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「FUJI ROCK FESTIVAL‘21」における感染防止対策の徹底について
2021.08.11
8月20日(金)から22日(日)まで、苗場スキー場においてフジロックフェスティバル‘21が開催されます。今回のフジロックは、感染防止対策を徹底した「特別なフジロック」として開催するために、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室及び感染症の専門家の方々、新潟県防災局危機対策課、医療機関、地区医師会などからのアドバイスを基に、地域医療に負担をかけないよう対策が取られています。
当機構では湯沢町、湯沢町商工会、他関係各所と連携し、町内事業者への感染防止対策認証制度の実施、ワクチン接種の促進を図るなど、安心安全に開催するための地域の環境整備を進めて参りました。また、お客様をお迎えする町内事業者に対しては感染防止対策の徹底を呼び掛けております。
感染拡大防止対策の内容は、主催者ホームページにガイドラインが掲載されていますので、ぜひご覧ください。
久々に野球の延長のせいで見たい番組の録画に失敗するという経験をした。
アニメ自体は別の媒体でも見れるのでそこまでショックでもないが、問題はその後。
録画されていたのは高校野球。
なんでこんなに野球が嫌いなのか、改めて自分の中でまとめてみたくなったので匿名で書く。
プロ野球の放送で見たい番組が潰れた、録画がズレたりそもそも録画されなかった、という安易な理由も当然ある。
高校野球の優遇っぷりや、野球に関わっている人たちの傲慢な発言や態度が気に食わない、という個人的な嫌悪感もある。
でもそれ以上のキッカケがあったな、と。
僕が小学校時代、地区のこども会で強制で参加させられたソフトボールという競技である。
30年以上たった今でも鮮明に覚えているあたり根が深い出来事だったな。
自分が住んでいた町では5月~8月末まで、小学3年生~小学6年生の男子はソフトボール、女子はドッジボールに強制参加させられた。
各学区ごとの予選があり夏休み終盤には町大会が開催される。子供たちに拒否権は無い。
ちなみに僕は参加させられるまでソフトボールの正式なルールなんて知らず、せいぜいピッチャーが投げたボールをバッターが打つ、程度の認識だった。
僕の住んでいた学区は人数が多くA,B,Cチームに分けられ、僕はCチームにアサインされた。
均等に分けたという建前はあったがAチームには少年野球をやっている子が多く集められ、Bチームはサッカーなどのクラブチームに入っている子が多かった。
Cチームは別競技を習っている子が多少はいたが、どちらかといえばインドア系の子が多かった。
また、A,Bチームは過去に野球をやっていたという親御さんが監督/コーチとして指導していたが、Cチームはただ野球が好きなだけというPTA会長のおっさんが監督だったのも色々察せられる。
小学3年生になり参加した初日、いきなり守備の審査が行われた。
まずはピッチャーを決めるらしく、全員がマウンドからキャッチャーに向かって投げろと言われたので上手投げしたらめちゃくちゃ怒られ、その時に初めて「ソフトボールは下手投げ」ということを知った。
生まれて初めて自分の意志で下手投げをしたが当然上手く行くはずもなく、狙いは定まらずキャッチャーの頭上を大きく超えた。
「この下手糞がぁ!!」と怒鳴られ、当然ピッチャー候補からは外された。
キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、ショート、レフト、センター、ライトと審査が進んでいったがそもそも運動が苦手なのと、今まで感じたことのないスピードで飛んでくるボールにビビッてエラーを連発、どの守備位置にするにも難しかったと思う。
そもそも子供の人数が多いため初日から補欠扱い、正式メンバーと交代でレフト、センター、ライトの練習といった感じだった。
2日目、攻撃の練習が始まったがそもそものルールを説明されていない。
1打席目はとりあえず打って1塁に走ったがどうやら守備側がボールを先に塁に送るとアウトらしい。
いつまでも1塁に留まっていたら「何やってんだ!!さっさと戻れグズがぁ!!」と怒鳴られた。
2打席目は当たり所が良かったのか1塁に出れた。
次の打者が大きく上に打ち上げたので2塁に走ったが、守備側がそのボールを上手くキャッチし1塁に投げたのを見ていたらアウトだから戻れと言われた。
えっ・・・?なんで・・・?と思っていたら監督にバットで小突かれ、「子供のくせに野球のルールも知らねえのか!お前の親は何を教えてきたんだ!!」と怒鳴られた。
こんなことで親をバカにされた悔しさと申し訳なさで初めて泣いたので記憶に残っている。
3日目からは友人に聞きながらルールを少しずつ覚えていったが、多少ルールを覚えたところで競技が上手くなるわけもなくエラー、三振、凡ヒットなどを繰り返しながら練習だけは参加し続けた。
なおここまでもこれからも監督からソフトボールという競技のルール説明は一切ない。
下手糞ながらも練習を続けていたある日、そろそろA,Bチームと練習試合をするということになった。
僕は正式に補欠ということになり誰かがケガでもしない限り出ることはないはずだったが、レフトの子がケガをしてしまったのと別の補欠の子が休みだったため急遽レフトをやることになった。
地区で一番強いAチームは打力もあり、レフトが弱そうと知ると集中的に狙ってきた。
当然エラーを連発、そもそも球に追いつけない、捕球して返す球はヘロヘロといいとこなしでボロ負けしたのを覚えている。
練習試合後の反省会は誰が戦犯か吊るし上げるまでもなく、激怒している監督がバットで僕の顔面に向かってスイングし乳歯が折れ流血沙汰になった。
僕の両親と監督の指導に疑問を持つ一部の親が暴力事件として町と教育委員会に話を出したが、「本人にも聞き取りを行ったが、あくまでも指導の一環で本人のやる気のなさを自覚させるために仕方ない行為でケガをさせる気はなかった」と結論づけられ大事にはならず謝罪もなく、田舎のPTA会長という肩書の強さを思い知った瞬間だった。
また、監督の金魚のフンのおばちゃんには「こういうのは勝つためじゃなくて、チームでやるということの意味と本人のやる気が全員の力になるっていう事を教えるためにやってるの」って諭すように言われたのも記憶に残っている。
