はてなキーワード: ぼんやりとは
27歳を迎えた。まだまだ人生序盤かとは思うが、改めて自分の平凡さに驚いた。
人より少し貧しい家庭で、五体満足に生まれ育つ。
両親は中学生のときに離婚したが、3組に1組が離婚する現代においてはさして珍しいことではないと思う。大学は諸事情により中退したが、紆余曲折を経てやりたかった仕事につけているし、年収も平均ラインにいる。
思春期に精神科にかかったことはあるが、思春期特有の麻疹みたいなものだと思うし、今は寛解している。身体的な大病は患ったことはない。2回ほど車に轢かれたもののかすり傷で済んだし、特に大怪我を負った記憶もない。
性的嗜好はヘテロセクシャルだし、自分の性自認に迷ったこともない。
まだ独身だが、過去に何人か恋人はいたし、いまも交際をしている人がいる。
ぐったりしてしまう。
何もする気力が起きないし、朝も起き上がれなかった。今日が祝日でよかった。ずーっと頭がぼーっと痛い。いっそのことガンガン痛ければ病院に行くなり薬を飲むなりしようと思えるし、そうしても許されるんだろうけど、ちょっとぼーっと痛いだけだと、まあいいやってなってしまう。わたしが我慢してればいつか終わるし。
この、かなり痛いことなら助けを求めれるけどちょっと針が指先に刺さったぐらいの痛みなら自分が痛ければいいやみたいに思うの、あまり良くないことらしいと最近知った。
もちろん一々小さいことでギャンギャン泣くのは赤ちゃんみたいだから、多少の忍耐は必要なんだろうけど。なんか、もっと他人に頼ってもいいらしい、みたいな。
ふと、小学校の給食の時間を思い出した。もともとクラス内で影がうすいタイプな上、窓際一番後ろという一番目立たない席になった年があった。案の定、今まで以上にわたしは空気だった。
確かその時だったと思うが、わたしの給食が一皿だけ配膳されなかったことがある。その時も気づいたけど、まあ大して人に言って持ってきてもらうほど食べたいわけでもないし、無いなら無いでいいやと思って何も言わなかった。いただきますを言う前になって、当番の子が一皿余ったけど誰が無い?ってクラスのみんなに聞いて、言おうとしたけどまあいいやってなって言えなかった。結局その給食をもらったのか何も言わないままだったのかは、今となってはあんまり覚えがないことだけど。
無いなら無いでいいや。あって、わたしにもらえる権利があるならもらう。好きにすればいい。
受動的と言えばまだ聞こえはいいけど、ただ甘ったれなだけなのかな?とは思ってる。
いきなり話は変わるけど、やっぱり創作活動きつい。褒められたいが勝つと創作やりにくくなるし一旦距離置いた方がいいって聞いて、距離置いてたけど書きたいのは書きたい。書きたいんだけど、書いてないぼんやりしてる時間にあまりにも自分に何もなさすぎて虚しくなる。才能も無いのに書いてて、必要がないものを書いてて、ってすごく虚しくなる。
眠ってる時間はいい。何も考えなくてもいい。見る夢が大体すごく奇抜だから夢占いなんかをたまにしてみるんだけど、当たってるような当たらないような。
感情の取説が欲しい。取説があっても取説に書いてない感情になったら困るからやっぱり決められたい。ロボットのスイッチみたいに「うれしい」「おこる」「かなしい」「たのしい」って付けて。なんだかよく分からない感情に振り回されるのはもう嫌だ。すっきりしたい。無機物が羨ましい。
お元気でしょうか、先生。
友達はいたけどわたしのことをよく思わない子もクラスには一定数いた気がする。
とにかく人とうまくやれなかった。
たぶん嫌われてはいなかったと思うけど
神経質だし気にしすぎなくせに我儘だったり、自分のそういうとことうまく付き合っていけなくてつらかった。今もだけど。
そんな感じだったので親にカウンセリングに通わされていた。
市のセンターのやつとかスクールカウンセラーとかいろいろ。
その頃から市の大きめの病院の神経科、という名の精神科のカウンセリングにお世話になり始めた。
どんな話をしてたかは覚えてない。
月1回1時間弱、話すだけ。ただそれだけの時間が高校2年生まで続いた。
先生は割と自分の体験談も交えて話してくれるタイプのカウンセラーで、合う合わないはあると思うがわたしはそれで逆に安心した。
優しく聞いてくれるけど、だめなことはちゃんとだめって言ってくれる人で、高校に入ってバイトをし始めたわたしの通帳を親が管理していると知ったときに、それはよくないって止めてくれたのは覚えてる。
わたしは戸惑った。月1だけどここ以外にほんとのわたしを知ってくれている場所なんてなかった。
最終回。
今まで親にはずっと
いつもいい顔ばかりして
みんなわたしが爆発してもどうしてって顔をして
でも、先生はそれでも良いって言ってくれた
あれがあったからここまで生きてこれたと思う。
もちろんそれはわかっている、信用ならないと思っていた、けど
きっとそれだけじゃなかった。って信じたい。
今でも思い出すたびあったかい涙が出る。
うれしかった。とても。
心の奥の大切なものを入れている引き出しに、ちゃんとしまってある。お守りみたいに。
わたしもそんな人になりたくて、今進路を決めている
カウンセラーではないが
すべての人がそれぞれの輝ける道を歩けるように
理想かもしれないけど。
きっと私は誰かの一番はなれないし、私も誰かを一番に選ぶことなんてないんだろう。
私は誰かを好きになることもなく生きてきた。恋をすることなく生きてきた。
学生時代には友人の恋バナを聞いて、会社に入ってからは同僚や先輩たちの恋人の愚痴を聞いて生きてきた。いつかは自分もこうなるんだろうか、なんて考えながら。
小学生の頃、○○ちゃんは○○くんのことが好きだとかそういう噂話をよく聞いた。小学生の頃の「好き」は何だかおままごとみたいというか、噂する方もあまり真剣みがないというか、子供らしい遊びの一種というか、とにかくなんとなく「軽かった」。
中学生になってからは、そういう話は仲の良い子達だけでひっそりと語るようになった気がする。小学生の頃よりはそういった話題に慎重になった感じがするのだ。彼氏、彼女という言葉に現実味が出てきた。
テスト期間中、少し早く登校したときに、教室で同級生が仲睦まじくしているのに少し驚いた。邪魔をしてしまったなと思いながらも私は席についてテスト勉強をし始めた。
