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はてなキーワード: 矮小化とは

2021-09-24

anond:20210924132815

お前が都合よくオタク矮小化しすぎてるんだろ、だから主語デカいって言ってんの

「親ガチャ」という単語問題点

カジュアル過ぎる言葉から問題矮小化されている点

ガチャ引き直せるような錯覚、失敗してもゲームは進行可能錯覚を与えるのがまずい

交通事故被害者のことを、赤こうら食らったのかー、って呼んだらまずいのと同じ

SNSで、親ガチャ外れたわー、ってカジュアルに言われるのを見ると、わがままが通らなかった、という程度のことが多い

虐待をされているとか、ネグレクト受けてるとか、教育の機会を奪われているとか、そういう真剣な家庭の問題に直面している人に配慮せず、ただの子どもらしい親への不満を「親ガチャ失敗」と呼ぶから、一部から違和感が出る


便利だよね、ガチャ失敗って

ただ現状の家庭環境へ不満、という表明だけで、程度が含まれないもの

人権最上級カード以外だった、というだけでもガチャ失敗だし、バグで金だけ消えて1枚も何も出なくても失敗だもの

結局、「小さいわがまま程度で親ガチャかいうのやめろ、本当に大変な方の矮小化になる」派と、「わりとガチめに親のせいで不幸を受けて大変な目にあってるんですけど」派の、同じ意図を持った方の間で言葉の是非が分かれている印象がある

カジュアル使用を控えるのがいいのかもしれない

ダンスパワハラって言うな!何もわかってない!


誰がどう見てもセクシャル問題なのにパワハラ矮小化するのは良くない。

百歩譲ってもセクハラパワハラの複合的な問題でありパワハラのみ連呼するのは印象操作へ非常に親しい行為である認識しよう。

ダンスセクハラであり何なら性犯罪である

2021-09-22

性的指向としてはヘテロだけど、不細工コミュ障モテないのでor単に理想が高いので今まで付き合った人はいませんという人と

アセクシャルやアロマンティックなので恋愛感情がないですという人とで

前者はバカにして笑って良いけれど後者マイノリティとして特別保護しなきゃって

どう考えてもおかしいだろ

アセクシャルだのアロマンティックだのを主張する事は、単なるヘテロ差別しかなってない。

独身者への差別をやめよう、単身者でも生きやすいように、世帯単位社会保障をやめよう、「子育て支援」なるものをやめよう、という主張なら全然いいのに

どうして性欲や性的指向問題矮小化したがるのか

2021-09-20

女性の魅力ある描写はそこまで場を選ばねばならないだろうか?

胸が揺れてたらそりゃ原則的に嬉しいし、なんで嬉しいかっつったらそれが美しく可愛くエロく魅力的な姿だから

スポーツ選手筋肉の引き絞りと一緒よ。

スポーツ選手いじめ防止とかよ広告に起用されたときに、焼けた肌が日を浴びて光ってたり、汗が弾けたり筋肉が隆起してるシーンが使われるのは、その姿が魅力的だからだ。

マッチョが汗流してようといじめ防止に直接的な関係はないけど、魅力的な描写なら目を引く機能を果たすわけで、広告として正解だ。

シズル感と近似でもあるな。

アスリート筋肉と汗、ペットボトルの水滴、アイドル笑顔ひらひら服やおっぱい、これらは同じようなものだ。




私たち日常では日焼けを避けてるし、汗を飛ばすのもマナー違反広告の内容と関連も薄い。日常目にする広告スポーツ選手日焼けや汗の表現は苦手です」なんてことは言われないよな。

でも胸揺れなどに噛みつく奴が目立つのは、女の魅力描写に過敏な人間が一部にいて、その声がやたらでかいからだ。

結局、「女は、男に魅力を見せるとすぐに性的に食い物にされて被害を受けるから、団結して防御体制を取っていなければならない。ごく限られた安全地帯しかやるべきでない」という感覚がとても強い人たちがいるわけだ。

そういう人たちが女性の魅力描写についてばかり危機意識を働かせすぎる。

男性スポーツマンの引き絞った腕や、トマトお茶井戸水で冷やす様子は楽しめてるのに、女性の魅力が出てる広告(胸に限らない)にばかりピリピリするのは一般的感覚ではないぞ。

一般的感覚ではないのだが、そういう主張をされると「うーん、その危機意識はそこまでピンとこないけど、困ってるんなら言うことを聞いてあげればいいかな」と譲ってしまう、善良だか弱腰すぎる人たちが世間には多かったので、抗議を通せることもそこそこあったのだろう。

かに現代においても女性性的被害に合いやすいからある程度の危機意識を持つの妥当だけど、やりすぎ。

そしてこういうことを言われても、「女性被害矮小化していて聞くに値しない」とかで容易にシャットアウトできてしまうので、自省に繋がらないんだわ。

問題不正矮小化しようとしてるって考え方が大事な場面は多いけど、議論相手への拒絶として強力かつ便利すぎるので慎重に使った方がいいんだよなあ。

ともあれ、プライベートではエロ個人的に楽しんでるとしても、ちょっと人目がある場所ではピリピリしちゃうってのは、それもそこそこ性嫌悪が入ってるんじゃないか

なにか嫌な経験があったのかもしれんけどさ。

個人的経験からくる個人的な恐怖を、政治的社会的議論に繋げる時は、恐怖と復讐に駆られて妥当な話をこえがちなのでよくよく我が身を振り返りつつやった方がいい。



anond:20210920015426

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

フェミニストを自認してるけど、おっぱいが揺れるのが性的かについて

まったくもってどうでもいい。どーーーーでもいい。


話題出来事議員連盟圧力をかけて法的に問題ないキャラクター活動を潰したっていうのが問題なんであって、胸が揺れるのが性的だろうがそうでなかろうが問題の軽重は何も変わらないですよね?

