はてなキーワード: プロレスとは
先日の内閣総辞職云々のときは「アベが辞めれば日本は始まる!!」みたいな論調を見掛けたのだけれど、
そういう方々は今回の緊急事態条項についてどうお考えなのだろう?
詳しくは知らないけど、この件は安倍総理は慎重だったのに次期総理有望株の石破さんらが明記を要求したんでしょ?
安倍総理が辞めて石破政権が始まったら、緊急事態条項に関してはむしろもっと日本終わらん?
安倍政権のモリカケよりは石破さんの要求した緊急事態条項の方がマシって考えなの?
民主党政権時の日本は始まってたのに、愚かな国民のせいでそれを潰されたという衆愚政治的なお考え?
もしくは、安倍総理の茶を濁した折衷案のような憲法草案より、次期石破総理(?)の尖った憲法草案の方が国民の理解が得られ難いだろうという願望?
先日、生まれて初めてプロレスを見に行った。ケニー・オメガと飯伏幸太のタッグチーム復活を見届けるために。
試合は写真撮影OKだったので鬼のように撮りまくったんだけど、「いいな」と思える写真は本当に僅かだった。
私のスマホはHuaweiのMate 9。ライカのカメラが搭載されていて、評判がいい。
評判がいいカメラを使いこなせないのはどう考えても私のせいだ。
会場には本格的な一眼レフをかまえたファンがたくさんいた。彼らの写真はプロレスラーの表情や肉体を美しく撮影できているのだろう。
これを昇華させるために、今日からスマホで写真を撮りまくろうと思う。本を買って勉強して、まずは街の写真をたくさん撮りたい。
写真を撮ることに慣れていって、人の写真もうまく撮れるようになって、プロレスラーの体を美しく撮影したい。
きっかけは嫉妬心なので、一眼レフは買わない。Mate 9でいい写真をたくさん撮りたいんだ。
写真がたくさん溜まったら、フリー写真のサイトを立ち上げたい。みんなに見てもらって、使ってもらいたい。もちろんプロレスラーの写真はダメだけど。
私の友達に何故か好意を暴力で示す女子がいて、よく気に入った男子にタックルかましてプロレス技をかけたりとかしてたんだけど、彼女は料理がありえん程に上手かった。
普段の言動が半端なくがさつなので料理が上手いとか信じられないけど本当に上手いのである。ちなみに部屋も驚くほど綺麗に片付いているし私服もとてもセンスが良い。家庭科の授業は常にサボって何もしなかったが、実態は生活力の高さパないのだった。
元増田の息子に粘着する女子が私の友人みたいなタイプだったとしたら元増田はどんな反応するんだろうなと、ふと思った。
スペシャルに美味しい手作りケーキだって中に何が入ってるとかちゃんと衛生的に作られたかどうかなんて貰う方には不明である。
私は友人のくれた手作りお菓子を美味しくいただいたけれども、それは何となく友人の事を信用しているからだ。
友人の作ったマドレーヌまた食べたいなぁ。
15歳から10年間彼氏が途切れたことのない私が、とりあえず非モテ(だと思い込んでいる)あなたに彼氏の作り方を教える。まず、好きな人を作ってから以下を読んでほしい。
【外見】
・大前提として、ブスはモテない。断言する。しかし、この場合のブスには「雰囲気ブス」が含まれる。
世の中の80%ぐらいの人の顔は「普通」だ。絶世の美女がほんのわずかしかいないように、絶世のブスもあまりいない。コンプレックスの肥大化とそれに伴う諦めやネガティブ、あるいは逆で自意識過剰が、「雰囲気ブス」を作ると思う。清潔感のある服装、髪と肌と爪の手入れを心がけて笑顔でいると、少なくとも第一印象が「この人ブスだな」にはならない。最初からフルスロットルで好かれる必要はないんだから、普通の顔の人は普通にしとけばいい。どうしても人前で笑顔になれない、美容に時間を割く気力も削ぐほどの甚大なコンプレックスがある人だけ、自分を「ブス」だと自称するべき。
・服も髪型も「似合う」かどうかが最重要。男の人に比べて女の人は服のジャンルが幅広いので、「これは万人に似合う」という服はあまりない。はっきり言って、20代半ば以降で自分に似合う服や色や髪型が分かっていないというのは洞察力が低い証拠だと思う。今はパーソナルカラー診断や骨格診断もあちこちでやっているし、簡単なチェックならネットでできる。自分を知ろうとしない人が他人にモテようなんて100年早い。
・メイクよりもスキンケア。肌は、化粧下地か薄づきのファンデーションにコンシーラーで十分。チークは練りチークを推奨します。こってり口紅塗る必要はないけど、色付きリップでもいいから唇に色を乗せることは最重要。似合う色についてはパーソナルカラー診断受けてください、今はプチプラコスメもたくさん出てるので化粧品が揃えられないということはない。私のおすすめは、マキアージュの化粧下地とKATEのCCリップクリーム。
【内面】
・常識的に考えて、暗いよりは明るいほうがいい。ネガティブよりはポジティブがいい。冷たいよりは優しいほうがいい。「常識的」であることに勝るものはない。逆に言えば、非常識な人がモテることは決してない。
【狙うべき男性】
・好きな男性。
【やってはいけないこと】
・自分が相手の立場に立ったとき「非常識だな」と感じること。例えば、飲み会終わりに「〇〇さんと前から話してみたかったんです、LINE教えてください」と話しかけることは非常識ではないけど、その後1日に何十通もLINEを連投したら非常識になる。判断に迷ったらまずググれ、「LINE 送るタイミング」とかで。
【私が言われたら嬉しいこと】
・くだらない項目なので割愛。
・自分から行動しよう。かけてない電話に出る人はいない。好きな人ができたら積極的に話しかけ、連絡先を聞いて、「ご飯でも行きましょう」と声をかけてくれ。あなたがよっぽど非常識な人でない限り、むげに扱われることはない。もし足蹴にされるようなら次を探そう。
・相手のことを理解しよう、コミュニケーションをとろうとする姿勢が大事。趣味ひとつでも、自分とドンピシャで話が合う人なんてあまりいない。自分の知らない趣味を持っている人には「〇〇の何がいいのかプレゼンしてほしい」と言ってみる。好きなものを語る人の横顔は基本的に美しい。〇〇がガンダムでも、エヴァでも、プロレスでも、ももクロでも、闇金ウシジマくんでも、なんでもいい。知ったかぶりする必要はない。できれば、帰ってからYouTubeとかWikipediaで調べてみる。趣味として成立するようなコンテンツには何らかの魅力があるので、彼の趣味を知るだけではなく自分の世界が広がってよい。
・忘れないこと。行ったお店、食べたもの、飲んだお酒、好きだと言っていたもの、会話の端々をなるべく覚えておく。相手のことを覚えていることは、相手を尊重していることを示す最も簡単な手段だと思う。相手のデータを手がかりに、次のデートにつなげよう。もちろん自分から誘ってください。理想は、3回目のデートは相手から誘ってもらうこと。
私は恋愛でたくさん失敗してきた。好きな人と付き合えても裏切られたり、いいなと思っていた人からヤリ捨てのようなことをされたこともある。でも、だからといって私の価値は下がらない。誰に何をされても、私の体も心も私だけのものだ。傷ついたとしても必ず立ち直れる。あなたも私もブスじゃないし、「好きです」と(常識的なシチュエーションで)言われて嫌な人はいない。相手のことをもっと知って、もっと好きになって、2人で色んな思い出を作るって最高すぎると思う。ビッチと言いたい人は言ってくれ、恋愛って楽しいよ。恋愛、サイコー。
やってる本人が「好きでやってる、誇りを持ってやってる」ことが、その職業が生き残ることには繋がらない。誇りを持って頑張ってたって、人力車は観光スポット巡りにしか生き残れないし、電話の交換手は消えた(特殊な回線だと生き残ってるらしいが)。
