はてなキーワード: 校長とは
高校卒業から10年目ということで、暇だったので出席してみた。
そこで驚いた、というかちょっとした騒動になった事があった。
当時超可愛かった(今も超美人になっていたが)同級生の女の子、なんと卒業時点で結婚していた。
相手は同じクラスメートの、俺の友人だった。
友人が十八歳の誕生日を迎えて程無く入籍し、その年の年末あたりから同居していた。
知っていたのは担任(と当時の学年主任と校長)のみで、それ以外は誰一人として気付かなかった。
つか、二人が親しげにしている所を全く見たことがない。
騒ぎになったのは、何人かの男ども(一部既婚者含む)がガチ泣きし始め、会場が騒然とした事。
そりゃまあ気持ちは分からんでもないが。
増田「なんでも。教えないことにしてるの」
という会話を今日もやった。たぶん、週に一度以上の頻度でやっていると思う。
新任の頃には「ひいきしてるとか思われたくないからね」と大真面目に答えた結果、却って面倒になったこともあった。そんなわけで今では愛想笑いしつつ問答無用の拒否を返すことにしている。
そんなことをわざわざ意識したのは、↓のはてブ※を見たせいだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.excite.co.jp/News/reviewbook/20141021/E1413849264458.html
記事そのものもピントが外れている部分があるが、はてブのコメントもまた別の方向に外れた物が多い。確かに、『教師は教え子に体罰ではない懲戒(課題を多く出す、放課後残すなど)を与えたり、成績を付けて進路を左右したりする権限がある』ことに無自覚な教員はいる。
だが当たり前の話なのだが、教え子たちはそれ以上に教員の権限に無自覚だ。増田が中高生だった頃を思い返しても「先生は問答無用で僕の成績をつける権限があるのだから、愛想良くしておこう」などと意識したことは無かったし、今増田が書いている駄文を読んでいる読者も同様だろう。
というわけで、当事者の立場からブクマでよく見る意見に返答すると以下のようになる。
閉鎖空間だから悪い ← 言いたいことは理解するが、学校の外には学校以上に生徒を狙う変態がうろうろしている件
教員に権力があるのが悪い ← どう使うか次第です。逆に権力が無かったら、何の力を使っていじめを防止するのですか?
権力があるのは仕方ないが、その間で信頼関係が成立するはずがない ← 会社の上司と部下で結婚という話し、結構聞きますけどそれもアウトですか? (大人と子どもだから同等に語れない、というのは考慮すべき意見ですが)
チェック機構が必要 ← 意外と、校長や副校長といった管理職がチェック機構になっています。それは民間企業と同じでしょう。『校長が生徒にセクハラ』はたまに聞きますが、少なくとも『理事長や校長が、手下の教職員とグルになって教え子に性的嫌がらせ』なんてエロゲのような事例は寡聞にして聞いたことがありません。
勘違いするな ← 以下、本論
では冒頭に書いたようなことを聞いてくる女子はどのような意図を持って聞いてきているのか。
『教え子たちが本当に増田に(生徒と教師間における)好意を持っていて愛想良くしていたり、その延長で増田のプライベートなことまで知りたがっている』というのが幻想であるのは当然のことだが、それと同じくらい
『教え子たちは実は”少しでも良い成績をつけてもらう”もしくは”卒業するのに必要な成績を最低限の努力で手に入れる”ことに必死になっていて、勉強にある程度自信がある子どもは正攻法でテストの点を取りに来ていて、自信がない子たちの一部が僕のスケベ心につけこんで平常点を獲得しに来ている』というのもやはり幻想なのだ。
正確に言うなら、『1度や2度、少し会話するだけの相手』ならばそうやって上辺を取り繕って本来より高い評価を得る事も難しくは無い。誰だって面接の時には多かれ少なかれそれを意識する。
だが、35時間(週に1時間授業があるとした年間の授業時間数)も、しかも連続した35時間ではなくて1年間という長いスパンの中から切り出した35時間で、ぼろを出さないことは難しい。それが誰にでも可能なことであるならば、真っ先に役者という職業が必要無くなる。
増田自身、冒頭のようなことを聞いてくる女子が、本当に増田に好意を持って聞いてきている、などという勘違いをしたことはない。
だがその逆、つまり「無邪気なふりをしていて実は”先生が誰をひいきしているのか知りたい”という下心を持っていて聞いてきている」そんな風に考えていた時期は増田にもありました(AA略)。だが、その前提に立ったら説明がつかないことが多すぎるのだ。
つまるところ、冒頭のようなことを聞いてくる生徒というのは日常会話の延長として、大人/男としての意見が欲しくて話しかけているだけにすぎない。つまり、『仕事の同僚や上司とであっても、ある程度プライベートな話もした方が上手く行く』と思っている人種の学生版だ。もちろんその逆の『仕事の相手とは仕事の話しかしたくない。仕事とプライベートは別』な人種の学生版である、あまり教員に積極的に話しかけてこないタイプの生徒もいる。学校は特殊な空間のようで、種を明かせば実は社会と大して異なる空間ということもない。でも「先生ってチ●コでかいの?」は無いわ。それ聞いてどうするんだよ(本当に聞かれた事あります)。というかそれ、女→男のセクハラだよね?
