はてなキーワード: ツイ廃とは
アイドルが好きだ。
自分の身を削り、そこから生まれるきらめきで人びとを、世界をあかるく照らしてくれる。
気づいたら人生のほとんどを、アイドルオタクとして生きている。
一番長く推していた担当アイドルは独立し、今はアーティストとして活動しているけれど、相変わらず顔も声も歌も仕草も何もかもが大好きでかわいくて大切でもう15年以上彼を推しているし、ここ数年で推しのアイドルもグループも増えた。
ところで去年、わたしは転職を機に環境を変えた。地元、親元を離れて一人暮らしをはじめ、20代のはじめに就いていた業界へ復業したのだ。
業界内ではわりと有名な会社で、規模も大きい。学生時代から憧れもあったし、コロナ禍で人生設計のプランが崩れたこともあって就職を決めた。
1日12時間労働が基本、週休1日だが繁忙期は10連勤以上続くのもざら。
先月まで続いた繁忙期の中で、一日に16時間以上働いた日も多かった。ちなみに残業代は出ない。
そして、わたしの部署は社内唯一の一人部署のため、他の社員と親密に話すということがほとんどない。業務に関する会話ばかりだ。
HDDの容量は半年で2TBのほぼ全てを埋めた。読みきれない雑誌の山、再生できていない動画の数々、未開封のままのグッズや円盤。
そして推したちのグループは今、世間から推しに推されている(ありがとう世界、もっと彼らの魅力に気づいてくれ)。
そんな状況だから、ほぼ毎日のように公式アカウントから何かしらの供給が流れてくる。雑誌の裏話、新番組のPR動画、公式YouTubeチャンネルの新着動画……。
Twitterを開くと、フォロワーたちが自分の知らない話題で盛り上がっている。なにそれ知らない見てない。やばい、追いきれてない。
自分の目で最初に確かめたいから、ネタバレは見たくない。当然、フォロワーの会話に参加できない。
余談だが、学生時代わたしは一日100post以上ツイートするツイ廃だった。今でもTwitterはわたしのコミュニティを形成する重要なツールだ。そこに加われないのは強い疎外感があった。
仕事でいっぱいいっぱいの精神、推しの全てを把握できていない現状、誰ともプライベートな会話をできない環境。
心が、自分がなくなりそうだった。
でもその度に「迷ったときは苦しい方の道を選ぶ」と言った推しのひとりの言葉を思い出し、仕事に立ち向かった。これが正解だ、と言い聞かせた。好きな仕事だから、心底辞めたいと思わなかったし弱音も吐きたくなかった。
仕事で失敗したときは「悔やむんじゃなくてなにがダメだったのか考える」、心の調子が悪いときは「毎日笑顔で過ごしてほしい。一日一回は笑って」、がんばれない日は「みんながどこかで頑張ってるって思うと俺も頑張れる」。
そうやって、心の中に推しと推しの言葉を宿していると、心が、身体が軽くなる。がんばろう、大丈夫、まだやれる、という気持ちになってくる。それはまさに偶像崇拝そのもの。
推しは偉大だ。
推しと、「推しが好き」という感情だけで立っていられると気づいた。
たとえ二日に一回しか食事をする気力がなくても大丈夫。だって来月には現場がある。
それからは、隙間の時間を見つけてはコンテンツを消化するようになった。
短い休憩時間の合間にTwitterを開き、公式アカウントのpostをふぁぼってリツイートし、動画を見る。それに関する自分の感情を何回かに分けてツイートし、フォロワーのpostにリプを送る。
心が満たされていく。
ああ、わたしだ、と思った。
推しのことを思考しているとき、推しに触れているとき、わたしはわたしでいられる。
干からびてカラカラになった細胞が、推しに触れると体のすみずみまで満ちていく感覚になる。肉体の輪郭がはっきりしてくる。
仕事のときも膨大な量の思考はしている。しかしそれは会社の歯車の一つとしての思考であって、「わたし」としての思考ではない。
大好きな推したちについて考え、その推したちに惹かれて集まってきたコミュニティの中にいるとき、ようやくわたしは自分を取り戻すことができるのだ。
宇佐見りん著「推し、燃ゆ」の中で、アイドルオタクの主人公・あかりは推しの存在を「背骨」と表現している。推しこそが自分の生命の根幹なのだ、と彼女は語った。
彼女にとって推しが背骨なら、わたしにとって推しを推すことはアイデンティティそのものだ、と思う。
アイドルオタクとしてのわたし。それこそがわたしであり、もはやそれ以外はわたしでないとさえ思う。
推しの出ているテレビ番組や配信をリアタイするためなら、死ぬ気で仕事を片付けて早く帰れる。
推しが買ったものを食べ、推しと同じリップを塗り、推しが好きだという香水を買い、推しのためにかわいく、きれいであろうとする。
「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対」だし、「その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとし」ている。
だから今日も、わたしは燃え尽きた炭のようにスカスカの身体をベッドに投げ、推しの動画を開くのだ。
ツイッターのTL上で、時折クリスマスプレゼントや年賀状の話題で盛り上がっている。
絵描きたちは年賀状交換しませんか〜、ゲーマーやツイ廃たちはAmazonの欲しいものリストから直接プレゼントを送ってあげたり、直接やりとりしたり。
SNSで知り合った人と住所交換&本名交換ってクソクソリスク高くない?!と未だに思うのは私だけだろうか。
私は中学生の頃から、かの有名なフォレストページやリゼで同人サイトを作っていた、古のオタクである。この時代はネットで知り合った人と会ったり名前を教えたりしない!というのを口酸っぱく言われていたので、遵守していたし今でもその価値観は根強く残っている。
お互い本名バレるし、悪用しないから大丈夫だよ!との意見も聞くが、相手が悪用しない保障は一ミリもない。フルネームで検索すれば、いろいろな情報を手にできるしやろうと思えばいくらでも悪用できる。普通に怖いんだが。
自分が警戒心を持ちすぎなのかもしれない。TLで輪に入れないので、ちょっと寂しいけど住所も本名も絶対教えたくないしな〜。
いやマジでわからない。いや理論はわかるけど俺にはわからん。友達とは高校〜二十校半からの付き合いということを頭に置いてほしい。
俺
借金持ち
Fラン専門卒
非童貞
痩せてるしモテる
これを見てわかるように彼が俺に張り合う所がひとつもないと思う。が、なんかめっちゃ敵対視してくる。なんなんだ。
例えば美容院だ。俺はコミュ障なので基本的に初回荒らしではなく気に入ったところに定期的に髪を切りに行く。で、彼(仮にAとする)に「ここの美容院めっちゃ良くてさ〜」と話すと次の週にはAもその美容院に行って「そうでもなかった。つーか下手」と言っている。俺は別にオシャレとかのために行ってるんじゃなくて、天パが嫌だから定期的に矯正しに行ってるだけなんだが、なんか張り合ってくる。これが過去5回。
例えば学校だ。
俺は趣味の延長でスクールに通っているんだが、それを言うと「俺も行く」と言い出す。無職と公務員では休日の自由さが断然違うので断念したようだが、今度は俺が定期的に原稿を送ってる会社(俺は漫画家を目指している)に原稿を送るとか言い出した。
朝いきなりそんなLINEが来て俺は「そうなんだー」としか言えなかったが、この辺りからん?ってなりだした。てかその報告いるか?
