はてなキーワード: Cdとは
milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS”から1週間くらい経ちましたね。
まだ余韻から抜け出せずにいる私ですが、ライブ後からずっと深読みし続けた果てに生まれた考察をインターネットに放流します。
これをまとめれば余韻から抜け出せるはず…!!
意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にします
Finalで奇跡が起きたから一連のシリーズとしてまとまって終わることができた4公演だったと思っています。
下記の諸注意は必ず読んでください。
この記事では、私の妄想と推測と深読みを書き散らしていきます。
それはもはやフィクションですので、間違っても「本当はそうだったんだ!」とはならないようにお願いします。
以降で展開する解釈についてはあくまでもGREEN LIGHTS公演上での意図を解釈したものであり、楽曲の成り立ちとかについての言及はしないです。
かなり深く重層的な公演でした。解釈は無数にあり、その全てを尊重します。
どの公演回にもそれぞれの良さがあります。
「ここが違った!」みたいなことを列挙するつもりはありません。
チラシの裏に書き散らかすつもりで書いているので、対象者も何もないですが
あえて言えば、映像化されたらまた見返したいので自分のために書いてます。
基本事項とか書こうと思ってないし、基本的には4公演のうちどこかに参加できた人が見て「ふーん」って思ってくれたら十分です。
揺るぎない芯があり、かつ不安定なバランスでもあり、奇跡的なまとまりで終演した公演ですから
その一端を目撃できた幸運なファンの記録というスタンスで公開します。
読んだね?
書いておきたいことは全て書くし、私が見たことが私の正解なのでこの記事へのコメントには基本的に返信しません。
でも、公開するからにはこの感動を分かち合いたいので、これは言っておきたいってことがあればコメントしてもらえれば、
前提として、自分はあくまでショーとして公演を楽しんだということにさせてください。
本公演は、miletさんの葛藤と成長を描き、揺るぎなく力強いアーティストとなっていくための儀式と捉えています。(ある種のコンセプトライブのようでもあると思います)
なので、この公演を見て過度にプライベートまで推測して心配したり、仕事についても知り得ないことまで想像して心配しないです。
むしろ本公演を経てハチャめちゃにパワーアップできた、挑戦は大成功した、これからの活躍をより一層期待しているよ、という立場を取ります。
前置き長くなりましたが
GREEN LIGHTSのテーマはシンプルに「自分との同化」だとしっくりきます。
昔の自分が何を思っていたのか、何をどのように考えていたのかということを細部まで完全に思い出すことができなくなって
寂しい、こわい、不安、昔の方が良かったんじゃないか、という感情に対し、過去と向き合い、折り合いをつけて、また前進していく
ということがテーマになっていると感じました。
ここで、登場人物をはっきりさせた方がわかりやすいので、下記の表記で進めていきます。
milet :2024/03/15-20にかけてのmilet(GREEN LIGHTSステージ上のmilet)
「大丈夫」が心からはみ出てたり、自分の歌に励まされたりして、歌との向き合い方ですら悩んでるmiletさんは、ミレイ(みれい)の細部まで同化できなくなってきている
というところから始まり、ライブを通してどのように過去の自分と折り合いをつけるか、ということを表現していると思います。
(「今日だけは自分のために歌わせてください」ってそういうことだよね…?)
また、過去の自分がどのように考えていたかわからなくなって、なんだか寂しいというのは私(筆者)にも誰にでも当てはまる感情です。
昔は楽しかったな(辛かったな)って思っても、何がどう楽しかったのか(辛かったのか)細部まで全く同じに思い出せる人はいないと思うし、思い出せないとやっぱり寂しい。
miletさんは、GREEN LIGHTSを通して、自分は自分と向き合うために歌うけど
みんなもそれぞれの過去と向き合って、また前に進んでいかない?って、表現しているのではないでしょうか。
GREEN LIGHTSのセットリストですが、「自分との同化」というテーマに沿って
いちど、各楽曲で歌われる「あなた」や「You」はミレイ(みれい)のことなんだと思って聴いてみてください。
長々書いてるこの記事のなかで誰かに伝えたいことがあるとすれば、
セットリストの楽曲の「あなた」をミレイ(みれい)に置き換えて聴いてくれ!!!
ってことだけかもしれません。
(曲解と言われてもしょうがないレベルだと自分でも思ってますが、思っちゃったことなので書いてます)
GREEN LIGHTSとスクリーンに出る瞬間がめちゃめちゃかっこいいです
もちろんmiletさん自身も、スーパースターのステージングはとても力強かったです。
このパートではデビューからの自信に満ちているミレイが、その少し前のみれいに向けて歌っていると解釈しました。
主体が現在じゃないのでわかりづらいですが、思い出したい過去までの距離が短いので自信をもって同化できている状態です。
絆ノ奇跡とコイコガレは、ある意味まっすぐでわかりやすいメッセージがあります。
大好きな楽曲ですが、固くてまっすぐ過ぎたら逆にモロいということの表現になっていると思います。
checkmateの歌詞「あなたが何を求めてるかわかってる、私はあなたの全てだから」ってのは完全に同化していることを意味していますよね。
Higherの歌詞もお互いの理解度がかなり高いことは明らかで
あなた(みれい)をもっと高いところ(メジャーでもっと売れるアーティスト)に連れてってあげると解釈できます。
オープニングで必要な盛り上がりとテーマ性を両立させた完璧すぎる開幕です。
一瞬のMCを挟んで、ここからのパートはmiletからミレイに向けて歌っていると解釈しました。
つまり、このパートから本公演のテーマとちゃんと向き合っていくことになります。
突然ですが、最初にinside youを聴いた時を覚えてますか?