ただ、これも学校の中に限らず、社会でもある話ではあるが……。権限として上に立っている人間が、「誰が可愛いと思う?」に対して馬鹿正直に具体名を答えるのはまずい。
本人にひいき等の意図がなくとも、『○○って実はひいきされてない?』と悪意混じりで話が膨らんでいく可能性は相当に高い。という事情があるから押さえつけて話を切るしかないが、未成熟であるが故にそんな増田の気苦労を理解していない教え子が「なんで?」と無邪気に聞いてくるのを見るとやはり心が痛む。
そのような姿を見ると逆説的に『先生』ということで、悪意を持って生徒に接することはないだろうと信頼されているのだなと実感するのだが、だからといって心の痛みが和らぐわけではない。
実際、小学校のときとか校長室に呼び出されて「君はわが校はじまって以来の神童だよ」って言われてたし、自分でもそう思ってた。
小一のときの絵は県で入賞したし、祖父が何かのついでに教えてくれた連立方程式の解き方で算数の問題解いてたし、周りが誰も英語なんかやってないころに辞書引きながら英語の本読んで先生びっくりさせてたし、このままいけば東大余裕だろって言われてた。
あと、よく世の母親がやるらしいんだけど赤ちゃんのころに「生まれてくる前はどうしてた?」って聞くのがあって、だいたい共通して「お母さんを選んできた」って言うんだとさ。で、俺が母親から聞いたところじゃそういう話以外に英語とか数字を答えたつって近所でも神童騒ぎになったっぽい。中学になってからそのときのビデオ見せてもらったら確かに「142857…」って言っててこれ数学じゃ有名な数字だから俺自身びっくりしたしな。
で中学入ってからも適当に学校いってたら天才から秀才くらいにレベル落ちた。普通にトップ3にはいたけど、県内トップの私立高校に進んで10位以内とかカッコわるいから県内2位の高校に進んでトップとろうと思ってた。でも高校も適当にやってたら進学クラスから外されて、結局地方の私立大学で今に至るってわけだ。
そういう意味では自業自得かもしれないけど、やっぱこんな腐った時代じゃ地方の大学出てまともな就職なんてできないってのがふざけた話だよ。たかだか20年、勉強の手を抜いただけで残りの50~60年苦しみながら過ごすの確定してるとか完全にキツい。もうそんなキツい思いするのわかってたらいっそ死んで新たな人生やり直したいって思うじゃん?
俺はそう思うよ?
だからこうして自殺したわけだけど、なんか死ぬって結構変な感じですこしずつ感覚が切り離されていくのな。最初は全身が痛いだけだったんだけど、あ、死んだなって思ったと同時に痛みが消える。最初は視覚、つぎに触覚、嗅覚と切れていって聴覚だけが残る。どこからか大音量で音楽が鳴ってて、あぁクラシックの宗教音楽ってこの死ぬときの音楽からまるパクリしたんだなってのがわかる。
マンション下でつぶれてる自分を見下ろしながらぐんぐん空をのぼっていく感じがして、光の雲にのみ込まれる。
そこじゃ神がめんどくさそうな顔で俺を見てまたおまえかって言う。
担任の数学の授業中に內容も理解しテキストの先の問題も全て解き終わった
暇だったので机にてきとうな文字掘り始めたわけだ
まあ気づかれるよね
授業も終わりさあ掃除行くかって時に教師に襟首掴まれて地面にぶん投げられた
「何してんだお前」
「何してたんだ、お前」
「え…えぇと…?あぁ、机に文字を掘ってましたごめんなさい」
「後で校長室に来い」
正直少しも反省なんかしていなかった
高校でも自転車の2人乗りや深夜徘徊で教師に説教をされたことがあった
その時も何故こんなことで怒られるのか、見つからなければ怒られかったはずと思った
その自信があるからこそ、それを指摘されると異常に苛ついてしまう
こんな人間の事をなんて言うんだろう
俺の通っていた高校は普通科と商業科がセットになっているところだったので、なんというかいろいろと問題があった。二つの科の間には見えない壁があったから互いが互いを敵視したり学園祭や体育祭で衝突が起きたり殴ったり殴られたり陰湿ないじめや表立った暴力、ウラでこそこそ復讐したりされたりとまあそういう学校だった。
ただ普通科の生徒も商業科の生徒も学校をなめてて社会をなめてて大人をなめている点ではけっこう気があっていて、そのなめてかかる相手の象徴たる校長に反発するときだけは妙な協力関係を築いていた。
おおよそ町では商業科の生徒が問題をおこし、翌日学校集会が開かれ校長が怒鳴る。きまって商業科がぶつくさ言いはじめる。続いて普通科もぶつくさ言いはじめる。最終的には体育館全体がざわざわし校長の血圧だけが上がり続ける。マッチョの体育教師が数人殴っても全体は静かにならず、教頭のバーコードが乱れ、ひ弱な古文教師が眼鏡をかけ直す。最後は決まって新任の女教師がアニメ声で大声を出し全員ピタっと静かになる。それがまた校長をイライラさせるのだった。
