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2014-05-12

真面目に生きてるのって俺だけな気がして来た

30代男。

毎日きちんと真面目に生きてる。

でもニュース等では連日いろんな事件が報じられてる。

世間一般では地位名誉もある人達が当たり前のように悪さをしている。

校長大麻やったり警官痴漢したり政治家不正献金受けたり。

真面目だと思っている人が当たり前の様に悪い事をして生きてる。

バレるかバレないかの問題だけで。

なんか真面目に生きるのが馬鹿らしくなってきた。

会社上司や街で見る警察官も実は悪さをしてるかもしれない。

そう思うとやってられない。

そりゃみんな表では誠実だと見せますよ。

でも裏で何やってるか分からない。

平然と犯罪を犯してるかもしれない。

地位名誉があっても真面目に生きてない人が多すぎる。

真面目に生きてない人が得をする世の中なんて終わってる。

2014-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20140509234517

のび太から昨今のニュースを見れば、警察校長教育委員会いじめが解決するとは思えないんだろうよ。頭が悪いと言われようと。

から攻撃力+999の武器を求めたがる。

簡単に殺せる。あるいは一生不具にさせる事ができるからこそ自衛としての威力を発揮するわけで。

筒井だったか小説でもあった、全国民核ミサイルスイッチだったか核融合炉を持ち歩いて完全平和を実現する話を思い出す。

社会平和は確かに維持されるべきだけど、

自分の生死の問題で銃を持ちたいと思うやつがいることを「悪い」と断罪することには違和感があってどうしてもできない。

2014-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20140509232639

いや、のび太みたいな目にあってるなら、普通に警察行けよとか、学校なら先生やら校長教育委員会に言えとか。

今はツイッターとかあるんだしイジメ情報拡散とかすげぇ簡単だし。

暴力に対してそれ以上の報復が出来る世の中で、暴力という選択肢は頭が悪く見える。

まぁ、銃はダメだろ。

暴力報復で「殺し」はアウトだと思う。(程度にもよると思うけど。イジメで殺された彼女復讐ぐらい極端な例でもなければ)

銃は、簡単に殺せる。あるいは一生不具にさせる事ができる。

まぁそんな事よりもっと重い問題がある。

ジャイアンも銃を持てる。こっちのほうが深刻。

DQNチンピラが銃を持って「金を出せ」って町中でやるようになったら?今でもナイフとかありうるが、逃げれば大丈夫。銃は背中打たれて死ぬから逃げられない。またナイフは意外と扱うのが難しいので、子供ナイフを持って脅してきた時に重症を負いにくい。銃は誰もが危険さらされる。引き金に常に指をかけてるような素人がいたら、近くにいるだけで被害者になりうる。

結局国民全てが銃を「持ち歩く」ようにならなきゃ、その世界平和じゃない。また、銃は持っていても取り扱い出来なければならない。

2014-04-20

入学式を欠席する担任教師に呆れてしまう理由を考えてみた

担任が「息子の入学式」で欠席、どう思う?

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/11262/result

まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。

そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。

 

よく、国民教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラム教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。

公務員から職業人だから

今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。

私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。

 

日本人一般にある仕事優先論というのも、ちょっと違いそうだ。

批判している人は「担任なのだから」と言っている人が多い。

担任教師への高いハードル

呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。

なのに担任教師に呆れるとはどういうことなのか。

それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。

 

そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。

学校が親に課すハードルも高いのである

 

私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。

 

学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。

(この高いハードルを「親は学校/先生子供人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)

 

家族のために計画的休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。

からさまに生徒を二の次にすることへの反感

たとえば医師患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。

気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい大丈夫です」と言わなければならない。

実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。

 

でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。

たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」

「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」

 

このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。

 

担任教師の家族危篤場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの

でも、自分の子供の入学式に出るために計画的学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。

「誠意がない」と感じるのではないか。

 

「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。

 

蕎麦屋の出前」という言葉がある。

最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。

でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。

なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。

 

そう、ウソをつくのだ。ウソ方便

ウソ方便ではなく、ただのウソに。

これまではウソ方便で良かったのだ。医者患者優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。

 

だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。

 

そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。

ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。

 

今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。

今はもちろんそれはできない。

ウソはもはやただのウソ、悪なのである

 

後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。

 

「知らぬが仏」という言葉もある。

自分自身はどうなのか。

さて、では自分自身はどうなのか。

通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。

 

自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。

 

担任教師が休むことそのものが、子供教育にとって良いことだ、という意見もあった。

行動を通じて労働者権利ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。

 

とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。

でもこの話ではなぜか感情が先に立つのだ。

 

友人とも対話した。

 

友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法現場無視してよいのか」

自分担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」

 

友人「副担任や教務主任での代行ではだめなのか?」

自分体調不良家族の不幸以外は、認めがたい」

 

友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」

自分計画的休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」

 

友人「妊娠はどうか?」

自分妊娠計画的ものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」

 

友人「教師のなり手が減るぞ」

自分「有能でも信念がないのはだめだ」

 

このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。

そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。

 

昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分出身校に誇りを持っている。

(誇りがあるメンバーけが集まったのかもしれない)

同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。

(このサイトを見つけてメンバー同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県福岡県高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682

 

受験できる範囲内の県立高校としては一応トップ学校入学して3日目から、まぁ右翼ヤクザのような指導を受けるわけです。

高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。

「○せ」みたいな内容の。

希望者が入る部活でもなんでもなく、全員が。

 

親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。

その後の学校から親への態度も、基本的には一方通行だった。

課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。

夏休み冬休みも補習授業がある。

一方で体育祭ともなれば、放課後強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。

 

それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから学校先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。

その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。

公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。

 

こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。

そう、最初に書いたように「自分の個人的な体験に置き換えて語ってしまいました」ということなのだ。

2014-03-17

13. 名無しにしてやんよ 2014年03月17日 15:16 ID:WZRBUz1Y0

米韓首脳会談する為に、3ヵ国で会合する為だけの朴クネ救済だろうよ。

こうでも言わなきゃ会談など出来ないし、南 朝 鮮 が国民火病だろw

3ヵ国会談し、在外 朝 鮮 人 に帰国命令する具体的日程やら日米対応の擦り合わせするんだろ。

米韓口座自動化に日本政府からは、在日朝 鮮 人 の外国資産申請、朝 鮮 人 銀行資金注入で実質国有化通名変更禁止

これらを見ると朴大統領が南 朝 鮮 人 の帰国命令を出す準備ではないかと思うぞ。

朴大統領は今までの反日シナへの接近、日米離反、周到な準備とシナリオがあるだろうよ。

しかも此は大統領就任以前から既にシナリオがあった様に感じる。

俺がそう思う理由の一つが彼女の親父さんは天皇陛下に誓願した高木中尉から

それに彼女歴史云々言っても、けして陛下侮辱する発言をしていない。

イ・ミョンバク陛下侮辱発言に、怒りを持った日本人支配層の行動に思うな。

天皇陛下侮辱すれば日本人戦争すら辞さな民族なのは、みんな感じた事だ。

一般参賀天皇誕生日国士舘愛国校長を見れば要因に察する。

陛下侮辱は即ち『即戦争』が日本人

朝 鮮 人 はもう終わってるんだよ。

安倍君が実際この会談などで血税を渡したならば、俺達も『即戦争』だよ。

それを一番分かってるのは安倍君自身だろ。

この先の3ヵ国会談までみんな様子見ろよ。

2014-01-17

事実小説よりも奇なり

大阪市の中1が行方不明になった件について

親や周りの友人たちは、ただの家出だったとわかっていたと思う

なぜ、こう大事になったか

これは全て学校側が仕組んだこと

私はあの校長のことだから、そうだと考える

こうすることで、中学校メリットが生じるんですよ

本当に汚いやつだ

例の行方不明中学生

いまだ見つからなくて不安です

私はこの中学校の教師・体質に問題があると思っています

もちろん、親が悪くないとは言いません。

報道等を聞いた方は、すこし違和感を感じたかもしれませんが

小学校卒業した子供が、その日中に連絡なしで帰ってこない時点で

やはり、親としては学校警察に連絡を取るべきだったと思います

家出がちだったか・・・

という言葉言い訳しかないし、私は親としての管理責任能力の欠如を指摘したいです。

しかしそうは言っても、

そのような家で育った生徒だから

といって、不登校に対して適切な指導を行っていない学校側にも問題があります

この学校の生徒は、昔は少し世帯収入が平均より下回ったものが多く

いわゆる「荒れた」学生が多くいました。

そこで、今の校長が抜擢されその荒れた学校改革していったのです。

地域ではあの中学改善っぷりに、教師たちに尊敬眼差しを送っていました。

けれども、これは教師の力ではなく地域の住民の質が変わったから、なのです。

簡単にいえば、世帯収入が多い家庭が増えたのです。

マンションや新規の一戸建て等が増えたからです。

事実を正しく捉えられていない、この中学の教師たちは自惚れ

生徒たちを威圧して指導するようになった。暴力だって厭わない、それが物理だって精神だって

教師を増やすために、あらゆる手段だって用いた。

・・・

まとまりのない文章になってきたので、この辺にしておきましょう。

私が言いたいのは、

子供人生が大人によって左右されるべきではない

ということです。

もっと社会全体が教育という点に関心をもって

学校というのが地域の拠点となるような

教師というのが地域リーダーとなるような

そんな社会が実現すればいいな、と思います

2014-01-01

オナ速

1 オナ速の登場

 先日電車JKが「○○ちゃんはオナ中オナクラに入ってた」なんて宣ってたが、これは断じてオナニー中毒少女オナクラで働いてたという意味ではなく同じ中学で同じクラスという意味だ。

