はてなキーワード: 人物とは
はてうよと壺って同一人物じゃね?
※注意
以前、好きな作品が.5舞台化され、それに夢中になった友人の誘いで1公演だけ席埋めに付き合った。ロングランで、東京公演ののちに大阪公演がある公演だった。
全体的には悪くない出来といえた。原作にないオリジナルエピソードだったので先の展開を知らない状態で観劇できたし、良い芝居するな、と思えた俳優さんも何人か発見できた。
ただ、とあるキャラAについては、引っ掛かりがひとつだけあった。Aは品行方正、生真面目、堅物、口うるさい……という方向性のキャラなのだが、そのAが、学校から貸与されたタブレットで他の人物に物理ツッコミをする場面があったのだ。タブレットを縦に持って振り下ろし、縁でおでこをコツンと叩く感じ。チョップがわりにタブレットを使ってるイメージね。
コメディに振り切ったシーンだったし、本気殴りではないし、もしかするとアドリブだったかもしれないが、Aは基本的に「物は大切に扱え、借り物なら尚更だ」というタイプで、備品で人を小突くとは思えず、さすがに解釈違いだった。チョップならまだわかるんだけどな。
なので、終演後アンケートに、楽しんだ点も添えつつ、「Aが備品で人を叩くのだけはちょっと残念、原作ならやらないだろうから」と送った。
そしたら、大阪公演に参戦した友人曰く、消えていたらしい。そのタブレットコツンが。
もともと単なるアドリブであの日一回限りだったかもしれないし、私のアンケートが届いて思い直された可能性もあるのかもしれない(1週間以上は間が空いたはずなので、大阪用の稽古は挟んでいそう)。
それに、私は自分の目で「コツンが消えた」ことを確認してはいない。伝聞で「無くなった」と聞いただけで、それも「多分なかった」ぐらいの確実さだ。
しかし、その「舞台の成長」を視認するためだけに大阪往復とチケ代数万円は払う気はなかったし、一万円弱の円盤購入でさえする気にはなれない。
結果、「改善」前の東京公演は実質リハみたいなところあるな……という気持ちと、最終的になくなるなら最初から「この芝居はなしだね」と役者陣も演出陣も気づいてくれないもんかな……という気持ちが残った。変更の経緯はどうあれ、あるいは聞いた話が誤りで変更されていないとしても、完成してない・練られてない・吟味が不足した状態で公演されているには違いないのだろう。
別に怒るようなことじゃないとも思う。仕方ないんだろうな。もろもろ。
ただ、.5舞台って1公演だけ行く客には酷なんだな、と感じたし、有象無象の.5舞台にはもう二度と行かなくていいや、と思った。
この調子でブルアカを実況するVtuberとかをどんどん見て、さらに正しいオタク度を高めていくといい。そして、ブルアカにハマれなかった「間違ったオタク」を迫害していけばいい。かつて反日的な言動をした人物を在日認定したようにね。
弧星はストーリーを楽しむ為の前提条件がかなりきつかった印象
あれはメインストーリーに組み込んでもっと後ろの方に配置した方が良かった気がする
話の中心となる人物は、大体それぞれの目的を達成できるので読後感は良い方で、
その意味で、前提条件がきつくても新人にオススメしたいと気持ちも分かる
登場人物が東奔西走した挙げ句、感染者が増えて、感染状況も悪化して、
現地住人の生活を破壊した上で、元々抱えていた問題を何も解決してない、
訪れたサイトが扱っていた商材はかなりマニアックなもので、その商品以外の商品もたくさんあってページもひとつひとつしっかりしていて特集バナーなども作ってあり自然な作り
しかし実態はヤフオクのスクレイピングで大量に商品が登録されているだけの中古ショップ風のただのダミーのフィッシングサイトだった
自分が買おうとした物があまりにマニアックだったため、そんなマニアックでスーパーニッチなものをまさか詐欺の商材としようとする人間がいるとは思わず、全く警戒してなかったため、サイトの細部までよく調査をせず普通に振り込んでしまった
