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2017-06-22

[] #28-2「超絶平等

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俺はその日寝坊してしまい、学校遅刻しそうだった。

少し焦ってはいたが、それでも急げばギリギリ間に合うレベルだし、何より俺には打算があった。

いつもの通学路を途中で切り替え、大通りのある方へと向かう。

喧騒が煩わしくて普段は避けているが、そこの交差点を利用すれば余裕で間に合うのだ。

だが、この判断逆効果だった。

ちょっとそこのあなた。止まりなさい」

呼び止めてきたのは市長だった。

どうやら政策の一環で外回りしていたらしい。

市民に対するアピールも多分にあるのだろう。

市長怪我でもしていたのか、杖をつきながらこちらに向かってくる。

しかし、なぜ呼び止められたのだろうか。

急いでいたとはいえ交通ルールは守っていたはずだが。

二足歩行で歩くなんて、何て差別的な!」

「え!?

まりにも予想外な言葉に俺は面食らう。

差別的』ってどういうことだ。

「杖や車椅子での移動を余儀なくされている、足が不自由な人もいるのですよ。だのに、あなたは公の場で何も考えず悠々と歩いている」

理屈がこれまた分からない。

どうしてそれで俺の行動が差別的ってことになるんだ。

「えーと、あの、市長さん?」

「そして、自分のしていることにまるで無頓着だ。よくない、ああ、これはよくない、よくありませんよ、よくない、よくない、全くもってよくないよ」

まずい、市長こちらの話を聞かない体勢だ。

「誤解してほしくないのですが、私は二足歩行自体否定しているわけではありません。ですが、それができない人間気持ちを少しは考えるべきです。足の不自由配慮して、“歩み寄り”ましょう」

このままでは遅刻する。

俺はテキトーに話を合わせて、この場を切り抜けることにした。

「はあ、一理ありますね。それで、俺はどうすれば?」

「これです、わたしのやっている通り。杖をつくなり、車椅子に乗るなりしなさい」

市長は杖を差し出してきた。

俺は引きつる顔をさとられないように手で覆い隠しつつ、もう片方の手でそれを受け取る。

「どうです。これで多少なりとも“理解”は深まることでしょう」

「そうですね」

「これからもそうやって移動するように」

恐る恐る杖をつきながら、市長から逃げ出すように歩き出す。

周りを見渡すと、他の人たちも似たような様子だった。

俺は市長のやっていることは理解に苦しむのだが、みんな何も言わないで従っている。

奇妙な光景だと感じるが、それは俺が差別主義者だからなのだろうか。

結局、学校遅刻した。

次 ≫

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621082144

前回の知恵袋も含めて騒ぎになる前の関心のある人達意見です。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13169087098

2017/1/1119:04:04

1.名乗りをあげている大学岡山理科大(非常に偏差値の低い大学)、広島大学に設置ならまだ理解が出来ます

2.2018年までに設置ってあと一年しかないんですよ!!

3.四国獣医学部がなくても鳥取山口大阪には獣医学部がある。

もし、感染病(BSEなど)が発生しても現在瀬戸大橋しまなみ大橋があり交通問題はないので、何かあれば対応がとれるのでは?あと畜産業はどう考えても衰退していくのが目に見えているのに。

4.四国学生にチャンスをって、どう考えても関東圏の優秀な学生合格しそうだし、四国と都会の学力レベルの差って残念ながら大きいでしょう。

以上のことから現実的には不可能だと思うのです。

2017/1/1605:54:23

京都案も私学前提ですが、確か京大出身者が創立した、京大パイプのある生命科学に重点投資している私大でしたしね。かなりのハイレベル研究者を集めていましたし、京都案の方が説得力があるような意見専門家の間には無かった訳ではないようですが、特区今治を含めた四国町興しが優先されたのかな。それは、それで国土の均衡ある発展と言う総合判断なのでしょう。京都は隣県で同じ特区大阪府の府大に獣医学類が、あるのもあったのでしょう。しかも、府大と市大の統合議論される微妙な時期。本当に必要なら、国公立で作れば良いとは思いますが、京都案も私学でしたから、民間活力と言う視点があったのかもしれません。まあ、いろんな事情があるのでしょう。基本的に新設が認められない獣医学部ですから特区今治市さんは、よく頑張られたと思います

2017/1/1501:43:15

設置は加○学園とA首相の太いパイプによってA首相独断で決まりました。

加○学園が得をする利権だけの理由なので獣医学部必要だとかそんな社会事情関係ないです。

いろいろ後付け理由を並べていますが全てこの2者による出来レースです。

2018年開設は流石に無理だと思います与党が今すぐひっくり返りでもしない限り開設されるのは99%以上間違いないです。

2017/1/1311:59:19

学校法人K学園はどうしても獣医学部が欲しい。ずーっと欲しかった。獣医学部に近い学部は既に持ってますし、倉敷芸術大学には付属動物病院まで設けている。 今治市経済効果を期待。笑える話、今治市議が日本獣医師会にて懇談を行った際(4月13日)、今治市には獣医師雇用は無く、将来的にも雇用の予定は無いと返答。両者の思惑が合致した。K学園とソーリは大変仲がよろしい様でパブリックコメント募集していたものの形だけで決まった様なものらしい。K学園の経営する学校大学はどれも偏差値が低く、設立されても悲しい結果になりそう。

