はてなキーワード: 好きだ、とは
マジレスで解決策を書く。他の人も参考にして欲しい。
元増田の記事: http://anond.hatelabo.jp/20160220112047
※文末に、ブックマークコメントへの返信を追記しました(2016/02/21)。
メタブコメにも書いたんだけど、文字数が足りなくてわかりにくいと思ったので。
shields-pikes のコメント / はてなブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/279614518/comment/shields-pikes
自分も男子高出身で、大学の途中までは絵に描いたような勘違い系の非モテだったので、気持ちはわかるし手助けしたい。
自分のブログには、この手の恋愛系のネタは投稿したくないので、ここに書く。
元記事の増田は「彼女を作ること=告白して交際」を表向きの目標にしてるよね。
これが最大の間違い。
告白して交際という手順が有効なのは、ギリギリ奥手な大学生の処女童貞同士の交際まで。
それ以降の年齢や経験者なら、告白しない方がセックスの成功率は上がるし、その後で付き合える。
10代の時に奥手な女性相手に限り告白が有効なのは、女性が初めてのセックス相手に、「自分を裏切らない=すぐに捨てない」という意味での信頼感を求めるし、初めての交際というプロセス自体に夢を抱いてるから。そして、一度でも交際と別れを経験すれば、それらが儚い幻想だと気付く。まあ、本当はそこからが恋愛のスタートなんだけどね。まあ、その話は今回は関係ない。
そもそも、彼女を作ることって、増田にとってそれ自体が目的なの?
たぶん、後者の手段でしかないのに、それを必死に隠そうとしてるんだと思う。
本来、異性とのデートはそれ自体が楽しみ=目的なのに、増田はまるで営業活動のように契約にいたるための手段にしてるよね。
つまり、相手の女性とのデートを心から楽しんでないのが、丸わかりなんだと思う。
デート3回目で告白なんてのは、何の意味もないノウハウ。大事なのは、相手の気持ちがついて来てるかどうかでしょ。
相手の気持ちがついて来てたら、1回目で交際が始まることもあるし、1回目でセックスしてもいいし(流石にこれは一晩限りになりがちだけど)、1回目でプロポーズしてもいい(まあ、そんなのは奇跡だけど)。逆に、相手の気持ちがついて来てなければ、何回目のデートでも無理。
そうすれば、交際は結果としてついて来る。大人になったら、その順番の前後は誤差だ。
もし、ガチで結婚願望があるなら、思い切って経済力を強みにしていきなり結婚自体を目的にしてもいいけど。
でも、今までデートした相手とすぐに結婚する、ってところまで腹くくって無いでしょ。
いや普通は、そんなの出来るわけないよね。相手の一生を背負う&背負わせるわけだから。
相手のことを本気で好きになってもいないなら、そこまでの腹はくくれないはず。
相手が好きだ、相手とセックスしたい、という気持ちを言葉と態度でストレートに伝えればいい。
増田にとって、告白して交際OKもらえる、ってのは性的接触(キスやセックス)をしてもいい許可がもらえるってことだと内心思ってない?
だって、それ以外の交際の楽しさ(楽しく会話、一緒におでかけ)ならすでにデートで体験できてるわけでしょ。
デート自体が目的のひとつなら、100人の好みの女性とデートするなんて、楽しくてしょうがないはず。
でも、手段でしかないから、結果につながらない営業活動の改善を続けてるばかりで、全然楽しそうじゃないよね。
交際=セックス許可証という発想が、相手にバレバレなんだと思うよ。
普通はそこまで考えてる男はそんなにいないけど、たぶん増田はそういう発想になった上で、紳士な行動で体裁を取り繕ってる気がする。
それは相手にとっては重いよ。
だって、デートしても自分が好かれてる手応えがない相手から、突然「あなたといつでも何度でもセックスできる権利がもらえる、セックス許可証に契約印を押してもらえますか?」と迫られるようなものだから。
だったら、とりあえず何回かのデートで気が合いそうなら、試しにセックスしてみた方が気が楽なはずなんだよね。
ということで、前置きが長くなったけど、ここからが本当の具体的なアドバイス。
告白よりも先に、まず、デートでいい雰囲気になったら手を握れ。
デートが本当に楽しめる相手となら、デートを重ねるうちに相手も自分を好きになってくれるはず。それは3回目とか関係ない。とりあえず、目標としてデート中に手を握ること。
手を握っても嫌がらない、握り続けていても違和感がない相手なら、その先に進める。
次は、自分または相手の部屋に行って(どちらも一人暮らしじゃなければカラオケ辺りで)、いい雰囲気になったら肩でも抱いてキスしろ。
行けそうなら、そのままセックスまで持って行ってもいい。
交際しないと絶対にセックスしないタイプの女性なら、キスした後に、私のことどう思ってるの的な話になるはず。
最低でも、手をつないだ後に告白だ。順番を間違えるな。
これは、手順の話じゃなくて、接触からの反応こそが、相手の気持ちをはかるための唯一の目安だからだ。
相手とのデートを心から楽しむことが大事だし、そこには当然手をつないだりの接触も含むわけで。
その時点で、性的な接触も含めてこの人と付き合ってもいいな、付き合いたいな、と思わせないとしょうがない。
その意味で、複数回のデートを了承してくれてるのは、嫌われてはいない証拠。
でも、まだ気持ちが不確かな時点で、イエスかノーかの契約を迫られるのは、プレッシャーなんだよ。
まずは、手をつなぐのが不自然じゃなくなったら告白するところを目指したらいいと思うよ。
インフルエンザで倒れていて暇なので、乱筆長文で書いてしまった……。
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追記:
予想以上に反響が大きくて驚いた。
みんな草食じゃなくて、食い方のマナーを気にし過ぎて拒食症になってるだけなんじゃないのかな。
みなさんとタミフルのおかげで、インフルエンザの熱も下がってきました。
>勘違いして強引な誘い方をする人が増えそう
決して、強引な誘い方を推奨してるわけではない。むしろ逆。相手の反応を見ながら(ここが最重要)、嫌がってなければ少しづつ先に進めるべし。手をつなぐのは、犯罪にならないギリギリのラインの試金石なのでオススメしているだけだ。
もちろん中には、好意があっても手をつなぎたがらない子や、特に無反応で嫌がらないけどその先にも進めない子もいる。そこは個性だ。ただ、経験が少ない男性にとっては、会話のニュアンスで読み取るよりも確実な方法ではある。
手をつなぐタイミングは、お店を出た帰り道とか、階段の昇り降りとか、交差点渡るときとかに、手を差し伸べて「はい」って言えばいいよ。好意を持ってて察しのいい子なら、そのままつないでくれる。相手の子が「何?」って聞いてきたら「手をつなごう」って言えばいい。それでも断られたら「それじゃ、行くよー」って普通に歩き始めればいい。何も恥ずかしいことはない。
そりゃそうだよ。恋愛工学とやらは、本来の理想的な恋愛展開のエッセンスを抽出して濃縮したものを、短時間にセックスまで至るためのメソッドとして濫用してるんだから。
恋愛工学とやらは、セックス人数を増やすための効率を最適化するためだけに特化したメソッドなんだろ? でも、この記事で書いたメソッドは、本当に好きな相手と出会えた時に付き合える確率を上げるためのメソッド。だから、本当に好きな人と出会えて付き合えて結婚できたら、もう使う必要のないメソッドなんだよ。
この手の恋愛メソッドは万能じゃないのは当然。一人一人の違いを楽しむのが恋愛だからな。でも、個人ごとにアレンジするとしても、初心者には基本パターンの定石が必要なんだよ。
