はてなキーワード: 平和堂とは
・バケツプリンを作って近所に配っている
・みたらし団子の風呂を作って飛び込む
→地域のみたらし団子を買い占めて、みたらしファンの喜びを奪おうとしている
→すべった上に友達に「ツッコミが下手やから」と八つ当たりした
→これは失敗テロ
→この墓はこれからの被害者のための墓。全ての人に墓を掘る。もずみん一人で墓を掘る。皆殺しだ…
→これは単純な違法行為
・パン屋のトングをカチカチ鳴らす
→そんなことする暇はなく悪事に勤しむ
・いつもドッキリを仕掛けられてキレている
→コンビニ店員の仕事を無駄に増やして愛想をさらに悪くさせようとしている
→もちろんバケツプリン代に用いた
→槇原敬之の『どんなときも。』のシングルとユーロビートのアルバムのみ購入。商店街でエンドレスでかけるテロを計画
→ふとした拍子に善人になってしまいそうになる自分を戒めるため、闇成分をちいかわから補充している
→何その歌知らん
控えめに言って悪辣すぎる
イギリスのBBCの例の放送から半年が経ち、ジャニーズ事務所は瓦解しつつある。夏前の雰囲気では「噂では聞いた」「当人は故人」「証拠がない」「ごめんなさい」で寸志を渡して逃げ切りそうな空気だったが、再発防止特別チームの予想以上の報告書で潮目が変わった。
国体護持の立場から、新社長は東山紀之となったが、相変わらず「噂では聞いた」としか言わず、社名は変わらず、株主も変わらず、方向性も見えず、期限も示さずではまともな商取引をしづらいのは正直なところ。
そして、東山社長が今から40年近く前に、当時のジャニーズJrに『俺のソーセージを食え』と言い放ったことが話題となった。2005年の『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』という本の一節をネットニュースが取り上げ、それが拡散した形なる。
ところで、この本を書いたのは元ジャニーズJr.の木山将吾である。現役時点は山崎正人と名乗っていた。ただ、木山は、18年前にジャニーズ喜多川からの性被害について赤裸々な著作を書いていたにもかかわらず、この半年間のムーブメントでは特にコメントらしいものを発していない。彼はどこへ行ったのだろうか。
と、ずーっと謎に思っていたのだけど、実は、木山が滋賀県に住んでいることが判明した。
https://www.city.kusatsu.shiga.jp/citysales/ouen/boosters/list/ginrara.html
この写真の右側が、GIN山崎ぎんこと、山崎正人、すなわち木山将吾だ。
山崎は1970年生まれで、15歳~18歳まで山崎正人名義でジャニーズ事務所に所属。光GENJIの候補メンバーだったが、性被害を受けて退所していく。1988年に北公次(フォーリーブス)の『光GENJIへ』などのジャニー喜多川暴露本が出版された後、山崎は1989年、山崎銀名義でアイドルグループ「新・光GENJI」に参加し、それが「SHADOW」となる。SHADOWは、アンチジャニーズを標榜していた地下アイドルグループで、北公次が印税を注ぎ込み運営し、後に被害者の会代表となる平本淳也らも参加していた。ただ、きっかけが不純だったからか、すぐに解散している。
山崎は京都などで活動を単発的にしていたが、2005年に木山名義で『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)を刊行した。週刊文春の報道があり、2004年の最高裁でジャニーの犯罪が確定した翌年になる。
当時、鹿砦社は、ジャニーズ本を多数出していた。ただ、その多くがタレントの住所暴露本でさすがに褒められたものではなかった。社長は同年別件で逮捕されている。2007年には同じ内容でタイトルを変えて「KAT-TUNへ - 赤西仁がやめた本当の理由」と再編集本を出したあたり、同社に胡散臭さがあるのは否めない。週刊文春もこの時期は報道を控えていたこともあり、1988年の北公次のときほど話題にはならなかった。
その後、木山こと山崎ぎんは滋賀県草津市に移住し、2010年頃から滋賀ローカルタレントとして活躍している。GINLALAとして地元女性タレントとコンビを組み、地元コミュニティーFM「えふえむ草津」の出演、イベントやコンサートの司会などをしている。滋賀県のBBCには出演したこともある。
増田も以前に滋賀県に住んでいたことがあるんで、彼の顔は何度か見かけたことがある。平和堂の催しや、町内会の夏祭りの司会などもしていたからだ。名前はうっすらと記憶しているが、その顔や姿、声、話している内容は特に記憶がない。無名のセミプロタレントの一人だと思っていた。
本人は、別に過去を隠しているわけではないようだ。えふえむ草津のパーソナリティー紹介では
とある。ご本人としては「SHADOW」は黒歴史ではない模様だ。
ただ、イギリスのBBC以降のムーブメントがあるにもかかわらず、木山将吾こと山崎ぎんは、何も発言はしていない。2005年の本はかなり赤裸々にジャニー喜多川の加害を表現していたが、それを改めて言及するのは精神的にかなりしんどいものになるのだろう。コロナ禍で大変だったタレント業もようやく回復しつつある。それを台無しにしかねない。山崎はGINLALAのgooブログに登場するが、作成は相方のLALA氏が担当しているようなので、ジャニー喜多川問題への言及はない。
https://blog.goo.ne.jp/ginlala785kusatsu
思えば、ジャニー喜多川の暴露本の先鞭をつけた北公次にしても、再婚してワイドショーに登場した1994年以降、ジャニーズ事務所への言及を避けている。1999年10月から始まった「週刊文春」のジャニーズ事務所の連載。第1回目は、同じフォーリーブスの青山孝史だった。読者としては、続いて北公次も登場するだろうと思ったが、最後まで何も発言しなかった。後の裁判にも参加していない。
