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2021-06-04

スペックの1人1台PCを生徒は使わない! 高校GIGA情報科教員が語るICT

https://www.watch.impress.co.jp/kodomo_it/special/1326404.html

スペックの1人1台PCを生徒は使わない! 高校GIGA情報科教員が語るICT環境整備のポイントとは

――「公立高校で生徒1人1台のPCを5年間活用して分かったこと~Windowsメリット~」レポート

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日本マイクロソフト株式会社

赤池淳子

2021年6月2日 06:45

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GIGAスクール構想によって、すでに1人1台を経験した中学生高校に進学しているが、高校の1人1台環境整備はこれからであり課題となっている。高校では2022年からプログラミング教育を含む「情報I」が必修化されるほか、2024年度の大学入学共通テストからはCBT方式の導入も予定されており、ICT環境整備は急務である

日本マイクロソフト5月15日学校関係者に向けて高校での1人1台活用テーマにしたオンラインセミナー公立高校で生徒1人1台のPCを5年間活用して分かったこと~Windowsメリット~」を実施した。登壇したのは、東京都の「ICTパイロット校」としてGIGAスクール構想の前から1人1台環境に取り組んできた東京都三鷹中等教育学校(以下、三鷹中等教育学校)の能城茂雄教諭プロジェクト担当者として5年間にわたる活用の中で得られた知見や、様々な実践ノウハウ披露された。

東京都三鷹中等教育学校での1人1台活用の様子(能城教諭提供

ICTパイロット校」における1人1台のPC整備、5年間の遍歴

東京都三鷹中等教育学校 情報科 能城茂雄 主幹教諭

三鷹中等教育学校は、中1から高3まで6年間を通して学ぶ公立中高一貫校。1学年160名で、計960名の生徒が学んでいる。同校は平成28年からの4年間、東京都教育委員会からICTパイロット校」として指定され、1人1台環境における教育効果検証に取り組んだ。

1〜2年⽬:高校生はスマホに比べて性能が劣るPCの利⽤率が徐々に低下

初年度となる平成28年度は、中学生全員と教員に合計560台の端末が導入された。機種は、富士通WindowsタブレットARROWS Tab Q506/ME」。中学生使用することを考慮し、堅牢性を重視した「文教モデル」が選ばれた。また2年目は、導入済の端末は生徒の進級とともに端末も持ち上がり、新1年生には「ARROWS Tab Q507/PE」が配備された。

能城教諭は2年目の振り返りとして、「この頃から、生徒の使用にはPCスペック重要であることが分かってきた」と述べた。特に高校生の場合スマホの持ち込みや使用許可しているため、高性能なスマホに比べて、スペックが劣るPC利便性を生徒が感じられず、利用率の低下につながるというのだ。「高校生だから性能の低いパソコンで良いという考えは間違っており、大人でもそうしたパソコン仕事で使うと不満が出る。これは高校生も同じであり、生徒たちも学びに使う道具が不便であれば使わない」と能城教諭は述べた。

スペックPCは、高校生が所持しているスマホより不便。そんな高校生に対して、低スペックPCでも良いという考えは間違っていると能城教諭

3〜4年目:PCスペックを大幅アップし、生徒のPC利用率が上昇

こうした経験を踏まえて、3年目・4年目の機種選択時には、学校要望としてスペックを充実させてもらうよう、教育委員会にも届けた。その結果、「私たち意見を受け入れてもらい、PCの性能を大きく上げてもらった」と能城教諭一般オフィス使用するのにも十分なほどの高性能モデル富士通Windowsノートブック「LIFEBOOK P728/S」が導入された。

これにより、生徒たちがサッと端末を取り出して、調べ物やまとめる作業がしやすくなり、授業での活用頻度もアップ。「生徒たちがPCを使って”やってみたいな”と思えることをできるようになったほか、教員も新しい学びに挑戦できるようになった」と能城教諭は話す。

3~4年目に配備された「LIFEBOOK P728/S」。CPUストレージ等が性能UP

5〜6年⽬:PC教科書辞書ノートと同じように学習活動に使う「⽂房具」に

その後、4年間のICTパイロット校としての取り組みに一区切りがつき、同校は5年目に新たに「Society5.0に向けた学習方法研究校」として研究指定を受けた。能城教諭は4年間の検証を振り返り、現場では「PCスペックが導入効果に大きくかかわる」と判断スペックが高いPCほど生徒の学習深度への効果は高く、メンテナンス性などでも有利だったと話す。

教諭らは、こうした意見教育委員会に主張し続け、現在の中1・中2年には「Surface Go 2 LTEモデル」が導入された。CPUには同機種の中で最も高性能なインテル Core M3が搭載。メモリーは8GB、ストレージSSD 128GBを選択し、十分すぎるくらい快適な動作可能になった。能城教諭は「GIGAスクールで導入されたような端末では、ICT活用した新しい学びのカタチを実現できない」と述べ、ある程度のスペック必要性を説く。

令和2年度・令和3年度に配備された「Surface Go 2 LTEモデル」。CPUにはSurface Go 2の中でも最も高性能なインテル Core M3を搭載

実際、導⼊されたSurface Go 2では、「⽣徒たちは教科書辞書ノートを出すようにPCを出して学習活動を⾏なうことができている」と能城教諭。同時に教員⽤のPC平成28年度に導⼊されたタブレットPCから、生徒と同じSurface Go 2に変更。教員から評価も⾮常に良いという。

通信環境から保守契約教員働き方改革まで……1人1台PC運用ノウハウ

能城教諭の5年間の取り組みから、これから1人1台PC運用を始める学校が学ぶべきことは多い。当日語られたいくつかのノウハウを紹介しよう。

コロナ禍のオンライン授業も乗り切れるLTE環境

三鷹中等教育学校インターネット環境は、LTEが活用されてきた。具体的には生徒1人あたり7GBのパケットシェアパックで利用。1040人分で合計約7TBの通信可能となっており、コロナ禍の活用を含め、これまでパケットが不足したことはないそうだ。

大人より荒くなるPCの扱い。導入時に何らかの保守契約必須

ハードウェアについては、決して故意に壊すわけではないが、登下校や学校生活の中で故障一定数発生すると能城教諭。生徒の負担なく修理できるようにするため、「初期導入時に何らかの保守契約必要だ」と同教諭