恋愛のことを歌っていると思いましたよね。(そしてそれは多分そう)
「ミレイの中には誰がいるの?何を考えているの」って歌っていることになります。
全編にわたって、歌詞がこれ以上ないくらいテーマとリンクしているのですが
心からの「そばにいて」という叫び(アカペラ)に、共感して、心が震えました。
また「あなたの人生には私がいない方がマシかもしれないけど」という歌詞は
歌手にならなかった可能性のことを感じさせ、とても寂しい気持ちになります。
そしてそれはあの場でinside youを聴いた私たちについても。
今の自分の選択や人生が、すべての過去の自分の選択と完全に一致している人などいるでしょうか。
現状に負い目を感じつつも「あなたの中には誰がいるの?(なにがあるの?)」と、わかりたい。
私(筆者)自身も、色々な過去を思い出し、自分の選択って正しかったんだろうかと、やるせなくなり、涙しました。
過去の自分が何を思っていたのかよくわからなくなる、という感情の中には
昔は怖かったものが、今はどうして怖かったのかよくわからなくなるということも含まれています。
この楽曲では、みれいが何について怖れていたのかを思い出そうと試みていると解釈しました。
miletさんが、ミレイ(みれい)をよくわからなくなっている状況で
「よくわからないもの」=「怖い」と考えると、ここでもYouをミレイ(みれい)に置き換えられると思います。
私自身の体験としては、この楽曲がmiletさんを好きになったきっかけの曲でもあるので感慨深いです。
(2019年RADIO CRAZYのセトリのなかでもこの楽曲だけ後で何回も聴きました)
当時、この曲にどういうことを感じたからmiletさんを好きになったのか、そんなことに思いを馳せることもできました。
この楽曲が出たのが、おそらくコロナ禍の直前あたりだと思います。
2020 Green Lightsでは2曲目として演奏されるはずでした。ノリのいい楽曲です。
ですが(私の解釈では)まだ、過去と向き合ったばかり、miletさんとミレイの心の距離は離れたままです。
この楽曲は、心の距離は離れたままでも「私があなた(ミレイ)の光になる」と
この楽曲は主にセンターステージで演奏されますが、客席があまり照らされていないように感じました。
光の演出がない→まだMAX盛り上がらなくていい、という演出かと思います。
盛り上がっていいのかよくわからなくて戸惑うお客さんが、心の距離が離れた状態のミレイと重なるように演出されているのではないかと考えました。
(考えすぎです、たぶんちゃんと盛り上がってました。)
ここまで色々書いておいてなんだよって自分でも思うけど、結局コレなんですよね。
どういうタイプのエンタメなんですか?次にもう一度これを体験するにはどうしたらいいんですか?と思いました。
もちろんこれが目の前で繰り広げられている時にはテーマがどうとか解釈がとか考えてる余裕ないですので
このパートでは、miletさんが違うアプローチで過去と向き合おうとしていると考えました。
具体的には、過去の自分の思い出せない、満たせない部分は、今の自分の好きなことや考えていることで満たすというアプローチです。
なので、いまのmiletさんが一番ライブでやりたいことで満たす→DJパートってことだったんじゃないかなって思ってます。
余談ですが、5amツアーや今回のHELL CLUBの演奏を見ると、地獄と天国って同じなんじゃないかと思ってしまいますよね。
- Higher
2回目の登場になりますが、ここではmiletからミレイに向けた解釈にするとアガります。
- Outsider
過去と向き合うにあたり、過去に媚びることはしないっていう解釈ができますね。
アプローチを変えたことで徐々にmiletとミレイ(みれい)の心の距離が近づいていくという解釈もできますし
DJブースに立ち「m-i-l-e-t I'm with ya」と歌うところが解釈一致すぎて震えました。(このあとのblissにつながります)
- おもかげ
見せない(見えない)愛で満たしている という歌詞の通り
ミレイの考えていることがはっきりとはわからなくても、そこには愛があるということに気づいたと解釈できます。
- us
DJパートで使われた部分の歌詞の「好きだと言ってしまえば」というのは
何を考えていたのか本当のことはわからないけど、今の「好き」を押し付けられるのなら、という解釈はできないでしょうか。
過去に向けた思考はどうしたって一方通行です。過去に想いを伝えるというのは、どうしても押し付ける形になってしまう。
だから「想いを伝えたら、消えてしまうかな」と、はがゆい気持ちでいると感じました。
ぶち上げてくれました。
ここで公演のメインテーマということは、同化、まで行かずとも、過去との向き合い方を得たと解釈していいでしょう。
「私を守るこの名前」という歌い出しから察した方も多いと思いますが
自分の過去と現在(未来)にわたってmilet-ミレイ-みれいという名前で繋がっているということを表現していると解釈しました。
とくに「優しく呼んだ声」ということですから、ここではアーティストとしての表記「milet」であろうとなかろうと、自分は自分ということを見つけたと思っていいのではないでしょうか。
DJパートからの急展開で戸惑うというのもわかりますが、体温が上がった状態からのしっとりした曲ということで
他の位置にあったなら(ともすれば)聞き流されてしまうような曲でもちゃんと大きな印象を与えます。
この公演でのテーマと合わせて考えると、ここ以外考えられない完璧すぎる曲順ですね。
そして、この楽曲はこの公演にとって非常に大きな意味を持っていると思います。
inside youからここまでのパートで過去との向き合い方や受け入れ方を身につけてきました。
ようやく、離れていた過去の自分との心の距離が、通じ合えるレベルまで近づいたと解釈していいでしょう!!
