はてなキーワード: アバターとは
ECOはオープンβのときと2012年に3ヶ月ほど遊んだことがある。
2012年頃には典型的なポット連打ゲーになっていて50回使える、HPやMPが超回復する
濃縮ポーションが拾いまくれることもあってヒーラーの席がなくなっていた。
ロール制はほぼ崩壊していてとにかく殴ってポット連打、戦闘に戦略も何もあったものではなかった。
毎月のアップデートでは使い回しの季節イベントとガチャの追加が主。季節イベントは毎年変化がない模様。
ガチャは1回500円で連れて歩ける女の子型ペットや女キャラ用の服が低確率で当たる。
同じ時期に始めたプレイヤーは7万円使ってペットを当てていた。中には毎月5万円分くじを引くという人もいた。
つまりガチャのアバターを除けば新要素の追加もほぼ無く、運営にやる気があるのかないのかよくわからなかった。
音楽とSEはかなりできが良く、今もたまに聞きたくなったりする。
http://anond.hatelabo.jp/20170422133833
この増田は卑屈すぎる。
女ってのはイケメンしか相手にしない残酷な生物という認識しかなくて恨んでいたが
ネットで知り合った女の子と仲良くなって彼女を作ることができた。
あそこは高身長高収入のイケメンと付き合いたいなんていう、自分を棚にあげた理想ばかり押し付けてくるクズ女しかいない。
そんなところに金を払うのが最高にアホ。
ネットやスマホアプリには、無料でできるチャットがたくさんある。
具体名を出せばどうせステマと言われるので書かないが、
特別美人ではないが、その辺を歩いてそうなどこにでもいるタイプの普通の女の子だ。メンヘラでもない。
たしかに女は十代のうちは現実を知らないのでイケメンしか目にないが、
二十歳をすぎると女ってのは急に現実的になる。男よりもしっかりした考えを持つ。
なので、いいかげん「自分の理想とする男なんて存在しない」と悟るのか、俺にたいなダサいブサイクのオタクでも普通に接してくれる。(婚活サイトには、そこから成長できなかったヤバイ女しかいない)
あまりにも普通に接してくれるどころか、俺と付き合ってくれたので
俺も次第に異性に対するコンプレックスや卑屈な感じもなくなった。
彼女がいなければ俺は一生卑屈なクソ童貞だった。感謝してもしきれない。
秋葉原に行けばたしかにクソブサイクな男が可愛い女の子と手を繋いで歩いているのをよく見かけるが、
ああいう男は卑屈じゃないし、最低限の清潔感だけは保っている。
根拠はなくていい。「どうせ俺なんて」という考えさえ捨てて、最低限の格好さえすれば
まずは、無料のチャットで普通に女の子と会話をして卑屈な考えを棄てるべき。
必ず気が合う女の子は一人くらい見つかる。
仲良くなれば毎日会話するようになって、そのうちリアルで会おうって話になる。そこから先は自分次第だ。
「具体名が無さすぎて何から始めればいいかわからない」というなら、ひとつだけ名前をだそう。
アバターを作ってみんなでチャットするというサービスだが、女の子の利用者が多いので
気軽に女の子と会話するというには向いている。
【属性】夢が好き。
【議題】『こんなブスをキャラくんは好きにならない』
夢的な話題で最近ひっついてくる、『キャラはこんなブスなんか好きにならねーよ』というやつについて。
これが夢sageなのかキャラsageなのかあるいはどっちもsageなのかはよくわからないけど、現実の自分の顔面偏差値ってそんなに重要か???っていうのが個人的な感想です。
だって架空世界でしょ。架空と言うか、パラレルと言うか、つまり今自分がいる世界とはまた別の世界の話なわけで。
別世界で、自己投影するにしたって、現実の自分のまま取り込まなきゃいけないってルールどこにもないぞ!
だったら多少可愛かろうが多少人を殺せようが多少強かろうが、それはそれとして別世界のIFの自分で良いじゃん。
いや、夢=夢主は自分、と確固として主張してるわけじゃないけれど、とにかく夢主=自分だと思ってる人へのエールね、エール。
(すごい余談だけど、自分の顔面偏差値を鑑みて夢ないわー、って言ってる人、作品へのトリップ力が凄いから私よりも夢技能高いのでは?とたまに思う。私は現実の自分そのままで入ることは想像もしたことなかった)
私は自己投影もするし神投影も出来る最高に訓練された夢者だよ。10年選手だからね。
いま打ち間違えて100年選手って打ったけどそれだとほんとに神だわ。私が神だ!!!!
そう!『私が神だ!』も出来るんですよ、夢小説ってのは。
もちろん、人形ごっことして全部が好き勝手出来るわけじゃないけれど(少なくとも私はキャラクターが勝手に動いて泣いたことは何回もあるというか好きに動かせた経験の方が少ない)、BLの書き手さんでよくある『こいつとこいつの恋愛模様を眺めたい』って感覚、夢の人も持ってる方は割といます。うん。
ここで重要なのが、別に『夢主=自分』の方を馬鹿にしているわけでもないってことです。
たまにこれ勘違いされるんですよね。なんでだろ。被害妄想強すぎる人が多い。
いやそうなる歴史もあるから一概に駄目だとは言えないんですけど、とにかく私は馬鹿にしてません。
誰かの好きなものを馬鹿にはしたくないし、そもそも私は自己投影して書いた夢小説はある。それを黒歴史だとも思わないというかめちゃくちゃ面白いと思ってるよ。
話を戻すと、『あのキャラがこんな恋愛をしていたら』『あの人がこんな人に出会ったら』というのを夢でもえがけます。
というか、答えが無いんですよ。【原作人物A】だとしても【オリキャラB】を当てた際の反応に正解はないので、原作で見ることが出来なかった表情だってBと一緒なら見せてくれるかもしれない。可能性が無いわけじゃない。そういうのを探っていきたくて書いてる人も中にはいるんです。
なもんで、たぶんそう言う人達は『【夢=自分】だけではないよ』って言いたくなるんだと思います。
だって夢と一口に言ってもたくさんあるし、それが除外されて(=蔑にされて)たら悲しくなるよ。自分が好きな傾向なら猶更。
だから声を出すし、声を出すと『自己投影じゃない人に自己投影が馬鹿にされた!』って声が上がるし、あーもーにっちもさっちもいかないぜ!
まぁそんなこんなで、夢の中では正解がない。
つまり神になれる!
神さまと言うことは美少女にだって美男子にだってナイスミドルにだって思いのまま!
