はてなキーワード: 仮想敵とは
自分は「叩かれた」「叩いた」っていう表現がよくわからない。そういう事したくなる気持ちが。(あ、ごめん気持ちはわかるけど、意思でやらないって感じね)
批判してもいいけど普通に言えばいいじゃん。大人の表現でさ。罵声を浴びせる必要は無いし、言わなくてもいい嫌味を言ったり、勝ち誇ったり相手をさげすんだりする必要はないけど。そういう事したいやつばっかり集まってきて、自分が気持ちよくなっている連中が多くてウンザリする。
言っている人にとっては刺身のつまというか、嫌いな仮想敵に対して自分がマウントしたり、遠慮なく罵倒したりするテーマが出来て今回の件も内心うれしいんだと思うよ。
借金玉さんって人が書いてたけど、途中は色々あったけど、抗議しました。お詫びして改善されましただから、お互いに内心色々あるだろうけど、そんなに悪い話じゃないんだけどね。上に書いたような連中にとっては、仮想敵をめちゃくちゃに罵倒出来れさえすればいいんだろうけど。
死にたくなるときに都合の良さ、がある、苦しいときにだけ死にたくなって、楽しいときにそうならないのはずるいですよね
といいつつ今死ねたらとても幸せじゃないですか?これからの人生、今より良くなることは無いですよ、お前は人間に向いていない
何で泣きたくなるのか分からん、自分の何も無いところに同情しているんですか、汚らわしいな、嫌な寒さだ、自分に同情していない、ということがかっこいい、悲劇的だと思っている?
最高の気分なんてのはやっぱり錯覚なのか、いや今の状況がもう一方から見たら錯覚? 本心とか本音とか、表裏なんてものはなくて、体積の無いただの網みたいなものがぐちゃぐちゃになっている
他人に蹂躙され続けて影も形も無くなりたい、死にたい自分はサイコー、仮想敵とばかり戦っていて馬鹿じゃないの?
あーこのまま透明人間になって何もかもすり抜けて、誰にも影響を及ぼさずに暮らしたい、手が届かなくなるけど、それがきっといい
本当に都合のいい人間だな、自分のことばかり考えて、それを吹聴している、何も喋らないものに早くなってほしい
あと1年で死ぬとか言ってたでしょう、どうするんですか
そういやこんなのあったなと思い出したので貼っておく
この頃からあんまり進歩はないが、SNSのおかげで腐女子の顕在化はだいぶ進んだようで何よりだ
年数が経過した分だけ若年層が上がってきてるので何度でも繰り返さねばならないんじゃないか
個人的には性は良い意味でもっと表沙汰になって、もっと軽くカジュアルに扱われるようになって欲しいと考えているので
腐女子も男のオタクも自重しないで楽しくワイワイやっていただきたい
つーか長いことオタクやってると異性もゲイともオタク仲間になるので、異性排除とかやってらんなくなると思うんだけど
先週ぐらいだったか、上司と飲んでてフライドポテト頼んだら学生気分か!って怒られた話が流行ってた。
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1495554936/
なぜかそのことを今朝思い出して、唐突に思った。これはフライドポテト業界の陰謀なのだと。
話題がでてきたのは水曜日だったようだが、俺の観測範囲ではその週末、どいつもこいつもフライドポテトを頼んではInstagramやらTwitterやらに投稿していた。上司を連れているものも多かった。上司だがフライドポテト頼んでやった、みたいなのもみかけた。その週末のフライドポテト消費量はかなり増えたのではないだろうか。
しかもこの話題は未だに尾を引いているらしい。長期的に見ても、フライドポテトの消費は2017/5/24を境に増えていくことになるのではないか。
https://togetter.com/li/1116249
とにかく俺の言いたいことはもうわかってもらえたと思う。
このフライドポテト頼まれてキレた上司は存在しない。新卒を無意味なことで叱る上司という、誰もがイラつくキャラクターをフライドポテトに対する仮想敵をとして設定することで、人々のフライドポテトに対する応援を勝ち取る、そういう戦略だ。
いうなれば震災で生理用品送り返した非実在じいさん的な手法だ。
映画好きの女子大生を主人公にした、安田剛助先生の『私と彼女のお泊り映画』という漫画があります。僕の大好きな作品です。
この漫画の最新話の一部が2ちゃんねるに抜粋掲載されて、そのスレッドがまとめブログにまとめられたことでちょっとした話題になりました。
映画通の男「邦画はクソ。黒澤映画だけは認める」 女さん「はぁー(クソデカイため息) 論破してやるわ」
【映画】なんだよこの漫画www【注意】 : 2chコピペ保存道場
よくいる「ちょっとオタク入ってるめんどくさい大学生」がここまで見事に再現されるとはwwwww : 無題のドキュメント
この男子大学生が登場する回は実は僕もあまり好きではなくて、というのも、彼のキャラクターが如何にもな“ステレオタイプの自称映画通”すぎるからです。
主人公・小春の最後のセリフ「あなたが好きなのは『映画』じゃなくって『映画が好きな自分』じゃない??」を言わせるためにでっち上げられたキャラクターで、所謂邦画ファンの仮想敵でしかありません。
そういうのを言い負かす啓蒙的な作風はこの漫画に求めるところではありませんでしたし、そもそもこんな事言う自称映画通なんて今どき存在しないだろうと思っていたのですが……
というか、少し引きました。
8名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:36:48.05 ID:M9GbgbRG0
言う女に同意できるわけ無いだろう
別に男が悪いとは思えないのだが
69名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:56:57.52 ID:nt7/WWjT0
265 名前:/名無しさん[1-30].jpg[sage] 投稿日:2017/04/26(水) 22:34:42.86 ID:naDWyRswp
言ってることは間違ってないな
クソみたいな映画を絶賛するアホ女多すぎ
もちろん、邦画に対して肯定的な意見も多くあるのですが、ネット上とはいえこんなアホみたいな大学生に同調する人間が多くいることに驚きました。
そしてここからが本題です。
思えば確かに、ここ最近のネット上での邦画叩きは目に余るものがあるなと感じていました。
個人的に、その流れは三池崇史監督の『テラフォーマーズ』が公開されてから加速していったように感じられます。
漫画原作の映画が増えてきている昨今、『テラフォーマーズ』の出来が芳しくなかったという風説を受けたオタク達が挙って“漫画原作の映画は叩いていいモノ”、そこから派生して“邦画は叩いていいモノ”という風潮を作りあげているのではないでしょうか。
漫画作品が映画化されるという報せが届く度に、2ちゃんねるやTwitterのようなSNS上で、まるで親の敵に出会ったかのごとく、批判の嵐が巻き起こります。続いてビジュアル、予告編が公開されると、その勢いは更に加速していきます。やれ再現度が低いだの、コスプレ大会だの、ダサいだの安っぽいだの。
批判有りきのバイアスを掛けて見れば、正当な評価などできようはずはありません。公開前の作品に対してそこまで否定的なことを書き続けるのは最早ネガティブキャンペーンの一種でしょう。しかもそこから「だから邦画は糞だ」みたいな論調に持っていくのだからもう目も当てられません。
そんな差別主義者、邦画レイシスト達に、僕はモノ申したい。観もしない映画を批判するんじゃないと。邦画は、あなた達の批判オナニーのおかずじゃあ無いんだと。
はじめにことわっておくと、僕自身は別にそれほど邦画が好きというわけでもありません。映画はよく観ますが、圧倒的に洋画のほうが多いです。
こんな記事を書いておいて何を言うのかと思うかもしれませんが、重要なのは映画そのものが好きだということです。日本に住んでいる以上、邦画も映画興行の一角です。邦画の衰退は、日本映画興行全体の衰退につながります。