高校生。私の周りだけかもしれないが、恋人がいる、交際をしている……という子は少なかったような気もする。それでも中学生の頃よりは恋人がいる子が増えた。彼氏、彼女持ちは鞄にお揃いのディズニーのマスコットをつけていた記憶がある。一緒にディズニーに行ったんだろうな~。そんなことを考えていた。
高校生になる前はうすぼんやりと「高校生になったら私にも恋人が出来るんだろう」と思っていた。雪が溶けたら春が来るだろう、くらいの何の根拠もない漠然とした話だ。当然、私には彼氏も彼女もできなかった。
私は大学にはいかずに専門学校へいった。ちょっと特殊な学校で、私の在籍した科には十人ほどしか人がいなかった。男女比は極端に片寄っており、でもそれに何らかの不満も抱くことはなかった。ここでも恋人は出来なかった。けれど周りを見渡せば、恋人がいない方が珍しかった。バイト先や高校で知り合った人と交際しているのだ、という話に私は「すごいね」と笑った。自分には何だか現実的でない話のように思えたから、本当に他人事だった。
恋人が欲しかったか、と言われると返答に困る。人の話を聞くといたら素敵だろうな、お休みの日に出掛けたりしたら楽しいのかな、などと思えるけれど、女の子達の「彼氏とずっとラインしてる」や「三日もラインに既読がつかない」なんて話を聞くたびに正直『めんどくせぇな』と思った。そんなにこまめに連絡を取る几帳面さは私にはなかったし、そんなにたくさん話すことがあるものなのか、と驚いた。
でも、クリスマスになると男女問わず恋人に何をプレゼントしよう、どこでデートしよう……なんて頭を悩ませているのが素敵に見えた。恋人がいない身ながらも、プレゼントはこんなのがいいんじゃないかとか、こんなところでデートできたら素敵だとか、友人の相談にほんの少し乗ったこともある。
会社に入ってからも、私は恋人を作ろうとはしなかった。多分心のどこかで突然できるものだと思っていたのだろう。望まなくともそのうちなるようになるんじゃないか。今は恋人より仕事の方が大事だし。そんな風に考えて、結局ここまで来てしまった。
かつての同級生も結婚や出産をし始めている。二十三才の頃に「このままじゃいけないんじゃないか」と焦って婚カツをしてみたりもした。そこで私は気づくのだ。「私は恋が出来ない人間なんじゃないか」と。
そこまでの経緯は省くが、婚カツをしていてなんとなくいい雰囲気になった人がいた。何回か一緒に出掛けたりして、ランチしたりショッピングもしてみたりした。何しろ恋愛経験がないから男女が二人で連れ立って何をするものかもわからない。それでも何となくそれらしいように振る舞った。そのくせ、ショッピングしている間も食事をしている間も、私の頭の中には「何をしているんだろう」という疑問がずっとあった。
知らない人とご飯を食べて、買い物して、それで私は何をしたいんだろう?どうなりたいんだろう?
デートのような何かを終えて、別れ際に相手の人が笑顔で「またね」と手を振ってくれた。
本来ならこれはとても良いことなのだろうし、私に好意を向けてくれたのは本当にありがたいことのはずなのだ。けれど私は「ええ、また」と微笑む一方で「馴れ馴れしいな」と思ってしまった。
馴れ馴れしいな。そう思ってしまった瞬間に、私は「恋が出来ない人間なんじゃないか」とふとひらめいてしまった。
厳密に言えば私がしていたのは婚カツだし、婚カツとは結婚相手を探す活動だ。だからもしかしたらそこに「恋」を求めるのはお門違いなのだろう。
ともかく、好意を向けてくれたのであろう相手に「馴れ馴れしいな」と思ってしまった自分の最低さを恥じながら、私はその半月後には婚カツをやめていた。
恋人ってなんだろう、と思春期のような問いをずっと抱え続けている。婚カツをしている間にドライブに誘ってくれた異性も、夜の食事に誘ってくれた異性もいる。けれど、最終的には「面倒くさい」「ちょっと気持ち悪い」というような、本当に失礼な気持ちを抱くに至ってしまった。
ドライブといえば車の中でふたりきりなのだろうし、夜の食事といわれるとどうしても身構える部分がある。
「用心深すぎる」「隙がない」。知人友人によくそう指摘される私は、ここでも用心してしまった。
車で二人きりになって、そのまま知らないところへつれていかれたらどうしよう。食事で席をはずしたときに飲み物に変なものを混ぜられたらどうしよう。
書き出していて思ったが、これは都合のいい自分への言い訳なんだろうな。用心深く相手を見るということは、つまりは相手を信用していないというわけで、きっと私は端から相手のことを信用しようだなんて思っていなかったのだろう。でもそんな自分を正当化したくて「用心深い」なんて話を引っ張ってきたんだろう。
人を好きになるということは、その人を尊敬するのと似ているように私は思う。尊敬できる部分があるから好きになれるんだろうと思う。一緒にいて心が楽になるとか、楽しいとか、そういうメリットがある人間を人は「好き」になるんだと思う。自分にとってデメリットばかりの人間を好きになるひとがいるとはちょっと思えない。
私も友人や家族のことは好きだ。尊敬できる部分があるから。でもそれは「恋」じゃない。
恋をしてみたかった。
自分の中の何かを決定的に塗り替えてしまうような、その人のことしか考えられなくなるような、一言言葉を交わすだけで胸がドキドキするような、そんな経験をしてみたかった。
けれど、自分がそういうものを望めない人間だというのを何となくだがさとってしまった。
きっと恋をすれば、恋人になれば、手を繋ぐ以上のこと、キス以上のことにもなれていかなくちゃいけないだろう。しなくちゃいけないんだろう。私にはどうもそれが出来ない。
手を繋げるのはおそらく家族と友人の範囲までだろう。他人の体温は生ぬるく、どうも落ち着けそうにない。キスも同じだ。映画、ドラマ、アニメ、漫画。物語の中で交わされるそれはドラマチックだけれど、自分がすることを考えると鳥肌が立つ。
一人でいるのは気が楽だ。自分のことは自分で決めて、自分以外の何者にも振り回されないというのがすごく楽だ。
誰かの一番にはなれそうもないし、誰かを一番に思うこともなさそうだ。でも自分が一番楽ならそれでいいや。最近はそう思いながら、恋人がいないことに悩む二十代のふりをしている。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
