はてなキーワード: 結果的とは
Not Financial Advice。個人的メモ、現状の文字起こしと雑な未来予想。自分もWeb3ヤーとして整理したかった。
根源的にビットコインは規制で禁止することはできないので、できるところから規制されるトレンドは今後も続くだろう。目下、短期のナラティブはETF承認である。AML/CFT観点でビットコイン現物の流通はなるべく制限したい規制当局側と、ビットコインのエクスポージャーが欲しいだけの大多数の投資家の思惑の両方が、現物ETF承認という形で結実するのである。その後、ビットコインETFが高い流動性を持つようになれば、既存金融機関はビットコインETFを担保にした金融サービスや派生金融商品を展開できるようになる。
また、大手マイニングプールと、(すでにマイニングプールの株主となっている)ETF取扱金融機関が提携する未来もありえるだろう。例えばマイニング収益はプール参加者のウォレットアドレスに引き出されることはなくなり、プール参加者の証券口座にETF残高として入金されるようになる。これはプール参加者と規制当局どちらにも利点がある。プール参加者にとっては、ブロックチェーン手数料や秘密鍵保管といったブロックチェーン特有のリスクを負わなくて済むし、ビットコインETFを通して既存金融の多種多様な流動性へ容易にアクセスできるようになることも喜ばしい。規制当局にとっても、本質的に規制できないマイナーとBTC現物が切り離されることは喜ばしく、win-winなのだ。すでに大手マイニングプールはマイナーにKYCを求めているので、マイナーは分散思想よりも規制された安定を選んでいる。マイナーが投資家保護環境の整ったETFに乗り換えるのは合理的な選択なのだ。
ビットコイナーの思想とは相反するものの、市場原理とは相反しない力が優勢となって働くことで、ビットコインはATHを迎えるのである。
マイニングプールが結託して51%攻撃を起こすことは、マイニングプールにとっても合理的ではないので、少数マイナーの寡占状態が直接的にビットコインを破壊に導くとは考えにくい。しかし、大きな金額を動かさないといけない巨大プールは既存金融に保護されざるを得ず、規制の圧力に対しては脆い。同じ51%でも1 ✕ 51よりも25+26の方がCensorship ResistanceやOpennessといったブロックチェーンの本源的な価値は損なわれやすい。なのでマイナーに寡占が起こることを問題視しないのも間違いである。
https://x.com/nook_ethereum/status/1696476655475171759
仮の話だが、完全に当局の規制を受けてコーポレートが牛耳る、本源的な価値を失ったビットコインが、too big to failな状態でゾンビ化した時どう振る舞うのだろうか?そのタイミングで古参クジラは離脱して一時的に売り圧が発生する気もするが、そのままトリクルダウンとなるほどのトリガーかというと分からない。これはビットコインに使われる暗号の危殆化などのリスクと一緒で、起こるまで想像ができない。そのフェーズはP2P電子決済システムビットコインという壮大な社会実験の重要なハイライトになるに違いない。
ビットコインのブロックスペースを使って、レイヤー2上で好きなブロックチェーンを誰でも立てられるようにする新機能。まだ提案段階の機能だが、賛否両論を招き、界隈を真っ二つにしている。
ちょっと前に流行ったStacksの仕組みと異なり、BTCを子チェーンにオプトインするような仕組みも備える。もちろんオプトアウトもできる。
ただし、Drivechainが認められると、ビットコインのスケーラビリティを向上させるソリューションとしてのLightningネットワークの意義がかなり失われる。Lightningは”P2Pで”高速決済したい人が使うための機能という、かなり思想が強い人向けの錆びついた技術になり得る。
Drivechainの提案自体は昔からあったが、最近になって流行り出したのは単なるナラティブ作りであろう。ordinalsやStacksもそうだが、新しい技術はそれだけで盛り上がりやすい。ordinalsの場合だと、昔から追っていた人は、自分が優位でいられる情報が非対称的な時期に、短期で出口流動性(イナゴ、養分)をたくさん集めて、たんまり儲けて売り抜けることができた。
ちょうどBitcoin, not Cryptoな時期で、Drivechainのような特大アップデートがあればナラティブとしては強力だ。しかし、だからこそ、どうしてもDrivechain利権の存在を勘繰ってしまう。Lightning利権とも対立しそうだ。
Lightningはビットコインにマルチシグだけあればできる機能だが、Drivechainはソフトフォークとは言え、これだけのために新規のオプコードやメッセージの追加など、開発リソースをかなり費やす大幅なアップデートなので非常に図々しい。ソフトフォークをexcuseにすればなんでもありだと言うわけではない。
今更dAppsが走るサイドチェーンを作っても、Ethereumで起きているようなゴタゴタをビットコインに持ち込むだけで、Bitcoin, not Crypto神話を汚すだけになるだろう。
実質管理者のいるDeFiも規制の煽りを受けて存続は難しくなっていくだろう。ハッキングやインサイダー、スキャム(詐欺)、ラグプル(持ち逃げ)から投資家を保護できないファイナンスは、たとえゲイリー・ゲンスラーがSEC長官を退任したとしても長期的には必ず規制対象になる。また、そうはならなくとも投資家の方から勝手に離脱していく。
しかしながら、オフショアで規制の及ばないチェーンを舞台に、リスクを恐れない投機家の間でDaFi(Dark Finance、闇金融)に転じたDeFiがしぶとく生き残るのはどうしようもない。
