はてなキーワード: ライフとは
Twitterで何年もフォローしている年上の人がいる。長年フォローしているので、名門大学の院を卒業、大手企業に入社、そして入籍と一連のライフイベントが観測された。いわゆる勝ち組であろう。
そのフォローしている人が、ここ最近色々な物事に対し強気に言及することが増えてきた。勤め先にひたすらダメ出ししたり、ドラレコ動画を見て道交法を語って誰が悪いと言ったり、法改正へのハッシュタグでの抗議と廃案のくだりに対して間接民主制の否定だと言ったり、GOTOキャンペーンの見直しに対して反対派のせいで経済が壊滅すると言ったり。そこまでは個々人の考えの範疇ではあるのだが、ネットで目覚めた感じの個人アカウントやDAPPIやnetgeek的なwebメディアなどのRTが増えてきた。いいね欄をふと見たら、「この案に反対するやつは日本人じゃない」的ツイートがあった。
大体の事象について、我々は専門知識を持たない門外漢である。インターネットによって専門知識に触れやすくはなったものの、概して付け焼き刃に過ぎない。それ故に、自分の思うものと異なり否定するとしても、その分野の専門家の意見は最低限は尊重すべきだと私は思っている。しかしながらその人は、それを軽んじて自分の考えこそ正しいと言わんばかりである。素人の理想とする感染症対策や経済対策の開陳にそれらへの牽強付会、その通りにならなかった際の捨て台詞を見るのはうんざりだ。
「アカウントを作成して一番初めにすることは坊主とイエス・キリストbotのブロック」などとツイッターオタクたちは冗談を飛ばしあっているが、やはり快適なツイッターライフを送る上でブロックは必要不可欠だ。そして問題はいかにブロックを効率化するかだ。私はそのために以前「クソリプバスター(同じ穴の狢)」というアプリを利用していた。
これはツイッターのブロックリストという機能を活用して、主に特定のアカウントのフォロワーをまとめてブロックしてくれるアプリだ。しかしブロックリストが昨年行われたUIの変更と同時に廃止されてしまったので、それから使えなくなってしまった。
そこで私は、拡張機能「Twitter Block Chain」を利用し始めた。
最近BuzzFeedの古田氏やジャーナリストの津田氏に紹介されて脚光を浴びてもいるが、これはスクリプト(?)を走らせて特定のアカウントのフォロワー(/フォロイー)をまとめてブロックしてくれる拡張機能だ。しかし欠陥があった。一度の処理でブロックできるアカウントの数に限界があり(およそ500アカウント)、それを超えるとエラーを吐いて自分のアカウントが強制ログアウトさせられるのだ。それでもしばらくはこの欠陥に目をつぶって利用していたが、やがてもっと優れた拡張機能に出会った。それが「Red Block」だ。
特定のアカウントのフォロワー(/フォロイー)をまとめてブロックするための拡張機能として、「Red Block」が「Twitter Block Chain」の上位互換たる理由は2つある。まずは、数万に上るアカウントのブロックを一度の処理で完了することができるというものだ。「保守速報」のフォロワーで試してみよう。
結果→https://i.imgur.com/7Ik4c9P.jpg
一度の処理によってフォロワーだった95,000ものアカウントのほぼ全てをブロックすることができた。(「ほぼ」と書いたのは、ブロックするアカウントが多すぎたときに一部をブロックしそこなってしまう問題があるからだ。しかし今回それは「Twitter Block Chain」で確認したところ70アカウントほどだったから、あまり大したことではないと思う)。要した時間は5分弱だった。また強制ログアウトさせられることもなかった。
次に、目当てのアカウントに自分がブロックされていてもそのフォロワー(/フォロイー)をブロックできるというものだ。
以上のことを考慮すると、ブロック効率化のツールとしては「Red Block」が現時点で最も有用だといえるのではないだろうか。ガシガシブロックして快適なツイッターライフを。
註
※Firefox向けの「Red Block」もある。→https://addons.mozilla.org/en-US/firefox/addon/red-block/
交流スキルの面で増田さんと今Twitterで交流してる同担30代女オタクが似ていたので驚いた。意外といるのかなこういう方。
自分は20代女でその交流相手とは歳が離れてるんだけど年齢の差による経験の種類や量の違いとかでお互い反応がぎこちなくなる。(なんで20代の自分もぎこちなくなるのかというとそういう可愛げな反応をするのが嫌だから)ここは自分も解決方法が分からないのでこんがらがってます。
反応の仕方に関しては…他人の真似をしたり、可愛いと思う反応でしっくりくる言葉を貰ったり、同ジャンルや別ジャンルの30代オタクの言葉を参考にしたり…、それかイプに誘ってくださった方に相談してみたりするのもアリではないでしょうか。解決できなくても話すだけで軽くなることはあると思います。もし自分が相談された立場だったら相談されて嬉しいなとおもいます。
正直30代オタクの反応に対する自分の感想は落ち着いた印象だなくらいなのであまり気にならないです。
この文面は増田さんが幸福オタクライフを送れるようにと願って書いたものなので好都合に解釈してください。
折角10年ぶりに楽しいオタク沼ライフを送っているんですから、ひたすら幸せ狂いしてしまうくらいオタクとして楽しんで欲しい。検討を祈ります。
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5806)
前期で面白かったのは はめふら、かくしごと、かぐや様、ガンダムReRISE、プリコネ、本好き
感想には偏りが強い
春クールはこちら→https://anond.hatelabo.jp/20200414145218
A.I.C.O. Incarnation
序盤のvs怪物戦がどこで回収されるのか?
謎の撒き方が上手
クオリティやや高め、気になるので様子見
ただ長いこと帰ってなかった家に埃ないのは演出として失敗では
宇崎ちゃんは遊びたい!
あとは宇崎ちゃんの良いウザさをどこまで出せるか
うまよん
短いのでアプリ触ってなくても話はわかる
クオリティが高い
ラブコメ好きならとりあえず見ても損はしない
原作まだ落ち着いてないがどこに着地させるか気になる
GREAT PRETENDER
なんか見たなと言えばそれまでなので今後の展開次第
クオリティは十分高い
GIBIATE(ジビエート)
酷すぎる
よく池田秀一出たな?
これも今後明かされるだろう謎の撒き方が良い
一切情報入れずに2話まで見て欲しい
話の組み立て方が変わってて面白い
お色気オンリーは普段見てないけどくだらなすぎて笑えて見続けそう
ノー・ガンズ・ライフ(2期)
話が若干複雑なので下手に離さず2クール打ち抜きでやった方がよかったのでは
富豪刑事 Balance:UNLIMITED
フジか日テレのドラマでジャニーズやら若手芸能人揃えた方が視聴率高そう
放課後ていぼう日誌
穏やか日常系
魔王学院の不適合者~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~
ほどほどにロークオリティで気を抜いて見れる
ワンパターンになりそう
逆に1話見ていいと思えば見続けられる
所々雑
たくさん見た展開になったら苦しい
結婚式にしても、出産や子供のライフイベントにしても、家を買うにしても、
マンションを買ってくれるような人もちょいちょいいたりするんだな。
何年も働いて返す奨学金なんて借りる発想もなくて、
10年15年かけて頑張って貯めたお金を「これでも使いな」って出してくれる。
そんな当たり前のことに、40手前で気づいたわ。
アラサー、先天性難聴からの左耳失聴、右耳の残存聴力+補聴器で音を聞き取っている。
確かに補聴器は万能ではない。多くの人が想像できるように、ノイズも増幅する。たとえていうなら、裸耳での音がFMなら、補聴器越しの音はAMというか。
お店でつけた最初の瞬間は、人の声、店内のざわざわ音、空気の音、どこかで机に何かを置くカチャカチャ、ゴトッという音、ぜんぶ同じ強さで耳に入って来る感じになる。人間の耳は、自然に聞こえたい音と聞こえなくてもいい音をよりわけ、調整しているんだと痛感した。しばらく我慢してつけ続けると、だんだん耳というか脳がその状態に慣れて、補聴器からの音でも取捨選択をできるようになるんだけど。最初は辛い。特に補聴器初めての人は。言われるがままにボリューム大きくすると、ハウリングが起きて頭痛がしたり、耳に入る音の種類が多すぎてすごくイライラしたりする。
特に耳が遠くなりはじめの軽度~中度難聴の人は、補聴器つけても不快なだけで聞こえが劇的に良くならないので、あまりつけたがらないんだよね。自分もそうだった。中度~高度難聴以降になると生活上での恩恵が勝るからつけざるを得ないんだけど。本人が補聴器つけることによるメリットを実感していかないと、周囲がつけろと言えば言うほど反発すると思う。これは本人が自分の難聴をどこまで受容しているかによるから難しいんだよね。でも、放っておくと脳の音の聞き分け能力とか発語機能が明らかに落ちるので、耳が悪いということを周りにも理解してもらいつつ、耳を使う機会を継続して持つのが大事だと思っている。
だから補聴器初めての人は、あまり高くないやつを、音の響きがマイルドな感じに調整してもらって買うといいと思う(ちゃんとしたところで買うと、こういったオーダーメイドな細かい調整も可能)。もちろん、設備のある耳鼻科で聴力検査してから、補聴器専門店でお試しして買うのが良いです。主要メーカーは、フォナック、オーティコン、シーメンス、GNリサウンド、スターキー、ワイデックス、リオネット、パナソニックあたりだけど、補聴器店(系列)によって取り扱ってるメーカーが違うので、いくつかの店を回ってそれぞれ試聴させてもらうといいよ。自分は数万の安物を最初につけて、今は片耳30万のものだけど、聞こえ方も周辺機器の使いやすさも全然違う。ここ10年でもだいぶ進化して、スマホとBluetoothで繋げて補聴器に直接スマホの音楽・通話音声を飛ばしたり、テレビの音を飛ばすこともできる。
ちなみに集音器は音を単純に集めるだけだけど、補聴器は集めた音を内容によって分類しコントロールして耳に届けるので、全く別モノです。そのコントロールできる幅や賢さが、数万~50万の範囲内で大きく変わる。いいやつはほんと高くてうんざりするけど、自分の聴力ではQOLが爆上がりするので買わざるを得なかった。。障害者手帳持ってる場合は対象の補聴器について補助が出るけど、高機能なやつは対象外なのでほぼ自腹。
あと、空気電池は1パック6個入りが定価では1,000円だけど、ネットなら200円とかで買える。正直捨てる手間のがめんどい(電気屋にまとめて持っていく)。今の時期は耳穴がめっちゃ蒸れてかゆい&くさいのがつらいよ!
