はてなキーワード: 混沌とは
開口一番、医者は僕に病名を告知した。予想通りの病名。驚きはもちろん、悲しみさえわかなかった。むしろ若干自分のことが誇らしくすらあった。ここ数週間医学論文を読み込みたどり着いた結論と一致していたからだ。診断の意味するところは一つだった。僕は、もうすぐ死ぬ。緩やかに、けれども確実に。一つ一つ、できて当たり前のことができなくなりながら他人よりもずいぶん早いペースで死という端点へと近づいていく。「自発呼吸」というピースを最後に残して、パズルからはピースが外れていく。それを防ぐ手立て――治療法――は存在していなかった。
病院から彼女と一緒に暮らすマンションへと向かう帰路で、僕はこれまでの自分の人生を、積み重ねてきた努力を思い返した。教授に詰められながらゼミで論文紹介をしたっけ。巨大なコードベースからなるプログラムの不可解なバグの原因を何週間もかけて追究したっけ。診断が意味していたのは、これまでの自分の努力の収束先だった。大学院で身に着けた英語論文をサーベイするスキル、もはや複雑系の様相を呈する巨大なソフトウェアの不具合をデバッグするなかで向上した問題解決能力、それらのおかげで英語の医学論文を読み解くことができたし、近頃の体の不調の原因を特定するに至ったのだと思う。僕がこれまで努力してこれらのスキルを獲得したのは、自分の死期と死に様を人よりも早く知るためだったのか?僕は自嘲した。自分がこれまで生きてきたのはうまく死ぬためだったのかと思うと妙に可笑しかった。
連続な時間軸上で物事は連続的に変化する。そのどこに境界線を引くかは恣意的にしか決められない。しかしそのことは境界線という概念そのものを否定するものではない。何手目からという合意が必ずしもとれなくともチェスの対局には常にエンドゲームがあるように、人生には常に晩年がある。医師が診断を下した瞬間に晩年が始まったと僕は解釈した。そして僕にはまだ、晩年の概形を定めるだけの力は残されていた。やり遂げなければならないことがあった。晩節を汚さないために。手遅れになる前に。彼女と、別れる必要があった。
「なんのつもりー?」彼女は無邪気に笑った。本気だとは微塵も思っていないかのような口ぶりだ。僕が信じていたように、なにがあっても僕たちの愛は揺るぎない、そう彼女も確信しているようだった。「ねえ、それ冗談だとしても面白くないかも」彼女が眉間にしわを寄せて言った。彼女の目を見ることが出来なかった。「ホントに理解できないんだけど……どうして?」妥当な疑問だった。しかし僕は返答に窮した。本当のことなんか誰が言えようか?僕の人生でこれから待ち受けていることを告げても、彼女はそれを受け入れ、最期まで寄り添うことを決断してくれるであろうことは明らかだった。僕たちのあいだに存在するものは極めて純粋な形の愛だと断言できた。だからこそ、愛する彼女にそんなことをさせるわけにはいかなかった。君が男女平等主義者なのは知ってる。でも最後に一度だけパターナリスティックに振る舞うことを許してほしい。残念ながら僕には君と一緒に思い描いた未来を歩む能力は、君を幸福にする能力は与えられていなかった。でも君が不幸になるのを防ぐことはできるんだ。僕の世話をする以外の未来が君にはあって、君はそれを選ぶべきなんだ。言うべき言葉は明らかだった。彼女の目を見据えて言った。「実は、他に好きな人ができたんだ」それを聞くなり彼女は目を見開き息を飲んだ。
それから三年の年月が経過した。秋の柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。窓際でいつものように目の動きをキーボード入力に変換するソフトを使ってWebブラウジングをしていたところ、あの日別れを告げた彼女の SNS 投稿が目に留まった。ウェディングドレスを着た彼女がとびきりの笑顔で写っていた。様々な種類の感情が同時に生起した。混沌のなかで最初に言語化できたのは「これでよかったんだ」という思いだった。祝福する気持ちを表現しようとしたが笑顔がうまく作れない。涙が頬を伝う感覚があった。しかしそれを確かめるすべを僕はとうに失っている。ちょうど暖かな日差しが運んできたまどろみに身を任せて僕は眠りに落ちた。
俺が今から1日18時間勉強して省庁入って家庭を顧みず努力して実績作って国政に打って出ても総理大臣になれる気がしないんだけど。20歳からそれを始めたとしても50年はかかりそう。いや、50年かけてもなれる気がしない。
って考えると、ガースーさんもすごくね?
いやまて、もし俺がアリなら寝ずに努力し続けても人間になれる気がしない。って考えると人間てすごくね?
いやいや、もし俺が石ころだったとして、1万年間、毎日自分の意思で動けるように祈っても動けるようになる気がしない。生きてるってすごくね?
あれ?そう考えると、みんなすごいってことは、みんなすごくなくね?宇宙もアリも石ころも、キミもボクも、総理もマッキンゼーも対等じゃね?
みんなすごくてみんなすごくない。よかった。実は世界は平和だったんだ。
いや、平和じゃない!顔に硫酸かけられた女の子にお前はそんなこと言えるのか!?
世界には秩序と混沌があるだけなんだよ。でも、お腹は減るね。人が離れたら寂しくなるね。はあ、どうやって生きていけば楽しいかな。
この数年,妻が闘病してきたけど,先日,医師団から「刀折れ矢尽きた」と宣告されたので,病状と気持ちの変遷をチラ裏として書いておきたい.
そして,原因究明にも時間がかかりすぎた.毎日会っているとわからないけど,ある日出張から帰ると妻の脚が痩せてた.脚が太いのがコンプレックスだったようなので,呑気に「よかったじゃん」と言いながら,過ごしていたのが勿体なかった.疲れ気味とも言っていたので,マッサージでもして少し休んだら?という会話をしていた.その後,家族旅行に行ったけど,そこで調子が本格的に悪くなり,帰って病院にいくと即入院になった.その後,何が原因なのか(疲労?新手の感染症?)などをさぐっていたら,あっという間に+1ヶ月半(その間入院).で,結局,血液系の癌ですね,となり治療開始.気づくと今年は夏からすぐに冬になったんだなって思うくらいの慌ただしさ.この頃は,癌かもねという話があった時に,「そうかもな」と思いつつ,治療に専念してもらうかなど色々画策.妻は好戦的で,子供のことを巡って大喧嘩も数知れず.当時は抗がん剤治療が比較的うまく行っており,妻は余裕だと考えている節があった.
冬が終わるくらいになると,好戦的なのは変わらないけど,「あれ?」ということが増えてきた.それを認めないため,休みをとって診察に同行し(それまでは口出すなって言われていたので行かないことにしていた),事情説明.検査の結果,中枢神経系の転移が起きていて,即入院.これもかなり遅かった.入院して即治療という訳にも行かず,1週間くらい待っている間に,あっという間に意識不明になった.この時は,覚悟したし,最後にまともな会話ができなくて心残りがあるって思った.けど幸い,少しずつ治療が効いて,退院できるくらいになった.正直,一安心.けど,病院側からは普段の生活面において,不穏な話をたくさんされた.