すぐ問題矮小化したがるお歴々とか、気に食わない表現に難癖つけるお題目フェミニズムを利用する方々とか、ほんと邪魔なんで黙っててほしい。

というか、今回の松戸市のアレ、仮に「女性社会進出が気に食わないオヤジ達の議員連盟」が同じ口実でVtuberを潰したんだったら、いわゆるツイフェミ人達議連をぶっ叩いてたでしょうよ。

そういうポジショントーク本当に嫌い。


蛇足

とここまで書いておいてアレですが、雑談として「じゃあおっぱいが揺れるのは性的だと思うか?」と聞かれたら、

「胸揺れが常に性的でないとは思わない。が、今回のケースは性的とは思わなかった」が答えになります

まず最初に、現実でも胸の大きい人なら全く揺れないわけではない、ということ。

加えて、漫画的?アニメ的?表現ではデフォルメとして、そういう「動き」はオーバーに描かれがちだということ。眼がでかかったり髪が青かったりするのと同じく。

こういうことから、胸が揺れてても(明らかにお色気を意識したシーンでなければ)「あー胸がある程度大きいことを示す記号なんだなあ」くらいにしか思わない。

まあ、過剰に揺れてるとクーパー靭帯痛そ~~って思うことはわりとある

2021-09-17

anond:20210831100920

桜庭一樹さんの「少女を埋める」を今頃読み終えて、いろいろ心を揺さぶられる思いがして、この作者の著作を初めて読んだので、どんな人なんだろうとネット検索をしていて、鴻巣友季子さんの評をめぐって議論が発生していたことを知り、ここにたどり着きました。

お二人の「論争」(?)、ざっとたどってみました。一応決着見たようですが……モヤモヤが残りました。

このモヤモヤ感についてこの場を借りてちょっと書いてみますね。

あなたも指摘されているとおり、桜庭さんは、「テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」ということを強く主張されていますね。

でも、そもそもこの言い方が間違いだと思うのです。

鴻巣評の問題のくだりは、「テキストにそう書かれていたかのよう」に「断言」しているかと言うと、そうは断言できないかな、と。

だって鴻巣評のうち、「テキストにそう書かれていた」部分は「 」で括られていて、問題の部分は括られていませんからね。

そもそも評者の解釈だと読めなくもない。もちろん桜庭さんが言い、あなたが代弁するように、客観的にこんなお話だ言っているようにも取れる。

これは絶対どっちかだとは言えない書き方ではないでしょうか。

だとすると、桜庭さんの「テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」という、この言い方が悪手だったかなーと思うんですよね。

鴻巣さんは、この主張にうまく乗っかって、「あらすじとは解釈だ」みたいな誰にも否定できない話に持っていった、

桜庭さんにとっては、持っていかれちゃった、ということになったかと。

それを踏まえてこの二人のやりとりを見ると、「論争」の決着点としては、鴻巣さんが大人対応をしたってところに収まっちゃいましたね。

二人して朝日ちょっと悪者にして、桜庭さんも手打ちにしたのかな?と。

でもモヤモヤが残りますよねー。

鴻巣さんは、桜庭さんが本当に言いたいことは何か、わかっていたと思うんですよね。

わかっていて、そこには対応しなかった。

しろ相手の言い分の、言わば言葉尻をとらえて反応してみせた。だから大人の」対応です。

そう、「不誠実な」対応でした。

なぜなら、そもそもあの作品をあの評文のなかにあいう形ではめ込むことが、あの作品にとって圧倒的に不当だからでしょう。

あの作品あんものではない力を持っているのに、弱々介護の話ってことにしちゃった、ご自分の読みの甘さ、いや読みじゃないかなー、表現力の至らなさかな

鴻巣さんは、自覚していたと思いますだって鴻巣さんですよ)。

……こんなことを想像します。

鴻巣さんは、あの作品を読んで、深く心を動かされた、でもそれを直ちにはうまく言語化できない……でもすごいことはわかる。

評言のなかの「不思議な」という言い方にもそれが感じられます。「不思議」を言葉にするのが評者の役割なのにね。

で、心のどこかに引っかかってて、弱々介護の話を書いているときに、「そうだそうだ」って桜庭作品を取り上げちゃったんじゃないかなー。

「みんなー、頼む、百回読んで」ってことを時評全部使って素直に書けば良かったんですけど、締め切り迫って言葉にできなかったのかな。

どこを切り取ろうと、とにかく取り上げて世に知らしめるだけでも、この作品の助けになる、助けてあげる、応援してあげる、みたいな驕りもチラチラ透けて見えます

この作品にいち早く注目した私、読み巧者よねーみたいなのもあるかも。

(いや、鴻巣さんぜんぜん嫌いじゃないんですよ、私は)。

私は、あの桜庭さんの抗議は要するに、「そんなふうに読み取らないで!ぜんぜん違う!」ってことだと思うんです。

鴻巣さんもそれは感じ取ったかな、と。

問題本質解釈のなかみなんでしょ。桜庭さんご自身も、ツイッターで、そういう怒りを垣間見せていますよね。

でもそのご本人が、ツイッターでこんな書き方をしちゃう

わたし懸念は、私小説として発表されたこ作品の評で、……」

でもこの作品私小説としては発表されていないんですよね(鴻巣さんは「自伝的随想のような」って勝手なこと書いてますけど)。

文学界』の当該号のどの頁にも「私小説」って書いてないもんね。

で、まあ、百歩譲って「私小説」だとしたらどうだと言うんでしょう?

西村賢太さんがどこかで、私小説からって、書いてあることが全部事実だと思う読者はバカ、って言ってた。

ホント? これ、私の解釈ですからね)

でも、あんなふうに、とてもナイーブな書き方をしてしま桜庭さんの思いもジンジンと伝わるんです。

何かこう、わが身の血と肉を自分で食って吐き出すような、そういう格闘の末の作品なんだろうなー、

そういう格闘を、あんなふうに一つの作品言葉で築き上げるってすごいなー、

それを「私小説」って言ってるんですよね、きっと。

そしてその格闘の焦点である母親との闘争和解(?)のギリギリ物語の、

その当の母親についてあんな切り取られ方をしちゃうとなー、そりゃ怒るよなー、って思う。

でも、怒りの焦点は、自分母親虐待人間って大マスコミ公言されたことじゃないよね

私小説と自任して書いているなら、こういう反応に対する覚悟は少なくともできていないとね)。

そうじゃなくて、鴻巣さんの作品矮小化に怒ってるんでしょ。

なにその読み方、バッカじゃないの? ぜんぜん違うし、って、桜庭さんはそれだけ言えば良かったのでは?

