入らなかった余談の余談。
上記記事の 余談 コンピュータと名前変換 ゲームと夢小説 を受けています。
長すぎて入らなかった部分ですので、これだけ読んでもわからないと思う。
余談の余談として、夢小説黎明期では、小説をデジタル媒体で読むということ自体が珍しかったが、現在はそうではない。素人が書いた小説だけではなく、プロの書いた小説も電子書籍として「出版」される時代になった。
ゲームでは主人公の名前だけに留まらず、アバターの外見を変える機能も、今となっては特別なことではなく、ありふれた機能になった。
そしてVRの市販。ヴァーチャル・リアリティがゲームに導入されることによって、否応なくプレイヤー視点のゲームが増えるのではないだろうか。インターネット回線を利用したユーザー対戦型の影響もあるだろう。同じゲームを遊ぶプレイヤーは誰もが「主人公」であり、主人公同士を相対化してユーザーネームを与えることで、アバターは相対的に「わたし個人」になりうる。
ゲームの主人公に対する我々の感覚は、技術の発達とともにいかようにも変化していく可能性を秘めていると私は思う。
媒体が変わる、技術が進歩することが与える影響は、読み物へ、エンターテイメントへ、たとえばゲームブックの一歩先のように、私たちの創作、二次創作に対しても新しい変化を促しても良いのではないかと私は思う。
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