はてなキーワード: ドラマcdとは
流行しているモノはそれなりに魅力があるはずだと思って何度かVTuberにトライしてみるんだけどいまだに魅力がわからない。みんなどこにハマってるんだろう?
はじめて見たとき、プロクオリティの可愛いイラストに反してあまりにも「普通の人」の喋りにびっくりした。
その辺の女子高生が友達とだらだら喋っているような感じというか。これが魅力なのかな?
アニメ=声優、俳優の発声が染みついているせいか、絵の可愛さに寄せない喋りに、どうしても映像と声が一致してくれない。
動くイラストと関係なく、その声のリアルな女性の顔が(想像で)浮かんでしまう。
感覚としては、声優ドラマCDのアフタートーク座談会的な感じはある。
中の人が見えるのは面白いんだけど、それは本編があってのギャップであって、VTuberはコレが本編なんだから違うよな…。
界隈が盛り上がってるのをみてハマってみたいと思うんだが、やっぱり脳が古くてついてけないのかなぁ。
ー追記ー
成り立ちを読んでなるほどと思いました。
僕は昔から現在にかけて「男性向け・女性向け」ジャンルの作品/コンテンツを両方それなりに摂取している。
しかしその過程で僕は「女性向けコンテンツ」に辛さを感じるようになった。この記事ではその話を綴っていこうかと思う。
体験と気持ちを具体的に述べてくのでちょっと長い。時間が余った暇つぶし程度に読んで欲しい。
僕自身はオタクコンテンツかどうかに関わらずあまり物に男性向け・女性向けをつける必要はないと思っている立場だ。
何故なら、それを好むことに生まれ持った性別など関係無いし、実際(特に最近では)その表記関係なく両方の性別の人間が楽しんでいるコンテンツは多くあるからである。
しかしながら、両方を楽しむオタクをやっていく中で、この表記が必要不可欠かどうかは置いといて、"正しい"ものではあるということをひどく痛感した。
僕は小さい頃からジャンプや特撮や美少女深夜アニメを楽しんできた主に男性向け作品を楽しんできたタイプのオタクだ。
そんな中女性向け作品に初めて触れたのはアニ横・学アリといった人気もクオリティも高い、男性が楽しむにも敷居が低い少女アニメである。
そして本格的に女性向けコンテンツに手を出したのは恋愛シミュレーションゲームにハマっていた中高生の頃だ。
この頃は有名どころのギャルゲはそれなりにプレイしていて、それまで感じたことのなかった二次元キャラと自分との奇妙な関係性に衝撃を受けていた。しかもギャルゲ黄金期とも重なり良質なストーリーの作品にも恵まれ尚のことギャルゲにのめり込んだ。
そんな中ひょんなことから乙女ゲームである「緋色の欠片」というゲームを知る。
そしてこのゲームと会ったことが、僕が自分の首を絞め続けることになった元凶となる。
きっかけはYouTubeに上がっていたMADだ。その頃ハルヒと銀魂にハマってた僕は、杉田さん経由でたまたま緋色のMADを見かけた。初見は正直MADに組み込まれていたセリフで ああ乙女ゲームね(笑)とはなった。しかしギャルゲもやり尽くした感があった頃だった事や、犬夜叉を彷彿とさせる世界観に興味を持った事(結局全然違ったが)、ストーリーも面白そうで公式サイトを見る限りドストライクの女キャラがいた事もあり購入を決意した。
で、やった。
ストーリーの面白さもさることながら、女性向けという感じはあまりしない絵柄やキャラデザ、(描写に賛否あるものの)バトルも多いので馴染み易かった事、女性キャラも結構出てくるので読みやすかった事、美鶴ちゃん、など多くの要因が重なりあまり女性向けゲームという印象を強くは受けず、かなり楽しめた。あと中二病的固有能力設定にどハマりした。家で手に紋章とか書き込んでた。俺も風を操って真空の刃で敵倒すんだ妄想を授業中してた。
さて、ここで僕は「乙女ゲームも意外とイケるじゃん…?」という心境になった。そして他にもないかなと探し始めたのだが、まぁなかなか緋色並みにバチんと第一印象でくるゲームが見つからない。同じ絵師のゲームもあったがこちらはちょっとキャラデザと設定がやろうと思うに至らなかった。結局、探していくうち絵柄と設定があそこまで俺的敷居が低く印象が良いものは稀だったんだなと知った。
乙女ゲームという俺の中では手を伸ばすには異端ジャンルをやる上で、それを乗り越えてでもやりたいと思うほどの第一印象は大事だったのだ。
(あくまで僕の"第一印象"の話なので勿論神ゲーはいくつもある)
緋色がたまたまだったのだ…と思いつつ緋色の面白さを引きずっていた僕は、今までのオタク活動もそのままに緋色の新展開や新作乙女ゲーム情報を細々と追っていた。
さて気付かぬうちに首を絞め始めたのはこの辺りからだ。
この頃展開していた緋色のコンテンツは主に続編ゲーム、ドラマCD、アニメである。
ドラマCDはギャグ展開のものが多く大いに笑っていた。しかしたまに挟み込まれる恋愛要素や女性向け的台詞にうん…みたいな気持ちに僕はなっていた。
今思えば、いや今思わずとも、当たり前に当たり前の要素ではあるのだがなんか違うんだよな〜などと思っていたのだ。そもそもゲームにもそんな要素は当たり前にあった筈なのだが、出来上がったシナリオに必要不可欠な要素の一部として享受していたんだろう僕は、そこを強調されてもみたいな気持ちだったのだろう。
でもまぁこの時の僕はちょっと違和感程度で意識するほどは思ってなかったと思う。
そんな中、「夏空のモノローグ」という乙女ゲームが発売される。
緋色以降結局プレイに至るゲームは緋色の続編である蒼黒しかやってなかった僕だが、このゲームの広告一枚絵に衝撃を受けた。
儚げな少女と普通の男子高校生が佇む、爽やかでありつつどこか俺がのめり込んできた泣きギャルゲを感じさせる絵。
これは良いぞと公式サイトを見た。キャラデザ、ストーリー、沢野井…これは俺でもイケる、絶対面白いとそう思った。
また僕がその公式サイトを見たのは発売直後だったのだが、そこにはシナリオライターが発売に寄せる文章も載っていた。
そして多分これが1番の決め手になったのだが、そのシナリオライターめちゃくちゃ見たことのある名前だったのだ。それは緋色のナンバリングタイトルである翡翠リメイクの公式サイトで見た名前、西村悠さんだった。
翡翠リメイク公式サイトにて西村さんがこのリメイクにかける想いをとても丁寧に具体性を持って綴っていたことはかなり強く印象に残っていて、とても誠実に物作りをする方だなと思ったことを覚えていた。
だから、この夏空のモノローグという作品には信頼を置いていいと強く思い、購入を決意した。
とにかくこれぐらい強く想わない限り女性向けゲームに手を出せなかった僕だが、結局この夏空は神ゲーだった。
シナリオ音楽背景etcが神なのは前提として、この記事的にいうとゴテゴテしてないキャラデザと馴染みやすい絵柄、恋愛を主軸としながらも木野瀬をはじめかなり共感できるキャラクター達の葛藤…など、これもまた女性向けゲームという敷居を低く感じさせる作りで、とてもハマった。
スタッフブログにて登場するディレクターやシナリオの西村さんが男性だったのも馴染み易かった一因かもしれない。
やっぱり女性向け作品でも良いのは良い…!そう想いを強くした僕だったが、ここで衝撃の事実を知る。
夏空のモノローグ、当時めちゃくちゃ売り上げが低かったのだ。
今でこそ根強いファンを抱えるこの神作品だが、恐らく乙女ゲームを求める女性ユーザーには第一印象は良くなかったんだと思う。何故なら僕がうーんと思っていた絵柄や設定こそが求められていたものだったからだ。
よってこれ以降、このブランドから夏空のような素朴な絵柄や雰囲気のゲームはほとんど発売されていない。多分。俺基準かも。あったらすまん。
しかし人間は成功体験を忘れられない生き物で、男性向け作品に染まりきった僕でも楽しめる作品が乙女ゲームにはある…!とかなりこのブランドの新作情報は追っていた。
何より、1人のキャラの格好良さや魅力や葛藤を長編シナリオをかけて描写してくれる乙女ゲームという媒体は他の作品とは違った体験をくれるもので割と唯一だった。
結局僕が夏空以降にプレイした作品は、緋色のナンバリングタイトルである「白華の檻」と「Code:Realise」の2つである。
どちらも同じディレクターとシナリオライターが関わっており信頼のもと購入しそして信頼を上回る作品だった。
世界観やストーリー、作品描写が本当に良く、根強く心に残る作品であり大好きだ。
