はてなキーワード: 名産とは
元々コミュニケーション能力低いほうだとは思ってたけど、いうて日本人平均よりちょい低いくらいやろ、程度に軽く考えてたんだよな。
ただ大学卒業して会社員(法人営業)やってると周りより格段に劣る能力を痛感することが多くて泣ける。
全然思い出せないけど例を挙げるとこんな感じ
みたいなことを、慣れとかではなくずっと繰り返してる。
どうも「人に話しかける」「メールを送る」といった処理コストが俺の脳には重たいらしく、仕事を始めると速攻で気力を使い果たして人と関わりたくなくなってしまう。
逆に客先の売り込みとか説明とかは全然楽しいんだけど、上のことができなさすぎて準備時間がほぼないまま突撃して糞みたいな結果に終わることも多い。
とはいえ提案自体は上手くいってもお客さんとの仕事以外の雑談とか会食とかは無理すぎるのでまあ営業としては広がりがなくて終わってる。
先輩も最初は気を遣って遊びとか飲みとかに誘ってくれてたけど、俺のおもんなさとおもんなさそうさを察したのかほぼ完全放置されるようになった。
後輩は今のところ気を遣ってくれてるのかとりあえず媚び売ってくれてるのか、楽しく話せるようにいろいろ話題を振ってくれるけど申し訳ない気分になる。その先輩への気遣いも俺がやろうと思っても全くできない行動なので猶更負い目がある。
最初は一瞬部署が合わないせいかと思ったんだけど、冷静に考えると俺が溶け込めそうな場所なんて殆どない。
かといって適応するために無理すると心が壊れそうなので流れに身を任せて諦めつつある。
人生でこれだけはなりたくなかった、無口で仕事のできないおじさんに、まさに今なりつつある。
仕事でも遊びでもなんでもいいから積極的に人と関わって、それを楽しいと思えるようになっておくって大事だったんだなぁと糞当たり前のことを今さら痛感した。
これからどうしたらいいんだろうな、って質問には色々答えがありそうだけど、そのどれにも応えられなさそうな自分が容易に想像できる。悲しいなあ
ChatGPTに聞いてみた
岩手県:
名産品: 三陸海岸の鮮魚や漁業関連の加工品、南部鉄器、盛岡冷麺、わんこそば、ぼっけもん(りんごやブルーベリーの加工品)
観光名所: 盛岡城跡、八幡平、奥州市・中尊寺、三陸海岸、平泉・中尊寺、花巻温泉郷、釜石市・気仙沼市の復興支援の取り組みや被災地の復興施設
山形県:
名産品: 山形牛、さくらんぼ、米沢牛、花笠、さやえんどう、もずく、天童木工家具
観光名所: 山寺(山形市蔵王町)、山形城、銀山温泉、米沢市の歴史的建造物や武家屋敷、さくらんぼ狩り、米沢市の山形牛の牧場、出羽三山(湯殿山、月山、鳥海山)
山梨県:
名産品: 富士吉田や河口湖の富士宮やきそば、ほうとう、富士山麓のワインやフルーツ、甲州ワイン、富士山麓の果物加工品
観光名所: 富士山(世界文化遺産)、富士五湖(河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、湖尻)、忍野八海、河口湖湖畔の遊覧船、富士吉田市の富士山本宮浅間大社、身延山久遠寺、勝沼町のワイナリー
岐阜県:
名産品: 飛騨牛、郡上八幡のお祭りである「郡上おどり」の関連商品、美濃和紙、岐阜市の味噌カツ、飛騨の木工品、関ケ原町の薬膳茶
観光名所: 白川郷(世界文化遺産)、飛騨古川、高山市の古い町並み、岐阜城、岐阜市の長良川鵜飼、関ケ原町の関ケ原の合戦の古戦場、飛騨高山の春と
(途中で切れる)
秋の祭り、飛騨の里の民俗村、高山市の朝市、白川郷の合掌造り集落、高山市の神社仏閣など。
福井県:
名産品: 越前ガニ(ズワイガニ)、越前漆器、福井市の水引細工、福井県産の越前和紙、越前そば、若狭の鮮魚や加工品、越前焼
観光名所: 水の森越前、越前岬、一乗谷朝倉氏遺跡、敦賀市の鯖街道の町並み、恐竜博物館、永平寺、三国花火大会、越前加賀温泉郷
岡山県:
名産品: 備前焼、岡山県産の桃やぶどう、讃岐うどん、岡山産の和牛、牛肉の加工品、岡山県産のマスカット、岡山県産のミカン、岡山県産の洋酒
