気になる女の子と映画デートへ行った。いや正しくいうなら気になろうとしている女の子であろうか。以前私は配信者の男がこう語っているのを聞いた。まずはブスと付き合え。衝撃を受けた。モテてない奴はまずは誰でもいいから付き合って練習しろというのだ。妙に納得してしまった。私はこの日からストライクゾーンがダイジョーブ博士にでも頼んだかというぐらい広くなった。そこで今日はバイト先の女の子と映画館デートへ行くことと相成ったのである。けれども正直可愛くない。可愛くないが一緒にいて気取らなくていいので落ち着く。そんな子だった。アニメ映画を観た。140分もあったものだから頻尿な私は途中でトイレに行きたくならないかとても心配になった。結果として大丈夫であった。水分を取らないことが幸いして上映中にトイレに立つことは無かったし、上映外も常人レベルのトイレ回数だったと思う。上映中彼女のお腹が鳴り恥ずかしそうに鞄を抱き抱えているのが可愛かった。厳密に言えば特に何も思わなかったが可愛いと思い込もうとしていた。何か可愛いポイントそうじゃないか。そういうところ。けれどもコンプレックスであろう口を隠してたのはとても可愛かった。僕の嗜虐性をとても刺激された。女性は男性の嗜虐性を刺激すればブスでもモテると思う。所謂弱みを見せるということになるのであろうか。相手を幾らか笑わせることはあっても特に楽しい会話もなく私が楽しくないと思っているのだから相手も恐らくそう思っているのではあるまいか。そう思うと少し申し訳ないことをした気がする。家から映画館まで往復で1000円もかかるらしいのだ。悪いことをした。私が誘ったのだから私が楽しくエスコートする必要があったのではないか。私は自分ですら楽しめていなかった。何が楽しくなかったのだろう。中々どうして理由はわからないが今日のことを思い出してみても相手の存在を認知することができないのだ。私が1人で映画を見てハンバーグを食べて帰ってきたのと同じ記憶である。私は本当は1人だったのではないか?とそう思えるほど相手の存在を感じとれなかった。私が普段街で脳内会話しているのと同じレベルである。何の話をしたであろうか。食事中に喋るのはいけなかっただろうか。容姿を褒めてやることが出来なかった。私は完璧主義であるから、自分の思い通りにならないと気分が悪くなる。けれども、あと2、3回遊びに出かければ彼女は三人称代名詞としてではなく恋人としての彼女になるのだろうな。とも思えてしまう。それ程私は今自己陶酔している。病的である。あるいはまさに拗らせ童貞なのである。あゝ彼女欲し。
人格ある人間としての彼女に興味があるのでなく、恋人を作るための練習台として彼女を利用したために、印象が残っていないのではないか。 算数で何を習ったかは覚えていても、どう...