しかし振り込んだあとは待てど暮せど発送されず連絡も取れない
主犯か受け子かしらないが口座名義はおそらくタイかベトナム風の名前(←これについてもこの時点でん?と思ったがスルーしてしまった心境は後述の追記やトラバ参照。この時点では全ての警戒センサーがオフになっていたのでよく考えたらタイ・ベトナムの名前だよなと思ったのも後からである)
その買おうとした物に設定されていた商品名でぐぐったらこういった部類のダミーサイトが複数存在するようだ
後で気付いたが特集バナーはクリックすれば中身はなくトップページに行くだけ
しかも上手いのがヤフオクより安い割引の値段で売っていることだ
つまりヤフオクで見かけて、さらに掘り出し物を狙ってたどり着いた人はお得感でこっちのダミーサイトで購入してしまう可能性がある
(自分の場合は検索でたどり着いたのでそもそもヤフオクに大本があるとは知らなかったし、割引関係なく探していたものが存在するという感動で買った)
探している商品がマニアックであればあるほど競合が少ないため検索で普通に上位にヒットしてくるのでおそらく他にも被害者が多数いると思われる
この手口はあまり周知されておらず、少なくとも自分は知らなかったので、まさかこんなマニアックな商品を詐欺の商材にするとは思わず警戒心も下がりがち
反社の資金源にならぬよう、被害防止の注意喚起のためにこの増田をぜひ拡散してくれ
もはやGoogleがフィッシングサイトへのリーチサイトみたいになってて、これは本当にGoogleの責任でもあると思う
ダミーサイトはどれも共通の特徴があるからアルゴリズムで弾いてくれよ
【追記】
どういう商品やサイトかはトラバにヒントや追跡調査を書いてるので探してみてくれ→20240205154918
ヤフオクからの転載と知らないと一見普通のストアのようにしっかり作ってあるように見える
ちなみにクレカ決済ではなくメールした後に振り込み先を送られてくるから注文時点でお金をとられることはない
(振込しないなら捨てアドや適当な個人情報を用いて相手の使用している銀行口座までの調査ができる)
【追記】
有能なサイトをトラバで教えてもらったのでどういうサイトかサンプルを知りたい人はこちらを見るのがよい
すべて特徴が共通しているため、一度手口を知った後であれば容易に判別できる
特に会社情報のページがゴミみたいなメールアドレス、適当な電話番号等、特徴的で共通項が多い
【追記】
どうしても自分にケチをつけたい人間がいるみたいだが、「マニアックすぎる商品」という所が味噌で
マニアックなお店で神保町にいるような高齢店主、PCは独学でいじれるが最先端ではない人を想像したらドメインやデザイン、UI諸々が洗練されてないのは逆に納得感が出てきてしまった
この「スーパーニッチなマニアックすぎる商品である」という一点が、エアポケットに陥り自分のあらゆる警戒センサーをスルーさせた
リテラシーマウンティングはいいから、論旨を汲み取って人の陥った心境に想像をめぐらせてみよう
【追記】
アクティブな増田は口座凍結に協力を→anond:20240206175039
>kazuhix
転売屋ではないしただの消費者。商材=転売とかいう謎の角度からの難癖をやめろ
よく何の確度もないたったひとつの単語から勝手にこっちの背景を自己完結できるな
たまにいるんだよなこういう予想だにしない確度からの非生産的な反応を示すやつ
こちらが追跡調査してまで二次被害を止めようとしてるのに、余計な難癖つけてこちらの情報を軽んじようと目論むのはお前が詐欺グループに与する一味だからか?ってお前の真似したろか
>poppo-george
高額商品ではなく数千円
自分の被害は数千円でも高額をだまし取られてる人もいるだろうしこいつらを許すわけにはいかない