ただ、そのようなDeFiはもう社会生活の金融インフラになることはないだろう。結果的に今のDeFiはDaFiかCeFiに分岐していく。
CeFiという語彙は以下のツイートから使わせてもらった。ブロックチェーンを使っているが、規制もされている金融サービスくらいの意味だ。
https://x.com/kimurayu45z/status/1695988782871498898?s=46
ブロックチェーン上の金融サービスに規制をかける場合、どのようなものになるだろう。まずCeFi事業者に対する当局による管轄、投資家のKYCは必須になる。そうなってくるとブロックチェーンでやる必要はあるのかいよいよ分からなくなってくる。かの有名なWhy Blockchain?の声がまた聞こえてくるのだ。
少なくとも、トークンでガバナンスするような機能をプロトコルに組み込む必然性はなくなり、ガバナンストークンは株や証券に近いものになっていく。また、仮にアプリケーションどころかL1チェーン自体が規制されれば、PoSなどのトークンベースのコンセンサスアルゴリズムはもはや茶番になる。
ユーザー目線でも、KYC済みのアドレスをスマートコントラクトに登録してまで、入札や取引したい投資家がどれくらいいるのか今のところ分からない。
もしもかつてのDeFiバブルが違法事業者の非合法的な取引で盛り上がっていただけの幻想だった場合、KYC後のクリーンなCeFiにどのような実需があるのだろうか。
MEVというのは、ブロック生成者が承認前のブロック内の取引を盗み見れることをいいことに、他人の取引を先取りしたり、順序を利己的に入れ替えることが可能である性質から生じる、ブロック生成者が独占できる収益源泉のことである。
https://keccak255.substack.com/p/mev
MEVがあるせいで、ブロック生成行為が中央集権化しやすくなったり、ユーザーのサービス体験が低下したりするため、dAppsが動くブロックチェーンにおいては重要な課題だ。
もちろん技術的に解決するSuaveのようなソリューションが提案されているのだが、分散化にメドがたっているわけではない。また、問題が外部化するだけで本質的な解決にはなっていないのではと思う。
Suaveについて参考までに
https://writings.flashbots.net/mevm-suave-centauri-and-beyond
また、MEV利権がすでに巨大化している政治的な事情もあり、問題はかなり複雑化している。このように込み入った問題を、さまざまなステークホルダーの思惑が入り混じる、非効率的な分散ガバナンスで解決するのは前途多難と言わざるを得ない。
チェーンのTVLが巨大化し、RWA(real world assets)などのMEVファクターがチェーンのエコシステムの隅々まで組み込まれれば、MEVがもたらすマイナス・サムの影響はユーザーにも感じ取れるくらい甚大なものとなるだろう。さらに、可視化できないリスクを嫌う大手投資家の参入を阻むことにもつながる。
そうなったとき、パブリックブロックチェーンの夢は雲散霧消するか、中央集権が正当化された世界でregulatedなブロックチェーンが生き残っていくかのどちらかになる。
一旦DaFiやCeFi、MEVのことは忘れて、全てが解決して、DeFiがそのままメインストリームになった社会を想定してみる。そこで注目したいのは、チェーンに閉じたDeFiでは信用創造ができず、分散型ステーブルコインなどの場合は常にover-collateralized(過剰担保)させなければならない点だ。つまりロックされた資本以上の価値が市場に再投資されない。原資本は再投資のたびに指数関数的に薄まっていく構造になってしまうのだ。
そのような先細りの金融インフラの上に展開される資本主義及び自由市場経済社会が、規制された金融に基づいた現状の社会よりも、高い資本効率と経済成長率を達成できるのかは甚だ疑問である。
一昨年のDeFiバブルの正体が、USDTなどの法定通貨担保型のステーブルコインがチェーン外から流入することで起こったに過ぎなかったのだとすれば、DeFiの世界はCe要素なしには拡大できないということになる。実際、USDT、USDCなどの法定通貨担保型のステーブルコインの時価総額は無視できないほどに巨大だ。そういった規制アセットの流入なしにはリターンが期待できない構造的欠陥がある限り、DeFiは規制を拒んで信用収縮の道を選ぶか、信用創造のために規制を受け入れてCeFi化していくしかない。
分散や自己主権といったブロックチェーンの思想を全く気にしない大多数のユーザー目線で見ても、国際送金や金融取引が瞬時に透明性高く行えるブロックチェーンが便利なのは間違いない。しかし、それは既存の金融サービスが規制というかなり重いハンデを付けられた状態で戦ってくれているからそう見えるだけで、ブロックチェーンという技術自体がイノベーションだからではないのではないか?つまり、仮に規制の側が妥協して、金融業界がリバタリアン並みの自由化を勝ち取った時、ブロックチェーンは、例えばApple銀行のような大規模なWebインフラを使った金融サービスに技術として勝てるのだろうか?
もしも、ポンジスキームやスキャムであることが明らかなミームトークン、発行主体を名指しできるXRPや、ガバナンストークン全般が、規制されない(もしくは証券ではない)と判決された場合、Apple銀行がプログラマブル・トークン発行プラットフォームを立ち上げればブロックチェーンは競争に負けてしまうのではないか?秒間取引処理数が少なくて、手数料も高く、ウォレットも使いにくいブロックチェーンの優位性はどこにあるのだろう?