しかしながら、正直絵柄はどちらも若干苦手で(いや勿論めちゃくちゃ綺麗で素晴らしいとしか言えないのだが)"女性向け!"と思うものだ。
また他媒体展開においても、特にコドリア(Code:Realize)は発売から社をかけて運営されていたのもあってか、女性向けに満足度の高いものが多く展開された。
ドラマCDの内容や商品展開や続編の展開では女性向けのコンテンツなんだという事を意識させられるものが多く、求めてないなぁ…なんて思ったし、リアルイベントなんかはもう完全にそうなのであー…違うんだよな…となった。
こうして夏空からコドリアにかけゲーム内容も展開内容も段々と自分の求めてるものからかけ離れていくと感じていた中で、あぁ俺が求めてる作品はもう出ないんだろうな…どうして変わってしまったんだろう…と思うようになった。
そして割とマジで気がついてなかった、緋色から少しずつ感じていた違和感の原因に、ようやく気がつく。
そうなのだ。
…そうなのだ…。
そうなんだよな…。
いや勿論女性向けコンテンツで乙女ゲームということは分かっていたけれど、自分がマジで対象外だったそうだったという当たり前のことになぜか気がついていなかったのだ。本当に。あれだけ女性向けは食指を伸ばしづらいと思っていたにも関わらず、だ。
なんか求めてないんだよなと思ってはいたけれど。そう…そうなんだよ…俺、対象外なんだよ。
作品がどれだけ僕にとって凄い良くて、取っつきやすい作品性であっても、その後の展開はそりゃ女性向けに振るしそれが求められているのだ。何より夏空から段々とゲーム内容や他媒体展開の女性向け的色が濃くなったコドリアが圧倒的売り上げを誇っているのが何よりの証拠だ。
この事に気がついてから、コドリアをプレイしながら何度「俺はお前達と少年漫画で出会いたかったよ…」と思っただろうか。もしそういう環境下でこの作品が生まれていたらここの描写はもっと違ったんだろうか、とか、俺はもっと楽しめていたんだろうか、とか、と。
まぁでも
恋愛要素抜きにしても少年漫画じゃ絶対こんなの通らないし俺も読まんと思う。
それが答えだ。
このゲーム達は乙女ゲームという環境下でこそ生まれた神作品だ。
物語の終わりが保障されていて、信頼のおけるシナリオライターが書いていて、キャラクター1人1人の良さをじっくり知れて、様々な男性キャラクターが主軸になりいろんな視点から物語を進めていけ、最高の背景や音楽の下、快適なプレイ環境でやれるのは乙女ゲームでありこのブランドならではなのだ。
俺は本当にやるせない気持ちになった。
好きな作品のマーケティング対象外である事はよくある事だと思う。例えば僕は東映特撮も好きだがあれは対象は子供だし、プリキュアおじさんなんて言葉は正にその象徴たるものだ。
こんなに良い作品でこんなに好きなのに、だ。
僕自身はゲームの内容に満足しつつもその後の展開には満足できず、その内女性向け色が強くなったゲーム内容も楽しめなくなってしまったのだ…。
つまり
という
俺が悪い。俺が悪かった…。
今現在ではシナリオライターさんもブランドから離れていることも相極まって全く乙女ゲームには手を出していない。
好きになっちゃいけないのに好きになっちゃうみたいな悲恋エンドだからこんなん。
さて、
最近ではオタクコンテンツはアプリゲームが主流になりつつある。
女性キャラクターが際どい衣装を着て出てくるゲームや男性キャラクター同士がクソデカ感情をぶつけるゲームなど、以前より更に男性向け女性向けという意識が強いコンテンツも多くなった。アプリ課金という性質から単発的娯楽を提供するものも増え、終わりなき物語が量産されている。
しかしながらそれと同時に、アプリという手軽さや物語が終わらないという解釈の自由度が増した事により、男性向け女性向けに関わらずいろんな人が楽しむような時代になっているようにも思う。
また、僕の周りの友人達に割とそういう男性向け女性向けを超越するオタクが多くいた事もあり、やっぱり良いもんは良いんだよな…と改めて思っている。
けれど、(僕の場合は極端なコンテンツだったからというのもあるが) やっぱり男性向け女性向けという表記は商売である以上正しいしある程度は必要なのだとも思う。
僕自身は普段は出会うはずもない完全対象外の作品にハマってしまったが故の苦悩だった。
でも出会っちゃうもんは出会っちゃうし、良いもんは良いし、オタクは理性効かない。
この中途半端な立ち位置に居がちなオタク達はきっと事象は違えどいっぱいいるし内に抱える問題はきっとまだある。
【余談①】
尚僕は現在、男性向けコンテンツに出てきた男性キャラクターに傾倒したりもしている。
でも別にそういうんじゃなく女性キャラクターも普通に好きだし、格好良いものは格好良いな〜ってやりたいだけなんだけれども。
ただこのキャラクター今は女性向け作品に主に登場するようになり「アッ!ン!!違うんだよな!!!」というのをたまにまた繰り返しているところだ。
でもそれを上回る満足度の高いコンテンツなのでやっぱり出会えて良かったなと思っている。
【余談②】
この記事とズレるので余談とするが、前々から好きだった作品に最近別の層が流れ込みそこが消費者の主流になり、作品全体のターゲット層が変わり僕もターゲット層から外れだしたという出来事があった。これもまたオタクが抱えがちな難しい問題である。
某乙女ゲーム会社の制作する乙女ゲームとBLゲームが大好きだった。戦闘ゲーも作業ゲーも苦手な自分からすると数回の選択肢で結末が決定するノベルゲー方式はプレイしやすかった。ストーリーに魅せられて、キャラクターを好きになり、サントラもキャラソンCDもドラマCDも買い揃えた。ファンブックを読み込んでゲーム本編の考察をしたり、グッズを揃えたり、夢中だったあの頃は毎日楽しかった。
その会社の新作ゲームが発売されたのは昨年のこと。ソシャゲに注力している乙女ゲーム会社の久々のソフト発売である。
正確に言うと18禁ゲの全年齢移植版なのだが、大好きな18禁ゲの新規展開ということで、楽しみにしていたし、数回の発売延期にも耐えることができた。
移植にあたっての追加要素は新作スチル3枚。久し振りに描かれたキャラクターの顔は格好良く、ゲームも目一杯楽しんだ。
発売からしばらくして公式ムービーを見るために動画サイトでタイトルを検索したところ、この新作ゲームの実況プレイ動画シリーズを発見した。投稿日時を見ると発売から三ヶ月後に実況動画を投稿し始めているようだ。実況主は全ルートのハッピーエンド、バッドエンドまであますことなく実況しており、さらに全ルート攻略後に解放される隠しシナリオも実況。貴重な新作スチルもサムネイルに使用し、がっつりネタバレしている。
一購入者としては、全ルートネタバレ実況は歓迎できない。購入者だけが鑑賞できる新作スチルが誰でも見られる状況にあるのも残念だ。
乙女ゲーム会社の公式ホームページを確認すると、「プレイ映像は体験版/一章の範囲まで。上記範囲であれば作品の大きなネタバレにならず、初プレイ時の楽しみを十分に確保できるものと判断いたします。上記以外の配信は一切許可しておりません」(要約)とガイドラインが示されている。つまり全ルート実況は乙女ゲーム会社の定めたルールに違反しているのだ。
実況主には申し訳ないが、ファンの心情としては看過できず、乙女ゲーム会社に問い合わせメールを送った。長らくファンをしていたけれど、作品アンケート以外で乙女ゲーム会社にメールを送ったのは初めてだった。
問い合わせメールへの返信はなかったものの、しばらくして実況主は乙女ゲーム会社から削除依頼を受けたとして結末部分と隠しシナリオの実況動画を削除した。
「プレイ映像は体験版/一章まで」の範囲を超えた個別ルートの実況動画が残されていることにもやもやしたものの、対応に安堵。
しかしそれも束の間。
実況主は「(乙女ゲーム会社からゲームソフトを)ご好意でいただいてしまった」とSNSに投稿し、そのゲームの実況動画を動画サイトに投稿し始めた。動画内の説明によると、新作ゲームの実況を見た乙女ゲーム会社側は彼の実況を気に入って、実況するならこれを……ということで旧作のゲームソフトを好意で贈ったらしい。そのゲームは乙女ゲーム会社の代表作だった。
どうやらエンディングまでの実況も許可しているらしく、動画の説明文にもその旨が記されている。
……会社が定めたルールに違反した実況主にゲームソフトを贈った??
