はてなキーワード: 発症とは
ADHDを傷害と持ってる人と、女性とはとにかく相性が悪いです。
まず、会話が成り立たない。
ADHDの人はとにかく会話が下手で、どんな話でも自分の方に引っ張り、そして理論的に的確に早く終わらせようとします。
そうしないと話したり聞いたりするのに疲れるからね。
これが女性と相性が悪く、会話のキャッチボールというのが出来ない。のでだいたい嫌われます。
(そして、私はそうするのがめんどくさくなって疲れるので話さないようになりました。すると吃音とか併発しだして…)
次に、何でも興味を持ちたがって動くので、行動力が自身と女性とで違い、大体女性側が疲れてしまいます。
その辺りで不仲になりがちです。
実際、子供が色々動き回ると、母親が疲れるという話、よく聞きませんか?これが大人の体力で出来てしまうので…
これがデート時の待ち合わせの遅れに繋がり、こういった人はだいたい嫌われたりします。
で、ちょっとぼかした風に話をしてますが、ADHDは実際は性別関係なく発症します。
上の文章で"ADHD"の所に男性と女性との性差を考えて改めて読んでみてください。
男性だと普通に受け入れられるでしょうが、女性として読み進めると「アレ?」と感じると思います。
これが、実際のADHDの性別発症に差が出る原因となってたりします。(といきなり別の話をする)
https://www.adhd-navi.net/adhd/learn/byoritsu.html
(他でも検索すれば出てきますが、倍率が3倍から上下してるのが何とも)
まあ要するに、女性のADHDは発症してしまっても、周りの人からのフォローが入りやすく、そのまま潜在化しやすい。
と言いたい訳です。
http://bunshun.jp/articles/-/1961
前に、会社から手帳取得を言われて抵抗している新人女子社員を見て、なんだかなあと思いながらつづってみました。
それじゃ次の機会があれば。
ゴミクズ野郎らしいので、律儀にトラバを見ているとも思えんのだけど、きみと境遇が近いので一応何か書きたくなったので書いとくね。
私もクソ貧乏母子家庭育ちで高校中退(奇遇だね!)。これは勉強が出来なかったからじゃなくて人間関係構築能力と集団適応力が皆無であったからだと思う。勉強そのものは別に嫌いではない。知ることは楽しい。
いきなり話が逸れた。
母はパチンカスヤニカスのサイマーで躾は暴力と暴言で行うタイプ。私の兄弟は思春期に統合失調症を発症し、その後は家庭内暴力が止まらない野獣と化した。私は10代のころに摂食障害を発症してBMI13ギリギリまで落ちたりウツになったり、通院先のメンタルクリニックでは情緒不安定性パーソナリティ障害と診断されるなどしていた。
で現在では、強迫性障害、社交不安障害、双極性障害と診断されており障害者手帳2級持ちだ。
私もきみと負けず劣らずのクズの自覚があるし、何事もやる気が続かないクズでもあるのだが、何よりも人間が嫌いであるので、あなたのようなゴタゴタやトラブルとは完全に無縁である。
幼少期には父親から挨拶がわりにディープキスされまくったり、一緒のお風呂では父の陰茎を洗う係に任命されるなどしていたが、自傷行為もしないしオーバードーズもしたことないし男性依存もない。
同じ目に遭って似たような精神疾患になってるのに何が違ってこういうことになるのだろう。私はゲーム依存症でもない。ネット依存症ではあるかもしれない。
10代から20代にかけて、およそ10年間、「実家に放火して親を焼き殺す」計画を立てて過ごしていました。
本気でした。警察の本部に売っている「捜査幹部必携」という専門書も入手して、焼死の際の事件性の有無の判定基準まで学びました。
刑務所には入りたくなかったのです。現代の火災現場検証では油が出火もとであればすぐに反応が出る、例えば首を締めて殺した後に火をつけたとしても、肺の中に煙が入っていない(呼吸をしていないから)ことで事件性はすぐに明らかになる、といった内容が載っていました。難しいな。何回も計画を練り、材料を燃やして検証し、でも、実行には移せずにいました。
物心ついた頃から虐待を受けていました。貧困家庭でした。年収200万円の5人家族。その中には、血の繋がっていない人も何人かいました。
思い出したくもありません。口減らしにと、真夜中の山奥に車で連れて行かれそのまま放置されたこともありました。パチンコ狂いの義父が負けて帰ってきて、私のゲームボーイを取り上げて遊びながら私をサッカーの球に見立ててドリブルしてきたこともありました。
食べ物はありませんでした。砂糖に一滴の水を垂らしてレンジでチンすると水飴になるのでそれを食べていたのですが、バレて砂糖を隠され、近所の猫のカリカリを食べました。あれは不味かったです。ハムスターの餌の方が美味しかったです。植物だとツツジの花がほんのり甘くて美味しいと思います。スミレの花も味が薄いので悪くないです。