そう思って、この楽曲でも「You」を「ミレイ(みれい)」に置き換えてください
素敵です。本当に。
前編にわたって、この公演、このテーマのために書かれたと錯覚してしまうほどのメッセージのシンクロ率です。
いつでも、どこでだって、どの自分でも、自分ということを知った、と解釈しました。
光の演出も素敵で、まるでmiletさんが魔法を使って客席を彩っていくかのような二番サビの光景が忘れられません。
あと、miletさんが高台で歌ってるので見上げて、手を伸ばして、ひらひらが舞う光景も素晴らしかった。
ここで終わらないんですよ。
こ こ で 終 わ ら な い ん で す よ お
たしかに、過去の自分と通じ合えるようになって、怖いものは無くなりました。
ただ、このパートからmiletさんはいまの自分と向き合います。
だから、きっとまた忘れちゃうけど、ボロボロでも、何度だって、走り続けるって決めた。と解釈しました。
演出としては、運良くセンターステージ脇から見ることができた回があり、スクリーンのニケ像とmiletさんが重なる瞬間がとても美しかったです。
そのときにmiletさんの片腕とニケ像の片翼が合わさって一対の翼(Wings)になったようにも見えました。
ここで安心して終わらない、っていうところが本当にすごいと思います。
2023年のRADIO CRAZYでも、まずImagineを演奏していたことを思い出します。
こういうところほんとに好き、って思います。
(あくまでも、私の中のフィクションの話、かつGREEN LIGHTSの解釈ですよ!長くなりすぎたので、再度注意)
さて、前に進む、走り続けると決めたmiletさんですが
走り続けるということは、過去を思い出せなくなってしまうことを受け入れるということです。
そう思って、One Reasonの歌詞のYouをミレイ(みれい)に置き換えると、全ての歌詞がリンクします。
けど、やっぱり行かないで。ってことなんですよねえええええええええええええ。
もう、理路整然と書けないけど、、、はぁ
いまは温度も思い出せるけど、このまま走り続けてたらやっぱり忘れちゃうよね。やっぱりやだ、でも行かなきゃ。
そんな迷いをこの楽曲に託したのではないでしょうか。
ピアノの音でも、過去の自分とずれていくことを受け入れたり、やっぱり嫌だったりすることを表しているのかなと思ったりしました。
(蛇足だけど、メモに「One Reason:感極まる瞬間ありで感極まる」と書いてありました。極まりすぎ。)
この楽曲では、Wingsからのパートからつづく葛藤について覚悟を決めた、たとえ過去の自分のことを思い出せなくなっていくとしても前に進んでいくと決めた。と解釈できます。
でも、どうやってもことばじゃこの感動を書き表せないな。
とりあえず、miletさんが「自分を信じたい」って言ってくれてとても嬉しかった。です!!
【後編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【後編】】
結論わかっててそれに対するお気持ち(マス追っかけて10年目のピチピチ老害ギャルの思考)をダラダラ纏まりなく書くだけの日記
デレは好きな曲だけ遊んでてイベントほとんど参加しないので不快に思ったらすまんね、里に帰ってくれ
・結論
「羨ましい」
「うちの子じゃないのにどうしてリソース喰って実装されてんねん、今まで通りのカバーと新規3Dモデル実装だけで良かったじゃん」
「デレステの発展のためには仕方ないのかもしれないけどそれはそれとして自分の最推しコンテンツでやられたら嫌だ」
前提
・ASミリシャニМのオタク、デレは推しが出来ず友人と偶にライブに行ったりゲーム内イベントで良さげな曲が出たらCD買う程度のエンジョイ、ガチ勢からみたらかなりニワカ
・Vはちょいちょい切り抜きで見てたので星街すいせいちゃんと月ノ美兎さんがアイマス好きなことは知ってる。タキシード仮面みたいな人と月ノ美兎さんで犯罪者みたいな人にアイマス紹介する動画と、ときのそらちゃんとすいせいちゃんが餞の鳥歌ってる切り抜きみたいなやつは勧められて見た。めっちゃ上手かった。
・正直自分が推してるブランドではこの金の使い方出来ない(シャニは最近のゴリ推し的にワンチャンできるかも)だろうから羨ましさはある
広瀬香美さんやDJ COOさんはokで星街すいせいちゃんだけがなぜ駄目なのか
→羨ましいから
普段自分等と何ら変わらないファンの立場ですよって顔で「ゲームの担当」の話してるのに、企業として自分の担当とコラボ楽器作ってもらってメインイベントまでやってもらえるの普通に羨ましいだろ。壁になりたい派だって推しに認知される夢1回ぐらい見るよ。
上の続きだけどももクロも広瀬香美もDJ COOも、私から見たら常に「芸能人」だけどすいせいちゃんに限らずVとほとんどのYouTuberは「芸能(テレビ)よりのコンテンツを提供する一般人」扱いを私はしている。
芸能人がアイドルとコラボしたところでなんとも思わないけど、自分と同じ一般人が急にアイドルです、って自分の好きなアイドルと歌いだしたりイベントやられたら「は?」って私はなる。歌でメジャデビューしてるとかこのコラボ始まるまで知らなかったし。HIKAKINレベルなら芸能人と差し支えないかもしれないけど、世間一般的にコアな部分でしか知られていない女の子を私は芸能人とは思えない。地下アイドルが急にゴールデンタイムのテレビに出てきてコメントしてもこの女の子誰?何?ってなるじゃん、今それ。
→単純に他に割くリソース部分あるだろ
これは当事者じゃないので都合の良い叩き棒になってしまうので深く言えません。でも他に割くリソースあったんじゃないですかねとは思ってしまう。
→中身が透けて見えるのがマジで嫌
これ1番。これはすいせいちゃんはそこまで悪くなくて情報社会の歪んだ詮索欲のせい。
恐らくVチューバーって立ち絵にあった動きや話をしている中で「素(リアル)」が見えることが魅力のひとつなんだろうけど、アイドルマスターって身も蓋もないけど二次元じゃん。私はプロデューサーごっこを全力で楽しんでる中にガチの三次元が透けて見えるの嫌なんだよね。
実在性は大事だけどそれってあくまで二次元だって分かっているから、3次元のこっちとリンクするような背景が出てくると「もしかしたら」っていう楽しい想像や妄想ができる訳で、常に三次元がちらつく人がいると普通に覚める。電車の中でスマホいじってる最中にこっちチラチラ覗いてくるおっさんいたら気になるだろ?