2月から任意での在宅勤務開始、3月から原則出社禁止になった。
業種的には在宅勤務で基本的に問題なし。
少なくとも向こう2ヶ月はこの勤務形態でいくことが決定済み、仮に収束したとしてもずっとこのままかも。
でも俺は在宅勤務がしんどい。
なぜかって、俺は仕事なんてしたくないけど、生活のためにしょうがなく働いているから。
仕方なく仕事をするには、スーツを着て、会社に行ってという、サラリーマン役を演じる舞台が必要だから。
ワーク・ライフ・バランスなんて言葉があるが、在宅勤務はライフ・ウィズ・ワークだ。
生活と仕事は切り離しておきたいのに。
一人暮らしで孤独な思いをしながら在宅勤務をしている奴らも大変だろう。
でも、物置という名の仮設仕事部屋を出ると、妻と子供が遊んだり、昼寝したりしてるのが嫌でも目に入る俺もしんどい。
もしコロナ が収束して、でも会社が在宅勤務の継続を認めた場合に、それでも会社に行く俺を妻はどう思うだろうか。
家族を煙たがるダメ親父に見えやしないだろうか。
在宅勤務が終わった後もしんどい。
私は都内の理系大学に通う4年生だ。大学へは1時間半かかり、一人暮らしすべきか悩むラインなのだが、この距離なら実家から通う方が格段に経済的なので、実家暮らしのまま大学も4年目に突入した。
実家暮らしは快適だ。衣食住は保証されているし、幸いなことに両親の仲も良い。金銭的にも、一人暮らしだと毎月数万の家賃+光熱費+食費がかかるのに対し、実家暮らしなら毎月せいぜい1万円の定期代しかかからない。一人暮らしだとバイト代からある程度の生活費を補填する場合が多いが、それもしなくて良い。
実家暮らしは最高!と信じ続けていたのだが、去年あたりからそれのほころびに気がつき始め、このコロナ禍でいつにもまして自宅にいることが増えた今、確信するようになった。これは、茹でガエルになって腐っていくやつだ、と。
タイトルは、自分の状況を見て「理系男子+実家+一人っ子」という組み合わせにしてみたが、実家に住んでいればある程度は誰にも起こりうる話だとは思う。しかし、この組み合わせは特にたちが悪い。
一人っ子だときょうだいがいる場合よりも家族から寵愛を受けて育つ、というような話は私には検証しようがないので分からないが、家庭内で近い世代の人がいないことで、家の外で同級生などとコミュニケーションを取りづらくなる、というのは実際起きることだと思う。親との接し方は、きょうだいとの接し方とは異なるわけで、一緒に遊んだり、時には争ったり揉めたり。一人っ子だとその経験が皆無だ。小学生の頃も、友達の家に遊びに行って兄弟喧嘩を目撃すると、これはマズいことになったな…と本気で心配したりしていた。そのような「雑な」コミュニケーションの取り方を覚えられずに成長してきてしまったのだと思う。例えば、友達に連絡する時もダル絡みのように、用件もなくLINEを送る、なんてことはまず考えられない。何かちゃんとした用件がないと連絡しても煙たがれるよな、と想像してしまう。(それでも、ありがたいことに何もない時でも比較的気軽に連絡できる友人が何人かはいる。本当にラッキーなことだ)その結果何が起きるか?LINEをほとんどしないのである。現代においてそれは、交友関係の狭さに直結する。
また、一人っ子で実家暮らしの際のもう一つの実際的な問題として、両親に行動をほぼ完璧に把握されてしまう、ということがある。例えば夕飯にしても、きょうだいがいれば毎晩ある程度の余裕を持って夕飯を作るだろうが、一人っ子だと毎日、今日は夕飯は家で食べるのかと確認される。そして現代の東京では、「遊ぶ」は多くの場合「食べにいく」「飲みにいく」ことを意味する。これだと突発的に友達と食べにいくこともなかなかしづらい。また、私はほぼ下戸である。「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」だ。テンションについていけない場合が多く、周りが酒の勢いで盛り上がっていても特段楽しくもない。
また、休日の行動も、友達と出かける場合は家にいないわけだから、どこかに行っていること自体は筒抜けだ。また、母親がやけに勘が鋭いのと人間関係の記憶力が良く、私がいくつか的確な質問に答えてしまうと、自分の周りの人間関係を如実に把握されてしまう。相手の性格やステータスなどについての評価を下されることも多く、居心地悪いことこの上ない。これも、きょうだいがいて親の関心が分散されていれば、実家暮らしだとしてもこれほどではないのだろうと思う。神経質な私は、交遊は無難な範囲に納めておこう、と無意識のうちに決めていたようだ。
そしてこのような状況は、恋愛関係の問題になってくると致命的となりかねない。
結局この4年間で、女性と正式に付き合うことはできなかった。まず、デートするための口実づくりのための心労が半端ではない。休日に出かけるとなると、大抵の場合、誰と会うの?などと親に聞かれる。そこで、「おんなのこと二人で遊びにいく!」なんて言おうもんなら、相手はどんな人か、どんな家庭か、写真見せてくれ、などと質問責めに合うことだろう。(実際に言ったことはないので分からないが。さすがに少しは気を利かせてくれるとは期待したいが、わざわざ確かめたくはない。)なので、デートの約束が取れた時は、親には適当な友達の名前を出しつつ、あまりにお洒落すると突っ込まれそうなので、友達と会う時にも着そうだしデートでも通用しそうな組み合わせの服を頑張って揃え、親に言うアリバイはどうしようかな、と考えながら家を出る。ストレスがすごい。そこまでしてもなお、勘の鋭い親にはデートに行っていることを見抜かれているのだろう。だったら自分から言えばいいのだろうが、この微妙なバランスを崩したくがないために、デートのたびにこういう流れになるのだ。
ところで、あまり口達者ではなくても、イケメンというわけではなくても頼れるテクニックとはなんだろう。そう、酒の勢いだ。酔いが回ってくれば、ちょっと恥ずかしい話だってできるし、そのまま話し続けて夜遅くなれば、じゃあこれからどうしよっか…ともなるだろう。しかし自分は下戸なのだ!そして、「今日は泊まってくる」なんて家に連絡できるわけがない。付き合えたところで、そういった困難がデートのたびに起きるのが予想できてしまうと、こちらも消極的になるわけだ。
単純接触効果というか、男女同士で定期的に会っているだけで好感が生まれ、好意に発展することもあるだろう。ところがどっこい、理系の学部はほぼ男子校なのだ。あいにく私は異性愛者なので、キャンパスライフを楽しんだところで恋愛的な出会いはほとんどない。いわゆるインカレ的なサークル活動もしてこなかったので、そもそも同年代の女性と会うことがほとんどないのだ。
そして今、問題は新たな局面に入った。感染症の蔓延により、自宅待機を余儀なくされているのだ。なに、「どうせみんな自宅待機なんだから、実家でも一人暮らしでも変わらなくない?」だと?甘い。世の一般的な一人暮らし大学生は、既に夜な夜な飲み会に出歩き、コロナなんて気にせず外出しまくっているのだ(私見)。コロナを広めにいくような行動はやめろよ、とは思うが、納得できるところはある。若者は統計的には重症化率が低く、感染しても軽症で済む場合がほとんどと知られている以上、一人暮らしで親と接する機会がなければ、普通に出歩くのもうなずけるのだ(大局的に見ると、重症化のリスクが高い人にまでウイルスの蔓延を広めているので、大いに賛成はできないが)。しかも、コロナで客足が減った飲食店や施設は空いているし、割引をしていることが多い。このチャンスを逃すのはもったいない、と思うのがむしろ自然だろう。しかし実家暮らしで生真面目な私は、自分から親にウイルスをうつすなど考えたくもない。そうなると、感染状況が落ち着くまでは、友達とカラオケや密な飲食店に行くこともしたくない。また、実家だと電話するにも家族に気を使わないといけない。深夜には話せないし、自室で話していても声が漏れるので、軽い雑談はできても、ぶっちゃけ話やゲスい話など、本当に盛り上がるような話は決してできない。
…………………分かっている。こう書いても、「結局はあなたの社交的な性格の問題でしょ?」と思われることは。性格がもっと外向的だったら、もっと要領がよければ、同じ環境でも全然違う状況になれるのかもしれない。しかし、環境が人を作るとも言う。この状況でどうしたら穏便に暮らせるか無意識に最適化した結果が今の性格、今の状況なのかもしれない。一人暮らしを始めれば、このような足かせから解き放たれるのかもしれない。