普段騒がしいあの子が静かな喫茶店のマスターに見せる表情はキミだけの物!
BLにだって『もしかしたら』という意味で正解なんてないかもしれないだろうけど、だいぶそれが強いと理解してもらえたら私は嬉しい。
だから現実の自分をブスだと卑下しなくていいし、ブスだからって見向きもされないなんて呪詛を自分に掛ける必要はないし、正直夢は楽しいぞ!
動物夢主もあるし、金魚鉢だってあるしな!可能性は無限大だよ。
だから自分のことをそんなにブスだって言わなくたっていいんだよ!
現実との落差?そんなん気にすんな!
自分のアバターに人格投影して且つアバターは別人なんて、オタクには手慣れた基本技能みたいなもんでしょ。
(ネトゲとかSNSに使用する絵アイコンとかも考えればアバターなわけだし)
それと一緒だよ。
まぁそれでも無理だって言うならせめて『夢なんて』とか『夢小説なんて』とか『夢みたいなものと一緒にするな』という感じの意識は薄めてくれると嬉しいかな。
『夢と一緒にするな』じゃなくて『夢と一緒にすると探し辛くなるからやめてくれ』とかの言い方なら角も立たないと思う。
さすがに自分の好きなものをsageられてる、あるいはsageられた意識を感じ取って、凸はしないけど悲しくならない人はいないと思うよ。
二次創作に貴賤はないと思うんだ。
貴方だって、よくは知らない上澄みでジャンルのことを語られて尚且つdisられたら心の包丁持つでしょ?こっちだって包丁を持ち始めたくなることはあるんだよ。
終わりに物騒なことを言ってすまんね。
それじゃあ、ここまでありがとう。
●結論:最近みる『夢女子』って単語は、『夢者』とはまた違った歩き方をしてて楽しいぞ。
●本文ここから
たぶん、夢小説を読まない人はこの『夢者』っていうのを知らないと思う。まぁ一部界隈で使ってるだけだから別に夢を好んで読む人も知らないかも。でもとりあえず知名度の話はいいや。関係ないし。
で、最近『○○の夢女子』っていうタグが流行ったよね。流行ったんだよ。○○にはいるのは特に女性キャラが多かったかな。私が見た限りではね。
で、『○○の夢女子』を見ていて思ったのはわりと『○○にこう振り回されたい(私が)』『○○にこう言われたい(私が)』っていう感覚があるなぁっていう。
別に「私が」「私が」って自分が無理矢理出張って来てるとかそういうことを言いたいんじゃなくて、何だろう、等身大のままで、キャラと触れ合ってる感じって言うのかな。
ちょっと美化したアバターなりなんなりを使っているけれど、基本は自分っていう感じ。
これね、すごく素敵だなぁって思ったんだよ。
◇
このブログの文章を読んでくれてる人がどれほど夢小説の歴史や内情を知っているかは知らないけれど(まぁ自分もよくは知らない方だとは思うんだけど)、
偏った自分の立場から一応説明しておくと夢小説はたくさんあって、いろんな人がいる。
『夢小説は自己投影がメイン、オリキャラ夢主は邪道!』っていう人がいたり、
全く逆に『自己投影なんて気持ち悪い。自分を入れてその妄想を形にして他人に読ませるの?は?』っていう人もいたりする。
それが自己投影かどうかオリキャラかどうかってのは、まぁ人によっては楽しさに関わってくるかもしれないけど、それ個人の問題じゃん。
『自分が楽しく読めないから、これは夢小説じゃない』なんてすっごい排他的!いやたぶんそうは言わないんだろうけど!
でも根本的な考えはそういうことなんじゃないかって思う。自分が歩んできた道じゃないから、自分の中にはなかったから、だから『本来の夢小説ではない』って言っちゃうんだろう。
今まで見なかったって言うのにウソはないと思う。きっと本当なんだと思う。
でも、自分が見てなかったからって、それ本当に無かったってどうして言えるんだろう。証明できる?
なかったことを証明するのかなって思うよ。
あと『無機物は邪道』『オリキャラは邪道』『男主は邪道』とかまぁたまに聴こえてくるけど、たとえば夢が二十年ぐらいの歴史のものだとして、十五年ぐらいそれらがあったとしよう(というかまぁ夢が発生してそれぐらいにはもうあったでしょ)。
それでも邪道なのかな。概念が存在してから半分以上存在していたものを邪道だって追いつめていく理由、ある?なくない?っていうか夢の本道って何なのさ。私は分からない。知らない。誰か知ってたらこれにTBして書いてくれ。
っていうか邪道があっちゃいけない理由って何?邪道で迷惑かけた?迷惑かけられたって思った事例があるなら、それはその人があなたに迷惑をかけただけで、別に『それ』が『あなたが好きな夢小説』を傷つけたわけじゃないよ。大丈夫。
まぁそんな感じで、『夢が好き、夢小説が好き、夢創作が好き』って想いがあってもその在り方は多種多様で、いろんな人間が『あれは夢』だの『あれは夢じゃない』だの言ってる世界なんだよ。
閑話休題。話を戻そう。
◇
すっげープリミティブで、でも(いやだからこそかな)わりといろんな人に受け入れられてて、あぁそう、こういう世界が良かったなって思った。
夢が嫌いな人がいてもいいし、夢が好きな人とわかりあえなくてもいいけど、こうやって『あぁそうそうそういうことされたいよね』って、オタク同士で笑いたかった。
(わりとね、一般人的には『ワンピースの誰それと結婚したい』って話は受け入れられやすいし話題にもされやすいんだけど、違うんだよー。もっと突っ込んで話したい。だからオタク界隈でも話したい。タブーみたいじゃなくて)
ただ、だからこそ『夢女子』と『夢者』は異なる概念なんだろうなーって。
ほんといきなり自分の話をして申し訳ないけれど、私はね、どうしたら私がしたい行動込みの物語で彼が振り向いてくれるだろうっていうだけを原動力にしたしぬほど自己投影の夢も書いたことあれば、こんな幼女を拾ってくれ!!!!ってめちゃくちゃ傍観者気取りで書いた夢もあれば、神さまのつもりで書いた夢もあれば、男になってこんな風にこいつらと笑いたかったって書いた夢もある。