退院してからの妻の行動は,人が変わっていたと言っても差し支えがない.見ず知らずの人にやたらめったら絡んだり,商品をカバンにしまって会計しないまま立ち去ったり.その度に,妻の実家を含めて話し合って,叱ったり諭したりし,本人は反省した風だけど,3日ももたずに繰り返す.家族で買い物に言っても,少し目を離した隙にやっている(目を離すなって思うかもしれないけど,例えば,子供をトイレに連れて行ってる隙にいなくなってるんだよね).本人はもう元気になったから,私のやりたいようにするってことらしい.それは構わないけど,家族や周りに迷惑かけるなって思った.「そんなに元気なら復職しろ」(治療中は休職)って話をして,じゃあ相談しようってくらいに,新型コロナの問題で会社・医師双方からもう少し待ちましょうって感じになった.本当にこのころは迷惑だったし,妻は妻で,「あなたが言うことは間違っている」と言っていて(「間違ってたら警察のお世話にならんわ」って内心思ってた),家族で見切れないから,衆人監視で動いてもらおうって思ってた.
けど,そうこうしているうちに,再発していることが判明(これも本人が再発を認めたくなかったため,医師に伝えるのにものすごく時間かかった).前回にこれで再発したら,もう手段はほとんどないですって伝えられていて,実際に選択肢は4つくらい(うち1つは治療しない)だった.お勧め順に潰してきたけど,やはりどれもダメってことで「刀折れ矢尽きた」の宣告に至っている.先週末あたりから,頭の中がタイムスリップすることが増えてきて,今週になってその時間が多くなってきた.これがどの段階なのか分からないけど,中枢神経系に転移した時に似た既視感があり,正直そろそろかなという直感がある.自分に対しては妻とお別れに対する悲しさ,これでやっと終わりだなという解放感,妻に対しては,子供の成長が見れなくて辛いだろうなという気持ちとやっと痛みや辛い治療から解放されるねという安心感.子供に対しては,どうすればいいのか分からない(母親を失うのはどうあがいても厳しいことだろう).混沌とした気持ちになっている.
以上,チラシの裏.
既婚者の皆様,特に専業主ふのパートナーをお持ちの方は,自分だけでなくパートナーの健康管理にも気をつけて欲しいといのが教訓.あとはどうなるかは千差万別.ただし,頭の病気は本当に周りが辛い.
昔々、それはもうあきれかえるくらい昔。重箱の隅をつつくようなこの世界の片隅に、
仙人のごとく白髪白鬚を腰にまで下ろした枯草のような顔のおじいさんと、
齢千年に及ぶ木の皮の表面のようにしわくちゃな顔のおばあさんが住んでいました。
おじいさんは大気圏を超えるほどそびえ立つ山へ芝狩りに、
おばあさんは大河のように広い川へ、一億二千枚の服の洗濯に行きました。
おばあさんが川で怒涛のように洗濯をしていると、
ドドドドドドドドドドドドドンブラコ、
ドドドドドドドドドドドドドンブラコと、
大河の両岸を削りながら超巨大な桃が流れてきました。
婆「おお、こいつは重畳(ちょうじょう)!!じいさんへのみやげにしてくれるわ!」
おばあさんは超巨大な桃によってできた洪水を乗り越え、その桃を片手でつまみあげると一飛びで家へと持ち帰りました。
そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと、対城用超超巨大白銀刃(しろがねやいば)で舞空術(ぶくうじゅつ)からの天地開闢(かいびゃく)切りで桃をたたっ切ると、
なんと中から家の屋根をぶち破るほどクソデカい男の子が飛び出してきました。
爺「でかぁあああい!説明ド不要!こいつは神様からの超贈り物ぉ!」
子どものいなかったおじいさんとおばあさんは三日三晩踊り狂うほど大喜びし、二人は男の子をクソデカ桃太郎と名付けました。
クソデカ桃太郎は笑っちゃうほどスクスク育って、クソ強い男の子になりました。
桃「このちっぽけな銀河の端くれでクソ鬼どもが悪さをしているらしい。俺は惑星鬼ヶ島へ行って、悪鬼羅刹(あっきらせつ)を退治してくる」
おばあさんは天界で仕入れた黍(きび)を使い、地表の三分の二を覆い尽くすレベルの黍団子を作って渡すと、クソデカ桃太郎は、その九割を一口で食べると思い切り跳躍して宇宙へと飛んでいきました。
アステロイドベルトにまで到着すると、月くらい大きい犬に出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
犬「それでは、お腰に着けた黍団子!一つと言わず全部くれ!お伴してやろう!」
桃「貴様には一つだけで十分だ!」
犬は隕石大のきび団子を口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
そして、アンドロメダ銀河を飛び越えると今度は木星くらいあるサルに出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
猿「それでは、お腰に付けたきび団子!1つと言わずお前ごと食らってやろう!」
桃「貴様にはその辺の星で十分だ!」
サルは近くの星を口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
そして、別の宇宙にまで到達すると今度は銀河系どころの大きさじゃないキジに出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
雉「それでは、お腰に付けたきび団子!1つと言わずこの世の全てを食らい尽くす!」
キジは無数にある宇宙の1つを口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れたクソデカ桃太郎は、ついに一片の光もない虚無の底、全宇宙の始まりの場所である「無」に存在するクソ鬼ヶ島へやってきました。
鬼「察する通りだ。我らは全生命体の魂に潜む『悪』『欲望』『怨念』を司る鬼である」
闇に巣食うは一兆一京(いっけい)を超えた無量大数の鬼。蛇蝎魔喝(だかつまかつ)にして、永劫不変(えいごうふへん)の、人の原罪!