身体障害者の就職先として、自分の身体を「奇妙なもの」と見世物にするサーカスや見世物小屋があったが、あれは「身体障害者は奇妙なもの、珍しがって怖がるもの」「自分一人で何も出来ない身体なのだから、人に見せることしかできない」という「常識」があった時代だから成立してたもの。「身体障害者は誰でもそうなる可能性があるもの」「手足が不自由でも技術や道具を使えば普通の仕事はできる」となれば、普通に働けばいいわけで、「人に身体を見てもらってお金をもらう」という商売は成立しなくなる。
まあ、ミゼットプロレスは逆に、その身体性だけでなく技術を見せる方向で復権してるわけだけども。『水曜日のダウンタウン』でミゼットプロレスラーが活躍してたのは痛快でしたね。
「美を商売にして何が悪い」って悪いことなんか一つもないわけです。「誇りを持ってその仕事をやってる」こともいいことです。
でももう、この世の中は「見た目がきれい」なだけでお金をもらえるほど楽な世界じゃないと思う。
女子アナは、きれいで賢くてニュース読めてバラエティも出来て当たり前。アイドルは、可愛くて演技出来て歌えて踊れてトークが面白くて当たり前。モデルも、ファッショニスタで情報発信力があって当たり前。ミスコンだって、今は知性や表現力を問われてる。
しかし、グリッドガールは、主催者が「そういえば、何でスタート前にサーキットをウロウロするだけのきれいなお姉ちゃんに金払ってんだろう」と思ったら、それまでの存在じゃないかな。それ以上の存在価値が無ければ、「見た目が華やか」なだけのお姉ちゃんに払う金なんて真っ先に切り捨てられるものだ。不況になったら、社員のお嫁さん候補としての高卒お茶汲みOLがいなくなったみたいなもんで。
スタート前のドライバーに対するアシスタント業務とか、メカニックの最終チェックが出来るとか、チアガールみたいに金が取れるショーが出来るとか、そういう「華を添える」以外の存在価値をアピールすれば、「この人たちは可愛いから突っ立てるのではなくて、こういう仕事があるから外せないんだよ」って生き残れたと思うんだけど。
いわゆるフェミニズムの思想潮流の中に自分を位置付けられるほどは勉強してない。
F1公式の発表は以下だ。
we feel this custom does not resonate with our brand values and clearly is at odds with modern day societal norms. We don’t believe the practice is appropriate or relevant to Formula 1 and its fans, old and new, across the world.
「私たちは、この慣習が世界中の、これまでのそしてこれからのファンにとって適切だとは思わない。」
この台詞を言わせたのは「フェミニズムの圧力」「騒ぎ立てた人権屋」なのか?
どうも私にはそうは思えない。
間接的にはあると思う。
つまり、「modern day societal norms」の醸成に影響しているという点において。
ここからは憶測だが、F1公式の考える「modern day societal norms」にしたがった自分達のあり方が何なのか、というと、
性別と年齢とに関わらず誰もが参加できる「the glamour and spectacle of the Grand Prix」なのだと思う。
客層を限定するメッセージを発しすぎるという判断なのではないか。
(女性だって美しい女性を見るのが好きだと感じる人は多いだろうが、単純にターゲットの問題だ。)
こう考えているブコメが多数あったが、私はそうは思わない。
認めないのは
「性的魅力を、本人の自由意思に基づかず要請されたり搾取されること」で、
目指す理想の世界は
「その人の性的なことを、社会による強制や圧力を一切感じずに取り扱える世界」
だと思っている。
現にセックスワークに従事する女性の権利擁護はフェミニズムの範疇だ。
たとえば性行為を対価にお金を稼ぐ自由は尊重されてしかるべきだと思っている。
もちろん、若さと美しさを披露することで対価を得ることも当然、市場原理に保証されてしかるべき自由だ。
フェミニズムが、それらの行為自体を悪と見なしているように見えるのは、
それらが本当に自由意思で行われているか、疑わしいことがあるからだ。
たとえばセックスワークに望んで従事している、と笑顔で言い切る人がいたとして、
その影には本当にたくさんの要因が含まれることがある。
それはわかりやすいものを挙げてしまえば貧困であり、教育であり、環境であり、
その人個人の性体験であり、社会的な「性的魅力の取り扱い」に関する要請であり、
そしてそんなカテゴリワードが意味をなさないほどに、個人のいりくんだ感情と生育かもしれない。
そこに明確な線引きをすることなどできない。
フェミニズムの名のもとにずかずか入り込むことは許されない。
それでも、その人になにかを強制するものがもし何かあるならば。
もしあるなら、ひとつでもなくなってほしいと願わずにはいられない。
それが起きる社会についてかんがえるし、
それをさせている何か、誰かがいないかと考える。
私にとってのフェミニズムはそういう、自由と抑圧について絶えず考え悩む姿勢のことだ。
私は、私個人の経験から、性にまつわることの有形無形の「自由意思以外」を感じとってきたので
理想の世界があればいいのにな、と思っている。
私は「その女性が、自ら望んでグリッドガールとして働くこと」それ自体には一切の批判はない。
だが、同時に「グリッドガールという役割を作り出す社会そのもの」には疑問を投げ掛け続けると思う。
逆にいうならば、グリッドガール自身が、自分達の美しさと若さがブランド価値に寄与するのだと堂堂と言ってくれるなら、
そしてそこに内面化された抑圧ではなくて彼女たちの自由意思を信じることができるなら、
多いに祝福すると思うし、私が本当に望むのはそうした社会だ。
「それしかできないかわいそうな女性が仕事を奪われた」という構図で話したがる人がいる。
まず第一にこの話が「人権団体」の働きかけによるものだとはどこにも書いてないし、
第二に、グリッドガールは「それしかできないかわいそうな子達がようやく得た仕事」ではない。
彼女たちが美と若さを売り物にするための市場がひとつ消えてしまったのは事実だ。
グリッドガールを夢見ていた女の子がいたら気の毒だとは思うが、
小人プロレスの都市伝説になぞらえて語るものでもまたないのではないか。
だが同時に、グリッドガールは弱者ではない強者だ!ともいえない。
「美しさを競い続け、選ばれ続けるために努力し続け、そしてその先に待つものがなにか」という問題について踏み込むとき、
そこには「誇りをもって美しさから対価を得ていたのに、フェミニストに仕事を奪われたかわいそうなグリッドガール」という弱者像とは別の
「美しさを対価にお金を稼ぐことの苦しさと弱さ」は浮かんでくる。
美しいグリッドガールと嫉妬に歪んだフェミニストが叩きあうという構図をお望みのかたはたくさんいるようだった。
フェミニストは「男性=強者」から「女性=弱者」を守りたいと叫んでいるのに、
ほんとうはグリッドガールを抑圧する「強者」なのだ!という転倒の痛快。
そこにあるのは、普段「社会と女性」の構図でフェミニズムが叫んできた構図のパロディである。
フェミニストという醜いモンスターとグリッドガールという美しい虐げられた弱者ならば
自分達に関係なく、そして美しく弱いものを心置きなく応援できて、
普段から気にくわなかったフェミニストたちを存分に叩けるのだ。
きっとさぞ楽しいのだろう。
だから、特に声明には書かれていないフェミニストは引きずり出され、
さらに関係が疑わしい「人権擁護団体」(誰なのかはよくわからない。架空のそういう人たち)を叩き、小人プロレスを引き合いに出している。
そういう人たちがたくさんいる。
グリッドガールがなくなることが正しいとおもうか?
