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2020-02-05

日本治安がいいことを認めたくない人々

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.quora.com/nippon-kara-shutsu-ta-koto-ga-nai-node-wa-kara-nai-no-desuga-nippon-ha-hontou-ni-chian-ga-yoi-no-desu-ka/answers/195689313?fbclid=IwAR1gEcUd9SXHu_-0zPUO72SFVT5m-M0jIUKsyJB-nH1p2FXgqk8ppOyBudc

このブクマについたブコメが色々香ばしかったのでまとめておく。

ブクマの元記事こち

https://jp.quora.com/nippon-kara-shutsu-ta-koto-ga-nai-node-wa-kara-nai-no-desuga-nippon-ha-hontou-ni-chian-ga-yoi-no-desu-ka/answers/195689313?fbclid=IwAR1gEcUd9SXHu_-0zPUO72SFVT5m-M0jIUKsyJB-nH1p2FXgqk8ppOyBudc

スカタンブクマを眺めていく前に振り返っておきたい点がふたつある。

まずひとつめは、元記事回答者氏が述べているのは「日本他国過去比較して相対的治安がいい」という事実だけであり、そこに絶対的尺度はないということ。「いや犯罪は起きてるじゃん」という反論意味がないのである日本で起きてることが他国ではもっとたくさん起きてるんですよ、ということを言っているので「うん起きてるね」で終わりである

ふたつめは、治安レベル指標として殺人件数採用している意味について。回答者氏は「治安レベルを測るのには、一般的人口10万人あたりの殺人件数(過失やテロによる死者を含む)を利用することが多いので、以下でもその慣行に従」うと述べており、これは言い換えると殺人件数学術研究レベル慣行とされうる程度には治安レベルを測る指標としての妥当性を持っているということになる。

この2点をまるで理解できていないブコメを列挙していこう。

id:takamocchi 「口に粘着テープを貼りアイマスクをして飛び降り」う~ん自殺!「土管を腰に結び両手足をロープで縛って海に投身」これは自殺!「証拠品の銃を奪い自分に発射、飛び散った血をふき取って死亡」うん自殺

殺人事件であるはずのもの自殺として扱われて数字に入っていない(ので日本治安がいいとは言えない)と言いたいのだろう。そうしたケースを殺人に算入した結果統計にどんな影響が出るのか見てみたいものである。年に何件あるのだろう。元記事の論拠が覆るほどの件数だとしたらたいへんなことである

id:speedworld1231 殺人事件に関してはそうかも知れないがもうこの国はだめだよ

微妙な判定でセーフだが、殺人事件を治安レベル指標としていることに不服がありそうなので加えた。「もうこの国はだめだ」に関しては同感である

id:tableturning 日本いうほど治安良くないよ。怒鳴ってくる男の人多いし痴漢も多いし身を乗り出してツイッター覗いてくるし、都内の方なんて夜道は怖くて歩けない。酒に薬入れて女子大生が十数人昏睡状態とかニュースになってるし

↑前置きの1点目がわかっていないケース。誰もお前の体感治安の話などしていない。

id:kyo_ju 殺人件数だけで治安の良し悪しを論じられましても/凶悪犯罪少年犯罪が減少を続けているのは確かで、ならば警察規模縮小を論ずべきところ、体感治安ガーとか各種理屈を総動員して警察組織は拡大の一途なのがね。

↑これは前置きの2点目がわかっていないケース。殺人が多いくらいならばほかの軽犯罪性犯罪も相関して多そうだとは思わないのか。人殺しするやつは万引レイプだって平気でするだろ。

id:sajiwoかに治安は良いのだろうけど、治安って殺人発生率だけで語れるものなのだろうか。

↑同上

id:ponkotukko 自死する人が多いことも考えに入れてほしい

自殺率と治安に何の関係があるのかさっぱりわからない。なぜ突然自殺の話をする?

id:kuroan 治安の良さを「殺人」で測るか「軽犯罪」で測るか。犯罪を「実際に起きた数」で測るか「警察に握りつぶされたものを除いた数」で測るか。

↑とりわけスカタンなこのコメントが星を集めてるのが心底嘆かわしい。殺人がぼこぼこ起きるような国じゃ軽犯罪なんかもはや取り締ってらんないくらい無数に起きてんだろ。なぜ軽犯罪で比べたら違う結果が出ると思うのか。そして治安が悪いってことは警察無能か腐敗してるかその両方かだろ。なんで日本警察のほうが無能って前提なんだよ。ほかの国より警察が優秀だから殺人が少ないんだよ。お前もその恩恵受けてんの認知件数じゃなくて発生件数神様しかからない)で比べたらむしろ差が開くわ。アホか。

id:cankyan 地域によるのでは?上京した時、殺人事件のニュースばっかりで怖くなったのを覚えております

殺人事件は日本のどこで起ころうが全国ニュースになります

id:amunku 普通に暮らしてればアメリカイギリス安全だし私NY市内の電車で寝てたよ。殺されなくても日本レイプは現時点で無罪だよ。セクハラパワハラ過労死は横行してて自殺率は他国より高い。殺人カウントされないけど

↑どこの世界線から来たのか知らないがこっちの世界線日本ではレイプはれっきとした犯罪強制性交等罪)で認知件数は年間3ケタある。そのすべてが有罪になるとは言えないだろうが(示談成立や容疑者不明のまま不起訴があるだろうから)少なくとも起訴されれば有罪になるはずである。また、セクハラパワハラ過労死自殺率については何言ってるかわからない。

id:aobyoutann 女性体感治安日本海外殺人数は関係ないので、その言葉は届かないと思う。

↑誰も女性体感治安の話などしていないので届く必要ももちろんないと思う。

id:kumanomiiiかに殺人事件は少ないけど、万引きや痴漢はそれなりにあるような気がします。

↑お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな。前置きのひとつめをよく見ろ。

id:nowa_s 安全な国とは思うし殺人強盗被害は身近にないけど、性犯罪なら多すぎる。/"日本で30年犯罪に遭ったことない"人すげーな。自分一人に限っても匿名電話強姦脅迫体操服や自転車盗難複数回痴漢とかある

↑ここにもいた、「相対的」っていう概念理解できない人

id:nanakoso 殺人死体が残って「実際に起きた数」を操作しづいから国際比較基準にされる。いじめ軽犯罪警察担当官らの胸先三寸で数字が変わる。追記:反論したい人は数字出して記事かいてよ。

↑これも前置きの2つめに乗っかれなかった人。日本数字操作されるなら諸外国ではもっとひどい操作をされているかもしれないという想像力すら働かず、自分の導きたい結論に都合よく世界ができていると思っちゃえる人。しかもその立証責任他人に求めちゃう人。意見を述べる資格なし。

id:princo_matsuri 道路治安はその限りではない

↑諸外国交通秩序のほうが日本よりまともだと言いたげである。それは本当か?

id:yanosworkout 浅い。マクロ視点治安がいいのは分かっているが、度々エントリで上がる性被害弱者への暴力は一体何なんだろうって思う。

↑いやその話をしたいのはお前個人だろ。

id:iGCN 殺人件数が少ないことを根拠にしているけど、エクストリーム自殺として処理されている暗数がそれなりにある気がする。

既出。略。

id:hotelsekininsya でも、都会で痴漢にあった女性ってすっごい多いんだよね?確か半数軽く超えてたはず

↑「でも」があるのでセーフ判定。「ところで」だったらなお良かった。

id:stamprally 自殺殺人カウントたらこグラフがどうなるのか興味ある

↑なんでこんなに自殺殺人カウントしたい人が多いんだこの国……

id:algot 自殺率は高いのでは?