鬼「我らは人の数ほど存在し、ありとあらゆる欲求の渇望、競争を生む概念そのもの!」
鬼「我らを滅するは全宇宙を腑抜けにすること。繁殖欲求すら失うならば人の滅亡!それでいいのかクソデカ桃太郎!」
猿「ば、ばかなぁあああああ」
雉「鬼は人。人は鬼。それもまた一つの側面ということか」
三匹の視線がクソデカ桃太郎に集まる。彼は今の一瞬で三千世界の悟りを開いた。
桃「ふはははははははははあ!」
彼が手を叩くと、その衝撃が宇宙を超え、銀河を超え、ある惑星の、大河に佇む老婆の横に咲く、無数の花を揺らした。
桃「俺はこのために生まれたのかもしれん」
鬼「何?」
桃「かかれええええええ!」
クソデカ桃太郎と三匹は無限の鬼の大群に突っ込んでいきました。それはどれだけ時間をかけても終わらない戦いでした。無の外では、宇宙の滅亡と誕生を繰り返す輪廻(りんね)の輪が広がっています。生命が一つでも宇宙にある限り、鬼は滅ぶことはない――彼らはいつしか互いに相反(あいはん)する概念として溶け込んでいきました。
やがて混沌とした無の中で一つの芽が生まれ、宙(そら)に向かって落ちていきます。原初の海から数万億光年先へと飛び立つと大きな爆発を起こして新しい世界が始まりました。
岩が星となり、その地に生命が生じ、絶滅と進化を繰り返していきます。知恵ある生物が文明を興し、それもまた滅亡と勃興(ぼっこう)を数えきれないほど繰り返していきました。
子「ももたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」
そんな他愛のない昔話を読む姿を両親は優し気に微笑むのでした。
そう――彼らは今、かけがえのない善性となって全ての人間の心の中にいるのです。
完
ドスケベメロスは激おこぷんぷん怒り勃起した。遺憾の意射精もじゃんじゃんばゅりばゅりした。5㍑くらい射精(で)た。必ず、かの邪智にして暴虐、淫乱で猥褻、卑猥でしかも淫靡、妖艶なだけでなく耽美、そして最もえちえちな王、人呼んで・・・邪智暴虐淫乱猥褻卑猥淫靡妖艶耽美最えちえち王をスケベ除かなければならぬと決意の自慰もした。ドスケベメロスにはえろえろ政治がむちむちにわからぬ。ドスケベメロスは、スケベ村のスケベ牧人である。笛ラチオをスケベ吹き、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ乳を出す淫乱羊、その名も感度3000倍媚薬乳淫乱羊と交尾したりされたりしてえっちに遊んで卑猥に暮して来た。けれどもむらむら邪悪メに対しては、人一倍に超エロ敏感であった。無垢な少年のむくむく棒のまだ暖かな春の日差しを知らないむくむく中身よりも敏感であった。悪エロスを見ると一秒の間に4545194回怒りアクメするレベルの敏感さですらあった。淫靡極まり無いきょうのエロスとカオスとリビドー渦巻く未明ドスケベメロスはスケベ村を出発し、エロ野を越えエロ山越え、十里はなれた此のドエロシラセックスのセックス市にやって来てとりあえず挨拶がわりとしてそこら辺で雑に射精した。ドスケベメロスには絶倫父も、淫乱母も無い。エロ女房も無い。バイオ性玩具も無い。十六の、内気な美っ痴妹と二人暮しだ。この美っ痴妹は、スケベ村の或る律気な一スケベ絶倫牧人を、近々、えちえち絶倫花婿として迎える事になっていた。猥褻結婚式も間近かなのである。ドスケベメロスは、それゆえ、美っ痴花嫁の猥褻ドスケベ即ハメ不健全エッロエロ衣裳やら祝宴の媚薬激盛御馳走やら脳の機能が生殖器に支配されたバイオ性玩具やら発情きび団子やらを買いに、はるばるセックス市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それからセックス都のドエロ大路をぶらぶら歩いた。ドスケベメロスには竹馬の穴友があった。セックスリヌンティウスである。今は此のドエロシラセックスのセックス市で、いかがわしいエロ石クス工をしている。その穴友を、これからエロ訪ねてみるつもりなのだ。久しくエロ逢わなかったのだから、エロ訪ねて行くのが卑猥(たの)しみである。そこら辺の棒とか穴とかをセックスに誘うようなセクシーさでスケベに歩いているうちにドスケベメロスは、エロまちの様子を卑猥(あや)しく思った。老人同士の事後かというほどひっそりしている。もう既にセクシー日(サン)も落ちて、エロまちのスケベ暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、淫ら夜(ナイト)のせいばかりでは無く、セックス市全体が、やけに寂しい。猥褻(のんき)なドスケベメロスも、だんだんエロ不安になって来た。セックス路で逢った若いスケベ衆をつかまえて、とりあえず雑に笛ラチオをして、何かあったのか、二年まえに此のセックス市に来たときは、淫ら夜(ナイト)でも皆があまりにも卑猥過ぎてIQがぴーぼぼぼぼになるようないやらしいクソスケベな歌をうたって、エロまちは卑猥(にぎ)やかであった筈だが、とエロ質問した。若いスケベ衆は、首を振って答えなかった。しかしドスケベメロスのドスケベな穴にドスケベな棒をぶち込んで腰を雑に振った。しばらく歩いてセクシー老爺(イケシルバー)に逢い、こんどはもっと、スケベ語勢をエロ強くしてえちえち質問した。セクシー老爺は答えなかった。メロスは両手でセクシー老爺のからだをゆすぶって素股をしながらえちえち質問をむちむち重ねた。セクシー老爺は、あたりをはばかるセクシーと言うにはあまりにも卑猥な低声で、わずか答えた。
「なぜアクメ殺すのだ。」
「悪スケベ心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪スケベ心を持っては居りませぬ。」
「たくさんのスケベ人をアクメ殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアクメレキドスケベス様を。あとスケベ遠いドシコリブルグから迷い込んだセックスエイリアンを。」
「いいえ、えちえち乱心ではございませぬ。スケベ人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下のスケベ心をも、お疑いになり、少しく卑猥で派手な暮しをしている者には、スケベ人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御アク命令を拒めばエロ十字架にかけられて、アクメ殺されます。きょうは、六人アクメ殺されました。」
聞いて、ドスケベメロスは激おこぷんぷん怒り勃起した。そうして冒頭にあった通り、遺憾の意射精と決意の自慰をした後で、物欲しそうなセクシー老爺の開きっぱなしのアナルを使って覚悟の自慰もした。「呆れたえちえち王だ。アクメ生かしてスケベ置けぬ。」
ドスケベメロスは、バイオ性玩具より単純な助平男であった。アダルティックな買い物を、セクシーに背負ったままで、のそのそドエロ王城にはいって行った。たちまち彼は、えっち巡邏のドス警べ吏にえっちに捕縛された。エロ調べられて、ドスケベメロスの猥褻な懐中からはどう見てもえっちな事にしか使えない短剣(バイブ)が出て来たので、エロ騒ぎがエロ大きくなってしまった。ドスケベメロスは、えちえち王の前に引き出された。
