はてなキーワード: プリントとは
https://nakorightnovelvirtual.hatenablog.jp/entry/2018/10/22/205042
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今日、テストの日に提出した国語のノートが返ってきた。評価はBだった。
先生はプリントを貼ってなかった人が多かったとおっしゃったから、どこかプリントが抜けたのかと考えた。
友達にA評価のノートを見せてもらって、プリントに不足がないことを確認した。
何かの間違いでB評価かもしれないと思ったから、授業後に、「なんでB評価なんですか?」と聞いた。先生の返答はこうだ。
ぼく「字が汚いと評価を下げるんですか?」
ぼく「ほーぉぉぉん」(諦め)(着席)
何諦めてんだこの陰キャ......。
では問題です。
なぜ授業でノートを取らなければいけないのか、答えを述べよ。
ぼくの答えは、「記憶の補助のため」です。
極論授業の内容をなにもなしに記憶できるのならノートは取らなくていいと思うんですよね。
まあぼくはそんな天才ではない訳で、記憶の補助としてノートを書きます。
はい。たぶんここまでは概ね賛成いただけるでしょう。
じゃあ問題!
「NNDN-TDSISKTKRNDY」
なんの伏字かわかる?正解はね、
なんでノートで成績つけるんだよォ!
じゃあなんでノートで成績つけるんだよ......。
ほとんど同じ内容を書いてまっっっっったく天と地との差ほどのテストの点とって
あなたのために書いてないです。
まったく違う点数なんですが?
字が読めないのは確かに悪いことですが、それはテストで×つければいいでしょう。
ノートを取るのは成績をつけるためか?
内容理解だけで成績つけてくれよ
もうどうしようもない。綺麗にノート取ろうとしたらたぶん成績落ちる。
落書きばっかで汚い字でもいいだろ......。
あなたの読める読めないとこちらの理解しているしていないは関係ないだろ......。
何も考えてなくて、だから30点40点50点取ってるんだろ......。
そういう話だったっけ。いや違う。
小学生の頃からなんでノートを取るのか知らずに考えずに今でも板書しているんだろうな?
といっても、ノートを取る理由を自分の中で確定できたのは中3の田野先生との出会いなので、それまでは彼らと同じく思考停止マシーンであったのである。別に偉くは言えない。
私の勉強観と、高校でつまらない授業を受けている話。 - nakoのラノベ・VTuberブログ
教えて偉い人!どうしてノートを取るの?
ま、結局は自分の評価より上の評価の思考停止マシーンがいるのが嫌だという、身勝手な思いから来ていて、自己正当化がしたいだけなんだけど。
と、こんな内容を母に話したら「じゃあ(先生に)言えばいいんじゃない?」と言われた。そらそうよ。
僕は明日から理由を問いまくるクッソめんどくさい生徒になるぞ〜〜。なりたい。
まあ授業中つまんなかったら寝たいけど時間勿体無いから授業とは別のことしてるという時点で相当めんどくさい生徒なのは既にそうなんだが。
や〜、自分から別のことをやるのが楽しいんですわ、先生にどうこう言われないでやるのが楽しいんです。自分でやってるのが好き。もう先生が自習監督みたいなもんだな。
あと最近この男調子に乗りすぎだろう。もっと謙譲してIKEA。そんなにクラスメイトや先生を馬鹿にするなよ、100点満点のテストで8点取った奴とか馬鹿に......wするなよ......w(性格悪すぎない?)
あ!もしかしたらぼくのノートは自分のためという前提がおかしいのかも!
文科省さんとかはノートは経済を回すABC分析で言ったらAの商品というだけかもしれない!
「板書」が、いちばんやってる感を味わえるのだろう。そうやってやってる気分だけ味わって中身はすっからかーんってか、ははっ。
マジで教師は全員精神鑑定を受けてくれ。そしておまえらの授業を生徒に採点させろ。自分がどんな授業をしているか知れ。
あ、これを読んだ方のご意見が知りたいので、コメントお待ちしております。
SNSで共有していただいてよりたくさんの人に見てもらって意見が欲しい。
おわり。
馬鹿がびっくりするほど多かった。
地方の元炭鉱町ということもあってか、基本的に知的水準が低かった。
そもそも授業が妙だった。
8歳の頃はひたすらエジプトの歴史と文化を習っていた記憶がある。
その時ですら「なんでエジプトなんだ。もっと他に順を追って習うことあるだろ。自国の歴史とか。」と思ってたけどひたすらエジプトだった。未だに謎だ。
算数は進捗別に何班かに分かれて、プリントが配られてそれを解くという方式。
どれも簡単なのだけれど山程問題があるので時間内ですべて解きることのはできなかった。
クラスの4分の1くらいが所属する一番下の班はもちろんまだ四則演算だ。
パソコンの授業もあったが、授業というよりパソコンに触れることがメインだった。具体的にはゲーム。
原始的なエアシュミレーターと、文字入力で進めるアドベンチャーゲーム。一台しかないので時間制限あり。
生物の授業はビデオを見て感想を書く。内容は面白いのだけれど、難しい英単語が多くて理解に苦労した。
自分は英語の勉強を一切させられずに地元の学校に放り込まれたのでコミュニケーションには難儀した。
言葉が通じないので、異邦人へのちょっかいには暴力で返す。泣くまで蹴る。親が何度か呼び出された。
それでも最終的には友達が何人もできた。英語は大して上達しなかったけれど。
あの年代の男子はみなフットボールの上手い下手でカーストが組まれていた。
フットボールの上手なやつは上位カーストで、それ以外の価値はあんまりなかった。
女の子も馬鹿だった。学力的には男よりも馬鹿だった。ときどきパンツを見せて見た男子をからかっていた。
その割に実際のエロいことには奥手で、実際女子に対してパンツを覗くなどのエロ行為を働くと友達から英雄視された。
キリスト教的な性に対する教育が家庭で行われていたのかもしれない。