人形をあやつる人間にもなれれば、原作CPをながめてもいられる。
その世界の取るに足らないふつうの人間にだってなれるし、獣にもなれる。
だから、『女子』っていう性別と、ある意味で『自分』という縛り?で独り歩きしてる『夢女子』っていう概念とは、私は相容れない。あくまで、私はね。
でも、『もしも私がこの物語の中に入れたなら』『もしもこの人の隣にいられたなら』っていうのを、嘲笑じゃなくて、『こういう創作もアリなんだ!』って思える人がいたら、増えたら、それはすごく素敵なことだし、そうあれる可能性がすごく高い概念だと感じてる。
自分が好きなことを他の人が既にしてて、間接的に肯定してくれるってめちゃくちゃ救われるんだ。私はそうだった。
だから逆に嘲笑をみたらとても悲しくなるし、一部の意見だったとしても、それが初めてみる他者の意見だったとしたら「これが世間の評価なのか」と苦しくなると思う。そんな思いはさせたくない。
だから、夢小説を黒い歴史のように扱われるのは嫌いだし、夢小説あるあるで笑いをとるのも嫌い。
夢小説に出会った時、私は「こんな世界があったのか」って感動した。
「私が考えてたことを、先人たちはもう名前まで変えられる形にしてたのか!」って嬉しかった。
だから、まぁこういうと夢女子もきっと夢創作の一部なんだと思う。
ただ『夢創作を好む人間』という性別も何も含まないフラットな呼び方の『夢者』とイコールの呼び方ではないし、そうはなってほしくないなって思うから、酒の力を借りてこんなエントリーを書いたよ。ねむい。終わる。
今の会社を3月末から4月中旬までの間に辞めるので、転職するまでの空き時間にアメリカに旅行したい。
ゲームが大好きなので、E3的なイベントがあればそれに行きたいが、単なる観光でもいい。
1 ロサンゼルス
(アルタstにいきたい。GTA5で俺のアバターが住んでた場所)
2 サンフランシスコ
(ジャパンタウンとGoogle本社にいきたい。Watchdogs2でよく行ってた場所)
3 ニューヨーク
(タイムススクエアにいきたい。Divisionってゲームでよく戦った場所)
4 シカゴ
(パーカースクエアだっけ?実際の現地の名前ちょっと思い出せないけど、Watchdogsの主人公の家のモデルになった場所にいってみたい。)
それぐらいかな。今思いつくのは。
何かいいところない?
例えば普段は青色の宝石が散らばる演出が最高レアだと虹色に輝く、普段は白の封筒にが青い装飾がつき虹色のカードが出現する、普段は白色の演出が金色・虹色の演出に変わる、など。
ここらへんは分析が足りてないなあ。
高額課金者は「必要なキャラなら出るまで回すけど不要なキャラなら徹底して回さない」タイプの人が多いよ。
(デレステとかアイマス系のソシャゲなんかは特にその傾向が強いと思う。推しキャラだけガチャ回して他はスルーって人が多いね)
追記:
キャラへの愛着心から無理をしてガチャを回し課金を重ねる・また全体的に年齢層がバラバラで学生プレイヤーも多いという観点からアイドルマスターシンデレラガールズを取り上げた。Twitterや匿名掲示板を見ていても「担当(好きな子)だから」と言って明らかに生活に負担を掛けてそうなレベルで課金しているのはこのゲーム以外にないと思う。
えー、そういう話だったの?
『それでもガチャゲーが廃れないのは何故か?』の項で示した理由とはぜんぜん違う話じゃん。
まぁ、それが問題であるのは否定しないけど、そこはガチャというよりはアイマスの世界観、プロデューサーというアバターの問題かなぁ。
推しのライブ行くために何十枚とCD積む人が普通にいる世界だからね。
touhu1018 その「出るまで回す」のが危険だと言ってるのでは。反論のポイントがナチュラルにずれてるあたりこの問題は深刻。
出るまで回す=法外な金額がかかることに問題がないとは言ってないですよ?
元増田は、ソシャゲ重課金者はガチャを引いていないと気が済まない薬物中毒者のような書き方をしているけど、そういうわけではないんだよ、という話です。
http://altavista.hateblo.jp/entry/2016/12/10/003830
実際両方やってたらシャドバがハースストーンをパクったかどうかなんて恥ずかしくて声に出せないレベルなんだが、どうやらわかってない連中がいるので。
なお、ハースストーンはMTGをパクったが、それはカードゲームという概念をパクったという意味であり、各種システムをパクったシャドバとは同列に扱わない。
偉大なるMTGが編み出したマナ・色マナの概念は豊かなゲームプレイの元とはなるが、土地事故であぼーんの元でもある。
ハースストーンでは毎ターン1マナずつマナが自動で増加し、10マナまで増え続ける事で序盤の小競り合いから10ターン目付近で巨大クリーチャー(または呪文)により決着をつけるという分かりやすいゲーム展開を生み出した。
各プレイヤーのターン中、対戦相手は操作によって盤面に干渉する手段は無い。お互いのやり取りを楽しむという意味では攻撃指定・防御指定・妨害呪文等を行使できればプレイの幅は広がるが、どうしても対戦時間の延長につながる。思い切って防御側は何も行動できない仕様となっている。
各ターンの持ち時間が比較的少なく、時間切れが迫るとアニメーションによって、切羽つまった感じとなる。
シャドバ=ターン終了ボタンが爆発?
これはそのまんま。
(追記:同じカードの中でもレアなキラカードがある。キラカードは性能は全く変わらないが他のカードが止め絵なのに対し、髪がなびいたりヨダレが垂れたり部分的なアニメーション演出がされている。)
ハースストーンやってたらシャドバのチュートリアルは不要なほど同じ。ほんと同じ。ボタンの配置や操作性とかもうほんとまじで。恥ずかしくないの?