「この短刀(バイブ)で何をするつもりであったか。言え!」えちえち暴君ディオニセックスはエロ静かに、けれども威厳を以てムッキムキの従者二人の穴と棒を自らの棒と穴で激犯しながらエロ問いつめた。そのえちえち王のセクシー顔はセクシー蒼白で、セクシー眉間のセクシー皺は、セックスが刻み込まれたようにエロ深く、枯れ専の雌穴の卵巣IQが一瞬で虚無虚無ぷりんになるレベルでエロかった。
「セックス市を淫乱えちえち暴君のガシガシ手マンから救うのだ。」とドスケベメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」えちえち王は、えろえろ憫笑(びんしょう)した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしのスケベ孤独がわからぬ。」
「言うな!」とドスケベメロスは、セックスの途中で穴から抜かれた時のチンポみたいにいきり立って反駁(はんばく)した。「スケベ人のスケベ心を疑うのは、最も恥ずべき破廉恥悪徳だ。えちえち王は、えろえろ民のむらむら忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当のスケベ心構えなのだと、わしにスケベ教えてくれたのは、おまえたちだ。スケベ人のスケベ心は、あてにならない。スケベ人間は、もともと私慾情慾性慾肉慾淫慾色慾のかたまりさ。アクメ信じては、ならぬ。」えちえち暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついて、20㍑射精した。「わしだって、助平和をむらむら望んでいるのだが。」
「なんの為の助平和だ。自分のスケベ地位を守る為か。」こんどはドスケベメロスが嘲笑アクメした。「罪の無いスケベ人をアクメ殺して、何が助平和だ。」
「だまれ、下賤の助平者。」えちえち王は、さっとアクメしそうな顔を挙げてエロ報いた。「上の口では、どんな卑猥(きよ)らかな卑猥(きれい)事でも言える。わしには、スケベ人のだらしない腹綿のはしたない奥底が視姦(み)え透いてならぬ。おまえだって、いまに、えちえち磔になってから、アクメ泣いて詫びアクメしたって聞かぬぞ。」
「ああ、えちえち王は卑猥(りこう)だ。自惚れえっちしているがよい。私は、ちゃんとアクメ死ぬる覚悟で居るのに。命(アクメ)乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、ドスケベメロスは足もとに視線を落し射精して瞬時ためらい、「ただ、私にスケベ情をかけたいつもりなら、アクメ処刑までに三セックス日間のセックス日限を与えて下さい。たった一人の美っ痴妹に、絶倫えろえろ亭主を持たせてやりたいのです。三セックス日のうちに、私はスケベ村で猥褻結婚式を挙げさせ、必ず、ここへエロ帰ってアクメ来て素直にデスアクメします。」
「ばかな。」とえちえち暴君は、卑猥(しわが)れたセクシー声で低く笑った。あまりのセクシーさに何人かの衛兵がデスアクメし、中には耳からバイオ性玩具をアクメ出産した者もいた。「とんでもない嘘アクメを言うわい。逃がした淫乱小鳥がエロ帰ってアクメ来るというのか。なんか来ちゃうのか。白いおしっこが出てしまうのか。」
「そうです。エロ帰ってアクメ来るのです。なんか来ちゃうのです。白いおしっこが出てしまうのです。」ドスケベメロスは必死で言い張った。「私はエロ約束をエロ守ります。私を、三セックス日間だけ許しアクメして下さい。美っ痴妹が、私のエロ帰りを待ってオナニーしているのだ。そんなに私をエロ信じられないならば、よろしい、この市にセックスリヌンティウスというエロ石クス工がいます。私の無二の穴友人だ。あれを、スケベ人質としてここにエロ置いて行こう。私がアクメ逃げてしまって、三セックス日目の淫靡極まり無い日暮まで、ここにエロ帰ってアクメ来なかったら、あの友人をエロ絞めアクメ殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、卑猥(ざんぎゃく)な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。生意気なエロことを言うわい。どうせエロ帰ってアクメ来ないにきまっている。このドエロ嘘つきにエロ騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りのスケベ男を、三セックス日目に殺してやるのもエロ気味がいい。スケベ人は、これだからエロ信じられぬと、わしは悲しいアクメ顔して、そのスケベ身代りの男をえちえち磔刑にえろえろ処してやるのだ。スケベ世の中の、エロ正直者とかいう淫乱奴輩(いんらんやつばら)にうんと視姦(み)せつけてやりたいものさ。
「エロ願いを、聞いた。そのスケベ身代りを呼ぶがよい。三セックス日目にはセックス日没までにエロ帰ってアクメ来い。おくれたら、そのスケベ身代りを、きっとアクメ殺すぞ。ちょっとおくれてアクメ来るがいい。おまえのスケベ罪は、永遠にアクメゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。おほぉ♡」
「はは。スケベいのちが大事だったら、おくれて来い。おまえのスケベ心は、わかっているぞ。」
ドスケベメロスは口惜しく、アクメ地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。でも射精はきっちり10㍑した。
竹馬の穴友、セックスリヌンティウスは、深夜、スケベ王城にアク召された。えちえち暴君ディオ二セックスのスケベ面前で、佳き穴友と佳き穴友は、二年ぶりで相逢うて、互いのチンポを狂ったようにしゃぶりあった。ドスケベメロスは、穴友に一切のエロ事情を語った。セックスリヌンティウスは無言で首肯き、ドスケベメロスをひしと抱きしめてお互いのペニスをお互いのアナルに入れて二、三回交尾した。穴友と穴友の間は、それでよかった。セックスリヌンティウスは、縄打たれアクメした。ドスケベメロスは、出発前に、縛られたセックスリヌンティウスのペニスに自らのペニスの先っちょをくっつけてしばし別れのキスをした。穴友ペニス同士のえっちであまあまなおちんちんディープキスがいつまで経ってもおわらないので、えちえち暴君はドスケベメロスとセックスリヌンティウスに発情した雌犬も一秒と経たずにドン引きするレベルで発情しまくっているドシコリブルグ産の腋とまんこが毛むくじゃらで流石の体毛フェチも「こんなんジャングルとセックスしてるようなもんじゃねぇか。」と喜怒哀楽が混沌に混じり切って困惑アクメしまうような局部ボーボー発情奴隷と三セックス日間セックスするように命じた。ドスケベメロスは発情奴隷とセックスしながらすぐ出発した。猥褻な初夏、満天のスケベ星である。発情奴隷の全身から溢れ出るスーパー強制発情フル勃起フェロモンがドスケベメロスのドスケベメロスをバッキバキにフル勃起させていた。
63人は正社員として働き、37人は非正規で働いています(雇用されている場合)。
そのうち、年収200万円未満のワーキングプアのお友達は28人になります。
50人の男の子のお友達のうち、12人は生涯未婚のまま過ごします。
併せると、100人中81人は(一度は)結婚して、19人は未婚のまま生涯を遂げます。
100人のお友達のうち、7人は生涯を通じて何らかの障がいに該当します。
「富士山に登りたい」なんてつぶやいたら、全員が登れる事情があると考えるな!体力のない女性の意見も考えて!とたちまち教室で袋叩きにあいます。