 しかしながら、タイトルにある「オナ速」のオナは今度こそオナニーのことであるから自慰マニア各位は安心するように。ただし、それはオナニー速報のことではなくオナニー速射でもなくて、残念オナニー速読でした。

 勘違いされがちだが速読特殊能力でもなんでもなく誰でも速く読めばそれで速読なのだ速読の習慣の多寡によってスピードに著しい差があるため、まるで速読自体超人であるかのように思われているが何ともあほくさい話である。つまり、頭の硬い大人たちが速読という誰でも訓練なしにその場でできる素朴な行為勝手特別ものと考えて挙げ句の果てには不可能と決め付けて凝り固まっているだけの話なのだ。そしてそうした洗脳された可哀想な人を思い込みから救うための治療法をわざわざいかめし速読法と呼称しているだけのことだ。

 だからオナニー速読ではそういうくだらない風潮に小石を投げてもっと単純に楽しめよと訴えかける。つまり、オナ速は世にはびこる速読法の類いのものではなく、あえて言うなら読書の楽しみ方である

 まず声をゴリラにして叫びたいのは、このご時世読書の楽しみ方が画一化され過ぎているということだ。スローリーディングが近年もてはやされているが、それも読書の楽しみ方の一端にすぎない。スローリーディングの最も不自由な点はスローへの不必要なまでの拘りである。速さも遅さも両方大切なのに。

 自由や個性という言葉を強調する人間に限って、単に不自由で没個性自分のやり方を正当化したいだけで、自由や個性とは程遠いシロモノであるのはよくあることだが、だからと言って自由や個性を叫ぶのを止めてしまうと人間社会の硬直化に対する抑止力女性の「硬いのはチンポだけにしてよね」という台詞しかなくなってしまうというジレンマがある。

 こと読書に関しても、自由という名の不自由押し付けであることを恐れずに私は言いたい。今こそ全人類読書解放運動を起こすべきであると。読書にまつわる先入観を捨てて、読書を再定義&新発見していかねばならない。読書ってまだまだこんなもんじゃないぜってところを見せてやらないといけないぞっと。誰に見せるのかは知らないけど。

2 読書オナニーである

 よく言われることだが、文字情報というのはそれ自体画像よりも遙かに情報量が少ない。しかし、文字の意味するもの想像し推し量ることで初めて豊かな情報を含んだ感覚読み手の前に現れる。換言すれば、想像力推理力いかんで全くもって読書体験が違ってくるということだ。

 したがって、みんな「読書」「読書」と共通する言葉で呼び習わしているけれども、その中身は「あなたとわたしでまるで違ってた」ということが当然あるわけである

 だから異次元読書に遭遇してもそれもまた1つの読書であると寛容の心で迎えることにしよう。受容すること、それがあなた読書を豊かなものにする。

 ところで、何故オナ速という名前オナニーが含まれるのかというと、読書にはオナニー的な側面が色濃いからだ。ここでのオナニーとは単なる自己満足の同義語ではなくて、胸を高鳴らせながら「オカズ」と呼ばれる情報を探して、良いオカズを見つけたら食い入るように「味わい」、「集めた」オカズからより興奮度の高い「妄想」を作りあげる、という一連の特徴を有する行為のことだ。

 うーむ、改めて考えると読書ほどオナニー酷似した行為はない。そう思わないだろうか?よく考えてみてほしい。

 ここで、読書のような高尚で知的行為オナニーのような低俗馬鹿行為のわけがないと思う諸君は、エロ漫画エロ小説から類推してもよい。具体的には、エロ動画エロ漫画エロ小説小説→高尚な専門書というオカズの状態遷移図をイメージして欲しい。

 そして実際にエロ動画を楽しむ時のような気持ちと心構えを保持したまま矢印にしたがってオカズを推移させてみるとよい。そうすれば、高尚な専門書もその本質おいてはエロ動画となんら変わる所がないのが認められるであろう。ただし、チンコは出さずに楽しむこと。

 なるほど読書は確かに限りなくオナニーに近いことが分かったけれども、賢明な諸君は既にお気づきだろうが、それでもただ一点、陰茎の有無という点が異なる。もうお分かりだろう、オナニーには陰茎があるのに読書には陰茎がない。

 そしてこの一点のために、読書オナニーの間には深い深い断絶が生じているのだ。読書という本来楽しい行為が文字通去勢されて、無味乾燥ものに堕してしまっている。

 若者活字離れが叫ばれて久しいが、実は近年ではケータイ小説ラノベの隆盛によって活字と接する機会がむしろ増えているのだという。

 それを知り、今こそ読書を復権する一世一代の大チャンスであると考えた私は、まず読書自慰の間の橋渡しに取りかかった。そろそろいい加減に読書自慰の両者は和解しても良かったのだ。誰もやらなかったから私がやった、それだけのこと。

3 これがオナ速だ

 以上を踏まえ、オナニーとしての読書を前面に出した速読がオナ速である

 繰り返すが、これは速読法ではなく読書の楽しみ方である速読法というもの自体が実にナンセンスなことは既に述べた。よって、従来の速読法を去勢されたものとして否定的に見る。全否定まではしないけど。

 ではオナ速の方法を紹介しよう。オナ速に入門したはいいが何から始めて良いかからないという新入生は必見である。ただし、技法論に終始して楽しみが失われては本末転倒から、最低限の技法の紹介にとどめる。

 それではまず、君はエロ漫画速読する習慣を身に付けねばならない。オナ速は楽しさをモットーとするが、開放的な享楽の裏には必ず厳しい統制があるものだ。エロ漫画片手に厳しく行こう。

 先ほどの状態遷移図を今一度見てもらおうか。エロ動画エロ漫画エロ小説小説→高尚な専門書。

 これを見ても分かるようにオカズカースト最上位に位置するのはエロ動画である。最もオカズとしてのパワーが強い。

 次がエロ漫画、その次がエロ小説と続く。困った時はまず身近な相談役エロ小説先輩に聞く。それでも解決しない時はエロ漫画先生に、それでもまだ解決しない時はスクールカースト最上位のエロ動画校長を用いれば良いのだ。

 しかし君たちはまだ駆け出しのヒヨっ子なので、最初からエロ漫画先生の力を積極的に借りたほうがいいだろう。エロ小説先輩は気が優しいけどちと力不足だ。

 さてエロ漫画の読み方だが、分かっているとは思うがチンコは出さない。そしてこれが重要なのだが心のチンコをしごく。

 「ネットペニス」という言葉をご存知だろうか?かいつまむと、どれほど処女力の高い女性であっても2chの男どもの手にかかれば毎日妄想内で犯されまくりで、実質ネットごしに処女喪失したのと一緒じゃね?という話である

 この話で重要なのはネット上でも処女喪失が成立することではない。そんなことはどうだっていいことだ。

 本当に大切なのはバーチャル世界でもペニス存在することの発見、そしてそこから論理的に導かれる、ペニスがあるならオナニーだって出来るじゃないか!という気づきである

 まだピンと来ない人もいるだろうから具体的に言おう。これをエロ漫画に置き換えると、物理的にはチンコを出さないけれども、精神的にはチンコを出してオナニーすればいいと。そういうことなのだ。

 そもそもオナニー物理チンコ不要である。第一に物理チンコは性感帯の一部に過ぎないし、第二にその性感というのも単なる快楽物質の分泌に過ぎない。言うなればチンコ快楽スイッチの1つに過ぎない。

 その快楽スイッチが身体に存在するのは甚だ不便だと思ったことはないだろうか?心にスイッチを備え付けたい。思春期にそう強く切望していたのは私だけでは無いだろう。

 それは可能である。可能なのだがそれに納得して貰うために少し説明しなければならない。

 まず基本事実として、人間は適切なオカズさえあれば深いエクスタシーに達することができる。言い換えれば、物理チンコなどなくても純粋精神的な手段で快楽が得られる。これをエナジーオーガズムと呼ぶ。

 次に、オカズ物理的に調達しなくとも純粋に心の中で妄想するだけで、オカズとしての働きを十二分に果たすことができる。これは妄想を習慣としない人には信じがたいだろうが事実である