ICT支援員の需要は高い。毎日の常駐が無理でも定期的なサポート

三鷹中等教育学校場合専任の「ICT支援員」が1名派遣され、ハードソフトに関するトラブル不具合対応毎日の常駐が難しい場合でも、定期的に支援員のサポートが受けられる体制が望ましい。

教員会議もペーパーレス化、コロナ禍の遠隔会議スムーズ

教員にも1人1台PC配備されたことで会議も変化。ペーパーレスで行なうことになり、教員資料PDFで提出し、それを管理職がまとめて出席者に送信会議前にコピー機渋滞したり、資料を綴じるのに時間を取られたりという手間がなくなった。これによりコロナ禍の遠隔会議スムーズ実施できたようだ。

教員会議もペーパーレス化し、作業時間の軽減にもつながった

教育委員会と協議を重ね、子どもたちの将来を見据えた端末を選ぶ

能城教諭GIGAスクール構想で導入されたスペックの端末について疑問を呈し、「子どもたちが大学に進み、社会にでて仕事としてPCを使うことになったとき果たしてその経験子どもたちの良い経験になっているでしょうか」と訴えかける。学校ソフトウェアやOS操作を教えることが役割ではないが、子どもたちの学びが良い経験になっているかを考える必要がある。能城教諭らは、どういう端末が子どもたちの将来にとって力になるのかを考えながら、教育委員会と意思疎通を図り端末の整備と運用を進めているという。

1人1台PCがあっても、「コンピュータ教室」は欠かせない。その理由は?

1人1台環境が進むとコンピュータ教室はもういらないのではないか、という議論が起こりがちだが、能城教諭はこれを否定する。むしろ、生徒各自の端末とコンピュータ教室にある高性能なPCの“使い分け”が重要になり、「時代に応じたプログラミング技能習得や、動画編集などのクリエイティブ作業に取り組もうとすると、どうしても高性能なPCは欠かせない」と語る。

現在三鷹中等教育学校には「第1CALL室」と「第2CALL室」があり、2教室で合計80台の高性能なデスクトップPCが整備されている。情報の授業で利用するほか、能城教諭が出勤する時間から最終下校時間まで、生徒が自由に利用できるようになっている。パワフルなPCや大画面、高速ネットワークを求める生徒でコンピュータ教室は常にいっぱいだという。

1人1台PC配備されると、コンピュータ教室役割はより重要

パワフルなPCがあるコンピュータ教室メリットに生徒が気づきはじめる

生徒たちの利用は、「Adobe Photoshop」や「Adobe Premiere Pro」など写真編集動画編集用途コンピュータ教室を利用するケースが多いようだ。同校ではコンピュータ教室PC 80台すべてにAdobe Creative Cloudが導入されており、生徒たちはパンフレットや小冊子の作成部活動紹介の動画制作学習発表のプレゼンに盛り込むショート動画などを作成しているという。クリエイティブ作業コンピュータ教室PCを使うなど、生徒たちは自分タブレットPCとパワフルなPCをうまく使い分けているようだ。

1人1台環境を導入する前は、総合的な学習探究時間など、様々な教科でコンピュータ教室使用し、常に取り合いになっていたようだが、導入後は、多くの教科活動普通教室実施できるようになった。結果、コンピュータ教室用途を、ここでしかできないクリエイティブ活動に舵を切れたという。

新しい学習指導要領を見据えた環境整備の必要性

冒頭でも記述したとおり、各高校では現在2022年から必修化が始まる「情報I」の準備が急ピッチで進められている。学校には「情報I」の教科書の見本が届き始めているそうだが、その内容は、アルゴリズムプログラムとして表現、さまざまなライブラリの利用、APIなどの機能プログラム修正関数を用いたプログラムなど多岐にわたる。

この内容を、果たして1人1台PCで学べるのか。または教師も教えられるのか。プログラミングの小さな文字をどういうふうに伝えるのか、マルチメディア系の教材を使うときの授業準備はどうするのか。「これらを考えたときに、必ずコンピュータ教室必要だと言える」と能城教諭は述べる。

情報I」の学習内容に対応するため、実習環境の整備が進められている

さらに同校では、一般的なコンピュータ教室だけでなく、「生徒たちが憧れるようなすばらしいスペックPCがあれば、よりクリエイティブ活動ができるのではないか」と考え、アドビ社やインテル社との共同研究で「メディアラボ」も開設。

CPUインテル Core i7、メモリー32GB、グラフィックカードNVIDIA GeForce RTX 2060 SUPERを搭載。4K31.5型ディスプレイを備え、制作ソフトとしてAdobe Creative Cloudが導入済みというハイスペック環境を8台用意。動画編集クリエイター養成講座を行なうなどの取り組みも始めており、生徒たちが自由作品制作できるような環境提供し始めた。

あこがれのハイスペックマシンが並ぶ「メディアラボ」を開設

動画編集の集中講座を行なうなど、よりクリエイティブ活動にも対応

こうした取り組みを振り返り、能城教諭は改めて、これからの新しい学びには「1人1台PC」と「コンピュータ教室」の両方が必要であり、そのどちらも生徒の自由な発想に応えられる十分なスペック必要だと話す。

「1人1台環境は、生徒たちにとって非常に魅力。個別最適化された学びなど、1人1台のPCがあることによる学習の変化、メリットは必ずある。それに加えて、プログラミングクリエイティブ作業大学入試でも、Society5.0時代に向けてもますます重要になってきた。1人1台PCも、充実したコンピュータ教室も、新しい時代に即した学びによって、生徒たちの情報活用能力を育成することが、私たち現場教員の願いだ」と能城教諭はまとめた。

2021-06-03

anond:20210603144337

わかる。めちゃくちゃわかる。

増田には「頼れる相手」もしくは友人がいないんだろうなっていうのもわかる。

パーソナルな部分に触れるようで申し訳ないけど、機能不全家庭で育ったりしてる? もしくは親戚間で仲の悪い人がいたとか、学校生活で大きめに躓いたとか。家族と一緒に住んでるっぽいけど、実は不満があるとか。