邦画レイシスト達を批判するのは、邦画を擁護したいというよりは、日本の映画を取り巻く環境に対する悪影響を危惧してのことです。
さて、ネット上で同意の声が聞かれる、「お泊り映画」の大学生の主張ですが、彼が邦画をショボいとする根拠として
の二点をあげています。明らかに、ろくに邦画を見ていない人間らしい的外れな批判ですが、彼はこれが真理だと言っています。
先に言ったように、このキャラクターは小春の最後のセリフを引き出すために設定された馬鹿な仮想敵で、そもそも発言に正当性なんてあるはずはありません。しかし、一部の邦画レイシストは彼同様これが真理だと思っているようです。
わざわざ間違った発言をあえてしているキャラクターの間違いを指摘するのは野暮というものですが、こちらもあえて、彼が如何に的外れは批判をしているのか示しましょう。
まずは、ケータイ小説ばかりのイメージ。といっても、『世界の中心で、愛をさけぶ』がケータイ小説原作でないのは言わずもがな、今日日ケータイ小説なんて名前も聞かなくなった死語同然のワードで、恋空がブームになったのももう随分前です。病気で殺しとけばいいと思っているような邦画といえば、最近だと『バースデーカード』や『四月は君の嘘』、あとは事故死ですが『Orange』あたりもそのイメージでしょうか。なんにせよ、ここ最近ではそれ程多くないように感じられます。
なので、男のイメージを前時代的と断ずることは容易です。ただ、安直なコンセプトという意味では確かに現状邦画の一角を占める存在が有ります。
現在公開中の『PとJK』や『ひるなかの流星』をはじめ、少し遡るだけでも『今日のキラくん』や『オオカミ少女と黒王子』や『溺れるナイフ』や『ヒロイン失格』など、枚挙に暇がありません。加えて、『ハルチカ』や『リライフ』や『君と100回目の恋』など、本来少女漫画が原作ではない映画も、そのイメージに取り込まれています。
しかも、このたぐいの映画はヒロインとその相手役に現在売り出し中の俳優/女優を起用して話題作りをしているので、二点目のアイドル性重視のキャスティングにも引っかかってきます。つまりこの一角は、彼の批判を真向から受けるゾーンということになります。
正直に言うと僕自身、この辺りに対しては公開される度に「またか」という気持ちにもなりますし、違いもよくわかっていません。だって観てないから。
確かに、この一角は邦画の一側面では有りますが、無論これが全体を体現しているわけではありません。マーケティングが大々的だからそのように感じてしまうだけです。
逆に言うと、観ていないからこそそれらの映画がショボいのかどうか判断はできません。
例えば『ひるなかの流星』はレビューサイト「KINENOTE」で67人の平均点73.4点との評価がくだされています。鑑賞人数は少ないですが、キネ旬が運営するサイトなのでそれなりの映画ボンクラ達が集まっているはずなので、この評価はなかなかのものだと思われます。どれも同じように見えても中身が違うのは当然で、玉石混交する中にはちゃんと面白い映画があってもおかしくはないのです。
つまり、コンセプトの安直さがそのまま映画のショボさに繋がるかというとそんなことはないということです。
この程、マイケル・ベイ監督が『トランスフォーマー』シリーズの量産体制に入り、既に14本分もの脚本が仕上がっているという報道がありました。14本って、相当な量ですよ。『トランスフォーマー』は作れば売れるが約束されているからここまで攻撃的な体制が取れるのです。これこそコンセプトの安直さの極みでは無いでしょうか。そして、『トランスフォーマー』シリーズ一本一本がショボい映画ではないことは皆さんご存知のはず。
あとは、マーベルスタジオも自社のコミック原作の映画をどんどん量産していますよね。2020年までの上映計画が既に確立されている。これも当然、作れば売れるが約束されているからです。そして、こちらのクオリティに関しても周知の通り。
少女漫画原作の邦画群もまた作れば売れるが約束されているコンセプトだから量産されているわけですが、それを以って製作が手抜きだと断ずるのは浅はかにも程が有ります。
実際に観てみると、本当にどれも同じような映画に観えるのかもしれません。しかし観てない以上、その一点で批判するには感情に寄りすぎているのではないでしょうか。
それに何より、そういった映画群が対象にしているのは女子中高生です。それが邦画全体であろうはずはありません。安直なコンセプトもアイドル性重視のキャスティングも、それが対象にするのが女子中高生だから効果的なのです。邦画を批判して悦に入ってるような、オタクや中年男性なんて端から対象にしていません。
なのにそれを論ってショボいだの言ってるのは大人げないの一言につきます。
ケータイ小説のような、今で言うなら少女漫画原作のような映画だけが邦画じゃあありません。そんなことを言っている人は、マスメディアの宣伝にしかアンテナを張っていないと自白しているようなものです。映画に対する関心が薄い、芸能ニュースだけをみて映画情報を仕入れている気になっている人間に、邦画全体を批判する権利なんてありません。恥を知ってください。
先程も言ったとおり、僕自身はそれほど邦画を観るわけではありません。昨今よく漫画の実写化失敗例として挙げられる『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も観ていません。なぜなら興味が無いから。
両作品とも、アニメは観ていました。特に巨人は、現在放送中の第二期も毎週楽しみにしています。大好きな作品です。しかし映画は、特に興味がわきませんでした。
そもそも映画は、テレビ番組や雑誌掲載の漫画とは違い、観るかどうかの判断の多くは観る側に委ねられます。だって、わざわざ映画館に足を運んで、1800円のチケットを買わないと観れないのだから。
ザッピングしていて目にとまることも、とりあえずで録画することも、買っている雑誌をパラ見して視界に入ることもないのです。テレビなんか比じゃないほどに「嫌なら見るな」が成立するコンテンツなんです。
漫画が原作の映画が公開されて、それがひどい出来だったか原作ファンが憤る。これは理解できます。その作品が好きで、その作品の新たな一面が見られるのだと期待に胸を膨らまして劇場に足を運び、目にしたものが原作を踏みにじるような駄作だったなら、それは批判してしかるべきでしょう。また、はじめからバイアスをかけて劇場に臨み、批判箇所をピックアップしながら鑑賞し、帰ってネットにそれを書き連ねる。僕自身はあまり理解できない楽しみ方ですが、それも正当なことでしょう。なぜなら能動的に足を運んでお金を払って鑑賞しているのですから。
しかし、そうでない人間はなんなのか。ビジュアルや予告編が、それどころか実写化の報せが出ただけでクソ認定してメタクソに叩き、果ては邦画の体制までもバッシングする邦画レイシストはなんなのか。原作のファンで、実写化した姿など見たくないというのなら、見なければいい。最初から期待が持てないのなら、無視すればいい。原作が好きだからというペラッペラの免罪符を掲げても、その実やりたいことは何かを批判して快感を得ることでしかないのではないでしょうか。確かに上映期間中はテレビでもCMが流れたり芸能ニュースを席捲することもあるでしょう。でもそんなのは、上映期間中のほんの一ヶ月程度と、それ以前の宣伝期間の、正味二ヶ月程度のものです。それさえすぎれば、余程のものでもない限り、もう目にすることはなくなります。
例えば『銀の匙』や『男子高校生の日常』や『ひぐらしのなく頃に』が実写映画化されたことを覚えている人が果たしてどれくらい居るでしょう。どれもアニメ化もされた大人気作品ばかりですが、映画の方はまず話題に上がりません。その程度のものなのです。
