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2024-04-17

裕福ではない昭和7年まれ31独身女性教師1963年に単身で海外留学した方法

時代背景を考えると、ありえない。

シャー(国王)に手紙を書いて留学をもぎ取ったらしい。すげー。

2023-02-02

別々に育った双子

別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。

https://courrier.jp/news/archives/314969/

目黒で生まれ目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。

親戚の法事写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。

その写真に写っていたKさんが、実は父の双子の片割れだった。

父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。

長兄である祖父麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。

祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。

そして、父とKさんが生まれた。

同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。

正確には、養子ではない。

そのまま実子として役所に届けたらしい。

昭和7年日本は、随分といい加減だったようだ。

Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木音楽教室を開いていた。

経済的にはかなり恵まれ環境で、働く必要はなかったらしい。

一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。

父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校中退した。

家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校勉強は好きではなかったようだ。

実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。

孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。

そんな父が、自分双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から

「君、慶應に通ってた兄弟っているかい?」

と言われたことに始まる。

一番上の兄が早稲田だったが、慶應はいない、と答えると、

「君そっくりな人を知ってる」

と同僚。

そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。

そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。

まり豊かではない家で育つ、真実を知っている父。

とても豊かな家で育つ、真実を知らないKさん

それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。

Kさん真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。

それまでも寝たきりで入院していた高齢祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。

大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母入院していた病院に向かった。

さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。

Kさん、どんな気持ちでそれを聞いたんだろう。

病院で、私はKさんと初めて会った。

父と同じ顔、ちょっとした仕草も父とよく似ている。

だが、身長が父よりも5cm以上高い。

栄養状態が良かったのだろうな。

そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。

この時の奇妙な感覚は、なかなか言葉ではうまく言い表せない。

これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。

誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。

まり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。

父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。

書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。

その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。

2021-06-14

立原透耶「拡散希望」の問題点拡散希望

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%8E%9F%E9%80%8F%E8%80%B6

立原 透耶(たちはら とうや、1969年2月8日[1][2] - )は、日本小説家翻訳家中国語)、北星学園大学文学部准教授中国文学)[3][4][5]。2000年までは立原とうや名義を使用していた。本名山本範子[6]。

大阪府まれ[2]。奈良県で育つ[2]。父の山本稔は数学者大阪大学教授を務めた[7][8][9]。

1991年、『夢売りのたまご』でコバルト読者大賞を受賞する[2][4]。翌年コバルト文庫からデビューファンタジーホラー怪談などを執筆日本SF作家クラブ会員。王晋康など中国SF翻訳も行う。

いま話題中国SF『三体』の日本語版監修でも知られている。

立原透耶『拡散希望』|北海道ミステリークロスマッチ|note

北海道ミステリークロスマッチという企画の内の一作らしい。

ネタバレ前提で語るので、できればリンク先の作品を読んでから進んでもらいたい。短編なのですぐ読めるだろう。



























猫かと思ったら人間で、人間かと思ったら猫(又)だった、というミステリとしてのオチ部分は別にいい(正直この叙述トリックもそんなに上手くハマってない気はするが)

俺が気になったのはこの小説で、犯罪加害者家族イジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもり動画配信者の独身男性による女児誘拐監禁レイプ殺人が描かれていることだ。

犯罪加害者家族イジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもり動画配信者の独身男性による女児誘拐監禁レイプ殺人を描いて何か悪いのか?ただの小説だしヒョーゲンのジユーだろ!?という声もあるかもしれない。もっともな意見だ。

しかに、犯罪加害者家族イジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもり動画配信者の独身男性による女児誘拐監禁レイプ殺人なんてものは、これまで小説でも漫画でも映画でも腐るほど描かれてきた。現実でも実際にこのまんまな事件存在するかどうかは知らないが世間一般感覚では、犯罪加害者家族イジメ被害者知的障害引きこもり動画配信者や独身男性犯罪を犯して当然の存在であり、フィクション内で描かれる彼らの女児誘拐監禁レイプ殺人も、何の違和感もないごく自然イベントの一つでしかないのだろう。