2017/1/1311:42:47

獣医学部運営岡山の可計学園」

政府広島県今治市1月12日国家戦略特区区域会議分科会を開き、今治市に新設予定の獣医学部運営する事業者として岡山市学校法人可計学園を選んだ。

近く開かれる国家戦略特区会議での事業計画認定を経て、獣医学部が新設されれば50年ぶりで、四国で初めてとなる。

省略

内閣府は4日〜11日、国家戦略特区内で獣医学部運営する事業者公募したが、応募したのは可計学園だけだった。

2017/1/1120:33:58

獣医師を増やしたいなら、今ある学校の定員を増やせば済む話。

まり目的別にある。

2017/1/1120:10:48

関西私立大学獣医学科がないので、

獣医師志望の関西在住の学生

応募するだろうとの見込みは立ちます

経営主体学校法人加計学園で、

関連分野での大学運営ノウハウもあります

しかし、今から一年後の開設は......

どう考えても無理だと思います

また、獣医師からの反対意見も出ているそうです。

2017-06-19

https://anond.hatelabo.jp/20170616191257

大学院生ということで、

過去口コミデータと値段や外観や交通の良さを定量的分析して独自指標評価したうえで、

ラブホテルメリットデメリットパワポで発表しあう姿を想像して笑う

「最適な雰囲気演出するためのラブホテル選びについて、市場分析レポート提言をまとめたので増田が発表させていただきます

父の日に、高校生の娘とカービィオーケストラを観た親父の内緒日記

 彼女小学生だった当時、サンタさんが届けてくれた「毛糸のカービィ」を期に、カービィ沼に填まり始めた娘も、この春から高校生になってしまった。表現が「なってしまった」と残念形である点は父親共通ではないだろうかと思う。

 一軒家で物置になってる部屋が3つほどある我が家なので、ちゃんと整理すれば子供部屋が作れるんだが、(ギャグではないが)今は居間彼女の部屋となっていて、ピンク色をした球体が増える一方である

 高校生にもなると父親と出歩きたがらなくなるという風評を耳にするので、いつ我が身に降り注ぐことになるか心配で仕方ないのだが、そんな娘にせがまれ大阪までカービィオーケストラを観に行くことになった。会場は別であるものの、そう遠くないところで「プププトレイン」という物販イベントも開催されていて早い時間から並びたいという。

 関ヶ原のあたりで車の調子が異常になるというアクシデントに見舞われつつも、米原駅前の打止め駐車場に車を捨て置き新快速で入阪を果たし、物販イベントの会場である毎日放送の社屋へ移動する。

 ところで米原に着く前、助手席の娘に電車時間検索を依頼したところ、「14000円もかかるんだって、どうしよう!」って困惑していて、聞けばマイバラがマエバラに聞こえたらしく、千葉前原を起点にしたせいというオチだったんだが、中部地方に住む身として交通の要所たる米原くらいは覚えなさい。

 開店(入店)まで90分くらい待つ羽目になったが、何とかお目当てのグッズが手に入って娘は御満悦の様子。それはそれでいいんだが、会場に多数潜伏しているらしいカービィクラスターフォロワーさんを見つけようと、手にしているタブレットからメンションを飛ばしているのは画面を見ていない私からでも分かり、それがまた不安で仕方ない。

 キリがないので「オーケストラに間に合わなくなるぞ」と引き剥がし地下鉄に潜る。本町が最寄駅なので、梅田から御堂筋線で2駅だ。

 工夫すれば近い出口まで地下で行けるみたいだが、後ろ寄りの車両に乗ってしまったことに加え土地勘もないため、自動的に出口④に排出される。ちょうど娘と同じくらいの女の子が一人で駅員に道を尋ねていたので、「おまえの同業じゃないのか」と耳打ちすると「ちょ黙って」と叱られた。娘からカービィの映ったスマホの画面が見えたらしいので、同業であることは確定なはずだが、見ず知らずの人に声をかけること(相手からみたら声を掛けられること)自体が「不審者」という認識らしい。

 とりあえず、その女の子が先行したので、距離を置いてついて行くわけだが、中央大通りを横断することな彼女左折してしまう。「おーい、そっちじゃないぞー」と大声を出そうとするも、またや娘に制止される。今どきの若者心理構造昭和世代には理解し難しい。

 開演の30分も前に着いたんだが、会場前の公園に入場待ちの列が既に何重にも出来ており、「開演まで30分も前」じゃなく「開演まで30分しかない」に変わり、付近ランチを取る作戦未遂に終わった。

 昭和世代お節介焼きとしては、さっきの女の子が気にかかるところだが、スマホがあるのだから徒歩ナビできるだろうし、道に迷いながらも辿り着くというのも後になれば良い思い出になろうと、自分を納得させる。