教会の息子も友達にいたけれど、平均よりも少し頭が良いくらいで、まあ馬鹿だった。
「僕は大人なったら父のあとを継ぐよ」と言っていたけれど、あの程度でなんとかなるものなのだろうか。
中国人の子供の一人は算数がずば抜けてできるらしく、飛び級していた。それを全校生徒の前で褒められていた。
気のいいやつもいたけれど、話をすると周りからシカト対象になるのでほどほどにしていた。
性格の穏やかなユダヤ教徒とやつと仲良くして、他の生徒との橋渡しをしたら先生にえらく褒められた。
当時は宗教的な価値観がわからなかったので「あいつはジュー(ジュイッシュ)だからやめとけ」という友達の言葉の意味がわからなかった。
まあ言った本人も何がダメなのかわかってなかったと思う。聞いても回答がなかったから。たぶん親から何か言われたんだろう。
家も裕福だったし、あの調子ならたぶんフットボール選手になっただろうと思って検索してみたらチーム所属中に性的スキャンダルを起こしていた。
彼らは今や30代半ば。
ガレージの中は身を切る寒さで、キーを持つ手が悴んだ。毎日こうも寒いと、地球温暖化はでっち上げだなんていう冗談の一つも言いたくなる。
知人の頼みで留学生を空港まで迎えに行くとメイリンに話したところ、自分も行くというものだから、僕は直接空港に行くという当初の予定を変更し、彼女の家に向かっていた。
ここ数日は晴れていて、雪は随分捌けてはいたが、路面の凍結があるかもしれず、神経質にならざるを得ない。バスを使っても良かったが、大きな荷物を抱えてやってくる右も左もわからない留学生には、足がないのは心許ない。
2ブロックほど走行しメイリンの家に到着すると、車を道路の脇に寄せ、彼女が現れるのを待った。
Me: I’m here (着いたよ)
Meiling: k (わかった)
Meiling is typing… (メイリンが入力中……)
Meiling: I’ll be there soon (もうすぐ行く)
あと4分。そう僕は打算した。彼女が「良い」と言ってから出発しているのに、どうして到着してからさらに待つことになるのか、時々不思議に思ったりもするが、これはいつものことだ。
**
4年前、僕が初めてシアトル・タコマ国際空港に到着したとき、僕はBITの寮に向かうシャトルバスを探して、空港内を歩き回っていた。
海外に行くのはそれが初めてのことで、文字通り右も左もわからなかった。
やっと見つけたターミナルは、タクシーが行き交っていて、シャトルバスが停まるところではなかった。疲労で立ち尽くしていた僕に、タクシー運転手が声をかけた。
「タクシーを探してるのか」
「どこの大学」
彼は僕を空港内のインフォメーションセンターに連れて行った。そうして僕が探しているターミナルを案内員の女性に問い合わせてくれた。
その女性は、僕にターミナルへの経路を伝えるだけでなく、わざわざ近くまで付き添って歩いてくれた。
そうして僕は、やっとの事で正しいターミナルに辿り着いたのだった。親切に恵まれて。
ターミナルのベンチには先客がいた。きっとこれは幸運なのだと、僕はわけもなく直感した。
それは小柄なアジア人の女の子で、彼女は僕に親しげに話しかけた。
「BITに?」
「はい」
「良かった。私もです」
彼女が続けた。
「シャトルバス、もうずっと待ってるんです」
「どのくらいですか?」
「1時間くらいです。もしかして場所を間違えたんじゃないかって思ってたんです」
「やっぱりここですよね」
「もうすぐかも」
「そうだと良いんですけど」
「……」
僕は会話に言葉を継ぎ足すことができなかった。
彼女の座っているベンチはまだスペースに余裕があったけど、僕はなんとなく気が引けてそこに座ることができなかった。脚は棒のようになっていたのに。
手持ち無沙汰になって、僕はバックパックから、宮部みゆきの『火車』の文庫本を取り出した。
その時、
「来た」
彼女が叫んだ。
BITのマスコットである、ブルドッグの『ジュリアン君』のプリントが入った白いバンが、僕たちの目の前に止まった。
僕は慌てて文庫本をバックパックに戻して、車輪の滑りの悪くなったスーツケースを引きずり始めようとしていた。
「ところで、」
歩き始めた彼女が踵を返して言った。
「お名前聞いても良いですか?」
僕はサトシと答えた。彼女はメイリンと名乗り、ピカッと笑った。
**
偶然、僕は親切と幸運に恵まれたが、宮本恵梨香が同じだとは限らない。彼女が迷わないように、僕は昨晩、手荷物レーンから僕が迎えに行くターミナルまでの経路をできるだけ詳細に説明して、空港のマップとともに彼女宛にメールした。僕の車の車種とナンバーも添えて。
窓をノックする音がした。
メイリンが手を振っていた。ピカッと笑いながら。
普段はユニクロで3枚1000幾らの地味なボクサーブリーフをはいている。
そして全般的に穿き古しているために若干生地が薄くなってきているが、妙な物持の良さが災いしてなかなか変えられずにいる。
という訳で、通販で1枚1500円のボクサーを買ったのだがどうもフィットし過ぎてイマイチであった。
穿き古して若干「ボクサー…ブリー…フッ…」となった感じのものがちょうどいい。
だが、そうも言ってられなくなってきた。
これはちょっとさすがに穿き古しボクサーでは勝負になった時に負ける気がしてならない。
キズナアイ騒動で社会学が話題になっている。その騒動の中で、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」とか、「客観的な視点が無いならそれ学問じゃなくね?」とか、「社会学って必要なの?」とか、様々な言葉が飛び交っている。
ところで、僕は大学に進学することを考えている、文系選択の高校生である。そこでふと気づいたのだが、これから受験に臨むというのに、僕は社会学について何も知らない。知らないというのは、騒動で飛び交っている言葉に対して、「それってまぁこういうことじゃね?」という程度の考えができるだけの知識すら持っていない、ということである。将来ひょっとしたら選択肢に入ってくるかもしれない学問なのに!