↑もう……

飽きた。まだこれでもブコメ全体の半分まで見きれてない。スカタンブコメ書いたけど拾われなかった人たち、ごめん。

20200205追記

反響が大きくて驚いた。良くて「ヒマ人乙」くらいのブコメがふたつみっつついてすぐ埋もれる予定だったのに反応の質も量も意外だった。

しかしこれだけ注目されると、「論拠があやふやだけどいいや、書いちまえ!」って雑に書き飛ばし筆のすさびがきちんとツッコまれるので、さすがだなと思った。おっしゃる通りです、お恥ずかしい、という指摘がいくつもあった。どれとは言わないけどあなたが正しい。

こんなウケるならがんばってもっとたくさんのコメントを吊るせばよかったな(やらない

2020-02-01

枕草子」を読んで、英語日本語が読めない人の気持ちを知る

 古文の読解が苦手だった。

 赤点は取ったことがないし、センター試験も「これは絶対にありえないだろう」というのを消去法で排除していって残ったのをマークしていたので、それなりの成績は取れたのだけれど、古典文章を美しいものとして楽しむまでには至らなかった。

 だが、数日前からずっと昔に自分父親本棚から持って行った、現代語訳付きの「枕草子」を読み始めている。これは積読を崩したかたからでもあるし、図書館から本が届くのが遅れていて、通勤時間に読む本がなくなってしまたからだ。(本当は自分が予約ボタンを押し忘れていたため。図書館は悪くない。)

 読み始めると、読み継がれてきたものだけあって結構面白い。「お坊さんはやっぱりイケメンがいいよね」みたいなガールズトークっぽいのもあれば、「閉めなきゃいけないドアを開けっぱなしにするやつマジむかつく!」みたいなあるあるネタもある。清少納言自身キャラが立っているので、身近に感じられるのだ。

 ただ、困ったことがある。長い文章を読んでいると、意味が取り切れなくなることが結構ある。「春はあけぼの」くらいの長さなら、原文→現代語訳の順で何の問題もないのだが、何ページにもわたる長い文章を読むと息切れがしてしまって、現代語訳→原文の順にしないと、原文を楽しめないのだ。

 どうしてなのだろう、と考えた時に、次のような理由なのだと気づいた。

そもそも古文の語彙が少ない。

 高校で習ったはずの知識がすっかり抜け落ちている。「さうざうし」とか「けざやか」といった言葉も調べないと思い出せなかった。

文法知識あやふや

 どこで文章が切れるかわからず、ひどいときには語彙が少ないのでどこで単語が切れるかわからない。さら敬語現代文と比べてややこしい。

接続詞が時々省略されているので、話題が切り替わったのに気づかない。

 これは英文読解でいうとディスコースマーカーが省略されてるってやつだと思う。清少納言普段話すようにつづったためか、「ところで」「しかし」などが略され、論理的つながりが文章を読んだだけでははっきりしない。私が普段話すときも、そこまでわかりやすく話しているわけではないけれど。

ついでに主語も省略されがちだ。

 会話文にいたってはもう何が何だか。原文でも、鍵かっこの前に誰の発話かわかるように、注釈として小さな文字で書いてあるくらいだ。

当時の文化常識についての理解が浅い。

「狩衣」「衵」なんてことを言われてはっきりとイメージできる人は少ないんじゃないだろうか。そういう見かけ上の問題だけじゃなくて、単純に清少納言自分身の回りをつづった雑記的な段の、話の明確なオチというか、何でこんな話をしたのかがよくわからないこともあった。面白い話だけれど、あなたは何が言いたかったの? みたいな。

古文の長文を読解するだけの体力がない。

 短い段ならそうでもないが、何行にもわたる文章を読んでいると息切れがして、重要事実を読み飛ばししまう。目が滑り、大意をつかむことも難しい。

追記現代文の文学エッセイではそうした現象ほとんどない。理系なので、ノンフィクション大丈夫だが、法律関係文章を読解するのは苦手だ。

 とまあ、こうやってまとめていると、「結局はお前がまじめに古文の授業を受けてかなったからだろ」って話になってしまう。じゃあ、何でこれをまとめたのかっていうと、これって、「どうして英語の苦手な人が長文読解が読めないか」という問題と、ほぼ同じ原因がリストアップされているからな気がするのだ。

 ついでに言うと、日本語を読むのが苦手な人も、似たような問題があるんじゃないかって思う。そういうわけで、何らかの参考になるかなと思い、記録した次第だ。

 ところで、「枕草子」と比べると「徒然草」や「平家物語」のほうが、ずっと読みやすかった。私にとっての最大の問題は、平安時代宮廷文化に対する理解の浅さにあるようだ。

 それとも、一段当たりの長さが短いから、という単純な理由なのだろうか。

 なんにせよ、もうちょっとで読み終わるので、今度時間ができた時には、「更級日記」あたりにチャレンジしたい。

2020-01-30

20年前の旧司法試験受験生がいまさら行政書士試験を受けてみた (前編)

この文章は、20年ちかく前に、旧司法試験択一だけは3年連続合格した、今は40過ぎの俺が、4か月ほど勉強して令和元年の行政書士試験合格するまでの軌跡を書いたものだ。

こういう、『ある程度法律知識があるから学者とは違うんだけど、かといってベテラン行政書士受験生でもない』微妙位置づけの人も、世の中にはたくさんいるんではなかろうかと思ったんだ。それで、そういう人たちのお役に立てればと思って書いた次第。

最初に――俺はサラリーマンなんだけど――なんで急に行政書士試験を受けることになったのかについて書いておく。俺は副業で色々なコンサル業務をやってるわけ。んで、だんだん行政書士の独占業務範疇にある仕事に足を踏み入れる可能性が出てきたので、いちおう今時点で合格だけはしておきたかったんだ。そういう理由

20年ちかく前にもう少し勉強を続けていれば旧司法試験合格たかも? とか思う日がないでもないけど、あの頃はけっこう気持ちが行き詰ってた。だって、毎晩、大学卒業できない夢ばかり見てたんだぜ? 実際は大学なんて普通に卒業できてたのにだよ? この夢が意味することって明らかだし、やっぱりまともな状況とはいえないよね。それにその数年前からロースクールが始まって、旧司法試験合格枠が激減するというアナウンスも出始めてたんだ。