他の同級生が持ってるものを買ってもらえなかったとか、後ろ暗い人生を山積みにしてそうな気がする。気分を悪くしたらごめんね。

人間のことを信用できない人に「お洒落な知人・友人に聞け」もしくはググれというのは「それができれば苦労はしない」案件であって、それ以前のもっと根本的な話がどっかにあると思う。

>何から直していけばいいのか正直わからないのでアドバイスください。

とりあえずこの返信のスクショ撮って、「この人に行けって言われたので」って言ってカウンセリングに行ってほしいです。責任は私が取る。オンラインでもいいよ。

精神科心療内科は具体的な症状を短期的に解決する方に重きを置いていて、増田みたいに長期的に向き合う必要がある問題がある人にはあんまりおすすめしません。(私感)脱毛よりは安いよ。

多分人生ずっと受け身というか、周りの人のいいなりでなあなあで生きてきたんじゃないかな。そういう人たちって、衣食住の根本的なこととか、「自分をよく見せる」ことについてのアドバイスに限ってしてくれないよね。周りにアドバイスできる立場人間ってそういうのが整ってるから、わざわざ人に教える必要がないんだろうね。

私怨が混ざってきたのでこの辺で。

2021-05-27

anond:20210527083240

よくしらんけど

入学時の成績をそろえるより

男女の数をそろえた方が

当事者である高校生学校生活幸せなんじゃないですかね。

まぁ総定員の5%ぐらいは純粋な成績で選んでもいいかもしれんけどね。

2021-05-26

ちょっと前の増田おっさんの字書きは学校生活SNSを使ってる感覚がわからいから書けないとかあったんだけど、

でもさ、ならSNSとかネットとかなかった自分たち学生だった時代だったらかけるのかと言われれば

それはそれで書けないんじゃない?

だってさ、もう今となってはネットがないということがうまくわからなくなっているだろ。

 

ジャレド・ダイアモンドの本だったっけ?お金というものがなかった未開の部族

外界と接触してお金というものとその価値理解した後では

お金がなかった頃の感覚がわからなくなってしまったとかいう話を書いてたけど

それと同じで今となってはネットがない、というのが本当の本当には感覚的に理解できなくなっているよな。

 

しかハルキ小説なんかでも1980年代とか舞台にしてるんだけど

何かを調べなくてはいけないとなったときには

登場人物図書館に行って調べ物をするんだよな。

これって結局ネット検索する、を図書館で調べるってやってるだけで

実際のネットがない社会ではこういうふうなものの調べ方をしないよなあ

違和感を感じたのを覚えている。

ネットがない、という設定には出来るんだけど思考法そのものネットがないのが前提とした思考

登場人物を動かすのが難しくなっているんだと思うのよなあ。

2021-05-23

anond:20210523052307

なろう小説の読者や作者なんて40代後半か50代だろ

携帯電話がある学校生活想像できないか現代物が書けない」

ネットがある生活が当たり前なので推理物を描く時図書館に行って新聞を探すことから始められない」から異世界もんとか異世界学園もんに発展したんだぞ

携帯電話がない学校生活アニメなんて「初代ToHEART」かときメモ2くらいしかたことないわ

今30代のやつだって小学校の頃にはPHSくらいあったろうにな

2021-05-21

高齢者の票さえ取れれば安泰な気がする

親がワクチン接種をしてきたってにこやかに今日言ってきたんだが

高齢者ワクチン接種が終わる

オリンピック開催する

選挙までにこの二つが出来れば今の与党でも安泰な気がしてきた。

親を見ていると下の世代の動向の情報が入ってこないか自分たち世代利益を受けれれば特に問題がないようだ。

高齢者でも医療従者でもないから俺は年内に接種できるかさえ分からないよと思いながら。

若年層は投票習慣がないからあまり今までと投票率変わらない気がするけど

飲食店経営者や学校生活ふいになった高校生大学生有権者はどうするんだろう。

2021-05-03

anond:20210503225951

男女がひとりずつ一緒に居る状態

十数年に渡る学校生活時代

その時代にはないということを考えればむしろ異常

2021-05-01

なぜいじめ発見を加点要素にしないのか

どう考えてもいじめがあったら減点って制度だといじめ隠蔽する方に力使うようになるだろ

いじめ発見したら教師学校にとって加点要素

経過観察を義務付けて解決に至らないようなら加害者被害者隔離する措置をとる

ここまでのプロセスを実行したら明確な学校教師側の加点

いじめへの取り組みのしっかりした学校だという認定を与える

最低限こういう方向性システムを作るべきだろ

いじめがないなんてあり得ないというのは、ほとんどの日本人学校生活を経験してるんだからみんな知ってることのは

教育現場バレバレな嘘ついてどうするんだよw

馬鹿教育やっとるんか

anond:20210501115709

学歴コンプで苦しんでいたからそこから成り上がる話だと思うだろ。

人それぞれだと思うが、普通思わねーだろ。

コンプレックスを抱える主人公が周囲の受容によりコンプレックスを乗り越えて前向きに生きる」が多くのフィクションでの流れなんだから、それに沿うと思うでしょ。

あと、あの絵柄で成り上がりものちょっと無茶があると思うし、現代の非SF・非ファンタジー学校生活もの(≠部活もの)で成り上がりものってあるのか?ヤンキー漫画くらいじゃね?

anond:20210430165009

なんていうか、ああいう手合いって「通知表で3と4ばっかり取ってきたんだろうな」って思ってる。

ずば抜けてるわけでもなく、明確に劣ってるわけでもなく、平均よりはやや上って自意識を抱えたまま屈折した成れの果てって感じ。自尊感情けが突出していて本人にももうどうしていいかからないんだろう。

学校生活を終えて何年何十年も経ってるのにまだ学校規範しか知らないような人間学力の不足を内申点稼いで補おうとしてる。道徳を振りかざせばパパやママ先生、つまり社会に褒めてもらえると信じ込んでるような人たち。大人になれず良い子を続けるしかない人たち。最近流行りの弱者男性とかツイフェミとかもそうなんだろうなという気がしてる。