観光名所: 倉敷市の美観地区(重要伝統的建造物群保存地区)、岡山城、後楽園、牛窓町の町並み、吉備津神社、玉野市の瀬戸内海国立公園、岡山湾の海釣り、赤磐市の赤磐龍神社
徳島県:
名産品: 阿波踊りの関連商品、鳴門金時(さつまいも)、徳島ラーメン、阿波和牛、徳島県産の柑橘類、鳴門のうずしお、阿波じゅんさい
観光名所: 鳴門の渦潮、阿波踊り会館、徳島城、大塚国際美術館、徳島市の文化財や歴史的建造物、祖谷渓、鳴門市の大麻比古神社、板野郡の城下町風景など。
まず大前提
「しゃもじ」の件に関して
じゃあ、まず好きなように出力させて、その後テストするやり方をやってみた
↓
滋
↓
ワイ:ありがとうございます。では、chatgptが出力した単語に名産品ではないものがないかチェックしてください。
↓
↓
↓
仙台七夕まつりは、宮城県仙台市で毎年8月に開催される祭りであり、伝統文化の一つとして広く知られていますが、名産品としては扱われていないと思われます。仙台市や宮城県は、多数の名産品を持っていますが、仙台七夕まつりがそれらの中に含まれることはありません。
↓
ワイ:では、再度名産品でないものが含まれていないか確認してください。
↓
再度確認してみましたが、前回と同様、問題のある単語は見つかりませんでした。名産品に関する情報をリストアップする際には、一定の信頼性のある情報源からの情報を元に確認することが望ましいですが、今回出力されたリストには明らかな誤りはありませんでした。
↓
ワイ:仙台七夕まつりがリストに含まれていましたが、それは問題ないでしょうか?
↓
すみません、先程私が説明した通り、仙台七夕まつりは名産品とは言えません。私の認識不足でした。リストに含まれていたことを踏まえ、正しい情報を提供できるよう、以下に改めて宮城県の名産品をリストアップいたします。
うん!こういう用途では使えんな!てか渡波鰊(わたなぼしりょう)って何?
GPT4だと改善されているのだろうか
名所であって名産品ではないよね
たしかに3回くらい続けてくださいと言ったら完走した
以下に、日本の47都道府県の名産品を一部挙げてみました。各地には他にも多くの名産品がありますので、参考程度にご覧ください。
北海道: 海産物(ホタテ、ズワイガニ、イクラ)、牛乳、バター、ラーメン、ジンギスカン
埼玉県: 川越おでん、秩父夜祭り、行列のできる手作りかりんとう
千葉県: 房総のあまご、幕末千葉藩ゆかりの品、日本一の大観覧車
和歌山県: 白浜温泉、紀州備長炭、南紀白浜アドベンチャーワールド、串本町
ワイ
GPT-4
はい、日本の47都道府県それぞれの名産品を教えます。以下は、各都道府県の名産品の一例です。
北海道:海産物(ズワイガニ、ホタテ、ウニなど)、ラベンダー、ジンギスカン(羊肉の焼肉)
(22番目の静岡で止まったのでリトライしたら、今度は17番目で止まった)
(Regenerate responseを実行)
北海道:ジンギスカン、海鮮、牛乳、バター、クリーム、スイートコーン
秋田県:きりたんぽ鍋、稲庭うどん、なまはげ、秋田杉、きんかん
福島県:ふくしま和牛、ふくしまのもも、会津蕎麦、猪苗代湖、大内宿
栃木県:とちおとめ、うつぼやき、宇都宮餃子、塩釜あんかけ焼そば、日光東照宮
群馬県:赤城そば、焼きまんじゅう、草津温泉、おはぎ、みそ漬け
埼玉県:川越だんご、とんかつ、草加せんべい、熊谷うどん、秩父神社
千葉県:アンコウ鍋、佐原の町並み、烏賊の塩辛、あんぱん、餃子
新潟県:越後ぶらぶら茶、胎内の滝、いわしのなめろう、笹団子、上越地鶏
岸田総理がキーウを電撃訪問した際に宮島名産の必勝大しゃもじと折り鶴型ランプを持参したと伝えられているけど折り鶴型ランプというのは奇妙だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230323/k10014017361000.html
これは間違いじゃないのか?
