2021-09-11

【やや擁護寄り】フェミニストと「表現の自由」で思うこと

なぜフェミニストは、いわゆる「表現の自由」に関する問題において「重箱の隅をつつく」のか?

自分はこう考える。

つつくべき問題はむしろ、数多の表現が詰まった「重箱全体が偏っている」ことなのだが、

重箱の中身のひとつひとつには特に大きな問題がないため、非難しずらい。

そのため、自他に分かりやすい、少しでも具体的な問題点が疑われる部分(しかし全体から見れば隅に過ぎない)を、

集中的に叩いてしまうのではないだろうか。

自分が「重箱全体の偏り」として捉えている例が、「家庭描写が多く長寿な4大アニメ」、

サザエさんドラえもんちびまる子ちゃんクレヨンしんちゃんである

これらの名作は、昭和平成初期までのスタンダードとされた家庭を元に描写されているため、

家事母親が行うことが当たり前になっている。

長らく人気コンテンツであり、子どもが(そして大人になっても)目にする機会も多いこれらの作品が、

アニメの視聴は学びや意識形成の全てではないにしても、

家庭をとらえる意識に及ぼす影響は、計り知れない。

この問題根深くしている点としては、

日本アニメーションは原作者への属人性が高く、いずれも作者が鬼籍に入っていることから

原作描写尊重した上でアニメ継続されている点、

また日本の家庭における格差が広がったこともあり、各アニメ描写共通して知られる「古き良き時代」として支持される一方、

現代における家庭描写が多い長寿アニメが生まれにくくなっている点がある。

そしてフェミニストたちは、こういった「広く偏っている事象」を指摘するよりは、

(あるいはそういった偏りをうまく言語化できず)

分かりやすい「絵面に問題が疑われるもの」を叩くという結果になっているのではないだろうか。

それではフェミニストは、半端に重箱の隅をつつくより、上記のような例を問題提起するべきなのだろうか?

しかし、個々の作品には何の問題もない。

制作当時のよくある家庭描写であるに過ぎず、これを指摘しようものなら、

炎上するだけで何も解決しないこと必至。とてもそうすべきではない。

繰り返すが、長寿アニメもその描写属人性も、個々では全く何の問題もない。

「それが子どもの見る「アニメ内の家庭」で一定割合を占めている」ことが問題であり、

そのことを個々の作品に問うたり、即座の解決策を打ち出すことは、非常に困難である

重箱の他の偏り例として考えられる、女性キャラの胸の大きさや露出についても同じで、

個々を指摘しても「見せていけない部分が見えている訳ではない」「他と同じくらいだ」となる。

それなら、どうすればいいのか?

正直なところ、漫画アニメなど表現の自由界隈ではなく、現実社会で動きが起こることで、世の中の風潮が変わるのを待つしかない。

前述の家庭描写についても、家事負担の面は改善されていないが、母親専業主婦ばかりである点の影響については、

(夫の実質収入減という良いとは言えない要因で迫られたケースも多いものの、)現実では改善しつつある。

若い人を見ていても思うことだが、現実社会での人々の意識も変われば、

広範にまたがる偏った表現もまた、違う方向へと遷移していくものだ。

非常に個人的見解になるが、日本現状維持という名の価値観アップデートの欠如により、

国内は傷み、またグローバルでの相対的地位も後退している。

しかしだからこそ、それが限界まで来たとき、何らかの面で痛みを伴うかもしれないものの、

現行の価値観からの急激な大転換が起こる。いや、望むと望まざると不可避であると思っている。

から今は、フェミニスト表現重箱の隅をつつくのも、

それを口実にミソジニー現実問題矮小化するのも止められないだろう。

しかし、時代は必ず変わる。

今は多くの人が苦しい時代の中、あなた価値観アップデートすることもまた難しいかもしれないが、

性別問題に限らず、「価値観アップデートできる」ということを、字面だけでも覚えていてほしい。

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