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2018-03-06

Twitterでよく見る漫画家

彼(彼女?)の絵を見るたびに、彼が去年の夏頃描いた漫画を思い出す。

少女父親花火をした後、「ゼンイ」でゴミを拾い、翌日見て見るとほとんど元の状況に戻っている。少女は父に「私たちのゼンイは無駄だったの?」と涙ながらに問い、父はそれに答えられない。

といったようなね。

まあ善意があっさりと踏みにじられるという展開は非常によくある寓話ですわ。

この漫画を初めて読んだ時から反感をものすごく覚えるんだよな。

この作者が一体どのような目論見でこの漫画を描いたのかは知らんので漫画内の父娘に対しての話になるんだけれども

そもそもボランティアゴミ拾いは何かのイベント後とかで突発的に大量のゴミが発生した場合を除き、定期的に行われる。

そうでなければ当然再びゴミが溜まる。

じゃあそのたびにボランティアの人たちの労力は無駄になっているのか?

当然違う。ゴミ拾いが行われた後は間違いなくその場は綺麗になっているし、拾った何袋分かのゴミはその場に舞い戻ってきたりしない。

間違いなく"拾った分"はゴミが無くなっている。

この父娘はまずそこを見誤ったのだろう。「今この一瞬この場を綺麗にすればその状況は永続するだろう」というぼんやりした期待を持っていたのだろう。

自分としては別にこの点はそこまで問題ではない。

甘い期待を持つの人間として生まれた以上罪ではないだろう。

ただ、「ゴミを拾った」という行為自体無駄だと考えるのは間違いだ。

それは言ってみれば池の向こうに届かせたいと思って投げた最初の石が沈んでしまたか無駄だと断じるようなものである

最初の石の投げ方を分析した結果向こう岸に届くかもしれない。

石を投げ続ければ池が埋まって向こうに転がるかもしれない。

「向こう岸に届ける」という目的を見つめ続けるならば、最初の一投は無駄になったりはしない。

勿論諦めてもいい。

「池の向こうに届かせなくてもいいや」と考えたって、やはり最初に投げたことは変わらない。

この父娘はそもそも目的を設定し損なったのかもしれない。

「ゼンイだからただゴミを拾う」ではきっとあの世界のゴミ永遠にまり続けるのだろう。

立て札を立てたり、定期的にゴミ拾いをしたり、人を集めたり。

とにかく「あの場を永続的に美しく保つ」という希望目的に据え、計画的努力するという行為に考えが至らなかったのだ。

それもまたよくあることだと思う。最善の希望目的に据えなければ最善の希望は実現できないのは当然だが、それは最善ゆえに困難が多いだろう。

ここで諦めたっていいのだ。それでもこの父娘が拾った幾らかのゴミは無かったことにはならないのだから

ところが彼らはどうやら自分たちのした事を無駄にしたいらしい。無かったこととして認めたいらしい。

自分たち行為をどう捉えるかは勝手だが、

彼らと同量のゴミを、同じように拾い、同じようにその場に再びゴミを投棄された人にも彼らは哀れみの視線を向けそうなところが非常にムカつくのである

ここまでだいぶ長くなった気がしたが、まだもう一つの主題が残っているのである

「ゼンイ」の話だ。

この話の中でたしか父は「ゼンイ」だからという理由ゴミを拾っていたのではないだろうか。

素晴らしいことである。実際その「ゼンイ」によって幾らかその場所不法投棄という犯罪行為が拭われたわけだしね。

しかし、前述の通り、この父娘は自分たち行為無為だと認識した。「ゼンイ」は無駄だったと判断したのである

ふざけた話だ。そもそも「ゼンイ」が無駄にならないという希望を、顔も見えない相手になすりつけるのはお門違いでは?

「ゼンイ」とかい何となく偉そうな行為何となくして、何となく裏切られた気がして、何となく失望しているのだ。

まあ娘は仕方ないかもしれないな、子供だし。この作者の描く人物はあまり年齢による区別がないかあやふやだが、多分小学校中学年とかだろう。

が、父親、テメーはダメだ。

「ゼンイ」が無駄になってしまったのかと泣いてる娘に対して何だその態度は。お前の頭も小学生女児か。

せめて昨日の行為は消えたりしないことは分かるだろ。慰めることもできないのか。親として子どもの心を守ることもできないのに他人に対して「ゼンイ」振りまいてる場合か。いやそれはまあ人によるだろうけどさ!!

そもそも「ゼンイ」が必ずしも良いことみてえな言い方自体が俺は非論理的だと思うんだけどさ。

人に感謝してもらおうとしてする「ゼンイ」は感謝求めない「ゼンイ」と比べて劣っていやしない。

しかし、「ゼンイ」に限らず、目に見えないもの認識され、更には感謝されるのは非常に難しい。

から人目にさらされなかった娘の「ゼンイ」がもし父にだけ見えているなら、父が娘にしてあげられることはあるはずだ。

それもしね〜で(以下繰り返し)

まあ、漫画の中の話に何マジになってんのと思う人もいるだろう。気持ちわかるよ。

でも、ある表現の中の仮想的な話に批判をすることは無意味ではないと思うんだ。

実際この漫画すごい拡散されただろう?いろんな人が関心を持ったのは間違いない。俺は俺の関心の持ち方をこんな形で表現したんだよ

この作者のイラストだの何だのがTwitterで流れてくるたびにこれを思い出してイライラしてたからその整理ってのもある。この人が作ったイラストとか動画で好きなのあるし、それ見るたびにフラストレーション溜めてちゃ世話ないしね。

このクソみたいな文章で何が言いたかたかというと、

自分が本当にしたいことは何なのか確認しながら行動をしたほうがぼんやりした失敗や失望をせずに済むということと

「ゼンイ」を目的に据えるということは他者目的決定権を委ねる原因になること

あとは娘が泣いてる時に言葉が詰まるパパはダサいということだ。

おやすみ

2018-03-05

斜視から3D映画が見れない

最近というほど最近でもないけど、3D映画とか3DSとか、とにかく3Dをウリにしたものが巷には溢れている。

タイトルの通り、自分は生まれつきの斜視なので3D全般認識できない。


斜視人口の3%というからそれほど珍しい病気じゃない。の割に、「黒目の位置おかしい人」くらいの認識しかないように思う。少なくとも自分は今までそういう風に言われた。

斜視は重大な病気じゃない。でも、日常絶妙なところで不便なのだ。ということを今日は書きたいと思う。


見た目が悪い


まんまだ。

斜視とか外斜視とか色々種類はあるけど自分は外斜視。昔はロンパリって言ってたらしい。

見たい対象に焦点を合わせようとすると、どちらかの黒目が外側に流れていく。そっちの目は使っていないことになる。

二回手術をした。小学生の時に全身麻酔をかけて一回、中学生の時に局部麻酔で一回。

目の中の筋肉を切って縫い、正しい位置に黒目を調整する手術だ。全身麻酔の時は覚えてないから良かった(でも尿カテーテルがショックで暴れた)けど、局部麻酔の時は意識があって、目が見えてるのに、目の中にハサミだのメスだの針だの入れられる。ブツってなんか切れてる感覚ぼんやりわかる。めちゃくちゃ怖い。人造人間にされてる気分だった。

そんな怖い手術をしても、見た目は完治しなかった。普段普通の目だけど、疲れてくると斜視が出る。あと手術との相関性はわからないけど、術後目が悪くなった。特に乱視がひどいので、コンタクトが合わなくてずっと眼鏡をかけてる。


