はてなキーワード: インディーズとは
昨日ワールドビジネスサテライトでインディーズゲーム特集をやってて見ていて、camel504さんという個人のゲームクリエイターをふと思い出して調べたら自殺していた様子。
http://camel504.tumblr.com/post/154549994413/%E9%81%BA%E6%9B%B8
http://camel504.tumblr.com/diary
2016年12月に自殺をほのめかす日記を残して以後痕跡なし。文量からしてマジっぽい。
VITAで出てた彼の作品 https://www.youtube.com/channel/UC7aHko_gDiORVWSlrigfwaA The Crowが好きだった。
少し前はVITA Play Station Mobileっていうアプリストアみたいなミニゲームの配信販売所があって、これを使って彼はゲームを販売してた。
Play Station Mobileは2015年11月に終了したので、いまとなっては彼のゲームを遊ぶ術はない。
自殺の理由はお金の問題ではないように思えるけど、それでも彼がゲームを色々なところで売って作風に注目がもっと集まってたらどうなってたかなとは思う。
アイドルマスターsideM、TVアニメ化おめでとうございます。ファスライのチアリングから現場に参加するようになり、セカライLVで発表の瞬間に立ち会ったのがついこの前のようだ。正直アニメ来年の冬だと思ってたよ。それどころか本家の他にもう一つゲームがリリースされるなんてびっくりだ。セカライでのガミPの挨拶を思い出しつつ先行上映会行ってきました。(エントリー投稿は関西圏でのTVでの放送終了を目処にしてます。)
sideMからこのアイマスの世界に触れて、ほかはデレステをゆるゆるやってるくらいのまったりしてる身なので、正直765のアイドルの子たちを殆ど全く知らなかった。(さすがに天海春香の名前は知ってたが)それでも皆が可愛くてかっこよくて、映画始まってすぐに、キラキラした春香さんたちに惹かれた。(数日前にやっていた一挙放送を一部見ていたので、「頑張ります!」って言葉を聞くと卯月ちゃんを思い出して心配で胃がちょっと痛かったし、雨で濡れた窓ガラスが春香さんの涙の代わりとなって流れるあのシーンにだいぶやられた。見事な演出だったが彼女らの事を思うと思わず変な声が出そうだった。当時劇場で見た先輩Pたちの心境は想像を絶する)
こんなに頑張ってる765の子たちの前にライバルとして現れた男性アイドル。そりゃあ、なかなか受け入れてもらえないだろう。当時のことは調べて出て来るページを読むことしか出来ないが、良くは思われないだろうな、とは想像がつく。だけど、Jupiterを諦めないでいてくれた関係者の方、そして先輩Pたちのおかげで今に繋がった。Jupiterがいなければ315プロダクションのアイドル達はきっと日の目を見ないままだっただろう。大好きな担当と出会えたのも、7年前から今へと繋いでくれた人がいるから。だから彼らは特別だ、と、個人的には思っている。
そんな3人の移籍までを描く、ということもあって、「輝きの向こう側へ」に感動し泣きながらエンドロールを眺める傍ら、緊張で喉も乾いていた。しんどい。アイドルしんどい。でもカッコイイ。
そして始まった「Episode of Jupiter」。40分とは思えない密度に制作陣の本気を感じた出来の良さだった。運良く2回先行上映に行けた中で、冬馬と「おとな」たちについて(記憶のある範囲で)書いておきたい。
※以下ネタバレ含む
1)冬馬と北斗
…Jupiterの3人は翔太(14)、冬馬(17)、北斗(20)と3つずつ歳が離れているので、必然的に冬馬は「こども」(翔太)と「おとな」(北斗)の真ん中になる。Jupiterのリーダーとして二人を率いる姿は非常に格好良くて頼もしいが、まだ出来ない事もある。懲りずにやってくるスカウトマン達の対応や事務関係の窓口は北斗が主に請け負っていたが、冬馬の表情はそれを良しとしていないのがありありと伝わってきていた。
業界大手の事務所で結果を出していたJupiterは、恐らく結構な収入があった筈で、インディーズになっても資金の方では困っていなかったのでは、と思っている。何故なら彼らは「お金に困って」活動をしていたのではなく、「自分たちを応援してくれるファンのために」動いていたから。「年齢」がネックになって思うように動けない冬馬は、「3人の中で俺が一番年上だからね」と、なんでもないことのように(そしてスマートに)面倒な仕事を引き受ける北斗に対して、恐らく多少なりとも申し訳無さを感じていただろう。「出来ることならなんでもやるから言ってくれよ」と、やや切羽詰ったような表情と声音の冬馬からは、自分たち3人の誰か一人が重荷を背負う事になるのを絶対に良しとしない、リーダーとしての意地も感じられた。
(ところでこの3って木星の環にかけてるのかな。黒ちゃん結構ロマンチスト…)
…この項目は個人的な推測を多く含むので、過去アイマス2を筆頭にゲームをプレイし、今までの刊行物を網羅している先輩Pからすれば間違っている箇所もあるかと思う。どうぞお手柔らかにお願いしたい。という前書きは置いといて。
アニメの黒井社長はやり過ぎだったけど他媒体ではあそこまでひどくないんだよ、と幾つか話を聞いたのと、コミカライズにて「天ヶ瀬冬馬は頂点に立つ価値がある」と父親を説得したらしいことなどを踏まえての話。先に離反シーンを見てしまっていたのでどうにも悪い人の印象が拭えないが、エムステで冬馬をデスクにした際のセリフや、そもそも3人が961でJupiterとして活躍している時でもあまり天狗になっていなかった辺り(※ドラマCD聞いた)、根っからの極悪人ではないのか?と。媒体によって「悪人」度合いに結構な差があるそうなので一概には言えないが、父親と離れて暮らす冬馬にとっては、「親代わり」とまではいかなくても、「認めてほしい大人」のひとりだったのではないだろうか。だから裏工作の件も、単純に許せなかったのは勿論のこと、「そんな事をしなくても自分たちは実力をつけてきた(し、それを認めてくれ)」という気持ちもあったんじゃないかな、と思う。実際、自分が見つけてきたアイドルの原石を何が何でもトップに、というのは、マネージメントする側としては間違ってるとは思わないので(手段がダメだが)。
ただ、自分の事を見つけてくれた人間と決別しなければいけないというのは、やはり何かしら精神的に傷が残ってもおかしくないんだな。ということで次。
…961を辞めてからJupiterは1年(!)もインディーズ活動をしていた事が物語冒頭で明かされる。ライブに協力してくれたスタッフたちを労うシーンのすぐ後、充実感・達成感をぶち壊すように現れるスカウトマン達の群れ、一方的に告げられる待遇や金銭の話。
正直、劇中でスカウトマン達をあしらうシーンが見ていて一番辛かった。なるべく荒立てないように言葉を選んでいる北斗と、そんな事など気にも留めないまま話を進めてくる人々。「一線」を越えてしまった後、何の合図もなしに現れて無邪気な笑顔のまま拒否を示す翔太、そしてダメ押しで追い返す冬馬。この1年、数え切れないくらいこんな場面があったのだろう。3人でJupiterを守ってきたのだろうなと思わせる、熟れてしまった連携プレイ。…胃が痛い。
冬馬の周りにいる有象無象の「おとな」は綺麗に二分されている。自分たちを食い物にしようとする汚い「おとな」と、協力してくれる「おとな」。Jupiterのリーダーとして、きたない「おとな」には真っ向から対峙する事で対処できるが、個人的には、協力してくれる「おとな」に対しても、どこか申し訳無さはあったように思う。というのも、味方になってくれるスタッフたちが「格安で」仕事を引き受けてくれているのだと翔太との会話で出た時、冬馬の表情はあまり明るくなかった。間違っても「安く済んでラッキー」とは思っていない。
思うに、961時代に良い環境でアイドル活動をしていたのだから、スタッフの質と、もしかすると「見合った賃金」くらいは分かるようになってたのではないだろうか。いい仕事をする人間には相応に対価を支払うべきである、と、学んでいたのではないだろうか。それを「Jupiterのファンだから」との一言で気前良く引き受けてもらっている現状は、金銭よりも「パフォーマンス」と「信頼」が勝っている関係だ。ただ「プロ」である以上、満足はしていなかったと思う。(勿論、翔太と北斗も)
以上の事に加えて、冬馬は一人暮らしである。母親とは死別し、父親は四国に単身赴任中。当然、家に帰っても誰もいない。これは相当キツかったんじゃなかろうか。甘えられる人が傍に居なかったのだから。
…齋藤社長の登場から、3人は一気に表情の幅が増える。絵に描いたような神出鬼没っぷりと、ゲームで知っていた以上にパワフルさ溢れる社長に北斗でさえもたじたじだ。しかし社長は他のスカウトマン達と異なり一切金や待遇の話をしない。それどころかライブ準備を手伝い、3人の仕事現場へも顔を出す。「Jupiter」のネームバリューと生み出すお金に惹かれた有象無象のスカウトマン達とは異なり、きちんと仕事内容を見た上でスカウトを続けた。
(余談。いつもシルエットの社長だけれど、そういえばこのポロシャツどこかで見たな…?と思ったら、本家のスーパーライブ・フェス2015の雑誌で出てた。気づかなかった…)
最初こそ戸惑っていた冬馬も、社長が他とは違うことを感じて真摯に向き合う。「あんたは悪い人じゃない」。それでも冬馬はどこにも所属しないのだと告げる。
単なる意固地ではない。リーダーとしての責任やファンへの思い、これからの活動など沢山の要素が絡み合っている中で、また誰かを「信じる」ことが怖かった筈だ。3人が互いを支え合うことで表面化していなかったけれど、傷ついていなかったはずがない。