そんなわけで、ネットで軽く社会学について調べてみることにした。
「社会学」と検索すると、真っ先に、ウィキペディアの一文目が表示された。
社会学(しゃかいがく、英: sociology)は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を統計・データなどを用いて分析することで解明する学問である。
分かったような、分からないような。とりあえず、“統計・データなどを用いて分析する”ということは分かった。とするならば、騒動で言われていた、「客観的な視点が無いならそれ学問じゃなくね?」ということに対しては、「統計・データなどを用いて分析しているらしいよ」と答えることができそうだ。でも、まだ何となく腑に落ちない。
そこで思い出したのが、「そういや社会学って、社会科学の中にある分野だったよな」ということである。それなら「社会科学」も調べてみようか。
社会科学は、客観的に社会の真実を探求する事とともに、人類にとっての有益を追求する。また、文科系の学問において基礎となる間主体的な洞察力の活用と自然科学に由来する客観的視点を両立することで成立する。
うん……? ざっくりまとめると、
・社会の法則みたいなものを見つける→それを利用することで、みんなが幸せになることを目指す
・「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせることと、客観的な視点を使うことの、両方をする
ってことでいいのかな。
いまいち理解できないのが、“自然科学に由来する客観的視点”の部分だ。これ何?
「自然科学」で検索すると、高校生が何となく信頼を寄せるウィキペディアには、残念ながら調べたい情報は出てこなかった。社会科学との対比の「自然」の部分に関する説明が多かったのだ。……ん? ということは、僕の調べたいことは、両者に共通する「科学」の部分にあるのではないか? その考えを以て思い返してみると、“自然科学に由来する客観的視点”、そう、“由来する”って書いてあったじゃんか。つまり、客観的視点の由来が自然科学なだけであって、社会科学が客観的視点を用いていない訳では無いってことだ。ああ、こんなことだから「最近の子供は読解力が無い」なんて言われてしまうんだろうな。ともかく、客観的視点は「科学」のものであり、それを知りたいならば、「科学」について調べればよさそうだ。そんなことを思いながら、「科学」のウィキペディアのページを開く。
こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学的方法である。言いかえれば、究極的な目的であるなぜ (Why) を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、どのような (How) 現象が起きているのかを記述することと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係を分析しようとするのが科学である。
……分からん。「科学」で調べた時に、「科学とは 簡単に」という検索候補が出てきた気がするので、そっちで調べてみる。
https://www.geek.sc/archives/623
(小学校や中学校の理科の授業を挙げて)先生は実験前に皆さんに何かプリントを配って、「実験をしたらこういう結果になる」ということを説明したり、「実験によってどういう結果になると思うか、自分の考えを書きなさい」などのような指示を出したりしたと思います。そして、本当にその結果が得られるかどうかを検証するために、実験が行われたと思います。それが科学です。
なるほど、何となく分かった。科学とは、仮説→実験→検証という、小中学校の理科でやった流れのことなのか。ああ、じゃあ社会科学的な科学とは、「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせる(仮説)→客観的な視点を使う(実験・検証)で、その実験・検証に使う客観的な視点が、社会学においては“統計・データなどを用いて分析する”ことなんだな。じゃあ、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」って言葉は、半分合っていて、半分間違っていることになる。自分の好きなことだけ言って根拠が無いのであれば、それは「好きなことを言っている」ということになるけど、根拠があるならば、それは科学で証明された立派な法則だ。もっとも、優れた科学者なら、仮説の時点で言っていることはかなり正しくて、後は証明するだけ、ということもあるかもしれない。千田さんが何かオラついているのは、もしかしたらそういうことを言いたいのかもしれないなあ、なんて。
まあそれは置いといて、社会学を含む社会科学は、科学的な手続きを踏んで成り立ってきた法則を利用することで、みんなが幸せになることを目指す学問なのだから、どう考えたって人類にとって有益だ。だから、「社会学って必要なの?」というのはおかしいような気がする。
これでふわっと社会学について知ることができたし、「それってまぁこういうことじゃね?」と言うことができた気がする。ネットで軽く検索して得ただけの弱っちい知識ではあるけど、それだけでとりあえずは、例に挙げたような飛び交っている言葉は解決できそうな気がする。もちろん、議論はその上に成り立っているものであるはずだし、そうでないと時間の無駄だ。だから、これを「はっ、当たり前のことばっか書き連ねやがって」とか「いやここおかしくね? 幼稚な理解だな」とか言って、一笑に付してもらわないと困る――Twitterで何か言っている人たちとか。なので、この文章で違和感のあるところがありましたら、ご意見の程よろしくお願いいたします。
ネット見てればゾーニングゾーニング言ってる人が定期的に見かける気がする
それでふと思ったことを書いてみる
例として挙げられてるようなタイトルって基本奥の方にしかないと思う
いやいや目にする人なんてそういないと思う
どっちかというと男性向けより女性向けのものがすごいアピールされてると思う
ある本屋さん(tsutayaみたいな小さめでどこにでもあるのじゃなく名前は割と有名で大きめなとこだったはず紀伊国屋みたいな)では、入ったところにジャンプとかの漫画がズラッと並んでよくある感じだった
そのとなりにも同じくらいの棚があって、手前がジャンプでとなりがマガジンかなーと思いながら興味あるのがないか探していると、全然聞いたことないタイトルばかりでなんか違和感を持って上のジャンルとか出版社とか書いてるところを見たら女性向け・BLと書いてた
個人的には興味ないのは見ないだけであーしろこーしろ言う気はないから別に構わないんだけど、こんな入り口近くのところに堂々と置いてるって攻めてるなーと思った
次はアニメイト
昔から女性向けよりな感じではあったが、男女問わずライトなアニメ好き名層をターゲットにしてると思ってた
前に行ったときはBL系の棚はあるものの端の列くらいで普通の本屋さんとそう変わらないと思ってた
それがしばらくしてからまた行ったときにはすごいBL推しになってた
体感では半分くらいの棚がそうなってるような感じだ
しかもレジのあたりはその手のセリフとか画像とかプリントされたのがいろいろ貼っててすごい空間だった
抵抗ある人はレジ来るのためらいそうだなと思いながら百合漫画を手に並んでた
中高生の時は学生ズボン+制服ワイシャツで寝ていたし、大学以降(社会人時代含む)はスラックス+ワイシャツで寝ていた。
その理由は「夜寝るときに着替える」というシチュエーションに激しい性的興奮を覚えるからだ。
中学の頃一度パジャマで寝ようとしたことがあるが、「自分はパジャマを着ている」というシチュエーションに激しく興奮して勃起し続けて眠れなくなった(制服に着替えたらすぐに寝落ちした)。
パジャマのデザイン(余談だがボタンがないタイプの場合、キッチュな英字プリントがあればシコリティは非常に高くなる)、肌触り、着ているときの感触…それらは自分を性的に興奮させる。
パジャマはくつろぐ時や寝る時に着るものだが、そういうことを想起させる「夜寝るときに着替える」というシチュエーションには、性的興奮を覚えて当然だろう。
自室には性的欲求を満たすためのパジャマが何着も存在する。パジャマが載っているカタログやチラシを見ても性的に興奮する。
深夜アニメで登場人物がパジャマ姿のシーンが出てきても興奮する。「人生」ってアニメのパジャマパーティーのシーンは非常に興奮した。
公開が古くてフィルムが現存しない映画でも、映画サイトでは点(星)が付けられているものがいくつもあります。
殆どはイタズラ投稿だと思いますが、中には公開当時実際に鑑賞した人による評価もあるのかもしれません。
あったとしても見抜くことは出来ませんが。
※はてなにリンク数制限があるため直リンクを行っていません。「h__ttps」「h_ttp」の「__」を削除してください。。
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80
4.1
h__ttps://filmarks.com/movies/18734