顔も歌声もスタイルも、文面も、性格も、ファンを大事にしてくれるところもトークが苦手なところも、プラスもマイナスも全部含めて大好き。
握手会やチェキ会のとき、あまりにも優しいし、すぐに顔を覚えてくれる。すぐ近くに大好きな彼女の顔があってドキドキした。
(女アイドルの現場で女オタクは少数派だ。だから早く覚えてもらえたんだと思う)
特定が怖いので書けないが、彼女の好きなところを挙げろと言われたら一日なんかじゃ到底足りない。
愛しているし、結婚したいと思う。
「なんで芸能人が結婚したら叩かれるんだろ。自分がその人の恋愛対象になれるとでも思ってるのかな?」
生まれてこの方そういう考え方をしていた私が、彼女が他のオタクにレスをしていたら嫉妬するし、仲の良い業界の女にマウントをとられたら脳が狂った。
こんな感覚は初めてだった。
これまでも芸能人にハマったことはあるが、いや芸能人相手に限らず、誰かに嫉妬するほど、何度も会いたいと思うほど、彼女に覚えられたくて可愛くなりたいと思うほど好きになったのは、間違いなく初めてだ。
私は同性愛者ではないと思っているし、男の子を好きになったこともある。
AVを見てても、考えるのは私がされているところじゃなくて、彼女がされているところになった。彼女に似ている女優を何度も探した。
私に男性器が生えていればいいのにと思った。彼女とセックスしたい。彼女の裸が夢にも出てきた。
男性にはよくある気持ちかもしれないが、これまで二次元にしか触れてこなかった私は、実在する人間でスケべな妄想をするのにものすごい罪悪感が伴った。このことは誰にも言えない。
見ていればわかる。彼女はふつうに女の子で、異性との結婚願望がある。面倒見がいいから、夫になる人も生まれてくる子供も幸せだろう。
きっとそうなる。彼女はいつか、そう遠くないうちにアイドルを辞めて、誰か好きな男と結婚するんだろう。
私は祝うだろう。彼女を応援してきたひとりの女オタクとして。幸せになってねと、彼女の幸せに共感しているふりをしながら。
なんで私は女なんだろう。
せっかく同じ時代に生まれて、彼女を見つけることができたのに、同性であるというだけで彼女の幸せの一端を担うことはできないんだ。
私が男で、何か才能があったら、今よりもっと彼女に近づけたかもしれないのに。
彼女と結婚できるのなら、私は男になる手術をしてもいいな、とぼんやり考えたこともある。
でも、そうだ。
私は女だから覚えてもらえた。
女だから気軽に直接大好きだって言えた。女だから警戒されなかった。
男だらけの現場で、女の子の存在はアイドルにとって支えになるとどこかで読んだ。彼女の支えでありたい。
私はどうなりたいんだろう。
結婚のいちばん近い言葉は「束縛」だと思っている。いくら小綺麗な言葉で飾り立てても、私は実際のところ彼女を束縛したがっている。社会的に自分のものにしたがっている。
男女どうこう以前にただのファンとアイドルだ。滑稽な話だと思う。
もちろんファンとして、彼女の活動を応援したい気持ちは大きい。新しい仕事が決まったら、世界中に自慢したいくらい嬉しい。
でもそれはそれとして、彼女にとって唯一のものになりたいと思う自分を無視できない。
どうしたらもっと近づけるだろう。
彼女の活動が終わる時、私はこの気持ちに決着をつけられているだろうか。
彼女に会いたい。
そのユニットはまぁまぁそこそこ人気があり、イベントやらステージやらがあるとチケットが争奪戦になる。
そういう機会の度に毎度モヤっとしたり腹が立ったりすることもあるが、普段なかなか言えないので長くなるけれども吐き出したい。
少し前にそのユニットの舞台のチケットの当落があったときに、知人が2回いけることになった。
最初本人の申し込みが落選したことを残念がっていたのだが、恐らく一緒に行こうとしていたご友人は当選したのと、あとは別の人がお誘いをしたことでいけることになった。
だが2回いけることをツイートしたらそれを見たフォロワーが引用RTをしてバッシングをはじめた。
相互フォローだったようだが直接リプライするわけでもなくエアリプで取り上げ、別のフォロワーと2回行く行為についてバッシングしまくった。
"自分だったら行けない人に譲る、それをしないなんて”、という観点でのバッシングであった。
行けない人がいるならばそちらにチケットを譲りたい、という広い心はいいと思うが、それはあくまで個人の考えであって、自分はこうするから他の人もこうすべき、という押し付けはいかがなものかなと思い、モヤモヤとした。
自分の立ち位置としては一つのイベントについて行ける限り複数行くタイプだ。
ただチケットが取りにくいものに関してはそういう行動について目に付くところに出すと面倒ごとが起きると思っているので出さないし、知人についてそれを表に出してしまったことは迂闊だったなと思う。
この知人に限らず、チケットが当選したというだけでブロックされたという話も聞いたし、「見たい人がいるのに何回も行くなんて○○さん(ユニットのメンバーの名前)が聞いたら怒っちゃうよ」とか本人が言ってもいないことを出してバッシングする人も出てきた。
そんなに複数回行くことが悪なのか。
正直疑問なのだ。
ファンクラブ、携帯サイト会員、劇場先行、主催先行、プレイガイド先行(有料会員先行も別にあったりする)、一般発売
一般勝負のものもなくはないけれど、大体何かしらの先行がある。
ということであればなんら違法なことをしなくても一人の人間が複数のチケットを手にする機会が存在するということだ。
まぁ先述のような人たちはFCなどで当たったらそれ以降申し込みすべきでないというスタンスなのかもしれないけれども、公式がご用意している限りは持っている権利だと自分は思う。
で、よく耳にする文言としては「行きたくても行けない人がいる」というやつなのだけれども、その「行きたい」とはどの程度行きたいのか。
どの先行も申し込んでも申し込んでも落ちてしまうのは運だから仕方ないというところは実際ある。
でもその落ちてしまう理由っていうのもただの運だけじゃないと自分は思う。