例えば、どんなに消費者のニーズに合致したいい商品でも、パッケージや宣伝や販売方法がまずければ売れないだろ? 目的を達成するためには、何年もの地道な失敗と経験の積み重ね、または先人に学んだテクニックが必要なんだよ。いわゆるリア充達は中学生くらいからずっと恋愛の修行を積んで20代になる頃にはLV90(イメージです)くらいになってるんだから、LV1の童貞無課金ユーザーが手ぶらで戦場に向かったところで、かなうわけがない。仮に、相手が多少好意を抱いてくれてても、チャンスを逃しちゃうんだよ。だから、乗り遅れて時間がない大人は、攻略情報wikiと課金で武装しつつ、臨むしかないの。
最後に、元増田くらい積極的に努力しても空回りしてるのは、むしろ特殊例なので、普通の非モテ男子は誰でもいいから女性の知人とデートの練習をするところから始めるといいと思います。デートの練習は超大事。
自分の気持ちを偽らずに、相手の気持ちを想像することを忘れずに、正しい方向に努力を続けていれば、その先は確率と時間の問題なので頑張ってね。イケメンかどうかとかは、恋愛には微塵も関係ないから(東大生じゃないから就職できない、って言ってるのと同じくらいの甘え。)。
そう、わたしは二十歳にして彼氏いない歴年齢の処女のオナニストである。
気持ちがいいことが好きだ、だがセックスは好きな人とするものだとヤリマンの友人に諭されてから遊ぶことも視野に入れずここまで来た。いや、遊んだこともあるが正しくは挿入はされなかった、というべきだ。
今年になって初めて男性とキスをした、出合い系であった人だったがキス自体は女性ともしたことがあったので別にファーストキスがなんたら、てきな概念はなかった。しかし、それから私の夜のオカズに変化が起きた。
前までは俗に言う乱交モノが好きで、快楽主義の男女がただただセックスするものが好きだった。しかし、男性最近はdmmなどで配信している"女性向けAV"というものにも萌えるようになった。ディープキスをしている描写だけで正直ムラムラするようになった。これが経験かと、経験すると思考が変わるということがわかった。
しかも最近になって身じかに仲のいい男性が増えた、職場の男性陣と飲むようになってからはもうオカズの内容が変化しまくりだ。
その中に意中の男性もいるが、それとはまた別に"抱かれたい男性"がいる。びっくりすることに意中の男性よりも妄想の中ではもう既に何か抱かれた。まぁ、妄想だけど。
すべての女の人がオナニーするかどうかは知ったことではないし正直私がおかしいんじゃないかと思う時も無きにしもあらずだけど、自分が喪女であり続ける限り周りの男性をオカズにし、今日もオナニーをするのである。
高校の時に魅入られてしまった。それから10余年間、ずーーっと好きだ。
なんだかんだで一番好きだ。この部屋にいてほしいと強く願ったこともあった。
叶わない夢だという事が頭でわかりつつ、腹落ちするまで相当時間がかかった。
その時、「結局ドロシーがいないのなら生きてても一緒だ」という明快な結論に陥った。
自分を引き上げるきっかけをくれたのは、ある野球選手だったのだが、本題から逸れるのでここでは述べない。
妄執と言われても仕方ないのだが好きなんだ。
もう現実に手に入らないことはわかっている。
ただ、二つの可能性はある。
どちらにせよ、実現可能なことだ。
この二つの解決策が思い浮かぶまで、本当に辛い日々だった。
最近余裕が出来ているのは、この二つから選ぶ猶予期間(=モラトリアム)が生じているからだ。
そして、この二つは行き来可能だ。
ようやくゆとりや幅が出来た気がする。本当に楽になった。
今朝、
■ぼくがKADOKAWA×はてなの小説投稿サイトに一番求めること
http://anond.hatelabo.jp/20151011171947
■こういう異世界嫌いな連中に限って作品を評価しないし金も払わない
http://anond.hatelabo.jp/20151012000451
辺りをざっくり読んで。
はてなはほんとごくたまにしか来ないからその流儀はわからんが、いちばん驚いたのは後者(20151012000451)の記載にあった、これ↓。
>最近増田なりはてブなりを見てて一番笑ったのは「なろうで好きな作品はあるけど紹介すると作者に迷惑がかかる」とかいうコメントだ
>何を言っているのか本当にわからない
↑これ。
こう指摘を挙げていた後者(20151012000451)の意見には、まるっと同意。
俺も別になろう民ではないが(たまに読みには行く、良作はあるところにはあるからな)、
それでもラノベ読みとして、なろう民やラノベ読者たちが、好きな投稿小説作品(作者はもちろん素人だ)をあちこちで相当熱心に紹介しているのは普通に知っている。
2ちゃんにそれ専用のスレもあれば、ラノベ専門ブログ・ラノベ紹介サイトが定期的にそうした特集を組んで盛り上がっているのを何度となく楽しみに読んできた。
いい情報も拾えたし、お蔭で良作との出会いも何度もなんども果たすことができたしな!
なろうはまずとにかく投稿の数が膨大だから、普通にまともと思しき良作でも、それが流行り要素に欠けていたりすると、本当にごくあっさりと流される、見失われる。
という気骨を持った読み手が、いろいろと発掘して紹介する、という流儀すら、なろう民やその周辺の読み手の間には普通に存在している。
俺はこの「スコッパー」の存在に凄く助かっているし、俺自身もスコップ(発掘)した作品を書き込みもする。
名も知らぬ誰かがスコップしてくれた作品を読んで、良ければどんどんと褒めるし、スコッパーにはお礼のコメントを書き込みにもいく。
俺の紹介した作品対するレスポンスが付いたら、それなりに嬉しい。別に俺が書いた作品でないにのにな。
そうした俺から見ると、
>「なろうで好きな作品はあるけど紹介すると作者に迷惑がかかる」とかいうコメント
作者に迷惑?荒らしでもないのに??ただ単に自分が好きだ、ここが読みどころだ、と紹介するだけの、どこが迷惑???
としか。
そうやってわけのわからない遠慮()でことが進んでるのだとしたら、そら
「異世界」「転生」「チート」「ハーレム」「ニート」「チーレム」
といったような作品ばかりがもてはやされるようになるのは当たり前だ。
情報の発信源が、そういう作品が好きな人たちの声の方が、ずっと大きいわけなんだから。
スコッパーだって、そういう作品だけをスコップしている人も、やっぱり多いし。
ランキングにしても、そうだ。
というか、むしろランキングとなると、そっちの読み手たちの声が、更に大きくなるだけ。
なんか、元増田(20151011171947)の話を聞いてると、
人(元増田の場合はKADOKAWA)に、「これやってよ!」とか他力本願丸出しにして、
自分は「こういう作品はくだらない」とかって駄目出しばっかだよな。
まーくだらないと思うものをくだらないって文句をダラダラと垂れ流せるのが増田という場なんだから、そう書き込むのは勝手だと思うが。
他人の好みに口出しをするってのは、あまりいい趣味だとは思わないけど。
熱心な「この異世界転生物がチートでこういう感じのハーレムに浸りたいニートな俺としてはチョー面白い!」と盛り上がってあちこちで書き込みをするなろう民の作品の方が注目を集めるし、
ムーブメントを作っていくのは当然だろう。
「行為」の当然の「結果」として。
元増田、というよりも、たぶんはてなー向けだろうな、というなろう掲載の小説をひとつ、俺のブクマの中から晒しておく。
>http://ncode.syosetu.com/n8823by/
チートもハーレムもない。転生でもない。限りなく現代社会に近い異世界(?)での、現代劇みたいな魔法もの。ただ、魔法はショボイ。主役はおっさんと少女。
異性と同居とか、出てくるキャラが女の子が多数のところがラノベっていうかオタクな設定だが、だのにほんっとにハーレム皆無。それどころか恋愛で物語が動かない。
