はてなキーワード: ニュートラルとは
具が難易度高いのが多いな〜。
ピーマン、子供はたいてい苦手だよね…増田の子供さんはどうかわからないけど。
嫌いじゃなくてもピーマンは取り合わせが難しい。ピーマン入れるなら玉ねぎも入れてケチャップ風味にするか、もやしと生姜千切りとごま油も入れて中華風味にする。
・きのこ……舞茸は個性が強くて、洋風に使うのは上級者向けの気がする。ゴボウとはよく合うので、醤油味強めのお吸い物にするといいかも。しめじ・えのきは和洋中何でも合う。
・根菜……人参がないのはなんで?書き漏らしただけだろうか。人参、大根はわりとニュートラルな味なので、銀杏切りとか短冊にして1人あたり50〜70g入れるとまとまる。ポトフ風なら乱切りでもいいけど、少し煮込み時間がかかるよね。筍もいいダシが出るけどちょっと高い。蓮根は好き嫌いがありそう。ゴボウは舞茸とは合うけど強い味で、コショウとか辛子とか山椒と合う。イモ類は、煮崩れが好きと嫌いは別れるから、子供さんの好みに合わせて。
・葉野菜……緑が濃いのは基本的には煮過ぎちゃだめ。味のないデロデロになる。ラスト2分沸騰させて投入しよう。ほうれん草のシュウ酸エグみは少量なら気にしない。大量なら別茹であと載せで。キャベツは緑薄いけど、煮過ぎると硫黄臭がすることがある(更に煮ると消えるけど)から、10分くらいを目途に。その点白菜は優秀で、最初から入れてもOK。
・葱類……はじめから煮れば甘味に、短時間加熱なら薬味として爽快感付与。
・タンパク質……肉を入れる気ないなら大豆製品はどう?厚揚げ油揚げは和、豆腐は和中、豆乳は洋風に。
増田はあまり料理しない人だろうか?なんとなく自己流感がにじみ出てる気がする。具のチョイスとか、長く煮込めばいいのかって発想とか。野菜スープのレシピ本を買ってレシピ通りつくってみるのがいいんじゃないかなあ。食材単品で美味しい食べ方を知っておくと、スープに使う時も美味しくなる使い方のイメージができるかも。
@saorin0212
私が今回実名で声上げたのは今後の公金や諸々助成金やメディア出演等を全て捨てる覚悟で大袈裟でなく本当に人生かけて発言を決めたので、その位の覚悟ないと本質に切り込む発言はできないんだと思った。
未だ他のNPOが声上げない現状もだし普通は色々なしがらみや大人の事情があるのかもな #アベプラ
@saorin0212
32分
んー🤔本質に切り込めてない感じで言いたい事沢山なんだが結局テレビ仕様なのかな?
こういう声もある。
もらっているのは内輪だけ。
大空幸星
@ozorakoki
ここまで話してこんな感じとは残念!行政やNPOのSNS相談はほぼLINE相談。携帯を買い与えられている子どもだけでなく全ての子が1人1台端末やパソコン室等、どこからでもチャットで相談できる仕組みが必要なので進めてきた。ネット上でずっとやっている話は不毛で終わせてくださるそうなの期待してます!