しかし、もう遅い。大学生活は終盤に差し掛かり、どうせコロナは年をまたぐであろう。実家引きこもり生活は卒業するまで続き、修士に進学するのでそのまま2年間続くかもしれない。今からでも、少し無理してでも一人暮らしをしてみた方がいいのかもしれない。環境が人を作るのだとしても、人が環境を作ることもできるはずだ。
もしタイトルに書いた条件があなたにも当てはまるなら、ぜひ私よりもマシな大学生活を送ってほしい。実家が近くても、一人暮らしができそうなら、ちょっと背伸びしてでもそうした方がいい。実家暮らしになるのであれば、自由度を増やせるように、早いうちから終電での帰宅などを繰り返して、自分が外出していても親に気にされない状態を作りだそう。そしてそして、女子と会える場をなんとかして見つけてほしい。
私は底辺同人作家をやっている。たかが一度サークル参加したことがあるからといって同人作家を名乗るのはおこがましいだろうが、ここでは同人誌を描く腐女子という意味で同人作家と名乗らせてほしい。
私はとある一つのジャンルで二次創作というものを知り、同人活動を始め、そして現在も同人活動を続けている。今年で3年が経ったところだ。
それだけ長く居座っていれば古参としてそこそこの地位が築けているはずなのではと思うこともある。しかし私が未だに底辺を脱していない理由は単純だ。
1.絵に魅力がない
そこまで分かっていてなぜ3年も底辺のまま活動できるのだろう。
何度も自己嫌悪に陥ったが同人活動をやめようと思ったことはない。
すべては強すぎる承認欲求に起因している。
私は昔から絵を描くのが好きだった。少女漫画を写し絵シートで模写したり、自分でもオリジナルのキャラクターを描いたり。誰に見せるわけでもなく素直に絵を描くことを楽しんでいた。
しかし学生時代、友人間で深夜アニメが流行り出し、アニメのキャラクターを描いては友人同士で見せ合う遊びをするようになってから、自分の絵に対する姿勢が変わっていく。絵を描けば上手いね、可愛いね、と褒められるのが気持ち良い。調子にのった私は自分の絵は人より上手いと思いこんでとにかく絵を描いては友人に見せびらかしまくった。今思えば技術もなければ魅力もない、ひどい絵をよくもまあ堂々と自慢していたものである。シャーペンで描いた迷い線だらけの落書きを親しい友人に見せては上手いねと言わせ、ツイッターに上げてはフォロワーの義理いいねをもらい、完全に絵の上手い人枠を勝ち取った気になっていた。(学生時代一度も絵の上手い人枠で修学旅行のしおりや応援旗の作画を任されたことがないことに気付いたのは最近の話である。)
気づけば絵を描くことは自分の承認欲求を満たす手段でしかなくなっていた。高校を卒業し、予定を合わせなくても毎日友人たちと交流できる期間が終わってしまうと、自らの承認欲求を満たすためにその矛先を向けたのがツイッターだった。ひとたび絵を上げればすぐさま反応が数字で表示され、簡単に承認欲求を満たせる魅力的なツールであり、また多くの絵描きがその泥沼にハマっては絵描きを辞めていく恐ろしいツールでもある。
私もその泥沼にハマった一人だ。
それまでもツイッターはやっていたのだが、あくまで小規模なコミュニティでしか交流しない鍵垢での活動に過ぎなかった。高校卒業を機に私は、推しジャンル専用のアカウントを作った。
1.イラストを上げてフォロー<フォロワーの神絵師になる(当時の神絵師の定義がこれであった)
今思い返して書き並べてみても図々しいにも程がある。私はこの宣言どおり、目をつけた神絵師に積極的に声をかけて存在をアピールし、見切り発車でサークル参加も申し込んだ。
しかし忘れてはいけないのが、ここで私が底辺同人作家であるということだ。
私は多くの人に認知されることに気を取られるあまり、まったく絵の練習をしてこなかったのである。(ちなみにこのとき繋がりたいタグでかき集めたフォロワーがほとんどで、180人ほどだった)
自分の絵はデッサン崩壊し放題、配色めちゃくちゃ、おまけに漫画のネタは小学生の自作漫画以下というとにかく人様に値をつけて売れるようなものではなかった。イベントが近づくにつれて次々と流れてくるサンプルと自らの原稿を見比べては、完成度の低さに絶望し、ここではじめて自分が絵の上手い人ではないことに気付いた。
病みに病んだ私は「自信がないので新刊の値段を格安にします」とツイート。すると当然バッシングの嵐。買い手に失礼だ、自信をもって発行する本がほしかった、などと様々な意見を頂いた。厳しい言葉ながらも私の本がほしかったと言ってくれるフォロワーがいることが嬉しくて、申し訳なくて、このときは本当に反省した。
なんとか無事イベントは終了し、稚拙な新刊は20部ほど売れた。大手ジャンルの力ではあるが、購入してくれた優しい方々には頭が上がらない。
病みに病みまくったアカウントを墓に葬るため、イベント後、すぐに私はアカウント移行した。
しかしこれがさらなるクソ病み女を生み出す原因だったのである。
移行後のアカウントで繋がりたいタグをするも、面白いほど伸びない。フォロワーも増えなければ絵も伸びない。どうせ絵が下手。嘆くだけで絵の練習はしない。耐えきれなくなった承認欲求が病みツイートを生み出し、少ないフォロワーがさらに減っていく。さらにこのアカウントで相互とトラブルを起こし、ちょっとした騒ぎを起こした後にアカウントを消す羽目になる。災厄がついていたとしか思えない1ヶ月だった。
病みツイートはせず、推しの妄想とイラストだけを上げるアカウント。これが大変居心地が良い。まず病みツイートがないというだけで相互にブロ解されることがなくなった。またフォロワーに影響されてクロッキー練習をするようになり、いくぶんかイラストが上手くなった。初めて自信作に100いいねがつき、微差だがフォロー数をフォロワー数が超えた。今度こそ絵がうまくなった気がする。
順風満帆とも思えるツイッターライフであったが、ここで承認欲求の鬼がまた顔を出すのである。
ある時一人の相互が自身の絵のpixivまとめをツイートした。最近自分の界隈にやってきた絵師で自カプが同じということでわりと仲良くしていた人。かなり好みの絵を描く人だけどまだまだフォロワーは多くない方。だから舐めていた。
なにげなくその人の過去ジャンルのイラストまとめを開いてみる。1500を超えるブクマ数が。次も、次の作品も。
完全に嫉妬だった。私なんてよくて20ブクマ。こんな神絵師が私みたいな底辺絵師とつるんでたんだ。私の絵を褒めるときどんな気持ちだったんだろう。お世辞?呆れ?ネガティブな妄想ばかりに囚われる。それが2人続いた。
メンタルが壊れた。
はじめてもう絵を描きたくないと思った。
5秒後
またしても承認欲求によって私は絵を描き続けることになるのであった。正直今のジャンルに居座り続けて飽きてきた。けど次行くジャンルもない。絵を描くのをやめたら何が楽しくて生きていくんだろう。私にはつらくても絵を描いて生きていくしかないのかと、そう考えることしかできない自分が憎い。
風俗好きの私がデリヘル嬢からコンジローマをうつされ、2年間かけて完治させた話をここに記したい
■おちんちんは常に清潔に
■早く治したいなら外科的切除が一番
ある日風呂に入っているとおちんちんに白いできものが出来ていた
何も考えずに近所の泌尿器科へ行った 今思えばこれが大失敗であった
先生に事情を説明し、ちんぽを見て頂くも「汗疱ですね 汗がつまってるだけです 何もしなくても治ります」と言われ帰宅
2週間ほどして、さらに白いできものが増えたのを見て愕然とする
一件目の病院は頼りにならないと思い、近所の別の泌尿器科に行った 今思えばこれも大失敗であった
先生に事情を説明し、ちんぽを見て頂くも「とりあえず血液検査だ」と言われ採血だけされてその日は帰宅
1週間後病院に行くと「血液検査の結果、梅毒ではなかったから多分コンジローマ 塗り薬出すから」と言われる
1日おきに患部に塗るクリームを頂く
「塗布時間は最長10時間まで それ以上塗ると皮膚が荒れて大変なことになる 毎日塗るのも駄目 必ず1日おきでお願いします」
しかしながら、薬を塗り続けること1年間 治るどころかできものは10個にまで増殖
