックスであろう口を隠してたのはとても可愛かった。僕の嗜虐性をとても刺激された。女性男性の嗜虐性を刺激すればブスでもモテると思う。所謂弱みを見せるということになるのであろうか。相手を幾らか笑わせることはあっても特に楽しい会話もなく私が楽しくないと思っているのだから相手も恐らくそう思っているのではあるまいか。そう思うと少し申し訳ないことをした気がする。家から映画館まで往復で1000円もかかるらしいのだ。悪いことをした。私が誘ったのだから私が楽しくエスコートする必要があったのではないか。私は自分ですら楽しめていなかった。何が楽しくなかったのだろう。中々どうして理由はわからないが今日のことを思い出してみても相手存在認知することができないのだ。私が1人で映画を見てハンバーグを食べて帰ってきたのと同じ記憶である。私は本当は1人だったのではないか?とそう思えるほど相手存在を感じとれなかった。私が普段街で脳内会話しているのと同じレベルである。何の話をしたであろうか。食事中に喋るのはいけなかっただろうか。容姿を褒めてやることが出来なかった。私は完璧主義であるから自分の思い通りにならないと気分が悪くなる。けれども、あと2、3回遊びに出かければ彼女三人称代名詞としてではなく恋人としての彼女になるのだろうな。とも思えてしまう。それ程私は今自己陶酔している。病的である。あるいはまさに拗らせ童貞なのである。あゝ彼女欲し。

2020-12-30

心療内科への定期通院が先日終わった。イエーイ!

最近は処方された薬をまったく飲んでなかったし、食事指導に従って生活改善してたからね、当然だよね!


で、体だけは元気になったわけだが、心の方も元気になったかというと、ウ~ン。

しかに、抑うつMAXの時はまさに脳の機能障害だなーって感じで何もできなくなってたし、

その頃に比べれば日常生活社会生活比較問題無く送れてはいる、が。


認知の歪み、というものは劇的なほどには改善されていないし(その存在自覚できただけ大きな進歩ではあるが)。

希死念慮、のようなものはいまだにくすぶり続けているし(日常生活を脅かすほどの強さは失われたが)。

完璧主義を拗らせた破滅願望に近しいものは日々成長しているし。


まあ、人間なんてそんなもんなのかな?って軽く考えてとりあえず生きようとしているのに、

とにかく生きろ、死ぬな、の声が大きい一方で、精力的に働け、健康に生きろ、幸せになれ、の声もデカいので、

前者に従いただ生きていると窘められ、後者に従い無理をして死にそうになるとすぐ止められる。

めんどくせ。

本気で生きるならばカウンセリングを受けるなどして理想精神状態を手に入れるべきなのだろう。

幸せになるために周囲の環境を整え前向きに行動し挑戦する努力必要なのだろう。

いやー、無理だわ。

受動的に心療内科に通わされてただけでも心底めんどくさかったのに、

自分人生のために能動的に動けだなんて、そんな、おもんない冗談はやめてくれ。


もう、生きることに対して過剰な苦痛を感じなくなっただけ褒めてくれや。

医者の前でだけシャキッとするボケた老人みたいに元気そうに振舞えるようになっただけ褒めてくれや。


こんなに生きる気がないのに生きないといけないの、ほんとめんどくさい。

でも生まれしまたからにはしかたがない、どうにかこの地獄を生き抜こうね。

はーめんどくせ。

2020-12-28

天才承認欲求犯罪傾向とパズル就活面接について

なにが天才なのか、という厳密な定義はともかく置いておく

とりあえず、この人はすごく頭がいい、は天才ということでいいとしよう

天才的で、承認欲求が強すぎて犯罪まで走ってしまったのではないだろうか、と自分が思う人は色々いるような気もするが、

日本比較最近の例としては酒鬼薔薇聖斗事件があると思う

それから宮崎勤である

宮崎勤宅八郎マスメディア扇動ロリコンだのアニメオタクだののイメージ視聴者に植え付けることに成功してしまっている気がするが、

宮崎勤パズル雑誌を愛読しており、独自パズルを考え掲載されもしている

宮崎勤パズル能力に関しては優れていたと思う

しかしたらgiftedと呼ぶに相応しい能力があったかもしれないが、幼女連続殺人を犯したというのは揺るがない事実であろう

酒鬼薔薇少年Aに関しては宮崎勤パズル雑誌のような話は自分は聞いたことがないが、

まず、彼は弁護士資格を取得していたと思う

なんとなくではあるが、彼は弁護士資格ぐらいなら余裕で取得できるだろうと思う

少年A人間的にどうかは分からないが、知的水準が高いだろうなと思ったのは、あの赤い字で書かれた犯行声明である

schoolのスペルを間違えたりはしているものの、知的人間だというのは十分感じられる

本人は別人を装うための偽装工作だと供述しているが、自分には納得できない

絶歌」を読んだわけではないが、報道されていた内容から考えるに、

少年が開設したHPタイトル存在の耐えられない透明さ」を納得させるようなものに思えた

死体に対する性的興奮、ナルシストなぐらいの筋トレ好き、ナメクジへの異常な執着などがあったようにうろ覚えだが記憶している

自分が思うに、少年A犯行動機性的興奮のためでもあったと思われるが、

そのHPタイトル存在の耐えられない透明さ」というのはかなり的を射ている気がしたのを覚えている

まり承認欲求である

しかし、それが普通の人の承認欲求レベルではなく、自分存在がいつも揺らいでいる、自分存在するかどうかさえいつも不安であるとしたらどうだろうか

ラヴクラフトの「アウトサイダー」のように、他者自分認識されて初めて人は存在するのであり、そして自分怪物であったことも明らかになるのである

少年A偽装工作と述べているが、いちいち鼻を突く挑戦的な文言偽装工作にそぐわない

もちろん、天然でこれが偽装工作だと思っているのかもしれない

しかし、あの赤字犯行声明偽装工作の裏から犯人少年A承認欲求が滲み出すぎてしまっている

宮崎勤将棋も得意だったようだしパズル能力も高かったと思われる

高校卒業後の1981年4月東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学する。このころはパズルに夢中になり、自作パズルを専門誌に投稿したり、雑誌パズル回答者として雑誌名前掲載されることもあった。