貴方はおにぎりを100人で食べて、楽しい思い出を共有したいのでしょうが、
果たしておにぎりをぱっくんぱっくんと満足に食べれる人は今日本に何人いるんでしょうか?(〇旗新聞)
そもそも外国からのお友達が増えているのだから、おにぎりじゃなくてパンでもいいと思います
おにぎりが食べれないなら、バター入りのお菓子を食べればいいじゃない
新鮮な白米と天然海苔のコラボレーション、Yeah 大和魂マジで 凄まじい(日〇会議)
https://anond.hatelabo.jp/20200821200053
https://anond.hatelabo.jp/20200821141701
私もまた感想文は苦手だった。
感想を書いて自分の内心を外部に晒す。苦痛、恥辱、弱点を晒す、言質を取られる、そんな感情を伴う。
今でこそ「内心の自由の侵害であり、黙秘を許さぬ虐待でしかない」と言えるが、年端も行かぬ小学生にそんな抗弁もできようハズがない。
他にも、どんなアドバイスを受けようとも「それは自分の言葉でない」「自分はそんな事は言わない」という、
頭の引き出しの中になにもないクセに、外から来るすべてを拒絶するという性質があった。
何故なら「自分で書いたモノ」と自己が切り離されず、そのような外から来た言葉を混ぜることは
アイデンティティの喪失を意味するため、拒絶するしかないのだ。
初めて「なんか適当にそれっぽいこと書いて、意識高い感じ出しとけ」と出来たのは大学1年生のときだが、
思ってもないことを書いた反動で、以来その講義のレポートは2度と出せなかった。
感想文苦手の子も、思っていること、考えていることは沢山あるだろう。
でもそれを表現するには、上述の文章くらいは自分で書ける程度の土台が必要だ。
だから、言語化するには複雑だったり多くの言葉を費やさなければならない感想であると、
時には面倒だから、或いは困難だから、「感想はない」にならざるを得ない事もある。
そもそも、ほぼそういう物語があったんだという事実認定で終わるだけで、「ふーん」だけが感想の場合もある。
だから「おもしろかったです(本当は別に何も思わなかった)」しか書けない。
「ふーん」だけではなく「ふーんそうなのかー」と思った行を見つけて何か書いておく、そうやって字数を稼ぐのが私の感想文だった。
それでも字数が足りずに行き詰まることも多々あった。
ダラダラと書いて最終的に何を言いたいということもなく、
まるで自分で意義を認められないものが出来上がった時、書いたものすべて消しゴムにかける。
増田は称賛されているようだが、こういう私のような人間には何一つ響くものがない。
読む相手を蔑ろにしなければ出来ないであろう、嘘を並べ立てる不真面目な虚言家として軽蔑する。
そんな反感を、少なくとも高校生くらいまでなら覚えていただろう。
端的に言うと、感想文を書かせるのは無理だ。
無い袖は振れない。上述でいうところの土台がない。
出来るのはせいぜいニュースなど折に触れては親の考えを植え付け、
子どもが大人になって「吐き気を催す」と捨てられるまでの間、引き出しの中身としてやることだ。
言葉、概念、思考、技術、さすがにもういい年なので、それなりに備わった。
第二に、ふーんでは終わらない内容であること。
書けないのは何より心の問題だった。
乾いたスポンジに、まだ数滴の目薬しか垂らしていないのに、一体そこから何が絞り出されるのか。
真に琴線に触れたのならば、心から滲み出たものをそのまま文にしたためることも出来ようが、
何とも思わなかった物語に対して、架空の心を生み出して代弁させるのに必要な精神機能は、
だが、仮に「アメリカは〇〇人の国である」という穴埋めがあったとしよう。
感想がないこと、言い表せないこと、それが混沌な状態であっても「そのままであること」が物語の正しい姿であるのに、
100%正しい表現ではない言葉で決めつけてしまうと、自分の心の中にある物語が壊れ、損なってしまう。
子ども心にそれは悲しいことで、感想を書けなかった記憶もある。
もはや感想というよりは随想であるが、元増田のように書くには余程精神が活性でなけれれば出来ないだろう。
まず、『ダークナイト』は、フロイトの「自我・超自我・イド」の図式に当てはめると解釈しやすい映画です。
そもそもジョーカーってなんなの?というと、病院のシーンでハービーに言っていたように、「混沌の使者」(Agent of chaos)です。
ゴッサムに秩序をもたらそうとするハービーやバットマンに対して、人々の怒りや不安(防衛本能)を煽り、本能的衝動にしたがって行動させることで街の秩序を崩壊させようとするのがジョーカーです。
ここでの秩序とは何かというと、「父権制的な権力」を指します。
これは、明治時代など、近代以前の家父長制でも見られる、父親や「家」といった道徳や社会的信用に基づいて人々を従わせる権力を指します。
近代以前の社会では、家長同士の信頼によって地域コミュニティに必要な産業や社会制度が賄われており、それらの秩序を犯した者がいた場合、例え家族であってもその命を差し出す必要がありました。
父親のもたらす権力・秩序が個人の自由に優越していた時代です。
一方、近代の市民革命以降は、主権者が一般市民(国民)に移ったことで、上記の「父権制的な権力」に個人の自由が優先されるようになります。
コミュニティの構成員の間でも格差があったり、それぞれ価値観は異なります。
するとどうなるかというと、それぞれの権利の拡大やコミュニティの方針を決める上で争いが起きるようになります。
この原動力が、ジョーカーの象徴する「人間の生理的欲求・本能的衝動」です。
『ダークナイト』の公開された2009年はアメリカがイラク戦争の泥沼にどっぷりハマっていた時期で、ジョーカーの爆破などテロ行為と合わせて、この映画をイラク戦争批判と見る人もいました。
私はこの映画がイラク戦争批判だとは思いませんが、「人々の防衛本能によって事態が混沌に陥った」という点では共通していると思います。
イラク戦争の発端は、アメリカを攻撃する大量破壊兵器がイラクにあり、「先制攻撃」の対義名分で侵攻、泥沼に陥りました。
この映画でもそうで、人々が防衛本能によって親しい人物を裏切り、ジョーカーに加担することで一連の計画・悲劇は進みます。
終盤もジョーカーが市内に仕掛けた爆弾から逃げるために船に乗り込んだ一般市民が船内の爆破を免れるために、囚人船の爆破との二択を迫られる展開となります。
終盤の二択のシーンは、人々が社会的信頼や道徳(善)に基づいた振る舞いをすることで危機を免れるわけですが、ここでも生存本能を脅かす不安(本能的衝動)と社会的信頼(父権制的権力)の葛藤が起きているわけです。
この二者の葛藤を説明する概念が、フロイトの「自我・超自我・イド」です。
これらの概念は、父親のしつけを通じて内面化された父権制的権力と動物的欲望・本能的衝動の葛藤の間で揺れ動く人間の自我のありようを表すものです。
この三者の関係を表すものとしてよく触れられるのが、ギリシア悲劇の「オイディプス王」やこの寓話を受けた「エディプスコンプレックス」の概念です。
エディプスコンプレックスの概念によると、幼児期の男児は母親との結婚を望むが、父親と結婚しているため、その願望が叶うことはない。この時、男児に母親との結婚をタブーとする父権的な「規範」(秩序)が生まれ、男児は精神的な去勢を経験するとされます。