社長がそこまで見抜いた上でスカウトを続けていた事に驚いた人、多かったのではなかろうか。そして、その後の315Pにも。
今回のチアリング上映で、何故「輝きの向こう側へ」と同時だったのか。勿論あのシーンがメインだと思うが、この場面でも大いに意味があったと思う。劇マスがアイドル達の「ただいま」から始まり、最後また日本に戻ってきたバネPに対して「おかえり」と出迎える所で終わる。対してライブハウスで活動を続ける冬馬たちは、時間がきたら場を去らなければならない。いくら「いつも使わせてもらってるライブハウス」であっても、そこは拠点にならない。改めて自分たちの現状を確認した上で、帰る場所のない事は重く響いていただろう。
だけど、そこに315Pがやってきた。それも遅い時間、全速力で息を切らして。齋藤社長と315Pだけは、Jupiterをスカウトする上で「誠意」「誠実さ」を忘れなかった。この7年、Jupiterを信じて待ち続けた「こちら側」のプロデューサー達を劇中に投影させるなら、これほどぴったりな性格はないだろう。
Jupiterのために扉をあけたシーンがあったのは、315Pただ1人だ。
…物語の終盤、渋滞に巻き込まれた為315Pの到着が遅くなることを聞かされた冬馬が「しゃーねーな」と言う横で、翔太が彼をからかうシーンがある。
「冬馬くん、ほんとあの人のこと好きだよね」
「! お、お前だって妙に懐いてんじゃねーか」
「うん、あの人いいよね」
素直に好きだと言う翔太に対して、冬馬は指摘された時に顔を真っ赤にしている。けどその前に、Pの姿が見えない、と、3人で事務所内をキョロキョロと見渡す箇所がある。たぶん、この前日譚で3人が自分たち以外を探したのはここが初めてだ。探す相手ができたこと、帰ってくる事務所ができたこと。
信頼できる「おとな」と出会った彼らの物語は、ここからまた始まる。
**
961時代、王者でなければ生きている価値がない、と教えられてきた冬馬は、315プロダクションに移り、そしてソロで「HAPPY×HAPPYミーティング」を歌った。「meet」(知らない人と出会う)も「meeting」(会議・集会・大会)も1人では出来ないことだ。「向き合ったみんな」が手にする輝くサイリウムに導かれるまま、冬馬は、Jupiterは、そして315プロダクションは、未来へと進んでいく。
タイトル通りです。
正しく言うと、メジャーデビューできる『選抜メンバー』に選ばれませんでした。
この記事はオタクの戯言を書くだけで、特定のグループ名は出しませんが分かる人が見れば分かります。記憶違いや私の個人的な思い込みとか主観ばかりなのでもうめちゃくちゃです。
生まれて初めてアイドルを好きになりました。ジャニーズJr.のようなグループです。
これまでアイドルなんて無縁だった私にとって突然の沼落ち。
でも、私の推しは決して王道系アイドルじゃないし、グループに入ったのは後の方で、人気がとてもあるわけじゃない。
ソロパートが沢山貰える分けでもなく(むしろ貰えることがほぼない)、いつも後ろで踊ってる。ファンとの交流でも自分から積極的に沢山話せる訳でもないしリアコ対応をする感じでもない。学業との両立もあって、イベントに沢山参加できるわけでもありませんでした。(当時)
それでも、私は推しが好きでした。これまでも、きっとこれからも大好きです。
推しを応援している間に沢山のお友達もできました。同担、他担と様々。現場に行けば友達がいる、友達に会いたいからイベントに行くという日もありました。
なんとなく、ずっと楽しい日が続くような気がしてイベントに通ってました。そりゃあもちろん、メジャーデビューしてほしいという思いもあったし、いつかできると信じていました。決して人気があるグループとは言えなかったし過疎りまくっているイベントも多くて……でも兄貴分グループのバックだけじゃなくて彼らだけのイベントも沢山増えてきて、メジャー流通シングルも出すことになって、もうすぐデビューできるんじゃないかとファンの間でも噂されていました。
これからも全員でライブをやっていきたい、メンバーがそう語る中で、選抜メンバーでメジャーデビューすることが決まりました。もう意味が分かりません。『選抜』?
推しはきっと選ばれない。直感でそう思ってしまいました。でも、心の中でもしかしたら選ばれるんじゃないか、もしかしたら選抜といいつつ全員デビュー(ユニットを分けてとか)できるんじゃないかと考えている私もいまし。
まあ、現実は甘くなく推しは選抜に選ばれませんでした。選ばれるであろうメンバーが選ばれなかったりとファンは大混乱。メンバーがオタクに気を使って一生懸命言葉を選んでいるのを見ることがとても辛かった。でも、選抜メンバーの発表とともにメジャーデビュー組はレギュラーも発表され明るい未来が待っているように見えました。
不安を抱えつつ、今までと変わらず全員で活動しているメンバーを見ていたら、もしかしたらユニット的なものでこのまま全員で活動してくれるのかなと淡い期待を抱いたりもしました。今思うと何あまっちょろいこと考えてんだって感じだよね。
これまで一緒だったブログは分かれることになり新しいブログができました。公式HP、Twitter、色々なものが新しくできました。アー写も変わりました。新しい衣装に身を包むメジャーデビュー組、彼らがいなくなってしまって殺風景になってしまったインディーズ組。
リリイベにはインディーズ組も参加しています。『自分たちの代わりに先にデビューして頑張るメンバーを応援したい、力になりたい』彼らはそう言いました。
推しに会うために推しが歌わないCDを沢山買いました(MVには少しだけ出ているけどその発表が死ぬほど遅かった)。
そして、そのうちイベントも別々に行われるようになりました。もう、彼らがメジャー組と一緒に歌うことができるのはあと何回なんだろう。
オタク同士の人間関係も少し変わりました。グループが分かれたことにより現場が被ることが少なくなって疎遠になった子も、辛いとオタクを辞めた子もいます。
とんでもない回数のリリイベをこなすメジャーデビュー組、死ぬほど頑張っている彼らを見るファンの子からみたらデビューできなかった子達はどう見えていたんだろうな。『○○のファンはお金かからなくていいよね。』きっと彼女の言葉に悪意は無かったんです。毎日のリリイベでオタクも疲弊しての本心だったと思います。『私の推し稽古しかしてないんだけどww』笑って推しを貶して、その場を乗り切って、何をしているんだろう。
正直、なぜ彼らがデビューできなかったのかを感じることもありました。でも、毎日のように稽古して、彼らの中で話し合って、自分のキャラを模索して、少しでもファンの子を楽しませるにはどうしたらいいかと考えて、一回一回のイベントを一生懸命こなしている彼らを見ていたらファンとして一回一回全力で応援するしかありませんでした。
ある日のイベントでメジャーデビュー組が沢山ある新しいレギュラー番組や次のイベントについて話していました。そんな中、ずっと前を向いている子、下を向いている子、コソコソと横の子と話して顔を曇らせた推し、それを見たときなぜが涙が止まりませんでした。私はファンとして何をしてあげたらよかったんだろう、何をしたら今彼らにこんな表情をさせずにすんだんだろう。
どんな気持ちで彼らの後ろで踊っているんだろう、彼らにエールを送っているんだろう、ブログを書いているんだろう。
グループが分かれてから人数が減って、今まで後ろで踊っていることの多かった推しがインディーズ組のイベントではメインで歌うことが多くなりました。司会として場を回すことも多くなりました。1人1人が自分について話すことも多くなってこれまで知らなかった彼らについて知ることもできたし、少しだけ本音を漏らすメンバーもいて。
彼らはデビュー組に負ける気なんてありません。自分たちだって前に進んでいる、目指すものは同じだからこそいつか頂上でまた会える。
彼らは私みたいな器の小さいオタクとは違ってずっとずっと大人で、前を向いていたんです。
デビュー組が華やかなデビューを飾ってから少し経ったある日、彼らがインディーズでCDを出すことになりました。
推しにソロパートがあります。これまでソロパートがなかった子にソロパートが割り振られています。以前よりもとても綺麗な歌声、きっとこれまでの稽古の積み重ねの結果です。
新曲のダンスのラストには『応援しているファン』のスペースが空けてありました。
ただただ、涙が止まりませんでした。ファンである自分が勝手に焦っていたんです。私の大好きな推しはずっと魅力的なままで、選抜に選ばれなかったという現実を受け止めてしっかりスキルアップして歌って踊っています。そして自分たちを応援してくれているファンのことも何よりも大事に思ってくれていました。
だから私も彼らを、彼らのこれまでの努力を信じなければいけません。
いつか推しがデビュー組のように華やかな舞台に出れるように、一ファンとして少しでも貢献できますように。
多くの人を魅了するボーカリストなるという夢、叶えてね。
俺の夢が叶わないのは誰のせいでもなく俺がダラダラと生きてきたせいだよ!
インディーズなのにメジャーバンドで皆からチヤホヤされ放題の奴らは結果を出さないクズに本当に容赦がなくて最高だぜ!
いつだってそうだ!
弱い奴の味方をしてくれる強い奴なんてどこにもいないんだ!
強い奴は自分の弱さすらも強さに変えて生きてきたからただ純粋に弱い奴なんかとは全く違う生き物なのさ!
畜生が!
俺の味方は役立たずのゴミばかりだ!
現実で誰かに弱さを見せて誰かの弱さを認められたりなんてしねえ!
必死に弱いのを隠すのに精一杯でそのために弱い奴らを馬鹿にして生きてるクズだ!
そんな奴が夢なんてかなえられるかよ!
畜生!
俺の最大の敵は俺だ!
だけど俺が俺の敵になった時点でもう俺の負けだ!
もうこの人生に勝ちはねえ!
価値はねえ!
親父ギャクがつまらねえ!
親父はつまらねえと思って生きてきたがアイツら本当に立派だったな!