元増田は俺が想像しえない苦労をしてきたんだろうし、成人してなお抱えてるものがあるみたいだが、それでも立派に社会の中で生活してると思う。

俺がなんか言ったところで響かないかもしれんが、お前は立派だって言いたい。生まれや育ちを引きずるより今や将来のことを考えていってほしい。俺も親がアレなので難しいのはいくらかわかるつもりだし、古傷みたいに急に痛むことがあるのもわかるが、それでももう生まれて育ってしまったんだから仕方ない。自分自身引き起こした過ちでもないから悔いることもできん。それはそういうものとしてやっていくしかないだろう。体が弱いとか背が低いとかと同じで付き合っていくしかないと思ってる。

今回みたいにムカつくことはあっても、わかりあえない人間とわかりあわなくてもいいと割り切って、人間が昔と変わってしまったように見えても乗り越えていくしかない。ハードだし俺も全部できてるわけではないけど、元増田は俺なんかよりずっとよくやってるように見える。

2021-04-29

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった


中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。

学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったか勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。

勉強はしたくなかったか高校普通科ではない少し特殊学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいクラスメイトも優しくて、初めて学校いじめられなかった。高校卒業したら同じジャンル専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学いじめフラッシュバックメンタル限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学指定校推薦で進学した。

大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかたかもしれない。

勉強の習慣がなかったか毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学心理学哲学法律外国文化歴史英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。

人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生講義は楽」

だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強やすくなるから友人はいた方がいい。

大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係講義発達障害存在を知った。

俺のことかと思った。

俺が発達障害

気になるとそのことしか考えられない。

数日後には県内発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。




「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害可能性があります




絶望した。


自分障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。

俺は「あなた発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分普通なのだとその証明医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。

今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。

医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。

waisの結果は最悪だった。

総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。

典型的ADHD、その上自閉もあるからコミュ力もない。

自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。

俺はメンクリに来たことを、誰にも言えなかったから。

それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。

一番飲んでいた頃は一日で

ストラテラ120mg

インチュニブ2mg

コンサータ18mg

ルーラン12mg

セロクエル12,5mg

ルネスタ3mg

レンドルミン0,25mg

を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。

卒論は何とか間に合い、俺は無事大学を卒業できた。

大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。

その状態一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。

ストラテラもやめた。

一気にやめたら副作用なのかちょっとしんどかったけど。

貯金がなくなったら自殺しようと思う。

もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイト接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。

俺は空気が読めなくて、喋り方もおかしいかダメなんだって

普通じゃないってなに?

数が多いってだけでお前らが正しいの?

俺がおかしいから、お前らに合わせないといけないの?

指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、

もう何も考えたくない

何も考えたくないよ


貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。

多様性を認める社会

ダイバーシティ

そんないつ実現するか分からない理想社会を語るんじゃなくてさ、今困ってる俺を今助けてくれよ。

発達障害に生まれた俺が全部悪かった

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった

2021-04-22

anond:20210422072609

それを言うなら、学校生活が異性との日常会話の練習の場だったんだよね。

その機会を逃したら、OJTしかない。実地研修あるのみ。

別にOJTでやればいいじゃん。

料理屋・スナックママとかどう?

2021-04-21

酸素のない水

普通とは何なのだろうか。

普通でいることが善なのか、はたまた悪なのか。

よく「量産型」という言葉を耳にする。

個性的で、長いものに巻かれる。それは当たり障りない人生というテンプレートをなぞっていくような言葉にも感じられる。

しかし。

先天的発達障害(ASDADHD、DCDのトリプルコンボである)を抱えて生きてきたわたしには未だに今ひとつ普通」「没個性」というものがピンとこないのだ。没個性を目指してもなれない、普通を求めても手に入らない。最初約束と違ったことを言われたり、イレギュラー要求をされるとそれを「普通」にはこなせないし、0か100かしかないので50を求められても相手の思うように返せない。

その発達障害20歳になるまで見つけられることがなく、いわゆる定型発達の子どもたちと混ざって幼少期から常に「変な子」「面白い子」と揶揄されてきた。その度に普通でいることのハードルの高さを感じさせられた。

かに物心ついた頃から子ども特有の目のキラキラ感がなかったことも自覚はしているし、どこか冷めているというか物事純粋に楽しめなかった。その上父方の家庭が自分たち価値観の型にはめていく教育方針だったこからそれに当てはまれなかったわたしはそこでの居場所も失ったこともその後の成長過程に大きな影響を及ぼしていると思っている。幼稚園小学校に行っては大人にとっては「ちょっと変だけど元気で明るい子」を演じ続け、帰ったら帰ったで本ばかり読んでいた。そして当時月に2回ほど行っていた父方の祖母の家((今はもう6年ぐらい行っていないので祖母も叔母も元気にしているかどうかすら知らない))では、わたしを連れて行っていた父親含めほぼ誰にも話しかけられることはなかったのでずっと2階の広い部屋に引きこもってポケモンを捕まえ続けた。常にいい子でいなければ死ぬ、という感覚はこの頃からあるし、過干渉されると怒るくせに愛されたい願望が変に強いとにかくめんどくさい人間になった。

いわゆる「普通の子」との疎外感からわたしは気がついたら常に死にたいと思うようになっていた。記憶の限りではおそらく小学校に入る少し前ごろからだっただろうか。でも大人にそれを言うとまた色眼鏡で見られることや世間体を気にされることは子どもながらに理解していたので、誰かにそんなことは言えないでいた。何なら今の今でも誰かに言ったことはないので、ここで初めて誰かに気持ちをぶつけている。

死にたいという感情を悟られるまいと思い必死にその時その時に全力で自分の生きる意味を探した。特にこれといった特技もなく、決して健康子どもでもなかったのでその度に壁にぶち当たったし器用に生きられなかった。し、今でも器用に生きられないでいる。

そして小学校高学年からだんだん学校に行かなくなった。気がついたら中学入学後、完全な不登校になって1週間寝つくことがないまま夜を過ごしたりその間に考えるべきでないことばかりを考えるなどした。その頃から心療内科カウンセリングを受けるようになり、良くも悪くもならないままこの前気がついたら干支が1周していた((むしろここ半年仕事などの過労から抗鬱剤を飲む生活を送っているので正直悪化している、けれど新しい病院開拓するにも腰が重い))