宅八郎マスコミの作り上げたロリコンだのアニオタだのウルトラマンの切断技が影響しただのは疑わしい

部屋に収集したビデオは視聴目的というより収集目的であったようである

まり、膨大な積ん読である

このころアニメ同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメ特撮番組ビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープほとんどは自ら鑑賞することはなかった。ビデオサークルでは、ほかの会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6,000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。

無理なダビングを注文する、というのは極度の完璧主義者であったのだろう

天才かどうかはともかく、狭い領域に極端に執着するタイプであったのは事実だと思う

そして、宮崎勤犯行声明も、これもまた挑戦的な文面だったように記憶している

凡人の自分からすると、挑戦的な犯行声明など逆効果なようにさえ思う

雄弁は銀、沈黙は金ではないが、なぜ少年A宮崎勤犯行声明ではここまで挑戦的な文面になってしまうのか

コンプレックスの裏返しと述べるのは簡単だが、ここにも承認欲求の拗れみたいなのを感じるのは私だけだろうか

天才的な能力を持っていたかもしれないのでありながら、ここまで非人道的犯罪にまで走ってしまうと、その能力を役立てることも不可能になってしま

ただ、少年A少年院に入っても更生が難しく、出所後も出版物週刊誌の内容から更生できているとは思い難いところがある

座間事件もそうだったが、凡人の自分にはまったく理解できない話である

ではあるが、怪物のように思われるシリアルキラー人間であることに変わりはないわけで、

根本的なルールが異常であったとしても、その異常なルール根底に考えれば、なんとなくこんな気持ちだったのではないか、と思うところはある

少年Aにしても宮崎勤にしても、正解は自分けが知っていて、当ててみ?という優越感はたまらなかっただろうと思う

他人を試す優越感というのはどこにでも存在する

例えば、就職活動面接である

面接する側、雇う側だけが正解を知っている、就活面接はまったく情報が非対称なゲームである

面接官側というのは問題を出す側、パズルを出す側である

パズルを解くというのは、その挑戦に抗い、打ち勝つことで逆転する喜びなのかもしれない

2020-12-27

結婚できる気がしない

できる気がしない、というよりは「したくない」に近い。


自分完璧主義なところがあって、かつ潔癖でもある。吊革を掴めないとかじゃなくて、リモコンは決まった位置に置きたい、脱いだ服は洗濯機に入れるかハンガーに掛けてクローゼット仕舞わないと気持ち悪いとか、そういうタイプ


休日に昼までダラダラ寝る、脱いだ服を置きっぱなしにする、食べ終わった食器をすぐに洗わない。これらが本当に無理。他人ならどうでもいいけど、一緒に暮らすなら絶対してほしくない。

昔、半同棲みたいな感じになったとき最初こそ相手も頑張ってくれたけど途中からだらしなくなって、そうなったら一気に気持ちが冷めてしまった。自分でも心が狭いとは思う。でも受け付けないのだ。


同じくらいの感覚生活できる人と出会いたいが、意外と難しい。いっそマッチングアプリでもすればいいんだろうか。

2020-12-23

ゲームお金を払うという行為について前から言いたかたこ

冬休み始まって(年末また出るけど)少しヒマなので前から言いたかたこと書くわ。

おっさんの昔話

いつからだっけな。

多分DLCが本格化しだした頃からなんだけど「ゲームは一度お金払ったらずっと無料で遊べるべき」みたいな勢力が出てきたんだよ。

アップデート無料が当たり前って価値観

その昔からオンラインゲームだとアプデのたびにちょっとずつ課金要素追加されてくとか結構あってユーザーも「まあ金払わねえと潰れるし大型アプデ来んのは歓迎だわ」ってことで割と好意的に金払ってた。

そういう界隈にまで奴らは攻め込んできて「基本無料なんだから全部無料だろ!」みたいなレベルで暴れ始めた。

それが最近ソシャゲ叩きに移行していって「ガチャゲーはクソ。最後まで無料で遊ばせろ」みたいな事言うようになった。

いやおかしいだろ。

趣味じゃなくて仕事で作ってんだからどっかで金稼がないと無理だわ。

『誰かが仕事でやってることは、誰かが給料を手に入れられるようになってないとおかしい』って当たり前のことを理解できてない人は昔のインターネットにはほとんどいなかった。

ADSLが出来た辺りから接続の苦労も知らず親の用意してくれた環境に丸ごと乗っかって全てが無料であるはずと思い込んだ経済観念の壊れたネット住民が生まれだした。

彼らが大きくなって立派な嫌儲民となり、購入厨という意味不明概念まで生まれて10年ぐらい経ってる。

そうして今やそういった概念ネットでは「歴史のある党派」に数えられるような扱いでやたら堂々と振る舞ってる。

でも一度落ち着いて考えてほしい。

単にネットで長年騒いできた連中が大勢いるってだけで、自分らの言ってることが正しいと保証されることなんて無いってことを。

最近の話

最近だと特に目につくのが「新作ゲームガチャが渋い!許せねえ!」ってやつなんだよな。

まあ確かにガチャ誘導まみれのゲームって全くおもしろくはねえんだけど、それならレビュー一言「クソでした☆1」とだけ書いて去っていけば、多くの人が同じ感想ならそれが集まって凄い勢いの低評価レビューとして十分な破壊力を持つと思うんだよな。

これはインターネットの基本として覚えてほしいんだが、10人に1人が帰り際にキレてワンパンかましていくとユーザーが10万いるなら1万発のパンチが叩き込まれることになる。マジでヤバイ威力になる。(そしてそれで相手死ぬと1万人全員に「最後の一発を入れた可能性」が出てくるので、誰かを殴る時はよく考えたほうがいい)