要は、母親と結婚したい男児の欲望と、それを男児のモラルとして彼の心の中で禁止する父権制的な権力との間で葛藤する男児の自我の揺れ動きを表しているという話です。
実際、この映画では、ハービーは社会的信用を守る地方検事で、ブルースの幼なじみであるレイチェルの恋人役です。
ブルースのレイチェルへの性欲を抑圧し、彼自身が望む秩序を体現する存在で、ブルースの「超自我」の象徴と言えます。
一方で、ブルース自身に目を向けると、幼い頃に両親を奪ったギャングに、自分自身の幼児期のトラウマである「コウモリ」のコスチュームで私刑を加えることで、彼らに自分と同じ畏怖(トラウマ)を植え付けようとしています。
ブルースが「コウモリをシンボルに選んだ理由」と「なぜシンボルが必要か」(逐次制裁では模倣犯が出るため、模倣犯が出ないよう、悪漢を怖がらせる、畏怖の対象となるシンボルが必要と考えた)は、前作の「バットマンビギンズ」でブルースによる上記そのままの説明があります。
つまり、「ブルース自身が彼の超自我(父親の象徴)であるコウモリになろうとしている」という話で、先述のエディプスコンプレックスにある、父親の座につこうとする男児の精神と合致します。
また、ブルース自身の葛藤として、彼は街に秩序をもたらすという公益性とは別に、Mob(ギャング)への個人的な恨みで制裁を加えている側面があり、この個人的な恨みが暴走してしまうのではないか、そもそも自身の行動はただの私刑(リンチ)ではないかという懸念がついて回っています。
ジョーカーが焚きつけようとしているのは、ブルースのこの個人的な怒りです。
ブルースがMobの制止と社会秩序の実現という社会道徳ではなく、個人的な怒りでバットマンの活動を行なった瞬間、彼はただの犯罪者になります。
ジョーカーの目的は、このバットマンの大義名分を取り払い、自分やスケアクロウなどの怪人や、Mobのようなゴロツキと変わらない存在に陥れることです(この企てに成功したのがハービートゥーフェイス)。
取調室でのバットマン・ジョーカーの尋問シーンで“You complete me.”(プロポーズの慣用句です)と言っていることからも分かる通り、ジョーカーはバットマンが半ば自分と同じ本能的衝動で動いていることに気付いています。
(だから、“You and I, are destined to do this, forever.”となる。)
長くなりましたが、パーティーシーンについて。
このシーンでは、老紳士が父権制的道徳を象徴する形でジョーカーに反抗したため、ジョーカーから“You remind me my father, I hate my father!”(お前見てると俺の父親を思い出すんだよ、大っ嫌いな父親をな!)と反感を買います。
ここでレイチェルが止めに入り、ジョーカーが口元の傷の由来を話しているのが、この場面の一番重要なポイント。
ここで何をしているのかというと、レイチェルを象徴的な意味で自分の女にしようとしています。
というのは、上に書いた通り、ジョーカーはバットマンの片割れです。
すると、ジョーカーにもレイチェル的な存在がいてよい、いるはず、という話になります。
それがジョーカーが”D’you know how I got these scars?”で始める「傷の由来の話」に出てくる「ジョーカーの悪妻」です。
レイチェルをこの悪妻に重ねているのは、逸話に入る前に“I had a wife, very beautiful, like you.”と言っていることから分かります。
ではその悪妻がどのような女性かというと、レイチェルのように慈愛に満ちている反面、ギャンブル狂で、口を裂かれた彼女に寄り添おうとしたジョーカーを拒絶した女性です。
ハービーと同じ検事職にあり、貞淑さを象徴するレイチェルとは真逆の存在です。
ジョーカーのしようとしたのは、レイチェルを自分の別れた悪妻と重ね、彼女と同じ傷をつけることで、レイチェルをその悪妻と同じ側に落とすことです。
おそらくこの逸話自体は嘘です。この場面以前にもGambolのシーンで傷の逸話がありますが、別の話をしています。病院のシーンでハービーに「俺が計画して動く男に見えるか?」(”Do I look like a guy with a plan?”)と言っていることからも、彼がポジショントークしない人間であることが分かります。
レイチェルを殺したり、ただ傷物にするのではなく、その前にこの逸話を挟むことで、その傷は彼女へのマーキングの意味を持つようになり、シンボル的な意味でレイチェルはジョーカーの女に堕落します。
彼女はやがてジョーカーにさらわれて殺されてしまいますが、面白いのは、その時ジョーカーが指定した彼女の居場所です(実際にいたのはハービーですが、言葉の上で彼女と結びついていたのが重要)。
ジョーカーは彼女の居場所を“She’s at avenue X, in Cicero.”と指定しています。
Ciceroとは、共和制ローマ末期の弁論家・政治家・哲学者で、彼の政治思想で理想とする統治機構は「共和制」でした。
「共和制」は、国家主権が人民に存する統治機構で、国家元首(王)により支配する独裁制とは対立する統治機構です。つまり、父権的制的権力とは対立する概念。人民の動物的本能に公共善による秩序をもたらそうとするもので、超自我とイドの調和が取れた状態と見ることもできます。
つまり、超自我とイドの葛藤に揺れるブルースが、本来身を委ねるべき安息の場所にレイチェルがいた、と比喩的に表現されているのです。
(その場所にハービー(父親)を置いとくあたり、徹底してジョーカーは底意地が悪い)
とまぁ、パーティーシーンは、これらの葛藤の舞台となる場面です。
直前でスリロ判事・警察長官が殺されて、ハービーが殺されればゴッサムの司法庁崩壊でその王手がかかっていたり、それを阻止すべく大急ぎで対応するブルースと迫るジョーカーのサスペンスだったり、ヒースレジャーのセリフ回しだったりで見所がいっぱいある、個人的にも好きなシーンです。
タイトルから言うまでもないけども、自分は今の政権は支持してない
こんなタイトルだと、むしろ政権の不支持派が叩かれそうなタイトルだけども、もうそれでもいいやって思って投稿した
今はおもに観光業界の人たちからの、Go Toキャンペーンの話題がホットだ
(それでも後1ヵ月もしたら、みんな忘れるんだろうけど)
でも、観光業界なんて、これまでは中国、外国をたくさん呼び込んでくれる今の政権にずっと入れてきたんじゃないの
彼らが、自分の身の回りしか守ろとしない人たちだってのは、森友とか加計とか、それ以前の諸問題でずっと前から、化けの皮は剥がれてた、それでも、彼らを支えてきた人たちなんじゃないの
それにGo Toがあったとしても、もうあの政権はそれぐらいで傾くことはないんじゃないかって諦観がある
現に、コロナの諸対応ですら、あのザマなのに、それでも、なんの義務感なのか、自分の足元が崩れてきてるのに、ずっと海の向こうをにらみ続けて、この政権を守る人たちがそれなりにいる(この増田・はてなブックマークですらも)
以上、東日本大震災以降、民主党政権から今の政権に切り替わって、それから18歳初の選挙権をもらってから、頑張って投票してきたけれども、何も変わった感じがしない人の愚痴でした
今この状況で、東京において、知り合いを少人数のご飯(夜、合計2~3人程度)に誘うっていうのは非常識なのかな?