とはいえ実際に既存金融が完全自由化することはありえない。あり得るのは、既存金融業界とブロックチェーン業界が融合していく中で、その両極からの声を取り入れながら、長期的には両者の境界線が最も曖昧となるような規制環境が整備されていくシナリオだ。それはトークンの証券化かもしれないし、証券という概念が古くなるような全く違う新しい法概念や規制のフレームワークの誕生かもしれない。そうなったとき、果たしてブロックチェーン技術が市場で競争力を持つのかは、改めて問われなければならない。使いやすさより分散思想を優先するユーザーなんて殆どいないはずだ。
日本のWeb3界隈は、昔から霞ヶ関を巡回する界隈と海外組の界隈に二分されていたが、最近は海外からの出戻り組が増えてきたように思える。かつてJapan色がなかったAstarが最近はJapanを押し出すことが増えてきたので、これも出戻り組と言えるだろう。京都で開催されたIVS Cryptoでは、かつての海外組が、今後は日本にもコミットしていくしたたかな姿勢も見せていた。
Astarが政府機関やJTCと手を取り合って、提携関係や共同研究関係を結び始めたときは、何をしているんだと正直思っていた。しかし、当時から規制側に歩み寄らなければブロックチェーンは存続できないと読んでいたのか、単なる嘘から出た誠なのか、こうなった今では一定の妥当性が理解できる。
とはいえ規制と近づきすぎるとパブリック・ブロックチェーンの特性が邪魔するはずなので、その擦り合わせは茨の道だろう。Why Blockchainの最前線で闘う姿勢は評価したい。
渡辺氏も、もしAstarがダメになっても、日本は偉い人と仲良くしておけば何とかなる国なので、かつてのホリエモンのような毒を出さなければ、どこかしらの利権に入れてくれるだろう。そこら辺を踏んでいるのか、彼のポジショニングは上手いなと思う一方で、FTXのサムが破滅直前まで政府と蜜月関係を結ぶのに奔走していたことを思い出させるから少々怖くもある。当局に近づくと不透明性が増すので、個人的にはまだASTRに買いを入れる勇気が持てない。
さて、クリプト・コミュニティ一般の話だが、これも昔よりは成熟してきたと思う。悪しき通貨が自然淘汰される市場原理が働いたというのもあるが、個人の中にも、かつては歯に衣着せぬ物言いでオピニオンリーダーになったインフルエンサーが、今ではバランスの良いコメンテーターになったりと、心境の変化なのかポジショントークなのか、変化を感じざるを得ない。日本人垢にも外国人垢にもそんな人は多い。
例えばVitalik氏は、かつては大衆向けに過激なことを吐いていたが、最近は難解な理論の提示にとどまり、過激な使い道を見つけるかどうかは受け手の自由ですよ、という我関せずな態度に改まった。
むしろ危ないのは、陰謀論界隈や極右派をバックにした米国会議員をはじめとするすでに過激なコミュニティが、ビットコインやWeb3に活路を見出そうとしていることだろう。余計なポリコレリスクを抱えると面倒である。
このタイトルは煽っているように聞こえるかもしれないが、流行りに乗っただけで煽ること自体は本意ではない。ジブリのあの映画を見た頃、こんなこと考えてたんだなぁと後でエモくなるための筆者なりのギミックなのだ。もし不快な思いをしたクリプトに携わる人や投資家の方がいれば、そこは大目に見ていただきたい。
確かに僕は破滅的な生活をしているし将来にも期待が持てないが、それは僕の些細なプライドと行動力の悪さが招いているもので、断じて誰かを破滅に導こうとしているのではない。共に破滅しようと誘っているのではない。
しかし、結果的に自分の行いのまずさが周りに迷惑となった側面はあるし、万が一自分についてくる人がいたら苦労すると思う。そこは、あまり伴侶を探そうみたいなのは考えないほうがいいのかもしれない。
もう40だし……。
私は好きでもない流行りのものに乗っかったり、頭の悪い人たちのノリに乗るのは嫌いだ
でもインターネットの掲示板とか、ネットの頭の悪いノリになるのは面白いから大好きなんだ
客観的に見て、そういう馬鹿げたノリになるのが馬鹿馬鹿しくて面白いと思うから。
そういうくだらない事で他人に同調しないと、私はバカな他人にイライラが溜まっておかしいやつになっちゃうからな
そういうことをネットでしてたら、私のsnsアカウントなどを通じてネットストーカーしてくる頭の悪い人たちが、私が本当にその選手のファンなんだって勘違いして、それに絡むような嫌がらせをしてきたり、私が熱心にその選手に金を注ぎ込んでる!って勘違いしちゃった
私が支払ったお金といえばそのスポーツの雑誌を数冊買って、ファナティックなノリを学んだに過ぎなかった。
結果的には私は特に何の痛みも被害も負わず、勝手にその人達だけそのスポーツで盛り上がってる形になっちゃった。
私はそれもウケるなあ〜と眺めていた
アフリカ人(黒人とかアフリカ系って意味じゃなくてアフリカの現地民)は大嫌いだからそんな人たちの命絶対に助けたくない
ボランティアが発電用に建てた風車を「雲を飛ばして精霊の怒りを買うから」って壊したり、「処女と性行為すればエイズが治る」って幼女レイプしたり、「アルビノの手は魔除けになる」ってアルビノ殺したり、お金ないのにコンドームつけずにセックスして結果的に子供沢山産んで苦しめる、とにかく行動原理が意味不明なめちゃくちゃな人たちをなんで助けなきゃ行けないのか疑問
・でも尻の痛みが再発した。なんで?なんか負荷増えんの?
