はてなキーワード: 学校生活とは
この記事やコメント見ててなんかすごく懐かしい感覚を思い出したのだけれど、あんまり普遍的な感覚でもないのかなとふと心配になったので記録がてら自分語りする。
高校時代、マジで勉強が手につかなくてずっと最下位周辺の順位を取りまくっていた。
("周辺"なのは割と最下位の層が厚いからだ。"我々"しか知らない世界、なんだか誇らしい)
最下位ともなるとほぼ全教科赤点なので先生からの再指導が入り、各教科5回目くらいの再試でほぼ自分専用みたいな糞雑魚テストにしてくれるお情けを経て、基準点ギリギリで単位を掠め取っていた。
もちろん放課後遅くまで指導してくれる先生への申し訳なさもあったし、自分自身結構な情けなさもある。
「勉強しなきゃいけない」という謎の理由で部活をやめたせいで基本ぼっちだし、テスト期間も特に話す内容がないため周りの人間にも絡めず、
何よりまったく意味不明な文字列を眺めているだけのテスト時間はキツい。
でも勉強はできなかった。しなかった。自分の文章力ではこの「どうにも勉強ができない」感覚は正確に記せないのだが、
確かに頭では、目の前の一歩目としてやるべきことは分かっている。1年4月の単元からやり直す、それでも無理なら中学校、小学校の学習へ。
ただ当時の自分にとって、その一歩から現在に追いつくまでの道のりはあまりに長く、遠いものだった。
そしてその遠さは1年、2年と一切勉強できなかった自分という存在によって更に確固たるものとなり、圧倒的な「不可能」として目の前に立ちはだかることで自分の手を止めさせた。
どうもこうもない。「不可能」なので喜びも悔しさもあるわけがない。
自分でも2点だとわかってるほぼ白紙のテスト用紙を提出した時も、課題を放棄し続け先生に諦められた時も、6回目の再テストで回答番号だけ思い出して40点取らせてもらった時も
虚しさしかなかった。
とか書くとどうにも大げさで気恥ずかしくなってくるが、中高の頃の感情なんて実際そのくらいクソデカか。
その後のことは大して面白くない。3年間溜めた無気力の勢いそのままにニート街道へ、薬自慢スレを見ていたら興味が湧いたとかいう最悪の理由で心療内科で薬をもらって(tips:鬱でなくても抗うつ薬はもらえる)こんなもんかとがっかりし(鬱じゃないので当たり前)、
薬もやめ流石にヤバいかと思い立って親に土下座して監獄タイプの予備校へ。現国だけはできたので、まだ拒否感の少なかった英語その他の教科を無理くりどうにかしてもらって国立大に滑り込んだ。
もちろん学費は親持ち。今流行りの親ガチャが胸にしみわたる。俺の親はSSRだ。
後遺症はなくはない。高校時代の記憶が一般的な学生生活の代わりに5ch(2ch)のゴミみたいな板での雑談に塗りつぶされているし(でも相手してくれてありがとう)、今でもそこ以外のネットのコミュニケーションは苦手だ。
なまじ周りが努力家や秀才かつ良いやつばかりで、ほぼ学校生活を放棄してる自分に負い目を感じて孤立の道を突っ走ったせいもあり、高校時代の友人はほぼ皆無。
なぜか就職はできたけど仕事以外の場面で同僚と話すと自分の空っぽさに引く瞬間も多い。
虐められたわけでもなく毒親でもなく、完全な自滅。今思うと貴重な経験だったような気がしなくもないが、でも、あの時つらかったと言っても怒られはしないんじゃないか。
だから『絶対に勉強が伸びない』『何故「悔しい」と思えない奴が軒並み駄目なのか』とか、そういう無闇に強い言葉はあんまりつかわんといてや、という呟きでした。
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
小学生の時に発達と診断されて、それからコンサータを飲み続けてる。
