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2019-11-05

エンジョイ勢は対戦ゲームにおいて害悪である

 まずエンジョイ勢とは何か。ゲームを勝ち負けによらず楽しむ者くらいの雑なニュアンスしかされていないが、自分が楽しむためにゲームをやっている者だろうか? 勝っても負けてもゲームを楽しむ。間違っていないはずだ。

 しかしこの解釈では基本的にはゲームをやっている者は皆エンジョイ勢になるはずだ。自分が楽しくないのにゲームをするはずがない。もしかしたら特殊事情があってやりたくもないゲームをしてる奴もいるのかもしれないが置いておく。

 対戦ゲームでよく聞くエンジョイ勢ガチ勢確執というのはこれでは表せない。しかしここでガチ勢と表される人もエンジョイ勢と呼ばれる人も自分が楽しむためにやっていることは間違いない。では何が違うのか。私はそれを目的だと考える。

 ガチ勢は『勝つこと』が目的である。勝つことがそのゲームにおいて自分楽しいことであってゲームをすること自体楽しいわけではない。だから勝つためには面白みがないような戦法や、強キャラなどを好んで使う。それが勝利の最短ルートから

 この対立でのエンジョイ勢目的は何か。『自分が楽しくなること』である。それだけだと何も悪くないように感じる。しかしここでいうエンジョイ勢ガチ勢ではない中立勢力目的を明らかにすると見方が変わる。彼らの目的は『ゲームを楽しむこと』だ。

 『ゲームを楽しむ』ということはそのゲームルールに従って遊ぶということと同義であるルールを守ってもつまらないゲームゲーム側が悪いので置いておく。ルールといっても複雑じゃない。格闘ゲームだったら敵のHPゼロしろだとか、FPSだったら敵を倒せだとか。それだけである。その他は自由だ。一人用ゲームなら目的は様々だろうが、ことPvEPvPに関しては敵に負けろ! とルールに書かれてることはない。なので基本的には勝つためにプレイすることになる。そこで知識量の差や腕前などが出てくることになり、勝敗がつく。しかし彼らは敵を倒せだとか拠点防衛しろだとか、そのゲームの根幹を為すシンプルルールに従い、結果的に勝ちを目指すことになる。それがゲームを楽しむということだからだ。試行錯誤によって人によってはわざと負けているように見えることもあるかもしれない。しかし本人がゲームルールに従って勝つためにプレイしているのならば問題ないはずだ。

 話を戻す。エンジョイ勢目的である自分が楽しくなること』はゲーム勝敗関係ない。一人でやっているゲームならば何の問題もない。そこには一人しか人間がいないからだ。しかし対人ゲームは違う。特にチームゲームならば味方に迷惑がかかる。なぜなら目的が一致していないためだ。ガチ勢中立層はゲームに勝つためにプレイするという点に置いて一致している。それが目的なのか結果なのかは違うものの、同じゲームにおいて勝利を目指すという点では変わりない。しかエンジョイ勢は違う。彼らは『楽しくなること』を最優先にしているのでゲームルールに囚われない。自分気持ちよくなるようにプレイしつづける。気持ちよくなることが勝敗に関与していた時、それが勝つために繋がるならば問題にはならないが、負けに繋がるような行為だった場合非難を喰らうことになる。他にはチート行為などが代表例だろう。気持ちよくなるためにルールをぶっ壊してニタニタ笑う。そんな行為が周りからどう思われるかは火を見るより明らかだが、しかしそんなとき彼らは言う。

たかゲームじゃんw」

「楽しむためにゲームしてんだから間違ってないだろw」

「対戦相手は勝てて嬉しいし何が問題なんだよ」

 例えるなら皆でサッカーをしている時に一人だけキックベースルールで遊んでいるようなものだ。基本的にはボールを蹴っているが突然ボールを手で持ち敵チームに投げ放つ。ポジション無視して走り回る。味方だったら最悪だし、敵だった場合も勝った気がしない。まさに害悪と呼べる。 

 対戦ゲームとは対戦が楽しいという前提があって成り立つものだ。相手が一人で遊んでいたら対戦は成り立たない。ゲーム体験自体が成り立たないので楽しさなどどこかに消えて行ってしまう。自分もそのエンジョイ勢ルールで遊べれば楽しめはする。しかサッカーをしに来ているのに突然キックベースに変わり、それを楽しめる人は少ない。その試合を、引いてはそのゲームの対人戦自体価値貶めることにも繋がる。

 もう一度言う。エンジョイ勢は対戦ゲームにおいて害悪である




 追記 

 昼前にこの記事エンジョイ勢批判をしたのだが、明確にタイトルをあげなかったこととガチ勢エンジョイ勢対立と書いたのはよくなかったと思う。例としてタイトルleague of legendcsgo代表されるようなチーム戦を想定する。そして実際のところ、本当に対立しているのはエンジョイ勢と真ん中のゲームを楽しんでいる層で、それはガチ勢と呼ばれる側も同じ構図であり、こちらは試行錯誤に対しての強制などにあるがそれはともかく。

 この対立ではエンジョイ勢ゲームを楽しんでいる層をガチ勢に仕立て上げる。

ゲームに何マジになってるの?w」

「人に強制すんなよ」

 など。挙げれば枚挙に暇がないが、こうした発言によりガチ勢エンジョイ勢対立という風に変えようとする。しかし本当に対立しているのはゲームを楽しんでいる層なのだ。そしてうやむやにされてしまう。

 この問題の悪いところは逃げ道が無数にあることだと思われる。例えばだが今までまじめにゲームをやっていた人間が、相手うまいプレイをされて死ぬ。差ができてしまい、もう逆転できないと思って敵に殺されに行くようなプレイをし、次の試合に行こうとする。彼はエンジョイ勢に変化してしまった。なぜなら自分気持ちよさを優先しているためだ。しかし本人にやめろと言っても俺はまじめにやっていると言われるとよっぽどプレイおかしくない限り、追及が難しい。人の心を覗き見ることはできないからだ。