公式ホームページ上の「体験版/一章上記範囲であれば作品の大きなネタバレにならず、初プレイ時の楽しみを十分に確保できるものと判断いたします。上記以外の配信は一切許可しておりません」の文言を公式自ら破るの?
もしかすると、公式ホームページのガイドラインにある「プレイ映像」が指す範疇に「ゲーム実況」は入らないということなのか。だからエンディングまでの実況を許可したのかもしれない。しかし、ゲーム実況がOKならば、新作ゲームの実況に削除依頼を出したのは何故?
考えれば考えるほど疑問が湧く。
ガイドラインへの疑問と実況主に対してゲームソフトを贈ったことについて乙女ゲーム会社に問い合わせメールを送った。しかし、待てど暮らせど返信はこない。
公式ホームページのガイドラインを確認しても改正されているわけでもない。乙女ゲーム会社の公式SNSやプロデューサーのSNS、公式ブログに目を通しても実況プレイについての言及は一切見当たらない。実況主を宣伝紹介しているわけでもない。
動画サイトでタイトルを検索すると、体験版/一章範囲を超えた実況動画は投稿され続けている。乙女ゲーム会社は公式上で実況プレイについて明言しないけれども、実況を許可している。一ヶ月以上乙女ゲーム会社の動向を見た結果、そのように結論づけるほかない。
権利者でも会社側でもない一ファンが実況に対して異議を唱えるのはおかしな話なのだから、会社側の対応に文句を言ってはいけないと頭ではわかっている。
それでも、感情面では納得できなかった。購入者だけが見られるはずのゲーム内容が動画サイトで垂れ流しされている。明示していたガイドラインは何だったのか。
「気に入ったから」という理由で実況主にゲームソフトを贈って全編ゲーム実況を許可する乙女ゲーム会社に、ガイドラインを破った乙女ゲーム会社に心の底から失望した。
失望すると、今まで溜めていた不満もふつふつと湧いていくる。
・新作ゲームの追加要素がスチル3枚だけというのは手抜きでは?
・ヒロインと攻略対象の恋愛模様を描いたSS集の中で、推し攻略対象のSSだけ恋愛ストーリーではなかった。
・推しキャラクターの誕生日にプレゼントを贈ったのにブログで取り上げられなかった(※この乙女ゲーム会社は、ファンからキャラクターにプレゼントが贈られると公式ブログ上でプレゼントを紹介する。場合によってはプレゼントが贈られたキャラクターのイラストも描き下ろしされる)。
失望しなければ、これまで通り目を逸し続けられた。
でもゲーム実況に対する失望と怒りが折り重なった現在、これまで見逃してきた些細な不満が許せなくなった。
まるで悪質クレーマーのようだけれど、もう無理なんだと思った。
潮が引くように、好きという気持ちが消えていった。
乙女ゲーム会社が作る乙女ゲームとBLゲームが一番好きな気持ちは変わらない。既存の作品はこれから先もずっと好きでいたい。
でも、新作ゲームが発売されても購入しないし、乙女ゲーム会社が倒産の危機に陥っても買い支えはしないだろう。定めたガイドラインを自ら破って全編ネタバレを許可する公式の商品なんて売れなくていいし、潰れても構わない。
・エロゲブランドはルール違反の動画に厳しいので(つい最近もラプラシアン代表が対応していた)、この乙女ゲーム会社にも毅然とした対応を期待していたのだと思う。各エロゲブランドの対応に感心していただけに、好きだった乙女ゲーム会社がエンディングまでのネタバレを許可するような企業だなんて思いもよらなかった。
・明示していたルールの例外を作るのならば、他の実況者やファンの見える場所に新しいルールを掲載してほしかった。
・ここのコメント欄を見てルールを破ることに頓着しない人が多いことに驚いた。エロゲやノベルゲームの違法アップロードが消えないのはこの程度の認識の人たちがいるからなんだろう。
・同じ実況者が別会社のBLゲームの実況を挙げていた。制作会社にガイドライン確認のメールをしたところ、「削除依頼の対応をした」と返信がきた。某社の対応とは雲泥の差である。
寝ながら聴きたい
プライムで観れるならなお良い
◯よかった
・本好きの下克上
画面を見なくてもあまり勿体なさがない
×ダメだった
声だけだと何が起きてるか把握できず
--------------------
■追記(2020/06/25)
◯よかった
ながら作業がかなり捗った
☆試してみたい
・化物語
試聴済だから想像だけど、よく動くし作画良すぎて画面見たくなりそう
気になってたやつ!気づかなかったけど、かなり良さそう
勝手に追加(試してないけどいけそう)
・悪役令嬢のやつ
-------------------
ドラマCDはファン向けのイメージ、ラジオドラマは聴きたい作品を選べないので今回はごめんなさい。でもアマプラにラジオドラマあったらいいなって思った。
オーディオブックは今度試してみようかな。1冊がめちゃくちゃ長いのはちょっと気になる。
飽きっぽいから聴き終えられなさそう。
ドラマCDつくったら意外とよかったとか?