息子は今19歳。専門学校の1年生
もともと自分で何かを決める事が苦手らしく、学校の選択も誰かがおススメしたからだったのかもしれない。
それで同県ではあるが、通うには大変なので寮で生活しているが、毎週末必ず帰ってきているし、友達と出かける予定も無いし、家でゲームしてるだけならバイトでもしろと言っているが、一向に探す気配がない。
そしてこの夏、風邪を引いて薬飲んで休んで良くなるんだけど、学校行くと熱が出たって早退したり休んだりしているらしい。
学校からは「治るまで休んだら?」って言われたとかで、昨日平日にも関わらず迎えに行って、今日は家族が病院に連れて行った。
体調不良になってからの息子の行動を見ても風邪を治そうとしてないように見える(喉が痛いならうがいしろと言ってもうがいをしない等)
勉強についていけてるか?とかいじめられてたりしないか?と聞いてもそんな事は無いというし、学校生活に問題は無さそうだが
高校を卒業した今でも具合悪いんだけどどうしたらいい?と親に聞いてきたり、何かをする時に他人に決めてもらおうとしてるような感じがする。
高校卒業したんだから、専門学校とはいえ社会人として自分の事は自分で決めなきゃならないし、就職先だって自分で選ぶんだぞ。と言っても煮え切らない返事しか返ってこない。
これから色々な事を相談していくんだろうが、親としてどこまで子供の未来に口出しするかをずっと悩み続けてる。
(参考としてアドバイスすると、それに決めてしまうのが怖い。自分に向いてる合う合わないを判断しない)
これは病気だと考えたこともあるがうつ病等精神病の診断基準には到底当てはまらず、思春期だからと言う結論に至った。
だが思春期に効く薬はない。規則正しい生活をしろと書いてある。そうしたらこの苦しみは消えてくれるのか、睡眠だけは得意分野だったので毎日日付が変わる前には入眠した。
特になにも変わらなかった。
関係ない話だが、親にも数少ない友人にも相談せずtwitterに垂れ流し、本当に精神を病むと人はどういう思考になるのか興味を持ち観察していたら悪化したのでそれはやめた。
地を這うような気分で数年、ただ生きて過ごした。
日常生活に支障が出る程では無いので大袈裟かもしれないが、気分的にはそうだった。
気分が沈んでもやり始めさえすればなんとかなってしまう。なんとかなってしまうなら病気ではないのだ。
死のうと思ったとして本当に死ななければ、死を企て実行にうつさなければそれは「誰でも少しは考えること」であって正常の範囲内なのだ。
なおこれは全て自分に対する思考であって他人に向けたものではない。
およそ思春期であろうと思われる時期を過ぎた辺りで少しずつ死にたいと思う頻度は減った。
代わりに死んでしまえという声が聞こえるようになった。
自己肯定感とやらが足りていないらしい。ごく普通の親を持ち、いじめ等もなく平凡な学校生活を送ってきたはずだ。
まあそれはどうでもいいとして、日々をやり過ごしているうちにわかったことがある。
気圧がどうの変わり目がどうの、そういったものは噂には聞いていたが、なるほどその通りで驚いた。
最近いじめの記事をよく見かけるのでやっぱり学校って糞だなと思った。
そもそもつまらないし、時間取りすぎる。朝から晩まで時間拘束するな。部活なんてものもあるし。集団生活が気持ち悪すぎる。
まあ、集団生活を学ぶために必要ってのはわかる。人混みに突っ込んで同じルールの下で生活させないと、社会に適応できなくなるというのはわかるし。
最低限の教養も生きていくのに必要ってのもわかる。社会を維持するために国民を社会に適応できるように矯正したり、学力をつけさせる必要があるというのも。