先生に相談しても「薬を続けて様子を見よう」というばかり ちんぽを切って死のうかと思い悩む日々であった
治療開始から1年以上経過するも一向に治らずむしろできものは増えるばかり
さすがにおかしいと思い病院を変えることにした 多少遠くてもいいからとネットで評判を調べてから新しい病院を選んだのだがこれが大正解であった
先生に事情を説明し、ちんぽを見て頂くと「なんでこんなになるまで放っておいたんですか」と言われたので過去の治療経緯を説明
二件目の病院で1年近くクリームを塗り続けた話をすると「あれは連続使用は16週まで それ超えて効果無かったら切るしかないよ しかし酷い先生だね」と呆れられる
手術の所要時間は30分程度、保険適用なので費用も数千円程度であるとの説明を受け、すぐに手術の予約をして帰宅
おちんちんを丁寧に洗って登院 おちんちんに局部麻酔を打って待つこと5分でおちんちんの感覚はほぼなくなる
痛くはないんだけど鉗子やらピンセットでつままれ、そして切り取られていくぼくのおちんちん
「化膿防止のため毎日消毒して塗り薬をぬってください パンツにつくと汚れるのでガーゼを布テープでパンツに貼るといいですよ」と説明される
テープではしっかり固定出来ないし、万が一オフィスを歩いているときにズボンの裾から汚れたガーゼが落ちたりしたら即死である
私はテープではなく、ダブルクリップでガーゼをしっかりとパンツに固定する安全策をとることとした
「コンジローマはしぶといので切除しても半数くらいの方は再発します 1ヶ月後にまた来てください」と言われ病院を後にした
手術跡なども特に残らずおちんちんは元通りになった 但し白いできものもまた2個出来ていた
「切除した部分を生検に回したけどやはりコンジローマでした HPVには何種類かあって悪性のものだと癌化したりするけど増田さんのは良性
前のときはかなり大きくなってたからクリーム効かなかったけど、今回はまだ小さいからクリームで治るよ」と先生に励まされる
半信半疑でクリームを塗って布団に入り翌朝おちんちんを見てみると、なんとできものが小さくなっているではないか
何度かの再発を経て、新たなできものが出来ることは無くなっていた
先生からは「半年間再発がなければ完治といって良いでしょう」と言われた
半年間再発もなくついに完治
「増田さん、今度からは気をつけてくださいよ 夜の街とか今やばいですからね」と先生から厳しいお言葉を頂いたのが先週の金曜
まず、私は死ネタが嫌いではない。
むしろ好んで読むことすらある。
人によって作品の確信や結末にあたる【ネタ】部分は心に刺さることが多い。死ネタは地雷として表現されることが多いと考えてタイトルに表記した。人それぞれ、地雷とされる【ネタ】は様々だと思う。取捨選択して、素晴らしい二次創作ライフを楽しんで欲しい。
もしも、作品に注意書きがなく、自分の思う内容ではなかったとしても、目くじらを立てずスルースキルを発揮する力を養うべきだ、と。そこそこ長くオタクも腐女子も経験した身としては、蚊帳の外からそっと思っていた。
今回、どうしても、どうしても、言葉を綴りたくなってしまった。
私だけが?と思う推しキャラクターを巡る世の流れや趣向の違いを飲み込めない意固地なオタクだとわかっているのだが、やるせない孤立感が大きい。
私の推しキャラクターは、唯我独尊タイプだが信念のある支配者然とした男性キャラクターである。知性も理性も備えている。また、彼自身遊び心も持ち合わせており、絶え間なく変わる姿に心の底から引き込まれてしまう。正直、作品の中で、1・2を争う完璧な生物であり、私の語彙程度では正しく表現できないことが悔しいが男前なキャラクターに分類されると思っている。
当然のように、支えている部下たちも一流の男たちである。完璧な仕事ぶり、所作・言葉使いまで、各人員が要所に個性や気品があると思う。
かなりこの方々は人気がある。
私は推しキャラクターには多大なる恩義があるので、もう一生推す・この人で最後、と本気と書いてマジで思っている。盲目的であることを許してほしい。
ここから少し推しを巡るカップリングの話をしたい。私の推しキャラクターとその側近のような部下がいる。人により捉え方は変わると思うが、複数人いる部下の中で、この2人だけ作中で別次元の描かれ方をしていたように感じた。ここにストンとおさまってしまった腐思考の方々も多いのではないだろうか。実は、私もその口だ…
そんなあっさり、おまえ。と思うかもしれないが、視覚と音の効果は絶大で逃れようがないんだ。世界中に見せたい、これできてるよな?と、10億人思うはず。
私はその推しキャラクターを単体で推して長いが、今までカップリングで考えることは、稀にある、程度の頻度であった。
推しキャラクターをとにかく彼らしく描いていて欲しいという願いを持っていたので、二次創作よりも公式に傾倒していた事もある。ここで書く彼らしいは、公式を逸脱しない設定でという意味で捉えて欲しい。それも、わたし個人の主観によるものなので、人により解釈は変わるだろう。簡単に考えれば二次創作に重きを置いていなかった、公式最重視型オタクだったのだ。
でも、拗らせ方がひどい時期は
と、ここまでは流石に思っていなかったかもしれないが、人間活動としてのリアルな事象はなるべく想像したくなかった。神様レベルの信仰対象に限りなく近かったのではなかろうか。また、夢女子的な思考はなかったが推しキャラクターへ心酔に近い考えを持っていたために、ドリーム思想の方々とは相入れないとわかっていた。住む畑が違うならば耕さなければいい、ノータッチを貫いた。
そして当時から最近まで、確信的な推しのえっちなシーンを想像するのはギリギリのラインに留めたいという気持ちがあった。やってもいいけど直接的には見たくない。暗転希望、事後描写にしてくれ。反して、支配者タイプの成人男性なのだから、女は抱いてていいと思っていた。
みたいものが少ないと判断していたためか、二次創作を進んで読むことは少なかった。
そして、
2020年7月現在、これは全く当てはまらない。公式からの新しい情報投下により私の世界は一変した。
部下(攻め)×推しキャラクター(受け)がめちゃくちゃ読みたい。毎日読みたい。沢山読みたい。朝起きてからおやすみまで読みたい。作中まだ幸せそうに見えない推しキャラクターを幸せにしてくれ、部下!と願いながら広大なネットの海で神々の作品に溺れさせてくれ。
そして根っ子には腐った女を飼っているので求めるところは以下である。
メタクソ読みたい。
洗浄からきちんと見させていただきたいですし、わたし、上に乗るのが好みです。
できたらステイさせられるのは攻めがいいし、女王然としていて欲しい。
貴方の優位は揺るがない。で、お願いしたい。
これ。
今回、自分の認識が変わり、二次創作を楽しめるようになった。ブームにのり溢れてくる作品群、雲が晴れたように私の世界は明るかった。とても喜ばしい日々が続いていた、自分も作品をかきたいという気持ちもあった。少し前まで創作意欲も創作物にも触れる事が怖かった時期があったので本当に感謝の気持ちで、推しに五体投地して過ごしている気持ちだ。
意識的に、自分が読み飛ばしているシーンが、だんだんと、だんだんと、増えていくことに。
その頻度が増えていることに。
これだ。
あまりにも唐突に、コーヒーいれたよー!みたいな感覚で呼び捨てにされる推しキャラクターと、唐突に呼び捨てにする部下という図に思考回路が追いついていなかった。
頭の中のシナプス伝達が出来てない、言語中枢が真っ黒に塗りつぶされたのか、拒否してるとしか思えない。視覚からも受け付けてはくれない、意図して目を滑らせる。これは、これはダメかもしれない…のみこめないのだ。素直にびっくりしてしまった。
私は、オタクとして自覚をもつ頃には、読めないものが少なかった。漫画も小説もとりあえず読んでから考えるスタンスで生きてきた。そして、殆どが多様性をもった【ネタ】として別時空のキャラクター達として読み進めることができた。ハッピーエンドもバッドエンドもそれぞれの解釈を楽しむことが作者の世界観を知り楽しめる、そこに幸せを感じていた。
勿論、記憶に残らないものや、私には難しいかもしれないという世界観もあったがそれほど気にせず受け流していたのだと思う。
わたしの二次履修背景からしてこんなことになるとは思わなかった。しかしながら今回に限り頭の中を占めるのは、