魔法がショボいと言ったが、むしろそのしょぼさが作品の空気に合っている。ご都合主義とはかなり無縁だから、読みながらいい意味でハラハラドキドキしっぱなしだった。ちょっぴり泣かされもした。
文章は平易で読みやすい。ただしなろう民だと地の文の多さがラノベ的じゃないからと、敬遠されるかも。むしろ一般小説をよく読む人にマッチングするタイプの作品。
「小説家になろう」「小説を読もう」サイトが、「異世界転生」や「ハーレム」「チーレム」云々ばっかじゃねーんだぜ、ってことを言いたかっただけだがな。
と言われた。
べろんべろんに酔っ払ってたので、適当にあしらったのだけど、それをきっかけにその人がとても気になって仕方ない。
向こうはその場のノリで適当に言っただけだろうに、こんなに弄ばれて情けない。
でも、好きになってしまったのかもしれない。
なんか切なくて泣きたい気分。
いい年をしてはじめておつきあいした男性は、少し変わった性格をしている。
こんなこと聞く人間にはなりたくなかった、こういうことは、代替不能なものとして言語化されないほうがベターなんじゃないかと思いながら、
一度「わたしのどういうとこが好きなの」と聞いたら、「話のレベルが合うところ」という答えがかえってきた。
聞かれなかったけれども、わたしは、相手のどこが好きかよくわからない、でもなんとなく好きだと思っている。
確かに、年金制度や国際秩序いかにあるべきかとか、好きな仏像だとか、たまに呆れつつそんな話題で普段しゃべっているけど、めちゃくちゃ一般的というわけではないだろうもんな。ちなみに政治的意見は全然合わないので、ここまでくると人生観の違いだろうから先は怖いな、とも思っている。
それじゃあ、話のレベルが合うところが好きだというなら、どうしてその相手と付き合って、あげくセックスする必然性があるんだろう、どういうロジックでそうなるんだろう、というのがいまいちわからない。別に嫌じゃない、私にだって性欲はあるし、雰囲気に乗ってべたべたしてしまうこともあるから、理由やロジックを求めるなんて結局は無意味なことなんだろうとは思う。
もしかしたらわたしは、相手にも、よくわからないけど好きだ、と言ってほしかったのかもしれない。あるいはそれと同じくらい何かすとんとくる理由を。
結局私だって性欲とノリで動いているし、相手もそうなんだろうとわかっているけど、いまいち自分のなかでは割り切れずにこじらせているという話。
私は小さい頃から、特に目立たない、おとなしい子だと言われ続けてきた。そんな自分が特に嫌だったわけじゃないけど、中学校の頃にちょっとした出来事があった。
クラスでも目立って可愛い女の子がいた。可愛いけどちょっと変わった子で、クラスからは浮いてて、常に誰かの噂になってるような子だった。その噂の中に、彼が彼女のことが好きだ、というものが流れたのだ。
私は彼のことが好きだったけど、その噂を聞いて、とたんに彼が私の手の届かない人であることを感じた。きっと彼は私みたいな地味な女子は好きじゃないんだ、そう思った。
でも、この出来事で私は変わろうと思った。今みたいに地味じゃあダメなんだ、地味であることで何かを逃がすことはもうしたくない、って。
だから、高校では軽音部に入った。そこでガールズバンドを組んで、ギター兼ボーカルをやることになった。正直、とても嬉しかった。これできっと今までの自分が変わっていく、そういう確信があった。
あの子バンドのボーカルなんだって、そんな噂を耳にする度、何かを手に入れたような気分になった。
でも、学校の噂に耳を立てていると、聞きたくない噂も耳にする。例えば、あの子の噂だ。中学の時、私の失恋のきっかけになったあの子も同じ高校に進学した。そして高校でもやっぱり、可愛いけど変で目立つ子をやっている。あの子については中学の時と同じようにいろんな噂が駆け巡ってる。その噂を聞くたびに、私の中にもやもやした気分が浮かぶ。それはきっとあの子が、私が努力して手に入れたものを何の努力もなしに元々持っているからだと思う。
だけど、今度こそ負けない。少なくとも、中学の時と同じ気持ちはもう味わいたくない。だから、私はがんばるんだ。
入学してから時は過ぎて、11月になった。あと少しで学園祭だ。私達のバンドは、学園祭でライブをする機会をもらえることになった。だから、普段の練習以上にライブに向けて頑張って練習してきた。クラスメートも、絶対ライブを見に行くと約束してくれた。もしライブが成功したら、もっと自分に自信がつくはず。クラスメートもきっとすごいと思ってくれる。私はそうやって自分を変えていくんだ、って思ってた。
だけれども、神様は残酷だった。学園祭の当日、私はインフルエンザにかかってしまったのだ。
私は悔しくて悔しくて、布団の中で泣いてた。自分の練習が無駄になったのもそうだし、自分のせいでバンド仲間の練習も無駄にしてしまった。それがとても悔しかった。
学園祭の夜は、熱と頭痛と関節痛と胸の痛みでもう頭がぐしゃぐしゃになってた。そして夜遅く、ケータイに連絡が入った。きっとバンド仲間からだ。恨み言なのかなんなのか、怖かったけどとりあえずメッセージを開いた。そこには、こう書いてあった。
一体何のことなのか、よくわからない。けれども続きを読んで、私は絶望した。
私が休んでしまってもどうしてもライブをやりたかった仲間たちは、代わりのボーカルを頼んでライブを決行したのだ。しかも、その代わりのボーカルは、あの子だった。
そのメッセージには、ライブ成功おめでとう、みんなの練習が無駄にならなくてよかった、と返した。でも、それだけを返すのに、とてもとても時間がかかった。そして、それを返したあと、私の中で渦巻く黒い感情はもっと黒くなった。もう一生インフルエンザは治らなくていい、このまま治らずに死んでしまいたい、そう思った。
そうは思ったが、人間の体は丈夫にできている。インフルエンザが治ってしまった私は、学園祭が終わった学校に登校しなきゃいけない。
でも、心に決めたことが一つだけあった。それは、もうバンドは辞めるということ。
私はまたあの子に負けたのだ。もうあの子と戦う気力なんて残ってない。
登校してみて、その判断が正しかったことが身に沁みた。学内の噂はあの子のボーカルのことで持ちきりだった。それまであの子のことを変な子として快く思ってなかった人でさえも、あのボーカルはすごかった、と言っていた。
何であの子は何も努力してないのに、こんなにたくさんのものを持っているのか。神様は不公平だ。
あのバンドは私の居場所だったはずなのに、それすらあっさり奪われてしまった。バンド仲間も、ボーカルが私じゃなくても良かっただなんて、ひどい。
もう忘れてしまいたい。私みたいな人間が、生まれつき注目される花を持った人にかなう訳がなかった。対抗しようとしたことすら恥ずかしい。そうした記憶を含めてみんな忘れて、また地味に誰にも注目されることなく生きていこう、そう思った。
そして部活のみんなが帰った後に、こっそりとギターをとりに部室へ行った。半年という短い間だったけど、私の相棒でいてくれたギター。このギターをどうするかはまだ決めてなかったけど、部室に私がいた痕跡を残すのは嫌だった。
部室にはまだ電気がついていた。でももう7時にもなる。きっと誰かが消し忘れたのだろう、そう思ってドアを開けた。
そこには、クラスメートの男子が一人で残ってた。部活のメンバーではない彼がどうしてここに居るのか、訳が分からなかった。
「やっときた。ずっと待ってたんだ」
彼はそう言った。どうして?そう訊いた私に、彼はこう答えた。
「俺はさ、学祭の時、お前の歌を聴きに行ったんだ。でもまだ聴けてないからさ、こうして待ってた」
「私の歌を待っててくれたの?」
「そうだよ」
彼の言葉を理解するのに、時間がかかった。でもゆっくりゆっくり考えて、それはとても嬉しいことを言ってくれているのだと理解できてきた。