教科書的なことを言うと、ペダルを一番下まで踏み込んだ状態で、膝がほんのちょっと曲がってる=足が伸び切ってないくらいがベスト。膝関節への負担減るよ。
尻の痛みは、サドル位置変えたことでサドルに当たるケツの場所や角度等がちょっと変わったんじゃないかな。また1カ月も乗ってりゃそこが鍛えられて痛くなくなると思う。
・6→5に変更。
・6の時と同じ位の速さで漕ぐと、負荷増えたのか5km程で太ももがパンパンになった。
やり方が間違ってる気がする。
えーとね、自転車って腿の筋肉をいかに使わず漕ぐかが疲れないためのポイントなのね。
んで、腿の筋肉は重たいギアをゆっくり回すよりも軽いギアを早く回す方が、一般論として疲れないのよ。
例えば時速20㎞で走ろうぜ! 場合に、ギア5枚目・50回転だったとしたら、ギア4枚目にして60回転で走る方が一般論として疲れにくいわけ(ごめん数字は適当ね)。
ただ、じゃあ何回転で回せるんだって話になると、当然そういうトレーニングしてない人は「そんな疲れず気持ちよく回せる回転数」は低くなるわけさ。
「同じ位の速さで漕ぐ」の意味がわかりかねるのだが、仮にギア低くして同じ速度が出るだけの回転数で漕いだ、てことなら、元増田が楽に回せる回転数を超えちゃってる可能性が高いと思う。
結論としては、ギア6枚目でキツイ! ということで5枚目に落として回転数上げたらやっぱりキツイ! ということなら、5枚目で楽に漕げる回転数を維持すれば良いと思うよ。
結果的に速度は落ちちゃうけど、そんなんは乗ってたら自然に回転数上がるようになるからさ。
あと多段ギアの自転車乗るときは、停止状態から発進するときにはギアを1枚~2枚落とした状態にしてゆっくり発進→ギアアップすること。
停止状態からの加速が一番疲労するんで、そこの疲労軽減は大事。特に街中だと信号で止まること多いからね。
この前提大事ね。じゃあそれが何回転やねん! てのは人によって違うけど、仮に元増田が60回転が一番気持ちいいってことなら、60回転を気持ちよく回せるギアって何枚目なの? てこと。
軽すぎると回転数が上がり過ぎて疲れる&回転数の割にちっとも速度が出ないってことになるし、重すぎると今度は回転数が下がって腿が疲れちゃう。
なんで速度よりも気持ちよさの感覚に従う方がいいよ。んで、当然向かい風とか上り坂だとギア落とさないといけないじゃん?
そんな感じね。
大学時代の後輩がICUにおり、自分の科の患者さんに急変やトラブルが起こった時は彼に頼む。信頼できる麻酔科医だ。
そんな彼は婚活で苦戦している。後輩は30代後半だが、紹介やマッチングアプリでも相手の女性は25歳以下という限定をつけている。ブサイクでも低身長でもないが変わり者で恋愛経験がなく苦戦しているようだ。
なぜ年齢に制限をつけるのか聞いてみた所「まともな女性は25までに結婚を考える相手と交際しているから」だそうだ。
自分の場合、初期臨床研修の時にとある科でお世話になった看護師の女性に一目惚れしてなんとか仲良くなって交際して数年後に結婚した。
出会ったのは俺が25、妻が34の時か。
妻は結婚してから10年近く経つ今でも優しくて明るくて笑顔が素敵で一緒にいるだけで癒されるような人だけど、実際に出会った時は独身だったわけだから「まともな女性は25までに結婚を考える相手と交際している」という考えは絶対的では無いと思う。
年齢に制限をつけてもあらゆる女性と出会えて選り取り見取りなら問題ないが、結果的に彼は全く出会えていないし出会えた人ともうまくいっていないわけだから、せめて自分と同い年までは幅を広げた方が良い人と出会える可能性は上がると思う。
ただ、恋愛に関わらずあらゆることにこだわりの強い彼にそう伝えた所で彼が考えを変える訳がないので、術後肺炎を起こしたものの無事に回復したうちの科の患者さんの術後管理のお礼を伝えて会話を切り上げた。
私は新卒で入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。
共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。
分野は特定されたくないのでぼかす。
入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業に就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。
元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。
最初の研修を経て研究職として地方の研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。
しかし入社して半年程度で、自分の仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。
まず研究について。
これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。
Aは就活当時に海外で研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。
事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分はメンバーではなかった。
正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。
勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒の教育なんて大変なのはわかる。
ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマに情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。
上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司の育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。
また入社時にはコロナが流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄な人間関係が出来上がった。
元々研究所はその特殊性からか人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドなコミュニティだった。
普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。
気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。
家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。
また、自分の周りの方々を見ていると自分のキャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。
新卒で年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル。
研究員は10年とか努めたら突然の辞令で研究員ではなくなり、別部署の主任になるのが大半みたいな。
大体三十歳前後に結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。
恐らく多くの人から見たら幸せな人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。
それでも自分には魅力的に映らなかった。
