はてなキーワード: wannabeとは
want to be が Wannabe って聞こえるってのがなー、驚いたよね。
私はあなたに滅茶苦茶にされたい。
私の心に一生消えない爪痕を残してほしいし、あなたの作品に触れる度に情緒を乱されたい。
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“こんな風にキャラクターを作るといい”
“最低でもこういう風に作品を作れ”
“キャラの口調はこういう風に設定するといい”
近頃一時創作における「創作論」を目にすることが多くなった。“小説家になろう”みたいなサイトで一般の人でもうまくいけば出版してもらえることが増えたからだと思う。得れる作品を作ってワンチャン。wannabe。俗にいうワナビが増えたんだろう。
前述のアドバイスは“売れるため”にこうしたらいい、というアドバイスであるらしい。売れたいけど売れていない作家向けの善意のアドバイスなんだと思う。
こんな風に作ったら皆に読んでもらえるよ、皆に愛される作品になるよ。売れるよ。
本当にそうだったら素晴らしい。
私自身、作品を作っているから「読んでもらいたい」という気持ちはわかる。作者としてはいろんな人に自分の作品に触れてほしいし、愛されたい。作品を愛してほしい。「この話いいよね、刺さるよ」って言われたい。そういうものを作りたい。誰かの心に一生消えない爪痕を残したい。
だから、“作者としての私”は、“作家としての私”はそのアドバイスを積極的に否定しようとは思わない。
おそらく、作品を作る人なら誰だって「自分の作品に触れてもらいたい」からだ。
その一方で読者としての私は「他人の創作論にすがるくらいなら筆を折ってしまえよ」と思う。
本当にそうなるか(売れるか、愛されるか)どうかわからない誰かのメソッドで安易に自分のスタンスがぶれるなら、筆を折ってしまえよと思う。
私は作家が好きだ。
作品を作る人が好きだ。
自分の内側にある世界を、自分の外側に作り上げる人達が好きだ。
だからこそ余計に筆を折ってほしい。
自分ではない第三者の、“当たるかどうかわからない”メソッドでスタンスがぶれて唯一無二のあなたの世界が歪むくらいなら。だったら今すぐ筆を折って、そのままのあなたで私の永遠になってほしい。あなたの世界を他の誰かのあやふやなメソッドで薄めて欲しくない。
これは持論だけれど、作品とは作家のもつ狂気が実体を得たものではないかと私は考えている。
絵画などの実際に形をなした作品でも、音楽や文章などの実際には形のないものでもそうだと思っている。
作家の持つ人生観、倫理観、何かに対する考察や愛、執着、すべてが入り交じって生み出されたもの。それが狂気であり、作品だと思っている。
自分の内側にある世界を自分の外側に生み出す行為。それに狂気がないなどとは思えない。
作品を作ることは自分と世界とを繋げる行為であって、いわば“呼吸”であって、第三者の目に触れることで作家は作家としての自己を得ていく。作家として生きられる。
作品とは作家そのものの“概念”だと思う。作家が今まで経験してきたものを概念レベルにまで落としこんで表現したのが作品だと思う。だから、同じ作家の作品には同じ匂いを感じる。共通する世界観がある。作家を感じられる。
その“作品”を、美しい狂気を、麗しく鋭く研がれた爪を、誰かのメソッドで一般化されたくはない。私はそう思ってしまう。
作家の持つ“感性”という雑じり気のない狂気に私は触れたいし、“作品”という爪でズタズタにされたいから。
まだ出会えていない作家の、まだ見ぬ推し作家の、本気の“狂気”を理論で塗りつぶされたくない。
作品から垣間見える人間性、人生観、作品へのスタンス。そういうものを鋭く尖らせた“表現”という爪を丸く整えてほしくないのだ。
作品として成立させるためにある程度の“理論”は必要だと思う。読みやすい日本語、情景をより伝えやすくするためのレトリック。そういう意味での“理論”を伝えるというなら私は大賛成だ。より多くの作家の“狂気”をより効率的に摂取できるから。作家の構築した世界をより分かりやすく感じられるようになるから。
でも、作品の本質にまで“理論”を出すのはやめてくれと思う。思ってしまった。キャラクターの“キャラ”の口調はこうした方がいい、こういう性格の方が取っつきやすい、世界観を作り上げるなら最低でもこれとこれとこれが必要だ──。
全部しゃらくせえ。好きなように書いてくれ。好きなように書いて好きなように狂え。あなたの狂気で私を満たしてくれ。あなたが考えた世界で私を狂わせてくれ。
分かりやすいキャラクター、分かりやすい話運び、そういうのは読みやすくて分かりやすくなるかもしれないが、結局“一般化”だ。誰が見ても何となくわかって、誰が触れてもまあ大丈夫なもの。量産品。いつものやつ。
でもそこに作家の持つ“色”はあるんだろうか。そこに作家個人の“感性”はあるんだろうか。
“売れるように”量産されて一般化された作品に何を感じればいい?
“どこかで見た”何かは誰かの心に爪痕を残せるか?刺せるか?