から試験人生をかけていくのはちょっとリスクとして耐えらないと思い始めた。そんな矢先、けっこう良い職場からお声がかかったから、司法試験勉強はすっぱりやめた。司法試験勉強をすっぱりやめたといっても、俺のサラリーマンとしての業務法務軸足を置いているので、完全に20年も法律から離れてたわけじゃない。でも、もっぱら仕事使用するのは知財法ばかりなんだけどね。

そして、知らない人のために書いておくと、俺が受験していた当時の旧司法試験の科目は以下の通り。

択一試験: 憲法民法刑法

論文試験: 上記3科目+商法民訴法・刑訴法

一方、今の行政書士試験の科目は以下の通り。

憲法行政法民法商法基礎法学行政書士業務に関する一般知識

まりは、憲法民法商法・基礎法学が旧司法試験と重なってるわけ。『基礎法学』は科目としては旧司法試験存在しないけど、重なっているどころか、旧司法試験勉強していた奴にとっては、行政書士試験プロパーよりはるかに楽勝だ。行政書士試験プロパーだと、基礎法学は時々まるで意味不明だろうし、対策範囲もわけわからないと思う。でも、旧司法試験を受けた人間にしてみれば、全然けがからない問題はまずないと思うよ。ほら、急に模試で「弁論主義」とか「処分主義」とか言われても、「はいはい訴訟法でやったねー」ってなるでしょ。

準備する 6月24日

というわけで、俺が行政書士試験勉強を始めたのは、手元のメモによると、2019年6月24日だ。試験日が2019年11月10日から、150日間くらい勉強できる日はあったんだけど、途中、2週間ほど海外旅行に行ってたから、実際は126日間勉強可能だったと言える。毎日勉強してたわけじゃないけど、まあそんな感じで勉強を開始した。

2019年6月24日に何をしたのかはよく覚えてる。

新宿ブックファーストで以下の2冊を買ったんだ。

『うかる! 行政書士 総合テキスト

https://amzn.to/37mxhgR

『うかる! 行政書士 総合問題集』

https://amzn.to/38JGVKa

行政書士テキストはたくさん出ているけど、どの会社もその根幹にあるのは「総合テキスト」と「過去問を中心とした問題集」だ。主要な会社はどこも似たような本を出してる。俺は旧司法試験時代伊藤塾の印象がまあまあ良かったので、伊藤塾のものにした。当時のイメージは、授業もテキストも、「WセミナーLEC玉石混交」「伊藤塾ベストもないけどひどいものもない、どれもそこそこ良い」だったっけな。あくま主観だけど。

次に、その足でフェデックス キンコーズに行って、二冊とも断裁して、翌日に会社プリンターで全部pdf化した。分厚いテキストを持ち歩くのはいやだったし、pdf化してしまえば仕事中にもデスクトップ勉強できるからね。

それから総合テキストと、それに対応する問題集の問題を順番に並べていった。例えば、テキストの「国会」部分のあとに、問題集の「国会」部分を挿入するといった感じ。あと、なんとなく直感的に問題量が少ない気がしたので、以下の伊藤塾のページから問題を全部ダウンロードして、該当箇所に挿入した。無料だし。

https://www.itojuku.co.jp/shiken/gyosei/feature/ukarugyouseisp.html

https://www.itojuku.co.jp/shiken/gyosei/feature/mgmondai.html

科目別に勉強方針を立てる

次に、テキスト過去問をぺらぺら眺めながら科目別に方針を考えた。以下のような感じ。

憲法

司法試験択一試験憲法は、本番も模試もだいたいいつも16点から18点(20点満点ね)くらいだったから、まあ自信はあった。でも、さすがに20勉強してないと色々なことを忘れてる。特に択一試験しか出ないような部分はさっぱりだ。統治の条文知識とか。ほら、内閣はこれをして、内閣総理大臣はそれをして、天皇はあれをするとかそういうの。でも、行政書士試験テキスト過去問を見る限り、憲法はけっこう楽そうだなあとは思った。テキストを数回読んで記憶喚起して、あとは条文を数回読めばいけそうだな、あとは判例をどこまで確認するかだな、とまずは考えた。

行政法

行政書士試験の点数配分を見ると、行政法が圧倒的に重要だとわかった。なにしろ行政書士試験300点満点中、行政法は112点満点だから、全体の三分の一を占めてるわけだ。にもかかわらず、行政法はまるっきり勉強したことがない。大学でも独学でも。ということは、合格には行政法勉強キモになるのはわかりきっていたんだけど、どういう法律なのかすら知らないので、とにかく勉強時間の半分以上を行政法に割こうと思った。

民法

司法試験択一試験民法は、本番も模試もだいたいいつも17から20点(20点満点ね)くらいだったから、まあ自信はあった。憲法と同じで、改めて勉強しないと色々と忘れていることは多かったけど。これもテキトーテキスト問題集を何周かまわしたら大丈夫だろうと踏んだ。

商法

司法試験論文では、商法はさほど得意ではなかった。それに、俺が勉強をやめたあとに会社法は大改正があって、まったく知らない概念がたくさん登場していることもわかった。だって、俺が勉強してた頃には「合同会社」すら存在しなかったからね。会社法はとりわけ機関のあたりに知らないことが増えてた。会計参与とか。誰だそれ。一方で、行政書士試験における商法の占める割合は超低い。商法に本気で取り掛かるくらいなら、その時間行政法にまわしたほうが良さそうだけど、どうなんだろうと迷った。そんなわけで、初期の段階では商法にどれだけ付き合うかは決めあぐね、とりあえず保留にした。

・基礎法学

内容もテキストの量も薄くてほっとするわー。まあ大丈夫だろう、という感想

行政書士業務に関する一般知識

行政書士試験一般知識単独での足切りがある。40%以上正解しないと、他の科目が満点でも落ちる。ということで、俺の中では行政法の次に一般知識を要注意科目と認定した。

とりあえず勉強を開始する 6月26日8月6日

まずは、総合テキスト問題集が混然一体となったテキスト(要するに俺がpdfで並べたやつね。以降は単に「pdfテキスト」と書く)を頭から読んだり解いたりして行った。当時のメモを読むと、2019年6月26日から勉強を開始して、2019年8月6日に1周目が終わっている。よくわからないところで立ち止まらずにどんどん進むのがコツだと思ってる。

さて、この時点での各科目の感想は以下の通り。

憲法

とにかく懐かしい。すべてがセピア色だ。マクリーン事件! 三菱樹脂事件! いやあ、あの頃は本当に勉強がつらかったなあ。

行政法

難しくはないんだけど、とにかくつまらん科目だなあ。pdfテキストを繰り返しやって、最後は条文素読かな。

民法

懐かしいなあ。久しぶりに民法をやると、得意だった箇所・不得意だった箇所があらわになるなー。今でも法定地上権とか全く問題なくわかるし、連帯債務連帯保証のあたりが大得意だったのを思い出したわ。逆に、意外なくらい意思表示のあたりがあやふやになってる。テキストだと初めのほうだし、当時は得意だって気がしてたんだけどなあ。