シャドバにアリーナなんて無くても良さそうだがわざわざつけた。
途中で書いてて飽きて来たけど、やってたらわかるとしか言い様がないほどパクってる。
シャドバの開発者はハースストーンをどう和風に再構築するか?をベースに開発したのは間違いない。(ハースストーンはMTGを再構築したのでは無く、デジタルカードゲームを再構築した。)
結果として、分かりやすいインターフェース・ダイナミックな試合展開(ランダム性を意図的に排除し、強コンボによる爽快な戦い)+ログインボーナス・萌絵等、良いゲームとなっているが、シャドバがハースストーンのインターフェースを丸パクリしたこととそれはまた別の話。
ヒーローはあくまで「戦士・プリースト(感謝します)」といった職業を代表したキャラクターでしか無く、課金して別の名前・顔・セリフに変更できる(着せかえなので性能は同一)。
敗北するとヒーローが爆発する。
ヒーロの顔を選択すると周囲180度に漫画のようにセリフアイコンが表示され、それを選択すると「挨拶・感謝・煽り(感謝します)・反省」等のシンプルなセリフを表示可能。
カードを出したとき、カードが攻撃を受けたとき・死亡した等に、音声セリフなどが流れゲーム展開を盛り上げる(誰か怪我人はいませんか?)。
ダブって不要となったカードを使って、カードを生成出来る。コモンからレジェンドまで、生成出来ない限定カードは一切無い。
ゲーム場の背景は戦場だったりダンジョンだったり、賑やかしとしてモンスターや森などが動いている。
言っとくけどシャドバはシャドバでいいところ沢山あるからね。
入らなかった余談の余談。
上記記事の 余談 コンピュータと名前変換 ゲームと夢小説 を受けています。
長すぎて入らなかった部分ですので、これだけ読んでもわからないと思う。
余談の余談として、夢小説黎明期では、小説をデジタル媒体で読むということ自体が珍しかったが、現在はそうではない。素人が書いた小説だけではなく、プロの書いた小説も電子書籍として「出版」される時代になった。
ゲームでは主人公の名前だけに留まらず、アバターの外見を変える機能も、今となっては特別なことではなく、ありふれた機能になった。
そしてVRの市販。ヴァーチャル・リアリティがゲームに導入されることによって、否応なくプレイヤー視点のゲームが増えるのではないだろうか。インターネット回線を利用したユーザー対戦型の影響もあるだろう。同じゲームを遊ぶプレイヤーは誰もが「主人公」であり、主人公同士を相対化してユーザーネームを与えることで、アバターは相対的に「わたし個人」になりうる。
ゲームの主人公に対する我々の感覚は、技術の発達とともにいかようにも変化していく可能性を秘めていると私は思う。
媒体が変わる、技術が進歩することが与える影響は、読み物へ、エンターテイメントへ、たとえばゲームブックの一歩先のように、私たちの創作、二次創作に対しても新しい変化を促しても良いのではないかと私は思う。
「腐女子こそ夢小説を書くべき論」が話題になって「よくぞ言ってくれた」と喜んでいる人と記事自体に怒っている人がいた。
記事自体に怒っている人、とりわけ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」を読んで欲しい層として想定された(と思われる)「腐女子」以外の人について考えてみた。
腐女子以外で、この記事に対して怒っている人たちに、自分たちを「自己投影勢」と自称している人たちがいる。
夢小説を愛好する方の中で、主にガチ恋勢などと言われる人たちのことだ。
彼女らは、夢小説に出て来る名前変換が可能な「主人公」に自分だと思いながら、夢小説を読む。
私は怒っているので、キツイ言い回しになっているかもしれない。
この記事を書いている私は、彼女ら「自己投影勢」の「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に対する反応に怒っている。
私が怒っている対象は「自己投影勢の肩身が狭くなるから、こういった記事を書いて腐女子が書く夢小説を増やしてほしくない」と言っている人たちだ。
自己投影勢全般に怒っているわけでもないし、嗜好について私の理解が及ばないと思っていても馬鹿にもしていないし、気持ち悪いとも思っていない。
彼女らに私の嗜好を貶され、排除しようとされない限りは、はっきり言って、彼女らがどう思っているかは興味がない。
嗜好を名指しして「布教をするな」と言われたのでなければ、この記事を書くことはなかった。
上記の自己投影勢の説明ではあまりにいい加減なので、ある程度、前提条件を絞りたいと思う。そのために私の自己投影と名前変換に対する考えを記述する。
私と同じ考えだと自信のある方は飛ばしていいと思う。
目印として本題に入る部分に矢印をいっぱい付けておくのでそこまでスクロールして欲しい。
私のスタンスとしては、他人が書いた小説の主人公を自分だと思いこむことは特殊な技能であると思っている。
これは、キャラの恋人が自分だと妄想することとは別の話であることを留意してもらいたい。
誰かの恋人になった自分を空想すること自体は、誰もが抱くことのある欲求のひとつであると私は思う。空想し、それを作品にアウトプットすることもまた、ありふれた行動であると思う。
しかし、小説という作品媒体になったものを読むとき、登場人物が「自分だ」とはっきり信じることのできる人は多くないだろう。
映画や本を読むときに、話者となる登場人物に感情移入してストーリーを疑似体験する。これは基本的なエンターテイメントだと思う。
感情移入する登場人物は主人公に限らない。幼少の頃に見ていた映画を大人になって見ると、幼少の頃に思い入れた登場人物とは別の人物の気持ちになって泣いてしまった、ということはよく耳にする話だ。
さて。このとき観客あるいは読者は、登場人物は登場人物であって、自分とは別の個体であることを認識している。境遇を自分に重ねることはあっても、自分ではないと分かっているはずだ。
腕にひどい怪我をした人物を見て、自分の腕が痛い気がして顔をしかめる。怪我一つない自分の腕を押さえる。これが共感だ。多かれ少なかれ、誰しもが持っている感覚だといえる。
「共感」は人間の社会生活を円滑にする上で欠かせないものだ。一説では、サイコパスは共感的な感覚を先天的に欠いているのだという。共感が出来ないからと言ってその人がサイコパスであるとは限らないことに気をつけたい。
この共感が強すぎることで、映画やテレビを見るのが苦痛だという話が、しばらく前に話題になったと思うので、「共感」というものがピンとこない方はそっちを覗いてみるのがいいかもしれない。
話は戻って、名前変換によって、いくら登場人物が自分の名前を冠しているからといって、主人公が自分だと思い込む、ということは「共感」ではなく「同一化」に当たるのではないだろうか。
サイコパスの話を持ち出してしまったが、専門用語としての話ではないのでその点はご理解いただきたい。
自己投影と称している人の中で完全な「同一化」ができる人はそう多くないのではないだろうか。多くの人が、夢小説の中で恋愛をしているのは小説の中の「わたし」であって、今この世界にいる「わたし」でないものだと折り合いをつける。
2は、1よりちょっとだけ現実の私と切り離されている。 なんというか、原作世界や二次創作の世界をパラレルワールドだと認識しているのはこの層が多いんじゃないかなあ。 その世界の「私」となって、キャラと接するのがこれに当たる。
「同一化」と書いたものをこの方のいう1とするならば、2は「折り合いをつけている」人たちのことだろう。3の話はここではしない。
この折り合いが付けられた状態は、映画を見て登場人物に共感して涙することと差がないように私は思う。
夢小説は、コンピュータとインターネット回線の普及によってもたらされたジャンルであると思う。
それまでは小説といえば紙の書籍が主体で、印刷物として市販されている小説の主人公たちの名前は変えることができなかった。
それが、コンピュータの普及によってテキストの一部を自分の名前に変えることができるようになった。これを女性向けとして利用した人が現れる。これが夢小説のはじまりだと思う。
夢小説の出現よりもひと足早く、ゲームでも主人公の名前を自分の名前に変えることができることが「普通」になっていった。その片手で、インターネット上に公開された名前変換可能なテキスト群が夢小説と呼ばれることになった。
一見違うもののように見えるが、双方デジタル化によって生まれたユーザビリティの結果であり、本質的には同じものであると思う。
そこで、ゲームをしているユーザーは自分の名前のついた主人公を「自分だ」と思い込むことができるだろうか?