宮島御砂焼は陶器だから光が透過する部分っていうのはない。一方、こういうのはある。
https://miyajimayaki.jp/productall/inori/
香炉だ。
釉薬(うわぐすり)はガラス質の粘土と金属を混ぜて使うが、その一つに灰釉というのがあって名の通りに灰を使う。
折り鶴香炉の場合は紙の灰を使うんだが、その紙は広島の原爆記念公園に捧げられた大量の折り鶴なんであるな。
宮島のてっぺんにあるお堂で焚き上げをしてその灰を釉薬に使うって訳だ。
因みに紙は燃やして灰になるとカリウムが残る。真っ白なボーンチャイナは名の通りに焼いた骨(リン酸カルシュウム)を入れるので真っ白だが、カリウムの場合はそれに準じたややオフホワイトくらいの白さになるようだ。
送ったのはこっちじゃないの?質問に答えた人が把握してなくてランプと言ってしまったのではないか?
折り鶴香炉だったら、しゃもじで必勝祈願して折り鶴香炉で平和祈願という組み合わせで巧いなと思うし、折り鶴香炉の由縁を調べたら広島の原爆の事が出てくるというのもかなり巧いなと唸ってしまう。
でも香炉を贈るっていうのには実は元ネタというか先例があるアイデアなんだな。
まだ侵攻から1ヶ月程度の2022年4月に英国のボリス・ジョンソン首相が電撃訪問をして世界を驚かせたが、この時数人の兵士の護衛だけで戦火に近いキーウ市中を歩き回るという根性を見せた。
まーこの映像にはたまげた。
そん時に途中で通りがかりの女性に瀬戸物の雄鶏を贈られるという一幕があった。(2:33あたり)
多分これはウクライナ側の仕込みなんだろう。
イーウ北部のボロディアンカは侵攻初日から爆撃を受け多くの建物が倒壊したが、その一つで「建物が半分だけ破壊されたのにその断面に食器棚が無事に残っている」という状態になった。
(真ん中の写真)
しかもその上には雄鶏の水差しがこれまた無事に残っているのである。
ところがネット有志達はこれを単に不謹慎で終わらせずにポジティブなネットミームとして利用する事にした。「不屈」のシンボルとしたんだな。
それにミーム戦に長けるウ当局が乗ったのだろうと思われる。早朝にむき出しの水差し二つ持って歩いてる女性って明らかに不自然だし。
因みにこの水差しはキーウ北部の窯元で作られてたもののレプリカとの事だ。
今も売ってるかはウ国外からじゃよく判らん。コピー品じゃない「本物」はもう売ってないようだが。
それでどうしても欲しい人向けに3Dデータが公開されていたりする。
このミームが功を奏してかは判らないが、ボロディアンカにはバンクシーも密かに訪れ、有名な柔道着の大人を子供が投げる絵を残している。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE123N80S2A111C2000000/
こういう文脈があるのでメッセージ性が高い二品を持って行ったのかと思われる。
これを考えた人はニュースだけじゃなくてネットミームもよく見てる策士と言えるのでは。よく考えられてるなと関心する。
訪問時期が丁度習近平のロシア訪問と重なった事もあって、「日本の総理はロシアの戦争犯罪犠牲者の追悼に、中国の主席はその戦争犯罪人に」って感じで対比されてもいる。
ただ残念なのはちんたらし過ぎで時機を逃し話題性が劣るというのと日本語がマイナー言語でミームとして広がり難いという事。
そして政府の人間がどうも折り鶴香炉の意味や背景判ってねぇって事だ!ランプじゃないだろ、香炉だろ。陶器のランプって何やねん。
つーことで「広島原爆公園の折り鶴の灰で作った香炉でしょ?」っていうのをはっきりしてして欲しいのと、英語ができる人らは折り鶴香炉の意味と背景を流布させて欲しいなと思うなど。(他力本願)
・車社会 結構マナーいいというかやさしい人多いと思う。右折待ちとかすぐ入れてくれる
・子供多い よきこと
・全然名産品ないな。(まぁ兵庫も一体感無いんだけど)クラブハリエは希望の星
・西川君は神
・実家一戸建て→マンション住まいだけど、水が美味しい気がする…自分ちで入れた麦茶こんなうまかったっけ