からもし作者が、大衆感覚迎合するようなスカッと露悪エンタメとしてこの作品犯罪加害者家族イジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもり動画配信者の独身男性による女児誘拐監禁レイプ殺人を書いたつもりなのであれば、それはまあそういう需要もあるよねと納得はできる。売文稼業も大変ですねと労ってあげたいぐらいだ。

しかし、作者である立原透耶氏のTwitterを見てみると、過去にはこんな発言をしていることが分かった。

ttps://twitter.com/ttouya/status/987722368012316672?s=19

テレビに出ている人が、ご自身セクハラ被害など様々な不快な事を不快だと宣言された。しかしその方の発言により多くの方々が不快であると表明されている件についてはどう思われるのだろうか?間違った知識を広めたり、差別助長する発言をされたりとか。被害意識はわかった。次は加害意識をぜひに

ttps://twitter.com/ttouya/status/988930817454784512?s=19

以前、わたしと同年代独身女性が亡くなったとき彼女を悼んだある女性が、あの人はちゃん彼氏もいた、いわゆる結婚できない女ではなかった、まともな、素晴らしい女性だった、と言った。一瞬、悼む気持ちが吹っ飛んで目が点になった。判断基準が謎すぎる。

ttps://twitter.com/ttouya/status/988931421300375552?s=19

自称フェミニスト女性が、わたしに対して、何かあるたびに、結婚してない人にはわからないわ!子供を産み育ててないあなたには理解できないわ!あなたはしょせんその程度の経験値なのよ!と仰る。独身なら独身の、子供がいないなら子供がいない、そういう経験値を積んでいる。互いに尊重すべきでは?

ttps://twitter.com/ttouya/status/988932416608780288?s=19

わたし年代独身子供なしだと、そりゃうもう罵詈雑言浴びせられまくっているわけで。若い頃は独身から手頃に遊べる相手とみなされたセクハラが多く、一定年齢越えると、結婚できない哀れな人、問題のある人扱い。いやまあ変わり者だけどね、実際。でも言っていいこと悪いことはありますよ。

ttps://twitter.com/ttouya/status/988967869395316738?s=19

あー良くありますよね。独身男性にはゲイだろ!発言。側で聞いても不愉快です。その発言の中に何重もの差別が含まれていることに、なぜ気づかないのか。

ttps://twitter.com/ttouya/status/1004857467312922624?s=19

亡くなった父は昭和7年まれで、子供の時に戦争体験して、周辺に死が当たり前のように蔓延していたのをいつも語ってくれた。だから戦争反対で言論思想の自由を唱え、教育の大切さを常に主張、あらゆる差別に対しても猛然と憤っていた。さら禁煙権も主張していた。つくづく新しかったと思う。

ttps://twitter.com/ttouya/status/1004857961670250496?s=19

うっかり差別的な発言をしようものならこっぴどく叱られ、お前が言われる立場になったらどう思うんだ?と考えさせられた。専業主婦の母に給料を手渡す時には必ず、君が家庭をしっかり守ってくれているから稼げた、半分は君の稼ぎだ、と伝えていた。当時は本当に珍しいひとだった

ttps://twitter.com/ttouya/status/1045864270565539840?s=19

生きてたら87歳になる父は、わたしが幼い時から、娘さんをください、とか売れ残り、という言葉テレビなんかで聞くたびに激怒して、俺の娘はモノじゃない!俺の妻もモノじゃない!女性はモノじゃない!こんなこと言う奴がもし来ても絶対結婚認めないぞ!と吠えていましたが、父よ安心したまえ。

ttps://twitter.com/ttouya/status/1045864786842374144?s=19

娘、ずっと独り身だからw

折に触れて思い返すけれども、亡き父は本当に差別とか大嫌いだったし、人はその人個人判断せよ、という一本筋の通った人はでした。頑固な面もあったけれど、思想的にはとても柔軟で進歩的わたし大学院生の時に急死してしまったのが、本当に悔しい。