わからない。
わからない。
けれど確信しているのは、上記のようにみにくいプロレスを望む人の声にのせられて、ファイティングポーズをとる必要はないということだ。
私は、できれば自由について話したい。
自由について、美しさや若さや性を売る自由について、その価値と市場について、それが売り手にとって苦しみをもたらさないための社会について。
それがいくつもいくつも積み重ねられて、次の「modern day societal norms」の話ができることを真剣に望んでいる。
どういう意図があって、スタイル抜群の美女に高露出させて車の周りにうろつかせとくのか、というのは、自分はあの仕事に必然性や必要性を感じていなかったので推測でしかないが、
「車がより速く走るのが嬉しい人々=スタイル抜群の美女を白昼堂々と眺め回せるのが幸せだと考える人々」とみなされて、その人々へのおもてなしなのだろう、と考えていた。
悪く言えば田舎のヤンキー的というか即物的というか、欲望ダダ漏れ的な下品さ。いやまぁ個人的な憶測にしても申し訳ない。すみません勝手なことを言って。
格闘技のラウンドガールも同様だと思っていますすみません。でも今でこそ変わったけどプロレス会場ってホント「そういうのが好きそうな男」しかいない場所だったし、ボクシングなんかもアレだ。
そういえば、子供の頃、深夜にやっていたF1中継でチーム紹介なんかでド派手なねーちゃんが映るたびに
「F1レーサーって死ぬかもしれん仕事やし性欲強いタイプが多いんかな」と思っていた。私はレースクイーンをドライバーへの接待要員だと考えていたらしい。
実際はF1レーサーって王子属性な人も多いしセレブスポーツらしいすね。知らんけど。王子だからこそいい女をはべらかすのかも。知らんけど。
レースクイーン的な仕事は失くしましょう、と発表することで、美女を堂々と眺め回せることに喜びを感じるタイプの車好きが辟易とする可能性と、
それ以外の人々へのイメージアップならびにポリティカルコレクトに狂信的な層を鎮静化できる可能性、のどちらを取るかで、後者を取る方がお得感が高い、という判断だったのでは、と思う。
美女を眺め回せなくなったからモータースポーツはもう見ないぞ、と言うのなら、彼らはモータースポーツの客ではなかろうから、その辺はキャバクラなりなんなりが、需給とも吸収すればいい。
個人的には、ブコメのいくつかに見られたサッカー型=サッカー好きの子供と一緒に入場、が良い案のように思った。
もしくはpepper君あたりを置いておくのが正解かもしれない。性がないから安心。あと万が一が起きても生命が失われることはない、pepperくんが1台壊れるだけだし。切ない…。
しかし、サッカーはいろんな国でやってるだけあるな。女子競技化も早かったし。FIFAにつきまとうブラックなマニーの噂はあるわけだが、それでもなかなかのオープンさ。
「モータースポーツの振興」ということなら、サッカー型が理にかなっていると思う(が、現実ではモータースポーツは"王子様"の職業なので偽善的に見えてしまうかもしれないが)
自動車文化の発信、ということなら、「主にスタイル抜群の美女を眺め回したいような属性の人たちのための文化」になる可能性、というリスクと共に生きることになる、かもしれない。
自動車市場の発展のために、ということなら、昨今のコンシューマー向けの自動車の傾向を見ても、ドライバーが女性であるという目線が欠かせなくなりつつあるわけで、
レースクイーン要らなくね?というのは、割と合理的判断かなという気もする。
そういえば、アメスポってチアリーディングがおまけで付いてくる印象があるが、あれも将来どうなるんだろうという感じもするな。
スクールカースト的なアレこそ、F1におけるレースクイーンよりもある種の邪悪性を感じないこともないのだが、
結果的に、チアリーディング単体ですっかりスポーツ化している現在を見ると、アメリカ合衆国って何だかんだで面白い国だなと思う。どこまでもフラットであることを志向する。良いか悪いかは別として。
レースクイーン的なものは、従属的な立場からスタートしてどれだけ単体文化性を獲得できるか、ということでいうと、やっぱりちょっと厳しいかもね。
あと女性のF1ドライバーっていないのかね。ラリードライバーだと「このごろ増えてるんかなぁ」ぐらいには目につくようになった気もするが。
中邑真輔、ロイヤルランブル制覇しレッスルマニアでWWE王座戦へ…とんでもない快挙。一般世間ももっと注目と拍手を! - Togetter
klaps ファンの人には申し訳ないけど、一般人は、プロレスの勝ち負けなんて最初から決まってるんでしょくらいの認識だから、イチローくらいすごいって言われてもうーんという感じ。
頭が悪すぎてうんざりする。
その通り
>じゃあロイヤルランブル制覇したって何もすごくないじゃん
じゃあ例えば日本人がロイヤル・バレエ団のプリンシパルになってもすごくないのか?