適度に文明あるけど適度に空いてるし、いいとこだと思う
・西川貴教を愛している
・でもあまり知られていない
・ひこにゃんも県の誇り
・安土城が残ってたらよかったのにとふと思う
・世界遺産の延暦寺は住所が滋賀県なのに、京都のものにされてて悲しい
・明るい廃墟と言われたピエリ守山は今は賑わっており、温泉もある
・雄琴に有名な風俗街があり、その横の国道を車で通る時はなんか気まずくなる
・「滋賀県行ったことあるよ!新幹線で通ったよ」と言われて悲しくなりがち
・「滋賀県行ったことあるよ!サービスエリア寄ったよ」と言われて悲しくなりがち
・平和堂のホップカードを県民のほとんどが持っているのは本当の話
・なんだかんだで滋賀県が好き
・車の滋賀ナンバーは「ゲジナン」(滋の字がゲジゲジなので)とバカにされる
・「違う!イナズマナンバーだ!」と言い返す人もいる(参考)http://zombieaso.blog.jp/archives/23357712.html
・JR湖西線はすぐ強風で止まり、神戸線まで迷惑をかけてしまう
・ビワイチという自転車で琵琶湖一周するルートがあるが、気軽に行くと10時間以上かかるので死ねる
・BBCといえばイギリスの放送局ではなく「びわこ放送」を思い浮かべる
・滋賀新聞はなく、代わりに京都新聞に少しだけ滋賀情報が載ってる
・クラブハリエのバームクーヘンは数少ない全国区の名産品なので、滋賀県民の誇りであり心の支えになっている
・滋賀県の面積の6分の1が琵琶湖で、半分は森林。滋賀県4000㎢、森林2000㎢、琵琶湖600㎢。基本的に琵琶湖と山の間の平地に住んでる
・琵琶湖の近くで運動すると琵琶湖虫というユスリカが汗の匂いで頭の上に集まる
・イナズマロックで雨が降ると「なんで台風の時期にやるんだろう」と思う(西川貴教の誕生日)が、滋賀でフェスやってくれることは感謝してる
・ブラックバスを食べたことある人が多い。給食に出ることがあるし琵琶湖博物館でも食べられる
・たくあんマヨネーズか入ったサラダパンが紹介されることがあるが、あれは基本的に湖北の人しか食べたことがない(他ではほとんど売ってない)
・ぽこピーは甲賀市なので滋賀県民にはそこまで知られてない(気がする)。応援してる
・5年生になると、「うみのこ」という船に乗って他学校の生徒と船上で一泊する
・ちなみに4年生は「やまのこ」といって山の施設に一泊する
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
311の地震があった当時、まだ子どもだった私は兄と父方の祖父母を亡くした。友達も亡くなった。
親戚や母方の祖父母の協力もあって大学まで進学でき、就職もしたが、あの地震と津波は子どもの私のアイデンティティに影響を与えた。
大学は関東に行ったが出身地について話すと(ああ、津波の…)みたいな反応があったし、これからもそういう印象を持たれ続けるんだろうなと思っていたし、311のことを忘れてほしくないからそれで良いと思っていた。
今でも思い出さない日はないし、地震や津波に対する意識が低いというか、当事者意識のない人に苛つくこともあった。自分だって被災するまで当事者意識の欠片もなかったのに良いご身分だとは思っている。
就職して半年くらいの頃に出張で関西の支社に行った。上司に連れられて関西支社の人たちと話して、軽い自己紹介の折、出身地とかを聞かれて答えると、
「ああ、地震とか津波があったとこ…」と言った人がいた。ちょっとデリカシーがないぞ、みたいなことを誰かが嗜めるように言ってくれてた気がする。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
あのとき声をかけてくれた人は自分も神戸の震災の被災者でデリカシーのない人に出くわしたときの気持ちは分からんでもないよ、と気を使ってくれていたのだ。
なのに私は自分が被災者だという自意識から抜け出せず、東北の震災は忘れてほしくないと考えてるくせに、他の被災者のことは簡単に忘れていた。
すごく恥ずかしく申し訳なくなった。
