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2019-05-13

言いたいことも言えない恋人なんて

久しぶりに更新してみようと思う。

人達を巻き込むだけ巻き込んで爆発しって散った恋をしていた。

まさに地雷原を歩みゆくようなもので、とある友人には「陽だまりに行くために何も吹雪の中裸足で外に踏み出る必要はないし、霜を踏む必要もなければ、氷柱に刺される必要もない」とまで言われた始末。

それでも私は「恋は盲目」という慣用句の通り、まあその先にある陽だまりを信じていた。

多分、実際ちゃんと頑張れれば想像よりずっと小さかったとしても、おそらくそこに陽だまりはあったのだろう。けれど、頑張りに対してそのご褒美があまりに小さいと感じたので今回、そこを目指すのをやめて囲炉裏に火を焚いている家に戻ることにした。回復するかどうかは分からない。凍傷にもなっているだろう。だけど、戻ることに決めた。

好きなもの否定され続ける苦しさ。

ありがたいことに、私の両親は私の数々の趣味に対して、詳細を知ろうとはしなくても概ね否定せずにいてくれた。コスプレは嫌な顔をされることもあったけれど(主に片付かない的な意味で)。

本を書くことについては、その内容を読まなくても装丁出来栄えを褒めてくれた。イベントで本が捌けると喜んでくれた。NLが多かったのもあって「読みたい」と言われたら当たり障りないものを渡す準備もしていたけど、言われはしなかった。

頒布数は決して多くないけれど、頒布数の割には感想をよくいただいていた。拙作と言っても過言ではないけれど、それでも一生懸命考えて書いていたし、愛着もある。だから純粋自分が書いたものを褒められることはうれしかった。

私のそれぞれの趣味に対して、厳しいことを言う人ももちろんいたけれど、正直そういう人はどうでもいい。直接危害を加えられないのであれば、いないのも同然。そしてありがちことに、ほとんどそうした粘着質の人とは関わらずに生きてこれた。

で。

恋人と付き合ってみると、同人コスプレも嫌だという。

私は趣味の中で自己顕示欲を満たしていた。だからそれを全部なくすことに抵抗があった。

まして発行から1年も経っていない本もあるし、再版をかけてしまった本もあった。

それでも、恋人のことが大切だったし、趣味の中で得られていた様々なものをひとまとめにしたメリットと、恋人から与えらえる感情とを天秤にかけてみて、やっぱり後者が重いと感じられたので、コスプレはさくっと上がったし、同人活動も止めて、家にあった在庫も欲しい人に配った後は実家リフォームに際して処分した。印刷費は回収したかった。

とりあえず、趣味に対して文句を言われることはなくなった。

手持ち無沙汰になった私は積んでいた小説を読み漁ったり、編み物を楽しんでいる。

読書編み物楽しいけれど、それを共有できる人がいない。長くオタクとして生活してきたから、どうやって繋がって共有していけばいいかがよくわからない。私は、私らしさを少し失った。

甘いものが好きだ。

果物ケーキクッキーも好きだ。マカロンも大好き。そんな中、流行にのってタピオカにハマった。

デートの時に「タピオカを飲みたい」と伝えたら「毒じゃん」と笑われた。

私の中の小さな私が死んだ。

わたあめを食べに行った。

かわいらしい色で大きなわたあめを頬張る娘が嬉しそうで、こちらまで嬉しくなった。

また「毒の色だよ」と言われた。

私の中の小さな私が死んだ。

やめてほしいと伝えた。

好きなものを同じだけの熱量で好きにならなくていいから、せめて否定しないでほしい。私は私で、あなたあなたから否定しないでほしい。同じ熱量で好きになれるかはわからないけれど、私はあなた趣味否定しないし、理解したいと思ってる。同じように理解はしなくていいから「ああ、好きなんだな」で気持ちをとどめてほしい。そう伝えた。届かなかった。「じゃあ喋らない方がいいね」「帰るわ」。

まったく私の言葉は届かないのだと、涙になった。

私は私で、それはあの人の恋人であり、娘の母であり、企業に勤めるサラリーマンであり、母や父にとっての娘であり、友人にとっては友人であり。どれも私で、全てを束ねて私だ。

私は責任の中で生きていて、全てが過去選択の結果。だから、母としての私を認められないことが苦しかった。どうしたって時間に制約はある。人付き合いもある。そういうのをやり繰りしながら時間を作って会っていた。だけど、それではいけなかったらしい。