 以上何でもない2つの事実を確認したが、この2つからとんでもないことが分かる。純粋精神的なスイッチを作ることが可能なのである。これを精神チンコ定義する。

 そして他でもないこの精神チンコをしごくことこそがオナ速の極意なのである。なんだって!? 要するに、心の中に精神チンコと呼ばれる快楽スイッチを作り、それをこすりながら読書する。これがオナ速の全貌である

4 オナ速の実践

 とは言っても、精神チンコをしごく感覚はなかなかつかみづらい。そこでまず感覚のつかみやすエロ漫画から始めるのである

 その際にページを「読めないギリギリの速さ」でめくってほしい。読めるギリギリじゃなく読めないギリギリ。限りなくセーフに近いアウトで頼む。読めてしまったら従来の読書法に先祖返りする危険性が高いかである

 ギリギリ読めない速さでめくりながら読もうと努力するのだ。読めてきたらまたスピードアップして「読めないギリギリの速さ」にする。この繰り返しで少しずつ速くしていくこと。

 勘違いする人が続出しそうなので言っておくと、これは一見すると速読習得法のようだが全く違う。速さは従来の読書回避するためのものに過ぎない。実際のところ、速さが欲しいなら「読めないギリギリの速さ」にせずに最初からビュンビュン飛ばせばいいのである。それをしないのは速さ自体はどうでもいいからだ。

 さて、読めないギリギリの速さで読もうと努力すると言ったが、その努力のしかたも大切である。絶対にやってはいけないのは、立ち止まること(停止)と目など身体を緊張させること(緊張)、である

 停止と緊張を避けるには、ページをめくる速さを一定にするとよい。淡々と流すようにリズミカルにページをめくる。理想エアロバイクを漕ぎながらのタブレットによるオナ速である。これなら絶対に停止と緊張が起きない。

 さてページをめくるリズミカルな動作は何かに似ている。そう、シコシコに似ている。あとは言わなくても分かるな?そう、めくる動作に合わせて精神チンコをしごくのである

 合わせると言ってもタイミング重要だ。ページをめくった次の瞬間、ちょうど紙面を視認した瞬間が黄金のタイミングだ。このタイミングスイッチオン。ここから少しでもズレるとガクンと成功率が落ちるので注意しよう。タイミングをつかむには身体でリズムをとりながらやるのが良いだろう。コツをつかむのに1ヶ月は最低かかると思う。

 成功すれば一瞬視界が明るく光って快感が生まれるからすぐそれと分かるはずだ。安定して成功するようになったら、今度は吹き出しのセリフも正確に読み取ろう。

 それも出来るようになったらエロ小説に取りかかり、それも出来たらやっと高尚な専門書に進むことができる。長い道のりだが決して無駄ではない。全てはエロ漫画のように生き生きと読書をするためだ。

 エロ小説や高尚な専門書の読み方もエロ漫画基本的に同じだけど、しごくタイミングには少し注意が必要である。文章だけの本の場合おすすめタイミングは数行をまとめて目に入れてその次の瞬間である。一行ずつしごくやり方も試行錯誤したがどうもうまくいかない。数行ごとが良いと思う。

 数行ずつのまとめ読みをマスターしたら5行、1/2ページ、1ページと増やすことになるが、無理に急ぐことはない。無理をしてオナニー性が薄れたと感じたら数行ずつのまとめ読みにただちに戻るべきだ。

 ともかく、以上の方法実践すれば新鮮な読書体験が得られるであろう。その感覚、喩えるならエロ漫画のような読書。何がエロ漫画だと思うかもしれないが、とにかくエロ漫画なのである

5 将来の展望

 これまでオナ速という一見不思議で実は本質を突いた読書法を紹介してきたわけだが、ここで衝撃の発表がある。それは、私たち人類は知らず知らずのうちにオナ速をしているのだ。なんだって!?

 例えば、美味しそうなシュークリームを見た時にパッケージをどんな気持ちで読むか考えてもみてくれ。思いっ切り精神チンコをしごいてないだろうか?それは否定しようがないれっきとした事実だ。

 気になる異性からメール面白そうなゲームの特設サイト、すごく注目してる新製品情報、それらをどんな態度で読んでいるか?それはもう目を血走らせて食い入るように見ているのではないか

 そのような読書態度はエロ動画に対する態度と全く同じであることに気付いてほしい。みんなしごいて見てるだろう。

 そのようなありのまま人間理解に基づいて情報社会というものを捉え直さないとダメ。これまでの無味乾燥情報科学では限界があることは明白であり、古めかしい情報観は終焉を迎えようとしている。もう夢見る少女じゃいられない段階に来てるんだよ。

 オナ速というのはそのほんの始まりに過ぎず、決してゴールではない。

2013-11-25

修羅の国中学校で起きた発砲事件

発砲事件が発生してから警察相談するまでの謎の空白の2日間(笑)想像すると笑える

組長とか校長とか警察とか地元マスコミ脅迫やら賄賂やらで仁義なき揉み消しを必死で考えたんだろうなぁ

なんだか映画アウトレイジの策略シーンみたいな感じで映像化したらすごくおもしろくなりそう

2013-11-14

今年の大阪府職員採用試験はやっぱり女性優遇だった件

先の沖縄での女性蔑視発言を経て女性票が著しく減った大阪維新の会は、その汚名を返上すべく今年の大阪府職員採用試験では、女性を優先的に採用した。

これぞ職権乱用かつ私的に女性しか採用しないといった方法で以って公務員試験女性優遇せしめた事は言語道断である

何故ならば雇用均等法および男女共同参画社会基本法に則れば、男女比は同じにすることが義務付けられるべきであり、男性ばかりを優先的に採ってきた反省から

女性平等採用されるべきであった。

しかしながら、実際に女性面接試験すなわち筆記試験合格二次試験となった時、ほぼ全員の女性が即通過となり、逆に男性割合はとんと減少している。

これはどういうことか?

橋下徹市長および松井一郎知事の案なのか?

先日、朝日新聞で、こんな記事が載っていた。

公募校長橋下徹氏の鶴の一声。氏の友人という事で面接なし即採用という校長がいたという内容だった。

要するに橋下徹氏のコネ公募校長が決定したのだ。

ちなみにこの校長民間校長職に赴任してから半年不祥事を起こし、これまた橋下氏の鶴の一声で不問になっている。

やはりというか、大阪教育委の人事権を氏が持った事でこのような愚行がなされる、というのであれば本当に大阪教育現場を正そうとする姿勢とは裏腹にやりたい放題である

これまた先日も、維新の会市議の美延映夫氏が政治資金パーティーで起こした学校教育現場での不祥事を、橋下徹氏が庇ったのであったが、果たしてこれが橋下徹氏のやりたかったことなのだろうか?身内に甘い体質作りが氏のやりたかったことだとしたら、正直言って失望したと言わざるを得ない。

また、私にはこの異常さに気付かない人達が一番分からない。

氏は今日ツイッターでつぶやいているが、何故かフォロワー達は擁護や同情はあれど批判的なリツイート殆ど見当たらないのである

これはどこかの不敬罪議員の周囲と似ているような気がしてならない。

やはり、こういった行為が当然のようにあって、また箝口令が敷かれているのだろうか。

批判は悪だ、これではナチス揶揄されても仕方がないではないか

現在大阪府ほど民主主義が似つかわしくない所はない。

件の不祥事で減った維新票を取り戻すために、大阪府職員採用試験まで私物化する愚行、誰かが止めなければならないのではないか

何故止めないのか、ここには良識ある人達がたくさんいるはずなのに、分からない。

2013-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20131101212144

いや、あれ、テロ行為みたいなもんだからな?手紙爆弾入ってたらどうすんの?

天皇が偉い偉くないの問題じゃなくて、天皇定義されてその職でやってるから、あの場でそんな不審な行為をしたら周りが一斉に動かなくちゃいけないわけ。

例えば陛下が自ら赴いてる被災地被災者が回ってきた陛下手紙を渡すことはそれ程問題ない。ただ、それすら周りが先にチェックしてから、になるかもしれないが。

紙だけであれあまあ、それ程問題ないかも。封筒なら多分チェックする。

ただ、山本議員場合園遊会という場だ。呼ばれる方も選ばれてきてるわけ。

まあ、儀式みたいなもんだけど、あれやってるのも結局税金なわけね?

そんな中で勝手行為されたら困るわけ。まあ、園遊会のもの無駄だ、っていう意見もあるだろうし、そういった天皇制どうこう含めた話はまた別問題だけど、

国の税金使った会が催されてて、そこで、「国会議員」として参加した人間が好き勝手なことをするなんてことは許されないわけ。

当たり前でしょ?学校入学式で、校長先生が話してる途中で急にそれを遮って校長に直訴したりしたら迷惑でしょ?

それが、誰から見ても、皆のためになって公共の利益になるようなものならまだ許されるかもしれない。

だが、そうじゃなく、個人の思想によるものであれば邪魔しか無いし排除すべき存在しか無い。

それと同じことをしたわけ。



からいかな?