でも環境が過酷過ぎる。いじめがなかったとしても、学校生活自体が辛い。。教師は偉そうだし、無神経なこという生徒多いし。なんであんな図々しいやつ多いんだ。
体育もそう。苦手なやつは大勢の前で恥かかされてるんだぞ。陽キャならウケもいいかもしれないが、陰キャだと黙って耐えるしかできない。
根本的に学校に適応できる人間とできない人間は種族が違う気がする。そんなのをいっしょにまとめて詰め込んでるんだから、そりゃあ問題ばかりになる。
プリキュアの中でというより、今まで見たアニメの中でもかなり好きな部類に入るので、どこが好きか列記しておきたい。
キャラクター設定、変身シーン、ストーリーなど全部好きだが、一番好きなのは主人公「星奈ひかる」の性格。プリキュアのピンクというとリーダー的存在のキャラが多いが、ひかるはあまり「行こう!」「しなきゃ!」とメンバーに押し付けてくることがない。「どう思う?」と相手に考えさせ、答えを引き出す。
星奈ひかるは宇宙や星座、UMAなどが大好きで、その明るさゆえ「ちょっと変わってるけどいい子」としてクラスに馴染んでいるが、自分と同じ熱量で好きなものについて語れる親友はおらず、天体望遠鏡で星を眺めてはオリジナル星座を考えたり、一人でプラネタリウムに通ったりしていた。決してクラスの人気者、みんなを引っ張るリーダー的存在、という感じではないところが好き。一つ上の先輩である天宮えれな、香久矢まどかがプリキュアに加入した際も呼び捨てにすることを躊躇するなど、意外と常識人の面もある。
『スター☆トゥインクルプリキュア』は5人いるが、皆が常に一緒にいるわけではない。サマーン星人のララは13歳ながら大人であり、キュアミルキーに変身したが、物語序盤はAIの助けを借りながら故障したロケットを修理していた(その後地球で学校生活が送ってみたいと思い、ひかると同じクラスに通う)。5人目のプリキュア、キュアコスモとなったレインボー星人のユニに至っては、地球人に興味がないのかプリキュア加入後も自由に行動している。
キュアソレイユ(天宮えれな)、キュアセレーネ(香久矢まどか)は3年生だがクラスが違うし、活動分野も違うのであまり一緒にはいない。えれなはきょうだいたちの面倒を見ながら実家の花屋を手伝っており、まどかは生徒会長と弓道部、習い事などで忙しくしている。
プリキュアとなって戦う際は行動をともにするが、「みんな一緒で、いつも仲良し」という感じを押し出してこないところが好き。
ラスボス、映画通してだが『スター☆トゥインクルプリキュア』では敵の存在を消し去るような勝ち方はしない。特に主人公である星奈ひかるは敵のことすらもっと知りたいと思い、理解しようとしている。物語の後半、パワーアップするために「トゥインクルイマジネーション」というものを獲得する必要性が生じるが、これは5人それぞれが自分自身の課題と向き合い、自分で見つけなければならない。これを獲得する過程が好きだった。
キュアコスモとアイワーンの激しい感情のぶつかり合い、キュアセレーネとガルオウガの90年代を思わせる熱い戦闘シーン、本当の笑顔とは何か問いかける、キュアソレイユとテンジョウのやりとり、宇宙人であることがばれ、恐れられながらもクラスメイトを守ろうとしたキュアミルキーの決意、キュアスターとカッパードの雨の中の戦いと、差し伸べた手…。敵の宇宙人にもそれぞれ敵となった理由があり、葛藤を抱えているストーリーが良かった。
個人的にはまどかの成長が一番好き。「自分は一人では輝けない」と悩み父親の言う通り生きてきたまどかが、父と一体となって矢を放ち、父を超えていくところが良かった。
キュアミルキーの動きは永久保存版だが、他の面々も可愛い。後のプリキュアへ継承されないところを見ると、やはり長すぎたか…?