立体視ができない

これ。

目が悪くなるのも見た目がキモいのもまあ別にいい。問題はこれだ。

前述の通り、斜視の人は片方の目でしかものを見ることができない。対して、立体的にものを見る時は、両目から得た映像を脳が組み合わせて、奥行きや距離感認識させるのだ。

小学生の頃、保健室に「立体的に見える絵本」がなかっただろうか。上の方に黒い点が二つ付いてるやつ。あれも同じ原理で、脳の錯覚3D空間認識させている、らしい。当然それができたことはない。

そしてこの立体視能力は、生後〜幼年時にのみ獲得できるそうだ。その機を逃すと、後から立体視できるようになるのは難しい。訓練することはできる。実際したけど、やっぱりダメだった。

あんなおそろしい手術をしても、この根本的なところは全く治らないのだ。


立体視できないと何が不便か。

まず、階段下りるのが怖い。

階段の段差が飛び出して見えない。飛び出して見えるとか奥行きがあるとかがまずどういうことかわからないけど、とにかくのっぺりとした一枚の絵みたいに見えている。全国の階段はふちにラインが引いてあるタイプに今すぐ切り替えてほしい。

球技ができない。

ボールサイズで「あ、このくらいの距離だな」とはわかるけど、正確な感覚がわからない。テニスとか野球とか、球が小さいと余計に無理だ。まあこれは自分運動できないからかもしれないけど。

3Dが見れない。

黒っぽい眼鏡をかけて見るやつは、ちゃん普通映像には見える。でも、飛び出すとか広がるって感覚そもそもいから、本当に普通映画と一緒なのだ

青と赤のセロハン?みたいなので見る簡易的なやつは、右目と左目でバラバラに見えるだけで一つに結びつかない。赤と青の世界が変わりばんこに点滅する感じだ。


3Dナントカ所詮娯楽なのでいいけど、下り階段は本気で困っている。

同じ悩みを持つ人がいたら是非斜視あるあるしたい。逆に、治ったよという人がいたら話を聞きたい。

もう一回手術するかって聞かれたけど絶対嫌だ。

2018-03-04

集会について

すこし前に、某集会流行った。

人間ではない女性が、人間のこどもを拾って育てるあれだ。

あのタグに参加していた人たちの発想と画力は凄くて、見ていてとても楽しかった。

だけど、ちょっとした騒動も起こった。

タグの発信者さんは疲弊しておられたようで、心が痛い。

せっかく素敵なタグを発信してくださったのに、本当に大変な目に遭っておられたと思う。

タグ信者さんに非は全く無いことを前提として、ちょっと思ったことを書きたい。

騒動は、確か「育てたものが育てられたもの恋人的な役割を求めるという気持ち現実に持ってきてはいけないよ」的なツイートがあって、それに「想像現実混同するな!」「これはあくま人間ではないもの人間の話だ!」と反発があがって、そこからいろいろな人がいろいろな意見を述べて…というものだったように思う。

最初は、「現実に持ってきてはいけない」ツイートを読んで、水をさされた、と思った。

せっかく楽しく空想の話をしていたのに。現実を持ち出された。

花火に水をぶっかけられて消されたような気分だった。

だけど、そのツイート発言者さん(便宜上『彼』とする)のその後のツイートを見て、じょじょに考えが変わった。

彼はなにも某集会否定したのではなく、ただ、創作者として、『そういう気持ち現実に持ち込んではいけない』ということを自覚しろ、と述べただけだった。

創作世界は何をしても良い。ただ、『現実に持ち込んではいけない感情』を『創作物として』自分は今『楽しんでいる』ことを自覚しなければならない。

育てるものと育てられるものには明確な力の差がある。性別関係なく、育てるもののほうが上位に立つ。

そして、育てられたものは育てるものの影響を濃く受ける。

からこそ、いつ『育てるもの』になるともしれない人達(親になったり先生になったりいろいろある)は、『自覚』をもたなければならない。薄暗いものを、薄暗いものとして愛でるのは大事だ、と。

たぶん、そういうことだったのだろう。

それはまあ、確かにそうだな、と思った。

他にも、これは彼の意見ではなかったが『最初から愛玩用として育てたんならまだしも、実子のつもりで育てたら、愛されて恋人になるなんて気持ち悪い』という意見があったように思う。

と、まあそのような感じで『育てるもの』と『育てられるもの』の意識についての問題的があったわけだ。

育てるって、身近な行為で、そのわりに与える影響がでかすぎるから

から自覚を持ちましょう…と、そういう話。

この件について、彼がまたツイートしているのを見かけた。

正直、言い方がきつかったのは認める。自分はかつて母親恋人役割を求められたことがあって、そのトラウマがあるから、あれがたとえ創作なのだとしても見るのが辛かったんだ、と。

大体そんなようなことを言っていて、なるほど、トラウマを刺激されてしまったんだな、と思った。

創作があって、その創作を楽しんでいた人達がいて、でもちょっとそれは薄暗い内容で、中には薄暗いものを薄暗いものだと感じる意識が薄い人がいて、それを見た人の中にトラウマがある人がいて、嫌悪感もつ人もいて、それが騒動になった。

母親ないし父親がみんな優しい、理想的だとは限らないから育てるものと育てられるものにまつわるトラウマの発生率は結構高いんだろう。だからこそ騒動は大きくなった。

上記一連の騒動ぼんやり眺めていて、ふと思った。

結局、どうあれば良かったのだろう?

創作自由なんだから文句をつけないで!現実創作は別物! という意見もわかる。

創作だって現実に影響力はあるし、薄暗いものと薄暗いものとしてきちんと自覚しておくことは必要、という意見もわかる。

たぶん、『どんな創作をしても良いけど薄暗いものは薄暗いものとして自覚をもとうね』が結論なんだろうな。

自覚が無いなら、その自覚が無いという点につき危機感を抱こうね、と。

うーん、難しい。

悲しいことに、あの創作は、一人の人間トラウマを刺激し、辛い思いをさせてしまったようだ。

でも、別にそんな思いをさせたかったわけじゃないんだよな。

ただ、人間ではないもの空想の話を楽しくしたかった。

『そんなつもりはなかった』で相手を傷つけることができるのが悲しいな。

いつかなにかで傷ついて、トラウマをもっている人がいて。

そしてその人が、別にその人に直接向けられたわけではないものトラウマを呼び起こされて、きつい言葉を使ってしまう。

そのきつい言葉で、また誰かが傷ついてしまう。

ループしてるね。

彼の言いたいことはわかるし、トラウマは辛かったんだろう。

でも、彼の発言創作に水をさされた人は『傷ついた』と言っちゃいけないんだろうか?

まあ、要するに「トラウマがあるから○○してしまった、許してくれ」という言い方に違和感を覚えたって話。

さなきゃいけないのかね。

その為された○○によって、別の誰かが傷ついているじゃないか

でも、トラウマがあるから○○してしまって、それは多分止められるものじゃないんだよな。

からやるわけだし…。

どうすれば良いんだろう。

このループは、だれのところで止めたら良いんだ?