そんな高校3年間を過ごした俺たちの大半は進学か就職を決め、また何人かはもう学校には来なくなっていて、さらに一人か二人かは交通事故で死んでいた。そして卒業式。校長がいつにもまして憎らしい顔をして登壇する。俺たちも同じようになめた態度をとる。
校長からの送る言葉。前半ほとんどは来賓のお偉い方々への媚びへつらい。そしてやっと俺たちのほうを向いて口を開く。
体育館がどよめく。
「学生時代は社会の荒波から守られ、好き放題やってこれただろう。しかしこれからはおまえら一人ひとりで立ち向かわなければならない」
あちこちから舌打ち。
「社会にはいろんな人間、いろんな組織、いろんな思惑があり互いに連携しあって回っていく」
んなこたぁわかってる。
「だがまあ社会なんて言うとおおげさだが、人が二人いればそれはもう社会だ。歯車だって最低でも二枚なきゃ空回りするだけだ」
そうだな。
「だから最低でも二枚の歯車になれ。自分の愛するパートナーに出会い、一番小さな社会の歯車になれ」
お、おう。
「まずはそこから始めるといい。ああ、それとな、歯車ってのはちょっとだけ遊びがないとうまく回らないんだ。ギチギチだと歯車は回らない。その点おまえら遊びだけは得意だったろう?」
……。
「まあうまくやれや」
その時の校長の言葉を真に受けるヤツ、そうでないヤツ、いろいろいたがまあ俺は若干真に受けたほうかな?今じゃニートしながらスチームパンクグッズ作ってる。わーい歯車、あかり歯車大好きー!
少し前に「学年ビリだったギャルが慶應に行く」という本が売っているのを見かけた。
思わずこのタイトルを見ただけで思い出してしまった、未だ忘れられない私の高校時
代の思い出を語りたい。
私の通っていた高校は県立の中でもかなり下&定員割れというよくある新興校だった。
基本バカしかいなくて、中学の勉強をほとんど理解できてない人が入る高校である。
不良とギャルが圧倒的に多いのだが、たまたまうちのクラスは雰囲気が明るくて不良
もギャルもオタクも皆仲が良く、担任の若い熱血女教師も皆から好かれていた。
コースが分かれている関係で、クラスは基本1年から3年まで担任ごと持ち上がりな
のでその点でもかなり恵まれていたと思う。
私自身はよくいるキモオタで皆からは「パープル」と呼ばれていた。
これは当時発売されたばかりで流行っていたユニクロのフリース(紫)を愛用してい
たことから名付けられたのだが、まあ私のことはどうでもいいんだ。
ギャル子はバカだけど明るくて人見知りしないクラスのムードメーカー。
当時流行っていたガングロに憧れすぎて、数学のおじいちゃん先生から「サンボ」と
一方、秀才君は不遇の秀才で、中学生時代に大病をして出席数が極端に少なかった上
に一番頭のいい公立高校に落っこちてしまい、二次募集で定員割れのうちに来たとい
う経歴の持ち主だった。ちなみに秀才君に関しては結論から先に言うと慶應大学に進
学し(開校以来初の快挙)今は都庁職員として忙しい日々を送っている。
事はギャル子が突然「先生になりたい」と言い出したことに始まる。
当時、GTOが大流行中で多分に漏れずギャル子も「不良→教師」という分かり易い
感動のツボにまんまと乗せられた一人だった。
言うまでもなく誰も真剣に受け取っていなかったがギャル子は秀才君に勉強を教えろ
と絡みだし、秀才君は最初嫌々ながらも放課後ギャル子の面倒を見ることとなった。
それが確か3年の5月位だったかな。
同窓会で秀才君がしみじみ言ってたけど「小学校からの復習だからね」というレベル
だったらしい。まあ私自身を振り返れば高校がそんなレベルだから仕方ないと言うこ
とは皆分かっていたし、すぐにギャル子も音を上げると思っていた。
「そこまでヤル気があるのなら」と熱血女担任も乗り気になり、担任が仕事をしてい
た教務室の隣の席を開放し、毎日毎日放課後担任が帰るまで2人で勉強していた。
夏から秋・そして冬へとあっという間に時は過ぎギャル子は日に日に変わっていった。
日サロ通いを辞めたせいかサンボの面影も徐々になくなり、二学期が始まる頃には秀
才君が「教え甲斐がある」と言い始めた。大半は就職し(私も就職組)、進学組もほ
とんどは専門という状況でクラスで大学を受けるのは秀才君とギャル子たった2人だ
けだった。
それでも正直、ギャル子が大学に受かるなんて本気で思っていた奴はいなかったと思う。
何でよりにもよって国立なんだ!私立ならなんとかなるとこありそうなのに!