プリキュアを見ながらこれほど衝撃を受けたのははじめてだった。バケニャン、どこか怪しいとは思っていたが…アイワーン様以上に驚いた。
「映画独自のドレスアップで敵を倒すこと」で終わらないのがいい。他のプリキュアシリーズとのコラボがなくストーリーに集中できたのも良かった。
美しい地球の風景、ユーマとララの心の交流と別れへの不安、「それだけで、いいのかなって」ひかるのララへの問いかけ、ユーマが宇宙に還っていくシーン…。知念里奈さんの主題歌も美しかった。一度は見てほしい。
始まるまでは「星というとセーラームーンをイメージさせないか?」と若干心配したが、そんなことはなかった。12星座に焦点を当てたこと、他の星に行き、宇宙人たちと交流するストーリー、宇宙での機動的な戦いも面白かった。ロケットで頻繁に地球と宇宙を行き来するため体への負担が大きそうではあるが。夜空や星を見上げるシーンが多いところもスタプリならでは。取り上げているテーマが深いし、ストーリーもわりと中身があるが、ひかるやララのキャラクター、絵柄、色味などをポップにすることで見やすくなっている。
カメラなんか本当は要らないはずなんだけどね。
だけど、昨今は教師の暴言や暴力、そしてイジメなんかも目立つし、
生徒たちが真面目に授業を受けない、教師を馬鹿にするなどが当たり前のようにある。
子供を信じるのは間違いじゃないが、真実を知らずに信じるのは愚かだと気づかない。
窮屈な学校生活になるが、教師・生徒ともに真実の記録を残すには仕方ない設置だと思うね。
あとは記録を残す学校側が『録画が消えてしまった』『不要だと思ったから削除した』なんていう言い訳をして
本日、某学校の説明会があったため、午後休を取って子どもとともにとある学校へと赴いた。
「こんにちは」
「中に入れるのは学生さんだけです」
……は?
疑問に思いつつ、子どもだけ正面玄関へと向かい、受付を済ませた様子。
校門の前には、子どもに付き添いで来たらしい親だけがぽつんと取り残されている。
疑問に思った別の親が、
「控え室はないんですか?」
「ありません」
「親は入れないんですか?」
……ねぇ、それだったらさ、ホームページに最初からそう書いといてくれないかな。
ホームページでの受付の時も「一学生につき一保護者まで」とかで受け付けてたんだよ。
普通、親も入れると思うよね?
途中、方針が変わったのなら、ホームページなり、メールなりで前もって知らせてくれれば、少ない有給を捻出してまで午後休を取らなくて済んだのに。
さすがにその文句を案内してくれている学生くんに言うのは筋違いだと思ったのし、私もいい加減、大人にならなければと我慢して、とっとと帰ってきたのだけど、どうして学校というのはそういう案内が足りないのか。
こういうところで今後の学校生活が垣間見えるな、と思って、私の中ではこの学校は第二希望へとランクダウンしたのでした。
ちなみに、きちんとした学校は説明会で必要な持ち物など、HPに別紙に(PDFでだったけど)書かれていました。
今日行った学校はHPをさんざん探したんだけど、すぐ見える場所にはなく、それも不親切だと思いました(結局のところ、ないみたい)。
まあ、常識的に考えて、スリッパと筆記用具だろうけど、当たり前と思っても、書いておいて欲しいですね。
最低限、必要なものはだれもが分かっているだろう、というのは通用しないのです。
学校側の人たちが常識でも、それは外では非常識なこともあるし、当人たちが当たり前のことでも、他の人たちには当たり前ではないのです。
今日の出来事は自分への戒めということで、でも、記名式だとどこのことを言っているのか分かってしまう可能性を考えて、あえて匿名で書かせてもらいました。
※まあ、今回の出来事は学校だけではなく、会社や社会にも言えることなんですけどね。
ついでに愚痴。
このコロナ禍で、学校見学会の申し込み予約がなかなか取れません。
枠を制限しているため、人気がある学校はすぐに枠が埋まってしまいます。
見学なんてしなくていいかなと思ったのですが、今回のことを考えて、「入った後に後悔すること」になる可能性があるので、事前見学は必須だなと感じました。
こちらが恣意的に張り付ける失敗基準など用意しなくても政府は自らそれを用意し、そして失敗してきている。
以前投稿した内容を再掲するが、政府はこの五輪に色んな決意、目標、意気込み(つまりは成功基準あるいは裏返せば失敗基準と呼べるであろうもの)を掲げている。それらはことごとく達成されず、そのたびに政府の宣う成功基準は下がっていった。