なわけないだろ
世界最高峰のバレエ団で実力やスター性を認められて興行の主役にすえられたってことだからめっちゃすごい
プロレスも同じ
主演に選ばれるというのはそれだけファンと会社からの支持があると言うこと
今回中邑という日本人が達成したのは
当代のトップレスラー30人が一堂に会する大会の最終勝者に選ばれて、
来るWWEの最高祭典(つまり業界最高峰の舞台)の主役を勤めることが決定したの
現プロレス界の世界に一つしかない頂点の演者に選ばれたと言うこと
「でも、勝ち負け決まってるんでしょ?」ってなんやねん
アホか
自分の中ではもうは○まが個人ではなく企業でやってることがわかって終了したとおもってた。
任豚、GK、痴漢なんて蔑称は、新ハードの到来と共になくなったと思ってた。
スマホゲームの到来でゲームハード(コンシューマーゲーム機)そのもので三国志をする時代は終わったと肌で感じていた。
でも、久しぶりにモンハンを買って、いろいろ情報を集めると「SONYハードが」「SWITCHで出すほうが」「美麗グラが」「進化してないグラ」みたいなゲハの争いがあった。
違ったんだ。
ゲハ終わってなかった。
自分からゲハを離れただけなんだ。ゲハを離れたから肌で感じられなくなった。
それでもこうやって、存続させてきた人がいる。
スマホゲームが到来しようと、新ハードがこようとも、彼らの中では「任天堂」「SONY」「マイクロソフト」の三国志なんだ。
いままで崩れずにいてくれて。
プロレスから逃げた男だけど、誠心誠意、SONYが最強と言い続けることにする。
ももクロは、2011年後半〜2014年末ぐらいまでよく見に行ってた。
「プロレス的な仕掛け・口パクなし・全力」が当時としてはフレッシュだったし、
2011震災後「全力のパフォーマンスで笑顔を届ける」というコンセプトがめっちゃハマったんだと思う。
ワニシャンとかもめっちゃ良かったなあ。
しかしまあ「宿題がおわんなくって大変!」だの「あーりん反抗期だからハンバーグがいい」だの「一人で寝たくないから、ベッドに入ってくるとか」を歌ってしっくり来るのってやっぱ17才ぐらいまで。幼児性を前面に押し出した楽曲が多いから、18才過ぎた大人が歌うには厳しい楽曲も多い。
少し路線を変えて、アーティスト路線で行こうと判断して2013年4月発売の 5th Dimensionだったんだと思うんだよね。
ただしこの時点では、バトルアンドロマンスで作られたももクロ像を求めてる人との齟齬で正直失敗しちゃったなあって感じがある。
楽曲をざっくり「1. 少年・少女的なもの」「2. 青春的なもの」「3. 普遍的なもの」とかとすると、ももクロって全部あるんだけど、メンバーが20歳超えてくると1・2を歌うのが結構辛くなってくる。
あと「今」を歌った曲が多いから、そもそも曲の寿命が短かったりもする。
AKBGはメンバーの入れ替わり前提だし、まさしく制服を着てるので、ずっと青春的なものを歌っていて違和感ないのは良くできてる。
やっぱ10代前半のアイドルと、20代のアイドルに求められるものって全然違うし、本人たちの自己認識もあるから難しいよねえ。
ももクロに関しては、メンバーの幼児性が変わらない感じがまた難しそう。
この点 Perfume は上手だし、男性アイドルはジャニーズが切り開いたキャリアパスがあっていいなと思う。
個人的には5thの前後からやたら「大物」に曲を作ってもらって箔付ける感じ(極北は広瀬香美・中島みゆき)がどうにも合わなくてフェードアウトしてしまった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20180119-00080643/
fukken ガチでの勝負を前提として、球場や故障にもっと寛容になればいいだけの話。なんで八百長を許容するって話になるんだよ。八百長など、競技としても神事としてもまずかろう。
つか故障に寛容ってなんだよ。現状でも寛容だよ。みんなサポーター巻いて出てきてるだろ。
だが神事で八百長の何がまずいんだ?神事なんて多くは演劇だが。
豊穣の神とか疫病神とかと取っ組み合いする神事は珍しくないよね。
故障に寛容wになったって15日連続ガチでやればどんどん怪我人が出る。
はてな民はどうもハードな運動部経験者とかが少ないんじゃないだろうか。
だからいいこと言ってるつもりで「故障に寛容になる」とか意味不明な方針が出て来る。
diabah_blue ガチンコが危険と言うなら、危険でなくなるようにルールとして明文化すればよい。フェンシングの剣が真剣でないからつまらないかと言えば、そうではないと感じる。
これマジで酷くない?
冗談で言ってるんじゃないんだもん。
相撲のような身体をフルにぶつけ合う種目とフェンシングのような相手の身体に直接触れない種目を比べてどうする?
レスリング、柔道、ラグビー、アメフト、みんなフェンシングより怪我が多いよ。調べないけど調べるまでもないことだ。
これほとんど「相撲は将棋に比べて怪我が多い、将棋みたいにルールを整備しないからだ」って言ってるのと発言の馬鹿度は変わらないからな?
いつものことだけど、こういうのを1人が言ってるならいいんだよ。酒飲みながらコメントしたとか睡眠不足でコメントしたとか一瞬脳の血管詰まってたとか色々あると思う。でも大勢が星を付けて人気コメントになるのはどうなんだ?全員酔っ払ってるの?
相撲をどうルール整備したら相撲の形を保ちながらフェンシング並みに怪我が減るのかおしえてくれ。
具体的に言ってみなよそのすっごいアイデアを。
きっとそのすごいアイデアはレスリングや柔道にも応用して怪我を劇的に減らせるはずだ。
言ってくれよさあさあ。
n-styles とりあえず土俵の周りにフワフワのエアクッションでも置いたらどうか。どう考えてもいきなり転落するの危ないし、土俵の外いじって安全策講じても競技性や伝統に大した影響ないでしょ。
ただすごいみっともなくなるので相撲では出来ないだろうな。
あと勘違いされがちだが、殆どの怪我は土俵の下に落ちたところで怪我するわけじゃないから
相撲を取ってること自体が腰や膝に飛んでもない負担がかかるんだよ。
昔なんて「無気力相撲はやめましょう」って注意が公然と協会から出てたの覚えてないかな。
勝ち越し負け越し決まったあとの取り組みは平然と流す力士が多くて、
勝つ気がないの明らかな相撲を取る力士がいて、テレビでも流れてたよ。
相手が7勝7敗で自分にとっては重要じゃない取組のときにあんまり本気でやるのは「行儀が悪い」って言われてた時代もあった。
プロ野球でも勝ちが決まってる大差で盗塁とかしたらキレられるだろ。しらねーか。
プロ野球は純競技なんだから半神事の相撲の八百長よりよっぽどまずい筈だがまかりとおってる慣行だ。
新人選手が大差勝利の試合で盗塁したら相手チームの監督がマスメディア相手に「大変なことやと思うよ」って怒りを表明するぐらいには堂々とやってる。
afurikamaimai 言い分は分からなくもない。ただ「八百長や星のやり取りはない」って言って裁判まで起こして異論潰して回ってたのはまさに大相撲なわけで。後ろから相撲を撃ってることになるんじゃないかな。
2018/01/19
相撲ファンはみんなそこまでわかって納得してる。
お前等がなんにも知らずに頓珍漢な事言ってるだけ。
toitoihoh プロレスは台本ありのエンターテイメントである代償に、競技としての格闘技を見たい客を呼べないという対価を払っている。だが大相撲はその対価を払っていない。ならば八百長が相撲で許される理由は、ない。
・相撲の八百長度・競技としての不純度は日本の腐りはてた格闘技全般、K1やらRIZINやらと同じぐらいだ。いや、あれよりはマシだな。
つまりは八百長っていうと0か1か・全部取り決めか全部真剣勝負かだと思ってる、この程度の理解の馬鹿が知った口を叩くなと。
no9875 ガチンコじゃないなら愛想や体格のいい日本人横綱が常に2〜3人いるように調整してもいいのに、若貴以降ハワイやモンゴル出身ばかり横綱になったのはなぜ?伝統という面でもいまいち意味不明なんですが。
いい質問ですね!