ある時のドリブルで腰の骨が折れたことがあります。ベッドで動けない私を見た母親は、髪の毛を掴んで綱引きのように引っ張り、私はベッドから転落させられた末、殴られました。ちょうどお盆のことでした。他の家族は私を置いて旅行に行ってしまいました。私は這いずり回りながら、砂糖を探して食べました。帰ってきた母親に折れた腰のまま土下座をして、ようやく医療機関に連れて行ってもらいました。私の足は今も一部がしびれたままです。
紺色の服と白い服しか持っていませんでした。当時流行していた「ベティーズブルー」といった鮮やかな色の衣料とは無縁で、惨めでした。義父は自分が稼ぎが少ないのが気にくわないのか、常にコンビニ店員やガソリンスタンド店員にタメ口で命令していました。かわいそうな、あわれな大人だなと思いました。
長女でした。何度か「父親」が代わり、下の兄弟が増えていき、一番最初の父親に顔がよく似ている私はことごとく除け者扱いされました。
抱っこされた記憶があまりありません。おかげで、25歳ごろになるまでは、交際した男性にも「触らないで!」と要望していました。なにしろ、ハグの仕方が分からないのです。手を繋ぐのも怖かったのです。
自宅では、他のきょうだいが名前で呼ばれる中、「ゴミ」と呼ばれていました。劣等感の塊でした。小学3年から自殺未遂をしました。
数回やってもなぜか生きています。きっと、覚悟がなかったから死ねないのでしょうけれど。
そんな日々で、唯一自尊心を満たしてくれたのが、学校のテストの点数でした。良い点を取れば、認められる。認められたい。なんでも良いから。なんでも良いから認めて欲しい。だから、狂ったように勉強しました。河合塾主催の模試の上位者ランキングに名前が載りました。トイレでも、お風呂でも、ご飯の最中も勉強していました。
志望校に落ちました。「ちょっとだけ頭がいい方」くらいの、赤本を一度も解いたことがないような滑り止めに進学しました。
その時も本格的に自殺未遂をしましたが、死ねず。その学校に通い始めました。
しかし、なんにせよ、実家から脱出できたのは本当に大きかったです。
都内の家賃4万円のアパートを借りました。保証人欄には、今は行方の知れない実父の名前を書きました。奨学金は容易に掛け持ちできました。機関保証と給付です。アルバイトは3箇所ほど常勤で入り、当時規制がなかった日雇い派遣の案件をこなして生活費に当てていました。
ちなみに4万円のアパート、壁が薄くて、外で住人が階段を上がる音がするたびに、かつて母親がそうやって暴力をふるいにきたときの足音を思い出してしまいしばらくは安眠できませんでした。
もともと家に居場所がなかったため、学校ではずっと社交的で行動的なキャラクターを演じ続けていました。表面的な友達がとにかく多いタイプでした。親友はできませんでした。
それが功を奏してか、大手マスコミの内定を取ることができました。
初任給が、かつて私が育った家庭の2.5倍ほどありました。
5人家族で200万円だったのが、1人で500万円です。
お金の使い方が分からないので貯蓄してばかりですが、ずっと入れなかったファミレスの「ジョナサン」などに行くようになりました。
付き合いの宴席も多く、クレジットカードはあっという間にゴールドになりました。
PTSD。
心的外傷後ストレス障害とも呼ばれるこの病気は、辛かった日々が急に頭の中でフラッシュバックし、同じような苦痛を感じる、というものです。私は毎晩、義父にドリブルされる夢や、母親から階段で突き落とされる夢、10代の私が苦労して貯めたアルバイト代を母親が奪い取って美容整形に行って顔が変わって帰ってきた時の夢、そんなものばかりを見ました。
次第に不眠になり、虐待関連のニュースでも吐き気がするようになりました。マスコミ勤務でそれは困ります。現場では頓服を飲みながらかなり無理をしています。この無理ができなくなった時、私は職と社会的地位を失うと思います。
10代の時は貧しくて憎かった。20代で就職し、富を得ても病気で常に苦しめられた。だから元凶の実家を燃やしたい。ずっと、ずっと思っていました。
「実家を燃やしたい」から「どうでもいい」に変わったのは、最近のことです。
私は発病から5年以上が経過しました。一生病気と付き合って行くと思います。そんな中で、憎しみと怨念を抱きながら暮らして行くのは、もう疲れました。
そう、疲れたんです。
幸いにも今、「あなただから話せる情報なんだけど」と仕事に役立つ情報を提供してくれる人も増えています。結婚はしていませんが(結婚話は、元彼との間で一度でました。親の話などが出てくると、とたんに受け付けなくなってしまって、衝動的に別れを告げました)、結婚もありかな、と少しずつ考えることができるようにもなっています。今の生活を守りたい。それだけ、それだけなのです。
故郷の役場に行って、あの家庭の戸籍から私の名前を抜いて分籍しました。頼る家族はいません。正真正銘、ひとりです。
精神疾患を患った我が身のみが頼りです。
これで、よかったんですよね?