俺はつまらねえし役にもたたねえ!
ギャグにもなってねえ!
助けてくれ!
俺は俺を救いたいけど俺が俺を救う方法が俺には分からねえから俺は俺を救えないで今日まで来たんだ!
でも俺が俺を救いてえんだ!
ここまで来て今更誰かにアッサリ救われたりしたら俺にとってすら俺が役立たずのまま終わっちまう!
助けてくれ!
俺が俺を助けるのだけを助けてくれ!
いきなり俺を助けないでくれ!
俺を助ける俺を少しだけ助けてくれ!
畜生!
何が言いたかったのかもう分かんねえ!
分かんねえよおおおおおおおお(泣く
と思っていたのですがね。
それは置いといて、最近って独立開発系のゲームが賑(にぎ)わってませんか?
前から面白いインディーズゲームは沢山ありましたが、質と量が加速し続けていよいよピークに到達したのが今だと思うのですよ。
娯楽の歴史から見た経験値的にここから3年ぐらいするとレッドオーシャンによる共食い現象で緩やかな衰退が始まると思われ。
おっとここで使う経験値は次のレベルになるため殺すべきスライムの数を意味する経験値ではなくて、今までの経験則から推察される値という意味の経験値ですぞ詳しくはググってくだされ。
おっと拙者としたことが話が逸れてしまったで御座(ござ)るフォカヌポウ(核爆)
昨今(さっこん)のゲーム開発はリッチになりすぎたと言いますが、面白インディーズゲーがぽこじゃか産まれている事を見るにそれは一面的な見方をしているのだと思います。
ゲームという単語の枠組みを小さく捉えすぎていると言いますか、グラフィックが綺麗でTVCMがじゃんじゃんばりばり流れているゲーム以外の存在を見落としているのではないでしょうか。
ですが、DQとFFとマリオにしか興味がない人達はそれでいいのかも知れません。
そういう世界からわざわざ出てくる必要がない……というよりもいくつもある他の世界を主に生きていてそこで別の娯楽や人生を楽しんでいるのだから、時折しかやってこないゲーム世界の事なんて詳しく知らなくてもいい……というので何の問題もないのかも知れないです。
でもそれがゲームの全てだよと教えちゃうようなニュース記事はノーサンキューですね。
そしてそういったノーサンキューな記事に踊らされておきながら俺ゲーム詳しいんだぜと思い込んじゃう大人キッズもノーサンキューであります。
何の話だったんだコレ。
雑に纏めると「ゲームの可能性を感じる道としてのフリゲは今でも健在だし、インディーズもいい感じですよ」という世界。
最後になるけど、具体的なゲーム名挙げろって定番のツッコミはあえてのスルー。
カラーっていうかこちら側の属性はこういう物だと決めつけられてしまうような色眼鏡の材料っつーか。
俺と好きなゲーム似てるからこの人はセンスいいぞー、とかそういう眼鏡をかけて読んで欲しくないのよね。
なんかドット絵=無条件にすごいみたいな奴みる。レトロゲー懐古だろうか。
確かにメタスラのドットは芸術レベルにすごい。無駄に書き込まれてるし、壊れる時のアニメーションもしっかりとコマで確認すると「すごい」と小学生並みの感想ばかりがでる。
でも、そのすごいのって当時の性能の低いコンピュータで動かせられるように作り込んだから凄いのであって、正直、今のコンピュータの性能だと3Dモデルがアニメのように動く現代ではそんなにあえてドット絵に拘る必要はないんじゃないかって思う。
あきまんが「ドット絵なんかやらないですよ、なんで過去に引っ張るんですか」って言った事がある。
ソース:https://twitter.com/akiman7/status/632143206801502209
概ね同意できる。
ドット絵は技術であった。美麗なイラストを取り込むことができない昔に、性能を見極めて表現する「技術」であった。
いまのドット絵は技術ではない。目的だ。ドット絵で表すことが目的になっている。そしてドット絵であれば「ドット絵なので雰囲気がいい」と言ってしまう輩もいる。
今日、応援している声優さんがお誕生日を迎えられたので、初めてTwitterでリプを飛ばしてみた。
できるだけ目立たないよう、当たり障りのない言葉を選ぶのに一生懸命になっていたら30文字程度なのに10分もかかってしまった。
けど、送れた。緊張した。
沢山のリプが来ているから、きっと埋もれてしまうだろう。表示数の上限とかに引っかかって見れないかもしれない。
けど、それでいいと思う。
それでいい、という事にしたい。
私は、その声優さんに関してはライトなファンでいたいと考えているからだ。
私がその声優さんのファンになってから、まだ1年も経っていない。
中高生の頃はアニメをよく見ていたけれど、2次元は随分とご無沙汰だった。
ジャンルはぼかすが、お笑い・舞台・アイドル・バンドなどの「ステージを観に行く」系のものだと思ってほしい。
元々高校生の頃からそのジャンルのファンではあったのだが、大学生の頃にとある人に興味を持ち、その人を目当てに見に行く回数が増えていった。
Aの規模は決して大きくない。
「若手」とか「マイナー」とか「インディーズ」とか、そんな感じだと思ってほしい。
aさんと出会うまでは同じジャンルでももっと規模の大きなところに通っていた私は、Aでカルチャーショックを受けることになる。
距離の近さだ。
小さな会場だと、一番後ろでも表情がわかる。目が合う。
Twitterでリプを送ると反応が返ってくることがある。
そしてそういう事を繰り返していくうちに、相手に自分を覚えてもらえる。
自分の存在が相手に影響を与えているということがあんなに嬉しいとは知らなかった。
そして、そういった体験は私をどんどんaさんに夢中にさせていくことになった。
当時を振り返って、私がaさんという「沼」の深みにはまってしまった原因はなんだったんだろう?と最近考えることがあったのだけれど、決定打(致命傷というべきか)を与えたのは「チケット」かもしれない。
私は、チケットを取るのが上手かった。
なのでいつ買っても良いのだが、同じ席種のチケットでも優劣があるのは良く知られている事だと思う。
座席が決まっているものでも整理番号入場で自由席でも、基本的には先着順で良いチケットは無くなっていく。
そしてそれは運の要素ももちろんあるのだが、先着順で先頭になるテクニックというものが存在する。
決して特別なことではないのだが、私はそれをするのがどうも一般的な人よりは上手かったらしい。
Aの公演に通い始めてしばらくして、初めてチケットの発売日にチケ発をしたら最前列でみれるチケットが取れた。
本当に特別な事はしていないので驚くと共に、私は不安に襲われる。
どんなジャンルでもそうだと思うのだけれど、最前列は熱心なファン、「強火」なファンが多いものである。
そんなファンの中に、まだにわかな私が入っていっていいものなのだろうか。
いじわるをされたりしないだろうか。
遮るもののない視界。
手を伸ばせば届きそうな距離。
やっべちょうたのしい。
こうして私は、だんだんと公演を見に行く回数が増え、「前方で見ること」にこだわるようにもなっていったのだった。
それから1~2ヵ月経つ頃には、一般的に「追っかけ」というレベルになっていた。
公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。
地方の公演にも行くようになった。
出待ちも毎回するようになった。
そうするうちに、aさんもAに所属する他の演者も私の事を覚えてくれて、お互い軽口を叩ける位の関係性になっていった。
そうなるともうやめられない。
結果として私は、1年間に70~80公演、イベントも含めると100回近く、それくらいのペースでaさんに会いに行くようになった。
どんなに時間や体力や懐が厳しくても、会いに行くことをやめられなかった。
1~3年目は大学生だったので、公演がない日は隙間なくバイトのシフトを入れ、単位を落とさない程度に授業に出ていた。
キャリーバッグを持ってバイトに行き、終わり次第夜行バスに乗って地方公演に行ったり、
地方公演に行った後空港で徹夜して、始発の飛行機で戻りそのまま大荷物で大学に行ったりとなかなかアグレッシブだったと思う。
しかし、結局就職先が決まらずにフリーターをしながら資格の勉強をする道を選ぶことになる。
名前が書ければ入れるような大学ではなかったことと、その年の就活事情が「氷河期よりひどい」と言われるレベルだったことを一応言い訳させてほしい……首都圏で大卒初任給額面15万(残業代出ない)の求人を蹴ったのは間違いではないと思うんだ……。勿論私が追っかけにかまけて就活を真面目にしていなかったことが一番の原因なのだけれど。
何となく察していらっしゃるかと思うが、フリーターになったことで追っかけはとてもしやすくなった。
よく働いた。そして給料は全てaさんのために。
2年後にようやく就職するまで、私は大学生の時以上に追っかけに精を出すことになってしまったのであった。
なお、資格は3ヶ月で諦めている。費用は全て自分持ちだったので勿体ないことをした。どうせならその費用を追っかけに使えばよかったと未だに思っている。
