最近、広告で「オナニー好きのためのゲーム」みたいなあおりをみるようになった。
私はこれをみると悲しくなる。
何が悲しくて大のおとながオナニーに耽らにゃいかんのだと。ちっこいスマホの画面でしこらにゃいかんのだと。
別に我々はオナニーがしたくてしているわけでない、といいたい。
彼らはあえてその選択をしている、という点で我々と全く性質が異なる。
金持はべつに茶漬けなど喰らわなくてもよい。
その気になれば、高級なレストランで食事を摂ることもできるし、家にいたいならば、成城石井で買ってきた分厚い肉を煮込むことだってできる。
あるいは、そんなに気合をいれなくたって、近所をブラつき、ラーメンを食べるのもありだし、友達を誘って飲みに行くことだってできる。
そこで茶漬けを食らう。
一方で貧乏人はレストランに入ることももちろんできないし、肉だって高いから、そんなに手が出るものじゃない。
普段なら、近所のスーパーにいくが、月末でカネがない。
そこで、家にある米を食いつぶすのだが、茶漬けくらいしか食べるものがない。
そこで茶漬けを食らう。
この両者には、行動面の差は全くない。
彼らは茶漬けをディナーにしているのだ。そこで誰かが言う。
「ディナーに茶漬けをすするなんて、よほど茶漬けが好きなのですね」と。
金持道楽はどうだろう、彼は好んで茶漬けを食べている。だから、気に留めない。
「ええ、たまに食べたくなるんですよね。」
しかし貧乏人は好きで食べているのでは決して無い。彼らは窮し、他に手段がなく、茶漬けを食べているのだ。これを好きなんかで片付けられるのは心外だ。
「別にすきでたべてるんじゃないわ。」
これと同じことがいえやしないか。
彼らは彼女といちゃいちゃセックスできるのに、オナニーをする。
これはオナニー好きにほかならない。
翻って我々童貞はどうか。
オナニーが好きなのではない。
どこかで変態じみた思想をもち、通常のセックスでは満足できない協力な性欲の持ち主と思っていないか。
そりゃそうだ。健康な成年男子だから、そういうこともいうだろう。
決して変態的でない、ということを皆には胸にとどめていてほしい。
(26歳 童貞)