@fujitatakanori
返信先: @immr96さん
出るよ。今村ネキも観てね。MCの大空幸星さんのNPOの1億5000万円の開発費を叩いてやっから笑
これは全額公金で税金なんですよね。
もう一つを叩き出したら、こういう話にしかならない不毛なことをずっとネット上ではやり続けています。
クソくだらない話は終わりにしてやるから、見ろください。
これはColaboの違法な不正会計をバラせば怪文書を流して補助金をカットするって言う脅し。脅迫ですね。
コラボに不利な監査結果が読み上げられるとあごに手をやってますね。動揺が隠せない。どう嘘をつこうか焦りまくり。バレバレ。
既に日本財団の回し者で税金を横領していることはわかっているので、今度書類を開示請求しよう。語るに落ちすぎ。
@kappa_koubou
今回の経費計上問題において、Colaboの貸借対照表を作成したのは #矢崎芽生
NPO会計基準会計、NPO法人会計基準専門委員 基準の策定有識者。一連の不当計上では、公認会計士協会懲戒処分対象?#暇空茜 #仁藤夢乃 #colabo
BAR HOPPER
@syge3
1時間
今、#アベプラ に出てる #若原芳治 (税理士・公認会計士)、若原会計事務所(愛知県)って、 #矢崎芽生 さんが理事を務める #NPO会計税務専門家ネットワーク に所属してる人物だね。
#Colabo問題
⬇️
https://npoatpro.org/index.html
公開名簿
⬇️
https://publish.d2courmges1yt4.amplifyapp.com
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はっきり言って馬鹿だろ。完全に利害関係者じゃないか。白って言い切れない以上コラボはクロ。不正どころか税金横領しているでしょう。歯切れ悪すぎだしよく出てきたわ。
藤田孝典はColaboの活動内容を知らない。特殊だ必要だというだけで中身を知らない。大空も知らない。だから擁護できない。
簡単に言うとコラボは税金を横領しているだけでなにもしていない犯罪者だから。
誰も知らないんだから活動しているわけがない。そら擁護も難しい。藤田孝典は消されるのはちょっとかわいそう。
@fujitatakanori
仁藤さん、colabo、他NPOも総じて出演にいたらず、断定的なことは何も言えない状況下でしたが、現状を知る人が増えればよいと思います。
ね、知らないでしょ。
やん
@skd7
これからアベプラでColabo問題を扱うのですがリディラバ安部敏樹と藤田孝典はColabo側の人間というのをまずは抑える必要があります。秋葉原、オタク文化叩きという点ではひろゆきもColabo仁藤夢乃と対して変わらなかったりします。ただひろゆきの意識は一般人と同じなので安部、藤田よ…
@miyawakiatsushi
@miyawakiatsushi
論外だよ、こいつ。
からかさ
@2TVTAqwjHqF7G9K
でなきゃこんなことは言えないよ。領収証が盗まれたら個人情報が漏れるから領収証がない?じゃあ自腹でやれよ。甘えたガキかよNPO法人って泥棒の集まりなんですか?
これも事実。
Jordu (城堂 慎之介)
@Jordu04776828
#Colabo
#Colabo問題
#ブント
http://toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2933&syosekino=2002
そもそも監査結果が出る「までに」出せないのは不正であり違法。健康診斷じゃないからね。完全に終わってるよ。コラボは税金を横領している極悪非道な反社です。やっているのは恫喝ばかり。これが違法じゃなくてなんだよ。さっさと特捜が家宅捜索するレベル。弁護士事務所もそう。厚生労働省と法務省は有識者会議をやり直し。法律も見直し。
あとこんな不正経理をやってだまくらかして大空を黙らせてたらNPO法人なんてやらないよ。大空の言うとおりだよ。藤田孝典は大空ではなく正論に破れた。
2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京のホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。
子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンのポスターがこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。
「どこ行くの?」
「3日からじゃなかったっけ」
「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」
「そう」
しばらくするとまた父が来る。
「そう…」
父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。
ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。
私はベッドに座って、ポーチに化粧水を詰めているところだった。
「なんで?」
悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。
「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」
正座した上半身をゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。
「いや、別に……」
「教えてください。私があなたが子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」
正座でゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。
これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。
「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」
「ネガティブなことってなに? 教えてよ」
「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」
母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ。
***
母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。
煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。
文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母やご近所さん、芸能人を悪く言うときも一緒だ。
子どもの頃は、これに必死に賛同していた。賛同したほうが、家庭内は平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧に対応できるのが、誇らしかった。
母の文句が合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。
20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。
母は自分にも、ネガティブな言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。
私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。
母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。
そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。
「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。
最近は、夫や弟夫婦と帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。
弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。
彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。
そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。
それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。
12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。
31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。
こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のときは自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間のときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。
今回は急遽海外への引っ越しのスケジュールがずれこんで、直前に長く実家に滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。
「ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。
年末に駆け抜けた引っ越しや渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族の緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。
私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人の自分に戻っていた。
①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。
②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。
③母の愚痴をニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。
もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。
③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。
***
修羅場に戻る。
「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通の言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」
母は一人で話しつづけている。
たしかに、そうなのかもしれない、と思う。
「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」
こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。
私から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。
虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験の領域ではあるけれど。
ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分の人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。
その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。
「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」
「まぁ、それはそう」
弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。
「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」
「こういうふうになるってわかってるから、おかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」
「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」
父がとぼけて言う。
ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。
だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中でDVだったときのこと、忘れたの?