無視していればそのうち過ぎ去っていくのをわざわざ叩くのは、原作愛でもなんでもありません。批判して快感を得たいだけのただのオナニーです。漫画原作映画は、邦画は、邦画レイシストのおかずでは決してありません。
『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も僕は観ていません。なので両作品に対して言及することは出来ません。便乗している人間はともかく、観た上で批判している人たちの意見は正当なんだろうなと思います。
しかし僕も、漫画実写化の中でも悪名高いあの作品は観ました。そうです、『デビルマン』と『キャシャーン』です。
『デビルマン』は、今でも漫画実写化の際に名前を挙げて「だから実写化は糞だ」という批判につなげる格好の材料となっています。2004年の公開にも関わらず未だに話題性を持続している、ある種伝説的な作品です。
これ一作で邦画批判につなげるのは短絡的に過ぎますが、実際この映画がそびえ立つ糞なのは事実です。僕自身観た作品なので遠慮なく言います。本当に酷いです。苦行かと思えるほどに。評判の悪い映画はあまり積極的に観ようとしない質なので、自分の中ではクソ映画の極北として君臨している作品です。
しかし『デビルマン』は本当に極端な例です。漫画実写化が全てこのレベルなら邦画批判も已む無しと思いますが、このレベルのクソはなかなかひり出せるものではありません。納豆が臭いからという理由で日本料理全体を批判するのはお門違いというものです。というのも、『デビルマン』と同年に公開され、クソ実写化の双璧と並び称される『キャシャーン』が、蓋を開けてみると実はそれほど酷いものでもないからです。
確かに手放しで褒められる作品ではないのですが、少なくとも『デビルマン』に比べると兆倍面白いですし、見応えがあります。PV畑出身の紀里谷和明らしく映像面のこだわりは強く、サイバーパンク的意匠が凝らされたディストピア風美術を日本で展開する舞台は一見の価値が有ります。アニメ原作であることを意識して、アニメーションを取り入れた演出がなされていたのも斬新でした。実写用にブラッシュアップされたキャシャーンのデザインもかっこ良く、今のアメコミ映画の隆盛に先駆けていたとすら思えます。クライマックスで明かされるダークヒーロー然としたキャシャーンの背景も、賛否は別れる気はしますがテーマに重みが出て興味深いです。主演の伊勢谷友介や悪役のブライキング・ボスを演じる唐沢寿明の怪演を始め、キャスト陣も申し分ありません。冗長な展開や説明的且つ啓蒙的すぎるセリフ回しが鼻につくことはあっても、『キャシャーン』は『デビルマン』と並んで語られるような作品では断じてありません。そもそも『キャシャーン』への批判は、設定改変によってキャシャーンのヒーロー像を歪められたことに対するファンの憤りからくるもので、映画そのもののクオリティとは別の由来です。
しかし、漫画実写化の際に『デビルマン』と『キャシャーン』の名前を挙げて批判している人間が居ます。彼らはまず間違いなく『キャシャーン』を観ていません。邦画レイシスト達の共通理解として“『キャシャーン』は叩いていいモノ”があるからの現状なのです。このことからも、邦画レイシストが如何に短絡的で、感覚的に邦画を批判しているかがわかります。彼らは邦画を観ていません。イメージと伝聞でしかものを語れないのです。
近年、僕が観た邦画の中で面白かったと感じた作品をいくつかあげます。(一応、アニメは除きます)
・『ちはやふる 上の句・下の句』
・『アイアムアヒーロー』
・『寄生獣』
・『シンゴジラ』
・『残穢』
・『日本で一番悪い奴ら』
・『SCOOP!』
・『クリーピー』
どれも大々的に宣伝された大作映画ばかりで、映画通が好むミニシアター系とかじゃありません。更に上の三つは漫画原作です。どれも実に面白い邦画でした。これらよりつまらない洋画をいくつも挙げることが出来ます。
映画が好きな人間であれば、意図的に避けようとしない限り邦画を観ることもあると思います。そのどれもが全く琴線に触れない人間など本当に居るのでしょうか。漫画を原作にしていても面白い作品はたくさんあります。邦画全体となれば尚更です。
本当に観ていれば、やたらと批判なんて出来ないはずです。それは、自分の感性も批判することになるのですから。実際、邦画それ自体が肌に合わないという人もなかにはいるのでしょう。しかし、SNSで邦画叩きをしている人間が皆そうなのでしょうか。おそらくそんなことはないでしょう。多くは叩きたいから叩く、邦画は叩いていいモノだから叩く、と思考停止している人間なのではないでしょうか。
自分はモノを見ないで感情的に対象を批判する、欠片の理性も持ち合わせないような人間ですと自白して、恥ずかしくはないのでしょうか。
僕もまたこうして、邦画レイシストなんてアホなネーミングの仮想敵を作って、一方的に批判を飛ばして悦に入っているだけの人間です。さっきも言ったとおり、邦画そのものに対して特別な思い入れはありません。
しかし、こうして文章にして発信することで、仮想敵だと思われた邦画レイシストが食らいついて、話題になってくれることを密かに望んでいます。
映画は好きです。邦画にも好きな作品がいっぱいあります。『銀魂』や『トーキョーグール』や『鋼の錬金術』等、観に行こうと思っている漫画原作の映画もあります。自分の好きなモノを理由もなく批判する人間は当然不愉快です。何よりも僕の映画ライフのために、そんな不快な人間が一人でも考えを改めてくれることを願っています。
ここまでのあれこれ、うろ覚え。
・かばんちゃんがかぶってるのはあの人の帽子がボロくなったやつ。
・アライグマたちが泥棒といっておいかけてるのもたぶんその帽子をかぶってたから
・あの人は雨不調ラッキーさん(ボス)を記録に使うことにした。記録は幽霊のように再生される。
・記録内容によれば旅しながらランドの再開をめざすあの人のそばには旧世代の?サーバルちゃんがいる。
なおメタだがCVが違うので自分は新旧サーバルちゃんは違う個体だろうと思う。
ネットでは記憶喪失説・転生説・特命使説をみかけて自分も一瞬そうおもったけど。
・なんとかサンドと動物(だったもの)がであうとフレンズができる。動物だったものってなんだ。動物の遺骸か、それとも進化して知恵をもった人間か。
・なんとかサンドが多いときにはセルリアンも多い。セルリアンの背にはコアがあり砕くと行動停止させられる。
・セルリアンに触られ、のみこまれることは戻ってこられないのでフレンズにとって死のようにおそろしい。
・あの人はセルリアンをすべて退治(発生停止)できてパークの営業を再開できることを目標にしていた。しかし現実にはサンドの発生に伴うセルリアンの発生はとまっていない。
・ラッキーさんは人間の命令を聞くがアトラクションではヒントもくれなくなる。
・人間は島にいたらしいが出て港などにもなわばりを持ったようだ。
うーん。これ以上は予断だから自分は言いたくないなあ。ここからどうなるかまあ楽しみではある。(次回はとうとう港にはつくんだよね)
・ゲームのシステムはどのような感じだったのか(サンドが消費アイテムで、セルリアンが仮想敵?)というか元プレイヤーはどこまで知っているのか。プレイアブルキャラがあの人か。
大別
3トランプを否定的にとらえた上でのトランプ支持者と断し、今後の日本を憂う
(前提として脱線→トランプは本当にそういった人々からしか支持されていなのか。トランプの良い面は全く見ないようにしているかのように見える。)
1
htnmiki 良い悪いとは別に、この問いを無視することはトランプ誕生に繋がるよね。衣食足りて礼節を知る、貧すれば鈍する、理屈じゃない
同時にこのコメ主が貧して鈍じたとも言っているようにもとれる。
解決策を提示はしておらず、トランプの当選をネガティブと捉えている。
2
rgbv お前らが結婚もできず子どもも作れず必死に働いてるのは外国人がいるせいなの?追い出したらトントン拍子に結婚できて子ども授かって給料うなぎ上りになんの??日本死ねって叫んだ方が健全なんじゃないの???