もともと職場の飲み会なんて好きじゃないし、仕事上のやり取りがメールなりSlackなりで済むようになって気持ち的にはずいぶん楽に日々過ごせるなぁと思ってた。結婚しているので、日常の話し相手、互いのケアをする人はいる。
だから4月頭くらいからの数か月は、個人的にはあまりメンタルへの影響もなく平穏に過ごせていると思っていた。
でも、ここ数週間、けっこうグラグラ来てる。
感情的になってしまう時間と、どうにもやる気の出ない時間が交互に、気持ち激しめの傾きでくる感じがあって、自分でもやや躁鬱っぽいなと思っている。
それで思い当たったのは、仕事に無関係の知り合いと、なんとなく酒を飲みながらなんとなく話をする時間っていうのが、意外と大事だったのかもしれない、ということ。まさに不要不急なんですけどね。
なんとなく、今のネット世論の趨勢としては「GOTOキャンペーンやる政府クソバカすぎる」「緊急事態宣言早くしろ」的なところが多数派のような印象があり、なにせニュースソース、世論ソースがネットしかない(テレビないです)人間としてはやっぱりそういう感じなのかな~と思っていたのだが、東浩紀なんかはわりと逆の意見みたいね。
多数派がどっちかという認識がもしかすると間違っている(バイアスがかかっている)可能性もあるが、とにかく世の中混沌としてて何が何だかここ数週間で一気にわけわかんなくなってきているので、冒頭に書いたご飯の誘いが、それ自体もう異常者扱いされる行為なのか、わりといける感じなのか、わからないんだ。
私はお弁当工場の他に靴工場をはじめとする他の工場でも働いたことがありますが、お弁当工場ほど混沌とした場所はありませんでした。
お弁当工場内にはお惣菜部門、炊き込みご飯部門、下ごしらえ部門、パッケージング部門などが存在していましたが、作業の途中でしょっちゅう行方不明者が出るためかどこも常に人が足りておらず、一日に色々なセクションを行ったり来たりしたものでした。
工場内の空気は蒸し暑く、床はいつも汚らしい液体で濡れていて、防護服の隙間からは腐った食べ物と腐っていない食べ物が混ざり合った暴力的な匂いが入り込みました。出来上がったお弁当を載せたベルトコンベアはしょっちゅう不具合を起こし、私たちが作って詰めた食材が床にばらばらに散らばりました。私たちはその光景を無感動に眺めました。
代替可能な人間としての自分に耐えきれなくなった人が、差別化を図ろうとして歌を歌い出したり、踊ったり、炊き込みご飯をつまみ食いし始めました。
🙄
これは確かにそうだった。弁当工場は色々なところに食品を卸していたりする。コンビニの提携先の場合も多種多様な商品を扱うことになる。
そして発注数で製造する数も当然変わってくるので日々のスケジューリングはかなり流動的だった。
30分前には幕の内弁当に白米押し込んで量りでチェックしてたのが、今は給食として卸すライスバーガー用のピーマンを選別。そしてまたその1時間半後には鳥から丼にマヨネーズかけてる…みたいな感じ。
人出不足っぽく見えるのは必要な人員が日によってまちまちなので派遣労働者で調節してるからだな。
せわしなく配置変更しているので戸惑ってはぐれる奴がいてもおかしくはないが、そのままばっくれる奴はかなり稀…なはず。働けなくて困るの自分だからね。
衛生管理の面で高温多湿はご法度。食中毒なんておきたらそのままその工場はなくなることもあり得る。
トラックで運ぶ際も温度チェックはするし店舗に着いたらすぐに陳列するよう指導もされてる。
そんな重要なことを無頓着にしていてこの工場は大丈夫なのだろうか。
うーん。やっぱり食品加工業者でこんな衛生管理がまかり通っていた所があるのか甚だ疑問である。
僕も増田と同じように派遣で何か所か手伝っただけだが弁当工場はどこも綺麗だった。
ユッケ食中毒事件とかバイトテロ騒動が問題になった10年まえくらいから衛生管理にはひと際気を使うようになったらしい。
(そうでなくても21世紀にはいってからどんどんマシになっていったらしいけどね)
増田の話が本当とするなら10年以上前のちょっとやばい工場ならありえなくもないかも。
まあ鮮魚を扱ってるところや回転寿司チェーンなら今でも溶け出した霜や洗い場から溢れた水で水浸しだし、せわしなく働いてるから床の隅からサーモンの切り身がひょっこり出てきたりはそんな珍しくなかったりする。
でも弁当工場で扱う食材ってすでにある程度加工済みなんだよね。炊くか炒めるか焼くかしてあとは詰めるだけ。
増田が行ってたとこはある程度加工もやってるぽいけどそんなの増田みたいな超短期の助っ人派遣労働者たちはまずやらせてもらえない。
詰めたり検品したりの、そのなかでも更に簡単な作業しか任せてもらえない。工場からすれば何やらかすかわからない得体のしれん人間だから仕方ない。
汁気のあるものが少なくて簡単な作業しかしてない。衛生管理にもうるさい。そんな状況下でいつも汚らしい液体で濡れてる状態になることはあまり考えられない。
ローラーのついたレールをゴム製のカバーで覆ってるだけだし、電気系統もモーターのスイッチ入れたら動く、よくて速度調整の可変抵抗器があるかどうか。
不具合があるとすれば、製品のコンベアへの乗せ方が悪くて途中でこけた/詰まったか、誰かが間違ってモーターのスイッチ止めたか。
これって増田たち末端従業員のミスなんだよね。なんでそんな他人事みたいな言い方なんだろう。
コンベア止まると結構な騒ぎなんだよな。それだけ作業が遅れるし、ひとつ前の工程からくる製品がどんどんたまっていく。
当然ながら監督してる社員さんの怒号が飛び交うし、社員さんから復旧のためや流れを妨げないためにあれこれ指示出されるから、「無感動に眺め」ている余裕はない。
他人に聞こえるレベルで鼻歌歌ってたらベテランパート婦人集団に絞められる。
無論スペース面でも時間面でも踊ってる余裕はない。
つまみ食いはおろかマスクを外して口を見せるだけでも叱責される。
工場でのつまみ食い自体はお菓子工場で目撃したことはある。規定に満たず廃棄の箱に入れられたチョコを現場リーダーが貪り食ってた。奥歯すっげえ黒ずんでた。
しかしそんなことは広大な工場でワンセクションに派遣2,3人しかいないというシチュエーションだったから可能なこと。人が密集して行きかう弁当工場でそんなことできるだろうか。
ほんとな。
社員にしても派遣にしてもよくこんな奴らでこれだけの量の弁当作って出荷してるよなって毎回関心してたよ。
僕も人のこと言えたもんじゃなかったけどさ。
都会の列車はどこまで行っても高いビルの間をすり抜けるようにして走ります。清潔な摩天楼の小部屋の一つ一つには、きちんとした服を着た有能そうな人々が納められているのが見えます。そんな建物が無数にあって、そんな人々が無数にいることを想像すると気が遠くなってきます。