当時はなんか真似されてる?と思ったが、Aは自分の真似をされるのがマジで嫌いで、この前「その服いいね、俺も着ようかな」とか言ったらマジでキレられたから真似されてるわけじゃないと思いたかった。
俺は何故かツイ廃でもないのにAからブロックされている。なんでだ。
見たくないのかな…とブロックし返したら、どうやら話の節々に俺がTwitterでしかしない話題をしてくるので別垢から監視しているらしい。なんでだ。何がお前をそこまでするんだ。
あと俺の真似なのかブログを始めたらしい。俺はブログを3年やっている。が、それを言った瞬間Aも始めた。
俺はいい歳こいて漫画家を目指してるので、ちょっとだけ絵が描ける。Twitterに上げるとちょっとだけいいねがつく。と言っても100とかじゃないからバズったというのか?なんかそういうのでもない。
が、Aはそれも監視してるらしく、しきりに人気なのか聞いてくる。これには流石の俺も返答を間違えなかった。「ゴミカスの絵なんか誰も見ねーよw」と言ったら普段は秒で終わる業務LINEがやけに長く続いた。
この様に、なんかよくわからんが敵対視されている。理由はわからん。俺は結構重度な障害者で普通の職につけないから、普通に生活できる人はすごいな〜って思う。
でもだからこそ、仮に嫉妬とか妬みとがあったとしても全てにおいて勝ってるのにまだ勝とうとする理由がわからんし、こっちはリングにすらいないのに、ライバル視されてんのも意味わからん。
格下だと思ってた相手に張り合ってんのか?と思うが、俺は初イベント(なんか自費で作った漫画を売るイベント)で10部中5部しか売れなかった悲しき人間だぞ。ちなみに隣のブースのAは倍売れてた。
いやほんとわからん。俺がアスペなだけなのか?最近かまってちゃんマウントに疲れてきた。誰か助けてくれ。
【追記】
毎日の餌やりやお世話は紙本さんを中心に行われ、病院に連れて行ったり
ツイ廃なので猫の島があると知った時にツイッターで 猫 青島 で検索した。
「猫の島 青島」がトップに出てくる。何の気なしにフォローした。
例えば、ある猫の名前をSとする。Sの生い立ちを事細かく仕立て上げる。
他の猫に虐められている不幸なSをあたかも事実の様に話を作り上げる。
実際の所Sは別のOさんと言う名前で不幸でもなかったらしい。
別の猫はJと呼ばれている。本当は猫のお母さん事、紙本さんはSKと付けている。
「猫の島 青島」の中の人の作り話に俺はすっかり騙されていた。
と言うのもこの方が写真や動画を撮る時に缶詰パーティーなるものを開催してる。
俺は餌やりボランティアさんだと思っていたのだ。
ツイッターで人を寄せて「長くなるのでブログへ」と誘導しているのも憎い。
悪質なのは撮れ高を作る為に大量の猫缶を猫達に振る舞い、食べさせる事だと思う。
猫たちは食べ過ぎてしまい、吐いてしまっていたらしい。※目撃者談
「青島猫を支援する会」のツイッターでは猫缶を食べ過ぎて肝臓悪くし入院せざる得ない猫もいるので過剰に餌を与えないで欲しいと喚起している。
YouTubeで別の保護猫団体が事の重さを伝える動画をアップしてるので興味がある方は一度見て欲しい。
このおっさんは餌やりボランティアでもないし、青島猫を商売のネタにした上に猫の健康を阻害する虐待行為を繰り返している。
過去にはソーセージパーティーも開催。そんな塩分高いもの上げたらSAN値直葬。
どうやら紙本さんとボランティア団体とは決裂しているらしい。
おっさんの創作ツイッターを眺めるとしょっちゅう猫を抱いたりしている
紙本さんの姿がアップされているのだけれど、これって盗撮か?と疑っている。
7年間お世話を続けてきたボランティア団体のSNSが10月末から本格的に可動。
11月に入って猫風邪が島の猫達に流行し出し掛かってしまった猫達は餌場に現れなくなった。結果として廃屋で休んでいたそうだ。
ボランティア団体はSNS上騒がず情報出すことは控えていたのだが、おっさんが猫が神かくしにあったとツイッターに上げたものだから
内容は不明だが、紙本さんは日テレの取材で受け答えが出来ないほどメンタルをやられていたらしい。
さぞ、不特定の見ず知らずの方々からの電話は応えただろう。気の毒で仕方ない。
「猫の島 青島」の中のおっさんが、猫は全頭元気になって戻ってきました!記事を投稿した。
ボランティア団体のツイッター「青島猫を支援する会」からの投稿は残念ながら数頭なくなってしまいました。とのこと。
この両方投稿の食い違いに気がついたフォロワーがおっさんに尋ねた所ブロックされたそう。
自分に都合の悪い事はブロックないし関わらない。それどころか、あたかも公式かの様に振る舞う投稿ばかり。