何日か前にはついに、"結果的に『やってよかった』と言われるような大会にしたい"などと、もはやどう転んでも解釈次第で成功したと閣議決定できそうな決意を述べるに至った。
コンパクト五輪:失敗。当初掲げた予算目標を大幅に超過。担当大臣すら予算の全容を把握していないことからして、そもそもこの目標を実現する気が有ったとは思えない。
人類がコロナに打ち勝った証として完全な形で開催する五輪:失敗。人類全体も日本も未だコロナ禍の渦中にある。観客数や五輪関係者への行動制限など様々な制約を付けた不完全な形で五輪を強行。
"安心安全な大会を成功させ、未来を生きる子供たちに夢と希望を与える歴史的な歴史に残る大会を実現したい"五輪:すでに半ば失敗。緊急事態宣言を発令せざるを得ず、バブル方式も名ばかりで穴だらけな状況を安心安全とは言わない。運動会やその他の学校生活は大幅な自粛を求められる一方で五輪は強行される等、与党の都合による様々な矛盾した施策を見せつけられた子供たちが夢と希望を抱けるはずもない。政治の劣化と腐敗をまざまざと見せつけられて、子供たちはこの国への失望と己の未来への危機感を抱くことだろう。
コンパクト五輪:失敗。当初掲げた予算目標を大幅に超過。担当大臣すら予算の全容を把握していないことからして、そもそもこの目標を実現する気が有ったとは思えない。
人類がコロナに打ち勝った証として完全な形で開催する五輪:失敗。人類全体も日本も未だコロナ禍の渦中にある。観客数や五輪関係者への行動制限など様々な制約を付けた不完全な形で五輪を強行。
"安心安全な大会を成功させ、未来を生きる子供たちに夢と希望を与える歴史的な歴史に残る大会を実現したい"五輪:すでに半ば失敗。緊急事態宣言を発令せざるを得ず、バブル方式も名ばかりで穴だらけな状況を安心安全とは言わない。運動会やその他の学校生活は大幅な自粛を求められる一方で五輪は強行される等、与党の都合による様々な矛盾した施策を見せつけられた子供たちが夢と希望を抱けるはずもない。政治の劣化と腐敗をまざまざと見せつけられて、子供たちはこの国への失望と己の未来への危機感を抱くことだろう。
この度は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への私の参加につきまして、多くの方々を大変不快なお気持ちにさせることとなり、誠に申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます。
ご指摘頂いております通り、過去の雑誌インタビューにおきまして、学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然であると真摯に受け止めております。
私の発言や行為によって傷付けてしまったクラスメイトやその親御さんには心から申し訳なく、本来は楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまったことに、深い後悔と責任を感じております。
学生時代、そしてインタビュー当時の私は、被害者である方々の気持ちを想像することができない、非常に未熟な人間であったと思います。記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
また、そういった過去の言動に対して、自分自身でも長らく罪悪感を抱えていたにも関わらず、これまで自らの言葉で経緯の説明や謝罪をしてこなかったことにつきましても、とても愚かな自己保身であったと思います。
それにより、当時のクラスメイトだけでなく、学生時代に辛い体験をされた方々やそのご家族、応援してくださるファンの方々に対しても、不誠実な態度を取り続けることになってしまいました。本当に申し訳ありません。
学生当時、私が傷付けてしまったご本人に対しましては、大変今更ではありますが、連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております。
今回、私が東京2020オリンピック・パラリンピック大会に携わることにつきまして、否定的なご意見を頂くのは尤もであると思います。また、このコロナ禍において、国民の皆様が不安を抱えるなかでの大会開催に関与することへの疑問のご意見も頂戴しております。
本来であれば、様々な理由から、私の参加にご不快になられる方がいらっしゃることを考慮し、依頼を辞退すべきだったのかもしれません。しかし、課題も多く困難な状況のなか、開会式を少しでも良いものにしようと奮闘されていらっしゃるクリエイターの方々の覚悟と不安の両方をお伺いし、熟考した結果、自分の音楽が何か少しでもお力になれるのであればという思いから、ご依頼を受けるに至りました。