 例以外にもゲームをやっていればわざと負けるためにやっているんじゃないかと思えるプレイヤーに必ず出くわす。これはレート帯に関係なく起こる話であり、そして彼らがエンジョイ勢かを完璧判別する方法がないということがこれを難しく、あやふやにしている

2019-11-04

anond:20191104200548

「売り上げ」はわかりやす指標だが、それよりもやっかいなのが「人気」というあやふや指標だ。例えばアンケートなどにより萌えによって人気が得られるという風潮があった。

2019-11-02

anond:20191102145214

フェミニストを「良いフェミニストと悪いフェミニスト」に切り分けようとする動きには反対してるのに、萌え絵定義あやふやガバガバのまま通そうとしてくるから困る

なんなんだあの人たちは

2019-10-29

https://anond.hatelabo.jp/20191029132908 の続き

まり

エロさの基準は人それぞれなので、議論して線引すればいいのではないだろうか。4ページ使った割には1行で済んでしまった。

ポスター批判派は今後どうすればいいのか

問題がある表現を指摘する場合は、より具体的な問題点を定量的あるいは定性的に指摘すると良いだろう。あやふやな指摘に終始すると、対抗陣営はもちろんのこと、中立派からの目にもイチャモンを付けているだけに見えがちである。説得材料を強化するにはより丁寧な指摘が必要であるといえる。実際のところ、「総合的に勘案して性的であるかどうか判断する」という理屈は分かるのであるが、その基準曖昧になりがちである乳袋のような明白な表現であればある程度の基準が作りやすいが、表情だったり、姿勢だったりと言ったものに対しては基準化が難しいのも理解できる。なんとか頑張ってほしい。

ポスター擁護派は今後どうすればいいのか

お気持ちですよね」一点突破作戦としては脆い可能性に留意されたし。仮に「お気持ち」が理由だとしても、多数派お気持ちが一致するのであれば、自主規制ルールは発生しうる。人の気持をバカにしてはいけない。

さらに、「批判派は明確な基準を示せ」という意見も、筋が悪いと考える。擁護派はベースラインを「表現自由(=すべて自由)」に置いた上で、対抗陣営には、ラインを引き直すのならば説明責任を果たせ、と迫りがちであるしかし、実際ところ、表現者(今回の件で言えば赤十字)にとっては、自主規制こそが全てであり、表現自由関係がない。そのため、ベースラインは両陣営の真ん中から始まると言ってもよく、赤十字にとっては、基準を示さなければいけないのは、批判派も擁護派も同じであるポスター擁護派は、表現者や中立陣営に対して「この表現(今回の例では乳袋)は広く認められた一般的表現である」ということ示し、社会通念上の合意を得る必要がある。乳袋性的に見なさない、あるいは性的であっても過度に性的ではない、という世界を作るのはポスター擁護派の責任である

究極的には乳袋ネイティブ世代が増えるように頑張るのが良いのかもしれない。オタクコンテンツを増やせばなんとかなる?

お互いリソースは有限なので、敬意を持って良い世界を作れるようにしたいですね。

追記https://anond.hatelabo.jp/20191031141650 補記

https://anond.hatelabo.jp/20191029132449 の続き

アファーマティブ・アクションとその後の世界

ところで、議論を混乱させるもう一つの問題として、アファーマティブ・アクションの話と、男女同権が達成されたその後の世界の話を混ぜて話している人がいるように見受けられる。たとえば、「必然性なく女性のみをアイキャッチ的に使うべからず」というのは、過渡期における一種アファーマティブ・アクションとしては、一定妥当性を持つと考える。一方で、真に差別解決した世界では、そのような配慮は逆に不要になるかもしれない。たとえば、「必然性なくA型の人のみをアイキャッチ的に使うべからず」というガイドラインは、馬鹿げている。そもそも血液型など誰も気にしていないからだ。性別問題も、真に男女差別がなくなった世界では、最終的にはそこに行き着くのかもしれない。類似の例として、アメリカなどでは、商品パッケージ人物複数掲載する場合人種の割り振りに対して神経質になるところがある。これは、特定人種のみをアイキャッチに使う場合人種差別助長しているとみなされる可能性があるからだ。現在ガイドラインとして策定されているこのようなルールが、既存の不平等是正するための措置であるという事実無視して議論を展開することは、好ましい姿勢とは言えない。また、このようなガイドラインを「女性アイキャッチに使うべからず」と極端な方向に誤読したり、「男性アイキャッチ的に使用するのはいいのか」と、誤読を元にしたミラーリングを行うことは避けなければならない。

このようなアファーマティブ・アクションそれ自体不公平あるいは不正義であり、そもそも認めない、という姿勢はあり得るかもしれない。また、単純に過度な配慮不要であるという意見もあり得る。例えば、過去に発生したNHKにおけるキズナアイ騒動人工知能学会誌の議論では、性的役割の固定に対する議論が行われたが、性的役割是正を求める批判派(アファーマティブ・アクション派といえるだろう)、とそこまでの配慮必要ない、あるいは(その後の世界では)むしろそのような配慮こそが差別である、とする擁護派の間で、意見対立が見られた。個人的には、この2つの個別の事例に対しては、過度の配慮であると考えている。一方で、批判派の言いたいことも理解できるので、批判自体には問題がないと考えているし、耳を傾けるべき指摘であろう。なお、特にキズナアイ騒動については異なる論点もあったようだが、その点についてはここでは議論しない。

件のポスター性的、あるいは過度に性的なのかどうか

議論の多くは、おそらく件のポスター性的、あるいは過度に性的かどうかに帰着するように思われる。そして、この点について、両陣営合意は、ほぼ得られていない。

擁護派の多くは、件のポスター性的ではない、あるいは性的な要素はあるとしても、問題になるほどには過度に性的ではないと考えている。一方で、批判派の多くは、乳袋や表情を理由として、ポスターは過度に性的であると見なしている。ポスターが過度に性的であると認められた場合女性差別につながる表現であり、セクハラにもなるかもしれない。一方で、そもそも性的でないのであれば、セクハラにも女性差別にもならないだろう。