というのが私たちの声だったが、ギャル子は熱血女担任の母校であった埼玉大学に進
学して教師になると決めていた。
この高校生活最後の一大イベントを見逃すわけには行かず、クラス有志でギャル子の
合格発表を見守る集いを募ったところクラスの大半が参加する事になった(ギャル子
は嫌がったがw)。
私達は年明けの自主通学になった後も「祈る!合格」や「必勝」などのポスターや横
忘れもしない。
秀才君が華麗に慶應大学に合格しうちのバカ高校に激震が走るのもつかの間、
その日はどんよりとした天気で北浦和から受験生1人と全く関係のない応援軍団がバ
いつも明るく天然なギャル子はガチガチになっていて、馬鹿な私達は「横断幕はやり
すぎだったんじゃないか?」とか今更な疑問に困惑していた。
テレビで見るような東大なんかの合格発表と違い、たくさんの人がワイワイ賑わって
いるような光景じゃない。時間帯的にもピーク後だったら気持ち程度の学生っぽい人
「いってくるね」
私達は祈った。とにかく祈った。
こんなに頑張ったギャル子にどうか春を迎えさせてやってくれ!神様!!頼む!!
みんな固唾を飲んで見守っていると、ギャル子がクルッとこちらを振り返った。
ギャル子は泣いていた。泣いたままゆっくり私達の方に近づいてきた。
鼻水と涙でボロボロになりながらギャル子は私達に抱きついてきた。
横断幕を掲げた怪しげな集団が歓喜の怒号を上げ、ギャル子を胴上げした。
皆自分の事のように喜び、女子や一部の男子(私)は泣いていた。
ギャル子がどんなに頑張ったか知っている秀才君はボロボロ泣いて胴上げしていた。
世間から見れば何てことはない一地方大学の合格発表かもしれない。
でもギャル子にとって、私達の高校にとってギャル子が成し遂げたことは東大合格に
も優らぬとも劣らない大偉業だったから。
私達はわざと熱血女担任には連絡しないでそのまま高校の職員室に雪崩れこんだ。
「先生!受かった!」
職員室は俺達にも引けをとらないほどの歓喜の渦に巻き込まれ、ギャル子と熱血女担
任は抱き合って泣いて喜び合った。
騒ぎを聞きつけた校長先生が職員室に飛び込んでくると何故か校長も泣いていたw。
不良が多いうちの高校で本当に苦労していた校長や他の先生たちは、ギャル子が成し
遂げた事がどんなに凄いことかとてもよく理解していた。
と言うとそれまで泣いていなかった他の先生もボロボロ泣きだした。
と校長が叫んだ。
と書き加えられた。
あれからもう十数年が経過した。
定員割れが続いた我が母校は統廃合されて名前こそ変わったものの
とりあえずなんとか存続はしているみたいだ。
ちなみに私は某鉄道会社の車掌として右往左往する日々を送っている(皆さんに会っ
てるかも^^;)。
そしてもちろんギャル子は、県立高校の国語教師として忙しい毎日を送っている。
【おことわり】
しかし元・ギャルの大逆転劇やクラスの話は間違いなく事実ですので、ちょっと前
にも「学年ビリのギャルが~」のような話が実在していたと思っていただければ幸
いです^^;
その節減分の半分を生徒会に渡すように校長に交渉した(昨年比と近所の高校のデータからインセンティブ与えられるようにした)。これまた、交渉成功。
このような交渉は成功しない。
その節減分の半分を生徒会に渡すように校長に交渉した(昨年比と近所の高校のデータからインセンティブ与えられるようにした)。
高校時代、何事にもやる気に満ち溢れていたあの頃、俺は生徒会長に立候補してみた。
なんか、うちの高校は生徒会のスタッフを1年間務めた人間が次の会長になるという暗黙の決まりがあったが、
そんなことは知ったことじゃない。色々と調べたら、生徒会費として取られている毎年1000円の金の使い道が、
コピー代と、生徒会のお菓子・飲食代であることに気付いた俺は、それを選挙演説で暴露。
生徒会費の削減を誓った結果、生徒会推薦の候補に3倍近くの票差をつけて勝った。
さて、俺は公約を守らなければならない。といっても、コピー代を抑えるアイディアは既にあって、
いわゆるタダコピのはしりみたいなものを実行。近くの商店街等をまわって広告をとってそこから費用を捻出しようとした。
といっても、要は学生祭で広告出してくれるところまわればいいだけなので、学生祭+日常でも広告出ますよという宣伝文句で広告費は余裕で回収。
お菓子代なんてどうでもいいだろってことで、会費は削減はおろか、ゼロとなった。
しかし、財源はありすぎてこまることはない。財源をさらに求めるために、俺は学校の燃料代・電気代を節減する全校的なキャンペーンを貼って、