もう一人、小さな私が死んだ。

自由自分で選べなくなった。

じゃあ、と、振り返ってみたら。

殺された私の代わりに新しい誰かが生まれていたかと考えてみたら。

そんなことはなかった。

こちからお願いしたことも、むこうから言ってきた約束も、何一つ、一週間だって守られたことはなかった。そして更に悪いことに、気づいてしまったのだ。言われたことも嘘ばかりだったのだと。

気づいたら、中くらいの私が死んだ。

そうしたらもう、ダメだった。

言いたいことも言えず、伝えてもかなわず、期待しても裏切られる

こんな人の傍にいてはいけない、と。

きっとあの人は叶えてるつもりだっただろうし、言ったこともその時は本気だったのだろう。

だけど、継続的に叶え続けられないのならそれはただの気まぐれ。

後戻りできないほど周りを巻き込んだ私と、生活は何も変わらない恋人と。そんな分の悪いシーソーゲーム、降りてしまって良いだろうと。

ここから私はまた周りに説明をして回らなくてはいけないし、家族に謝らなくてはならないし、下手をしたら連れてこられた男と見合いなりなんなりしなくてはならなくなる。けれどこれも、私の選択の結果だ。

私は、努力した自分をほめたい。

傷ついても嫌なことを言われてもされても、努力していた私は確かに存在した。

調べものも沢山したし、時間も作ったし、理解し合いたいからと対話努力もした。

から、結果については残念だけれど、私は私の努力を讃えたい。

一番大きな収穫は「言いたいことも言えない恋人なんて、とっとと別れちまえ」だ。

私はもういちど、自分の好きなことをやりたい。

2018-11-06

異形の女性普通男性恋愛を描いた作品

あるときツイッターでこんな意見を見た。

「異形の男性を愛する普通女性を描いた作品では真実の愛と評価される」

「異形の女性を愛する普通男性を描いた作品では歪んだ愛と評価される」

「その為か前者の作品と比べて後者作品はとても少ない。ここでも無意識のうちの性差別が表れているのではないか

と。

性に関する問題は今回は関係ない。

本当に少ないのか、歪んだ愛と評価されているのだろうかと考えてみた。


異形の男性を愛する女性作品と言われれば、真っ先に思いつくのが美女と野獣だろう。

千と千尋の神隠しハウルの動く城等のジブリ作品が思いつくが、こちらは人間の形をとることもでき、実際作中の大半を人間の姿で過ごしているので、今回は少し違うと思う。

千尋は龍の姿のハクを愛したわけではないし、ソフィーハウル魔物の姿を愛したわけでもない。

しかし異形の姿をとっても愛を失ったわけではないから同じことか。鎌爺なんか作中ではっきりと「愛だ、愛」と言っているし。

ゲーム世界だとピーチ姫を攫う大王クッパが思いつくが、こちらはピーチ姫好意を寄せているわけじゃないので除外。

しか作品テーマ、もしくはキャラクターの設定としてよく見かけるものではあるといえるだろう。

異形の女性が登場する作品となると、一番に思いつくのは人魚姫だろうか。

しか彼女王子に会うために声を失い、激痛を受け入れながらも人間の姿になっている。

それにそもそもその恋が叶わず泡となって消える悲恋物語である

また古くからある日本物語で思いつくのは妖怪、とりわけ雪女だろうか。

しかこちらも姿は人間であり、氷柱雪だるまの姿で登場するという話は聞いたことが無い。さらにこれも人魚姫と同じく、結ばれることのない悲恋物語

ファンタジーに登場する魔物のラミアやケンタウロスなど、上半身のみ人間女性の形を取り、下半身動物または魔物の体をしているキャラクターもいる。

デュラハンろくろ首のように首から上だけ異形の形を持つ者もいる。

それらと恋愛関係になる作品はいくらか思いつくが、特殊性癖だとの扱いを受けることは否めない。

暴論になるかもしれないが、ジブリのように子供も見る場所においても問題いかと言われると、微妙なところだともう。

やはり歪んだ愛という評価からは逃れられないのだろうか。

余談だが格闘ゲームGuilty Gearシリーズにはジャスティスというキャラクターが居る。

作中用語ギア素体と呼ばれるが見た目は完全にロボであるが、独立した思考女性人格を持っています

まり異形の女性というわけです。娘もいます

ただ恋愛関係にあったか、といわれると、正直微妙なところかと。


長々と書きましたが、特定作品批評しようという意図はありません。

タイトルにあるような作品に興味があるだけです。

そもそも真実の愛も歪んだ愛もその個人の感想範疇しかないわけで、不毛な話ではあるのですが。

2017-10-01

古代[ソース編集]

