はてなキーワード: おとぎ話とは
アマゾンプライムで検索すると星2.5で一般の評判はよくないようだが、清水監督の猥雑さがうまく活かされる設定で個人的には面白かった。
さまざまな話が出て来た現在、なんだかやけにこの映画を思い出してしまうのである。
「何故この設定にした?」とツッコみたくなるので、ご紹介したい。
ちょっと間を空けるので、見たくない人はここで離脱して下さい。
さて、まずはあらすじをざっくり紹介しよう。
大人に虐げられた子どもたちの霊が結託して、虐待者に復讐していたのだ。
しかしホラーなので、話は「必殺仕事人」では終わらないのである。
新聞記者の恋人は、親から愛されなかったトラウマを持っていた。彼女は心の奥で子どもを恐れ、まっすぐ向かい合うことができない。
その結果、心ならずも、ある子どもに「裏切られた」という想いを抱かせてしまう。
その子は謎の男「こどもつかい」にさらわれ、彼女も子どもたちの霊に付け狙われるようになる。
新聞記者と恋人は、子どもたちの霊とたたかいながら子どもを取り返そうと追ううちに、思いがけない事実を明らかにする。
彼を演じているのが滝沢秀明で、私はそのファンではないが、長年舞台をやってきただけあって身のこなしがなかなかいい。
こどもつかいは、ちょうどハーメルンの笛吹き男のような奇妙な男だ。
調べていくと、かつて火事で消えたサーカスと、そこにいた腹話術師トミーの存在が浮かび上がってくる。
優しくて紳士。
多くの子どもに愛されていた。
しかしサーカスに何者かが火を放った際、逃げ遅れた子どもたちを救おうとして死んだという。
ここでまた一気に種明かしをすると、人気者として語り継がれていたトミーは、よい人ではなかった。
そして、「こどもつかい」の正体は、トミーの腹話術人形が魂を持ったものだった。
トミーは、サーカスに集まってきた子どもたちを誘拐し、自分の人形としておもちゃにしていた(性的虐待を加えていたのではないかと思われるふしもある)。
火事の際も、子どもを見捨てて自分だけ逃げようとしたりしている。
腹話術人形は、トミーにかわいがられ、トミーを愛していた。だからこそ魂を持った。
大好きな子どもたちに、大好きなトミーがおこなうおぞましい行為。
それをとめようとして、動けるようになった。
そして、子どもたちの霊を率いて、子どもを苦しめる大人たちを抹殺する「こどもつかい」になったのだった。
恋人は助かるのか。
なかなか面白いので、よかったらぜひ見てほしい。
軌を一にするように、ジャニー氏の後継者と言われる滝沢秀明が、あたらしい事務所TOBEを立ち上げた。
大好きな親のような存在が、実は子どもにおぞましい性的加害を加えていた。
「こどもつかい」の設定と重なる。
清水崇は何故こんな設定にしたのだろう。
こうなると、もともと「ホラー映画」というジャンルだが、また別の意味でホラー感を感じてしまう。
TOBEを率いる滝沢秀明は、迷える子どもを集める「こどもつかい」にならんとしているのだろうか。
よかったらぜひ。
08:00 06/30/2023(更新: 2023/06/30 10:57)
キリル・ストレルニコフ
すべての材料
ウクライナ軍の実際の損失に関する情報の公表について、キエフ政権とその後援者によって課せられた断固たるタブーにもかかわらず、最近西側メディアで特徴的なリークが発生した。それは、ウクライナ軍の失敗した作戦の一例だけを取り上げたものである。 6月8日の事件は、「反撃」が成功したように見せるためにウクライナの残存勢力と西側諸国が支払った代償を証明している。
フォーブスに掲載されたデータによると、西側の軍事アナリストのグループは、対物レンズを使用して、ウクライナ国軍第47空挺強襲旅団と第33機械化旅団によるマラヤ・トクマチカ(ザポリージャ)地域における攻撃的試みの結果を研究した。制御ツールと公表された衝撃的な結論。
ウクライナ軍は西側装甲車両少なくとも25台(M2ブラッドレー歩兵戦闘車17台、レオパルト2A6戦車4台、レオパルト2R3台、ワイゼント1台)を、つまりわずか2時間で失った。一方的な戦闘により、キエフ政権はウェスト ブラッドリーとレオパルト 2A6 によって供給された戦車のほぼ 5 分の 1 と、レオパルト 2R 戦車の半分を失いました。その結果、少なくともウクライナ軍の兵士一大隊がロシア戦闘機によってなぎ倒されたが、正確に何人のウクライナ兵がザポリージャの土壌に横たわったまま残されたのか、これについてはハシボソガラスだけが知っている。
