はてなキーワード: 深層心理とは
やあ、久しぶり、ふと思い立って君に手紙を書きたくなった。元気かな?元気じゃないよね、絶賛学校に行きたくない感じだよね。クラスメイトからの心無い言葉で気持ちも髪型も滅茶苦茶だよね。あ、髪型は元々だったね。
僕は今年27歳になるんだけど君に残念なお知らせが3つあるんだ。
1つめは、髪の毛を毛根から変える技術はまだ出現してないってこと。無根拠に思ってたよね「俺が20歳ぐらいのころにはそういう技術が出てる」って。残念ながら君のいる時代から14年たっても出ていないんだ。でも縮毛矯正は傷みにくくなったし、良いアイロンも出てるよ。あっ、君はまだアイロンの存在を知らないよね。ヘアアイロンっていって髪をまっすぐに伸ばす器具なんだけど、来年あたり君もつかい始めるよ。でも、君の連珠毛の酷い縮れ毛と多汗症と不器用さで大して使いこなせないんだけどね。関係ないけどハゲの治療は進んでるよ。毛髪再生治療の実用化を2020年頃までに目指してるんだってさ。凄いよね。
2つめは、君は14年経った今でもこのコンプレックスから脱却できていないってこと。君は来年から縮毛矯正をかけ始めるんだけど、それが手放せなくなって14年立った今でもかけ続けているんだ。吃驚だろう。そして君は最近人の目がとても気になるようになってきたよね。君はクラスメイトから髪質をいじられ、心無いいじりで笑われ、だんだん人と一緒にいることが辛くなってきたよね。コンプレックスのせいで無駄に人の目につくようになったよね。遺伝要因と環境要因で君はSAD(社交不安障害)をこじらせるようになるんだ。27歳の男が未だに中高生の笑い声が聞こえる度に嫌な気分になり動悸がするんだよ。未だに人の目が怖くて怖くてたまらないし、人付き合いを避けてるんだ。そうすることが心の平静を保てる唯一の方法なんだ。悲しいけど、14年後の君はこんな情けない姿になっているんだ。
2つめの時点で察しがついてるだろうけど、3つめは未だに彼女いない歴年齢なこと。高校生にもなれば彼女できるって思ってたろ?吃驚だよね。あ、そうそう、高校には無事進学できたよ、近所の馬鹿高校なんだけど先生から「受かったのが奇跡」って言われたぐらい中学卒業時の君の成績は酷いものだった。君は高校生になると3か月に1度のペースで縮毛矯正をかけるようになり縮れ毛を積極的に隠すようになるんだけど、君が高校に上がる頃には既に性格が暗くなっているんだ。昔みたいにヘラヘラ笑ってると心無いいじりの対象になってしまう恐れがあったからね。だから髪質を馬鹿にされることはないけど、髪質に怯えるようになるんだ。「〇〇君って矯正かけてる?」ってクラスメイトの女の子に見抜かれた時の恐怖とパニックは、きっと君と僕にしかわからないよ。縮毛矯正のお陰で、君はグロメンから雰囲気フツメンぐらいにはなれたんだ。そのお陰で好意を持ってくれてる女の子は2、3人居たみたいだよ。でも、この頃になると君は彼女欲しいなんて余裕はなくなるんだ。女の子やリア充(今の時代では陽キャラっていうらしいよ)の笑い声が凄い怖く感じるんだよ。「キモい」って言葉がすべて自分に宛ていい放たれてる気がするんだ。いや、実際何度か言われてるんだけどね。教室にいるだけで挙動不審になるのを隠すのが精いっぱいなんだよ。君はこれから先ずっとずっと、人の目に怯え、自信を得ることも承認欲求が満たされることもなく、擦り減りながら生きることになるんだ。あ、君は卒業間際女の子に告白されるんだけど、君は自分がどういう行動にでたかわかる?振っちゃうんだよ。何故かっていうと「天パがバレて嫌われるの怖いから」だよ。だって、子供にも遺伝するしね。髪質にいい思い出なんて何一つないもんね。
悪いことばかり書いてごめんね、さらに悪い事を書くと、僕はこれから先の君に対するアドバイスが何一つ浮かばないんだ。坊主にすれば髪と無縁の生活が送れるけど、おそらく君には髪への強い拘りが深層心理に隠れているんだと思う。だって、髪に本当に無頓着なら坊主にしてるもんね。まあ、面長で壊滅的に坊主が似合わない顔っていうのもあるけどね。ちなみに僕は今、縮毛矯正をかけたり、短髪の時はハードジェルで固めてパーマ風にしてるよ。それでも酷い縮れ毛だから、パンチパーマみたいになっちゃうけどね。
君はこの先髪について思い悩むだろう。家族からは「髪ぐらい」といわれたから周りに相談しようにもできないないし、解決の糸口が見当たらないんだよね。どう頑張っても毛根から直毛が生えることのない君は学習性無力感に陥る。14年経った今の僕は、お世辞でも「良い大人」とは言えないし、「体だけ大きくなった子供」みたいな感じなんだごめんね。精神的に酷く打たれ弱い27歳になってしまったんだ。正直周りから「社会のクズ」って言われているような、そんな生き方を今は送っている。けどね、君はこの髪のお陰で一つだけ良い長所を身に着けたんだ。それは「他人の容姿を絶対に馬鹿にしないこと」なんだ。君は普通の人よりも自分の容姿でひどく悩んできた。だから自他の容姿にとても敏感なんだ。これから先、君の身の回りの人が他人の容姿を笑うことがあるけど、君はその流れに乗っからない人間だよ。ちっぽけなことに聞こえるかもしれないけど、それは立派なことだし、今の君だからこそ学び取れることなんだとおもう。近所の顔に疾患があるおばさんがいるよね?一昨年亡くなっちゃんだけど、生前に分け隔てなく挨拶してくれる若い子は近所に君しかいなかってっ言ってたよ。学生のうちは辛い思いばかりしたけど、君のボロボロになった感性は微量ながらも誰かをちょこっとだけ幸せにできる力をもっているんだ。
正直、今の君は生きててもしんどいだけだって思ってるよね。ネックにならない普通の容姿に産まれたかったって思ってるよね。僕も未だに酷く息苦しさを感じたりするんだ、この齢で情けないよね。僕は君のことを救うことはできないけど、今なら君の心がわかる。誰も君の辛さを理解してくれないけど、僕は理解できるよ。