だから、私はロッカーのギターを手に取った。袋から出し、アンプに繋げる。
「私一人だけだけど、いいの?」
「一人で充分だよ」
それを聞いて、泣きそうになった。でも、これから歌うのに、泣き声でなんかいられない。
私は歌った。一生懸命練習したコードと、嬉しさ、悲しさ、全ての感情が入り混じった声で。
彼は、手拍子を打ちながら静かに聴いてくれた。
すごく泣きそうだったけど、それだけはなんとかこらえて歌いきった。でも、歌いきったら涙が溢れてきた。止まらなかった。彼は、いつの間にか私の手を握ってくれてて、大丈夫だよ、大丈夫、そう声をかけてくれてた。
その後、私達は付き合うことになった。
私はやっぱりバンドを辞めたけど、ギターも歌も辞めてない。彼のためだけに歌ってる。
彼は私の歌を聞いて、好きだって言ってくれる。
それだけでよかった。
そう、本当にそれだけでよかったのだ。もう学内の噂なんかは気にならない。私が本当に欲しかったのは、いつも注目される立場なんかじゃなくって、たった一人でいい、ちゃんと私を見てくれる人だったんだ。
彼にとって私はひとりきりで、私にとっても彼はひとりきり。
私は今、幸せだ。
そんなむなしい論争をよくできると思う
ツイッターでもやれ誰がいい、誰はだめ、まだ早いとか、誰がやったことによる閉塞感がなんだとか
くだらなすぎて吐き気がする
そんなもんオタクが考えてもどうにもならんし、メンバーに答えさせてもむなしいだけ
いかにも論じてるように見せかけても、結局根底にあるのは好き嫌いだもんな
馬鹿なんじゃないのか
その上出ていたメンバーに違うとはっきり言ってあげたいとか言い出すやつが言い出す出てくる始末
頼むから早く〇んでくれ
この間のコンサートはそこにいるメンバー以外の人間すべて気持ち悪すぎて具合悪くなった
ステージ上にいるメンバーと足して2で割ってもマイナスふりきってしまうようなどうしようもない人間
ちょっとまともな容姿してるかな、と思えば頭頂部に救いようのないハゲ
TPOすら考えられてないださい服装
社会のヒエラルキー底辺同士集団で固まってるのに、そこでもまたヒエラルキー形成してイキってるキチガイ
女子高生くらいの女の子にどうでもいいアイドル論ぶちまけてマウンティングしてるデブハゲ
普段まともに女に相手にされてないから、ここぞとばかり無料キャバクラにきてるつもりなんだろう
生きてる価値がないんだからせめて金吐き出して、その一瞬以外はくっさい息を吐く口をしめていてほしい
財布は金を出すその瞬間以外口は開けないもんだよ
なんか妻の言うところの恋とか愛とかいうのがわかってないっぽい。
ペットとかに注ぎ込む感じの類の割と上からっぽい愛情とか、子供かわいいなあとか、
そういうは感覚としてわかるつもりなんだけど、異性を恋人として~みたいなのがどうもよくわかってないんじゃないかと自分でも思う。
妻から
「あなたは友達としてはすごく面白くていい人だし、あなたのことは好きでいたいと思うけど、
恋人や夫婦としてあなたと一緒にいると愛情が感じられなくてツライ。
それがたとえ病気(発達障害)のせいだとしても、もうしんどい。」
と言われてしまった。
「好いてくれてるのはよくわかるんだけど、なんか違う」と言われてしまったが、
でももう精一杯表現しているつもりなのでこれ以上どう表現すればいいのかわからなくて『?』を浮かべてしまう。
週末に、泣きじゃくる妻をなだめながら、
何が問題点なのか探ろうとして色々話したり紙に書いたりしたけど、問題の発生パターンとしては
妻が「愛情があれば当然こうしてくれるだろう」と期待している行動を俺がとらないことで妻が疑問や不満を持つ。
↓
妻から「なぜこうしてくれないの?」といったことを言われるが、
なぜそうしなければいけないのかがさっぱりわかってない俺が「えっ?なんで?」といった質問を返したり「○○だからこうしたよ」といった返事をする。
↓
まさかそんな(当然だと思っている)ことで必要性をそもそも理解していないっぽい返事がくるとは思っていなかった妻が混乱したり諦めたりする。
みたいなことが日常の中にありすぎるらしい。なるほど、確かに疲弊しそう。
色々話してわかったのは、
「妻が抱く感情の中に、俺が理解できていない感情があるっぽい」
「妻は何か俺がしているのとは別の形での日常的な愛情や好意のアウトプットを求めている」
「教えてもらうと表面上、妻の求める愛情表現のフリはできるが、根本的な部分がわかっていないのですぐにボロが出たり、
かなり俺が我慢を強いられる形になってストレスを感じたりしている様子を見て、
妻は『ああ、わかってないんだな』と感じて愛情がないように感じたり、余計むなしくなる」
「言えばすぐやってくれるけど、言わないとやってくれないんじゃ意味がない」
といった感じ。
そしてそんな状況だったのに
「(発達障害が判明したり給料が下がったり)課題は色々あるけど二人仲良く幸せに暮らしている(未来は明るいゼ☆)」
俺としてはなるべく一緒に過ごす時間を増やすようにしたり、娯楽を楽しんだり、
ちょっとしたことで気を遣ったりねぎらったりみたいなことをしてきたつもりなんだけれど、
うーん、やっぱり妻の言うような恋人と友達の差とやらが俺にはよくわからない。
恋人=セックスしてもいい仲のいい友達で、不義理なことをすると何らかのペナルティがあるもの
といった形で、恋人も友達の延長線上のもので、立場に名前がついてちょこっと昇格した感じだとしか認識できていないのがそもそもダメっぽくて、
なんか妻と話してると、『恋愛感情』と『友達として好き』の間になんかよくわかんないけどすごい断絶があるっぽいんだけど、俺の中でそこは完全に地続きだ。
思えば、あの子が(恋愛的に)好きだ、みたいな主体性あふれる感情をあんまり持ったことが、まだないのかもしれない。
いつも、その時一番仲良くしてた女子からある日突然告白されて、彼女の枠が埋まってなかったら受け入れて、
でもまあ俺の側の関わり方は別に変わらなくて、キスやセックスとかするようになったのと、一緒にいる時間が増えたかな?みたいなパターンばかりだった。
物語の中で出てくる恋愛表現も、登場人物の感情の動きや行動原理にこれっぽっちも共感できなくて、みているのが苦痛になることが多い。
そんなノリの交際を8年ほど続けて、年齢的なこともあるし世間的には結婚ってのをするのがええんやろ?っていう気持ちで結婚してしまったのが失敗だったのか?
結局、二人でいくら話をしていても、根本的なところが理解しあえなくて平行線なので、
間に立つ人を用意しないと話し合いが成立しないから無駄だね、というところに落ち着いて、その後仲良く外出した。
なんかこう、圧倒的に俺の脳が未熟なのかなあ……。
そして過去の経験上、問題の存在を認識できたから、何年か悩んでればある日突然視界が開けるような感じでその悩みポイントだった感覚を理解できるような気もするんだけど、
いつ来るかわからないその瞬間を待ち続けるような時間はあまりなさそうだなあ……。
どうしたらいいんだろう……。
なんか付き合い始めた高校生の頃から先延ばしにし続けたしょうもないスレ違いみたいなところで悩んでる感じがする。
実は言うほど大したことじゃないのかもしれない。
ずっと恋愛関係については俺が一方的に変なんだと思ってたけど案外そんなもんっていう事例も多いみたいだし。
でも妻は心身症発症しまくってるぐらいだからだいぶ思いつめてるみたいだし。どうしたものか。
20代後半にもなって恋愛相談に医者を使うっていうのも結構恥ずかしいことのような気もするけれど……。
確かに3年ぐらい遠距離になったけど特に大した苦も無く続いた気がする。
「そういうスタイルの愛の形もあってええねんで、それも立派な『愛』やで」っていうのをお互いが受け入れられるかどうかなのかなあ?