 一応は今回のコンサートに備えて過去ゲームを予習しておくべく、2週間ほど前からゲームボーイを手にして夜な夜な挑み、なんとか初代と2はコンプリートしておいた。2の最後デデデをどうしても倒せず娘に攻略法を聞くと私がコピー能力という機能を使っていなかったせいだったことが判明。つまりデデデよりも前のボスまでは全て吸って吐くだけで倒してきたということになる。

 オーケストラの内容については、語れるほどの知識を持ち合わせていないので割愛するが、幾度かコックリしそうになりかけたということは内緒である。たぶん気がつかれていまい。

 初めてお目にかかったカービィ父親たる桜井氏は私の同じ歳か一つ年上くらいの、ほぼ同年代の方で、初期のカービィプログラミング上の技(メモリー節約術)を講話して下さった。PC-8001mk2からパソコンに触れていた私にとっても、その話は非常に懐かしいものがあり頷きながら聞いていた。ゲームボーイは背景との重ね合わせ処理をハード側でやってくれていたようだが、それを手動で(マスク用のビットマップ用意した上で)やっていた世代からするとちょっと羨ましい。

 コロコロカービィだったっけか、カセットの中にモーションセンサーを内蔵した型破りゲームゲームボーイアドバンスで遊びにくいということで、娘に頼まれICの天地反転をやってあげたが、最近ゲーム筐体ではあーいう着眼が不可能になっている点、21世紀になって失った物の一つに数えられる気がしてならない。

 アンコールが終わりウルウル感動している娘の横顔を見ていると、それだけで幸せな気分になるものの、会場を出たら、先ほどの物販イベントと時と同じようにメンションを飛ばし始め、父親としてはなかなか辛い。女性フォロワーさんはともかく、男性フォロワーさんにまで「会いたい」は自制してほしいと父親としては強く要望したいが、中学4年生と言っていい田舎の天然系女子高生が納得する説教を垂れる自信もないので、眼球の隅で監視するに留める。

 昼夜2回公演の夜の部を待つ人が会場に吸い込まれから公園は落ち着きを取り戻し、先ほどまで長蛇の列だった撮影向けオーケストラ看板の周囲は片手で数えられる人しかいない。看板をバックに記念写真を口実に公園から踏みだし、乗じて地下鉄の駅に足を向かせることに成功した。

 さて、これからどうするか。娘としては難波心斎橋あたり徘徊したいみたいだが、強い希望はないようなので、父親が主導権を握る。ずばり、海遊館だ。結婚前に嫁と来たことがあるが、今度は娘を海遊館に誘う。

 大阪港駅から随分と(15分くらいだが)歩くのは予想外だったが、特徴ある外観は20年以上たった今でも鮮明に覚えていた。

 館内では、タブレットを使って水槽の中を撮る娘 を撮る父親、の構図であったが、傍から見て親子に見えたかどうかは興味深い。(年の離れた兄妹 もしくは カップル くらいに見られていたのだとしたら嬉しいところだが、さすがにそれは自惚れすぎか)

 エイサメに触れるコーナーでは、一瞬だけ小学生に戻った娘を見れた気がする。

 見て回るのに2~3時間かるという前評判とは裏腹に1時間ちょっとで退出。母親への土産を買うというので「あいつはジンベエザメが気に入ってる」と助言してやったが、これは感謝されてよいと思う。ただし支払いは私だ。

 まずは梅田に戻るわけだが、朝から食べ物を全く口にしていないことに気がつく。

 もし米原に置いた車が動かないとなったときに備えて、車が使えずとも終電まで家に着ける時間を逆算すると、あまりゆっくりしていられないのではあるが、駅ビルの中の「カフェ ラ・ポーズ」で少し小腹を満たす。なぜその店であるかの説明割愛するが、嫁とはファミレス定食屋ばかりで、いわゆる「カフェ」には行ったことない気がする。

 20時台の新快速は朝と違って凄い混んでいたが、長浜行きのその電車米原に近づくにつれて空席が目立つようになる。「駅に着いたら運転なんだからパパは寝てて。起こしてあげるから。」と最初は気丈だった娘だったが、草津差し掛かるよりも前にウトウト始め、ついにはオーケストラの続きを見始めてしまった。長浜まで行っちゃうと後がないのだが。

 「絵師は幼い頃に頭を強打している」みたいな都市伝説を耳にしたことがあるが、この娘も小1の時に家族での登山中に滑落した経験が幸いしてか、今は絵師の端くれをしているようだ。一ノ越から黒部平に向けてタンボ平を下山中、先頭でハシゴを登っていた娘があと数段のところで手を滑らせて崖側に転落したのだ。学生時代から山をやっていた私はとっさに死を覚悟し、気を失いそうなくらい動転したが、落石の音が止んだと同時に泣き声を発してくれたのだ。1ミリたりとも動くな、と声をかけて落ちていった場所に近づく。ちょうど2階建の屋根から落ちたくらいの高さだったが、付近鋭利ガレが窪地を埋め尽くしていて、重登山靴を履いてるからこそ何とか歩けるような状態。そんな中に半畳だけ、あきれかえるほど平らな岩があって、その平らな岩の上に娘が倒れていた。これまでに見たことのない巨大なタンコブを額に作っていたが、出血もないしタンコブが出来るのは大丈夫証拠でもある。平らな岩がなかったら、落ちた場所が50cmでもズレていたら、尖った岩々が確実に娘の頭蓋骨を叩き割っていたはず。