ttps://twitter.com/ttouya/status/1048772034803560449?s=19

家庭内女性差別がという書き込みをよく見るんですが、我が家は父と弟がたこ焼きやらすき焼き担当し、さらに蟹とか面倒な食べ物はぜんぶ身を取り出す役目で、母が一番に、そのあとで姉とわたしがもしゃもしゃ食べていた。なので、一人暮らし始めたら、結構確率で何もできないことに気がついた

ttps://twitter.com/ttouya/status/1048776023209197568?s=19

ちなみに生きてたら、今年87歳ですよ、うちの父。差別が嫌いであらゆる差別に敏感だった。私たち子供の何気ない一言にも、それは差別意識がある!傲慢だ!と叱ってくれた。こういう大人になりたかったけれど、わたし自身はかなり抜けてるので、頭がいい人にはなれず、器用な人にもなれず。

ttps://twitter.com/ttouya/status/1099938651717300224?s=19

https://t.co/Ffge9Zecm9

『ヒョンナムオッパへ』読了作品として楽しめたのは後半二作でサスペンスSFもっとも激しい衝撃を受けたのは「更年」で、女性差別を実感しながらも男の子母親として女の子差別する、娘がいるのに!その娘にはこれからの苦難を思って涙するという激しい矛盾

ttps://twitter.com/ttouya/status/1099939185115320321?s=19

韓国社会における根深女性差別実態が正面からぶつかってきて、息ができなくなった。読み終えてしばらく息ができなくなり、かなり精神的に落ち込んだほど。これは韓国だけの問題ではない。日本の、世界が抱える問題で、私の、私たち問題だ。

どこかでちゃんとした長い感想を書きたい一冊。

ttps://twitter.com/ttouya/status/1165136503548203009?s=19

タクシー運転手さんがいろんな意味差別的な発言を繰り返すので、1つ1つ丁寧に反論した。一番ムカついたのは理由のない嫌韓嫌中で、思わず中国人の親友韓国人の尊敬する友人もいます。どちらの文学も素晴らしいですよ!ご飯も美味しいし!中国わたしにとって心の故郷なんです!」て言った

ttps://twitter.com/ttouya/status/1206575439310770177?s=19

そういや高校の時の人権作文の宿題で、古事記日本書記における差別意識について書いたら、社会科先生に呼び出され、同時はそのような考えだから仕方がない、それを差別というのはおかしいと懇々と説教された思い出が。もちろん当時も今も納得してませんw

ttps://twitter.com/ttouya/status/1247098426510036992?s=19

すごくファンだった方が、「武漢ウイルス」とか書いておられて、泣きたくなった。つらい。

ttps://twitter.com/ttouya/status/1247104386179821568?s=19

おっしゃる通りです。そしてそれを差別意識されてない方も多いように感じます



なるほど、作家基準で見ても、差別問題特に女性差別外国人差別には普段からかなり敏感な方らしい。「あらゆる差別に対しても猛然と憤っていた」御父上の薫陶のたまものだろうか。



いやいやいや……

ここまで差別問題に敏感なはずの作家が、高菜、食べてしまったんですか犯罪加害者家族イジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもり動画配信者の独身男性による女児誘拐監禁レイプ殺人なんていうステレオタイプを、何の注釈留保も無しにストレートに書いてしまったんですか!!!!????

それは、なんていうか、さすがにマズくない?

この作品の中に何重もの差別が含まれていることに、なぜ気づかないのか!!!そしてこれを差別意識されてない方も多いように感じます!!!!!ってなもんよ。

敢えて最大限好意的解釈するなら、加害の連鎖がより弱い方に向かう問題や、たとえ弱者であっても成人男性女児では決定的な非対称性存在することを強調したかった可能性はある。しかしそれで「犯罪加害者家族イジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもり動画配信者の独身男性による女児誘拐監禁レイプ殺人」の差別性が、完全にチャラになるような書き方をされているとは到底思えん。