aさんの追っかけをしていたのは正味5年間くらいだと思うのだけれど、その内4年間くらいはずっと「強火」だったんじゃないだろうか。
さっき、「公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。」と書いたが、前方数列以内では基本的に満足せず、最前列をいつも狙っていた。
理由は色々ある。
誰よりも近くで見たかったし、他のファンが目に入るのが嫌だった。
それに、最前列にいると「誰よりも近くにいる」という優越感も出てくる。
中にはAの他のファンと結託してチケットを取っている人たちもいたから、その戦争に打ち勝ち最前列を勝ち取るのは大変だったし、自力で良いチケットを取って最前列でみれたはいいものの、他のファンから嫌がらせを受けて楽しめなかったりもした。
それでも、私はaさんを近くでみたかったし、元来勝ち気で負けず嫌いな性格なので嫌がらせなんぞに屈する訳もない。
むしろ火がついてより一層チケット取りに力を入れることになる。
テクニックで取れる先着順のチケットも、万全を期すために代行業者に頼んだりした。
手売りのチケットで順番がランダムになっていた時は30枚、50枚、100枚と良席が出るまで買い続けた。(流石に毎回は出来ないが。)
余ったチケットは定価か定価以下で譲りに出していたけど、譲り先が決まらなくて手元に結局残ってしまったことも少なくない。
今でも実家を掃除するともぎられていないチケットの束が出てきたりするのはそのせいだ。
私が100枚買ってもチケットが完売しないような状態だったから、きっとAにとっては良いお客さんだったろう。
おかげでAの演者たちから、私はそれなりに気に入られていたと感じている。
まあ、客だから悪く扱われないのは当たり前なのだけれど、他の「強火」のファンの中には割と問題児もいたりしたので「相対的に」ということだと思ってもらえればいい。
その問題児についても沢山書きたいことがあるのだが(なんせ面白い話が沢山あるのだ)、長い話になるため、まだ本題にも辿り着けていない今回は自重したい。
「詐欺」と「下肢静脈瘤」と「亀によく似ている」いうキーワードだけ置いておくのでもし増田でいつかそんな記事を見かけたらその時は宜しくお願いします。
話を戻す。
私はaさんから、他のaさんファンと比較して1番良い扱いを受けていたと思う。
「相対的に見てまとも」
「他のファンと揉めない」
「毎回来てくれる」
「チケットを沢山買ってくれる」
これなら気に入られるのは当たり前なんだけれども。
当時の私も、その事は理解していた。
やめてしまえば、今の「特別扱い」は無くなるとわかっていたからである。
私はそのポジションを守るために必死だったから、やってみて評判が良かったことは続けるようになってしまった。
チケットは、もう良いチケットを確保していてもまだ沢山残っていたら追加で買った。
差し入れは、たまにaさんだけではなく他のAの人にもさり気なく配って他の演者達からの評価も下げないように気をつけた。
出待ちで自分が話す時間が無くなっても、他のaさんのファンの子を「話しに行っておいで」と送り出した。
全部、最初は打算なくやっていたこと。
たまたま、友人を誘う予定ができたから追加でチケットを買っただけ。
たまたま、お礼をしたいことがあったから他の人にも差し入れを渡しただけ。
私が他のaさんファンから嫌がらせを受けたことがあったから、私はaさんファンに優しくしてaさんファンを増やしたかっただけ。
でも、それに「ありがとう」と言われてしまうと、やめるのが怖くなり自分をどんどん追い詰めていくようになる。
それでも、自分が特別だと思っていたし、自分が好きでやっている事だから何も気にならなかった。
けれど、
例えば、自分がどうしても譲れないと思っていた公演で最前列を取れなかった時。
例えば、自分はされたことのないファンサービスを他の人にしているのを見た時。
例えば、相手の機嫌が悪くて冷たくされた時。
_______辛かった。苦しかった。しんどかった。
Aの、aさんの熱心なファンが増えていくほど、そういう事は増えていった。
違うか。
私が、そういう事を前より気にするようになってしまっただけだ。
(だってAの客は5年間で殆ど増えなかったんだもの)(新顔が増えるのと同じくらい前からのファンが離れていったから)
自分が強火になればなるほど、その火力は沢山の利益をもたらしたけど、それと同時に私の精神は焼け爛れていった。
幸いにも、5年間の間にAの他の演者のファンで、私と同じようなスタンスで応援している信頼できる仲間ができて、その子達と相談したり協力しあっていたから孤独ではなかった。
これが辛いと愚痴を零せば「わかる、私もね……」と話をしてくれ、お互い慰め合い励ましあって。
1人でないことがどれだけ心強かったことか!
けれど、aさんはAで一番人気で一番ファンに問題児が多くて一番気分屋だったから、他のみんなより私は苦労することが多かった。
事実はどうあれ、少なくとも私はそう思っていたので、その結果
「みんなはいいよね、私なんか……」
と思う事も一度や二度ではなかった。
その頃にはもう、お金を稼ぐ時間とaさんに会いに行く時間以外はなくなっていったし、稼いだお金はいくらつぎ込んでも足りなかったから、友人からの誘いも断ることばかり。
元々私は多趣味で他にやりたいことも沢山あったけどそんな余裕はどこにもなくて、私の世界はどんどん狭くなっていく。
そしてそうなればなるほど、「私にはaさんしかいない」という盲信は強くなる一方……
「舞台の上のaさんをこれからもずっと見ていたい、応援していたい」
そう思って走り始めたはずだった。
それだけならそんなに苦しい道では無かったかもしれない。
けれど、道の途中で美味しい果物を見つけてしまって、気が付けばそれを探さずにはいられなくなってしまった。
道端に落ちていたりたまたま貰えたりすることもあったけれど、いざ探し求めるとその果物は高い木の上や険しい崖の上にあった。
手の届く所にあるものだけでは我慢できなくて、傷だらけになりながらそれを取りに行った。
同じaさんのファンを妬み、仲間を羨み、時にaさん本人すら呪い、正解も終わりもない「特別扱い」を求めて自分を追い詰めていった。
そんな日々の終わりは、意外とあっけないもので。
他のファンに、私が取った最前列の一番いい場所を理不尽に横取りされたというだけのことだったんだけど、そこで「あ、もういいや」となってしまった。
普段ならそれくらいのことで折れたりめげたりしないのにあの日はなんだったんだろう。
まあ、そんなこんなで私は頑張るのをやめた訳です。
徐々に公演に行く回数も減らして、就職をすることにした。
完全にファンをやめた訳ではなかったけれど、頑張らないというだけでとても気持ちは楽になった。
そうなると公演ものんびりと楽しめるようになる。
どういう訳だか、頑張っていた時のような興奮と感動を味わうことはなくなってしまったのだけれど、穏やかな気持ちでaさんを見られることは悪くなかった、と思う。
特別扱いは無くなるだろうと思っていたけれど、意外なことにそんな事はなかった。
たまに公演に顔を出せばいつもファンサービスをくれたし、たまに話す機会があっても今まで通り。
「そんな事をしても、もう前のようには頑張らないよ」
と言ったことがある。
しかし、そんなつもりはないと返ってきた。
それも含めて営業かもしれないが、私の5年間は一応何かしらの成果を出したのかも知れなかった。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎた頃、aさんは突然Aをやめた。そのジャンルからいなくなり、普通の人になった。
最後の公演を観に行くことはなんとなくしなかった。その必要はないと思った。
そういえばその時、aさん宛にメッセージを集めたいとaさんファンの子に言われたけれど、それは断ったのを覚えている。断った理由は忘れてしまったけれど。
こうして、私とaさんの5年間は終わった。
随分と長い昔話になってしまったが、最初の話に戻ろう。
去年、友人に勧められて見たアニメで好きになったキャラクターの声を担当していたのがその人だった。
その当時、中の人に興味がなかったので、本来であればそこで終わる話だったのかもしれない。
なのだが、そのアニメがきっかけで2次元に出戻り、色々なアニメを見たりアプリゲーをするようになって、その声優さんのキャラに惹かれることが多いことに気付いた。
あまりにもその人が声を当てている子ばかり好きになるものだから、その人の他の出演作を見てみたくなった。
その人本人にも興味が出た。
そんな感じでなんとなくその声優さんを気にかけるようになって、やがて
と思うようになる。
出演作を追えば追うほど、ラジオやなんかで人となりを知れば知るほど、その人を応援したい気持ちは増していって、
ついに自分がその声優さんのファンだと認めざるを得なくなった。