その節減分の半分を生徒会に渡すように校長に交渉した(昨年比と近所の高校のデータからインセンティブ与えられるようにした)。
これまた、交渉成功。ってことで、節減分の半分の半分を学園祭のビンゴ大会にまわすと発表したので、
節減キャンペーンは猛烈に進んで、生徒会は豊富な財源を手に入れることとなった。
しかし、やりすぎはよくなかった。ここにきて、教師側が、広告付の紙を刷ることは資源の無駄、ビンゴ大会は射的心をくすぐるとして
俺は問題児扱いされるようになった。しかし、アナウンスしてしまった以上、ビンゴ大会はやめられないから行った。その義務感と青さが命取りとなった。
物議をかもしながら会長職も終わる10月、俺は唐突に担任から志望大学に推薦できないと言われてしまった。成績も変わっていないのに。
理由は、協調性の無さだそうだ。そして、次の生徒会長は教師側の推薦があるものが立候補ということになったとも言われた。
次の年、会費は1000円に戻り、光熱費は(多分)元通りになったそうだ。今でも思い出すと、自分の馬鹿さに情けなくなるとともに、
そんなに憤られることだったのかなぁ?と思う。とりあえず、推薦とかもなく普通に志望大学以上のランクの大学に入学して、ま、
そこそこな企業で働いて、振替休日でネットやっている今はそこそこ幸せなのでどうでもいい気もするが、心残りではある。
追記
射的心→射幸心。日本語の間違いすいませんでした。こりゃ駄目な社会人になるわけですね。
他校のデータは聞きたい高校に行って、ちゃんと訳を話せば、1週間くらいしてもらえました。
この記事(http://logmi.jp/17622)読んで同じ現実かよってびっくりした。
あと解雇されたのは俺じゃない。
随分前、俺は地元の教員採用試験受けてそのまま採用されていた。
今思うと馬鹿なことをしたと本気で思っている。
俺の地元だけかもしれないけど新採用の教師はほぼクソ田舎の学校に飛ばされる。
若者が少ない地域だからちやほやされる反面面倒くさい仕事は全部「若いうちに苦労しておけ」で回ってくる。
生徒はかわいいけど酒飲みとパチンコしかすることのない生活は辛かった。
はやく懲役期間が終わって転勤したいと思っていた時、新しい新採用の女の子がやってきた。
彼女は天然でちょっとどんくさいところはあったけど結構かわいかったし仕事もできないわけではなかった。
顔は石原さとみをさっぱりしたような感じ。
残念ながら俺とは何もなかったけどな。
赴任後まずおばさん連中が目をつけて何かと仲間外れにしたりちょっとしたミスをきつく叱ってた。
おばさん連中より偉い先生に相談しても「若いからw」みたいな感じだったらしい。
更に「若いから苦労したほうがいい」みたいな理由で部活を3つ掛け持ちさせられていた。
人数が少ない学校ではよくあることだけど明らかに新人には無理なポジションだった。
俺も随分話は聞いてやったけどただでさえトロいのに常人以上の仕事を持たされていた。
しかも田舎だから若い女性は「嫁候補」としてしか見てない連中もいてセクハラもひどかったみたいだ。
(大学卒業してすぐ結婚しないと行き遅れるよとか今日もぴちぴちで若い子は匂いが違うねとか平気で言ってた)
もちろんそんな状態だから夏休み前から体の調子がおかしくなって、夏の部活動地獄でついに倒れた。
「体調が悪い」と説明されていたから仲のいい先生と見舞いに行ったりもしたけどどうみても鬱病だった。
出来ないのは自分が悪い、もう無理と泣いていた。
嫌かもしれないけど診療内科にかかるようにとしかアドバイスできなかった。
結局心療内科に行ってドクターストップになったんだけど、学校は一貫して「体調不良のため」休職と説明していた。
しかも上の方の人は大体事情を知っている下っ端の俺たちまで「喋ったらどうなるかわかってるだろうな」と遠まわしに脅してきた。
どうすることもできなくて俺は部活に逃げた。
心因性ということは一切触れずに「一身上の都合」と説明されていた。
何もしてやれずに落ち込んでいたら、彼女と仲の良かった先生が怒っていた。
どうにも納得がいかずに乗り込んでいったら「彼女がミスをするのは発達障害だからだ。教員がそれでは生徒に示しがつかない」と言われたらしい。
確かにうっかりしているところはあったけれど本人と周囲の努力次第でカバーはできたはずだ。
あまりにも納得がいかなくて同期に愚痴ったら同期も似たような人を知っているらしい。