運営は、GREEのころからトンチキテキスト(イベント)書いてたので驚きはない。
ない、がしかし、実装される曲ならきちんとゲーム内でもアンケートを取ってほしかった、って人は多いのかもしれない。
イベントの即応性はそりゃ大事かもしれないがそれのみで私たちはチュパカブラですとかいわれてもなんだ、その、困る。
とはいえ、GREE版で私たちはアイドルじゃなかったとか繰り出す運営なのでといわれたらそれまでである。
今は「PBeM」というかたちで細々と残っている。
プレイヤーがテキストでキャラクターの行動を送り、運営(マスターと呼ばれる)がそれを物語にする、という遊戯である。
あの世界を経ていると今のなろう系のスタンダードになったスキルやらポイントやらランクやらというのは、なんだか二週目の世界を見ているようでむしろ懐かしい。
なんでPBMの話をしたかというと、運営の手先であるところのマスター、つまりシナリオライターは複数いて、当然作風というものがそれぞれある。
色々あるけれど、何故か必ずトンチキなシナリオ(ナンセンス系?)を書くライターがいた。
一定の需要があるから首にならずに置かれているのだが、そのトンチキさはどうにも寒いな、と常々思っていた。
思っていただけで済んでいたのは、どこのシナリオライターが書いているお話に参加するか、はプレイヤーが決めることができたのだ。
だがトンチキシナリオを書くライターは速筆のひとが多いのか、やたらあちこちで見かけるのだ。
恐らく発注先からの無茶振りにもある程度のレベルのテキストを書いて応えているため重宝されたのだと思われる。
だんだんトンチキシナリオが持てはやされるようになり、参加する場所が少なくなり、苦痛になってやめたゲームはいくつもあった。
長い前振りだが、ミリオンライブのトンチキ具合は、このPBMで見たトンチキシナリオのテイストが無茶苦茶するのだ。
なんでだろうなぁと長らく考えていたのだが、ドラマCdの仕事一覧、みたいな公開しているWEBサイトがあって、そこで事実を知った。
トンチキ感が共通するのは当たり前で、あの当時のマスターやってたシナリオライターのひとたちが、外注ライターで参加しているのだった。
あの当時PBM企業からライター料を貰ってトンチキシナリオを書いてるひとたちが、今もミリオンライブのトンチキシナリオを書いているのである。
さもありなん。
とはいえ、PBMならば避けられたものが、ミリシタではプレイヤーは箱推しをさせられているので(劇場で担当アイドルを呼び出すとかそういう機能をどうしてつけてくれないのだろうか?)寒いこのノリを黙って受け止めるしかないのだ。
歌詞の後半部分はそれっぽいのになんかもったいないと思ってしまう。
歌い分けの貴重な曲をあのトンチキさで消してしまっているような気がする。
そんなトンチキさで新規を釣っても長居はしてくれないと思うんですがどうですかね。
・・・ところでPBMつながりでFGOのレクイエムコラボイベントのシナリオを書いているのが茗荷屋甚六というひとで、このひとはPBMでは無茶苦茶面白いマスターで当たりマスターだったのだが、FGOのこれは全然面白くはなかった。推測すると突貫で書き上げざるを得なかったのではないかと思われる。星空めておというひとは、エロゲのシナリオライターの前はPBMのマスターでグランドマスター(GM:監督みたいな立場)のひとだったのだが、面白いお話をかくけどただひとつ欠点があり遅筆、ということなのであった。
ヘルプで呼ばれたのだろうか。
今のソシャゲの中で、もう滅びたPBMを支えていたひとたちが書いている。
懐かしいしうれしいのだが、トンチキシナリオは避けられるようにしてほしい。
無理か。
無理だろうな。
何度でもすがりつくに決まっておろう
一度で終わりだと誰が決めた?いかにも愚昧で浅慮な考え方よ
ただ連載しているだけでジャンプも単行本も売れる金の成る木を何故みすみす手放す?
このまま続けておけば新しい柱として君臨しえたのだぞ?
それをお前らは何故あっさりと見逃す?
それをほんの少し変えれば良いだけではないか
鬼舞辻無惨はあと僅かの所で逃げ去り衰えつつも脅威を向ける
壊滅した鬼殺隊と柱は今度こそ逃すまいと特訓を積む
その中で新しい日輪刀なり新しく柱になったものなり新展開が描けるではないか
そして最後の最後、成長した鬼殺隊が協力し、ヒノカミ神楽でついに打ち倒す
さしたる手間ではあるまい
だというのに、何故その様な形をとらない?
何も漫画の話だけではない
既に手を出したアニメや番外編は勿論のこと
アプリやソシャゲのコラボ、ドラマCD、劇場版、果ては実写化の道もある
なのにそれらを向かえる用意もせず何故ただ一人生き急ごうとする?
今の展開で終わらせる覚悟があったとしよう
誰も傷つかず誰も死なない、ただ穏やかな時の流れる学園編を本誌でも書けば良いではないか
何故それすらせずに、話を畳もうとする?
己が能力を見出せず打ち切られてゆく者
そういったものとお前は違う、確かな才能があるのだぞ
引き延ばし、もがき、拘泥し、他紙に移籍してもなお打ち切りに抗うものが殆どだった
それを不意にして、全てを捨てるというのか
己の中の、仲間の持つ次なる希望に託すというのか
実におこがましい、その為に生命を投げ打つなど到底考えられない
それを叶えられたのは何故か?
何度でもすがりつくに決まっておろう
一度で終わりだと誰が決めた?いかにも愚昧で浅慮な考え方よ
ただ連載しているだけでジャンプも単行本も売れる金の成る木を何故みすみす手放す?
このまま続けておけば新しい柱として君臨しえたのだぞ?
それをお前らは何故あっさりと見逃す?
それをほんの少し変えれば良いだけではないか
鬼舞辻無惨はあと僅かの所で逃げ去り衰えつつも脅威を向ける
壊滅した鬼殺隊と柱は今度こそ逃すまいと特訓を積む
その中で新しい日輪刀なり新しく柱になったものなり新展開が描けるではないか
そして最後の最後、成長した鬼殺隊が協力し、ヒノカミ神楽でついに打ち倒す
さしたる手間ではあるまい
だというのに、何故その様な形をとらない?
何も漫画の話だけではない
既に手を出したアニメや番外編は勿論のこと
アプリやソシャゲのコラボ、ドラマCD、劇場版、果ては実写化の道もある
なのにそれらを向かえる用意もせず何故ただ一人生き急ごうとする?
今の展開で終わらせる覚悟があったとしよう
誰も傷つかず誰も死なない、ただ穏やかな時の流れる学園編を本誌でも書けば良いではないか
何故それすらせずに、話を畳もうとする?
己が能力を見出せず打ち切られてゆく者
そういったものとお前は違う、確かな才能があるのだぞ
引き延ばし、もがき、拘泥し、他紙に移籍してもなお打ち切りに抗うものが殆どだった
それを不意にして、全てを捨てるというのか
己の中の、仲間の持つ次なる希望に託すというのか
実におこがましい、その為に生命を投げ打つなど到底考えられない
それを叶えられたのは何故か?
ただ連載しているだけでジャンプも単行本も売れる金の成る木を何故みすみす手放す?
このまま続けておけば新しい柱として君臨しえたのだぞ?
それをお前らは何故あっさりと見逃す?
それをほんの少し変えれば良いだけではないか
鬼舞辻無惨はあと僅かの所で逃げ去り衰えつつも脅威を向ける
壊滅した鬼殺隊と柱は今度こそ逃すまいと特訓を積む
その中で新しい日輪刀なり新しく柱になったものなり新展開が描けるではないか
そして最後の最後、成長した鬼殺隊が協力し、ヒノカミ神楽でついに打ち倒す
さしたる手間ではあるまい
だというのに、何故その様な形をとらない?
何も漫画の話だけではない
既に手を出したアニメや番外編は勿論のこと
アプリやソシャゲのコラボ、ドラマCD、劇場版、果ては実写化の道もある
なのにそれらを向かえる用意もせず何故ただ一人生き急ごうとする?
今の展開で終わらせる覚悟があったとしよう
誰も傷つかず誰も死なない、ただ穏やかな時の流れる学園編を本誌でも書けば良いではないか
何故それすらせずに、話を畳もうとする?
己が能力を見出せず打ち切られてゆく者
そういったものとお前は違う、確かな才能があるのだぞ
引き延ばし、もがき、拘泥し、他紙に移籍してもなお打ち切りに抗うものが殆どだった
それを不意にして、全てを捨てるというのか
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実におこがましい、その為に生命を投げ打つなど到底考えられない
それを叶えられたのは何故か?
ただ連載しているだけでジャンプも単行本も売れる金の成る木を何故みすみす手放す?
このまま続けておけば新しい柱として君臨しえたのだぞ?
それをお前らは何故あっさりと見逃す?