これは、できる人もいる、が正解だと思う。自分の選択によって動きを変える主人公が、自分であると思う人もいれば、画面の中で動く人型のイラストを、自分が操っている操り人形だと思う人もいるだろう。
後者については、海外に多い「プレイヤーの視点が画面になるタイプのゲーム」のユーザー間では減少する可能性がある。ゲーム内のアバターをアバターだと認識することは、ゲームのプレイヤーが自身のアバターを俯瞰する形になる、多くの日本産のゲームに特有の感覚かもしれない。長くなりそうなので、ゲームでの視点の話はこの程度にしたい。
余談の最後に、私が思うゲームと夢小説の違いをまとめて、話を「自己投影」についてに戻していこう。
ゲームには操作性の問題がある。主人公の行動を自分で操る事ができる。この点が、ただ与えられたテキストを読むだけの「夢小説」とは大きく異なる点だろう。
夢小説の中に出てくる登場人物の行動を、読者は変えることができない。
夢小説の中に出てくる登場人物のセリフを、読者は変えることが出来ない。
繰り返しになるが、自分の意思とは違う行動を取り、違うセリフを喋る主人公に「共感」するのではなく、「自分だ」と思い込む、「同一化」する事ができるということを、私は特殊な技能であると思う。
私の一歩先を行っているのかもしれない、とも思う。
「同担拒否」を自称する方たちに対して、いくつかの疑問がある。
まず、私が思うのは彼女らは何を読んでいるのだろう?ということだ。
人が書いた小説を読めば、必ず違和感が生じるだろう。お母さんが枕元で、主人公の名前を子供の名前に置き換えて読んでくれることとはわけが違う。クラスメイトに貴方が主人公の小説を書いてもらい、プレゼントしてもらうのとも違う。
ただ、スクリプトを使って文字列を自分の名前に置き換えているだけだ。
好きな食べ物も、癖も、言い回しも、得意な教科もすべて変換するわけにはいかない。そんなに違う「わたし」とどのようにして「同一化」するのだろうか。
自分と恋人の話を綴った物語を公開して、自分と同じように彼を恋人だと思いこんでいる人が読んで、自分の体験が他人のものにされることが不愉快ではないのだろうか?
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
本題にうつる前に周りくどく鬱陶しい話をしたのは、前提条件をはっきりさせておきたから、と断っておく。
本題はその「自己投影勢」がなぜ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に怒っているか?
なぜ、私が「自己投影勢」が怒っていることに対して怒っているか?
という話だ。
私がTwitterで観測した限り、怒っている理由には大きく分けて2つあったように思う。私が見かけた2つの理由について話をしたい。
怒っている理由その1
だそうだ。
これは見当違いな怒りであると私は思う。「腐女子こそ夢小説を書くべき論」の中で、たしかに
など書かれている部分はある。
しかし、これは、この記事を書かれた方の意見ではないのだ。少なくとも私にはそう読める。
私が読むところによると、これは、世間から「夢小説」に対して向けられている一般的な感想だ。
偏見としてあげられる言葉を持ち出すことすら許さないならば、許さない人が偏見を持っている人にやめてくださいと訴えるべきだ。怒りを持っていく場所が違う。
誰が発言するかによって怒りが違うならば、それは貴方の心にある差別が原因だろう。胸に手を当てて心当たりを探ることをおすすめする。
そういうのもあるけどそれだけじゃないよ!
としているが、自己投影的な考え方を否定しているわけではない。むしろ、全体を通して自己投影は誰もが持ち得るものだと書いているように私には読める。
そもそも、「それだけじゃないよ!」は嫌っている人に嫌いなものをそのまま食わせる馬鹿はいないので「夢小説はあなたが嫌いだと思っているものよりもずっと多様なものですよ」と話しかける言葉だ。自己投影を貶めることは書いていない。
行間から書いていない言葉を読み取るのはやめたほうがいいと、老婆心ながら言わせていただこう。
そのうち行間から呪詛を感じ取ってこの記事のせいで呪われたなんていい出しそうだ。
怒っている理由その2
というものだ。
はっきり言おう。私にはこの感覚がまったく理解できなかった。そして、これを理解したことによって怒っている。
夢小説のはじまりは、自己投影にある、と言っている人がいた。これは当初のことがわからないので、間違っているかあっているかは問題にしない。
私がこれに対していうことがあるとすれば「だから何?」だ。
だから? 幼稚園児が遊び場の権利を「すべり台はわたしが先に使っていたのでわたしのものです」と主張するくらいにどうでもいい。
余談としてゲームと夢小説の部分で触れたが、主人公の名前を変えるという考え方自体は珍しくない。それを二次創作に使うことは、誰にでも思いつく可能性があったことだと私は思う。
夢小説が流行り始めた当初、このスクリプトを自分で書くことのできる人は少なく、多くの人が他人からこれを借りた。
その借りた先の人が「夢小説」あるいは「ドリーム小説」と読んでいたのなら、これは自己投影云々についていた名前ではなく、名前変換というシステム自体につけられた名前であると私は思う。
異論はもちろんあると思うが、自己投影がたしかに原初であったとしても「だから何?」と私は返すだろう。
夢小説のルーツでの幼稚なマウント以外に、私は「追い出される」という感覚が理解できなかった。なぜなら、10年以上も前から、自己投影勢もあったし、オリキャラ勢もあった。共存していたのだ。
古の超大手夢小説検索サイト「ワンドリサァチ」さんのキャッシュからも、当時から細かく別れていた傾向のチェックボックスを見るとわかるのではないかと思う。
ちなみにワンドリサァチさんがページ消失したのはかなり昔のことだ。ワンドリサァチさんの消失は夢小説界隈を、まるで神に言語を乱され方方に散ったバベルの塔の逸話のように、引き裂いた。
夢小説史はさておき。なぜ突然、オリキャラ勢が押し寄せてきて……なんていいはじめたのか。