今日、電車で君にそっくりな髪質の中学生を見たんだ。暗い表情と自信のなさげな猫背と制御不能な剛毛連珠毛の縮れ毛は紛れもなく中学1年生の僕だった。君がこれを読むことはないだろうけど、世界で少なくとも僕だけは君の気持がわかるよ。
あえてリンクシェアしないけど、結婚はエラいエラくない云々の漫画を目にしたときに違和感の正体が分かった気がする~— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
作者の人、環境に恵まれてないのか他人から結婚しろ云々のプライベートな領域に踏み込まれて、きっとすごい嫌な思いをしてきたんだろうなとは思うんだけど、自分の身近で起こる嫌なことの原因を「一般的に」結婚して子どもがいる人をエラいと本気で思ってる人がいるせい、としてるのがまずおかしいよな— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
この人、有象無象とか言ってるけど「結婚を本気でエラいと思ってる」のは自分自身だったりしてね。だから、違う人生を送っていることに深層心理では負い目があって、そのことを代弁して責めてくる他者を「敵」として批判・攻撃する対象にすることで、必死に自己肯定しようとしているように見えるよ— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
私はあれの一コマ目で家族の姿が邪悪に描写されてるのがすごく嫌だったし、子もちであることを否定されたと感じたよ。だから三コマ目で「子どもがいるからこそ得られる幸せ…は、確かにあるのだろう」とか書かれてるの見て「こいつ多様性を認めてるフリしてんな」って気付いちゃいましたバレバレです— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
この人、素直に「独身を否定してくる俺の回りの数人ウゼー!家族とかいらねーよ!エラくなんかねーよ!羨ましくもねーよ!ほっとけ!」とだけ叫んどきゃ良かったにな。一般論にこじつけて幸せのカタチ(キラキラ)みたいなものに言及したせいで、考えの浅さと自分の中の矛盾がバレちゃったよ。— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
俺は心臓病を持って生まれた。俺と同じ病気の子は、日本では成人するまで生きられなかった。
俺が生まれた当時、俺の病気を完治する手術法はまだ研究段階だった。一方、単に延命させるだけの手術なら、既に確立されていた。
俺は、完治する手術の方を受けた。日本では最初期の手術例だ。その後、完治。日本の医学の発展に貢献した。
なのにどうだ。誰にも感謝されない。
乙武さんの四肢障害みたいに、生きる上では問題はないが見た目が派手な障害者だけが注目される。世間の同情を集める。
完治したとはいえ、俺の心臓は、普通の人よりは今後悪化してダメになる確率が高い。
なんで命に別状のないが見た目が派手な障害者が優遇され、日本の医学の発展に命をかけて貢献した俺が冷遇されるんだ?
俺が社会に貢献していないからか?命をかけて貢献したぞ?乙武はなんだ?勝手に手足無く生まれて、「手足無く生まれても幸せ」って本で言っただけじゃないか!
俺も勝手に心臓病で生まれた。そのことについては申し訳なく思っているが、その後、ちゃんとリスクを取って医学の発展に貢献したぞ?
段々分かってきた。日本社会は、そもそも、俺と同じ心臓病で生まれる人間の存在を認めていないんだ。
そういうやつは生まれてこないほうがいいと思っているんだ。子供の間は絵になるから同情してやるけど、成人してオッサンになる前に早く死ね、と思っているんだ。
これを読んでいる健常者のお前も、心の底では、「勝手に心臓病で生まれてくるやつなんて死ねばいい」と思っているんだ。
否定するな。それが、お前ら健常者の深層心理だ。お前は心の底では我々の死を望んでいるんだ。
認めさせてやるぞ。全力で俺の存在を健常者に認めさせてやる。とりあえず、俺は東大に入った。
学歴などがコンプレックスの健常者が、世の中にウヨウヨいるようだ。お前らにいってやる。お前らは、障害者の俺未満だ。
生きることを望まれていない俺未満の存在だ。東大未満の学歴のやつは、俺と同類だ。
深層の令妹というネットラノベに、繭棲先輩というマッドサイエンティストっぽい大学院生が登場する。
繭棲先輩は実際マッドなので、人のことをいちいち回路呼ばわりしては、ヒロインの深層心理をそこら中に投影してみたり、別のヒロインの記憶を消してみたりする。とはいえロマンチストらしき側面もあり、「むふ、人類の資源問題をね、ここらで解決しちゃおうかなって思うんだ。誰も働かなくていい未来のためなら、ボクはいくらだって働くよお」とか宣いだしたのが最新話なのだけれども、まぁどうせ完璧な理想をろくでもない方法で実現しようとするタイプの悪役だろうから、すんでのところで主人公に阻止されたりするのだと思う。
とはいえ主人公も、寝るたびに口調が変わる妹をガチャ扱いするサイコ野郎なのだけれど、それはさておき。
いまだに働いたら負けの呪いから逃れられず、負けっぱなしの人生を送っている身としては、繭棲先輩の台詞に憧れを感じるのも事実。
俺が働くことで、俺の代わりに二人、働かなくても一生食っていける。 ∧∧ ( ・ω・) _| ⊃/(___ / ヽ_(____/ 俺はそういうことに幸せを感じたいんだ。
なにが深層だ!多層学習だよね?なんでdeep learningを深層学習なんて訳しちゃったの?