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鬼舞辻無惨はあと僅かの所で逃げ去り衰えつつも脅威を向ける
壊滅した鬼殺隊と柱は今度こそ逃すまいと特訓を積む
その中で新しい日輪刀なり新しく柱になったものなり新展開が描けるではないか
そして最後の最後、成長した鬼殺隊が協力し、ヒノカミ神楽でついに打ち倒す
さしたる手間ではあるまい
だというのに、何故その様な形をとらない?
何も漫画の話だけではない
既に手を出したアニメや番外編は勿論のこと
アプリやソシャゲのコラボ、ドラマCD、劇場版、果ては実写化の道もある
なのにそれらを向かえる用意もせず何故ただ一人生き急ごうとする?
今の展開で終わらせる覚悟があったとしよう
誰も傷つかず誰も死なない、ただ穏やかな時の流れる学園編を本誌でも書けば良いではないか
何故それすらせずに、話を畳もうとする?
己が能力を見出せず打ち切られてゆく者
そういったものとお前は違う、確かな才能があるのだぞ
引き延ばし、もがき、拘泥し、他紙に移籍してもなお打ち切りに抗うものが殆どだった
それを不意にして、全てを捨てるというのか
己の中の、仲間の持つ次なる希望に託すというのか
実におこがましい、その為に生命を投げ打つなど到底考えられない
それを叶えられたのは何故か?
障害者手帳が発行されるほどの病気で先が長くない(1か月以内に頓死しそう)ので、これらの品を生前整理(か遺品整理)で世話になった知人に頼んでヤフオクに出品する予定。
100円未満で設定しておいて価格吊り上げようと考えているけど実際どうなんだろうか。
出品の手間も考え儲けは世話になった知人にある程度寄贈する予定(遺族にも残すようには伝えます)。
院生やシンクタンク勤務の頃研究で使っていた専門書(主に社会科学系)とかもあるけどヤフオクじゃ売れないからパス。
職務領域に関連する専門書はかつて勤めていたシンクタンクに寄贈する予定。
服は…うんちやおしっこがべっとりついたパンツとか売れないでしょ。スカトロマニアもマイノリティだし、カストロの支持者より圧倒的に少なそう。
これ間違ったこと言ってないよな?🤔
集英社の人間が非公式と偽りながら東映作品を貶した事は許されないとして、ワンピース含む東映アニメーションに不満を感じている自分としてはよくぞ言ってくれたと内心思っている。
有名な話だけど東映はTVシリーズ1話の作画量に総カット数約300、平均約3000~3500枚という制限をつけている。
ソース:http://www.style.fm/as/05_column/tsujita/tsujita05.shtml
http://www.toei-anim.co.jp/sp/ee_cgmovie/interview/004.html
3000枚というのは「当たり回」の話で実際はこれを下回ることもある。
そしてこれを上回ると「やりすぎで怒られる」
長峯:(省略)スタッフ一同『ドラゴンボール超』という作品をつくる喜びを感じてくれて、最終回に向かってテンションが上がっていったようです。本来は3500から4000枚位の動画枚数でTVアニメ1本を作るのですが、最終話は倍ぐらい使ったようです。「倍ってなんだよ、すげーな」って (笑)。動画枚数は制作費オーバーに直結するので厳しく管理するものなんです。僕なんて昔、『おジャ魔女どれみ』で4000枚位使って先輩の監督に怒られて泣かされたことがあります。最近は東映アニメーションもやるときはやるようになりました。
「激しく動かないが毎週安定したクオリティ」と言えば聞こえは良いが現実は「激しい動きも無いしクオリティは平凡でスケジュール優先の子供向け玩具販促アニメ」だからな。
ドラゴンボール超といえば初期の作画崩壊+ストーリーが映画の焼き直しという二重苦でファンにも呆れられていたよね。
作画自体は未来トランクス編辺りから改善されていたのに「超=作画が酷い」という認識で止まっている人が多いあたり、それ以前に視聴切りした人が多いんだろうなぁという感じ。自業自得だけど。
「動かないならせめて綺麗な止め絵」「演出やストーリーで補間」が理想だけど…
原作通りにやっている間は良い。動く紙芝居付きドラマCDだと思えば見れるから。
でも急に入るクソみたいなアニオリはなんだ?面白いと思っているのか?原作への理解不足としか思えないストーリーの破綻、キャラの性格崩壊、設定の矛盾、原作者が知らない敵との戦い等々…
特に酷いのが劇場版。100%純粋なアニオリでネタにもならない。劇場版ワンピースだって尾田栄一郎が関わってようやくまともになっただろ?そりゃ原作関係者もクオリティが低いと言いたくなるわ。
さすがにここまで酷いアニオリは最近は無いか、アニオリでも作者が関わっているパターンで許すしか無いんだけど、アニオリ嫌悪の原因に東映作品があるって人も多いんじゃないか?あとぴえろ。
原作に追いつきそうだからとか人気だからとかで50話も100話もやるようなスタイルそのものが古い
長く続けば良いってもんじゃないだろ。終わる時に綺麗に終わらせろよ
最近は思い出補正や原作人気もあって過去作品の再アニメ化してるけどさぁ、実際どうなん?
例えば鬼滅の刃が東映制作でヒットしていたか?ハイキュー、ヒロアカ、ジョジョが続いていたか?
自分はこれらの作品に東映が関わらなくて良かったとしか思わん。トリコやワールドトリガーの二の舞ににならなくて本当に良かった。
東映版Kanon、AIR、CLANNADの評価はどうだ?なんで二作目は京アニで作り直したんだ?
バスターコールに関わった集英社の人間はこそこそ隠れて増田みたいな愚痴を言わず、はっきり公式の場で言ってやればよかったのに。お前のところが作るアニメはつまらないって。
先に言っておくが、決して2.5次元という文化を否定しているのではない。アンチの意図は含まれていない。
役者や演出家、脚本家、様々な人が熱を込めて作った作品である。むしろ素晴らしいと思っていると思う。
アニメ、漫画、ドラマCD、実写映画、そして舞台やミュージカル。
「オタク」は2次元愛好に限らず、情熱を持った生き方とか、推しを追いかける生き方とか、そういうモノを指すようになったなと思う。
さて、2.5次元ブームが到来し、私の愛好する作品も舞台化が決まった。
私はいわゆる原作厨という奴で、原作者やそれに準ずる機関が出した情報以外は信じられないという大変に生き辛いオタクである。
しかし同時に同人という文化が大好きで、人の解釈を知りたいという気持ちでイベントに行き、自分でも何かを綴ったりする。
だから舞台というものが、原作コンテンツの1つだとしても、2次的に噛み砕かれて提示されたとしても、どちらにせよ楽しめると思ったのだ。
前提として1つ思ったのは、私はコスプレを見るのが好きではないなというところだった。
これに関しても断りを入れておくが、別にコスプレという文化を否定しているわけではない。私は好んで見ないというだけである。
舞台と同じで、寧ろ尊敬すらしている。衣装や道具を作り、化粧をし、場所を借り、撮影する。オタクはすごい。
私にとってのキャラクターは、平面で良いのだと思った。
コスプレをそのキャラと思うことは出来ない。それだけだ。二次創作イラストを見たときと感覚は正直同じである。
原作ではないがファンの愛が籠った作品を見せて頂きありがたがる、同人オタクのそれはあるのだ。
わざわざ1つ次元の下の世界を好きになったというのに、それに現実感を持たされて返されるのが苦手なのかもしれない。
そういえば、フィギュアや3Dモデルも得意ではなかった。私はに楽しめないもので、私はお金を払いたいとは思わない。それだけなのだ。
何度も言うが否定しているのではないしアンチではない。愚痴である。
味が好みではない食べ物をお金を払って食べたいと思うだろうか? そういう純粋な好みの話である。
ストーリーが面白いからと言われてもドラマは見ない。実写映画も見ない。
私はただただ2次元に落とし込まれたフィクションの世界が好きな2次元オタクなのだ。
嫌いな食べ物は食べなければ良い。苦手だと言えば良い。
舞台化に興味はないし、お金を出して見たいと思わない程度の熱意なので見ない。
とは言っても、舞台を見ないわけではない。流行ればすぐに舞台化される現代である。
理由は様々…と言いつつ、付き合いという最悪な理由だ。オタクの風上にも置けない。
舞台が好きな方には本当に申し訳ない。私が複雑な気持ちで座るこの席は、感じる空気は、誰かがお金を払って時間を割いてでも手に入れたかったものだ。
だからこそ、私なりに付き合い方・楽しみ方は考えているつもりだ。
コミカライズなど、表現方法の変化は基本的に受け付ける人間だ。媒体によって演出や見せ方、解釈が変わるのも一興である。
何より漫画のアニメ化なんて、絵は違うし想像と声が違うことすらある。けれどそれを受け容れることは出来たはずだ。
そんな自分の感覚を頼りに私は舞台を見ている。そして楽しんでしまっている。オタクで良かったと思う瞬間である。
しかし舞台を見終わった後に、話が面白かった、あの場面の演技が良かった…
そんな話をする度に私は思ってしまうのだ。
タイトルままだ。
オオサカディビジョンのラップチーム「どついたれ本舗」の白膠木簓に信じられない程ハマった。
白膠木簓はヒプノシスマイクというなんか男性声優がラップするのがコンセプトとして始まったドラマCD企画のキャラクターである。
最近はゲームや舞台やコミックスなどに手を広げ、「男性声優ラッププロジェクトじゃなかったんですか!」などと荒れているのを
こわ、近寄らんとこ………と思って遠目に見ていた。
10/30、オオサカディビジョン どついたれ本舗ニューシングル『あゝオオサカdreamin´night』発売。
は?馬鹿上手いんだが?!!ラップうま、曲めちゃめちゃいい。ナニコレ、ナニコレって思ってたところに
躑躅森盧笙のあれ。ラップバトル中にあがって「え、ヤバいどうしよ」って言わせるの天才過ぎない?