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%88%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93
3.8
h__ttps://filmarks.com/movies/20802
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E5%93%80%E6%84%81
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平均評点 70.0点(1人)
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h__ttps://filmarks.com/movies/17416
3.6
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98
h__ttps://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98/131208/
2.50 点 / 評価:2件
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本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[6]、マツダ映画社も同様である[7]。大阪藝術大学の玩具映画プロジェクトもフィルム断片を所蔵していない[8]。現状では、いずれも鑑賞の不可能な作品である。
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62239
平均評点 70.0点(1人)
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h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD
本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[9]、マツダ映画社も所蔵していない[10]。現状、観賞することの不可能な作品である。
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=63113
平均評点 0.0点(0人)
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平均評点 70.0点(1人)
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本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[5]、マツダ映画社も所蔵していない[6]。現状、観賞することの不可能な作品である。
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=41814
平均評点 0.0点(0人)
観たひと 1
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レビューの数 0
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E8%A7%A6%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%B9%B8%E9%81%8B
シナリオは現存しており、1993年(平成5年)刊行の『小津安二郎作品集 1』(井上和男編、立風書房)および、2003年(平成15年)刊行の『小津安二郎全集 上』(井上和男編、新書館)に収録されている[3][4]が、ネガ原版・上映用フィルムは現存されていない。
h__ttps://filmarks.com/movies/38460
3.6
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AF%E5%BE%A1%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89
h__ttps://filmarks.com/movies/17416
3.6
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%BA%E6%82%94%E3%81%AE%E5%88%83
h__ttps://filmarks.com/movies/15024
3.9
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%93%A1%E7%94%9F%E6%B4%BB
h__ttps://filmarks.com/movies/29206
3.8
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A2
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62179
平均評点 70.0点(1人)
観たひと 2
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h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%9F%E9%80%A2%E3%81%B5%E6%97%A5%E3%81%BE%E3%81%A7
h__ttps://filmarks.com/movies/16783
3.7
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=64450
平均評点 70.0点(1人)
観たひと 2
観たいひと 4
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私は20代半ば手前の者です。
昨年仕事(第一次産業)を辞めてしまい、学歴もスキルもないのに何やってんだろ...と引きこもりかけたところ、
ハローワークで長期の職業訓練を見つけたので応募してみました。
それは専門学校に委託される2年間の訓練でした。その間失業保険の支給は、期限が過ぎても延長してもらえます。
要するに入学料・授業料タダ、お金をもらいながら勉強でき、専門卒になれるチャンスというわけです。
(本当に有難い制度です。就職したら、きちん税金を納めて世の中にお返しするつもりです)
どうやら希望者は少なかったようで、筆記(中学レベルの知識で大丈夫でした)と面接はすんなり通りました。
同じ訓練生は1割程度です。(30~40代の方が2人おられます)
ワイワイやる人が3割、静かな人が7割ぐらい? といった印象です。
男子100%ですが、ホームルームだけは女子100%のコースと一緒にやります。
悪い人はいない感じで、授業が荒れて成り立たないとか、そういうのはなくてよかったです。
ただ、バイトが忙しいのか授業中イビキかいて寝ちゃう人や、全然授業について行けなくて辞めちゃう人はいます。
○Office(前期のみ)
word,excel,powerpointを一通りやりました。PC操作に慣れていない人も多いので、
手取り足取りゆっくりやる感じでした。自分は仕事で使ったことがあったので、課題を早く終わらせて
○C言語
terapadとコマンドプロンプトを使っての授業です。(コンパイラはborlandです)
元SEの先生(本人曰くCOBOLer)の説明聞いてから、課題をこなしていく感じです。
入学前に、RubyやらJavaの参考書を一周してみたり、ドットインストールでC言語の動画を見たりしていたので、
授業にはついていけています。
ただ授業だけだと完全に足りなさそうなので自学を頑張ってます。
分野ごとに授業があります。教科書を読んで先生が板書・たまに問題集やプリントを生徒にやらせるといったスタイルです。
ただ試験対策なので、問題演習を重視した方が良いと思いました。
授業を聴きながら(たまに当てられるので)、ひたすら過去問をやっています。
ちなみに学校は12月の修了試験(合格すると本試験の午前問題免除)→来年4月の本試験 を前提にカリキュラムを組んでいますが、
私は年も食っているし、合格が就職活動に間に合わないので、来月受験します。
就職指導の先生は応用情報技術者も取っておけ、と言われましたが、必要ですかね...?
勿論取らないに越したことはありませんが、Railsチュートリアルとか他の技術書に時間をさいたほうがいいかな、と思いました。
○アルゴリズム(前期のみ)
フローチャートや疑似言語を使って、バブルソートや基本選択法など初歩的なアルゴリズムの勉強です。
実際のプログラムのコードの方がわかりやすい気がしますが、基本情報技術者試験対策なので仕方ないですね。
今も現場ではフローチャートや疑似言語は使われているのですかね?
そんなの古い現場でしか使ってないよ、という意見はよく聞きますが...