日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。
入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。
研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。
むしろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。
もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。
また別の理由として、人生で一度は海外で生活してみたいという強い思いがあった。
元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理や営業がほとんどであることも知った。
それどころか会社で研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令で研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。
私はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司の裁量や社内政治の巻き添えではなく、自分の意思で決めたいと思った。
入社半年で上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外で博士号を取るという決断に至った訳である。
どうやら博士号や欧米では十分に評価されるらしいとか、海外の大学院は授業料無料で生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。
よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。
また研究の世界はどこまでいっても英語が公用語であるため、基礎的な学問を母国語で習得した上でなら英語で研究を遂行する能力も必要だろうと考えた。
幸い職場はホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。
主に米国の大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。
大学院留学には主にTOEFLかIELTSが使用されるため、私はIELTSを選択してオーバーオール7.0まで取得した。
GREとはGraduation Record Examの略で、米国の大学院を受験する際に要求されるスコアだ。
ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。
こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。
2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外の大学院のPh.D.プログラム(日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。
自分のレベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。
合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。
反応は様々だった。
新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。
そもそも会社辞めて海外に留学なんて叩き上げの管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。
管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。
大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。
アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。
一度社会人を経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学生時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。
ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。
現在の給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカの州立大学の大学院生の平均的な給与だと思う。
そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である。
自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本の大企業やばない?と若干思うところもある。
まあしかしアメリカの田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。
大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除を経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。
アメリカでは博士卒が民間に就職した場合、自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。
周りをみても外国籍が特に問題なく就職しているので、日本の博士卒の就職難というような問題はこちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。
幸いビザ問題はとある理由でクリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。
海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。
生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。
元々人付き合いは好きだが、上下関係や気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。
年功序列は自分には向いていない制度であったし、自分の意志を介在せずに自分の処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。
それでも日本の大企業に入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスなアメリカの大学院生活でも大変に役立っている。
自分は別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカンドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。
同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。
https://anond.hatelabo.jp/20230831230414
自分と同じタイプだと思ったので書きます。的外れだったら無視してください。
「これはダメなやつ!」って怒鳴られた際には、何でこれがダメなのか分からなくて「これは○○が該当してる時にしか使えないの」と言われて1から全てを説明されないと分からない。