リベラルはバカが嫌いだ。バカ、特に合理的でないことや非論理的な事など。
コメ主の言ってることはただの逆恨みだ!と言っているが、嫌いという感情によって批判しているため、他のコメントによって感情によって批判したことを批判されている。
また、バカを掘り下げて精神的貧困や、貧困によって引き起こされる問題と捉えることによって庇護の対象として組み込もうというコメントもみられる。
3
yunitaro 典型的認知の歪み。貧困から家庭を持てないならそれは経済政策の失敗であり行政の責任。責めるべきは政府であって外国人ではないし、明後日の方向へ抗議をしているから行政も変わらない
→リベラルからみたら全くもって正しい理屈だが、その実、対象者(精神的or知性的貧困者)の思考に即していないことを指摘されている
「責めるべきは政府であって」政府をどう責めるべきなのかを補足してコメ主と語り合ってほしい
→これに対する批判
netonlinejob ブコメの「経済政策の失敗であり行政の責任」とか言い出したら、外国人排斥政策を支持する政治家が台頭するだけだと何故わからないのだろう? 認知の歪みという指摘は逆ではない
→政治に転嫁した場合、己が(リベラル側からしたら間違った考えをもっている人間)がそもそも自分の考えが間違っているという前提に立たないだろうという当たり前の示唆。実際に思考実験するとおそらく正しい。
lcwin この意見を自己責任論とせずにうまく寛容とリベラリズムに沿ってゆるく導く発言をすることが今求められていることかもしれないんだよなあ。本当に難しい。
hanyan0401 「結婚も出産もしようと思えばできる」という自己責任論に、弱者男性、いわゆる「キモくて金のないおっさん」が、「金のないフィリピン国籍の妊婦」ほどには弱者として顧みられないという現実を垣間見ました。
augsUK ここに自己責任論なんだ。救うべき対象の選別をする権利が欲しい人が一定数いるなあ。さらに、救われない対象を叩くことを楽しむ人が主流派になってる。
→この人のを自己責任として切り捨てるのはちがうのではないかというリベラルの内省が垣間見られる。では自己責任とは、何が自己責任なのか。コメ主が置かれている現状がってことなのだろうか。おそらく違う。リベラルが自己責任として切り捨てるのは「知性のなさ」だ。自分は頭がいいと思っていて、バカは自分で改善されるべきものという思想が根底にあるのかもしれない。
kirifuu これを自己責任で切り捨てるのが今の日本の現実だからなぁ。セーフティネットと言っても難しいのだけど、あざ笑ったり叩いたりするような発言ではあるまいよ。
kasugano ここに自己責任論が出てくるの本当に地獄だよな。異性獲得弱者のオッサン相手になら何言ってもいいと思ってる連中がワラワラと湧いてくる
awkad まさに「キモくて金のないおっさん」問題。キモくて金のないおっさんは誰も哀れまないし、救われない。「自己責任だろ」を浴びせ続けられる。そしてどんどん歪んで沈んでいく
shira0211tama 問題切り分けるべきが正論かもだけど切り分けると自己責任論で各個撃破されるんじゃ? これだけ他を引っ張って来ないと辛いと言えないし、これだけ引っ張ってもボコボコにされる闇
dongdeng 弱者の味方を自称するリベラルがなぜキモい金のないおっさんに寄り添わないのかわからなかったが、人気のブコメを見ると差別を行なってる仮想敵に無条件に見下せるおっさんを置いてるからなのかなと思った
→確かに、、、どうやらリベラルどもには、救うべき対象者は、経済的に貧している人間であって、知性的、あるいは精神的に貧困している人間は救う対象にはなりにくいようだ。それはリベラルのアイデンティティのベースにの「批判」があるからかもしれない。そしてその批判の対象に知性的貧困をするのが手っ取り早いからだろう。
CelestialFire 努力すれば結婚できるなら誰も困らないんだけどな。普段は自己責任論を心底嫌ってるくせして、「キモくて金のないおっさん」には平気な顔して自己責任論を押し付けてくるリベラルのダブスタにはいい加減うんざり。
cloq 貧乏自己責任論者の頬を金でひっぱたいて黙らせろ案件
danaca この人を叩いてるはてブ民を見ていると、はてブ民は弱者の味方ではない事がよくわかるよね。はてブ民は「助けたいと思える綺麗で気持ち悪くない弱者」を助けたいだけで、決して弱者の味方ではない。
→ここでいう「気持ち悪くない」というところがやはりダブスタと言われる所以だろうし、リベラルの内包する自己矛盾かもしれない。
(先に断っておくが、彼はとても偉いと僕は思っている。これだけ批判されているのを認知しておいて、自分のコメントを消していないのだから)
dj_superaids 結婚もできず子どもも作れず、と必死に働いてるの相関関係が理解できなかった。かわいそうだな、とは思った。
→この指摘のとおり本来相関はない。だが文章の読み方を逆にしてある補語を補うと、「必死に働いているのに、結婚や子供を持てるほど稼ぐことができない貧困にある」
という彼の中では実際に因果が生じているのかもしれない。
しかし、フィリピン人を批判することと結びつけることで、知性的、精神的な貧困になった。なぜコメ主はそのような結びつけをしたのか。
kirifuu 結局救われる優先度の最下層に自分がいるって自覚がこの発言を生んでるんだろう。この発言を叩くのは簡単だがそれは割と社会として末期的だと思うね。
→このコメントの言うとおりだとすると、他の層が見えていない問題。これだと根深い
T_Tachibana 主 語 が で か い 。 金が無い事と結婚出来ない子供が作れない事はイコールじゃないって本当は気がついてるんでしょ。
crapman 一切同意できないがこの叫びの理由を考える必要はある。世代別の保有資産を見てもわかるけど、日本の若者世代は世界一相対的に金がない。世代間で分配が進んでないという叫び。だがフィリピーナにあたるのはよくない
→本当だとしたら興味深い話だ。
totoronoki あの人を救ったら次はおれの番だ、じゃないんだよな。他人が救われても自分は絶対に他人の手によって救われないという確信があるから露悪的になれる。
baikoku_sensei 弱者同士は連帯せず、自らの待遇改善より他人の改善を妬むのが現状。全体の格差是正より「俺たちを優遇しろ」の声を拾い上げ、扇動して支持を集めたのがヒトラーやらトランプなので、感情論を持ち込むべきではない
→慧眼なのに感情論を持ち込むべきではない、という結論ではなぁ。わかり合うためにはどうすべきかを提示してほしかった
tGsQqV この発言をした人が困っていることと、この外国人女性が困ることにまるで因果がない。 例えば、自分が別の理由で本当に困ったときに他人から難癖つけられて適切な手当てを受けられられなったら…なんて考えないの?