 黒部平ロープウェイの駅まで1時間ほど負ぶって下山大町病院CTで異常なしを確認。翌日は包帯を巻いたまま登校し、そのまま9年間無欠席を続け義務教育期間皆勤賞を得るに至ったが、あのとき奇跡が起きてなかったら、いまこうして電車に乗ってることもなかったのだと思いふけっているうちに長浜行きは米原駅に滑り込んだ。

 駅に置いた車は何とか動きひとまず安堵だが、また調子が悪くなるといけないので、深夜の名神トラック並のスピードで。そういえば、嫁と結婚する前は、やたら高速をゆっくり走っていたなぁ。いまなら2時間のところを当時は3時間かけて。

 

 15年の中で、今日ほどに幸せ父の日はなかったように思う。カービィありがとう。なぜか感謝したい。

2017-06-16

うるせえ手前らこの野郎

観光列車について歓迎するイベントの後の自身SNSのリプの様子。

若者「ダサーイ」

鉄道は今が旬だぞ!!

高校生大学生「こんなもの使うならオートバイ乗り回すよ」

学校が幾らいいと言っても高校出るまではオートバイやめとけ。これは大人の乗り物なんだよ。

ネトウヨあなた売国奴なんですか?」

鉄道好きに国籍愛国心なんか関係あるか!!

リア充鉄道ってキモイよね」

キモくて悪いか

自称意識高い市民観光列車反対のビラ配り、反対活動のためのポスティング

たかが街宣やビラの山なんて痛くも痒くもないわ!

自称義憤に駆られた公共交通利用者「腐った鉄道好きの日本人大都会から摘み出す!!!

やれるもんならやってみろ。

またJR東日本に続いてJR西日本観光列車云々で意味不明な非協力運動するとか言っているけど、不買のどこに意味があるんだよ?

鉄道嫌いではない大人は恥を知れとかいうが、鉄道に何の不満を抱かない俺たちはどうすりゃいいんだよ。

観光列車運行する鉄道会社に対して公共交通への冒涜だの鉄道会社自公政権を支えているのが気に食わない云々だとして不買運動だかやってるが、今俺たちは「田舎に帰れ!!早く帰れ!!!」とか言われても何もできねーんだよ。

日本人全員鉄道嫌いになっちまえだ?

そんなもんできねえに決まってるんだよ。

今日観光列車なんてなくなってちまえ!!とわめき散らしながら俺様尾行しかけた馬鹿がいた。

あのな、幾ら汚いとはい観光列車なしでは鉄道は生きていけないんだよ。

バイク3ないのあった時代とは違うんだよ。

鉄道会社公共交通を返せとわめき散らした馬鹿もいた。

ここは国鉄なんかじゃない。お前らの気分しだいでは利用しないこともできる。これは現実的権利だ。

どこにも投げられないフラストレーションを人様にぶつけられるから楽しいだろう?

俺様大阪駅観光列車を歓迎しているときに「恥を知れ!日本自称公共交通は!」とか言うの楽しいだろ?

暖かく観光列車を迎える人たちに何かひどいことするの楽しいだろ?

観光列車の出発会場周辺に俺様はいる。それだけは言っておく。

昭和33年 有料駐車場

https://youtu.be/RYyLOWdsNyI

大東京毎日ざっと40万台の自動車が氾濫。

狭い道路いっぱいにひしめき合っています

そこで、人間様は道路の横断にどぎまぎし、交通整理のおまわりさんもまた一日中右往左往する有様です。

交通の激しい銀座一帯は駐車区域を厳重に取り決めましたがさっぱりで、悠々と駐車禁止の立て札の前に頑張っています

このほど、交通警備のおまわりさんは取り締まりを一段と強化。

臆面なく違反する車には容赦なく罰金張り紙です。

あちらもぺたり。こちらもぺたり。

しかし、なかなか後を絶ちません。

名古屋ではこんなスマートな車のアパートができました。

自動車がきちんと整理され、事故心配もありません。

うまくいっている有料駐車場の一例です。

こちらは急場しのぎに空き地を利用した町の駐車場で、結構近くの人々に重宝がられています

さて、東京都は90名の駐車場管理員を勢ぞろい。そろいのユニフォームを整えました。

15分10円也のパーキングメーターを揃えていよいよ1月26日から店開き。

交通緩和のためですと管理員は汗だくです。

領収証が出なくてその間の請求を私に困れという場合が当然起きてくるんじゃないかと。」

「悪いけどこれは必要ないんじゃないかと思うね僕は。だからもう少しそこのところは考えてもらいたいですね。」

入れる人もいれば怒鳴る人もいます

東京がやってることったってね、あんまり無理してるんじゃないかと思うよ僕は。」

夕方6時となると、集金人が金を集めます

近い将来は立派な駐車場を作る資金だそうです。

ところがこのメーターがどれほどに、にらみを利かすかどうか。

道端に手ごろなこどものおもちゃのようで、どうも人気の悪い有料駐車場初日でした。

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

anond:20170611160953

免許や講習については(増田も極論と前置きしている)たしかに極論だと思うが、

意見の内容については同意する。

(交通システムさら抽象的に表現し秩序とするが)