オタクなのにオタクになれない

漫画アニメゲームは好きだ。

でも面白い話や素晴らしい演技や面白いゲームが好きなだけで、

特定キャラものすごくはまったりグッズを買ったりする気持ちミリ理解できない。

好きなキャラ程度はできるが、キャラにはまる、という経験は生まれてこのかたしたことがない。

絵を描くのも好きだ。

でもなんていうのか、子どもお絵描きが好きな気持ちの延長なだけで、描くのはたのしいがそれまでだ。

上手にかけると嬉しいな、pixivブクマがついたら嬉しいな、程度にはもちろんおもうが

二次創作にも創作イラストにもそこまで本腰をいれてはまれないし

同人活動は払う代償が大きすぎて今一つやりたいと思えない。

演劇映画は好きだ。

でも基本的にその作品が好きなだけか、

劇団単位監督脚本単位で好きになる。

特定俳優にはまったりしない。

基本的に一回見たら満足、付き合いで二回見るくらいはあるがそれ以上何度も通ったりしない。

(好きな作品DVD買うが、繰り返し見ることは少ない)

音楽も好きだ。

好きなバンドもあるしインタビューとか読むのも楽しい

でもそれだけで、ライブ全通とか考えたこともない。

ソシャゲは好きじゃない。

前述のようにキャラクター演者にはまらないので、

基本的にどのソシャゲ数字が増えていく過程しかない。

気持ち悪いのは、画面上の数字が増えていく、ただそれだけのことに案外時間と手間をつぎ込んでしまうことで、

なんか、脳のいちばん原始的快楽回路を押されている感じがして嫌だ。

世の中のオタクは楽しそうだ。

グッズを集めて祭壇を作ったり、

演劇の公演のために地方から何度も上京したり、

アイドルのために日本中あちこちに出掛けたり、

ソシャゲカード一枚に何万円もつぎ込んだり。

私は趣味方向性としては間違いなくオタクなのに、

そんな風に身も世もなく生活も省みずなにかを好きだったことは一度もない。

一度だけ、あるソーシャル要素のある音ゲーをやったとき

なんとなくオタクっぽい活動をした。

というのも、私が好きだなーと思っていたキャラ(音ゲーなので持ち歌が好きだった)を友人も好きだといい、

それを皮切りに、そのゲームをやっている友人が増えたのだ。

そのときは、コラボカフェにいってみたり、

グッズが出るといって買いにいってみたり、

ライブイベントに足を運んでみたりした。

楽しくなくはなかったが、なんとなく、騙されている感じもあった。

私はほんとにこのコンテンツがこんなにお金だすほど好きなのか?

周りに友達いるから会わせてお金を出してるだけじゃないのか??

なんだかふわふわと地に足のつかない感じで、

うすぼんやりと楽しかったがいつの間にかそのゲーム自体から離れてしまった。

好きなものはたくさんある。

けど私が実感を込めて楽しい、と思うのは、

ただ漫画や本を読むこと、映画演劇アニメを見ること、

お絵描きをすること、音楽を聞いたり行ける範囲ライブにいったりすることだけだ。

なにかにものすごくはまっている人たちを見ると、

私と彼らの違いはなんなんだろうと思ってしまう。

ーーーーーーーー

以上、以下の記事を読んでの雑感。

妻が羽生結弦の「追っかけ」になった夫の苦悩~一体いくら使うのか…(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4):

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54667

anond:20180304090023

かにそうだがこの場合質問が同じくらいぼんやりしてるからしょうがないだろ。

こんな質問してくるならそもそも練習量に問題があるんじゃないかと考えるのは妥当

石井平氏文章がバズってるけどどうかと思うアホアホっブコメ散見される。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/@junpei9/30c20561f812

石井平氏って北海道の厚沢部の石井平氏でしょ。少し調べたらわかると思うけど。考古関係中心に学芸員やってて組合に異動したこともあるぽいってのは調べるとすぐ出てくる。

http://www.hk-curators.jp/archives/author/ishii

https://assabu.exblog.jp/15193880/

http://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_miyagi36/08/0801_jre/index.htm

その人に「公務員像がぼんやり」とか「内容がガバガバ」とか「表層しかみてない」とか。少なくとも石井氏の来歴や置かれた職場環境北海道地方公務員)ぐらいは判るはずだ。そこから文章で想定される射程(やその限界)も公務員問題ブコメするならある程度は類推しうるだろう。

職歴や来歴をはっきり書かず、焦点を絞り切らなかった石井氏もそれなりに悪いけど、事情を何も知らない人が書いたわけではないことは、何度も繰り返すが「調べると」「すぐに」わかる。

文章に対して批判をするなと言いたいわけではない。「現役公務員なのにこういう文章はいかがなものか」「現役だがこの視点が足りない」とかなら批判として成り立つ。北海道地方公務員が知り得た事例をどこまで敷衍できるのか、の辺りに批判があれば、それは良い議論を生むのではなかろうか。

しかし、現職の人間に対して「現場を知らない」とか「表層しか見ていない」とかよく言い切れるな、とは思うわけだ。

元彼が病みがちな話

私は元彼とそこそこ仲がいい。

詳細は省くけど、元彼は結構病みやすくて、その度に深夜までかかって励ます生活疲れたので私から別れを切り出した。

こういう所が本当に苦手だ、疲れた、とそう伝えた。すると元彼は気をつけてくれるようになって、以前より病む回数も減った。もともと趣味も合う人だったから、普通に友達として楽しくお話していた。

時折好意を思い出すこともあったけど、またあん生活に戻るのは嫌だったし、付き合えばまたずるずるああいう話に付き合わされるんじゃないかという不安もあった。ただ向こうは私のことがまだ好きなままで、それにつられて感情をこぼしてしまうこともあった。付き合うことはなかったが。

そんなある日、元彼が同期の所謂推し」の話を始めた。私と付き合っていた時にもよく可愛い可愛いと言っていた子で、私も概ね同意見だった。本当に可愛いのだ。そしてもう一つ言うと、誰の目から見ても明らかに私の元彼のことが好きだった。最近聞いた話だけれど、付き合う前から家に呼んだり、二人で少し遠くまで遊びに行っていたりしていたようなのだ

元彼は推しのことが恋愛感情で好きになってしまたかもしれない、と言い出した。

そして私のこともまだ好きなままだと。

まあ何日か経って、結局普通に推し恋愛感情で好きになったと言われた。

私のことも好きだよ、と言われた。正直イラッとした。なんていうか、キープにされてる感が凄かったのだ。散々推し可愛い可愛いと話をしてきて、最後に思い出したように付け足していく。確かに私は元彼に好意を持っているけれど、そんなのは推しに失礼だ。

それからまた、元彼はぐだぐだ病み始めた。可愛い告白したいけど怖い、推しが俺のこと好きだって言う人いるけどあんなに可愛い子が好きになってくれるわけがない。どんな会話をしてても突然その話に飛ぶのである。今はアニメの話だろうが、と思っても奴はペラペラと喋り続けるのだ。うぜえ、と思ったがわりと我慢して励ました。推しには悪いけど、二人が付き合ってくれればこういう話は全部推しに流れて、こんな日々から解放されるはずだ。そう思って励まし続けた。

そしてついに先日、付き合うことになったと報告を受けた。私の胸に広がったのはようやくか、という安堵の気持ちだった。

ようやく終わる。感極まって私は付き合ってくれていたことへの感謝を述べた。祝福した。売れないJ-POPみたいな、恥ずかしい言葉で。今思うと完全に舞い上がっていた。これからも仲良くして欲しい、という元彼の言葉に、私は二つ返事で了承した。

すると元彼は言いやがったのだ。これからも、私には悩んだ時に話を聞いてもらうと。推しには推し幸せになるような話をする、と。

ぐらりとした。本当に目の前がちかちかした。何故。何故だ、元彼。そういうところだぞお前ほんと。それが原因で私に振られたくせに、私が嫌だって言ったのを知っているくせに、なぜそんなことを平気で言えるんだ。なぜ新しい彼女には優しくできるくせに、私にはできないんだ。してくれないんだ。