このおっさんにもし寄附金託した人は名乗り出て欲しいところだ。恥ずかしいことではない。
良心が痛まない方々はこれからも「猫の島 青島」の作家 小野先生の創作話を楽しんでもいいだろう。
あと、毎日投稿しているけど撮り溜めたの小出しにしてるだけだと思う。
情報としてはそんなに新鮮じゃないと思うよ!と言う意味ですよ。
詳細は長くなるので割愛するが、こちらは相手が悪いと思っているし、相手はこちらが悪いと思ってる、よくあるどっちもどっち案件
ただ、ずーっと前からお互いがお互いをうっすら見下しながら付き合ってたんだろうな、と最後のやり取りで確信できた
彼女は自分大好き系ツイ廃なので、日常の何気ないことや自分語りや炎上案件など活発につぶやいている
見るときは必ず「ツイートと返信」で他アカウントとのやり取りも見るし、いいね欄もチェックする
もともと友人時代からツッコミ所が多かったので、面白いと思うことがあれば鍵垢でツッコミを入れてる
私に対する当てつけらしきものもたまに蒸し返しててダメージ受けるけどそれでも見てしまう
あと彼女のツイッターで仲良くしてるアカウントを見に行っては同じく鍵垢でツッコミを入れるし、
マシュマロにあえて激励の投稿をして喜んで回答してる彼女を見てほくそ笑んでる
彼女は特定できそうなことを小出しにしているので勤務先、職場、住所などある程度は特定している
特定した勤務先の5chのスレッドまでなんとなく巡回するようになった
他にもTogetterの彼女をページをブクマに入れてコメントの数やお気に入りが増えていれば見に行ったり
Pixivの投稿作品チェックはもちろんブクマも覗いて「こういう趣味もあったんだねー」と傍観したり
普段、白饅頭やわかり手のツイートが流れてくるような、ディープなツイッターユーザーだと、その是非はともかく「これは炎上必須」と分かる案件だろう。
タイツという女性専用の道具、二次元美少女イラスト。細心の注意と経験が必要となるジャンルだ。
なぜか。
ツイッターでは1%でも不快に思う人がいれば、大炎上する。だから、どういうのが炎上するかを知るにはその1%の人たちについて知っていないといけない。
1%の人たちとは、リベラル・ネトウヨという対立軸と、フェミ・アンチフェミという対立軸で戦争をしている人たちだ。
具体的には、白饅頭のnoteに課金して、わかり手のツイートにふぁぼりつしている信者や、それらを引用RTでボロクソ叩いているようなアンチ。
もし彼らが企業のツイッター広報担当者なら、今回の企画を全力で止めただろう。
(たとえ、自分が白饅頭信者のアンチフェミでも、これは炎上必須だと分かって止めさせる)
だが、そんなツイッターリテラシーのある人間というのは、勤務時間中もずっとツイッター眺めているようなツイ廃であり、職場で浮いた人間だ。
企業広報ツイッターアカウント運営という花形で重要な仕事を任されることは絶対にない。
企業アカウントの担当者になるような人は、仕事もできて、社内での信頼関係もあり、勤務時間中にプライベートのアカウントに連ツイしたりしない人間だ。
そんな人たちは、フェミ・アンチフェミ闘争や、リベラル・ネトウヨ闘争になんか、近寄りたくもないと思っているし、白饅頭やわかり手のツイートを見たりしていない。
だから、自分の感覚を頼りにツイートしたり、宣伝の企画を立てたりしても、どこに地雷があるか分かってない。
やがて地雷(とされているもの)を踏み抜いて炎上してしまう。企業は謝罪に追い込まれる。
企業アカウントを炎上させないためには、白饅頭やわかり手の信者やそのアンチを広報担当者に当てればいいのだが、そんな人間に重大な任務を任せる企業なんて存在しない。
だから、企業アカウントの炎上は必須なのだ(積極的な広報をすれば)
代理店に運営を頼めば、炎上はしないが、さしさわりのないようなことしかつぶやかないので、話題になることもなく、依頼費用分の効果の回収もできない。
https://twitter.com/Shin_Kurose?s=09
この人はなんなの?
リツイートで流れて来てなんとなくプロフィール見たんだけどなんでフォロワーが12万人もいるの??
不思議!
Twitterに一日張り付いてるような奴って、なにしてんだろって思う
フォロワーさんと仲良し!って言ってるけど、ネットで喋るんじゃなくてリアルで会う人とかいないのか?
オタクアカウントだから、一日Twitterしてるような、おはようからおやすみまで呟いてる奴よく見るんだけどさ、なんでそんな暇あるのって思う
今日見に行った映画が面白くってさー、みたいな内容なんてさ、なんでTwitterに呟くんだ?