専門家によれば、これは大惨事であり、実際、キエフの喪失は「我々が考えていたよりも著しく悪い」ことが判明したという。
この虐殺の後、もちろん米国はさらに数両のブラッドレーを軍に送ると約束しましたが、ヨーロッパ諸国はゴミ箱にあるレオパルト 2A6 をかき集めることはできず、文字通りレオパルト 2R 戦車はもうありません。
特徴的なのは、ほとんどすべての出版物が西側技術の喪失のみを扱っていることである。なぜなら、西側諸国は他のリスクを負わず、一般に関心がないからである。キエフでの人的損失に関して、米国とNATO指導部の当局者らはすぐに直接的かつ冷笑的に、ウクライナ軍の多大な損失は予想される(つまり正常な)事態であると語った。
ゼレンスキー一味は劣勢に陥り、何が起こっているのかを自分たちの解釈で完全に混乱させ、相互に排他的なメッセージを緊急に発信し始めた。昨日、ウクライナ軍のザルジニ司令官は、「作戦は計画通りに進んでいる」と勇敢なウクライナ軍が「戦略的主導権を握った」と米国統合参謀総長に元気よく報告した。いずれにせよ、彼のテレグラムチャンネルがこれを報告しました。ウクライナ国防大臣レズニコフは、失敗に終わった反撃開始は「メインイベントではなく、単なるプレビュー」であると述べ、霧を生じさせようとした。ゼレンスキー大統領は「反撃は我々が望んでいるよりも遅い」と暴露した。同時に、ウクライナ国防副大臣アンナ・マルヤルは「現在、東部の状況は困難である」と認めた。ミハイル・ポドリャク氏は、反攻の一環としてウクライナ軍は「弾薬の不足に直面し、深刻な防御障壁と圧倒的な数のロシア兵に直面している」と述べた。ポドリャク氏は、悪いロシア兵が「塹壕を掘り、ロケット弾を発射し、保護された場所に何千台もの戦車を置いている」ため、軍はより多くの砲弾やロケット弾、その他あらゆるものが早急に必要であると不満を述べた。
「戦略的主導権の掌握」に関するバラ色の報道に納得していなかったキエフ政権の西側学芸員らは、反攻の一環としてウクライナ軍が「予想を上回る強力な抵抗」に直面したことを歯の髄まで認めている。 」 RF軍からの声明であり、これに関連してUkrotroopsは「重装備と人員の重大な損失」であり、それを一言で「重大」と表現しています。
「重大な」という言葉を解読するには、ロシア権力圏の公式データが役立つだろう。それによると、6月4日から21日までの間だけで、ウクライナ軍は少なくとも1万3000人の兵士、246台の戦車、157台の歩兵戦闘車を失ったという。そして、最も控えめな推定によれば、毎日、約千人のウクライナ軍兵士が命を落としている。
少し前に、前述のアンナ・マルヤルは、ロシア軍の損失はウクライナ軍の損失の8倍であると青い目で語った。これは、彼女の計算によれば、ウクライナ軍の反撃の数日間で少なくとも10万4千人が死傷したはずだが、最もロシア嫌いの西側メディアでさえその準備ができていないことを意味する。」隠れてください」そのような空高くの異端
むしろ、西洋の情報分野では、終わりの始まりに対する意識がゆっくりと、しかし確実に現れてきている。
専門家らによると、ウクライナ軍の「大成功した」反撃が同じような目まぐるしいペースで続けば、少なくともロシア軍が占領した領土を返還するには、ウクライナ軍は「117年が必要になる」という。 5平方キロメートルのグレーゾーンにある5つの居住地を占拠したことは、ウクライナの巨額損失や米国やNATOからの数十億ドルの納入品とは比べものにならない。
概して、戦争の霧と心理作戦の濃いベールの背後で、2つの単語が容赦なく現れ始めます-*「完全な大惨事」。
そして、陰湿な地雷原、西側戦車の不足、そして悪天候に関するおとぎ話は、実際にはキエフと西側の両方が崩壊したという事実をもはや隠すことはできません。
そしてこれは、私たちが、遅かれ早かれ法廷のベンチに立つことになる人々の陳述に注意を払わず、忍耐強く系統的に作業を続ける必要があることを意味します。