Vのアンバサダーの人たちもアイドルと歌うわけじゃなかったからそんなに気にならなかったし。
ラブライブのVみたいなやつも詳しくないから忌避感覚えなかっただけかもしれないけど、ちゃんとキャラクターの設定に則ってストーリー展開があるから何も思わんかった。
ヴイアラはごめん、アイドルマスターの一部だとは思ってるけど今の練習生の段階だとすいせいちゃんと同じ一般人で見てる。でもちゃんとアイマスのブランドのキャラをゲームキャラとしてではなく常に実在しているように接しているのは好感持ってる。
すいせいちゃんは今回の6周年ライブで改めてきちんと歌声を聴いたけど、めちゃめちゃ上手だった。技術も実力もある方なんだろうなって思います。あと普通ににじみ出る可愛らしさがこっちまで笑顔にさせてくれて、惹きつけられる方だなって思いました。このコラボがなかったら知ることもなかった相手ですが、このコラボで知りたくはなかったなという気持ちが強いです。最も違う場所で出会いたかったです。
ですが私は老害なので、最初に結論言ってるけど私と同じ一般人枠が推しに認知された挙げ句ライブと新曲とイベストご用意されているのは普通に羨ましいです!!本人の努力と企業の力、様々なものが噛み合った素敵な機会なのはわかっていますがお気持ち編なのでいいます。妬ましいです。ほぼ私物化みたいなもんじゃないですかこれ。いや、運営がご用意したものなのでちょっとニュアンス違うけど。
なんで一般人が優先されて私の担当のイベント減らされなくちゃいけないのか、なんで同ブランドアイドルは世界観同じなのにSRで、すいせいちゃんはSSRなのか。(これは単純にすいせいちゃんの方がコラボ効果があるからでしょうけど、悲しいね)
デレを片手間程度にも遊んでいない私がこう思うぐらいなので少ない割合でしょうが似たような思考の老害はいると思います。
今は対岸の火事だと思っていますが、自分の最推しブランドでこれやられたら老害なので普通に垢削除して引退します。
嫌だ、なんで私の課金が知らねえ男か女に使われなきゃいけねえんだ。
Vファンの方は自分の推しの配信に立ち絵もないリアル親友の声とか明らかにリアルの生活音でてきたら喜べるんですかね?
私こういう二次元向けコンテンツで自分の意志関係なく現実に引き戻されるの絶対嫌なんですけど。配信で今日ウーバーがさーとかディズニーがさーとか言われた日にはお前なんのためにその姿してんだってなるかもしれない。
アイドルといえば、私(25歳女性)が小学生の頃にAKBが流行っていた。
学校で嵐とAKBの話題を挙げない日はなかった気がする。私もFCに入っていたとかではなかったけど、あっちゃんが好きでCD買ったり絶対にMステをチェックしていた。小学校の卒業式では、AKB衣装風のブレザーとスカートを着た。
今考えると謎だけど、ハレの日にそういう格好をした小学生女子は多かった。体感で6-7割の女子は、近所のデパートで買ったよくわからんチェーンが腰に付いてるチェックのスカートと胸元の謎ネクタイという組み合わせだった。(セット売りだった)
今は大学生と同じく、はいからさんスタイルが主流らしい。絶対そっちの方がいいと思う。
大人になって、テレビが必需品ではなくなった。テレビ番組を観ることが少なくなった。逆にYouTubeなどの動画サイトを暇さえあれば開くようになって、ある日動画のおすすめ欄に昭和の大アイドル松田聖子の動画が流れてきた。ふーんって感じで動画を開いた。親がよく「赤いスイートピー」をカラオケで歌ってたから名前は知っていた。
で……気づいたら聖子ちゃんのほとんどのシングル曲を聴いていた。歌っている動画を観あさっていた。(昔のオタクの皆さま映像を残してくれてありがとう)
それでふと、昭和のアイドルって凄いなーとしみじみ思った。備忘録として、私が思う昭和アイドルのすごポイントをゆるく3つ挙げる。
なのでこれは私の好みだが……なぜ歌が上手いと感じたのか少し解説したい。
けれど、昭和アイドルの歌声は「ミュージカルの声」のような印象がある。音に芯があってお腹から出してる感じがする。対して、今アイドルの歌声は「ライブハウスで聞く声」な印象がある。声の芯を残しつつ、喉で息をコントロールしている。(違ってたらすみません)
昭和のアイドル動画を観ると、マイクが歌手の声を拾ってくれない場面がたまに見られる。きちんと音を届けるために、舞台に似た歌唱をする→その歌唱法が当時のトレンドとなったと思われる。
平成以降では、テレビやコンサートで使うマイクは非常に高性能になった。生放送で観客に音が届くかを心配しなくなり、曲に合わせてさまざまに歌唱法を変えることが出来る→今の歌唱トレンド、となったのかな。
昭和的な歌い方は、それこそ某番組の歌のお姉さんが使っている歌い方で聴いていて気持ちがいい。歌声が伸びやかに聞こえる。
同時に、昭和的な歌い方で今の曲を歌うのはすこし難しいかな?とも感じる。感情の細かい機微などを早いテンポで表現するには向いてない歌い方かも知れない。
「昭和 アイドル 衣装」と検索すると、パステルカラーの姫みたいなドレスを着たアイドルの画像が沢山見つかる。もちろん他にも色々な衣装を着用していたのだが、私の中では昭和アイドル=お姫様ドレスの印象が強い。
ドレスを着用するアイドルは今もいるけど、昭和ドレスはまるでリカちゃん人形の衣装のような夢夢しいデザインで、はちゃめちゃ可愛い(例: 『センチメンタルジャーニー』の赤ドレス、『風は秋色』の白ドレスなど)
すこし表現を変えると、デザインがめちゃくちゃブリブリしている。フリルと大きなリボン・ハートが付いていたりして、いかにも母親世代が好きそうなデザインなのかも?