前提として“売りたくて作る”作家と“作りたくて作る”作家がいることははっきり認識している。私は後者だ。作りたいから作る。
でも前述のアドバイスを自分に取り入れるのは前者だろう。売れる方法があるなら試さない道理はない。売りたいんだもの。だからそれを積極的に否定しようとは思わない。合理的だから。目的に対する手段が一致しているから。
でもそれ、“作家”なのかなあ。
そんなことをずっと考えている。
スパムじゃないよ
Billy Joel - Uptown Girl - YouTube
Dolly Parton - I Will Always Love You - 1974 - YouTube
Spice Girls - Wannabe - YouTube
Madonna - Material Girl (Official Music Video) - YouTube
a-ha - Take On Me (Official Video) - YouTube
Michael Jackson - Smooth Criminal (Official Video) - YouTube
ひょうきん族と全員集合だったら、全員集合ばかりを見ていた。
ひょうきん族で、たけしが若手の軍団員に殴る蹴るのむちゃくちゃする絵は相当気分の悪いものだった。
小学生の当時、自分は帰国子女でクラスの中で明らかに浮いていて
「奇妙な側」の人間だった。日本的なコミュニケーションが取れなければ
当然のように弄って良い人と扱われ、ひどい虐めを受けた。
実際は仲の良い感じや5人がそれぞれの特異性を尊重して
作ってる笑いという感じがして楽しく見る事ができた。
幼少期を過ぎても、とんねるずの石橋やダウンタウンの浜ちゃん、
ロンブーの淳など乱暴を振るう笑いは、常に苦手だった。
どれもこれも、強い奴が見た目や言動が変わった奴、
弱い奴にむちゃくちゃをやって、それを周りが見て笑う構図は最悪だと思った。
何が面白いのか全く理解できないだけでなく、うっかり見ると気分が悪くなった。
その手の番組は、減ってきたようには思う。
それに台頭するようにマツコデラックスや有吉がテレビに引っ張りだこになった。
二人の番組を全て見ているわけでないが、時々見る
「怒り心頭」や「マツコの知らない世界」はとても楽しく感じていたので、
石橋貴明の最近の笑いは冒険しないから面白くないという記事に、
「石橋貴明が楽しかったと言ってる昔のバカ番組より今のマツコや有吉のほうが、ずっと面白いと思う。誰かを虐めて笑い取るみたいな番組が人気を失っているのは、たいへん良い傾向。」と書いたら、
いや、「マツコ有吉も結局は人を虐めて笑いとってるじゃん。」
でも、自分はそう感じるんだよなーと思ったので、なにが違うか自分の発言の裏を分析をしてみた。
彼らは元々「気持ち悪いオカマ」「干された芸人」という出自にもかかわらず、今は人気を掴んでいる。
奇妙な人が奇妙なまま人気を得たり、一度落ちぶれた人が再起する姿は、
かつて虐められっ子であった自分が夢を掴んだ感じがして、単純に好感を持ってしまう。
彼らが、こんなにも人気が出ているのは日本人の大多数が「虐められた」過去を持ってるからではないかなとも思う。
次に、彼らの小馬鹿にする芸風は陰湿な虐めじゃないかという指摘。
確かにそうなのかもしれないが、彼らは基本暴力を振るわない。
そして、有吉は自分より目上の立場が強い人間にも平気で悪口いうので、弱いものだけを虐めてる感じがあまりしないし、
すこしビビりながら言ってやったぞという感じも嫌いじゃなかった。
マツコも素人や地方弄りするけど「私も気持ち悪いけど、あんたも気持ち悪いよ」というスタンスなので、
「そんなことねーよ。あいつら酷いよ!」
また、自分は見たことがなかったが「有吉の壁」「有吉ベース」では
若手の後輩に熱湯を有吉がかけたりしてるらしく、
そういうのは、嫌いな笑いであることは間違いないので、
多分一生見ることはないと思うし、何かの拍子に見たら有吉の評価は変わるかもしれない。
あくまでも、「体育会系の暴力に根ざした乱暴な笑い」が嫌いなだけ
いうことは補足しておきたい。
だいぶ長くなってしまったが、
「石橋貴明の笑いは嫌いで、マツコ有吉は虐めてないからいい傾向」
と思った理由を綴ってみた。
「髪の毛を濡らしま~す。」と移動式のシャンプードレッサーの中に頭を入れられているときだった。
「明日からスーツ着て仕事だから、耳を出してさっぱりとしてください」というオーダーを起点として、会話が連鎖を始めた。
「これはよかったね」
「いや、そんなによくないんですよ。東京で就職する予定だったのが、地震の影響で地元での就職になっちゃて」
「転勤が中止になったの?」
「東京の建築デザイン事務所から内定を地震を理由に取り消しされちゃって」
「あらら」
「でも、先週、地元で面接を受けてみたら、来週からすぐにきてくれとトントン拍子に話が進んでしまって、ひとまず、その会社で何年かがんばってみることにしました。」
「とりあえず、よかったね」
「これから東北のほうで、失業者がかなり出る可能性があるし、決まっただけ、よかったです。」
「午前中にきた大工さんによると、建材のほとんどが被災地向けに仕向けられて、仕事をしようにも材料がないんだってね。ユニットバスも合板も秋までないとかで、困っていたよ」
「建築関係の大学に行っていたので、そんな噂も聞いています。一儲けしようと考えている人もいっぱいいるそうですしね」
「へー、建築関係なのかい。地元で決まった仕事もそちら関係かい?」
「羽毛ふとんの訪問販売している会社みたいです。人間、寝ないわけにいかないので、けっこう安定していると思うんですよ」
「パソコンの腕を買われて、デザイン職で採用されたので、腕を磨いたら、また、東京を狙うつもりです。給料は安くても東京のガラス張りの眩いオフィスで仕事のはずだったので、夢は諦めたくないですね。」
・東京の会社で地震を理由として、内定の取り消しが横行しているかも。
・若者のWannaBeを原動力にして商売しているところが東京にはまだ存在する。
・建築資材の入手が困難になりつつあり、被災地以外の仕事にも支障が出始めている。