ここまで露骨で極端なケースはなかなかないだろうが、反差別リベラルフェミ寄りな人々が、自分たち認識できる「差別」の範囲から外れたところでは差別に加担していること自体は実はありふれている。たとえば、イジメ被害者根性ひん曲がって凶悪犯罪者・悪役になるというような展開は、「拡散希望」に限らず反差別リベラルフェミ的な作家でも平然と(しばしば揶揄的に)書くことが多いし、反差別リベラルフェミ的な読者も抵抗なく受け入れているようだ。

現実で実際そういうことがあるからそれを反映して書いているだけ、といった反論が予想されるが、それを言うなら外国人による凶悪犯罪なんかにしたって、現在日本でも(件数割合はともかく)普通に存在するし、世界全体を見ても一般的に移民が増えると治安悪化する傾向がある(とされている)。それでも、外国人犯罪の脅威を煽るような内容は差別的であり軽々しく書かれるべきではない、という認識反差別リベラルフェミ勢力の間では共有されてるんじゃなかったのか。俗悪なステレオタイプタダ乗りすることで対象を追い込みただでさえ巨大な生き辛さをいっそう加速させるという点で、イジメ被害者、そして犯罪加害者家族知的障害者や引きこもり凶悪犯罪展開は、外国人犯罪と何が違うのか。

こういうことを指摘すると、反差別側だけが一方的に高い義務を課される不公平さが語られたりするが、さすがにこれは本当に反差別の側に立ってるつもりなら当然非難されてしかるべきレベル瑕疵しかないでしょ。守られるべき弱者と思う存分石を投げていい弱者の間に恣意的に線を引いておいて、反差別もクソもないだろう(まさか犯罪加害者家族イジメ被害者知的障害者や引きこもりが「弱者であることまでは否定しないよね?)

もしもここまで言われても自作問題に全く気づけないとしたら、立原透耶氏は二度と差別について語るべきではないし、作家としても筆を折るべきだとすら思う。自らの加害性に無自覚人間プロ作家立場で無邪気に反差別ゴッコを続けるのは、社会にとっては無益を超えてはっきりと有害からだ。

立原透耶氏および「拡散希望」を無条件に公開した北海道ミステリークロスマッチには、猛省を求める。

(猛省を求めるというのは猛烈に反省してくれというだけの意味であって、作品の公開停止などを要求するものではない)

(この増田は、犯罪加害者家族イジメ被害者で軽度の知的障害がある引きこもり動画配信者で独身男性女児誘拐監禁レイプ殺人犯によって書かれました)

2021-04-04

俳優田中邦衛さん死去 88歳「北の国から」などで存在感


2021年4月2日 22時10

テレビドラマ北の国から」や「新選組!」、映画学校」など、数々の作品存在感のある役柄を演じて親しまれた俳優田中邦衛さんが、先月24日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。

田中邦衛さんは昭和7年岐阜県で生まれ昭和30年劇団俳優座」の養成所に入りました。

昭和32年に「純愛物語」で映画デビューし、昭和36年から始まった映画若大将シリーズでは加山雄三さん演じる主人公若大将」のライバル青大将」の役を演じて、存在感あふれるコミカルな演技で人気を集めました。

その後も、映画化もされた民放の人気ドラマ若者たち」で両親を亡くした5人きょうだい長男の役を演じたほか、ヤクザ映画の「網走番外地シリーズや「仁義なき戦いシリーズでは、悪役としても存在感を見せるなど、幅広い役柄を演じました。

中でも、昭和56年に始まった民放ドラマ北の国から」のシリーズでは、北海道富良野市大自然の中で息子と娘の成長を見守る寡黙な父親の役を20年以上にわたって演じ、温かみのある演技で幅広い年代視聴者をひきつけました。

また、平成5年に公開された山田洋次監督映画学校」では夜間学校に通う中年男性を熱演し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しました。

このほか、平成16年NHK大河ドラマ新選組!」では近藤勇養父、周斎の役を演じ、平成17年NHKスペシャルで放送された終戦60年企画ドラマ「象列車がやってきた」では戦時中動物園で象を守り続けた飼育員を演じました。

