私の苦手な夏のイベントが終わった。
ことプロ野球においては、2月になればキャンプの様子が気になり
3月になれば新戦力がどれほどの力になるのか友人と討論し
いくつかの試合のチケットを手配し早く開幕しろと心待ちにする。
来期のチーム作りが気になり毎日のテレビ観戦はまず欠かすことがない。
さて2013年の全国高校野球選手権大会は、なにかと花巻東高校を巡って話題のあった大会である。
準々決勝のサイン伝達疑惑と準決勝のカット打法へのバンド適応がその話の中心である。
先にも書いたが私は大の野球好きでありながら、高校野球が苦手である。
そもそも高校野球は他の高校スポーツとは大きく異なる点がある。
もちろん高校サッカーや高校ラグビーだってお金は動いている。その他の競技においても多かれ少なかれそうだ。
しかしその人気からくる経済効果や主催者やその周辺で動く金額は桁が何桁か違うことだろう。
そのために高野連や新聞社は、ことのほか高校野球の商品としてのイメージにこだわる。
当たり前である。商品が傷つき価値が下がってしまっては商売にケチが付くことになる。
タレント事務所が純正派女優をワイドショーや写真週刊誌から必死に守るのと同じことである。
そこでプレーする球児は純情な汗を流し必死で白球を追いかけるというイメージで売っている。
学校側だって高校野球を自らの商売のために利用しているに過ぎない。
もちろん純然たる教育の一環として高校野球に取り組んでいる学校や監督も多くあるだろう。
しかし全国大会に進出して優勝を狙おうってエリート校はそうはいかない。
学校の将来がかかっている
校長の沽券がかかっている。
地元の重圧がかかっている。
書き出したら切りがない。
どんなことをしてでも勝ちたい!
多少後ろめたくても次の試合に!
当たり前のことである。スポーツであるのだから勝利を目指すのことは。
その上に、いろいろなしがらみが絡み合い
その勝利へのこだわりは並々ならないものになっている。
マスコミに植え付けられたイメージである純血潔白の球児が見たいのである。
勝利への執着をなんの見返りも求めない爽やかな汗と勝手に解釈する。
そうなると「サイン盗みはずるい!」「そもそも疑惑さえもルール違反だ!」とまくし立てる。
一方、「スポーツなんだから勝利にこだわって当然!」「ばれなきゃいいんだ!プロだってやってる!」と擁護派も声高になる。
準決勝でカット打法を咎められると、「千葉君が不憫だ。可哀相。。。」「なぜ今さら。。。」と。
高野連がいきなりカット打法にいちゃもんをつけたのはなぜだろうか?
花巻東に勝ってもらっては困るんじゃないだろうか。
あまりにも強い勝利のへのこだわりを露呈させてしまった彼らが優勝でもしようものなら
また勝利至上主義への批判が集まり、高野連は矢面に立たされる。
一つ間違えば気づき上げてきた高校野球ブランドの崩壊にも繋がりかねない。
高野連にとって花巻東は決勝には進出せずに敗退していただくのが都合がいいわけだ。
花巻東も高野連も商業主義としての高校野球において両者はなんら間違っていないのである。
さて長々とまとまりもなく書いてきたが
やってる側とみる側の意識がこんなにもかけ離れていてはスポーツを純粋に楽しむことができないからである。
エンターテイメントスポーツとしての高校野球を楽しむことができないのである。
もし高野連や新聞社が商業主義アマチュアスポーツが感動を生まないと考えているなら大きな勘違いである。
あれだけのお金や政治的思惑が絡んでいても十分にエンターテイメントスポーツとして大成功しているではないか。
オレは、あいにくそういうのが盛んな会社にいたことが無いんだが。 昔、大きな会社に勤めていた人が「夏の甲子園が盛り上がるのは、どこが優勝するか賭けて、トトカルチョをやるか...