そもそも秩序を重んじない人々は順法精神に乏しく、

なぜ秩序を重んじないかというと秩序がもたらすメリットを感じない環境

まれ育ってきたからだと私は考えていた。

電車待ち行列などにもその人その人の秩序についての考え方が

はっきりと表れる。

社会に生きたいのなら

交通ルール然り、秩序は重んじるべきであると私も思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170611160953

小学校交通ルールという教科を設けて6年間みっちりやるといい

極論すると歩行にも免許や教習が欲しい

田舎住まいの人はわからないだろうから入ってこないでください)


自分もそうだったけど、

車に興味も無い人は運転免許を取るまで交通システム主体的意識しない。

目の前の信号だけを見て深く考えずに従うだけ。

横断歩道以外では何のルールも無し。無法歩行。


逆に、自動車運転必要レベルまで交通法規システム理解すると

「ああ、こういう風にルールで流れを整理するから互いにぶつからずに合理的に行き交えるんだ!」と感動がある。

あの理解自転車運転者歩行者にも絶対必要だろう。同じように道を通行するのだから

(野放図に歩いてても何も起きない田舎歩道はこの話の対象外です)


歩行でよくある迷惑と注文、

歩道であっても混んでる歩道では左側通行で行き交って欲しいとか、

ゆっくり歩きたい人間は左端に寄って歩いて欲しいとか、

・急に立ち止まるのは後続に迷惑だろとか、

余所見スマホ見をしながら歩くのは危ないでしょとか、

こういうことは運転免許を持ってる人間には自然な発想で、持ってない人間には全然通じない。

歩道の歩行も周囲に気を使わないと回らないということをわかってない人間の多くは、自動車免許を持ってないのではないか


ゆっくり歩きは左端により、早く歩きたい人は右から追い越していく、という形が出来上がってる歩道で、

もうなーーーんにも考えてない弛緩した顔で「あーここ空いてて目の前が開けて気分がいいかここあるこー」という感じに

その追い越し車線スペースに出て来てのんびり歩くアホ、ああいうのは免許持ってればやるわけが無い。


要するに歩行者にも自動車運転免許に順ずる、簡易な免許と教習を義務付けるべきだ。

あいう無神経なクズが最低限のシステム理解配慮を学べば

都心部の混んでる道は格段に歩きやすくなるはずだ。

それは公共の福祉に益する。

http://anond.hatelabo.jp/20170610102357

http://anond.hatelabo.jp/20170610102357

ほんとこれ

でもこういうの不寛容かいってはてぶでは支持されないだろな

公共マナーだと思うんだけどなあ

歩きタバコよりよほど嫌だわ

足遅いのにど歩道真ん中や追い越し車線にあたる歩道に出てきてよたよた歩く奴

個人迷惑もそうだけど全体の交通量がどれほど妨害されてるか

http://anond.hatelabo.jp/20170611011413

23区比較なのにたった8区かよ。

まあ、日本に限ったことではなく、ある程度の人口密集地で治安がいいところや雰囲気がいいところを探すなら、生活費が高めになると思うが、お二人のご収入はいかほどでってところだな。生活費を下げようとしたら、交通の便が悪いところに住まざるを得ないので自動車免許必須という感じだと思う。

あと、区の善し悪し以前に、どういう子供に育てたいか、どういう子育てをしたいかというのもあると思うよ。

家で子供におとなしくすることを強要してもいいなら、マンション暮らしができると思うけれど、そうでないなら戸建てだと思う。

でも、戸建てに住みやすい区は限られていると思う。

個人的な印象批評をするなら、こんな感じだな。そして、特に杉並は新興の住民がそういう旧来の秩序を破壊して、もめている場所というイメージ

練馬区: 車社会都内田舎

杉並区: 富裕層御用達地域の一つ、人々は豪邸に住み、女性専業主婦が当たり前。

http://anond.hatelabo.jp/20170610102357

人口密度が低い所に住んでいる人は、自分の体が他人交通邪魔になるかもしれないって発想がないんだよね

2017-06-10

都内家賃ベッドタウン家賃、比べてビックリ

40平米〜、築15年以内で調べてたんだけど

都内山手線まで50分程度のところでは、8万円とか9万円程度なんだが

都内交通の便がいい立地では16〜18万円

倍も違うのかよと驚いた

 

ある意味、どれだけみんな電車通勤嫌ってるかって話だよね?