だからこそ話の芯がわかってない勝手に人物像を設定して勝ち誇りたいだけの人間はノイズであり、プライドの問題ではなく、どうせバカが騙されただけでしょと軽んじられれば拡散という目的達成の邪魔なので否定する
思えば昔から記憶力があまりいい方ではなかったがそこまで悪い方でもなかったように思う。暗記を必須とする教科基本的にはすんなり覚えられていたし、人の顔や名前もすぐに一致する方だ。ただそれらの記憶が続くのがものすごく短く、素早く覚えて素早く忘れるというのが一連の流れになっている。
ただ全てがそうというわけでもない、小さい頃に覚えて今もまだ覚えているものも勿論ある。学生の頃の友達や担任の名前も覚えているし、家族が忘れた小さな時の思い出を覚えていたりもしているのだ。
上記の話をすると記憶障害ではないかとか何かしらの病気があるのではないかと言われるがそう言った検査で引っかかったことはない。
自分の場合勉強や日常生活をしている上ではそこまでこの性質がマイナスに働くことはない。ただ悲劇は趣味の上で起こったのだ。
自分は根っからのオタク気質で、現在成人しているが基本どの時も推しと呼ばれる人物がいてその人にのめり込んでいたように思う。ただ飽きやすい性格でもあるので長くて七年、短くて二年程度で推しが変わっていた。
複数のことを同時にするというのが苦手な自分は推し事でもその性質があり、基本一度に推せる人間は一人のみだったので、推しが変わった際には過去に好きだった推しからは離れるというのが定番のパターンだった。
そんな時、ふと気がついた。
それは今現在の時点で過去を振り返った際に、自分が過去に推していた人物に関してのことを何も思い出せないということである。
いや、何も思い出せないというと語弊があるが、正しくは「その人物を推していた時のことを何も思い出せない」のである。
オタクなのでSNSで推しに関して呟きもするし実際に会いにも行く、一度ハマるとのめり込むタイプなので四六時中その人のことを考える、お金をたくさん使う、日記はその人のことでいっぱいになる…
にも関わらず、推さなくなった途端にその全ての記憶が頭から抜け落ちてしまうのである。
その人が好きだったという記憶はあるがどこか他人事で、今見ても「あ〜好きだったなぁ、なんで好きだったんだっけ?」となってしまう。確かにその当時は好きだったしその感覚もある、今見ても素敵だなぁとは思う。でも自分が本当にその人を推していたのか、そこだけがピンと来ないのだ。
人に相談すると「愛が足りないんだよ」とか「頭に問題があるんじゃ?」とかそんな言葉しか返ってこなかった。確かに自分でも思う、あれだけお金をかけて応援してたくさん助けてもらっていたのに白状だなと。
今も相変わらずオタクをしているが、いずれ今の場所から離れた際にいま推してる人に対して「どうして好きだったんだろう」という気持ちが湧くのかと思うと怖くてたまらない。でもオタクもやめられない。
今の自分にできることはその人を推していた形跡を少しでも多く残すこと、その人の好きなところや応援してるところを一つでも多く書き残すことだけである。
もうカメラの台数が売れなくなっているので、AIで置き換わると、カメラなくなるんだろうなと。
スマホでAI使って写真生成するとして、カメラを教師データとして近づけられるのはわかるけど、超えるクオリティ出せないのかな
教師なんてなにか別件で偉業を成した人とかなんもしてないけどただ言動がやべーくらいオリジナリティに溢れてるような人物になんだなんだと教えを請いに周りから集まって来るのが起源じゃん本来多分だけど
それをたかだか教育を受けただけ状態の22歳とかがいきなりやれるわけないってなるのが普通じゃん
「自分なんてそんな、人に教えるような器じゃないっす」みたいな謙遜みたいな感じになるやん人間
でもなぜかスバラスィ教師に教えてもらった経験がいまの私を形作っているからみたいなようわからん動機からなぜか私も人に教えようみたいなマインドになっちゃうわけじゃん
良くないよね?