巨乳はいけないのか。ポスター批判派は巨乳自体攻撃しているのではないか

巨乳それ自体がいけないわけがない。また、ごく一部の過激派を除いて、大多数のポスター批判派も巨乳自体への攻撃はしていないように見受けられる。この点を議論するのはあまり意味がないし、ごく一部の過激派意見のみを根拠に、相手陣営全体に対して「差別主義者」といったラベル付けを行うのは、誠実な姿勢とは言えないだろう。

擁護派はオタク表現に親しみすぎて、性的表現無自覚になっているのではないか

これは全員にとって非常にクリティカルな指摘である。正直なところ、私自身も自分認識社会の平均と合致しているかどうかの自信がない。ポスター擁護派のうち、オタクを自認する人たちの意見が気になるところである

例えば、「ビキニアーマー」は恐らく今となっては性的表現のように思われる。肌に密着した黒タイツはどうだろうか。乳袋も本当にセーフなのだろうか。境界線自分の中でもあやふやである。セーフな気もするし、性的な気もする。あるいら性的な要素はあると認めたとしても、過度に性的かどうかと言われると、過度ではなさそうか。みなさんはどうだろうか。

今後社会は(緩くなっていく|厳しくなっていく)

何を性的と見なすか、あるいは、何を過度に性的と見なすか、は個人どころか社会においてもあやふやであり、時代の変化にしたがって変化してく。

ポスター批判派は、(仮に今現在は認められていたとしても)今後このような表現社会的に許されなくなり、状況は是正されていくべきだと考えている。これは、過去には普通に存在していた、水着女性が(無意味に)アイキャッチとして使われていたビールポスターが、近年ではほぼ絶滅した経緯と相似形である

一方で、私は別の未来想像している。それは、このような表現が、むしろ緩く認められる社会になるのではないかということだ。近年すでに指摘されている通り、「オタク自体一般化しているらしい。それに伴って、乳袋のような表現に過度の性的な要素を見出す層が減っていく可能性がある。言うなれば乳袋ネイティブ世代誕生である。こうなった場合乳袋は広く認められた表現になる可能性がある。

ナミとセーラームーンが許されるのはおかしいのではないか

宇崎ちゃん性的であるが、ワンピースのナミやセーラームーン性的でない、という意見が見受けられる。これはポスター批判からも出ている意見で、ナミは性的ではないという意見が見受けられた。

ポスター擁護派は、ナミも宇崎ちゃんもどちらもが乳袋表現として用いていることから、仮に宇崎ちゃん性的なのであれば、ナミも同じく性的であり、ナミを公共の場で用いることは認めら得るべきではないと考えている。同じくして、ナミを認めるのであれば、宇崎ちゃんも認められないと一貫性が失われると指摘する。

ここで興味深いのが、ポスター批判派の中でも、この点については意見が別れているということだ。これは、ポスター批判派が用いている「性的表現無自覚になっている」人々というのが、ポスター批判派の中にも存在するという事を意味しているように思われる。ワンピースは非常に歴史がある作品であり、オタクだけでなく、社会的にある程度の知名度を持って受け入れられている。好きな漫画といえばワンピースという人も多い。そのため、本来は過度に性的表現を持ち合わせているはずのナミも、ワンピースという作品と共に社会に受け入れられてしまっている。ポスターに対して批判であるが、ナミについては認められるという人は、乳袋ネイティブ世代に染まりつつあるといえる。私自身は、もし宇崎ちゃんポスターが「乳袋女性性的に消費する表現である」として認められないのであれば、たとえナミであろうと、乳袋は許されないという姿勢を維持するべきであると考えている。ここで一貫性が崩れてしまうと、「(過度に)性的表現」の定義が非常に困難になってしまうため、合意が得られにくい。「ナミは(見慣れているから|みんな好きだから|明るいから|強い女性から)セーフ」という話になってしまった場合個人の「お気持ち」と揶揄されるのは避けられないだろう。

セーラームーンについてはどうだろうか。すでに指摘されている通り、セーラームーンも公開当初はブルセラを想起させるであるとか、露出が多いであるとか、性的表現についての批判女性からもあったようだ。現在では市民権を獲得しているため、このような批判が行われることはまず見かけないが、たしかに絵面だけ見た場合、肌の露出は大きい。セーラームーン使用した表現が公の場で許されるとしたら、なにが理由だろうか。

ポスター批判からは、男性からの人気を得るために胸が強調された(宇崎ちゃん|ナミ)に対して、女性が良いと思う服装女性に着せただけのセーラームーンは、性的消費には当たらないという説が挙げられている。これは、一理あるように思われる。セーラームーンは単に綺麗だったりかわいい格好をしているだけで、それを性的と見なすのは、見る方に問題がある、という考え方になる。韋駄天の例では、靴下を脱いだだけなのに、勝手にそれを性的と見なす男性陣によって問題が発生していたが、セーラームーンも同型だと言えるだろう。人には好きな格好をする権利があるのだから女性がどのような格好をしても、他人にどうこう言われるのは好ましくない、というのは理解できる。

本人の気持ちと背景情報

ここで、本人が望む格好は、どこまでなら許容されるべきであろうか、という議論がある。仮に、ある女性自分にとっては裸がもっと自然であると考えた場合、その女性を公の場に掲示されるポスター使用することは妥当であろうか。そして、その裸のポスターを過度に性的であると誰かが見なす場合、それは見る側の問題であろうか。これは、冗談ではなくて、例えばヌーディストビーチ議論においては、既に似たような議論が起こっている。現在日本において、恐らく多くの人は、裸の女性写真を公の場に掲示することは、本人の意志はどうであれ、過度に性的であると見なすであろう。裸は極端としても、例えば胸の谷間が強調された服装はどうだろうか。このような服装自発的に好む女性存在するが、公共の場ポスター使用することは適当であろうか。もし、そのような服装適当でないと考える場合、あるポスター評価する上で、本人の意思は、具体的な表現に劣後すると言えるのではないだろうか。つまり、本人が望んでいようとも、性的もの性的であると見なされるということである