わざわざ必死になって「このゲーム本当にクソでしたよ[会社名]は本当にクソゲーしか作らないから皆で攻撃しましょうー!!」って呼びかける必要なんてねえわけだ。

ガチャの渋さも含めてゲームの一部なんだからそれに耐えられないならゲームを辞めればいい。

運営に対して一言言いたいならメールを送るって手もある。

さっき10人に1人が10万集まると1万発のパンチかますことになると言ったけど、1000人に1人でいいか手紙ちゃん運営に送ると10万いれば100通の手紙が届く。

100通来てその中の半分に同じ内容が書いてあったら運営もそれなりに動く。

これはとあるソシャゲサイトマスコットキャラクターが返金騒動が起きた際のことで口にした言葉なんだが、『あいつら騒ぎ立てるわりに意外と泣き寝入り体質で、Twitterとかゲームコミュニティかには「コインだけ奪われた!」とか書き込むのに、問い合わせて補填を受けようって発想がないんだよね。にじよめのゲーム以外でも、観察してると「まぢ詐欺だし。ホント最悪の運営です!」みたいな書き込みがちょくちょくあるわけ。そういう叫びを目にして、「おまえらそこであきらめるんだ!? 取り返しに行かないんだ」と最初は目を疑ったよ。』ってのがある。

堂々と請求できる場面ですらこうなんだから、そういう状況でなかったらマジで多くの人は文句たらたらの癖に本人には言わずに帰っていくんだろうなと思うよ。

でもそれって違うだろ?

「言いたいことがあるなら直接言う」ってのは基本じゃん。

お前らの大好きなゲームでもそれテーマにした話いくらでもあるよな?

キャラ絡ませる展開で超王道だし。

つうわけでありがちな「このゲーム課金きつすぎますよ!」って愚痴あいは言う相手間違ってると俺は言いたい。

ツイッターや5chで反対運動を呼びかける前に運営に投書しろ

だいたい本気で投書するとそれで燃え尽きてもう他所愚痴エネルギーはなくなってたりする。

完璧を求めすぎてる

ガチャゲーのガチャ批判はある程度分かるんだが(ゲーム性クソになりやすいし)、買い切りDLCにまで批判が行くのはちょっとからない。

「買うほどじゃないなら買わなきゃいいじゃん。買いたいと思ったなら買えばいいじゃん」で終わる話でしかないはずだと自分は思ってるからだ。

モナリザの顔を切り刻んで「最近ゲームは作りかけ」って批判する画像が一時期流行ってたけど、別にアレはDLCが悪いんじゃないと思う。

実際バラで売ってるゲーム普通にあるしな。

有名なのは.hackとか軌跡シリーズとか。

軌跡シリーズなんてもう海外ドラマと同じような感じでどこまでいっても終わりが見えないモードに入ってる。

DLCに対して皆複雑に考えすぎてるんだよ。

単に追加コンテンツが用意されて、それの制作費を改めてユーザーが支払うってだけ。

無料のほうが嬉しいって人もいるだろうけど、俺は作り手に金払いたいから有料なら有料でいいと思う。

コラボキャラクター1体数百円とかを高いと思う気持ちもあるけど、でもそれ作る過程で色んな人の作業があったろうし、要らん人は買わんってこと考えるとこれぐらいにはなるなと納得はしてる。その上で金出すかどうかは気分次第。

本当どこまでも気分次第でいいと思うんだよ。

本編が30時間クリア6000円なのにDLCマップ時間クリア1000円ってコスパ2倍以上悪化してんじゃねえかゴミかよって思うのもユーザー勝手だし、それでも買いたいって思うなら買うべきなんだよ。

結局俺たちは「欲しい物に金を払う」以上のことは考えなくていいと思うんだ。

文句言うところがあるとしたら看板に偽りがあるパターンだけで、たとえばDLCマップクリアに20時間かかるぞ!って言われて買ってみたらしぶとくアイテムドロップ粘ったら20時間ぐらい遊べるかもねのレベルだったときは、まあ愚痴っていいしレビューに書きなぐって「皆気をつけろよ!」と言ってもいいよ。

でもそういうパターンだけでしょ。

金払う価値がどれぐらいあるかが外から見て明白で、そして値付けがしっかりしてるんだったら、あとは買いたい人間が買うでいいんだ。

そもそも完璧ゲーム体験を求めすぎてると思う。

他人に「でもお前そのバージョンだと◯◯出ないじゃん」って言われても「そうなんだ。でも9割方差はないっしょ?」で終わらせりゃいい。

なんでそれが出来ないのかが不思議で仕方ない。

ゲームガチャにしたって「俺は持ってないけどアイツは持ってる」って状況でも「じゃあアイツの上げた動画見て満足すっか」とかで終わらせりゃいい。

なんかこう自分幸せにならない方向に完璧主義拗らせることを「正しい」って思いすぎてねえか?

多分これってオタクの持つある種の「実力主義階級主義」による悪影響なんだよな。

結局の所オタク社会って体育会系かつヤンキー系な社会で、野球部エース女子マネに肩もみ強要させつつ後輩に100円渡してハーゲンダッツ買いに行かせても許されるみたいな世界観なのかなって。

カラスが白いかどうかを決める権利は誰も持ってない」ぐらいの感覚で生きちゃダメなの?

それはそれとしてゲームに金を払う幸せ

前置きが長くなりすぎたな。

暇にあかしてって奴か。

今回本当に自分が言いたかったのは「好きなゲームお金払えるのって幸せじゃね?」ってことだったはずなのに。

最初からそれ書いてろ?

いきなり言っても共有してる世界観のすり合わせが出来てないと噛み合わないじゃん?