例えば、申し込む全てが東京の初日や楽日、土日に集中して、多くの希望者がいるところだけだった場合、当然当選率も落ちる。
それは「自分が都合のいいときに行けない」であって本当に「行けない」というのとは違うんじゃないだろうか。
例えばそういう日程ばかりでしか申し込まず、全然当たらない…と言ってる人に対して、交通費が多くかかる地方でのチケットがあると言ったら行くだろうか。
自分も勿論人気の日程も行きたい気持ちもあるが、申し込みをするときにはまず「行く」ことを優先して、場所、日程共にどこだったらば当選率が高いかを考えて申し込みをする。
駄目元で人気日程を申し込みをすることもあるが、そのときは申し込み枠を半分捨てる気持ちは持っている。
それで確実にチケットを取っていき、各先行でチケットを増やしていく。
また、先行だけじゃなくても、友人などがチケットを被らせてしまって譲渡をしたいというのであれば迷う余地なくすぐに譲ってもらう。
公演日直前になって同行者が行けなくなったとか、 外せない仕事でいけなくなってしまったとかで席が空きそうという連絡を貰えば最大限調整をする。
その他おけぴ等のチケットお譲りは随時チェックを欠かさないし、有難いことに友人からのお誘いもあって何回も行けることが出来る。
利益を上乗せしない個人間の譲渡がアリかどうかという点については今回の論点とちょっとずれるのでおいておく。
ただダフ屋のような転売には一切手を出さないし、当落の後、落選の怒りは全部オークションや転売サイトの違反報告にぶつけている。
友人からの譲渡等については本当友人に感謝しかないのだが、そういう繋がりでのやりとりを快く思わない人もいる。
最初に出した知人の件だが、知人にチケットを譲った人は、知人をバッシングした人とも繋がりがあったらしい。
知人は、その人に譲ればよかったのかな、と落ち込んでいた。
もしその人がバッシングした人の方に譲ると言っていた場合、どういう行動を取ったのだろうかな、と思ったりもする。
この件とは全く別の件だが、同じように一回行けたなら行けてない人に譲るべき!と息巻いていた人がいたが、蓋を開けてみたら抽選形式の当日券にて何度も観に行っていたりして、どの口が言っていたのかと思ったことがある。
だから先ほどの件もバッシングの仕方を見て下衆な憶測をすると、自分と繋がりがあるにも関わらず、自分ではなく他の人に譲られるのが腹が立ったんじゃないかなと。
でもその譲った人は知人に譲ったわけで、恐らくそこには知人と相手との交友関係があったからで、そのバッシングした人は譲渡した人とそこまでの交友関係を築いていなかったわけで。
日頃交友を結ぶことへ労力をつぎ込んでおくのも大事なことであり、普段そういうことをしないでチケットだけ勝手に舞い込むなんてあるわけがない。
本当にそうなんだろうとは思う。
でも、そういう道を選んでいるのは自分自身だと思う。
自分は昔休みの自由が利かない仕事を長らくしていて身動きが取れなかったときがあったが、自分が行きたい舞台にもろくにいけない生活に正直心は死んでいた。
今は自分の時間がある程度コントロールできる仕事をしている、が給料は安いし、不安定な雇用形態だ。
だとしても自分が行きたいときに自由に動ける立場というのが自分の中ではとても大事で、それで貧しい生活になったとしても何も苦ではない。
だから、仕事で行けない、と理由を言う人については仕事を変えればいいじゃないと軽率に思うし、それが出来ないのであればその舞台より仕事の方がずっと大事なのだから行けないのも仕方ないじゃない、と思う。
あっちもこっちも全部成り立たせようというのだから無理が出てくる。
こんなことを改めて思ったのは、件のユニットとは別にチケットを取ろうとしたものがあり、先行が連続で落ちてしまって取れなかったことがあったからだ。
その界隈に明るくなかったからそこまで人気だということを知らなかったので甘く見ていた。
別に見たいだけで席はいいところでなくてもいいし、夜の公演なら仕事終わってからでも十分間に合う時間だし、と考えながらの申し込みだった。
落ち込んだところで友人に言われたのが「○○(地域名)ならあるみたいだよ」とのこと。
そこだけでなく、大きい都市以外の地方のチケットは一般でも全然残っており、行きたければ行ける状況。
だから、その状況における自分の”行きたい”は所詮そんなもんなんだな、と思った。
そんなことがあって、複数ステを悪とする人の言う「行きたい人」ってどれほど行きたいものか、と考えた。
自分が追っかけているユニットについては、東京だったら行きたい、とか、土日なら行きたい、という人の”行きたい”より、どの地域でもとにかく行きたい自分の”行きたい”方がより強い欲求、強い熱量だと思う。
それだけ行きたいなら行けるように自分の環境を整えろよ、いろんな先行に目を光らせろよ、有料の会員になって申し込めるタイミングを増やせよ、日々チケットを探す手間を惜しむなよ、普段から交流してネットワーク作る努力しろよ、それらを惜しんでただぼんやりチケット欲しいなぁ~って人が口を開けてるだけで来るわけがない。
勿論ビジネスとして行きたいと思ったまだ浅いファンや、ちょっと興味を持った人が行けない状況というのはファンの間口を狭めることになるので、行きたいと思った人が皆行けるのが理想ではあるが、なにぶん入れる人数に限りがあるので難しい。
その分、チケットが取りづらい為に楽日などには全国の映画館でライブビューイングもやって、見たいけど見れない人の受け皿をちゃんと作っている。
ちょっとチケット代も安いので、初心者にはそれくらいがちょうど良かったりもするんじゃないかと思う。
それこそ、一人一回しか見るべきではないという制限をつける方がビジネスとしては厳しい状態になると思う。
都会はチケットがなくなるけれど、田舎はガラ空き、そうなったとするとその実施地域では採算が取れないということになり、今後そのエリアでの上演はなくなってしまう可能性も十分に考えられる。
実際、全国を回るツアーなどでの観客のそこそこの人数は遠征してきている人たちだ。
少し話はずれるが、その実施地域についてはその地元の人が行くべきで、遠征組は控えろという意見も見たことがある。