でもそれを〈正論〉という形で提起しちゃったから、鴻巣さんは、わかっていながらそっちに乗っかって反応した。

そういうことなんじゃないかなー。

桜庭さんって、冬子に似過ぎていますよね。

この論争まで、冬子の物語なかに書き込まれている小説のようだ。

2021-09-14

人権擁護法案必要な世の中

ネトウヨによるリベラルへの執拗な「売国レッテル貼り在日中国人在日韓国人へのヘイトスピーチ自分達と意見が異なるものへの集団言論リンチ等を見ていれば、立憲の掲げる人権擁護こそ早急の課題と分かると思うんだが。

ネトウヨ自分達の「正義」が害されることを恐れて問題矮小化して、立憲を攻撃するけど、そう言うネトウヨを無規制でのさばらせている現状が、既に速やかに人権擁護法案が必要なことを示している。

2021-09-11

【やや擁護寄り】フェミニストと「表現の自由」で思うこと

なぜフェミニストは、いわゆる「表現の自由」に関する問題において「重箱の隅をつつく」のか?

自分はこう考える。

つつくべき問題はむしろ、数多の表現が詰まった「重箱全体が偏っている」ことなのだが、

重箱の中身のひとつひとつには特に大きな問題がないため、非難しずらい。

そのため、自他に分かりやすい、少しでも具体的な問題点が疑われる部分(しかし全体から見れば隅に過ぎない)を、

集中的に叩いてしまうのではないだろうか。

自分が「重箱全体の偏り」として捉えている例が、「家庭描写が多く長寿な4大アニメ」、

サザエさんドラえもんちびまる子ちゃんクレヨンしんちゃんである

これらの名作は、昭和平成初期までのスタンダードとされた家庭を元に描写されているため、

家事母親が行うことが当たり前になっている。

長らく人気コンテンツであり、子どもが(そして大人になっても)目にする機会も多いこれらの作品が、

アニメの視聴は学びや意識形成の全てではないにしても、

家庭をとらえる意識に及ぼす影響は、計り知れない。

この問題根深くしている点としては、

日本アニメーションは原作者への属人性が高く、いずれも作者が鬼籍に入っていることから

原作描写尊重した上でアニメ継続されている点、

また日本の家庭における格差が広がったこともあり、各アニメ描写共通して知られる「古き良き時代」として支持される一方、

現代における家庭描写が多い長寿アニメが生まれにくくなっている点がある。

そしてフェミニストたちは、こういった「広く偏っている事象」を指摘するよりは、

(あるいはそういった偏りをうまく言語化できず)

分かりやすい「絵面に問題が疑われるもの」を叩くという結果になっているのではないだろうか。

それではフェミニストは、半端に重箱の隅をつつくより、上記のような例を問題提起するべきなのだろうか?

しかし、個々の作品には何の問題もない。

制作当時のよくある家庭描写であるに過ぎず、これを指摘しようものなら、

炎上するだけで何も解決しないこと必至。とてもそうすべきではない。

繰り返すが、長寿アニメもその描写属人性も、個々では全く何の問題もない。

「それが子どもの見る「アニメ内の家庭」で一定割合を占めている」ことが問題であり、

そのことを個々の作品に問うたり、即座の解決策を打ち出すことは、非常に困難である

重箱の他の偏り例として考えられる、女性キャラの胸の大きさや露出についても同じで、

個々を指摘しても「見せていけない部分が見えている訳ではない」「他と同じくらいだ」となる。

それなら、どうすればいいのか?

正直なところ、漫画アニメなど表現の自由界隈ではなく、現実社会で動きが起こることで、世の中の風潮が変わるのを待つしかない。

前述の家庭描写についても、家事負担の面は改善されていないが、母親専業主婦ばかりである点の影響については、

(夫の実質収入減という良いとは言えない要因で迫られたケースも多いものの、)現実では改善しつつある。

若い人を見ていても思うことだが、現実社会での人々の意識も変われば、

広範にまたがる偏った表現もまた、違う方向へと遷移していくものだ。

非常に個人的見解になるが、日本現状維持という名の価値観アップデートの欠如により、

国内は傷み、またグローバルでの相対的地位も後退している。

しかしだからこそ、それが限界まで来たとき、何らかの面で痛みを伴うかもしれないものの、

現行の価値観からの急激な大転換が起こる。いや、望むと望まざると不可避であると思っている。

から今は、フェミニスト表現重箱の隅をつつくのも、

それを口実にミソジニー現実問題矮小化するのも止められないだろう。

しかし、時代は必ず変わる。

今は多くの人が苦しい時代の中、あなた価値観アップデートすることもまた難しいかもしれないが、

性別問題に限らず、「価値観アップデートできる」ということを、字面だけでも覚えていてほしい。

2021-09-03

ルックバック」に修正強いたポリコレさんたちさあ…

単行本発売のニュースブコメの片隅でよくわからん虚空への釈明してる人がいた。

cinefuk 「犯人役」に異常に思い入れしてる人が怖すぎる。現実フィクションの境目が曖昧で、ドラマ俳優思い入れと違う言動したらバッシングに走るタイプの人かな

オタク Togetter 表現規制

2021/09/03

https://b.hatena.ne.jp/entry/4707784779630917826/comment/cinefuk

パッと見意味不明すぎたためスルーされて☆すらついてないんだけどせっかくだから相手したい。

 

まずこの発言者はいわゆるポリコレ派・表現規制派・はてサオタクヘイトの人で「ルックバック」の修正も支持する立場の人。

 

そのうえでこれ何を言ってるのかって言うと

ルックバック」の犯人像にアヤつけて修正を強いた勢力に対するネット上の反発について

犯人役に異常に思い入れていて、彼のキャラがブレたことについて彼のファンが怒っている!彼らは現実フィクションの境目があいまいなんだ!」

ってまとめようとしてるわけ。

 

これはもうとりあえず全然事実と違うというか、

言ってるcinefuk氏自身が違うのわかってて何とか言い張ろうとしてる以上は「ただのデマ歴史修正の試み」と言っていいよね。

 

ポリコレによる修正圧力

それに屈しての作品クオリティを下げる修正

作品が捻じ曲げられたことに対するファンからの怒りと反発、

という要素全部スルーして

犯人役の熱心なファンが彼のキャラのブレについて俳優オタみたいな感覚でブチギレているんだ、怖い」

だもん。

 

繰り返すけど、cinefuk氏自身がこれはまるっきり嘘の欺瞞歴史修正だとわかってて書いてるよね。

  

あ、こういうことする人なんだー。

フーンって感じ。

   

  

ていうかさ

ポリコレ勢の人がポリコレ価値観なのは別にいいよ。

その価値観に従って社会のいろんなものにアヤつけて「差別だぞ」というダンビラちらつかせながら修正を強いる、

それも広く言えば自由というか、あなた方の信じる理想正義がそうなんだっていうことで受け止めらんなくもない。

 

でもなんで実際に修正させた後でそういう見苦しい嘘・言い訳歴史修正を始めんの?

