冬休み始まって(年末また出るけど)少しヒマなので前から言いたかったこと書くわ。
いつからだっけな。
多分DLCが本格化しだした頃からなんだけど「ゲームは一度お金払ったらずっと無料で遊べるべき」みたいな勢力が出てきたんだよ。
その昔からオンラインゲームだとアプデのたびにちょっとずつ課金要素追加されてくとか結構あってユーザーも「まあ金払わねえと潰れるし大型アプデ来んのは歓迎だわ」ってことで割と好意的に金払ってた。
そういう界隈にまで奴らは攻め込んできて「基本無料なんだから全部無料だろ!」みたいなレベルで暴れ始めた。
それが最近はソシャゲ叩きに移行していって「ガチャゲーはクソ。最後まで無料で遊ばせろ」みたいな事言うようになった。
いやおかしいだろ。
趣味じゃなくて仕事で作ってんだからどっかで金稼がないと無理だわ。
『誰かが仕事でやってることは、誰かが給料を手に入れられるようになってないとおかしい』って当たり前のことを理解できてない人は昔のインターネットにはほとんどいなかった。
ADSLが出来た辺りから接続の苦労も知らず親の用意してくれた環境に丸ごと乗っかって全てが無料であるはずと思い込んだ経済観念の壊れたネット住民が生まれだした。
彼らが大きくなって立派な嫌儲民となり、購入厨という意味不明な概念まで生まれて10年ぐらい経ってる。
そうして今やそういった概念はネットでは「歴史のある党派」に数えられるような扱いでやたら堂々と振る舞ってる。
でも一度落ち着いて考えてほしい。
単にネットで長年騒いできた連中が大勢いるってだけで、自分らの言ってることが正しいと保証されることなんて無いってことを。
最近だと特に目につくのが「新作ゲームのガチャが渋い!許せねえ!」ってやつなんだよな。
まあ確かにガチャ誘導まみれのゲームって全くおもしろくはねえんだけど、それならレビューに一言「クソでした☆1」とだけ書いて去っていけば、多くの人が同じ感想ならそれが集まって凄い勢いの低評価レビューとして十分な破壊力を持つと思うんだよな。
これはインターネットの基本として覚えてほしいんだが、10人に1人が帰り際にキレてワンパンかましていくとユーザーが10万いるなら1万発のパンチが叩き込まれることになる。マジでヤバイ威力になる。(そしてそれで相手が死ぬと1万人全員に「最後の一発を入れた可能性」が出てくるので、誰かを殴る時はよく考えたほうがいい)
わざわざ必死になって「このゲーム本当にクソでしたよ[会社名]は本当にクソゲーしか作らないから皆で攻撃しましょうー!!」って呼びかける必要なんてねえわけだ。
ガチャの渋さも含めてゲームの一部なんだからそれに耐えられないならゲームを辞めればいい。
さっき10人に1人が10万集まると1万発のパンチをかますことになると言ったけど、1000人に1人でいいから手紙をちゃんと運営に送ると10万いれば100通の手紙が届く。
100通来てその中の半分に同じ内容が書いてあったら運営もそれなりに動く。
これはとあるソシャゲサイトのマスコットキャラクターが返金騒動が起きた際のことで口にした言葉なんだが、『あいつら騒ぎ立てるわりに意外と泣き寝入り体質で、Twitterとかゲームのコミュニティとかには「コインだけ奪われた!」とか書き込むのに、問い合わせて補填を受けようって発想がないんだよね。にじよめのゲーム以外でも、観察してると「まぢ詐欺だし。ホント最悪の運営です!」みたいな書き込みがちょくちょくあるわけ。そういう叫びを目にして、「おまえらそこであきらめるんだ!? 取り返しに行かないんだ」と最初は目を疑ったよ。』ってのがある。
堂々と請求できる場面ですらこうなんだから、そういう状況でなかったらマジで多くの人は文句たらたらの癖に本人には言わずに帰っていくんだろうなと思うよ。
でもそれって違うだろ?
「言いたいことがあるなら直接言う」ってのは基本じゃん。
お前らの大好きなゲームでもそれテーマにした話いくらでもあるよな?