ちなみに毎日片道だけグリーン車使ったら15000円

ベッドタウングリーン車の方が安い

2017-06-07

好きで鉄道を楽しんでいたら、駅でネトサヨに絡まれました

ネトサヨ「お前、年いくつだ?」

私「32です。」

ネトサヨ「お前私鉄線乗っていたけど、このお金がどこ行くか知っているか?」

私「知りません。」

ネトサヨ自公政権エネルギー源になるんだよ!あのとんでもない連中の!」

ネトサヨ鉄道趣味右派に狙われやすいからもうここでやめとけ!」

私「うるさいですよ。私は右派でも自公シンパでもありません。ただの鉄道オタクです。」

私「新自由主義紛いでの右翼への加担への責任私鉄が好きな私にでもあるんですか?」

私「ここは日本です。アメリカでも韓国でもありません。公共交通民営で地下社会と繋がっていようが使うのは客の勝手です。」

私「右翼に少しでも支持ないし加担した人間市民権剥奪されるべき日陰者なら、鉄道好きは昔の暴走族みたいな不良集団とでも言うんですか?」

一般人鉄道界隈がファシストの手先と化しているこの世に鉄道笑顔で楽しんでいたら悪扱いされるに決まってるだろ」

一般人「こいつら良識をなめてるよな。勝ち組の癖に鉄道勝手に利用しやがって」

一般人「車にでも乗れ」

ネトサヨ「お前が帰化人外国人か悪い日本人か知らんが、そんなに空気の読めないことをしていたら日本国民はどう思うよ?」

ネトサヨ「そんな趣味を人前でやってると、地下社会沙汰やネオナチ沙汰での冤罪とき誰も助けてもらえないよ?」

ネトサヨ「転落の道でも歩みたいの?」

私「それは私も嫌だ。でもあなたの言っていることはおかしい。同じ鉄道趣味でも悪と付き合う人間がたくさんいるはずがない。高校生などの若者二輪車を持ったとして不良になる人間など一握りなのと一緒だ。」

ネトサヨ鉄道趣味は帰れ!悪と一緒に帰れ!」

一般人「帰れ!帰れ!帰れ!」

公共交通「信用できない」民営化以降過去最悪70%超え

これは民営化以降の話。国鉄時代はえらい違い

なぜそんなに冷静なのだ もっと驚け

日本交通機関事情について怖いのが乗客はみな平等お客様(要するに札束しか見えない)としか認識されていないってこと。

なおかつ都市部公共交通インフラがいい加減なこと。

東京五輪前に外国人五輪客にクソ迷惑かける。

五輪前にせめて東京私鉄社会解体したほうがいい。

2017-06-05

怒れ!日本公共交通利用者よ!

JR北海道観光列車による公共交通イメージダウン痴漢問題…これだけ問題が続出しても、恋々と公共交通固執する鉄道は恥を知らない。不買出来ないなら抗議するしか公共交通を救う道はないと思います

日本人日本公共交通に怒りの声を挙げていただきたい。若い世代会社員人達公共交通を信頼できないと、言ってます痴漢問題も不便性も運賃制度etc 何も解決していません。

戦後、ここまで見るに耐えない現実もありません。車社会になり、日本人経済的に豊かになり、公共意識劣化したと言われていますが、これだけはいけません!

やってること、韓国企業と同じ。

公共インフラとしての使命を忘れた鉄道界隈は日本公共交通、住みよい都市など、豊かな社会を壊そうとしています大都会東京愛する人として黙っていられません。速やかに怒って下さい。

もはや好きか嫌いかという問題ではありません。希望絶望かという選択だと思います

日本の皆さん、公共交通危険な方に向かっています公共交通商売の道具ではありません。怒りの声を挙げてください。

このままだと鉄道迷惑施設になってしまう!

2017-06-04

今時鉄道趣味にハマる人間に言いたいんだけどさ

公共交通陳腐化の現実クローズアップされて以降、最近観光列車がやたら持ち上げられているけど、鉄道ってさ、本来大人玩具というわけじゃないからね。

今では賎民の娯楽かつ迷惑施設として認識され始めている。

車やバイク世界なら喧嘩になって、そのまま取っ組み合いになるような行動でも、相手に投げ掛けたところで何も起きない。

しかし投げられた相手は晴らす場がないから、強烈な怒りを覚える事になる。

そして卑怯鉄道運営者だと、それを利用して、公共交通としての資質を問われるような商売をやりまくる。

ほかの世界でやっていれば、銃弾ビルの窓ガラスが壊されるか怒りのデモ行進が起きるようなとんでもないことでもまかり通るし、そうやって本当なら何十回、何百回も脅迫が送りつけられていそうな迷惑を延々と繰り返し続けられる。

吐かれた側は強い怒りを持って、晴らせずに、溜め込んだまま消えるか、あるいは八つ当たりして、リアルで誰かが被害に遭う。電車での痴漢事件反原発男などによる鉄道放火事件や性の喜びおじさんの狼藉なんかもそんな感じで起きてるんだよね。

本来だったら、それをわかっていて鉄道にはまる奴って、道路社会で言えば他のドライバーライダー口論を起こしたり、もしくは暴走族みたいな連中と口論になって、ろくでもない目に遭わされたり、精神知的障碍者認定を受けたり、最悪の場合だと、社会的地位を失ってワルやナマポのお世話や穀潰しになってしまったり、社会に狙われたり、生物的に殺されるかの行為がまかり通り、二度と同じことができなくなるはずの集団