物事を把握するために頭の中を整理している、考えてる時間はフリーズしていてぼーっとしてる、サボってる風に見えるってのを学生の頃に指摘されたがそれが職場でイライラを助長させてるのを先日把握した。そんなつもりは無いから毎日すみませんとしか言えることがない。
このあたりを読んで感じましたが、もしかして、あなたは仕事の全体像がわからないと動けないタイプかもしれません。
書いてある内容を見ても、1から説明を受けたり、全体像がわかるように整理してから、であればきちんとできるようになっているように見えます。
細かいことを言われても全然頭に入ってこないけど、全体とのつながりやものごとの背景から説明を受けるとわりと覚えやすいタイプなのでは、という気がします。
職場の人に「きちんと働く気がある」ことをアピールすることから始めましょう。もちろん、ほかの投稿にあるように、環境を自分に合ったものに変えるのも一つの手です。でもそれは大きな決断・ストレスになるし、転職したばかりではなかなかすぐには難しいんじゃないかな、と思うので。
すぐに実行できて、すぐに効果が表れ、そして長い目で見て強化したい能力や達成したいことにつながるものがいいです。そうじゃないと先に心が折れます。
実際、あなたはきちんと働く気はあると思うのに、それが多分うまく伝わってないです。
物事を把握するために頭の中を整理している、考えてる時間はフリーズしていてぼーっとしてる、サボってる風に見えるってのを学生の頃に指摘されたがそれが職場でイライラを助長させてるのを先日把握した。そんなつもりは無いから毎日すみませんとしか言えることがない。
「そんなつもりはない」という気持ち、ものすごくわかります。ただ、「相手にそう見えているのは事実」と認識して、「どうしたらそう見えないか」を考えたほうが建設的です。結果的に精神の負担も少ないと思います。「見せ方」を意識するのは、手っ取り早くできて効果的な戦略です。
・今、頭の中で整理していることを全部書き出しましょう。
・まずは感じていること、考えていること、すべて書き出します。整理はそのあとです。何もわからないなら「どうしよう何もわからない」からはじめるのもアリです。
・何かを一生懸命にノートなりPCなりに書き込んでいれば、さぼっているのではなく仕事のことを考えているとわかります。(ただしスマホに書くのはやめておきましょう。スマホを見てるだけでさぼってるように見えるので。)そして、頭の中でいくら悩んでいてもわからなかったことが、文章にするとすぐに整理できたりします。
・書いていれば整理されてきます。あなたには悩みを文章にする力があります。それはすでにこの投稿でハッキリしています。これって大きなアドバンテージです。どんなに拙くとも、まず文章にできるか否かは大きな分岐点です。
②質問を通じて仮説を確かめ、さらにやる気があることをアピールする
・悩みを文章にできれば、背景や目的の整理がしやすくなり、作業の「仮説」を立てやすくなります。分からないことはその「仮説」をもとに質問しましょう。「こう考えていたけど違った」というのは貴重な経験です。適宜修正することで精度があがりますし、「経験」として自信になります。自信は「仮説」と「実証」で小さな成功体験を重ねてつけるものです。
・やる気の有無は「案」で判断されます。案を添えるだけでかなり受け手の印象は変わります。以下に例をあげておきます。
・例1:「やりかたがわからないから教えてください」→「こういう風にしようと思っているのですが、やりかたがあってるかわからないので教えてください」
・例2:「できません」→「それは自分には難しいので、代わりにこうしてもいいですか?」
上記ができていれば、「②話の内容が結びつきにくい、連想ができない。」で書いてるようなことは別に問題じゃないです。
誰にでも経験からの思い込みはあるし、「ああ、考えてみればそうだなあ」くらいで終わるような内容だと思います。実際、ちゃんと聞いてすぐ解決してるんだから何も問題は起こってないです。
こういうのは慣れでもあるので、だんだん普通に結びついていくんじゃないかなと思います。
これくらいのことでそこまで強い口調で言われてるのは、やっぱりあなたのやる気が疑われてしまっている状況なんじゃないかな~という印象です。
正直つらいと思います。あまり強い口調で言われたからといって自分を責めませんように。
そして同時に、そんなことで強い口調になってしまう職場の方もそれなりにしんどい状態だと思います。
どうぞお互いのために、まず全体像の把握と仮説検証につながる「やる気アピール」をしてみてください。
考えていることを文章にして、それを周りから見えるようにするだけで、びっくりするほど反応が変わります。「きちんと考えて悩んでいる」ことが周りに伝わるのはそれだけ効果的です。
長々と偉そうに書きましたが、あなたに非はあまりなく、普通にその職場が転職後半年のあなたへのあたりが強すぎるパターンもありそうな気もしています。
ピュアオーディオ界ではブラインドテストとか口にしたら殺されるらしい。
と思う気持ちがおれにも無いわけではないけれど、とは言えどうせ違いなんか分かりゃしねーだろ、試してやろうぜ!みたいなのは単に悪趣味でしかないよなって思う。性悪説というか、露悪的に割り切った考えこそが世の中の真理だと思い始めるような中学生じみてるというか。
まあそんなしょぼい環境で音楽聴いててかわいそ……とか、そんなんで満足出来て羨ましいわwとか偉そうに言われたら、ほなアンタは本当に違いの分かる男なんでっかいなと言いたくもなるとは思うけれど。
違いが分かるという事と、その違いによって満足度までもが変わる事はまた別だしね。
ABC版のスタンスミスと金文字版の違いなんて知ってりゃバカでも見分けがつくけど、その違いに5000円近く払ってでもこだわりたいと思うかはまた別の話。
違いが分かってなければ話にならないけど、音を聴き分けられた所で別にどっちでも良いってんならそれもまた意味のない事に金を使ってるって事になるし。そこの違いに価値を感じてるかどうかまでは外部からは確かめようがない。
なんでオーディオに金かけてるかって言ったら多分音楽を通じて満足や充足を得たいからで。それが自分の求める音によって達成されるかのか、高い機材を使って良質な音を聴いている気になる事で満たされるのか。過程は違えど目的は果たされているんだからどっちでもええやんって思う。
ラーメンハゲの「情報を食ってる」っていう擦られまくったアレだな。
作中で「情報を食べること」へどういった言及がされてるかは知らんけど、ラーメン発見伝は真理の書ではなくただのマンガで、作中の台詞はラーメンのプロフェッショナルではなく漫画家が考えたものに過ぎない。まあ本当にラーメンのプロフェッショナルが言った所で変わらないけど。
メタ情報に惑わされる事が良いとか悪いとか、別にそういう事ではないと思う。
でもそれを言ったら全ての過程をすっ飛ばして、薬打って脳みそに直接幸福を届けるのでもいいじゃんねって話になってくる気がする。おれはそれは嫌だと思う。
あまりにも邪道が過ぎるというか、そこまでラディカルにはなれない。
結果的に満足出来れば別に良いじゃんとは思いつつ、かといって近道のしすぎをするのもイヤだというのも不思議な所だと思う。唯物論と感性の神秘の間で揺れ動いていたい気がする。
例えば親権失った親が子供に全然面会できない、って意見よく出るけど
親の求める頻度が月1とか月2なのがまず異常だと言うのが当人たちはわかっていない。
離婚したら当然住む場所は違うわけで、実家に戻る家庭の場合県をまたいだりするなんてことはザラにある。
そうなると会いにいくだけで非常に手間と金がかかるわけで
子供目線としてもわざわざ親に会うためだけにそこまでしたいと思わない。
自分は片道電車で2時間くらいの距離で父親には長期休暇の年2回泊りがけで会っていたが