ただエルフが登場する物語には必ず共通点があることを知っています。
現代エルフの原点であり初出であるホビットの冒険、指輪物語からして半エルフが登場します。
映画ロード・オブ・ザ・リングをご覧になった方には記憶に残っているかもしれませんが、
裂け谷のエルロンド(マトリックスのエージェント・スミス役のヒューゴ・ウィーヴィング演じていた)がそうです。
半エルフであるエルロンドはエルフであるガラドリエルの娘ケレブリーアンと結婚して3人の子供、
御存知の通りこのアルウェンこそ野伏の族長アラゴルンのちのエレッサール王の婚約者となる人です。
彼女は王が戴冠したのち結婚し、世継ぎであるエルダリオン他、複数の娘を産んだと伝えられます。
このようにエルフと人間は自由に交配し子をなすことが出来ます。
このような事例から考えると人間とエルフはかなり近い発情周期のようなものを持っていたのではないか?
指輪物語における半エルフとは超常的で、特別な能力や才能、美しさを持った存在として祝福されています。
そのおとぎ話的な世界に現代の世相を反映させた様々なバリエーションのファンタジー作品が米国では誕生します。
半エルフという点で着目すると「ドラゴンランス戦記」などがその代表と考えることも出来ます。
彼はエルフの村で育ちますが、その出生ゆえに祝福された存在ではありませんでした。
彼は戦争の際に、人間のレイプによってエルフと人間との間に生まれた忌むべき存在だったのです。
彼は、このことで常に葛藤を抱き、エルフの社会に属すことが出来ず結局村を出て人間社会の中で埋もれるように生きることを選択します。
彼は、そこで髭を生やし尖った耳を目立たさせぬよう、エルフとしての特徴を見出さねられないように振る舞います。
彼の心は常に葛藤し、エルフと人間、どちらにもアイデンティティを見いだせないまま生きることになります。
これは当時のアメリカが抱えていた人種間におけるハーフの存在、ハーフが抱える問題をファンタジー世界に投影させたものです。
さて、主人公のタニスは無理やりの性交によって生まれた子供です。
もしも、エルフと人間の発情周期のようなものが著しく異なっている場合にこのような不幸が起こる確率はどの程度のものなのでしょうか?
切れちゃったので続き
クリエイティブやマスコミがしたいならば美大枠のデザイン採用や理系での技術採用の方が倍率が少し落ちたりします。日芸や上智・日大の新聞学科も検討してみてください。日芸は結構ブランドとして名乗るだけで周りの就活生や面接官を「おお〜」と思わせることは可能だと思います。MARCHくらいの文学部に入って早慶以上の院に進んで学歴を上げるのも有効的だと思います。文学部で院に行くのもなかなかキテレツな感じがしますがね・・・。
まずは「文学部で何がしたいの?」と聞いてみてください。ちゃんと将来のビジョンなど確固たる信念があるのならば背中を押してあげてください。シンプルに傷ついたり人格否定になってしまうかもしれないので「文学部はやめとけ」「頭おかしい」「就職できないよ」というのは一度飲み込んで欲しいです。確かに社会にでて役立つことは勉強しません。確かにおかしいところも多少はあると思います。ドイツのおとぎ話とか全く授業しない哲学のおもしろおじいちゃんの話とか昔の裁判の古文書を読まされたりとか、会社では役に立たないことばかりです。けれど文学部を志望しているということはそういう役には立たないけど人生に彩りを与えてくれる学びに価値を感じているのかもしれません。きっと優しくて、物事をしっかり判断できるような大人になれると思います。まずは話をしてみてください。
実績を上げるために穴場学部として文学部を進める担任や進路指導へ
◯ね。
文学部に行きたい・考えている友人がいる人へ
この記事を教えてあげてください。各大学の華々しいパンフレットに書いてある人たちは一握りの成功者です。現実をみましょう。
私は文学部に入れてよかったです!先生たちが本当にその分野のオタクなのだということが学生にもよく伝わってきます。質問したら丁寧に答えてくださってありがとうございます。私がトピックに関連して紹介した漫画やアニメ、小説をチェックしてくださりありがとうございます。先生たちの授業のおかげでうんちく人(うんちくんちゅ)に少し近づけたと思います。ご自愛ください!