私が「このキャラはあがり症です」ってキャラ案貰ったら「あがり症?そんなん克服するで!」みたいにラップするだけだわ。
限られた時間内であんだけリアルにテンパって「ごめん」って謝らせるのなんなん?
そしたらその後テンパった躑躅森に
ぼくらの!オオサカディビジョン「どついたれ本舗」リーダー!超人気芸人!白膠木簓が!
そんでさっきまで誤ることしかできなかった躑躅森がめっちゃ元気にライム刻む。
は?なんだこれ。なん……なんだ?
お笑い芸人苦手、糸目苦手、関西弁苦手で一度もハマったことない。
ていうかビジュアル別に好きじゃない。声も知らない。公式でイケメンって言われてないと嫌。
その後のソロなんなんだよ。
糸目の関西人がコテコテにラップしてる筈なのにずっと心臓がどきどきする!!!
ホンワカパッパでときめきを覚えさせるな!!なんなんだよ。
私が好きなのは悪までオオサカディビジョンどついたれ本舗!!の!!音楽!!お前になんて、おま、お前なんていいたないわ白膠木簓くん……
あーーーーーーーー
「ただいま~、って誰もおらんからなんも返ってこんけど」
から始めるのやめて貰ってもいいですか?
え?本気?かわいい。
そ、そんな愛らしい声でお話するの?え?
(暗黒微笑)しないの?
キミ、なに、め、めちゃめちゃいいやつやん……………(おちた音)
と、いうのを認められるまで10/30のリリースから毎日まじで本当に毎日白膠木簓くんの声を聴いていてやっと今日本当にしっかりと認められたので記念カキコです。
なんかもう本当に好きなので、世界中のひと、白膠木簓くんにハマってください。
糸目も関西弁もお笑い芸人も苦手だったので、今白膠木簓君の総てがわからなくて泣いています。
白膠木簓くんがステージで何をやっているのか、誰を参考にすればいいのか見当もつきません。
助けて。
この世界の白膠木簓くんは誰。
普段音楽を聴かないけど去年キャッチコピーにひかれてHey! Say! JUMPの SENSE or LOVEを買った。
でもアルバム全部を聴いても感覚で繋がってるのか愛で繋がってるのかわからんかった。
一年経って新アルバムが出るというのを知ったのでリベンジしたくなった。
テーマがはっきりしてるっぽいから音楽初心者でもわかるだろうと思ってまじめに聴いた。
以下思ったことを吐き出す。
※歌詞カードは見ていない。曲を耳で聴いただけ。タイトルは読んだ。
「アイカツ!」シリーズの「話数が多い」というハードルを越えて視聴してもらうためにはどう勧めれば良いか、という話が少し盛り上がっていた。
その中でよく出てきた話に、見てハマった人間にとってはその話数というのはむしろ少なく感じるほどである、というものがあった。
それについては私も大いに頷くものであるが、なぜ皆がこれだけ話数の多い物語をそろって「短い」と言うのであろうか。(単純に面白いからあっという間だよって意味かもしれないが)
それを少し考えてみたので書き連ねてみる。なお、シリーズ全部について書くと本当に長くなるので第1作の「アイカツ!」に絞って書く。
「アイカツ!」は2012年10月から2016年3月までの約3年半の期間に放映されたアニメである。総話数は178話。劇場版は長編の「劇場版アイカツ!」と、ステージを中心に構成した中編「アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!」、最終回後に制作された短編「アイカツ!~ねらわれた魔法のアイカツ!カ―ド~」の計3つがある。他にもドラマCDが制作されている。
そして、「アイカツ!」は放映時期と作中の時間がリンクしている。つまり、季節が現実と同じように流れ、クリスマスやバレンタイン、卒業式・入学式や年末年始などの季節のイベントのエピソードが時期に合わせて放映されている。
劇場版も公開日と合わせてあり、たとえば2014年12月13日公開の「劇場版アイカツ!」は同年12月11日放映の第112話の後のお話となっている。
プリキュア等の年間を通して放映されるアニメを見ている人にとってはさほど驚くことではないかもしれないが、1〜2クールが基本の深夜アニメを中心に見ている人にとっては新鮮かもしれない。
さらに、いわゆる「サザエさん時空」ではなく、1年経つと実際にキャラクターが歳を取り、進級したり卒業したりする。
最初の主人公の星宮いちごは第1話時点では中学1年生だったのが、第178話時点では高校2年生になっている。(ある話数の間にだけきっちり1年間のブランクが存在するが詳細は省く)
つまりは、視聴者は画面を通して「アイカツ!」の世界での出来事をリアルタイムに感じとり、キャラクターの成長を見守っていくのである。
週に1回の放映内容だけでその1週間の出来事を知る、と単純化して考えてみると、それはあまりにも時間が足りないと言わざるを得ないであろう。
漫画「スラムダンク」は週刊連載で6年連載して作中で4ヶ月の出来事を描いたのであるから、単純計算でその18倍の短さと言えてしまう。(1/3年の出来事を6年間で伝える=1/18年の出来事を1年かけて伝える)
そして、年間を通して季節に合わせて放映されていると、視聴者にとって「アイカツ!」は生活の一部となっていく。生活が終わることなんて人は想像したくないものであるから、それが終わった時の寂しさは計り知れない。
後追いで視聴している者にとっては、話数と共に季節が移り変わっていくのを感じながら見ていると、キャラクターの人生を辿っているような感覚になる。そうすると、途中でそれが途切れてしまうとなると、それがどれだけ寂しいものであるか。
最終回後に制作された劇場版の短編は、そんな人たちに向けてキャラクターから届けられた久しぶりの近況報告・贈り物であると考えてみると、それがどれだけ嬉しいものであるか。
先述したように「アイカツ!」ではドラマCDがいくつか制作されているが、劇中のラジオ番組という形をとっており、まるで実際にラジオを聴いているかのように感じることができる。ファンにとって「アイカツ!」のキャラクターはどこか現実と地続きのところに存在しているような感覚がある。
「アイカツ!」のキャラクターの誕生日を祝う時、毎年そのキャラクターの年齢を数えるファンは少なくない。今年、星宮いちごは20歳になった。
いちごちゃんお誕生日おめでとう!