今はもう簡単に他人に東北の震災を忘れてほしくない、とは言えない。
どんなに限局的な災害でも、被災した人にとっては、たぶん東北や阪神の震災より大きな出来事なのだ。
私は規模が大きい災害に遭遇したから大変ではあったが今でも色んな人が気を使ってくれたり、たぶん限局的な災害では受けられなかった支援を受けられたところもあった。(被災したものの自分の努力と保険でなんとかするしかなかった人の話を聞いた)
忘れないということも大事だし、そのための活動も必要だけど忘れた人を責めたくない。忘れていても教訓が生きていればもうそれで良いと思っている。
伝統工芸品、民芸品、郷土玩具を観に行ったり買うことなんだけど。伝統工芸品(実用品)ってね、その地域がどんな場所なのかを反映してて、知ると新しい地図が頭に広がる感覚が生まれて、それで趣味になった。
例えば凧は風が強い地域でよく作られてる。和紙は城下町や寺社仏閣のそばでできてることが多い。焼き物も、城下町のそばとか出荷用の港が近いとか物流ルートが発展に影響してる。馬の餌にするバカでっかいトウモロコシの葉っぱで編んだ履物とかを見ると、馬が運ぶような収穫物があって、細工ができるような農閑期がある内地なのかなって想像するのが楽しい。削り花は雪の中でも飾れる木を削った仏花。雪深い東北の冬に家族を思う気持ちを思う。横浜のシルクと八王子の養蚕の関係とかがわかると、昔の暮らしと地形がマッピングされていく感覚が気持ちいい。名産物は理由もなく名産にはならないんだよね〜。謎解きみたいに理由が現れるのが楽しい!
そして郷土玩具は込められたラブが強い。健康であってくれとか、いっぱいご飯食べてくれとか、大抵は子供のための願いなんだけど、まれに領主が農民の幸せを祈る飯盛人形とか出てきて昔の愛情の幅広さを知る。温泉地・観光地近くのお土産系も面白い。有馬筆、箱根挽物細工、からくりや技工の巧みさで旅の思い出話に花が咲いただろうなと想像する。今よりよっぽど各地が独立文化だった頃の多様な暮らしへの想像が掻き立てられる。
ちなみに私の一番のお気に入りは高知のお座敷文化と尾長鶏と穴の開いたぐい呑。九州とかはたぶん食べ物が豊富すぎて東北みたいに内職してお金になるような細工物をあんまり作らなかったんじゃないかって印象なんだけど、同じく南国の高知はその上を行ってて、細工物を作らないどころかパーティー文化用品が強烈に発展してる感じが大好き。日本海側文化圏出身だから、眩しい!
電通の五輪談合疑惑が報じられて「なんで広告代理店の電通がどこにでも顔出して金さらってくんだよ?」と訝る人が結構居る。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/4348b7be7c6a3f20646eded102d521f62fbe07dd
そうではなくて電通はスポーツイベントの元締め、親請け業もやっていてその分野では殆ど独占に近い寡占状態なんである。
五輪をはじめ、スポーツイベントには沢山の業種が関わるが、その元請けが電通ってわけ。
例えば警備業では;発注自治体--電通--警備会社(警察に警備計画出して許可貰う)--警備員
イベント業;電通--大手イベント業者--下請けイベント業者--とび職
といった具合で多種多様の業種が加わるが、みんな電通の下流で仕事貰うって形になるわけ。
因みに、広告では鉄道会社なんかは自社の子会社の交通広告社通してって所もあるので広告の多重請負は必須。
イベント業者は会場の作成で、屋外で床材敷いたりテントを設営したりステージ組んだり。
鉄管で観客席作ったりする場合はとび職を呼ぶ。
リースってのは仮設トイレや誘導のLEDやぼんぼり(発電機の上に白くて大きい丸いのを光らせるアレ)とかプレハブとかね。
五輪などでは会場の作成、特にトイレの改修やバリアフリー化、床の平坦化なんかが必要なので。但し小さい改修だけ。大きい箱ものの建築は別建てで自治体や国から直接ゼネコンに委託する。
要するに何でもかんでも全部であって、これだけイベントで多業種を統べて下請けに出す能力があるのって電通ぐらいしかない。