流血事件が起きてからも何とか練習には通っていたが、失敗すれば「下手糞!」と怒鳴られ、たまに成功すれば「たまたま上手く行っただけでお前の実力じゃない!調子に乗るんじゃない!」と怒鳴られ、挙句に「お前みたいなチームの足を引っ張るやつは来なくていい!」と言われのをキッカケに練習をサボるようになった。
久々に17時からのアニメを見れたのがとても嬉しかったのを覚えている。
そして2日サボったところで監督が「お前みたいなグズが練習サボるとはどういうことだ!それを良しとしている親も親だ!!」と怒鳴り込んできて、また親へ申し訳ない気持ちになり、親には言い訳しつつ渋々練習に参加するようになった。
夏休みも中盤になり地区予選が始まる1週間前、補欠を含めた全員にユニフォームが渡されることになった。
最初はスタメンから順に渡されていき、監督もテンションが上がっているのか「頑張ってな」「他のチームは強いけど気合い入れていけよ」と声をかけていた。
交代要員あたりになると「交代時はお前が支えるんだ」「ピンチの時は頼むぞ」と声をかけていた。
そして僕を含む補欠メンバーになるとそもそも手渡しではなく、砂にまみれた地面にボフッと置かれ「これ」とだけ。
なかなか屈辱的な経験を早めにさせてくれてありがとうございましたとでも言うべきだったな。
なおこの年の地区予選では見事にCチームは破れ、Aチームが町大会へと進出していた。
監督はスタメン以外のメンバーに切れ散らかしていたのが思い出深い。
小学4年生、小学5年生の間は下級生より下手糞な僕に監督からの辛辣な言葉が増えた程度で扱いも地区予選での敗退も変わらなかった。
そして小学6年生の夏、Cチームは地区予選を優勝して町大会へ行けることなった。
これが決まった直後になかなか衝撃的なことが起こった。
Cチームのメンバーでは町大会では勝てなさそう、ということでAチームとBチームから少年野球をやっている子を引っ張ってきて加入させていた。
さっきまでAチームでピッチャーという花形を務め、敗退して泣いていたS君がCチームのピッチャーになった。
さっきまでBチームでホームランを2回打ち、ヒット率も高いT君がCチームの代打要員になった。
町大会のルールでは他チームからのトレードや引き抜きは禁止とあったのに、それを平然とやっていた。
今までチームメンバー表を提出しなかったのもこういう時のためらしかったし、大急ぎで書き換えているのを大人も子供も何人もが見ていた。
「勝つためにやってるんじゃない」という発言の軽さと、こんな汚いことしても許されるのがスポーツなのか、と思った瞬間でもあった。
Cチームのスタメンの半分が入れ替わり、交代要員にされた元スタメンの不満を押さえつけ、元交代要員は準補欠という謎要員にされ、補欠組はいよいよ試合に出る機会はなくなった。
両親は反発してたけど、行かないと今後こども会の行事への参加は禁止するって言ってたのが聞こえていたし、応援するだけで面倒事を避けられるならいいかと思って渋々行った。
町大会は町の大きめの運動場で行われたが、そこまでの移動はスタメン、交代要員は地区で用意したバス、それ以下のメンツは自力で、とのことだった。
現地について試合会場に入ると思ったよりもベンチが小さく全員が入りきらないので試合に絶対に出ない補欠組は地面に座るように言われた。
優勝決定までは3試合くらい必要らしく1日かける町大会だったが、この日は当時にしては日差しが強く気温も高かった。
運動中に水を飲むのは厳禁、という当時の思想があったり、Cチームとして大きなタンクに氷水を準備して持ってきていたらしいが監督が「補欠組はこの水を飲むことは禁止だ!優先度というのがある!!」と宣言したので補欠組は水タンクに近づくことも許されなかった。
2試合目あたりで限界に達してぶっ倒れて意識朦朧となったが監督は「町大会まで来て迷惑かけるような軟弱なやつに構うな!」と言って放置されていて、観客席で気付いた母親があわてて救急車を呼んだことで監督とその囲いから散々嫌味を言われた。
僕は病院に運ばれたので伝聞でしか知らないけど、Cチームは町大会でも準優勝まで勝ち進んで監督はご満悦。
閉会式での監督インタビューで「野球というものは精神と頑張る力を成長させチームワークを芽生えさせる素晴らしいスポーツ、そのキッカケとなるこども会でのソフトボール大会は残すべき文化です」とか語ってたらしい。
メンバーを入れ替えたこと、倒れた子供を放置していたことなどを町と教育委員会に話すも、「同区から複数同じ話を聞いているが全て終わった事だから今更蒸し返して結果を弄りたくない、それで反感買って住みづらくなりたくないでしょ?(要約)」的な返事がきてたのも子供心に「クソだな」と感じた。
まとめてみると野球というより野球好きのPTA会長のクソさが元凶だな?
スポーツ全般に対していい印象なんてないけど、それでも野球に対して特にそう感じるのはソフトボールという競技に関わってしまったために受けた嫌な気持ち、野球という競技にやられた理不尽な行いで間違いないと思う。
野球は素晴らしい、野球というスポーツのルールは全員知っていて当然、野球は他のスポーツひいては文化系より優遇されてもいいとかいう風潮が鼻につくのかな。
教育の一環といいつつ流血沙汰が肯定され、下手糞はゴミのように扱っても問題なし、勝つためにはルールを破ってもいい、それがスポーツ!という現場を見て、体験してしまったからかな。
これが他のスポーツだったら、そのスポーツが嫌いになってたんだろうな。
野球が好きな人は好きでいいと思うし、楽しんでる人に対してあーだこーだいう気もないからどうぞご自由にって感じ。
なんか上手くまとめられなかったのでこの辺で。
「トランスジェンダー選手を批判する人はそもそも女性アスリートの不平等について気にもしていない」女子重量挙げ選手の訴えに共感の嵐
https://www.ellegirl.jp/sports/athletes/a37239667/laurel-hubbard-laura-mariel-21-0812/
つまり一番熱心にトランスジェンダー選手を批判してるのってまあフェミニストの人達だと思うけど
フェミ「性自認が女性というだけで男性身体で女性テリトリーに入ってくるのは女性の権利侵害につながる」
女性アスリート「そもそも我々は男性アスリートに比べて競技機会、給料、メディアでの放送時間などが圧倒的に少ない。
今日のスポーツ界にいまだに存在する“あからさまな女性差別”が問題なのに。」
話噛み合ってなくね?