まず「ゲームお金払うの反対って意見が多いけどさ」があってからの「でも、ゲームお金払うのっていいじゃん?」なわけよ。

好きなゲーム課金要素が出来るのってユーザーとしては「プラス」だと思うんだよね。

だってそれはユーザーに金を払わせようと思えるだけの何かがその世界に追加されたってことなんだから

作り手が何らかの作業をした結果として、その代金を徴収してきてるってことは、そこに商品があるってこと。

まりその世界でまだまだ遊べるってことなんだよね。

フルプライス商品だと「未来ユーザー購入を見越して企業が人を雇って商品を作る」ってのが見えるし、クラウドファンディングなんかだと「商品がこの世に生み出されるための準備金としてユーザーお金を集める」って行為可視化されるからわかりやすいけど、ゲーム課金要素でもそういうの見えにくいだけで結局一緒だと思うんだ。

新しいコンテンツ提供されるから、それをお金払って購入するっていうだけでいい。

ソシャゲで新キャラガチャに追加されるのも、それはそのキャラを作るのにかかったお金と、そのキャラが出てくるまでの間そのゲームサーバー借りたりメンテしたりするのに使った諸々の費用を払ってるだけなわけで、そこに納得するならそれに金払えばいいんだよ。

まあ困るのはPvPゲーで課金するとやたら強くなるパターンだね。

アレはもう「金を払うと強くなれる」まで含めてのゲームだと割り切るしかいね

でもそういう例外を除けば大部分のゲームは「納得したかお金を払う」って形を取れるようにしてると思うんだよ。

から「納得できないかお金を払わない」をユーザーが選んでもいいし、それについて他人がとやかく言う必要もないと思う。

そして、その両者についてやたらめったら本人以外がわーわー言うのはおかしい。

それでも納得ができないなら、そのときは作った側に投書だな。

趣味なんだから楽しくお金使おうぜ。

そしてお金使ってない人でも楽しんでいいって思おう。

自分が使ったお金については自分が納得さえすればいい、他人が使ったお金については他人が納得してればいい。

そして、好きなものお金を使えることは幸せなことだよ。

2020-12-16

夫の発達障害を疑っていたが診断されなかった

夫婦ともに30代、現在3歳の子供がいて、

今年の8月半ばから別居している。

別居に至るまでは色々あって、

一つ一つはどの家庭にもあるようなことで

でも、やめてほしいと言っても嘘をつかれてやめてもらえない、

やってほしいと言ったことは嫌な顔をされてやってもらえない、

それが毎日毎日毎日で、

家事育児仕事もしながら、自分気持ちに向き合える余裕などなくて、

ただ毎日なんでこんな人と結婚してしまったんだろう、なんでこんな人と子供を作ってしまったんだろう、

毎日毎分思いながら、その相手食事も作って片付けて洗濯もして、一緒に生活するのは本当につらかった。

別居後、子供保育園に行っている間に夫と二人で話をする時間を作って、

想像していたよりも長期間結婚からずっと嘘をつかれていたことを自白されて、

やっとこの10年近くの間に自分がされてきたことの全体像が分かった。

(まだ隠してることがあるんじゃないかとも思うけど。)

混乱した状態毎日のようにLINEで親しい友人に話を聞いてもらって、

やっと自分がどういう状態客観視できた。

(この友人には感謝してもしきれない。)

自分状態検索して最初にたどり着いたのは、「カサンドラ症候群」という言葉で、

wikipedia記述を読んで、自分のことが書いてある…と衝撃だった。

アスペルガー症候群の項目も読んだけど、夫に当てはまるような、当てはまらないようなで、よく分からなかった。

それからカサンドラ症候群自称している方のブログtwitterなどを読んで、書かれている旦那さんのこと、気持ちいくらいうちの夫と一緒だ…と思って、

本当にどの人の行動も言動も似すぎていて気持ち悪くて、それからはあまり調べたりしていない。

別居前から食欲不振や動悸などの身体症状もあり、仕事に支障も出ていたので

カウンセリング心療内科を調べて、まず近くの臨床心理士さんのいるカウンセリングへ、泣きながら予約の電話をした。

そこで夫との関係のこと、夫の行動、自分気持ちなどをカウンセリング先生に聞いてもらい、

自分カサンドラ症候群なのではと思っているというのも話した。

カウンセリング先生も「僕も話を聞いていて旦那さんは発達障害の傾向があるのではと思った」と言って、夫に受診を勧めるように助言してくださったのだけれど、

そこから実際に夫が発達障害検査を受けるまで、3か月以上かかった。

その間に私はカウンセリングですすめられた心療内科にも行き(適応障害と診断、安定剤を処方してもらったけど効果はよく分からず)、カウンセリングも月2回のペースで通っている。

これまでのカウンセリングでは私自分のことよりも、夫の問題発達障害疑いと風俗依存)へのアプローチが中心だった。

紆余曲折あって、結局夫も私と同じカウンセリングに通うことにしたようで、検査もそこで受けて、検査結果は数日前に夫に伝えられたようなのだけど、

「○日に結果を聞いたら連絡する」と自分で言った夫から私に報告はなく、結局私から夫に催促して聞いた。

IQテストのような検査で、結果、ASDの傾向は低いとのことだった。

それじゃあ私のこの状態はなんなのだろう、やっぱり夫が思っているように私が完璧主義モラハラ妻なのか。

夫のことが憎くて仕方がなくて発狂したように責めてしまう私が人格障害なのか。

風俗通いとアスペルガー的行動は別問題としても、夫のことは本当に理解できなくて気持ち悪いし、

自分おかしいなら、どうしたら穏やかな自分に戻れるのか。

カウンセリング先生からは、「旦那さんに何かしらのコンプレックスがあって風俗通いやセックスレスはそれが原因だろう」「あなたに対しての態度や言動コンプレックスの裏返しでしょう」とのことで

これから夫婦カウンセリングで、夫婦として夫の性の問題に向き合っていきましょうという感じなのだけど、正直もう自信がない。

息子と二人の生活を4か月近く続けて、

それは仕事しながらのワンオペ育児は大変だし落ち込むこともあるけれど、

保育園も頼りにさせてもらえているし、話ができる友人もママ友もいてくれるし、

何より何もしない、不機嫌な顔でただそこにいるだけの大人が家にいないというだけで

こんなに楽しく軽い気持ちで過ごせるのだ、子供との生活はこんなに毎日充実しているのに、

これがもし、夫が戻ってきたら、また夫と暮らしていた頃の自分に戻ってしまうのか、とこわいし、

そうならないために、冷静に冷静にと自分を押し殺して我慢して、そうしてまで夫婦でいる必要はあるのかな…子供のためにもよくないよな…

やっぱり離婚しかないのかな…と思っている。

あーもう全部投げ出して消えちゃいたい。

anond:20201215220254

「しゃしゃり出ている」ようにばっかり見えてしま

肯定的な側面の否定

勝ちを狙い過ぎて他の参加者微妙に噛み合っていない

→~すべき思考

本人気づいていないっぽい?