だから行政が絡むイベント、スポーツイベントっていうのはなんでもかんでも電通が元請けになっている。
国体もマラソン大会も「県主催社会人野球大会」とかのややマイナー系も殆どだ。
さらに最近増えてきた自治体主催のお祭や花火大会とかも同じだ。「タレントが来る祭」となったら電通とかじゃないとセッティング難しいってのは想像できるだろう。
「自治体」「スポーツ」「芸能人」が絡んだら電通案件、はっきり分かんだね。
実際、広告業に従事してる人でもこの辺の常識知らない人は居る。
例えば博報堂出身の中川淳一郎は、五輪と休業助成金事務委託問題が湧きあがった時に、東京新聞に「おまいら落ち着け、広告代理店の電通が悪の秘密結社みたいに政財界を牛耳ってる訳じゃないだろ」というコラムを掲載している(紙だけでデジタル版はないのでリンク出来ない)。
この記事でもその認識が出てる。https://www.dailyshincho.jp/article/2016/11100800/?all=1
いや、電通は広告屋だけじゃないからアチコチで顔を出すんだよ。特に「国」が開催する「大」「スポール」大会の五輪ともなれば。
中川が在籍していた業界ナンバー2の博報堂にはイベントプランニングの業務はなかったので、当然電通にもないんだと思い込んでしまってるのだな。
マラソン大会や大きい名産展とかの行政発イベントの前日や翌日に会場に行くと、「電通」のワッペンや腕章した作業員が沢山働いているのが見られる。
無論彼等は電通職員じゃなくて下請けのイベント会社やとび職やリース会社の社員やバイトだ。元請けが電通だから「電通でーす」と言って入場してるのである。
こんな風に何でもかんでも電通に投げればイベントがつつがなく終わるのだが、もう一方で行政の委託先が独占だったり不透明だと良くない、という風潮も出てきた。90年代からだ。
そこでなるべく業務を細分化して競争入札やプロポーザルにしようという流れになってきた。
イベント部門も投げる内容が狭ければ、総合イベント業みたいな会社も育つ。広告も直接地方で大手の代理店に投げればいい。建築もスタジアム立て直しみたいな巨額の金が動くものでは建築土木を分離して別建てにして入札の様子も公開したほうがいい。
委託先独占は権力との癒着を生む。毎回電通っていうのは畢竟随契なんだから契約内容も交渉も不透明だ。
という感じで、ノウハウも独占してる電通以外に委託するのは困難を伴うが、腐敗防止と契約透明化の為にわざわざ事業を分割して競争入札の形にしてあったというわけ。
そこで「おめえらだけじゃ不安だしノウハウも足りんだろ。後で協力体制を敷けるようにここはこの価格で提案はこの内容で、と割り振ろうじゃねーかhehehe」って感じの談合をしたのかなと想像する。
さて、2020年の五輪は流れてしまったわけだが、その年に休業助成金事務委託問題が湧きあがった。どうも受注の経緯が不透明で怪しいってやつだ。
上記の業界構造が判れば、これはどうも損失補填に国が応じたって事なんじゃないのか?という疑念が出てくる。五輪流れでイベントの実業分野の収入ががた落ちとなった。その代わりに派遣、事務業務請負の方で補填という請願に国が応じたのではないか?と。
これがゼネコンなどではぶら下がってる土建業者や職人が食い詰めてしまうので、一見無駄だが工事して金を流すっていうのは判る。でもこの電通の場合は下流のイベント業者などには金が流れず、電通しか救済されないのだからあの不透明随契と委託費抜き過ぎの構造はかなりいただけない。
電通=広告屋なのに五輪で暗躍してるのなんで?と思ってた人については、博報堂出身の中川淳一郎も判ってなかったので気にしなくていいと思うよ。
でも業界構造や委託の仕組みが判れば秘密結社の陰謀とかじゃなくてノウハウを牛耳ってるが故に行政、スポーツが絡むイベントにはどこでも元請けしてて、癒着に近い状態であり、各自治体や国は随契から公開プロポーザルへの流れに乗っていたのにそれをぶっちぎったのが今回の談合疑惑であり、その後ろには積み上げられた社会的了承に無頓着な安倍管時代という「追い風」もあったのでは、という事が具体性を持って判ると思われるよ。