2013-10-20

10月悪夢

毎年10月を迎えると、必ず蘇る記憶がある。

その経験がその後の自分の長い人生おいてとても重要ものとなったのは

言うまでもなく、また、今でもその時行った自分の一連の行為に対して

正解を見いだせないでいる。

大人になるということは、何かを諦めることだと誰かが言った。

成長するにつれて、複雑な人間関係が構築されて行く。

溜まっていく知識と経験が、様々なしがらみの対処法を見出して行き、

やがて"大人らしい"行動をできるようになるのだろう。

しかし、当時の自分はまだ18歳の高校生だった。

大人とも子どもとも言い切れない、多感な時期だ。

誰にでもそんな時期があっただろう。

18歳の自分と、成長した自分とでは、思考だけでなく、

それからくる行動も異なることだろう。

何かしらの縁があってこの文章を読まれた方は、純粋に沸き起こった気持ち

(18歳の頃の自分の気持ち)と、一度俯瞰してみてから取る行動(大人の行動)

の2つを感想として頂けると嬉しい。

後者を述べる際は、ぜひ今の自分の年齢も一緒に添えて頂けると嬉しい。

それでは、私に付き纏う10月記憶について語りたいと思う。

残暑厳しい10月のことである

私は卒業半年後に控えた高校3年生であった。

私の通っていた私立高校は当時その地域でも校則が厳しい学校で有名であり、

女性であればスカートの丈や化粧の禁止などはもちろんのこと、

男性であれば髪の毛が耳にかかっては行けない、鞄と靴は学校指定の物で

ないとならないなど、かなり理不尽な物が多くあった。

当時はロックバンドパンクバンド流行し、長い髪の毛が世間でももてはやされていた。

私も多分に漏れバンドグループに夢中になり、長い髪に憧れたものだった。

しかし、私は男性であったか校則によってそれは許されず、そのルールと戦い

ギリギリの長さに挑んでは教師から散髪を要求されるのであった。

そうは言っても、世間から見ればただの黒髪短髪であることに違いはないのであるが。

自分で言うのもおこがましいことではあるが、私は当時そこそこ人気のある方であったと思う。

同学年だけでなく、校内であれば大抵の女子が私のことを知っていたと思う。

バレンタインデーの日などには、2桁のチョコレートをもらうくらいの程度だと思って

頂ければと思う。

話しを戻そう。

そんな厳しい学校で、卒業半年後に控えた高校3年生である

私の通う学校進学校であったので、校則の厳しさと、受験ストレスとで、

ただならぬ緊張感が教室を支配していた。

そんな張りつめた空気に一瞬の和らぎを与えるのが、10月に開催される学園祭である

受験があるので1、2年生の頃ほどの準備はできないが、それでもお祭りである

皆の心が少なくともその前2週間ほどは心躍るのである

そして、その心躍る気持ちの中、同じクラス軽音楽部に所属するSとKから

学園祭の出し物にバンドとして出たいので、バンドボーカルとして参加して

欲しいとの依頼があった。

Sはお調子者でひょうきんなタイプクラスでも目立つ方であった。

Kは落ち着いた性格で、白い肌にメガネをかけ、今で言う草食系男子だ。

余談ではあるがKは地毛が茶色みを帯びており、当時羨ましく思ったものだ。

私はロックバンドパンクバンドが好きという話は前に述べたが、そういう経緯も

あってSやKと音楽の話して盛り上がる機会が何度かあり、また以前に一度だけ一緒に

カラオケに行ったことがあったので、彼らは私のそこそこの歌唱力も知っていた。

そして、これは表には出さなかったが、私が校内の女子から人気があったことも

その理由の一つであったのだろう。

バンド学園祭でのライブ1回のみの臨時的もので、ライブ終了と共に解散、

オリジナル曲ではなく一般的な曲であるのでカラオケと変わらないか大丈夫

という彼らの後押しもあり、私は快く引き受けた。

バンドメンバーはSがギターでKがベース、そして他のクラス軽音楽部に

所属するIがドラムという構成であった。

彼らはいつもそれぞれの楽器を弾いているということもあり、練習もこなれた

ものだったのだろう。

私はボーカルで、音楽聴くのが専門。

彼らも特別な物は期待していなかったこともあり、私が練習に呼ばれたのは

オファー当日の1度しかなかった。

学園祭当日が迫る中で、彼らの中で1つ問題があった。

それはどの曲を演奏するかということであった。

出し物の持ち時間の都合上、せいぜい3曲が限界

私がいるので誰もが知る有名曲をやる必要がある。

しかし、彼らにもプライドがあったのだろう。

そして、ついに学園祭2日前となった。

さすがに私も焦りを感じ、どの曲をやるのか決めてくれとSとKに言い寄った。

翌日(学園祭前日)の朝、SとKから紙を渡された。

そこには、人気バンドグループの曲からパンクバンドメタルバンド

当時流行っていたアイドルグループの曲(彼ら曰くバンド風にアレンジするとのこと)

まで10曲程度の曲が書かれていた。

もちろん、私が全て知っている曲だ。

SとKの言い分としては、この中から3曲を今日の練習で決めるので、私にはこの

10曲全て覚えて来てくれとのことであった。

また、明日学園祭当日)の朝早く来て練習をするのと、午前中にリハーサル

あるのでよろしくとのことであった。

私は、曲が決まったらすぐに私に教えるように言い伝えた。

当時は携帯電話など今ほど普及しておらず、私が持っているのはポケベルであった。

しかし、SとKは持っておらず、私の自宅への電話を待つのみであった。

私はその日、母親にSとKから連絡があったらポケベルに連絡するように伝え、

1人カラオケに行って練習をすることにした。

しかし、SとKからの連絡は一向になかった。

カラオケでの練習を終え、帰宅すると23時を回っており、SとKの自宅への夜分の

連絡は避けることにした。

そして、学園祭当日。

私にとっての悪夢の日となる。

当日の朝SとKの口から告げられた言葉は、私が想定していたそれとは全く違う物であった。

「やっぱりオリジナルの曲をやることにした。だからボーカルは降りてくれ」

私は自分の耳を疑った。

私は練習に2週間前の1度しか出ていないので彼らの本当の気持ちは分からないが、

彼らだけでの練習を重ねる中で、彼らなりにも色々と葛藤があったのであろう。

そして、終始無言で横にいたIの存在も大きかったのかもしれない。

Iとはほとんど話す機会が無かったが、卒業後も本格的に音楽をやって行きたい

という思考を持っていたと後で聞いた。

とにかく、私は学園祭当日にバンドから追放されてしまったのだ。

もちろん、私は彼らに詰め寄った。

ふざけるな、そんなことあってたまるか。

からでもいいか10曲の中から3曲選んで練習をするぞ。

しかし、彼らの頑なな意思が翻ることは決してなかった。

その時の気が動転した私の行動が、私の人生を揺るがすきっかけとなった。

怒り狂った私の心の矛先は、SのギターとKのベースに向いた。

私は、ギターベース破壊したのだ。

気が気でなかったので詳しくは覚えていないが、SとKも慌てふためいて

いただろう。

その1時間後、私は彼ら3人と校長室にいた。

そこで私は停学処分を言い渡されたのだ。

SのギターとKのベース軽音楽部の備品であった。

そこでも取っ組み合いになりそうになったのを、担任の教師に止められ

私は3人と隔離された。

その後3人と校長がどんな話をしたのかは私には分からない。

少し経って、担任からSとKとIのバンドは予定通りライブを行うと聞かされた。

ギターベースは、軽音楽部の同じ型のものを使うとのことであった。

教室に戻ると、学園祭前のいつもとは違った緊張感が教室にあった。

担任によって気持ちは落ち着かされたとは言え、今朝起きた一連の事実に対して、

それを受け止めるだけの器が私にはなかった。

机に座り自然と涙が溢れた。

周りには楽しそうなクラスの仲間の騒ぎ声が聞こえる。

SとKは、その中でも一際声を上げて笑っている。

私は、そっと目を閉じ、両手の拳を強く握りしめた。

その後私の取った行動はあえて伏せるが、その行動が私のその後の長い人生

決定づけるものとなってしまったのは言うまでもない。

そして、今でもその時の対処について正解を見いだせないでいる。

皆さんであればどのような対応をするだろうか。

ここまでが今でも10月になると毎年蘇る私の記憶である

2013-10-07

今日の19時辺りのNHKニュースおかしかった

ヘイトスピーチ裁判違法指摘

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131007/k10015084821000.html


このニュースなんだけど、テレビでの19時前のニュースでは

朝鮮初級学校の元校長公園無許可で占用したとして罰金10万円が確定している、

ということが発言されていたのに対し、

その後のNHKnews7の放送では全く触れられていなかった。

在特会だけに1200万余りの賠償と学校周辺での街宣活動の禁止などを命じられたように放送していた。

これはなんかおかしいなと思った。

あと不自然に思ったのは、この二つのニュース両方に「ヘイトスピーチ」という言葉

ヘイトスピーチ」とNHKが言いたいだけではないのかと思うほど、何度も出てきた。

アナウンサーの横の画面にも「ヘイトスピーチ」ってでかでかと書かれていたし。

上のURL動画にも出て来る。

ちょっと調べてみると判決では「ヘイトスピーチ」という言葉には触れていなかったということが分かった。

裁判官意図的に「ヘイトスピーチ」という言葉を避けたのは明らかだ。

原告側は一連の発言を「ヘイトスピーチ」と主張していたといしても、

そこまでニュースで「ヘイトスピーチ」と言いたいか不思議に思った。

“橋詰裁判長は、街宣や、一連の行動を動画撮影インターネットで公開した行為について

「(日本批准する)人種差別撤廃条約で禁止した人種差別に当たり、違法だ」と指摘。”