フェミニストによるトランスジェンダー選手に関する主張が妥当か妥当でないかとは別に
この両者は明らかに話噛み合ってないよね?
つーかこれwhataboutismとか言われるやつとちゃうん?
あと蛇足だけど
これってしょうがなくない?
需要がないだけじゃん。
女性スポーツの価値や女性アスリートの価値って当事者がブランディングしていくしかなくね?
男同士だってたとえば空手の金メダリストはNFLのトッププレイヤーに比べると経済的価値10,000分の1もないけど
更に言えば
まっさらに比較すると競技能力やレコードでは女性選手は男性選手より大きく劣るわけじゃん。
男性選手のプレイの迫力に熱狂するスポーツ好きも女性選手のプレイには熱狂しない。男性の三流選手よりパワーもスピードもないから。
「スポーツファンは自然な気持ちで、パワーもスピードもない女性選手のプレイに男性選手へのそれと同じぐらいに熱狂すべき」?
「スポーツファンが女性選手のプレイに価値を感じてなくても、年俸やメディアの扱いを男性選手のそれと同じにすべき」?
「頭良くない凡庸エンジニアの待遇を登大遊と同じにすべき。そうしないなら差別。」
つってるのとどう違うんだろう。
まとめると二点です。
2.主張に無理がある。それを差別とするなら女性オリンピアンであるあんたと地区大会一回戦負け女性アスリートの待遇も同じにすることになる。
自分が生活保護ケースワーカーだった時に受け持った地区は、大体80~90世帯中5~6割が高齢者で、次に多いのが障害・傷病世帯。単身世帯でかつ病気や障害のない人なんて2割くらいだったんじゃないかな~~
臭い人もいるけど、精神疾患の人とかは症状としてセルフネグレクトみたいなものもあるので仕方ないと思ったり
疲れてる時って、風呂入るの面倒くさくないですか?身ぎれいにするって実は結構ハードル高いので、出来てる人はとてもえらいと思う
次の日休みだったりすると、サボりたくなってしまうのは自分だけだろうか
あと、不正受給の金額よりぶっちゃけ医療費のほうがよっぽどかかるし、それに伴う通院交通費のほうがかかったりする。介護タクシー使えたりすると、月で万単位飛ぶからね。でもそれは、医師の診断書の提出もあるし、『必要なもの』ってことだから、不正でも何でもないし・・・
仕事できそうなのにしてない人なんて1割いるかいないかだったけど、ほかの自治体は違うのかな・・・
単身世帯なんて1級1等地でも、生活費7万くらいじゃない?それに家賃が付くくらいだから、12,3万くらいかな。まあ、医療費に比べれば・・・
精神科医療については自立支援医療を使ってもらうので、生保は1割負担。やっぱり糖尿とか透析がバカ高イメージ。高額療養費使ったって、やっぱりキツイ金額になる
母子世帯のお母さんなんて、結構みんな頑張ってたと思う。母子世帯は色々手当ついて、最低生活費がちょっとお高くなるので、正社員くらいじゃないと自立(本法廃止)できないってからくりがあったりする
最近は、本人が「生保やめたいです」って言っても、ちゃんと生活できる見通しがないと廃止認められなかったりする。なぜなら、そのあと生活できなくて死んじゃったら、廃止の妥当性とかを検討されて、役所の判断が間違ってたってことになったりするので・・・
もちろん、金使い過ぎちゃって支給日前に「お金ない」って言いに来る人がいないわけじゃないけど、別にそのための予算があるわけじゃないので、足りない分税金が使いこまれてるわけでもないし。
よくお金使いこんじゃうケースとかは、ほんとにムカついたので、支給日にそのまま一緒にスーパー行ったりとかしてた 米だ とりあえず米を買えと あと塩
一緒に水道光熱費払いに行ったりとか・・・懐かしい・・・毎回、「忘れてた」とか調子いいこと言うから・・・
パチンコや競馬に使っちゃう人もいるけど、そんなのその1割未満の人のことであって、そのほかの9割の人がそれなりに生活してるのに、ベーシックインカムみたいな現物支給に切り替えるのもなあ~、と個人的には思う
3ヶ月とか半年とかで生活立て直して自立してく人も結構いるし、折角の制度なので上手に使えばいいのになーと思ったりします
自分の自治体はかなり甘々で、そのせいでよそから流れ込んできちゃったりしてたんですけどね
基準はあるけど、保険も原付も持てたりとかするので 家・車はきついかな~~ でも短期決戦見えてる人だったら、認められる人もいたしな
という個人的な思い出話
私は神奈川県内で自営業を営む、しがないIT屋である。過去にはオウム真理教(現アレフ)の事件を追う無名のフリーライターとして糊口をしのいでいた時期もある。
以下は、今年7月に私の身に起こった出来事の記録と、国家権力の象徴である警視庁と公安調査庁の手により、かつて未曽有の化学テロを起こしたカルト宗教団体オウム真理教の後継団体として公安調査庁の監視対象となっている宗教団体「ひかりの輪」に罪なき一般市民である私の個人情報がリークされた問題に関する告発である。
オウム真理教は麻原彰晃(松本智津夫)によって設立された新興宗教団体である。設立当初はヨガを中心とした修行による神秘体験の会得を目標とする比較的穏当な宗教団体であったが、1989年に教団施設内で発生した信者殺害事件とその隠ぺい工作をきっかけに急速に犯罪傾向を強め、以後、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめとする凶悪事件に手を染めていく。
1990年には真理党を結党して衆議院議員総選挙に出馬するが全員落選、教団はこれを国家による陰謀と考え、無差別テロに傾倒していく。上九一色村の教団施設であるサティアン群は毒ガス工場に改造され、サリン・VXガスなどの化学兵器の製造のための研究が進められた。ちなみにサリン製造プラントの初代責任者は上祐史浩である。
教団は95年の地下鉄サリン事件後、教団の拠点である上九一色村のサティアン群に警視庁による強制捜査が行われ、教祖である麻原彰晃(松本智津夫)を始めとする教団幹部の逮捕によって壊滅した。その後2000年には後継団体アレフ(現Aleph)が発足するも、麻原への帰依を続ける主流派と旧オウム真理教からの脱却を図る代表派の対立が勃発し、上祐史浩率いる後者(代表派)はアレフを脱退し、新団体「ひかりの輪」を結成した。