先生の意向でなぜかメモ帳推奨。(他のエディタを使っていたら嫌な顔をされた)
素人がいうのも何ですけど、ミスに気づきにくいし、使いづらくないですかね...
案の定何でもないところでハマる人がいて、授業はよく止まってしまいます。
ブラウザの開発者ツールの使い方を隣の子に教えてあげたら、喜んで使ってくれていましたが、
やっぱり変なもん教えるなという目を先生から向けられちゃいました...
○データベース実習(後期〜)
Accessを使った授業です。テキスト通りにやっていきます。
Accessは初めて使いましたが、Mysqlをちょこっと触ったことがあるので、要領はなんとなく掴めました。
これも授業は遅いので、先に教科書の内容は家で一通りやってしまいました。
グループワークとかやめてください死んでしまいます、と思ったけど、意外と楽しめました。
ただ、喋らない人たちしか居ないグループだと、何を話しかけても反応が薄かったので、ちょっと辛かったです。
・授業で使うPCはメモリ4GBでもうちょっと欲しいなあと思いました。
エディタはAtomをUSBに入れて使っていましたが、カクカクでよくフリーズしました...
モニタも19インチの正方形で、ウィンドウをたくさん出したい時は不便ですね。
どんな職場に行ってもどんな環境でも何とかやれ、という訓練ということなんでしょうかね。
1年生後半にRubyの基礎、インターンシップ(強制)、就職活動の開始
2年生からは、Java,Rails,サーバ構築, データベース構築あたりの授業、という流れで進んでいきます。
年齢が20後半になるので、周りの若い人たちと何かしら差をつけないといけないので大変ですが、
地元企業のSE(Web系を希望しています)で採ってもらえるよう頑張ります。
アドバイスがありましたら、いただけると嬉しいです。
拙い感想文にいろいろと反応いただきありがとうございます。
ごもっともです。私は皆様の雇用保険から学校に通わさせていただいているので、文句言う立場じゃないですね...
ただ、年100万近く払っている一般生徒の方は、不満に思っているかもしれませんね。
>>田舎で数年間無職してるけどIT系の就職訓練無くて最悪 羨ましい 田舎はゴミ
そうですか... 私の住んでいるところも地方都市ではない田舎なのですが、
近隣にIT企業が進出してきていることもあってか、今年からIT系が訓練の対象となりました。
都市部ではない地域も、もっとIT系の訓練が拡充されると良いですね。
>>otihateten3510 基本情報さえ取ればどっかに潜り込めるだろうから、そこで3年くらい真面目にやれば結構いけるとおもう。
>>コード書けると良い。/授業はまあそんなもんだよね。現役の人に聞いたほうが正しい。/東京のほうがイージー
ちょっと精神的に病んで前の仕事をやめてしまったので、家族のサポートを得て、地元に就職しようという情けない有様でございます。
教科書やノートは机の上に出ていない。視線の先も手もいつもスマホ。毎回授業始めに配られるプリントには授業のパワポのスライドが印刷されている。教授達は雑談でさえパワポに詰め込んでくる。後からスライドはwebで公開されるので、メモを書く隙間もないそのプリントは意味を持たない。
教授が焦ってる。パソコンが強制終了したらしい。少し前からポップアップの様なアラームが何回も出ていたが教授はよく読まないで「いいえ」を押していた。すぐ内線で事務に連絡し別のPCが届けられる。
こういう事は今日に限ったことではなく、呆れるほどよく起きてる。機械音痴の教授と安い機材を使っていれば当然といえば当然だ。だらしなく聴く学生とだらしない授業。大学の名前は社会的には有名な方で真面目な大学の印象がある。それは表面上の姿で、大学のことを口コミに書くのは一部の熱心で真面目な学生だ。
外から見たときと内に入って見たときでは印象も実態も違う。就職するのが怖い。大学の二の舞を踏むのは避けたいが、仕事と割り切るしかないのだろうか。でもこの恐怖心は働きたくない感情からくる逃げなのではないだろうか。
感想とか聞けたら嬉しいです
2か月に1回くらいはよく見る界隈の学級会を煽るタイプの増田です。合わない奴がいるかは知らん。
長いし読みづらいと思うけど知らん。
・世の中のコンテンツはアイマスかアイマス以外であると考えている者
・現実世界のライブイベントにおいて「客」と「プロデューサー」は別だと考えている者
などのことを言う。
声優とキャラを限りなく同一視してるくせに声優のソロ名義イベントには全然足を運ばないだとか、
そういう個人的な文句は山ほどあるけど、それは置いといて今回特に言いたいのはマナーの話。
アイマスPは普段からどうやら自分たちの界隈は民度が高い、マナーがいいなどという幻想を抱いているようだけど、そう考えてるのはアイマスPたちだけ。
他の界隈から言われたことはないのか?「アイマスPはめんどくさい」と。
キャラクターの絵やセリフテキストなどに対する解釈で愛が重すぎるとかいうのもあるけど、大半はそこじゃない。
ライブやイベントのマナーに関して、あまりにもダブルスタンダードがすぎる。
先日参加した大型フェスイベントで隣にいたのが、アイマスの法被を着てサイリウムホルダーで何本も体に巻きつけているタイプのアイマスPだった。
そしてなぜか小さいダンボールを小脇に抱えていると思ったら中身はUOのパック。合計で100本ほど。
これだけならテンプレのアイマスPきたな~と笑い話で済ませられるレベルだったが、笑い話で済ませられなくなった。
ライブが始まったら口が臭い。コールのたびに隣から口臭が飛んでくる。歯を磨け、食生活を正せ。
先ほどの100本のUOは前の客席のパイプ椅子に叩きつけて折る。両手で折れ。
そのUOは両手に4本ずつのバルログ。そのライブのレギュはサイリウムは片手に1本ずつまでだぞ。
使用済みのUOは抱えてきた小さいダンボールに投げ捨てるが、ブン投げているためそこらじゅうに散乱する。ちゃんと片付けろ。
しまいには曲の歌い出しを演者と一緒に合唱し出す。これが決め手で直接怒った。お前の歌を聞きに来てるわけじゃない。
だから、この人個人に限った話なら個人の問題で片づけていいかもしれない。
だが、アイマスPは「自分たちの民度が高い、マナーがいい」と思っているのだろう?