高校受験の時だって、「普通の子」になりたくて偏差値部活の活発さも平均的なそれこそ「普通」の高校を選んだのに周りからは「もったいない」((無駄論理力だけがずば抜けていて他が壊滅的なIQであるために、自分で言う話でもないが中途半端に成績だけは良かったので同級生保護者たちからはあまりまれ子どもではなかった))「もっと上の学校に行けばいいのに」と批判された。この時ほどにわたしの追い求めていた普通否定された経験は後にも先にもないように思う。

その後その高校入学し、不登校経験した上での高校生活での目標に「皆にとっての当たり前の日常」を掲げた。しか高校2年生の頃に病気が見つかり、当たり前の日常はおろか出席日数もギリギリクラスでは孤立しながら廊下からすぐのいちばん後ろの席で生活した。こんなはずじゃなかったのに、と何度も思ったけれど、どこか仕方ないと思って諦観している自分もいた。

大学でも2年生修了時に高校時代からの持病が悪化し中途退学。自分人生の中で比較的イケていた時期だと思っているが、学校生活「すべて」を謳歌したことは一度もない。その結果通信制大学編入し、単位まったりまったりと取りながらズルズルとマイペース学生という身分を続けてしまっている。

20代も半ばとなった今でも時に日常会話で「普通に」とか「常識的に」と自分の中で繕った普通をぶった切られることもある。最初は何とも思わないが、それを同じ相手から何度も何度も言われることで自分の中での普通はまだ全然普通ではなくて、むしろまだまだ程遠いところにいると感じてしまう。そして「普通」という名の相手感情の押しつけに嫌悪感を抱くし、「あなたが言う普通だってあなた個人価値観だよね」と言ってしまうので感情的にカッとされることも少なくはない。((カッと、ということで余談だがリストカットなどの自傷行為に走ったことはほぼない。その時間無駄だと思ってしまうしもっと具体的でもっと苦しいものを選びたくなるしいつもそれを考えているうちに過呼吸になっている))

この普通適応できない息苦しさはいつまで続くのだろうかと思うと過去記憶フラッシュバックしてくることも頻繁にあるし、それで過呼吸を起こすことだってある。結果身近な人が迷惑を被ることになる。いつまで経っても身近な人の立場からしたらわたしは最高にめんどくさくて、普通には到底なれなくて、どこまでもまっすぐに生きていけないとても厄介な存在なのだ

からこそ交友関係もどんどん希薄になっていくことには慣れているし、距離を置かれていくことを察するようにもなった。自分から誰かと接するということも積極的にできないし、むしろ入られたくないゾーンに入られたら精神の平静を保つべく全力で拒むようになってしまった。自分友達だと思っている相手からしたらわたしという存在は知り合いないしは顔見知り程度なんだろうなと斜に構えてしまう。iPhoneアドレス帳なんて家族含め3人しか登録されていない始末だ。でも別に特別広い交友関係を持っていてもメリットもないし、むしろ自分に相応しくないように思えてきてしまうしそれを悩む時間無駄だなと思う。

結局ひとりぼっちでいることしかできないし、結局誰かに頼る強さを得ることもできない。いつまで経っても弱くて、いつまで経っても自分自身のことを好きになることができない。常にコンプレックスに直面している。

アポンプのない酸素の薄い水がたっぷりと入った広い広い水槽で、必死に呼吸をする魚のような感覚だ。

いつかひょんなことからこの文章を見つけた未来わたしが、少しでも笑ってこれを見られますように。

そして、今よりも生きることを楽しんでいる「普通の人」に近づけていますように。

2021-04-12

はてなー幸福からかけ離れている理由

32年の追跡調査でわかった「幸福な人生の秘訣」 | WIRED.jp

成人してから幸福度に最も結びついていた要素は、若年期における「社会とのつながり」だった(その方面に詳しい人向けに言っておくと、相関係数は0.62)。これに比べて、「学業成績」は幸福度の予測因子としてはるかに劣っており、相関係数は0.12だった。

この研究では、「社会とのつながり」について、「社会愛着の質」「組織的クラブグループへの参加」「主観的能力または長所」「生活への満足度」の4つの尺度評価している。


以下、WIRED記事ポイントごとに考えていく。

両親が嫌い・学校が嫌い

第一に、十代の若者にとって、社会愛着の大きな部分を占めるのは「両親との関係」だ。十代のころに両親との関係が良好であるほど、幸福度の高い成人になる可能性は上昇する。また、十代の若者にとって、自分の親を好きであることと同じくらい重要で、なおかつ同じくらい想像しがたいことは、彼らが学校を好きであることだ。

毒親」なんて単語が入った記事で、3users以上のはてブを獲得しているものは3000件を超える程度あり、その関心の高さがはてなーには見られる。そして、その基本論調は語るまでもなく、ここぞとばかりに毒親批判する。あまり批判したい気持ちが先行していて、ブラック企業カルト宗教のようなやり口に自覚なく手を出してしまうこともある(久しぶりにこんな胸糞案件を見た)。当たり前だが、はてなーで「10代の頃に両親との関係」が良好であることはない。

また、「公立中は動物園」と言い放ったブコメトップで星を集め、それが問題視されても「公立動物園擁護ブコメ一番星を集めるのが、はてなだ(はてなリベラルやばすぎ)。学校をあまりにも憎んでいるので、地毛黒染め校則の件については保護者たちの強い要請や生徒集客公立中の統廃合といった諸事情をろくに考慮することなく、ファビョってしまった(「子供を小学校に通わせなくてもよい」という意見に対して、元教育者として言いたいことは山のようにある)。校則だけでなく、エアコンデマにも引っかかる有様(はてなブックマークが学校のエアコンデマに対抗できなかった件について思うこと)。学校制度とは別の学校生活の方も、「教室アルバム」の反応からすれば、ダメダメなようだ(今どきの卒業式はこんなに進化している!「教室アルバム」が超楽しそうでグッとくる)。当然、はてなーは「学校が好き」なわけがない。