今なお信徒数約1,650人、拠点施設32か所、資産約12億9,100万円(2019年(令和元年)10月末時点)*1の勢力を誇るアレフに対し、上祐史浩代表率いるひかりの輪は信徒数約150人、拠点9か所、資産約700万円*2と非常に貧弱であり、表面上は国家や市民への脅威は全くないように思える。しかし「旧オウム真理教のシヴァ信仰から完全に脱却する」という上祐史浩代表の宣言とは裏腹に、今なお「オウム真理教の修行体系の最も本質的な部分を継承」*3している団体として、団体規制法に基づく公安調査庁の観察処分対象となっている。
今年7月某日、私はひかりの輪が拠点を構える世田谷区南烏山のマンションのエントランス前に立っていた。アレフ信者13人がこのマンションの2階に続々と入居し、事実上の拠点としたのは2000年12月のことである。以降、2007年の教団の分裂騒動以後は上祐史浩代表率いる「ひかりの輪」の拠点としてオウム真理教の残党はマンションの2階に居座り続け、3階より上の住人や烏山地区の近隣住民から強い警戒心をもって監視されている。
彼らの突然の入居から20年余り、近隣住民によって結成された対策協議会*4による戦いもむなしく追放に至っていないオウム真理教後継団体「ひかりの輪」の現状はどうなっているのか、かつて匿名でネット上に記事を書き散らしていた私の血は密かにたぎり、その足は知らず知らず私の体をこの地にいざなったのだ。
建物の前は、いくつかの鋼鉄製の小さなバリケードと警察の詰所があること以外はただの砂利敷きの駐車場と変わらない。どんよりと曇った平日の昼下がり、監視小屋に人の気配はなく、しかし敷地に足を踏み入れると砂利がかすかに音を立てて緊張感が走る。
エントランスのガラス窓には「関係者以外立入禁止」という、どのマンションにもある注意書きが貼ってある。これを無視してエントランス内に一歩でも立ち入れば、住居侵入罪として罪に問うことができるというものである。実際オウム真理教の信者や左翼団体のメンバーなどがこの微罪で逮捕された例は枚挙にいとまがない。じゃあ不動産屋やらピザ屋の広告のポスティングはどうなのかという疑問は持ってはいけないらしい。
私は開け放たれているドアを通ってエントランス内に足を踏み入れた。マンション内では多くの猫が放し飼いにされているようで、集合ポストの下にはエサ皿が置かれ、猫の尿のにおいが鼻を突く。集合ポストの最上段には、「201 上祐・水野 ひかりの輪」と書かれたボックスがあり、確かにここが「ひかりの輪」の本拠地であることがわかる。2階の他の部屋のボックスは「空室」と書かれたガムテープでふさがれていた。
集合ポストの写真を撮り、長居は無用ときびすを返しかけたその時、黒いシャツを着た短髪の男がエントランスにやってくるのがちらりと見えた。男は無線機のようなものを所持しており、一目で私服の警察官であることが分かった。このマンションの住人でもひかりの輪のメンバーでもない私を訝しんで職務質問をしようと接近してきたのは明白であった。
このとき私はたまたまダイソー千歳烏山クレア店にて500円で購入した水鉄砲「アクアレーザー」(未開封)を所持しており*5、そのことが警察官との喜劇的ひと悶着に発展していく。
商品番号:4549131780017
https://jp.daisonet.com/collections/party0105/products/4549131780017
「何の用ですか?ここの住人じゃないですよね?」
どうしたものかと考えるより早く私服の警察官は話しかけてきた。とりあえずお約束の「任意ですか?」という挨拶をしてみたものの相手が引き下がる気配はみじんもない。「いやその」「とりあえず身分証見せて」「はい」変に事を荒立てても仕方がないと思い、素直に財布から運転免許証を取り出して男に手渡す。男は無線に向かって免許証に書かれた名前を読み上げ、やがて近くの交番からやってきたと思しき警察官たちが集まってくる。これは困ったことになった、今日はこれから仕事の打ち合わせがあるのに、と困惑しつつもなぜか冷静になりあたりを見回してみる。既にパトカーまでやってきており、さながら何か大きな事件の現場の様相を呈しているが、GSハイムの一般住戸はおろか向かいの戸建てからも野次馬の気配は全くない。つまりここではこの程度のことは日常茶飯事なのだと合点しながら警察官からの質問に答える。そのうち彼は私のぶら下げているダイソーのレジ袋に気付いた。
「その袋の中身を見せてください」
しぶしぶ袋の中に入っていた未開封の水鉄砲(500円)を取り出して警察官に見せると、彼の目つきが一変した。「これを何に使うつもりだったの?」「いえ何にも」「そんなわけがないでしょう」「いや本当に何でもないんです」といった不毛な押し問答が始まった。折しも水戸で聖火ランナーに水鉄砲を発射した女性が逮捕された事件があったばかりだ、警察官のテンションが上がるのも無理はないだろう。そのうち「こんなところで水鉄砲持ってて何にも使わないわけがないでしょう!」と、いくらか統を失したような状態になっている警察官を私が必死でなだめるような展開になっていった。
そのうち雨が降り始め、一人の警察官が詰所からビニール傘を持ってきて、職務質問に当たっている警察官に手渡した。私を都会の酸性雨から守ってくれるというのである。素直にしている限り警察官というのは案外親切なものだと思った。やがて聴取の算段が付いたらしく、私は促されてパトカーの後部座席に乗り込んだ。
警察署に着くまでの間が、この事件における私にとって最も苦痛に満ちた時間となった。同乗した警察官にとっては私が他人の住居に侵入を図ったことよりもダイソーの水鉄砲(500円)を所持していたことの方が重大だったらしく、いつまでも「その水鉄砲でひかりの輪を襲撃するつもりだったんだろう」と因縁をつけられ続けた。当然私にそんな意図は露ほどもなく、ただダイソーで見かけた500円のポンプアクション水鉄砲に感心し(トイザらスなら同等品が3000円は下らないはずだ)、自宅に帰ってからその威力を試してみたかっただけだったのだ。頼むから信じてくれ。しかし、降り際に言われた「刑事には嘘をつくんじゃないぞ。嘘はあとで全部わかるからね」という一言は、この難局を切り抜けるための示唆を多く含んでいた。