たしかにdeepって深いって意味だから多層のニューラルネットワークを表すのに深層。分るよその気持はわかるよ。
でも日本語で深層って言うと深層心理という言葉もあるとおり深いところにあるものというイメージだよね。
英語のdeepは深さ、つまり奥行き=層の厚さというイメージをちゃんと与えている。
なのでそれをそのまま深層って訳しちゃだめなんじゃないの。
みなさん御存じのとおり、deep learningが学習するのは深層ではなく表層です。
例えば画像認識がdeep learningのアプリケーションとしてよくとりあげられますが、
あれはおもにCNN(Convolution Neural Network)という層があって、従来の画像認識問題では、
前処理にあたるものをneural networkの中でできるようにしたために可能になっています。
これはネットワークのなかでは前段で深層というより表層ですよね。
人工知能の深層というと、画像の意味を理解したり(そういうアプリケーションもあるようですが、やはりパターン認識の域を出ていないと思います。)
論理を構成したりということが知識としてではなく知能として学習が可能になってこそ深層と呼べるのだと思います。
「推理小説におけるロマンス描写」を、絶対真実な添え物とスルーするのではなく、本当の謎解きは情愛部分にあったのだとみなします。
随時更新
私の持論として。一番大事なことは『自分が作品をスッキリ楽しめたか』という部分であり、正解のない舞台作品の考察というものは『よりスッキリした心で作品を愛する』ために行うべきである、と考えている。
作者の真意とかメッセージとかは観客に都合のいい時にだけ引っ張り出せばよい駒であり、エンタメの世界に『解き明かすべき絶対の謎』なんて無いのである。
「楽しんだモン勝ちや!」である。
その観点で言えば、初見の私の感想は、もうグッドエンドとして十分だった。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
作品構造を分解すると唸るほどしっかり構築されていることがわかり、「ただ自分が見たままを感じ、考察などせず楽しむべき」類いの舞台ということが浮き彫りになって仕方がない。
しかし私は、好奇心と言うか…感動を共有できない淋しさと言うか…出所のわからない衝動に駆られて、本作を『ミステリー』として推理することに踏み込んでしまった。
そしてこの目的で2回目観劇したことを多いに後悔していたのだけど、今わずかばかりの希望の光が見えてきた。
犯人やトリックを推理する殺人ミステリーではなく、二人の人間の有り様を推理する情愛ミステリー。
簑浦も諸戸も幸せになれる最適解。
ですので、自分でも自分なりのトゥルーエンドを目指しますが、時間にリミットがあるため、もし同じくこの迷宮にうっかり足を踏み入れてしまった探偵さんがいらっしゃれば、ご助言を賜れると幸いです。
目指すゴールは『スッキリ楽しめて、より作品を好きになる』こと。
本作は深い意味で「原作に忠実」だと感じるのだけど、原作をそのまま演じている訳ではない。
今のところ私にとっての最大の謎は、この世界の階層構造と登場人物である。
私に見えたキーパーツを挙げていく。
また、注釈の挿入タイミングを正確に記憶していないので、区別が間違っているかもしれない。
基本的に諸戸は今回の舞台上では同一存在だと考えていますが、そう見えるだけかもしれないため分けておきます。
随時更新
我々は『なぜ』錯覚していた?
前提として、本編はすべて「諸戸」と「簑浦」で代替できる隠喩要素のみで編纂されている。(秀ちゃんの手記、丈五郎の過去、など)
また、一般的に「嫌悪感」を感じるものを排除し、極限まで美しく描いている。(ビジュアルはもちろん、諸戸の性的侵略も)
→諸戸からの握手を握り返さない『箕浦』に諸戸は驚き『私』を見詰める。すると『箕浦』は諸戸の手を握り返した
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→本編は経験談の体なのに、諸戸のセリフにも括弧を入れて諸戸のモノローグが挿入されている。簑浦のモノローグはほぼ《私》であるのに、諸戸のモノローグはしっかり《僕》
観劇2回目の備忘録:http://anond.hatelabo.jp/20170208235429
(着眼項目リストと理由:http://anond.hatelabo.jp/20170207171941)
観劇2回目で受けた印象:http://anond.hatelabo.jp/20170209051208
初見感想を書いた後のメモ:http://anond.hatelabo.jp/20170207200710
ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。
※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ
http://anond.hatelabo.jp/20170209222825
http://anond.hatelabo.jp/20170212024356
一夜明けて昨日の話。
推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。
とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩の原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。
http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636
こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。
ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台未観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから、観劇予定のある方は読まないでくださいね。
まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。
こーゆー考察し甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間と自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。
『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在』であると共感し難い。
そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公に感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦に感情移入できない。
(ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)
これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……
それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、
そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。
でも、それっておかしくね?って思って。
ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。
自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、
いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、
どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。
腐目線でだって、絶対許せない地雷カップリングというものは実在する。
だから「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。
でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?
これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。
この感情は原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈の押し付けなのか?
という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ。
http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636
Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードからも勝手に妄想して、
江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。
諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。
観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。
田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩のブロマンスの結晶として大正解。
対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。
女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。
『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。
(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)
メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害が物語のカタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。
(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠の片想いとして殺す……って、個人的にめっちゃ萌える。)
作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷な箕浦(永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛の疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。
舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。
私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。
でも、配役を知ったときに
美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、
佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年の石田隼さんが20代の箕浦「過去の『私』」を
演じることが疑問だった。
いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。
「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはいえ観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在は物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在と公表されてることは少なそうだけども。)
しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。
舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現の担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、
諸戸と出会い親交を深めた学生時代の箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、
諸戸と別離し大人になり恋人の初代との出会いから箕浦(石田さん)は登場する。
石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡で認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。
「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦」であるため、『私』の歪さから「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、
事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体が変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。
(皆さんは自分の体が深層心理の拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれと意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)
しかし性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?
必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか?
そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。
物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!