ひどい相談相手

ただし、社会とのつながりや学校を好きであることが重要からといって、その子どもが「人気者」でないと幸福大人になれないということはまったくない。花形クォーターバックであることより重要なのは、「何か悩み事があったり、怒りを覚えたとき相談できる相手」を持つことだと、研究チームは述べている。また、所属するクラブスポーツである必要はない。幸福につながるのは運動への熱心さではなくグループに属することだ。

「何か悩み事があったり、怒りを覚えたとき相談できる相手」は、はてなーにとってはてな匿名ダイヤリーを通じたはてブだろうが、鬱病の人をはてブフルボッコするぐらいには凶暴だ(鬱病の人をはてブでフルボッコにしたら亡くなってしまったという事例)。あのネガティブ執拗攻撃を繰り返す感じは、実社会で考えたら完全にパワハラ上司のそれ。ゴールポストを動かして、粗探しして、ひたすら攻撃を続ける様は、部下とかをメンタル不全に追い詰める有様とどう違うのだろうか。企業ハラスメント問題最上から批評しつつ、加害者という立場に片足突っ込んでいる人たちが相談相手として適切だとはとても思えない。

非常に不幸な大人になる可能

そしてもうひとつ重要なのは、32歳になったとき幸福度を予測する因子は、10代の若者客観的事実としてどのような生活を送っているかではなく、その若者自身自分生活をどのように評価しているかだという点だ。その若者は、自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っているだろうか? もし答えがイエスなら、その若者は、西洋社会における若者ステレオタイプを覆す存在であり、かつまた将来、非常に幸福大人になる可能性が高いということだ。

はてなー10代の時に「自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っている」なんてちょっと想像ができない。移民AIに将来仕事が奪われるんだと悲観的で、リタリンネット依存していて、帰宅部で暇な毎日を送っているんじゃないかな。

2021-04-10

今にして思えば母校でやってたミスコングロイベントだったな

あれ、立候補者の中からとかじゃなくて、勝手に全校生徒を対象にしていたからな

ただ普通に学校生活送ってるだけで、ある日突然性的まなざしを一身に背負い、優勝おめでとうとかいって壇上に連行されるんだもんな

投票用紙を面白がって配ってたのは女性徒の実行委員だったけどな

2021-04-09

anond:20210409232525

そんな苦しい学校生活を送るアイカワであったが、

突如転校してきたアラブ系アメリカ人のアアアイア・アイーア君により一転するのであった。

2021-04-07

実際問題として、学校生活で体育や部活動がなければ・・・って人は多いんじゃないのかな?

スポーツ序列まりすぎだろ

どういう世界を望んでいるんだろう

ブラック校則問題が取り上げられるたび、学校先生も頭おかしい!おかしルールは即撤廃すべき!って吠える人多いけど、どういう世界を望んでいるんだろうか。

子供たち自身が、自分たちで決めたルールに則って学校生活送る世界?それともすべての頭髪規制服装規制、持ち物規制学校外行動の制限撤廃した上で、個々の子供と家庭に任せる世界

自分過去学校生活で味わった理不尽さを思い出して憤り、「現在学校先生」に八つ当たりしてんじゃないかと思うことがある。

わたしは、子供の頭髪規制服装規制、持ち物規制学校外行動の制限学校側が頭ごなしに決めるのは問題だと思うし、どれもなくていいと考える方だけど、

学校現場にいないから気軽に言えることかなと思ってる。

たとえばだけど、小学校卒業式服装。とくに女子和装流行問題となってきて、実質規制する学校もある。

着崩れ問題とか着慣れない服でトイレいくのが難しいとかいう、児童一人で始末付けられない問題のせい。

(いまは比較的始末のつけやす和装が出てきたとも聞く)

誰が始末をつけるかったら、それは保護者じゃなく先生になるわけよ。

じゃあ一人で始末を付けられる服装という制限だけにしたらどうか。

それならと、和装着たい子のすべての家庭がきちんと練習して着用させるかったら、あやしいものだよね。

じゃあこの規制は「合理的理由」かったら、不合理と考える人だっているでしょう。うちの子着付け習っててちゃんと着られますとかね。

合理的理由って一言でいうけど、線引き考えてルール決めるって本当にむずかしいよ。理由づけなんていくらでもできるから

もちろん、下着着用問題下着問題とかは、明らかに不合理だし、女子もちでこのルールあったら学校ねじ込んでると思うけど。

なんかまあ、全部学校のせい!先生が悪!教育委員会クズ!みたいな論調違和感覚えるんだよね。

ルール撤廃したり、子供に決めさせる、家庭に任せるにしても、実際の学校現場子供たちに対応するのは先生たちだからね。

保護者責任持って現場サポートしてくれるわけじゃない。子供学校外行動に、管轄外ですから!って割り切って電話切れる学校はない。

服装、頭髪どんな表現で登下校していても、個性的ねーってみんながみんなあたたかく見守ってくれる世界に生きてる?

家庭の問題だろっていうけど、制服着てる以上、学校に登下校する様子見てる以上、どうしたって評価学校の方についてしまう。

規制がない私立学校説明会で聞いたけど、生徒の「華美」な服装イチャモン電話があったら、うちは生徒の自主性に任せる学校ですって応えてると言ってた。

公立小中、公立高校、すべての学校がこういう覚悟を持てるだろうか?

まあ一度、頭髪規制服装規制、持ち物規制学校外行動の制限とかなくしてみたらどうかとも考えるけど。面倒を考えると踏み切れんだろうね。

2021-04-03

アニメ(に限らず)で「現在」を描くにはどうすればいいのか

『「今の」学校生活を描く事』が不可能っていうのは「作り手が経験しているのは所詮10年前20年前の“昔の学校生活しかないので作りようがない」みたいな、まるで不可知論的な話になるんだけど。

ガラケーでやり取りしてたり、家電パソコン備品のたぐいがちょっと古くさかったり、みたいな感じの違和感が気になって話に集中できないレベルの事が普通に見過ごされてるのを何とかしないといけない。

