2021-04-13

アイドルオタクアイデンティティ


アイドルが好きだ。


自分の身を削り、そこからまれきらめきで人びとを、世界をあかるく照らしてくれる。

そんなアイドルのことが、わたしは大好きだ。


気づいたら人生ほとんどを、アイドルオタクとして生きている。

番長推していた担当アイドル独立し、今はアーティストとして活動しているけれど、相変わらず顔も声も歌も仕草も何もかもが大好きでかわいくて大切でもう15年以上彼を推しているし、ここ数年で推しアイドルグループも増えた。

みんなキラキラしていて、最高にかっこよくて、かわいい



ところで去年、わたし転職を機に環境を変えた。地元、親元を離れて一人暮らしをはじめ、20代のはじめに就いていた業界へ復業したのだ。

業界内ではわりと有名な会社で、規模も大きい。学生時代から憧れもあったし、コロナ禍で人生設計のプランが崩れたこともあって就職を決めた。


ある程度覚悟はしていたが、予想以上の多忙さだった。

1日12時間労働が基本、週休1日だが繁忙期は10連勤以上続くのもざら。

先月まで続いた繁忙期の中で、一日に16時間以上働いた日も多かった。ちなみに残業代は出ない。

そして、わたし部署は社内唯一の一人部署のため、他の社員と親密に話すということがほとんどない。業務に関する会話ばかりだ。


当然、推しに割ける時間も減った。

HDDの容量は半年で2TBのほぼ全てを埋めた。読みきれない雑誌の山、再生できていない動画の数々、未開封のままのグッズや円盤

そして推したちのグループは今、世間から推しに推されている(ありがとう世界もっと彼らの魅力に気づいてくれ)。

そんな状況だから、ほぼ毎日のように公式アカウントから何かしらの供給が流れてくる。雑誌の裏話、新番組PR動画公式YouTubeチャンネルの新着動画……。

Twitterを開くと、フォロワーたちが自分の知らない話題で盛り上がっている。なにそれ知らない見てない。やばい、追いきれてない。

自分の目で最初に確かめいから、ネタバレは見たくない。当然、フォロワーの会話に参加できない。

余談だが、学生時代わたしは一日100post以上ツイートするツイ廃だった。今でもTwitterわたしコミュニティ形成する重要ツールだ。そこに加われないのは強い疎外感があった。


仕事でいっぱいいっぱいの精神推しの全てを把握できていない現状、誰ともプライベートな会話をできない環境

心が、自分がなくなりそうだった。

何度自分選択を悔やんだかわからない。

でもその度に「迷ったときは苦しい方の道を選ぶ」と言った推しのひとりの言葉を思い出し、仕事に立ち向かった。これが正解だ、と言い聞かせた。好きな仕事から、心底辞めたいと思わなかったし弱音も吐きたくなかった。


あるごとに、わたし推したちの言葉を思い出す。

仕事で失敗したときは「悔やむんじゃなくてなにがダメだったのか考える」、心の調子が悪いときは「毎日笑顔で過ごしてほしい。一日一回は笑って」、がんばれない日は「みんながどこかで頑張ってるって思うと俺も頑張れる」。

そうやって、心の中に推し推し言葉を宿していると、心が、身体が軽くなる。がんばろう、大丈夫、まだやれる、という気持ちになってくる。それはまさに偶像崇拝のもの


推しは偉大だ。

推しと、「推しが好き」という感情だけで立っていられると気づいた。

たとえ二日に一回しか食事をする気力がなくても大丈夫だって来月には現場がある。



それからは、隙間の時間を見つけてはコンテンツを消化するようになった。

休みの日は録画を消化し、雑誌を読み漁る。

短い休憩時間の合間にTwitterを開き、公式アカウントのpostをふぁぼってリツイートし、動画を見る。それに関する自分感情を何回かに分けてツイートし、フォロワーのpostにリプを送る。

心が満たされていく。


ああ、わたしだ、と思った。


推しのことを思考しているとき推しに触れているときわたしわたしでいられる。

からびてカラカラになった細胞が、推しに触れると体のすみずみまで満ちていく感覚になる。肉体の輪郭がはっきりしてくる。


仕事ときも膨大な量の思考はしている。しかしそれは会社歯車の一つとしての思考であって、「わたし」としての思考ではない。

大好きな推したちについて考え、その推したちに惹かれて集まってきたコミュニティの中にいるとき、ようやくわたし自分を取り戻すことができるのだ。



宇佐見りん著「推し、燃ゆ」の中で、アイドルオタクの主人公あかり推し存在を「背骨」と表現している。推しこそが自分生命の根幹なのだ、と彼女は語った。


彼女にとって推し背骨なら、わたしにとって推しを推すことはアイデンティティのものだ、と思う。

アイドルオタクとしてのわたし。それこそがわたしであり、もはやそれ以外はわたしでないとさえ思う。


推しの出ているテレビ番組配信リアタイするためなら、死ぬ気で仕事を片付けて早く帰れる。

推しが買ったものを食べ、推しと同じリップを塗り、推しが好きだという香水を買い、推しのためにかわいく、きれいであろうとする。

わたしあかりと同じだ。

推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対」だし、「その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身存在を感じようとし」ている。


から今日も、わたし燃え尽きた炭のようにスカスカ身体をベッドに投げ、推し動画を開くのだ。

わたしわたしであるために。



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