より妥当なところの分裂理由として「箕浦の二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線を舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い。
作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。
うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈もハッピーだよね。
(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)
(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性がテーマの舞台、大好物なんです。)
延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出等表現もとても良かった。
諸戸の父親の最期に対して、主人公である『箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想がセリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。
父親の変貌は、絶対に他人の箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。
父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親で経験したからわかる。
舞台というものは面白いもので、同じ現実を同じ密室で複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものだから、
書籍や映像で物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分の視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。
たとえ自分が複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。
演出による印象操作は完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)
だから舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい。
そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観でしかなく、原作者・スタッフ・キャストが込めた意図の真相はわかんないんですけどね。
一応、はてなブログ書いていますが、ネガティブな内容は負のエネルギーを読者に与えてしまうため、匿名で書こうと思う。別に大したことない、自分ひとりの問題なのでこんな文章読むより次クソするときのケツ拭く紙の長さをどうしようか悩むほうがまだ有意義だと思う。こんなクソつまらん前置きはいいのでさっさと内容をと思うがどうせ中身はない。最近の自分の人生を映しているようだ。
仕事もプライベートも気分の浮き沈みが激しすぎる。これは鬱病の予兆?キツイわ 笑 ほんと万人が感じるような普通の、なんてことない悩みだけど当事者としたら明日生きるのもキツい、今後何十年も自分はダメなのかもしれないと思わせてくるんだよ悩みってやつは。
仕事では楽しい仕事としんどい仕事の落差が激しすぎる。しんどい仕事は自分の力でどうこうできる内容でもないし、時間が解決してくれるものでもないし、むしろ時間経って悪化し続けてるし、一言でいったらゴミ。やめちまえこんな事業。と、いつか上司、役員に言ってしまいそうな自分がいる。楽しい仕事もないことはないが、しんどい仕事がいつも頭にチラついて、なにかこう、打ち込めない。楽しい仕事を本気でやってもやらなくても、しんどい仕事は発生するので、楽しい仕事しているあいだはせめて最大限楽しむことが正解だよなぁ。とはいえ頭の隅から離れない。虫歯を治さずにいたらどんなに楽しいことしてても痛みは常に襲ってくるでしょ。そんな感じ。やめちまえこんなクソ事業。
プライベートもしんどいね最近。てか前から別に楽しくもなかった。趣味も特にないし。あっても趣味と呼べるほど打ち込んでもないし。趣味って言葉に囚われまくってるの悲しいわ。趣味って定義あるのかな。自分よりその趣味に対して知識も経験もある人が大量すぎて趣味ですって胸張って言えないんだが。まぁいいや趣味については。
問題は人間関係ですよやっぱり。高校時代の友人がクソウザい。人の気遣いを全く分かっていない。いや、気遣いなんてわかってもらうことではないと思うんだけどね。気遣いした相手から見返りを求めるなんてエゴでしょ。期待するんならハナから気遣いとは呼べません。「大きなお世話」です。とはいえ、ですよ。こちら側が譲歩しているのを全く意に介さない態度はどうかしてると思うね。わかったうえでその行動、言動をしているのであれば頭いいわ。人をイラつかせる天才だ。天才オブザイヤーだ。せいぜいほかの人にも同じ態度とって嫌われるがいいさ。こんな駄文書いている自分のほうが嫌われるだろうけどね。深層心理はいつか表にでるよ。顔にもでるよ。ネガティブなこと考えていたら、目は落ちくぼみ生気を失い、肌はくすんで、猫背になって体全体から悲壮感を漂わせるだろうから。人をイラつかせようが自分は病んでいないという状況が生き残るうえではベストかもね。自分はそんな強い人にはなれない。