サブカルという殻のせいで、そういう人が報いを受けずに、あん狼藉を働けるようになっちゃったんだよね。

2017-06-03

エゴじゃない、安心のために訴えている」 全国各地の学校職場自転車マイカーオートバイ許可相次ぐ

日本各地の学校職場自転車マイカーオートバイ通勤通学で利用することを許可する動きが相次いでいる。特に学校では1982年禁止以来となるケースも相次いだ。これに伴う道路整備も各地で進んでいる。この運動賛同する会社員は「エゴじゃない、安心のために訴えている」と話す。

日本ではこれまで、「交通事故によるリスクを軽減するため」との理由で、通勤通学時には公共交通を利用することを事実上強制し、現在これが電車車内における性犯罪の温床になり社会問題となっている。自転車マイカーオートバイ東日本大震災にともなうインフラの混乱以降見直されてきたが、見直しが進められているのはせいぜい学校方面のみ。これまでは職場関係では見直しが進められていなかった。

解禁支持の声が相次ぐ

インターネット上でこの動きを「支持」する声が相次いだ。

最近電車の遅れとかで落ち込むことも多かったけど、自転車マイカー利用を許可する流れを見て少し元気になった」。「日本もまだ捨てたもんじゃない。犯罪に関する暗いニュースが多いから尚更」。

オートバイ通学、自転車マイカー通勤の解禁でわかる学生労働者のありがたみ」。「自転車マイカーの利用は権利からどんどんやってチカンを解消してほしい」。「信頼を預けるわけだから会社員にはベスト状態で働いてもらいたい」。「自転車マイカーオートバイはいい。痴漢にあってPTSDを起こしたり、引きこもりになるより何倍もいい」。

「やっとチカン問題根本的に解決される時代か来たのか。弱者ものを言える社会健全だと思う」「自転車マイカーオートバイを使った通勤通学を馬鹿にしたり、ウザイとか迷惑って言ってる奴らは何なの?条件さえ守ればそれは学生労働者権利なんだよ」と大きな反響を集めた。

2017-06-02

日本社会を一発で改善する有効

痴漢を一発でなくす方法

世界で最も痴漢問題が激しく、陰湿化する国は日本なのである。おなじ満員電車の国のアメリカ韓国中国には痴漢はない。なぜ先進国で唯一日本だけこの問題があるかと言うと、それはおそらく「責任主体明確化することを渋る」からではないか痴漢戦犯第一加害者だが、加害男は、ただ好き勝手やってれば自分処分されることをわかっているため、他人責任を負わせるのである鉄道趣味などを煽り傍観者共犯者じわじわと作る。そうすることで、自分ひとりが糾弾されたりすることから逃れられるのだ。もし仮に利用者のうち80%くらいが加害者傍観者含む)となれば、その常態企業は「問題がある」と認めることはできない。なぜなら利用者加害者家族含む)から「うちの人生がどうなってもいいのか!」と糾弾さらされることになるからで、行政からも圧がかかる。

もし仮に、その鉄道都市のすべての鉄道路線のうちにたった1路線がそういった常態だったとしても、それでも1路線危険地帯一色に染まるともなれば由々しき事態なので、当然新聞沙汰になるし、運営も、場合によっては行政の面々なども処分をされかねなくなる。かくして隠ぺいや黙殺が起きるのだ。隠ぺいや黙殺すればするほど痴漢じわじわ鉄道路線全体に広まる。そしてそれがどの鉄道でも当たり前になり、どの交通機関でも当たり前に、どの都市も平均的な風景になったのが今の日本だ。東ドイツと同じなのである宗主国の顔色を窺った東ドイツ政府が、無責任国民ハラスメントするような構造と一緒だ。

痴漢問題は、加害者が少人数(できれば一人)の時点で発見し、その利用者定期券没収などの制裁を科すことができればいい。もしそれが食い止められずに全体に広まれば、運営の首を飛ばす仕組みを作れば、運営会社もっと積極的にマトモにこの手の問題と向き合うようになる。なぜこれができないのか。本当に日本公共交通ダメだ。

裏社会過激派左翼をなくす方法

韓国中国過激派左翼暴力団がない理由を考えたのだが、おそらく「公的勢力権限」が徹底されているからだと思う。2000年代以降の韓国中国風景は、さまざまな公共団体への相談窓口が用意されており、裏社会につながる利権パイプが発生しないようになっている。これは最近欧米でも普通のものだ。ようするに公共サービスが徹底していて、社会の裏側に必然的に手出ししないように済むわけで、住民安心して問題点解決できる。サービス効率や質もよい。日本場合公的機関権限がいい加減だから下の人間(昔は裏社会で今は過激派左翼)が利権を作る原因になるんじゃないか

これは社会イメージアップもつながり、問題などを一番小さな次元で食い止めることができる。日本のような公的機関蔑視される環境だと、公共責任あいまいになり、過激派利権問題JKビジネスのようにとりかえしのつかない規模になってしまう。いま、世界に名だたるオタクの街が潰れかかっているのはまさにそれが原因ではないか。よくいえば都市国家イメージアップになり、人民利益モチベーションのアップにつながる。これは本当に良いと思うので、日本採用してほしい。欧米だけではなくアジアでこういうシステムをやらないのは日本だけだよ。