ポリコレ派の人が表現規制修正を掛けたあとでこういうこと言いだすの何度も見てるんだよね。 cinefuk氏に限らない。

 

圧力かけて修正飲ませたことはあなた達の思想戦果なんじゃないの?

cinefuk氏のようなダッサくてショッボい嘘や歴史修正の試みを見ると

なんかあとから後ろ暗さを感じて必死言い訳してるようにしか見えないんだよね。

 

 

要するにあんたらは修正規制についてその結果を受け止める準備や覚悟もなく

ただ「これは正義差別反対だ燃やしたれー」「オタクが嫌がってるからやったれー」って

その後についてなーんも考えずに火をつけてるだけなの?

  

  

ルックバック」は別に差別的なメッセージを発しようとしてる作品じゃないし

ムーブメントになるぐらいファンがたくさんついて語り合われてたし

潔癖なポリコレ基準で言っても「アウト」「差別」と断言出来るような表現はなくて

かなりグレーなところに突撃したもんね?(この人達しょっちゅうそういうのやるんだけど)

 

修正が通っちゃった後で

ポリコレ勢がぼんやりした論拠の圧力をかけて修正させた」って結果が残っちゃうのが嫌なんだね。

からせっかくの「戦果」を誇るどころか、無理のある嘘を捏ねてまで圧力をなかったことにしようとしてる。

 

要するに全然考えも覚悟もなく火をつけてて、燃えた結果に対して責任取る気もないってことじゃん。

ポリコレ表現規制を旗にすることより、そういう無考えで無責任卑怯で後からビビるようなところこそが心底だせえと思んだよ。

 

誰かひとりが心血注いで作り上げたもの

大勢大事に消費してるもの

そういうものにお前の正義で火をつけること自体はいいと思うんだよ。皮肉でなく。

でもその結果を考えて受け止める覚悟ぐらい固めとけよ。

 

から無様な言い逃れ歴史修正を図るな。

お前らがクソなとこはそこに尽きる。

自分正義に対してすら不誠実すぎる。

それじゃ単なる社会ゴミじゃん。 

捕まってないだけの青葉だよお前らは。

 

 

 

versatile いつまでやってんの。コミックスが出て、さら修正されてたよ

2021/09/03 リンク

その「コミックスが出て再修正されてましたよ」ってニュースブコメ欄でcinefuk氏がゴニョゴニョ言ってるブコメの話な。

URLクリックすらせずにコメントしてるのがよくわかる。

buriburiuntitti 妄想力こっわ 登場人物か?

2021/09/03

妄想でもなんでもない。

cinefuk先生はけっきょく当該togetterコメ欄にも躍り込んでオタク叩きとポリコレ修正正当化に大暴れだ。

 

振りを頂いたしせっかくだから見ていこうね。

 

 

修正の意義・影響の矮小化

https://togetter.com/li/1768768#c9560571

cinefuk 🌀 @cinefuk 6時間

軽い気持ちで別れた親友が、一生の別れになって「大学に行かせなければ良かった」と悔やむ話なので、親友が殺される"ギミック"に過剰に思い入れするのは主題から外れちゃうと思うのだよな。「異世界転生の主人公が冒頭で轢かれるトラック車種が、タイタンからエルフになった」事に執着しているように見える

ゴニョゴニョゴニョゴニョわかりにくい例えで長いけど、要は「あん修正したことじゃない!」という矮小化ね。はいはい

 

これもさあ、自分達の信じる正義で燃やして修正させたんだから、それを矮小化する必要などなくないか 

「影響が大きかろうが小さかろうが、修正によってクオリティが落ちようが、必要修正だったか修正させたんだ文句あっか!」って胸張ってほしいんだけど。

なんで自分たちの信念の成果に対してこんなダッサい言い訳するんだろ。

 

ついでに蛇足を言えば、

あの犯人像は重要ファクターの一つだと思うけどねえ。そこどうでもいいなんて言ってるファンほとんどいねえぞ。

斉藤環医師ですら「どうでもいいとこだから修正してちょ」なんて言い方はしなかった。 

 

百歩譲ってcinefukさんの主張とそれ以外の声を相対化するとしても、作者ですらないcinefuk氏が勝手作品の狙いを断言して自分以外のファン読書体験に対して否定かますのは正気ではない。

 

そういうのを物凄い読書好きとか大の漫画ファン藤本ファンとかが「俺の読解が一番正しい!」って意気込みでやってるならほほえましく見守るけど、

cinefukさんのは単に自分達で付けた修正の火の手とそれが招いた結果を矮小したいがために鼻水垂らして必死になってるだけなわけじゃん?