この文章からヘイトスピーチ」そのものもあるが、動画ネット上で公開したことも大きく関連していると僕は思う

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0701D_X01C13A0CC0000/

僕がニュースで知りたかったのは「ヘイトスピーチ」云々ではなく、

なぜ在特会がこのようなことを行った(行う)のか、

どういう理由から多額の賠償は決まったのか、

校長の公演の無許可占用はどれくらいの期間どのように行われていたのか、

校長無許可占用と在特会の行動にはどのような関係があったのか、

ということなのに。

NHKが「ヘイトスピーチは悪いので厳しく取り締まろう」とただニュースプロパガンダに利用しているように感じた。。

2013-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20130917132818

はあ。橋下が優秀、か。東京の人?

大阪ではどう贔屓目に見ても「政治家として無能」という評価が固まりつつあるんだけど。

つか、やつが今まで何かやったって具体的に言えますか?

府知事時代

財政の黒字化→粉飾、許可団体に転落

府庁移転耐震性の問題で頓挫

私立高校無償化現場大混乱、平成27年以降財源なし

公務員改革→目先のコストカット現場ボロボロ

水道事業統合→頓挫

大阪都構想詰んだ

で、今は大阪市で同じことやってる。

地下鉄民営化→頓挫寸前

公募区長校長→クソミソ

中学校給食→利用低迷

住民サービス→切りまくり

公務→ほとんどせず

職員アンケ、文楽体罰慰安婦、騒いだだけで何の結果も残してない。

やったことと言えば

地下鉄の売店をコンビニにした

大阪城モトクロス大会

どや!

子を持つ親で橋下徹を支持してるやつって何なの?

アホなの?死ぬの?

意見交換のため府庁に来た女子高校生を相手に思いっき論破女子高校生を泣かす。

大阪財政を良くするというのは私たちが苦しむことなんですか? ちゃんと税金取ってるんだったら教育医療、福祉に使うべきです」

下市長「じゃあ、あなた政治家になってそういう活動をやってください」(2008年10月23日

関西企業経営者講演会

「こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」(2009年10月29日

カジノの合法化をめざす国会議員らを招いた会合で

日本ギャンブルを遠ざけておぼっちゃまお嬢ちゃまの国になっている。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、勝負師にならないと世界には勝てない」(2010年10月28日

慰安婦発言について聞かれたぶら下がり取材

普天間司令官に「もっと風俗業を活用して欲しい」って言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍では禁止だ」と。そんな建前みたいなこというからおかしくなる」(2013年5月13日

ツイッター

「なぜストリップ助成金ダメなのか。自称インテリや役所は文楽クラシックだけを最上のものとする。これは価値観の違いだけ。ストリップ芸術ですよ」(2012年8月12日

●市立桜宮高校男子生徒が体罰を受け自殺した問題を協議する教育委員会臨時会議で

クラブで勝つより大事なことがある。桜宮高校入試継続すれば大阪の恥だ」(13年1月21日

保護者に「もうあんまり、やってないの?」「僕と会えなかったら寂しい?」10少女に「もうやったん?」などと言った公募校長に対し

社会人としてあるまじきことだが、ワンチャンスを与えてもいい失敗だ」(2013年9月12日

2013-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20130909165016

学校が、学校の都合で子供の作品を出品しないとかって普通、ありえないよね?

普通に有り得るだろ。

学校だって時間に限りがある中で、たくさんやらなきゃならないことがあるんだから。なにを優先順位にするか校長の方針によるだろ。自由工作は親の負担が大きいか夏休みの宿題にしないで、そのかわりプリント大目に出したりとか、普通にある。

体罰とか・・・そこまで言って委員会

学校おいナイフ同級生を脅した生徒を校長体罰を行った。

委員会メンバーコメントがっかりしたのでここに書こう

なぜ叱るのか

それは反省をさせるためだ

悪いことをした、自分が愚かだった、もう二度とやらない・・・

そう心に誓わせるためだ

叱りに対する子供の受け取り方にかなり差があることをなぜ問題にしないのか

ちょっと注意しただけで泣く子もいれば、へらへら笑うような子供もいる

同じ深さの反省をさせるために 子供に応じた叱り方が必要なんだ

叱られる耐性の強い子供にどう反省をさせるか・・・

そこで必要なのが体罰

だけどそれを行うのは非常に難しいと思う 

の子供を見極める力が必要から

日ごろから子供を見守ってきた人にしかできない

親か担任先生だけだろう

誰かちんと言えよ

2013-08-22

高校野球商業主義

私の苦手な夏のイベントが終わった。


野球は大好きである

ことプロ野球おいては、2月になればキャンプの様子が気になり

3月になれば新戦力がどれほどの力になるのか友人と討論し

いくつかの試合チケットを手配し早く開幕しろと心待ちにする。


ひいきのチームが早々にペナントいから遠のいても

来期のチーム作りが気になり毎日テレビ観戦はまず欠かすことがない。


さて2013年全国高校野球選手権大会は、なにかと花巻東高校を巡って話題のあった大会である

準々決勝のサイン伝達疑惑準決勝カット打法へのバンド適応がその話の中心である


先にも書いたが私は大の野球好きでありながら、高校野球が苦手である


そもそも高校野球は他の高校スポーツとは大きく異なる点がある。

それは言わずもがな莫大なお金が動いているということである


もちろん高校サッカー高校ラグビーだってお金は動いている。その他の競技においても多かれ少なかれそうだ。

しかしその人気からくる経済効果主催者やその周辺で動く金額は桁が何桁か違うことだろう。


そのために高野連新聞社は、ことのほか高校野球の商品としてのイメージにこだわる。

当たり前である。商品が傷つき価値が下がってしまっては商売にケチが付くことになる。

タレント事務所純正女優ワイドショー写真週刊誌から必死に守るのと同じことである


高校野球日本におけるアマチュアスポーツ最高峰であり

そこでプレーする球児は純情な汗を流し必死で白球を追いかけるというイメージで売っている。


学校だって高校野球を自らの商売のために利用しているに過ぎない。

もちろん純然たる教育の一環として高校野球に取り組んでいる学校監督も多くあるだろう。

しか全国大会に進出して優勝を狙おうってエリート校はそうはいかない。


なによりも勝つことが至上命題である

学校の将来がかかっている

校長の沽券がかかっている。

監督来季がかかっている。

選手未来がかかっている。

地元の重圧がかかっている。

OBプライド・・・


書き出したら切りがない。

高校野球は欲望の塊なのである


どんなことをしてでも勝ちたい!

多少後ろめたくても次の試合に!

当たり前のことであるスポーツであるのだから勝利を目指すのことは。

その上に、いろいろなしがらみが絡み合い

その勝利へのこだわりは並々ならないものになっている。


しか視聴者はそうはいかない。

マスコミに植え付けられたイメージである純血潔白の球児が見たいのである

勝利への執着をなんの見返りも求めない爽やかな汗と勝手解釈する。


そうなると「サイン盗みはずるい!」「そもそも疑惑さえもルール違反だ!」とまくし立てる。

一方、「スポーツなんだから勝利にこだわって当然!」「ばれなきゃいいんだ!プロだってやってる!」と擁護派も声高になる。


準決勝カット打法を咎められると、「千葉君が不憫だ。可哀相。。。」「なぜ今さら。。。」と。


高野連がいきなりカット打法いちゃもんをつけたのはなぜだろうか?

花巻東に勝ってもらっては困るんじゃないだろうか。


まりにも強い勝利のへのこだわりを露呈させてしまった彼らが優勝でもしようものなら

また勝利至上主義への批判が集まり高野連は矢面に立たされる。

一つ間違えば気づき上げてきた高校野球ブランド崩壊にも繋がりかねない。


高野連にとって花巻東は決勝には進出せずに敗退していただくのが都合がいいわけだ。


花巻東高野連商業主義としての高校野球おいて両者はなんら間違っていないのである


さて長々とまとまりもなく書いてきたが

結局、私が高校野球が苦手なのはこのあたりにある。


やってる側とみる側の意識がこんなにもかけ離れていてはスポーツ純粋に楽しむことができないかである

エンターテイメントスポーツとしての高校野球を楽しむことができないのである


もし高野連新聞社商業主義アマチュアスポーツが感動を生まないと考えているなら大きな勘違いである

オリンピックが最たる例である

あれだけのお金政治的思惑が絡んでいても十分にエンターテイメントスポーツとして大成功しているではないか


そろそろ高校野球お金上等!と前面に押し出してみてはどうだろうか?