→読心

それ以外「なんにもしていない」

→縮小視

「お試しコラボ」ばっかり

完璧主義思考

認知の歪み(無意識バイアス)がうかがえます

2020-12-06

父親は娘を殴りますか?

タイトルの通りです。

から父は怒ると私を殴る人でした。首を絞めたりだとか、包丁を持ち出したりだとか、そういった私が死んでしまうようなことはしませんでしたが、怒鳴りつけ、頭や顔、体などを殴りました。

当時は私がのろまだから悪いんだと思っていたのですが、今改めて考えるとそうでもなかった気がしてきたのです。当時から私は成績優秀な優等生で通っていましたし、殴るのも、例えば食事中にテレビを見ていて、食べるのが遅いとかそんな理由でした。(それも、テレビは私の後ろに配置されていて、両親は食事をしながらテレビを見て笑っているのです。)

父親完璧主義故に父の期待に答えられなかった……とかでもないと思っております。言い方は悪いですが我が家田舎中流かその下くらいの家庭で両親は非大卒、私はどこに行っても褒められる子供でしたし(狭い田舎なので大したことではありませんが)、十分に親の期待に応えたのではないかと思っております。親も人間ですから、躾や教育と言うよりはある種のストレス発散だったのではないかと感じております

成長するにつれ徐々に暴力は減り、最後に殴られたのは受験生の時で、勉強中に年賀状プリンターが動かないと言われて呼び出され、それに対してブツブツ文句を言ったら赤本で殴られました。まあこれに関しては私も生意気だったかなと思っております。その後すぐ進学し家を出ました。

こうした暴力は躾の範疇であり、必要なこと、当然のことだと思っておりましたが、やはり将来自分の子供にこうしたモヤモヤを抱かせたくないなという思いがあります一人っ子なので他の家族意見を求めることも出来ず、やはり病名がわからない病は気味が悪いものなので皆様のご意見を伺いたいと思った次第であります。(皆様の反応を期待しておりますが、もしそのような場でなければ申し訳ありません。匿名ダイアリーを使うのが初めてなもので……)

結びに、当然私より苦しい思いを抱えた方々がいることは承知しております当方現在労働貧困子ども貧困ジェンダー問題等に取り組んでおりまして、その過程で自らの経験省みるきっかけをいただいたこと、また家を出てしばらく経ち、家族との向き合い方について考え始めたことなどからこのように質問させていただきました。デリケート問題ですので、もし不快に思われた方がいらっしゃったら申し訳ありません。

2020-12-04

anond:20201203052502

ある料理を作るためにどんな素材や工程必要か、みたいな感覚自体は悪くないんだけど

逆に、この素材をどう調理すると何になるのかを考えると良さそう。例えば肉ジャガイモタマネギニンジンを使う料理…と想像すると、ルーを入れればカレーになるし、ほんだしと酒で煮込めば肉じゃがになる。コンソメを入れればポトフ

たぶん元増田はかなりの完璧主義者なのかなあ、と思う

2020-11-25

筋トレめちゃくちゃめんどくさい

筋トレやるからにはちゃんとやろと思ってご飯一日3000kcal以上目指して食べてウェイトやったら身体デカくなった。

扱える重量が目に見えて増えていくのは楽しいし、会う人みんなにデカくなったと言われるのもうれしいんだけども。

ちゃんご飯食べ続けなくちゃいけないってのが思った以上に自分にとって結構ストレスになってることに気づいた。

あーもうそろそろ何か食べなくちゃって四六時中考えてて、終わらせなきゃいけないタスクがずっと残り続けている感じ。

風邪ひいたりしてカロリー取れなかったり筋トレできない時があるとすげーダウナーになるし。

完璧主義っぽいところが強迫観念みたいなものになってんだと思う。

2020-11-18

有名国立大学中退しました

初めて長文をネット投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります

タイトル通りですが今年の9月某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。

幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校合格入学しました。

ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業就職するということが当たり前の幸せ人生目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しか入学後にその考え方は複数理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業就職する」という考え方は、後に両親が一種洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人いるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。

中学入学以降私の成績は落ちていきます中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケボウリングなど、一般的中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。

しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピックメダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才ゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。

その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。

とにもかくにも高校2年生になった私は自然大学受験意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。

高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的一定評価を得られると思ったのです。

実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います

そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格

世間一般受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。

大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってから自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初自分怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。

これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。

もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしま性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代天才出会ってからトップブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。

私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しか自分努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。

しか大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。

そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学中退し今年の10から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。

長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。

私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています高卒ということで今後大企業就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています

しかイレギュラーではありますコロナ禍の現在就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在仕事やりがいも感じています人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。

もし受験勉強がつらい、大学に行くのが辛い、就活が辛い、仕事が辛い…そんな人の気持ちを軽くできれば幸いです。

冗長な文ですが読んでいただいてありがとうございました。

2020-11-14

anond:20201114010019

真面目、几帳面完璧主義で嫌と言えないタイプだな

よくいるよくいる

関連商品出し過ぎの公式文句言う奴

2020-11-13

anond:20201112181155

太ることを恐れて無理なダイエットをしたり、必死になることを情けないと感じたり、そういうマイナスを無くそうとする減点方式完璧主義って結果的に一番人をダメにするよなあ。

ダメなことをしないようにするよりも、楽しいこと良いことをたくさんする方がええで。

2020-11-02

anond:20201102204426

欧米共働きって結局労働時間日本よりは短くて家事ハウスキーパーに丸投げor手抜きしてちょっとくらい汚くても気にならないから成り立ってるんだと思うわ。

その辺潔癖で完璧主義日本人に本当に合う習慣なのか疑問。

2020-10-26

Twitter適応しつつあるオタクの進捗

はじめに

前回、Twitter適応できないオタクの行く末(anond:20191011160414)を投稿した者である。前回の増田では、トラバ/ブコメ共に様々な意見を頂き、自身を見つめる良い機会となった。とても感謝している。