何でもわざわざ病院に連れて行かれて「発達障害者は教育者として相応しくない」って言われたとか。
それでいろいろ嫌になって俺は教員を辞めた。
もともと向いていなかったし余所の学校も似たようなものらしいと聞いて絶望しかなかった。
ただ彼女とか仲の良かった先生はたまに連絡を取っていて、彼女はあの田舎から離れて快復して来年結婚するらしい。
もっと出来ることはあったはずだと当時の俺を責めるときはある。
でもあの田舎で彼女を庇うほど地位も権力も金もコネもなかった。
マジで他人の気持ちがわからなかったり、ひとつ作業している間に次のことを忘れていたりする。
予定と少しでも日程が変わると発狂する勢いで文句つける奴もいた。
そんなアスぺ野郎でも親がどっかの校長だとかそういうのは放っておかれる。
そのくせ若い教員はいびって鬱病だの発達障害だの理由をつけてやめさせようとする。
「付」と「附」って違いあんの?別モノ?
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140719/waf14071910380016-n1.htm
校長ご挨拶 / 学校案内 / 京都産業大学附属中学校|京都産業大学附属高等学校
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014070190090301.html
>>愛知県三河地方にある公立小学校3年の教室内で、いじめられている同級生をかばおうとした女子児童が別の同級生3人から暴行を受け、1週間のけがを負っていた。20代の男性担任教諭はその場にいたが制止できず、学校はすぐに保護者に連絡していなかった。<<
さて、この件について、6年前に増田にエントリーを書いた二次元ヲタ先生が書いてみるよ!
http://anond.hatelabo.jp/20080420213225
多分この学年は昨年度も荒れてます。(根拠は後ほど)
3年生、ギャングエイジ。自己中心的な考え方を極めてくる頃です。そろそろ協調性などが身についてくる子も居ますが、まだまだ自己中。
荒れてるクラスなら普通に暴行事件があることくらいは想像できます。
これがよく分かりません。はてブのコメントでは、体罰になるのが怖くて手出しをしなかったのでは?という意見もありますが、さすがに止めるでしょう。
一応葛藤が起きるとしたら以下の点ですかね。
文科省が通知を出してますので、おそらく全学校であります。体罰に関するアンケート。そこでは、保護者・子どもたちの主観で体罰だと思われるものが書かれます。
(もちろん、これは体罰にあたりませんよ、という例は挙がってますが、読むとは思えない)
指導上必要な制止であっても、とりあえず書いとけみたいになると、最低でも教育委員会レベルまで報告が上がり、調査が入ります。
先日の研修では、「教員が体罰だと認識していなくても体罰となるケースが発覚しているのは問題だ。」と教育局の方に言われました。
このアンケート、担任からすればかなり戦々恐々です。毎年ビクビクしてますわ。
変なところ触って後から連絡こないかなーって一瞬くらいは考えます。小3女児じゃ残念ですが力では負けませんので余裕で制止できますが。
指導の過程で制止するということは、結構な覚悟を必要とします。眼鏡割れても誰もお金払ってくれないし。(実体験)
ただ、ここは不明瞭なのですが、担任が止めに入らないと落ち着かないと思うんですよね。勝手に終わったりしないと思うし。保健室判断をする位なので、これは新聞のミスリードを誘う書き方だと思います。担任が教室に入ってきてもすぐには止まらなかったというのが、こういう表現になったように思えてなりません。
多分保健室に行っていない理由はこれで確定だと思います。勇敢なお子さんなので、痛がったりすることも無いと思います。
ここが問題です。学年主任に報告というのは、担任の基本的な報告義務はそこで果たしてますので、担任に否はないです。
そこで、学年主任が「これは校長に報告に行こうか。」と指示するなり、「じゃあこれは報告しとくわ」となれば良いわけです。というかそういう系統で報告が上がります。
学年主任を差し置いて校長に直接報告に行くのもちょっと…という空気があったりもします。
と言うわけで、はじめに出した根拠はここです。学年主任が報告に行かなくても良いと判断するくらい、頻発していたり、程度として大きくないとされてしまうくらい、この学年は荒れてます。