日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲建御名方神タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲起源とされている。

人間同士の相撲で最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまいとらしむ・スマヰ」または「すまい・スマヰ」と訓す)での戦いがある(これは柔道起源ともされている)。この中で「朕聞 當麻蹶速者天下之力士也」「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」とあり、試合展開は主に蹴り技の応酬であり、最後宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速に踏み付けで加撃して腰骨を踏み折り、絶命させたとされる。これらの記述から、当時の相撲は打撃を主とする格闘技であり、既に勝敗が決した相手トドメの一撃を加えて命までをも奪った上、しかもそれが賞賛される出来事であった事から見ても、少なくとも現代相撲とはルール意識も異なるもので、武芸武術であったことは明確である[2]。宿禰・蹶速は相撲の始祖として祭られている[3]。

さらに『古事記』の垂仁記には、

ここをもちて軍士の中の力士の軽く捷きを選り聚めて、宣りたまひしく、その御子を取らむ時、すなわちその母王をも掠取れ。髪にもあれ手にもあれ、取り穫む隨に、掬みて控き出すべし。とのりたまひき。ここにその后、かねてかその情を知らしめして、悉にその髪を剃り、髪もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐して、三重に手に纏かし、また酒もちてその御衣を腐し、全き衣の如服しき。かく設け備へて、その御子を抱きて、城の外にさし出したまひき。ここにもの力士等、その御子を取りて、すなはちその御祖を握りき。ここにその御髪を握れば、御髪自ら落ち、その御手を握れば、玉の緒また絶え、その御衣を握れば、御衣すなはち破れつ。

とあり、初めて「力士」(ちからひと・すまひひと と訓す)の文字が現れる。以降の記紀六国史においても、相撲に関する記述散見される。

相撲節会」を参照

奈良時代から平安時代にかけて、宮中行事の一つとして相撲節会が毎年7月頃に行われるようになる。毎年40人ほどの強者近衛府により選抜され、宮中で天覧相撲をとった。最初の記録は天平6年(734年)のものであるが[4]、節会を統括する相撲司の初見養老3年(719年)であることから8世紀初頭に定着したものと思われる。相撲節会は当初は七夕宮中行事の余興としての位置づけであったが、後に健児の制が始まると宮中警護人の選抜意味を持つようになる[5]。時代が下るにしたがって相撲節会重要宮中行事となり、先例が積み重なるとともに華やかさを増した。然し同時に、健児選抜という本来趣旨は次第に忘れられていった。12世紀に入ると律令制の衰退、都の政情不安定とともに相撲節会は滞るようになり、承安4年(1174年)を最後に廃絶となる[6][7]。

神事相撲」を参照

一方、神社における祭事として相撲をとる風習が生まれた。これを神事相撲という。農作物の豊凶を占い、五穀豊穣を祈り、神々の加護感謝するための農耕儀礼であり、これは一貫して現代にまで続いている[8]。

中世[ソース編集]

武家相撲」を参照

相撲節会に求められていた実践的な意味での相撲は、組み打ちの鍛錬として、封建制を成立させた武士の下で広まった。これを武家相撲という。武士棟梁となった源頼朝特に相撲を好み、鎌倉を中心に相撲が盛んに行われた[9]。

日本礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年

土地相撲」を参照

続く足利幕府は、相撲奨励には消極的であったが、戦国大名は熱心に相撲人の養成に力を注いだ。また、応仁の乱以降都落ちをした貴族とともに京都相撲文化地方に伝わり、民衆の間に相撲が定着、相撲生業とするものが現れる。これを土地相撲、または「草相撲」という。[10]。

近世[ソース編集]

「勧進相撲」を参照

江戸時代に入ると武家相撲はその存在意義を失い、土地相撲興行化して民衆一般に広がる。興行主はこれを神事相撲の「勧進」にことよせて勧進相撲と称し、また武家相撲力士大名の抱えとすることでその名残をとどめた[11]。

近代[ソース編集]