商法

機関を除けば、株式会社についてはだいたいわかる。でも、ほんと機関意味不明だ。あと、会社法はクソほど条文が多いわけだけど、行政書士試験テキストが薄いぜ。こんなんで大丈夫なのか。でも、商法を極めるほどの時間意味もなさそうだぞ。

・基礎法学

いや、ほんとホッとする。コーヒーブレイク扱い。

行政書士業務に関する一般知識

ほう。こりゃあ、どうしたもんかな。とにかく「文章理解」を間違う可能性は極めて低そうだ。あとは、「情報通信」と「個人情報保護法」はある程度やる必要があるのかな、どうなんだろう。「政治」はそんなに他の受験生に劣るとは思えない。「経済」は個人的にもともとけっこうわかる。「社会」はどうだろう。んー。

対策方法がわからないので、色々とネットで調べた結果、以下の2冊を買って、夏休み海外旅行中の飛行機の中で読むことにした。

改訂第3版 センター試験 現代社会の点数が面白いほどとれる本」

https://amzn.to/35VQLHP

日経キーワード 2020-2021」

https://amzn.to/2SpQWr9

※実際に読んだのは2019-2020

ひたすらpdfテキストをまわす日々 8月7日9月13日

8月の中ごろに2週間ばかり海外旅行に行っていた。旅行中は機内で「改訂第3版 センター試験 現代社会の点数が面白いほどとれる本」と「日経キーワード 2020-2021」を1度ずつ通読した。日本にいる間は、行政法を中心にpdfテキストを回していた。

手元のメモによると、9月13日までに、行政法は4周してる。憲法は3周。一般知識2周。あとの科目はこの期間は何もやっていない。

1回目の模試を受ける 9月14日

9月14日伊藤塾の「行政書士 公開模擬試験 中間模試」を受けてみた。試験時間は3時間。俺は2時間で終えて途中退席して結果は188点。本番の合格点は180点だから合格点はクリアした。一般知識足切りされない程度には点数が取れていた。

この時点の進捗に関する感覚は、圧倒的に完成からはほど遠かった。それなのにあっさりと合格点が出てしまって、少し切迫感がうせたしホッとした。あとから気づくわけだけど、このとき模試はけっこう難易度が低かったと思う。そんなこととはつゆ知らず、「この調子勉強を進めていけば全く問題なく合格する。行政法の完成度が今時点で30%って気がするから、ここを上げていけば大丈夫そう」とこのときの俺は考えた。

でも、この見通しはけっこう甘かったと後で気づく。

うそう、このとき模試も全てpdf化して、pdfテキストの該当箇所に差し込んだ。

ひたすらpdfテキストをまわす日々 9月14日10月18日

手元のメモによると、この期間はほとんどpdfテキスト行政法だけをやっていた。具体的には2周。つまり、この時点で行政法に関しては計6周やったことになる。

2回目の模試を受ける 10月19日

10月19日伊藤塾の「行政書士 公開模擬試験 最終模試」を受けた。俺は2時間15分で終えて途中退席して点数は180点。喫茶ルノアール自己採点をしながら、俺は状況のまずさにおののいた。1回目の模試よりも行政法勉強はだいぶ進んだにもかかわらず、その行政法の点数が伸びるわけでもなく、全体としては合格ジャストの180点しか取れなかった。

このときようやく気付いたのだけど、1回目の模試ときは、まだぜんぜん勉強が進んでいなかったので、元々持っている自分リーガルマインドに頼って直感勝負していたようだ。ところが2回目の模試では、勉強が多少進んだため、直感ではなく、新たに手に入れたあやふや行政書士試験知識で解いた結果、勉強は進んだのに中途半端すぎてかえって間違いを増やした気がする。

ともかく、作戦を練り直すことが必要だった。

それでまあ、各科目について以下のことを考えた。

憲法

憲法とき時間を多くは使えない。pdfテキストを無理のない範囲でやり、条文素読(1条から8条まで。それから統治は全部。他はいさら読まない)をしておけば、試験日までには状態は整うと考えた。

行政法

行政法についてはずっと勉強し続けているわけだから、引き続きpdfテキストを繰り返しやって、最後こちらも条文素読だな。素読対象は、行政手続法行政代執行法行政不服審査法行政事件訴訟法国家賠償法だ。地方自治法素読は要らん! というか地方自治法に条文レベルで付き合っていられるほど時間的余裕がない!

民法

pdfテキストちゃんともう数回まわそう。そうすれば行政書士試験レベル問題で間違うことはそうそうないはず。

商法

いまさら真面目に突き詰めるほど時間を割けないので、pdfテキストを流しながら、あとは俺が全然わかってない機関だけやっておこう。

・基礎法学

pdfテキストさらっと回そう。

行政書士業務に関する一般知識

文章理解」は過去問模試問題含め、一切やらない。どうせ解けるから

政治」「経済」「社会」「情報通信」はpdfテキストをまわすだけ。

個人情報保護法」は条文は読まないことにした。問題レベルを考えると、条文を読むことは非効率的だと考えた。あと、伊藤塾総合テキストは、主要科目はけっこう良くできている気がしたけど、行政法中の「地方自治法」とか「個人情報保護法」あたりはかなりいいかげんだ。条文の中身をただダラダラとコピーペーストしただけのテキストをなんて読む価値ないだろ。それで、「個人情報保護法」については、個人情報保護委員会が出してる、以下の「個人情報保護法ハンドブック」を何度か読んだ。

https://www.ppc.go.jp/files/pdf/kojinjouhou_handbook.pdf

続く。

https://anond.hatelabo.jp/20200130105747

2020-01-21

ゲーム規制業界の怠慢

ゲームに悪影響は無いと言うなら、その根拠となるデータ業界が示せばいい。

今の状況はそういった研究を怠り、もしくは悪影響があることを知っていて黙認していたゲーム業界の怠慢であり自業自得しかない。

これは規制反対派の人達にも言える事で、自分達に有利な個々の事例を持ち出そうが、統計研究結果で根拠を示せない時点で反論する資格はない。

ゲーム依存症という症状そのもの実在し、世界的に社会問題になっているのだから根拠を示すべき立場ゲーム業界及び規制反対派。

しろあやふや根拠で喚けば喚くほど、健康を損なわせてでも金儲けしたい業界依存症患者ヒステリックに騒いでいるとしか世間は見ないよ。

瓶とは何だろう

真っ先に思いつくのはガラス瓶だ。

陶器の花瓶もある、下に落としたら割れる素材の入れ物だろうか、しかし鉄瓶もある、これは形もまるでヤカンで瓶と言うイメージではないが、何故か瓶と名乗ってるからなのだろう。