知らないなりにしったかぶったりせずに素朴に疑問を書くなら親切に教えちゃうよ。
安定して勝ち越せる人がいて、例えば11勝4敗出来るとするじゃん?
優勝狙えるほどじゃない。でも勝ち越しラインの8勝から3つも星が余ってる。
これを売ってあげるわけ。
何かが懸かってる人にね。
ただ、星を買う側だって「自力で4勝しか出来ないから星を4つ買います」ってわけにはいかない。
自力でも勝ち越せるぐらいの人が、調子悪い場所で終盤に保険で星を買うのよ。
エスポワール号みたいだろ?
疲れも出てる場所終盤で勝ち越し負け越し賭けて全力相撲なんかしたら怪我が増えるじゃん。
相手だってそこで全力でやるほど人情がないわけじゃないし死に物狂いを相手にして怪我したくない。
なら「貸しひとつな」ってことになる。売り買いってより貸し借りなんだよな。金が媒介すること「も」あるだけ。
要は互助会みたいなもんだよ。
はてな民の好きなやつだよ。従業員同士で苦しいときの助け合いをしてるんだ。
かつて〇皇は互助会会長と呼ばれてたしクンロク大関と賞賛されてた。
大関を張るに確かな実力がありつつ星の貸し借り仕切ってる人の安定した成績が9勝6敗。
「さすがの会長、今場所も貫禄のクンロク」「今場所は10勝5敗、乱れが見えた」つって互助会見るの好きな相撲ファンは喜んでたもんだ。
質問に戻るけど
これの答えはもうわかったよね。
「八百長は実力足りない奴が上にいく為のシステムではないから」。
イケメンだけど実力がないっていうカカシみたいな奴を横綱に出来るわけではないの。
だから長持ちしたの。
もちろん八百長だけで綱を張れるわけじゃないから、十代の貴乃花に力量負けしたのを悟って引退した。
だから怪我人続出したでしょ?
貴乃花で怪しい相撲なんて若乃花の綱取りかかった場所の兄弟対決だけだね。
仲悪くなったのあれが遺恨じゃないかって説があるぐらいよ。
普通の力士なら実の兄や兄弟子の綱取りかかったとこで本気でやらないなんて当たり前の人情だけど、
同じ国からこんな外国まで来て下手すれば高校から部屋住みでチョンマゲ結って相撲やってて厳しい実力社会で立身出世目指して、同郷同士助け合うのが当たり前でしょ?
で、脱落していく仲間を見送りながらも生き残った者同士、十両、幕内、と目鼻がついてきて、そこで潰し合いなんかするか?
お互いの苦しい状況での星の貸し借りなんて普通に発生するわな。綱取りかかってたら協力するわな。
白鵬は違うが、鶴竜と日馬富士が横綱になれたのは完全に互助だからな。
実力が全く横綱に足りてないとまではいわない。運がすごく良ければ自力で横綱になれた可能性はある。
そういう奴等に不運や怪我を回避させて上げるのが互助の精神で、それが相撲の八百長なわけよ。
それ見ても相撲ファンは「モンゴル人はズルい」なんて言わなかったよ。「日本人ももうすこし助け合え」つってたんだ。
だから横綱0人なんだってな。日馬や鶴竜ぐらいの器量の力士は日本人にも何人かいたから。
ただ報道の通りなら最近の白鵬はちょっと道を違えてたみたいだね。
八百長に応じない同郷の後輩に「俺達に勝つのか」とプレッシャー掛けるようなことは相撲ファンから見ても看過できない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20180119-00080643/
(追記)
相撲に詳しくなるには5chかtwitterかって話のようだけどそれは一長一短じゃね?
最近見てないけど5chも現役力士が書き込んでたりしてそんなに悪くはなかったような
kjkw 『相撲には八百長があるし、相撲の八百長はいい八百長。』本気で肯定してるにしても、あえて肯定してるフリして書いてるにしても分かり合える気がしない。
どういう意味でのどういう効果のある八百長なのかってちゃんと説明したよね?
ほんとに読んだうえで伝わらないならしょうがないんだけど
遅田だけど、例の増田を読んでから色々観てみた。ただ地上波でアニメを観ないので、配信を待ってたら20日になってしまった。元田は格付けしてたのでそれっぽく並べたものの、どうあがいてもアニメ同士の優劣はつけることができなかった。容赦してくれ。利用した配信サイトはd'アニメストア、ニコニコ動画、AbemaTV、アマプラ、ネトフリ。基本コメントは見ないが、2回3回見るときはコメント付きで観たりした。
非常に中毒性の高い作品。音楽繋がりで「けものフレンズ」に近いものを感じる。全体の緩急、音楽、ギャグのテンポ等観ていて飽きないというか、1話1話が一つのMVのようになっていて、アニメを観ているというより音楽を聴いている感覚に近い。とりあえず「ヤマノススメ」ではなかった。
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
一人で見てはいけないアニメ。最新話は必ずニコ生かabemaTVのコメント付きか、ツイッター実況付きで視聴する必要がある。プロデューサーの須藤孝太郎が何を考えてるのかよくわからないけれど、恐らく本作は「話題性」極振りの作品として作られていて、ある種のお祭り状態にすることが目的だと思われる。2話の青い鳥に餌をまくネタからも分かるとおり、実況するツイッター民等を含めて「ポプテピピック」なのだろう。そういう意味では伝説のアニメと言える。なおここで言う伝説は「めっちゃすごい」という意味ではなくて、「伝え聞くところの」とかそういう意味。例えば10年後、今の賑わいを知らない人からすればこのアニメは「当時このアニメは本当にすごかった」という伝聞でしかその魅力を推し量る事ができないわけで。
公式ラジオ番組で高木さんの中の人が言っていたが、「高木さんにからかわれて狼狽する西方を愛でるアニメ」だった。10分アニメでもいいからいつまでもずっと続かないかな、と思ってしまうのは制作がシンエイ動画だからだろうか。このアニメを観ているときは終始ニヤケ顔になってしまうので、人と一緒に見るのが困難な点が惜しい。高木さん可愛すぎかよ。
アマプラのみ。かなりガチの方のSFアニメ。アンドロイドと人間の物語。「イヴの時間」寄り?どっちかというと攻殻機動隊を思い出した。全身義体になった個人のアイデンティティとゴーストの存在についての話と地続きだったりするのかな。日常と非日常にそれぞれ描かれるSF描写がとてもそそられる。
アマプラのみ。主人公が感情を表に出さない、能面みたいな女の子なのだけれど、そんな彼女の心情をあらゆる方法(背景、音楽等)で演出している作品。シナリオについて、原作と見比べると「主人公が友達と楽しそうにだべってるシーン」が意図的に削られているのはそういう意図なのかなぁ、と思った。ずっと観ていたい。
前回の続き。原作既読勢によると2は結構駆け足のようなので、ニコ動のコメント等外部記憶を頼りにして観ていきたい。