あとは恋だね。何年恋人がいないかわからん。5年くらいかな。久々に気になる人ができたよ。ウケる。趣味は全く合わないし、なにに惹かれているかわかんないんだけどついつい考えてしまう。学生かよ。まぁ心は中学生から変わってないのである意味正解ではある。LINEに翻弄される。いや別に頻繁に連絡を取りたいわけじゃないんだけどさ。そんな素っ気ない態度取られるとへこむわ。ほかの人にはもっと元気で明るいLINEを送ってるんでしょ。めんどくさい、つまらない、クソみたいな人に対してはクソを投げつけていいと思っているんでしょ。正しい。ほんと正しい。自分も嫌いな人に対しては、自分でもドン引きするくらい素っ気ない返事するし。あなたは間違っていない。自分がやられて嫌なことは他人にしてはいけないっていうけどそんなの無理だな。てか誰に対しても同じように振舞ってたら逆に気持ち悪いし八方美人とか思われるだけだし。全員に同じように明るくとか感情共産主義かよ。だからあなたも正しいし、自分も正しい。反応したいように反応すべきで、そこにお情けは不要。一度形作られてしまった印象はおそらくもとには戻らない。戻るとしても時間、工夫を要する。もしかしたらお金もね。こんな不満ばっかでも、少しでも振り向いてほしいと思ってしまう自分の気持ち悪さよ。別にその人じゃなくていいのに。上にも書いたけど趣味合わないし、性格もよくわかんないし、距離感もいまだに測りかねてるし。今まで生きていた世界も、今見ている風景もすべて違うわけで、いきなり分かり合えるわけない。分かり合えないことが分かっているのに、いまだに考えてしまう。あの人と趣味や性格の合う自分ではない他の人が楽しく過ごしているのは確実で、その事実で今日も苦しい、明日も苦しい。そうこうしている内に時間は経ち、後戻りはできなくなる。今が人生で一番若い、とはよく言ったもので、今日を有意義に過ごそうが、堕落して過ごそうが、人間はただただ老いる。明日は今日より希望があるかもしれないが、確実に老いている。老人に明日はない。未来があると思っていた明日は老人になるための日々でしかない。ただ老いるくらいであれば、行動しよう。しかしその行動が原因で気が滅入ることもしばしば。100回行動したら90回くらいはしんどいんじゃないかな。見込みのない時はそれがプライベートだろうが仕事だろうが行動する気さえ起きない。もういっそのこと結果だけ知りに行こう。過程なんて無視。時間の無駄。玉砕したほうがラクかもね。
というわけでツラツラとクソつまらんことを書いてみたわけだが。匿名って最高だね。ブログもツイッターも匿名ってか現実でバレないから好きなこと垂れ流せると思ってたけど、そういったSNSでも妙な人間関係ができてしまって、この人はこういったことを書かなきゃいけないみたいな空気になってるから、好きなことなんか書けたもんじゃない。なので匿名ダイアリーの機能は本当に助かる。ありがとう。最後まで読む人いるのかな。いたらお疲れ様です。ありがとうございます。誰でもこういう時ってあるよね。普通の社会人の普通の悩みを書いただけ。悩み悩まされ、これ人生。あしたからも頑張ろう。
はじめに言っておくと、私は一切某アニメを見ていない
そのことを留意した上で読んで欲しい
そして私の友人にも腐女子が沢山いる。
おそらく私の周りだけではなく日本中の腐女子が今期一番見ているアニメだと思う。
よくその代表格で語られる某水泳アニメや某六子アニメは確かに見られないからだ。
しかし、男性も見ている、という声や競技の作画が素晴らしい話も聞く。
だから最初は抵抗を感じつつも見ようかな、という気持ちがあった。
何度も言うが、私は一切本編を見ていない。だから周りの感想しか知らない。
腐女子というのはすぐに死んで墓に入るが、今回は相当だということはなんとなくわかった。
指輪がどうの、とか教会がどうの、とか、まさに結婚としか言いようのない展開らしい。
ただ、それを腐媚びと言うのはおかしい、と皆口を揃えて言う。
むしろそんな軽さではなく、LGBTについて丁寧に考えている、と言う人もいれば、
色々な愛の形を提示しているだけ、と言う人もいる。
とにかく、媚びとかそういう話ではなくて、どこまでも純粋な愛の話だと。
関係者のツイートも見た。どんな形の愛もこの作品の世界では差別しない。
そこまで言うのだから、本当に考えているのだと思う。そしてこの作品のテーマの一つでもあるのだろう。
そこまで理解した。
でも見られない。それどころか、さらに抵抗感が増してしまった。
それなのに抵抗感がひどい。本当に何故かわからない。
自分は思っていたより天邪鬼なのかもしれない。かなり拗らせて捻くれているのかもしれない。
深層心理ではLGBTを嫌悪しているのかもしれない。腐女子なのに。
ただただ見たくない。
これからおそらくラストスパート。目にする機会はさらに増える。
1人謎の憂鬱に襲われているのが辛い。
でも、とにかくもやもやする。
同じような腐女子の方、いませんか?
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追記
真夜中の投稿にもかかわらずたくさんの反応ありがとうございます。
夏休みは最悪だった。
行動すれば何か変わると思ってた。人生が好転する出来事に出会えるんじゃないかと思った。漫画的なドラマチックな幸運が訪れるんじゃないかと思っていた。
ベリーハードの人生を生きているキモイ顔と肌の恋愛負け組灰色の青春無気力アトピーゾンビに転機が訪れることはなかった。
海に行った。
半袖半ズボンで行った。水着はアトピーゾンビウイルスの汚さがさらされるのでやめた。
恵まれた健常者たちが楽しそうに人生を楽しんでいた。容姿に優れた女のほうが露出が多いのが面白かった。
アトピーゾンビウイルスの汚い肌に潮風が染みて痛かった。同い年くらいの健常者男女が楽しそうに砂浜を歩いていた。
ギャル男みたいな人たちから嘲笑を受けた。二十代女たちの笑いの対象にされた。
アトピーゾンビは友達も恋人もいたことがない。海で対称的な人生を見せられた。行かなきゃよかった。
プールに行った。
友達や家族や恋人と一緒の人が多かった。アトピーゾンビは汚い容姿と肌なので服を着て徘徊した。
アトピーゾンビの人生がいかに悲惨で不幸でつまらないでごみなのか再認識できた。よかったよかtった。
一人でプールに行っても何もいいことない。ナンパできるほど容姿に優れていれば違ったのだろうが。結局容姿がすべてなんだなと思った。
あーいやなこと思い出した。アトピーゾンビウイルス治療の影響で眉毛がなくなったんだけど、それを恵まれた他人の健常者中学生が馬鹿にしてきたのだ。まゆげねーwwwwうけるwwwwゲラゲラって感じだ。まあいいや。行かなきゃよかった。いやな思いでが増えただけだった。
夏祭りに行った。