だが地域としては地元民だけではなく、遠征の人間がその土地へ行き、観光をし、普段の食よりちょっと奮発していいものを食べ、お土産を買ったりすることでその地域の為になることも少なくない。
一人一回とかにすることで得られるメリットより、その制限を設けることで損失することの方が多いのではないかと思う。
沢山ある演目の中連日盛況でチケット争奪になるものというのは偏りがある。
行われる多くの舞台ではチケットが残り続けたり、盛況に見せるためにあまりすぎた公演はチケットをプレイガイド社内で配って客寄せをしたりすることだってある。
地方が空いているのであれば一度見に来てくれている人がまたお金を出して来てくれるのはありがたいことだ。
それを複数行くことでメンバーが怒るとか、本人が思ってもいないであろうことをなに勝手に代弁しているんだと思う。
だがその価値観はけして他の人に押し付けるべきじゃないし、マナーでも、正義でもなんでもない。
違法行為でもないことについてそこまで言及出来るまでの根拠が自分にはわからないし、そういうと「違法じゃなければしなくていいわけじゃない」とか言うゆるっゆるな根拠が出てくる。
完全に夜型生活になっちゃったなあ…。でも生きやすいのはこっちなんだよね。ただし行きたいと思った時にはゲーセンもスーパーも美容院も本屋も閉店してしまった後なので、もうそれはどうしようもない。もうちょっと、いや、ちょっとどころじゃないな。こんなクソ田舎じゃなくて都会なら深夜にやってる店もあるだろうけど。
今日もぼんやり終わっちゃったなあ。かと言って何かに熱中したり、一生懸命何かをやろうって気力はない。ダメ人間なんだろうか。そうだろうな。
どうでもいい話になるが、二日前ぐらいに財布から千円が消えた、と、思われる。理由も正確な時間もわからないし消えたのか盗られたのかも分からない。けど無くなってる。金額、正しくは1,152円なんだが。152円も良くないけど、まあまだいいとしても千円はでかすぎる。
一昨日深夜に出かけた時に持ち出して、そのまま車の中に置きっぱにしてしまって、昨日出かけた先で無いことに気づいて、帰宅後見たらなかった、うーん…。あ、もう日付変わってるから…12日夜から車内放置で13日に発覚だな。12日は一切お金使ってないから不可思議で仕方ない。車にもちゃんと鍵かけてあったし、泥棒が入った形跡もない。つーか普通、どうせ泥棒するなら財布から千円だけ抜かずに財布ごと盗むだろう。んなみみっちい泥棒いるかよ。
なんなんだろうね、イリュージョンだ。いや笑い話にする場合ではない。
引き続き、捜索だなあ。うーん、おかしいな、家の誰かにパクられたかな。疑うのはよくないかな。うーん。
また全く違う話をするけど、創作をやめようとしたしやめてたけど衝動で書いちゃった。長いものではないけど、SSみたいなやつが。やめてることにしてる手前、今更どこかに出すのもなんか憚られる気がしてしまう。言うて「やめます」とも言ってないし、勝手に自分で決めて自分で思ってるだけなんだけど。
なんだかなあ。
昭恵夫人の名前とか、今報道されてる詳細は、この増田のリークには含まれていない。他の内容もぼんやりとしてる。
この増田は伝聞の伝聞だから、情報が切り落とされていることは当たり前ではあるのだが。
朝日は森友追及チームは別行動で、他の記者でも情報知らされず、紙面に載るまで内容分からない、という姿勢。この増田に情報くれた朝日記者も森友チームではなく、別部署の人が伝え聞いたことだろう。
多分増田は与党側の政治家秘書とかかな? 政治部で国会に詰めてる記者から聞いたのかな?
まあ、この増田リークが貴重なのは、朝日スクープの3月2日の時点で、永田町ではみんな「朝日記事は事実」と知っていて、それを前提にして動いていたということだ。
財務省はもとより、政府も朝日記事が本当だと知っていたし、野党も朝日記事は本当だとして追及を強めていた。でないと財務省から「原本の写し」が出てきた時点で「他に原本があるはずだろ、特捜部から取り寄せよ」とあれだけ強く言えないしね。
ほんとTwitterとかテレビとかで「朝日が証拠見せよ」「朝日記事は捏造だろ」とか抗弁して政府擁護してた人たちが馬鹿みたい。
子宮内膜症で定期検診行ったらすごく大きくなってるとかでMRIとCTとって1週間後に結果聞きにきてねと言われたのに翌日に何がなんでも明日来てと病院から電話がありどうしても外せない仕事あったから明後日じゃダメですかと相談したらダメと言われ翌日の朝イチに予約をした。
この電話を切ったあと。それから翌朝診察室に入るまでの時間が一番怖かった。
だって1週間後に予約入れてるのに明日何がなんでも来いってそんなの癌じゃんね。もしくはそれ相応の病気。どっちつかずで結果が分からない状況のことをサスペンスと言うってほんまでっかTVで言ってたけどまさにそれ。電話口でいいから結果教えてほしかった。
病院行ったらやっぱり癌で卵巣がんだからもし妊娠望んでるならもっと大きい病院に紹介状書く、うちでは全摘出手術しかやってないからと伝えられた。夫婦ですごく妊娠を望んでいた訳ではなくぼんやりといつか妊娠したらいいねと思ってたんだけどこうなると絶対産みたいと思ってしまう悲しい性。紹介状を書いてもらいその場で診察予約も入れた。
病院移ってから2週間通院しあらゆる検査をしまくった。PET-CTというものも初体験した。放射線を体内に注射するとCTで癌のある箇所が光って見えるというもの。放射線が体内にめぐるのに時間がかかるので謎にラグジュアリーな個室を与えられぼんやりとしていた。自己血という自分用の輸血を予め採血するやつもやった。血が生々しくて怖かった。なんだかどれも貴重な体験だなと思った。
私は癌であるけどもまだ癌が腫瘍の中にいて周りに散らばってない境界悪性というグレーゾーン癌みたいなものだった。それでもガン保険はおりるらしい。よくドラマでガン告知を受けて泣き出すシーンあるけど私は全く実感も現実感もなくふわふわしていた。とにかく実感せねば何も出来ぬと同年代の人の卵巣ガンの闘病ブログを読み漁った。どれもその時々の気持ちが丁寧に綴られていてだんだん自分も納得した。
入院し担当医から手術説明を受け手術で起こりうるリスクを10以上説明された。麻酔科医から麻酔説明を受け麻酔で起こりうるリスクを10以上説明された。もともと血や内臓のイラスト等が苦手なので辛かった。