→実に正しくリベラルチックな考え方に見えた。
mamezou_plus2 子供作って生活保護受給すれば良いじゃん?何故出来る事をしないのに僻むのか?結婚も子作りもやろうと思えばできるよ?幸せかどうかや自分の基準を満たしてるかは別として。
→それは違うんじゃないか?社会を構成する一員として、自覚をもってる面があって、それだからこそのフィリピン人への妬みだとか恨みになってるわけで、それを取っ払えばいいじゃん?って言っちゃうと社会が崩壊するわけだから、彼の我慢が社会の安定に資するところであることは評価しなきゃ
つか、ワイドショーしか見ない小学生だった元増田は知らないかもしれないが
あの本は「専業主婦である自分偉い自慢しながら独身女や働く既婚女を見下して叩く専業主婦は死ね、
でも「『主婦業なんて適当に手抜きでやってまーす、楽出来て幸せでーす♪』と言うギャルママは許す、というかギャルママを見習え!」
ってな主張だったと思う
要するに専業主婦が気に食わないんじゃなくて、今で言うマウンティング女が気に食わないって主張がメインだった
(ついでに専業主婦の視聴者が多いワイドショーでは「ヒールたる石原をやっつけるプロレス」だったかもしれないが
それ以外だと「ヒールは専業主婦側で石原が正義」と言う構図のテレビ番組や週刊誌記事もよく見かけたもんだ)
でも今は、そもそも「専業主婦である自分偉い自慢しながら独身女や働く既婚女を見下して叩く専業主婦」が絶滅危惧種になってる
少なくともリアルじゃ見た事も聞いた事もなく、それこそまとめサイトくらいでしか存在を確認できない
そういうのが主流だった世代はもう還暦を過ぎてるんじゃなかろうか
専業主婦の世界でも、割と上記の「ギャルママ」に近い方が「自然体で魅力的なママ」的な扱いを受けるようになって来ている
つまりあの本の前提はもう成り立たなくなってる
あの本が仮想敵にしていた専業主婦は、もうほとんど存在しないんだよね
むしろ今は逆に働く既婚女の方が「働く既婚女である自分偉い自慢しながら専業主婦と独身女を見下して叩く」人が多い
女の勝ち組像がかつては「裕福な夫と結婚して悠々自適な専業主婦」だったけれど
言ってもどうせ認めないだろうけど、俺は識別に失敗してないよ
もちろん推測は交えたけど、推測された点については君もはっきり違うとは言いたくないようだしね
いまはっきり識別に失敗してるのは君だけだよ
てか同じ呼び方使ってるから同じ奴だろうとか、自分の識別を試みたからこないだの初心者と同じ奴だろうとか、君がやる識別っていつも的外れなものばかりだよ
君は一人だけど、君にレスをつける人間は増田初心者から長年のウォッチャーまで幅広いんだから、なんでもかんでも同じ奴の発言にしてたらそりゃ傾向に一貫性のないキメラ仮想敵ができて当たり前じゃん
まあ
「俺に噛み付く奴は全員低能!」→「でもさすがにこの世が低能であふれているわけはないから、俺に噛み付く低能はごく少数!」
という風に辻褄を合わせなきゃいけない都合上、なんでもかんでも特定の数名の発言に落とし込まなきゃいけない動機があるのはわかるけどさ
前提として相手の言ってることを疑うなら会話が成立しないんだからトラバ付けるなよ
それもないのに個人の感想で俺はこう思うお前は嘘ついてるって幼稚すぎて話にならない
単にお前がそう思いたいからそう思ってるんであって、そう思う根拠はお前がそう思いたいという欲求を起因としてるだけ
俺を仮想敵にして殴りたいという欲求以外にお前がそう勘違いする動機ってあるの?
俺の言動でどこに嘘をついているという疑問が産まれたのかそれを抜き出してそう思うに至った根拠を説明してもらわないと感想でしかないんだが
俺が「どうせお前は低収入なんだろ低スペックなんだろ」という根拠のない思い込みに対して
「年収500万は世間的に低収入低スペック認定されない」と返してる
それに対してさらに思い込みで今度は面白味がないからとか性格が悪いとか、更なる思い込みで恥の上塗りって
仮にもお前の言ってることが正しくて「俺が自分のような男に振り向かないから姉のような女性は許せない」っていうことが真なら
まず姉に結婚して欲しいと思うことすらないんだが
そういう女性を敵として批判するなら結婚できずに行き遅れてくたばれ!と思うのが筋だろ
そんな敵としてみてる女性と結婚したい俺に振り向いて欲しいって矛盾してるんだけど
どうして敵としてみてるような奴と結婚したいと思うわけ?
その理屈でいうと低スペ男性でも振り向いてくれる女性との結婚願望の方が強いだろ
自分の嫌いな相手と結婚したいとかツンデレじゃないな真性のドMだろ
どちらかというとお前みたいに邪推して人の気持ちを曲解して自分の都合のいい解釈しかしないようなやつと結婚したくないです
契約を守ってもらえなかったら、クレームを入れるのは当然でしょ?
そういう契約をさせるシステムに問題があるか、無理があるかと、契約を守らないことに寛容であるかどうかって別の話だから。
契約を守らなくてもいい社会って、ブラック企業にとっては美味しい社会だよね?
それとも、自分の好き嫌い、その場その場の脊髄反射で守るべき守らなくてもいいを吐き出してるだけのバカなのかな?