しかし、そのブリブリデザインが「夢の中にいる女の子」「手の届かないアイドル」のような雰囲気をうまく演出していると思う。
こういった衣装が好きかどうかも個人の好みによるけど、ブリブリドレスは世代に関わらず全女児の夢だったと私は思う。大人になった今見ても、ときめいてしまう。
余談だが、80年代の後半になるとテンプレ的なブリブリドレスはほぼ消える。その後のバブル期のギンギラファッションも現在レトロブームとして再評価されている。
令和の音楽番組と聞いてパッと思いつくのが「Mステ」だろう。昭和には「夜ヒット」「レッツゴーヤング」「ベスト10」など、さまざまな音楽番組があった。
また、今の「FNS歌謡祭」のような歌謡祭系の番組も豊富で新人歌手の登竜門だったり、その年の流行歌手などが多く出演していたらしい。
こうした番組では生演奏をバックに歌っていたのだが、このバックバンドの技術が凄いと思った。
音楽は好きだけどいうて詳しくないので、何がどう凄いかと聞かれると説明に困る。
レコードに収録されていないおしゃれアレンジ(即興なのかはわからない)を後ろでブンブン演奏していたりすると生演奏っていいな〜と思った。
加えて当時(80sごろまで?)のバンドが使っていた楽器はピアノ、トランペット、クラリネット、サックスフォーンやウッド・エレキベース……etc、クラシックな楽器が多い。
なんだかディズニーシーにあるジャズバンドのアトラクションみたいで、とてもオシャレだと思った。
アイドル業界は激しい人気レースの繰り返しだと思うが、今も昔もアイドルは「選ばれし者」なわけで、貴重な若い時間を使って観客に夢を見せてくれた(くれている)アイドルは本当にすごい。
おニャン子クラブ以降のアイドルはグループデビューが多いけれど
まず前提として、わたしはいわゆる彦沼民でギターズが好きだ。誰がなんと言おうとギターズが好きという姿勢を人生の半分以上、20年以上を費やしてきた。正直言って大好きだ。愛している。同じ花道にいたりあの微妙な距離がある背中合わせなんてやられた日には夜も眠れぬレベルで爆発する程だ。
櫻井敦司亡き後、誰がボーカルをやるのか?誰もが疑問に思っていた答えが4月の音楽と人で発表されていた。そんなサラッと言うと思ってなかったので驚いた。
ボーカルは今井さん、星野さん。そう、ギターズだ。わたしが愛してやまないギターズがボーカルをとると言う。
ただわたし自身はまだあっちゃんを失った喪失感が強く正直そこまで考えられない。4人が制作に入ってることは理解していて心から応援しているがまだわたしはあっちゃんを諦められず異空の円盤を観ては涙し、ライブCDを聴いては涙する、泣かない日なんてない。そんな生活を送っている。
大好きなギターズがボーカルをとると言われてもまだ心が追いつかないのだ。だが嬉しいはずなのだ。そう、嬉しいはずなのだ。
なのでなんとか整理して嬉しさを探していきたいと思う。
わたしは曲合間のヒデが水を飲んだり汗を拭いたりしてる姿が大好きだ。どんなに後ろの席でも双眼鏡を使わないわたしが唯一双眼鏡を使う場面だ。(友人には公式ストーカーと呼ばれている)見ていて気持ちいいほど思い切り水を飲む、汗を拭いたおしぼりを雑に投げる(使ったやつ使ってないやつの区別をつけてるのかなと思う)。もう全てにおいて愛おしすぎるのである。生きる、これこそ生。星野英彦、それは命…
わたしは年末武道館のバクチク現象でもいつものように曲合間のヒデを見ていた。この日、水を飲んだあと口元を拭ったのだ。少なくともわたしの知りうる限りではじめて見た仕草だった。
そりゃそうだ。今までMCをしていた人がいないのだ。水を飲む時間だって今まで通りではすまないだろう。
これからボーカルをとるとした場合、水を飲む時間はどうなるのだろう?おそらくあの飲みっぷりから予測でしかないがヒデは飲まないともたないタイプなのだと思う。歌割りがどれくらいくるかはわからないけど仮に飲まないでスタミナがどこまで続くのか?勝手にそんなことを心配している。
そして今井さんだ。いつものようにヒデが水を飲むのを見るのに夢中すぎてあまり考えた事がなかったのだがその間にもギターの音してるよな…と気づきふと異空ツアーの中盤頃に今井さん好きの友人に「今井さんっていつ水飲んでるの?」と聞いたら「え?わかんない」との回答だった。
他の今井さん好きの知人に聞いてもひとくちふたくちさすがに飲んでると思うけどという回答だった。水をいつ飲んでるかわからないとは、さすがやつはトリックスターである。
しかし、いくら今井さんがいつ水飲んでんの?状態であったとしても曲合間毎回ヒデに水を飲む時間を作ることが出来るのか?