これって、ナンパ師達がやってきたことをまた同じように繰り返しているんだけど。
確かに面白いと思った。
工学って名乗るくらいだから、専門用語を作ってみたりして概念を数理モデルに落とし込んでいる。
これは非常に俺は納得できた。
言ってることは、
「ナンパでの声かけは、定型文作って、それで話かける、これを『オープナー』と言う。『写真撮りましょうかオープナー』『こんばんはオープナー』などいくつか定型作れ」
こういう感じで、定義つけられた行動をひたすら繰り返せば、ヒット確率が5%なら20人話しかけられればいけますね。これはナンパ業界では常識だけど、これを『メソッドだ』と割り切ったのがよかった。
俺は、どーも話しかけることに感情の機微的なものを感じすぎていたが、メソッドだから心を無にしてやってしまえるんだ!と解く。
それとか他には、「セックスすれば女はその男を好きになる、セックスする前は女が主導権あるが、セックスした後の主導権は男。だから、セックスする前にセックスできるように女をいかにだますかが大事」というのは常識だけど、それまでの過程をいくつかに分割して、それぞれ無感情でできるメソッドでくくっている(まったく同じデートコースを繰り返すことで流れになれるとか)
もちろん、これまでもナンパ技術で、さんざん言われてたことだが。どーもナンパ技術は、「メンタル」「度胸」となっていた。俺はどーしても感情で話してしまうから難しいんだけど、それをできるようになる。
会話についても、どーも俺は感情を読み取って話ししていたが、「ラポールを作るんだ、これらの技術を繰り返すんだ」と単純化されてしまうと、なるほどできそうだと思えた。俺は、機微にこだわりすぎて、大筋を忘れていたみたいだ。
あと、恋愛工学は、それぞれの過程で専門用語を作って、ある程度体系化しているからこそ、研究しやすいと思う。
オープナーのメソッド、連絡先聞き出しのメソッド、クロージングのメソッド、デートに誘うメソッド、デートからセックスに持ち出すメソッド、セックスを断られそうなときのメソッド。
もちろん、これまでもナンパ師はこういう分割で研究してきたんだけど。どーも彼らナンパ師の言葉はふんわりしていて。理系には分かりにくかった。オラオラだぜ~とか、ノーグダとか、体験してない側には意味不明だった。
あと、「普通の漫画とか映画とかドラマとかの手順を踏んだ恋愛は無理」ってのをはっきりと書いてくれたこと。イケメン美女なら、できるんだけど。それを普通の男がやってもまず無理。ってのを教えてくれた。
まあ正確には無理じゃないが、ヤリチンと女が遊んで、その間のキープってのを普通の男は付き合ってると言ってるんだよ。ってことをはっきりと言ってること。その、ヤリチン側に回る手順は、一般の、仲良くなって、尽くして好きになって~ではないと。
女達が偉そうに教えてくる優しくしろだの、マメがすきだのは嘘だ、女はヤリチンに相手してもらえなくて、だから押し付けがましくそういう理想像があったらいいなってだけだ、本当は冷たくされて喜んでるんだ。と。
これは本当に目をさまされた。なんで、ナンパ師達が、あんだけオラオラやってるのか俺は理解できていなかったが、なるほど、そういうフレンドシップ戦略、とか一人の女だけを好きだぜ、みたいなのはキモいと女は感じるようにプログラムされてるらしい。
なるほどと思った。女向け恋愛映画は、ヤリチンくさい男が、一途に君だけ見てるぜ的なのが多い。ヤリチンはそれを読んで、やりまくってる、やりまくってるそぶりも見せる、しかし、君が好きだ、君の話を聞いてタイアピール。をする。
これはその通りだなと。ヤリチンが好きなんだから、一途に思うこと自体無意味。余裕を持たせるために、たくさんの女と同時平衡にアプローチしろ。それ、ナンパ師が毎回言ってたが、意味が分からなかったが、なるほどと分かった。
俺は、どーもそのあたりの機微を詠みすぎていた。
医学なんかでも、確かに患者の話を聞くのだけれど。じゃあ薬はどうやって選ぶのか、手技はどうするのか、ってなるとそれは冷徹に論文に根拠を求めるんだよね。
この部分、昔の医療は医者の経験とかで判断してたんだけど、それよりは論文に寄ったほうがいいよね(EBMっていう)ってなった。
そうすると、すんげー専門用語が多くなった。それもそのはずで、専門用語ってのを理解できるってのは原理を理解できるってことに近い。専門用語を知ってる知らないってのがダイレクトに理解してるしてないにつながっていくから、専門用語を作ることが合理的になる。
そういう意味で。確かに恋愛工学はいままでの焼き直しだけど、そこに名前をつけたのがいいなと思った。
俺は、ナンパ師たちのテクニックを学んでも一向に実行できない。
正確には、10回くらいはナンパして、5回は話かけられず、5回は2,3人にこんにちはーとか、道を聞いたりしたが、韓国人の女と1回おちゃした程度で、連絡先交換もなかった。
でも、工学といわれて、メソッドだといわれるとできそうな気が少しした。
医学でも、自分の経験だと微妙に挑戦しにくいが、「この論文でこっちの薬がいいと結論でている」といわれると、「証拠があるし、悪いことしてない気になるしいっかー」とやれる。逆に、勉強してるからできるんだぜーくらいに誇らしい気持ちすらあるw
女性は恋愛したいのに、恋愛工学だと女性はセックスするためのもので。しかも工学にあてはまる女ってのは一部のそういう工学にはまりやすい女だけだ。という主張。
これもその通りだと思うが。
論文で薬を与えられる患者というのは、完全にモデル化されてるし、それぞれの患者に効く効かないは個人差あるけど、それでも薬を投与する。統計的には効くから。
そして、経験的な医療では、患者の話を十分に聞いて機微を察して薬を投与するが、それでは学問として成立しない意味合いもあるから、論文重視になって、だれでも同じ医療が受けられるようにしている。
確かに、女性の言うように、恋愛の機微で感情を持ってやるべきだってのも分かるんだけど、それでは男は女と付き合えないというわけだ。女なら股をひらけば男をゲットできるが、男は50人に声をかけて1人と付き合えるかどうかなわけだ。
まったくのゼロの女しか捕まえられない男に、次のステップである恋愛の機微とか説いても無意味じゃないかと思った。
ってか、そういう恋愛の機微を捕まえる、一途な男にたいして、女はどういう態度を取ってきた?クリスマスプレゼントだけもらって、デートがあっても浮気相手のヤリチンに走って。そういうのが多すぎる。だったら、女がそういうの言う資格ないと思うんだよね。
また、一部の女にしか効かないというが、それでいいと思う。効かない女もいる、それは当たり前。効く女だけに薬を売ってるんだろみたいな話だが、それでいい。まったくのゼロで女に相手されないより、そういう女でもやれるほうが絶対いい。
まあここまで散々持ち上げたけど。俺はそれでも、風俗に行く。
金もあるし、楽だから。セックスもクッソ自分の好き勝手にできるから。
だって、恋愛工学での女って、確かにゲットできるんだろうけど、面倒くさいよ。
そりゃ、自分の奴隷みたいな女を見つけられればそれで風俗行かなくてすむだろうけど、それまでにどんだけの労力かけるんだよ。
俺は、医者で、一回の当直で10万とか給料もらうから、ナンパにかけてる時間分働けば、風俗で美女とやれる。
風俗ってのも、よーするにナンパ師に似た、スカウトマンがいい女をナンパして、風俗に横流ししてるわけだから、ナンパしてるより効率がいい。
でないが、趣味の一つとしてコツコツ続けるのはいいことだと思う。
性同一性障害、大人になってしばらくしてから知ったけどそれとは違う。
男が好きなわけではない。むしろがぜん女が好きだ。むしろがぜん。
女装、したくないわけでもない。が、たぶんしない。
ただ女性が着てる服のほうが好みに合う。こう、あまりダークな色の服よりは女性の着てるピンクとか薄い緑とか、ふんわりした色のほうが好きだ。フォルムも男物の永久ベーシックなものより毎年流行りが変わる女性物のほうが楽しい。女性物の服が楽しい。
仕事、女性のほうが自分はやりやすかった。女性は女性で色々折り合いだなんだあるだろうしそこは男女関係ない気もするけど。たまたまうちの職場が男同士の関係がよくないのか。馴れ合いみたいでとても気持ちが悪い。俺の言うことを聞いてるお前は好きだ、みたいな馴れ合いの連載。好評連載中。
あと普通に甘いものを一人で食べたい。変な目で見られるんではないかと思って絶対できない。いや、うそだ。一人で行ってちょっと周りの目がツラくてそれ以来行けないだけ。昭和っぽい喫茶店が好きで、とてもいい感じの店があったので勇んで入店。チョコレートパフェを頼んで楽しい気持ちで食べていたのになんだかそわそわした。
きっと誰も見ちゃいないのはわかってる。でも聞こえる。「あいつ、男のくせにパフェなんか食ってる」って。
でもほんとはしってんだ。女になったって現実が辛いことにはかわらないって。自分が男であることをちゃんと飲み込めばこんなひねくれ腐った考えには至らないんだろう。
フーダニットが好きだ、ハウダニットが好きだ、ホワイダニットが好きだ。
クローズド・サークルが好きだ、と延々と続けてもいいが、このへんにしよう。ヒラコーすげえな。
さあ、犯人探しをしよう。
ある程度物語が進むと、大抵はワトスン役が事件のあらましを振り返る。
新しい日本というシンボルであり、世界一の場所であり、オリンピックに対する日本という国の象徴を込めようとした。
字面そのままの国威発揚であり、ランドマークでもって日本の存在感を示す、土建の極北でもあった。
まず、当時とのドルベースでの日本円は、1.56倍となっている。(78円→122円)
1300億円を1.56倍すると、2028億円となる。
これが、ザハ当初案では3000億円規模と言われていた。ドルベースでも1.5倍。
国家を上げての景気向上と、建築難易度と、見込み違いのダブルアップで2.3倍程度に膨らんだ。
さて、3000億円、規模縮小圧縮しての2520億円の目眩ましが見事なミスディレクションとなっている。
1300億円でスタジアムを一つ作るというのは、適切な金額だっただろうか?