はたちだね〜。出会った頃に言ってた夢が叶っちゃうね。私は来月!一緒にお祝いしよう〜🍓— 諸星すみれ (@smileysuu) 2019年3月15日
アニメが終わってもキャラクターたちは消えることなく、生きてアイカツをし続けている。キャラクターの生きる姿を描くのにはいくら話数があっても足りない。
「アイカツ!」にはたくさんのアイドルが登場する。作中でCGで描かれたステージを披露したアイドルを数えてみると、総勢28人。披露されていないアイドルも多数おり、その中に人気のキャラクターもいる。
長期放映のアニメで俗に言われるものに「当番回」というものがある。
特定のキャラクターにスポットライトを当てたお話のことを指すが、「アイカツ!」にももちろん当番回と呼べる回が多くある。
しかし、28人を超えるキャラクターの全員に満遍なくスポットライトを当てるにはあまりにも話数が足りない。当然キャラクターによって登場の頻度の差は出るので、「あのキャラをもっと見たかった」という声は常にある。
それだけキャラクターが魅力的であったことの証左ではあるのだが、178話という話数をもってしても描き切れていないわけである。
ただ、そういった「スポットライトを当てる」ことについては、第146話「もういちど三人で」で星宮いちごが語った言葉がちょうどぴったりだったので引用する。
「私ね、世の中のアイドルとか、みんなを照らすスポットライトって、ずーっと動いてる気がするんだよね。ぐるぐるって。ずーっとぐるぐるぐるぐるね。だから、その時その時で、照らされる人数は少ない。でも、照らされなかった人がいなくなってるわけじゃない。だから、次のチャンスは誰にでも来るんだよ。その場所に立っている限りね」
スポットライトの当たってないところでもアイドルたちのアイカツは続いている。
物語の舞台であるスターライト学園はアイドル学校で、つまり通う生徒たちは全員アイドルである。メインで登場するアイドル以外も皆アイドル活動をしているわけである。実は、クラスメイトにも全員しっかり設定が付いている。何気ないシーンで映り込んでいるアイドルや、一瞬映った雑誌に載っているアイドルにも名前がちゃんとついていたりする。スポットライトが当たっていない彼女たちも、「アイカツ!」の世界で生き、活躍している1人であることが想像できて、それが「アイカツ!」という作品の世界に深みを与えている。
さらに、アイドル以外にも、家族や先生、デザイナー、ファン、仕事の関係者等のサブキャラクターもアイドルに負けず劣らず魅力的である。
特にブランドのデザイナーは重要な存在で、アイドルが、自分の好きなブランドのトップデザイナーが作る「プレミアムレアドレス」を手に入れるまでの物語は「アイカツ!」のひとつの見所でもある。
デザイナーのブランドに対する考え方だったり、アイドルとの向き合い方・関係性だったりにもその人の生き方のようなものを感じることができ、それは、いろんなアイドルのいろんなアイカツの形を見るのにも似ている。アイドルでないキャラクターにもその背景や物語があるのを感じさせる。
また、当初はただのモブでしかなかったアナウンサーが、節目節目でのイベントでいつも司会者として登場するうちにいつの間にか名前が付くまでになっていた、ということもある。
何が言いたいかというと、「アイカツ!」を見ていると、登場する全てのキャラクターが魅力的で愛おしく思えるようになり、もっといろんな話が見たいと思うようになるということである。
歴代シリーズのキャラクターが大集合する新シリーズ「アイカツオンパレード!」の放映に際し、シリーズのダイジェスト動画が公開されている。
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2012年10月~) ver.』
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2014年10月~) ver.』
だいたい5〜6分の動画でシリーズがおさらいできるようになっている。
やろうと思えばアニメの内容をあらすじでさらっと伝えることはできる。主人公が「輝きのエチュード」や「SHINING LINE*」や「START DASH SENSATION」等の楽曲に至るまでの物語を理解してもらうために最低限のエピソードをピックアップすることもできる。
「アイカツ!」は基本的に1話完結のストーリーになっており、途中から見てもわかるような配慮もされている。単話で見ても面白い回はたくさんあるので、つまみ食いでもきっと楽しんで見ることができるであろう。
この回が良い、この回が好き、といった話に花を咲かせることもよくある。
それでもやっぱりファンとしては全話見てほしい。全話が全部大事な話だ、と本気で思っている。
星宮いちごが歩んだ道のりを軸に、物語上の重要なエピソードだけをピックアップすることになったとしよう。
そうすると、例えばいちごたちがただオフタイムを過ごすだけという第24話「エンジョイ♪オフタイム」は、含めなかったとしても物語の説明は可能である。でも、ファンとしてはこの話は絶対に外したくない。
また、いちごがメインでない他のキャラの「当番回」、例えば藤堂ユリカがメインの第89話「あこがれは永遠に」も含めなくてよいだろうか。確かに、なくてもいちごの物語を語ることはできるであろう。だがこの回で描かれた藤堂ユリカのアイドルとしてのあり方やデザイナーとの関係、ファンとの向き合い方、そういったものが全くいちごと関係ないなんてことはなく、作品を通して描かれているテーマの根幹に通じているものがたくさんある。
例えば「SHINING LINE*」の歌詞を紐解くときに、ただ美月といちごとあかりにだけ注目して考えるのでは、やはりもったいない。いろんなアイドル、いや、アイドルでないキャラクターたちにもそれぞれの「SHINING LINE*」があるし、「最初の風」もある。
「アイカツ!」の楽曲は、キャラソンというわけではなく、「アイカツ!」の世界で歌われるポップスであり、普遍性を持った歌詞になっている。もちろん、これは誰々が歌っているという「持ち歌」の考え方はあるが、ある楽曲を別のアイドルが歌うことでまた別の新しい意味が生まれる、ということが「アイカツ!」にはよくある。
などといろいろ考えていると、どの話も外すことができなくなってくる。いろんな人のいろんな出会いが物語を紡いでいる。全ての話が全部つながっている。
「アイカツ!」を代表する曲のひとつに「カレンダーガール」がある。
この曲には「何てコトない毎日がかけがえないの」「何てコトない毎日がトクベツになる」という歌詞がある。
詳しい説明は第22話「アイドルオーラとカレンダーガール」に任せるが、彼女たちの今日をかたちづくっているのは日々のアイカツであり、そして今日のアイカツがその先の未来をつくっていく。
私たちが「START DASH SENSATION」で涙するのは、そうした彼女たちのアイカツをずっと見てきたからである。
私は疑いようもないほど腐女子だ。
アニメはそんなに見ず、ゲーム派だから世間の流行には疎いが、pixivで推しカップリングの検索を日々欠かさない、どこに出しても恥ずかしい腐女子だ。
それなのに、おっさんずラブを見られない。本編どころが、関連するなにもかもが見られない。
おっさんずラブは人気シリーズなので、なにか展開がある度にTwitterのTLはその話題で持ちきりになる。
情報を文字で見る分にはいいのだが、出演者の画像などが出てくると、もう、そのツイートを直視できない。
これはこの作品だけでなく、実写版の「きのう何食べた?」についても同じことが起きた。原作漫画は好んで何度も読んでいるのに、だ。
話は変わるが、私はドラマCDも苦手だ。ギャグシナリオなら聞けるのだが、その他ほとんどダメ。
どぎつい濡れ場のあるBLゲームは楽しくプレイできるのに、BLCDはキスシーンすら正気では聞けない。