推しキャラクターを呼び捨てにするという身に余る行為を軽率にしている部下。
なぜか?という疑問が拭えない。なんでなんだ部下…なぜ敬意を払わない。お前にとって、唯一無二のお方ぞ。
(わたしは冷静ではないので、細かな前後描写や文脈から作者の意図を汲み取ることができない、また読み返してもできる自信がない。)
補足をしておきたいが、全ての部下→推しキャラクター(上司)への呼び捨て行為が受け入れがたい訳ではなかった。
ストーリーの流れで呼び捨てる行為がスムーズまたは、必要とされれば受け入れられた。
そこに至る設定というのはとても大切で、呼び捨てる行為にスイッチや理屈があることが重要な鍵となっているようだった。
人によって、なんとないことかもしれない。名前の先に付ける敬称が無いだけだ。
推しの事を呼び捨てる行為について、部下は許しを得ているのか。
不敬であろう、なんて、不敬なのだろうか。
そもそも部下はこんなことをするだろうか。そんな信念でお仕えしているのか、望むだろうか。
推しはあっさりと呼び捨てることをさせるだろうか、高貴なあなたが!?
いや、無理だなぁ涙涙涙
しかしながら、界隈の流行があるようで、ポンポンポーンとお名前を呼んでいる部下。
呼ぶにしても、推しからの許可や切羽詰まった懇願をしてからにと切望してしまう。推しキャラクターは受けだが完全生物なんだ。オメガバ○スならαだろうし、セクヒ○スなら重種だ。マーメイドかも。メタくそ美しいんだ世界が傾く美貌なんだ。
ひとり四面楚歌に立たされている中、追い討ちをかけるように、客観的な作品への同意マークが増えていくことが不可思議でならない…みんな呼び捨て呼称は気にならないのか、この方をあっさりと名前で呼んでいいの…様つけないの…
自らの中に警備員を飼っていたことにも驚愕し、同時に作品を創作してくださった方への罪悪感や裏切られた気持ち、受け入れられない自分への失望が一気に流れ込んできていた。相反する感情で潰れそう、きつすぎる。
ただ、推しキャラクターが好きでたまらなくて、カップリング趣向を楽しめるようになったのに、このような感情を持っている自分への悲しみ呆れ。でも、やはり受け入れられない真理。
萎えるのだ、受け止められない。呼び捨てるという行為を見た瞬間に、サッと血の気がひく、どんな行為の最中だろうと冷静さを取り戻してしまう。その後には、怒りすら覚えてしまう。どうしようもない…
そして、恐ろしいのがこれは記載される可能性が低い、無いだろう地雷なのだ。
私自身は作品を読むうえで地雷を気にしたことが殆どない、読んでから考えるタイプだった。対して、過去自身の創作に関しては慎重で注意記載は多すぎる方だった。だからわかる。
という至極丁寧な記載をしていただけるだろうかと言えば、私にはそこまで求められない。小説ならば数千数万の作品を書いてくださる偉人たちにそこまでさせるか、と言えばできない。自身も攻めが受けの呼称を変えますと、表記したことはない。もしかしたら、私も誰かの脳にダイレクトアタックをキメていた可能性もある。なんてことだ。
自営したいのに、とても回避が難しいことに頭を抱えている。
つらいつらいつらいつらい。
読みたい!!!なんでこんなに面倒なことになった
素直に推しのえっちシーン読めよおおおお!拗らせないでくれマイブレイン!
でもやっぱり呼び捨ておがじぃ!
冷静では無い。
素晴らしい作品に出会い読み進め、いざこれから本番です。きたきたきたあああああ盛り上がってまいりましたっ!という時に突如として推しが呼び捨てされる行為、いともたやすく行われるえげつない行為。
すべてが止まる、静寂が訪れる。
派遣型風俗、いわゆるデリヘルは嬢の待機部屋がある。これがタコ部屋レベルで酷いのが多い。シンガポールで大クラスターを起こした低賃金労働者に与えられたタコ部屋のほうがまだマシである。店舗型は最近は接客部屋で一人で待機することが多い。つまり店舗型のほうが安全だ。
東京都のホストクラブでコロナ感染して青森のデリヘルに出稼ぎに行ってウイルスをばらまいた嬢がニュースになった。出稼ぎ嬢は行動力がある分感染リスクは高い。つまりいまは出稼ぎ嬢は避けるべきだ。出稼ぎ嬢を見分ける方法は出勤時間。新人として入店してきていきなり数日間~1週間連続出勤するのはほぼ100%出稼ぎ嬢だ。そういう嬢が出勤予定日のある日に店に行く場合は間違ってもフリーで入らないようにしよう。危険な出稼ぎ嬢が当てられる可能性が高いからだ。
理由は言うまでもない。今やホストは性病を含めた感染症のハブになっている。ホストが枕を含めて風俗嬢を毎日のように相手してるからだ。
ホス狂かどうかを調べるには、ホストラブや爆サイで店のスレをあさればだいたい分かる。そこでホス狂の話が出てる嬢は絶対に避けるべき。
実は看護師や介護士や保育士が副業で風俗嬢をやってるケースが結構ある。理由は男(ほぼホスト)に貢ぐためのカネ。
この2つの職業は当然コロナ感染リスクが高いので、副業として風俗やってる嬢は避けるべきである。副業の有無は3同様ホストラブ、爆サイだが、たまに店のホームページにも書いてあるケースがある。ちなみに風俗上がりの看護師、介護士はかなりいる。いま20代~30代の看護師の1割以上は風俗経験があり、風俗を上がって看護師になる人もいれば、看護師から風俗嬢に逆転身する人もいる。
〜要約〜
ジャンルバラバラでも仲良くできてたはずのフォロワーたちに、私以外のジャンルが一致した瞬間ハブられた。クソ。
◇
あるジャンルで繋がった相互でも、一方あるいは両方がジャンル移動した結果ジャンル違いになるってのはよくある。それで関係が切れることも最近は普通なんだろう。
けれど界隈の風潮なのか、私のフォロワーの多くはお互いのジャンルが変わった程度では、絡みはなくなっても切りはしなかった。私も特に嫌な思いもしてないのに相互を切る理由もない。
そうやって10年近くTwitterを続けてきた私のTLは今やジャンルの坩堝である。時々アニメ化とかで流行が垣間見えるけども。
でもまあ、見ていて仲良さげにしているフォロワー同士というのは、大抵同じジャンルに属していた。当たり前の話である。
◇
よく「ジャンル変わっても切らないでほしい、ジャンル関係なくあなたが好きなんだ、新しいジャンルで狂っているところを見せてくれ」といったツイートがバズっているのを目にする。
ジャンルが変わっても切らないどころか変わらず仲良くしてくれるフォロワーというのは貴重である。もしこれを読んでいるあなたにもそういう存在がいるなら大事にしてほしい。
まあ、私は今や大事にされなくなっているわけだが。
◇
身内垢という言葉を知っているだろうか。特に仲の良いフォロワーで集まって、TLを汚さず配慮もせず空リプを飛ばしまくるためのアカウントである。いろいろあって私もそういうものを作るに至った。
フォロワーのフォロワーという繋がりで自然と集まった私の身内フォロワーグループは、珍しいことに繋がった時点で誰一人私のいるジャンルに属していなかった。それどころかジャンルはみんなバラバラだった。しかもマイナー。
ただお互いのジャンルはみんな軽く履修していたし、知らないジャンルでも手厚い布教があったりしたので、互いの創作は問題なく楽しむことができていた。
ジャンルのバラバラな私たち身内グループがどんな交流をしていたかというと、シチュエーションやパロディといった共通のテーマをそれぞれの推しカプに当てはめて語り合うというものが多かった。あと日常ツイ。
うちカプはこうだと思う、Aさんとこのカプはこんな感じじゃないかな、とか。ジャンル違いの私たちは解釈で対立することもなく、それどころかそれぞれの書き手に解釈を染められていた。そんな彼女らの語る自分の推しカプが刺さらないはずもなく、私もそれなりに刺してきたと思う。
(互いの推しカプをその人のために描く、ということもお互いやっていた。身内でのことなのでその他に大っぴらに公開することはせず、そのジャンルに参入したとはいえない状態ではある)
長くTwitterをやっているが、彼女らと深夜までワイワイやっていたあの頃が一番楽しい期間だったと自信を持って言える。
私は彼女らの創作が好きだったので、その手腕を私の好きな作品で発揮してくれたなら、それはとても嬉しいことだとは思う。しかし、それでも積極的に自ジャンルを布教する気にはならなかった。推しの供給は彼女らから十分に受けていたし、私は各々が自分の「好き」を追いかけているのを見るのが好きだったのだ。