浴衣姿の女の子が沢山いた。一生こういう女の子たちと関われることはないんだろうなだってキモイアトピーゾンビだから。と思った。
カップルも多かった。一緒にたこ焼き食べてたり祭りの外で雑談してた。楽しそうだった。アトピーゾンビの人生には一生ないイベントなんだろうなと思った。
同い年くらいの男女六人組が楽しそうにしてた。見下されそうでびくびくして下を見て早足で横を通り過ぎてすぐ祭り会場の隅っこに隠れた。
アトピーゾンビの人生には起きないイベントを当たり前のようにこなしてていいなーと思った。
あのなかで片思いや両想いの人がいるんだろうな。ドキドキして楽しいんだろうな。
青春を謳歌しているな。あのグループは容姿に優れたひとばかりだから人生楽しくて仕方ないんだろうな。
アトピーゾンビも容姿に優れていたらあの輪の中に入れたんだろうな。
その思い出が生きる活力になるんだろうな。アトピーゾンビの人生つまんないな。
生まれてきたのが間違いだったな。虐待もいじめもアトピーゾンビウイルスもなければ楽しい人生だったんだろうな。
健常者のサンドバックとして生まれてきたんだろうな。日本で一番不幸なアトピーゾンビにはいつになったら楽しいイベントが起きるんだろうな。と思った。
花火を見た
糞田舎の花火を見た。糞田舎らしく、何の感動もないつまらない花火だった。
ぼーっと何も考えずに眺めていた。周りの健常者は楽しそうにしていた。
どんな花火でもまともな家族や容姿の優れた友達や恋人とみれば美しい思い出になるのだろう。
ただつまらない思い出が増えただけだった。みなきゃよかった。
ギターを買ってみた
ギター教室に行くという選択肢も脳内にあったが、キモイ肌とでかい頭と一重と腫れぼったい唇とでかい鼻と、がさついてる顔のアトピーゾンビがギター教室に行っても、「その顔でギターwww鏡見ろよ不細工wwなんか肌キモイしwww近づくなよばい菌ww」と講師や生徒に笑われるだけだろうから辞めた。
教則本についてきたDVDをみた。顔は隠れていたが、容姿が優れてそうな人がギターを弾いていた。
二週間くらい毎日練習していたが、何が楽しいのが全く分からなかったからギターを投げ捨てた。
そもそも音楽の素養がゼロで音楽に全く興味がないことに気付いた。バンドの仕組みのことも何も知らない。有名なバンドもギタリストも知らない。
容姿が優れていて虐待もいじめもなければ友達とバンドを組んで楽しい時間を過ごせていたのだろう。
友達ができたことがないから音楽の知識がない。友達と好きな音楽の話をするような時間を持ったことがないから、人生が貧困である。
ギターなんて買わなきゃよかった。金と時間をどぶに捨てた。最悪である。
ボカロ曲を作る
初音ミクでボーカロイド曲を作って愚民どもにちやほやされようと思った。適当に既存の曲を歌わせてみた。パラメーターをいじってみた。飽きた。
そもそもオリジナル曲を作れるだけの能力がなかった。曲を作る熱意もなかった。
音楽の素養がはぐくまれる恵まれた家庭環境に生まれてきたかった。
アトピーゾンビの家にはCDが一枚もない。あるのはテレビだけ。漫画も本も雑誌もない。
そんな家のアトピーゾンビであり、人生経験に乏しい灰色の青春持ち恋愛負け組不細工愛着障害のゾンビがいい曲を作れるわけないのであった。
いい曲を作るには豊富な人生経験が必要だ。アトピーゾンビにはそれがない。
ペンタブを買って絵を描いた
ペンタブと一緒に入門書を買って数週間練習した。けど、絵を描くことの何が楽しいのかわからなかった。
今まで生きてきてまともに絵を描いたことなどなかった。一緒に画力を高めあう友達がいたこともないし、イラストレーターの名前も全く知らない。絵に興味を持ったことがない。賞をもらったこともなかった。
そして、アトピーゾンビは絵を描きたいのではなく、他人からちやほやされて承認欲求を満たしたいだけだと気付いた。
ペンタブがごみになった。買わなきゃよかった。金と時間を無駄にした。最悪である。
小説を書いた
漫画を描きたかったが、絵が描けないから漫画かけないし、しかたないから文字だけで自己表現できる小説を書くことにした。
ラノベのようなご都合主義ハーレムストーリーを書いたり、鬱屈した性格がねじ曲がった少年の孤独なニヒルストーリを書いたり、異世界物を書いたりした。全部短編だ。
しかし、どんな小説を書いても現実は何も変わらないことに気付いた。文章力がないし、ストーリ構成も稚拙でつまらない。やはり才能がないのだろう。
売れれば億万長者になれるようだが、本を一冊書くだけの能力も熱量も持ち合わせていないから無理だ。
梅原のような格ゲーのプロになれば億万長者だし、人から尊敬もされるしで最高の職業だと思った。
遊びが仕事になるとか最高だなと思った。ネットで格ゲーがうまい人が集まっているゲーセンに行った。
後ろからこっそりうまい人のプレイを見ていた。アトピーゾンビでも出来るんじゃね?と思った。
所詮ゲームだし、こいつらよりアトピーゾンビのほうが若いから技術の習得も早いだろうと思った。
なんで、対人プレイはまだ早いと思いCPUと戦った。操作方法がよくわからなかったから、適当にガチャガチャやったら負けた。次に操作を覚えながら戦ったら負けた。まったく歯が立たなかった。後ろから笑い声や嘲笑が聞こえた。
まるでアトピーゾンビの人生みたいだなと思った。負けに負けて何も得られない。嫌な思い出が脳に積み込まれていくだけ。
思えば、小学生の時、友達のふりをしたいじめ加害者の家で対戦ゲームをやらされたとき、いつも負けていたのを思い出した。
お前w何にもできないんだなw笑えるwと言われたのを思い出した。
ゲームの才能が皆無だということを思い出した。そもそもゲーム自体ほとんどやってこなかったからおそらく好きじゃないのだろう。好きではないものを仕事にするのは人生の浪費だ。やーめた。時間と金の無駄だった。
ライブを見に行った
CDで聞くよりもドラムやベースが目立ってて音がでかくてかっこよかった。
ライブに出る人は容姿に優れている人が多かった。とくにボーカルは。汚い顔と肌のアトピーゾンビがライブに出たら歓声ではなく悲鳴が聞こえるだろうなと思った。
観客は健常者がほとんどだった。健常者同士で楽しそうにライブに参加していた。カップルも多かった。