平成11年紫綬褒章平成18年には旭日小綬章を受章しています

田中さんは、平成22年に公開された映画最後の忠臣蔵」に出演し、平成24年に亡くなった俳優地井武男さんのお別れの会に姿を見せていましたが、その後、俳優活動から遠ざかっていました。

家族によりますと、田中さんは先月24日、老衰のため、家族に見守られながら息を引き取ったということです。

葬儀家族葬の形ですでに執り行われ、お別れの会などの予定はないということです。

札幌市民

田中邦衛さんの死去について、30代の会社員男性は「大往生ではないでしょうか。北海道といえば『北の国から』。『北の国から』といえば田中邦衛さんだというイメージです」と話していました。

また、50代の女性は「とても有名な方なので残念です。それほど年をとられていたなんて、知らなかったので驚いています」と話していました。

倉本聰さん「気持ちの中に大きな穴」

田中邦衛さんが出演した民放ドラマ北の国から」を手がけた脚本家倉本聰さんは「気持ちの中に大きな穴があきましたね。とにかく人間的にも友人的にも無二の人です」と心境を語りました。

また、このドラマでの配役について「さまざまな候補者がいてその中で誰がいちばん情けないんだろうという議論になって、邦さんになった」と明かしたうえで、「ドラマを通じてとても演技が成長していったと思う。彼の芝居は、本人はとても悲劇的なのに端から見ているとなんともおかしくなる。これが彼の神髄だと思う。情けなさの中に詩がある」と評しました。

そして「邦さんは亡くなったけれど、僕の中で、彼が演じた五郎は厳然と富良野で生きています。またあしたスーパーに行くと、『先生』なんて言われて肩をたたかれるような気がします」と田中さんをしのんでいました。

加山雄三さん「今は何もことばにならない」

映画若大将シリーズ田中邦衛さんと共演した加山雄三さんは自身ホームページコメントを発表し「ショックです。邦さんに連絡をとりたくてとりたくて、ずっと気になってて、不思議なことに、2日前若大将DVDで邦さんの姿を見たばかりだったんだよ。信じられない。今は何もことばにならない。寂しいよ本当に寂しい。邦さん本当にありがとう」とつづりました。

山田洋次監督「一緒にいるだけで楽しい気持ちに」

田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、田中さんが出演した映画学校」の山田洋次監督は「田中邦衛さんへ 善良が服を着て歩いているような人だった。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるようなすてきな人だった。あん俳優が、あん日本人いたことを誇りに思う」とコメントしています

役所広司さん「本当にすばらしい俳優さん」

田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、映画最後の忠臣蔵」で共演するなど長年親交のあった俳優役所広司さんは「邦衛さんには大変お世話になりました。ここ数年ずっとお元気なのか気がかりでした。スタッフにもキャストにも愛された、本当にすばらしい俳優さんでした。覚悟はしていましたが、悲しいです。邦さん、お疲れ様でした」というコメントを寄せました。

吉岡秀隆さんと中嶋朋子さんがコメント

田中邦衛さんが亡くなったことについて、民放ドラマ北の国から」の共演者コメントを発表しました。

息子の役を演じた俳優吉岡秀隆さんは「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」とコメントを寄せました。

また、娘の役を演じた俳優中嶋朋子さんは「幼い頃から、今まで、何も変わることなく、人として、深く接してくださいました。田中邦衛さんという存在出会い、見守っていただけたことは、かけがえのない宝ものです。役者として、人として、大切なものをたくさん教えていただきました。本当に本当に感謝でいっぱいです。大好きです。出会う人をみんな幸せにしてしま少年のように無邪気な笑顔ばかりが胸に浮かびます天国でも、たくさんの人を幸せにしてくださいねありがとうありがとうありがとう」とコメントしています