成城警察署4階の取調室に着いた私は、徹底的に所持品の検査を受けることになった。カバンの中身は言うまでもなくポケットの中身(尻ポケットを裏返せとまで言われた。構造的に無理である)やズボンの裾の裏までひっくり返させつつ、「こちらもケガはしたくないからね」などと物騒なことを言う。靴を脱ぎながら「中敷きがあるので調べてください」と言ってみたが、そこは調べられなかった。くそっ、俺の足の臭いを警察官に嗅がせるチャンスだったのに、と思いながらも無言で靴を履き直して促されるまま椅子に腰掛けた。
やってきた刑事は眼光鋭く「どうしてこんなことをしたんだ」と切り出してきた。そんなことを言われても単に興味本位だったとしか答えようがないのでその通りに答えるが全く納得してくれる気配はない。次第に調子に乗って「我々は地域住民に委任されて地域の平和を守る義務があるんだ、外部の者が不穏を与えることは許さない、わかるか」などということを演説し始める。(テロ組織の残党と20年以上も慣れ合ってきてその体たらくは何だ)と喉元まで出そうになるがぐっとこらえつつ、話せることだけ話してあとは黙り込む。後になって気付いたが、彼らは私のことを極左テロ集団と関係のある何者かと思っていたらしい。こちらには検挙歴も何もないものだから彼らが私について知っていることは当然何もなく、必死になって思想的背景を聞き出そうとしていたのだ。
やがて私が極左でもオウム真理教関係者でも何でもなく、ただ興味本位でGSハイムを覗きに来たことが明らかになってくると、急に刑事たちのテンションが下がってくるのを感じた。取り調べの前に預けた所持品の返却願いを次々と書かされ、左の人差し指で拇印を押し、返却された品々をカバンやポケットに詰め込むと、まるで放り出されるように成城警察署を後にした。
事件後しばらくして、オウム真理教ウォッチャーの友人のもとにひかりの輪広報のツイッターアカウントからダイレクトメッセージが届いた。そのメッセージには、上述の侵入事件に対する不満とともに、警察署での事情聴取の際に明かした私の本名が、名字だけではあったが記されていた。
これは一体どういうことだ。
当然、私はGSハイムに立ち入ることを誰にも予告していないし、事件後にも一切そのことは話さなかった。それにこの事件に関して私は厳重注意を受けただけで、逮捕もされていないし、この事件があったこと自体マスコミに公表されてもいない。にもかかわらずひかりの輪の広報が私の名前を知っているというのだ。
私がGSハイムのエントランスに立ち入ったことを知っているのは、成城警察署の警察官や刑事、それにそこから連絡が行っているであろう公安調査庁だけだ。
つまり、「犯罪を犯したわけでもない一般人である私の氏名(もしかしたら住所も)を、警察がひかりの輪にリークした」以外の可能性が考えられないのである。
上述の通り、宗教団体「ひかりの輪」は、かつて一般人に対する殺人やテロ行為を繰り返してきたオウム真理教の元幹部である上祐史浩を代表とする、「テロ組織オウム真理教の後継団体」である。その規模はかつての全盛期に比べれば見る影もないとはいえ、その強い反社会性を懸念して公安調査庁の監視対象ともなっているわけである。
かつてオウム真理教は、TBSテレビ「3時にあいましょう」のスタッフから「オウム真理教被害者の会」の代表を務めていた坂本堤弁護士に関する情報を提供され、同弁護士を家族もろとも殺害し山中に埋めた*6前科を持つ。今回のリーク事件に関して、そのような組織の後継団体に教団に批判的な行動を行った一個人の個人情報を与えることがどのような危険をもたらすかを、警察は全く理解していないと言わざるを得ない。
もし、現在でもひかりの輪に殺人などの実行部隊が存在し、彼らが私を拉致し、あるいは殺害して山中に埋めるようなことがあったとして、日本国警察は一体どうやってその責任が取れるというのだろうか。そういったことが皆無であると、彼らを長年監視してきた警察は断言することができるのだろうか。
警察と公安のひかりの輪への監視活動も近年はマンネリ化し、ひかりの輪スタッフと警察官の間での立ち話も見られるという。そういったたるんだ状況の中、「警察によるテロ組織の後継団体への個人情報のリーク」という一大不祥事が発生した。警察には事態の重大さを認識するとともに猛省を促したい。
*1 国際テロリズム要覧2020 http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/aum.html
*2 日本経済新聞2019年2月28日付 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41879540Y9A220C1CR8000/
*3 産経新聞2021年5月19日付 https://www.sankei.com/affairs/news/210519/afr2105190020-n1.html
*4 烏山地域オウム真理教対策住民協議会 http://www.kyogikai.jp/
*5 この事件の少し前に聖火ランナー水鉄砲襲撃事件が発生していることとは全く無関係である。
*6 TBSビデオ問題 https://ja.wikipedia.org/wiki/TBS%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E5%95%8F%E9%A1%8C
最初は「大貧民ゲーム」「貧民ゲーム」あるいは「階級闘争ゲーム」などと呼ばれており、おそらく「大貧民」よりも聞こえが良い「大富豪」という呼称が後から使われるようになっていった。
Wikipediaを確認すると、「大富豪」と類似したゲームとして、
などが挙げられている。
このうち「大統領」「グレートダルムチ」「ティチュ」「アーシュロッホ」といった欧米圏のゲームはわりあい新しく、日本の「大富豪」や中国の「闘地主」「鋤大D」から派生したものなので除外できる。
残りの「争上游」「闘地主」「鋤大D」「ティエン・レン」のうち、「大富豪」と関連が深いのはどれなのだろうか?