グルグル回るやつとかモッシュとかやってみたいと思ったが、きもいアトピーゾンビが健常者の近くにいると気持ち悪がられるので後ろのほうで一人で遠くから見ていた。
アトピーゾンビが健常者だったらなーと思いながら指をくわえながら観客を見ていた。
タイに行った
日本より閉塞感が無くて良かった。容姿に優れた人が少なかったので気が楽だった。町の人も緩い感じというかいい意味での適当さがあって居心地がよかった。でも、一人で行っても楽しくなかった。
容姿に優れた友達や恋人と一緒に行かないと海外旅行はつまらないなと思った。
あと、タイにも美醜格差があって、容姿の優れたもののほうが楽しそうに生きていた。
健常者ランドという名の惑星地球では美醜によって幸福度が変わるということを確信した旅行だった。
秋葉原に行った
もっと萌え萌えしてる場所だと思っていたけど、思ったより電気街っぽかった。
容姿に優れた女が容姿に優れた健常者が店員の店のチラシを配っていた。容姿に優れた男がナンパをしていた。ナンパは容姿に優れたものしかできない。キモイ顔でキモイ肌の非健常者で虐待といじめを十数年受け続けた精神疾患障害アトピーゾンビにはできないことだ。死ぬまで一生。
アキバには友達や恋人と一緒の人がたくさんいていやな気持ちになった。電車男のようなイベントはなかった。
メイド喫茶に行こうとしたが、
行かなきゃよかった。
田舎に行った
田舎の夏にあこがれがあった。沢山の緑と青い空。美しい蝉の声。白いワンピースに麦わら帽をかぶった少女。
古びた駅。川遊び。虫取り。そんな美しいものを沢山思い描いて田舎に行った。
現実では、じじばばばっかりで若い人が全然いないし、白ワンピの少女はいないし、蝉の声はうるせーし、川ねーし、駅は薄汚れてて汚いし、日陰がぜんぜんないから暑いし、なんにも娯楽施設がないからつまんねーし、自販機すらまともに無いから喉が渇くし、最悪であった。
虫取りしてみれば、蚊が沢山飛んでるし、蜘蛛の巣には引っかかるし、カブトムシはいないしで最悪であった。
カラオケに行った
ヒトカラをした。友達や恋人とワイワイやったら楽しいんだろうなと思った。もう行かない。
瞑想をした
アトピーゾンビウイルスの痒みでまともに瞑想ができた気がしないが一応手順どおりにやった。
瞑想中は虐待や虐めの記憶や、一生完治することがないアトピーゾンビの醜く赤黒い顔やカサカサの気持ち悪い肌が映像として出てきたり、灰色の青春持ちであるキモイごみアトピーゾンビとは対照的な明るく楽しい学生生活の映像が出てきた。
友達がいていじめも虐待もなくて容姿が優れていて彼女がいて勉強や運動するときにアトピーゾンビウイルスに邪魔されないで楽しく取り組める人生が映像として流れてきた。
一週間ほど続けたが、ただ苦痛なだけで何がいいのかわからなかった。やらなきゃよかった。
筋トレをした
これは今でも続けている。なぜなら自殺して死体になったときに体が軽いほうが運ぶ人の負担が少なくて済むからだ。筋肉がついてなんか変わったかというと特に変わらん。まぁそんなもんだろうな。
結局どこに行っても容姿に優れた美男美女が人生を楽しんでいる姿を見せられただけだった。
結局、容姿に優れている健常者のための世界なんだなここはと思った。
やらずに後悔よりやって後悔という言葉は恵まれた健常者なんだなと思った。
非健常者であるアトピーゾンビは行動なんてしなければよかった。苦しい記憶が増えただけだった。身の程をわきまえるべきだった。分相応の生活というのをすべきだった。
恵まれた健常者学生は夏休みには二度と戻ってこない青春時間を目いっぱい楽しんでいるのだろう。
それが生きる活力になるのだろう。そして成人しても仕事もうまくいって老人になっても穏やかでいられるのだろう。
一方、非健常者であるアトピーゾンビは両親からの虐待と同級生からのいじめを数十年受け続け、何もいいことがないから人生に。だから無気力になる。灰色の青春持ちで、仕事もやる気が出ず、首になる。
そして、人生に恵まれてきた健常者が言葉の金属バットでアトピーゾンビをぼこぼこにたたく。
健常者恵まれた人は甘えだの努力が足りないだの言ってくる。健常者より努力してるっつーの。やってらんね。くだらない人生が確定してる。健常者に負ける人生が確定してる。アトピーゾンビウイルス治療の努力は報われない。評価もされない。スキルもたまらない。生きてるのがばかばかしい。
推敲しないで書きなぐったからおかしいところたくさんあると思う。まぁいいや。
何も得られるものがなかったいろいろ行動したけど。無駄な時間と金を使った。
とにかく最悪な夏休みだった。
終わり!!!
ステファンの男らしくなさには
非常にがっっっかりさせられた
でもそれはな、ええねん正直
自分が一番可愛い!!!て自覚して極めてるやつはむしろ好感度高いねん
けどほんまは自分のことが世界で一番可愛い可愛い♡にも関わらずそれに気付かんと世のため人のためを恥ずかしげもなく謳うようなやつ
こういうやつはすげー気持ち悪いんや
なんせ自覚のないやつはタチ悪い
まあステファンについては自覚の有無まで描写がなかったから知らんけど、
でも一回ナイフで刺そうとして無理やったやん、そのときはまだマレフィセントのことちょっと好きやったてことやろ?それか勇気なかったか
で、なんで羽だけもいでいくねんて話
だってそんなんさいっっっっちゃんむごいやん
私やったら殺してほしいわな
裏切られたってことだけ明確にわかって、空用のアシなくなって、そら呪うわな
で、キモいのがステファンその絶望の最中のアンジーの近くに隠れとんねん
羽もいですぐ去ったらええのにわざわざリアクション確認しとんねん
ほんでアンジー呪いにくるやろ、そのときの嫁もほんま一旦黙れって感じやったけど
ステファンももうちょいなんかできたやろって感じやねん
あんな取り返しのつかんことしたんやからもう和解とか無理やし、じゃあオーロラと国を最優先に守るべきやんか、それをわりとぼんやり見とるやろ
てことはあの時点でまーーーーーーだ覚悟できとらんねん
そんなケツの穴のちっさい男に一国の王が務まるか?て感じやねんけど
ほんでまんまと呪われて、そっからがまた謎
まあ正直妹と喋りながらみてたからちょっと抜けてるとこもあんねんけど
阿呆の極みなん?