(そう、なんとここまで全て前置きなのである)
けれど、もう私はどんなジャンルであれ「強火」にはなりたくないのだ。
aさんを追いかけていた頃より歳をとってしまった今の私には、あの頃のような体力も行動力もない。
嫌な思いをしてもその人に会いに行くために全力を尽くすという気概もない。
更に、もし今その声優さんをあの頃の私の温度で追いかけようとした場合、時間も費用も体力もあの頃とは比べ物にならないだろう。
300人キャパの会場が埋まらなかったAと、売れっ子の若手声優さんでは色々な規模が違いすぎる。
イベントのチケットを取ろうとしたってあの頃のようにほいほい最前列が取れるわけもないし、そもそもチケット自体激戦で取れないことだってある。
リプを返してもらえたり、出待ちやなんかで直接話す機会が沢山あったaさんとは違うのだ。
この先その声優さんのファンをやってて、果たして直接話せる機会なんて来るんだろうか。
理解しているのだが。
では、どうやってファンをしたらいいのだろう。
ファンであると自覚してから、最初に興味を持ったのは声優イベントだった。
元々「見に行く」ジャンルにいたせいだろうか、直接本人が見れるイベントに行きたくてたまらなくなったのである。
正直悩んだ。
イベントに行く=ガチ勢、というような印象があったし、aさんを追いかけていた頃の悪い癖が出そうで嫌だった。
間違いなく、行けば深入りするきっかけになってしまいそうだと思った。
けれど、誘惑にはめっぽう弱い私なので、結局、とあるイベントに行ってしまった。
悩んだが、行ってよかったと思っている。後悔はしていない。
「うわーーー生きて動いて喋ってるーーーキャーー」
というクソみたいな感想しか出てこなかったが、実際に生で喋っているその人を見れて嬉しかったし、話し方や表情の動きを見ているだけで本当に楽しかった。
その人の服装、持ち物、連れと来ていればその関係性と会話の内容、
どの程度必死なファンなのか、人間性はどうか、マナー違反をしていないか、ファンサービスをされているか……など。
つまりは、
「あっ、今あの人わかりやすくファンサされた。最前列にいるし言動からして熱心なファンのようだし、もしかしたらあの声優さんから認知されている常連のファンなのかもしれない。やだなー、あの人さっき友達割り込ませてたじゃん、そんな人がファンサ受けるなんて……」
Aを見に行っていた当時は、
見ない顔があれば観察して、誰のファンなのか、aさんに認知されているのか、どの程度の頻度で来ているのか、最前列を狙うようなファンだろうか、迷惑行為をしたりするような人ではないだろうか……
と、毎回そんな感じで他のファンを観察していた。
観察する理由は色々だが、「知らない人がいるのが嫌」ということにまとめられる。
aさんのことはなんでも知りたくて、それは「どんなファンがいるか、そのファンにどんな対応をしているか」という点についても同様だったのである。
そして、観察対象と自分を比較して不安になったり安心したりするのが常であった。
その癖は対象がかわっても治らなかったようで、私はその日、他のファンを観察しては一喜一憂していた。
その声優さんのファン層やファンサの仕方を知りたい、という好奇心だけならよかった。
けれど、自分よりも熱心で、沢山その人に会いに行っていて、更に自分より前列で見ている相手がいると勝手に妬み、勝手に自分を卑下して、勝手に傷ついてしまう。
「好き」という感情を他人と比較することも自分の定規で他人のものまで測るのも、無意味で無様で失礼なことだ。
またマウンティングゴリラになってクソの役にも立たない優越感を味わいたいのかもしれない。マウンティングする力なんてもうないのに。
こういう気持ちを打ち明けられて、相談できる同じ趣味の仲間がいたら、と思う時がある。
けれど、同じ人のファンとは表面上の付き合いしかできる気がしないし、例えば違う声優さんのファンだったとしても、過去の私は違う人のファンにまで嫉妬をしてしまっている。
そもそも、こんな面倒臭くて考え方が危ない人間であることを受け入れてくれる人がどこにいるんだろう。
なので、声優ファンの友人を作るのがとても怖い。
先日、同じ声優さんのファンの方からTwitterで声をかけられ相互フォローになったが、とても窮屈な気持ちになっている。
私の不用意な発言でその人を傷つけてしまうかもしれない。嫌な思いをさせたくない。
私のこんな澱んだ感情は隠し通さねばならないと思い、息が詰まる。
もうひとつ厄介なのが、Aを追いかけていた頃に培った技術がどうもこのジャンルでも多少有用らしいこと。
最近は二回連続イベントで最前列を取ることができたし(これは指定席や抽選ではないやつ)、ちょっと取りにくいチケットも普通に取れた。
BUMP OF CHICKENというバンドがある。chikenではない。このバンドのファンだったおかげで、中学生の頃の英単語のテストでスペルを正しく覚えることができた。そういう意味では学業に貢献しているバンドであると言える。
俺は中学の時にCD貸してくれたやつがいて、そっからハマっていった。
そっからまあ色々あって、車校でたまたま知り合った奴らとBUMPのコピバン作ったりして、ライブハウスで歌ったりもした。すまん嘘だ。俺はドラムだったから唄は歌ってない。ライブハウスでポコチャカやったりしていた。
もちろん、ライブにも行った。ファンから「チャマ」って呼ばれてるベースの人(直井さん)がいるんだが、ずっとピョンピョン跳ねてんの。ずっと跳ねてて演奏できるんだから、やっぱプロすげーなとか思った。あと同じドラムスとして、ドラムの升って人に注目してたんだけど、MCとかでも全然しゃべらなかった。無口なのか。
で、ライブ行ったりすると分かるんだが、BUMPって熱狂的なファンがメチャクチャ多い。他のバンドのライブにも何度か行ったし、他のバンドにもそりゃあ熱狂的なファンはいるんだろうけど、BUMPはちょっと多すぎだろってぐらい多い。俺が行ったライブ会場では、終わった後に「フジくん(※ボーカルの藤原さん)の声がきけたよぉ~」「藤君ありがとう~」とか言って泣いてるやつメッチャ多いの。泣くとかじゃなくて号泣。こう言っちゃ何だが、宗教の信者ってこんな感じなんだろうなって思った。その後ネットで「ファンが痛いと思うバンド」堂々の1位を取ったという事実を知り、さすがの俺もちょっと泣いた。・・・ウソである。涙なんか見せないんだから!
(※現在はさすがに挙がってないと思う。調べてないが。当時は他にRADとかエルレとかの名前もあった。両方好きだった俺はさらに泣いた。)
まぁだから、ネット上とかで宗教戦争かってぐらい荒れてるのよ。もう完全に荒野ですよ荒野。「ヒャッハー!」とか言ってモヒカンが新参のファンから種もみを強奪とかしてんの。なんだよそれ世紀末救世主伝説かよ。藤君はケンシロウかよ。でも聖飢魔IIはサイコーだよな。お前も蝋人形にしてやろうか!
いやもちろん良識のあるファンが多いって事は知ってる。黙々と子供たちの為に井戸を掘ってるババアみたいな聖人も多い。嘘つけお前、お前のようなババアがいるか。違ったそっちは聖人じゃなかった。ラオウの手下だった。井戸掘ってるのはトヨだった。バット最後だ、母さんと呼んでやれ・・・。母さ~~~~ん!!(号泣)
まぁ読んでもらってだいたい分かってもらえたと思うが、良識のあるファンは多い。
そんな中、迂闊に「BUMP OF CHICKENの好きな曲」なんてものをネットに書こうものなら、火薬庫で火遊びしてるほうがまだ安全である。それどこのバルカン半島だよ。第一次世界大戦勃発かよ。
俺がもし「BUMP OF CHICKENの好きな曲」なんて凶弾をサラエボ事件よろしくネットにブチかますと、世界大戦は起こらないかも知れないが、即座に「はい開示」→「自宅本名特定」→「コラ素材化」→「一生ネットで晒し上げ」のKRSW弁護士コンボをキメられる事はほぼ確実であり、それを避ける為にもBUMPファンは皆一様に口をつぐみ、例えBUMPファン同士の交流の場であったとしても、暗黙の了解のうちに「BUMP OF CHICKENの好きな曲って何?」等という愚かな問いかけはしない。そんな問いかけをした途端に、指をパチンと鳴らし「そいつはオフパコの為だけに参加したエセ野郎だ、連れていけ」と、部屋の外に引きずり出される光景を俺は何度も見てきた。ああはなりたくない。・・・ウソである。俺も何度か引きずり出された。
そんなこんなで、全国に数多存在しているであろうBUMPファンは、息を潜めつつ各地に潜伏している。
諸君!BUMPを心から愛する良識あるファンの諸君!!諸君らはそんな事でいいのか!!真に良識あるもの、優良たるものが虐げられ、悪逆非道の限りを尽くす浅薄な似非BUMPファン気取りが跋扈する、そんな世界でいいのか!!!
否!!断じて否であるッ!!優良が蟄居し、劣等が跋扈するこの世界は、剛毅果断、改革されねばならない!!彼ら劣等は、諸君ら優良による支配でのみ安息の日々を得れると言う事実に、気付かなければならないッ!