先が細くなっている入れ物だろうか、しかし先が細くなってない広口瓶と言うのもある。

広口瓶と筒と缶の違いは何なのだろう、何となく広口瓶はガラス製でジャーサラダを入れてそうだし、筒はプラスチック植物製で、竹筒とか水筒とか症状を丸めて入れてる筒のイメージで、缶は金属製ビールとかジュースとか入れてるイメージで使い分けしているのはわかるが、何で分けてるのか自分でもあやふやだ。

そもそも壺と瓶の違いは何だろう。

壺に花を生けたら花瓶になる、しかし花を入れてない花瓶も花瓶として売られたり飾られたりしている。

ペットボトル素材だと、どれだけ瓶のような形でも瓶とは呼ばれない。

そもそもボトルが瓶と言う意味なのだから、瓶が2連続で続くのも変だからだろうか、それならガラス瓶のようにペットボトルの素材はペットなのだろうか、何故ペット瓶とは呼ばれないのだろう。

考える程にどんどん迷子になる、瓶とは何だろう。

2020-01-15

教養って結局のところ何なんだ

「不足している」と感じるのは地名から都道府県がわからなかったり、暦の旧暦がパッと出てこない時

あとはちゃんとした旅館とかの食事時(お皿の底が丸いかどうかとかで持ち上げて食べていいかわかるらしい)

読書量はあまり多くない(月1〜3冊)

日本史結構あやふや

社会に出る前に最低限の教養は身につけたい

とりあえず地名を覚えようと思う

2019-12-28

子どもが「離婚しないで欲しい」と言います

下記ねほりんぱほりん児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。

https://togetter.com/li/1438906

私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。

母は結婚した時から父の暴力モラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。

そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。

これは別居する少し前の話。

「お母さんは離婚したいけどあなたたちはどう思う?」

姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。

記憶あやふやだが私の姉もいやだというようなことを言った。

ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心約束されていなかったからだ。

暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。

ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。

母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。

母の実家も裕福ではない普通の家庭だ。

子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。

また、遺伝子に埋め込まれ心理作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力モラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。

怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。

(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)

小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。

その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。

「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」

と聞かれた。

姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもの言語化する力も乏しい。

私の姉もいやだというようなことを言った。

理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。

みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。

もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。

そしてこれは完全に子ども特有理不尽わがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。

この時私は母に名字旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。

悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。

しかし、共依存ハラスメントを受けやす人間特有自分意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。

(のちにわかることだが母は重要決断他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)

話は最初に戻る。

ねほりんぱほりんに出演していた女性子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。

この場合子ども言葉理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。

(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)

もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子ども言葉鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的判断を下して欲しい。

そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。

以下は余談。

父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力離婚後の貧困生活などを思い出す。

母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。

姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。

父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。

子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。

2019-12-27

独断偏見で選ぶ2010年代ベストアニメ10

2010年代が終わるわけだが、2010年代アニメベスト10独断偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。

見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である

魔法少女まどか☆マギカ』(2011年

長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキング作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。

Fate/Zero』(2011/2012年

2010年代にはFate/stay night [Unlimited Blade Works](2014/2015年)とFate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZero存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣重要台詞微妙原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃん原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃん再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代Fateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。

おおかみこどもの雨と雪』(2012年

一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋家族愛物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。

サカサマのパテマ』(2013年

アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。

SHIROBAKO』(2014/2015年

単純なアニメ業界楽屋ネタに留まら人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界ブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である

放課後のプレアデス』(2015年

紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSF冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽ファンタジイとリアル宇宙描写を融合させた映像美はアニメからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメ金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。

プリンセス・プリンシパル』(2017年

アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽テンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記オサレ音楽BGM美少女たちが流れるような作画チャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェプリンセス手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写ひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。

宇宙よりも遠い場所』(2018年

素晴らしい作品だった。2018年TVアニメ豊作の年でありゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかったアニメ史に刻まれる名シーンですわ。

さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年

岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものいつまでも抱いてしま妄執とか、恋と愛の区別あやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……

『天気の子』(2019年

君の名は。2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口

……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代エロゲだったテン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。

2019-12-26

anond:20191226134332

そもそも平等にみんな褒めない先生」の実在あやふや

「私もそういう先生に遭ったことがある」みたいな声も全く無いし

2019-12-24

なんで学校で教えてくれないの

男と2人きりになっちゃいけないって学校で教えてくれよ

交通安全教室はやるくせにそういうとこはあやふやに済ませやがってよお

2019-12-21

子どもが「離婚しないで欲しい」と言います

下記ねほりんぱほりん児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。

https://togetter.com/li/1438906

私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。

母は結婚した時から父の暴力モラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。

そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。

これは別居する少し前の話。

「お母さんは離婚したいけどあなたたちはどう思う?」

姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。

記憶あやふやだが私の姉もいやだというようなことを言った。

ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心約束されていなかったからだ。

暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。

ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。

母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。

母の実家も裕福ではない普通の家庭だ。

子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。

また、遺伝子に埋め込まれ心理作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力モラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。

怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。

(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)

小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。

その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。

「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」

と聞かれた。

姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもの言語化する力も乏しい。

私の姉もいやだというようなことを言った。

理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。

みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。

もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。

そしてこれは完全に子ども特有理不尽わがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。

この時私は母に名字旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。

悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。

しかし、共依存ハラスメントを受けやす人間特有自分意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。

(のちにわかることだが母は重要決断他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)

話は最初に戻る。

ねほりんぱほりんに出演していた女性子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。

この場合子ども言葉理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。

(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)

もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子ども言葉鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的判断を下して欲しい。

そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。

以下は余談。

父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力離婚後の貧困生活などを思い出す。

母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。

姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。

父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。

子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。

2019-12-18

anond:20191218104507

法治主義という元増田言葉が正しいかどうかは知らんが、

民主主義の結果でも憲法違反はできないという説もあるし、すくなくとも立憲主義国家の下では

法治によって民主主義が損なわれることもあり得ると思うが……

本部分は憲法改正もできないという説にたてばなおさら。まあ革命権との兼ね合いでいろいろあやふやだけど。

2019-12-16

anond:20191216001321

お前も記憶あやふやすぎるだろ

鬼滅の初期は掲載順位も後半寄りだったよ

鬼とのバトル連続するようになって安定してった

2019-12-15

ウェブ可能な限り安全からものを言う為のテクニック

他になんかある?

2019-12-13

冤罪じゃない痴漢被害の事みんな実際どう思ってるの?

痴漢被害ニュースってマジで毎日見ない?