2013-08-21

父親との関係

最悪でもないし、どん底というわけでもないけど、どこかに吐きたかったこと。

誰かの暇つぶしになったらいいな。

一番覚えてること。小学2年生ぐらいの時に暴力を振られたこと。

ある日の夜ご飯、ある野菜がどうしても食べれなくて、私は食卓で「これキラーイ」と言った。

食べ終わった後、私はクッションの上でゴロゴロしてた。

そしたら父が、寝転がっている私の上に覆いかぶさった。私は遊んでくれているのだと思い、うきゃきゃと喜んだ。父も、笑ってた。

でも逃れようとしても、そこから出ることができなかった。じゃれてるとは言えないほどの力だった。

「あれ、おかしいな?」と思った。なんで離してくれないんだろう?

振り向くと父は無表情で、無言で、私を縛り付けていた。

「なんだかこれはやばいやつだ」と幼い脳が察知して、本気でもがいた。そしたらスルッと抜けた。

そしたら母が「パパにごめんなさいと言いなさい!!」と、凄まじい形相で言った。

父が何に対して怒っているのか検討もつかなかった。でも「ごめんなさい」と何度も言った。喚いた。

父が私に迫ってきたので、怖くてとりあえず逃げた。そしたら父は「ゴルァァァアアア」と怒鳴りながら椅子を頭の上にまで持ち上げて私を追った。

必死で逃げたけど、部屋が広いわけじゃなかったから簡単に追い詰められた。

行き止まりの場で崩れ落ちる私。そこから見上げた、少し逆光の当たった父の殺気立った表情。振りかざす腕。

当時の私は、本当に殺されると思った。死ぬだって思った。

父が私に椅子を投げつけようとした瞬間、母が父を押さえつけた。

「◯◯ちゃん、部屋に戻って!!」母の声で我に返った。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」と必死に謝る母を背に、今までにない速さで階段を駆け上がった。

部屋のドアをすぐさま閉めて毛布の中に包まって隠れた(つもりだった)。でも見つかったら今度こそ殺されると思った。

心臓バクバクで、息も絶え絶えで。たまに毛布の間から目を出して外の様子を伺って。でもしばらく経っても父が上がってくる気配はなかった。

その後の記憶はない。

今、大人になってこの記憶を振り返ると、あの人は言葉で叱ればよかったのにと思う。

できれば叱らず、「なんで好き嫌いをすることが良くないなのか」を教えるぐらいでよかったのに。

なぜ、ここまで大げさなことをしたのだろう?

あの人はほとんど喋らない。なのに突然怒り出す。どうでもいいことでブチ切れる。

「父が怒った時はテーブルから離れなさい」と母から教えてもらったことがある。

そしたらテーブルをひっくり返されても、割れガラスで怪我をしなくて済む、と。

でも覚えてる。私の好きなご飯が床に落とされたことを。私が使っていたコップが割れたことを。

それを傍観したらご飯は中断され、2階に上がりベッドで眠る

母は定期的に怒られていた。ベッドで寝たふりをしても怒鳴り声が聞こえた。家が揺れた。

壁にはいしか穴が開いていた。父が怒った時に殴って開けた穴。風呂のドアも割れガムテープが貼られていた。

日々目にするものだったので精神的に参った。難しいことは考えられない年齢だったけど、それでもイヤな気持ちはずっとあった。

これが小学2年生までの記憶

この程度でも大分つらい思い出なのに、ガチ暴力振られてる人なんて私よりも恐怖を感じてるわけで、そう思うと可哀想でならない。

こんなん言ったらキリがないけど、なんで人に危害を加えるような子供じみた大人が蔓延っているんだろう、と。

もし私が相当悪いことをして、だから体罰を受けるんだったらまだ納得できるんだけど。

好き嫌い、そんなにダメだった?

小さい頃は疑問に思わなかったけど、今思うとオカシイと思うこと。

父がこぼした食べ物や落とした物は母が拾ってくれるまで待つ。父はありがとうも言わない。

確かに仕事って大変だろうし、稼いでもらってる身だけど。父って王様なの?母って奴隷なの?結婚ってそういうものなの?

母は離婚も別居もするつもりがなかった。何度か理由を問い詰めたことはあるけど、「しょうがないよ」の一点張りだった。

父が帰ってくるのを恐れる日々、母や私が怒鳴られる日々、家が荒らされる日々。

そういうのが私の日常だった。どん底じゃないけど、平凡な家庭とは程遠かった。

父に留学を強いられた時、私は留学したくないと主張した。日本にいなきゃいけない理由があったからなんだけど、長くなるからそれはまた別の話。

父は理由も聞かず、私の腕を掴んで私を家から放り出した。17歳の時かなあ。

しばらく玄関で待ったけど、尿意を催したのでパジャマ姿で枕を持ったまま夜を彷徨った。人、結構たから恥ずかしかった。

帰ってきたら「どこ行ってたんだ」と怒られた。いや、追い出したのあなたでしょ。トイレ行かせてよ。

受ける大学の選択の期限が迫った時、もう一度勇気を出して話し合った。

そしたら今度はテーブルとソファと棚がひっくり返った。皿を床に投げつけまくったから、床はガラスの破片だらけだった。ドラマみたいな光景だった。

今思えば、沢山写メってツイッターうpすれば良かったなんて思う。その時ツイッターが繁盛してればよかったのに。

まあ、そうしたところで離婚が成立するとか父が逮捕されるわけでもないんだけど。

DV相談的な無料電話相談しても何も解決しないしね。あれ、なんのためにあるんだろうね。

でも1枚だけ隠し撮りした。当時の携帯カメラの画質がそんなによくなかったから何のこっちゃ分からない写真だけど。

そんで話は戻って、留学するぐらいなら私は死にたかたから、論争があって以来、私は勉強するのをやめた。

授業もサボった。校長先生に父のことを相談した上で、公認で。どうせ学校でもいじめられててぼっちだったので、私がいなくなったとこで誰も困らなかった。

なんだかんだあって、第一志望の日本のまともな大学に受かって私は喜んだ。けど父が喜ぶはずもなく。紙、破られた。トイレで。

そんで外国大学にも受かってしまった。父は喜んだ。私は泣いた。

これほど嬉しくない大学合格ってあるのかなあ、って思った。留学することになったら自殺するって心に決めてたから。

まあ留学する前に命の恩人と出会っちゃったもんだから、今もなんだかんだ生きてるんだけど。それはまた別の話で。

でもその命の恩人と知り合いというわけでもないし、もう未練がないので、高3の時からいつ死んでもOK!という状態。

から事件や事故病気がこっちに来ることを祈っています病気になっても後遺症ができても日本にいられるなら幸せなので。

そのくらい私にとって海外地獄だったので。これもまた別の話ね。

日本に帰ってきても父とは会話しない。したら大抵テーブルひっくり返るから。ご飯もお皿ももったいないしね。

また大学卒業する頃になったら、また家が荒れるんだと思う。大学院の進路か、就職先か、どちらにせよ。それが今の不安

2013-08-20

校長先生の忘れられない言葉

校長先生の話って大体いつもつまらなくて、たいして印象にも残らない面倒くさいものだったけれど、小学校とき校長先生がいつも言っていた言葉は、今でも自分の心に生き続けている。

毎日1つ、1つでいいから必ず何かをやりなさい。本を一ページ読むでもいい、日記を一行書くでもいい。何でもいいから、とにかく毎日必ず1つ何かをやりなさい。」

熱を込めて毎回毎回同じ事を言う校長先生だった。

メガネをかけて堅物そうな校長先生が毎度力を入れて同じ事を言ったので、小学生自分にも強い印象として残ったのだろう。

当時は「またこの人同じこと言ってるなー」くらいにしか思っていなかったけれど、大人になった今となっては先生の言っていたことの大切さがよくわかる。

今もお元気にしてるのかなぁ。

こんなところを見ているはずはないけど、あのとき口を酸っぱくして言ってくださった先生言葉への感謝をさせてください。

2013-07-04

自分の考えとか、思考とか、信念とかを育てる話。

http://bayaread.hatenablog.com/entry/2013/07/04/004426

自分の話なので徒然として結論もない。

自分は育った家庭が日本ではかなり右寄り(アメリカなら普通くらい)で、外の世界に触れる前から中国人韓国人は劣っていて悪いひとしかいないと教えられてきた。あと部落とか。とってる新聞はもちろん産経新聞。女は家庭に入るべきだし教育不要、みたいな。母親共産病院で働いたことがあって、その反動だったっぽい。