つうわけでありがちな「このゲーム課金きつすぎますよ!」って愚痴りあいは言う相手間違ってると俺は言いたい。
ツイッターや5chで反対運動を呼びかける前に運営に投書しろ。
だいたい本気で投書するとそれで燃え尽きてもう他所で愚痴るエネルギーはなくなってたりする。
ガチャゲーのガチャ批判はある程度分かるんだが(ゲーム性クソになりやすいし)、買い切りのDLCにまで批判が行くのはちょっと分からない。
「買うほどじゃないなら買わなきゃいいじゃん。買いたいと思ったなら買えばいいじゃん」で終わる話でしかないはずだと自分は思ってるからだ。
モナリザの顔を切り刻んで「最近のゲームは作りかけ」って批判する画像が一時期流行ってたけど、別にアレはDLCが悪いんじゃないと思う。
軌跡シリーズなんてもう海外ドラマと同じような感じでどこまでいっても終わりが見えないモードに入ってる。
DLCに対して皆複雑に考えすぎてるんだよ。
単に追加コンテンツが用意されて、それの制作費を改めてユーザーが支払うってだけ。
無料のほうが嬉しいって人もいるだろうけど、俺は作り手に金払いたいから有料なら有料でいいと思う。
コラボキャラクター1体数百円とかを高いと思う気持ちもあるけど、でもそれ作る過程で色んな人の作業があったろうし、要らん人は買わんってこと考えるとこれぐらいにはなるなと納得はしてる。その上で金出すかどうかは気分次第。
本当どこまでも気分次第でいいと思うんだよ。
本編が30時間クリア6000円なのにDLCマップ2時間クリア1000円ってコスパ2倍以上悪化してんじゃねえかゴミかよって思うのもユーザーの勝手だし、それでも買いたいって思うなら買うべきなんだよ。
結局俺たちは「欲しい物に金を払う」以上のことは考えなくていいと思うんだ。
文句言うところがあるとしたら看板に偽りがあるパターンだけで、たとえばDLCマップクリアに20時間かかるぞ!って言われて買ってみたらしぶとくアイテムドロップ粘ったら20時間ぐらい遊べるかもねのレベルだったときは、まあ愚痴っていいしレビューに書きなぐって「皆気をつけろよ!」と言ってもいいよ。
でもそういうパターンだけでしょ。
金払う価値がどれぐらいあるかが外から見て明白で、そして値付けがしっかりしてるんだったら、あとは買いたい人間が買うでいいんだ。
他人に「でもお前そのバージョンだと◯◯出ないじゃん」って言われても「そうなんだ。でも9割方差はないっしょ?」で終わらせりゃいい。
なんでそれが出来ないのかが不思議で仕方ない。
ゲームのガチャにしたって「俺は持ってないけどアイツは持ってる」って状況でも「じゃあアイツの上げた動画見て満足すっか」とかで終わらせりゃいい。
なんかこう自分が幸せにならない方向に完璧主義拗らせることを「正しい」って思いすぎてねえか?
多分これってオタクの持つある種の「実力主義的階級主義」による悪影響なんだよな。
結局の所オタク社会って体育会系かつヤンキー系な社会で、野球部のエースは女子マネに肩もみ強要させつつ後輩に100円渡してハーゲンダッツ買いに行かせても許されるみたいな世界観なのかなって。
「カラスが白いかどうかを決める権利は誰も持ってない」ぐらいの感覚で生きちゃダメなの?
前置きが長くなりすぎたな。
暇にあかしてって奴か。
今回本当に自分が言いたかったのは「好きなゲームにお金払えるのって幸せじゃね?」ってことだったはずなのに。
いきなり言っても共有してる世界観のすり合わせが出来てないと噛み合わないじゃん?
まず「ゲームにお金払うの反対って意見が多いけどさ」があってからの「でも、ゲームにお金払うのっていいじゃん?」なわけよ。
好きなゲームに課金要素が出来るのってユーザーとしては「プラス」だと思うんだよね。
だってそれはユーザーに金を払わせようと思えるだけの何かがその世界に追加されたってことなんだから。
作り手が何らかの作業をした結果として、その代金を徴収してきてるってことは、そこに商品があるってこと。
フルプライスの商品だと「未来のユーザー購入を見越して企業が人を雇って商品を作る」ってのが見えるし、クラウドファンディングなんかだと「商品がこの世に生み出されるための準備金としてユーザーがお金を集める」って行為が可視化されるからわかりやすいけど、ゲームの課金要素でもそういうの見えにくいだけで結局一緒だと思うんだ。
新しいコンテンツが提供されるから、それをお金払って購入するっていうだけでいい。
ソシャゲで新キャラがガチャに追加されるのも、それはそのキャラを作るのにかかったお金と、そのキャラが出てくるまでの間そのゲームのサーバー借りたりメンテしたりするのに使った諸々の費用を払ってるだけなわけで、そこに納得するならそれに金払えばいいんだよ。
まあ困るのはPvPゲーで課金するとやたら強くなるパターンだね。
アレはもう「金を払うと強くなれる」まで含めてのゲームだと割り切るしかないね。
でもそういう例外を除けば大部分のゲームは「納得したからお金を払う」って形を取れるようにしてると思うんだよ。
だから「納得できないからお金を払わない」をユーザーが選んでもいいし、それについて他人がとやかく言う必要もないと思う。
そして、その両者についてやたらめったら本人以外がわーわー言うのはおかしい。
それでも納得ができないなら、そのときは作った側に投書だな。
そしてお金使ってない人でも楽しんでいいって思おう。