初めてだと思ってたのにこれまでにも何回か繰り返してたらしい。たまに痒かったのはデリケートゾーンのかゆみではなく痔だったのか。地味なショックと安堵が綯い交ぜになった感覚に包まれたまま座薬を入れてもらい、同じものが処方された。座薬は幼稚園以来である。医師も看護師も女性だったのと、視界がミントブルーの布に覆われていたので少しドキドキした。
これからは切れてそうな時ボラギΦール的なものも使っていくといいらしい。帰りに値段確認したら意外と高かった。全てデスクワークが悪い。
正社員になれないのもわかってる。
保険とかもろもろややこしいものもいらないから、お金を稼ぎたいです。
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僕のスペック
・中卒(正確には高校中退)
・年齢20代
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中学生のころにクローン病という病気を発症。当時は過敏性腸症候群だと診断された。
その後腹痛で通学できなくなり、不登校状態で卒業。通信制の高校に進学したが三年で卒業できないとわかった頃、クローン病だと診断されて退学した。
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クローン病ってなに?って人向けに説明すると、粘膜に炎症が起きる病気。原因がわからないので、完治はできない。症状をコントロールするのが目標。
僕の場合症状がでてから診断されるまで間があったので治療が遅れた。クローン病だとわかったときには小腸や大腸で炎症がおきていて、狭窄ができていた。
腸管内で繰り返し炎症がおきて、傷口にできるかさぶたが積み重なって狭くなったといえばイメージしやすいかもしれない。
炎症を抑えるために免疫抑制剤を使いながら様子を見てたんだけど、狭窄の痛みが酷かったので腹腔鏡手術で切除した。
手術のおかげで狭窄の痛みはなくなったけど、これが原因で現在は慢性的な下痢に苦しんでる。
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慢性的な下痢になると、痔になる。酒飲みのおっさんみたいだが、笑えない。酒飲みは酒を絶てば治るが、僕の場合食生活ではなく腸のせいだから治らない。
痔が慢性化すると、膿んで痔瘻になる。こうなると発熱するし、痛くて座れなくなる。肛門周囲に膿が溜まって、水ぶくれができて、その後自壊(破裂)して中身が垂れてくる。
痔瘻の手術もした。シートン法といって、膿んだ部分をくり抜いて、ストローみたいなチューブをぶっ刺すんだ。
こうするとチューブが邪魔でくり抜いた部分がいつまでたっても埋まらない。その間ずっと膿が出てくるわけだ。
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毎日の排泄が辛い。トイレにいくたび痔瘻が腫れる。トイレにいって、横になって、なにやってるんだろうと思う。
トイレにいく回数がふえるだけで、横になる時間が増える。これじゃ予定も入れられない。
「治してからにしてください」
いや、治したいよ。だけど、治せんのよ(´・ω・`)
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無理して両親のつてで土木建築の現場を紹介してもらい、バイトをしたこともある。
だけど、現場のトイレは使えないからコンビニまで行かなきゃいけないし、下痢プラス痔瘻のコンボで漏らしてしまった(文字通り)。
それ以前に、免疫抑制剤のせいで道具を握れば突発性じん麻疹が出てしまう。
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どうしようもないが、悲しいし、悔しい。
クローン病の患者の会に出席したことがある。職業について語る場面で、普通に「生活保護です」と喋っている人たちがいた。
いずれ僕もそうなるんだろう、とは感じてる。だけど、今は働きたい。20代で諦めたくない。
だけど、手伝ってくれる人なんて周囲にいないし、相談相手もいない。金もない、仕事探しに使える資格もない。学校通ってないから友達もいないし、ネット上の友達っぽい人もいない。ヒモになれるイケメンでもない(というか、ブスだ)。体力もないし、すぐじん麻疹でるし、かゆみから貧乏ゆすりがとまらないどうしようもない人間だけど、それでも諦めるのは辛いんだ。
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両親には今まで数多くの迷惑をかけてしまった。顔を見ただけで疲労困憊しているのがわかる。申し訳なく思う。
だからこそ、経済的に自立、もしくは家計を手助けするぐらいのことをしたい。
だけどネットの求人を探しても、中卒の病気持ちを雇ってくれるところはない。学歴不問のラブホの厨房のような仕事でも、スケジュールに穴を空けられると困るし、勤務中にトイレに行くのは困ると言われてしまった。
狭い知見しか持ち合わせていないから、これ以上僕一人でできることはない。
雇ってくれる経済力のある人は自殺者1人減らすと思って声をかけてほしい。雇用者じゃない人も、こういう仕事ならいけるんじゃね?と思ったら書き込んでほしい。
今現在夢も希望もないが、ここに書き込めばなにか見つかるかもしれないと思った次第。できるだけ返信はするので、よろしく。
Twitter https://twitter.com/kuron_hatena
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まず高校を卒業したら?と考える人がいるかもしれないけど、親父が借金抱えていて経済的な余裕がないんです。学歴のせいで中卒OKなバイト探すだけでも苦労する有様なので、将来的には高校を卒業したいと思っています。だけど、まずはお金です。そういうこともあって、この日記を書きました。
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追記2
クローン病患者なので、特定疾患による医療費の助成は受けていますが、障害者ではありません。だから、障害者雇用枠で就職することは出来ません。
障害者と健常者の間でセーフティーネットからこぼれ落ちた男の話として読んでもらえれば理解しやすいかと思います。
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追記3
>>住み込みや単身赴任でもいいのだろうか。通院があるから難しい? 希望勤務地とかそのあたりの条件が意外とポイントじゃない? 引っ越しも可なら、意識高い系の農業法人とかなら宣伝も兼ねてワンチャンないかな?