相撲を取る皇太子時代昭和天皇

大相撲」を参照

明治文明開化相撲をはじめとする伝統芸能は軒並み危機に陥るが、明治天皇の天覧相撲が繰り返されるなどによりその命脈を保つ。大正14年1925年)には幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯が下賜され、また東京相撲大阪相撲合併することにより日本相撲協会誕生、勧進相撲大相撲に一本化された。

平成に入って、日本ビーチ相撲連盟というアマチュア組織が結成された。また、義務教育武道必修化の必修科目として、相撲剣道柔道の三種を基本として加味された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/相撲

兎に角臭そうなので相撲は撲滅するべき

殺人競技ルーツにする相撲人権違反で即刻廃止するべき

そう言う事を言いだしたらオリンピック競技殺人競技ルーツにする種目がたくさんあるのでオリンピックを即刻廃止するべき

2015-08-09

じわじわっと涼しくなる冷房装置が開発されてほしい。

暑いからクーラー入れるよね。でもそうするとクーラー風が身体に当たる。クーラー風は嫌いなんだよ。必要以上に熱を身体から奪うし、なにか健康に良くない気がする。クーラー入れるときは風が当たらないようにタオルをはおって寝るんだけどなにか勿体無い気がする。そもそも風がビューっと流れているのは嫌いだ。電気エネルギーが冷却じゃなくて吹き付ける運動エネルギーになっている。

欲しいのはゴーゴー冷風が出るんじゃなくて恐るべき冷気がヒタヒと金属の箱から漏れてくる感じ。発生源を触ると手が貼り付いてとれなくなる感じ。負のエネルギー氷柱が鎮座してる。そんな機器必要なんだよワトソンくん。

2014-09-24

アナと雪の女王を観た

※朝になって読んだら読みづら杉。あとで編集する。

 観終わって、ディズニー映画でこれほど多様な読み方が出来る映画はない!と息巻いてシネスケ開いたらあんまりみんな自分解釈提示してなくて、いきなりシネスケに書くのも恐いから、おそるおそる増田に書いてみる。ネタバレあり。

 まずあらすじ。

 幼少時に自分魔法(触れたものを凍らしたり、氷柱を地面から生やしたりする)によって妹アナを怪我させてしまったエルサ。その経験から、親の指導により人との関わり合いを断絶。アナ治療時に記憶を失っているので姉がなぜ人との関わり合いを避けているのか理解できない。そんなエルサだが、大人になって女王に就任。その戴冠式お祭りアナはハンス王子出会う。出会ったその日に婚約するも、エルサからはそんなのは愛ではないと言われてしまう。ここでアナが日ごろの鬱憤をぶちまけ、それによりエルサが激情しこれまで隠してきた魔法を発動。2人が住むアレンデール国は雪に閉ざされる。魔女を捕らえようとする追っ手から逃れ、エルサは氷の山で独りの王国を築き上げる(ここでLet it goを歌う)。雪に閉ざされたアレンデールを何とかすべく、アナはエルサの後を追う。途中出会った男クリストフと共に氷の山に行くも、エルサはアナに帰れと言う。ここでアナの話からアレンデールが自分魔法のせいで大変なことになっていることを知ったエルサは絶望し、魔法を発動して再びアナ重症を負わせてしまう。アナ治療すべく、クリストフ魔法使いのところに行くも、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」と言われる。クリストフ真実の愛=婚約者であるハンス王子キス必要解釈し、アナをハンス王子の下に送り届ける。ハンス王子と再会したアナ王子キスを求めるも、実はハンス王子アレンデール国を乗っ取ろうとする悪者であることがここで発覚。王子アナを見殺しにし、アレンデールの大臣アナはエルサの魔法で殺されたと告げる。氷の城を襲撃して捕らえたエルサの処刑がここで決まる。処刑の直前にエルサは逃亡する。他方、アナの方は、愛とは「他人のために自分犠牲にすること」と諭され、自分を助けるために命を賭しているクリストフの姿を思い浮かべる。そこでクリストフの下に向かうが、そこにはハンス王子対峙するエルサの姿が。結局アナは目の前のクリストフを尻目にエルサをハンス王子から守る。エルサの魔法によりアナは凍ってしまうが、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」という言葉を信じたエルサがアナキスし、アナは目覚める。ラストは「真実の愛」により雪が溶けたアレンデールの光景を映し出し、終了。