ところで、海外の識者に宇崎ちゃんポスターを見せたところ、ネガティブな反応があった、という情報がある。ここで、気になるのが、同じ人物にナミやセーラームーンポスターを見せた場合、どのような反応があるか、である。宇崎ちゃんに対して否定的な反応がある場合、ナミやセーラームーンに対しても、これらの作品を知らない人からは同様の反応が帰ってくる可能性が、それなりに高いのではないだろうか。セーラームーンも、背景情報がなければ、過度に肌の露出が多い若い女性をアイキャッチに使っているだけのポスターに見える可能性がある。漫画アニメに馴染みのない人たちにとっては、ナミも宇崎ちゃんセーラームーンどんぐりの背比べに映るのではないだろうか。そのような人にとって、セーラームーンを許容するあなたは「性的表現無自覚であると見なされるかもしれない。

こういった観点を踏まえた場合、本人の気持ちや、背景情報といったものは、表現性的であるかどうかを判断する上では、必ずしも重要な要素ではない、と考えることは可能である。「勝手性的に見ている」という見方もできるが、多かれ少なかれ、だれもが自分の中の基準をもとに、ある表現性的かどうかを判断している。そのため、「勝手性的に見ている」こと自体を悪とする言説は、筋が悪いであろう。これは何も男女間にだけ発生するわけではなくて、世代間や宗教間にも発生する。そうであるならば、性的表現基準を考える上では、本人の意志や背景の文脈考慮するよりも、物理的な要素(肌の露出度など)を用いるのが妥当である、という見方もできる。