◇
彼女は布教に積極的なタイプだった。あっという間に私以外の全員がメインジャンルをその大手ジャンルに定めた。沼落ちというやつである。
もうこの時点で疎外感があったし、彼女らの代名詞ともいえるかつての推しカプをほとんど見れなくなったのは残念だった。
でも新しい場所でもみんな素晴らしい創作をするのだろうし、私も沼には落ちなさそうだけど(私の趣味とは全く違ったので)履修くらいはするかーと思っていた。実際した。沼ではなかったけど、あの人がこのキャラに落ちたのめちゃくちゃわかる〜!!という納得を得た。
その上で今までと同じように仲良くできたらな、と思っていたのだが。
今ではこれを書き殴っている次第である。
◇
当たり前だが、どうせ語るなら共通のジャンルにハマっている人間と語るのが楽しいに決まっている。軽く履修しただけのジャンルとは、お互いのカプの解像度が桁違いなのだ。
なんとなく感じていた疎外感が確信に変わるのにそう時間はかからなかった。
「これ増田ちゃんとこのカプっぽいよね」的なツイートはぱたっとなくなった。
「みんなの○○パロが見たい!」は全て「(大手ジャンル)の○○パロが見たい!」に変わった。表垢で言うならまだいい。私含めた身内しかいないアカウントでそれを言うのである。
なんか、すっと、冷めた。
◇
今では彼女らは自ジャンルの民だけで固めた新しい身内を形成している。面白いことに件の大手ジャンルからみんな揃ってまた別のジャンルに移っている。仲良しか。そうだな。
険悪になったわけではない。作品が上がっていればいいねするし向こうもしてくれる。ただ絡まなくなった。かつて同じジャンルにいたけどジャンル移動で接点がなくなった数多くのフォロワーと同じように。違いといえば私抜きの身内できゃいきゃいやっているのを見せつけられているという点か。
なんか、うまくいえないけど、クソだなと思う。雑な結論で申し訳ない。
◇
これは余談なのだが、布教を受ける前にかつての身内のひとりが「ノリが無理になった」と私以外の全員を切ってグループを抜けている。
彼女との関係は今もなんの問題もなく続いている。私と彼女のジャンルは被らないままだし、めでたく繋がった同じジャンルのオタクと長文考察ツイートの応酬を見せるときもあるのだが、だからといって私の扱いを変えることはしなかった。
身内の彼女らが身内で固まることで切り捨てていった共通のフォロワーたちとも、私は恙なく近すぎない距離で交流できている。
身内から抜け出したことでTwitterライフの密度は確実に減少したが、そのぶん世界が広かったことに気づいた気分だ。
身内ってめちゃくちゃ悪い文明なんじゃないだろうか?
……こんなこと言うともう間違いなく、真の左右固定派にはぶちのめされる。
今は自粛してるけど、同人誌即売会でスペースの前で硫酸でもぶっかけられるかもしれない。
なのでこう……増田につらねるわけなんですけれども。
私は趣味で女性向けの二次創作――要するに非公式BLをかいている。
同じ趣味を持つ方ならなんとなく分かっていただけると思うが、どのジャンルのどのカップリングにも、相手や左右固定と名乗る宗派の人たちがいる。
それで、反対に私は組合せには殆ど拘りがない。もちろん好みはあるが、“組合せが理由”で読めないものが、どのジャンルでもほぼ存在しないのだ。
先に言っておくが、私には固定派の方々を責めるつもりは一切ないし、どちらが優れているとか、正しいとか、ポリコレが云々とか、そういうことを議論するつもりもない。
苦手なものも含めて自分を形づくる要素の一つだし、私も組合せに地雷がないだけで、シチュエーションとか物語の展開とかにはすごいめんどくさい地雷がある。
で。
本題に入るのだが、私はここ5年くらいずっと固定派になりたい。メチャクチャなりたい。
ライトな理由としては、ピクシブに投稿するときに楽だからだ(ぶちのめされそうな理由である)。
イラストを1枚ずつ投稿するのが主流の男性向けとは異なり、女性向け同人ではイラストや短編をかいたらまずツイッターにアップして、それがある程度の枚(本)数たまったらログとしてまとめて投稿、という形式が一般的だ。
この際にタグをつけるのだが、私の場合、普通にしているとタグがとっちらかってしまう。
あまりにいろんなカプをかいているため、つけるタグに死ぬほど悩むのだ。というか、あからさまに固定派には絶対的に優しくないログである。
検索避けのために、かいたカプは全部タグづけするか?とも考えるが、すぐに(全部1枚(本)ずつしかないのにタグをつけるのも、それオンリーのログを期待している人にとっては迷惑なのでは?)と思い直し、悶々としてしまう。
そんな訳で、もう3年くらい自分のピクシブアカウントにはオフ本のサンプルしかアップしていない。
正直に言おう。
本当に、本当に本当に羨ましい。
閑話休題。
非固定派は生きにくい。……いや、それだけでは言葉足らずだろう。
ひとりで楽しむぶんには、おそらく地雷が少ないほうがハッピー二次創作ライフを送れるのだろうと、私も考えている。なにせ見られないものが少ないし、それなら見ないようにする努力にパワーを割かなくて済む。
先日某字書き漫画がバズった際に見かけたツイートの中に、「我々は結局、趣味だからといって“社会”をやることからは逃れられない」という趣旨のものがいくつかあった。
そして、社会をやるためには、「何処かに属さなくてはならない」のである。
これが難しい。何せカプが固定出来ないので。女性向け同人において、どのカプを嗜好するかというのは、あまりにデカい“所属”なのである。
ツイッターのbioに「A×B」と表記することで、我々は取り敢えずの“所属先”を得て、社会に参入している。「ABの女」として。
これだけのことが本当に本当に難しくて、もう5年も悩んでいる。
実は5年前に持っていたツイッターのアカウントでは、「AB中心B受け」とbioに掲げていた。
当時は良くも悪くも素直なコドモだったので、界隈とは関係なく自分が何を好きかとか、AB界隈の雰囲気とかに疑問を殆ど持たなかったのだ。だからまあ……ピクシブで日夜CAやBAを検索して、ブクマもそこそこしていようと、自分は「AB中心B受け」の女だと思っていた。ツイッターでは本誌でBが活躍した話ではしゃいだり、ABの妄想ツイートをしたりして、楽しんでいた。そこになんの矛盾もなかった。
でも諸事情で一度アカウントを消し、1年くらいツイッターをやめた。
1年間ピクシブとカプサーチ(当時もうピクシブの時代だったが、ジャンル自体の連載開始がサイト時代だったので)で供給を得、自分も何本かかいてピクシブやサイトに投稿した。
1年後、ツイッターアカウントを新たに取得して、私は愕然とした。
私は社会に馴染めなくなっていた。
現在私は5年前と違うジャンルにいるが、良い出会いに恵まれ、ツイッターでは好き勝手な呟きをしている。
けど現在のジャンルは男女カプだから、BLではまた勝手が違うよなあ……とも思っているのだ。
なんでかというと、最近またBLカプにハマって、できれば交流をしてみたい、と感じるからだ。私も社会をやってみたい。
けど私は非固定だ。ABもBAも読む。どっちも好きだ。そしてAというキャラクターは、「攻めにしたい人と受けにしたい人の間には、相互理解は難しいだろうな……というレベルでの解釈の断絶がある」。
ちょっとぼかした言い方をすると、「いざという時頼りになる俺様攻めかエッチな年上受けか」みたいなものだ。平成の攻めが好きか、令和の攻めが好きか、みたいなモンだと思って欲しい。
固定派が多いのだ。
そして私自身、固定派の多いカプにハマるのもこれが初めてではない。
そのたびに両方の界隈を外から眺めては(入れないな……)とハナから諦めてきた。
ここ数年、即売会で本を2、3冊出してそのままジャンルを去る……みたいなことを何回か繰り返している。大抵私を挟んだ両隣はお友達である。まあ当然だし仕方ないが、普通に寂しい。
だけど今回は、社会をしたいのだ。私だって、コミュニティの一員になってみたい。交流をしたい。
固定しなくても社会がやれない訳じゃないとは思う。
でも固定派の方が圧倒的に社会はやりやすいのだ。所属がはっきりしているから。