昨日の夜、椅子の上に体育座りになって、机に半分寄っ掛かりながら、ぼんやり考えた。元彼にとって私ってなんなのか。これから私は、どうしていったらいいのか。そう思ううちに彼から連絡が来た。わかりやすく浮かれていた。彼女が可愛くて可愛くてたまらないのだろう。本人に言えよ、って感じだった。そう言うと、彼女はもう寝てるから、と言われた。よく言うよ。私と付き合っていた頃は深夜2時半に突然何十回も電話をかけて来たくせに。

まあそんでもって適当に話を聞いているうちに、なんでか彼は病み始めた。本当に好きでいてくれるのだろうか、みたいな。うわめんどくさいパターン入ったな、と思った。彼はぐだぐだと喋ったあと、もういい、と言って眠ってしまった。

もういい。私が付き合っていた頃、何十回も聞いて、その度に嫌で嫌でたまらなかった言葉だ。それをもう聞くことはないと思っていたのに、また聞かされるのか。そう思うと、私はなんだかどうしようもなくて、しんどくて、吐きかけたのを抑えて寝た。

なんなんだろうな。私は壁でもツイッターでもないのにな。あほらしいわ。

anond:20180214192402

これを書いてだいぶすっきりした。

他の人にも(オンラインでだけど)軽く話をきいてもらって、やっぱり発散するって感情の整理に大切な行為なんだなとおもった。

それからは段々と落ち着いてきて、そろそろ猫タワーを片付けるかと思っていたところ、動物病院から電話があった。不幸があったときの支払いは別日に「ご都合の良いときに」行うマニュアルがたぶんあり、そういうことになっていたのだが、こちらとしては当然あまり近寄りたくない場所になっているので訪問を避けていた。だが、いつまでも逃げ続けるわけにもいかない。

実はその前にもフラワーサービス動物病院から届いてたりしたんだよね。そのぶんの代金を引いて欲しいとか思ったけど、コップに移し替えたら百合の花は案外長持ちしている。つぼみを咲かせるまで保たせたい。

で、今日、支払いに行ってきたんだけど、到着してベンチに腰掛けてる間に涙腺が緩んできて困った。本当に、最近全然だいじょうぶになっていたから、場所潜在意識が反応してしまったんだと思う。それでまた増田に縋るというか、こぼしに来た。

これから人と遊ぶ予定なんだけど、花粉症の季節だから顔面赤くても誤魔化しやすそうで助かるわ。

ちなみに処置費用は前日の検査費と合わせてざっくり六万円ほど。

他の猫が急死したときは原因もわからず、飼い主として出来ることがあったはず、と後悔も大きかったので、これは飼い主が納得するための費用だなと思った。一方でただ死ぬためだけに6万円……と貧乏人は歯噛みするのだが、獣医師さんもボランティアでやってるわけじゃないので仕方ないですね。

保険には入っておいた方が良いラインってどれくらいからなんだろう……とぼんやり考えたが、それはギャンブルの考え方だよな……。


はーーーー、いなくなった猫のことを考えるとしんどい

しっぽつきのロボットクッション https://shop.qoobo.info/販売されるとのことで飛びつきそうになったが、発売日が秋口とのことで堪えた。

その頃までには新しい出会いあったらいいなぁ……薄情な考えかな……。

2018-03-03

うちのお雛様九死に一生を得た話

1年ほど前のこと。

人形店で20年前に購入した雛人形

しま場所を移したところ、なんと湿気で顔とか髪にカビが生えちゃった……。

これは大変だとお店に連絡して聞いてみると、どうやら修理ができるらしい。

それから色々忙しくて、数ヵ月後にようやくお店に持っていくことに。

だけど、うちには車がないもんだから、買った時のバカかい木箱ごと大きな風呂敷につつみ、

えっちらおっちら電車でお店に持っていくしかなかった。

真夏である人形に何かあったらいけないから、あんまり早歩きは出来ない。

暑いし、めっちゃ恥ずかしかった。

店員さん曰く、専門の方に見せて、どういう修理方針になるか決まったらまた連絡しますとのこと。

ちなみに箱は預かってもらえないらしく、また同じように持って帰った。

すると、数日後の朝にお店の方から連絡が。

その時、私は寝起きで朦朧としながら朝ごはんを食べていたんで、母の電話口でのやりとりをぼんやりしか聞いてなかった。

お昼に、どうだったかと聞くと、お店の方曰く、「完全には取れないかも、それか顔を変えるかどちらかです」ということらしい。

母は、綺麗に取れるか分かんないみたいだし変える方にした、そっちの方が安いと私に言った。

最初は「ほーん」と答えた。

でも何かなあ、すっきりしなかった。ホントにこれでいいのか。

お雛様とお内裏様の顔立ちは、本当に綺麗だった。

忘れてたけど、そういえば小さい頃、3月になると和室に飾られるお雛様を見るのが楽しみだった。

かに、顔を変えれば綺麗にはなる。

だけど、顔を変えたら、それはどんなに似ていたとしても”あのお雛様”じゃなくなっちゃうんじゃないだろうか。

たとえ汚れが完全に取れなくてもいいから、あの雛人形が良い。

その日の夜、その旨を母に訴えた。

母も、私の言い分に納得したようだった。

翌日、またお店に連絡し、結局修理することになった。

で、2か月後くらいに修理が終わって、母が取りに行った。

そしたら、すごく嬉しいことがあった。

そのお雛様が、職人さんたちの間で「20年前のものとは思えないデザインの良さ!」と絶賛だったって。

顔立ちももちろん、着物も今ではもう作ることが出来ないらしい。

顔を変える方法から修理する方法に変更した際、職人さんはとっても喜んでいたんだとか。

それを聞いて、やっぱりうちのお雛様は凄い!と何だか誇らしい気持ちになった。



あとで知ったことだけど、そのお雛様は、私の亡くなった父が購入したものだった。

寡黙で、いつも買い物は母に任せっきりだった父が、珍しく「これが良い」と言って買ったらしい。

母は、「やっぱり貴女の言った通り、修理してよかったよ。顔変えたら、違うお雛様なっちゃものね。」

と喜んでいた。

顔に汚れがあったお雛様の方は、顔を少し削ったとのことだった。

職人さんも、すごく頑張ってくれてギリギリバランスで削った、と。

かにほんのちょっと鼻の線が滑らかになって、お顔がうす桃になったけど、

まあこれはちょっと整形したんだよね。

でも、戻ってきてくれて、ホントに嬉しかった。

やっぱりあの時、言ってよかった。

ようやく春になって、2年ぶりに雛人形を飾ることが出来た。

やっぱり、うちのお雛様とお内裏様が、一番綺麗だと思う。

なんとなくな味の料理

最近毎日もやし鍋が続いていたので、たまには違うものを食べよう。そう思って買ったスーパー鶏肉を買った。

家について気付いたのだが、ストックされている食材もやし豆腐と卵、調味料くらい。

もやしは足が早いし使い切りたいのでもやし鶏肉を炒めてみた。

かつおだしをベースに味付けた。途中で卵もいれた。

完成したものは、なんとなくこんな感じだよね、というまずくはないが特別うまくもない料理だった。

なんだろ、ぼんやりした感じ。

やはり完成品のイメージぼんやりしていると、結果もぼんやりしたものになるんだなぁと思った。

その点鍋は偉大だ。なんとなく野菜をぶち込んだだけで鍋料理になってくれる。

明日も鍋にしよう

周りの人に支えられて高校卒業した

高一の三学期。クソつまら理由で引きこもってた。

つらつら書いてたら凄く長くなったので時間のある人よければ。私のクズっぷりにイラつくかもしれません。


クソつまら理由というのは、部活とある仕事マジで絶対クソほどやりたくなかったから。以上。ちなみにこの仕事は私が高二の時に廃止になった。ちょっと笑った。

その頃の私は毎日活動のある部活所属していて、学校に行く=部活に行くだと思っていた。部活のアレをしたくない→部活行きたくない学校行きたくない。我ながら酷いダメ人間だと思う。