夕方ニュースでほぼ確実に流れてる気がする。

あとをつけて触った、下着を剥ぎ取った、家に押し入って触った、

中には路上で顔を踏みつけて蹴りつけて触ったなんていうのも見た。

どんな顔した奴なのかと思うと痩せこけたおっさん、太ったおっさん、いろんなハゲ

その辺にいそうな普通の兄ちゃん陽キャっぽくて性犯罪なんか縁がなさそうな大学生まで様々。

でもみんな目つきは悪い。そして酒に酔って記憶がないって言い訳が圧倒的に多い。

暴行も含まれるし逮捕に至ってるからニュースになる訳で、単純に痴漢のみではない事例だけど

あれを見てるとあ〜邪悪って実在するな〜とまざまざと感じる。

まり毎日胸糞悪くなりすぎて意識的夕方ニュース見なくなった。(朝晩のニュースではあんま見ない)

それでも今度はツイッターだのSNSで目に入ってくる。

ニュースじゃないから生々しい語り口で、被害者本人だけじゃなく犯人確保に協力した人の

体験談なんかも流れてくる。逮捕に至らなかった話が多い。

そんでやっぱりネットから、反応は同情的なものばっかりじゃない。

自作自演可能性があるだろ、嘘松冤罪だったらどう責任とるの?

これを言ってる人が必ずいる。

これ、純粋になんでそんなこと言うの?って不思議なんだけどマジでなんで?

そりゃーネットだし作り話の可能性なんて大いにあるけどまずそこじゃなくて、

嘘かもしんないけど『さっきそこで歩いてたら急に知らない人にぶん殴られて痛いんだけど』って泣いてる人に

『それ本当なの?嘘じゃないの?証拠は?冤罪だったらどうするの?』って直接聞く奴いたらやばくない?引かない?

これ見るたびいつもAAの「ねえねえ今どんな気持ち?」のやつが浮かぶ

犯罪があれば冤罪もあって、多角的見方をしないとダメっていうのはわかるんだよ。

でもどこからともなく全然知らん人が私がジャッジマンです!ってやって来て「ねえねえ今どんな気持ち?」を

しつこくやってさ、逆にそれ『冤罪じゃなかったらどうすんの?冤罪呼ばわりで傷つけた責任とれんの?』って

ブーメランにもなるのにさ、そこはなんか罪になったりしないから今のとこ無法地帯なんだよね。

細かく言えばセカンドレイプになるやつもあるけど捕まるもんでもないしそれ言い出すとフェミとかお気持ちとか

これまためんどくさい話になりそうだから一旦いいや。

とにかく相手が傷つこうが関係ないという謎のジャッジ病、あれは何なんだよ

やっぱあれかな?

不幸や理不尽な目に遭った経験がないか極端に少ない=実際に起きうる事として認識できない=共感できない

からなの?実際に冤罪被害に遭った人なら納得できるけどジャッジマンって別にそういう過去がある訳じゃないよね?

(そういう人はちゃん活動家としてネット外でも行動してる気がする)

逆に理不尽な目に遭いまくってきたか自分が一番辛い、お前なんかたいした事ないみたいな思考になってるのかな?

前に痴漢に遭わない人にとって痴漢幽霊みたいなもんで、見た事ないし被害に遭わないから信じられない、

なぜか自分攻撃されてるように感じて痴漢じゃなくて被害者を叩くって説を聞いて目からウロコだった。

幽霊ほどあやふや存在ではないだろうよ。少なくとも毎日ニュース逮捕者映ってるんだから

(あっちは殴る蹴るの暴行被害があるから逮捕されてんのかもなあ。被害者にとっては触られるのだって暴行なんだけどね。)

これは何の話といえばいいのか正直わかんない。モラル、思いやりっていうと偽善くさいし。

これ系の真偽をジャッジされる話は別に痴漢に限らず不条理に遭った人に共通してて、

接客業の人がいかれた客に酷い事されたとか子連れでいたらこんな辛い事あったとか、

障害者だけどこんな心ないこと言われたとか、ありふれてると言えばもありふれてる事ではある。

あえて痴漢っていう性犯罪に絞ったのは、幽霊の例えしかり『冤罪』って言われやすく、でも確実に毎日起きてるものから

あと自分上記理不尽経験値(とでも言えばいいのか)が異常に高く、痴漢の他なぜか全くの他人に加害される事が多くて、

冤罪とか嘘とか果ては自慢かとか、血縁者にも警察にも冷たくされた経験がやたらあるから、とにかくジャッジマンを見ると辛いんだよね。

別にちやほや優しくしてほしいんじゃなく、在った事は在った事としてそうなんだって認めて欲しかったな。

大げさかもしんないけど否定されても傷は残るしめちゃくちゃ孤独絶望を感じるよ。

ツイッターはほどほどにして、夕方ニュースを消しても生きてる限り痴漢話題は避けられないんだろうな〜。

極論世の中そんなもん、ネットなんてそんなもんって言われる程度のことかもだけど今日ジャッジマンを見てしまって辛いので書いた。猫吸ってくる。

2019-12-11

anond:20191209214855

大滝詠一の「君は天然色」ってCMとかでよく聞くけど、

くちびるつんと尖らされて」の後からはどんどん記憶あやふやになっていき、サビになるともう元のメロディを空で思い出すことができない。

「想い出はモノクローム」って俺の記憶に色をつけてほしい。

2019-12-06

優秀である事、賢いという事。

身につけたい技術があった。

ただ、そのために学校に行ける余裕はなかった。

から数年前、未経験でその技術を専門とする業界に飛び込んだ。

私には褒められた学歴はないが、特殊な経歴と社外で認められる何個か業績があったのが効いたのか、全くの未経験だったのに業界でかなり名の知れた会社内定が決まった。

最初高学歴の人の多さでビビったし、なんか知的キラキラ見えた。

だけど、蓋開けたらそんなでもなかった。

同僚、上司は旧帝ばかりだけど、彼らは小賢い事は言うものの、質問の回答はあやふや理論立っていない会話、受賞歴や登壇といった実績も、ビジネスとしての結果も、全くなかった。

関連学会で注目されてる重鎮とかご意見板的な人たちもいたが、英語リファレンスを訳して偉そうに話すだけで、過去特別な功績を残したわけでも、最先端世界で戦ってきた訳でもない。

なんだろう、この違和感…なんて事を最近ずっと考えていて、親友Xと久しぶりに連絡を取った今日、この違和感がかつて彼が童貞だった頃、居酒屋で夜通し彼の女性論を聴かされた時と同じものだと気がついた。エウレカ!!

妻(かなりのエリートかつ将来有望視されてたのに流浪の身となって奇特な私と結婚してくれた変人)が『旧帝なんてそんなもんよー』とよく言ってるのだが、初めて意味が初めて分かった気がした。

きっともうすぐこの業界から去るけど、この界隈に来て一番得た物は学術的な事や技術的なノウハウでもなく、自分学歴コンプさらに拗れ、逆に振り切れもした事。そして賢さや優秀の定義が大きく変わった事かもしれない。

最近TwitterAI博士とか、刺さりそうな髪の毛のなんとなく芋くさい哲学者とか、社会経営なんたら的なお姉ちゃんとかをネットニュースワイドショーで見かけると、こういった『看板に中身が追いついてない人注目されちゃう、すごい学者みたいにされちゃう現象』は結構日本のありとあらゆる業界学術面で起きてるんじゃないか思う。

きっと社会が徐々に死んでいっているって事なんだろうなと解釈している。

2019-11-27

anond:20191127154313

それはおそらく「エイプリルドライバーさん」が自身兄弟として「アダム・ドライバーさん」がいる、という情報登録しているに過ぎず、例えばその辺に住んでる木村楓さん(仮名だけど実名という扱い)が「兄・木村拓哉」という妄想なのか事実を記録したに過ぎないだけで。

アダムエイプリル登録したならファクトとしては正しそうだけどエイプリルアダム登録するのは、かなりあやふやじゃん。

それをgoogleが「事実である」とするのはなんかちげーきがすんだけど。

googleのファックトチェック体制どうなっとんのね。

2019-11-25

ですますと「~だ」が混じる。

なんでかね。

書いてるうちにどんどん語尾があやふやになっていく。

このへん書き直すのがめんどくさくてどんどんブログ億劫になっていく。

書いてる人たちはちゃんと語尾は揃えてるので、元々みんな混じらないように書いてるんだと思う。

すごくないです?