俺は家で家族とかにそういう話しちゃうし、休みの日も家事をしたり友達と遊んだりとかいろいろしてたらすぐに一日終わるし、Twitterで呟いてる時間って正直ないんだけど
Twitterであれこれツイ廃が呟いてる内容なんて、リアルで遊んでる友人とか家族に喋っちゃうからいちいちTwitterで呟かないわ
タイトルの通りだ。
友人が亡くなってるかもしれない。
この事に気がついたのは数時間前で、自分はそれを某ソシャゲ内のたまたま見たフレンド一覧のログイン時間から気がついた。
正確には友人がこの所ログインしていない事に気がつき、何かあったのだと思った。
友人は2年程前に病を患ったが、闘病の後快復しており、
去年の年末はまだ完全に治ったわけではなかったがゲームのイベントに一緒に赴きだらだらと遊んだ。しかもその後自分が体調を崩して寝込んだ。
年明けには海の向こうで何やら新型のアレが流行だしたと言う所だったが、まだそこまででもなかってので普通に開催されたバンドのライブをマスクをつけながら一緒に観た。
ただ直前再発したかもということはツイッター上で報告したのを確認しており、無理はするなよ的なやり取りをした覚えがある。
当日もあまり具合は良くなさそうだったが、ライブの直前まで某コラボカフェいたとか話を聞いた。
この時友人が死ぬ。なんて思うわけもなく、ずっとこのまま適当に関係は続くものだと思っていた。
たまたま名簿順の前後で、クラスで唯一オタク化が進んでいたオタク同士だったので2人で話す事が多かった。ただそんなに趣味が合ったというわけではなかったので深い話などする事もなく、アニメや漫画の好きなキャラの話とか他愛もないことを話していただけだった気がする。
唯一、年明けに見に行ったバンドだけがたまたま本当に2人だけの共通項で、そこから一緒に出かける関係になったんだったかな確か。
友人との関係はそんな感じで薄っぺらくて、主にメールと友人のHP→mixi→ツイッターって感じで細々と場所を変えながらたまにやり取りを交わして続いていた。家がそこそこ近かったのもあって高校で離れてからもたまに家の近所で会ったりして。
でもお互い相手の家に入った事はない。いつも私の家の前で立ち話をしていた。私は友人の家は知らない。山を一つ超えたらあるぐらいしか知らない。打ち込んでて本当に友人だったのかな…と思う。
お互い割と口数が少ないのもあって、本当に腹を割って話したという事がないのだ。
自分は本当にコミュ障なのだが友人はコスプレをやってたりした事もあって知り合いが多そうだった。
でも近所で同級生でというと自然と自分になるのかなといった感じで、利用…というと語弊があるかもしれないが丁度いい埋め合わせ相手として見ていたのかなと感じる事もなくはなかった。
自分は前述の通りコミュ障でオンにもオフにも全く知り合いがいないので、自分を気にかけてくれるありがたい存在だと思ってるので気にしていないし、寧ろ自分でいいのかなと良く思ったものだ。
友人は割とツイッターを見ている方なのだがTLにはいなかった。
慌てて前にやり取りしたDM画面から友人のトップ画面に飛んだ。
固定にはお知らせとして一月前の状況が書かれていた。
病状は悪化し、もう余命いくばくもない事、これから緩和ケアになるという事。
ツイッターのアカウントは消そうと思うが消せるかわからない事などが綴られていた。
友人の呟きを辿ると入院時の呟きがずっと続いていて2週間前に止まっていた。
自分もツイ廃ではあるが、友人と繋がっている方は今は殆ど見ずに別のアカウントで下らない事を垂れ流している。
友人の報告にも何も返せず、最後の呟きにも何も言えず、ただ友人は普通に生きているのだろうと信じ切って普通に生活していたのが本当に悔しくて情けなくてどうしようもなく愚かだなと思って、ただどこにも吐き出す所がなくてここに吐き出しにきた。
凄い薄っぺらい関係だったけとそれでもやっばり自分にとって数少ない大事な人だった。
もうリプも貰えないし迷惑もかけられないし会えないとか信じたくないな。
ライブもイベントもいつ行く?とか話す事も頑張ってチケット取る事ないんだな。
友人は自分なんかよりも辛い環境で耐えて、真面目に生きてきたのにな。どうしてだろ。
ただの書き殴りなのでここまで読む人いないと思うけど読んでくれてたらお疲れ様でした。ドラマチックな展開とかなくてすいません。
亡くなってるかもしれない、というのは単に呟きが止まってるだけかもしれないのかが、上記の通り関係が希薄なので訃報がここまで届かないのもあってわからないからです。
どうにか住所調べて親御さんに話聞きに行ってもいいんだけどそれも難しそうなんですよね…だからいつの日か風の便りが届くのを待つしかできない。
生きていてくれたらいいんだけどなぁ。
大正生まれの祖父は、坊主頭でメガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子である父から聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。
対照的に祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。
祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父の遺影はインテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真の遺影の人でしかなかった。
そんな祖父の遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父へ政府が贈ったものだ。戦後、日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父は戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。
去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父は戦後も抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎の山中にある村で、家業は農家という典型的な家だった。時代が時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。
その頃から興味が沸いていたんだと思う。
遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。
私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日、実家で終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。
兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父は陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要なものは、対象者が故人の場合は申請者との繋がりがわかるための除籍謄本と戸籍謄本といった、役所で簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。
まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父の戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言の事実のみであるのだから。
当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。
読み解いてまず驚いたのが、祖父は1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州で国境警備をしていたらしい。大きな作戦や戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。
次に驚いたのは1944年2月、祖父は除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父が満州で終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父の人生はガラリと色を変えた。
千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。
千島列島といえば、日本の降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島(ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵、終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。
お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島にソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前で漠然としているだけで、よくわかっていなかった。
どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。
祖父のいた部隊は結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。
得撫島はもとより、千島列島は自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい、今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空からは米軍の攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれて沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。
得撫島はラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意の戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずにはいられない。
兵籍簿には、祖父の召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的な情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。
古ぼけた紙は語っていた。戦争は8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ、祖父は戦後も長らく闘い続けていた。自分の血縁者である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父の存在への深みが増した。
シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気が流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ。戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。
祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去な抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父は日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷の山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。
ここでは政治的な話はしない。
兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父の存在がぐんと近づいた。存在そのものを実感した。祖父はちゃんと生きていた。過酷な時代を生き抜いた。ドラマや映画の主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷な環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和な世界でツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。
兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分の流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。
仏間へ行き、再び祖父の遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影は漠然とした無機質なものではなく、凄惨な時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。
botとか、そういう設定なのかなぁとも思ったけど。
特定の人たちは常にFacebookを見ているようで、こちらが何の投稿をしてもマッハで"いいね!”をつけてくれる。
こちらが関心のある技術的な(いわゆる、特定の人しかわからないような話題)でもマッハでいいねをつけてくるので、
「絶対それ意味わかってないよね?」と思って、だんだんそういう人たちに引き気味になって、Facebook投稿自体が億劫になってきた。
マッハでどんな投稿に対してもいいねしてくる人たちは、ツイ廃ならぬ、Facebook廃という感じの人なんだろうか。
常にFacebookをチェックするのが面白いという感覚がないので、何が面白いのか、なぜ常に見ているのか、理解できない。
平日の昼間にFacebookをのいいねを押している人、頻繁にコメントしている人(当方、平日の朝と昼休みにチェックするからなんとなくわかる)については
「仕事中にFacebook見てるのか。仕事しろよ。そんなんだから仕事終わらないんだぞ。休日や深夜までアピールとかおかしいぞ。」とまで思ってしまう。
似たような体験をした人、Facebook常にチェックしているよという人の意見を聞きたいです。