しかし、それで自分にも他人にも隠しごとをしてABないしBAの村で生きていくのって……どうなの?と最近よく考える。人狼ってこういう気持ちなんだろうか。
本当につらい。
テレワークで仕事がだいたい終わって必要かどうかわからない作業に先行着手している
ほぼ待機状態だけど突発的な作業が発生することがあるのでメールやチャットは監視しとく必要がある
報告してるので上司も状況は知っているが上司自身が別件で忙しいのと案件が中途半端な状態(客がボール持ってる)のため放置されている
今更おけパの話とかツイ読んで、私の経験を書きたくなった。オタク歴三年半のただの自分語りである。
ツイッターのアカウントで話すには気恥ずかしいのでこの匿名サービスを初めて利用してみることにする。
まず、恥ずかしながら私は高2の1■歳である。なので、まだわからないことしかない。自分の無力さに気が付いたばかりの思春期だ。これを読んでいる大人の方は「こういう時期もあったなあ」と恥ずかしくなってくれているんじゃないかと思いあがっている。
私はツイッターを始めてから三年の間、誰かに話しかけたことがない。趣味垢を作ってから三年ほどフォロワーがbotしかいない鍵垢で神と崇めてた絵師様の絵を見てふぁぼりつを飛ばしていただけの存在だった。
そしてそのころはフォロワーが一万人以上いる神絵師/神字書きのツイートにリプライをタメ口で送りタメ口で返され、通話の約束を取り付けているフォロワー数百人くらいのアカウントが不思議で仕方がなかった。そもそも自分が話しかけないのが悪いので嫉妬などはそこまでなかったのだが、なんの作品もアップしていない一般人がなぜ「神」と楽し気におしゃべりしているんだろう?と今思えば双方に失礼でしかない思考をしていた。
あるとき、私はとある絵師様を見つけた。知らないジャンルの知らないキャラクターのイラストを描いていた。
絵柄がとても好みだった。シチュエーションも、その人の妄想ツイートも、全て好みだった。しかしそのジャンルに興味を持つこともなくただ時折見かけるツイートにいいねするだけで、だんだん忘れていった。
そして二年ほどたった最近、とある人気ゲームに手を出した。飽きたらアンインストールするつもりでだらだらとプレイしていた。
その時ふと、かつて読んだ物凄く好みの漫画に出てきたキャラクターがこのゲームのキャラであることに気が付いた。その人のIDもアカウント名もフォローしていたことさえも忘れ去っていた私は、死に物狂いで探した。もともと好きだった作品の、そのキャラクターをやっと知って同じ土俵に立てたと嬉しくなったからだった。
やっと見つけて作品を読み直したときの衝撃は計り知れない。まるで世界が一気に広がって、そのゲームの世界観にむりやり取り込まれたかのように錯覚した。到底敵わないと思うよりも前に作品に感動して、没入した。そして、これが問題だった。
察する人は察してしまうと思うが、このゲームは元々設定がほとんどない。アニメ等も公開されているがその解釈は全てプレイヤー本人にゆだねられている。その解釈が固まる前に私は神の解釈を読み、凄まじい感動を覚えてしまったのだ。
それからしばらく、神が書いた数年分のツイートをむさぼるように読んでいた。私が神を忘れ去っていた二年の間にすでに神はジャンルを移動しており過去ツイを漁るのは少し大変だった。ただアカウントをそのまま使っていらっしゃったのは幸運以外の何物でもなかった。
○○のジャンルのツイートを拝見して、と長文の感想を送った。返事が来たのが嬉しくてさらに送った。その返事にそのゲームのキャラクターのイラストが添えられていた時は飛び上がって喜んでいた。それからおけパ中島のように神に気安く話しかける知らないアカウントに嫉妬して通報とブロックしたりしていた。ドロドロ期だ。
ほとんどすべてのツイートを読み終わってしばらくして、だんだん飢餓感を覚えるようになっていた。すでにジャンルを移動していった神からは供給がなかったからだ。だから、自分で創作を書き始めるようになった。公開する気もなく、ただ自分だけが楽しむために。勉強時間と学生という身分の自由さをフル活用して書いた。今までも、オリジナルの一次創作や夢小説を書いていたから書くことは苦痛でなかった。
書いて、書いて、書いて、神のツイートを読み返さなくなって、最近の日常ツイートをRTしなくなって、ある時、自分の作品を通して神を見ていたはずが、自分で自分の作品が好きになっていることに気が付いた。当たり前だ、神の解釈をベースにしたとはいえ書いているのは自分なのだから。自分と解釈一致するのは自明の理だ。
そうしたら、急に自己顕示欲が出てきた。自分の書いた作品を読んでもらいたい。神になれなくても、神の目に留まらなくとも、私も神のように誰かの好みになれればいいなと。pixivにアップするのは少しハードルが高い気がしたのでまずはツイッターのアカウントを作ることにした。初めての公開アカウントだ。ようやく、ほかの人と交流を始めた。
同じくらいの年代らしい同じジャンルのアカウントを覗いて下調べして、繋がりたいタグを使って。初めて、私はツイッターで自分の存在を主張した。フォロワーが百人できた。なんでもない日常のツイートをするようになった。いいねが付いた。ただ嬉しかった。
さて、当初の目的では誰かに作品を読んでもらいたくてアカウントを作ったはずだった。でも初めて誰かがインターネット上で自分を認識してくれた喜びに酔っていて、作品のアップロードのことなど普通に忘れていた。それと私のFF層の雰囲気もあって、今更アップロードすることに恥ずかしさを覚えていた。
だから、学校を休んだ日に「すぐ消すよ」と注意書きをつけて学生のフォロワーたちがほとんど授業中の時間帯に小説を画像化してアップしてみた。数分していいねがついた。二時間ほどで四ついいねがついた。結構好み、と仲のいいフォロワーからリプも一つだけ来た。ツイートを消すかどうか迷った。その時なぜかすとんと腑に落ちた。
そうか、神は私と同じなのか。神はただ自分の書いたものをツイッターにアップしてくれてるだけの、次元が違う誰かでもない、同じこのゲームのこのカプのファンなんだ。私と同じように自分の解釈で話を書いて、たまたまそれが私に刺さって、私が勝手に見上げていただけで、同じ立場にずっといたのか。
その人には友達もいるし私の知らない交友関係もアカウントを始めた初期に仲良くなった誰かもいて、ただツイッターを楽しんでるだけで私に崇められる謂れもない、普通に絵と文章がめちゃくちゃ上手いだけの人なんだ。
気が付いてから、今度は神ではなく、文字書きの先輩としてジャンルの先輩として私をこのゲームにハマらせてくれたきっかけとして感想を送った。絵が好きです解釈が好きですこのゲームを好きにさせてくれてありがとうございますこれからも応援してます、そんなありきたりな感想だったけど、自分の中で一つの決着がついた気がした。その感想をきっかけにweb再録と未アップのイラストも公開してくれたのは本当に嬉しくて、あの人も嬉しかったんだなと思えて、これからも神ではなく推し絵師として一生推していくことに決めたのである(これは若さゆえの誇張表現)。
結局なにが言いたいのかはぐちゃぐちゃで、ただ自分の体験を整理したかっただけな感じだが、規模が違っても、見よう見まねでも、同じ立場に立ってみれば見えるものもあるんだなーとあなたに伝えられたなら嬉しい。それから、そのことをもう知っている大人のみなさんには、ネットの使い方をよくわかっていなかった子供が三年かけてやっと少しだけわきまえてきたことを喜んでもらいたい。
そして、期待の超新星字書きが活動を始めたことも祝ってください。
色々な失敗とかやらかしから私が学んだことは、神になろうとしてない実在人物を神とするのは本当にただの迷惑行為だろうし、かってに「信者」側がその人とその周りをコントロールしようとするのなんて論外だということだ。普通に考えて当たり前のことを、私は見失っていたらしい。
自分の才能に絶対の自信がある思春期にこの経験が出来て、そして誰かを傷つけてしまう前にそれに気づけて、またツイッターのたくさんの方達に気づかせてもらえてとてもよかったと思っている。
これからも、いくら崇めても問題ない創作キャラに傾倒して楽しく創作ライフを送っていければいいな、そして私の作品が誰かに刺さりますように、という願掛けもこめて。
何かしら創作し発信している身としては,SNSの拡散度合いの可視化は心に悪い.