母は学校に行かないことにちょっと、いや本当はかなり反対していたのかもしれないが、「もう義務教育じゃないからね」と目を瞑ってくれていた。その代わり引きこもる間は私が家事をしていた。と、言っても洗濯と皿洗いと肉屋タイムセールに行くくらい。かなり優しく甘い。でも部活が嫌すぎて精神が弱っていた私は否定されなくて安心した。本当にいいお母さんだと思う。

父は良くも悪くも寡黙な人で、私が学校を休んでいて暫く言わなかった。逆にドキドキしてたが、母には「あいつは学校に行かんのか」と相談していたらしい。わたしにも「高校なんて行かなくてもいい。大学で何をどのくらい勉強するかが大事」と言ってくれた。マジで優しい。大学生一年目に全然勉強してなかったら怒られた。二年目は頑張るよ。

とにかく一月頭の始業式から引きこもりライフは始まった。

最初一週間は風邪なことにしていた。症状が酷いことにして友達からLINEもみなかったし返さなかった。見放さないでくれた友達全員が聖人過ぎる。きっとこの人たちは長生きするし良いことがある。

一月下旬部活の仲良しグループLINE通知を見て思わず既読をつけた。

「今から〇〇の家行くわ」

部活終わりの18:30過ぎの通知。見たのは19:15。お風呂で見た。学校から家までは大体1時間。私は大慌てで髪やら体やらを洗って風呂を出てまたグループを見た。

マジでいってる?」

1ヶ月弱ぶりの返事に既読は即ついた。四人グループから既読3。驚いた。

ちょっと迷ったけどもうすぐ着く」

三人は本当に来た。お風呂上がりで髪の毛も濡れてるし死のうと思ってドアを開ける。学校来いとか部活こいとか言うだろうか。何を言いに来たんだ、どうしてきたんだ。

「あ、なんか思ってたより元気そうでよかった」

三人はそう言って笑って私に次に出る公演のチケットを渡すだけ渡して帰ろうとした。私はとりあえず三人にチョコパイを渡して、慌てて外に出れる格好に着替えて最寄り駅まで送った。

駅までの道で「死んでるかと思ってたー」「なんかこれ青春っぽいね」「お腹すいた」みたいな話をした。私はあーとかうんとか言うばかりだった。混乱してたし。

別れ際に一人が言った。

「まー、部活来なくてもいいし学校きてよ。寂しいし」

来たくなったらでいい、来れそうならでいい、とか続けてて私はちょっと笑った。この人たちは今でも仲が良い。本当にいい人達だ。誰も彼氏はいないけど。

でも私は行かなかった。本当バカ。行けよ。


二月。バレンタインの季節だなんて思ってたら担任から二者面談のお誘いが来た。外に出たくないわけではなく、部活行きたくない、授業に行きたくない学校の人に会いたくないだけだったので行った。家庭科先生だったか家庭科室で面談した。

「やっぱり、部活のせい?」

私のいた部活は辞める生徒も毎年何人かいて、まあ厳しい部活だと思われていたのだろう。私は部活が厳しいから辞めるわけじゃないし、そこまでヘタレじゃないし。と謎の意地を張って(しなきゃいけないことがしたくない、つまり部活のせいで学校に来てないわけだけど)「違います」と言った。で、まぁぼんやり考えていたことを担任に言った。転校しようかなと思ってるとか、高卒認定試験受けようかなとか、学校にいく意味がわからなくなったとか。担任もまた良い人で、無理に来いとは言わなかった。「二年生として転校したいなら協力はするから三学期テストだけは受けて欲しい」とか「合唱コンの練習を頑張ってるから見に来て欲しい」とか言われた。私は三学期テストを受けて合唱コンを見にいくことを決めた。

ちなみにこっそり見に行った筈の合唱コンなのにクラス全員に私が行ったことはバレていた。

Twitterの裏垢というのがある。仲良い友達同士だけでフォローし合う身内アカウントだ。そこで「三学期テスト、受けるだけ受けようと思う」みたいなツイートをした。

クラスの仲良い子から電話が来てびっくりして出た。聖人二人組だった。

「一緒にテスト勉強をしよう」「いつもしてた(定期テスト前はグループ通話をしながら勉強した)みたいにしよう」「範囲は全部教える」私は受けさえすればよかっただけのテスト勉強しはじめた。

テスト一週間前くらいか聖人コンビはほぼ毎晩電話をかけてくれた。内容はほぼ雑談で何を話したかあんまり覚えていない。「一回学校来てみて」「一回きたらするっと復活できるよ」と言われたのは覚えてる。でも学校に関すること本当それだけ。嘘、合唱コンの結果も聞いた。一年生ではトップだった。

聖人コンビのおかげもあって私はテスト初日学校に行った。

その日の朝は死ぬほど嫌で嫌で嫌で嫌で死にたかった。ヒソヒソ話されたら死ぬ。でももうあと3.4日でこの学校とはおさらばだ…四月から二年生として生きるために耐えるしかない…。

そう思っていたけど周りは普通だった。普通にインフル明けの人みたいに接してくれた。元気?とか遅刻してないねとか、覚えてないけど超普通でなんというか拍子抜けした。

次の日もその次の日もテスト最終日まで私は遅刻せずテストを受けたし赤点はなかった。なんなら数学普通に点数良かった。

テスト最終日、数日後のレクリエーション球技大会競技決めをした。私も普通に頭数に入っていたし、私含めた八人グループみんなでドッヂボールにした。学校行ってこの人たちとドッヂボールしてからやめても良いか

そう思ってとりあえず球技大会の日まで学校に行くことにした。



なんか普通に学校行けてる。

球技大会まで学校に行っててふと気づいた。別に普通だ。学校行って虐められるわけじゃないし普通に楽しいし、多少先輩がいるかもとか気を使うけど超普通。え?じゃあ学校行けば良くね?

球技大会が終わっても学校に行った。

学校は辞めなかった。転校もしなかった。

でも部活はやめた。でも家に来てくれた三人は変わらず仲良くしてくれた。




特に盛り上がるところは無かったが私が高校を辞めそうだった時の話はおわり。

話の構成下手ですまん。

とにかく両親と担任、友人五人に支えられて、この人たちのおかげで私は高校二年生になれた。

もちろん高校の人がみんないい人で私を指差して笑う人がいなかった(いたかもしれないけど私は知らない)から二年三年と辞めずに済んだ。

特に友達五人には感謝しても仕切れないしなんていうか意味がわからない。

出会って一年ない他人にここまで尽くせるか? 家まで行ったりテスト範囲教えて一緒に勉強したり、普通に学校戻っても仲良くしてくれたり。

私は高校三年間でたくさんの人にお世話になった。ここであげたのは八人だけど、私はこの八人なら誰の連帯保証人にでもなれる。

最後まで読んでくれてありがとうおしまい



(追記)

映画見終わったら上の方にあってびっくりした。読んでくれた人本当にありがとう

私がいいやつだったか自分ではわからないけど、本当に周りに恵まれて愛されて育ったんだなって思います。あと連帯保証人はやめます。私の自慢の友達に限ってそんなことはないと思うけどね。