(Facebookと異なり「Twitterを常に見てしまう人」のことは、なんとなく理解できる。匿名だし、文句も笑いも多い気がする。)
おはようからおやすみまで、どうもツイ廃です。
ツイッターで低用量ピルや緊急避妊薬、望まない妊娠などの話題が上がるたびに思い出す数年前の出来事。
私は中期中絶をした。
予期しない妊娠で苦しむ女性と緊急避妊薬を薬局で購入できるようにとの活動が特集され、
その様々な意見を見ている中で、
「中絶をした人の体験談などはあまり聞かないからイメージで語っている人も多いだろうが」
というような文章を目にした。
そもそも中絶という選択肢に直面しない限り、中絶について調べもしないだろう。
そして中絶という選択肢に直面し調べた私でも、体験談などはあまり見られず、病院やまとめのサイトばかり見ていた気がする。
このブログがバズるかどうかなんてさっぱり分からないが、より多くの人に、そして困ってる人に一例として読んでもらえたら嬉しい。
なんとなく偉そうな感じになってしまったが、本当にこの当時はどうしようもない人間だったので
現代社会の闇がかなり見える文章になるかもしれないが、ご了承願いたい。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
大学2年生の冬。
私はパパ活をしていた。
それもいわゆる「本番あり」のものだ。
普通にアルバイトもしていて、大学生の一人暮らしとしては苦しくないぐらいの給料は貰っていた。
いつものようにDMでやり取りをし、日時と場所を決め、その男の人と会った。
ゴムを付けてセックスをし、相手がイったため私もぼんやりのんびりしていたらまた相手が挿入してきた。
ぼんやりしている時にゴムを捨てていたのはなんとなく見ていた。股の感覚もいつもとなんだか違う。
絶対に付けていないと思い、相手を蹴飛ばす勢いで拒否したらさすがに離れた。
その後シャワーを浴び、股もいつもより念入りに洗いホテルを後にした。
この時慢心せずに産婦人科に行きアフターピルを貰うべきだったのだが
パパ活をしているという後ろめたさと、直接的に中に出された訳ではなかったので大丈夫だろうと考えていた。
(産婦人科に行ったことが無かったため心理的ハードルも高かった)
生理が来ない。
しかし学校とアルバイト(割と力仕事系)(とパパ活)で忙しく、生理周期も安定していなかったためとりあえずスルーした。
そしてこの頃から何とも言えぬ気持ち悪さを感じるようになった。
食欲はあるが、胃が固形物を受け付けない。量も食べられない。
アルバイト先の人たちにも「最近なんか胃が気持ち悪いんですよね~」などと呑気に喋り、
季節柄もあり胃腸炎なんじゃない?と色んな人に返されていた。
そして春になり、大学3年生になった。
相変わらず体調が思わしくなく、友達に何の気なしに上記の事情を話していたら
冗談半分で食べづわりなんじゃない?と言われた。
血の気が引いた。生理も来ていない。
その日の帰り道、意を決してドラッグストアで妊娠検査薬を購入。
泣きそうになりながら電車で産婦人科を調べ、直近で予約をした。
しかし中絶が出来ない病院だったため、検査のみでその日は帰宅。
しかし週数が経ち、中期中絶の時期に入ってしまっていたため別の病院を紹介される。
そして紹介された産婦人科へ。
週数としては確か12週とかで、なるべく早く手術を、とのことだった。
金額は65万円程度。
決して裕福では無い家庭で、私が行きたい大学に行かせてくれて、一人暮らしをさせてくれた親に
なぜ自分はこんなことをお願いしているのだろう。
本当に本当に自分が情けなくて、こんなことになった自分が悔しくて、涙が止まらなかった。
母親は、頻繁に男と遊ぶ姉を見て、ずっと「遊ぶのは構わないけど妊娠だけはしないようにね」と笑うように言っていた。
医者に事情もやんわり話し、父親の欄は無しではできないかと交渉したが
少しでも連絡が取れる可能性があるならサイン貰ってきてくださいと言われた。
タイミング的にも心当たりがあるのは生で入れてきた男だけだったので、ツイッターのDMを送った。
中絶などという単語はもちろん出さず、また会いたいんだけどどう?的なものを。
無事会えることになり、当日待ち合わせ場所に向かうと想定とは違う男がいた。
実は原因のセックスの際、もう一人の男と合わせて3人でホテルにいた。
このもう一人は会った後にDMが送られてきたのだが、私は原因の男の別垢か何かだと勘違いしやり取りをしていたのだ。
その場で原因の男にDMを送ってみたが、返答は無かった。
しかし私としても後が無いため、申し訳なく思いながらもなんとか説得しそのもう一人に同意書へサインを貰い帰宅した。
入院は5日間で、1日目の朝に入院、3日間かけて子宮口を拡張、4日目の午後に強制出産、5日目の午前中に退院。
1日目はなんとも感じなかったが、3日目ともなると生理痛のような重たい感覚が広がり
元気など1ミリも出なかった。
重たい感覚が無くなり、やっと解放された安堵でご飯をめちゃくちゃおいしく感じた。
そして退院1週間後に経過観察。
子宮の妊娠のための膜(うろ覚え)も破れておらず、再度妊娠が可能。問題なし。
もし万が一この膜を傷つけてしまったらもう妊娠できない可能性があることは事前にきちんと説明を受けていた。
「強制出産」と書いた通り、中期中絶はあくまで出産であり、死産扱いになる。
火葬は病院が手配してくれるので、私は遺体は一度も見ていない。
これも父親の名前を書く欄があるため、同意書と同じ男の情報を書いた。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
以上で一連の話は終わりのはずである。
どこかに自分で記録を取っていたわけでもなく、うっすらとした記憶だけで書いているので順番や細かい部分は違う可能性はある。
そして少しだけ補足や余談。
・産むという選択肢は無かったのか
→無かった。親の金で学校に通っているし、卒業してくれとも言われていたし、相手が正確に誰かも分からないし、好きでもない人間のDNAを持った子供を産もうとは私は考えられなかった。予定外の妊娠で産む人は、その勇気と決意を尊敬します。
・費用について
→最初に65万円を払ったが、社会保険や国民保険で出産一時金を申請できるため40万ぐらいは戻ってくる。当時は父親の扶養に入っていたため、申請が通ってお金が振り込まれたかは私では確認できていない。
私はこの出来事を日常的に気に病んだりすることは無いが、影を落とすことは不意にある。
先日親知らずの相談で歯医者に行った際、麻酔したことはあるかと聞かれた。
病気の手術はしたことが無かったため即座に「無い」と答えたが、直後に中絶の際に麻酔していたことを思い出した。
何の手術?などともし聞かれたら…と考えてしまい訂正することもできなかった。
それと産婦人科の問診票には、妊娠経験と回数を記入する欄がある。
こればかりは嘘を付けないので、今後産婦人科にかかる際は「1回」と書かなければいけない。
中絶以来産婦人科にはかかっていないが、今後望んだ妊娠でかかったりした際にも
「1」という数字が付きまとうのは苦しい。
とても仲が良くて信頼のおける友人たちにはこの話をしているため、たまに「彼氏とやっていたら途中でゴムが外れていた」などの相談が来る。