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二ヶ月に一度通院して、ヒュミラをもらうサイクルを繰り返しています。
二ヶ月に一度なのは、特定疾患の助成の度合いが「高額かつ長期であるか」で決まるからです。都道府県によって違うみたいですが、僕の県では高額の支払いが年6回以上あって、世帯収入が低収入の場合、月の支払い上限額は5000円になります。ヒュミラ二ヶ月分で30万円ほどかかっているので、一割負担でも三万円。かなりデカいです。
なので、二ヶ月に一度クローン病(IBDでもいい)に詳しい先生がいる病院に通院ができて(高額かつ長期のための実績づくり)、ヒュミラが受け取れて、医療費の助成が受けられる立地なら、どこでもいいです。
もちろん農業もばっちこいです。ただし、ヒュミラのせいで感染症になりやすかったり、怪我が治りにくかったりするので、そういう仕事には注意が必要です。
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追記4
>>gonzales66 京都難病支援パッショーネ 上野山さんの京都新聞の連載 > 難病患者 就労への挑戦
>> 「41歳男性、難病患者で通院中、はい、重症筋無力症という病気です。短時間労働を希望しています。はい、障害者手帳は持っていません。あ、そうですか…失礼します」。おおむねこんなパターンで撃沈します。後で担当者からいつ頃病気は治るのですかと聞かれ、「いやあ基本治らないっすわあ」とこのくだりまでがいつもの流れです。
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僕のバイトの面接もこんな感じでしたね。この気まずさ痛いほどわかります。
長時間労働希望のほうがシフト埋めやすいのはわかるんですが、慢性的な下痢で痔瘻患ってるとトイレが長いんでワンオペ無理です、短時間労働希望です、と告げると理由を聞かれます。
病気を告げると、障害者手帳の話になり、持ってないというと、いつ治るの?と聞かれて撃沈。
唯一の例外は新聞配達のバイトでしたね。人柄採用でした。下血が酷くなり痔瘻が悪化、患部が腫れて自転車を漕げなくなり、一週間の研修が終わると同時にやめちゃったんだけどね(´・ω・`)
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追記5
>>worris 戀塚昭彦さんがUCで在宅勤務ですね。私はCDで経腸栄養剤を補助的に摂取して通勤できています。
僕もそれ試してみたんだけど、経腸栄養剤(エレンタール)にすると下痢の回数が増えちゃうんだよね……浸透圧のせいかと思って薄めに作ったり、鼻チューブで就寝中に一滴ずつおとすのとか試したんだけど、お腹ゴロゴロして日中なにもできないわ、下痢の回数増えて痔瘻が悪化して、外科の先生に排膿(患部を切開)してもらうことになったりと散々だった。主治医のススメで栄養指導も受けたんだけど、エレンタール無理なら他にない、とさじを投げられてしまった。
クローン病の好発部位である回腸を切除すると下痢になりやすくなるみたい。
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追記6
>>a254103 患者の会に生活保護を受けていない人たちもいそうだけど、その人たちはどんな仕事をやってるのだろう?参考にならないかな??
患者の会は今現在健康的な生活を送れている人しかこないので、あんまり参考にならないんですよ。
パターンA、下痢や痔瘻に悩んだことはないし、狭窄になったこともない。免疫抑制剤やエレンタールでコントロールできている人。
パターンB、下痢や痔瘻や狭窄に苦しんだが、ストーマ造設手術を行い、オストメイトになった。現在は障害者として普通に生活できている人。
だから参考にならないし、相談するとストーマにしちゃえば?としか言われない。主治医にそのことを伝えると、クローン病自体はコントロールできている(実際小腸、大腸の縫合後に潰瘍が見られる以外再燃していない)。QOL(生活の質)と就職は別問題(なので関知しない)と言われました。
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追記7
自分の健康面での将来が不安で「クローン病を患っていて、とうとうストーマになった患者さんのブログ」を見ていたんですが、コメント欄をみてもアドバイスが殆どなかったんですよ。僕自身fc2(アメーバだったかも)で一度記事を書いたことあったんですけど、最初のコメントが通販でサプリメント売りつけている別ユーザーの慰めのコメントでした。そういうのはもうお腹いっぱいなので(いっぱいなので)あえて増田かな、と。
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追記8
>>pmonty きっついね。自助努力ならプログラミングだと思う。あとブロガー(文才あるよね)。流行りならYoutuber, Vtuber とか?住んでる県か市くらい明らかにした方が救済が期待できるのではないかと。
どこまで書いていいのかわからなかったので書いてなかったんですが、大阪府在住です。
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追記9
>>いちおう欲しい収入は書いたほうがいいんじゃね
本音でいうと、お金をもらえるなら具体的な金額はどうでもいいです。10円とかじゃ困るけど……。
高校をちゃんと卒業するためのお金を貯めたいって目標はあるのですが、それだって残ってる単位40ほど×1単位9000円でけっこうな額になっちゃうし、入学費用(退学してるので)も含めるともっと増える。
二年以上新しく服買えていない(バイトの面接でジーンズダメと言われて本気で困った)、未払いで電話が止まること多い、というかクレカが全部死んでる、家差し押さえられた、車手放した状況なんで、世帯収入増えるならなんでもいいです。