手術という人の体を裂くという大変な尊いお仕事で、もうリスクや合併症はしょうがないと理解してるからそれでも助かりたくて治療をお願いしてるのだから詳細な説明やイラストを見せるのはやめてほしかった。(説明する義務があるのは重々承知)血の気がひいた。
この手術の説明聞いてからの数日と手術台に乗って麻酔で意識が遠退くまでの期間が2番目に怖かった。
手術が終わって起こされたら、ああ手術中に目が覚めてしまったのかと思うくらい腹が痛かった。過呼吸みたいになってるし体はギャグ漫画のようにガタガタ震えていた。軽くパニックだった。
ガン告知から自分が癌なんだと理解するまでとても時間を要した。だからブログをたくさん読んだ。同室の患者さんがもう治療できることがなくて最後の時を家で過ごすために退院してく様に思いを馳せた。全員が仲間だと思ってた。仲間というか同志。私も一緒にこれから頑張っていこうって思ってた。術後の抗がん剤の説明も受けてたから予習もしっかりしていた。イメトレまでしていた。
でも良性だった。両親も義両親も心から喜んでくれ夫は涙を流していた。
そんな中わたしは自分だけ助かってごめんなさいという気持ちでいっぱいになってしまった。周りは重篤な患者さんばかりでその中で自分だけ喜んでいいのか分からなかった。良性なのに、だから手術の傷なんて大したことないはずなのに痛くて痛くて3日目くらいまでは泣いたり悪夢をみたり吐いたりしていた。気持ちは宙ぶらりんのまま。
退院して数日たってこれを書いてる。宙ぶらりんな気持ちを納得させるために。お腹の傷は勲章に感じる。この先ツラいことがあってもお腹の傷を見れば乗り越えられそうな気がする。
内膜症といえど再発するらしいので傷が治ったらすぐ子作りしなさいと言われた。積極的に赤ちゃん欲しいと思ってなかったけど、乗るしかないこのビッグウェーブに!って感じだ。気持ちは追いついてないけど人生を大切に生きなければと思った。
先生や看護師さんや病棟でお世話になった人達には手紙でお礼を伝えたい。
両親や夫には日々のなかで感謝を伝えていきたい。
まだ現実が肚にストンと落ちてなくてふわついてる。本当はまだ癌告知も受け入れられてないのかもしれない。でも私は癌ではなかったし手術は無事に終了した。だから心が納得してなくても現実を生きなければ。
私のエア癌体験はこれにて終了。
○朝食:なし
○昼食:ご飯、豚汁、ひじき煮たの、ほうれん草茹でたの、秋刀魚焼いたの
○お便り返信
増田へのトラバを増田の書き方で書けば無制限なんですね、知らなかったです。
ただ、それでも水曜日ぐらいまではお便り返信のコーナーがあります。
確かに美味しいんですが、ここ最近駅弁の価値はおかずの種類の数が重要なのでは? という価値観が強くなって来ていて、幕内を優先しがちです。
僕が考えたお家に帰った時に迎えて欲しくない等身大フィギュア、綾波レイ。
こう「名古屋に帰って来た!」という感覚も相まって、スジャータはよいのかもしれませんね。
褐色の恋人が時間だけじゃなく名古屋という場所に戻って来た感覚をお知らせしてくれているのです。
とっきの! 川を越え! はるか遠い大陸目指して! 夢を見るたびに! ひっとは! 旅の途中!
確かに、レジャーとしての東京出張を楽しめる状況なら、そうかもですね。
どうしても、この日記は夜寝る前に書くのと、僕が一日あったことを振り返って書きたいことをかくせいで、嫌なことばかりが残りますが、楽しいことも…… 楽しいことも……
僕が考えた、連休に似ておりかつビーダマン用語としても使えるエロい言葉、連射。
コンシュマーのDLゲーですらセールになるとポチる習慣があり、アホみたいに積んでるので、その道はもう破滅しかないと思い、手を出してません。
僕が考えた、はややーが似合いそうな女性声優の好きそうなパン、ケチャップパン。>>
じゃあ電電公社をやめたのも致し方ないのかあ……
僕が考えた、パンティーよりもパンティーなパンティー、パンティー。
僕が考えた、私がモテないのはどう考えてもお前らが悪いで提唱された「しんちゃんは家族全員でエロゲに出てる」という主張に変わる、家族全員がエロゲに出ているアニメ、衛宮さんちの今日のごはん。
僕が考えた、庵野秀明が榎本温子の結婚式の祝辞で言うわけがない言葉「雪月花の3人で結婚が最後になるのがあっちゃんだとは思いませんでした」
なくし物探しのベタですが、財布が冷蔵庫から出てくるとか、携帯が洗濯機とか、割とよくありますよね。
ですね、疲れているときこそ徹底しないとなんですが、しんどかったです。
僕が考えた、スケスケパンティーより恥ずかしいパンティー、女児パンツ。
今週わりと頑張ってたんですが、金曜日だけ気が抜けました。
ケンチキが何ピースと書いていないことによる叙述トリックです。
今週は金曜日以外サラダを食べたので、一週間でみればましな方だから!
僕の好きな悪ポケモンに出番が多いといいなー。
○調子
はややー。
花粉がひどくなるらしいので、今のうちに散歩を楽しんでおいた。
割と遠くにお惣菜が色々売ってる定食屋さんがあるので、そこを目指して歩いたんだけど、ひじき煮たのは美味しいなあ。
●3DS
○ポケとる
Sランク648個。
残り、52個。
話が盛り上がってきた。
ヴィーラさんが非常にいいキャラだ。
だけど、この子はシナリオでは仲間にならないみたいなので、ガチャを回すしかないみたい。
とはいえ、ガチャ課金はしないと決めているので、気長に無料石を貯めて出るのを待とう。
ただ、この人について思いを馳せていて気づいたのだけど、僕は「好きな女の子がいる女の子のお話」よりも「女の子が好きな女の子が好きな女の子をみつけるお話」の方が好きなのかもしれない。
50人くらいが閲覧したみたいだけど、この本10冊ちょいしか売れてないんだけど?
ほんとウケる。
しかも在庫がまだ30冊くらいあるよ!!!!!通販してるよ!!!!!!
こんなマイナージャンル、マイナーカプ、マイナー性癖三重苦の作品割って誰が得するんだ???
結構なページ数あったけどわざわざスキャンしたの???アホか?????
金払って読むレベルのお仲間には別に見られてもいいんだけどさー
軽い気持ちでこんなん読んでもドン引きするだけだと思うんだけど?
削除依頼とか出した方がいいの?