奴ら蒙昧な愚民共が自ら気付くことができないというのであれば、我々優良の手をもってして、奴らの蒙を啓いてやらねばならないッ!!(唾を飛ばしながら)
・・・ああ、こうやって扇動する奴がいるから、世界は戦争になるんだなあ、と一瞬だけ考えた。三歩歩いたら忘れた。歩きながらこれ書いてる。・・・ウソである。実際には家でダラダラしながら書いてる。
それにつけても、BUMPの話がしたい。BUMPの好きな曲とか好きな理由とかを思いっきり書きなぐって、
「お前こんなの好きなのかよ!分かってねーな!」
「じゃあお前はどんな曲が好きなんだよ!」
「pillowsのカバーじゃねえか」
「違いますぅー、ミスチルのカヴァーですぅ~。ってか君、『カヴァー』の発音悪いね」
とかやりたい。でも個人を特定されるのは避けたい。あとカバーの発音とかどうでもいい。日本に20年以上住んでる米国人の知人は、日本語で会話するときは日本人と同じ発音で話してた。俺が「外人ってさ、日本語で話す時にもっとガイジンっぽく発音しないの?トマトをトメーイトゥ、とか、タマゴをタメーイゴゥ、とか」って言ったら、怪訝そうな顔で、「タマゴは日本語でしょ?」って言われた過去を思い出した。・・・ウソである。出典はネットのコピペで、俺の実体験じゃない。
・・・と言う訳で、俺の「BUMP OF CHICKENの好きな曲」を書いていく。理由も書く。ランク形式にしたほうが「なんで〇〇が10位なんだよ!ふざけんなよ!」等とより世紀末っぽくなるかなとヨコシマな考えが浮かんだりもしたが、途中まで考えてやめた。漫画とかゲームとか映画とか、よく個人ブログで「本当に面白い、私のオススメする漫画ベスト100ランキング!」とかやってるけど、71位と72位の差がどこにあったのかが気になって夜も眠れなくなった事があったので、ああいうのは本当に止めて欲しい。あとこういうアフィリエイトが目的なだけの互助会クソブログがGoogleのランキング上位にあがってくるのが本当に害悪でしかないし、そういうブログエントリに限って中身が薄い。サジェストも汚染されるし、あれで得するのって金儲けしてるクソ互助会連中だけじゃねえか。こっちはただ単純に面白い作品知りたいだけなんだよ。あと順位は固定なのかよ。変動しないのかよ。年月とか気分とかでそんなもんいくらでも変わるだろ。互助会連中もブクマで「参考になりました!」とか「いつも素晴らしい記事ですね!」とか、お前らそれしか言えねえのかよ。せめて「〇〇好きなら、ランキングにはないですが△△もオススメですよ!」ぐらい書いとけよ。amazonのアフィリンクでも添えてくれればゴミ度合いが増して尚良し。
BUMPは隠し曲も含めてほぼ全部好きなので、現在音源がリリースされてる全ての曲の好きなところとかを書いても良かったんだが、冒頭の「俺とBUMP」にちょっと行数を使ってしまったので、5曲ほど書き連ねたい。
■リトルブレイバー
BUMP OF CHICKENというバンドがインディーズレーベルでデビューした際のアルバム、「FLAME VEIN」の中の1曲。
映画や音楽業界では、よく「デビュー作品には、すべてが詰まっている」と言われる。完全に首肯する訳ではないが、何かのきっかけがあってファンになったアーティストの作品群を聴いていくと、「これいいな」って曲がデビューCD収録の曲って事はまれに良くある。
バンドでも映画でも漫画でも、「表現手段として自分にはこれしかないから、これで発表した」っていうのはあるんじゃないだろうか。別に「カネ!名誉!オンナ!」が動機でも作品が良い物であれば一向に構わないのだが、特に若い頃って「なんだかよく分からんがとにかく俺はこんな感じのなんか俺的にスゲェイケてる何かをやりたい!!」みたいな、思春期特有のモヤモヤとかがあるじゃん。
で、行動力があるやつはモヤモヤしてるだけじゃなくて、実際に行動する。液タブ買ってきてpixivに絵をアップしたり、大学の映研に入って自主制作でなんだかよくわからん作品を撮ったり、楽器もできやしないのにバンドを組んだりする。そんな感じだから、初期のころの作品にはその人の「やりたいこと」が詰まっている、という理論は分からなくもない。
BUMPも御多聞に漏れずそんな感じだ。今リトルブレイバーを聞くと、最近の楽曲と比べて演奏技術面での拙さが目立つ。だが、そんな事はお構いなしに、BUMPの、メンバーの、藤原の、「俺の曲を聴いてくれ!」って感じが伝わってくる。後発の「グロリアスレボリューション」あたりの楽曲でもそうだが、原始的と言うかなんと言うか・・・。英語だと"primitive"って単語が一番しっくりくるが、聴いていてとても心地良い。
■リリィ
インディーズ2枚目のアルバム「THE LIVING DEAD」の中の1曲。
BUMP藤原の書く歌詞は各方面から好評を多々得ている。(ちなみに、BUMPの楽曲はほぼ全て藤原が作詞作曲している)曰く、山田かまちの再来だとか、叙事詩的であるとか。ミスチルの桜井さんも、「メンバーに入れて欲しいぐらい好きだ」と公言している。
BUMPの曲(歌詞)には、「モノガタリ的」なものがいくつかある。ストーリーラインのようなものがあって、登場人物的なものがあって、結末がある。「モノガタリ的」なBUMPの曲で一番有名なのは「K」という曲だろうか。Youtube等で、有志の作成した動画を見た事がある方も多いのではなかろうか。公式では「カルマ」という曲は人形劇としてリリースされているが、こちらもモノガタリ的な曲として挙がることが多い。くそっ、それにしてもニコル見つからねえ・・・。
そういった点から、「叙事詩的」と言われることも多いBUMPの楽曲の中で、俺がオススメしたいのが「リリィ」だ。
ストーリーラインはこうだ。バンドのボーカルっぽい男と、その彼女らしき女性の話。男には色々と苦悩があるようだ。
これが藤原自身の話かどうかは知らない。
続きは歌詞を見ながら聴いてもらえばいいとして、この曲の中で俺が良いなと思っている点は、「歌詞が荒い」「言わない」の2つである。
まず「歌詞が荒い」点。「出てこい!ウソツキめ!」とか、「ブチまけた」とか、最近のBUMPの楽曲ではなかなかお目にかかれない荒々しい歌詞が並ぶ。これが男の苦悩している様子が伝わってきて良い。もっと言ってしまうと、伝わりすぎて辛い。対する女性側に関係する歌詞が終始穏やかなのも対比としてより一層深く伝わってくる。
もうひとつの「言わない」点は複数ある。例として歌詞をいくつかあげるが、JASRACさんお願いですから個人の特定とか使用料の請求とかやめてください。何でもしますから!
膨れたポケット 裏返すとホラ 出てくる弱音の数 一日分想像つくかい?
「実際に弱音という物質がポケットに入っている事態は想定し難い」とか、そういう部分はどうでもいい。「お前に俺のポッケに入ってる一日分の弱音の数が想像つくか?」という問いは、「弱音が多い」という事である。だが、「弱音が多い」とは言っていない。まあ比喩表現のある歌詞なぞ世界にゴマンとあるだろうが、藤原の書く歌詞は、(特に叙事詩的な楽曲において)絶妙なシラブル数と相まって、いわゆる「世界観の構築」に一役買っている。
強がりの裏のウソを 放った ブチまけた
終電を告げる放送 慌てて掛けて行く人 右手に君の左手 もう放さなきゃ
「ブチまけた」後、場面がいきなり「終電を告げる放送」になる。その間に何があったのかは言わない。
思うに、日本語と言う言語は表現力に優れている。同じような事でも、微妙な差で違う表現にする。おそらく皆は普段は気にしてないだろうが、「見る」という表現だけでも、「見つめる」「眺める」「観る」「見上げる」「見渡す」「見通す」など多岐にわたる。こと表現力という方面において、日本語に比肩する言語はそうないだろう。
■Stage of the ground
メジャーデビュー1作目のアルバム「jupiter」の中の1曲。
一般の人に「BUMPと言えば」と問うと、「天体観測」という答えが多く返ってくるかと思うが、当時は「天体観測」で爆発的ヒットを飛ばしたインディーズバンドが移籍し、メジャーデビュー後に満を持して放つ渾身の1枚!って感じだった。・・・らしい。
「らしい」というのは、当時の俺はBUMPどころか音楽を全然聞いてなくて、ずっとポケモンばっかやってたからである。この話は熱心なBUMPファンから聞いた話なので、当時の「世間一般の」空気感としては間違ってるかも知れない。でも、そんな俺でも一応「天体観測」という曲があって、英会話講師並みにオーイエーアーハンって言いまくっているというのは知っていた。一応補足しておくと、「天体観測」もjupiterの中に入っている。
BUMPの選ぶ言葉には「jupiter」「天体観測」「COSMONAUT」「プラネタリウム」「orbital period」等、宇宙的な・・・もう少し正確に言えば、「宙的な」用語が多く並ぶ。ここまでアピールしておいて宇宙が嫌いという事はないと思うが、「Stage of the ground」をそう言った視点で聴くと、なかなかに味わい深い。
この曲は藤原の友人に子供が生まれて、その記念か何かで作ったらしい。自分がその子供だったらメッチャ嬉しいが。
それはともかくとして、宇宙である。「夜空の応援席」「あの月も あの星も」など、宙を想起させる歌詞が詰まっている。「那由多に広がる宇宙」とあるが、那由多というのは万とか億とかの「数の単位」の一種である。他には「恒河沙」「無量大数」とかもある。「1那由多」で、1の右に50個だか60個ぐらいゼロがついてるぐらい大きな数字、それが那由多なのだが、一説によると、こういった数字の単位は古代の人々が「星の数を数える」為に用いた、という説がある。
友人のエピソードや、那由多という単位の事などを思いながら聴くと、なんだか自分が宙に浮かんで地球を見下ろしているような、そんな不思議な気分になれる。もちろん、そんなエピソードを知らなくても、藤原の優しさと言うか、応援している気持ちと言うか、よくある表現で言えば、「聴いていて元気になれる」曲。
■Hello,world!