そのうえでですが、僕の医療費の支払い上限は5000円で、特定疾患による医療費の助成表から逆算すると世帯収入は370万円以下のはずです。これが370万円~810万円になると、上限が10,000円になります。年6回通院なので、30,000円の負担増がペイできて、家計に貢献できるならうれしいです。
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みんないろいろありがとう。まだ報告できることはないけど、TwitterのアカウントにDMがたくさん来て嬉しいよ。
ブログやらないの?って書き込みはあったけど、このアカウント思いつきで取ったので、IDがkawango2525なんだよね。誤解しか生まないからどうしようか悩んでるよ。
ちなみにkawango2525なのは、Twitterで低能先生がトレンド入り→kawango2525のつぶやきが話題になってるのを知る→低能先生についてのはてなアノニマスダイアリーの記事を読む→自殺を考える→禁止されていた飲酒をする→酔った勢いではてなアノニマスダイアリーに記事を投稿しようと思い至る→アカウントを取得するって流れだったからだよ。
Twitterのアカウントは見ているので、なにか用事のあるかたはDM送ってくれたらと思うよ。
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来週中になにか報告できるかもしれません。DM送ってくれた皆さん本当にありがとう。この恩は働いて返します。
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甘くないと飲みたくないとかいう家庭って、あまり健康的に思えない
。
もうひとつ、糖尿病に関してですが、『ネイチャー』というイギリスの学術雑誌に、興味深い論文が掲載されていました。
水や砂糖水を与えられたマウスと、人工甘味料入りの水を与えられたマウスを比べると、
人工甘味料入りの水を飲んだマウスの多くが、耐糖能異常(糖尿病と正常の間の境界型糖尿病)を発症していた、と記載されていました。
また、人を対象に検証した実験(イスラエル・ワイツマン研究所)でも、同様の結果が報告されています。
つまり、人工甘味料は肥満だけでなく、糖尿病のリスクも高めるおそれがあるのです。
では、こうした人工甘味料入りの食品と、どうつきあっていけばいいのでしょうか。
まず、「ノンカロリーだから太らない」という認識は捨てることです。
(1) 発症前1か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いが、おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること
(2) 発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること を踏まえて判断すること。
芸能人が関東圏の放送状態が楽天的だ、不適切だのようだということ言ってるけど、
(その場にいないので断言はできない)
見ているだけで無力感を覚えたり、過去のトラウマを思い出す人、PTSDを発症してしまう人もいるので、
でも何より不自然なのはその不適切だという発言がすでに他人事のようになっていることだと。
「見ているなら助けろ」というのもメディアの人に物理的に助ける力があるというとそうでもない気もする。
ネットワーク的に人や交通網があるってだけで救助できる能力があるかは別。
災害を受けていない圏は経済を回したり、いつもどおり過ごすということも大事だし、
小さな日本では西と東でできているということじゃん。それは凄いことでしょ。
20日ぐらい連続で出来たら、習慣化するらしいし。
でも、私増田に今、続けて日記として吐き出す物は。ADHDと認定される前と、認定されてからの人生ぐらい。
それに、今は緩解(障碍者として一般人と同じ振る舞いが出来るようになった状態)まで出来たが、それまではかなり酷い症状だったみたいだ。
そして、私の精神力(=MPで通そうかと思う。一部の人間にはその方が解りやすいみたいだし。)はものすごく低い。
休日は日常のストレスを取るために、オナ〇ーして寝る。を繰り返さないと全快しない。
他の何をしても興味が無いとMPは回復しないから、一日何もできません出来た。という休みの日が多い。
(だから掃除は余りしない(片づけられないから出来てない)ので、部屋はホコリが良く積もる)
その癖、体力がそこらのモンクより高いので、何か新しい事を始めると、トイレ行くまでずーっとその事をやり続けてしまう。
(過集中と合わさって、腹も痛くなるまで食べなくても平気なので、少し減ってる状態から始めたら、夜までとか普通にある)
だから、いつもやる気が無く、だけどやり始めたら止まらないとかが普通だと思ってた。
(というか、区切りってなに?と最近まで考える事が無かった。サルだな)
後、ディスレクシアも発症しているようだ。いや、文字が大体読めるんだけど、書けないのよね。漢字。
そのくせ電話の内容が入ってこなかったりもするし。
うん。今もその障害が発生してるようだ。
…文章が切れぬ。(続き?はまた次の機会に)
自分は少し人が怖く社会を生きるのが苦手でずっとこのような先天的な症状を抱えていると感じていたが違うと気づいた。
生後から1年半くらいの期間の間親からの愛情不足(具体的には子供の欲求に対する即レス力の不足)になると発症率は高まり、症状が出るらしい。
具体的な症状は、情緒の不安定さや人間関係の構築などで不得意さが表れる。
日本は精神的な病を抱えている人が多い、多いと感じていたがそれは家庭教育、学校教育、社会全体による間違いは許さない空気が多くの人をその症状に近づけていったのじゃないか、そう感じた。
また、世間ではADHD,発達障害に関してはドキュメンタリーやエッセイ、漫画は多く出ているが、この愛着障害に関しては出ていることは少ない。
なぜなら前者と比べ後者は完全に後天的な病気で、これの発症は家庭や周辺環境が原因であることが多いからだ。
愛着障害に関して例えばわが子は愛着障害なんて出せば第3者から見れば虐待やネグレクトを疑われるからこういったコンテンツは出ないんだとも感じた。