あんっな頼りない3人に任せる?しかも初日から窓開いてるし余裕でマレフィセントにバレてるし
なんかまじで何がしたいんかわからんかった
で16年も顔ひとつ見せに行かんやろ
オーロラじゃないん、でもオーロラ大事やったらこの選択肢(妖精に預ける)はないはず、でも呪いかけられて王病んでる、じゃあ何かなって考えたら
マレフィセントの思う壺になるんが嫌というか、マレフィセントに崩されるかもしれん自分のプライドやら何やらが一番大事なんかなって結論に至った
でそう考えたらオーロラ帰ってきたときなんも嬉しそうじゃなかったんも、とりあえず部屋にぶち込め!言うたんも納得いくしクソやなって思った
で、オーロラ即逃げ出すというか呼び寄せられるやん糸車に
まあ呪いの力もあるんやろけど
あのときオーロラの近くにおったおばちゃん大して止めようともせずに行ってもうた〜的な感じでぼーっとしてるやん
てことはやっぱステファンの注意喚起が全く行き届いてなかったってことやろ?
ステファンは深層心理はどうあれオーロラを16年間糸車に触れさせへんっていうのは絶対守るべき事柄やってんからせめてそこだけはガチで何があっても守り通せよと
がんじがらめにして1秒も目を離さん程度には努力せえよと
ほんでこれはどのシーンか忘れたけど、家臣てきなやつらの前でめっちゃ感情露わにキレだしてドン引きされてたやん、全っ然人望ないよなステファン
どういう仕組みの国か知らんけどよう16年間王の座守れたよな
なんか気付いたらすごい勢いで書き殴ってしまったけど
もっかいまとめると私が思うにステファンは2つの分岐点でミスってて
まず森の中で殺さんかったこと(羽だけいったとこ)
で呪いにきたところを殺さんかったこと
せめて羽だけいったときに、羽両脇に抱えて城まで戻る道程で腹括るべきやった
次会うときは息の根止めるって決め込むべきやった
裏切った時点で恨まれて当然やねんから、いつかマレフィセントが自分を殺しにくる可能性は大いにあると、その場合恐らくパワーアップしとると、そこまで考えとくべきやった
いつまでもいつまでも中〜〜〜〜〜〜途半端に病んでるからこういうことになるねん
マレフィセントの話やけどステファンが巻き起こした物語としか思えんから、私の中でこの映画タイトルステファンに大決定した
映画は雰囲気にのまれる方やしこんなゴチャゴチャ言うことまあないねんけどステファンに心の琴線素手でブチ切られたっぽくて小藪ばりのハァ?一生繰り出しながらみてた
妹に長過ぎて読む気失せるって言われたけど
以上ステファンについて思ったことでした
最近ちゃんと起きた後にも記憶が残るほどハッキリとした、しかも楽しい夢を見ることが多い。
土曜の夜は好みの黒髪ロングで長身で薄い顔立ちの仕事できそうな美人に
「じゃあ、今からホテル行こうか」って言ったら、ノリノリでOKくれて
ずっと二人でラブホ探すという夢を見た。
とにかくラブホをぶらぶら探しているときの嬉しさはエッチ以上の喜びだった。
そもそも、仕事できそうな女性に好かれるという経験がなかったので
こんな頭よさそうな女にめっちゃ好かれてるなんて!となんだかスゴく心が満たされた。
そして俺は自分より頭良さそうな女が好みなんだな、と気づかない深層心理も知った。
こういう夢活、いいですね。
なんでこうなったかはわからない。気付いたら彼の部屋にいて、なすがままにされてしまった。
悪役で出ることが多くて、変態の役もやってて、顔はきれいだが3枚目の俳優だと思ってた。
それが、なんでこういうことになってしまったのか。
答えは簡単だ。
私は先日股間がとても痒くなり、婦人科にかかり、性病検査をした。
その結果が出るまで、性交をしないようにと言われた。
そして、念のためにとカンジダの治療薬(性器に挿入するタイプ)を処方され、毎晩服用している。
当然、一人ですることもできない。
性欲がたまっているのだろう。
結果はあと数日で出る。
それにしても、彼氏をさしおいて普段なんとも思っていない(男性として)俳優さんとHする夢をなぜ見てしまったのか。
ごめんなさい、ヤスケン…。と、奥様と、お子様。
夢を見たの。
テレビを見る夢で
またにそれは滝のよう。
それでもみな平然としてるの。
夢の中の私は、
ってなレベルくらいでしか夢の中では意識してなかったんだけど、
そのなんか、尋常じゃない量
口から滝のようにローションが出てくる様は
なんか印象的だったわ。
そう言う状況って夢の中では割と常識的な夢独自のルールってなんとなくあると思うんだけど、
ほんと異様だったわ。
夢占いでローションが
口から出てくるって項目がなくって
きっと喉が渇いてたのかしらね?
だいたい夜は鍋、野菜炊くだけだし簡単なんで
そのスープでおかゆを夜仕込んで朝食べるのが私流!
とても美味しいわ。
麦茶も毎晩沸かしてるのよ。
結構飲むしね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
忘れてはいけない。
許せない奴が居る。
パワハラ(暴力)を振るってきて、全く反省しない奴。たとえ指導が入ったとしても、反省してるフリだけだ。
「(俺の言うことをきかないのだから)そのくらいあたりまえだ!」という。
憎しみ続けるのがばかばかしいと思っていて忘れよう・・・と思って本当に忘れかけていたら、なぜか同じ仕事をさせられそうになる。
不必要な苛立ち、嫌悪感、また暴力を振るわれるのかという恐怖、自分がほんの少し我慢すれば、もしかして耐えられるかもしれないかな?と思っても体がいうことをきかない。
悪夢にうなされ、体調を壊した。
ばかばかしいと思うかもしれないが、被害者の立場からすればこの上ない嫌な状況だ。
自分を守るために。
自分が思うほど、深層心理では耐えられない、耐え難い、それほどの心の傷だったということは自分では気づけないし、気づきたくもない。
同じような苦しみを味わえばいいのにと思う。悪夢にうなされ、我慢できるかな、と思いながら過去を振り返りうっかり思い出して、体調を崩せばいいのに。仕事が手に付かないほど体が震えてしまえばいい。