でも制度が教員を教壇から見下ろしてもいい存在として定義づけてるから自然な流れでその位置にすっぽりおさまりよるよね彼奴ら
そんで次の瞬間踏ん反りかえりよるよね。あやつら。
異様に性犯罪やりよんのももうどう見てもあの制度がお膳立てしてるじゃんって思うんだけどまた教師かとか罰しろみたいなこと言うだけであんまそこまでつっこまないよねみんな
もうさあ教員って基礎的な知識とか思考フレームワークみたいのを身に着けるのをガイドするだけの存在でいいと思うんよ
偉い枠はせめて大学とかでオリジナリティ出してからでいいよもう
学習指導要領を右から左に受け流すだけの存在に偉そう感はいらいんのよ
謎の使命感もいらん。何故ならば誰でもできるタンポポの仕事だから。
退会報告した人30人を調べたよ
①アニメイトが宣伝画像に琴葉茜のイラストを二次創作したイラストを使用
②暇空が叩いている団体「ぱっぷす」の短縮URLサービスをこの時だけ当てこすりのように使用
③アニメイト広報が暇アノンの可能性が高く、暇アノンは過去にNHK内部の個人情報を暇空に横流しした前科があり、アニメイトでも同じことが起きる危険性
主にこの3点が批判され、アニメイトから抜けると宣言する人が続出
それに対し「暇空さんはオタクの味方だ、退会する奴は元からアニメイトに関係ない非オタだ」との批判が多く出た
実際どうなのだろうかと調べてみた
◯1人目「40年くらいのお付き合いだったけど、さようなら!!」
ヘッダーが転スラ bioに「反自公維新」と政治思想強め 政治RTがめちゃくちゃ多いがチラホラオタ語り 年季の入った女性オタクと思われる
◯2人目「今までクソお世話になりました これで卒業できそうです」
アライさん界隈 フェミを名乗る アニメボカロ政治について語る オタク
雑多ジャンルの大量RT それなりに年がいっていってそう 若い頃はアニメが好きだったけど新作はあまり追ってないパターン? まあオタクだろう
◯4人目「アニメイト退会してきましたー」
bioに中国アニメタイトルがぞろり 中国人かと思ったが中国アニメにハマって中国語勉強してる日本人だった アニメの話ばかり オタク
◯5人目「退会してきましたわ。アニメイト最悪だ」
イラストRTが多い 2015年からちょくちょくアニメイトでの購入報告 オタク
女性向けソシャゲ?の二次元アイコン 2016年からちょくちょくアニメイトでの購入報告 アニメ・マンガの話題 オタク
◯7人目「これを機に通販も退会する」
あんスタとアニメイトコラボ時にバニラカーをパロディした時からアンチ寄りになっていたとのこと bioにダンジョン飯 壁打ち漫画語りが多い オタク
ほとんど時事語り 20代 バナナフィッシュ未読でアニメからハマる エロ広告絡みで男オタクが嫌い オタク
bioによれば俺女で既婚子持ち腐女子 話題が雑多 漫画家や声優もRT オタク
◯10人目「このツイート「のみ」ぱっぷすの短縮URL使ってるのが1番無理です」+退会画面スクショ
自作絵アイコンとヘッダ ブレイバーンとダンジョン飯の話題 オタク
◯11人目「退会理由の記載欄があったのでその他自由記載に残しさよならしました」+退会画面スクショ
bioにアニメ アイナナ推し 他漫画アニメソシャゲの話題 つい最近の1月にもアニメイト利用したところ オタク
◯13人目「良い機会なので退会しました🤗」
オシャレな感じの二次元アイコン 2019年からちょくちょくアニメイトでの購入報告 オタク
◯14人目「退会してきた🌸 今後実店舗でも買い物することはありません」
△15人目「退会した」
bioがカオス 愚痴垢?時事系RTまみれ オタクらしい発信はない でも退会画面スクショをあげてはいる
情報収集用なのか本人発信ツイートは50もないぐらいで時事RTが多い カミュマヤ好き オタクっぽそうではある
時事系フェミ系 全方向に怒っているので逆に人物像がよくわからない オタクっぽい話題は皆無のようだ
◯19人目「アニメイト退会したわ無理だわ」
腐女子絵師 2019年からちょくちょくアニメイト行った報告 オタク
×20人目「結構ポイント残ってたけどアニメイト退会してきたよー」
フォロワー数のわりにツイートが異常に少ない 多分掘られ対策に定期的に全消ししてる 風水系?