心配だ。
アルバムがどうなってるかなんて今のわたしにはわかんないから、ヒデの水を飲む時間について考えるくらいしかできないのだ。なんたる無力。
嬉しさを見つけられるのはまだだいぶ先のようです…。
そして今、アトムのライブCDを聴いているのだがBOY前のあっちゃんが「もっと…もっとほしぃ…」言うてる時にヒデがもうすごいなんともいえない顔をしていて「頑張ってひでひこ…!あとちょっとだからたえて…!」と思いながら見守っていたのを思い出してまた涙を流している。
今はITエンジニアで生成AIを使ったり使わなかったりするだけの私が思ったことを書きます。
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「あなたたちのスキルはAIロボットが学習したので明日から仕事はないよ」
そんな風に言われて納得がいくだろうか?
少なくとも私は納得がいかないし、勝手に私を学習してどういうつもりだと不服を申し上げるだろう。
努力して積み上げた技術を持っていれば持っていただけ納得がいかないように思う。
でも「AIロボットはあなたのコピーではない、あなたたちの特徴を抽出しただけだ」と反論されるのである。
いかに合法で正当性があったとしても、不快感を覚え、盗人猛々しいとさえ思えてしまうのではないだろうか。
自身の仕事がなくなったのにそんなことを微塵も思わないという人がいたら、とてつもなく心が広いなと私は思う。
実際、一部のAI絵師?が主張していることは合法で正当性があるのだと私は思う。
その一方で、イラストレータが持つ万人に認められるようなイラストを描くための技術は
一朝一夕で身につくものではなく、たゆまぬ努力の結果であると思う。
どれだけ頑張っても到底届かないような技術があり尊敬しかない。
一部のAI絵師?の主張は正当性を縦にした攻撃という印象を受けたし、
イラストレータの反感をかうのも無理はないと思う。
逆に、合法で正当性があるのに自分を盗人のように言われたらどうだろう。
私は反論するだろうし、一部のAI絵師?が自身の正当性を強く主張するのも当然だと思う。
でも、人間だって学習するでしょ、という主張は屁理屈じゃないかな。
CDやDVDやBDやHDDへのデジタルコピーが厳しく制限されてしまったこととどこか似ているような気がするし、
それ以上の何か(努力とか、人間の限界みたいなもの)に大きな違いがあるように感じる。
ではどうすればいいかという話は私には何もなくて、
例えばイラストレータが保護されるべきという話でもないと思う。
これまでだって様々な職人が、例えば工場の機械化等によって職を失ってきたのではないだろうか。
残念ながらイラストレータにもその順番が回ってきてしまったのを、
一部のイラストレータは屁理屈をこねて受け入れがたいものとして扱っているように思う。
私自身、いつかは自分の職業に順番が回ってくるかもしれないし、
自分の仕事にプライドがあるからこそ、そうなったら同じように振る舞うかもしれない。
結論は特にないけれども、攻撃的になってしまう気持ちを自分勝手に解釈しつつ、
意図的に攻撃に利用している人がいたらやめてほしいなと思いつつ、
時代の流れなのだとイラストレーターの方々は受け入れていくしかないんだろうなと私は思いました。
読んでくれてありがとう。
でさ、普段は仕事ばかりで全然お金使わないからさ、「絶対に今日は一万円を使い切る」って決めたんだよ。
そうやって意気込んで渋谷向かっても、全然ろくなお金の使い方できんくてがっかりしたわ。ちなみに
・もちろん一人
まずお昼。寿司って決めてたんだ。
でもさ、結局は言ったのが魚べいなんだよ。なんだよ魚べいって。
いや、もちろんびっくりするくらいうまかったんだけどさ。外人ばっかだし、もっと知る人ぞ知るみたいなところ行かねえとせっかくなのにって思って。
で次に、ニトリ行ったんだよ。
なんかこの時点で店選びもつまらないんだけど、ちょっと前から食器揃えたいなって思ってたわけですよ。
で、いろいろ選んでたんだけど、ここで致命的なことに気づいたんだ。
俺さ、陶器の食器や金属のカトラリーのカチャカチャって音がめちゃくちゃ嫌いだったんだよね。いやずっと知ってはいたんだけどさ。
だから結局ダイソー行って、食器をそろえたわけ。ここで1200円。もう無理だ。暗雲が立ち込めてる。
ただ俺は一個だけ秘策があったんだよ。映画。
大室家って知ってるか?OP死ぬほどいいからみんな聞いてくれよ。超いいぞ。聞いてると幸せになる。
んで映画を見に行こうとしたんだが、上映していない。HP見たら29日までだしそもそもそんなに上映していなかった。
もう計画性もないしほとほとあきれるよな。仕方なく俺は東方のとなりのクリスピークリームドーナツでドーナツ買って帰ったわけ。
ちなみにオリジナルぐれーずどなもちろん。もうドーナツマイスターの俺から言わせるクリスピーではオリジナル、ミスドではポンデリング、もう基本の基本だけでいいわけ。
チョコとか季節限定とか選んでるゴミども本当に二度とその門をくぐらんでくれ。最近ドーナツ屋混みすぎて行きづらいから本当につらいんよ。
結局、3,000円を超えたあたりでで自分の金のつかえなさに絶望して帰宅。
帰りにスーパーで食べものとサッポロ黒ラベル買って、これを書きながらオリジナルグレーズドと一緒に食ってる。
こうなるとなにを書くことがある?
