2018-03-22

一番欲しかったものをくれたのは家族でも恋人でも友達でもなかった

お元気でしょうか、先生

小学校の頃から学校にあまりちゃんと行っていなかった。

友達はいたけどわたしのことをよく思わない子もクラスには一定数いた気がする。

とにかく人とうまくやれなかった。

たぶん嫌われてはいなかったと思うけど

神経質だし気にしすぎなくせに我儘だったり、自分のそういうとことうまく付き合っていけなくてつらかった。今もだけど。

そんな感じだったので親にカウンセリングに通わされていた。

市のセンターのやつとかスクールカウンセラーかいろいろ。

中学3年生、本格的にクラスに入っていけなくなり、

理由はまぁ割愛するけど別室登校していた。

その頃から市の大きめの病院神経科、という名の精神科カウンセリングにお世話になり始めた。

担当は30歳くらいかな?の女の先生

小柄でいつも薄いピンク白衣を着ていた。

どんな話をしてたかは覚えてない。

今なら些細なことだけど当時はとても大事だったようなこと

わたし支離滅裂な話をいつも優しく聞いてくれていた。

月1回1時間弱、話すだけ。ただそれだけの時間高校2年生まで続いた。

先生は割と自分体験談も交えて話してくれるタイプカウンセラーで、合う合わないはあると思うがわたしはそれで逆に安心した。

優しく聞いてくれるけど、だめなことはちゃんとだめって言ってくれる人で、高校に入ってバイトをし始めたわたしの通帳を親が管理していると知ったときに、それはよくないって止めてくれたのは覚えてる。

(親がかなり支配的なタイプだった)

高2の秋口、先生結婚して姓が変わった。

おめでとうございます、と言っている間に先生妊娠した。

4月から産休に入るって。

カウンセリング卒業

わたしは戸惑った。月1だけどここ以外にほんとのわたしを知ってくれている場所なんてなかった。

けど先生のためだから受け入れなきゃってぼんやり思った。

最終回

いつも通り話をして、最後先生が言った。

わたしは、増田さんのことが、だいすきだからね。」

から大丈夫だよ。

今まで親にはずっと

あんたみたいなめんどくさい子供いらなかった、とか言われてた

友達にもほんとの自分を見せられなくて

いつもいい顔ばかりして

そのくせわがままストレス溜めて

みんなわたしが爆発してもどうしてって顔をして

わたしが悪い、わかってる、八方塞がりで子供わたし

でも、先生はそれでも良いって言ってくれた

あれがあったからここまで生きてこれたと思う。

じわじわ効いてくる魔法みたいな言葉をくれた。

わたしいちばんしかったのはこれだった。

正論とか説教とかじゃなくて愛だった。

カウンセラーから仕事から

もちろんそれはわかっている、信用ならないと思っていた、けど

きっとそれだけじゃなかった。って信じたい。

今でも思い出すたびあったかい涙が出る。

うれしかった。とても。

心の奥の大切なものを入れている引き出しに、ちゃんしまってある。お守りみたいに。

わたしもそんな人になりたくて、今進路を決めている

カウンセラーではないが

すべての人がそれぞれの輝ける道を歩けるように

そんな社会を目指してわたしにできることを探そうと思う

理想かもしれないけど。

先生とはTwitterで繋がっている

お子さんが生まれた後会ったこともある

すむところも離れてしまって、もうなかなか会えないけどそれでも安心していられる。

人との絆って距離でも一緒にいた時間でもないんだなとおもう。

家族でも恋人でも友達でもない人に、救われたというはなしでした。

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