虐待サバイバー体験の共有などする既婚子持ち チェンソーマンのデンジに共感 オタク
◯22人目「今回のことを踏まえて退会処理しておいた」
2017年にアニメイトで購入報告 洋物生麸 政治RT多め オタク
時事系フェミ系 オタクらしさはほぼない コナンにたまに好意的
×24人目「あんまり使ってなかったけど、アニメイト退会してきた」
本垢から分離した政治垢 本垢は鍵垢 スパイファミリーアニメ化を喜ぶ 他はオタクらしさはほぼない
2021年からアニメイトでちょくちょく購入報告 腐女子 オタク
◯26人目「アニメイト退会した 女の人権をなんだと思ってんだ」
2016年からアニメイトでちょくちょく購入報告 刀剣乱舞好き オタク
作成から半年未満のアカウントでツイート数が少ない 何らかの二次創作小説を書いているらしい
2012年頃からアニメイトについて言及 アニメイトの透明カバーが溜まる発言など常連っぽい 呪術廻戦などジャンプ系 オタク
◯29人目「元気よく退会してきました」
熱心なアニメ店長ファンだったが二次創作絵全部消したとのこと 萌え語りは多数残る オタク
コナンやスパイファミリーにちょっと好意的に触れただけの垢をオタク扱いするかどうか問題が発生した
大体はオタク
「アニメや漫画なんかくだらねえんだよ子供がみるもんだろ」みたいな人がしれっと退会宣言してる例あるかなと思ったけど見当たらず
wikipediaでその人物が左利きであるという記述が大量に削除されてるんだけど、これって差別だからなの?
全く差別だとか思わなくて削除される理由が不明で、最初は荒らしなのかと思ったんだけど。
でも、もしかして差別的だという共通認識が一部にはあるのかな、と思い至った。
左利きであることが知られると、その人に何か不利なことがあったりする?
スポーツ選手や俳優やギタリストが左利きなのってわりと重要な情報だと思うから、記述を戻して欲しいんだけど、駄目なのかなあ……
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
両者を読み比べてみて信憑性を感じるのは新潮の伊藤氏の記事のほうだ。
一方、文春の松本氏の記事に関しては捏造性を強く印象付けられる。
この違いは何によるのだろうか考えてみた。
すべてに曖昧な点がない。
昨年の出来事であり、
問題の出来事について双方弁護士を立てて話し合いを進めた結果、
物別れとなり、
その事実自体が報道するべき出来事としての根拠ともなっている。
そして、年月が異常に古い。
2008年の出来事を、まるで昨日のことのようにして書いているものまである。
確かに16年も前のことを思い出し、思い出ししてそれを無理やり文章化すれば
具体性のないぼやけきった話となるのも、
さもありなん、とも思えるのだが。
そして文春の記事の特徴として、過剰なまでの「煽り」が記事の隅々まで浸透していることだ。
松本は「○○○○○」と言い放った。
「○○○○○〇〇」
「▢▢▢▢▢▢▢」
すべてがすべて何ら証拠もないのに松本氏が発言した、と事実として書き並べられている。
新潮の記事においても伊東氏が飲み会の席で話した内容などが書かれている。
(その発言自体を記事を読ませるための「釣り」として使用しているわけではない。)
具体的に、いつ、どこで、だれが、なにをおこなったのか
無理な印象付けを行うことはせず、
書かれていることの内容のほとんどは
松本が
「○○○○○〇〇」
と言った。
というような確認しようもない不明確なことを文章の主体としている。
また、よくわからない造語を作って、いわゆる「釣り記事」のような煽りを多用していること。
報道すべき主体がないのに、無理に記事にしている印象を受ける。
あとは雪だるま式に「ネットの声」が事件化してくれるだろうとの見込みで発射されたものであるとの結論づけしか出来ない。
いつの間にか、文春の記事の低レベルさに文句をつける文章になってしまっている。
私自身が望むのは、文春はもう少し具体性のあることを書いてくれないだろうか?ということだ。
実際に性被害を訴えている人がいるのだから、もっとそこに焦点を当てて具体的で、煽りのない記事を書いて欲しい。
今のように、単なる芸人の女遊びを大げさに書きたてておけば、
などという態度でいるのは実際の被害を訴えている人たちに対しても誠実ではない。