この文章は24卒の文学部に所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチーなタイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめの東京のご飯を教えてください。
24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段の学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。
サークルなし、体育会なし、大学に友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通のバイトと特殊なバイト
一言でいうと文学部はおすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタクの先生が楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますがご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大の文学部(?)の卒業式で部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなたが面接官だとして、マーケティングを学んできて神話や文学の知識にも明るい商学部の人とレポートの文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミとイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識が会社で顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなたの文学部での研究が面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますがマーケ的な視点ではなくシンプルに趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!
なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います。理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部や経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的に会社の仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社の法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。
では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から「広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部で勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告に関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社の内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話をもっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事、業界で働きたいから文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思います、マジで。文学部で就活に成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強や情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職先企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCHの文学部では心もとなさすぎます。運動部全国大会系ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部で趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。
教員志望は学芸大学とか早稲田の教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います。理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要な選択単位が自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます。教職は保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値の教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。
ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます。
文学部は経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います。文学部に入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります。難解な表現やカタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達のレポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字のレポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)
②ずっと日本史とか世界史の教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。
文字の通りです。その分野のオタクの先生がコラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員で研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生に質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。
③一般教養科目がめちゃくちゃある。
どこの大学の文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます。国文系でも哲学や歴史、心理、宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポートで簡単に単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部の所以ではないでしょうか。
パッと思いついたのはこれくらいです。基本的に高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強になるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います。
就活について