いや、BLゲームでも、よく聞く声の方(またはよく似た他人)がキャスティングされていると、そのキャラクターのセリフ音声はすっ飛ばしてしまう。
なぜか。
恥ずかしいからだ。
私は「キャラクター」としての絵、あまり聞き覚えのない声、という要素があって初めてそれを架空の人物として認識できるようだ。
声だけの作品や、あまりにも有名な声優さんだと演じている人間の存在を意識せずにはいられない。
彼らはどういう気持ちで収録しているのか、などとつまらないことを考えてしまう。
恐らく、おっさんずラブとドラマ版きのう何食べた?に関しても、これと同じだと思う。
役者さんはどういう気持ちで収録しているのか。それを考えてしまい、いたたまれなくなる。
気遣いではない。
つまり、そういったコンテンツを好んで消費する「私」はどう思われるのか、と自意識が過剰になってしまうだけなのだろう。
自分の趣味に後ろめたさがあるからこんなことで苦しむはめになるのだ。
今後は精神を健全にして、もっとさわやかな腐女子として生きていきたい。
ちなみに「おっさんずラブ」と実写版「きのう何食べた?」を否定する気持ちは毛頭ないし、それらを楽しんでいる方を否定する気持ちはもっとない。
私は新作発表されたSという某ゲームが好きだった
新作が発表されて、めちゃくちゃモヤモヤしたのでここに書き留めることにした。
Sはハードも変わっているものの、1〜5までナンバリングされている。
OVAだったりドラマCDだったり舞台、Sのグッズが販売されている専門店だったりと、20年前の作品にしては多種多様なジャンル展開がされていたと思う。
私が通ったものとすれば、
ドリームキャストが1〜4
ゲームだけでは語られないOVAで、キャラたちの過去だったり、設定だったりが知れたりして、子どもの頃は本当にその作品に冠するものしか見ていなかったかもしれない。
気付けばずっとやりこんでいた。
誰が一番好きかと聞かれれば、1に出てくる主人公のお姉さん的立ち位置の人だ。
いろいろあって、敵の女になってしまう。所謂、悪堕ちお姉さんなのだが。
その格好がめちゃくちゃエロい。闇堕ちお姉さんが性癖かと聞かれれば、そうかもしれない。
でも、闇堕ちにもちゃんと理由があるし、単純に敵の男が好きだったからなんていう理由だけじゃない。
Sと私の人生はほとんど一緒だったと言っても過言ではないと思う。
グッズ専門店には幼少期によく連れて行ってもらって、マスコットキャラのネコのぬいぐるみも買ってもらった。
閉店した時はめちゃくちゃ泣いた。大人になって一人で跡地に行った時もちょっと泣いた。
グッズ専門店に併設されていたコンセプトカフェのノベルティも今でも持ってる。
劇場版も映画館に連れて行ってもらって、パンフレットや映画館限定グッズも家にある。
サウンドトラックを聞いてある程度のシーンまでも分かるぐらいにはやり込んだと思う。
Sとコラボした桜色のドリームキャストだって動かないけど、ずっと持ってる。
新作とまではいかないけれど、移植版が出て同じハードで遊べるようになればいいな、というのが願いだった。
ちゃんと情報を追ってみると、事実だったので仕事の昼休みに泣いた。
あれだけ待ちわびていた新作だ!!!!!
ソシャゲじゃないといいな、なんて不安もPS4となった瞬間に吹っ飛んだ。
けれど、キャラデザもプロデューサーも全然違う人。唯一同じなのは音楽の人だけ。
本当にSという作品なの?と思ったけど、完全新作なんだし、仕方ない。コンセプトは同じなんだし、何よりSというタイトルを背負ってる以上、やらないという選択肢はなかった。
絵柄の統一性のなさ
え?なんで?どういうことなの?
本当に今までのシリーズを通して遊んだことがある人が作ったものなの?と疑わざるをえなかった。
絵柄の統一性のなさは昨今のソシャゲによくあるような流れだったから、まだ受け入れられた。
でも、前作メインヒロインの闇堕ちの可能性だけは信じたくなかった。
ゲーム、OVA、劇場版と通して見てきたメインヒロインを裏切られたような気持ちだった。
そんな簡単に闇堕ちなんかしないし、父親も闇堕ちした設定だったから、連続で同じようなことする?
あの時、流した涙ってなんだったの?
いろいろなキャラから託されたメインヒロインが闇堕ちの可能性で?しかも中の人も同じで?
そんなのシャア・アズナブルとフル・フロンタルみたいなものだとしても納得いかない。
新キャラageのための要員だったとしたら、意味も薄っぺらい闇堕ちだとしたら…。
ここで一気に不信感が増してきた。
設定も取ってつけたような設定だらけで、前作のこと知ってる?って聞きたくなるようなことばかりだ。
タイトルだけ間借りしてるんじゃないの?
私が待っていた新作ってこれだったんだ。
正直、こんなことなら完全新作なんていらなかったのかもしれない。
人生と一緒に見てきた作品がぶち壊された気分で、正直やる気が出ない。
でも割と周りは好意的な意見だから、こんなこと言えないけど、移植だけで良かったんじゃないのかな。
でも離れることは出来ない。
ナンバリングされている以上、どれだけモヤモヤしても、やってみないことにはなんとも言えない。
分かってはいるけど、闇堕ちの可能性があるメインヒロインを出してきた時点で、この作品に期待は全くなくなってしまったのだ。
それでもまだまだ私はSファンとは言い切れない。
12月に新作が発売される。
正直、メインヒロインの闇堕ちだったとしたら、私はディスクをフリスビー代わりにしてぶん投げるかもしれない。
あるいは新作をなかったことにするかもしれない。
とにかくBL界隈、儲けたい魂胆をもってるやつが極端に嫌われるから金の解決が基本的にできない
・見知らぬ人の表紙を描いてあげたケース
クラウドソーシング系で1万円で請け負い
結局7日はかけたかなあ…
それでも高額な方
なぜかというと表紙が必要=小説、というのは基本的に儲からない
女性向けなんて300部でたらすごいほう
200であそこは多いと噂になる
で、実際はだいたいが50~100部でオンデマンド印刷(安くて荒い)
印刷費総額2~4万円(9割売れても赤字)みたいな状態で、表紙依頼に1万円かけるなんて
・話したことはないが、相互フォローだった人に描いてあげたケース
人物二人(極端なアオリ構図がいいという指定)イラスト+デザインで
3000円でやってくれって言われて引き受けて色つけましたって5000円の金券が入ってたら驚いて逆にお礼状書いて喜びを伝えた
壁レベルの人に最高の表紙を描いてもらったはいいけどお礼どうしよう
金券5000円と喜んでもらえる物品5000円分ならなにがいいかなって
支払いたい気持ちをなんとか現金以外で表現しなきゃと苦悩してる友人の相談にのったり
・ドラマCD出るレベルの商業やってる友人が誰かに描いてあげたケース
(絵師側はあなたならタダでもやりますよとSNSで公開発言済み)
要するに本来5万円でも安い作業を(どう考えても5日以上かけてる)
極端な話、4万5000円分を「この人のこと大好きだから全然構わない」で精算できるかどうかにかかってる
なのでお互いがお互いに大ファン同士というのが半ば必須になってくる
そんなだから頼む方も(金で解決するのはぎょっとされる文化があるため)
実質、表紙依頼=4万5000円分おごってくれるくらい私のこと好きですか?という確認になってしまうので相当の勇気が必要だし
強心臓の人間がたいして仲良くない相手(大元増田のような、たかが相互フォローというだけで錯覚してしまう子)に言ってしまって
「いやあなたにその価値はないですね」と絵師が言えない場合(これが女性、本当に言える人間がいない、同時期に別の人のは受け入れてたりしたらもう詰み)
やりますよといってしまい、でも意欲はないも同然なので、ああいったことになる
ラノベっていっても男性作家と男性読者と男性編集が8割構成してる世界じゃない?絵師は男女半々ぽいが
ご参考まで。