前回の投稿からもう1年近く経っているが、その間に、というかつい最近オタク的消費活動が大きく変わってきたためここに記録しておきたいと思い書くことにした。これが改善であるかどうかはさておき、これから先にまた変化があったら比較できるため、その意味でも詳しく書いておきたい。

書き終えてみて、改めて見るととても長い文章になってしまった。一応内容は節ごとにまとまっているので、読み飛ばして気になる所だけ読んでくれても構わない。

本題に入るが、まず俺はTwitter垢を作成した。俺にとってこれは大きな一歩だった。この大きな一歩に繋がる積極的な変化があったのかというと、そんな事はなく、きっかけは極めて消極的ものであったと思っている。この消極的でありながら重い腰を動かすきっかけについて簡単説明するとするなら、それは定点観測型の消費に限界を感じたためであると言える。

定点観測限界

具体的には、過剰消費による虚無と、巡回サービスの変化がある。それぞれについて軽く書いていきたい。

過剰消費による虚無

前回述べたように、俺はtwitter検索エンジンとして活用し、気に入った作品二次創作を拾っては消化、拾っては消化して楽しんでいた。自分が発信側になれない一種の「諦め」を持ちながらもそれが一番快適で自身に合っていたからだ。これについて、ブコメで「尊大羞恥心と臆病な自尊心」と指摘されたが、まったくその通りだったと思っている。消費する側として一方的評価、消化しかしなかった事が自身完璧主義にしてしまい、いざ自分が発信しようとするとそれが頭を持ち上げて邪魔をしてくるのだった。

とはいえ、それでもいいと開き直っていればよかったのかもしれない。今までそうしてきたように、これからもそうしていくことは不可能ではなかった。しかし、ここで虚無感がドッと湧いてきて、とうとう音を上げてしまうことになった。

どれだけ色んな作品を見て、なにかを感じても何も言うことが出来ない。発信する媒体もない。仮に、何か言おうとした所でどうしようもない駄文が出来るだろうが、それを流す場所も無かった。ただただ感情は吐き出される事もなく喉の奥に押し込まれSNSタイムライン同じく次のまた次の情報の波に流されていくのだった。(もっとも、どのタイムラインにも俺は文字通り存在しなかったわけだが)

常に蚊帳の外である事を自覚させられ、これは「お前はずっと傍観者で、何にも関われないし、誰もお前を知らないだろう」といった気持ちを起こさせるのに十分すぎるものだった。

これを読んで考えすぎだろうと思う人も居るだろう。実際そうだと思う。おそらく、一人で消費するということ自体が、考えすぎてしまう原因なのだと思う。自問自答は、最終的には問題から目を背けさせてくれない。そしてこれはコロナ禍の状況によって更に悪化した。そういうわけで、最終的にこれと俺は向き合うことになる。

巡回サービスの変化

Twitterをメインにした定点観測はいくつかの方法があるが、俺は専らRSSリーダーSlackを用いて情報を集約していた。なぜTwitterクライアントを用いずにこれらを用いるかと言うと、Twitterタイムラインは9割以上ノイズからだ。要らない「いいね」が表示され、知らないユーザおすすめされ、加えて不安を煽ってくる広告ツイートも混入してくる。どうでもいいご飯写真が上がる。クソつまらない診断メーカー。とにかくノイズノイズノイズ。それがタイムラインだと思っていた。(過去形なのは、この認識が変化していった為だが、それは後述する。)

で、これの何が限界になったかといえば、観測に用いていたツールが軒並み使えなくなったことが大きい。特に影響が大きかったのがIFTTTとintegromatの一部有料化である。どちらも、ベビーユーザーとして利用していた。(あまり知られていないintegromatについて説明しておくと、IFTTTと同様の作業自動化サービスである。)

これらの主な利用方法としては、該当ツイート巡回検索だった。IFTTTツイート検索の定期巡回に優れており、integromatは特定ユーザいいねしたツイートの取得で便利だった。この二つのサービスがほぼ同タイミングで一部有料化を掲げたため、俺は快適な創作ツイート巡回を諦めることになる。

(IFTTT有料化について : https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1276755.html )

(integromatについては記事にされていないが、今年Twitter連携機能のみ有料化された。)

結局は無料サービスフリーライドしていただけなので文句は言わないが、IFTTT依存しない情報収集を考える事はいきっかけだったのかもしれない。

Twitterで某界隈に入るまで

こうして心理的、仕組み的に方向転換を強いられてTwitter垢を作成してみることになった。どうせ作るなら少数の人でいいか交流してみたいな…くらいのお気持ち。ちょうど追っていたコンテンツの専用垢としてそれっぽい推しアイコンを用意し、無難プロフィールを何度も書き直しながら書いた。恥を忍んで #○○と繋がりたい タグを付け、初心者のフリをしたツイートをした。勢いがあるそのコンテンツは凄まじくて、数時間ツイートは数百のいいねが付いていて、少し怖くなった。恐る恐るフォローすると、フォローを返してくれて、なぜかそれだけで安心した。大げさかもしれないが、久々に新しいアカウントを作って界隈に入るのは、そういうことである

ツイートいいねした人をフォローしていくうちに、俺は巨大な相互フォロー網(以下、巨大FF網と書く)に取り込まれている事が理解できた。プロフィールを開く度に見る「○○さん、他○人がフォローしています」みたいな数字フォローするたびに雪だるま式に大きくなっていく。タイムライン自分が思った通り煩雑になっていき、一度の更新シークバーが小さくなった。更新の度に米粒のような大きさになるそれは、俺の心のようだった。

あたふたした俺はくそまらない無難ツイートしか出来なかったが、それでも反応してくれる人が居てくれたため、徐々に萎縮が和らいでいった。推しについて拙い言葉を書くと、誰かがいいねを送ってくれた。恥を忍んでアホらしいタグを付けたツイートをすると、誰かが返信してくれた。界隈の巨大FF網、その集団意識はそのようにして俺を取り込んでいった。そしていつしか、俺も誰かのどうでもいいツイートいいねリプライを送るようになる。しかし、ふとした瞬間に定点観測時代の俺がこう囁いてきた。「それって互助会と何が違うの?」と。