誰かを助けられるような人になるよ、ありがとう

2018-03-02

anond:20180302174909

横ですが。

数年前に、親知らず2本抜いたけど、特別痛くもなく、血は多少出て縫った程度。歯並びはいいほう。

血に耐性があるのは女だからかなとぼんやり考えたけど、それは先生の腕が良かったのかも。(アメリカ帰りの先生

抗生物質と痛み止めと胃薬くらいは処方されると思うんで、痛み止め多めに欲しいならその先生に言ったほうが良いかも。

3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話をしよう

突然だが私はアイドルマスターSideMのS.E.Mというユニット担当Pだ。

自分語りのような事が苦手なタイプなので上手く話せるかわからないけれど、とにかく今消化しなければと思ったので、これまでの話と、2018年2月3日、記念すべき3rdライブ初日に起こった事、感じた事をそのままダラダラ書こうと思う。備忘録のようなものなので、見るも見ないも自己責任でお願いします。

タイトルにもある通り私は現JK小学校の頃高校に上がれば自然にできると思ってた彼氏は勿論いない。ただのオタク

通っているのは中高一貫自称進学校と言われているタイプ学校偏差値釣り合わない勉強スピード、量。それに加え人間関係重要になってくる部活。(詳しく書くと知っている人にはバレそうなのでやんわり言っておく。)

中学に入ったばかりの頃はそれまでと違った環境にわくわくしつつ必死にくらいついて勉強していた。受験後の先取りもあり成績は中の上。この時既にアイマスには出会っていた。真ファン律子Pをやんわり続けていた。突然だけど初星二日目の律子ヤバかったな。その調子で2年が過ぎた。

段々あれ?と思いはじめたのは中二の冬。勉強モチベが上がらない。(この時、SideMにも出会っていた。元某サッカーアニメオタクショタコン私、ホイホイWともふもふちゃんに釣られました。かわいい。)

英語文法なんて覚えなくても教科書の例文を丸暗記で最低限必要な点数が取れる。

数学は、担当教師が某有名大卒業生プライドエベレスト質問しても何故か違う話に飛躍する。(私達の偏差値が某有名大学に間に合ってないのもあると思うが)教え方は教室満場一致でド下手という評価しかも間違いを指摘すると逆ギレ…という人間性で、単純バカな私は数学のもののやる気が削がれていた。

その他理科社会etc…もただただ暗記。理科はもともと苦手意識があったのでこの頃から少し逃げていたかもしれない。

ぼやぼやと今やってる勉強って意味なくね?と思い始めてしまっていた。

キツイな、と確信したのは中3入りたて。(ここらへんで趣味嗜好が180度変わったヒゲおじさん大好きウーマン私、本格的にS.E.M&山下次郎Pに。)

学校教育方針で、数学英語中学の間に高1の内容をほぼ終わらせる事が目標だった。

そのおかげで内容は急加速、もともと集中力も無く勉強理解人一倍時間を要する私は秒で置いて行かれた。

成績はほぼほぼ地に落ち、補習、小テストの追試常習犯夏休み3分の1を奪われるらしい特別補習はなんとか免れたものの、遅刻もしばしばしていた。

一つできなくなると全部芋づる式にできなくなるタイプなので普通にヤバかった。

担任もそういったことにとことん追い討ちをかけるような人で何度も「このまま進級する気ですか?」「あなたがこのまま高校生になれるとは思えない」と面談等で散々言われた。ちくしょう、思い出してちょっとカムカしてる。

お世辞にも信じ切れる、と言える先生には出会えていなかった。

5月頃、既にリリースされていた「ST@RTING LINE-06」を購入した。SideMのはじめての担当の曲が入ったCDだった。

キドキしながらCDケースの蓋を開け、pcに取り込み、はじめて「Study Equal Magic!」を聴いた時。

私はただただひたすら驚きで固まっていた。

こんな世界もあるのか、と単純にびっくりしたのだ。小学校私立で、受験が確定していたため、小学一年生から塾に通い受験勉強をする毎日。結局行ったのは六年間の努力虚しく落ちた第一志望では無く全く今まで知っていた校風と毛色の違った滑り止め。

それでもなんとか喰らい付こうと頑張るも突然虚無感に襲われ全く手をつけられなくなった、「それ」=辛い、という私の中のイメージが、一瞬で粉砕された気がした。

けれど、私の中に根付いた勉強から離れた習慣、実際相手をする教師、そんなもの達はなかなか簡単に私の苦手意識を振り払ってくれなかった。

成績は若干持ち直したものの、それ以上もそれ以下も無く、ずるずる引きずったまま高校に上がってしまった。

高校に上がるとついて来たのは単位。進級。受験

そんな話を新しいクラスにもまだ慣れていないような時期にされ、あまりそういった事に実感が湧かなかった。

しかし割と直ぐに嫌という程実感する事となる。

一学期勉強どころでは無く新しい環境に慣れるのに半分ぐらい要したが無事終了。

そして、2017年6月4日

グリーティングツアー東京公演、私の初めての、現地でのSideMライブ参戦だった。最高だった。生のS=Mを聞いた時、初めてCDを聞いた時の鳥肌が返って来た。夢中になってペンラ振ったし、タケノコ生やしたし、しゅくだい!わすれない!!もした。山下次郎も中島ヨシキも最高だった。産まれて来てくれてありがとう。そのあと一週間は余韻が抜けきれなかった。現地って最高だな……

悪い方に進展があったのは夏休み中盤だった。思わぬところでダメージを受けた。部活合宿だった。

はじめて思うような結果を出せず、目標を果たせなかった。追い討ちをかけるように、新学期になり練習に対する価値観の違いによる部活内の対立と、その中立的立場になってしまった事。

ぶっちゃけ死ぬかと思った勉強も、二学期になり急に難易度が上がり例の如く取り残される。受験の重圧、周りの去年とは段違いのやる気。

そんなものが一気に重なり、私は学校に行く日が少なくなった。

メンタル弱いなとか思われてても仕方ない。というか私も自分で思ってる。

学校に行けなくなったというのは朝起きて、「学校行きたくない…」と震え、結局その日一日結局動けなかった…というような感じでは無く、単純に、朝早く起きれないのだ。

精神科に行くと、精神病と診断され、自覚がないままメンヘラJK突入かよぼんやりとか思っていた。

親にもお前の気持ちが弱いから、とだけ言われ続け、午前の授業の欠課数だけ増えて行く。

科目を二つ落とせば留年、今のところあと欠席可能回数が一桁しか残っていない科目が二つ。

今年に入って朝のHRから出席した日は一日しかない。なんというか、疲れてしまったのかもしれない。

勉強に追われ、部活に追われ。大半は自分責任だとわかってても、もう考えるのも疲れていた。

さて、めちゃめちゃ長くなったが2/3。

3rdライブも、お金問題遠征はできず幕張を狙ったが落選。それ以降は実はSideM自体アニメは見ていたけれどゲームをあまり開かないぐらいには、私の中では薄れかけていた。そんな中、ギリギリで取れた3rdライブLVチケットを握りしめ、豊洲pit以来出していなかったS.E.Mのペンラと共に友人と映画館へ向かった。

そして開幕した3rdライブ。久々に見る担当の姿に感動しつつ夢中になってペンラを振った。全員揃ったのはマジで感謝しかねえ…

S.E.Mの最初の曲は、S=Mだった。やっぱり、最高に楽しかった。

恭二に唐突に求婚されたり所々爆弾を投げつけられながら、合間のトーク

次の幕に移ろうとしていた。しゅごんが話の流れを持っていく。

先生達の指導必要だな!(うろ覚え)」みたいなことを言ってたきがする。S.E.Mだ、と思って大急ぎでペンラを持ち替える。

めちゃくちゃドキドキしながら待っていた。

会場が暗転。ピンクの光がちらほら増えていく。

ドン、と太鼓の音が聞こえて、あ、と思わず声が出た。

会場からも歓声が上がる。

S.E.Mのアニメでの新曲、「From Teacher To Future!」だった。

先生が歌い出す。るいが続く。次郎ちゃんもそれに続く。そして全員でこう言った。

「君は出来る 何だって出来る

君はなれる 何にだってなれる」

瞬間私は泣き崩れていた。そこには確かに中学生の時始めて私の背中を押してくれた、あの先生達の姿があった。

それまでごちゃごちゃ考えていた事が一気に流されたような感じだった。

S.E.Mがずっと私たちに伝えようとしていた事が、本当に今更だけどその時はじめてわかった気がした。

「頑張ろう、一緒に行こう!」と言ってくれた先生達に、私はたぶん、一生感謝するだろうなと思う。大げさかもしれないけど、それぐらい、今の私はS.E.Mというユニットに救われた。