ネトフリのみ。アニメーション技術の見本市みたいな作品。何から何まで凄いことになってる。特にびびったのはタイムラプス風演出。あんなの初めて観たし、どうやって作られているのか想像もできない。
https://kids.yahoo.co.jp/games/sports/013.html
百合は百合でもガチの百合。コミック百合姫は女性向けの雑誌らしく、本作もそっち寄り。公式ラジオでも言っていたけれど、エロシーンにおける作画の熱量が非常に高く、思わず「はえ^~すっごい・・・///」ってなっちゃう。コレも背景が草薙なので結構凄い。
アマプラのみ。動く方の絵本。草薙の背景だけでごはん3杯はイケる。音楽のノスタルジックみがすごく、特に1話ラストの労働歌がめっちゃ良過ぎてヤバイ。
アマプラのみ。時間の止まった世界を中心としたSFアニメ。今期のアニメの中では最もやさしさが少ないアニメなので、メンタルタフネスに自信のある人向け。主人公が成人の女性であったり、子どもの役を実際に子どもが演じている等TVドラマに近い雰囲気がある。なんかの番宣番組でプロデューサーが言ってたのは「時の止まっている空間をどう表現するか」をこだわってるそうなので、そっちの非日常がメインになりそう。1話ではクソみたいな日常から非日常に転落する話だけれど、日常パートは日常パートで暗い話なのだろう。背景も音楽も音響も良い。
「デスマーチから始まる」=「昔々あるところに」「今は昔」「Long long ago」。本当はあらすじだけで十分だと思うのだけれど、あんまり「デスマーチ」が世間に浸透していないがゆえにAパートが必要だったのかなぁ、と思った。「主人公がデスマーチって言っちゃうのかよ」という感想が出るのも仕方ないね。
Aパート、ゲーム初期のレベルデザインについてのやり取りを観れば、オンゲープレイヤーはみんな心がざわつくはず。案の定Bパートで「レベル1で高レベルの敵に囲まれる」「何の武装もない」「りゅうせいぐんがいきなり使える」「りゅうせいぐん使ってもエフェクトがない」「りゅうせいぐんをリキャスト無しで連射できる」「高レベルの敵がりゅうせいぐんで全滅」「一気にレベルが上がりすぎ」「ステータスがカンストする」等、所謂クソゲーであることが分かるので、本作は「クソゲー探訪モノ」という位置づけかと思われる。私はSteamで買ったゲームをMODで魔改造するのが好きなので、ゲームバランスの崩壊してる異世界冒険譚は結構楽しみ。そういう意味では、栄華を極めたゲームのサービス終了と同時に始まる異世界冒険譚ことオバロ2とは違う魅力があるんだろうか。
戦記モノ。ただ本作は剣と魔法の世界なので、「前近代風ファンタジー冒険譚」みたいな作品として観ることもできそう。あと戦記モノとしては圧倒的に流血表現が少ないので、なんか爽やか。最近は戦記モノがあんまり流行らないらしいので、どの辺の層をターゲットにしてるのか気になる。上記の特徴から、戦記モノが好きな大人よりも、そういうのを見たことのない若い世代がターゲットなのかな。あと同時展開してるTRPG既プレイ勢的ニヤニヤ要素どれくらいあるんだろうか。個人的には岩浪美和の作る音がめっちゃ好きで、1話だと「敵対した領主と剣を交えたときの金属音」がめちゃくちゃ凄いので聞いて欲しい。
諸事情で制作会社が変わったので実質1期。「たくのみ。」とセットにした理由が分かる気がする。12分を駆け抜けるテンポすこ
むしろこっちのほうが「ヤマノススメ」みを感じる。だがしかし2と2本立てのアニメ。12分でまとまったお話(脚本:高山カツヒコ)が心地よく、あらゆる苦悩をビールで忘れる幸せよ。仕事から疲れて帰った時、ビールのお供はやっぱり「簡単に作れて美味いヤツ」に限る。登場するお酒は全部日本のメーカーのやつなんだろうか。
博多の日常を描いたアニメ。全体的にBGMが心地よい。博多だけどあんまりラーメン枠ではない。BLACK LAGOONっぽい骨太な内容なので、お酒飲みながら観るといいかも。
上野のあの感じ×クソガキ×クソガキ×クソガキ。私も兄弟が3人いるので、小学生が3人集まったときの全能感をよく知っている。テンポ感からもクソガキ達の疾走感がよく演出されている。そういうクソガキたちを優しく見守る作品。観ててとても温かい気持ちになる。上野を中心とした背景美術が凄まじいことになっている。
私は前作のアニメをリアタイで観た人なのだけれど、CCさくらファンだった当時小学生の姉が観ていたからというだけでファンというわけではなかった。今はもう内容覚えてないし、自ら触れることはもう無いと思ってた。そんな私でさえ1話冒頭を観ただけで「イ゙ェアアアア!!」ってなったので、ファンの人は無事では済まないのだろう。マジで奇跡のような作品。
どうなんだろう、この作品を観た人はどこらへんで興奮したのだろうか。やっぱりロボットが真の姿を表したところ?1話の時点で明確な死が描かれているのは1羽の小鳥ちゃんだけなので、敢えてハードな展開になるのを抑えてるんだろうか。あんまり王道ロボットアニメを観たことがないので「メインロボット来た!これで勝つる!」といった高揚感を感じることができなかったのが残念。
TBS FREE、Tver、GYAO!などで最新話のみ無料。子どもと観る方の鉄道xロボットアニメ。子供向けにチューンナップされているからと言って大人が楽しめないわけではないんやな、って。一般人ではわからないレベルの専門用語が飛び交う程度には鉄道好きに寄り添っている。ロボットアニメとしてもかなりアツいので、最終話が放送される頃には「シンカリオンがんばえー」ってなってるかも。しかもコレ、フィクションらしい。
「迷い猫オーバーラン!」の松智洋 原案アニメ。同氏が2016年に亡くなったため、別のライター達によって引き継がれた作品。あらすじを読むだけで分かるくらい、中二病全開の作品。作中のBGMといい、とってもメルヘンチックに仕上がっている。気になったのが主人公の年齢。メルヘンチックな魔法少女モノだと大抵主人公は小~中学生が多い印象なのだけれど、なぜか本作の主人公は高校生である。1話を見る限りでは中学生でも成立しそうに感じる。OP.EDがエロい、監督の上田繁が閃乱カグラOVAの監督を務めた人らへんから察するに、主人公にエロいことをしたいのでちょっと大人にした、と言う感じなのだろうか。
ごちうさのスタッフによる日常アニメ。ごちうさだと思った?ごちうさの大ヒットが影響して大きな予算がついたのか、キャラクターの動きがめっちゃヌルヌルしている。ただしごちうさほどおとぎの国のお話でもなく、特に決定的なのは1話Cパート。よく考えたら脚本の井上美緒はハートフルボッコ系の人でもあるので、かなり胡椒のきいた日常アニメみたい。視聴者の心の、ささくれだっている部分をガンガン逆なでしてくるのでざわざわが止まらない。あとスタジオ風雅の背景がとても良い。A-1 Pictures×スタジオ風雅って去年の「亜人ちゃんは語りたい」以来?