そして、そもそも6月の上旬にこれが出る学級は、前の学年に問題がありますわ。4月5月は進級したてで様子見してますが、6月に少し地が出ます。そこで荒れると言うことは前の学年でのトラブルを引きずってます。
更に言えば、そんな学年に若い先生をあてる校長は、完全に采配ミス。
ただし、家庭に連絡してないのはNG。ケガで連絡じゃないんだよ。
こういうことがありましたよ、お子さん、すごく良いことをしていました、休み時間に教室にいなかったため対応が遅れて申し訳なかった、ケガなど訴えたら知らせてください、このくらいの連絡は入れておくべき。
人手が足りずに何もできなかったことも分かりますが、力不足だと思っているなら様子見だけで済ませて良いわけがない。
定期的に校長から話しかけるなり、参観に行くなり、いくらでも手は打てた。そこを怠ったのは校長のミス。
結論として、
これは担任だけの問題じゃないです。起こるべくして起きてます。
こういう問題は今後頻発しますよ。今の学校現場は若者か定年間際かのどちらかしか居ません。
そして、6年前にあんなエントリーを書いた私がそろそろ学年主任をやらなくてはならないくらい、中堅が居ません。
どうすんのこれ。
追記
大事な話だと言う。
もう分かっていた。推薦の取り消しだ。
さかのぼること夏休み。
かなさんに伴われて、ぼくはメンヘラ女のバイト先へ行き、休憩中、近くの公園で別れを告げた。
「そう、わかった。」
かなさん「なんか嫌な感じね。きみ、あぶないかもしれない。」
意味深なことをいうかなさんに僕は動揺した。
現にぼくはかなさんにすごく惹かれていた。
まあそれもれもメンヘラ女の反動だ、と自分を納得し、その感情を押し殺していたが、
やっぱり素敵だった。
そして、メンヘラ女の大逆襲が始まった。
と書かれた手紙が添えられていた。
父はそれを車の中で開けたので誰にも見られなかったそうだが、
もし職場であけていたら大変なことになっていただろう、と怒鳴りつけた。
ぼくは事実を伝えようとしたが父親は聞く耳をもたなかった。
「母さんには黙っててやるから。二度とこんなことはするな。」とだけ言って。
いま思い返しても処女ではなかったと思う。
またもや平穏な日々が過ぎた。
父と違い、母は聞く耳を持っていた。
彼女と付き合っていたのは事実だが、ぼくはそんなことはしていない。
まず、隠しカメラで撮られたと思われるハメ撮りのキャプチャ画像が家のポストに投函された。
ぼくは家にいられなくなり、友達の家に逃げた。
お前の写真が学校宛に届いたんだが、いちどご両親含めて相談したい、
という話だった。
ぼくは呼び出された日時に、学校の会議室へ両親とともに座っていた。
担任、学年主任(2年のときの担任)、教頭、校長、もう一人なぞの人物がいた。
校長が席に座ると、そのなぞの人物を紹介した。
「この人は○○さんと言って、わたしの顧問弁護士をしてくださってる方だ。もし何かあればいつでも相談して欲しい。」
僕にはもう逃げ場がなかった。廃墟で撮った彼女のヌード写真すら送りつけられていた。
「被害届を出してもいいんだが、まず事情を知りたいので話して欲しい」と弁護士の人が言った。
彼女とはネットで知り合ったこと。廃墟めぐりが共通の趣味で、いつしか写真のような深い関係になった。でもぼくは彼女のいうようなことはしていない。
母親にだけは聞かれたくなかったので、外に出てもらっていたので、かなり詳細に正直に語ることができたと思う。もちろん、すでに写真とビデオが全てを物語っていたのだが・・・。
弁護士には一度警察に相談しに行くように進められ、その日は終わった。
当時ストーカーなんて言葉がやっとできたくらいで警察の対応もずさんだったし、ましてや男が被害者なんてあり得ない、という感じだった。というより担当してくれた相談員は、ストーカー、というものを全く理解していないようだった。
僕は絶望を感じながら家路に着いた。
そして、冒頭へ戻る。
メンヘラ女は直接大学へ行き、僕の名前を書いた封筒を学生課に手渡したそうだ。
こうした証拠がある以上、大学側もこの生徒を受け入れることはできなくなった。
そんなことをいわれたらしい。ぼくはもう疲れていたのでなるがままに身を任せていた。
結局、推薦が取り消しになり、大学への興味も失ってしまい、その後の半年は死人のように引きこもり生活に入った。
卒業はなんとかできた。
3月になりこのままではあかんと、東京の予備校に通うことにした。寮に入ることにもなった。