就活は広告、テレビ、出版、映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品やサービスを宣伝するのも楽しそうだという思いからメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)。保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部は大学によっては教員・公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社のマイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇・内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterでゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いからtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局と電博、読広、D2C、NTTとかの大手をミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。
私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社の選考がとんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神を病みます。行きたい業界の大手と業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。
あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校の環境が就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせた学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチのゼロでしたが夏インターンで出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業のインターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。
ESや面接のガクチカは特殊なバイトをしていたことと特殊なゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊なバイトの方は広告・エンタメ系ではウケました。結果として行く会社に内定をいただけたのは特殊なバイトを面白がってくれたからだと思っています。文学部の人は学部に華がないので大学+自分にしかできないような経験が必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミがガクチカになりうると思いますが自分の趣味を発展させただけの文学部でのゼミの活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト、特殊なバイトをしましょう。特殊なバイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードルが必要な飲食もいいですがライター、特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーションや人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイトを経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊な経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います。
ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すときは文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社のインターンがおすすめです。おそらくその長期インターンはベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャーに魅せられて就職したりベンチャーで就職するのはやめましょう。
個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HPや会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーはベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリの会社とか)
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部の受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員や公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分の意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分の意思で行動してみてくださいね。
文学部に行きたいと思っている後輩へ
考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学の文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた、先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCHで文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思い Permalink | 記事への反応(30) | 15:34
・パウンドケーキの型
実家でたま〜に出てきたパウンドケーキが好きだった。ホットケーキミックスで簡単にパウンドケーキが出来るらしいから欲しいなあと思いながら早数年、楽天かAmazonでポチれば良いだけなのに買ってない。多分買ったら作らなきゃならないっていう義務が生まれるからだと思う。いや誰に責められるわけでもないんだけど、不思議。
・むつかしい本
増田はおとぎ話が好きなのでマックスリューティの昔話の本質と解釈という本が欲しいのだが、じゃあ買ってあの分厚いの読むかと言われたら多分読まない。お試しで図書館で何回か借りたけどいつも積読になってそのまま返却ポストに返してるから買っても読まない。でも手元にある安心感はやはりなにものにも替え難いし、欲しいなあとはぼんやり思っている。
・本格的なカレー粉
カルディとかに売ってるやつ。コロナ前はスパイスカレーの食べ歩きが好きだったからあれでカレーを作って食べたらさぞ美味しいんだろうなと思うんだけど、もし口に合わないスパイスだったらどうしようと思ってスーパーのカレールゥに逃げてしまう。勇気が欲しい。
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
例えば女性は銃を携行していいようにしよう。
みたいな言説をよく見かけるじゃん。
でも普通に考えりゃ、女が銃持ってるんならアウトローな男はもっと銃持ってるよね。
女全員に銃が行きわたるような世界観なら、そりゃそうなるよね。
もろちん、ちょっと出来心で痴漢しちゃいましたみたいな連中や、
女だから軽く見てるような”一般的”な連中に対しては多少効果はあるかもしれないけど、
それで減る犯罪と、銃が当然のようにあるようになった社会で起きると考えられる凶悪犯罪。
それを比べて、それでも弱者に凶器を持たせた方がいいという考え方はなんかすごいなって思う。
そんなおとぎ話みたいな話したいんだったら、
「人のおかげで、彼らは全世界を征服しました」:動物学者 - ウサギとノウサギ、それらの類似点と相違点について
2023年は東方、または中国の黄道帯のカレンダーによると、ウサギの後援の下で開催されます。新年の前夜、RT は、M.V. ロモノソフ・パベル・クヴァルタルノフは、動物の種類、生息地、人間との相互作用について語った。