ほいで入った小学校極左校長が壇の下から壇上の卒業生卒業証書を渡すみたいな意味のわかんないことをする(なんか偉い人ほどへりくだらないといけないそうだ)ほど極左学校。もちろん同和教育とかもするし、原爆とか沖縄基地とかの授業もいっぱいあった。国歌は習わなかったし、国旗掲揚とかもない。

小学校1年生にして価値観がぐらぐらとする。あれはたぶん実際体験してみないとわからないと思うけども、無自覚で受け入れていた思想が悪で、悪いと思っていたことが正義だと言われ、しかもみんなが無邪気にそれを信じているという状況に直面し、六歳の自分ものすごく混乱した。ただ子供なのですぐに順応した。子供的には楽な環境だったし、拒否する理由も、それを考える頭も当時はなかった。

その後、家庭の事情で転校し、今度は保守王国にきた。これまたすごい。イベントのたびに国旗掲揚国歌歌うはともかく、集団行動を叩きこまれてそれを乱すとものすごい体罰。なんだここは地獄かと思った。それまですごいリベラル(といえばいいがまぁ野放図だった)だっただけに嫌悪感半端ない軍国主義じゃね、これ、みたいな。そん時が八歳。八歳なので軍国主義という語彙はなかったが、侵略戦争という言葉は知っていたのでこれはいけないことだ、と思った。ただ逆らうと体罰があるので大人しく従うほかない。

で、子供だったので順応するかとおもいきや、全然しなかった。学校大嫌いだったし、団体行動とかクソだと思ってたし、女子幸せ結婚して子どもうんで家庭に入って、だから勉強だってそんなに頑張らなくていいのよ、役職はいつも副で男を立てましょうみたいな思想はクソ食らえだと思ってた。年齢相応の知性はあったのでそれをおおっぴらにはしなかったけど、ひっそりと拒否してるつもりで高校まで出た。

んで、大学入ってまたびっくりした。大学っていろんな地方から人が来るので、生まれた時からそれまで一貫して同じ思想を注ぎ込まれている人というのは多くいる。それ自体は別にどうでもよくて、そういう人と話した時に六歳や八歳の時に感じた、なんかよくわからない怒りというか嫌悪感というのがほのかに蘇ってきて、すごくたじろいだ。たじろいだというしかない感じ。

折り合いをつける過程で、子供自分にできたのはどっちの思想も否定するということだった。受け入れない。受け入れないで適当にまわりにあわせてやり過ごす、というのが一番いいと思っていたし、誰かが強弁するならそれに合わせとけって思ってた。けど、ちょうど小泉さん政権とってる時代で、靖国問題とかが出てきた時期だったんだが、それで当時の彼氏と言い合いになったんだよね。彼氏関西の人でいわゆる「自虐史観」が正当だとおもってて、そもそも靖国神社には犯罪者が葬られているから参拝すべきでないという立場(らしい)。んで自分はまぁ、戦没慰霊はゴタゴタ言わなくていいんじゃないの、夜はどうせ墓場同窓会でしょみたいな主張。

激しく言い合ったわけではないんだが、二、三言葉を交わした時に、どうしても彼氏言葉が受け入れられないと思ってしまった。これに自分でびっくりした。びっくりしすぎてその後反論するのはやめてしまったくらいショックだった。日本で見ればやや保守、一部リベラルから中道だろうと思ってたけど、がっつり保守派じゃん、無意識にそうなってたわ、と気づいたときはショックだった。しかもあんなに嫌いだったのに。

その後も地味ーに韓国嫌いだったり(口には出さないけども)(そして中国不思議なことにそうでもない)、地味ーにおしゃれしているお母さんに冷たい視線を向けてしまったり、地味ーに結婚したり子どもうんだ友だちに嫉妬したり、そのたびに自分保守的なことに気付かされる。逆に男性に対してはどうせ女だし軽く見てるんだろっていう気持ちが拭えなくて、気をつけないとつっけんどんな感じの対応をしてしまう。ほんでそのたびにショックを受ける。

結局一番最初に入ってきた時の思想から抜け出せないんだなぁってことを今も時々思う。意外なことに無意識に無条件で受け入れてることってたくさんあって、意識的に気をつけていても、気をつけきれないことってたくさんあるんじゃないかな。結局自分の頭で考えるってなんだろうって、こういう話題が出るたびに思う。全部は考えきれないし、把握もできない。多分これからもショックを受け続けるんだろうなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20130704144225

はてサのひとってしょっちゅうそういう感じのこと言ってるけど

同意とか批判とかい意味ではなく純粋論理的に「何言ってるのかわからん」。


なるべく簡潔に意味わからんポインツを挙げていくけど

もはや児ポ法理屈抜きで選挙後にはきっちり可決されそうな状況ですが

個人的には国旗国歌ネット世論も教師批判で一枚岩になった時点で

色々決まってたんじゃないですかね。

・一枚岩とは?

児ポ法国旗国歌がどう関係するのか?

憲法に思想良心の自由が規定されているし、

なおかつ強制はしないという国旗国歌法案の規定なんかすっかり忘れて、

卒業式卒業生のための式だから!とか教師ならルールを守れ!とかい

雰囲気重視な感情憲法をないがしろにし他人の人権を侵してまで

国歌斉唱を拒否した教師を批判してたオタクざまあwwwとしか言いようがない。

まずその話と表現規制の話とどう関係あるのかがよくわからない。

共通点あなた達にとってどちらもすごく関心があるということだけで、

自分達の主観と他人の世界を混同してると思う。


あなた達の論理展開に必要わら人形暫時私が努めるとして

じゃあ私は「国旗国歌法案に賛成で表現規制に反対なオタク」です。

いまいち、「卒業式国歌を歌う歌わない」という話と「表現規制する」話の繋がりが見えない。


日本嫌いの先生卒業式国歌歌いなさいって言われて

まあ面白くないだろうけど、どれほどの負担があるの?

何か霊力の篭った歌だというわけじゃあるまいし、1年に1度1分ぐらいその歌歌ったら何がどうなるのか。

単純な話、その件は思想信条が犯されてるとは思えない。

おわり。



あなた方の歪んだ視野では「オタクが敵に回った」ということになってるのかもしれないけど

オタク一般人卒業式国歌歌う歌わないについての一番メジャーな態度は「あんま興味無い」だろう。

現実問題、どっちでも影響無いんだもん。

(あと、反対するのはいいけど自分学校の式で暴れて荒らすのだけは最悪のやり方だと思う。

 罪もない末端管理職校長の胃に穴を開けて、生徒に嫌な思い出を残すだけ。見てる人の印象も悪い。

 もっと上に詰めに行かずに末端で暴れるのは、成人式で暴れる馬鹿と一緒で暴れる本人の高揚感のためなんじゃないの?

 そういうのって見抜かれるよ。)


一方表現規制法案は、本気度によっては産業が壊滅すると思う。

…というのもいま頭で考えてのことで、感情的にはあんま興味はないんだけど。


片山さつきのバカみたいな初音ミク論に憤って児ポ法反対してるオタクは多いんだろうけど、

片山公明党無茶苦茶理屈

国旗国歌の騒動の時にきっちりと憲法尊重、法案規定時の主張を守ることを

国民世論として主張しておけば、

これは全部あなたたたちの特殊な脳髄では繋がってるだけで、

現実世界プロトコルではないと思う。

端的に言ってその非実在の「オタクども」が国旗国歌反対先生に味方してたとしても

児ポ法児ポ法でやっぱり立ち上がって同じような推移をへたと思うよ。

2013-07-01

死体蹴り】退職金騒動を起こした埼玉県教職員いじめ継続

この前の1月を覚えているだろうか。

その年の2月から退職金を減額することを急に決定し、1月に辞めた教員に対して「最後まで責任を持って欲しい」などと知事意味不明なことを言っていた、痛ましい事件である

あれから半年

今度は給与の月額を削減する条例が、いつの間にか議会に出され、いつの間にか可決してしまった。

埼玉県職員全員が対象ではあるが、一般の教員も含まれ、4.77%の減額。

責任が重く、なり手が少ない、大阪府では3ヶ月で民間出が辞めた校長は、更に削減で9.77%の減額。

額に換算すると、基本給22万程度だと、月1万程でトータルは10万ちょい。校長はトータルで50万を超える。

別に教員だけを特別扱いしろと言うつもりは毛頭無いが、いくら何でも続きすぎじゃないだろうか。

教員の中には、結構大学卒業している方も多く、正直転職した方が稼げそうな気配すら漂う金額。

転職を甘く見ているわけではありません。すみません。)