それとも「そこらへんをちゃんとしてる(ちゃんと令和の世界を描けている)」作品って自分がしらないだけであったりするのか。

2021-03-31

「見た目は気にしない」って言う人に不信感を抱く

面食いです」っていう人の方がよっぽど信じられる。今でも友人として数少ない仲がいい女友達がこのタイプだ。浮気性のクズだが、プラトニックな飲み友達である

俺の髪質は悪い意味特殊で、太くて縮れていて量が多い。小学生のころから強い癖毛で、中学時代あだ名は「ちんげ」「スチールウール」「陰毛」「アフロ」「チリ」「かたやきそば」散々だった。他人容姿侮辱されるのは屈辱だったが、何よりも自分が、この扱いにくい髪質をとても嫌っていた。好きでこんな髪質で生まれたわけじゃないのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのか。ネットのヘアカログにある「くせ毛におすすめヘアスタイル」みたいな写真は1mmも参考にならなかった。見るたびに「こんなのほぼ直毛じゃねえか」と悪態をついていた。

学年TOP3のキモいランキングに入ると、もう学校生活人権はない。汚物のような扱い、何をしてもいい扱いになる。同級生からは「あいつは髪が終わってる」と嘲笑されて、容姿偏重主義社会車輪の下敷きになってメンタル大分荒んだ。今でも心が屈折しているのはこの当時の原体験の影響かもしれない。

中学卒業を機に縮毛矯正をかけた。感動した。みんなこんな世界で生きているのか。風で髪が靡く感覚に感動した。ドライアーで髪がすぐに乾いた。とても快適だった。地元から離れた高校入学してからは縮毛矯正を欠かさなかった。そうしたら面白い事が起きた。俺が「イケメン」として扱われるようになったのだ。中学時代汚物のように扱われてた俺が、キモメン三銃士の俺が。イケメン扱いされたのだ。たか髪型1つでだ。俺に媚を売ってくる女が、何をしなくても寄ってくる女が、いるのだ。中学時代汚物扱いされてた俺がだ。

俺はそこで人間不信を深める事になった。そして思春期の持て余した性欲を寄ってきた女達にぶつけるようになった。

周りを傷つけないように振舞っていた中学時代の俺は髪質だけで男女から汚物扱いを受けていたが、女を物のように扱うクズな仮初の直毛の俺を女はより求めるようになった。高校時代セックスに明け暮れながら、くせ毛の陰におびえた。1か月半に一度はリタッチをしていた。周りにくせ毛だとバレるのが酷く怖かったからだ。第一に髪の事、第二にセックスの事。そんなことしか頭になかった。

クラスメイトで、癖毛で小太りの男子生徒がいた。おとなしくて引っ込み思案だが、別のクラスメイトドミノ倒しに倒した自転車を一緒に起こすのを手伝ってる姿も見た。器量は良くないが性格はとても良い奴だった。共通趣味が無くて会話したことはあまりなかったが、俺は彼が人として好きだった。そんな彼に俺の事を好きだという女が言う。「あいキモくない?」「きしょい」俺はそれを聞いて肯定否定もしなかった。ただ茫然自失としていた。そんな彼女の同じ口から「私は見た目で人を判断しない」「中身重視」こんな言葉が出てくる。彼女みたいな人間気持ち悪かった、怖かった、たくさんいた。俺は人が目の前で自転車を倒しても素通りするし、縮毛矯正がなければ小太りの彼より酷い癖毛だし、君の事もおまんことしか考えてない。少なくとも彼は君からどんな仕打ちを受けても君を人として扱うだろうし、俺より彼の方が中身はよっぽど優れている。俺は君にそんな事を言われたら孫の代まで恨む。俺が彼に勝ってる要素なんか何一つないんだよ。君は一体俺の何が好きなんだろう。

見た目でしか好かれる方法を知らなかった俺が好かれるのは、こういう女ばかりだった。清楚系で可愛い献身的な子もいたが、数年後経った今は風俗で働いてるらしい。

三十路手前の今でも俺は縮毛矯正リタッチを続けている。かれこれ15年選手になる。未だに人にキモがられるのが怖いし、人に好かれるのも怖い。

前の職場の先輩に「その頭、縮毛?」と言われたことがあった。冷や汗をかきながら「そうです。くせ強いんで」と答えた。「へぇ」とだけ帰ってきた。その後も普通に接してくれたが、縮毛矯正をかけてなかったら普通に接してくれなかった気がする。

人間は中身が全てというがあれは嘘だ。人間が「中身」を見てもらう為には、見てもらう為の土俵に立たなくちゃいけなくて、その土俵には不細工は上がれないのだ。だからどんなに性格が良い不細工でも「キモい」「生理的に無理」で一蹴される。

俺は今でも車輪の下敷きになったままなんだろう。

2021-03-24

結局、MARCH以上に行けなかったお前らへ

うそういう時期だしいっぱいいんだろ。

くすぶってる奴が。

元々推薦や現役で、第一志望として日東駒専とかその他の大学へ進学するみんなには用はない。

合格おめでとう!楽しい学校生活を送ってな!

俺が語りたいのはそういうキラキラした子じゃない。

現役でも浪人でも、少なくとも1年以上「大学受験」と向き合って結果的MARCH以上に受からなかったお前らに対してだ。

今どんな気分?

晴れ晴れした気分のやつは…まあ中にはいるかな。

一生懸命やった結果がこれだってやつもいるもんな。

そんなの人それぞれだし。

真っ暗で何も見えなくて「ああ、俺の人生これで終わりだな」みたいなやついる?