santec1949 御説御尤も。「問題が発生した時の緊急停止」が設定されていないのが問題で、発生原因の追求や改善は別の問題。
別のトラバで書いたけど、直前のキャンセルを受けるシステムなさそうだよね。本来は作り置き廃棄にならないための仕組みなんだろうけど。
その仕組みがないということは、代金踏み倒しとみなされる恐れもある。
ブコメでキャンセルすればーとか安易に言ってる人たちはそういう想定せずに自分の夢想を語ってるだけ。
retire2k 無茶言う一般消費者がいるのも事実だけど、もっとヤバいのは企業の方。大きな企業は契約切ることをちらつかせながら、本当に無茶を言うからね。
ブラック企業が生まれるのは文句を言う消費者が問題だ!とか言ってるバカがいるけど、問題は企業の側にあるよね。
消費者が積極的に求めていなくとも、自社だけやめたらサービス差が生まれるので選ばれにくくなる、損をするだけなのでやめるメリットがない。
それにいくら時給が上がっても、新しい職場を探すまでの時間やその間の生活費など転職に伴うコスト・リスクが高いのでそれらを人質にとって現場に低単価高サービスを求めることは可能な環境なんだよね。
辞めればいいが成り立たないのもその辺の事情があるけど想像力のないはてなーの中には安易に言い出す奴もいるな。
unagiga 契約は契約(笑)資本主義の根幹(爆笑)もうちょっと頭使って考えてから書けよバーカ
考えたことじゃなくて本から学んだ知識なんだ、思いつきしか口から出てこないバカな僕ちゃんには理解できなかったようだけどね笑
kre 佐川を使うのは荷物を届けるため。ピザ頼むのはピザ食うため。こいつみたいに契約をネタにわめいても、荷物も届かないしピザも食えない。目的を達成できないただのアホ。
文句を言って契約を履行させたい!と俺が主張してるとみなすとか笑
他にも湧いてるけど俺が文句言う側の人間だと思いこんでるクソバカどもはもうちょっと賢くなってから口を開こうな。
keisuker クレームつけるのはいいんだけど、この増田みたいに「間違った相手」へ、「ストレス解消や自己顕示欲を満たすこと」を目的としてクレームつけるバカが多すぎる。他の客からすれば迷惑この上ない
ntnajp605 増田は電車が遅れると駅員に詰め寄って吠えるタイプだね
tamaso こういう者が、駅員に文句を言う。駅員は電車を動かしているわけでもないのに。
言ってるそばから湧いてきてワロタ。「韓国人を擁護するやつは韓国人」レベルの妄言だぞ。
mobam 要するに「悪質なクレームをつける客」が叩かれてるのに、それを増田は「契約を守らなかった企業」が擁護されてると勘違いしちゃったって事かな
悪質なクレームつけてる客を叩いてる奴ではなく契約を守らなくてもいいと述べてる奴を殴ってるとはっきり言ってるのに頭の悪さを晒すシャドーボクシングお疲れ様です。
oystr まずタイトルみたいな事言ってる奴を見たこと無いけどな、一人相撲。
森を見たことがないから森はこの世に存在しないとか言い出すタイプのバカ。
shoot_c_na まあこういうのが、自分が契約守る側になると盛大に手のひら返すから。こういう、後で自分の首締めるような事を声を大にして言わないのが大人
うんじゃあブラック企業が契約を守らなくても文句を言わないでくれな
sirocco 佐川急便やドミノ・ピザで働く人は契約した分の労働をすればいいのであって、荷物が多くて届きにくかったり、お客が多くて行列がさばききれなかったりした場合は、人員配置をミスした経営者の責任だ。
mur2 企業の然るべき部署に苦情言うなり補償を求めるなりすればいい話であって、末端の責任のない人間に罵声を浴びせて追い詰めるのは間違っているよ。
Fushihara だから文句は現場ではなく本社に言いましょうね
alpha_zero え?末端に文句言ったって反感買うだけで改善なんてされるわけないじゃん。クレームの窓口に届いたクレームが改善の対象だと思うけど。
baikoku_sensei 会社にクレーム入れるならいいけど現場の労働者に文句言うな。店員に金を払って商品を受け取ってもそいつと直接売買契約結んでる訳じゃないしそいつは責任者じゃない
えっ?取引先がなんかミスしたら社長出てこいって喚くの?普通はまず窓口である担当者にクレームだろ。末端から上がったクレームって存在しない世界にお住まいの方がいてワロタ。
Fuggi 増田には「契約を破る自由」でググることをお勧めする。「一度交わした契約は死んでも守れ」という観念自体が極めて日本的なんだよね。普通は、契約の履行が困難になれば、違約金を払って義務からの離脱を選択する。
金を支払ったり既に送付される前提で取引をしていたりピザ予約による支払い義務がある場合、破る自由は実質的にないだろ。
abracadabra321 従業員が客と契約するわけではない。会社と従業員も契約。
atsushifx こういう客が増えるとコストが割に合わないので商売じたいを辞める人が続出する
短期的に従業員をすりつぶしてでもキャッシュを確保できるから辞めない現状なのに何を言ってんだコイツ。
tutupoppo そもそも「質が下がってもいいだろ!文句を言うなんてクズ!だからブラックになるんだ!」と言ってる人そんなに多いの?仮想敵作ってシャドーボクシングしてない?
ピザのブコメ見てきたら?遅れても我慢しろだのピザ買えなくても仕方ないだの書いてるバカたくさんいるじゃん。
onton-jiji そもそも契約内容に対して対価が不当に低いんだよ。そういった不条理な契約だけを挙げて「契約なんだから守れ」っていうブラック体質が問題。
質が下がってもいいと契約における信頼を毀損してるバカを殺しにかかってるだけなので。不条理な契約はなされない方がいいに決まってるじゃん。
acealpha 低価格サービスはサービス提供者の質よりも利用者の質が落ちるから使わないというよい事例でしょうかね
hidea できない仕事を引き受けるのは辞めろといってるだけで、受けた仕事が雑でも良いと入っていない。あとドミノはともかく佐川は昔から質低い。
それなら文句はないが遅れても仕方ないだの提供されなくても仕方ないだの言ってるバカが居るので。
beerbeerkun 「契約」の2文字のみで理論武装するあたり2chぽい。「資本主義」はカンケーねーだろ。
hoshinasia 契約は必ず守られるべき!正しいものが損をするのは許せない!って態度はだいぶウブだなぁと思うよ。「こいつ約束守るかな?」という視点も必要だよね。
上はブコメの中で一番のバカ。契約がなぜ成立するかと言えば契約を守るという契約が想定されているから。つまり信用が前提となっている。これが資本主義の社会。
2chなんか見るのやめてちゃんとオツムを磨こうな。
ko_yo_ri "それとも、自分の好き嫌い、その場その場の脊髄反射で守るべき守らなくてもいいを吐き出してるだけのバカなのかな?"盛大なブーメラン。主張そのものよりも他をバカにしてる印象が強くて惜しい。続きが待たれる。
具体的指摘の出来ないバカがブーメランというレッテル貼りだけで自己満足する典型的脊髄反射対応。
yashinegi 他者に不寛容な人間は害悪。こういう人間が社会をより貧しくする。
契約をやぶっていいという思想を持ってるバカの方が社会を貧しくするよ?