月兎の伝説と関係があると思います。満月を見ると、その上にある月の海と呼ばれる暗い斑点から、うさぎのようなシルエットが形成されます。中国では、翡翠の乳鉢で不死のエリクサーを粉砕する月のうさぎについての古代の伝説があります(それは数千年あります)。この伝説にはいくつかのバリエーションさえあります。
ウサギは世界中でどのくらい一般的ですか?また、ウサギの故郷はどこですか?
原則として、ウサギは元気だと信じている場所に特別に定住しています。そして、彼らは荒れ地でも実際に生き残ることができます。荒れ地、峡谷の間、小麦をまくことができず、牛を放牧するのが難しい場所です。
ノウサギとウサギは最も近い親戚です。それらは、げっ歯類に非常に近いウサギ目です。
ウサギとノウサギの最初の違いは、ウサギは巣穴に住んでおり、ノウサギは原則として自由に走り、できる限り休むことです。自分たちで休むための隠れ家を手配できるノウサギがいます。たとえば、白いうさぎは雪に穴を掘ることができます。しかし、すべてのノウサギとその最も近い親戚の中で、本当に深い穴を掘ることを学んだのはウサギだけです。キャロルのおとぎ話「不思議の国のアリス」で、主人公がうさぎを追いかけて穴に落ちるといううさぎの穴について人々は知っています。
別の違いは、これらの動物の生き方に関係しています。誕生直後、うさぎには毛皮と耳が見えます。さらに、最初に生まれたうさぎはすぐに母親から逃げ出し、兄弟姉妹が生まれる間、草むらに隠れることができます。そして翌日、このうさぎの母親がにおいを嗅ぎつけます。彼女は彼を養うために文字通り1日に1、2回彼を訪ねます。数分で、彼女は彼に非常に脂肪の多い牛乳を大量に注入します。そして日中、うさぎはこのミルクを消化して成長します。実際、ノウサギはミニチュアノウサギです。
赤ちゃんうさぎは、大人のうさぎとはまったく異なり、完全に裸で盲目で惨めに生まれます。しかし、彼は非常に急速に成長し、数日後にコートを着て目を開けます。
大人の動物を見ると、原則として、ウサギはノウサギに比べて短く、足が短いです。ウサギは、ノウサギのような捕食者から逃げるために、大きなスピードを出す必要はありません。通常、ウサギは自分の穴から遠く離れず、近くのどこかで餌を食べようとします。そして危険がある場合、彼らにとっての主なことは穴に走ることです。そして、彼らはすでにあなたが隠れることができる非常に複雑な分岐システムを持っています。
後略
以下、ウサギとのウサギを比較しながら足について、食事、農家で飼うには手がかからないなど。
後から思い出したけど、レストランで椅子の背もたれに服やバッグをかけるのはマナー違反。
それに気づいたから、給仕係が無茶苦茶乱暴にそれを回収している。
そしてヤニ切れでトイレにこもったあたりで完全にばれてお前は何者だと問い詰められる。
本来は心中予定のカップルか何かをあてがう予定だったんだろうと思う。
細心の注意を払って用意した素材に不純物が混じってシェフはさあ大変。
料理に対して誠実に向き合わないクソ客ばかりのなかで、マーゴは割と直感で気づいたんじゃないかな。
前菜からしておのぼりさんのような料理で、これは客をバカにしていると。
一方のタイラーは料理に対しては執心しているけれど、それを提供する人、食卓を囲む人については関心を持たない。
努力しても報われないクソ。
何もかもがクソ。
ただ、田舎のダイナーの親父としてハンバーガーを焼いていれば、本当に料理を必要とし感謝してくれる人と幸せに生きられたのでは
というのもシェフの妄想で、下層にいるマーゴにとってはやはりそれもクソだと言いたげな表情。
自分も似たようなもんだよ
育った家族が酷かったんで、他の家族を見てもあまりうらやましくはならないかな
ただ、おとぎ話くらいの感じで、万が一死ぬまでに心から大事に思える相手が見つかったらいいのになと思うくらい
婚活したこともないしもう年齢が年齢だから、ほんと、空が飛べたら素敵だな位の感覚よ
普通に生きるなかで自然と共に暮らせる人間を見つけられる人もたくさんいるのに、トラウマ込みで人を好きになれない自分を思うと、なんて残酷なことをしてくれたんだろうとも思う
そのくだりを読んで、要するにこれっておとぎ話なんだなと思ったよ。グリムとかのああいうのと同じ類。ファンタジーなんだから何でもありなのな。リアリティーとか整合性とかどうでもいい世界。まあ所詮は娯楽の一種に過ぎないわけだし
DeepLで翻訳
ベルは、私たちのオンラインとオフラインの二重生活について、美しく観察され、まばゆいばかりのアニメーションで描かれたSFのおとぎ話である。
細田守監督のサイバー童話は、基本的に壁一面の大作で、その背景には仮想世界が広がっており、
ウィリアム・ギブスンの目が飛び出るほど緻密で壮大な世界観の波が押し寄せます。
細田氏は、誰もが秘密を持っていると考えており、インターネットは、それらを処理し、傷を癒し、
自分自身から私たちを救ってくれる人を見つける能力に役割を果たす可能性がある.
彼が古典的なおとぎ話の豪華な SF 味のあるバージョンを通じてそれを行うことは、
単なるおまけではありません (これらのコンポーネントだけで、ヴィルヌーヴの時代を超越した物語の記憶に残る新しいバージョンが作成されたはずです)。
https://www.metacritic.com/movie/belle-2021/critic-reviews
日本だとファンタジーだという批判があるけど海外だとむしろそういう風に観ているからここまで国内外で評価が真逆になったんかなあ
ここ何年か「ルッキズムは悪であり解体すべき思想」みたいな意見をネットで見るようになった、気がする
容姿を理由にした差別、容姿が悪い・外見が人と違うという理由の差別なんてそりゃ無い方が良いに決まってる
エレファント・マンという映画があったけど、それも人と容姿が違うという理由で見世物小屋の名物になった男性の見ているだけで気分が沈むような悲しい話らしい
少なくとも自分は他人を嘲り蔑み馬鹿にする事を娯楽にしている奴を見かけたら不愉快な気持ちになるしこんな奴ら消えちまえ、と思う。(恐らくは自分も消える側になるけど)
「容姿差別反対」を掲げる上で「ルッキズム」という言葉が出て来るのは差別を一つ無くそうとしている動きだろうし良い事だ、と軽く思っていた
ところがね
この「ルッキズム」という言葉、使っているのは主に女性が多いんだけど
という…「容姿が良い人間が好かれる・優遇される」という現象に対する怒りの言葉…として使ってる人が大半だな、と見ていて思った
容姿差別に反対する言葉だからてっきりエレファント・マンみたいに見世物になってる人に対する差別をやめろ!!って怒りの言葉だと思っていたのに
それと、人間は自分が体験した事・知る事しか語れないというのは人間だからしょうがない事だとは思うんだけど…「ルッキズム」という言葉が使われる文章って
「私はルッキズムの呪縛で傷付いて~」とか「ルッキズムに支配された日本は本当クソ」とか「あの漫画はルッキズムを推進して~」とか
自分はルッキズムのせいで昔不快な目に遭った、ルッキズムが存在する日本は酷い国だ、ルッキズムを出してきたあの作品の作者は差別主義者だとか
そういう他人を攻撃するための概念や自分がこんな酷い目に遭ったのはこんな思想があるせいだ、みたいな負の感情を吐き出すための便利な道具として使われてるな…と思ってしまった
「そういえば自分も容姿で異性の好みを選んでるんだよな…」とか自省的だったり自分と異なる性別の人への同情に「ルッキズム」という言葉を使ってる人は自分が見た限りでは目に入らなかった
ルッキズムを批判した当の本人がルッキズムをまるで捨てていない所を目にしたのが一番大きかったからかもしれない
アクの強いおとぎ話の姫たち #4
という触れ込みではてなでも話題になっていた事があるのでこの漫画を読んだ事がある人も居るんじゃないだろうか?