逆ハーレムモノは「桜蘭高校ホスト部」しか観たことがないのだけれど、この作品はどの系譜なのだろう。ヒロインの声が矢作紗友里の時点で「乙女ゲーのツッコミ役かな?」となるわけだが、実際そうである。声優さん達の高い技術も相まってテンポよく進むギャグアニメなので観ていて楽しい。的確なツッコミが出来て、しかも可愛いヒロインって良いね。「月刊少女野崎くん」のパラスちゃんとか。あっちのヒロインはみこりんだけど。
1話だけ観た感想書いても意味が無いので割愛。
「いやそれ労基法どうなってんだよ」「実質奴隷じゃねえか」「何のための保育士資格だよ」「いや中学生一人にそれ任せたら誰か死んじゃうから!」などあらゆる不安を「やさしいせかい」という魔法で一掃し、安心して幼児の可愛さを楽しむ事ができるエンターテイメント。アニメーションしている幼児の可愛さは想像以上で、特に自己紹介のシーンは破壊力が凄まじい。脚本も良いので多分飽きることはないと思う。
色んなラーメンと小泉さん達のメシの顔を楽しむアニメ。惜しむらくは、日本各地のラーメンを食べて回った学生時代ほどラーメンが好きじゃなくなったせいで、観れば観るほど胃もたれしちゃう事。淡々と話が進むので低いモチベーションでも観れるアニメ。OPEDの中毒性が高め。
人外との非言語コミュニケーションを楽しむ作品。やさしいせかい。プロデューサーの那須田淳は逃げ恥のプロデューサーを務めた人なので、EDのダンスは恋ダンスのリスペクトだと思われる。ということは、本作は逃げ恥のファンくらいの年齢層(主に女性?)をターゲットにしてるのだろうか。ミーくんかわいいからね、仕方ないね。
将棋界にはユニークな人が多いらしい。将棋アニメとしては「3月のライオン」があるけれど、とっつきやすい方はこちらかも。同じ原作者のアニメ化作品「のうりん」は農業要素が申し訳程度だったのに対して、こっちはガッツリ将棋を描く方にウェイトを置いているようだ。友情/努力/勝利のサイクルを回すスポ根アニメかな?
「戦士に選ばれた女の子」「スマホゲーも展開」「Studio五組」=ゆゆゆ ではない。説明抜きでおっぱじめるあたり、詳しくはスマホゲーをプレイしてね!ってことなんだろうか。少なくともゆゆゆのようなハートフルボッコではなさそう。チャンバラ目当てに観るのが良いのかも。剣豪シリーズやってたので、いろんな構えが出てくるのが楽しい。あとどの子も使ってる鞘の柄がかわいい。
ホラー寄り。唯一無二かつ普遍的な面白さのある作品なので、いつ観ても面白いのが良い。基本的に短編集なので、リアルタイムじゃなくて観たいときに観るほうが楽しめそう。
あとかなりコミカルだった。
アマプラのみ。何かの番宣番組で聞いたのは「アニメでプロレスをやる」がテーマらしく、超人たちがリングの上で殺し合いバトルをするアニメ。超人たちの身体的特徴は元の動物になぞらえてあり、「むぅ・・・この動きは・・・」「し 知っているのか、雷電!」みたいな実況が入る辺りプロレスっぽい。バトルシーンだけならエログロキン肉マンみたいな感じ?結構アツい。
時代劇バトルアクション。アクションシーンは全体的にふわふわしていて「うおー!すげー!」とは感じなかった。国盗り合戦特有の血生臭さがあるのが良い。原作未読勢は外部記憶を頼りにしないと良くわからないと思う(未読勢並感)。原作ファンにどれくらい寄り添っている作品なのか気になった。
AbemaTVのみ。原作を手元においた上で視聴するのが良いと思った。原作のうちアニメ映えするシーンのオムニバス形式みたいなので、「あのシーンあるかなーwktk」というテンションで観るのがいんじゃないかな、音楽と背景が良いので。
今期で最もゆるいアニメ。
高校生男子の成長物語。サンリオのキャラクター達とのファンタジーではなく、サンリオのキャラクターが好きな男子達の日常アニメ。程よいBL描写のある作品で、今期のBLアニメってコレくらいかも(gdメン?知らん)。ただ、幾つかのシーンについて全く意図がわからない演出があって、「この作品は一体何を描きたいのだろう」と思った。それらが伏線として回収されるなら良いのだけれど、どうなんだろう。
特になし。
全体的にクオリティが高い印象を受けた。例えば背景だと、ハイクオリティでおなじみの草薙が携わっている作品だけでも「よりもい」「ハクミコ」「citrus」と複数あったりする。またアマプラのみネトフリのみ配信のアニメも沢山あり、全体として高予算高クオリティ化の傾向があるのかもしれない。どこぞのプロデューサーが言っていた、どんどん高いクオリティを求められる一方で人手不足になっている話を思い出した。
作品の内容について、アマプラのみ等限定配信のアニメはきびしいせかいが多く、一般配信してるアニメはやさしいせかいが多い、という傾向があるようだ。なんでだろうね。なので、気楽にアニメを観るならd'アニメストアとかで十分かも。
新作1話全部視聴はおすすめできない。観れば観るほど続きが気になる作品が際限なく増えてしまうし、途中までは楽しかったのがそのうち苦痛に変わっていくので逆にアニメが嫌いになる。後半は新しいアニメを観るためのモチベを稼ぐために好きなアニメやゲーム、音楽に触れてリフレッシュしないとやってられなかった。コレはアニメが悪いのではなく、アニメを沢山観るのは体力がいる、ということなのだろう。そんなわけで、アニメ視聴は程々にしよう。ちなみに上の様子見っていうのは「時間と心身に余裕があれば」という事なので、アニメの今後の展開がどうのではない。そういう意味でも、新作1話全部視聴はおすすめできない。本当に疲れた。
私は彼女と同世代のアイドルファンで、ミライボウルぐらい?の時に彼女らを知った覚えがある
当時はSKEかスマイレージかももクロか、みたいな時代だったので私も満遍なく追っていて、ももクロちゃんにも好感を持っていました
「Z」になった辺りからファンも増え、露出も増えだして、あれよあれよと言う間にトップアイドルに登り詰めたのに反して、私の中では違和感がどんどん大きくなっていきました
最初は自分でもあんまり理由はわかってなくて、まぁ楽曲の好みなのかなあとか思ってたのですが
歳を重ねるにつれてその違和感は徐々にはっきりしてきて、20代前半になった今、ようやく掴めてきたような気が
スタッフの手によって、あたかも「昭和のギャグ漫画にでてくる、歳をとらない女の子」のように演出されてきたように見えます
いつでも明るくふざけたトーク、ギャグアニメみたいな面白衣装、元気一杯のパフォーマンス…
わかりやすくキャラクター化された姿は、見る者に対しても、「彼女たちをそういうキャラとして扱っていいんだ」と思わせます