見苦しいとしか言いようがねえよ。

 

 

創作ファン僭称 

https://togetter.com/li/1768768#c9560694

cinefuk 🌀 @cinefuk

6時間

親友けが選択的に狙われた訳じゃない(たまたまその場に居ただけ)から、だから理不尽さと、後悔が際立つんだよな。『遠く離れた手が届かない場所で、親友が亡くなった事を、はじめて報道で知る』という仕掛けだから殺人事件じゃなくても、たとえば大学施設爆発事故でも、交通事故でも、物語の大筋に影響ないと思う。その場合に「主人公が、どう助けに行けるか」のIFを考えるのも、創作の楽しみ

何が「創作の楽しみ」か。

矮小な視座の言い掛かりによってケチつけて歪めた挙句あとから焼け跡にビビり倒しやがってさあ。

正義ごっこの楽しみ放火の楽しみに比べりゃ創作の楽しみになんかネズミのクソほどの興味もねえクセによ。

  

いかー、創作に敬意を持つ人間というのは、作品の隅々まで作者が神経張り巡らせて構成しているだろうと心得てるんだ。

から「ここは重要じゃないからいいよね」なんて勝手に変えたりカットしたりなんて絶対にしないし出来ない。

あんたが自己正当化のために口走った「修正箇所はたいしたところじゃない」という言い種がもうあんたの正体なんぞ明らかにしてんだよ。

創作に敬意のある人間修正要求してるなら「正義のためにあなたの指を1cm詰めさせてもらいます」というニュアンスの言い方になる。

今後も醜悪な成り済まし続けるつもりなら良く覚えとけ。

  

「俺に反対する奴は殺人鬼に異常な思い入れがある異常者!」 

https://togetter.com/li/1768768#c9560718

cinefuk 🌀 @cinefuk 6時間

殺人鬼に異常に思い入れがある君たちは、殺人鬼人生を描く二次創作スピンオフ)に一歩踏み込んでいると思うんだよね。作者に「おれの考えるモブキャラ人生解釈が違う」とクレームする厄介オタクって結構いるけどさ

これはもう突っ込むのも反論するのもばかばかしいけど

しろ「こういう強弁で封じ込めを図るほど自分らへ反論する人たちのことを恐れてるのは何故なのか」を考えて眺めると面白い醜態だよね。

 

 

「作者VSファン」に摩り替えを図る

https://togetter.com/li/1768768#c9560745

cinefuk 🌀 @cinefuk

6時間

なんつうか、「元に戻せ」と作者に迫る読者は、ミザリー

修正の件で文句言われてるのは作者の藤本タツキでしたか

文句言われてるのは修正圧力をかけたcinefukさんらいつものポリコレ放火勢の皆さんだよね。

 

これももうcinefukさん自身明らかに自分欺瞞を吐いてるのをわかってて、

それでも「なんとかすり替えが通って歴史修正されてくれ……!」って言う必死祈りみたいなものを感じるよね。

 

でもさあ、

なんでそこまで自分達が修正させたという戦果を無かったことにしたいの?

そんな滅茶苦茶なデマ散布を図ってまで逃げ回る必要どこにある?

胸張って「俺たちが修正させました!」って言えばいいだけじゃん。なぜ言えない?

あんた達が見苦しいのはその一点なんだよ。

  

  

 

修正がそんなにダメことなのか?」

https://togetter.com/li/1768768#c9561576

cinefuk 🌀 @cinefuk3時間

ちょうど今「殺人犯バ美肉アニメオタクでした」という報道がされているけど https://togetter.com/li/1768328必要情報付与する事によって差別レッテルを貼られる事に危惧するのって、ダメな事なのか?報道クレームしている @NPO_VR は「自由表現を阻害する表現規制者」か?

とうとう哀願調に本音が出てまいりました。

 

ゴニョゴニョゴニョゴニョいろんな方向で変なこと言ってたけど

要するに自分達が火をつけた表現修正正当化をしたいっていうのが目的のすべてだよね。

 

オタク差別的な報道」と「自分たちのポリコレ放火」とをバーター取引で見逃してちょおおお!!!

 

なんなのよこれは。

こいつもう明らかに差別に反対する人とかでもなければ、自分正義や信念に殉ずる狂戦士とかでもないよね。

軽く下劣気持ちでよう考えもせず火をつけたあと結果にビビりあがって、自分らでやったことの責任を問われるのが怖くて怖くて、そこを問うてくる奴は異常者だとか先回りでレッテル貼ってなんとか黙らせよう逃れようとの八面六臂の多動ぶり。

 

 

そんなに怖いならなんで火なんかつけたんや。

青葉も、あなた達も。

 

 

ほんとの蛇足

ていうか「大学に行かせなければよかった」なんて話じゃねーし、「軽い気持ちで別れたから~」という話でもねーし、自己保身のために必死にひん曲げてんだろうなってとこ以外でもなんかcinefukさんの読解って相当独特よね。そもそもルックバックに興味もって読んだことあるのかすら怪しい人の読解をどうこういってもしゃあないんだけどー。

2021-08-18

男女問題に対する私(男性)の基本スタンス

女性の権利男性イコールラインまで向上させるべき」

だと私は思っている。そうしようとする女性活動尊重するし、協力すべきだと考え、できるところで協力している。

しかし、その結果、

女性の権利男性イコールラインを超える」

これは容認できない。

容認できないとは何様だ、こっちは男性権利女性を超えているのが容認できないんじゃ。と女性の皆様は思うかもしれない。思うだろう。

もちろんその感情理解している。

上で書いたが是正すべきだと思うし協力すべきだと思う。

だが突き詰めると私は男性であって、女性のことは他人事である

理屈のうえで「是正すべきだ」とは考えても、「容認きぬ」とまで強く感情的には思えていない。

一方で女性の権利男性イコールよりも上に超えることに関しては、理屈のうえでもダメだと思いながら、かつ「容認きぬ」と強く感情的にも思う。

まとめると、理屈のうえでは男性女性を上回ることも女性男性を上回ることも等しくダメだと考え、さらに私個人男性であるので後者については感情も乗って反発する。ということだ。

この世界が、あるいは日本現在男性優位なのは自覚している。

一方で、限定的な状況下では女性優位な面があるのも経験している。

たとえば寡婦年金女性優先車両レディースデイといった大小の制度的なものから結婚離婚の場面での女性優位な構造。あるいはもっと言えば男性女性エスコートするとか重いものを持つとかデート代を奢るといったような精神規範的なもの