でもめんどくさすぎるし個人情報抜かれたりしても困るし放置になりそう。
せめて読んだ人は次の私の新刊を買え・・・って思うけどそういうタイプの人間が買う訳ないよなーっ
もう気力が続かない。だめだなぁと思う。この日記ぐらいは書こうと決めてはないけど目標にはしたのに、なんかもう書くことがないような気がして憂鬱になってしまってる。
何言っても変わんないもんだなあ。わたしがこうだ!と思ってるだけでは世間にゃ通用しないけど、創作の愚痴を言うとそういう自分オリジナルな感情・感性で〜とか言われるし、結局何をどう信じりゃいいんだって感じだ。
できる人というか、世間のほとんどの人は器用に分けれるんだろうけど、なんか自分はそれが上手く出来てないなって思う。馬鹿だから教えられたらそれっきりだと思ってしまう。それで何度馬鹿を見てきたことか。いい加減上手に生きればいいのにって毎回毎日思うのに上手くいかない。
ずっと頭がぼーっとしてる。好きなことも嫌いなことも含めてすぐどうでもよくなる。というか、どうでもいいとか思う前に何も考えれてない。ただぼんやり時間が過ぎてく。だめだなぁと思う。
もう何書いていいか分からなくなってきた。こんなんだから創作も続かなかったのかな、そうか、納得だね。
夜型生活ってそんなにダメなことかって思う。一応社会的立場からは別に夜型生活してても大丈夫なんだけど、未だにチクチク言われる。あ、ニートではないよ。そこは大丈夫。
昼間に行動するとすごく疲れる。夜の方が静かだし太陽もないから行動しやすい。あ、あとこれが大きいな、人が少ない。すごく楽、すごく息がしやすい。
わたしは夜型生活の方が向いてるというか合ってると感じるのに、夜型生活は世間的に(夜勤の人除いて)だらしのない生活らしい。うーん、夜行動する方が楽な人、大多数ではないにせよいるはずなのになあ。やっぱいないのかな、わたしがおかしいだけなのかな。
太陽今日も綺麗だなと思ったらことはないけど、月が今日も綺麗だとは見るたび思う。星も綺麗。プラネタリウムとかいいな、言ったら懐かしくて今すごく行きたくなった。
バイト先の先輩に怒られた。
「ぜんぜん駄目、そんなんじゃ仕事の邪魔だから、いない方がマシ」
ショック死するかと思った。
一ヶ月くらい前にも同じこと言われて、その時は素直に頑張らないと!って思えた。
先輩も憎まれ役というか、厳しい教育してくれているんだな…とか、前向きに受け止められた。
今回はもう無理。
まあ。
どれだけ頑張ったか、なんて無関係だわ。結果を出せない奴が悪い。
出来ない奴って、どこに行っても駄目なので怖い先輩から逃げても何も変わらない。
現にフリーターやってる私は嫌なことから逃げ続けた人生の落第生みたいなもんだ。
ネットでは逃げるのも恥じゃない!みたいな風潮あるよね。
学生じゃないし、自殺するタイプでもない。ただ文句を言うだけなので案外しぶとい。
しぶとい私は翌日、上司に当たる人にバイトを休む旨を伝えた。先輩に会いたくないから。要するに、逃げた。
上司はめちゃくちゃ良い人で話の分かる人だった。
休みを勝ち取った!
いま、ぼんやりと廃人生活を謳歌している、この私は良き両親がいて好き勝手やれる恵まれた側なのだ。
働かずに生きてるとか最高!
急に休みをもらったことに対する、同僚への迷惑や申し訳なさは感じない。
みんなが思っても口に出さないことを先輩は言ってのけたのだから、私がいないことでスムーズに仕事をしているんだろう、たぶん。
悔しいなー
先輩やバイトや世間とか色々から逃げきっても、自分だけは残るんだよね。一番いらないものが最後まで居座ってる!
くそげーかよ、って叩き割りたい。
取引先に行く用事があり、何度か昼過ぎ頃電車に乗っていつもと違う所へ行くことがあった。
当時はまだスマホがなかったので、事前に地図を見て降り口を確認していた。ちょうど先頭車両に乗るとよいことも調べていた。
そして、この際だからとシリーズの小説を鞄に入れて、通うことにした。
時間帯が時間帯なので人は少なく、のんびりと入り口横の座席に座って小説を読んでいた。
座席は埋まっていたが、立っている人はそれほど多くない程度だったと思う。少なくとも、自分の前に人が立つことは無かった。
そうして数十ページ読み進めていると、入り口近くで「あ、すいません」と男性の声がした。
何かの拍子でぶつかったりしたのだろうと思い、また小説の世界に戻った。
別の日のことである。
また「すいません」という声がした。
女性は胸に手を当てて「いえ……」と言いながら、位置を少し離れた。
男性は携帯を持って、頭を下げて、やはり、少し位置をずらした。
自分も乗車中に携帯が鳴ってしまい、慌ててジーンズのポケットから携帯を取り出そうとした時、女性の胸に肘を当てたことがあった。
多分、似たようなことだったんだろうと思い、いたたまれないよなぁ、と二人に同情しながら、文面に目を落とした。
また別の日のことである。
小説は次の巻に移っていて、鞄の中は多少軽くなっていた。
「すいません」と声がした。
顔を上げた。
男性は同じ人だった。
同じように二人は少し離れて、吊革を掴み直していた。
また小説を読もうと顔を下げたが、気になって、文章が頭に入らなかった。
まだまだ若く、スーツを着て、少しはねた髪の毛をいじっていた。
ぼんやりと見ていたが、特に何をするでもなく、予定の駅に着いたのでそのまま降りた。
次の日のことである。
その日は雨が降ったからか、多少混んでいた。
座席は埋まり、入り口前だけでなく、座席前の吊革につかまっている人もいた。雨の臭いが少し、社内に漂っていた。
傘を持っていたので、この時は本を読んでいなかった。
鞄を膝に載せて、吊り広告の週刊誌の見出しを眺めていると、「すいません」と声がした。
昨日と同じように二人は少し離れ、女性はすぐ着いた駅で降りていった。
「大変ですね」と声を掛けていた。
男性はすぐは自分に声を掛けられたと分からなかったようだが、目を瞬かせて、少し落ちつかなげに、「あ、はい」と答えてくれた。
「自分も経験ありますが、いたたまれなくなりますよね」と話した。
「そうですね」と答えた。
「昨日も見かけたんですよ」と話した。
「そうですか……」と答えた。
男性は次の駅で降りていった。
何度か同じ車両に乗ったものの、同じシチュエーションに出会うことはなかった。
男性を見かけることもなかった。
小説は読み切れず、自宅で読んだ。
数日前、その電車に十年程ぶりに乗った。
駅は見違える程綺麗になっており、入り口や出口なども変わっていて、多少迷った。
それでもなんとかたどり着き先頭車両の場所で電車を待っていると、足下にピンクの目印が目に入り、ひとつ後の車両の方へと移っていった。
誰にも言えない話なので、ここで吐き出そうと思う。
ちなみに経験人数20人の中に、風俗または金銭の絡んだ関係は含んでいない。