と本当の私は言いたかった。
宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダのガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。
部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。
日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。
でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。
今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。
ある一定の期間だけだった気がするので、仕事でストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。
そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。
「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」
楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。
「あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」
母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。
たしかに、15歳のモードで言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。
「被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」
「被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか。自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか。
プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。
節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生が子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。
どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。
母にも辛くあたった塾の先生や祖母を黙らせた私の全国模試の順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。
母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。
「過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから」
「本当に行くのね?」
「うん」
これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも、行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月に実家の家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。
海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日だからと義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月の風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。
今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。
私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分が実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。
「私はお正月は家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」
母が地元に娘が残って、べったり子育てもサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。
それが嫌だから、上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月、誕生日と、GWかお盆は帰省した。旅行もした。
でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。
「もう何十年も、十分やってきたでしょ」
そう言うと、母は静かになって、去っていった。
私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。
母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。
それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋のカオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。
母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。
母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。
娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。
10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。
私だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。
誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。
こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。
それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。
脱出した私は、その夜、東京の銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。
——-
けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。
まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。
迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html
もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分で選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。
機種名 | 価格 | 売ってるとこ | 所見 |
---|---|---|---|
TANGZU Wan'er S.G | $16.00 | https://www.aliexpress.us/item/1005004901476563.html | 評価の高い中国偉人シリーズのエントリーモデル。 |