自分としてはそれで十分満足だったし、父親は遊んで楽しい人だったけど母親抜きで一緒に暮らしたい人ではなかった。
共同親権になれば子供はそれぞれの親の元へ行き来して暮らす必要があるが、
学生なら転校する必要もあるし、生活内容だってそれぞれ違うだろうから子供からしたら相当の負担になる。
別に離婚でなく単身赴任で考えてみてもいいんだが、会うのに何時間もかかる親の元へ
自分以外にも単独親権の友達は数人いるが、片親に会う頻度は自分より低いまたは全く会ってない人がいたが
彼、彼女らがその親に会えなくて寂しいと思ってはいなく、会えなくても困らないが子の本心なんだよ。
何よりそんなめちゃめちゃ会いたがるような親だったら、子供だってそっちに親権を求めるじゃん。
あとは共同親権ならば子供の虐待を防げるという夢見がちな意見に思うのは
親権持った親が急に虐待するようになった前提で考えているのかもしれんが
残念ながらそういう親は離婚前からも虐待をしているかすでに兆候はあるわけで、
それにすら気づけないほど日頃子供に関心がないか全く関わってない人が
養育費が正しく使われているかどうかを確認するためという意見もそうだが、
日頃子供にどれだけの費用がかかっているかすらわかってない人が正しい判断なんてできないし、
基本そういう事言うのはモラハラの人だけなんだよ。
だから彼らは親権を持てないし、共同親権が導入されても離婚時点で親権を持てないから結果的には今の単独親権と変わらない。
子の利益を最大限と言いながら、求めているのは親権失った親ばかりで
父親で親権取れている人は育児の実績がありつつ"子供が望んでいる"から取れている。
上記の子に会えない理由もそうだが、悲しいけれどよほどのことがない限り
どちらかと言えば子供にさほど好かれてないか母親の方が好きが大半なんだよ。
共同親権を実現するには離婚しても双方の親がそれほど離れていない場所に住んでいて、
先に断っておくと、これを書いている人間は彼氏いない歴=年齢のもうすぐ三十路。
どうしてもやり遂げたい目標があり、恋愛と天秤にかけて前者をとった。(二十代半ばで終わらせたかったけど、能力不足で長引いている)
並行は無理。誰かと付き合うなら、ちゃんと向き合いたいから。やっぱり目標があるのでごめんなさい、別れましょうなんて不義理もしたくなかった。
30歳までになんとかやり遂げて、晴れ晴れとした気持ちで交際相手を見つけたい。
ただ結果的に誰からも好かれなかったとしても、それはそれで仕方ない。何度も天秤にかけているので後悔はしない。
「内面重視」という言葉があるけれど、これは全く綺麗ごとではない。少なくとも私の中では。
一番大事なのは内面。もっと言うと、「恋愛観」が似ているかどうかだと思う。似ている言葉に「価値観」があるけれど、ちょっと違う。
「価値観」が極めて個人的なものを指しているのに対して、「恋愛観」は相手あってのものだから。
浮気OKだとか、優しいだけでつまらないから乗り換えたいとか、知人からそんな話を聞いて、あぁ「恋愛観」は本当に人それぞれなんだなぁと思った。
最初に書いた、ちゃんと向き合いたいという思いもそうで、「自分の理想を押しつけることなく相手の内面を知って、互いに尊重したい」ということ。そして、遊びではなく真剣に交際したいということ。
生涯愛する人はたった一人だけでいい。むしろ一人だけがいい。(これは理想だけれど……)
それが私の恋愛観。
こうした恋愛観が似ている人と一緒になれば、長続きするのではないかと思う。
婚活・恋活云々で知り合いの話やここの投稿を見ていると、先に年収や学歴や容姿で絞り込むシステムなのか……とモヤモヤする。エアプですみませんが。
私がもし婚活するのであればこんな風にしたいな。
・恋愛観や物事に対する考え方など、内面的なことを長ーい文章で構わないので知りたい。
・その上で絶対に譲れない条件で絞り込みたい。(クチャラー、喫煙者、太っている人はごめんなさい。年齢もここに含む)
考え方がしっかりしている人は、高年収でなくても大体お金の管理もしっかりしているだろうから。そっちの方が大事。
容姿は上に書いた通り、太っていなければ大体OK。内面って顔にある程度出るから、生理的に無理ってこともほぼないと思う。
例えば先に書いた恋愛観などの文章を読んで、いいなぁと感じた人=Aさんがいるとする。
Aさんに会って話が弾み、いいなぁという思いが深まったとする。
そのあとに、Aさんよりも500万円年収の高いBさんが現れても、AさんよりイケメンのCさんが現れても、そっちに行くことはまずない。というか、比較しようとも思わない。
そう考えると、これって一番近道じゃないの?と思う。
年収や学歴で絞り、その中から内面的に合う人を見つけるって、なんだか宝くじみたいだなぁと思うのだ。
けれど、そうしたくてそうしている人を批判する気持ちは私にはない。高望みしている人を見かけると、宝くじを買っているのだなぁとしか思わない。当たるといいねくらいに思ってる。
ただ、そうでない人も多いのでは? 宝くじを買いたいんじゃないやいって人、結構いるのでは?
そう考えると、もっと違うシステムがあったらいいのにと思うと同時に、これって私が特殊な考えなのだろうか。そんな需要はないのだろうかと思う、今日この頃です。
最底辺であっても、ただ一人ではないというのがポイントで、彼らの生存権を排除すると、
次の最底辺の権利も剥奪され、最終的に人類全体が不幸になってしまう。
まともな人間がBさんで疲弊するのは不条理だが、結果的にギリギリ生きられる程度に社会の中でたらい回しにするのは許容しても、
存在を排除しようとすべきではないし、そのためBさんのような人間をどう生かすかの認識は社会が持っておく必要があると思う。
社会側はBさんの思考回路に共感できずとも最低限理解することで、モンスターから人間に昇格させる方法を考えられるかもしれないし、
私自身もBさんと同様にモンスターであるが、このモンスターを社会の人間として生かすために、
理性的に社会側の人格をつくり、自身を客体化して何とか生きている。
まずはモンスターの性質を理解できないことには対処のしようがない。
健常者はそれまでの常識で彼らと接すると心身を壊すことになるし、
押し付けたっていうか、札束でビンタしたら東京の靴舐めたのが福島やろ。東京がリスクを郊外に移転する代わりに、それを受け入れた福島に保険料代わりに経済支援がなされたわけで、お金と引き換えにリスクを受け入れてきたんだから結果論抜きにしたら一応Win-Winなのよ。
原発事故でリスクが顕在化して結果的に痛手を負っただけ。リスクを金に変えてきたんだから東京の馬券を飲んでたら1000万馬券当たったようなもんでしょ。
https://anond.hatelabo.jp/20230829110703
この増田を見てて思い出した。
にじファンって二次創作小説投稿サイトが過去にあったんだよ、二次創作に対する著作権者側の規制強化の動きなどを受けて閉鎖したんだ。
つまりどういうことかっていうと「著作権者が直々に動いて、二次創作の規制強化をにじファンに求めた」んだよ。
結果的ににじファン閉鎖、二次創作禁止を表明してる著作権者の作品は取り扱わないようになったんだ。
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これはもう十年以上前の話。
暁やハーメルンはというとにじファンのように潰れていない、今日も平常運転だ。
なんでこれらの二次創作小説サイトは生き残っているのだろう? 著作権者たちがにじファンには動いて、これらのサイトには動かない理由はなんだろう?
俺、頭悪いから学者センセーの言ってること分からなくなてよー。
ALPS処理水とか言われてもなんか突然名前ついたなって感じしかね―んだよなあ。
なんか名前がカルピス見て―だしよーするに水で薄めてるってことだろ?