アイマスPを名乗ることで他のオタクとは違う感を演出したいのだろう?
身に付けるもの等で何のオタクかすぐにわかるのはアイマスに限った話ではないことくらいは理解できるだろう。
アイマスPと他者から認識されることを理解した上で「民度が高い、マナーがいい、特別だ」と主張するならば、
ライブイベントにおける振るまいは個人の問題ではない。界隈全体の問題だ。
前述のアイマスPの、どこが民度高い?どこがマナーがいい?特別なのかは知らん。
前半は日常生活における基本的なエチケットだ。ルール以前の話だ。
後半は完全にライブに置けるマナー違反、明確なレギュレーション違反だ。
こういう話をするとアイマスPはすぐに「そんなやつはPじゃない」などと思考停止をするが、
アイマスのキャラクターがプリントされた法被を着てサイリウムをバルログするような人間をアイマスPと呼ばないのであれば、明確なアイマスPの定義を教えて欲しい。
現時点でアイマスPのライブイベントにおけるマナーは、アイマス以外のオタクと完全に同レベルだ。
むしろ「アイマスP」の括りで見られている点において、他界隈のオタクからは民度が低いとさえ認識されている。
これが前述の「アイマスPはめんどくさい」の正体だ。
サイリウムの色ひとつで度々揉め事を起こして同調圧力で潰す、ライブ後は感想よりも多く厄介報告をTwitterに垂れ流す、
個人の不快感と迷惑行為を混同して正義感を振りかざす(=アイマス警察)などその他にも枚挙に暇がない。
分母の大きいコンテンツになっているから勿論変なのもいれば立派な人もいる、フツーの人もいる。
なんなら他界隈から「アイマス以外のライブでアイマスPを見かけたら厄介だと思え」とすら言われていることを知らないのか?
アイマスを好きというだけで選ばれた人間のように考える勘違いを、いい加減に捨てろ。
警察に被害届を出そうとしたとき、私は北海道にいたので、北海道警苫小牧署に行った。
そこでは、事件が起こった場所で被害届を出すのがよいから、横浜に行く機会があったらそのときに警察に行くのがよいと言われた。
その旨を、現場の管轄である神奈川県警戸部署に相談してみると、やはりこちらに来る機会に来署してくださいとのことだったので、
戸部署で話をすると、それでは被害届を受けるので明後日また来てくださいとなった。
なので2日後にまた行くと、女性警察官から、被害届は受けられない、ただ話を聞きたいだけだと聞いている、被害届を出したら加害者が怒ってあなたに何かするかもしれない、同じ女性としてあなたを危険な目に遭う可能性にさらすことは出来ない、という話をされた。さらには、どうして時間が経ってから来るのだと言われた。(そのことについては事前に戸部署に相談しており、こうなっているのに。)
北海道に戻った私は、再び苫小牧署に行き、こういう被害届を出したいと言われたら苫小牧署ならどういう対応をしますか?ということを質問した。
そういった場合にはこういう捜査をするだろう、という説明を苫小牧署の警察官から受けた。
父から、警察に不満があれば監察に申し立てるとよいと聞いたので、
戸部署ではじめに対応してくれた警察官と2日後に会った女性警察官とでは話が違ったこと、
苫小牧署ではこういう相談があればどういう捜査をするという話をしているのに戸部署では被害届を受けつけてくれなかったこと、事件に遭った場所によって捜査に格差があってよいのか、
手紙が届いたであろう頃に、戸部署に電話をしてみると、電話を取った人からして、ああはいはい、と話をわかっている感じであった。
そして、私の事件を刑事課の(企業でいうと)部長クラスと思われる人が担当することとなった。
監察の力ってすごい!
ところで、私は、例えば「医師は全員女性なので安心」のような、女性の相談を受けるスタッフが女性なので安心だという世の中の謳い文句に安心を感じたことがない。
戸部署の女性警察官のように、「同じ女性として」という文句が「私も我慢しているのだからあんたも我慢しろ」という風に使われることがあるからだ。
たいていの事件には加害者の復讐の可能性というのは伴うのではないか。そうした場合、被害者は泣き寝入るしかないと警察はいうのか。
被害届を出すかどうかは私が決めることではないのか。同じ女性だからといってそれをさせてもらえないのであれば、私とあなたは別の人間であるということの尊重のうえで相手の状況を慮ってくれる男性警察官が担当となってくれた方がいい。
事件を捜査してもらえることとなって、2か月に1回くらいの頻度で戸部署に呼ばれた。
その頃には北海道から埼玉に引っ越していたのだが、平日の昼間に片道2時間近くかけて警察まで行かなくてはいけないのはなかなか大変であった。
その個室に入るときは、携帯電話をドアのポケットに入れなくてはならなかった。”いつもは悪い人を取り調べる部屋だから、外に連絡して打ち合わせることができないように”という説明を聞いた。
たいてい冷たいお茶を出してくれた。個室の壁のペンキはひび割れていた。警察の建物ってたいてい老朽化している。お金がないからあまり捜査をしたくないのかもしれない。でもだからといって私が人権侵害行為を受けたことを泣き寝入ることはしたくない。
車で被害の現場まで行き、ここですと指さしているポーズで写真を撮られることもあった。「おお、それっぽいことをしてる」と思った。
被害届は刑事が作成してくれるのだが、被害者の喋り口調で作るものになっているようだ。加害者と被害者にニックネームがあれば、その名前が使われる。例えば、「みちょぱ」と「らぶりん」がニックネームであればそれが被害届のなかで使われる。こういった種類の事件のテンプレートなのだろうか、「ときには優しいこともあって、そういうところが好きでした」なんていう文言も入る。つまり「みちょぱはらぶりんの、ときには優しいところが好きでした」という文面が出来上がる。それを刑事に読み上げられて、恥ずかしくってしかたがなかったのだが、こういうものなのかと思い「はい、それでいいです…」と言っておいた。
加害者の人権は守られている。例え立件されても、起訴されたとしても、特殊な権限のある人がそれを調べない限り、そうなったことは知られない。