長すぎて自分もびっくりしたわ。まだ続くよ。

https://anond.hatelabo.jp/20191029132908

2019-10-27

anond:20191027211447

レイプ願望がある人間だって生きる権利はあるんだ。

その権利あやふやにしてしまったら、なんでレイプしたらダメやねんっていう所に行きつくかもしれんでしょ。

2019-10-23

映画感想

映画感想ネットで見て回ったとき?と思うことが多い

筆者がちゃん作品を見ているのは分かるんだけど何か俺の感じたものと違う…ということが多くて今まで不思議だった

最近わかったけど多くの人は「こうだ!」という結論めいたものを求めてる気がする。

例えば明日ジョーラストシーンで「ジョーは死んだかもしれないし生きているかもしれない」と俺は余韻に浸るのが好きだけど

「いや!あの階級であれだけのパンチを受けて無事なわけがない!最低でも脳に障害が残っている!」みたいな話にしてしまう人が多い

演出あやふやであればそのままを楽しむほうが作品の奥行きを感じられて良いのでは?と俺は思うんだけど

2019-10-19

性的」の定義重要だよ

ポスター問題だが、毎回思うのは言葉定義曖昧さだ。

今回も端から公的空間」だとか「性的消費」だとか決め付けている人がいるが、ちょっと待って欲しい。

曖昧言葉を、それぞれが自分の思うままに使い、

それを理解していない相手のことを思考停止フェミオタクお気持ちだとレッテルを貼るので、

問題さらにわかり辛くなっている。

不幸である

指定公共機関」でもある「民間企業」の赤十字社で使われたポスターが「性的」で

ゾーニング」的に問題なのかどうか、実は微妙なのだ

今回の件で問題点になる単語は、

性的」「公共空間」「ゾーニング」あたりだろうか。

性的」について

まず、日本では性的だとされている「女性乳首だって世界各国地域ごとに考えが違うのだ。

異性愛者や同性愛者、無性愛者や動物性愛者(冗談じゃないよ)も存在し、

それぞれに趣味嗜好や価値観もちがうなかで、実は「性的基準」を設けるということが難しいのはわかると思う。

さらにその中で、ポスターなどの表現された「結果だけ」を問題視する人もいれば

「作者のまなざし」という出発点から考える人もいるのだ。

このように、「一般に見せても許される性的範囲」と「許されない性的範囲」が人によってかなり違う、という前提の確認必要だ。

そんなもの議論余地はない、という態度の人は多様性理解する気がないのだから

そもそも話に加わるべきではない。

公共空間」について

これも「官製」なのか「一般に開放された空間」なのかでも意味が変わるので難しい。

企業や店内などは私的空間としながらも、

公共サービスが利用できれば公共空間、と定義する人もいる。

みんな日本赤十字社公共扱いしているが、実際はどうか。

社の説明では日本赤十字社は「民間企業であるが、

さらに「指定公共機関」でもあるとしている。

指定公共機関」とは何か。

災害対策基本法により規定されるカテゴリで、災害時に官民が一体となった取組の強化を図るためのカテゴリ」らしい。

銀行や電力や電波などのインフラ系や、

イオンコンビニなども指定されている。

この前までエッチ漫画を売っていた「あのコンビニ」も含まれているのだ。

イオン内にだって書店はあるし、当然「宇崎ちゃん」も売っているだろうし、なんならポスターも貼ってあるかもしれない。

献血された血液公的医療事業に使われるものではあるが、

献血ルームはお菓子食品提供していたり、カフェ風だったり、漫画を置いていたり、内装形態もかなり自由だ。

清潔感重要だろうが、アットホームであること、気軽に利用できる気安さを重視する利用者もいる。

結構議論余地があることがわかると思う。

ゾーニング」について

狭義では、「青少年保護育成条例」(条例なので、都道府県ごとに呼び名も内容も違う)に基づく区分陳列をさす。

エロ話題になるとすぐ「暖簾の向こうに置け」などという人がいるが、

実はなにを置くかは自治体によって決められています

もちろん、自治体によっては区分方法が違うので、暖簾の向こうに置かなくてもいい県もある。

広義では、まあ「棚を分ける」とか「売り場を離す」とかそういうことか。

今回の場合は当然後者の話だが、なかには前者の前提でポスター撤去しろと主張する人もいて驚いた。

ポスターをどのように「ゾーニングするか」は難しい話である

今回の件はだめだけど、「コミケでの配布ポスターとしてならあり」「秋葉原池袋献血ルームで貼るならあり」という人もいた。

こういった切り分けをして一々考える必要があるのだ。

まとめ

以上のように、ネット議論では「当然共通認識があると思っていた言葉」が、

実はそうじゃないことも多いのである

そういう時は要素を分け、ひとつひとつ自分スタンス確認してみるのが確実だ。

さらに「これがいい/だめなら他の表現はどうなるか」という他の具体例まで考えを広げてみれば、また新たな発見があるかもしれない。

最後に、ポスター不快感を持つ人のことは否定しないが、

大事言葉定義あやふやにして煽るだけ煽った人間は、毎度の事ながら軽蔑する。

デマ拡散と同じであり、唾棄すべき人種だ。

anond:20191016150214

anond:20191018190306

anond:20191018131310

2019-10-07

anond:20191007103826

嘘乙。「ジョーカーは盛山直太郎」って前提を知らないと映画事実関係あやふやになるからモヤっとして楽しめないぞ。

2019-10-02

anond:20191002231038

キャラクターバックグラウンドが明確なのに展開が面白くなくて駄作になった漫画

逆に設定あやふやなのに爆裂に面白漫画

山ほどあるぞ

anond:20191002220033

えっ?そんな現象起きてないけど?

誰の記憶にも新しいつい最近出来事リアルタイム歴史修正かましてくるこの所業名前を言ってはならぬ某与党支持者って感じで本当加齢臭がすごい。捏造してるというか老骨だから記憶あやふやになってるんじゃないかって可能性も捨てきれない。どっちにしろすごい。

胃カメラ日記

人生で初めて胃カメラ検査をした

これは自分備忘録であり、これから検査を受ける人、怖い思いをしたくない人には向かない内容になります

あとすごく長い

結果を言うと、特に異常はなかったけど、検査はすごく辛くて痛かった

でもこの痛みもすぐ忘れてしまうと思うと惜しいので、詳細を自分のために書いておくことにする(マゾなのでは?

現在二十代の女だけど、二十五を超えたあたりから胃腸がめきめきと弱っていくのを感じはじめた

半年に一回くらい前触れなく下血するし、便に黒いものが混じっているときがままある

最初はびっくりして、膀胱炎かとかかりつけの泌尿器科に行ったけど特に問題はなく、長引くことはなかったのでまあストレスかなとあまり気にも留めていなかった


ある日なんでも話せる親友との旅行中に下血があった

8月頭のことで、寝不足だったし一日中炎天下を歩いてたのでその疲れだと思った

「でも痛くはないんだよね~なんでだろ?」と話をしたら、腸って何かあっても痛みに鈍いらしいよ、と言われ、腸しっかり自己主張してくれと思った

人間って痛みがないとあんまり危機感を抱かない


病院に行こうと思ったけど、仕事が忙しい時期でなかなか行けなかった

その後すぐに治り一か月くらい特に何もなかったが、また黒いものが混じりはじめた

見慣れているので普段は気にしてなかったけど、なんとなくネットで調べたら内臓出血していると黒くなる、と見て、だんだん焦り始めた

もしかして大腸がんなのでは?と一度頭をよぎるとどんどん不安が増して、ますます胃腸が痛むのを感じた

その週の土曜に一度言ったことがある消化器内科個人院に向かうことにした

軽い気持ちで行ったら、「症状聞く限り腸より胃だろう。胃カメラやりましょう。採血して、帰りに予約取ってね」


急か?