私によくなじんだ車窓からの眺めとは、駅と駅との長い間隔の間に広がるぼうぼうの木と原っぱ、そして遠くにときどき見える謎めいた工場のことです。
世の中には人間の種類を二分する様々な基準が存在しています。ある特徴を有しているかいないかでまるで違った人間になってしまうことがよくあります。ここでの特徴とは、身体的な特徴ではなく精神的なものです。
私は、工場で働いたことがあるか・ないかという基準をここに提唱したいと思います。
今、私の周りにいる人のほとんどは、工場で働いたことがないと言います。
比較的都会の比較的裕福な家庭に生まれ育ち、比較的高い教育を受けて育てられた人々にとって、工場で働くことは彼らの考えるところの「仕事」ではありません。そうした人々は人当たりが良く、思いやりがあり、社会と適切に繋がっています。自分たちの世界の外にいる人間に対しても、分け隔てなく平等に接することを心がけています。そうあるべきだと教えられてきたし、様々な経験を経てそうあるべきだと実感しているからです。
かつての私がたとえば工場の話をしたら、彼らはきっと興味を持って聞いてくれるでしょう。
しかしその姿勢は、彼らが自分たちの世界の中にいる人間から何か話を聞く場面でのそれと同じではないことを私は知っています。それは動物園にいる珍しい動物や、自分たちの生活を豊かにしてくれる新しいコンピュータを眺めるような感じによく似ています。そして、彼らと会話をしているとき、彼らはきっとそれまでの人生の中で常に自らを個別の人間であると認識し続けており、その唯一性を失って自分が大量生産品の一つにすぎないような感覚を覚えたことがないのだろうなぁという思いを抱くことになるでしょう。これらを敏感に捉えることができたとき、あなたは境界の外の私たちの側にいます。
ときどき、自分がはじめから比較的都会の比較的裕福な家庭に生まれ育ち、比較的高い教育を受けて育てられた人間であると錯覚することがあります。そういうときには都会を飛び出して、名前の知らない駅が長い間隔で並ぶ路線を走る列車に乗って、自分が本当はどういう人間であるのかを思い出すのでした。
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私がお弁当工場で働いたのは、一人暮らしを始めてから三年後の夏のごく短い期間でした。
その工場は最初に住んだこの国で一番大きな都市の隣の隣の街に位置していて、私もその街で暮らしていました。
なぜお弁当工場で働くことになったのかはあまりよく覚えていません。単にまとまった金を必要としていて、ほとんど喋ることのできない人間がこなせる数少ない仕事だったからなのだと思います。そこのお弁当に思い入れがあったわけでもありません。当時まで、私はスーパーやコンビニで売られているお弁当を食べたことがありませんでした。信じがたいかもしれませんが、それは私にとっては些か高価な代物だったのです。
早朝の駅のロータリーはいつも湿ったような匂いがしていました。集合場所では、私と同じように着古した服を身に纏った何人かの人が憂鬱そうに佇んでいました。少し待っていると白いワゴンがのろのろとやって来て私たちを詰め込みます。汚れた窓ガラスを通して見える景色はどんどん野性味を帯びてきて、古い車のシートと染み付いた煙草の匂いで私が吐きそうになっている頃にようやく目的地に到着するのでした。
工場で着る服を見たとき、私は少し前に新聞の見出しを飾っていた、炉心溶融後の原子力発電所へ調査に赴く人々が身に着けていた白い防護服のことを思い出しました。それを身につけて、消毒液が出てくるシャワーを二回浴びて集合すると、私たちは既に自分たちが工場で働く区別のない複数の人々になっていることに気がつきます。
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私はお弁当工場の他に靴工場をはじめとする他の工場でも働いたことがありますが、お弁当工場ほど混沌とした場所はありませんでした。
お弁当工場内にはお惣菜部門、炊き込みご飯部門、下ごしらえ部門、パッケージング部門などが存在していましたが、作業の途中でしょっちゅう行方不明者が出るためかどこも常に人が足りておらず、一日に色々なセクションを行ったり来たりしたものでした。
工場内の空気は蒸し暑く、床はいつも汚らしい液体で濡れていて、防護服の隙間からは腐った食べ物と腐っていない食べ物が混ざり合った暴力的な匂いが入り込みました。出来上がったお弁当を載せたベルトコンベアはしょっちゅう不具合を起こし、私たちが作って詰めた食材が床にばらばらに散らばりました。私たちはその光景を無感動に眺めました。
代替可能な人間としての自分に耐えきれなくなった人が、差別化を図ろうとして歌を歌い出したり、踊ったり、炊き込みご飯をつまみ食いし始めました。
こんなにめちゃくちゃな工場なのに、それでも不思議なことにお弁当は毎日きちんと出荷されていくのでした。
防護服を脱ぐと、いつものように髪がぺったりと張り付き、体は汗でべたべたしているのがわかりました。工場の入り口を出た目前には晩夏の夕暮れが広がっていて、火照った頬を風が撫でていきます。
その日は駅まで歩きました。誰もいない帰り道で、音のない口笛を吹いて、小さく踊りながら。駅のホームのベンチに座って、私たちが作ってきたお弁当を初めて食べました。炊き込みご飯は冷えていて、もし炊きたてだったらどんな感じなのだろうと思いました。
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お弁当工場のことを思い出したのは、この間恋人と動物園に行った帰りに立ち寄ったコンビニで私たちが作っていたお弁当を見かけたからです。
今でも値段に少し抵抗はありますが、これを買うと生活が立ちゆかなくなるということはなくなりました。私は自分と恋人用にお茶を躊躇なく買いました。あの頃は水道水を水筒に詰めていて、時間がたつと金臭い味になるのが嫌だったことを思い出しました。
お手洗いから出てきた恋人が私を探しているのが見えます。今日もポケットにきちんと洗濯されたハンカチを入れていて、夏でも清潔な襟付きのシャツを着ています。
恋人も無理に聞き出そうとはしないでいてくれます。きっと、私が何か昔のことを話そうとしたら、必ず耳を傾けてくれるだろうという気がしました。でも、そのとき彼に動物園の動物を見るような優しい目で見られたら、きっと立ち直れないだろうとも思いました。
恋人は、彼自身の過去について後ろめたいことは何もないように私には見えます。でも私は、彼が都会の列車の窓から見えたあの人々とは少し違っていてほしいと思っています。今までもこれからも、何かに傷ついて悲しい思いをすることがなければいいと心から願っているのに、その一方で人には言えない小さな染みを密かに抱えていることを求めているのでした。