1300億円の予算を組んだ首謀者は、誰だっただろうか?
ザハ・ハディッドは、第一級の建築家だ。脱構築主義建築家としての。
ザハが実力で現在の地位を勝ち取ったことは留意する必要がある。
つまり、コンペでのザハ案は魅力的に見えることが多いということだ。
ザハの案は、脱構築主義建築と呼ばれる枠組みの中では、一級品と言える。
さて、国威を示すために、世界一のナニカをつくろうと決めたのは、誰だろうか?
日本的な何か、機能美的な何かではなく、建築物の美しさを求めたのは、誰だったろうか?
実は、建築関係者が諦めとともに眺めているのには、3つ理由がある。
1964年の東京オリンピック時に、国立競技場こと国立霞ヶ丘陸上競技場はかなりの突貫で作られている。
当時の施工技術と環境を考えると、延命措置は結構無理があると想像できる。
また、コスパ最優先の「機能仕様を満たした競技場」とは、全く違う建築物だろうというのも想像できる。
なので、ザハ以外のどの案が選ばれたとしても、1500億円を下回ることは無かっただろう。
そして、「これ建築難易度高いと思うが」と言う地べたに近い建築家の意見が「アドバイザー」扱いされるコンペだ。
優先順位は明確であり、そうしたコンペはそれほど珍しくはない。
さて、「一番いいデザインを頼む」と言われた建築家が、ドリームデザインを選ぶのは、必然だ。
ラグビーワールドカップ向けの良いヤツを!オリンピックに恥ずかしくない良いヤツを!
そうした、「新国立競技場を決める参加者」の、誰のデメリットにもならないという、不気味な状況になっている。
本来、大学入学祝いに好きなの選んでいいぞって言って息子がベンツCクラスを指さした時には殴るのが親父の努めなハズだ。
例えば、キミが富士鷹ジュビロじゃなかった藤田和日郎のファンで、アニメ化をアレコレ言う立場になったとしよう。
様々な候補の中から、やはり「うしおととら」だと決定した所で、ではどう削るか、という話になったとしよう。
いくらなんでもアニメ化するのにメインである白面の者との戦いは削れない。
前半のクライマックスであるうしおの髪を櫛ですく盛り上がりの為には、各地の少女のエピソードは削れない。
藤田和日郎の連載作家ならではの回り道しがちな癖が絶妙なバランスで拮抗しているが故に、どのエピソードも削り難い。
で、予算が青天井で、必要なエピソードを必要なだけ盛り込む係だとしたら、削る理由がない。
でも、本来は予算配分を考えてリソースを誰かが管理すべきなのだ。
どうやってもこの尺では入らないと、誰かがハサミを入れないと、作品はまとまらないのだ。
押井守みたいに、与えられた予算と期限内で作品を上げるために容赦無く切っていく監督というはむしろ例外的なのだ。
さて、ここからは挑戦状だ。
「新国立競技場基本構想国際デザイン競技」と呼ばれるコンペは、何を目的にし、何に対して責任があるだろうか。
「新国立競技場の建築予算」に対して、予算配分を決めたのは誰で、何に対して責任があるだろうか。
文科相やコンペ審査委員長にスポットライトが当たる中、隠れているのは誰だろうか?
ザハ案が膨らんだ時点で「拒否すべきだった担当」は、どこの誰だっただろうか?
問題点を切り分けるための、簡単なヒントを挙げておこう。
それぞれ明確な責任者が居るが、キミに見つけられるだろうか?
自分を発信するのが苦手だ。
昔、と言ってもいつまでかは詳しく覚えていないのだけど、人から注目してほしかったり、人に認められたいと思っていた時期があった。
ツイッターでは何を食べたか、どこへ行ったか、どういう出来事があったか、どう感じたか、そんなことを飽きもせずにツイートしていた。
自分はこういう人間なんだ、これが好きだ、これは嫌いだというのを主張して自分を知って欲しい、分かって欲しいと思っていた。
会話をすれば相手のことを理解できるし、相手にも理解してもらえた気持ちになった。
そういう意味で会話は素晴らしいコミュニケーション方法だし「人を理解する」ことは可能だと思っていた。浅はかで幼稚な考え方をしていたと言わざるを得ない。
自分を理解してもらうことはできないし、相手を理解することもできないのだと理解した。
自分から見た自分らしさとは単なる思い込みで、他人から見た自分らしさとはただの誤解でしかない。
ただ、それでもコミュニケーションをとって生きていかなければいけない。
どうせ相手に理解されることは無いのならば、少なくとも相手にとって価値のあることを話せる人間になりたいと思った。
しかし価値なんて時代によって異なるし、人それぞれが感じる価値もちがう。等しいと思われているのは通貨くらいのものだけど、それも思い込まされているだけで、貨幣経済から脱出してしまう人もいるし、万人にとって価値のあることなんて無いのかもしれない。
知識であればほとんど誰にも価値があるのかと思ったけど、知識がほしいのであれば本を読めばいい話で「自分が言う必要」はない。
あいてにとってそこにいるのが自分である必要。それは経験なのかもしれない。
最近発表された実験結果に自分語りはセックスと同じ快感があるという言い方がされていた。
toyokeizai.net
「自分のことを話すとき、それが会話であろうと、ソーシャルメディア上であろうと、人はお金や食べ物、セックスと同じような快楽を感じる」。ハーバード大学の神経学者が、こんな驚きの調査を発表した。
約200人の脳をMRI(機能的磁気共鳴画像診断装置)で調べたところ、被験者が自分のことを話している時、脳内の側坐核、さらに、腹側被蓋野と呼ばれる領域の動きが活発化するのが確認された。これらの領域は、神経伝達物質、ドーパミン放出に関係があるとされる箇所で、ドーパミンは快楽物質とも呼ばれ、食事やセックス、お金等の報酬やドラッグによって分泌されるものだ。
なるほど、twitterやFacebookで自分語りを誰もが喜んでやっていたのは”気持ちいいから”なのか。
とすればだれも好き好んで他人の自己満足なんか見たいのか?極端に言えば他人のセックスを鑑賞していることにならないのか?という疑問は産まれる。
でも、結局自分が生きていくというのは自分を満足させるということで、それは結局オナニーであり、一生をかけてオナニーしているだけなのだろう。
それに、ブログなんていうのは見たい人は見るし、見たくない人は見ない。ただ単にそれだけのものだから、自分が書きたいことを書く。それだけでいいのかもしれないと思った。少なくとも今、ここではそう思っている。
でも最終巻で(個人的に)しっくり来ない終わり方をして突然冷めて、冷めるだけではなく「二度と読みたくない」まで思うくらいになってしまって、早一年。
同じ作者の新作が出たらしい。ネット感想を読む限り評判はよく、自分が嫌いなあらすじ・展開でもなさそう。
さて買うべきか。
買ったとして「やっぱりこの作家の本は好きだ、あの終わり方はたまたま合わないだけだった」となるのか、
「やっぱりもうこの作家の本は買わなければ良かった」になるのか。
所詮文庫だから大した値段じゃないんだけど、失敗した時に金が惜しいのではなく「この作家にまた金払ってしまった」と言う気分になりそうなのが嫌だ。
かと言って図書館で借りようかと思ったら物凄い予約数で順番回ってくるの再来年くらいじゃね状態だし。
Amazon中古も品切れだし。訓練された信者しか買ってないから中古がまだ出回らないんだろうな。しばらく値段は落ちなさそう。
うん、我ながらモンスター読者だな。