でも不安だったので、すぐに予約して二週間後に検査することになった

検査は鼻からと喉からの二種類があり、鼻からの方が辛くないと言うことで鼻からにした

そのとき医者から、鼻が狭いと入らず、喉からになる可能性もある、と言われた

自分は鼻が低く、小さいので嫌な予感がした

流れとしては歯医者で使うような麻酔を鼻に塗って、鎮静剤を打ち、鼻からカメラを挿入するとのことだった


検査までの間、もらった四種類もの薬(こんなにいるんか?とびびった)をまあまあ飲み忘れたりしながらも飲んでいるうちに胃腸の具合も回復してきた

毎日お腹を壊し気味だったけど、正常に戻っている気がする

これ検査しなくてもよくない?と逃げたくなったけど、せっかく有給取ったしこれで何かあって後で後悔したくないので、ポジティブに考えることにした

全くどうでもいいけど、私は同人女で、未知の経験をするとこれを創作に生かすか~とよく考える

鎮静剤を打つと聞いた時、正直わくわくした

いまの推し研究者で、二次創作だとよく鎮静剤を検体に打っている

これで推しに打たれる検体の気分を味わえるじゃん、とそこはポジティブに考えた

私の周りのオタクもこんな感じだけど、推しを思えて前向きになれる分オタクでよかったな~と思った

検査前日の夜九時から絶食して、飲み物も色付きのものは飲まないでと言われていた

ポカリはOKとあったので喉が渇いたらアクエリを飲んだ

鎮静剤を使う場合は車の運転ができないので、有休をとり、家族に送迎してもらい病院に向かう

前室で胃の泡を消す水を飲んだ

まずくはないけど変な味がした


その後、鼻から目薬のようなもの差し

出血しないように収縮剤?鼻の通りをよくするものだったかな?忘れた

プールの水が鼻に直で流れたような感じ

これが結構ウッとなった 喉に残るし

前室ではたぶん大腸検査をする人たちが点滴のパック並みにでかい下剤を黙々と飲んでいて、これも大変そうだなと思った

しばらくして処置室に呼ばれた

緊張しいなので心臓がばくばくした

ストレッチャーに横になって、まず鼻にカメラが通るか管を挿された

看護師さんがうーんと唸って、拡張しましょう、と鼻に何か差された

少しして、また更に太い拡張機みたいなのを差す

左向きに横になって、腕に鎮痛剤を流す針が刺された


その後また様子を見に来た看護師さんと先生

「ごめんなさい、口からしましょう」

は~~なんとなく嫌な予感がしてた……


自分の鼻の穴が小さいのが問題なので、お願いしますと口からに変えてもらった

このあたりちょっとあやふやだけど、いよいよ鎮静剤が打たれた

うとうとしたり眠ったりする、と予め調べていたけど、まあ確かにぼんやりとした感じ

目の前が一瞬黒くぼやぼやしたあとは、眠気とかも感じることな普通

でもずっと心臓がそわそわしてたのが落ち着いたような感じはした


唾液を飲み込むと苦しくなるので、口の端から流しっぱなしにしてくださいと言われた

から入れられた収縮剤で喉に違和感あってよく唾をのんでいたので、できるのが不安になった

たぶん喉に麻酔スプレーをされて、管を通された

怖いのでずっと目を閉じていた


これがめちゃくちゃ痛かった

喉の奥がとにかく痛い

喉の奥までなにかが入ってくる感じがする

ぼろぼろ涙がこぼれた

体が勝手に吐き出そうとびくびくする


看護師さんたちが優しく声をかけてくれてた

五分くらい、喉のあたりで何か動いている感触けがした

終わりです、と言われて、それにはちょっと驚いた

あんまり胃の方に違和感はなかったので


そのまま鎮静剤が切れるまで三十分くらい安静にしていた

看護師さんが来て起き上がろうとしたけど、まだ足元がふらついていたのでまた十五分安静にする

眠くはないのでとにかく退屈だった

本か携帯がほし~となった

途中で運ばれてきた、たぶん大腸検査をした男の人は、下半身麻酔?しているとかで、二時間くらい安静にしていてくださいと言われていたのが聞こえた

携帯でお迎えの人に伝えて大丈夫ですよ、と渡されていて、私もほしいが?となった

また看護師さんがきて、正直まだ頭はぼんやりしてたけど待合室で順番を待った

かい緑茶ヨックモックお菓子を出してくれて、最高……と感動した

ヨックモックお菓子大好き


モリモリ食べた後、検査結果を聞いた

ちゃんと胃の写真があって、あれで奥まで撮れてるんだ、とびっくりした


自分の胃の画像グロかったけど、綺麗じゃ?と思ってたら、先生にも綺麗ですね、と言われた

出血は得にないけど、逆流性食道炎の後がある、と白いあとを示された

仕事はい特にストレスはなく、ただ原稿の締め切りまえなどには脱稿できるか不安でよく胃が荒れる

それだろうな、同人やってる限り逃れられない宿命だな、と改めて思った

特に問題はなさそうなので、また何かあったら来てください、と言われ、迎えに来てくれた家族の車で帰った

この生まれて初めての経験をどこかに書こうと思ってここを開いたけど、書いているうちに本当にどうでもよすぎて途中で消そうかと思った

でもせっかく書いたので……

胃カメラはだくだく泣くほど辛かった

鼻なら辛くないのかな……どうなんだろう

もう口からは二度とやりたくないので、鼻の穴を広げたり、早割入稿余裕なスケジュールを組もうと思った

終わり

2019-09-26

HELLO WORLDまらなかったんだけど

どうしてつまらなかったのか言語化できなくてもやもやしている

設定詰め込みまくりは良いんだよ、映画の短い時間でも充分すぎるくらい説明あったし

青春部分は一行さんがどうして直美を好きになったのかという理由けが粗くて感情移入しにくかったけど、つまらなさの本質ではない


しかしたらナオミが救われることが我慢ならないのかもしれない

背中を焼き右足を潰すといった身体的な罰と、最愛の人に拒絶されるという精神的な罰は受けたのだろうが、それで神の視点から人格を弄んだ罪が贖われていいんだろうか?

直美はナオミを一発ぶん殴ってスッキリしたみたいだが、それでいいのか?

結局狐面がわらわら出てきた時点で構造的には許されてしまったが、それこそ殺人より酷いことをやってしまっている気がする

あ、エピローグ意味がわかってない。ナオミは雷に撃たれて脳死になったわけではないよな?

大切な人を救おうとする過程でなんか脳死なっちゃったんだよな?そのあたりがわからない…


まあ目を開けたら赤髪女性が居たほうが俺の好みだったか

あと演出と設定はめちゃくちゃ好きな感じだった

メチャクチャな色を使って時空間すらもあやふや世界のはざまを描いたシーンとか、宇宙の中に新しい宇宙を作るというそれこそSFみたいなシーンとか

いろいろな作品リスペクトしてたのはちょっと安っぽかったけど

全体として上手くまとまっていたとは思うんだが、やっぱりめでたしめでたしで終わ…ったのか?みたいなもやもや感を感じさせる作品だった

2019-09-24

anond:20190924114651

はい

──ドラマ制作から「こういう曲調で」みたいな要望はありました?

かいものはいくつかあったんですけれど、一番印象的だったのが「傷付いた人を優しく包み込むようなものにしてほしい」というオーダーで。最初はそこに忠実に作り始めたんですけど、結局できあがったものは決してそういうものにはならなかったんです。結果的に「あなたが死んで悲しいです」とずっと言ってるだけの曲になった。そうなるまでにはいろいろあったんですけど、1つ大きかったのは、曲を作っている最中自分のじいちゃんが死んだことで。

──そうなんですね。

自分は死にまつわるようなことをずっと歌ってきた人間から、それを音楽にするというのは言ってみればなじみの深いものだったんです。だから「やろうと思えばできるかな」って感じのテンションで作っている最中に、自分のじいちゃんが死んだ。肉親の死という確固たる事実が塊として自分の目の前に現れたときに、「果たして自分人間の死というものを見つめることができていたのだろうか」って考えてしまって。ひょっとしたらあやふや状態のままだったのかもしれない、と。