たしかに数年前から「夢主はオリキャラです」と発言しやすくなったことは感じているが、これはオリキャラ夢主で夢小説を書く人たちが、仲間を募り、自身の創作を楽しんだ結果であると思う。彼らは自分たちで、自分たちの楽しむ場を作った。これに嫉妬しているとしたら、理解に苦しむところだけれど、同担拒否です!この小説は私じゃないので読めません!なんて言って、他人を牽制しまくっている人がいるのなら、仲間が増えないのは当然だろうと思ったのでこの点は言及するのはやめておこうと思う。
私にとっては、自分の好みではない作品が増えたところで、自分の好きなものの絶対数が変化しなければ、どうでもいいことだったのだが、彼女らにとってはそうではなかったらしい。
問題になった「腐女子こそ夢小説を書くべき論」では、腐女子にBLを主題として扱った夢小説を書くことを勧めている。
このことに対してアレルギーを起こしたように反応している人たちがいた。
そもそも、オリキャラ夢主と自分の推しが恋愛しているという情報自体が気に入らないのだそうだ。
腐女子が参入することによって、腐向けでもあり夢小説でもあるものや、彼女らにとって不快なものが増えることによって、住処を追われるのだそうだ。
先述の通り、昔からオリキャラを主人公とする夢小説は存在していた。
夢小説を愛好する人の中には「腐向け」を嫌う人は多い。しかし、夢小説の中には「腐向け」の夢小説、BLDと呼ばれるものもある。BLの夢小説は彼女らが何を思うことにも関係なく、すでに存在する。
はっきりいいたい。「何様のつもりだ」
インターネット上は公共の場所だ。不愉快なものを見ることもあるだろう。しかしながら、貴方にとって不愉快なものは、誰かにとっての大切なものだ。それを見て貴方が気分を悪くするだけならいい。
気分が悪くなるから、遠慮しろ、肩身を狭くしていろ、というのは傲慢がすぎるのではないか。
腐女子も好きなジャンルで、自分が好きなカップリングとは受け攻めが逆のカップリングが増えてしまうこともあるだろう。逆CPは見るだけでイヤだという人も多いだろう。しかし、だからといって自分の気に入らないCPをの悪口を言ったり、そのCPが増えてほしいという人に、私の地雷だから布教活動をしないで下さい、と訴えることを考えて欲しい。
私なら人混みで鳩尾に肘を入れるし、靴を踏む。(暴力はよろしくないと思うがそれくらい腹立たしい)
貴方が自身の当然の権利と思って言っているそれは、これと同じことだ。恥を知るがいい。
マナーやら何やらで加工して訴えようと、本質は変化しない。貴方は自分が不愉快だからと、他人の活動を制限しようとしているのだ。いかなる理由をつけようと「布教活動するな」と訴える行為が正当化されないことを覚えておくべきだ。
腐女子の人が「自分の好きなものではないので書かない」ということとは、わけが違う。
自分の好きでないものに増えてほしくない、という権利は貴方にはない。
そして、自分の好きなものが数で負けるなら、その分は貴方がかけばいい。貴方が布教して増やせばいい。貴方の夢小説を読んで楽しいと思った人が、同じような小説を書くように努力すればいい。
蝗に怯えて耕作を怠るな。実りのない田畑では人も増えない。
心優しい私は、対処法をあなたに教えてあげようと思う。心して聞くがいい。
Web ブラウザ上の文字列を検索して非表示にするNGワード導入しろ。それくらい自分で調べろ。
最後に、そんな発言をしている人が存在するのか疑問に思う人もいるだろう。それでもツイートを引用することは控えたことの意思は汲んでいただけたらと思う。
http://d.hatena.ne.jp/shouh/20161107/1478521182
ggcについて
ggc とは Github Girls Collection の略で、女性 GitHub アカウントを Markdown でまとめたリポジトリでした。実装としては、Followings(自分がフォローしたユーザ)の中から、あらかじめリストに書いておいた女性アカウント名のみを抽出して、アバター情報などを取得し、リスト化するというものでした。GitHub API を Python で叩いていました。
リポジトリが炎上している中見ましたが、女性を❤️の数でランク付けしているように見えました。(リポジトリが消えてしまっているので曖昧な表現です…)
私はパット見でセクシャルハラスメントに当たるのではと感じました。
しかし、 http://d.hatena.ne.jp/shouh/20161107/1478521182 の記事ではpublicに晒されているデータを扱ったのになにが問題あるのかと書かれているように感じました。
このあたり
ここで思ったのは、ストーキングとは何だろう、ということです。私としては Google 検索やその他リンクなどから簡単に辿れる範囲で女性エンジニアの情報を集め、それをまとめて公開していただけで、ストーキングのつもりは毛頭ありませんでした。ストーキングって何なんでしょうね?
データを集めそれを公開しているだけならその理論も通じたのかもしれないと思いました。
ただ、データを集め、それを加工(自分の目線でランク付け)を行い、その順に並べて、publicにそれを公開していたのはセクシャルハラスメントに当たるように感じます。
じゃあこの人がいけないんですかね、もしかしたら、そういうことを考えることが出来ない環境で育ってきたのが悪いのかもしれないとか個人的には思いましたとさ。
またリポジトリはgithubのstaffにより削除されたようですが、セクシャルハラスメントではないかというgithub issueが立っていたらしいので、
githubが幕を下ろさず、issueでのやり取りを見ていたらもう少し先が見えていたのかもしれないなぁと思いました。
GitHubの謎生物が気になり、せっかくなのでIT界隈の動物(?)を用いた名前やロゴの由来など調べてみた。
※追記あり:Gopherファンに襲われそうなので。ごめんねGopher君
Q.どうしてタコなのに8本足じゃないの?
A.なにも考えずに描いたからね!