kNara こういう人がブラック企業をつくるんだよ。よく覚えときな若者ども。
ChieOsanai こういうの真面目に相手するのやめよーよ
いつも通り、両陣営とも都合の悪いニュースはスルーして都合のいいニュースにご高説垂れ流すブコメ付けて罵り合いという
はてな村の日常が今も絶賛展開中なのですが、その下らない罵り合い見ててふと思い出したことがあった。
はてな村では「オバマが自身に反対する人に対してポリコレ的に正しい対応をした」ニュースとして消費されたんだけど、
トランプ支持者がプラカードかなんかを掲げた後、会場は一時騒然となるのだが、その後観衆をなだめようとするオバマの姿がいつもと違って見えた。
初めは冷静に観衆に語りかけていたが、いつまで経っても収まらないので徐々に言葉が強くなり出す。
終いには机を叩いたりしながらなんとか事態が収まった。
そのときのオバマにはかなりの動揺とほんの少し苛立ちがあったように自分には見えた。
アレがオバマ側の演出なのか、本当にトランプ支持者が一人で乗り込んだのかは分からないが、オバマ陣営の人達は相当肝を冷やしたことだろう。
オバマという、現時点でのポリコレの見本とでも言うべき人の支持者ですら、一人の異分子を放り込むだけで瓦解しかねないことが露呈したからだ。
最終的には落ち着いて何とかオバマの株を上げるネタになったからいいようなものの、一歩間違えば今のアメリカ国内の惨状の先行体験会になったことだろう。
実際、トランプ陣営の集会では同じ事が起こって真逆の結果になったわけだし。
ドス黒い感情を溜めたヤツが発散の言い訳にポリコレを使うのか、反ポリコレを使うのかだけの違いで、そこに政治的な意味なんか何もないのに
必死に政治的な意味合いを見出そうとしてるアホ共が罵り合いしてるだけで、解決策の模索なんか何も起こらない。
お互い向き合うことすらせず、視線をズラして自分の中の仮想敵と必死に戦ってる。はてな村的には非常に伝統的な光景ですね。
これからも頑張ってください。
http://n-styles.com/main/archives/2016/10/22-060000.php
現在もっともシェアを獲得しているゲームハードは言わずもがなスマートフォンである。
DS~Wii期に新規ユーザー獲得を狙い一般層向けのカジュアルゲームで一時的に成功したが、その客はスマホの普及でスマホ向けゲームアプリにごっそり取られてしまった。Switchではこの客を取り戻そうとしているのではないだろうか。
任天堂の据置型ゲーム機のデザインはゲームキューブまではいかにも玩具然りとしたデザインだったが、Wiiからは一般層・ファミリー向けであるというコンセプトからかリビングで邪魔にならないデザインを目指していた。そしてSwitchは持ち歩くのに抵抗のない、それこそスマホのようなデザインだ。これは個人的な感覚だが、電車の中でスマホで遊ぶのに抵抗はないのに3DSを開くのはなぜか少し抵抗がある。3DSがいかにもゲーム機っぽいデザインだからかもしれない。そんな心理的な抵抗をデザインから解消しようとしているように思える。またスマホゲーは入力装置がタッチパネルオンリーという性質上、操作性に不満があったがJoy-conがそれを解消してくれる。なにより手のひらの中でスカイリムやスプラトゥーンを遊べるようになるのは世界的に訴求力がでかい。
任天堂おじさんも触れているがSwitchはWiiリモコンやヌンチャク、Wii Uゲームパッド操作に対応していないように見える。というか現時点では新たな入力装置や操作体系による新鮮なゲーム体験を売りにしていない。
Wii系ではハード開発段階でもろもろ研究済みの任天堂に対して、既存の技術や知識が通用せずいちから研究コストをかけねばならないサードパーティはスタートダッシュで出遅れることになった。結果任天堂ソフトだけが存在感を示し、サードがほぼ息をしていないラインナップ不足なハードという印象が足を引っ張る形となった。
そこで今回は飛び道具的な新たな体験を切り捨て、デベロッパーフレンドリーな環境を用意する事でサードパーティの良質なコンテンツをより多く呼び込もうとしているように思える。UnityやUnrealエンジンへの対応もその一環で、それはインディーデベロッパーにも開かれた門戸となる。
現時点ではリモコン等で示した新たなゲーム体験を切り捨てたように思えるが、それではスマホとの差別化を図れないうえにスマホの新機種発売ペースが速い為、いずれ早い段階でスペックで追い抜かれる可能性がある。Joy-conのアタッチメント方式の仕様を見るに実は拡張性が高く後付けで新たな価値を提供する用意があるのかもしれないが、カジュアルゲームのお株がスマホに奪われたようにその価値すらパクられる可能性もある。任天堂自身がスマホアプリを提供しているので共存する方向で考えているとは思うが、はたしてそれがどんな形のものなのか今はまだ想像できない。
とにかく今は早くゼルダで遊びたい
興行収入は遂に風立ちぬを越え、もう上にはジブリ映画しかいないという状況だそうだ。
それ故に、作品の情報はネットをやっていると否応なしに目につく。
ツイッターでは「もしかして」「入れ替わってる!?」のコピペが大量に作られ、
pixivやニコニコ静画など画像投稿サービスではイラストがひっきりなしに投稿されている。
演出に注目したものから制作体制、スタッフ登用など組織論なような話まで、数数多の記事が出ている。
事前に情報を触れてしまうことに抵抗がある人はなかなか大変だろうなぁ、と思う。
記事の名は、こちら
無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問
「興味深い見方だった」という肯定的なコメントがつけられていたことと、
サイト内ランキング1位(10月1日当時)に釣られて読んでみたものの、
いざ読んでみると、
「ふむふむ。」
「……ん?」
「はぁ!?何言ってるの?」
となってしまう、久々に猛烈に反論したい記事内容だった。自分「君の名は。」未視聴なのに!
そして、この気持ちをぶつけるところがなかなか見つからないため、
ここでひっそりと所感を書き連ねることにする。
この記事の主点はあくまで地方論であり、作者の主張はこうである。
特に後半。地方を暗く扱った作品は確かに探せば存在するだろうが、
戦後サブ・カルチャーの潮流として、地方への鬱屈や屈折の描写が常に存在していたかというと、そうは思えない。
片方で「地方賛美系のご当地アニメ」を取り上げ、批判しておきながら、
というか、自らが「地方の賛美・消費と並行して」と言っているのに、
戦後のアニメ・マンガの主流であるかのように扱うのかいかがなものだろうか。
アニメと地方を考えた論評は、この記事に限らず最近は非常に多い。
それに伴い、聖地巡礼やアニメによる町興しが注目されていること、
経済停滞や少子高齢化により地方のあり方の議論が盛んであること、
などが理由として考えられるだろう。
しかし、それらの論評で見過ごされていると見過ごされていることがある、と私は思っている。
それは「地方であれ、都会であれ、あくまで舞台は舞台」ということである。
細やかな小道具があり、大きな絡繰りがあり、巧みな照明効果や音響がある、
それらが充実しているか、特色だっているかは、作品の評価を左右する一要素かもしれない。
しかし、それはあくまで一要素であり、舞台の上で演者が動かない限り作品とはならないのが通常である。
地方である、都会である、ということは物語の展開に大きく絡む。
しかし、作品のメインテーマになるまで比重が高くなることはそこまで多くない。
ペルソナ4という作品を例に挙げよう。原作はゲームで、アニメ化されている作品である。
そこは大型総合スーパーが進出し、地元の商店街がその影響で衰退している。
主要人物の中には、周囲との軋轢が生じている総合スーパー店長の息子や
こう見ると、まさにこの作品は地方の屈折した部分を描いた作品である。
では、これは記事作者が主張する「地方の軽薄な理想化に一定の留保を付け加える」作品だろうか。
自分はそうは思わない。