ただ、愛着障害=親の責任と短絡的には結び付けられない。結局は子供に構えれるだけのゆとりをなくした社会の責任でもあると思う。
子供を持つ人や作る人は最初の1年半だけでも子供に対応してほしい。この1年半が微妙だったらその後の人生子供はすべて苦しむことになる。
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。
これ見て思い出したけど、鬱になって毎日どうやって死のうか考えてた頃があった。
でも私はその頃こそ、世間的に見てまっとうな人間だった気がする。
鬱になる前は、ジャンクフードばかり食べ酒も飲みかなり太っていて、大した収入もないのに一人旅行が好きで通販もよく利用するので常にジリ貧、毎晩3時4時くらいまで起きて夜更かししてた。
ある日鬱を発症した途端、それらをしなくなった。
まず食べなくなった。なのでかなり痩せた。
どこにも行きたくないので休みは部屋に引きこもり、購入意欲もないので何も買わなくなって毎月のカード請求額がいつもの1/3になった。
何もしたくないというか起きていたくないので、仕事から帰るとすぐに寝た。
つまり、私は鬱になって体型がマシになり、貯金が増え、規則正しい就寝と起床を行えるようになった。
鬱が収まった今は体重はリバウンドで鬱になるよりも太ったし、散財しまくってカード請求額は4倍になったし、また夜更かし生活をしてる。
でもその嬉しさを天秤にかけると、毎日死にたいと思ってた頃には絶対に戻りたくないという気持ちのが勝る。
加えて40万円ほどの借金がある。
ドクターストップがかかり、派遣先をやむなく変えることとなったが、
だが、このままでいいはずがない。
お金だ。
お金がいる。
先日、任意整理を依頼した。
面接に行くことにした。
急に悲しくなってきた。
何のために生きてるのか、わからなくなった。
薬は毎日飲んでるのに。
もう死んだ方がいいんじゃないかな。って強く思う。
生きるのが、本当につらい。
※追記
仕事終わってはてブ見たら…たくさんの助言、ありがとうございます。
みんな優しい。
両親の心にも余裕はない。
その中でこれ以上、負担をかけたくないんだ。
せっかく助言くれたのに、ごめんなさい。
また、あるはてブの人が言ってたように、ただの過労だけではなく、
本当にひどい。
失敗すれば全て私のせいとなり
そんな私の唯一の娯楽は買い物。
昔あんなによく行ってた100均に行かなくなった。というか行けなくなった。
終業後にはどこも閉店してる。
仕事中のランチは、汐留だったから1食1000~2000円くらい。
食べることだけは絶対に忘れないで、たくさん食べてた。
画面の外での意欲は食欲以外なかったから
すごく楽で、たくさん買い物をした。
給料日が来たら、返済すれば間に合うし。
今思えば、愚か以外の何者でもないが、当時はそれくらい追い詰められていた。
普通じゃなかった。
そして、会社のストレスチェックに引っ掛かって、医者に呼び出された。
うつ病で死なれでもしたらまたニュースになるということ。(以前、過労自殺した人を出した某企業なのでやばいと思ったんだろう)
仕事は楽しくやるもの。病気になるような仕事なんて存在しないと言われて
一晩中泣いて泣いて考えた。
もう仕事やめようって。
そのほうが、会社のためでもあるなと思った。
お給料は半分以下になったけど
周りもいい人たちだし、時間もきっちりしてるし、
やめたくない。
でも、お買い物の癖が抜けなくて本当に困ってる。
長文読んでくれてありがとうございました。
また追記
20180702 途中までですが書いている間に飽きてしまったのでいちど公開します.
一年前くらいに雛見沢症候群になりました.そのときのことを唐突に思い出したので筆を取りました.
vip列島をやっている人間なんてもはやほとんどいないだろうけれど,少なくとも私はこの件に関する情報収集に非常に難儀したので,ここに備忘録として雛見沢症候群になったときの話を書いておきます.
なんでわざわざ増田でこれを書いているのかというと,
・自動リロードを用いていたので記名記事にするには若干後ろめたさがあった
・vip列島の情報は往々にしてしたらばや2ch,古いジオシティーズのホムペなどに記載されていることが多く,googleで情報を探すのに難儀する(そもそもクロールしていないことすら多々ある).
などの理由があるからです.殊に,vip列島したらば掲示板が閉鎖されてからは尚の事情報収集が困難になりつつあります.増田は,適当な記事を選択してそのタイトルをgoogleに入力すればとりあえず100%ヒットするので(私調べ),ひとまずクロールの問題は解決されよう,と考えました.
で,本題についてですが,まず,私が雛見沢症候群になったときの状況をいかに記します.
・ドル建ての効果&資産運用イベントにより,手持ちの借金が全資産の半分近くとなっていた.
・その状態で20秒毎の自動リロードを設定し,10時間ほど放置した.
・放置したら借金は1/10程度になっていた.それと同時に雛見沢症候群が発症していた.
・雛見沢症候群になってからも自動リロードをつけて10時間ほど放置したが,一切改善が見られなかったので雛見沢の入江診療所を用いて治療を行った.
雛見沢症候群は,未だ詳細なことが解明されていません.ものずごい痔と同一視されがちですが,一般的に知られている事実として,雛見沢症候群には以下のような特徴が存在します.
・「せかいじゅのは」などが効かない
・発生頻度が非常に少ない(私は10年選手ですがはじめて雛見沢症候群になりました).
これに加えて,私が雛見沢症候群になり知ったのは以下のような点です.
・他イベントが発生して調子が下痢などに上書きされても,リロードを重ねると病状が悪化し,ついにはものずごい痔を経由して雛見沢症候群へと戻ってしまう.
・雛見沢の入江診療所で治癒すると調子の顔文字が,ストレス最悪状態の(´益`)になる.
・ストレスを6000解消させても顔文字は一切変化しない.すなわち,雛見沢症候群治療時,少なくともストレス値は7000以上となっている(ただし,これについての仮説を後述しています).