「大貧民 起源」などでググると以下の記事を見つけることができる。
大貧民のルーツはベトナム戦争にある説『トランプゲーム大全』 - エキサイトニュース(2/4)
日本の大貧民は、“日本起源説も十分あり得ます”が、“ベトナム戦争などを通じて、ベトナムから米軍を経由して伝わった可能性もあります”と書かれている。
この記事で紹介されているのがベトナムの「ティエン・レン」である。
まずはこの記述を取っ掛かりにしていこう。
英語版Wikipediaでルールを見ると、「富豪」「貧民」といった階級がないこと、スートにも強さがあることを除けば、確かに大富豪と似ている。
A standard 52-card deck is used. The ranking of the cards from highest to lowest is: 2 A K Q J 10 9 8 7 6 5 4 3.
標準的な52枚のトランプを使用する。強いカードから弱いカードへ並べると「2 A K Q J 10 9 8 7 6 5 4 3」となる。
ただし、ベトナム語版のWikipediaを見るとティレン・レンは「1980年代に登場した」らしいので、残念ながら大富豪よりも後発になってしまう。
英語版Wikipediaではティエン・レンの原型となったゲームが挙げられている。
It is derived from Chinese card games Winner, which uses a specially printed deck of cards, and Big Two.
というわけで、次はこの二つを見てみよう。
ジョーカーの次に強いのは2であり、3が一番弱い。
また「上位を争う」との名前どおり、大富豪とよく似た「階級」要素が存在している。
この点においてはティエン・レンよりも大富豪に近いと言えるだろう。
争上游の起源についてググってみると、そこから派生した青島の「够級」というゲームについての記事を見つけた。
揭秘青岛够级:起源于沧口广场“争上游” 青报网-青岛日报官网
够级的起源和演变过程有好几种说法,据沧口一带的老“够级”们回忆,它的产生和形成,是在五十年代末到六十年代末的那段时间。那会儿,打扑克已经有了“争上游”的玩法。
「够級」の起源と変遷についてはいくつかの説があるが、滄口地区の古い「够級」のプレーヤーたちが記憶するところによると、1950年代後半から1960年代後半にかけて生まれ、形成されたものであるという。当時、トランプゲームには「争上游」という遊び方が存在していた。
この記述が正しいなら、争上游は大富豪に先行して存在していたことになる。
日本語版Wikipediaを見るかぎり、「階段縛り」と同じ要領で「ストレート縛り」「フラッシュ縛り」「フルハウス縛り」みたいなものがある大富豪、という理解でいいだろうか。
「大老二」の他に「鋤大弟」「鋤大D」といった異称があり、いずれも「2が最も強い」という特徴に由来していると思われる。
「鋤大D」(「鋤大弟」とも書く。「鋤D」とも言う)の名称は広東語に由来する。「D」とはトランプの2のことを言い、広東語の変音で「di2」と発音する(普通の広東語では「弟」は「dai6」)。
大老二の起源は香港にあるらしいが、どのくらいの時期に生まれたのかはわからなかった。
Google Booksで検索してみても80年代以前に遡れないので意外に新しいのか?
最初に「類似のゲーム」として挙げられていたもののうち、最後に残った「闘地主」についても触れておく。
ルールとしては、一人の「地主」とそれ以外の「農民」とに分かれて戦うあたりに特徴がある。
ジョーカーの次に強いのは2であり、3が一番弱い。
という条件はやはり満たしている。
中国の文化大革命における階級闘争では、黒五類や臭老九のひとつに区分された地主の人権を農民が冒すことを権威づけられたという。闘地主の名前はそこから来ている。
という点では、かつて「階級闘争ゲーム」と呼ばれていた大富豪と共通しているようにも思える。
ただし、闘地主自体は文化大革命期に作られたわけではなく、1990年代にネットゲームとして広まったものなので、比較的に新しいゲームと言える。
以上からすると、中国の「争上游」が(とりあえずは)最も古く、それが日本に伝わって大富豪ゲームとなり、あるいはベトナムに伝わってティエン・レンとなった、と考えるのが自然に思える。
ただし、「2」がもっとも強いというルールの起源が「争上游」にあるのかというと(おそらく)そうではなく、そもそも中国のトランプゲームでは全般的に「2」が最強であるようだ。
原先最小的2被規定為最大的牌,有如國家由平民做主,但其實Ace本身就是這個意思。
国家が平民を主とみなすように、最小である「2」が最大のカードと規定されている。実はトランプの「エース」自体が同じ意味を持っている。
この「エースが同じ意味を持っている」という話は以下のとおり。
15世紀後半の時点で、一部のゲームでは「エースが高い役」という民間伝統が存在した。例えばポーカーの前身となったブラグ等である。この昇格(エースが低い役から高い役に変身を遂げた事)が起こったのはフランスのデッキだけでなく、ドイツのデッキを使うゲームでも2のカードを最も高い役のカードとする事が発生した。フランスのデッキでエースを最も高い役のカードとして使用する事は、フランス革命の結果としてより広範囲に受容される所となった。(中略)エースの昇格は、貴族階級(特にルイ16世)の排除と平民の地位の向上を象徴した。
つまりヨーロッパでは、市民革命を象徴させるために「最も弱いカード」を「最も強いカード」とするルールが広まった、ということらしい。
中国でもそれと同じことが起こり、「最も弱い農民(2)が最強の皇帝や資本家(KやA)に勝る」といった発想で「2」がいちばん強くなった、ということか。