ブログに直打ちで書いてたら語尾が揺れるのって当たり前だと思ってた。

なんでみんなちゃんとシッポを揃えられるんだろ。

2019-11-21

兵庫県尼崎市水道局は嘘をつく

昨日(2019/11/20)水道工事で 13:00~16:30 まで断水だと案内されました。

ところが蛇口から水が出るようになったのは 17:15 でした。

本日(2019/11/21)は午前中に工事の人が来て「工事しますので、しばらく水圧が安定しません」と言いに来た。私が「水が止まるという事でしょうか?」と問うと、「いいえ、水圧が高低するけど、水は出ます」と答えをいただいた。

ところが 12:00過ぎ頃から水が止まった。昼食をどうしよう。トイレ黄金が流せない。

兵庫県尼崎市水道局に電話をかけるとサービス課に繫がれた。

「水圧の関係・・・」「夕方くらいまで・・・」と言うので、「その夕方というのは何時頃までですか?」と聞いたがあやふやな答えしか返ってこない。

私は「現場と連絡を取り、詳細を把握した上で電話してきたのか?」と聞いたがその答えもあやふやであった。

もうこいつは駄目だと思い「上のものをつれて謝りに来い」と言い電話を切った。

13:00 前の出来事だが、未だ(19;00)電話の1本もない。

と言う事で、2日続けて 兵庫県 尼崎市 水道局 に嘘をつかれてしまった。

民営化すればいいのに。こんな奴は一発で首だ。

2019-11-17

フェミニズム学問だというのならもっと戦うべきだ。

青識亜論と石川優実との対談というか論戦ショーがあった。

https://togetter.com/li/1431453

それで、ビッグネーム同士の論戦ということで、各界の大物論客が集まるだろうし、会場はフェミオタクプロレスが見れるだろうと期待していた。

しかし、残念ながら、盛り上がりに欠ける展開になってしまった。

理由ネット政治大好きオタクしか来ず、フェミサイドが閑古鳥だったことに由来する。

会場からフェミサイドの大物が名乗りを上げ「お前らオタクは豚だ。ブヒブヒ泣くんじゃねえ」とか、ネット論客オタクが「オタク差別は許さん。表に出ろ」とかそういう期待されたやり取りは全くなかった。

で、ここからが本題。

フェミ論客が、「あんなのに参加するべきではなかった。弱い者いじめだ。青識はクズだ」とtwitterでことが終わった後に全員が言ってる。

オタクばっかりの会場は卑怯だとも。

しかちょっと待ってほしい。

別にオタクけが参加するイベントではなかった。もっといっぱいフェミが参加して、青識を精神リンチすることだって可能だったはずだ。

しかしなぜかフェミは参加しなかった。4000円払えなかったのだろうか?

オタクほとんどで、フェミがほぼいない。これは主催者も、オタクも、フェミも予想外だった。

フェミ論客twitter漫画家の本が、出版されたのはいいが、実際には支持者がそんな買わずに困ってしまったということもあったが、実際にお金を出したり動いたり、意見を言う人はオタクの比ではないほど少ないということが可視化されてしまった。

宇崎ちゃん単行本バカ売れ、献血キャンペーンはめちゃ成功したのに対して、実際に動くフェミはほぼ存在しないということがバレた。

最大の理由は、「フェミニズムが戦う心を忘れて、共感手法に終始し続ける時代が長すぎた」ことだ。

もっと率直にいうならば、「100%肯定のみを求めて泣く女」に終始した「被害者ポジションで語る」ことに慣れすぎたからだ(これはもうフェミニズムではないという批判はまったく正当である)。

まり、面と向かって「あなたの言ってることおかしくないですか?」と言われることを極端に怖がりすぎているのだ。

末端の支持者がそのレベルならまだしも、大学教授や、弁護士などのオピニオンリーダーの姿すらなかった。参加者に至っては「報酬をもらってないから」とまで言う始末である

参加するのは外の世界とつながらない、ネットの論壇や、雑誌炎上記事だけで、他者との議論の場に姿を現さず、愚にも似つかぬ根拠あやふやエッセイを本として売りながら、学会にすら論文をまともに出さないのがいまのフェミニズムの堕落の姿だ。

彼らにできるのは「炎上を仕掛けて放火する」「雑誌炎上記事投稿する」「ネット絵師を凍結させる」「電凸する」程度で、実際に動くことはまずない。


なにより狡猾なのは、フェミニズムのオピニオンリーダーたちは、自分たち共感作法(そうですね、ひどいのは男ですね。あなた被害者かわいそう)という手法によってのみ勢力を拡大してきたことを誰よりもよく知っていることだ。だからこそ、「自分たち論法が、自由議論の場や意見議論を戦わせ、批判する場に出ていく」ことを極端に嫌がる。大学生の「なにを意見として述べてもよい。しか客観性のある根拠はつけろ」という基本中の基本すらできていないことを知っているからだ。だから大学教授ですらが、自由議論の場に出て行って、自説の正しさを主張することすら怠る。負けることを知っているからだ。それよりも「あなた被害者あなた被害者」と繰り返し言うほうが、楽だし、金も稼げるし、何より危険が少ない。

しかし断言するが、それは学問ではない。

もう、学者たちは、はっきり言うべきなのだフェミニズムは保護されている、と。


フェミニズムが学問であり、その正しさを学問看板で主張するというのならば、「あらゆる方法でその正しさが検証される」のは当然であり必然である。そこから逃げるのなら、もう学問ではない。

大学院生ならわかるだろう。あの学問のいやらしさを。論文のあらさがしばかりする腐れ外道魑魅魍魎たちを。学会質問のいやらしさなんて、青眼鏡の比じゃないレベルでぐいぐい突っ込んできますよ。

本当に最低。でもそういうところで戦わずに、「学生相手講義を一コマ男性社会悪口適当根拠で言って、男性社会悪口レポートを書かせて単位をやる」みたいな社会学の講義だけやって終わるような真似をしないでほしい。