ゲームプレー済・アニメ視聴済を知ってる人なら分かると思うが、
この作品、リア充ゲームと揶揄されることがあるくらい、終盤になると仲間の結束が固くなる。
主人公が転校してきてから去るまでの1年間で、彼らは忘れられない思い出を作り、心を強くする。
ならば、この作品は「地方暮らしもすばらしい」的な地方賛美の作品だろうか。
それも違うだろう。
つまり、地方都市の性質・描写は極めて重要な位置にあるのは確かだが、
舞台の基本設定であるが故に、物語の主題にまではなかなか上り詰めないことが多い。
その舞台で登場人物がどう動くか、どんな出来事に遭遇し、乗り越えるか、
そのような舞台設定以外の重要事項が大抵の作品には存在しているのである
(もちろん、舞台設定全押しのご当地振興系作品もないわけではないけども)。
また、舞台装置であるが故に、物語の展開に応じて描かれ方が変わる、ということも起きる。
良い出来事が起きればその背を押すように明るく描かれ、
良くない出来事が起きればその気持ちを代弁するかのように暗さが出るが舞台装置である。
そのため、後味が良いラストとなる作品ならば、当然その舞台の地域は後味よく描かれることになる。
そして、娯楽作品である以上、漫画・アニメで後味が良いラストと後味が悪いラスト、
これに加え、
「人間、そう簡単に地元から移動しない。両親に頼るところが大きい高校生以下ならばなおさら」
ということも多くの場合、見過ごされていると感じる。
高校生以下の場合、特段な理由がなければ通学範囲+αが彼らの行動範囲となる。
背景が実在の場所に忠実で、聖地巡礼が盛んに行われる作品の中で、
一番舞台が全国に分散している作品として、私は咲が思いつくが、
それは、「全国大会に各地から集まってきた女子高生」を描いているからであり、
・身内の都合です(転校など)
・突然ワープしてました
これらのような特段の理由がなければ、登場人物はなかなか生活圏から離れて動かない。
だからそこ余計に、舞台の明るさ・暗さは展開の明るさ・暗さに密接にかかわる。
描かれる街が単一の都市圏に絞られるのだから、バッドエンドを目指してない限り、
舞台となる地方は物語の展開に連動して明るくに描かれるのである。
そこに舞台となる町が素晴らしい、というメッセージが入るかどうかは作品それぞれだが、
舞台である=描かれた地方は作品の重大なテーマである、という構図は
必ずしも成り立たないと思うのである。
この記事に対して気になるところがもう一つある。
というよりも、先述した結論としての主張や「君の名は。」の分析よりも
東京が揺らがなかったことへの不満、
そういう東京が良く描かれていることへの不満が文章の端々から漏れている。
「東京に隕石が落ちて壊滅することを期待してしまった」までくるともはや怨恨の類すら感じる。
この観点において、もっとも瑕疵があると思えるのは3ページ目のこの部分である。
物語をあくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京で故郷の幻想と特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。
これはもう、誤読していると扱ってしまっていいのではないだろうか。
それに付随した人間関係や馴染みの店もある。
高度経済成長期に断絶しているという最も日の浅い解釈をしても40年の歴史がある。
当然、そこで生まれ、育ち、その場所に愛着を持っている人が存在する訳であり、
というよりも、この作品は地方と東京の対比が大きな要素でもあるのだから、
人間関係や行動範囲があるからこそ成立している作品だと思うのだけれども……。
もしテロや地震があり、瀧自身や近い関係の人物に危害があったら、
きっと、瀧も三葉もお互い逆の立場で必死に動くと思うのだが、いかがだろうか。
規模が小さい、独自性があるなどの性質から、創作の世界において、
物語を進めるための非現実的な設定を地方が押し付けられる傾向が強いということは事実である。
パロディに満ちた謎の施設や人物がやりたい放題するTRICKのような作品は極端だとしても、
地方賛美という面ではこれ以上に多くの意見が出たサマー・ウォーズなど、
悪い言い方をすると、ご都合的に地方が歪められて描かれることは多々ある。
地方を味方する立場で活動を行っている人からすれば、良い思いはしないだろうし、
作品に反映するかどうかは別にして、そのような不満があることは受け止めるべきである。
しかし、それを受け止めるのは制作サイドであり、東京ではない。
そのような設定を組んだのは新海氏、堤氏、細田氏であり、東京が作ったわけではない。
批判の向きは新海氏、堤氏、細田氏、もしくは各委員会、はたまたワーナー、テレビ朝日、東宝に対して
向かうべきであり、東京に矛先を向けるのは間違っているだろう。
地方を「消費」可能な商品に仕立てているのは、(所在は大都市かもしれないが)
作者および制作組織であり、大都市そのものでは決してないのである。
地方と大都市という二項対立は、研究においても創作においても非常に分かりやすいしよく使われる。
しかし、本記事のように地方の不満は全て大都市が起こしているものだ、
という構図にまで落としてしまうのは、単純化が過剰であるだろう。
不満の捌け口をほぼ全で大都市東京に向けている所が、非常に鼻につく記事であった。
俺は興味はファッション文化から疎外されてきた人が如何にしてファッション文化にソフトランティングしていくかにあったのだが、君の興味は自分化中心的な差別の克服とかにあるんだな。
うーん、そこまでの苦行だろうか?
なるほど、ここの部分で俺と認識が違ってるらしい。
元増田にとってファッションとは意味不明なジャンルであると同時に、「敵方の論理」でもあるわけじゃん。つまりファッションを学ぶことは元増田にとって、君の言う「文化」を異にするリア充的な「敵方」への服従なわけ。だから学ぶ途上で強い心理的抵抗が働くはずなのね。仮想敵を攻撃する記事を書いちゃう程度にね。そういう意味でも「苦行」。「なんで俺が敵の論理に染まらなきゃいけないんだ」みたいなね。そこんとこに関しては君が言うとおりで元増田は「こじらせてる」。じゃあさ、その「こじらせてる」人がどうやったらファッションを体得できるのか。なるほど学術研究ほどの知的負荷は掛からないかもしれないが、そのかわり心理的には強い抵抗がかかっている。敵の論理に染まっていくってための作業ってのは元増田に限らず誰にとっても簡単なことではないと思うんだよね。
なるほど。たしかに相手と仲良くしたいなら相手を悪く言ったり仮想敵化して攻撃してはいけないね。ただし元増田の場合はそもそもが「ファッション女子」などから自文化中心主義的な排斥を受けてきているという複雑な側面もあるわけで、これって「仲良くしたいなら歩み寄れ」という正論だけじゃ解決しない気はするな。
学術研究とファッションはちょっと違うって。研究は「自分はその分野に興味が(多少なりとも)ある」って前提での仕事なわけじゃん。でも元増田は「自分はファッションが分かる感覚が無い」と言ってるわけ。ファッションにいかなる興味もない。ようするに他の人たちであれば「寒色系の色が好き」「テラジャケはなんか嫌」「柄物(特にレオパード柄)がかわいいけど着るのは無理」とかさ、そういった自分の美意識を土台にして、そこから自分なりのファッションを築いていくことができるんだけど、元増田の場合は「美意識」そのものがゼロなわけで、彼は自分なりのファッションを築くのが非常に困難な立場にあるわけ。だからこそ「ファッションが先天的に分かる女」を強引に仮想敵(?)として描き出しちゃってるわけでしょ。だから君もさ、偉そうにアドバイスしたいんならさ、雑誌や検定での苦行を勧めるんじゃなくて、どうやったら「美意識ゼロ」でファッションは意味不明だと感じてる人が少しでも楽しく主体的にファッションを体得できるのかを教えてやればいいじゃん。苦行に耐えればファッションが身につくなんて誰だって知ってるけど、苦行を乗り切れる人なんて小数なんだからどうやって乗り切るかが重要じゃん。