快適なTLは互助会のものである

定点観測時代推し関連のタグツイート巡回してる時によくこう思ったものだった。「なんでこのツイートいいねが沢山付くの?」「この人のイラスト、毎回同じ人が持ち上げてるな」「定型文のような褒め文句互助会みたい」

はてブにおいては互助会は悪とされている。互助会の人たちで持ち上げられた記事は大体つまらないし、並ぶコメントも「参考になりました!」ばかり。これと同じ感情定点観測時にTwitterでも感じていた。いいねの数でツイート巡回していたので、価値のあるツイートだけ伸びてほしかった。どうでもいいツイートが伸びて、それを拾うと、ゴミを拾った気がして、イライラしていた。

しかし、後に巨大FF網に取り込まれた俺はそれを体現するように振る舞っていた。フォロワーのどうでもいいツイートに気軽にいいねRTを送り、また自身ツイートも同じように扱われていた。気軽な反応は心理的障壁を無くし、より安心感を強化していく。もはや「価値のあるツイートこそ伸びるべき」といったグツグツと煮詰まった思想は、火が消された鍋のように静かになった。会話をする当事者たちからすれば、そんな事はどうでもよかったのである

互助会が嫌われる訳-当事者観測

俺ははてブ互助会擁護したいとは思ってはいない。ただ、互助会がなぜ生まれるのか、その一端は理解出来たように思っている。

評価指標となるいいねブクマといったものは、当事者間ではカジュアル肯定に使われるが、観測者側からは質の良さでソートする時の指標として重く受け止められている。そのため価値に見合わない評価を付ける事を当事者間では歓迎され、観測者側は嫌うのではないだろうか。これが正しいかは分からないが、この価値観の違いが互助会の生まれる原因であり、またそれが害悪である糾弾される理由ではないか、と俺は薄々感じるようになった。

それでも、どこか脳裏には「質の良いツイートが伸びるべき」という意思存在したようだが、属する巨大FF網が持つ互助会文化に、それも破壊されることになる。

互助会文化との遭遇-おはツイの洗礼

ここで述べる"互助会文化"はあくまで俺の属したFF網で存在しただけで、Twitter全般で起きている事ではない事を先に明記しておく。

それは決まって形式的挨拶ツイートだった。(以下"おはツイ"と称する)夜明けと共にタイムラインが動き出す時、皆揃って、おはツイをする。これを初めて見たとき、なんだかむず痒い思いをした。形式的挨拶ツイートと、それにつくいいねインフレツイートに付けられるタグ画像から得られる情報はほぼ無だった。属する界隈は、某ソシャゲコンテンツだったため、おはツイにはそのソシャゲ推しスクショがよく貼られているのだが、これも理解出来なかった。単なるゲーム画面だ。#○○が今日も□□ みたいなタグがだいたい付いている。なんだそれは?

とにかくおはツイの絶対的特徴として挙げられるのがその情報量の無さと明らかに釣り合わない評価(いいね/リプライ)だった。これが午前中、FF網全体で再生産され続ける。インフレするいいね欄を見ていると、次第に俺は「質の良いツイート」の定義がわからなくなった。

そして、このツイート群がもたらす特異性は、その連帯感にある。すなわち、同じFF網に居たとしても、おはツイをする/しない でうっすらと交流関係に壁が出来上がっていくのだ。それもそのはず。形式的とはいえ、毎朝話すフォロワーと話さなフォロワーが居たら、自然とそうなるのだ。現実社会でそうであるように、Twitter上でも変わらなかった。どんな環境であろうと、挨拶は変わらず有効で、逃げられない

俺はこのFF網に取り込まれた時点で界隈に受け入れられた、一員だと勘違いしていたがそれは違った。毎朝行われるこの儀式じみた挨拶ツイートをこなしてこそ、この集団意識の一員となれるのである

先頭で"洗礼"と書いた意味が、ようやく理解出来たと思う。この儀式内包者のツイートへの価値観を塗り替え、統一しているのだ。誰かがこれを強制したりはしない。だが、いうならば集団意識がそれを催促しているのかもしれなかった。そしてこれを通過した頃には、俺の価値観は一新された。

自分はつまらない」を許容するために

ここまで聞くと、「おいおいそんな所、面白いのか?」も疑問が湧くだろう。先に結論を言うと、面白い

しかに、そのタイムラインは常に情報量の無いツイートで溢れていた。冗長挨拶周りが毎朝再生産されていた。しかし、これらは俺自身が発信する時の障壁を限りなく低くすることにも作用したのだ。

前回の増田までは、俺は自分の思いを発信するにあたり、「完成された感想文」が必要であると、そう信じていた。自身が求める質と同等のものを発信するべきと考えていたためである。誰が見ても分かるが、明らかにこれは長続きしない。自分理想と実際の質の乖離に耐えられないからだ。

だが自分がその"レベルの低さ"を許容すると、話は変わる。煩雑タイムラインを受け入れた時、自分煩雑な発信が出来るようになるのだ。そしてこれは、"発信したいけど出来ない"を大きく上回る。俺に必要だったのは高等な「完成された感想文」などではなく、低俗な「エモいメモ書き」で十分だったのだ。

定点観測だと分からないこと

ここまで書いてみて、改めて以前の考えが独りよがりであるかと痛感した。消費専門で二次創作を漁っては、一方的評価したり、ノイズイライラしたりする。これはこれで楽しかったが、視野が狭くなりすぎていた。

本当に好きなコンテンツ摂取して、発信も含めた消費を楽しむには定点観測では全然足りない。自分がつまらない事しか書けない事を自覚したうえで、色々な人の発信、二次創作を許容して楽しむ。こうした先に、もっと良い発信が出来るヒントがあるのではないかと、今はそう思っている。

先述したとおり、これが改善であるかどうかは分からない。またこの先に、「あの発想はどうかしてた」と目が覚めるかもしれない。もしそうなったらそれはそれでまた書いてみようと思う。