ペンライトもロクに振れないぐらいボロボロに泣いて、「がんばれ」って横でずっと支えててくれてた友達にはマジで感謝しかない。

受験休みが終わって、明後日からまた学校が始まる。ちゃんと朝から行けるか不安もあるけれど、少しでも前に進むためのエールをあの時S.E.Mから貰ったので、私はその分、頑張ろうと思う。

以上、3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話。

2018-03-01

みなさま、よき感情を!

くぇぉぅぇぁぁ。ぼやける視界を押し広げると、月明かりでぼんやりと浮かび上がっている天井が見えた、夜らしい

左腕が疼く。見てみると、記憶にない無数の、正確に言うと17本の切り傷の上に固まった血がこびりついている。知覚が起動し始めるとこれまた記憶にない下腹部違和感が出てくる。前と後ろも

時刻は1時17分。外が暗いから午前なのだろう。空腹が胃壁に針を刺し始めてきたのでコンビニに行くことにする。月明かりを頼りに空っぽカップ麺と卵(卵?なぜここに卵があるのだ?)をどかし、(触感からおそらく)下着と(大きさからおそらく)ジーンズとなんかのTシャツを探り当てる。ちょっとしめってるけどまぁいいやと着、鏡を見ずに外へ出る

神僕と大森靖子が鳴り終わり、女王蜂が流れ始めるとセブンについた。塩おにぎり焼き鳥パック、セブンプレミアム担々麺いいちこをチョイス。空白に視線を落としながら佇む男の子レジを打ち、寝起きの女は代金を渡す。帰り道は時雨にした

電気ポットから熱湯を担々麺に注ぎ、3分後に液体スープ、塩おにぎりと串から外した焼き鳥を入れてかき混ぜると完全食の完成。グラスに注いだいいちこと一緒に

死生観の話。死、つまり無はこれまで自分にとってすぐ隣、すぐ裏、すぐ前、いつでも簡単に手にとって眺めることのできる位置にあるものであり、死と生という二つの選択肢のうち、生の方を偶然、たまたま、思いがけず、強制的に、否応無く、止むを得ずやっているという感覚と過ごしてきた。実際にやったことはないのではっきりとはいえないが恐らくやろうと思えば人を殺すことのできるタイプ人間であるし。実際にやったことはないのではっきりとはいえないがこの世界から居てもいなくても特に問題のない人間のうちの一人である

とにもかくにも、今は死の方に行ってみたい気分なのだ。ひっくり返してみたい気分なのだ。すぐそこにあり匂いただよう死へ

いいちこを飲み干し、窓を開け、ベランダ鉄格子を、8階の鉄格子を、一切の躊躇なく、流れるように、前からそうと決まっていたかのように飛び越え

7階 6階 5階 3階 ほら簡単

2018-02-27

ラミーチョコ食べるとまだまだ夜はこれからだ!って脳をぼんやりさせれるな

当たり前のことができない

当たり前のことができなくて、最近つらくなってきた。片付けることができない。夜にこれをやろう、あれをやろうと思うのに、朝起きると何もしたくなくて一日終わってしまう。それでも仕事があれば仕事に行ってその間は何も考えずにすむのだけれど仕事が終わればあとはまた虚無に戻ってしまう。時間はある。なので部屋を片付けることはできる。いつもせめて5冊本を移動させようとか洗濯ものをたたもうと思うのだけれど家かえるとすぐにテレビつけてお酒を飲んで、たまにはお風呂も入りたくなくてそのまま寝てしまう。いくら寝ても眠いし夜に起きてしまうし、なんでこんなに当たり前のことができないのだろうと涙がでてくる。仕事以外は何も話したくないし連絡きても全部返してないし返してないことがまたなんで返せないのかがいやだ。時間けが無駄に過ぎていく。生産的なことができる人がうらやましい。ひたすらオリンピックの録画している競技を見てぼんやりしている。だめだなあ。

anond:20180222002742

サービス開始時からいかけてて、アニメにいないアイドルのPだが2 

アニメライブも楽しく見たし中の人への不満もとくにない

Twitterではめんどくさい意見見たくなくてジャンルの人はフォローしてない

アニメもまあそのうち2期あるだろうという(アンチの方々からすると)お花畑発想があるからかも

あと箱推しDD的なオタクなので

曲数格差ゲーム内のローテーションについて思う所は公式へご意見

ここからはこのジャンルに限った話ではないんだけども、声のデカさというのはどうしても否定意見のほうが大きく見えるし盛り上がる

最近オタク向け商売はどれもスピードが速くて(商売スピードだけでなくキャラクター自体の変化も)

そういう意味公式がしんどくなる人がいるのはわかるんだけど、

対象物じゃなくオタクの顔色見てジャンル判断するみたいのはなんかあんまりだなーと思う

不満とされてる所わかるとこあるけどまあ私みたいにぼんやりエンジョイ勢もいますとだけ

機械に子守りをさせるな

アラフォーの働く母です。

先日、娘6歳が入学予定の小学校入学前登校日があって、子供達が教室で過ごしている間に親は講堂で先生お話を聞いた。

そのなかのひとつに、「スマホに子守りをさせるな」という話があった。自分が忙しい時に子供スマホで遊ばせるというのはけしからんと。まあ最近よく聞く話。

我が家では最近夫がスマートスピーカーを買って、娘はときどき「ダジャレを言って」「なぞなぞを言って」と話しかけてスピーカーに遊んでもらっている。スマートスピーカーに子守りをさせていると言えるかもしれない。それもきっとよくないと言われるんだろうな。

我が家夫婦とも出張が多いのでペットは飼えないと思っているが、いつかaiboは買ってみたい。娘がaiboと遊んで過ごしていたら、それもよくないのだろうか。

先生の話を聞きながら、ぼんやり自分子供のころの似たような話を思い出してた。ファミコン悪者だった。テレビ脳という話もあった。でも散々ファミコンで遊んでテレビを見て育ったが、私は海外大学院を出て世間的に立派とされる仕事に就いたし、同じように育った弟も東大を出たよ。

子供が接するひとつのものだけ取り出して悪者にしてもね。

2018-02-26

anond:20180226143059

鉄についても同じことが言えると思うよ

個人として守るべきルールはあっても、それを見知らぬ奴に守らせる責任まではない

もちろん、全体としてのイメージの良し悪しとかはあるけど、あくま集団全体のぼんやりしたものしかない

それをそのまま特定個人適用したら差別案件

はてなーってまあえらい不思議なもんでさ、「集団内に悪い奴がいるからって全体に適用するな」って、

LGBTとかのマイノリティには時候挨拶かってぐらい毎度毎度言うのに、

そんなご立派な持論をなぜ他の集団相手になった途端に引っ込めちゃうんだろうねw

2018-02-25

ダーリン・イン・ザ・フランキスの何が気に入らないのか

正直に言うと毎週楽しみに見ている。

けれどもなんというか、もの足りない。

いろんなキャラ情動が、味の素というか、パッケージというか、レトルトパウチみたいな感じがする。

岡田麿里っぽいというか。

何でこう感じるんだろうなー。


SFとしてのディテールの出し方やテーマとの絡め方が弱い?

