その経験がその後の自分の長い人生においてとても重要なものとなったのは
言うまでもなく、また、今でもその時行った自分の一連の行為に対して
正解を見いだせないでいる。
大人になるということは、何かを諦めることだと誰かが言った。
成長するにつれて、複雑な人間関係が構築されて行く。
溜まっていく知識と経験が、様々なしがらみの対処法を見出して行き、
やがて"大人らしい"行動をできるようになるのだろう。
大人とも子どもとも言い切れない、多感な時期だ。
誰にでもそんな時期があっただろう。
それからくる行動も異なることだろう。
何かしらの縁があってこの文章を読まれた方は、純粋に沸き起こった気持ち
(18歳の頃の自分の気持ち)と、一度俯瞰してみてから取る行動(大人の行動)
の2つを感想として頂けると嬉しい。
後者を述べる際は、ぜひ今の自分の年齢も一緒に添えて頂けると嬉しい。
私の通っていた私立高校は当時その地域でも校則が厳しい学校で有名であり、
男性であれば髪の毛が耳にかかっては行けない、鞄と靴は学校指定の物で
ないとならないなど、かなり理不尽な物が多くあった。
当時はロックバンドやパンクバンドが流行し、長い髪の毛が世間でももてはやされていた。
私も多分に漏れずバンドグループに夢中になり、長い髪に憧れたものだった。
しかし、私は男性であったから校則によってそれは許されず、そのルールと戦い
ギリギリの長さに挑んでは教師から散髪を要求されるのであった。
そうは言っても、世間から見ればただの黒髪短髪であることに違いはないのであるが。
自分で言うのもおこがましいことではあるが、私は当時そこそこ人気のある方であったと思う。
同学年だけでなく、校内であれば大抵の女子が私のことを知っていたと思う。
バレンタインデーの日などには、2桁のチョコレートをもらうくらいの程度だと思って
頂ければと思う。
話しを戻そう。
私の通う学校は進学校であったので、校則の厳しさと、受験のストレスとで、
ただならぬ緊張感が教室を支配していた。
そんな張りつめた空気に一瞬の和らぎを与えるのが、10月に開催される学園祭である。
受験があるので1、2年生の頃ほどの準備はできないが、それでもお祭りである。
皆の心が少なくともその前2週間ほどは心躍るのである。
そして、その心躍る気持ちの中、同じクラスで軽音楽部に所属するSとKから、
学園祭の出し物にバンドとして出たいので、バンドのボーカルとして参加して
欲しいとの依頼があった。
Sはお調子者でひょうきんなタイプでクラスでも目立つ方であった。
Kは落ち着いた性格で、白い肌にメガネをかけ、今で言う草食系の男子だ。
余談ではあるがKは地毛が茶色みを帯びており、当時羨ましく思ったものだ。
私はロックバンドやパンクバンドが好きという話は前に述べたが、そういう経緯も
あってSやKと音楽の話して盛り上がる機会が何度かあり、また以前に一度だけ一緒に
カラオケに行ったことがあったので、彼らは私のそこそこの歌唱力も知っていた。
そして、これは表には出さなかったが、私が校内の女子から人気があったことも
その理由の一つであったのだろう。
バンドは学園祭でのライブ1回のみの臨時的なもので、ライブ終了と共に解散、
オリジナル曲ではなく一般的な曲であるのでカラオケと変わらないから大丈夫、
という彼らの後押しもあり、私は快く引き受けた。
バンドのメンバーはSがギターでKがベース、そして他のクラスで軽音楽部に
彼らはいつもそれぞれの楽器を弾いているということもあり、練習もこなれた
ものだったのだろう。
彼らも特別な物は期待していなかったこともあり、私が練習に呼ばれたのは
学園祭当日が迫る中で、彼らの中で1つ問題があった。
それはどの曲を演奏するかということであった。
そして、ついに学園祭2日前となった。
さすがに私も焦りを感じ、どの曲をやるのか決めてくれとSとKに言い寄った。
そこには、人気バンドグループの曲から、パンクバンド、メタルバンド、
当時流行っていたアイドルグループの曲(彼ら曰くバンド風にアレンジするとのこと)
まで10曲程度の曲が書かれていた。
もちろん、私が全て知っている曲だ。
SとKの言い分としては、この中から3曲を今日の練習で決めるので、私にはこの
10曲全て覚えて来てくれとのことであった。
また、明日(学園祭当日)の朝早く来て練習をするのと、午前中にリハーサルが
あるのでよろしくとのことであった。
私は、曲が決まったらすぐに私に教えるように言い伝えた。
当時は携帯電話など今ほど普及しておらず、私が持っているのはポケベルであった。
しかし、SとKは持っておらず、私の自宅への電話を待つのみであった。
私はその日、母親にSとKから連絡があったらポケベルに連絡するように伝え、
1人カラオケに行って練習をすることにした。
カラオケでの練習を終え、帰宅すると23時を回っており、SとKの自宅への夜分の
連絡は避けることにした。
そして、学園祭当日。
私にとっての悪夢の日となる。
当日の朝SとKの口から告げられた言葉は、私が想定していたそれとは全く違う物であった。
「やっぱりオリジナルの曲をやることにした。だからボーカルは降りてくれ」
私は自分の耳を疑った。
私は練習に2週間前の1度しか出ていないので彼らの本当の気持ちは分からないが、
彼らだけでの練習を重ねる中で、彼らなりにも色々と葛藤があったのであろう。
そして、終始無言で横にいたIの存在も大きかったのかもしれない。
Iとはほとんど話す機会が無かったが、卒業後も本格的に音楽をやって行きたい
という思考を持っていたと後で聞いた。
とにかく、私は学園祭当日にバンドから追放されてしまったのだ。
もちろん、私は彼らに詰め寄った。
ふざけるな、そんなことあってたまるか。
その時の気が動転した私の行動が、私の人生を揺るがすきっかけとなった。
気が気でなかったので詳しくは覚えていないが、SとKも慌てふためいて
いただろう。
そこで私は停学処分を言い渡されたのだ。
そこでも取っ組み合いになりそうになったのを、担任の教師に止められ
私は3人と隔離された。
少し経って、担任からSとKとIのバンドは予定通りライブを行うと聞かされた。
ギターとベースは、軽音楽部の同じ型のものを使うとのことであった。
教室に戻ると、学園祭前のいつもとは違った緊張感が教室にあった。
担任によって気持ちは落ち着かされたとは言え、今朝起きた一連の事実に対して、
それを受け止めるだけの器が私にはなかった。
机に座り自然と涙が溢れた。
周りには楽しそうなクラスの仲間の騒ぎ声が聞こえる。
SとKは、その中でも一際声を上げて笑っている。
私は、そっと目を閉じ、両手の拳を強く握りしめた。
その後私の取った行動はあえて伏せるが、その行動が私のその後の長い人生を
そして、今でもその時の対処について正解を見いだせないでいる。
皆さんであればどのような対応をするだろうか。
長過ぎ
どんなもんかと思って見たらほんとに長すぎワロタ