TinHiFi C2 | $26.00 | https://www.aliexpress.com/item/1005005009241101.html | LCP+PU振動板10mmDD。同構成でレジン筐体のC3もあり、低音はC3のほうが出る |
Kiwi Ears Cadenza | $34.99 | https://www.linsoul.com/products/kiwi-ears-cadenza | ベリリウム振動板10mmDD、見た目が良い。 |
TKZK Ouranos | $44.55 | https://www.aliexpress.us/item/1005005071790922.html | CNT振動板10mmDD、TinHiFiのサブブランド。 |
SIMGOT EA500 | 10,980円(予定) | 国内未発売、現在輸入不可 | DLC振動板10mmDD。交換式ノズル。この価格でKATOに匹敵? |
Letshuoer S12 PRO | $117.00 | https://www.aliexpress.com/item/1005003726690210.html | 最近増えてきた$100台の平面駆動イヤホンの筆頭S12の改善版。プロモコード12DEALSC9で-$9 |
TANGZU x HBB Wu Heyday Edition | $199.00 | https://www.linsoul.com/products/tangzu-x-hbb-wu-heyday | 平面駆動でS12と並び評判だった武則天のHBBコラボ版。 |
低価格1DD機の進歩が著しい。どの音域も十分な解像度がありながらハーマンターゲットに寄せたニュートラル傾向の機種が低価格帯にも増えてきた。
サバンナ高橋は自虐が多いけど、他人を嘲笑して笑いをとりたい欲求が先にあって、
でも一方的に他人を笑いものにしてるとヘイト稼いでしまうからエクスキューズとして自虐しているんだと思う。
常に傲慢で横暴な人間は避けたほうがいいが、逆に自虐が多い人間ともあまりかかわらないほうがいい。
自虐が多い人間は、卑屈と傲慢を反復横跳びしていて、ニュートラルになれないやつが多い。
しかも傲慢で横暴な人間に比べて被害者意識が強いから、攻撃性にストッパーがない。
自分はいじめられてきたオタクだから何をやってもいい思考の害オタ、自分は女性差別されてきたから何をやってもいい思考のツイフェミ等、
結論:極論を言う奴は全員消せ
真・女神転生というゲームでは、核兵器によって既存の社会体制が崩壊した世界における人々の生き様を描いている。
人々は大きくLAW勢力とCHAOS勢力に分かれて争うんだけど、違いはこんな感じ。
LAW: 法と秩序を重んじる。法に従って生きれば幸せになれるとされており、法に背いたものは█される。この勢力が勝つと世界はディストピアになる。
CHAOS: 個人の自由を重んじる。力のあるものは望むものを得ることができ、弱いものは隅っこでこっそり生きるか、█される。この勢力が勝つと世界は世紀末ヒャッハー状態になる。
LAWについた場合はCHAOS勢力が敵になり、CHAOSについた場合はLAW勢力が敵になる。
ただ一応は両者の中間である「ニュートラル」が推奨されている。(ゲーム冒頭でそのようなことを言われる)
ニュートラルでゲームを進めていくとどうなるかというと、LAWもCHAOSも、極端な思想のやつは全員皆█しにすることになる。(ゲーム的には、倒さないといけないボスが多くて大変だったりする)
翻って現実を見ると、女性はLAW傾向の人が多めで、男性はCHAOS傾向の人が多めだよね。
女性の多くは、ルールを決めてみんなで守る体制にして、自分が嫌な思いをしないようにをする代わり、他人にも嫌な思いをさせないようにしたい傾向がある。
男性の多くは、ルールは決めずに自由でいたい。他人にうるさく言わない代わりに、自分もうるさく言われたくない傾向がある。
話題になっている二次創作界隈での振る舞いの話もそんな感じだ。
生活の中でも、この傾向さがちょっとした諍いの原因になったりする。
まあでも、振り切ったディストピアもヒャッハー世界も嫌だね!ということの一点では、ほとんどの人が合意できるはずなんだよ。
「公共にエロが氾濫していると社会の構成員が影響されて犯罪に走るようになる」みたいなのは根拠を持って証明することがほぼ不可能なレベルで困難だから、規制の根拠とするのはやめたほうがいいと思うんだよな。そんで、同時に「害悪性を証明できないのにお気持ちで規制とかwwww」とかいう自由戦士も最初から不可能なのがわかってて煽りたいだけで言っており、人間性が腐ってるので議論をする気がない。
「害悪性の証明」などと言い出したら、性器丸出しの全裸イラストを駅に掲示するのだって、本質的には「何が悪い! 規制は悪!」ということになってしまうが、まあ9割以上の現代日本人はそれはさすがに直感的に受け入れられないと思う。受け入れられないよね? …え、マジすか? もし自由戦士が「それは法律で規制されているから客観的基準たりうる」と言い出すのなら、それは単にフェミの規制はムカつくが、お上の規制はしたがいます、という奴隷根性の表明であり、議論にならない。
結局のところ、「公共空間における表現の規制」というのは社会の構成員の心理的安全性を「できるだけ」守る、ということに尽きるんだよ。幼女やJKの半裸イラストが公共空間にあふれていることに、強いストレスを感じる人が無視できないレベルで存在し、該当エロ表現が誰かにとって絶対的に必要でない限り、それは考慮されなければならない。もちろん、権力によって規制されるよりは、公共空間の管理者が自主的に考慮するほうが望ましい。
「半裸にストレスとかフェミのお気持ちwwwww」という手合いには、たとえば「労働者は奴隷! 経営者は社員を生かさず殺さず搾取しよう!」とか、「オタクは社会の養分! オタグッズをつくって破産するまで搾取しよう!」というフィクションがマジョリティによって愛好され、日常的に町中に氾濫しているような状況を想像してみよう。たとえそれが実行したら違法であり、ただの表現ですよ、といわれても、そんな社会でノンストレスで安心して生きていけるだろうか。それはやはり、一人一人を尊重する民主主義社会において、公共空間で押し付けられるべき状況ではない。
自由戦士陣営は「公共」があたかも自然物のようにニュートラルにただそこに中立にある所与のものだと考えている節があるけど、あくまで人間の社会におけるある作られた空間であって、どこまでいっても具体的な人間が作り、管理するものなんだわ。だから、公共空間では誰もが無限に自由であってよいわけではない。他者の自由と衝突する自由は、人間たちの話し合いによって調整されなくてはならない。逆に、ヒステリック規制派は自明のルールが所与のものとしてあると当然に考えている。ルールは自然発生しないし相対的なので、対立する人間と対話しなければならない
まあしかしかといって、すべてのセクシー表現を町中から排斥するべきだとは俺も思わない。不毛な「お気持ち」論破は双方やめて、思いやりを持って落としどころを探るような議論がインターネットに表れてほしいと願っているよ。無理だろうけど。
クリュソゴヌーッス
そして、チャールズダーウィンの『種の起源』の初版が発行された日だから進化の日、らしいです。
進化って今時あるんでしょうかね。
ポケモンとかぐらいでしか見たことがありませんが、人間が技術力を手に入れて服を加工したり必要な道具を作ったりすることは進化なのでしょうかね。
まぁよくよく考えればとんでもないことをしてるから進化といえば進化かもしれませんが。
まぁそれでもスマホの使いすぎで手にタコが出来てたりするのも進化かもしんないですね。
とはいえ時代の潮流に呑まれすぎないようにニュートラルであることを求められすぎる現代において多少なりとも体に癖が付いていた方が生きてきた証を体感できるようでいいのではないでしょうか。
変に癖がついて実は大病でした、とか笑えないもんな。
ということで本日は【定期的な検診よいか】でいきたいと思います。
定期的な検診よいか!定期的な検診ヨシ!