ぼくがたちなおれたのは、かなさんのおかげだった。
なんどか僕の様子を見に来てくれ、会うたびに生き霊が弱くなっている、消えかけているからもうそろそろ大丈夫、と励ましてくれた。
実は大学時代にできちゃったので、そのまま退学して働こうと思ったのだが
せっかく苦労して入った大学を辞めることはない。私が支えてあげるから、大学だけは卒業しなさい、と言ってくれたのだ。
いまは三人の子宝に恵まれ、平凡だけど幸せな日々を送っています。
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廃墟巡りとかしてた時の話
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リベラルで理性的なコメントが優勢な「はてな」ですら、違法薬物については俗っぽい厳罰論が優勢なことに私は驚いている。
ヨーロッパやオーストラリアでは、違法薬物に対して厳罰主義ではなく実害最小化主義(Harm Minimization、適切な訳語が見つからないので私の感性に基づいて直訳した)の姿勢をとっている。発展途上国、シンガポールや韓国などの開発独裁国、ならびに日本は厳罰主義である。アメリカ合衆国は中間ぐらいだ。実害最小化主義は即ち危険や害悪の元を絶つことは不可能であるから、それらが存在しうる前提で実害を最小限に使用という試みであって、性風俗産業にコンドームを配布するとか、薬物使用されうる繁華街などで使い捨ての注射器を配ったりするとかがそれにあたる。なお実害最小化主義においても、違法売春の元締めや違法薬物の流通に関しては極めて厳しい罰則が定められている。したがって違法薬物の使用者は弱者であり守られるべきであるが、それらを食い物にして金を儲ける奴はけしからん、というある種の優しさからくる社会正義に基づいているといえる。賛否両論はあるだろうし偏見に基づく価値基準であることは否めないが、ヨーロッパ諸国と発展途上国のどちらが人類に最適化された社会システムを持っているかは、少なくとも私にとっては疑いの余地がない。日本は先進国として実害最小化主義に軸足を移すべきである。「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なんて全くナンセンスであって、人間の価値は覚醒剤の使用で毀損されるほど不安定なものではない。「間接的に反社会勢力の資金源に・・・」とかいう話は置いておくならば、他人に何ら実害を与えていない違法薬物使用者を極悪人のように仕立て上げて報道するのは間違っている。
モルヒネで前後不覚になって職務遂行不能であったならともかく、社会生活に支障の無いリラクゼーション・ユースの覚醒剤使用で逮捕された校長先生の作曲した校歌を変える、チャゲアスの楽曲が使われているテレビ番組の現場が騒然、とか全く的外れもいいところである。それならば全員ヤク中、それもMDMAなんていうヤワなもんじゃない、皿に山盛りのヘロインとかコカインでパーティーやりながらレコーディングしていたMiles DavisやJohn Coltraneが作ったアルバムなんて完全に発禁だし、現代音楽も基になるバークリー音楽理論なんてそいつらが発展させたようなもんなんだから、違法薬物抜きには語れない現代の商業音楽作品は全て発禁だ。
そもそも私はモルヒネやヘロインなど「狭義の麻薬」を使用するのはやめた方がよいと思う。しかしMDMAのような穏やかで感染リスクのない覚醒剤や、身体依存の全くない大麻と、合法である酒やタバコを仕切る境目に合理性を見いだせない。後者は薬理作用の他に食品や嗜好品としての味わいがあるが、大半の使用者はこれらを薬物として摂取している。なぜか問題にされないが、特に飲酒の害悪は恐ろしい。加害者がそれなりの社会的立場を有している場合の喧嘩やセクハラなどは大半が飲酒による酩酊のせいといっても過言ではない。覚醒剤使用で懲戒免職なら、飲酒して他人に絡んだら懲役の実刑ぐらいじゃないと釣り合わないと思うぐらいだ。
だからASKAとか槇原敬之とかミュージシャンが薬やってたって騒ぐことじゃないし、「やまとなでしこ」も「ホテル」も再放送で観たいし、大麻くんは大野やってないよ。
勢いで描いたので多分に偏見や引用が不十分な部分があることは自覚しています。「アスカに覚醒剤を教えたのはチャゲであって、チャゲは「残念です」とかコメントしてる場合じゃない、自分が黒幕のくせして。見た目的に。」ぐらいの偏見で書いてる。ごめん。