私が言いたいことを伝わりやすくするために非常に矮小化して話すと以下のようなことになる。

女の子たるものお淑やかであれ。男の子を立てて一歩引いていなさい」という教育が古いものとされ、排除される。それはいい。

だがその一方で「男の子たるもの強くあれ。女の子を助けなさい」という規範排除されていなければどうか。

私は、これは女性の方が優位になった例のひとつと考える。

はっきり言うと、「女は男を立てるべき」規範と、「男は女を助けるべき」規範が同居する社会は、男女不平等ではないと考えている。

そのどちらの規範存在しない社会も、もちろん男女平等であると考える。

どちらかだけがある社会が、不平等なのだ

女性のみなさんが女性運動により前者の規範を消そうと努力するのであれば、それは容認するけれども、同時に男性からカウンターとして男性運動をして後者規範を消しにかからなければならない。そうでなければ結果男性が不利に立たされるからだ。

最近よく観測する弱者男性論などはその一種の形だろう。

私は社会の中である領域では男性優位で、ある領域では女性優位という不均衡はあってよいと考えている。

たとえば鳶職には男性が圧倒的に多い。これは男女の力の差から仕方の無いことだ。一方で女性鳶職になりたいと思えばなることができる。これが重要である

管理職問題も同じだと考えている。女性管理職に就きたいと思えば、男性とちょうどおなじなりやすさで、なることができる。こうであるのが理想で、そうであるためにあらゆる構造を変えなければならないと思う。

しかし、女性管理職の数が少ないからといって女性の昇進しやすさを男性より上にするというのであれば、それは看過できない。強く、強く、強く反対し、もし自分が決定に関与できる立場であるならば、やめさせるだろう。

「まず踏んでいる足をどけろ」

という言葉女性からよく聞こえる。

これは本当に本当に真っ当な言葉だ。そうすべきだと思う。

私も、自分が踏んでいる足に気付いた場合、どけるようにしている。

しか男性の右足が女性の左足を踏んでいる一方で、女性の右足は男性の左足を踏んでいるという状況も私はあるように感じる。

その場合男性のみがその足をどければ今度は男性けが女性に踏まれている状態となるのだ。

女性自分たちで活動して男性の足をどけるのを実現させてきたのだから男性もそうしろ

と言うのであれば、仰る通り、そうさせてもらう。

男性女性から足をどけるのに主体的に協力しろ

と言うのであれば、女性にも男性を踏んでいる足をどけることに主体的に協力いただく。

女性から踏んでいる足などない」

と言うのであれば、「ある」と主張させてもらう。

私は常にこういったスタンス増田ブコメも書いているので、お含み置き願いたい。

2021-08-17

やはり反政府勢力を「テロリスト」と矮小化するのは危険だったのではないか

イスラム国が盛り上がっていたころに「あれはただのテロリストなのだから国家として認めるような言い方をするな」とわざわざ「ISIS」などと呼ぶ動きがあった。

銀河英雄伝説の「自由惑星同盟僭称する叛徒ども」を思い出す話だが、そうした「言葉遊び」は結局のところ理解の妨げになっているのではないかと感じる。

今回も、タリバンをただの「テロリスト」として認識するのは、(アルカイダとの混同もありそうだが)ただの矮小化だと考える。

もともとアフガンのほぼ全土を統一して、まがりなりにも政権運営していたのがタリバンなのだし、全体としては国家同士の戦いとして見るべきではないのか。

2021-08-16

DaiGoという人の一連の騒動を眺めていて思うこと――「本心」がどうかなんてどうでもいい

DaiGoという人の一連の騒動を眺めていて思うこと。

:

この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。

1つは

「これも計算なんでしょ?」

的なもので、

2つめが

「ここまで追い込んでるやつらも同類

的な「どっちもどっち」を掲げるもの

3つ目はいわゆる擁護論で、

「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」

みたいな、つまり本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの

加えるなら、

「そういう綺麗事あなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」

みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。

:

数としてみたとき最初に思うのは、

1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。

人間他人の内心というものを知ることはできない。

なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、

あるいは意外と、真実の、心から反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。

でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。

それは過去のこんな投稿

( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )

を含め、彼が繰り返しあちこち動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、

「今回だってきっとそうさ」と受け取られてしまっている。

まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。

計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。

そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実反省からあの動画投稿したのだとしたら……。

これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落物語として消化できるのかもしれないけれど、

現実出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。

:

そもそもの発端になった、ホームレス生活保護受給者に対する発言の時点から

このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。

……少なくとも筆者はそう思っている。

本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初問題発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。

しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。

■こういう言葉を(個人の感想であろうとなかろうと)、

■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、

■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、

世に向けて放つこと。

それが、ホームレス生活保護受給者の人たちに対する社会視線を、どんなふうに「操作」(メンタリスト肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。

……問題はそこに集約される。

「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、

どこにも入り込む余地はない。

:

「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」

これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである

もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。

しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、

「ここまで追い込んでるやつらも同類

批判して事足れりとするのは、不当に問題矮小化している。

また、

「みんな本心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」

的な、「本心」を問題にするような反論も、まるで意味がない。

これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。

そういうことと、

■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会視線を歪ませるか、セーフティネットというもの存在意義をどんなふうに誤ったイメージすり替えるか」

ということを問題視して批判することは、何一つ矛盾しない。

批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付したことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。

:

----------------------------------------

もうちょっとだけ。

本当のところ、

特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」

という満足を得たいがための投稿、というのについては、

炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」

の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。

そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、

それこそ"お花畑理想論綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。

もちろん、当人たちだってそれはよく認識しているはずだ。

要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、

それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものから

そして言うまでもなく、

事実としての言動」「それがもたらす可能性」「それを批判することの意味」を問うにあたって、

どっちもどっち」が意味もつような余地は、どこにもない。

2021-08-14

金持ってそうだから。と言う理由で殺されそうになった

「金持ってそうな人間を殺したいと思った。誰でもよかった」

容疑者男性犯行動機として語った言葉からリッチサイド」という言葉話題になった。

リッチサイドとは、「金持ちであることを理由金持ち犯人に殺されること」

リッチサイドは、世界中でも大きな問題となっている。

日本でも、人口の5%が強盗にあったことがあると言われており、金目当ての殺人は挙げればきりがない。

根底には、ミソリッチ金持ち蔑視)があるのは間違いない。

最近は、貧乏人の生きづらさが語られることも増えてきた。

稼げない。金が無い。贅沢できない。

今の社会はこういったコンプレックスを抱える貧乏人を「負け組」と呼びがちだ。


そして、そうレッテルを貼られた人達が、

金持ちは金を配るべきなのに、自分には何もくれない。

金持ちのせいで、自分は「負け組」なんだ。

と金持ちへの嫌悪をためてしまうことも少なくない。


でも、「負け組」というレッテルを貼り、自分を苦しめているのは「金持ち」ではない。

そのレッテルを貼るのも、自分を苦しめているのも、社会と周りじゃないだろうか。

その責任を「金持ち」に押し付けても何も解決しない。

被害にあわれた方が1日も早く回復日常に戻れることを心から祈っている

大事なのはリッチサイドを許さない、

金持ち差別問題矮小化しないこと。

そして、「貧乏自分が責められている」と感じて考えるのを拒否するのではなく、

社会空気を作る一人として、

金持ちだけじゃなく貧乏人も、声をあげることじゃないだろうか。





・・・んなわけあるかっ

2021-08-12

人は霊に聖霊を宿せる

眠れなすぎて布団の上で2時間ぐらい考えていたら気づいてしまったんだ。

俺たちの目指す新しい宗教の形を。

個々人が心のなかで第3の自分として聖霊を宿せばいい。

第1の自分とは自分自身であり、第2の自分とは自分客観的に見てツッコミを入れてくるアイツのことだ。

そのアイツと自分を更に俯瞰的に見るもうひとりの第三者を心に描き、その人格健全かつ包容力抜群の聖人とし、その聖人にこの世界のすべてを大らかに肯定させることでメンタル問題はだいたい解決する。

心が傷ついた時に宇宙の広さを考えることで問題矮小化する技術があるが、あれをより健全な方向に進化させたものだ。

これは認知に歪みのある人間治療にも効果的だ。


第1人格今日仕事で失敗した」第2人格「そうだ。お前はもうだめだお終いだ。早く死ぬべきだったのだ」第1人格「そうだ。いい加減死ななければ」

メンタル限界になるとこういった思考ループし始める。

だがここで第3人格たる聖霊第三者が登場する。

第3人格聖霊「いいえ。この程度で死ぬべきであるのなら、この世界の誰もが死ぬべきなのです。誰もが死ぬべきなのでしょうか」第2人格「そうだ。誰もが死ぬべきなのだ

第3人格「誰もが死ぬべきであるとは誰が言っているのでしょうか」第2人格「聞こえないのかこの世界だ。この世界の全てがこの世界の全てに死ぬべきであると語りかけている」

第3人格「もしもそうであるならその世界のものがとっくに死んでいるはずでしょう」第2人格「そうだ死ぬべきなのだ世界は滅びるべきだ」

第3人格「ですが世界は滅びていません」第2人格「そうだ。つまり異常な状態になっている。正されるべきだ」

第3人格「逆に考えてみませよう。世界は滅ぼし合おうとなどしていないから滅んでいないのだと」第2人格「なんだと?つまり世界は私に嘘をついていたのか」

第3人格「その認識は半分だけ誤りです。世界がそう言っていると主張することであなたコントロールしようとするもの過去存在しただけです」第2人格「つまりソイツを滅ぼすべきなのだな」

第3人格「いいえそうして滅ぼし合いの世界に巻き込まれるのは無意味です。そんな自分のことを棚に上げるような馬鹿は放っておきなさい」第2人格バカを滅ぼさなくていいのか?」

第3人格「滅ぼし合いの世界に生きている人に合わせる必要はありません。必要とあれば反撃は必要ですが、こちから接触しようと近づく必要すらないのです」

第1人格「な ん だ こ れ」

といつの間にかマジメに考えるのがバカバカしくなって、いちいちアホみたいな思い込みに振り回されずに淡々事実だけで世界を見とけばええんやなと正気に戻れるのだ。

マイナスの加速した精神に加速したプラスをぶつけることで対消滅を起こす。

これが第3人格聖霊である

世間は思えを許さないよ」論法を多用するクズ同士によるコントロール合戦に疲れ切った現代社会を生き抜くこれから宗教はコレだ。

つうかマジで「お前のような奴は滅びるべきだと世間は言ってるよ」で人をコントロールするやつはアホなので無視していい。

ロバを売りに行く親子の正解あてを毎回してくるようなものから相手する価値がない。

ちなみにこれは相手の気持に対してグルグル考えてしまったときも同じで「結局これってロバ売りの正解を当てにこさせられているのでは?」と思った段階でとりあえずでぶっぱしちゃっていい。

2021-08-11

anond:20210811113826

それだけじゃない、政党メディアもいままで国民を煽った責任を取らされるより、破滅可能性に目をふさいで煽り続ける方を選んだ。

社会全体に蔓延してる既得権益の網の目が戦争以外の選択肢を取りづらくしていたという話なのだから東南アジア資源なんて矮小化するのはそれこそ筋違い

2021-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20210810002154

発想自体は良いが、場合けがされていないのと「女性被害者」という予断が論考を歪ませてる。

「女叩きは儲かる」なんてゴミ記事が上がっていたが、話は逆で男が死んだくらいでは見向きもされないのが現実

1. 通り魔の総数が少ないか確率の紛れに埋もれた

裏を返すと確率の紛れに回収される程度のレアケースと言うことだ。レアケースだけどインパクトが強いから印象に残る。そんな事例を一般化して語ることに何の意味があるのか。

なお、一般化する事の意味を語っているだけで事件自体矮小化する意図は無い。

2. 2人目以降の被害者男性有意選択される

犯人の側としては選んでる余裕は無い は正しいかもしれない。ただし立ち向かう側としては「男なのだから立ち向かえ」とする社会的圧力がある。

そういった社会的圧力無視して「フェミサイドは男も被害者になりうる」と語るのは非常に醜悪だ。

3. 男性を狙った犯行も起きているが透明化された

男性を狙った犯行は「発生していない」のではなく「発生しているか不明」なのである

2021-08-07

anond:20210807202757

だよなあ

女が犯人だったらこの程度では不起訴執行猶予で間違いない

そもそも報道が1人軽傷8人が全治二週間とか言って矮小化されていると思う

2021-08-06

anond:20210806144611

なぜそんな矮小化した事象社会全体の話として言及できるんだ?ビョーキナノ?

anond:20210806144150

電通ではなくて「広告代理店」のビジネスモデルのもの批判対象になってるのに?