「そういえばシングル曲全然紹介してないな」と思ったので。あと昔の曲が多いんで、最近の曲の中からという事で1曲。
シングル曲だが、「Butterflies」というアルバムにも収録されている。最近放送された「血界戦線」というアニメのOPテーマとして放送されていたので、聴いた事のある方も多いのではないだろうか。
さて、皆さんは「Hello world」を知っているだろうか。「何言ってんだコイツ頭おかしいんじゃねえのかBUMPの曲だろ?」と思われるかもしれないが、とある業界において、この言葉は特別な意味を持つ。それは、プログラム業界である。
本職のPGやcoderの方々からは「何だよプログラム業界って。そんなのねーよ」と言われるかもしれないが、まあとりあえず聞いてほしい。プログラム言語というのは本当に数が多くて、「プログラムを書いてご飯を食べている人」でも、仕事で書くのは2言語か3言語ぐらいである。就職時の面接で「10言語書けます!」という奴は信用してはいけない。雇った後にクソみたいなコードを書いた挙句CVSをグッチャグチャにしてある日突然遁走するのがオチだ。雇ってはいけない(戒め)
だが、仕事ではなく、趣味でいくつかの言語を使って書いているという人もたくさんいる。逆に仕事上に必要に迫られて、新しい言語を習得するハメになる人もいる。Swiftとかの比較的新しい言語なんかは当然そうなるケースも多い。まぁプログラム言語を習得する動機は人それぞれなのだが、覚えたてのプログラム言語を使って一番最初にやる事が、「Hello world」である。嘘ではない。詳しくは以下を見ていただきたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Hello_world
ともあれ、「Hello world」には意味がある。それはつまり「『世界』に初めて降り立ったものが発する言葉」である。あのビルゲイツも、twitterアカウント開設時の第一声は"Hellow world."だった。それほどに歴史と伝統ある言葉であり、作法なのだ。
ここでBUMPの「Hello, world!」を改めて聴いてみる。
ご自分だけがヒーロー 世界の真ん中で 終わるまで出ずっぱり ステージの上
どうしよう 空っぽのフリもできない
さあ目を開けて 君は強い人
その目が見たから すべては生まれた
世界は終わる。だが、また新しく生まれる世界もある。いくらでも生まれてくるのだ。よく自殺報道が取り上げられたりしているが、とても悲しい。自殺なんてせずに、そんな世界は終わらせてしまえばいいのだ。「世界を終わらせる」手段は自殺なんかでは断じてない。
世界をはじめよう。そして、その新しい世界で、高らかに叫ぼう「ハロー、ワールド!」と。
藤原は特にそんな事を意識してないだろうが、俺はこの曲を聴いてると本当に勇気が出てくる。
■バトルクライ
もう5曲目かよ。早いよ。まだまだ書き足りねえよ。あと20曲は書かせろよ。って言うか、ここまで読んでくれてる人ってあんまりいないような気がしてきた。あまり長くなると読むほうもダルいだろうし、もし他に書く時があれば、そん時は別の増田で書くわ。
とりあえず5曲目を紹介する。これは記念すべきBUMPのデビューCD「LAMP」の中に収録されていたのだが、LAMPが廃盤となった為、急遽「FLAME VEIN」を「FLAME VEIN+1」と改題し、バトルクライを追加したという話がある。そのせいかどうかは知らないが、歌詞カードに歌詞がない。何も知らない人からすれば「???」となること請け合いである。(歌詞はCDトレイの下に書かれている)
デビュー作なので、「リトルブレイバー」で触れた通り、演奏技術に関してはかなり未熟である。だがBUMPにとってそれはマイナスではない。粗削りだが「バトル」であり、「クライ」なのだ。
この曲も叙事詩的である。「自分に嘘をついたが、その嘘が本当になったんでまだ頑張って歌ってる」奴が出てくる。藤原本人かどうかは知らない。仮にそうだったとしても、インタビューでは「いや、あれは別に・・・フィクションとして聴いて頂ければ」とか言うだろう。俺ならそうする。
ともあれ、まだ頑張っているその男は、戦っている。何と戦っているのかは知らない。そして叫んでいる。
ずっと強がってんだ 強がって またウソついて
ひとつのウソにさえ縋る僕の そのウソが 誓いに変わる
BUMPの唄には「応援するスタンスの曲」が割とある。「才悩人応援歌」というド直球の題名の曲などもある事にはあるが、だいたいは「応援している」という明確な意思表示はしていない。先ほどの「才悩人応援歌」だって、歌詞中には「応援」という単語は出てこない。
藤原の書く歌詞世界は、概ね「俺はやってるぞ、さあ、お前はどうなんだ」的な、言葉で語らず背中で語る的な世界観の楽曲が多い。歌詞がある時点で「言葉で語ってしまっている」のだが、明確な意図・意志は常にボカしている印象だ。「バトルクライ」では、そんな藤原の「藤原節」とでも言うべきケレン味が存分に味わえる。
実は、冒頭に書いた「中学の頃に友達が貸してくれたCD」がFLAME VEIN+1だった。当時は音楽なんかに全然興味がなくて、どっちかって言うとポケモンばっかやっていた思い出しかない。そんな俺に「絶対ハマるから!いい曲だから!!」と執拗にすすめてきた級友を当時は大変疎んだものである。今では素晴らしいバンドを紹介してくれてありがとうという感謝しかない。
当時は全く興味もなかったし、聴く気もサラサラなかったのだが、諸事情があって結局俺は家にCDを持ち帰って聴くことになった。中学当時の俺が聞いても下手である。「あいつ、こんなバンドすすめてきやがって・・・こいつらの何がいいんだ?」とポケモンやりながら思っていたが、「バトルクライ」を初めて耳にした時、頭を撃ち抜かれたかのかと思った。
俺はGBAの電源をすぐに切った。セーブしてなかった。まあ厳選中だったんでどうでもいい。とにかくこの曲だ。この曲はヤバい。人の頭を平気で撃ち抜く危険物だ。
危険物として「セックス、ドラッグ、ロケンロール」の3つがよく挙がるが、なるほどよく理解できる。この曲はROCKだ。俺は未だ「ロックとは何ぞや?」という問いに回答できる自信はないが、これだけは断言して言える。
BUMP OF CHICKENの「バトルクライ」、この曲は、ロックだ。
そういう事情もあって、俺の中で「バトルクライ」はちょっと特別なところに位置している。勇気が欲しいとき、悲しいとき、気分を切り替えたいとき、ヒマなとき、ノリノリになりたいとき、戦いに赴くとき、誓いのとき、大事な時。
俺はいつもバトルクライを聴いてきた。ただそれだけの、まあだいたいそんな感じの曲である。
◆(隠し曲)星のアルペジオ
BUMP OF CHICKENの出すCDには、恒例として「隠し曲」という概念がある。
CDプレーヤーだと色々複雑な手順な必要らしいが、iTunes世代からするとあまり意味はない。(ただ、無音部分が50分ほどあるせいで曲の長さが異常に長いケースがあったり、ダミートラックが大量に生成されたりするので、知識のある方はmp3やAACの無音部分はカットしたり、ダミーを除去したほうがいいだろう。)そんな隠し曲の中から1曲。シングル「車輪の唄」の中に隠されている。
隠し曲は、普段のBUMPの楽曲と比較した場合、全体的にネタ的な要素が多い。メンバーも(ちょっと違う方向に)ノリノリでやっている。ライブではほぼ演奏されないが、「DANNY」という隠し曲だけはまれに演奏されることもある。
この曲はクリスマスソングなのだが、恋愛要素はない。というか、この曲の主人公である「ある男(BUMPメンバーの誰かだという噂がある)」は、12月24日に自宅でクリスマスパーティーの準備をしているのだが、呼んでいた人が誰も来ずに、一人待ちぼうけている様子を歌っている。巨人の星のアニメで似たような展開があるが、その時の星飛雄馬は机をひっくり返し、準備していたケースをグシャグシャにして泣き崩れていた。この曲の「ある男」がその後どうなったかが気になる人は、是非各自で音源を聴いてみて欲しい。
メンバーの実体験を基にしているのかどうかは定かではないが、妙に感情がこもっていて涙無くしては聞けない1曲となっている。繰り返すが、BUMP OF CHICKENのギター担当の増川さんとかは一切関係ないので、奇妙な詮索はしないように。
当時一番好きだったバンドがユーストリームで弾き語り配信をするというので観ていた。
そのバンドはインディーズ時代には期待のギターロックバンドとして注目されていた。
本当にかっこよくて、中学生のころに地元のライブハウスにきた彼らを観にいった日のことは未だに鮮明に覚えてる。
しまいには大衆ウケのいいJPOPに路線変更したけどそれでも売れず。
それでも自分はどうしてもそのバンドのことが好きでずっと聴き続けていた。
そんな状態だったけども、その日50人くらいはその配信をみていたと思う。
メンバーは視聴者からリクエストされた曲を歌っていて、コアなファンの自分はとても興奮しながら観てた。
メンバーのほかに見知らぬ30代のいかにもクリエイター風の眼鏡男がうつっていて
誰だろうと思っていたら、一度ミュージックビデオの監督として一緒に仕事をした人らしく
それから時々飲みに行ったりする仲とのことだった。
休日の夜ってこともあってメンバーも眼鏡男もお酒をたくさん飲んでて楽しい雰囲気で、配信開始から1時間くらい経った頃。
どんな会話の中でか忘れたけど、眼鏡男が「けどお前ら終わったバンドじゃん」って笑いながらメンバーに向かって言った。
「えっ?」と思った。メンバーも同じ気持ちだったのか、ボーカルが「今なんて言いました?」って軽く聞き返してた。
そしたら眼鏡男はまた悪気なさそうに「え?終わったバンド!」って答えてた。ありえない発言だと思った。
そこで眼鏡男が話題を変えたのでそこでこの話は終わったんですよ。メンバーもそんなに気にしてない様子だった。
けど自分は怒りに震えていた。好きなバンドのことを「終わったバンド」って言われたら普通怒る。
本当はコメント欄で「お前今なんて言った?」ってブチ切れたかった。けど場を壊したくなくて我慢した。
今でもこのバンドの曲を聴くたびにこの日の眼鏡男のことを思い出すし、あの時ちゃんとコメント欄でブチ切れておけばよかったと思う。
純真無垢、天真爛漫、というキャラ付は、「ギャルゲー」だと割と早く「痛いキャラ」化してる
キャラの差別化がエスカレートしていった結果、純真無垢さは「無知」「世間知らず」を経由して「世間離れ」と一体化した
たぶん忘れてるだろうが90年代後半は語尾に「りゅん」とかつけるキャラが流行った
いわゆる葉鍵は、ギャルゲーでエキセントリック語尾祭りが華々しく打ち上げられた後
売上的には徐々に落ち込んでいく時期に差しかかった頃に流行が本格化(発売自体はもっと前)