今僕は24歳。埼玉に暮らすしがないサラリーマンである。仕事も2年目がそろそろ終わるころで、同じ年齢の男であれば、人によっては彼女との結婚も考えるような時期だ。ただ、僕には将来を考えられるような彼女はいない。それどころか、24年の人生でただの一度も彼女ができたことがないのだ。
しかし、経験人数だけは20人を超えている。せっせと様々な女性とセックスをしてきたが、本当に好きな人と肌を合わせたことはない。
恋愛をしたくないわけではない、ただ彼女がほしいとも強く思わない。おそらくこれは自信のなさから来ているのだと思う。
身長は180cmあり、顔もかっこいいと言っていただけることが多い。学歴も一般的にはかなり高いと言われる水準にある。営業職でそれなりに成果も出しており、人とのコミュニケーションに難があるわけでもない。彼女がいないことに驚かれたり、ゲイなんじゃないかと本気で疑われたりする。確かに持っている要素だけ掛け合わせたら、どう頑張っても彼女ができないというスペックではないのだろうなと思う。
でもとにかく自信がないのだ。
誰かの信頼できるパートナーになれるイメージが全く湧かない。それなら一人のままで良いのかもしれないと思ってしまう。
そんな僕の前にタチの悪いおもちゃが現れたのが、つい3年ほど前。出会い系サイトだ。
興味本位で使ってみたところ、あれよあれよと言う間に30代の女性と会うことになり、童貞を卒業した。
別に深い関係を築かなくてもセックスはできる。夕方から夜に会えば、自信のない外見をまじまじと見られることもない。
完全に味をしめてしまった。
その後もたまに出会い系サイトを開いては、好きでもない女性と会ってセックスすることを繰り返してきた。
会って飲みに行ってセックスするだけ。こう書くと簡単そうに見えるが、事前に連絡を続けて心を開かせたり、セックスに持ち込むために会話の内容、店の場所を考えたりするなど、頭はフル回転させていた。失敗することもあったが、会うまで行った時の成功率は8割〜9割だと思う。
ちなみに大体はワンナイト。何人かはセフレの様になったが、3、4回会って自然消滅といったところだ。
そうやって一時の快楽を得るために時間を使って、本当の恋愛をすることから逃げ続けてきた結果、
24歳、これまで彼女なし、経験人数20人超、というロクでもない男が誕生した。身体はヤリチンでも、心は童貞のまま。
心を開いていないが故に、コンドームの上にもう一枚バリアを張ってセックスしているような感覚にも、もう慣れてしまった。
彼女ができたことがないという引け目を、経験の多さで埋め合わせようとしてきたわけだ。
周りが恋愛トークしている時にも、これまで出会い系で出会った女性から得た情報を駆使してわかったふりをする。これまでの彼女の話を聞かせて、と言われれば、もっともらしく中身スカスカの話をしてその場をごまかす。
「なんでその時の彼女と別れたの?」「お互い忙しくて中々会えなくて...(まあ多分、世の中のカップルの別れる理由ってこんな感じだろ)」
「いつから彼女いないの?」「うーん、半年くらいかな...(母親のお腹にいる時から今この時までいないけどね)」
「何人と付き合ったの?」「4人かな...(中学で一人、高校で一人、大学で一人、社会人になってから一人ってことにしとくか)」
彼女 or 彼氏とマンネリなの、実は気になっている人がいて...みたいな相談をされることもあるけれど、何と答えて良いのか全くわからない。恋人とのあれこれなんて、一切経験したことがないのだから。女性とデートした経験なんて、真面目系なマッチングアプリで会った人と浅草に寄席を観に行ったことくらいだ(ちなみに途中で完全に話題がなくなり、無言のまま別れてその後即LINEブロック)。
"拗らせている”自分を言い訳に、恋愛から逃げ続けている最中だが、そろそろ自分自身ときちんと向き合わなければとも思っている。
ただ、つい先日も出会い系で会った女性とワンナイトしたばかり。見た目もタイプで性格も良いなと思ったので、その時は食事だけで、今後しっかり関係を作っていきたいと考えていたのにだ。途中で「あ、イケそうだな」と思って、自然にホテルに連れ込んでしまった。「ヤレるか、ヤれないか」という視点で女性を見てしまっているのが、完全にヤリチンのそれで自分に辟易する。もはや軽い病気である。
好きな人と過ごす時間ってどれほど幸せなのだろうか...そんなことをぼんやりと考えながら、僕は今日も出会い系の掲示板を眺めている。
日曜にショッピングモールへ行ったら、「お子様にお菓子プレゼント」みたいなイベントをやっていた。
通路間にあるホールみたいな所で、スタッフが通りかかる子供にお菓子を配り、子供が嬉しそうに受け取る様子をぼんやり眺めていたら、
子供がお菓子を受け取った後に、保護者らしきジジババが「ワシらはアカンのかい!」と怒鳴り始めた。
子供にプレゼントだと書いてあるのに、自分たちもお菓子を貰えないのはおかしいと騒ぐジジババ。
汚いDQN服にズズ黒い肌で、いかにも「お山の大将」といった風貌だったので、今思えばジジババではなく、老けて見える田舎者なだけで、両親かもしれない。
子供は恥ずかしいのか何も考えられないのか、ずっと固まって一点を見ていた。
見ていて店の人がとにかく不憫で仕方なかったが、何かこの感覚に既視感があるのに気づいた。
女性専用車両の騒ぎだ。
確かに、女性専用車両に反対する人も、このジジババも、間違った事は言っていない。
「子供はお菓子を貰えて、大人は貰えない」ことに、ちゃんとした根拠なんてない。
「なんでダメか」と聞かれると、そういう決まりだから以外にないし、大人のお菓子を制限する理由にはならない。
子供のために用意されたお菓子だが、子供を優遇することは大人を差別することになってしまう。
他の車両に乗ればいい、他のお菓子を買えばいいと言っても「女は空いている車両に乗れる」「子供は無料でお菓子を貰える」と答えるだろう。
だが、子供は弱い、子供は守られるべき、子供はお菓子を貰うと喜ぶ、これらがすべて「無意識な大人差別」だとすると、それも確かに成立してしまう。
100円以下のお菓子や、それを配る人を見下すクソガキもいる。
虐待されて人の優しさに触れていない子供は、お菓子を貰えただけで救われる思いになるかもしれないし
その「弱者の立場」を利用して、何かズルやイタズラをする子供もいるだろう。
必ずしも弱いとは限らない子供のために、大人が譲り、行動を制限されるのは、差別と言われても仕方がないかもしれない。
でも、そのうえで、
自分がその「怒鳴ってお菓子を欲しがるジジババ」を見たときの率直な感想は
「うわぁ…。」
でしかなかった。
差別の主張も、言いたい事もわかる。
でも、間の当たりにすると、もういいだろ…譲れよ…と、ドン引きする。
女子供にも悪人は存在する。でもそれは個別に対処すればいいだけの話で、
これは女性専用車両は男性差別だと言う人には、たぶんわからないと思う。
きっと、そういう人は自分たちとは違う異世界に住んでいるので、
これから自分たちに大切なのは、そういう人とできるだけ同じ空間にいないこと。
そういう事だと思った。