そんな矮小化したものの考えで社会を語ったつもりではアカンよw

anond:20210806042342

資金提供を受けている」と「親しい」は違うと思う。いい意味でも悪い意味でも。

道徳価値的なレッテル貼りはよくない。同時に、彼の遵法意識の著しい低さを表現しきれていない雑な揶揄では問題矮小化されてしまうと思う。

2021-07-27

anond:20210727010508

お前自身が「発言内容自体は嘘」と言ってるんだが

明確な嘘じゃありませーん話盛っただけでーすみたいに矮小化しようとしてるとこ申し訳ないんだけど俺は日本国民として完全に嘘だと思ったし絶対本番でやばいことになるって思ったからそこをずっと批判してきたんだわ

すぐばれる嘘は嘘じゃないみたいに思ってんのか?国会で100回以上嘘ついた安倍のこと支持してそう

IOCほど規模の組織が、それをやらないわけがない。

それってあなたの願望ですよね?むしろやったうえでやってない振りされたらどうすんの?日本理想的気候って言ってましたあ~って言えばIOC被害者面できんじゃん

2021-07-24

anond:20210724155811

(1)「現場に居た当事者じゃないから口出しするな」と言うお前は、当事者として和光学園イジメ現場にいたの?加害者本人?被害者本人?クラスメート目撃者?「当事者じゃなければ口出しするな」と言うならば、お前は当事者な訳だ。QJ関係者か?それとも、北尾修一・村上清・小山田圭吾か何れかの本人か?「当事者以外は黙れ」と言うのならば、お前自身が率先して口を閉じたら?それが出来ないからお前も口出しするんだろ?当事者でもないのに。馬鹿なの?

(2)記名記事執筆者名前を、匿名化する意味は全く無い。村上清を匿名化して隠避しようとするのは、マスメディア関係者の身勝手責任逃れ。記名で執筆した記事に対する責任は、顕名で引き受けるべき。

お前はお前自身が(小山田圭吾村上清を批判している人間とは異なり)冷静さを保っているかのように述べているが、お前の文章から教祖様馬鹿にされたから頭に血が上って書いたのが現れているぞ。

それとな、お前は俺のことを「デビルマンを読んだことが無い」というが、物語クライマックスで牧村家を襲撃して血祭りに上げたのは「デーモン」じゃなくて「普通人間たち」だよ。お前こそ、デビルマンを読んでねえだろ?サブカル馬鹿は、教祖様原理主義者の短絡思考から、そういう初歩的なミスをするんだよ、馬鹿

(3)それで出てくるのが「お前はライターじゃないか批判するな」かよ。じゃあ、お前は当時の、それとも現役のQJライター編集者なのか?まるでお前は全てを知っているかのような口調だが、当事者以外は黙ってろとお前が言うなら、お前自身が口を閉じるか、お前が当事者であることを示せ。初歩的な論理だろ。それも分からないぐらい頭に血が上ってるくせに「オレは冷静だ!」と装うから、お前自身馬鹿さ加減を自らの手で晒す羽目になるんだよ、頓馬。

それとな、お前は孤立無援のブログミスリードと主張するが、あれは「加害者側の一方的且つ身勝手な『ボクたちはトモダチだった』と云う言い訳によって、美化したり隠したりしている本質」を抽出しただけだ。

(4)既成事実化だろ。読んでもいない手紙の内容を、小山田圭吾村上清にとって都合の良い内容が書かれていたかのように言って、それがさも事実であったかのように「あの思いは通じた」とか書いたら、良く言えば「北尾修一は事実と願望の区別がつかない馬鹿」で、悪く言えば「長々と願望ポエムを書き連ねて、その末尾の方でコッソリと己の願望=事実であるかのようにすり替えて読者をミスリードしようと意図した卑怯者」だろ。北尾修一は、一体どっちの馬鹿なんだ?両方かもな。

よっぽど既成事実化と言われるのが嫌みたいだから、これからもオレは積極的北尾修一は既成事実化を意図したと主張することにするわ。

(5)村上清がイジメ被害者であることは、小山田圭吾と一緒になって雑誌の誌面で二次加害を行ったことを免責する理由にはならねえよ。馬鹿なの?

村上清がイジメサバイバーから何なの?それで村上に、他のイジメ被害者に対して「イジメエンターテイメントだ!」と村上清の勝手価値観押し付けて、剰え雑誌取材と称して押し掛けて、被害者とその家族の心の古傷を抉る権利付与されると思ってるの?お前みたいなサブカル馬鹿は、本当に自己中心的・お仲間絶対主義で身勝手だな。馬鹿

(6)冷静な意見加害者側の身勝手な主張だけを根拠に、イジメ正当化矮小化しているだけだろ。「加害者が『ボクたちはトモダチだった』と言っているから、これはイジメじゃなかったんだ!イジメ被害者との間に友情が成立していたんだ!」って、それのどこが「冷静」なの?DV加害者が「被害者を愛している」と言ったら、それを真に受けて「ああ、DVじゃなかったんだ」と納得して放置するの?お前の頭の中に、ちゃん脳味噌入ってる?DV事件現場では、加害者一方的な「愛情存在」を鵜呑みにする馬鹿がいたら批判されるよ。そういう「加害者側の一方的な主張」を根拠にして「これはイジメではない」と言うのは、サブカル馬鹿知識認識アップデート出来ていないことの何よりの証明だよ。それで「オレはお前たちと違って冷静だ!」とか、馬鹿なの?

それと、お前の言う「二次加害」って、誰に対するものを指して言ってるの?「一次加害」は和光学園在学中に行われたイジメと、その後に雑誌取材と称して被害者とその家族の心の古傷を抉ったことを指すと思うんだけど、お前の言う「二次加害」に先立つ「一次加害」は誰が誰に対して行ったものを言ってるの?頭、大丈夫サブカル馬鹿は、自己陶酔したポエムばっかり書いたり読んだりしてるから、話の筋を見失うんだろうなあ。

まあ、取り敢えず「当事者でなければ口出しするな」とお前が言うならば、先ず当事者ではないお前自身が口を閉じるか、それともお前が当事者であることを証明しろよ。間抜け

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