 主題は2つあってそれが1つに繋がる構造主題の1つは、自らの「魔法」をその共同体の中では抑圧せざるを得ず、「魔法」は共同体と決別することで解放することができる。しかし、それには種々の問題が生じる、というもの主題のもう1つは、「真実の愛」は家族愛である、というもの。この2つの主題を繋ぐのは、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」という命題で、「魔法」の解放により生じる問題は「真実の愛」でこそ解決できるいうようになる。

 主題の2つ目(「真実の愛」は家族愛である)というのは最近ディズニーが『マレフィセント』で主題としたところ。同映画では、魔女呪いにより永遠の眠りについたオーロラ姫が、真実の愛により目覚めると言われている。そこでイケメン王子キスしてみるがダメで、結局お母さんのキスで目覚めるというストーリーになっている。そこで語られているのは、その辺のイケメンと1夜の恋に落ちたところでそんなのは愛ではなく、家族愛こそが真実の愛である、というメッセージである。そうしたことから主題の2つ目は割とはっきりしていて、それほど多様な読み方ができるというものではないと思う。

 問題主題の1つ目で、Let it go解釈がここに関わってくる。日本語版だと「ありのままに」と訳されているのは周知の事実だが、これだと「自分らしく生きていけばいい」というメッセージになる。しかし、これは正確ではない。エルサは自分らしく生きた結果、アナを傷付け、故郷の国を雪に閉ざされた世界にしてしまったのである。この曲はそのような自己肯定的な曲ではなく、「(是非はともかく)とにかく家族を捨て、自分解放されたんだ」という意味に解すべきだろう。

 仮に主題を上のように解するとしても、そこには「魔法」は何を意味しているか、という問いが存在する。ここでの「魔法」とは、

 ①それにより周囲の人間を傷付けるため、

 ②周囲から自制と抑圧が求められるが、

 ③自分にはどうにもならないもの

意味する。これを前提にまずありうる解釈は、「魔法」とは同性愛を指しているというものである。この線で作品全体を考えてみると、同性愛を抑圧し、隠そうとする家族という共同体を捨て去ることで、同性愛問題は解決する。しかしそれは真の解決ではなく、種々の問題が生じるものである大事なのは家族との相互理解、歩み寄りによる「愛」であり、それこそが問題を解決するのだ、という読み方になる。