結局は、そういう人たちを食い物にしている、という意味で文春はパッシングしている松本氏と立場が同じになってしまうのではないだろうか。
誰か知らない人もいるだろうけどコナンのベイカー街の亡霊の脚本家といえば良いだろうか。
あれもまぁまぁ原作と違う部分があって結構な叩かれ方したんだが、でも作品自体は評価があった。
彼は自死している。
ここで詳しくは本人のWikipediaへ誘導するのが適切だと思うのだが、シナリオ作家協会で出す月刊誌で告発がなされたことがある。
>重政隆文による人物考
以下を読んで貰えればと思う。
>「自分の描きたいことを描いた脚本が他人によってズタズタにされた例と、まったく関与していない人物が脚本に名を連ねる例。その二つの例をともに経験した脚本家が野沢尚だ」
詳細がページに記載されている。
「原作者」としての脚本家の立場について昔から何も変わっていないことがわかるだろう。彼がどれだけ戦い続けたかも大体だが想像できる。
それに今の若い人は2000年代以前に活躍した人がネットの誹謗中傷に悩んだことを想像できていないのかもしれないが、この頃から起きているのに依然苦しみは繰り返されていることも分かる。
今回、芦原妃名子氏の場合は自らの説明があったからこそ世間に騒がれるものになったが、映像業界はどれだけの創造者の心を蝕んでいるのか。
( ^ω^ )
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%A5%B3
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%B9%E5%8D%81%E4%B8%89
「突然の死
1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション南側下の駐車場で、飛び降りたとみられる遺体となって発見された。葬儀は故人の遺志により執り行われなかった。当初からその経緯について様々な説が飛び交った。
かつて『ミンボーの女』公開後に襲撃事件があったことから、当初から暴力団の関与を疑う声はあった。ただ、事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」との文言があったことから、写真週刊誌『フラッシュ』によりSMクラブ通いや不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺か、とも推測されるようになった[19]。だが、伊丹はレタリングデザイナーとして日本有数と自負する存在であり、書き文字には人一倍の愛着とこだわりを持っていたことから、遺書が手書きでなくワープロで打たれていた点が不自然とされた。また死の直前に『FLASH』の記者から不倫疑惑について問われた際、伊丹は笑いながら「妻に聞いてみればいいよ」「(不倫疑惑は)いつものことだから」と軽口で答え、その様子が『FLASH』誌面に掲載されている。また死の5日前まで医療廃棄物問題の取材も続けていた[20]。「飛び降り自殺」はまさにその直後のことであり(インタビュー、『FLASH』発売直後)、自殺直前の様子との不自然さから、その「自殺」には強い疑惑が持たれ続けている。
ジェイク・エーデルスタインの著書によれば、伊丹は当時後藤組と創価学会の関係を題材にした映画の企画を進めており、後藤組組長の後藤忠政がそれを快く思わず、後藤配下の5人が伊丹の体をつかんで銃を突きつけ屋上から飛び降りさせたと、自身が取材した人物が語ったという[21][22]。また大島渚や立川談志など古くから伊丹十三を知る人物も、警察が死因を「自殺」と断定した後も「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」「飛び降り自殺は絶対に選ばない」と話し自殺を否定した[23]。
伊丹映画に出演経験のある伊集院光は、1997年9月22日に行われた伊丹監督作品10作品目「マルタイの女」記者発表兼記念パーティーの席上で「OLがたくさん出るような映画を撮りたいから、また出てくれる?」と言われたという。 俳優・中尾彬はキャリアウーマン物「キャリアの女」の企画を聞いていた[24]。また「すでに5~6本の新作の台本が出来上がっていた」とも言われている。