教員残業代出ないので、基本給の削減はそのままダイレクト収入減となる。

ただでさえ、持てる時間お金とパワーを全部つぎ込んでる。子どもたちへの情熱はどの教員だってもってるよ。

金曜の放課後なんて、職員室で会話ほとんど無く(疲れているから)、無言で採点ペンの音だけ響いたりしてるよ。

○付けながら意識飛ぶなんてざらだよ。

ありがたいことに教員ブラック企業体質は徐々に理解されつつあって、涙が出るほど嬉しかったりするときもあるよ。

なのに、やる気の源となる、給与削減って。

これで本当に子どもたちの将来を考えているのだろうか。

最後まで責任を持って欲しいと言うなら、それに見合う報酬必要だろう。

参考:

県職員給与、平均6%減額提案へ 知事「苦渋の選択」

可決された条例

2013-06-19

倫理法人会セミナーに行ってみた

から呼ばれたので、倫理法人会っていうところのセミナーに行ってみました。

内容は数人のゲストトーカーが壇上でしゃべるという至ってシンプルもの

倫理法人会って名前はボチボチ聞くのでなんだろう?と思ってたんですが、結論から言うとなんてことはない、宗教もどき右翼系のソフト組織でした。

1.運営側人間はとにかく喋り回しなどがヘタ。

教団の末端支部の支部長クラスが司会進行をしたり時間調整のスピーチをするわけですが、とにかくヘタです。

言ってることに内容がない、3人代表者の挨拶連続で聞かされたけど話の内容がほぼ同じ、持ち時間意識がない。

内容といっても「今日は素晴らしい集まりだ」「今日のトーカーはすごい先生だ」「皆さんありがとう」ていどに要約できる、関心も感動もしないものばかりで、はっきり行って眠い

一応眠気対策に空きっ腹で拝聴+直前にアイスコーヒーという対策をしたのですが、それでも足りないほどにうす~い感じでした。

2.開催時間も閉会時間もずれてるのに、ゴメンの一言も無いのね・・・

おそらく、初来場だったと思われる若い人数名が、本来の閉会予定時間を20分ほど過ぎた時点で途中退席。

壇上にはトリを務めるトーカーが熱弁の真っ最中

運用側の人間の顔を見ると「ええ~!?マジで非常識若者だ!」みたいな視線をほぼ全員で向けるわけです。

別に人間性が低い方も居るのかと思いましたが、集団であの表情をされるとドン引きですね。

とうとう閉幕のその瞬間まで時間が押しても当たり前に付き合え的な雰囲気キープ。

そういう組織なんですよね、きっと。

閉会後の食事会のお誘いもありました。お金を持ってる方々っぽい雰囲気だったのですが、危険匂いもあって辞退。判断は正しかったはず。

3.全体的な構成

最初に超有名ゲストのトークです。ビッグゲスト最初に持ってきての前座トーク。

この時点で宗教臭がぷぅんと臭ってきますが、最初はそうも思わなかったんです。

中継ぎのどうでもいい人のトーク。

おそらく時間調整なんでしょうが、そもそもパンフに書いてある時間を押してるのは明らかで。

話の内容も「私以外の人は素晴らしい」という一点のみを何度も微妙しか違わない言葉で繰り返すのみ。

せめて内容のある話にして欲しかったなぁ。

校長先生の毎朝トークよりもヒマでした。

トリは天皇礼賛。

天皇バンザイ陛下スバシイ!の話は誰がやっても一定パターンがあります

「かわいそうな苦境に立った日本人のために同情して祈り続けるお優しい陛下

まり、かわいそうな庶民が居ないと成り立たないんです。

誰かが不幸じゃないと成立しない話は

ドラマ映画天皇礼賛もまるっと大っ嫌いなので

全く共感せずに終わっちゃいました。

でも、トリの人はおそらく教団内でも上級幹部。

話のやり方も内容もたくみで、得るものもありました。

日本人文化精神性の成り立ちをしり、誇りを持って行きよう。

海外文化といくつかのジャンルを対比するなど、知的興味もそそられまくり

確かにその通りで、自分不勉強反省するいいきっかけになりました。

うん、俺は日本人からそこは誇りを持って生きられるね。

まぁ、そんなこんなで倫理法人会

中小企業の薄い社長シンパシー感じちゃう危険臭がします。

機関紙とかよんで感想文欠かされる会社とかあるんじゃないかな?

倫理ってそういうもんじゃないだろう?って思いますが。

■学んだこと

・表面的ないい部分だけチェリーピッカーとして活用し

 天皇陛下万歳活動に出資しないで良い程度の義理で付き合うべし。

2013-06-12

ぬくもりって何?

俺は田舎の中の都会な方のまちで小学校教師をやっている。

小学校の教師だから通知表を書かなくてはならない。

都会はどうか知らんが俺の地域通知表といえば手書きに判押しだ。

俺にはそれが苦痛でたまらん。もともと字がヘタなのもある。

この時期になると精神的にも肉体的にも苦痛だ。

から俺は提案した。「通知表パソコンで打てるようにしましょう」と。

「おおいいね来年からやってみよう」とすんなり決まると思っていた俺が馬鹿だった。

「うーん、ちょっと難しいな」

「え、なぜですか?」

「手書きのぬくもりがさぁ」

「え?」

ぬくもりって何?

まぁ確かに、お手紙とかでも手書きの方がなんだかいい気がするのはわかる。

でも通知表でそれ必要

仮に必要だったとしてもそれを大きく上回るメリットがある。

まず労力。PCでぱぱっとやっちゃった方が失敗を気にする心配もないしぱぱぱっと打ち込んでいける。

全然労力が違う。

それからクオリティ

実はワープロ打ちにした方が文章のクオリティが上がる。

それはなぜか。

だいたい俺みたいな新人ちゃんは、書いたら先輩に見せる。

それで誤字脱字はもちろん、おかし表現がないかチェックしてもらう。そこで教師独特の表現技法を学ぶんだ。

それが済んだらだいたい清書をする。

ちょっといいボールペンを買って慎重に書く。

ここが大変なんだが、書けたら校長に提出。

だいたいうちの地域コメントを付箋に書いて返してくれる。

そこで問題が発生する。

先輩先生のチェックはかろうじてくぐりぬけても、校長チェックにひっかかる文章がある。

でも、もうすでにボールペンで書き込んであるので書き直すには全部いちからやり直し。

1学期ならまだしも、2学期3学期なら保護者の判子もあるからからなんてまず無理。

から「ま、来年気をつけてよ」になる。

それがPCだったらどうか。

最終原稿が上がって校長チェックを受ける。そのとき何かまずい文章があれば

「ここ直してよ」

「了解です」

で済む。

さらにいろんな先生にチェックしてもらうこともできる。

いろんな目を通すので文章のクオリティが上がる。

それなら下書きの段階で見てもらえばいいじゃないかという意見もある。

確かにそうだが、俺のような新人ならともかく、ペテランになってくるとあまり人に見せず自分だけで仕上げてしまうことがよくある。

家に持ってかえって(本当はダメだが)仕上げてくる。

そして校長ベテランには俺らに言うほどダメだしできない。

から清書した文章にケチをつけることなんてもってのほかだ。

だが、PCならそれが幾分か言いやすい。

調べてみると小学校通知表デジタル化に取り組んでいる学校はたくさんある。

コンテストなんかもやっている。

大概のPC通知表ファイルに紙を差し込んでいくタイプになっている。

そこに通知表だけでなく、学校でもらった賞状などをはさんでいくことができる。

そして6年間同じファイルを使用する学校もある。

卒業したとき通知表賞状が1さつの本になっている仕組みだ。

これは子どもたちに大変好評らしい。

こんなにメリットがあって、デメリットは「ぬくもり」のみ。

その唯一のデメリットも成り立つか怪しい。

なのに踏み切れないのが小学校教師という属性の人たち。

ただでさえ教師は多忙自殺者もでるくらいなのに、もうちょっと労力を削減する方法をとってもいいと思う。

好きで残業するヤツは別として。

学校現場の中でのぬくもりという言葉は、「子どものため」という言葉と同じぐらいずるい言葉だ。

枕詞にそれをつけるだけで、ほとんどの行動が正当化されてしまう。

子どものためを思ってやったんですが・・・

そう言われた頭ごなしに怒りにくい。

ぬくもりも一緒。

このタイミングで「ぬくもりが・・」と言われたらも言い返せない。100対1でも負ける。伝家の宝刀

ずるい。

本当にずるい

でも俺は断固として通知表ワープロ打ちを推し進める。誰が何と言おうと。

学級通信でさえ、昔は手書きだった。古い先生に聞くと「ガリ版というのがあってね」と話しだす。

だが今はどうだ。ワードや一太郎(←これも教育界の特徴)で作ってるじゃないか

手書きしている人の方が珍しがられるくらいだ。

それに小学校以外、つまり中学校や高校ではもうほぼワープロ打ちだ。

これはもう時代の流れ。いずれそうなっていくもの

ぬくもりが何にも変えがたいかげがえのないものなら、50年後100年後も手書きでしろよ?

それくらい覚悟を決めてつかえよ、ぬくもりを。

周りが始めたから始めたとか言うなよ。

とにかく来年、このど田舎ののっそりした学校で実現させてやる。

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