たかだか10RT程度が限界の自分の投稿と,やたらRT・Favされる人気者の投稿・・・・
もちろん自分の心が荒んでいるからこそ出てくる文句でもあるし,客観的にはもっと改善点もあるだろう.
ただ,自衛手段としてこれらを見えにくくする手はあると思うのだ.
というわけでAdBlockのMyフィルター機能を使って色々隠してみた.使い方はまあググってくれ.
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あまりきれいなフィルターにはならないが,Twitter Webも同じように色々消せる.自分が消しているのは,
あたり.
数日前に流行った某Twitter漫画に触発され、私の意見も吐き出してみようと思う。
私はとある大手ジャンル(といっても、最近の流行を代表するほどの人気ぶりではない)でBL漫画を描いてはTwitterに上げてを繰り返している腐女子だ。フォロワー数は4桁を最近越えたくらい。決して神ではないのだが、普通絵師と自称してもまぁ許される程度だと自負している。
そんな私は、承認欲求をこじらせて「こんな雑魚な私が神絵師様とお話してはいけない」などという考えを無意識ながら持っていたことを、今回のTwitterバズ漫画を読んで自覚した。
元から陰キャで対面コミュニケーションが苦手な私。多少はネット弁慶で画面越しなら強気に話せても、対面とならばすぐ声がうわずる筋金入りのコミュ障である。オフ会などがあれば、緊張して前日は寝つけないほどである。
だから、私はおけけパワー中島なる存在が苦手だ。…いや、苦手ではない。嫌いだ。もちろん、私の沼っているジャンルにも、おけけパワー中島によく似た存在のフォロワーが居る。(以降、彼女をそのままおけパ島と呼ぶ。)
私の沼のおけパ島は、成人してから腐ジャンルに転入した陽キャでリッチな美人で、オフ会で出会った時は眩しすぎて目が潰れるかと思った。ブランド物のバックに大量の同人誌を入れ、マツエクの施された美しい瞳でBLを読み、ネイルサロンで整えられた綺麗な手で私が描いたスケブを手に持ち、華が綻ぶような笑顔を私に向ける。こんなん惚れてまうやろ。実際、彼女が私に微笑んでくれるたびに、私はキョドりながら早口でしどろもどろに返事をするのだった。
そんな彼女。もちろん私以外のフォロワーとも仲が良く、しばしばTLにフォロワーとの焼肉写真がアップされる。沼に新規加入してきた神絵師ともすんなり仲良くなり、いつの間にか彼女と神絵師がタメ語で話す間柄に。そんなことが頻繁に起こっている。
私の心境を上手くは表せないが、「なんでフォロワー少ないくせに神と仲良くしてるんだ」という、承認欲求こじらせなクズ思考と、「おけパ島が私以外のフォロワーと仲良くしてるなんて悲しい」というヤキモチにも似たメンヘラ思考が半分ずつ混じっているのだろう。私の沼のおけパ島は誰からも愛される素敵な女性だ。だからこそ嫌い。だからこそ疎ましいのだ。
私も軽率に神絵師にリプしたい。Skypeに誘いたいし、絵チャとやらにも参加したい。それができないのは、この生まれ持ったチキンメンヘラネガティブ思考が邪魔するからだろう。新しいフォロワーが増える度に、そのフォロワーのホームへ行ってフォロワー数を確認するという動作も、人を数で判断しているみたいで気が引ける。しかし、そうでもしないと自分がとるべき態度すらつかめないのがもどかしい。
最近おけパとか何やらとかでよく目にするようになった感情女の気持ちが全くもって分からない。
私が今まで関心が無く、このはてな匿名ダイアリーにも触れる機会が無かったから最近増えた、と感じるだけで、こういう人の感情やお気持ちはたくさんあったのかもしれないけれど。
もしかして私の同人の楽しみ方、すごく楽なのでは!?と思い至った為ここに記すことにした。まぁまぁ人間性などを無視した楽しみ方かもしれないけど。
私にとってあらゆるジャンルやそこに類する絵師、字書きはただのコンテンツでしかない。
ジャンルというコンテンツの中に、絵師という小コンテンツが入っている、そういう認識だ。とってもお気に入りのコンテンツ(人間)からまぁ好きくらいのコンテンツ(人間)まで選り取りみどり。
お気持ち文で共通しているのが、絵や文を生産してくれる機械仕掛けの神のように扱っているという点だと思う。
神なので祭り上げる。神なので私の好きな物を恵んでくれる。機械のように生産してくれる。機械だから日常など存在しないように絵や文だけ書け。
そんな感じ。
これは全くもって独り善がりだと思う。しかし、この『機械らしくあれ』という部分を用いて、認識をコンテンツという新しい何かに出来ないだろうか。
褒めるとよろこんで生産性が上がり、貶すと落ち込んで生産性が下がる物。
誰かと楽しそうに話していると嬉しい。そこで出たネタでまた生産してくれるかもしれないから。
私の推しカプをかかなくなってしまった。コンテンツが終わったんだな。リムるか。
それだけだ。
どうだろう、相手が人間ではなく神でもなくそういうシステムだと認識すると気が楽じゃないだろうか?私は楽なんだが。
え!??たまごっちっていい表現過ぎる!!誰でもたまごっちがうんこしたからって怒らないし、別のたまごっちを連れてきてもあー楽しく遊んでるんだなって思うし、餌をあげると喜ぶし、死ぬ時は死ぬ。
私はこの考えでより楽しむ為に閲覧用のアカウントを作成し、色々な絵師や字書きをフォローしている。
私にとってそれらはコンテンツでありそういうシステムなのだという認識なので、繋がりたいとかそういう願望は無い。
そもそもフォローする必要も無いが、フォロー数が多いと気持ちよくなれるタイプも居るし、フォローしているとリプで感想を送ったりする時こいつFF外かよ!とか顰蹙を買わず済むので穏便だと思う。
TLは見ない。非公開リストにジャンル名をつけその中に絵師/字書きを突っ込むと整理されていて良いからおすすめだ。
そして自分が次のジャンルに行った時はまた新しいリストを作る。ジャンルを変えるたびにリストは増えるがそれも一興。
前ジャンルのリストは残しておくとまた見たいな〜って時に見れて楽しいぞ。そしてリムるときにも便利。完璧。
ついでに別の絡み専用のアカウントとか絵文専用アカウントとかを作っとくと話せる友達も増えるし、そうやっていくつかのアカウントを駆使する事でもっとオタクライフを素晴らしいものに出来るんじゃないかと思う。