最後のバラエティー番組出演は、1997年9月29日放送の『SMAP×SMAP』での妻の宮本信子との共演となった。
宮本信子は、2002年12月20日の「感謝の会」における挨拶で「本人が決めたことですから仕方がないですけれども」[25]と語っており、伊丹の死後、プロデューサーの玉置泰に伊丹の遺書が渡されている[26]。
2005年1月、インターネットの掲示板上で、伊丹の死が創価学会によるものという風評が掲載された。創価学会は事実無根として掲示板の管理者に対し訴訟を起こす。2009年2月、東京地裁は原告創価学会の主張を認め、被告に80万円の損害賠償を命じた[27]。」
どうなったら日本に安楽死制度が導入されるかなら考えたことがある。
何か事が起こって、それに対応する形で導入されるパターンしかない。
何が起こってどういう状態になったら導入があり得るか、と考えていくと。
将来を悲観したり、金が無くなったり(無くなる見込みになったり)、
福祉に頼ってまで生きたくないと思ったり、体が効かなくなったり、
近親者を看取った経験から自分は早めに終わりにしようと思ったり、
そういう色んな理由で「自らの死」を望む人々が増えて、
制度が無いので、自死や殺人に頼らざるを得なくなって、それが頻発し、
もしかしたら、有名人や注目に値する人物の悲劇的事件で早めに導入もあり得るかも。
数が増えて、二次被害も出て、破綻してから導入するなら、その方がよいかもな
と思ったりする今日この頃。
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
風俗で副業していた保育士に給与が安いことが原因と同情が集まっているので本当に安いか調べてみた。
令和5年版「中小企業の賃金指標」(発行:TKC全国会)は、全国の428,341企業、1,736,069人の賃金データが収録されています。
この「中小企業の賃金指標」は、TKC会員事務所が「PXシリーズ・あんしん給与」または「年末調整・法定調書作成システム(TPS9000)」を利用して令和4年分(令和4年1月~令和4年12月)の給与所得の年末調整事務処理を行ったデータを基礎データとし、編集したものです。
規模問わず、継続雇用者のみ、全国の保育所のデータとなっている。
年代 人数 平均額 中位数
20台前半 3,086人 3,352千円 3,411千円
20台後半 2,247人 3,585千円 3,717千円
30台前半 1,081人 3,764千円 3,909千円
30台後半 782人 4,226千円 4,379千円
40台前半 702人 4,643千円 4,683千円
40台後半 671人 4,794千円 4,793千円
となっておりdoda調べの女性給与に比べ全年代で高くなっている。はてな民は今は保育士に処遇改善手当が出ていることも知らないんじゃないか?
いちおうだが、生活レベルという意味で高いか低いかを論じるべきなどと詭弁を使わないようにな。
これから処分を受けるであろう人物がバカ正直に私的な散財などと印象を悪くするわけがなかろうに。
https://twitter.com/animatebooks/status/1752955441116782660
暇空茜の書籍宣伝のこのツイートで、アニメイトは短縮URLサービスを使い書籍ページリンクをttps://qr.paps.jp/JgoMBと記載
URLにpapsとあるから察しが付くかも知れないが、このサービスは女性支援団体「ぱっぷす」のものである(ttps://qr.paps.jp/)
ぱっぷすはリベンジポルノ被害や、甘言に乗って性的画像を送ってしまい脅されているなどの女性の相談に乗ったり弁護士を立てるなどの活動をしている
動画URLは長くなりがちなので、報告用に短縮URLサービスも提供している
暇空はColaboだけでなくぱっぷすも誹謗中傷対象にしている
盲目的に暇空を信じ込んでいる大勢の信者がぱっぷすを叩いているが、URL短縮サービスの提供まで知っているアニメイトのツイート担当者はかなりディープに暇空にはまっているようだ
たまたまぱっぷすサービスにたどり着いただけ、とは考えられない
アニメイトは普段、短縮URLサービス使用時はもっとメジャーで安定性のあるhttps://x.gd/を使っている
ttps://twitter.com/animatebooks/status/1753267054189371434