2018-09-19

現存しないがレビューサイトで点(星)がついている映画

公開が古くてフィルム現存しない映画でも、映画サイトでは点(星)が付けられているものがいくつもあります

殆どはイタズラ投稿だと思いますが、中には公開当時実際に鑑賞した人による評価もあるのかもしれません。

あったとしても見抜くことは出来ませんが。

はてなリンク制限があるため直リンクを行っていません。「h__ttps」「h_ttp」の「__」を削除してください。。

現存しないとはウィキペディア記述によるもの

結婚学入門 1930年昭和5年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80

現在脚本現存するも、ネガプリント散逸している。

製作国:日本

4.1

h__ttps://filmarks.com/movies/18734

大学よいとこ1936年昭和11年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%88%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93

脚本のみ現存プリントはない。

製作国:日本 / 上映時間:114分

3.8

h__ttps://filmarks.com/movies/20802

美人哀愁 1931年昭和6年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E5%93%80%E6%84%81

現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=63840

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 5

レビューの数 0

春は御婦人から 1932年昭和7年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AF%E5%BE%A1%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89

現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。

h__ttps://filmarks.com/movies/17416

製作国:日本

3.6

箱入娘 1935年昭和10年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98

現存するのは脚本のみで、ネガフィルムおよび上映用プリントは失われている。

h__ttps://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98/131208/

監督小津安二郎

2.50 点 / 評価:2件

天下太平記 1928年昭和3年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E8%A8%98

本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[6]、マツダ映画社も同様である[7]。大阪藝術大学玩具映画プロジェクトフィルム断片を所蔵していない[8]。現状では、いずれも鑑賞の不可能作品である

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62239

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 1

レビューの 数0

都会交響楽 1929年昭和4年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD

本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[9]、マツダ映画社も所蔵していない[10]。現状、観賞することの不可能作品である

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=63113

平均評点 0.0点(0人)

観たひと 1

観たいひと 1

レビューの数 0

女房紛失 1928年昭和3年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%88%BF%E7%B4%9B%E5%A4%B1

現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸している。

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62241

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 3

レビューの数 0

足にさはった女1926年大正15年)

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E3%81%95%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%81%9F%E5%A5%B3

本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[5]、マツダ映画社も所蔵していない[6]。現状、観賞することの不可能作品である

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=41814

平均評点 0.0点(0人)

観たひと 1

観たいひと 5

レビューの数 0

足に触った幸運 1930年昭和5年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E8%A7%A6%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%B9%B8%E9%81%8B

シナリオ現存しており、1993年平成5年刊行の『小津安二郎作品集 1』(井上和男編、立風書房)および、2003年平成15年刊行の『小津安二郎全集 上』(井上和男編、新書館)に収録されている[3][4]が、ネガ原版・上映用フィルム現存されていない。

h__ttps://filmarks.com/movies/38460

足に触った幸運1930年製作映画

製作国:日本

3.6

春は御婦人から1932年昭和7年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AF%E5%BE%A1%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89

現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。

h__ttps://filmarks.com/movies/17416

春は御婦人から1932年製作映画

製作国:日本

3.6

懺悔の刃 1927年昭和2年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%BA%E6%82%94%E3%81%AE%E5%88%83

現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸しており[4]、観賞することの不可能作品となっている。

h__ttps://filmarks.com/movies/15024

懺悔の刃(1927年製作映画

製作国:日本

3.9

会社員生活 1929年昭和4年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%93%A1%E7%94%9F%E6%B4%BB

初回興行帝国館。現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸している。

h__ttps://filmarks.com/movies/29206

会社員生活1929年製作映画

製作国:日本

3.8

若人の夢 1928年昭和3年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A2

現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも現存していない。

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62179

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 3

レビューの数 0

また逢ふ日まで 1932年昭和7年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%9F%E9%80%A2%E3%81%B5%E6%97%A5%E3%81%BE%E3%81%A7

現存するのは脚本のみであり、ネガフィルムおよび上映用プリントは失われている。

h__ttps://filmarks.com/movies/16783

また逢ふ日まで(1932年製作映画

製作国:日本 / 上映時間103分

3.7

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=64450

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 4

レビューの数 0

 
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