なんだっけ。忘れないうちにメモ。
最近、ゴッホの絵画など芸術作品にトマトスープをかけたり、ウォーホルのアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激な抗議活動が耳目を集めている。
ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。
もちろん許されない犯罪として国内外で報道されているわけだが、しかし、海外のメディアでは、テロという表現(ラベリング)は少なく、抗議団体が自称するCivil resistance(市民的抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道はニュートラルに構えているのだろう。
そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人の想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285
しかしそもそも、テロという認識が日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。
https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/
そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代の人権の歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムにビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動家グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャスト・ストップ・オイルの活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースのインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイルを選択した理由を次のように説明する。
「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たちの優先順位が絶対的におかしいということを言いたいのです。アートに美を見出し、ギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」
アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である。
この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。
アリストテレスの時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨を理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。
これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館が環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。
そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。
しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。
おおざっぱにいうと、日本人は経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉の定義から始まり、指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人の自分からみると)。
一方、構造化された概念、ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモや過激な運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念がオルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。
そのもうひとつの理由が、市民的不服従という考え方や人々の認識の違い。
欧米では、恐らく日本人が想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体の価値を社会変革のダイナミズムとして認めている。
それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動の趣旨は理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。
この違法性というのは、実は重要な視点。それを理解するには、市民社会を根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。
近代から現代へ20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。
日本の学校では昔から、社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。
しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。
他者危害禁止の近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗の暴力性を認める市民権が存在する。
考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的に憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命のトリガーになりかねないボトムアップの暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府がおかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚を絶妙なバランスで持たせる機能を果たしているともいえる。
マルクスの時代、そしてワイマール憲法の時代、社会権を育んできた思想運動や社会の歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗の暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗の暴力は資本主義社会のなかで、たまたま労働がキーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマはシステムにビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日のSDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。
なので、抵抗の暴力が労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメントの市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。
ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。
一方日本では。
「労働」というキーワードで戦後、日本ははじめて市民的不服従の権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代の要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈。
しかし、その権利の過激な行使は、1950年代から60年代、大衆の心を猛烈にイラつかせた。
日本の高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。
民間では、1960年の三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社は家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争やストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらにベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼の政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。
国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会に迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれた暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識が支配的になるきっかけだったんだろう。1973年の最高裁は、それまでリベラルと保守の裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社の民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争の旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。
ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従の暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。
その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。
例えば、正規雇用、非正規雇用のギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップに非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法をさらにメタな視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。
歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタな視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権の普遍性や憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法の思想の根拠はと問われたときにフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思の議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションのオーナーシップの違いとも思える。)
欧米の環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。
既存の規範に書いてないものであっても、新たなムーブメントの意味を真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。
そのムーブメントの暴力性を違法と認識しつつも、時代のダイナミズムとしてとらえようとする、というか。
繰り返すと、
・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。
・憲法など国の根本的なシステムのアップデートするのに必要な社会のダイナミズムへの関心の低さ。
この二つをひとまとめにして、斎藤幸平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的に重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。
野球はラジオ中継に向いているスポーツで、サッカーはラジオ中継に向いていないスポーツ
って誰かが言ってたのを思い出した
野球は「静」の場面がニュートラルで、投げたり打ったり走ったりの「動」のシーンがたまに発生する
なので「静」のシーンで試合状況を解説しやすい……というのがそれを言っていた人の理屈だったか
サッカーは基本的に常に試合が動いている「動」の場面がニュートラルで、たまにボールが線の外に出たりファウルだったりで「静」のシーンが発生する
常に場面が動いていると解説を挟むタイミングがない、と言う理屈だったかな
なんかとってつけたような理屈に聞こえて、ほんとかよそれって話だと思うがね
それ言ったら競馬とかラジオ中継やってるじゃん、あれなんか「動」しか存在しないだろって反論思いつくし
いや、パドックは「静」か?