そのうえで、今回の音楽制作にあたりましては、自分なりに精一杯取り組んで参りました。それは、私だけではなく、他のクリエイターの方々も同様であると思います。故に、私の関与により、開会式へ不快な印象を与えてしまうことを心から申し訳なく思います。
この度、様々なご指摘を頂いたことで、あらためて、自分自身の在り方について振り返り、反省と再考をさせて頂く機会を得ました。それにつきましては、ご意見をくださった皆様に、感謝すべきことだと感じております。
私が傷付けてしまったクラスメイトご本人へはもちろんのこと、長年の私の不誠実な態度により、不信感や不快感を与えてきてしまったファンの皆様や友人たち、関係者の皆様に、心からお詫び申し上げます。
一人の人間として、また、音楽家としてどう在るべきか、自分は世の中や周囲の人々に対して、どういったかたちで貢献していくことができるのか、常に自問自答し、より最善の判断をしていけるよう、一層の努力をして参りたいと思います。
小山田圭吾 2021年7月16日
俺の家の話をしようじゃないか。
受験に合格し、私学に行ったガキ(兄)と公立に行ったガキ(弟)の話をしよう。
学校でいじめられたことを先生方に訴えるも、先生方が下から数えたほうが早い生徒の訴えに耳を傾けることなどなかった。
私学に行ったガキはぐれた。
学校では成績優秀者に常に名前を連ねる生徒の相談として先生も親身になって聞いてくれる。
結果、公立に行ったガキはのびのびと学校生活を送り、公立の大学に現役合格した。
という俺の家の話から考えると、私学に行ったら人生が開けるわけでも、公立に行ったところで人生終わりってわけでもない。
俺の家の場合は鶏口となるも牛後となるなかれ...だったなって思う。
私は幼少期から学校生活において女子ばかりの環境で育ち、大学時代もあまり積極的にサークル活動などしなかったので、男との関わり方が正直あまりわかりません。
なので、私ちゃんもそろそろいい人いないの?と言われたりします。しかも、青学卒の女の子っぽいキャラを頑張って演じてしまっているので、恋愛経験、それに付随する経験がないことがいつかバレるのではないかと不安で仕方ありません。
(幸い、容姿や体型に関しては特段美少女やモデル体型などではないですが、青学卒の女の子を演じるにはまずまずの説得力があるのでそこで疑われることはないです)
学生時代の男絡みの話が出ると本当にヒヤヒヤする上、今後彼氏を作って結婚するなど到底考えられないので、なんとか男がいるふりをして誤魔化すことはできないものでしょうか。
いっそのこと出会い系とかで一度経験だけでもしたほうが良いでしょうか?犯罪に巻き込まれないか心配なのですが安全な方法などありますか?
地元の公立中から公立高校を出て大学に入った。共学にしか通ったことがない。
それで、大学で中高一貫男子校の人たちとたくさん出会うことになったんだけど、もちろん全員ではないし、すごい良い奴、面白い奴もいるんだけど、全体的にはホモソーシャルという感じがすごかった。飲み会とかでのノリ、女性への振る舞い(これは単に女性に悪いことをするとかではなく、むしろ過剰に優しく扱うみたいなのが特に違和感があった)、見てられないと思う瞬間が多々あった。共学出身の奴でこういう奴がいない、というわけでもないけど。あくまで傾向の話として。
よく、別学のメリットとして異性の目を気にせずに勉強に集中できる、自由な学校生活を謳歌できるみたいなことが言われている気がするけど、結局はそこを卒業したらすべての性自認の人がいる社会なわけで、そこでツケを支払うことになる(というか、正確には周囲がその対応を迫られる)ように見えて、じゃあ男子校のメリットっていったい何なんだろうと思う。なんで周りが、お前が6年間男子校で育ってきて知ってこなかったことの尻拭いをしなきゃいけないのか。
女子校は、俺は男なので正確にはわからないが、社会において女性が不利な局面というのは、特に勉強とか進学の側面ではあるだろうし、性別から離れて人間として生活できる、そして結果的に女性をエンパワメントするみたいな側面が今の社会ではまだ残っていると思うから、特に私立なら存在する意義はあると思うけど(もちろん良妻賢母教育とか謳ってる、むしろ女性性を内面化させるような学校があることもわかる)。
でも男子校が当人の人生に、あるいは社会にもたらすメリットっていったい何があるのか、男子校出身の人は思うところを教えてくれたら助かる。