その際には迷わずアフターピルを飲め、産婦人科に行け、と言っている。
生理が来ないことに怯えて生きるのは本当につらい。そのまま怯えて待っていたら妊娠する可能性だってある。
今は彼氏がいて、付き合い始めの頃にこの話はしている。
もし次に付き合う人がいたとしても、この話を受け入れてくれる人でないと出産はできないなあ。
きっと妊娠して産婦人科に通っている最中に、妊娠経験があることが分かってしまうと思うから。
今はそれも完全にやめ、正社員として働いている。
皆さんは最近バズった同人女性たちの神作家を巡る様々な感情の漫画をご存知だろうか?
この漫画は神作家の創作に衝撃を受けた同人女性たちの感情の乱れを描いたとても面白いオムニバス作品なのだが、読み専の女性が主人公の回がある。一言でいえば彼女は神作家のネトストだ。
つまり、ネット上の人に対して執着する行為だが私も身に覚えがある。このエントリーではこの漫画を読んで、こんなことしていたな……という共感から、結構長い間していたので心の整理のために1度書いておきたいと思った私のフェイクを入れたネトスト思い出話である。けっきょく隙あらば自分語りするんだ、オタクって……とぬるい目で見ていただけたら幸いです。
まず私は完全なる読み専である。学生時代にオタクになって個人サイト、pixiv、Twitterと通ってきたが神作家とお近づきになろうと思ったことはなく、傍観者でいたいと思っている。なので時々感想を送ってみたりイベントでお手紙を送ってみたりしても匿名性はできるだけ維持したい(お手紙にはさすがに記名するが)と考えていて、観覧専用のアカウントで神作家を(できるだけフォローしないけど)フォローし、いいねをつける。これが私のスタイルなのだ。
だが、感じていただけただろうか……この不審者感を。ひっそりとネトストになりやすいタイプなのだ。実際、今から話す私の神作家だった人(以下Aさん)のツイートを私は毎日全部読んでAさんと交流していた人も把握していたが、この全員誰もフォローしていなかった。Aさんのアカは彼女がフォローする人数よりフォロワーの方が多かったし、彼女は通知は切っていたのでたとえ私がフォローしても彼女に認知されることはなかっただろうが、私はネトストをしていることを少しでも勘づかれたくなかった。
私はAさんのアカウントを毎日8年近く見ていた。普通に怖いと思う。毎日のルーティンと化してしまって通学通勤中、寝る前、Aさんがどんなツイートをしたのかチェックしていた。Aさんはツイ廃だったので基本的に70~100くらいのツイートをしていて毎日飽きなかったし、それくらい執着するほど私にとってウイットに富んでいて面白い価値観だった。
もうAさんがアカ消しして数年以上経つので10年近く前の話だが、当時私がハマったジャンルでAさんは支部で少し暗めの作品を公開していた。明るい作風のジャンルだったので最初は珍しい、こういう解釈をするんだとかそんな風にしか思ってなかった。ちょっと気になってリンクから個人サイトにとんでブログを読んでみると、その作品の物凄い長文の解釈をいくつも投稿していた。それに驚いたが試しに読んでみると面白くて、全部読んだ。確かAさんがインタビューズを始めた時も全部読んだ。すごく興味深く面白かった。
そう面白いのだ、文が。私なんかじゃ到底考えられない解釈、本編のちょっとした会話から微細な心情を読み取り、それを言語化する能力……。全てに圧倒され、彼女は私の神作家になった。
私はAさんが1番好きだという小説や作家を読み始め、好きだというゲームも世代ではないけどプレイした。すごく面白くて、そこの会社の作品は今でも買っている。ついでにいうとそのゲームをリア友に勧めたら、その子の方がハマってその作品の関連会社に就職した。
話をAさんに戻すが、彼女の作品更新ペースはそんなに早くなかった。支部に作品をあげることはあまりなく、新刊を落とすこともあった。だが私はAさんのブログやツイートを読めれば満たされていたので、今思うと彼女の作品が好きというよりも彼女の解釈や考え方が好きだったのだと思う。
こういったようにAさんはツイ廃だが作品更新頻度は低かった+本は成人向けが多かったので当時の私は彼女の本を買えなかった。ただ、当時作品を買えない・見れないながらファンだったので何かしらを手に入れたかった私はイベントでサインをお願いした。サインといっても素人だから…と困っていらしたが恥ずかしそうにひらがなで手帳にPNを書いてもらった。その時、「うれしいです!」と言ってくださったのを今でも覚えている。これが唯一の交流。
Aさんは私が彼女と(一方的に)出会ってから8年間、1度空白の期間があったもののジャンル移動をしなかった。かくいう私はその8年間にジャンル移動をして、Aさんのいるジャンルの同人は見る回数が減っていった。それでも楽しそうにそのジャンルを話すAさんが好きだったのでAさんのツイートは毎日見ていた。私の中でAさんは「好きなジャンルの神作家」から「神作家兼興味深い人」になっていったのだろう。
アカ消しした時には、なんとなくその前のツイートから感じていたがやっぱり寂しかった。ツイ廃のAさんのことだからこっそり戻るかもしれない…と思ってアカ消しから数年経った今でも、Aさんとリアルでよく交流していた方ののフォロー欄を確認することがある。みつからないけど。
こうして文章化してみると8年ネトストの異様さと共に、Aさんを起因として思い出が沢山あることに気付く。色々あったな。
あまり説得力はないかもしれないが、良心の呵責は感じているので、たとえAさんの個人的な情報を感じ取ってしまっても検索したりだとかは一切していないし、彼女の本当の個人情報は本当に何も知らないことを明記しておく。
ただ最後に知って欲しいのは、私のような赤の他人に粘着するような人間がいるということと、8年間毎日ツイートを見るとそれだけで個人情報が結構わかるということだ。知ろうとしなくても検索しなくても、なんとなくわかる。
多分だけどAさんの下の名前、実家のある県とざっくりとした市町村。Aさんがおそらく住んでいた場所は私も縁のある場所だったのでなんとなく絞れてしまった。Aさんはとあるイベントがある時に「会場が近いので嬉しい」といったツイートとそれに関連する話をした。それだけで普段利用する沿線はわかるし、普段のツイートから更に活動範囲は絞れてしまう。本当に気をつけて欲しい。市町村が3つくらいに絞れた状態で「近くに交番、病院、学校、宗教施設などがある」といった情報を何気なく、普段のツイートでするとさらに住んでいるところが絞れるだろう。実際にやってみたことはもちろんないが、Aさんはツイ廃だったこともあり、普段のツイートからこういった情報は感じられた。
本人にとっては何気ない日常ツイートかもしれないが、塵も積もれば山となるし、世の中にはネトストがいるので気をつけて欲しい。
最後は怖い話になったかもしれないが、私にとってAさんは影響を与えてくれた思い出の人だ。実際に顔を見た事はイベントの数回しかない。でも彼女の数少ない当時買えた全年齢向け同人誌とサインは今でも宝物だし、沢山の言葉を覚えている。