そう考えると、道を歩いている人も、実は殺人犯なのかもしれない。あの男の人は親切に道を教えてくれたけれど、家では妻や恋人を殴っているのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。
現場に関するものが少しトラウマとなっていた。「横浜」の文字を見ると嫌な感じが湧き上がってきた。加害者がよく着ていたような白いTシャツを着た男の人を見ると、恐怖感が湧いてきた。
私が警察に被害を届けることを知人に話したら、その知人が加害者にそのことを告げるということが起こり、ショックを受けた。
加害者が「女性は1人の人間としてではコンテンツとしてみていて、必要がなくなったら他のコンテンツに乗り換える」と語っていたことがあり、その話をまた別の知人男性にすると、その知人男性も「男はみんなそうしたいと思っているところがある」と言って、そのことにショックを受けた。
ネットなんかで「女性はちょっとしたことでもすぐDVと騒ぐから」と書かれているのも見かけると、私の言っていることもそう思われるのだろうか、信じてもらえないのだろうか、と思った。
そんなことがあり、警察にも通っていたりで、精神的負荷がすごかったのだが、それで精神的に不安定になったら、”メンタルが不安定な人”ということで、私の言うことの信憑性が低くなるのではないか、と思い、周りに支えの無さを感じていた。
そんなときに、10年ぶりに会った後輩に、これまでにあったことを打ち明けると、
「僕はあなたの言うことを信じますよ。だってあなた、苦しんでいるじゃないですか。」と言ってくれて、こころが救われた。
私が警察に被害を届けようとしていることを知人が加害者に告げたことも、女性をコンテンツ扱いする発言も、「ひどい」と言ってくれた。ようやく、私がおかしいと思っていたことを「おかしい」と言ってくれる人が現れて、私はほんとうに救われた。
警察の捜査の進みはほんとうに緩慢で、1年くらいかかったと思う。
ようやっと書類送検ということになった。
警察で立件された時点で、前歴となり、その記録は警察や自治体に永久に残るらしい。
この時点で時効が迫っていたので、内容証明郵便を加害者宛てに送った。こうすることで時効が半年延びる。
その間に弁護士を探した。
親切にしてくれる弁護士もいたけれど、証拠が少ないということで引き受けてもらえなかったりした。
嫌な思いもした。被害に遭ったことについて私が馬鹿だと言う弁護士もいた。
私はDV被害者の当事者会に出たりして勉強したが、DV被害者というのはみんな自分が馬鹿だと思っているんです。そう思っているから、なかなか外に打ち明けられなかったするんです。それなのにそんなことを言う弁護士がいるなんて。
そもそも、人を疑って警戒しながら生きているのが賢くて、人を信じると馬鹿と言われる社会なんて。
実は、警察では証拠不十分で立件できなかった加害事実について(数種類の加害行為があり、証拠が揃っているものだけが立件された)、加害者が検察での供述の中で加害事実を認める発言をしていることを、私は検察官から聞いていたのだ。
裁判となれば、その供述調書の開示を求めることができるかもしれない、と弁護士は言った。開示されたら、それが重要な証拠となる。
そして裁判が始まった。
東京地方裁判所は大きなビルの中に部屋(法廷)がたくさんあって、廊下の壁は明るい色に塗られ、大きな病院や学校みたいだった。
地階に食堂があるので、ここは「裁判に勝つ」ということでカツ丼を食べようとしたのが、カツ丼はメニューに無かったのでざるそばを食べた。
裁判官は頭に黒い帽子をのせてポンチョのような黒い服を着ており、「あれは昔はシルクだったけど今は合成繊維になった」と弁護士が教えてくれた。
ハンカチくらいは持ち込んでもよいと聞いたので、すごく緊張したからハンドタオルをぎゅっと握りしめて法廷に立った。
述べる前には、ドラマとかであるように、嘘はつきませんってことを宣言しなくてはならなかった。その文言は、プリントされたものが前に置かれていたので、それを読んだ。
ここでも結局、私が馬鹿だということを匂わせることを言われる。
いくら、DV被害者には特殊な心理状態があるという研究があっても、DV被害者の当事者団体が訴えても、それはなんにもならない。
私は「はい」か「いいえ」しか答えられない。私を侮辱するようなことを言われても、反論しようとすると裁判官から制される。
この後しばらく、私は加害者側の弁護士の喋り口調がフラッシュバックすることがあり、精神的な危機を感じた。
弁護士の喋った内容ではなく、息遣いのようなもののフラッシュバックがあった。
これまで警察や検察に行ったり裁判を起こしたりして、かなり精神的に負荷を感じることがあったけれど、これが一番ひどかった。なるほどこれがセカンドレイプってやつかと思った。数週間したらおさまったのでよかったのだが。
私の弁護士が裁判の中で、検察庁に加害者の供述調書の開示を求めてくれたのだが、
和解ってやつになった。
警察に被害を届けたり裁判を起こすときに、どうして警察に行くの?どうして裁判をするの?と言う人たちがいた。どうしてそういう質問がなされるのか私にはわからなかった。
泥棒に入られたら警察に行くのと同じことだと思った。カバオくんを泣かせたバイキンマンは、アンパンマンにやっつけられる。幼稚なのかもしれないが、世界はそういうものだと思っているので、私には泣き寝入るという選択肢は無かった。けれど、泥棒に入られても警察に行かない人もいるのかもしれない。
「得られるものに対して自身へのダメージが大き過ぎる」と忠告してくれた人もいた。
(確かに、負荷は大きくて、円形脱毛症になりかなり派手にハゲをこさえた。裁判が終わって1年近く経つ現在もまだ完治していない。)
そう考えて泣き寝入る人たちはたくさんいるのだろう。けれど私はそんな例を増やしたくはなかったし、このままあったことを無かったことにされたくなかった。
暴力的に自分の意にそぐわない状況に置かれるという体験は、私の自己効力感とか自信を失わせるものであった。
むかしの私は将来に希望を持っていて活動的であったが、被害に遭った後は、何かをしようと思っても、自信がが持てずに力が入らないのだ。