最近、広告で「オナニー好きのためのゲーム」みたいなあおりをみるようになった。
私はこれをみると悲しくなる。
何が悲しくて大のおとながオナニーに耽らにゃいかんのだと。ちっこいスマホの画面でしこらにゃいかんのだと。
別に我々はオナニーがしたくてしているわけでない、といいたい。
彼らはあえてその選択をしている、という点で我々と全く性質が異なる。
金持はべつに茶漬けなど喰らわなくてもよい。
その気になれば、高級なレストランで食事を摂ることもできるし、家にいたいならば、成城石井で買ってきた分厚い肉を煮込むことだってできる。
あるいは、そんなに気合をいれなくたって、近所をブラつき、ラーメンを食べるのもありだし、友達を誘って飲みに行くことだってできる。
そこで茶漬けを食らう。
一方で貧乏人はレストランに入ることももちろんできないし、肉だって高いから、そんなに手が出るものじゃない。
普段なら、近所のスーパーにいくが、月末でカネがない。
そこで、家にある米を食いつぶすのだが、茶漬けくらいしか食べるものがない。
そこで茶漬けを食らう。
この両者には、行動面の差は全くない。
彼らは茶漬けをディナーにしているのだ。そこで誰かが言う。
「ディナーに茶漬けをすするなんて、よほど茶漬けが好きなのですね」と。
金持道楽はどうだろう、彼は好んで茶漬けを食べている。だから、気に留めない。
「ええ、たまに食べたくなるんですよね。」
しかし貧乏人は好きで食べているのでは決して無い。彼らは窮し、他に手段がなく、茶漬けを食べているのだ。これを好きなんかで片付けられるのは心外だ。
「別にすきでたべてるんじゃないわ。」
これと同じことがいえやしないか。
彼らは彼女といちゃいちゃセックスできるのに、オナニーをする。
これはオナニー好きにほかならない。
翻って我々童貞はどうか。
オナニーが好きなのではない。
どこかで変態じみた思想をもち、通常のセックスでは満足できない協力な性欲の持ち主と思っていないか。
そりゃそうだ。健康な成年男子だから、そういうこともいうだろう。
決して変態的でない、ということを皆には胸にとどめていてほしい。
(26歳 童貞)
自分もそこにいたら津波で死んでしまうという極限状況だし、私も同じように行動するんだろう。でも、
災害時、助けを求めていたり一人にしないでと言ったりしている身内がいて、でも自分一人では救出不能で相手を置き去りにする時、私は「ありがとう、大好きだよ」とは言えない。
あなたはここで死ぬ、と死の宣告を一方的にして、絶望と孤独を与えることになると思うから。
「言い残さない」という行為はつまり死の認識を意味するのだから。
たぶん最後だから伝えたいことは言葉にしておくというのは、言えなくなるから言っておきたいという自己の都合のほうが大きい気がする。
もし相手も死を覚悟しているという場合なら、お互い最後のコミュニケーションとして言うかもしれない。その場合は相手はむしろ私の言葉を聞きたがっていてお互い言い残さないことを望んでいるかもしれないから。
私も苦渋の決断で相手を置き去りにするだろう。その時は、無言か、何か別の言葉なのか、わからないけど。相手の助かりたい意思や言葉に対して、Yesと言うことはできないし実際の行動としても置き去りにはするんだけど、Noと宣言はできないよ。
歯を食いしばって無言で置き去りにするかな。無言の内に0.0000001グラムでもいいからのぞみを持って。
.
追記:
考えてみたら、私はくだんの記事の言葉をつい別れの言葉だと解釈してしまった。
とても力強い「あなたを大好きだ、生きよう、助かろう」という励ましの言葉の可能性を忘れていた。そのせいで、すごく断絶のある会話のような印象を与えてしまった。その点、申し訳ない。
1つ思い出されることがあって、以前読んだあるエピソードだけど、そこで似たような解釈をしたのだった。
記憶も定かでないので作り話かもしれないけど、災害で重い物の下敷きになったわが子を、本人の意識はあるんだけど助けられない・助からないと思って、親が写真を撮るか何かしたといった内容だった。詳細はだいぶ違うと思うけど、私はそれを本人の目の前で生きているうちから形見を作る行為だと解釈した。そのとき子供の側から見たらどれほどの絶望があっただろうと思ったのだった。自分を諦めて思い出作りする親を見て断絶を感じなかっただろうか。私は自分本位さを感じた。黙ってそばにいてあげてと思った。そのほうがましと思った。繰り返すけど、ただの作り話だったかもしれない。あったら嫌なエピソードとして記憶していた。
友人とランチしながら恋のお話を振られた時には涙が出る位彼のことが好きなのに、寝る前になるとあれ?自分そこまであの人の事好きじゃないな??って気付く。でも友達や本人と会うとまた好きな気がしてきて、しんどい。こんなんならいっそ全部解消してしまえばいいんだけど、何年も片思いしてきたから勿体無くてやめられない。正直恋の話はなんだかんだ良い話のネタになるし、友人の応援も嬉しくて、やめられない。
長くて長くて、どこを好きになったのかも忘れてしまった。顔もそこまで好みではないはずだし、飛び抜けて心優しい訳でもない、彼の特別仲の良い女友達という訳でもない、チャラいし。でも彼がなんとなく好きだ、応援してくれる友人が好きだ、彼のことを長年思い続けてきた自分も好きだ。でもしんどい、自分が気持ち悪い、全部やめてしまいたい、片思いしてきた時間の元が取りたい。
そういうと97%ぐらいの人が( ´_ゝ`)フーンな顔をするので最近は言わないようにしているのだが僕はハピバスデが好きだ、好きになったのほうが正確か
「たけし、よく誕生したね。よく誕生した。頑張った。でもまだこれからだよ。とりあえず立ち上がってみようか。あたりはすこし薄暗くどこに行けばいいのかもわからないけどね(ふーっ)\おめでとーー!!!/ \パチパチパチ/」
はっぴばーすでートゥーユー
ハッピばーすでー2U
happy birthday dear Masuda--------------------------------
(nn-----)
(まだまだ)
(いょぅっ)
(とみせかけて…)
(……)
(シーン)
(……せーーーーのっ!)
ハーーーーーッピバーーースデーーーーー、、、
トゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
湯ぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううううううううううううううう!♪
(❛ ◡ ❛)❤
まず手始めにはっきりと言ってしまうが、自分は”萌え擬人化”が嫌いである。
その事を述べる文章なので表現はきつくなる。それは冒頭で始めに言っておこう。
自分は萌え擬人化が好きだ、否定されるのは我慢ならない、と言う人はこの部分を読んでいる時点でブラウザバックを推奨する。
なお、ここで言う萌え擬人化とは本来人間ではないキャラクターを人間のように描く二次創作の事であって、本来の意味での擬人化ではない、と言うことは断っておく。
ここを誤解されると話が通じなくなるからだ。
前置きはこの辺にして、自分が萌え擬人化が嫌いな理由を書いて行こう。
嫌いな理由は第一に、萌え擬人化は元のキャラが本当に好きでやっているとは到底思えない、と言うことだ。
「このキャラが好きで擬人化しました」という発言をよく見るが、それは本当にそのキャラが好きで描いたのだろうか?