北としても、芸能界復帰への思惑がある中、言わずが花、という考え方があるのは理解できる。村西とおるらに煽られ暴露本を書いたものの莫大な印税はあっという間に消えた。反ジャニーズの連中が必ずしも自分の味方ではないというのも悟ったのだろう。
2002年、北は青山、おりも政夫、江木俊夫らとフォーリーブスを再結成している。当時、メリー喜多川は「北と青山はジャニーズ事務所の敷居を跨がせない」と激怒していたという。暴露本に参加したからだ。でも、フォーリーブスの名前を使うことができたのは、事務所とフォーリーブス4名で何かの手打ちをしたのではと指摘されている。タレント活動するなら、もう反ジャニーズに言及しないと腹を決めたのだろう。北は2012年に若くして亡くなっている。
おりもは今年5月のインタビューで「コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました」と指摘したうえで、「僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズのOBや現役を変な目で見ないでほしいです」とジャニーズ事務所擁護の発言をし、一部のファンの喝采を浴びた。おりもは解散後も長くジャニーズの世話になってきたし、北公次の発言を打ち消したい気持ちはあったのだろう。死人に口なしだ。
今年の母の日である5月14日、山崎は地元草津市のホールで「ファミリーコンサート」の司会をする一方、ジュリー藤島は東京で「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。」と述べ、批判を浴びた。
木山将吾こと山崎ぎんは、遠く琵琶湖のほとりで、この半年のムーブメントをどう見ているのだろうか。本日水曜日は13時から「えふえむ草津」のレギュラー番組「GINLALA 午後は大銀醸」が生放送である。クルマで移動するタイミングなので一度聞いてみよう。
元滋賀県民。
滋賀に帰って平和堂に行ったら、停電になって、ちょっと非日常感。
エスカレーター付近で雨漏りがしていて、滑らないように、中学生の頃に好きだった女子ががんばって床を拭いていた。
・車社会 結構マナーいいというかやさしい人多いと思う。右折待ちとかすぐ入れてくれる
・子供多い よきこと
・全然名産品ないな。(まぁ兵庫も一体感無いんだけど)クラブハリエは希望の星
・西川君は神
・実家一戸建て→マンション住まいだけど、水が美味しい気がする…自分ちで入れた麦茶こんなうまかったっけ
適度に文明あるけど適度に空いてるし、いいとこだと思う
・西川貴教を愛している
・でもあまり知られていない
・ひこにゃんも県の誇り
・安土城が残ってたらよかったのにとふと思う
・世界遺産の延暦寺は住所が滋賀県なのに、京都のものにされてて悲しい
・明るい廃墟と言われたピエリ守山は今は賑わっており、温泉もある
・雄琴に有名な風俗街があり、その横の国道を車で通る時はなんか気まずくなる
・「滋賀県行ったことあるよ!新幹線で通ったよ」と言われて悲しくなりがち
・「滋賀県行ったことあるよ!サービスエリア寄ったよ」と言われて悲しくなりがち
・平和堂のホップカードを県民のほとんどが持っているのは本当の話
・なんだかんだで滋賀県が好き
・車の滋賀ナンバーは「ゲジナン」(滋の字がゲジゲジなので)とバカにされる
・「違う!イナズマナンバーだ!」と言い返す人もいる(参考)http://zombieaso.blog.jp/archives/23357712.html
・JR湖西線はすぐ強風で止まり、神戸線まで迷惑をかけてしまう
・ビワイチという自転車で琵琶湖一周するルートがあるが、気軽に行くと10時間以上かかるので死ねる
・BBCといえばイギリスの放送局ではなく「びわこ放送」を思い浮かべる
・滋賀新聞はなく、代わりに京都新聞に少しだけ滋賀情報が載ってる
・クラブハリエのバームクーヘンは数少ない全国区の名産品なので、滋賀県民の誇りであり心の支えになっている
・滋賀県の面積の6分の1が琵琶湖で、半分は森林。滋賀県4000㎢、森林2000㎢、琵琶湖600㎢。基本的に琵琶湖と山の間の平地に住んでる
・琵琶湖の近くで運動すると琵琶湖虫というユスリカが汗の匂いで頭の上に集まる
・イナズマロックで雨が降ると「なんで台風の時期にやるんだろう」と思う(西川貴教の誕生日)が、滋賀でフェスやってくれることは感謝してる
・ブラックバスを食べたことある人が多い。給食に出ることがあるし琵琶湖博物館でも食べられる
・たくあんマヨネーズか入ったサラダパンが紹介されることがあるが、あれは基本的に湖北の人しか食べたことがない(他ではほとんど売ってない)
・ぽこピーは甲賀市なので滋賀県民にはそこまで知られてない(気がする)。応援してる
・5年生になると、「うみのこ」という船に乗って他学校の生徒と船上で一泊する
・ちなみに4年生は「やまのこ」といって山の施設に一泊する
平和堂で働いてたよー
平和堂は関西(主に滋賀県)・北陸・東海を中心に156店舗展開している総合スーパーです。
・西川貴教が歌う平和堂の歌「かけっことびっこ」がフロア中に響き渡る(西川にちなんだ毎時24分と「ゴーゴー」をもじった毎時55分に流れる)
・会員証であるHOPカード(ホップカード)を滋賀県民のほとんどが持っている
・HOPカードは平和堂以外でも割引特典が盛りだくさん(レジャー、ガソリンなど。映画も割引!)
・クリスマスなどイベントごとに子供たちが書いた絵がスーパーに飾られる。子供はお菓子をもらえる
・ロゴマークが2羽の鳩(対立しながら調和を生むという意味がある)
・平和堂の名前の由来は、創業者の長男の名前が平和(ひらかず)だから(後の会長)
・Vtuber「鳩乃 幸(はとの さち)」もいる