もともとデザイナーはoctopussと呼んでいたが、いくら訂正してもGitHubの社員がoctocatと呼ぶため、octocatで落ち着いた。
octocatはあの生物種の名称であり、monalisaという名前は社員の娘が学校の課題で名付けたもの。
種類:ニシキヘビ
名前: -
イギリスのコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』より。
またPythonという英単語はニシキヘビを意味するため、マスコットとしてヘビが用いられる。
オライリーの本とかすごい表紙だよね。
種類:ゾウ
種類:ゾウ
名前:slonik
「動物のロゴにしたいなら、象なんてどうだい?アガサ・クリスティの小説にもある『象は忘れない』だ」
― PostgreSQL発足時のメーリスより
種類:ゾウ
名前: -
象は記憶力が非常に優れた動物のため。PostgreSQLと同じで、象の優れた能力にあやかっている。
種類:ヌー
名前: -
種類:キツネ
名前: -
もともとPhoenixという名前だったが、商標権を侵害していたので、公募でFirebirdという名前に決定。
しかし今度はDBに同じ名前があったので、Firefox(レッサーパンダの別名)に改名。
みなさん命名は慎重に。
種類:クジラ
『白鯨(Moby-Dick)』より。クジラを採用した理由はデザイン見れば納得。
種類:ペンギン
名前はタキシード(Tuxedo)を着ているように見えるから。
ロゴコンテストで決定されたが、他の作品を見ればなぜ選ばれたのかよくわかる。デザインって大事。
https://www.cs.earlham.edu/~jeremiah/linux-pix/linux-logo.html
種類:鳥
名前:ラリー・バード
名前はNBAのラリー・バード選手より。社員がファンだったらしい
ちなみに初期のTwitterのデザインはGitHubのデザイナーが手掛けたもの。すごいっすね。
種類:シーサー
名前: -
種類:イルカ
名前:Sakila
種類:ネコ
名前: -
オライリーの本に載ることを考慮して動物をマスコットにしようと考え、「自立した強かさ」を持つという意味でTomcat(雄猫の愛称)を採用。
しかし、猫はオライリーのUML本で使われてしまい、念願のTomcat本にはユキヒョウが使われたという…。
種類:Dogcow(イヌ+ウシ)
名前:Clarus
昔々、Mac OSで用紙の向きや色を表示するために使用されていたらしい。
知らんわ。
種類:ウサギ
名前:Glenda
OSの名前である「Plan 9~」はエド・ウッドの『Plan 9 from Outer Space』に由来。
ウサギの名前であるGlendaはエド・ウッドの『グレンとグレンダ』に由来。
どんだけエド・ウッド好きなんだよ。
ニュージャージーのWFMUラジオで、Renee Frenchによって宣伝用のTシャツに描かれたのが、彼の初登場。
その後、Bell labsのメールシステムでアバターとして起用もされた。
(ちなみにReneeはBell labsのGlendaを描いた人。Glendaもアバターの一員だった)
そうして2009年、Goプロジェクトが発足し、ロゴを検討していたメンバーにReneeが無償で描いてあげたのが「Go gopher」である。
みんなGo Gopherと呼ぶので、特に固有の名前は無いらしい。
由来は下記サイトにありました。
実写版ちはやふるは面白かった。実写化の噂がある氷菓もちゃんと丁寧に作れば面白くなりえると思う。
でも実写版咲-Saki-は何をどうやったら面白くなるのか見当がつかない。
例えば、忠実にっつってピンクや赤や紫のカツラをかぶってカラコン入れた超ミニスカートの女子が目にCGの炎を浮かべながら麻雀を打つ図というのを想像したら、これはもう何をどう頑張っても寒い。
個人的な好みだけど、現実的じゃない髪色や髪型のキャラが現実世界を歩くのが好きじゃない。ワックスでがっちり固めて原作と同じ髪の形にしたりとかも。
別に髪の色とかを原作そのままにしなくても、そのキャラらしさは出せると思う。漫画やアニメだから成立するものというのは確かにある。
髪や語尾等は突飛な感じを抑えて、部活にかける思いとか仲間との交流とか試合の緊張感の雰囲気なんかを前面に出して、部活青春群像劇として描くのがいいかもしれない。
咲-Saki-本編というよりもシノハユっぽい感じで。けどその場合、麻雀の試合をどうしたものか。
地味な競技であっても、たとえばポーカーの勝負をスリリングに描いた名作映画なんかもあるにはあるので、面白く描くのは不可能とは言わないが難易度はかなり高い。そもそも麻雀のルールの認知度が低い。花や炎や電気やアバターのようなケレン味あふれる演出は、麻雀を知らない人にもどちらが優勢か、どれくらい相手が強いのかを分かりやすく示す役割も大きい。観客やチームメイトのリアクションでどうにかなるだろうか。不可能ではないとしても、作る上での難易度はさらに上がりそうだ。理想を言うなら、実写版るろうに剣心の殺陣くらいのケレン味のバランスが望ましいのだけど。
あれこれ書いたけどまあ無理だろうなとは思う。きっとコスプレアイドル映画だろうなとも思う。B級映画も嫌いじゃないのでそういう楽しみ方もできなくはないかもしれないけど、原作が好きだとちょっとキツい。
いちおう公式サイトは時折チェックするつもりではいるけど実写版を見るかっつったらたぶん見ません。
実際に見て面白かったりしたら教えてください。
終わろうと思ったところで1つ思いついた。ドラマを4話の後に劇場版というのが、4話のドラマがそれぞれ清澄編・龍門渕編・風越編・鶴賀編で劇場で決勝戦とかだったらちょっと面白そう。そしたら見る、かも。
運営会社を変えたんじゃが人は戻らずサービス終了したゲームがあるんじゃよ
今日はいかにそのオンラインゲームがクソだったのかを教えてやるわい
フルメンバーが固定で組んでるチームとランダムでくまされたソロがマッチするんじゃわい
当然固定チームはVC駆使してるし慣れたメンツだから圧倒的じゃわな
このチームVS野良という構図は当初からずーっと指摘された問題点じゃったが
ロールって何それおいしいの?的なジャパニーズたちが大挙してきたのに
それの誘導をまともにせずしばらく運営として放置してたんじゃよ
おかげでキャリー(チームの火力となる存在でこいつがいないと敵を倒しきない)がいないとか
タンク(壁役、最初から最後まで活躍する)が一人しかいないとか平気でピックされて
ゲーム本来の楽しさを理解する前に罵詈雑言が飛び交い罵りあう環境と化したのじゃよ
これもまともに対策するのは運営会社が変わって解説動画をアップするようになってからじゃったが、
こういうのは初動にしないと意味ないんじゃよなあ
今でもツイッターで楽しくしている遠藤豆Pはその熱心さの少しでも
ビギナーの指導に当てていれば違う未来を歩けたかもしれないのう
もう痛々しい限りじゃったよ
同時接続数は全然伸びないし大した実力者でもない放送主でも人気が高ければヨイショされる始末
そして頻繁にネカフェで対戦会が開かれるもその試合内容を使ってレッスンを始めるわけでもなし
その意味のない対戦会の時間をちょっとでもマッチング調整に当てていれば違う未来があったのにのう
RTSといえばリバースヒーローはおなじみじゃが、なんとSEGAのCHO運営はこれを「アバター」にしおったんじゃよ!