テレワーク中、少人数のミーティングで上司Aに小言を散々言われた挙げ句、「なんでそんなことも分からないの」と言われた。
朝会でも度々あったことだけど、今回は辛くて涙がボロボロ溢れてしまった。嗚咽もしそうになったので急いでミュートにする。
その後数分経って、その上司Aが「そういえば増田さん、最近XXってXXだよね」と世間話を振ってきた。
私の思う「普通の神経」ではどういう情緒??????と思ってまた辛い気持ちになったけど、面倒くさいだと思われたくなくて「え〜そうなんですか!知らなかったですー」とかニュートラルなノリで返してしまった。
ミーティングが終わると、もう全部嫌になって過呼吸になるほど泣いた。
そしたら、夫(優しくて人間ができている)が背中を擦りに来てくれた。
のに、パニックになってすごい剣幕で「うるさい!」と言ってしまった。
しばらくして我に返って「ごめんなさい」と謝ったけど、嫌いな人に気を遣って好きな人に悪態をつくの、完全にアダルトチルドレンです本当にありがとうございました
仕事やめたい、というか上司Aから離れたい、が、プロジェクトの境目がまだ先なのですぐには変われなさそうでしんどい。
親が病気で度々帰省しないといけないけど、そのへん理解してテレワーク柔軟にやらせてくれるのがうちの部署ぐらいしかない(と思われる)から異動もし辛い。
はあ
anond:20220924123746 の続き。
前回は嗜好面の特徴を書いたが、ポリティカル的な特徴も書いておこう。なおサンプルは二けた以上とだけ言っておく。
Z世代は何かをやろうとしている人を上に見る傾向がある。綺麗事や机上の空論は好まず、とにかくアクションとファクトを求める。逆にやろうとしている人に対して強く非難する人を嫌う。Z世代が左派野党を嫌う理由の本質はここにある。「口しか出さない人」を嫌うのだ。大人になる前からハラスメント教育をあちこちで受けていて、「面前で人を批判する」ことは内容にかかわらず悪であると刷り込まれているのも大きい。
これはよく言われる特徴である。オウム事件などをリアルタイムで見ていないのもあるが、意外とZ世代の周辺にカルト2世の同級生が居たりする。彼らは無理に勧誘して来ずに普通に過ごしているので拒否感を覚える機会がないのである。
上記2点の特徴が合わさったものである。従前から某カルト系(統一教会ではない)が強い学校部活動のジャンルがあるが、Z世代の同部活動経験者の大半はその学校や団体、および所属メンバーを崇拝している。「カルト宗教の広告塔であるから何?素晴らしい成果を見せれば問題ないじゃないか」という考えなのだ。
増田もそのジャンル出身の人だが、ここ数年、沢山のZ世代の人から「某カルトを批判する人達がうざい。直接被害食らっているのならまだしも、そうでない人がうるさく言うな」という類のフレーズを聞いている。直接被害を受けていないのなら、という但し書きがZ世代の考え方の特徴を表しているともいえる。
もちろん統一教会に対しても批判的ではない。それどころか「教団の人がマスコミや氷河期世代以上のおっさん達に叩かれて可哀想」と言っている人がそれなりにいる。
仮に統一教会がこの部活動ジャンルに手を出して来たら、一気に統一教会崇拝が起きる可能性すらあるのだ。既にニュートラルではなく同情的なポジションに居るし、ちょっとお金かけて全国レベルの団体を作れば・・・
前者はメディアでも報じられている傾向であるが、その結果後者の考え方が増えている。30代と比べたら3割くらい多いだろうか。キャリア志向が弱いので、キャリアを捨てて専業主婦になる事に対する拒絶感が無いのだ。しかも「お金持ち捕まえて専業主婦ライフ満喫♪」というお花畑志向ではなく、「つつましく暮らして子供育てよう」くらいの現実的志向である。統一教会と日本会議が望む家族観が既にZ世代の中に浸透しているのである。ちなみに近年、20代中盤の出生率が僅かながら回復傾向にあるが、この結果だろう。
次の世代に期待しよう。
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ニュートラル傾向だけど全帯域質感良くてオーディオマニアなら唸るはず、構成的にはベリリウムコートの6mmDD。
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