石川優実さんが立派なのは、そういう自分の正しさを戦わせることを選んだことだ。彼女理論はともかく、意見の違う他者と戦ったという一点において、紛れもなくフェミニストであり、その一点において肯定されるべきだろう。100%に近い肯定の得られる場所以外はいかないという偽物ではなかった。それだけはこのイベントの収穫であっただろう。

追記 有村悠が凍結された。オタクが凍結させたのかと思ったら左派陣営フェミ側が怒ったかららしい。そういうところだけは仕事が早い。有村悠なんて、フェミ側の人間だろうに。

追記追記 と思ったら急に泣き言を言い出した。なんなんだよ。どっちらけだよ。司会者もセッティングもすべて石川有利に作られてたのかよ。しかも青識から一週間前に質問内容を全て教えてもらって、論点まで司会者と一緒に事前話し合ってたのかよ。そのうえで、「私はモノ化された」と泣き言をいうのがフェミニズムなのかぁ。被害者ポジションはそりゃ楽だろうさ。でもそれはフェミニズムじゃない。

2019-11-15

まだ見ぬ推し作家

 私はあなたに滅茶苦茶にされたい。

 私はあなたの雑じり気のない狂気でズタズタにされたい。

 私の心に一生消えない爪痕を残してほしいし、あなた作品に触れる度に情緒を乱されたい。

 あなた感性に触れたい。

“こんな風にキャラクターを作るといい”

“最低でもこういう風に作品を作れ”

キャラの口調はこういう風に設定するといい”

 近頃一時創作における「創作論」を目にすることが多くなった。“小説家になろう”みたいなサイト一般の人でもうまくいけば出版してもらえることが増えたからだと思う。得れる作品を作ってワンチャンwannabe。俗にいうワナビが増えたんだろう。

 前述のアドバイスは“売れるため”にこうしたらいい、というアドバイスであるらしい。売れたいけど売れていない作家向けの善意アドバイスなんだと思う。

 こんな風に作ったら皆に読んでもらえるよ、皆に愛される作品になるよ。売れるよ。

 本当にそうだったら素晴らしい。

 私自身、作品を作っているから「読んでもらいたい」という気持ちはわかる。作者としてはいろんな人に自分作品に触れてほしいし、愛されたい。作品を愛してほしい。「この話いいよね、刺さるよ」って言われたい。そういうものを作りたい。誰かの心に一生消えない爪痕を残したい。

 だから、“作者としての私”は、“作家としての私”はそのアドバイス積極的否定しようとは思わない。

 おそらく、作品を作る人なら誰だって自分作品に触れてもらいたい」からだ。

 その一方で読者としての私は「他人創作論にすがるくらいなら筆を折ってしまえよ」と思う。

 本当にそうなるか(売れるか、愛されるか)どうかわからない誰かのメソッド安易自分スタンスぶれるなら、筆を折ってしまえよと思う。

 私は作家が好きだ。

 作品を作る人が好きだ。

 自分の内側にある世界を、自分の外側に作り上げる人達が好きだ。

 だからこそ余計に筆を折ってほしい。

 自分ではない第三者の、“当たるかどうかわからない”メソッドスタンスがぶれて唯一無二のあなた世界が歪むくらいなら。だったら今すぐ筆を折って、そのままのあなたで私の永遠になってほしい。あなた世界を他の誰かのあやふやメソッドで薄めて欲しくない。

 これは持論だけれど、作品とは作家もつ狂気実体を得たものではないかと私は考えている。

 絵画などの実際に形をなした作品でも、音楽文章などの実際には形のないものでもそうだと思っている。

 作家の持つ人生観倫理観、何かに対する考察や愛、執着、すべてが入り交じって生み出されたもの。それが狂気であり、作品だと思っている。

 その人が持つ、その人だけの世界。唯一無二で換えがたいもの

 自分の内側にある世界自分の外側に生み出す行為。それに狂気がないなどとは思えない。

 作品を作ることは自分世界とを繋げる行為であって、いわば“呼吸”であって、第三者の目に触れることで作家作家としての自己を得ていく。作家として生きられる。

 作品とは作家のものの“概念”だと思う。作家が今まで経験してきたもの概念レベルにまで落としこんで表現したのが作品だと思う。だから、同じ作家作品には同じ匂いを感じる。共通する世界観がある。作家を感じられる。

 その“作品”を、美しい狂気を、麗しく鋭く研がれた爪を、誰かのメソッド一般化されたくはない。私はそう思ってしまう。

 作家の持つ“感性”という雑じり気のない狂気に私は触れたいし、“作品”という爪でズタズタにされたいから。

 まだ出会えていない作家の、まだ見ぬ推し作家の、本気の“狂気”を理論で塗りつぶされたくない。

 作品から垣間見える人間性人生観作品へのスタンス。そういうものを鋭く尖らせた“表現”という爪を丸く整えてほしくないのだ。

 作品として成立させるためにある程度の“理論”は必要だと思う。読みやす日本語、情景をより伝えやすくするためのレトリック。そういう意味での“理論”を伝えるというなら私は大賛成だ。より多くの作家の“狂気”をより効率的摂取できるから作家の構築した世界をより分かりやすく感じられるようになるから

 でも、作品本質にまで“理論”を出すのはやめてくれと思う。思ってしまった。キャラクターの“キャラ”の口調はこうした方がいい、こういう性格の方が取っつきやすい、世界観を作り上げるなら最低でもこれとこれとこれが必要だ──。

 全部しゃらくせえ。好きなように書いてくれ。好きなように書いて好きなように狂え。あなた狂気で私を満たしてくれ。あなたが考えた世界で私を狂わせてくれ。

 分かりやすキャラクター、分かりやすい話運び、そういうのは読みやすくて分かりやすくなるかもしれないが、結局“一般化”だ。誰が見ても何となくわかって、誰が触れてもまあ大丈夫もの。量産品。いつものやつ。

 でもそこに作家の持つ“色”はあるんだろうか。そこに作家個人の“感性”はあるんだろうか。

 “売れるように”量産されて一般化された作品に何を感じればいい?

 “どこかで見た”何かは誰かの心に爪痕を残せるか?刺せるか?

 前提として“売りたくて作る”作家と“作りたくて作る”作家がいることははっきり認識している。私は後者だ。作りたいから作る。

 でも前述のアドバイス自分に取り入れるのは前者だろう。売れる方法があるなら試さな道理はない。売りたいんだもの。だからそれを積極的否定しようとは思わない。合理的から目的に対する手段が一致しているから。

 でもそれ、“作家”なのかなあ。

 そんなことをずっと考えている。

2019-11-06

anond:20191106125933

明らかな吊りだったらあんまり手は出さないんだけど、もしかして本気で言ってるんだったら、まっさら状態相手自分がどれだけ説明できるのかを試してみたいって思ってしまう。

ちゃん説明するのにちょっと調べないとそこ確かにこっちもあやふやだったな、とかもあるし。

しかたらこっちが間違ってることもあるかもしれないし、そしたら逆に気づきをもらえるじゃん?

まあ僕が同じくらいバカからなのかもしれないけど。

ごめんねゴミを流して。

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