──最初はある種の観念的なものとして死に向き合っていたわけですね。それがいきなり自分自身のことになった。

そうですね。最初ドラマ自分中間にあるもの、そこにある一番美しいものを目指して作り始めたんです。でも、そうやって自分の目の前に死が現れたとき果たしてそれは一体どういうことなんだろうって思って。今までの自分の中での死の捉え方がゼロになった。それゆえに、また1から構築していかなければならなくなった。気が付いたらものすごく個人的な曲になったような気がします。

https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi12

2019-09-19

人類総鬼邪高時代が来た

10/4公開HiGH&LOW THE WORST(以降ザワ)のネタバレを含みます

※言いたいことが1つなので割と短いです

昨日ザワを見た。

ストーリーもうまかったし画の作り方も天才的、アクションも超進化していて素晴らしい映画でしたね。なんだあの攻城戦

今回の映画は色んな登場人物が色んなカッコいいセリフをキメていてすごくよかったのですが、個人的ベストは誠司のセリフです。

鬼邪高の楓士雄(主人公格の一人です)の幼馴染の誠司は、進学校在学で成績優秀も優秀。そんな彼が先生から「お前も鬼邪高生みたいなクズとつるむのはやめろ」と言われてキレるシーンが非常に良かった(突然優等生がキレだすとめちゃくちゃ面白いというのもありますが)。

かいところはあやふやですが、「スーパーに並ぶキュウリは、人の手で真っ直ぐにされているから綺麗に見える。でもアイツらはそれを拒んでいる、だから自然に元気に曲がっているだけだ!」という旨の発言をするんですね。映画冒頭で幼馴染みんなで曲がったキュウリをおいしいおいしいと食べるシーンがあり、なるほど上手な伏線だなあと見ていたわけですよ。問題はその後です(※例のごとく記憶あやふやなのでニュアンスを感じてください)。

「……安心してください先生、俺は誰よりも真っ直ぐなキュウリになって、スーパーで誰よりも高く売れてやります

この思想……鬼邪高だ!!

分かりましたか? 「拳一つで成り上がる」鬼邪高の思想のものなんですよ。理論拡張が起こっている。能力拡大解釈大好き。

ザムのラストヤマト母も言っていた通り、人それぞれ色んな場所で戦って生きています。鬼邪高はストレート喧嘩だし、受験戦争であれば知能による戦いだし。

誠司のセリフはまさしくそ覚悟、その思想を言っているわけですよ。自分の「拳」でそれぞれの「テッペン」を目指しているみんな、俺たち私たちはみんな鬼邪高生なんだよ!!! 人類総鬼邪高時代来た!!!

今回の映画は鬼邪高や鳳仙といった不良連中だけを肯定する映画ではない、あるいは勉強に励む連中を馬鹿にする映画でもない、男も女も関係ない、それぞれの世界で「戦う」みんなを強く強く応援する映画でした。ありがとうハイロー! ありがとうクローズありがとう鬼邪高!

2019-09-15

進撃の巨人一気読みしたんだけど、毎月1話で連載追っても意味不明だろコレ

伏線回収に時間かかりすぎだろ。

前の伏線張られた時に、そもそもどのキャラがどういうキャラだったのかとか3年もしたらうろ覚えになるでしょ。

これがせめて週刊連載だったらまだしも、月に一度だったら先月の記憶すらあやふやになってそう。

この漫画自体最初からある程度一気読みする前提で作られてるでしょ。

大雑把に言って、アイツが実はアイツだって判明してそれからアソコにいってアレをした結果アレがソレだったと判明してストーリーが大きく動き出す辺りまでは一気読みじゃなきゃ。

アニメで言ったら1期~3期の所までは一気に見ないとだよね。

いや面白かったよ。

俺は一気読みしたからさ。

でもこれを月刊で読ませるのはまじで気が狂ってると思う。

2019-09-12

忘れられたNHKキャラクター、ゴメンライダー

 かつて、アレクサンドリア図書館では二種類の本が所蔵されていたという。巻物と、現代の本のように綴じられた本だ。どちらにもそれぞれメリットがあったが、綴じられた本にあった最大の利点は、ページの表と裏の両方に書きこむことができることだった。つまり、単純に空間あたりの情報密度が倍になる。そういうわけで、いつの間にか巻物は駆逐され、今と同じ形の本が広まっていったという。同じ理屈で、私たちパンチカードからテープへ、フロッピーディスクディスクを経て、USBSDカードへ、その先へと進んできた。

 ここで、ハードの乗り換えの際、重要でないとされたものは、最新のメディアコピーされなかった。つまり、巻物には記録されていたのに、現代には伝わっていない古代著作が多数ある。当時の様子を伝えてくれたかもしれない資料が、こうして失われた。同じように、今でも貴重なデータフロッピーディスクに埋まっていることだってあるかもしれない。笑ってはいけない。ある企業文書MOディスクに保存されていると聞いた。霞が関重要公文書フロッピーの中に眠っており、読みだすのに一苦労、なんてこともあるのかもしれない。

 そして、現代において最も重要知識の移行が、オンラインであるネットに載っていない情報はあたか存在しないかのように扱われてしまいがちで、それが私たち記憶に対して、自信をあやふやにする。

 私が幼いころに見ていたNHK教育番組に、「ともだちいっぱい」というものがあった。その一コーナーで、ペカリンさんなる人物が「困ったときはチャンスです」と歌いながら主人公絵本世界に招き入れ、課題解決のヒントを与える、という寸劇があった。一応、その概略を示したwikipedia記事存在する。それでも、各回にどんな人物、一回限りの登場キャラクターがいたか網羅した情報は、ネット上にはまったく見つからない。

 私の記憶では、フラフラになるまでフランダンスを踊る島の人々や(彼女たちにアイスキャンディーを配る)、標識や印の便利さを伝える回に出てきた「ノッペリ」なる人物松竹梅の三種類の樹を並べ替え方法は行くあるかを問う怪人、姫に無理やり求婚する「イイダ王子」、それから「ゴメンライダー」なる悪役が出てきた記憶がはっきりあるしかし、いくらgoogle検索しても彼らの影も形もない。