警察に行ったり裁判をすることは、暴力的に意にそぐわない状況を受動させられたことを、自分で動くという能動に変えることであった。
だから私は、やれるだけのことをやってよかったと思っている。
タイトルの通りである。うんこ漏らした時に増田に助けてもらったので恩返しという名の懺悔をする。
誰かに言わないとやってられない。増田なのでこの際包み隠さず書く。うんこは漏れたけど。
一回目。あれは七月の終わりごろ。
自宅から自転車で駅に向かい電車に乗り、電車を降りたらまた自転車に乗るという通学をしていたのだが、
何をどうやっても一限の始まりに間に合わず、間に合わない以上は出来るだけ急ぐのだが、腹の調子が悪い時はそれは地獄であった。
毎回うんこ漏れそうだなとか思いながら駅のホームの端にあるトイレに駆け込んだりしていたり一回民家に駆け込んだこともあったのだが、
七月のそのときは少し事情が違った。いやよく覚えていないのだが…
確か駅を出た時にはそんなに腹の調子は悪くなかったのだが駐輪場に移動してしばらくチャリを漕いでいたらヤバくなったような気がする。
駐輪場から大学まで微妙に遠く、大体十五分くらいかかるのだがうんこ漏れそうなときにそんな時間耐えられるわけがない。
悲しい。今思い出しても情けない。路上でうんこ漏らす大学生に自分がなろうとは。
うんこをどうやって処理したか微妙に覚えていないが、多分大学まで行ってトイレで処理したのだと思う。
何せ初めてうんこ漏らしたわけなのだから内心パニックである。もう本当にどうしたのやら。とりあえず「うんこ漏らした」とかでググったのはしばらく後だった。
うんこ漏らしたのはもう事後だからどうしようもないが問題は講義である。
さっさと帰れよウンコマンと自分で思ったがそうはいかない。テストの予想問題の解答をやるとか何だとかで一限は出ないといけなかった。
おまけに二限は配られたプリントを回収しなければならなく、三限も何かあった。
だから一限には出た。うんこ漏らしたけど普通に座席に座った。匂わないかハラハラしていたが今考えるとハラハラする以前に人間として大切何かを失っていたように思える。
何やら汁っぽいものがズボンに染みていたはずだが念入りに拭いた(はずだ)し、ズボンの色は深い紺色でカモフラージュされたので結果的に妙な悪運を発揮したことになる。
パッと見ではわからないのだ。
ただうんこの処理やら何やらで入るのは遅くなったし板書の文字は見えないしで一限の講義はひたすら辛かった。
一限が終わって教室移動。一限は専門だったが二限以降は全学共通科目、つまり一般教養であり、比較的出席などは緩い。三限も同様。
二限の科目がまさにそうで、プリントは毎回配るが大部屋で出席確認はなし、テスト一発という今この状況ではとてもありがたい科目であった。
パンツを買うのだ。
まずはパンツを替えたい。
猛烈にそう思っていた。
この時コンビニのトイレが閉まっていたというのが妙に記憶に残っているがそこでパンツを替えたかったのだろうか…今となっては良く分からない
とりあえずコンビニのトイレが閉まっていたので大学のトイレに向かいパンツを替えた。
しかし事態は深刻である。パンツを貫通して汁がズボンにまで到達しているのである。一限は仕方なく、本当に仕方なく席に座ったがこれ以上のうのうと講義を受けていられる気分ではない。
だから帰った。三限は出なくても問題なさそうな感じだったので躊躇いはなかった。電車では立つと見られるかもしれなかったので座席に座った。もうマジで汚い。
私は実家から通っていたので、家事もそれなりに請け負う。テストが近いので早めに帰って風呂を洗うのは良くやっていた。
おまけに日中は家族はほとんど出払っていて、居ても風呂場からは遠い。
それらの事情を利用して、風呂場を洗うついでに、パンツとズボンを洗った。ものすごく念入りにシャワーで流し石鹸で洗った。
パンツは捨てようにどこに捨ててもバイオテロなので洗うことにした。ズボンは直接うんこが付いたわけではなかったから捨てるわけにはいかなかった。
一応パンツとズボンは洗濯機に放り込んだ。うんこはきれいさっぱり流されて微粒子レベルでしかないことは確認済みだったから大丈夫ということにした。
選択されたものを見ても綺麗になっていたので一応の解決はされた。
以上が一回目である。このときはもう二度とやらねえと思っていた。
二回目は年が明けた三月の初旬。浪人時代の友達に焼肉を誘われてそれを食いに行った帰りである。
長期休暇で碌なものを食っていなかったからであろう、久々の肉は私の腸内環境を大幅に活発化させた。
私はあの日以来うんこ漏らしてもパンツとビニール袋は持ち歩いておこうと思ってリュックに入れていたのだが、
この時は別のカバンで外出していた。
私はそれが悲劇に繋がるとは肉を焼いているときには予想だにしなかったであろう。
家の近くの駅から出た時であった。これはヤバイと確信する何かがあった。
とりあえずトイレを求めて駅近くの交番に行ってみたら警官はいなくて代わりに知らないおっさんに「ここトイレないよ!」と言われた。誰だったんだ。
そして急いで駐輪場に向かう途中で…
ケツを浮かせながら家に帰る。幸いにもまた家族は出払っているらしく、風呂も洗ってなかった。おかしい帰ったのは十一時くらいだったが。
ともかくうんこを流してパンツとズボンも洗って洗濯機へ放り込む。
二回目なので手慣れたものである。こんな汚い作業手慣れたくなかった。
うんこの処理をしているときうんこのかおりで小学生時代の最悪な思い出が蘇った。そう過去にもうんこの処理をやったことがあるなと。
あれは小学三年だか四年だかのころである。掃除をしていたら学校のトイレが詰まっていたのだ。
私は運悪くトイレ掃除の係だったのだが他にもう一人A君という男子が居た。
おぼろげな記憶ではA君は確かトイレが詰まっていた時にカッポンがないから和式便器に手を突っ込んで詰まりを取り除いていたような…
いや、よそう。こういうのは思い出してはいけない。最悪な思い出をこれ以上共有するべきではない。
初めての増田でこういう最悪な記事を書いた私が言うのもなんだが、今初めてうんこ漏らしてこれを見つけたあなた、少なくとも私よりはマシですよ。