コンシューマーギャルゲーも食っていくのが難しくなり、複雑な好感度システムで人件費かかりそうな恋愛ゲームから
「シナリオだけ書いとけばとりあえず体裁がつく」システム互換で量産可能なノベルゲーの時代に
今の視点だとギャルゲープロトタイプみたいに言われがちな葉鍵だが
シナリオも、それまでの売れに売れてた有名エロゲーやギャルゲーのアレンジやパロディの位置づけになる
(「To Heart」は「同級生」の超廉価エコノミーなゲームシステムだし)
既存のエロゲーやギャルゲーのキャラを皮肉り、過剰な方向にエスカレートさせてキャラ造形してった
ONEの頃はアリスソフトのシナリオとあまり変わらなかったと言ったら信じてもらえるだろうか
「天真爛漫な痛いキャラが人気だというなら、本当に知恵おくれ、障害のあるのキャラにしちゃる」という、けっこう毒の多いシナリオだったのである
当時の鍵の賛否両論には、この「既存のギャルゲーの感動的なヒロインを毒のある方向に皮肉る」という内容に対する
「俺の感動したシナリオをバカにしやがって」との口に出せない反発もあったりする
事情が特殊なのは、鍵がそういうパロディ的な面を評価される(エロゲーのシナリオはパロディ成分が多いのは当たり前)以上に
「感動的で泣ける、本格的な恋愛シナリオ」として評価されてしまい、ジャンル客を超えて反応が広がったことだろうか
「言動が痛いヒロインは本当に精神に色々と問題がある」という手法はギャルゲーの本流に取り込まれ、当り前になった
ever17についていえば、KIDは元々はノベルではない恋愛ゲームで色々と作っていたのが売れなくなり
ノベルゲームという廉価な仕組みに乗りかえたという流れがあって
コンシューマーギャルゲーの痛いキャラとノベルゲーの痛いキャラの両方の系譜を拾ってる上に
メインシナリオライターの文章自体がしばしばエキセントリックなので、ユーザーの時代感覚や年齢とはあまり関係なく
普遍的に痛いと言って構わない
26回目の誕生日を迎えて、誕生日プレゼントに欲しいものとか聞かれたが、自分はあまり物欲が無いということに気がついた。
車が欲しいとか、高級なものが欲しいというのはもってのほか、前は喜んでいたDIESELのデニムもUNIQLOのデニムで満足するようになってしまったし、去年まで3年連続くらいで買っていたので今年も惰性で行ってみた眼鏡屋も全く心躍らなかった。
今年一年振り返って、強いてあげるならMacbookとAppleWatchはいい買い物だったなと思うが、今の仕事でこれ以上の性能のものは要らないので向こう2年はこの環境でいいなと思ってる。
去年引っ越した家もモノが少ない今の状態が気に入ってるので特に何かを買い足したいわけではないし、(寧ろ服は削りたい
趣味のゲームもパワプロとプロスピ以外ここ3年間やってない。(逆にパワプロとプロスピは小学校の頃初めて買ったパワプロ6から新作が出たら毎回買ってやり続けている。今年は新作は出ないらしい
だからお金も必要以上には要らない。とは将来家庭を持つことを考えたら言ってもられないので相応には稼ぎたい。
何がしたいとかも特段ない。
仕事が楽しくてやり甲斐があって凄く充足感を感じてしまっている。
漠然としたデッカイことしたいってのは無くなった。
それよりも友情とか信頼とか、そういう見えないものの大切さが自分の中で大きくなったような気がする。
昔ライブハウスで聞いてた、既に活動停止したインディーズバンドのアルバムを未だに聞いている。
仕事がうまくいって、新しいことに挑戦できて、取引先や会社の成長に少しでも貢献できて、
日々の楽しみはベイスターズが勝つこと。
そんな物欲の無い、26歳。
あ、でも強いて言うなら一週間インド行きたい
なんだろう、胸が色々と痛くなってる。自分の中にこんな感情が存在するのか。yahoo!のトップに踊り狂う、幸福と科学の文字。新興宗教=危険な敵というストーリーは、とってもわかりやすくて、スマホを覗き込むバラバラな「個人」となった僕たちに、そいういや日本人という集団の一員だった!とアイデンティティを再認識させてくれる。気持ちいいよね。
俺の父も、今回の清水さんとほとんど一緒。20年くらい前に”幸福”を求めて出家したんです。今回の騒動で「出家」なんて言葉使うんだと驚いてるんだけど、普通の企業をやめて宗教団体の職員になった父。出家、というのを”瀬戸内寂聴”と、お笑い芸人さんが笑いに変えていたみたいだけど、実際は坊さん的な状態になるわけでは無いと思われる。髪の毛もそのままでいいだろうし、食事制限もなさそうだ。お寺というより、彼らの趣味は教会に近い。建物は大体、古代ローマ神殿みたいな感じ。父がお祈り用の仏壇みたいなのを部屋に持ち込んだ時期があったけど、ドラクエばっかりやってた俺は「これはもしや…ダーマ神殿ッ!?」と思ったものだ。
父はずっと家にいなかったから、俺と家族は宗教への接点はほどんどなかった。そんな俺が「幸福の科学」のコミュニティに具体的に触れたことがあるのは、人生で3回。
【コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話
http://rocketnews24.com/2017/02/13/862050/
これだよ、まさにこれ。リンク先見た途端、記憶のドアが開いた。23年前だから、当時10歳足らずの俺を、まだ宗教のことをよくわかってない母親がビクビクして連れて行った。姉は物心つく年齢だから置いてかれたんだと思う。この記事のように15歳くらいで見に行ったら、裏読みで楽しめたかもなんだけど、俺の脳が危険を察知したのか具体的な内容は覚えていない。(ただ竜に乗ったシーンは、リンク先を見ることで蘇った。脳すごい。)ただ、イベントが始まるとき、彼らにおける「お経」みたいなのをみんなで読むシーンだけ、今でも覚えている。周りは自分より背の大きな大人たちで暗いブルーな照明。黒山の人だかりが一斉に立ち上がり、全く前が見えなかった。子供ながらに感じたのは、大人たちの高揚感と空気。内容は違うにせよ、大人になって同じ場所でミスチルのコンサートを見たときと、感じ取る空気感は変わらない。彼らにとってはハレの日であり、インディーズバンドがメジャーデビューするような、お祭りだったんだね。
これも小学生の時。父親の仕事を見る、的な学校の課題があったのか?母と見に行ったら、ダーマ神殿内部の集会場みたいな場所で、老人相手に説法を説いている父がいた。イメージは葬式後に坊さんが喋る、ありがたい系の話だったような記憶がある。職員はそこの運営をやったり、教えを説いているっぽい。今回の清水さんは広告塔しての貢献度が高いから、映画出演や広報や選挙戦出馬とかさせられるんだろう。ただ出家して職員になったら、教えを広めるのが基本の仕事だろうから、まあ似たようなイメージなのかと推測する。
これは大人になってから、なので7年くらい前かなあ。父親から話がある、と、おそらく人生一度きりになるだろう召集がかかった。どっかの山奥。この施設に永代供養できる場所があり入りたい。お前の了承が欲しい、と。俺とか母は嫌なら自分で別の墓を選んでもいい、みたいな確認をして、かくかくしかじか。結局了承したんです。ずっと避けていた父の決意というか意思の固さやピュアさを前にして、何も言えなかった。というか、あれ?自分に彼を否定できる根拠ってあったっけ?とも感じました。他者への想像力の無さも、自身の信念があまりに脆いことも体感した。あの時は、あまりに無力だったなあ。んで、ずっとその場所っておじさんの声で呪文がテープで流れてるんですよ。なんかこりゃ聴いたことあるなあ?って思ったら、あ!16年前の①のライブのセットリスト1曲目のやつ!
散々コスられてきているように、俺もネタっぽく書いたように、”普通”とか”世間”と比較して見ると、みんなで嘲笑できるトンデモな面白い対象なんです。
③の施設を見学したんだけど、彼らにはコミュニティがあって(地方の経営難のゴルフ場なんかを買い取って作ってるから相当疎外された感はある)そこに怪しい金ピカのモニュメントとか作って、学校なんかも作っている。隔離されて、オリジナルの歌とか教科書とかを元に教育を受けるのだろう。子供はそれが当たり前だと思うんだから、洗脳されちゃうよね。歴史の教科書とかは興味本位で見てみたい。勝手に乗り移って本出せちゃうくらいなんだから、アパホテルなんて比じゃないクオリティなんだろう(と予想される。ちゃんとした内容だったらすみません)。
出家して職員になった父を憎んでいたけど、尊敬していることもある。自分が信じている絶対の世界を全く家族に押し付けて来なかったこと。これは問題になっている清水さんの両親と圧倒的に違う差だと思う。本来は自分の課題や状況に合わせて、必要だから門を叩く存在であるのが宗教だと思うんだけど。生まれた時から両親から信じ込ませられてしまったら敵わないでしょう。まあ信者の人からしたら、身近な子供に自然と教育してしまうんだろうし、そうやって宗教って続いてきた歴史もあるんだろうけけどさ。”必要とされている人”のところに、クリーンに行き届けばいいのになあ。
時は流れ、俺は結婚して子供が生まれた。寝息を立てる愛しい我が子を左横に見ながら、ベッドの上で増田に投稿する文章をぽちぽち考えている。iPhoneをスクロールしていくと、件のニュースに紐づいた感情的なヤフーのコメントたちが姿を表す。”普通”の感覚からしたら、よくわかる。だけど自分が生きている世界が、価値観が、本当に正しいと”信じ込んでいる”という側面では、どっちも50歩100歩じゃないなのでは?とも思ってしまう。信じる人にかける言葉も、感情的なコメント欄の彼らにかける言葉も、想像してもあまりにも答えがなくて、難しくて。どちらも真剣で、本当は笑っちゃいけない気がするんですよ。
そして自分の子供が物心ついた時にどんな言葉をかけられるのだろう。誰かを嘲笑するのをためらう想像力と、自分が信じるに値する経験を積んで欲しい。それってどう教育すりゃいいのだ?難しくね?
答えが出ずに途方にくれる、新米父さんの自分語りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
エタ風氏、あんまりはてなとの絡みは少なかったと思うんだけど、
エタ風さんが、Togetterのコメント欄常連でしかない頃からウォッチしていた身としては、今の人気ぶりはインディーズバンドがメジャーデビューしたような感じがある— 加野瀬未友 (@kanose) 2016年2月6日
今回も、凍結についてコメントしていることは押さえておきたい。
エタ風氏のTwitterアカウントが凍結だそうだが、もともとはTogetterのコメント欄というライブ会場で活躍していた人なので、まとめができれば、コメント欄に登場するよ!(アカウント凍結されてもTwitter連携はすぐにはずれないのでコメントが書き込める)— 加野瀬未友 (@kanose) 2017年1月27日