なんだか大富豪における「革命」のルールとの相似性が感じられる。
あるいは「スペードの3でジョーカーを返せる」といったローカルルールも想起されるだろうか。
「最も弱いカードが最も強くなる」という現象はさだめて普遍的なものなのだろう。
というわけで、「なぜ大富豪では2がいちばん強いのか?」という問いの答えとしては、
中国のトランプゲームでは一般的に「2」がいちばん強く、それが争上游を通じて大富豪に影響したから
ということになるのではないか。
https://hichihara.hatenablog.com/entry/2021/07/26/070000
住宅の気密性とか断熱性が軽く書かれているぐらいなので補足してみる。
まず断熱性はこの記事の通り断熱材の素材は厚さとのトレードオフ。
ただ壁が厚くなると部屋が狭くなるのでそりゃ薄い方がいいけれどそもそも柱を細くはできないので限界がある。
ただ、東北・北海道地区じゃない限り断熱を高めてもほぼ意味ない。
これはちゃんと区域毎に基準が設けられてるので、それより一つ上を選べばまず問題ない。
https://www.isover.co.jp/region-by-climate
あと、断熱材は可燃性かどうかも見た方が良い。
壁の中にあるから安心しがちだけど、電気系統で何か起きると壁の中から燃え始めるので可燃性だとあっという間に火の海。
発泡ウレタンが嫌われるのはそこ。グラスウールが人気なのもそこ。
24時間換気っていうのは法令で義務づけられてる換気システムのことなんだけど
ちなみに最近の建材はハウスダストがほとんど出ないものが選ばれてるのでぶっちゃけなくても問題ない
なぜこんなのが日本だけ義務化されてるかって、そりゃメーカーは義務化してくれたら売れるよね、っていうよくある闇の部分ですね
そんで24時間換気にしたら換気とともに熱が逃げてしまうよね、っていう問題があるんだけど
なんと排気の熱を吸気に移動させるという謎技術によって熱交換式の換気が出来てしまった
これによって冷暖房効率は上がる・・・んだけど、この換気には普通より多めの電気代がかかるというオチ
なのでトータルにすると単に換気するだけと比べたら電気代は安くなってるんだけど、メンテナンス費用とかも入れると怪しくなる
ちなみに換気をOFFか弱にした方が圧倒的に冷暖房費は安い
で、気密性は元の記事にもあるようなC値とかが出てくるんだけど、この辺が理系の人間が陥りやすい罠で、このC値が低いければ良い、となってしまう。
実際には24時間換気してるしC値がちょっとやそっと変わっても実際の冷暖房効率にはほとんど関係ない
例えばドアの開け閉めを減らす方が当たり前だけど効果が高いし
窓が3重ガラスでもやっぱりそこから熱が逃げやすいから窓にカーテンする方が効果が高いとか、その程度
そんな感じなのでまともなハウスメーカーは相手にしてない。無駄な数値競争はしない。
よくC値が低い家は隙間風が吹くとかいろいろ言われるけど、今時のちゃんとしたハウスメーカーでそんな家あるわけがない
未だにヤバい工務店とかは雨漏りするレベルとかあるみたいだけど、大手ハウスメーカーは永年雨漏り保証も付けるぐらいきっちりやってる
てことで最近流行の「第一種・熱交換・高気密」は眉に唾をしっかり付けた方がいいですよ。
おすすめは第三種にして気密はそこそこにした上で換気は弱設定、かな。
多くの甘味系炭酸飲料が持つ「太る」「歯が溶ける」という問題を解決した奇跡の飲料だ。
俺も昔はカナダドライの味がしない炭酸水を愛飲していたが、ゼロストと出会ってすべてが変わった。
俺はもともと長風呂の最中や直後に炭酸水を飲むのが好きだった。
下手をすると水道水の方が味がするぐらいだ。
水に対して人間が本能的に感じる甘みの錯覚が、炭酸の苦味と相殺し合った結果、シュワシュワしているだけの味がしない物体となっていると個人的には判断している。
俺がアマゾンでいつものにように炭酸水を大量発注していると、ゼロストに出会った。
俺が求めているものがそこにあった。
早速俺は1ケースポチった。
ポチった1ケースは24本あったのだが、それは2週間でなくなった。
そしてそのペースはずっと続いた。
チョコレートを袋で買うと想定の3倍で無くなってしまうアレだ。
だから人間は甘味を食べすぎないようにするし、それが出来ないアメリカ型のデブは延々と口に何かを入れている。
当初の予定では風呂と一緒に1日1本だったゼロストは、いつの間にか朝食や夕食時にも姿を魅せるようになった。
間食として飲むこともある。
汚部屋の典型で、部屋に飲料のボトルが転がっているのがあるとはよく聞くが、アレは本当のようだ。
うちの地区はゴミの分別としてペットボトルのラベルとキャップは燃えないゴミとして資源ごみ以外に出すようになっている。
つまり、単にペットボトルを飲み終わったらそのままゴミ袋に入れれば終わりではないのだ。
ごみの分別なんてまとめてやった方が早いのだから、当然部屋には分別待ちのボトルが溜まっていく。
分別待ちのボトルを分別街コーナーに置くのもまとめてやったほうがいいのだから、当然床にボトルが溜まっていく。
この状況は非常に不健康だ。
アルコホリックの患者は家中に酒の空き瓶を置いており死ぬ寸前の足利義輝の逸話を思わせるというが、私の部屋もそれに似てきた。
もはや中毒だ。
人工甘味料には気をつけろとはこういうことだったのか。
食費の何割かは既にゼロストに消えている。
「統合失調症を想起させる」「統合失調症を社会悪のように描くな」といった批判が寄せられている。
私自身は上記の批判がピンと来なかったので改めて読み直してみたところ、
作中で“被害妄想により自分を罵倒する声が聞こえていた”とは書かれているものの、
彼(作中の殺人犯)が被害妄想に陥った直接的な原因はやはり描写されていなかった。
にも関わらず、多くの批判者が「統合失調症を想起させる」と感じたのはなぜだろうか?