いやあ、運営が無知だと恐ろしい限りじゃ、平気でゲームバランスを壊しかねない改悪をしてきおるからのう
この理由はリバースキャラではなく着せ替えとして売り出した方が収益が出ると判断したみたいじゃな、謎理論じゃが
そして案の定ブーイングの荒らしで、結局しばらくしたらゲームマネーを返却してリバースヒーローとして売り出しおった
どんな神経しとるんじゃろうなあ・・・
内容の如何に関わらずろくな調査もせずに通報数が多ければ自動的にBANじゃ
おかげでプレイヤーはだんだんとチャットすらしないようになり、
黙々と地雷が何をしてようが黙ってプレイして勝とうが負けようがチャットなしでプレイしていたというありさまじゃ
対戦会で騒いでる暇があったら通報内容のチェックをしたらよかったんじゃなかったのかのう
6.最後まで何が悪かったのか気づかなかったCHO・SEGA運営
結局担当のプロデューサー遠藤豆Pを首にするという形で終わらせたんじゃな
ぶっちゃけるとCHOは最初からSEGAにとって捨て駒だったんじゃよ
それは自社内で開発中のワンダーランドウォーズのための下地が欲しかったんじゃ
よくRTSを日本で売るためのタイトルがなかったからとCHOが選ばれた意味を説明されておるがこれは誤りじゃ
先に述べたワンダーを売り込むためにRTSの存在をある程度認知させたかったのが目的じゃよ
そしてノウハウも回収できた段階で切り捨てたというわけじゃなあ
元々RTSの知識なんて無かったエンドウ豆を起用したのも最初から成功させるつもりはなかったんじゃよ
とまあ、終わるべくして終わったオンラインゲームの話じゃった
http://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1014668.html
↑これを見て思ったことをつらつらと。
観光振興にちょこっとだけ関わった人間として、ポケモンを使って地域振興・観光振興というのは俺も考えたし、おそらく日本全国の自治体で遡上に載ってることと思う。
日本全国数百万人(?)のプレーヤーがすでにいるプラットフォームでPRができるというだけでも十分な広報効果が期待できるし。
で、ポケモンGOを地域振興に使うなら、カントー(関東)・ジョウト(関西)・ホウエン(九州)・シンオウ(北海道)とポケモンの舞台は日本の街がモデルだったことをもっと活用してほしいなと思う。
ポケモンは
・育てたポケモンを戦わせるバトル要素→ジム戦、対人戦は近々実装予定?
があったはずだ。
・子供のころ最初に選んで一緒にチャンピオンロードまで行ったフシギダネにまた会えた
・トキワのもりでピカチュウ探すため延々歩き回ったのと同じことを現実世界でできるようになった
と子供のころのポケモンの思い出や本当にやりたかったことを目の前に見せてくれている。
・ロケット団どこ?
だと思う。
これに現実世界を絡めると、例えばマサラタウンのモデルになった下田にいけばオーキド博士に会えるとかそんな感じ。
個人的には別にレアポケモンが出るとかなくてもよくて、画面上にオーキド博士が出てちょっと喋ってくれるだけでもうれしい。
Ingressのアノマリーみたいなことするならぜひマサラタウンからトキワのもり、ニビシティへとゲームの中を追体験するようなイベントがほしい。
わざわざNianticと共同でやるんならそんなことしてほしいなあと思った次第。
現実的な話として前作のIngressは観光振興に役立ったかというと微妙なところ。
文化財とかがポータルになってる点やミッションの存在は観光に役立つかと思われたけど、遠くまで足を運ぶ動機には弱かった。
どちらかというと「地元の隠れた文化財を見つける街歩きをしよう」みたいな、部署で言うなら教育庁とか文化振興関係のほうが親和性が高かったように思う。
観光振興目指して遠くから人を呼びたいならやっぱりほかの地域で普通にプレイしてたらまず手に入りにくいものが何かないときついよねーと。
その地域だけのポケモン・アイテム・アバター・イベント・実績……。旅の思い出になるなら別にゲーム内で対して役に立たなくてもいいとは思う。(サンダーがでるむじんはつでんしょは福島の……と考えたがさすがに不謹慎すぎる)
誘客が目的じゃなくて客単価を上げることが目的ならなお難しそう、ゲーム内の要素と現実世界の要素がうまくリンクできればいいのだけど。
お買い上げ○○円ごとにもらえるバーコードを読み込むとゲーム内アイテムをもらえるとか? やり方間違えると若干炎上しそうだ。
スタンプラリーとかはこういうのでよく使うけど、意外と実につながらないパターンが多いし。
位置ゲージャンルにはすでに先駆者が多くいるけど目立って成功した事例がないのが難しさを物語ってるように思う。
あくまで位置ゲーは観光するときのプラスアルファ、それだけを目的に来るコアなファンも若干いるけど、普通の観光地としてのよさもPRできなきゃ一般の客はよりつかんよねと。
一番安価かつ無難な活用は町でポケストップが密集してて充電できる場所を観光地図に書き込むとかそんなんか。
とりあえず観光に活用しようとするなら、自治体にはポケモンをよく知った若い世代の人の意見はよく聞いてほしいところ。
アニメや漫画で町おこしと同じで、取扱を間違えると炎上するだけ。
↓このへんもお偉いさんに読ませたい。理解しないだろうけど。
http://ascii.jp/elem/000/001/173/1173185/
まあ、マスコミの連日の批判的な放送やらポケモンGOブームは終わったみたいな言説聞いて、そもそも上が否定的な態度を示すかもしれないけど。
一プレイヤーとしてはポケモンGOは最近のバランス調整うんぬんとか不満もあるけど、根本のところで「これが本当にやりたかったポケモンだ」というのを感じさせてくれるので、もっと長い目で見ていきたい。
もっとポケモン世界を現実に感じさせてくれるいろいろな仕掛けをNianticなら用意してくれるだろうと期待して、コイキングに逃げられても我慢して待ってます。
追伸
自分はプレイしてないんだけど、外伝で出てる「ポケモン+ノブナガの野望」はご当地武将ネタが地域振興の鉄板なので使いやすそうなネタだなーと思った。青葉城のジムにマサムネがいるとかそんな。
くまモンげっとさせろというブコメもあったが、遠野で妖怪とかはどうだろう。151匹集めるコレクション要素は意外とすぐ完了しそうなので、ジョウトのポケモンなりゆるキャラなり集める対象が増えないと面白くないよなぁ。