日本人民度ダメになる理由もこれ

日本民度がいまダメになっている理由もこれで説明がつく。なぜ1940年代日本や今で言えば韓国の過ちと同じことを繰り返そうとしているのかというと「忖度」してしまうから。これはネトウヨ高齢者も考えるべきことだ。君たちの大嫌いな「だらしない日本人の態度」の原因は、特定人間責任にできないことにある。

アメリカ人であれ中国人であれ、世界のどの超人職人個人単位での評価が当たり前である

韓国超人紹介を見ると、必ず名前の紹介がある。日本みたいに民族のもの評価になることはない。これは米国でも欧州でも当たり前だ。

日本でこのような考え方が徹底されるようになったのは2010年代以降である。それまで、あたか日本社会自体がすごいという拡張表現することしかないし、インタビューさえ氏名不在の場合が多い。誰が取材したのか、誰が伝えているのかがさっぱりわからない報道が目立つ。

結果的に、無関係のない人達が矢面に立たされてしまい、特定世代がひっくるめて糾弾されることになるのではないか。あれだって世代における共通点があったとしても、悪いのは顔の見えない、名前も出て来ない者である

2017-06-01

こちらに無理やり命を預けてくるヤツ

車に乗ってると、「こっちがブレーキ踏まなかったら轢いてる」タイミングで、横断歩道もない場所を横切ってくる歩行者自転車はけっこう多い。

そりゃ、向こうは交通弱者から、実際ぶつかったらこっちが悪いんだろうし、このタイミングならブレーキ踏めるでしょと思ってるのかもしれんけど、それでいいの?

自分が悪くなかったら大怪我してもいいの?最悪死んでもいいの?

こっちはあんたの名前も知らないし、勝手に命を預けられても困るんですけど。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170530231823

鉄道オタク日本大衆文化として扱われていない以上に

観光列車改造車文化でいう珍走団みたいな露悪趣味程度にしか思われてないのかもしれない。

外国人には申し訳ないけど、日本人は昔ほど鉄道は好きではない。昔の韓国アメリカみたく、鉄道嫌いの国に転落しつつある。

韓国中国では公共交通が極端に安いころからかるとおり『ぼったくり=悪』って認識が徹底されてる気がするけど、そのくせ日本人から見ても観光列車は目に余るほど多い。

自殺行為はもうやめようよ

大都市の大動脈路線に目に見えてわかるぼったくり列車(観光列車)が何故駄目なのか猿でもわかるだろ。

そういう列車通勤路線を自走してる時点で公共交通ではなくなるだからそんな輩を鉄道好きが怒らないわけ無いだろ。

運営者や利用者がしょっ引かれるだけならまだしも鉄道ファン一般利用者沿線住民にまで飛び火しかねんのだぞ。

ななつ星四季島のような観光列車なんて結構から批判多いんだから慎ましくやればいいのになんで自ら自分の首を絞めるような真似をする輩が多いのか理解できない

教師まじで無能

今年からこどもが小学校に通い始めたのだけど、いちいち配られるプリントがひどい。

一般的会社だったら入社一年目にみっちり修正されるような書類作りにありがちな失敗が平気で放置されている。

パソコンの使い方もよくわからないような老獪がたまに配布するようなものでさえ普通に行き交っている状態

そのくせ妙に何かに気を遣ってるような言葉遣いをするもんだから結局何がいいたいのかがよくわからない。

運動会当日は交通整理する教師の数も不足していますので、早朝からの整列はご遠慮ください。」ってしおりに書いてあったから開門時間ちょうどに行ったら50人位並んでるじゃん。

ダメならダメで追い返すし、いいならいいで書いておけよ。

普通のお店だったら書き込みクレームの嵐ですよ。

それ以外にも結局なにがいいたいのかわからなくて、仕方なしに直接問い合わせないといけないことが多すぎる。

その都度、「先日お配りした通り」とか言われるんだけど、それがわからいから連絡してるっつーのがまったく分かってもらえない。

それで残業が多いとかいうのおかしくない?

その結果半分くらいのママさんたちが誤解したままだったりして、もしかしてあれも母親アホ乙とか思ってるんではないかね。

考えてみたら彼らって社会に出ないで教師になるパターンものすごく多いんだよね。

普通会社で部下を教えるような立場になってみないとわからないことって沢山あるんじゃないかな。

学校大人しく勉強だけ教えておいてほしい。

なんか学校から仕方ないで許されてる部分があるのがものすごく腹が立つ。

いいよ。道徳とか人間性とか教えなくて。っていうか教えられないでしょ。あんたらじゃ。

上手く言えないけどさ、顔色見てる先が違うんだよね。

区議会議員とか、役所の偉い人とか、教育委員会とか、なんかそっちばっか見てないかね。

息子が怒られてくる内容も、どうも周りと足並みを揃えろみたいなことばっかりなんだよね。

これから6年かけてしっかりと型にはまるような教育を受けてくるかと思うとおぞましいわ。

朝礼でどこかからあつらえてきたような説教してる暇があるならどっかでバイトでもして自分無能さに気づけよ。

って、考えてみたら入社一年目の新人がつくるクソ資料はここで学んできた結果ってことか。絶望だな。

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