あくまで好きなのは「擬人化したキャラクター」であって「そのキャラクター」その物ではないのではないか?
擬人化されたキャラには独自の設定が付与されている事が多い事もその印象に拍車をかけている。
元々がほのぼのとした世界観のはずなのに、「暗殺者」だの、「組織の生き残り」だの…とにかく原作に無関係な設定が多いのだ。
これでは元の世界観を完全否定しているとしか思えない。そもそも元のキャラクターのデザインを改変して描くこと自体が、自分にとっては「元のデザインの否定」と感じてしまうのだが…。
要は、元のキャラが交流のダシにされているだけとしか見えないのだ。
もう一つの嫌いな理由は、絵師(とも呼びたくないが、ここでは便宜上そう呼んでおく事にする)の自己顕示欲が透けて見える事だ。
本音を言うと、評価されるオリキャラを描けないから、著名な作品の名前だけ借りて評価だけ得ようとしているように感じるのである。
自分は擬人化には全く魅力を感じない。本当に実力があるのなら、それこそ完全なオリキャラを描いたって評価されるはずである。
しかし、擬人化絵師はオリキャラを描いても評価されている、と言うイメージが正直あまり無い。
(あくまで自分のイメージなので、もしかしたらオリキャラを描いても評価されている人も居るかもしれない。ただ、自分はそう言う絵師を見たことがない。)
努力と言うプロセスを放棄して評価だけ得ようなんて、甘ったれた考えだとしか言いようがない。
嫌いな理由はまだある。
それはやたらと押しつけがましい態度が目立つということである。
擬人化絵が求められていないところで擬人化絵を貼ったり、苦手な人への配慮(検索避け等)が出来ていなかったり、と言うのもあるが
擬人化絵を描いている人、あるいは描いていなくても擬人化が好きだ、と言う人の中には原型(本当はこの言葉もあまり使いたくはない。変形させる事前提みたいな言葉だからだ。)をやたらと否定する者も居る。
これが最も我慢ならない。
ケモナーがどうこう、なんて話は全くしていないのにも関わらず、擬人化が苦手だ、と言う人に対して擬人化ファンが「ケモナーキモイ」と言う旨の発言をする様子はあちこちで見てきた。
…これでどうして擬人化が嫌われないと思うのか。
それに対して苦言を呈すると、「擬人化は鳥獣戯画等、古来からある。」と言った馬鹿げた反論が返って来る事もある。
しかし、鳥獣戯画の擬人化はそれこそ、擬人化ファンが否定する動物本来の姿である。要するに反論になっていないのだ。
そもそも、本来の意味の擬人化を勘違いしているのか、わざと混同しているふりをしているのかは知らないが、「萌え擬人化」を擁護するために本来の意味の擬人化を持ち出すのは止めていただきたい。
勿論、全員が全員ではない事は承知しているが、悪いものは目立つ、と言うこともまた事実だ。
特に最後の部分は擬人化コミュニティ側のマナー改善でどうにでもなる部分だ。
むしろ最後の部分がきっかけで先に上げた「擬人化が嫌いな理由」が自分の中で生まれたとも言える。というより、最後の部分以外は自分にとっても正直どうでも良いのかもしれない。
つまり、マナーさえしっかりしてくれれば、自分の中での擬人化に対する印象は好きにはなれないとしても、多少マシな物にはなるだろう。
経済学科というところに所属しながら、恋人がいて、その恋人と結婚して、子供を産みたいと願っている。
これだけなら、普通かもしれない。
最近では誤診ではないかと思っている。
親は両親ともに生存中。
鬱というか、双極というか、そんな感じで精神神経科を受診している。
私も、統合失調の診断を受けてから心療内科というところへ通っている。
その昔、東南アジアの国へ、当時10代前半の女子と性的なことをするために、旅行した。
その中で、顔立ちが整ったある女性を身請けした。
その女性のあるSNSアカウントでは、幼児の写真が少し前からたくさんアップロードされていた。
私はその幼児は彼女の子供で、現地に別の彼氏がいるのだと思った。
そのころの、3人目の客。
それが今の彼氏だ。
値段交渉の場で、私は彼と話をしていて、惹かれた。
彼はお金はあまりない、一般的な援助交際の報酬は払えないと言った。
ラブホテルへ行き、甘えた。
施設への利用料は彼が支払い、私は彼に払ってもいいといったお金は受け取ってもらえず、結果私からは渡さなかった。
メールアドレスなどを交換し、交際した。
2010年に知り合ったのだから、もう4年付き合っているのだな。
その間に、私は売春から身を引き、今度はコンシューマゲーム機のRPGにはまって、そのゲームを共通の趣味とする女子の友達もできた。
そのつてで知り合った仲間と小説といスタイルで同人誌を発行したりもした。
冬コミというやつに参加したりした。
シアリスという男性の性的機能を補助する薬を月に一度利用し、ラブホテルでコンドームを使わずにしている。
それは4年間変わらない。
妊娠する気配はない。
それどころか、彼はゴムなしで私の女性器へのインサートをして、動かしていても、射精に至ったことは一度としてない。
彼が射精する様子を見たのは、彼が自分自身で手で刺激を与えて至る場合だけだ。
女性と実際にできない期間が長すぎたのと、マスターベーションで手による強い刺激に慣れすぎたのだろう。
40代でこれは、男性として、おそらくはショックなことだろう。
彼は、子供が欲しいとは思うらしい。
今年になって、彼は、私と結婚してもいいと言い始めた。
嬉しくて、私も経済学部を卒業したら結婚しようという話しで、親などにも話を始めている。
また、私の眼の前で殆ど射精に至らないため、知らなかったが、彼がマスターベーションで射精に至ると、怖いことになる。
体液を受け止めたティッシュなどのものは、真っ赤に染まり、血みどろになるのだ。
それだけを聞いて、インターネットなどで私が調べても、該当する病気は、前立腺がんだろうか。
今まで4年以上、コンドームもピルも利用ず交わっても、妊娠しなかったが、それには彼の前立腺の病気や抗鬱薬などの副作用のEDが強く疑われる。
それなりに生理痛はあるものの、およそ30日周期で生理がきて、5日ほど経血がでる。
婦人体温計で毎朝体温をはかり、ケータイサイトにメールやウェブ入力をして管理しているが、体温のグラフはきれいな形で線を結ぶ。
栄養状態も良く、偏食もあまりなく、BMIは21から22前後と、痩せすぎず、太りすぎず、健康的だ。
もし、二年して、入籍したら、すぐに生殖医療を行う婦人科、泌尿器科へ旦那となった彼を連れていきたい。
生殖医療、不妊治療のクリニックなどでは、男性にはトイレで自分で精液をコップに取りだしてもらうと聞く。
血が混じるのに、それは使えるのだろうか。
私は、彼氏のことが大好きだ。
私は出産し、育てるとする。
30歳くらいになるだろうか。
子供を幼稚園か子ども園(現在施行が進みつつある)にいれられる年齢になってから、仕事を探したい。
大学をでてすぐに就職を目指さないのは、先に不妊治療をしたいからであり、その間は彼の収入で生活する。
しかし、子供が成人する前に、彼は通常なら定年退職する年齢となる。
そして、彼は太ってもいて、血糖値も高く、腰痛もあり、血中コレステロールなども再三注意をされている。
命さえも危ないし、男性機能もいつリミットが来るかわからない。
だが、子供が産まれたら育てるためにお金はいるし、私も将来は働くつもりである。
目指す仕事は、広告業界で、広告プランナーやクリエイト職というものだ。
はじめはどこかの広告代理店などで、アシスタントや事務などを経たい。
個人と社会の関係をお金と商品、そしてどんな商品を買いたくなるか、どのような広告が効果的か、考えて媒体をクリエイトする。
それが私の夢である。
私の感覚は、変わっている。
創作が好きだ。
石田サナという、統合失調の平成生まれの女性の名を聞いたものも、ここには来ているだろう。
もちろんエイリアスだが。