ttps://twitter.com/animatebooks/status/1753225624406348012
ttps://twitter.com/animatebooks/status/1751768191674786240
(from:animatebooks) x.gd
(from:animatebooks) qr.paps.jp
ディープな暇アノンがアニメイトの広報をしており、揶揄してぱっぷすを使ったのだろう
嫌がらせのために使われていると判断したのか、ぱっぷすはリンク解除しておりhttps://qr.paps.jp/JgoMBで暇空書籍のページに飛べなくなっている
暇空は、Colaboを叩くようになったのは、代表の仁藤夢乃が温泉むすめ批判をしたからと理由づけている
一方でぱっぷす代表の金尻カズナは特にそういう発言はしていない
女を救う活動全般が腹立たしいというのはあるだろうが、仁藤夢乃を狙うように言ったのが暇空の相棒なるくんであるように、金尻カズナも第三者に狙えと言われたのだろう
彼の名前で検索すればどのような暴言、容姿中傷、女性差別外国人差別があるかはいくらでもソースが出てくるので割愛
垣鍔はbioに「フェミが嫌い」とまで書いていた、そして女性の容姿にうるさい
金尻カズナはフェミであり垣鍔の好みに合致する容姿でもない、その点だけで彼は金尻カズナへの憎悪をふくらませていた
https://twitter.com/WhitePapers9
垣鍔は炎上を経て鍵アカウントになっているが、今でも金尻への加害欲求が止まらないので金尻の顔写真をアイコンにしている
ちなみに垣鍔は仁藤の弁護士である神原元のアンチでもあり、「あいつはネットでイキってるだけ」と叩いていたが、先日の暇空が欠席した裁判では神原に「異議あり」連呼されて萎縮し以下の会話しかできなかったという
垣鍔「先ほど本件について5000万円の損害があったと言いましたが……」
神原「異議有り。質問の前提が間違っている。あなたの質問の前提が間違ってます。メモを見直して」
垣鍔「えーとそうですか」
暇空茜は、以前は「暇なアーニャ」を名乗り『SPY×FAMILY』のアーニャのアイコンを使い、アーニャの口調を真似ていた
棒読みの読み上げソフトを使用した動画はスパム扱いでBANされてしまったため、VOCALOIDの琴葉茜を使うようになり、名前を暇空茜に改めて琴葉茜のアイコンを使うようになった
暇空茜のイラストは探偵服をモチーフにしているという独自性こそあるものの、独特なリボンの形状など琴葉茜の二次創作であることは明らかだ
もし琴葉茜の権利者が使うなと言ってきたら最高裁まで争うと暇空は宣言しており、権利者は特に暇空茜に言及することはない
しかし、琴葉茜の公式は二次創作を商用利用ではない場合のみ許可している。
ttps://aivoice.jp/character/kotonoha/
>本キャラクターの二次創作物を次の態様で使用することを許諾します:①当該二次創作物及びその複製物の、無償かつ完全非商用目的での公開及び配布。②同人サークルとして行う、当該二次創作物及びその複製物の制作に係る実費を超えない程度での有償配布及びそれに伴う公開。
暇空はYoutubeやnoteを金稼ぎの場として使っており商業利用を既にしている状態ではあるが、VOCALOIDの特性上、ネット上の使用はゆるい
しかし商業書籍で使うのは流石に憚られるのか、「ネトゲ戦記」のカバーデザインは中学生が着てる英字シャツのようなデザインで、今や暇空茜を象徴する存在である琴葉茜の二次創作イラストは使われていない
ところが、アニメイトは琴葉茜の二次創作イラストをPOPとして使用し、店頭に飾ると宣言した
無知のまま暇空に提供された画像を使った、というのは有り得ない
アニメイトの広報は、ぱっぷすの短縮URLをわざわざ今回だけ使う程度には暇空の活動内容をよく知っているし、暇空を信仰しているようだ
暇空茜
@himasoraakane
男のオタクは欲しい時に1人で行ってガッツリ買い占めたりする。万単位で
女のオタクは友達とキャッキャするとこまで楽しみのうちなので、千円くらいの買い物を毎週友達としてる
ttps://twitter.com/himasoraakane/status/1679978539800743936