以上の情報より,
①異常なストレス値について
③
以上について私が導いた仮説を以下に記します.
①異常なストレス値について
自動リロードを数時間用いていたことはこれまでにも何度かありましたが,少なくとも4桁を超えるようなストレス値の大きな変動が発生したことはこれまでありませんでした.故に,ストレス値の悪化は以下のいずれかの要因に起因するものと仮定できます.
・雛見沢症候群を放置して(たとえば発症した状態でのリロード回数)の行動による蓄積値
じつは,私はファイトクラブにおける自動リロードでの稼ぎを目論んだことがあります.これは,ファイトクラブの画面でf5を押すことで待機時間が発生せず次のバトルに移れることを利用した手法です.この際にも
20180702 途中までですが書いている間に飽きてしまったのでいちど公開します.
一年前くらいに雛見沢症候群になりました.そのときのことを唐突に思い出したので筆を取りました.
vip列島をやっている人間なんてもはやほとんどいないだろうけれど,少なくとも私はこの件に関する情報収集に非常に難儀したので,ここに備忘録として雛見沢症候群になったときの話を書いておきます.
なんでわざわざ増田でこれを書いているのかというと,
・自動リロードを用いていたので記名記事にするには若干後ろめたさがあった
・vip列島の情報は往々にしてしたらばや2ch,古いジオシティーズのホムペなどに記載されていることが多く,googleで情報を探すのに難儀する(そもそもクロールしていないことすら多々ある).
などの理由があるからです.殊に,vip列島したらば掲示板が閉鎖されてからは尚の事情報収集が困難になりつつあります.増田は,適当な記事を選択してそのタイトルをgoogleに入力すればとりあえず100%ヒットするので(私調べ),ひとまずクロールの問題は解決されよう,と考えました.
で,本題についてですが,まず,私が雛見沢症候群になったときの状況をいかに記します.
・ドル建ての効果&資産運用イベントにより,手持ちの借金が全資産の半分近くとなっていた.
・その状態で20秒毎の自動リロードを設定し,10時間ほど放置した.
・放置したら借金は1/10程度になっていた.それと同時に雛見沢症候群が発症していた.
・雛見沢症候群になってからも自動リロードをつけて10時間ほど放置したが,一切改善が見られなかったので雛見沢の入江診療所を用いて治療を行った.
雛見沢症候群は,未だ詳細なことが解明されていません.ものずごい痔と同一視されがちですが,一般的に知られている事実として,雛見沢症候群には以下のような特徴が存在します.
・「せかいじゅのは」などが効かない
・発生頻度が非常に少ない(私は10年選手ですがはじめて雛見沢症候群になりました).
これに加えて,私が雛見沢症候群になり知ったのは以下のような点です.
・他イベントが発生して調子が下痢などに上書きされても,リロードを重ねると病状が悪化し,ついにはものずごい痔を経由して雛見沢症候群へと戻ってしまう.
・雛見沢の入江診療所で治癒すると調子の顔文字が,ストレス最悪状態の(´益`)になる.
・ストレスを6000解消させても顔文字は一切変化しない.すなわち,雛見沢症候群治療時,少なくともストレス値は7000以上となっている(ただし,これについての仮説を後述しています).
以上の情報より,
①異常なストレス値について
③
以上について私が導いた仮説を以下に記します.
①異常なストレス値について
自動リロードを数時間用いていたことはこれまでにも何度かありましたが,少なくとも4桁を超えるようなストレス値の大きな変動が発生したことはこれまでありませんでした.故に,ストレス値の悪化は以下のいずれかの要因に起因するものと仮定できます.
・雛見沢症候群を放置して(たとえば発症した状態でのリロード回数)の行動による蓄積値
じつは,私はファイトクラブにおける自動リロードでの稼ぎを目論んだことがあります.これは,ファイトクラブの画面でf5を押すことで待機時間が発生せず次のバトルに移れることを利用した手法です.この際にも
20180702 途中までですが書いている間に飽きてしまったのでいちど公開します.
一年前くらいに雛見沢症候群になりました.そのときのことを唐突に思い出したので筆を取りました.
vip列島をやっている人間なんてもはやほとんどいないだろうけれど,少なくとも私はこの件に関する情報収集に非常に難儀したので,ここに備忘録として雛見沢症候群になったときの話を書いておきます.
なんでわざわざ増田でこれを書いているのかというと,
・自動リロードを用いていたので記名記事にするには若干後ろめたさがあった
・vip列島の情報は往々にしてしたらばや2ch,古いジオシティーズのホムペなどに記載されていることが多く,googleで情報を探すのに難儀する(そもそもクロールしていないことすら多々ある).
などの理由があるからです.殊に,vip列島したらば掲示板が閉鎖されてからは尚の事情報収集が困難になりつつあります.増田は,適当な記事を選択してそのタイトルをgoogleに入力すればとりあえず100%ヒットするので(私調べ),ひとまずクロールの問題は解決されよう,と考えました.
で,本題についてですが,まず,私が雛見沢症候群になったときの状況をいかに記します.
・ドル建ての効果&資産運用イベントにより,手持ちの借金が全資産の半分近くとなっていた.
・その状態で20秒毎の自動リロードを設定し,10時間ほど放置した.
・放置したら借金は1/10程度になっていた.それと同時に雛見沢症候群が発症していた.