今でもAさんが戻ってくるんじゃないかと考えてしまうし、1度元気であることを確認したいと思っていたが、この同人女性の漫画を読んで彼女を探すのはもうやめにしようと思った。それがこの長ったらしいエントリーを書いた理由だ。なぜかわからないけど、Aさんはもう私の中で思い出なのだな、とハッキリ感じたのが大きいかもしれない。ありがとう。
あまり身体が強くないようだったが、今元気でいるだろうか。彼女の存在がルーティンから外れて数年たつがやはり時々思い出す。
こうしてAさんは私の中で思い出になっていっているが、もしAさんがアカ消しをしていなかったら私は今でもAさんのネトストだっただろうな……とも思う。
作れたらTwitterとマストドン(と他SNSサービス)をいっぺんに見れるマルチクライアント用アプリが欲しい Twidere的な
何故かっていうとかつて存在した某SNSサービスからの難民が鳥か象に分岐したから負いきれない
それだけならTwidereで非常にありがたいのだけど、TL見ながら投稿ができないのが難点
開発できもしないのに偉そうだなあ自分
亡きShootingStar系の…でなくてもいいから文字だけでいいからTL見ながらその場で投稿できる機能があればかつてツイ廃だった身としては嬉しい TLと投稿画面が切り替わるのがだるい
今までもGoogle日本語入力の使い勝手そのままで罫線一覧や数字キーボードのみが出せたら楽だし作れたらいいのにと思ってた
Gboardは記号一覧の表示のデカさとステッカーが気に入らんから却下
泥厨だし自分さえ使えればよいのだけど言語なるものが多々あるらしいし、プログラミングも授業の一部分で日本語でプログラミング?で亀を動かすソフトしか軽く触ったことがない
ぐちぐちぼやいてばかりであるが、どっから手を付ければいいのかわからん
不満を飲み込んでばかりのままじゃいけないとはわかってるけど難しすぎそうでこわいんだな
というぼやきの放流
一日中、暇があればスマホを握り、ツイッターを眺め、くだらないことを呟き、フォロワーと会話したり互いにいいねを付け合い馴れ合っている。
絵師でもない、
インフルエンサーでもない、
ただのひっそりとした非公開の愚痴垢だ。
そんな私は昨日の三浦春馬さんの訃報もTwitterのタイムライン上で知った。
演技の上手い美しい人で、
時折バラエティなどに出るとその真面目さや繊細さが目立つ素敵な人だと認識していたくらいで、
彼が出演している作品をチェックしたり映画や舞台に足を運んだ事もない。
もしかしたら出演していたドラマをちゃんと見た事すらないかもしれない。
私にとって彼はそれくらいの人だ。
だが、それくらいの人のはずなのに、私はいま彼の死にものすごくショックを受けている。
三月の暮れ、志村けんさんが亡くなったときも「あぁ残念だな」と思った程度で、
「悲しくて仕事が/家事が手につかない」と言っている一般人の呟きやインスタのポストが理解できなかった。
もともと身内の通夜葬式でもお経の最中にうたた寝をしてしまうくらいの人間なので、
私は今後芸能人の訃報を聞いても対岸の火事という感じで心が揺さぶられることなどないのだろうと達観していた。
そんな私がなぜか今ものすごいショックを受けて、ツイッターで一切くだらないことが言えなくなっている。
なぜだろう。
Twitterを開く気になれずなんとなく5chの芸スポのスレを見てみると、
「ファンでもないのになんでそんなに悲しんでるの?」という書き込みが散見していた。
今もモヤモヤは晴れず、なぜだかずっと落ち込んでいる。
後追いなんかではなく、
ただ何の思い入れも接点もない私がここまで落ち込み引きずるんだから、
これがトリガーになり向こう側へ自分もという気持ちになる人が出てくるのはわかる。
誰にも本当の事なんてわからない。
綺麗事を並べても、汚い事実を探し出しても、もう真実なんてわからないのだ。
私は腐女子である。過去には自らイベントに参加し本を頒布するなどもしたが今はただの出戻りROM専である。
私が二次界隈から去っている間に、この創作世界にも様々な変化があったように思う。
主に夢だ。
こんなにも市民権?をとっているとは過去の腐女子には想像もつかなかった世界である。
彼女らは大変に気遣って住み分けし、支部ではタグを入れて事前注意をしてくれるし、別に避けているわけではないが彼女らの主張をSNSなどで見たことがない。少なくとも私は。
女体化。
別に嫌いではない。支部でジャンルに女体化を描く人はいく人もいる。しかし大勢いるそのうちの一人にもやっと来る。
その人はいわゆるツイ廃で、心を病んでいる。よく死にたいツイートをしている。自らメンヘラを自称している。
私は過去の経験から、8割くらいの二次同人女は過去未来現在のどこかで心を病んだことがあると思っているので別にそれは気にならない。
TwitterというのはSNSの中でも危険度の高いツールだと思う。呟きツールというだけあって、脳と指先が直結している。
気軽に自分自身についてツイートする。そして自分の好きなキャラについて考察したりする。
しかしこちらは同時に同じような意見を見ることになるので、彼女のキャラ考察というのはキャラでなくてご自身のセルフ考察であるなあというのが分かってしまうのだ。
何しろそのキャラは某人気王道バトル少年漫画の主人公であるので、間違ってもフロイト的な、全ての心の問題は性問題であるみたいな、そういう考察にはなり得ないのだ。
女体化作品でも作者が透けて見えなければよかった。たとえキャラ崩壊してだれおま状態でも気にならない。
しかしこんな明確に自分の問題をキャラに投影して、このキャラの考察はこうでこうで、などと大真面目に語られるともはや二次というより彼女が彼女自身を描いたエッセイ?を見せられているような気になってしまうのだ。
エッセイも好きだ。しかし、それは自分を客観的に見れていたらの話ではないか?
明らかに美化?した理想の悲劇の主人公。女体化。もはやなり変わり夢と化している男性キャラ。
絶世の美人(元はフツメンの男性キャラである)登場人物全員このキャラを愛している。総受け固定、などと語られると
(自分ではなく好きなキャラを語っているというつもりなので)、こちらとしてはヲチ目線で見るしか無くなってしまうではないか。
男体のままならまだ自分をごまかすことができたかもしれないが女体化。
もちろんこちらは見なきゃいいだけの話なのだが、こんな彼女のリアルな友人も見ているだろう垢で、欲求不満です通りすがりの誰でもいいみたいな作品をその女体化キャラでリアルチックに描かれられると、そんな赤裸々で大丈夫かとハラハラしてしまう。
なんだかひと昔前の携帯小説の援助交際女子高生みたいなこと言っている。
援助交際ってお金が目的なんだと思ってたけど、あれ、普通に欲求不満なだけの人もいたのだろうか?
BLという隠れ蓑を纏っているなら他人にその願望をバレたくはないと思っているんじゃ無いだろうか。多分だけども。
きっと未来に死ぬほど後悔しそうな気がするのだけど、ひと事ながら大丈夫なのだろうか。
それとも恥ずかしいと思うのは私がオババだからで今の若い人は平気なのかな。
なんかこう書くとエラソーだなと思ったんで付け加えますが、正直BLの性的表現というのは私も含め全て自己の投影だと思ってます。
自分の性についておおらかに表現するのに抵抗がある女性が、男性同士です、私とは無関係ですよ、という名目の元に性的なものを創作物として昇華させていると思ってます。