から登場キャラ達を生活者としてリアルに感じることが出来ない?


メインキャラが多過ぎ?

10人も居るこどもたちが常に出てくる時点でどうしても一人一人は浅くなる?


単にドラマの作りが下手?

これ自体は確かにある

たとえば6話のヒロの復活だって、ヒロの中の何が変わったのかよくわかんないもんな。

02が1人にされたら上手く操縦出来なくなる姿ってヒロにとって意外なものではないはず。

2人で操縦するもんなんだって02も周りも何度もそう言ってるし、

02が戦闘中相棒にダウンされて1人になって出血して弱ってる姿もヒロは見たことあるし。


ヒロが搭乗3回目になるあの出撃で死ぬ覚悟だったとしても、

まだ敵を倒してないうちにダウンしちゃったら02に迷惑掛けたり02も道連れにしたりしちゃうことはわかってたわけで

気持ちよく死のうとしてたら02が困ってる」っていうのは意外な光景でもなんでもない。

情報が何もない。


からヒロの心があそこでどう劇的に変わるのか、変われない。

ので、ただ突然蘇って身体侵食を治して「ウオオオオオオーーーーッ!」って根性出すになっちゃったから

ダリフラ好意的海外でもあそこは「ass pull」って結構否定的に言われてる。


あの展開にするならもっと02が弱みや裸なんかも見せたことなくていつもきれいにしてて、

ヒロは02と仲が悪いか強い不信感を持ってて、

「俺はたぶん使い捨てられて死ぬけどお前も勝手にやれよ、ケッ」ぐらいの感情持ってるようにしておけば

「グオオオオーッ」ってボロボロになって狂乱してる02を見て「やっぱりこいつを助けるんだ!」になるヒロに感動できたと思う。


もしくはヒロが自分仕事を完遂して

最後の一撃を02だけで出来るようにアレンジして託して、心置きなく使い捨てられて死のうとしたのに

02が動揺してヒロをセーブする方を優先して敵を倒せなくなって窮地に陥っちゃうとか。

これならやっぱり02の意外な一面を見て「勝手死ぬつもりじゃダメなんだ」ってなったヒロが根性出すのは感動できたと思う。


これらはすごくベタで単純な1案にすぎず、絶対これにしろって意味じゃないよ勿論。

(02のベタベタする可愛さとヤバさを前面に出すことで興味を引っ張ってきたアニメだし)

でもとにかく、

何の新情報も心の回転もないまま「ウオオオオーッ」の気合絶望的な状況を転回させちゃうのはまずいでしょ。

ドラマとしても戦いの駆け引きとしても。ass pullともいわれるよ。


どうなんだろう。

まりわりと一本調子っていうことなのかなあ。キャラの行動や心が。

人間関係SFも、伏せられた情報が次々開けられていく感じがあると興奮や快感があるもんね。

15もずーっと普通に最初から同じようにヒロが好きだし。

あのマグマエネルギー世界の設定はあまり面白い斬新な物は出てこないのが感触としてわかってしまう。


わからん…。

はっきりとはわからん

あと、なんか自由妄想させてくれるような余地が少ないかな。

作中情報量は多くてもずーっとガシャガシャワアワアやってる感じ(静かなシーンも)

見てるこっち側世界リンクしてガシッと想像妄想スイッチ回してくれるようなキーあんまりない、ような。


どうもぼんやりしてまとまりきらないな。

このへんがはっきり整理できると自分の役にも立ちそうな感触なんだが。

40手前というこの歳にして、急性アル中救急車に運ばれた。

仕事で行き詰まることがあり、相談に乗って貰っていたのだが、

それがこの結末である

気付けば妻が居て、飲み始め以降の記憶がなく、飲み過ぎたかぼんやりしていると、

そんなとぼけた状況ではなく、意識が戻ったことを確認しに看護師がやってくる。

ここでようやく自分救急車で運ばれた事を告げられ、認識する。

意識回復後にはすぐに病院を出て、帰宅は朝の6時を過ぎていた。

お酒で人に迷惑をかける事が自分の中で情けなく、どうしようもない事だと思っていたので、

救急隊の命をまもるべく一生懸命に働いている人たちに、自分の事で迷惑をかけたこ

自分相談の為に時間を作ってもらった相談相手へのこの仕打ち

相談相手の行きつけだというお店にも迷惑をかけ

 結果として紹介した相談相手にも泥を塗る事となり

・深夜にかけつけた妻

・空いたベッドで寝ている小学生の娘

どんだけ沢山の人たちに迷惑をかけたのかと、

冷静になればなるほど、日が過ぎるほどに罪悪感で押しつぶされそうになる。

情けなくてしょうがない。

自分の信じる道を進むという考え方だったものが、

その自分がどうしようもなく情けない存在となってしまい、

信じるものがなくなり、自己全否定し、鬱々としてしまう。

2018-02-24

anond:20180224000320

増田みたいな人が増えたからか、

犯人が近所に住んでたってだけでワイドショーインタビュー受けることになった人が

あんなことするようには見えませんでしたけど・・・」と答える様に、

毒にも薬にもならないぼんやりした意見しか言わない人が増えてしまったと思う。

裸の王様じゃないけど、悪戯背中貼り紙貼られているのに誰も指摘しない様なむず痒さを感じるんだよね。

「指摘したら相手が傷つくから黙っとこう。」っつうのは優しさじゃない。

だいいち本人も薄々わかってるけど確証が持てなかったり同意してくれる人がいなかったりで表に出してこないケースも多い。

言葉にしなきゃ相手に伝わらない。

元増田グミにしたって「不味い」と投稿するのは氷山の一角だ。

世の中の大多数の人間が不味い菓子に遭遇してとる行動は「次にその商品を見ても買わない(無視する)」ってことだ。

そうやって商品改善されることもなく誰にも相手にされなくなって採算が取れなくなり生産停止。こんなことが幾多と起こってきたんだ。

今はエゴサーチ出来るからそういう物も参考にして商品開発は行われている。

他の事例は違うかもしれないけど、グミ悪口を書くことに至っては有意義なことだと言えるはずだろ。

悪いと思うことを事なかれ主義で受け流すことをあたかも善人の振る舞いかの様にいわないでほしい。

それはただ卑怯なだけだ。なくて七癖というから卑怯なことも人間味として必要なのかもしれないけど決してそれは優しさではない。

眠いのに眠れない時にやるといい

とにかく頭に浮かんだ言葉ぼんやり携帯メモし続けていく

理論的に考えずとにかく書く

意味はないけど夢と現実の間みたいな感覚になって気付いたら夢の中にいる


数日後見返すと全然覚えてない文章が書いてあって面白い

溶ける魚的な試みでもある

2018-02-23

子無し夫婦だけど

ちょっと前にアニメが終わった「少女終末旅行」を観てると、

なんか共感というか、非常に心にくるものがある。

チトとユーリ境遇を1000倍くらい薄めたもの日常が進行している気がして、

「最終的にどうなっちゃうんだろう」感が普段意識してないけど、ふとした瞬間にジワリと来る。

子供でもいれば「希望」みたいなもんがもてるんだろうがそれもなく、

40も過ぎてくるとぼんやりとゴールも見えつつ、見ないフリもして。

独身でも同じような感じはあるんだろうが、二人でってのがまた共感できる。

人生という終末への旅行を二人で歩んでいるのだ(小並感

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