・雛見沢症候群になってからも自動リロードをつけて10時間ほど放置したが,一切改善が見られなかったので雛見沢の入江診療所を用いて治療を行った.
雛見沢症候群は,未だ詳細なことが解明されていません.ものずごい痔と同一視されがちですが,一般的に知られている事実として,雛見沢症候群には以下のような特徴が存在します.
・「せかいじゅのは」などが効かない
・発生頻度が非常に少ない(私は10年選手ですがはじめて雛見沢症候群になりました).
これに加えて,私が雛見沢症候群になり知ったのは以下のような点です.
・他イベントが発生して調子が下痢などに上書きされても,リロードを重ねると病状が悪化し,ついにはものずごい痔を経由して雛見沢症候群へと戻ってしまう.
・雛見沢の入江診療所で治癒すると調子の顔文字が,ストレス最悪状態の(´益`)になる.
・ストレスを6000解消させても顔文字は一切変化しない.すなわち,雛見沢症候群治療時,少なくともストレス値は7000以上となっている(ただし,これについての仮説を後述しています).
以上の情報より,
①異常なストレス値について
③
以上について私が導いた仮説を以下に記します.
①異常なストレス値について
自動リロードを数時間用いていたことはこれまでにも何度かありましたが,少なくとも4桁を超えるようなストレス値の大きな変動が発生したことはこれまでありませんでした.故に,ストレス値の悪化は以下のいずれかの要因に起因するものと仮定できます.
・雛見沢症候群を放置して(たとえば発症した状態でのリロード回数)の行動による蓄積値
じつは,私はファイトクラブにおける自動リロードでの稼ぎを目論んだことがあります.これは,ファイトクラブの画面でf5を押すことで待機時間が発生せず次のバトルに移れることを利用した手法です.この際にも
精神医療についての話題が増田で盛んだ(時期を若干逃した感はあるが)。自分の場合は医者と薬のおかげでサラリーマン生活を続けることができている人間なので、こんなケースもある(ごく普通にある)と知ってほしいと思い、ここに書いておく。
発症は1年半ほど前。メンタルに突如異常が出る。時期によって異なるが、症状は次の3つ。
一晩に3~4回程度目が覚めてしまう。起きて時計を確認すると午前2時や3時だったりしてめちゃくちゃがっかりする。寝不足がひどい。
常にイラついているわけではないのだだが、出社から夕方頃までの間は魔の時間で、ちょっとしたきっかけで怒りが爆発する。会社で同僚に挨拶されただけで突然感情のメーターが振り切れて暴言を吐きそうになる。社会生命がやばい。
これはこの発症当初ではなく半年ほど過ぎた頃から発生。気分がとにかく落ち込む、自分が劣った人間であるという根拠を脳が勝手にひねり出し始める、意味がないと知りつつ止められない、性欲の減退、性的なコンテンツへの嫌悪感、これまで好きだったものへの無関心、等々。人生がまずい。
このままでは社会生活が送れなくなるという危機感が背中を押し(抵抗なく医者に駆け込めたのはTwitterやはてなで「困ったら医者に頼るのは当たり前だ」という判断基準が刷り込まれていた部分も大きい。この場を借りて感謝しておきたい)、これはまずいと認識した数日後には勤務先から徒歩圏内にある心療内科へ予約の電話をかけた。もう1年以上前のことなのに、電話を切った後の「一仕事終えた」という若干の開放感、そしてこれから未知の何かが始まるのだという不安感はまだよく覚えている。
初診は待たされることが多いと聞くが、昼休みに融通が利く職場環境ということもあり、1週間程度で予約が取れたのは幸いだった。医者では簡単な問診が行われた。
Q: これまでもこんなことが?
A: ない。
Q: 原因に心当たりは?
A: ない。ここ数ヶ月で生活がいきなり変わったわけでもない。イライラとは逆に毎年春になるとメンタルが低調になることはあった。
その結果医師が下した判断は「軽度の双極性障害の可能性があります。薬を処方します。睡眠導入剤も一緒に出しておきます」とのこと。人生初の薬物生活へ突入。
薬を症状によって変えつつ、今は双極性障害の薬、抗鬱剤+精神安定剤、睡眠導入剤、便秘薬(抗鬱剤の副作用に便秘があり、それに対抗するため)を1日トータル11錠服用している。
中途覚醒はほぼ姿を消した。イライラも落ち着いた。眠りの質はあまり良くないものの、ほぼ毎日朝まで眠れるようになった。ここのところは1週間のうちダメな気分になるのは0日から3日程度。1回あたり数十分から数時間続くのでその間はつとめて何もしないようにしている(これも仕事にある程度の裁量があるから可能なことではあるが)。
寝る前に服用する薬が多いので、以前は時折楽しんでいた寝酒は諦めた。副作用の眠気にはかなり苦しんでいる。頭の働きが明らかに鈍くなったという実感があり、「自分はそこそこ頭の回る人間だ」という自負を捨てるために苦労している。これは加齢のせいかもしれないのだがそれはそれでつらい。
医者に行っていなければ極度の寝不足によって遅刻太郎・無能太郎のみならず暴言太郎と化していたことは間違いないので、「医者にかからない」という選択肢は最初からなかったと思う。症状は寛解したり(1週間まったく自覚症状が出ない時期もあった)悪化したりと波があるものの、世間の健常者よりも1歩遅れ程度の生活は送れている。
医者行け。