 他にも、「ひらけポンキッキ」に出てきた、ドレミの歌とともに人体模型じわじわ歩いてくるトラウマ級の映像も、存在した証拠ほとんどない。ガチャピンの声で「体の中はどうなっているのかな? 見てみよう?」と言うと、子供と虎と魚の骸骨や内臓が見えるのが恐ろしく、布団の中に潜って怯えていたことはしっかり記憶しているのに。

 こうするうちに、初期の「ひょっこりひょうたん島」のオリジナルテープが上書きされて永遠に失われてしまったみたいに、彼らの存在した証拠も、コピーが取られることもなく、消えてしまうのだろうか。そういえば、羊皮紙の写本もときどき重ね書きされ、古代の貴重な写本がいくつも失われた、と耳にしている。

2019-09-09

anond:20190909004654

多分、話される内容のレベルについていけてないんだと思う。

インプットすることでいっぱいいっぱいで、頭の中でモデリングできていない。モデル化できていれば、頭の中で動かしてみてうまく動かないところや、どう動くのかあやふやなところがわかるから質問ができる。

2019-09-06

anond:20190906214931

性的表現政治的意思決定に一切必要ないというのも根拠がない(というか性的定義あやふや)だし、

そもそも表現の自由イコール政治的ものだけって言うのもフェミ達の生み出した後付けの理屈で、真理ではないよね。

2019-09-03

中国が怖い

今、とあるヨーロッパの国に住んでいる。地元友達はいものの、日本語ですらコミュ障の私にとって外国語での意思疎通はいくら言語が上達してもなんだか苦手意識がある。留学生とか駐在さんとか日本人はみんな志が高くて正直自分とは違う人種のような気がしてやはり気後れしてしまう。

そんな中で中国人友達ができた。彼女日本高校大学卒業しているため、日本語ペラペラで、感覚もなんだか近くてすごく仲良くなった。

彼女の国に興味を持った。中国語を少し勉強し始めたりとか、中国の事を調べているうちに中国にすごく惹かれるようになった。いつか数年住んでみたい。そう思うようになったころ、Twitter香港デモ情報が流れてくるようになった。ひどいと思った、それより理解ができなかった。

その仲の良い友達と、もう一人の中国人友達デモのことを聞いたけれど二人とも「香港市民デモ迷惑している、デモ隊が先に警察を刺激している、中国貿易戦争中のアメリカ中国に不利なニュースを流してる」と言っていて、ほとんど信じかけた。そもそも私はあまりアメリカに良い印象を持っていないこともあり……

しかし一応香港人数人に聞いたら、聞いた相手若者だったからか、Twitterで見かけたような意見を言う人ばかりだった。「中共言論の自由を奪おうとしている、それに抵抗して香港は闘っている」などなど

Twitterウイグル人弾圧されているマンガが回って来て読んだ。少数民族弾圧のことは聞いたことがあったけれど、想像以上に悲惨だった。ホロコーストじゃないか……。

中国人留学生たちは自由インターネットが使える環境にいてもなおGoogleではなく百度を使うし、InstagramはやらずにWeiboをする(人によるけど、傾向として)。国を出てもなお偏ったニュースばかり読んでいるし、ウイグル弾圧ことなんて知らない。何が言いたいかと言うとつまり友達にも中国人にも悪い印象があるわけではない。生まれときからマインドコントロールされているのだと思う。

中国政府のあまりに暗い闇というか、怖い。行きたかった気持ちあやふやだ。仲の良い友達が何を考えているのか不安になる。

不注意な私が中国失言してしまったら捕まったりするのだろうか?それとも、さすがにそこまでではないのだろうか……?中国の悪い噂がすべてアメリカでっち上げならいいのにと思うけれど、そうじゃないとも分かっている。

2019-08-31

探してる本

何年か前に書店で見かけた死について書かれた本が気になっている。

タイトルはそのものずばり「死」だったと思う。

海外出版された本の邦訳書でパラパラ立ち読みした部分の内容は

一般の人々に死について考えを聞いたインタビュー集のようだった。

記憶あやふやなので無理もないがAmazonで探してもそれらしいものが出てこない。

そんな本、本当にあったのだろうか?

2019-08-27

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-08-23

anond:20190823221946

こんばんは。困っている人を助けて(安請け合い)貸しがあるなら、その方には「今度は**さんに何して貰おうかな?かんがえとくね」って

冗談を言っておけば、つぎはその人にお願いしやすくならないかなぁ。あるいは「***さんじゃなければ断ってますよ」くらいは言ってもいいかも。

純粋自分が困ってて「これは**さんが得意そう、頼みたい」ってなるなら、それを目的にじゃなく、雑談でもしに忙しいかどうかだけでも

打診して、話題まったりしたら、「****とかやってもらえますかってお願したら断られちゃいますか?」と、相手が断ることも出来るような

いい方で冗談みたいにきいてみたらどうでしょう。(そんなあやふや雑談からのお願できるような話じゃないならごめんね。)

2019-08-12

anond:20190812225348

実はGDPという統計自体あんまり信用できないんじゃないか?という話が数十年前から言われておってな、何故なら「GDP過去の数値すら変動する」からなんじゃ。

意味わからんじゃろ?

GDPは様々な数値を統合して弾き出す経済指標じゃが、この様々な数値の内約はその年毎に違うんじゃよ

まり現在は含まれているもの過去時代に含まれていない数値が存在、またはその逆も起きており、過去GDP現在基準計算すると変動するということじゃ

このあやふやGDPという経済指標は本当に信用して良いのか?と一部では話されているわけじゃなぁ

2019-08-11

anond:20190811182056

結局ヘイト定義あやふやというか、叩いていい対象があるかのような言い方を普段からしてたのが全部悪いということになる

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