いま振り返ると、将来何になれるかってのは、だいたい小、中学時代に決まる気がする。特にその道で幸せになるためには。幸せにその道で生きるためには技術とか訓練以前に興味がわかないとならない。興味ってのは心の形なので幼少期の影響を受けやすい。
きっかけってのはなにも、出会った先の職業で将来暮らすということではなく、そこから影響を受けるということ。憧れた形が100%実現するということは通常、ほとんどない。でも関連した職に就いたりすることは決して不可能じゃない。現実の着地点は無数にある。たとえば、マンガが好きで描いてみたっていう人がマンガ家になるとはかぎらないけれど、同人誌を引き受ける街の印刷屋になるとかあるだろうし。
中学生とか高校生になると、それ以前に比べて急速に生物としてスペックが上がって、行動範囲が広がる。自転車であちこち行けたり友だちと電車で出かけたりな。接触できる情報もケタがふたつくらいあがる。いろんなことにチャレンジできるようになる。それは事実。でもだからってそれは無限じゃないし既得の権利だと思って良いモノでもないんだよ、と四十前になって理解した。
いろんな情報に触れていろんなことに挑戦できて、いろんなナニカになれる可能性がある、ってのは嘘じゃない。でもその一方で自分の心が、どういう生活に向いているのか? ってのに重要な影響を与えてくれる出会いなんてそうあるものじゃない。
考えると、中学生時代、将来へ繋がる「きっかけ」「出会い」みたいなものは、2,3個がせいぜいだったよな、といま思う。
人生、はじめの一歩は、2、3択だ。あんまし悩まず、贅沢にならず、寄り道をしないほうがいいんだぜ、と当時の俺にいいたい。
ほとんどの父親がサラリーマンである現在はまったく通用しないが、戦前までの暮らしにおいて、家業を継ぐというのは合理的だなあと思った。つまりは幼少期や思春期に「出会い」を感じる周辺の環境や人々が「その職業ジャンル」で構成されてるんだから、子供心にぴんと来る部分がフックになる可能性は高い。いまよりも情報流通が弱くて他ジャンルのきっかけが薄ければ薄いほどそうなるだろう。
結果からいうと、俺はおおよそそのきっかけから辿り着ける範囲内の着地点にたどり着いた。それはそこそこ幸福だ。
しかし後知恵で振り返るとずいぶん寄り道もしてて時間をロスしてる。
ひとえに「俺はもっと別の華やかで向いているナニカがあるのではないか?」というスケベ心にふりまわされたせいだ。
それは良くない判断だった。一次的にその華やかなナニカに関われたこともあるけれど、それは俺の幼少期の心の形からして、向いているモノではなく、疲労した。つまり「俺はもっと別の華やかで向いているナニカがあるのではないか?」というのは外的な価値観の挿入で生まれた虚栄的なもので、「こんなふうに日々を暮らしたいなあ」とか「こういうの好きだなあ」という俺の性向とは別のところから出てきた気持ちだった。心身ともに疲労したし、一次的な利潤は生んだけれど持続可能ではなく最終的には周囲に迷惑をかけたし、なによりも精神的に苦痛だった。
「なった先の何か」で大成できるかどうかは訓練時間と正比例するってのも一方の事実だ。才能以前の話として。浮気をすればするほど訓練時間は減ってゆく。四十前になって訓練と場数に重要性が身に染みる。
数個の出会いの未来に、十分に豊富な選択肢はある。目を開けばいくらでもある。
だから若い時分、目の前に選択肢をデパートのように広げる必要なんてなかったんだ。特に俺は。選択肢を広げて「夢」という悦に入ってただけ。ウィンドショッピングだったんだそれは。
着心地の良い服なんて多くないし、多くなくていい。そもそも着心地が判るためには一着あたり数千~数万時間の着こなし期間が必要で、その視点だと、人生の中で本当に試着できる服なんて、3~5着しかないんだ。
――と中学生の俺にいたいが、無理なんだろうな。
俺が子どもの頃、俺に親しい大人が俺を見てもごもご何かいいたそうにしてるのはそういうことだったんだろう。
俺が俺の親戚の子どもなんかに、なんか言いたい気分になるけど結局いわないで諦めるのと同様に、言って伝わることじゃないんだろうな。