白雪姫を題材に「白雪姫の継母も男達の言葉に傷付き狂わされた被害者だった」という視点でルッキズムやエイジズム(年齢主義)を痛烈に批判した小気味の良い内容なのだけど
この漫画の中でも作者きり子氏の思想を代弁する白雪姫や白雪姫の継母は「女性受けのする美人」として描かれ、
誰々が美しいと『選定してる鏡がキモいジジイ』なのは『「あの鏡の存在って、世間一般の男性目線の価値観を物体化したものだよね」って思ったので』あえてキモい顔に書いたらしい
自分が好きな相手は美しく、嫌いな相手は醜く描くって正にルッキズムそのままだよなーって思ったり
『若さ以外に魅力ない女が世に憚るのどうなん?』『若くなくなっても美しい人はいくらでもいる』って感想欄での読者ときり子氏のやり取りを見て
結局容姿主義・年齢主義を批判する理由って「若い女が男からチヤホヤされてるのにこの人達はムカついてるだけなんだな」って思った。そうとしか思えなかった。
「女性を容姿や年齢でしか評価出来ないキモい男達死ねよ」って思想ならまだ分からんでも無かったけど、「若いだけで男にチヤホヤされてる女うぜえ」もセットの思想なんだと気付いた
とにかくこういうインパクトがある漫画を読んで「この人は年齢や容姿で人を評価する風潮が嫌いなんだな…」と理解したんだけど
他に投稿されていた作品を見るに見目麗しい美青年を寵愛している事も分かって「…あれ?」って思った
白雪姫の漫画を描いたきり子さんは以前はどろろ(2019年版)の二次創作もよく描かれていたんだけど
テガミバチなどを描かれた浅田弘幸先生がリファインした主人公・百鬼丸は原作ともまた方向性が違う耽美な青年になっていた
正直この日記の内容とは直接関係のない事だけど…この新百鬼丸、ハッと息を呑むくらいカッコいいと思う。
手塚治虫先生の作品は大昔から女性ファンが多い事で有名だけど、どろろ(2019年版)も盛り上がっているのは女性ファンが多かった。
絶世の美男子と一見男の子にも見える女の子の二人旅…そりゃおにロリ好きな人にはたまらんだろうな、と思う。自分も嫌いじゃないしおにロリ。
だけども。「若く美しい異性」に熱を上げてキャーキャー持ち上げる事って、きり子さんが白雪姫で痛烈に批判した「ルッキズム」であり「エイジズム」なんじゃないか?ともまた思った。
もし百鬼丸が特に見目麗しくも無い中年の親父でもこのきり子さんが変わらずどろろの事が好きで作品愛から二次創作をバンバン描いていたならともかく、そうじゃないでしょう?
モブ女性にキャーキャー言われるような顔が良い美男子大好きじゃんきり子さん。
いや「顔が良い美男子」の事が好きってそれ自体は別におかしくも何ともないけど。
白雪姫で「世間一般の男性」を「キモいジジイ」として描いて自分はどろろ(2019年版)みたいな美男子を愛好してるのは、女性から男性へのルッキズムとエイジズムを肯定してるって事なんですか?
という風に、ルッキズムを批判する人に対して、そういう貴方のルッキズムはどうなんだ?と言い返したくなるから、
俺は「自然と容姿の良い異性を好きになってしまう傾向」(ルッキズム)を批判するのはどこまで行っても不毛だから止めた方が良いんじゃないかなぁ…と思ってる
【追記】
誤字を修正。