2012-04-17

昔付き合ってた相手がいた。

その当時。こちら外資企業。相手は国内製造業

学生からの付き合いで、話も合うし、趣味も合うしで付き合い始めた。

この人とならきっと一生楽しく過ごせるかもしれない。そんな気がした。

3回目の夜に言い渡された。

自分は今の仕事派遣で入ってる」

ほとんど貯金はない。できる金額ではない」

大学は実は中退した」

「高校も実は留年してた」

中学は引きこもっていた。出席日数はギリギリだった」

楽しい時間に氷水を掛けられた気分だった。

教職で目の厳しい家族親族全員見栄っぱりが勢ぞろいだった。

心象は良く紹介する方法について悩み始めてしまった。

親戚の中では自分がこの時代に中堅学卒なのも快く思われていなかった。

留学して大学院を出て、高卒の夫と所帯を持った母の従姉への陰口は幾度となく耳にして閉口した。

私はこの人と一緒になったらそっち側に立たされるのか。

しかしながら。

相手はとてもそうは見えない程の社交性や友人の多さだった。男の友人も女の友人も沢山紹介された。

友人たちの幅の広さもすごかった。どこにそんな人望がある人になったんだろう。

相手はとても変わったように思えた。学生時代に知り合ったちょっと癖のある子ではなくなってた。

職場愚痴をいいながらも楽しそうに仕事をしていた。

仕事趣味みたいになっていた。上手くいくと嬉しそうで失敗すると落胆してた。

その話を聞いたり見たりするのがとても楽しかった。

家族のことを考えると別れたほうがいい。

でも、もう少しこの人と一緒にいたい。この人を見ていたい。

段々家族大事か、自分内面の充足度が大事か、

そこに自分の友人からの評価、という指標が入って、どれを最初に置くべきなのか。分からなくなって混乱した。

3年付き合うと本格的に結婚が見え始める。

生理が遅れた。防ぎながらもちゃんとすることはしていたので。

じゃあ所帯を持つか。結婚するのは吝かではなかった。寧ろ条件が適うなら夢のような話だと思った

どちらの地域から通勤するのには難しい程度に離れた恋愛だったので、自分退職しようと思った。

経歴的にも転職先は見つかりやすいと踏んでの事だった。

賃貸住宅も探した。でも色々な資金が足りない。お金ないけどどうしよう。

その時出た相手の一言で氷水どころか氷柱の中に突っ込まれたようなショックを受けた。

ある程度同じように物事を捉えていて、

過去はどうであれ人に頼っていい部分とそうでない所の境界線は同じだと思ってた。

そこから急激に考え方の違いに気づいた。


生理は、結局やってきた。

でもそこで引っかかった気持ちはそのままだった。


付き合ってた相手は要望されて正社員としてその会社に入った。

正社員派遣だと待遇差に無頓着だった事をここで初めて知る。

あの生理が遅れた時に正社員であの言葉だったらどれだけ安心できたんだろ。それを望む元気すらなくなっていた。

改めて結婚を考えてみたけれど、相手が囲いこもうとしているのもつらかった。

どうしても逃げたくなった。少しだけ離れたかった。

離れて自分の気持ちを確かめたかった。

離れてても安心できる事を知りたかった。

その後。

そのまま不景気の波に乗り自分会社で部門ごと首を切られ、次に入った会社で体調おかしなと思っていたら病気が見つかり、今やっと最低限人と同じ生活に。

相手はそのまま昇進して、よりよい相手を見つけて家庭を築き始めたらしい。

人生なんて何が起きるか本当にわからない。




こんな所に思い出話を書く程度に未練たらたらなんだけど、

今思い返してみて、どうしてつまらない意地はっちゃたんだろ。

どうして先に死んじゃう親や周りの人を気にしたんだろう。

どうしてもっと自分の気持ちを大事にしなかったんだろう。

どうしてもうちょっと近所に住んでなかったんだろう。

どうして連絡取らなかったんだろ。

こういうのを後悔っていうんだろうなーと、たまに息が詰まりそうになる。

まりそうになって、医者は何科にかかるべきなのかなとも思ったりしてる。

向こうもこっちも、何が災いとなり何が幸いするかわからない。

向こうは主体性もツキもない人と一緒にならんでよかっただろうし。

こっちは重荷になっていた人が実はずっと中に入り込んでた。

新しいご縁の始まりに遭遇する度、また酷く絶望するんだろうかという気分になって恋愛に踏み込めないし

新しいご縁よりも誰よりも向こうと、もう一回面と向かって今のベースで話し合いたいと思ってた。


付き合い始めて3年経つと恋愛で感じるエンドルフィンの分泌が減るとかそういう話があるけど

そのタイミング好きな人と冷静に話し合えないような事件は起こしちゃだめだ。

深刻な話をしたいならもうちょっと幸せな気分の時なら二人で乗り越えらえるよって人に伝えたいのと

もう親戚とか親とか学歴とかどうでもいいんで、俺に誰かいい人あらわれろ。と思うヒマな午前の事でした。

ここまで読んでくれてありがとう

2007-03-15

厳しさと酷薄と 突き刺すやうな言霊

凍えるように翻る うすべつたりとした鋭ひやひば

つるりとさして 知らぬ顔

  それはいつか見た夢のやうに 手ごたへもなく

沈鬱と それにしたがふ黒ひ影

昼なお暗き 樹海の奥に

誰の形見か 手鞠 ひとつ

  そのむかふには まつくらな洞窟

  しづかなままに あるでせう

  そぞろ歩きも ときにはするが

  誰かに会へば 笑ひもするが

  空はいつでも 薄青く

  池の氷は ゆるむこともなし

  窓のうちからさざめく冷気を眺め

  あたたかな机の上にうつふして

  なにも言はずに 冷たい笑顔

  吸つては吐きのくりかへし

  それだけで生きてゆける痛々しい世界のために

  杯を ああ杯をかかげやう

  やさしくて ほがらかで

  きつと皆から好かれるはずの

そんなあなたがゐる この世のどこかに

置き去られた 手鞠 ひとつ

薄くらく 苔むした樹海のなかで

鮮やかな彩りを わけもなくふりまいてゐる

薄くひらめく 刃は言霊

つるりと刺して しらぬ顔

手ごたへもなく 心になにも残すことなく

屋根からくだる 氷柱を喉奥深くさしこんで

その流れ落つる血潮は さて誰がために?

 
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