2ちゃんねるにある未来人のひとのように覚えてることや画期的なことで教えられることってなにかある?
・アップルとグーグルがスマートフォンを発売する。携帯電話位の大きさのネット端末をほぼ全員が持ち生活が大きく変わる(2010年ごろ?)
・コロナが流行している中東京オリンピックは開催される(2021年)
・ジャニーズと宝塚と松本人志と日テレがスキャンダルで壊滅的な打撃を受ける(2023年)
・統一教会が安倍総理暗殺をきっかけに打撃を受ける(2022年)
・全体的に値上げする(2024年)
・イチローも長かったけど流石に辞めてる
・任天堂はすごいまま
【追記】
・公衆トイレはほぼ洋式で公衆トイレですらウォシュレットが装備
・コンビニは淘汰されまくりでローソンファミマセブンがほとんどになる
・2001年にアメリカで旅客機をビルに突っ込ませるテロが起こる
・宮崎駿は何回も引退宣言しつつも映画を作り続けて海外でも賞をとる
・天皇陛下が上皇して年号が変わる(平成天皇も2024年現在は生存)
・パソコンはなんかすごいまま
・こち亀終了、ゴルゴ13やクレしんは作者が死んだけど連載続行、ガラスの仮面とHUNTER×HUNTERは作者健在だけど進行しないまま連載も継続
・ソニーが任天堂に対抗してゲーム機を出す今は5台目。一方残念ながらセガは、、、
(んー、書き込めることねえなあ)
・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカいキャラが苦手
ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941
ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5
先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有の文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。
件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。
(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質の人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質の人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)
本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。
「自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。
自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。
ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルのイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルのCVが決定しない」「担当アイドルのSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである。
※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。
そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。
といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である。結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクがいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。
念の為に予め言っておくがこれに揶揄の意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサーの自分としてはむしろコンテンツに真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校の文化祭だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。
正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタクの割合が高そうだという偏見が自分にはある。創作経験があるオタクの多寡。ミームや定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。
アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくまで自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)
何故かというと、それはアイドルマスターがリアルとフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。
例えばアイマスのライブには演者が自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元の人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタがキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分は解釈している。
それになんでも最初のアイマスであるゲームセンターのアーケード版の時点からフィクションがリアルに侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないかと不安になったアイドル達が実際にEメールを送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコの常套手段である「女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣な人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。
当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲームの動画を編集して制作した担当アイドルの自作MVを投稿したり、担当アイドルの二次創作小説・紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者とコメントで交流していていたニコマスという文化も、リアルとフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子の担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分は世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。
そしてそのリアルとフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマスの場合は商売っ気がやや強すぎる気もするが)。
代表的なものはやはり悪名高い「総選挙」システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルのCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。
そしてデレマスの総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実の人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルのプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実の選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手の担当アイドルに投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身のインフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然と自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである。自分もプロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由は理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象を俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象は現実にも存在し、例えば作品を宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)
シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステムを採用したイベントが存在する。とはいえミリマスの場合は提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディションと表現した方が近い。そして当然これも現実でCDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。
そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差が存在しないぶん比較的平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。
ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分の担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公で自分の担当アイドルがラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。
ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有の戦略として、特定の時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気を意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略が有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である。
(誤解の無いように書いておくと自分がアイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙系イベントはアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングなイベントもそう無い。自分がアイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである。商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)
今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイの範疇に収まる程度のものでしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側の人間でもないのに架空の版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。
これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営ももう時代にそぐわないと判断したのか今のアイマスは比較的カジュアルなスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから。
この記事で自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤーに責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルとフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマスの場合はシナリオ中の表現・描写・演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマを写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境音しか収録されていない事務所内の定点カメラの映像を六時間ぶっ続けでYoutubeで配信するなどがある。どれも意図は理解できるがどこか変態の所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。
ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端にしか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。
消費ばかりのオタ活全般がそうではあるんだが、ここまで醜いのはラーメンオタク・鉄道オタク・アイドルオタクぐらいのものだと思うわ。
何を生み出すでもなくただただ消費するだけの癖に、一家言あるかのように驕り、自分が優先されるべきだと思い込み、我が事のように騒ぎ立てることを正義であるかのように振る舞う。
実に気味が悪いよ。
食ってるだけの癖に偉そうなラーメンオタクや、写真を撮ってるだけなのに他人を押しのける鉄道オタク、それに増してアイドルオタクが醜いのはその感情を生身の人間に向けている所だ。
他者の一挙手一投足に対していちいち感情を揺さぶられてみせる態度というのは、メンヘラの恋人と大差がない。
結局のところ主張したいのは「朕の思い通りに振る舞い給え」でしかない癖に、見かけ上だけは相手を上に置いているのが実に卑怯だ。
自分の思い通りに振る舞って欲しいという欲望をただ向けているだけ、そこに真っ当な対人関係はない。
そもそもアイドルというものが売っているのはそういった関係だということが、水商売の一種であるということが薄まっているのが実に厄介だ。
金という対価を払って初めて成立する関係を構築していながら、それをさも真っ当に芸術活動を支えているかのように装う業界の構造自体が嫌らしい。
ラオタ鉄オタはつまるところはノイジーマイノリティであり、それ故に一部異常者以外はまあまあに大人しい。
だがドルオタは他所の界隈では異常である行為こそがスタンダードとなっているため、茹でガエル式に頭がおかしくなるスピードが尋常でなく、結果として肥大化した自意識に飲まれた異常者が大量発生する。
目を覚まして欲しい。
ライブ会場でタイガーサイバー騒いで一本千円のUOを両手に三本ずつ挟んで振り回した所で、お前は何も立派な存在になっていないということを。
ステージ上のアイドルが輝いていればそれでいいと主張しおきながらその実、「こんなに必死に推し活してる自分カッケエ」というちんけな承認欲求に溺れている自分に気づいて欲しい。
君は何も偉くない。
君は何も偉くない。
だから、何かが発表されるたび、すぐに喚き散らして反対を叫ぶのだ。
CDを破壊した画像をインターネットにアップロードしたり、怪文書をSNSに投稿してみせるのだ。
人間として対等の関係だと思っていないから、相手の選択を尊重できないのだ。
君は何も偉くないからね。
この増田以外にもSNKに関するブログにも触発されて、何年も前のちょっとしたエピソードだけどずっと心に残っている話を書いてみた。
彼女と知り合ったのは今から(※)年以上前、私が学生だった頃だ。当時、私は毎週のように近所の繁華街のクラブやバーで飲み歩いていた。いくつかあるなじみの店で私は彼女に出会った。お互い常連だったのでそのうち顔見知りになって会話も交わすようになった。特に連絡先を交換していた訳ではないし、ニックネームで呼び合ってたから本名も分からない上に、今となってはニックネームも忘れてしまってすごく残念。でも今でも顔はハッキリ覚えている。
そして、顔よりもハッキリ覚えている彼女とのエピソードがある。ある日とあるクラブにてイベントがあったので遊びに行った。大音量で音楽が流れている中で酒を飲んでいたんだけど、ふとステージに目を向けるとそれが生歌であると分かって驚いた。てっきりCD(当時はCDが音楽媒体の主流だった)を流しているのかと思ったぐらいとてもクオリティーの高い歌声だった。そしてそれを歌っていたのがその彼女だと分かりさらに驚いた。彼女と話すことはあったけど、こんなプロ級の歌が歌えるとはまったく知らなかった。彼女の歌声にとても感動した。
彼女の歌を聞いた後、座っている彼女を見つけた。この感動を是非伝えたいと思ったので話しかけた。「歌めっちゃうまいね!こんなすごい歌が歌えるなんて知らなかった!感動した!」と話して言葉をいくつか交わしたと思う。その会話の中で彼女は私にこう話してくれた。「私、歌のトレーニングのために(※)へ行こうと思ってる。歌手になりたいんだ。」と自分の夢を教えてくれた。
彼女とはそれを最後に会っていない気がする。でも(※)へ行ってまで歌手になりたいという大きな夢を語ってくれたこのエピソードはずっと忘れることはなかった。その後、私自身の夢について考える時、学生時代を思い出す時、(※)に関するコンテンツを見た時、など何かきっかけがある度に私は彼女の事を思い出し、彼女は(※)へ行けたんだろうか?歌手になれたんだろうか?などと思いを馳せていた。でも私はすでに引っ越していたし、彼女の連絡先も分からないし、その問いの答えを得る術はなく、歌手になれてたら良いなとただ願うだけだった。
そして彼女と最後に会ってから十数年後のある日、私は何気なくテレビを見ていた。歌番組だ。曲名と歌手の名前が紹介され、今から歌が始まろうとしている。私は音楽に疎いので初めて聞く名前だ。そしてイントロが流れ、間もなく歌い始めようというタイミングで歌手が映し出された。ここまで書くともうバレてしまうが、そう、テレビの中に映し出されたのはあの彼女だった。顔はハッキリ覚えている。一目で彼女と分かった。とても胸が熱くなった。そしてそれは曲名も分からない私でも聞いたことがあるヒット曲だった。
私の知らない十数年の間、彼女は努力を続けていて、そしてあの大きな夢を私が想像した以上に大きく叶えていた。私の心の奥でずっと漂っていた問いは、突然に答えを得た。そして「夢って叶うんだ」と思った。強く感じたというより、十数年という重みをもって私の心の奥深くに届いた。彼女ぐらい歌が上手い人はほとんどいない。でもそれ以上に、彼女ほど私を感動させてくれた歌手は他にはいない。たまたま昔の彼女を知っていたという個人的な理由だが、この感動は彼女から勝手にもらった私の人生の宝物だ。
私もそれなりに子供の頃の夢に近い職業に就けた。それでも自分に失望したりすることは多い。残念なことに、もう今から大きな夢を語るような歳でも地位でもない。それでもまだ小さな夢を持っていて、それに向かって努力をしている。彼女ほど大きな夢でもないし、彼女ほどの努力でもないとは思うけど、こうやって私がまだ夢に向かって進んでいけるのは、彼女からもらったこの宝物のおかげだと思う。彼女にはとても感謝している。本当にありがとう!
勝手にもらって勝手に感謝しているので良い迷惑かもしれないが、この感謝の増田がどこかへ流れ着いて彼女の目に届いてくれたらうれしいと思う。十数年後に届くかもしれないと実は本気で思ってる。そんな彼女は紅白歌合戦にも複数回出演するなど、今も活躍を続けている。そして彼女からもらった宝物も輝きを増している。