ここまで長い文になってしまった。読んでくれてありがとう

2020-10-24

無能完璧主義者は

自分完璧を求めるだけならまったく構わんのだが、

他人完璧を求めだすと無能なだけに荒唐無稽完璧しかないのでただの難癖マンになる。

2020-10-23

anond:20201021210748

なんか増田完璧主義っぽい感じは汲み取れた

鬱病になる人にありがちやな

レンタル彼女もそのあたり汲み取ってまずはハードルを下げて工場勤務からっていう意図でゆうたんやと思うなわいは

2020-10-12

anond:20201011113944

まかり間違っても完璧主義者って人ではないよな

目標達成できない精神不安定な人

2020-10-11

anond:20201010223042

どうでもいいけどこんな不完全な人を完璧主義とか呼ぶ風潮はよくないよね

2020-10-10

産後生活がもう限界

2020/10/16

続きを書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201016194549


初めての子どもが生まれて1年が過ぎた。

子どもは順調に育っていて問題はない。

最近、妻の調子おかしい。

妻は今育休中。仕事復帰も近いうちに考えていて、子ども日中保育園に預け始めたところ。

妻はもともと完璧主義で細かいところを気にすぎるタイプで、一人で抱え込んでやり遂げようとする癖がある。

なにかうまくいかなくなったりトラブルがあったりすると、まずイライラ言動に現れる。

さらに度が進むと、感情があふれ出てきて泣いて寝込んでしまう。

ここ1カ月間、感情オーバーフローのしきい値がすごく低くて、些細なことで泣き寝込んでしまう。

自分で床に傷をつけてしまったとか、トイレ電気がつけっぱなしとか(←これは私が悪い)、

子どもおむつかぶれの様子が少し悪化してそうとか、スーパーエコバッグなくしたとか、冷凍庫に物が入らないとか、

そんなに怒ったり落ち込むことではないだろうと思うことで、半日まともに話せない状態になってしまうことが複数回続いている。

少し落ち着いた時に話を聞いてみた。

どうしてこうなってしまうかわからないし、何も考えられない状態になってしまうという。

ものにあたったり、攻撃的な口調になるのはやめたいと思っていると言っている。

さらに、そんな自分に嫌気がさしてさらに落ち込んでしまうらしい。

人生の先輩として、最近自分の親に相談しようとしたら、心配されるのが嫌だと、また泣き喚かれた。

ちなみに、両親はどちらも遠距離におり、簡単実家には帰れない。

妻の負担を減らそうと、自分なりには努力しているつもりだ。

子どもの朝の離乳食おむつ替え、夜のお風呂洗濯物畳み、ごみまとめ、週末の掃除と買い出しはやっている。

家事負担を減らそうと食洗器とドラム洗濯乾燥機も導入済。

家事負担になってることや、自分にやってほしいことはないかと聞くと、妻は「ない、十分やってもらっている」と答える。

妻の完璧主義・抱え込む癖と、育児家事ストレスと、仕事復帰の不安で、悪いスパイラルにはまってしまっているのだろうか。

産後うつ可能性も十分にある。

産後うつ検索して出てくる情報を伝えて、こころ電話相談窓口を紹介したところ、妻は電話をかけたようだ。

話した内容等はあまり教えてくれなかったが、少し気持ちは落ち着いたようだった。

しかし、翌日些細なことをきっかけに、またダメになった。

これは一度病院にかかったほうがいいと思い、近くの心療内科を調べて電話をかけてみた。

しかし、近くの2件とも、初診の予約は数週間待ちということだった。みんな心病んでるのかな…

とりあえずは予約したが、病院に行けるのはまだまだ先だ。

そんな感じで、解決できないまま時が過ぎている。

ももちろんしんどいだろうが、私自身も辛い。

どうしたらいいものだろうか。

2020-09-28

30代

31になった。

区切りから1年たつがまだ20代の気分というか実感がわかない。

仕事もそれなりに責任が増えてきた。

新卒の頃の責任感は今思えば気負いすぎと思うが今もあとから思えばそうなんだろうか。

実力に見合わずポジションややる仕事や指示することが多くなった。

完璧主義なところがあるので気持ちに踏ん切りがつかないとエンジンがかからない。

ここ数カ月そうだ。

なにが踏ん切りなのかはわからない。

結婚する気はない彼女との関係の罪悪感、実家の親の病気、今の仕事をやりきれるだろうかという不安元彼女への未練、もっとチャレンジしてステップアップできたキャリアへの選択の未練、溜まっただけで労働意欲を失わせ続ける貯金

楽しい楽しいと思い込んでいたけど最近仕事が楽しくない。

手につかない、集中できない。

会議の度に誤魔化すことしかしていない。

後輩に無能認定されてんだろなあ。

あんなに長かった通勤も短くなった、家も1k、虫が出るボロ家じゃなくなった、仕事裁量も増えて、理不尽なことに合うことも少なくなった、毎日パスタばかり食うこともなくなって、ある程度好きな物も買える。

でも虚無感は一切減らないどころか、エネルギーがなくなった。

這い上がってやる、焦燥感がなくなった。

昔嫌いだった、わざと頭の悪いふりをして、さぼって楽をして後輩に仕事押し付ける先輩に、なりつつある。

仕事はまだまだ成長する要素はある、奥は深い。

あの頃憧れていた、雲の向こうにいるように思っていた先輩と同じ役職、同じ仕事をしている。

あの頃と同じくらい魅力的な目標や成長すべき要素もある。

でも虚無感が酷い、手につかないのです。

あの頃の方が肉体的に疲れていたはずなのに、今のほうが労働時間は短いはずなのに、もう疲れた

あれがあれば、これがあれば、でもがいて手に入れてきても結局今か。

料理も粗末だけどできるようになった、いつか食べさせたいと思って密かに練習して、継続していたから。

仕事がんばるのってかっこいいって、疑わずエネルギーを向けられていた時が懐かしい。

昇進に息巻いて、ライバル意識していたのが懐かしい。

もう、どうでもいい。

20代は、陰鬱だったけど熱はあった。

30代というかここ数カ月は陰鬱で、熱もない。

ひたすら森のペンションで鳥の声を聞きながら森林浴してあったか飲み物を飲みたい。

どうでもいい 髪も伸びた ヒゲも伸びた

森にこもりたい

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