元々、ネットにはそういうの多かったんだよ。

情報過多で周りが見えなくなって、自分絶対一流大学受かるぞ!MARCH以上に行かないと負け組だ!とか言っちゃってな。

しかしたら親や学校からそう洗脳されたかもしれない。

分かるよ。

君の気持ち分かる。

悔しいし、情けないし、真っ暗だよな。

どうせ受かった大学行ってもレベル低いんだろうなぁとか思っちゃってな。

ずっとずっと引きずっちゃうよな。

もう受験終わったのに本屋さんの学参コーナー何度も行って、意味もなく偏差値表何回も何回も見返してな。

とりあえず、沈むだけ沈んだらいい。

自分と向き合えるまではどんな事やっても次のスタートラインには立てないから、泣いても怒ってもみっともなくてダサくていいよ。

そして自分と向き合う覚悟が出来たらもう一度、受験を振り返ってみよう。

恐らく、そんな気分になった君は「もっと頑張ればよかった」と思う過去絶対あったはずだ。

本来ならもっと机にかじりついて勉強に向かうはずだったのに、スマホをいじり友達の誘惑に負け睡眠を優先してしまった過去があるはずだ。

それを後悔しろなんて言わない。

ただそれで上手くいなかったという現実現実として受け止めよう。

次はそうするな。

そしたらさ、今度は具体的な目標を持て。

大学受験コンプレックス持ってる連中なんてのは大抵同じで、これくらいの大学に行けばこれくらいの人生が待ってるだろうという非常に大雑把な願望しか持ってない。

実はこれはまあまああってるんだけど、その中身はピンからキリまであるのよ。

いい大学に行っても具体的な願望を見つけて自分がそれを実現するまでは、結局いい大学に受からなかったお前らとたどる過程は同じなの。

一流企業には一流大学卒業生しかいないとかそんなレベルの低い話じゃないよ。

サラリーマンになりたいのだったら、さっさと受かった大学に行って一刻も早く卒業してサラリーマンになった方がいい。

生涯賃金の1億や2億の差なんか都心タワーマンションの一部屋分にも満たない。

大企業零細企業も勤続何十年も勤めているのは同じくらいすごい事なんだ。

そして大半の人はその1億や2億の差も関係なく、お金に関しては学歴なんかより生まれでついた差には勝てなかったりする。

「なんとなくいい大学へ行きたい」

「なんとなくいいとこに就職したい」

「なんとなくお金持ちになりたい」

早くこの漠然から抜け出せ。

そこから抜け出せたやつが次のステップに行く。

結局一流大学という場所は「しっかり大学受験をやり切った感」のある奴が多いから、そのステップへの切り替えが上手くいってる奴が多いってだけだよ。

やりたい事がないならやりたい事を見つけろ。

そしてダメで元々やってみろ。

若いうちはやりたい事ガチャ何度回してもいいよ。

才能がなくても芸術関係目指したっていい。

美貌がなくてもモデル関係目指したっていい。

何度も何度もトライを繰り返すと自分気持ち良い事と自分の得意な事が見えてくる。

その自分特性の先がお前の本当の人生だよ。

正直運もある。

下手したら病気とか事故で早死にする可能性もある。

から受験の失敗なんかで立ち止まってちゃダメなんだよ。

時間無駄にするな。

お前らにはもっともっと先の景色が見える30歳、40歳、50歳になってほしいから。

駆け抜けろよ。

高校入試廃止するべき←異論ある?

高校入試廃止するべきです。

現在高校進学率は95%を超えており実質義務教育です。

高校の定員の総和と高校入学希望者数はほぼ同じなので全体的に見れば入試を行う必要性ゼロなのです。

たこから高校生の数は減少していくので高校の定員は余っていくでしょう。

まりこれから高校入試を続ける意味は皆無に等しいのです。

また高校入試中学生の子ども達に大きなプレッシャーを与えています

内申書に悪いことを書かれないよう中学生教師の目を常に気にして学校生活を送っています

中学生3年生になると毎日時間受験勉強をさせられることになります

塾に通う割合が一番高いのは中学3年生です

これは間違いなく高校入試のせいです。

塾の月謝は中学生の子供を抱える家庭の大きな負担となっています

高校入試を無くせばこういった負担もなくなるでしょう。

小学校中学と同じように、高校入学希望者全員に無試験入学を認めるべきです。

希望者が多すぎる場合抽選で選べばいい。

以上より高校入試廃止するべきである

2021-03-22

スクールカースト後遺症と、エヴァンゲリオン

エヴァを初めて見たのは中学校2年生のころだった。

端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。

穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。

新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生同級生はみんな、自分の居場所リセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。

一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。

それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係階層構造が強まった。

勉強のできる学校地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった

当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。

ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。

プライドが高かったのだと思う。

階層トップの不良グループクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。

イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。

お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。

昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループ所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。

そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。

カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。

こんな感じで、安心できる場所学校には一切なかった毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。

その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器おしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。

学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。

小学校からやっていた陸上部を、中学校に入っても続けていた。

年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。

うちの中学校では、この県大会大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。

僕はどの競技選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。

小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。

知らないメンバーのために、部活からサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。

陸上のもの楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所自分から閉じてしまった。

部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCインターネットを利用した。

Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。

オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。

ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。

それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに場所を求めた。

ここまでがだいたい中学1年生。

2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。

小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。

修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。

僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子から男子からも人気のあったイケてるグループメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。

事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。

そして、ちゃん好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。

好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。

ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。

この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。

小学6年生の遠足の時、移動までのバスカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。

歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。

小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。

中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。

そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有自意識過剰から、まともに話すことができなかった。

そしてそのまま、拒否された。

一方的彼女好意を伝え、呼び出した複数人男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。

個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。

自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループ嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと自分のことが嫌になった。

体育の授業で複数人グループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。

ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族ゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。

結果、見事にハマった。

戦闘シーンやメカニクス描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳シンジや他のキャラ内面描写に、自分を重ね合わせて見ていた。

中でも人類補完計画セカンドインパクトは、思春期想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。

意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループ階層といった構造になると、途端に他人攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしま意識があることを知った。

何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。

他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。

人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。

でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァ世界から抜け出さないようにした。

繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジ人間ひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカ気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?

これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。

その後、県内では進学校だった高校入学し、校内の暴力的上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。

大学第一志望には落ちたけれど、都内学校に進学でき、希望していた地元から脱出は叶った。

だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。

人がいる男子トイレでのおしっこも、出ないままだった。

大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。

また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。

いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。

それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。

この時に身に付けた自信から就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。

今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。

誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。

できることが増えて、自分人生俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。

日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。

そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。

なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失ちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァ対峙することで、確認たかったのだと思う。

今日映画館に見に行くことができた。

僕はとても救われた気持ちになった。

今回の物語では、シンジミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。

第3村のトウジとヒカリレイ田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。

劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。

本当に良かった。ああ、これでいいんだね。

ありがとうさようならエヴァンゲリオン。

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