経産省と言えば関わった業界が衰退するスーパー疫病神のキングボンビーだろ?
東芝だって検査不正とか定期的にやらかすし何年か前に電力関連で不正してたからこの中でも特にアカンやろ。
日立もやたら子会社作りまくってアチコチで不正起こしてるけど、子会社増やしてるのって全滅を防ぐための不正のダメージ分散ちゃうんかぐらいの感じやわ。
俺、頭悪いから科学的な説明とか言われても良く分かんなくてよ、「誰がやってるか」でひとまず判断するしか出来ねーんだわ。
水素水やコラーゲンが体に良いって説明も効果なしって説明も、説明自体の胡散臭さに差を感じられるような教養がねーから世の中の多数決みたいので判断してわけな。
マスクとかワクチンだって、まあ経験上今更効果なしってことはね~だろと思いつつも子宮頸がんワクチンみたいな胡散くせーことは起きてるかもと警戒心バリバリよ。
そんな俺のアンテナがALPS処理水に対してはもうビンビンなんすよ。
なんかこう……もう駄目だろ?
胡散臭さが数え役満とまでは言わずとも跳満ぐらいにはなってるべ?
そりゃまあデカイ事業だから自然と関わる会社もデカくなるのは分かるんだが……デカイ会社はその分不正がニュースになる機会も増えるってのは分かるんだが……。
もうさ、俺に取っちゃ日本のデカイ企業がやる仕事が全部なんとなく信用できね―ワケよ。
でも信用しないからで他の国のを選ぶとしてもそこまで選択肢が多いわけじゃないから、日常的には割り切って日本製のものに囲まれて暮らしてるみたいな。
舶来品を持ち上げてた昔の日本人の気持ちに戻ってるというかね、やっぱ海を渡ってきてる連中ってのはそれだけすげーと思うわけよ。
そりゃま例に上げた連中だって会社全体では海を渡る力はあるだろうけど、ALPSにそれが出来るようなよりすぐりが集まってるとは思えねえんだよな。
これって別に中抜きチャンスを除けば儲かるような一大事業ってわけでもねえし、コンペのライバルが大勢いるわけでもねえマイナス覚悟の貧乏くじだろ?
そんなの最低限の仕事が出来る無難な連中集めて、密室的な所で全部終わらせて検査結果はエンピツペロペロになるんじゃねえかって気しかしねえのよ。
だってさ、「日本の処理水からこんなんでましたけど」みたいなことになっても勝手に「安全派」が暴れて何とかしてくれそうっていうか、世間も「反対派」の工作活動ってことにしてくれそうじゃん。
振り上げたこぶしを下ろせない人間が多すぎる界隈ではもう科学なんてまともに力を無くすんじゃね―かな。
そうなったらまともな科学者は相手したくねーからそんなの避けて、結果的に自分の能力のなさを手駒としての融通の利きやすさで補おうとするような連中しかこの仕事には振られてこないんじゃないかなと。
そういう連中がやった仕事なんて俺は信用せんよ。
まあそこまで明確に危険だとは思っちゃいないんだが、「言うほど安全ってわけでもねえんじゃねえか」ぐらいの感じだな。
「騒ぐほどのものではない」で押し切れる程度のレベルでしかないものを「超安全!絶対安心!」と言い張って垂れ流してるってのが現状ちゃうかと疑っとんよ。
これはもうどんな資料持ってこらえても「でもさーこんなん検査結果ペロペローンで作り放題でしょ?」で俺は突っ返すモードに入ってる。
これが原発問題だからってことじゃなくて、日本のデカイ企業はこういう競争性の低そうな公共事業ではそういう態度で仕事するし役所もそれで平気な顔して受け取るんちゃうかと思ってるだけ。
俺もまた振り上げたこぶしを下ろせねえ政治家的な態度取っちまってるわけで嫌になるけどよ、一度拳降ろしても少ししたら多分また同じように振り上げるんだろうなって気しかせんのも事実よ。
まあまだMADE IN CHINA よりはマシだと思ってるけどよ、昔はそれが20倍ぐらい安全だったのが今は2倍程度でしかなくてだいぶ落ちぶれたなって感じよ。
ただ、俺は頭が悪くて学者の言ってることが分からねーから、どの会社が関わってるかで判断して、なんとなくコイツらの言ってることは信用できねーなと思ったと言うだけさ。
最低限の保身が出来る程度には仕上げると信じて―けど、どーせトップダウン方式バリバリの直角ウォーターフォールだろうからよ、下でなんか起きたときに動き出したモノを止める機能がなさそうでよ。
「これ、バレたらマズイですよ」に対して「皆が黙ってればいいってことじゃん?」で終わらせそうですらないかね?この恐竜大集会はよ。
俺はそこが、信用できね―つってるのさ。
キャラクターの速度の話になると途端に光速度不変の原理を持ち出したり相対論的にはどう解釈できるかみたいな話に持ってく奴らが滑稽でならない。
異世界で相対性理論が成り立ってる保証がどこにあるんだい?科学的物理理論はほとんどの創作で設定として全く織り込み済みではないのだから(結果的には作者もまた常識でものを考えてるせいで現実の物理法則との矛盾がほとんどないような描写しかなかったとしても)聖闘士星矢の能力はジョジョのザ・ワールドと同じとか考えても実にくだらない。それは相対論の仮定のなかでのみ等価と解釈できるってレベルの話でしかないので、異世界同士のキャラ同士の能力が同じ物理法則のなかで同値か論じたところで、そもそも異世界同士なので法則も違うでしょうってしかならんわ