作中の描写から読み解ける範囲では、例えば彼が麻薬中毒者であったとか、
大学内に飾られている絵画に憑りついた幽霊に唆されて凶行に走ったとかであっても、全く矛盾がないはずだ。
しかしながら、批判者は一様に「彼は統合失調症であり、それが凶行の原因として描写されている」と認定している。
恐らくは、批判者の頭の中に「京アニ放火殺人事件」の犯人が想起されたのだと思う。
あの事件の犯人が逮捕された当初、犯人は統合失調症であり、それによって犯行が引き起こされたかのような風評が発生した。
(断っておくが、当該の犯人は「刑事責任能力には問題がない」と判断されており、統合失調症が犯罪を引き起こすという風評は全くの誤りである。)
本作も、京アニの事件がモチーフの一つとなっていることは明らかだろう。
しかし、実際の事件の犯人が本当に統合失調症に罹っていたからといって、
「ルックバック」の通り魔殺人犯が「統合失調症の患者である」と断定することはできないはずだ。
繰り返しになるが、彼が麻薬を打っている描写や幽霊に取りつかれている描写がないのと同様に、
批判者は、本作が「統合失調症に対する誤った認識・偏見を助長しうる」ことを懸念しているが、
私から見ると、そのような批判者の言動(その外見だけで統合失調症と断定し、凶行の原因と結びつけること)こそが、
統合失調症をとりまく偏見と同質の、謂れなき批判ではないかと思う。
改めて、なぜ彼が(麻薬中毒者ではなく)統合失調症であると認定できるのかを考えてみてほしい。
(7/21追記)
コメントくれた皆さん、ありがとうございます。いくつか返信してみます。
「確率」の意図するところがわからないけど、「麻薬中毒者の凶悪犯罪率<統合失調症患者の犯罪率」という主張であれば、そんなことはないでしょう。
(雑にググってみたけど明確なデータが見つからなかったので、情報お持ちの方はコメントください。)
それに、確率の高さを論拠に犯人の特性を推定する行為は「この地区は●●人の犯罪率が高いから、この事件も●●人が起こしたに違いない」みたいな偏見と地続きの危険性がありませんか?
実際の事件でそれが風評被害をもたらしたことを(批判者は)知っているにも関わらず、作中の彼をその言動から「統合失調症である」と安易に断定することに異議がある、という趣旨です。
当該の批判がピンとこなかったと書いたとおり、私はそう思いませんでした。
私自身作品を正しく読み解けている自信はありませんが、『ルックバック』は“創作”のもたらすカルマと救済を描いた作品だと思っていて、
彼が凶行に至った原因も「"創作"に狂わされた」以上の意味付けは考えていませんでした。
「丸メガネと出っ歯の特徴をもつ日本人のキャラクター」に対しては「ステレオタイプだなあ」と反感を持ちますが、
「丸メガネと出っ歯の特徴をもつキャラクター」そのものに文句をつけたりはしないです。
繰り返しになりますが、「通り魔殺人」と「統合失調症」を結びつける論拠が作中に提示されてないのに、
「統合失調症を示す描写だ」と断定することに問題があると指摘しています。
事例をお借りすれば、日本人と示されていない丸メガネと出っ歯のキャラクターが出てきただけで、
「これは日本人差別だ!」というのはおかしいのではないかという指摘です。
追記しておくと、読者が作品を読んで「彼が凶行に至った原因は〇〇である」と解釈するのは自由ですし、
今住んでるところ。てかずっと住んでるとこ。
自転車で10分の距離に小さいモールがあってそれとは別にスーパーは3つ。
ファストフードは普通に充実してるし高級店はないけどメシ屋も和洋折衷選び放題。
本屋、ゲーセン、CDショップ、マッサージ、病院、風俗。なんでもある。精神病院もある。
都会に比べると人は多くないので不動産とかもそこそこ安い。
人柄はあんまりいいとは言えないが、古くからの一戸建て住宅が立ち並ぶ地区が多く
治安としてはそこそこ安定していて、そこまでやべー連中がいっぱいいるってわけでもない。
ジジババばっかりではあるけど。あと外国人は少ない。
いわゆる「商店街」はほぼ終わってる。
3割くらいしか動いてないしその3割もいわゆる「商店街特権」があるから店を閉めてないだけ。
親はずっと「こんな町選ぶんじゃなかった」と言っていて、
この町は暖かすぎないし冷たすぎない。
かといって田舎みたいに誰もが顔なじみでみたいなこともない。
ほどよく人が流動して、それでも残る人がいて。
ただ、住人の3割は創価だし精神病院が近いので交差点で叫んでるジジイは後を絶たない。
街並みも小汚い。
それでも俺はこれくらいの町でいい。
お前らの町はどうだ。
言語は抽象化されたデジタルな概念だけど、それを出力するのに発生器官を用いるとアナログな情報が出力されることが辛い。
でも最終的にはそれをデジタルな情報に直していかないと会話は成立しない。
「浜田さん」と口にしたいとき、発音が悪いと「アマダさん」になり、さらに電話や相手の耳が悪いとそれが「ヤマダさん」に変化する。
もしもメールでやりとりしていればこれは起こらないし、もし起こっても「あなたは確かに「アマダ」と書いてますよね?」と聞き返すことが出来る。
音声はそれがない。
音は出した瞬間に消えるし、もしも記録されていても記録機器の性能によって劣化する。
人間の耳が持つカクテルパーティー能力のせいで除去されていたノイズがモロに乗ってくる。
だが恐ろしいことに発生した本人はその音から「ハマダ」を確かに拾ってくる。
いやそもそも、生まれてきた地区や育ってきた環境によって同じ音でも発生方法が違ったりする。
日本人はRとLを区別できずにすべて「ら行」にすることで知られているが、それは日本人の発音する「ら」がRとLの中間で行われるからであるが、これは外人からすれば理解不能の子音である。
標準語と呼ばれる実質的な東京弁は存在するにはするが、それだって完全に全国で同じ発音が用いられているかは怪しいものだ。
つまり、文字として思い浮かべた言葉を口を使って出力するというD⇔A変換が行われた時点で、その正確性はまずもって失われるのである。
これが本当に辛い。
なぜ、わざわざ正確性を下げてる必要があるのか?
人間はもっとデジタルなものをデジタルなままで出力することに対して拘るべきじゃないのか?
むしろアナログで出力することを有難がる節さえあるのは理解に苦しむ。
それは音楽データをコピーする際にCDのデータを直接パソコンに取り込む代わりに、スピーカーで再生したものをマイクで保存するようなものだ。
狂っているとは思わないのか?
私は思う。