2020-02-01

枕草子」を読んで、英語日本語が読めない人の気持ちを知る

 古文の読解が苦手だった。

 赤点は取ったことがないし、センター試験も「これは絶対にありえないだろう」というのを消去法で排除していって残ったのをマークしていたので、それなりの成績は取れたのだけれど、古典文章を美しいものとして楽しむまでには至らなかった。

 だが、数日前からずっと昔に自分父親本棚から持って行った、現代語訳付きの「枕草子」を読み始めている。これは積読を崩したかたからでもあるし、図書館から本が届くのが遅れていて、通勤時間に読む本がなくなってしまたからだ。(本当は自分が予約ボタンを押し忘れていたため。図書館は悪くない。)

 読み始めると、読み継がれてきたものだけあって結構面白い。「お坊さんはやっぱりイケメンがいいよね」みたいなガールズトークっぽいのもあれば、「閉めなきゃいけないドアを開けっぱなしにするやつマジむかつく!」みたいなあるあるネタもある。清少納言自身キャラが立っているので、身近に感じられるのだ。

 ただ、困ったことがある。長い文章を読んでいると、意味が取り切れなくなることが結構ある。「春はあけぼの」くらいの長さなら、原文→現代語訳の順で何の問題もないのだが、何ページにもわたる長い文章を読むと息切れがしてしまって、現代語訳→原文の順にしないと、原文を楽しめないのだ。

 どうしてなのだろう、と考えた時に、次のような理由なのだと気づいた。

そもそも古文の語彙が少ない。

 高校で習ったはずの知識がすっかり抜け落ちている。「さうざうし」とか「けざやか」といった言葉も調べないと思い出せなかった。

文法知識あやふや

 どこで文章が切れるかわからず、ひどいときには語彙が少ないのでどこで単語が切れるかわからない。さら敬語現代文と比べてややこしい。

接続詞が時々省略されているので、話題が切り替わったのに気づかない。

 これは英文読解でいうとディスコースマーカーが省略されてるってやつだと思う。清少納言普段話すようにつづったためか、「ところで」「しかし」などが略され、論理的つながりが文章を読んだだけでははっきりしない。私が普段話すときも、そこまでわかりやすく話しているわけではないけれど。

ついでに主語も省略されがちだ。

 会話文にいたってはもう何が何だか。原文でも、鍵かっこの前に誰の発話かわかるように、注釈として小さな文字で書いてあるくらいだ。

当時の文化常識についての理解が浅い。

「狩衣」「衵」なんてことを言われてはっきりとイメージできる人は少ないんじゃないだろうか。そういう見かけ上の問題だけじゃなくて、単純に清少納言自分身の回りをつづった雑記的な段の、話の明確なオチというか、何でこんな話をしたのかがよくわからないこともあった。面白い話だけれど、あなたは何が言いたかったの? みたいな。

古文の長文を読解するだけの体力がない。

 短い段ならそうでもないが、何行にもわたる文章を読んでいると息切れがして、重要事実を読み飛ばししまう。目が滑り、大意をつかむことも難しい。

追記現代文の文学エッセイではそうした現象ほとんどない。理系なので、ノンフィクション大丈夫だが、法律関係文章を読解するのは苦手だ。

 とまあ、こうやってまとめていると、「結局はお前がまじめに古文の授業を受けてかなったからだろ」って話になってしまう。じゃあ、何でこれをまとめたのかっていうと、これって、「どうして英語の苦手な人が長文読解が読めないか」という問題と、ほぼ同じ原因がリストアップされているからな気がするのだ。

 ついでに言うと、日本語を読むのが苦手な人も、似たような問題があるんじゃないかって思う。そういうわけで、何らかの参考になるかなと思い、記録した次第だ。

 ところで、「枕草子」と比べると「徒然草」や「平家物語」のほうが、ずっと読みやすかった。私にとっての最大の問題は、平安時代宮廷文化に対する理解の浅さにあるようだ。

 それとも、一段当たりの長さが短いから、という単純な理由なのだろうか。

 なんにせよ、もうちょっとで読み終わるので、今度時間ができた時には、「更級日記」あたりにチャレンジしたい。

  • その点スマホが紙の本より優れているのは、 解らない箇所が出たら即座に検索できること 古文でもそんな環境あったら、 ちょっと読んでみたいとおもいました (青空文庫にないかな・...

  • 「体力がない」って最近ずいぶん抽象的に使われてて便利な言葉だなーって思うけど増田の場合は「体力がない」じゃなくて「頭が悪い」だよね。

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