ぐったりしてしまう。
何もする気力が起きないし、朝も起き上がれなかった。今日が祝日でよかった。ずーっと頭がぼーっと痛い。いっそのことガンガン痛ければ病院に行くなり薬を飲むなりしようと思えるし、そうしても許されるんだろうけど、ちょっとぼーっと痛いだけだと、まあいいやってなってしまう。わたしが我慢してればいつか終わるし。
この、かなり痛いことなら助けを求めれるけどちょっと針が指先に刺さったぐらいの痛みなら自分が痛ければいいやみたいに思うの、あまり良くないことらしいと最近知った。
もちろん一々小さいことでギャンギャン泣くのは赤ちゃんみたいだから、多少の忍耐は必要なんだろうけど。なんか、もっと他人に頼ってもいいらしい、みたいな。
ふと、小学校の給食の時間を思い出した。もともとクラス内で影がうすいタイプな上、窓際一番後ろという一番目立たない席になった年があった。案の定、今まで以上にわたしは空気だった。
確かその時だったと思うが、わたしの給食が一皿だけ配膳されなかったことがある。その時も気づいたけど、まあ大して人に言って持ってきてもらうほど食べたいわけでもないし、無いなら無いでいいやと思って何も言わなかった。いただきますを言う前になって、当番の子が一皿余ったけど誰が無い?ってクラスのみんなに聞いて、言おうとしたけどまあいいやってなって言えなかった。結局その給食をもらったのか何も言わないままだったのかは、今となってはあんまり覚えがないことだけど。
無いなら無いでいいや。あって、わたしにもらえる権利があるならもらう。好きにすればいい。
受動的と言えばまだ聞こえはいいけど、ただ甘ったれなだけなのかな?とは思ってる。
いきなり話は変わるけど、やっぱり創作活動きつい。褒められたいが勝つと創作やりにくくなるし一旦距離置いた方がいいって聞いて、距離置いてたけど書きたいのは書きたい。書きたいんだけど、書いてないぼんやりしてる時間にあまりにも自分に何もなさすぎて虚しくなる。才能も無いのに書いてて、必要がないものを書いてて、ってすごく虚しくなる。
眠ってる時間はいい。何も考えなくてもいい。見る夢が大体すごく奇抜だから夢占いなんかをたまにしてみるんだけど、当たってるような当たらないような。
感情の取説が欲しい。取説があっても取説に書いてない感情になったら困るからやっぱり決められたい。ロボットのスイッチみたいに「うれしい」「おこる」「かなしい」「たのしい」って付けて。なんだかよく分からない感情に振り回されるのはもう嫌だ。すっきりしたい。無機物が羨ましい。