●結論:最近みる『夢女子』って単語は、『夢者』とはまた違った歩き方をしてて楽しいぞ。
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たぶん、夢小説を読まない人はこの『夢者』っていうのを知らないと思う。まぁ一部界隈で使ってるだけだから別に夢を好んで読む人も知らないかも。でもとりあえず知名度の話はいいや。関係ないし。
で、最近『○○の夢女子』っていうタグが流行ったよね。流行ったんだよ。○○にはいるのは特に女性キャラが多かったかな。私が見た限りではね。
で、『○○の夢女子』を見ていて思ったのはわりと『○○にこう振り回されたい(私が)』『○○にこう言われたい(私が)』っていう感覚があるなぁっていう。
別に「私が」「私が」って自分が無理矢理出張って来てるとかそういうことを言いたいんじゃなくて、何だろう、等身大のままで、キャラと触れ合ってる感じって言うのかな。
ちょっと美化したアバターなりなんなりを使っているけれど、基本は自分っていう感じ。
これね、すごく素敵だなぁって思ったんだよ。
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このブログの文章を読んでくれてる人がどれほど夢小説の歴史や内情を知っているかは知らないけれど(まぁ自分もよくは知らない方だとは思うんだけど)、
偏った自分の立場から一応説明しておくと夢小説はたくさんあって、いろんな人がいる。
『夢小説は自己投影がメイン、オリキャラ夢主は邪道!』っていう人がいたり、
全く逆に『自己投影なんて気持ち悪い。自分を入れてその妄想を形にして他人に読ませるの?は?』っていう人もいたりする。
それが自己投影かどうかオリキャラかどうかってのは、まぁ人によっては楽しさに関わってくるかもしれないけど、それ個人の問題じゃん。
『自分が楽しく読めないから、これは夢小説じゃない』なんてすっごい排他的!いやたぶんそうは言わないんだろうけど!
でも根本的な考えはそういうことなんじゃないかって思う。自分が歩んできた道じゃないから、自分の中にはなかったから、だから『本来の夢小説ではない』って言っちゃうんだろう。
今まで見なかったって言うのにウソはないと思う。きっと本当なんだと思う。
でも、自分が見てなかったからって、それ本当に無かったってどうして言えるんだろう。証明できる?
なかったことを証明するのかなって思うよ。
あと『無機物は邪道』『オリキャラは邪道』『男主は邪道』とかまぁたまに聴こえてくるけど、たとえば夢が二十年ぐらいの歴史のものだとして、十五年ぐらいそれらがあったとしよう(というかまぁ夢が発生してそれぐらいにはもうあったでしょ)。
それでも邪道なのかな。概念が存在してから半分以上存在していたものを邪道だって追いつめていく理由、ある?なくない?っていうか夢の本道って何なのさ。私は分からない。知らない。誰か知ってたらこれにTBして書いてくれ。
っていうか邪道があっちゃいけない理由って何?邪道で迷惑かけた?迷惑かけられたって思った事例があるなら、それはその人があなたに迷惑をかけただけで、別に『それ』が『あなたが好きな夢小説』を傷つけたわけじゃないよ。大丈夫。
まぁそんな感じで、『夢が好き、夢小説が好き、夢創作が好き』って想いがあってもその在り方は多種多様で、いろんな人間が『あれは夢』だの『あれは夢じゃない』だの言ってる世界なんだよ。
閑話休題。話を戻そう。
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すっげープリミティブで、でも(いやだからこそかな)わりといろんな人に受け入れられてて、あぁそう、こういう世界が良かったなって思った。
夢が嫌いな人がいてもいいし、夢が好きな人とわかりあえなくてもいいけど、こうやって『あぁそうそうそういうことされたいよね』って、オタク同士で笑いたかった。
(わりとね、一般人的には『ワンピースの誰それと結婚したい』って話は受け入れられやすいし話題にもされやすいんだけど、違うんだよー。もっと突っ込んで話したい。だからオタク界隈でも話したい。タブーみたいじゃなくて)
ただ、だからこそ『夢女子』と『夢者』は異なる概念なんだろうなーって。
ほんといきなり自分の話をして申し訳ないけれど、私はね、どうしたら私がしたい行動込みの物語で彼が振り向いてくれるだろうっていうだけを原動力にしたしぬほど自己投影の夢も書いたことあれば、こんな幼女を拾ってくれ!!!!ってめちゃくちゃ傍観者気取りで書いた夢もあれば、神さまのつもりで書いた夢もあれば、男になってこんな風にこいつらと笑いたかったって書いた夢もある。
人形をあやつる人間にもなれれば、原作CPをながめてもいられる。
その世界の取るに足らないふつうの人間にだってなれるし、獣にもなれる。
だから、『女子』っていう性別と、ある意味で『自分』という縛り?で独り歩きしてる『夢女子』っていう概念とは、私は相容れない。あくまで、私はね。
でも、『もしも私がこの物語の中に入れたなら』『もしもこの人の隣にいられたなら』っていうのを、嘲笑じゃなくて、『こういう創作もアリなんだ!』って思える人がいたら、増えたら、それはすごく素敵なことだし、そうあれる可能性がすごく高い概念だと感じてる。
自分が好きなことを他の人が既にしてて、間接的に肯定してくれるってめちゃくちゃ救われるんだ。私はそうだった。
だから逆に嘲笑をみたらとても悲しくなるし、一部の意見だったとしても、それが初めてみる他者の意見だったとしたら「これが世間の評価なのか」と苦しくなると思う。そんな思いはさせたくない。
だから、夢小説を黒い歴史のように扱われるのは嫌いだし、夢小説あるあるで笑いをとるのも嫌い。
夢小説に出会った時、私は「こんな世界があったのか」って感動した。
「私が考えてたことを、先人たちはもう名前まで変えられる形にしてたのか!」って嬉しかった。
だから、まぁこういうと夢女子もきっと夢創作の一部なんだと思う。
ただ『夢創作を好む人間』という性別も何も含まないフラットな呼び方の『夢者』とイコールの呼び方ではないし、そうはなってほしくないなって思うから、酒の力を借りてこんなエントリーを書いたよ。ねむい。終わる。