でも現実にメンバーは生身の女性であって、歳を重ね、成熟していきます
いつかその齟齬には限界がきます そんなことは誰が見ても明白です
それは織り込み済みのプロレスなんだよとか、その限界を突破しようと頑張ってるももクロちゃんはかっこいいんだよと言われるかもしれませんが
私にとって、それを見続けるのはしんどかった
なんというか、私も同年代の女として、彼女たちがアイドルとして過ごしている期間、「普通の女の子」として生活してきました
彼女らと違って何も成し遂げてはいませんが、人生や夢や社会のクソさについて友人と語り合ったり、似合うファッションを模索したり、何人かに恋をしたり・されたり、男性目線の不条理な言動に傷ついたり、反発したり、自分の女性性に疑念を持ったり、憎んだり、肯定したり、
この期間は女としての自分に向き合う時間、性的主体性を獲得する時間だったなと思います
そしてそんな中で、女としてどういう風に生きていくかとか、何を楽しんでどんな風に生きたいかとか、ちょっと見えてきたように思います
なんかこういう、10代後半〜20代前半の自分にとって一番大切だったステップというか、時間はきっとわりと普遍的なものなのかな
女友達とそういう話をするのも私は大好きです
でもアイドルとしてのももクロって、そういう「女っぽい」部分を徹底して排除しているように見えます
宮台真司か誰かが「AKBからは生理の匂いがするけどももクロからはしないのが良い」とか言ってた気がしますが(最悪発言すぎる)
そうは言っても彼氏くらいいるだろ的な、つまりそれが欺瞞だってことが言いたいわけじゃなくて、
私が違和感を感じるのはそれを演出するスタッフ側、受け入れるファン側の視点です
まず性的アイコンみたいなものを絶対に見せない、そうなんですよね
過激な言い方になるんですけど、ももクロってAKBや乃木坂を筆頭とする、ストレートな疑似恋愛を売りにするようなアイドルのカウンターカルチャーである割に、むしろその手のアイドルよりも強く"処女性"みたいなのを求められてることないですか
しかもこれはAKBのメンバーに対する純潔の要請とは異なります
AKBの場合、「自分だけの性的客体でいて欲しい」、そして「自分以外に性的主体性を発揮しないで欲しい」となるのはわかります
でもこの理屈は、疑似恋愛を主な売りにしていないももクロには当てはまりません
まあ無理やり脱がされるよりずっといいのは間違いないんですけど
なんだろうなー、
そんな彼女らを応援するファンの一定層には「水着が見たくて応援しているわけじゃない」「彼女らを性的消費の対象にしていない」と自負するような傾向があるように見受けられます(観察した範囲では)
でも一方で、メンバーのスキャンダルが撮られたらものすごい拒否感を示すと思う(妹分であるエビ中のスキャンダルの時に驚きました)
疑似恋愛の対象にしてたわけじゃない、性的対象として処女性を求めるわけじゃないっていうのになんでだろうと
その中には「ももクロは性の匂いをさせないことがアイデンティティだったのに、それを崩された」という怒りもあるような気がして(さっきの宮台的発想です)
それは「自分が当該アイドルを性的客体として扱わない」ことと、「アイドル自身の性的主体性を肯定しないこと」を混同してるのではないかと思うのです
まあこれはももクロのファンに限らず、わりと世に根深く蔓延る発想なのかもしれないですが
少女を性的に消費しないということと、少女の(女性性を含む)主体としての人格が成熟してゆくことを肯定しないことは別の話でしょと
当人は前者をおこなっているつもりで、後者のことをしてる事例が世間には間々有りませんかね?
ももクロ運営がやってることってその最たるものな気がするんですよね
それがウケることを知って、売るために故意にやってるのかもしれませんが
同世代として生きる自分にとって一番大切で興味がある部分を見せてくれない、それどころか否定されてるところが、魅力的に思えなかったのです
(あ、ちなみに女性としての成熟の過程をアイドルとして見せることと、表立った恋愛禁止の建前は両立すると思います)
なんていうかなぁ、幼く性的主体性を持たない(ように見える)「少女」の姿と、成熟した「女性」の姿はスイッチで切り替わるものではなく
わたしはその過程を美しく尊いと思うし 自分にとっても大切だった
それを否定されるのを見るのは辛い
そして、これは余計なお世話かもですが
そんな大切なことを隠し、時に否定されながら、「少女」像をたくさんの人の前で演じ続けるってしんどくないかなって思うんですよ
私だったら絶対やりたくないなあって
個人的に、同性アイドルを推し続ける理由は、その子たちにめちゃくちゃ憧れて、なりたいとすら思うからであって
でも、ももクロはそういう姿だからこそみんなにパワーを与えてるのだろうし
その役目を真剣に果たしてるメンバーは本当に頑張っていて、めちゃめちゃすごいんですよ ほんとに
それはわかってるんだけど
まぁわたしがどんどん変わっていく中で
ずっと変わらないパフォーマンスをしているももクロを見ているのがしんどくなったんですよね
おもったんですよね
勝手にあーと思っちゃった
彼女らはそんなこと歯牙にもかけてないのかもですが
とりとめなくなってしまった
「彼氏のどこが好きなの?」と聞かれて、「見た目が好みだから」と答えると、ほとんどの人から呆れたような反応が返ってくる。
その一方で、「優しいところ」とか、「趣味が合うところ」とか、何なら「安定した職業についているところ」(今どきそんな職業ってあるのかは置いておく)とか、そんな答えをすれば、「わかる~!私たちももう大人だもんね~!」みたいな反応が返ってきてその場は平和に収まる。
私はこれが本当に気にくわない。なぜ人を見た目で判断してはいけないのか。
一般的に良く使われる論法は、「見た目は努力で変えられないから」というものだと思う。
じゃあ、性格や趣味や安定した職業に就くための能力は、全て努力で獲得できるものなのだろうか。
些細なことで腹が立つ自分に何度も嫌気がさし、もっと穏やかに生きようと何度思ったことかしれない。
しかし結局は、電車の中で嘘泣きする子供や秒速1メートル以下で歩く老人やベルトの上に腹の肉が乗っても平気な顔をして生きているおっさんに対して無意識のうちに苛立つ毎日を20年以上繰り返している。
その一方で、そんなことに1ミリも苛立たない(私から見れば)菩薩のような人も確かに存在していて、しかもそれは別に努力の賜物ではないらしい。
趣味や学習能力も、ある程度の生まれつきの性分と幼い頃の環境によって、大まかに決定されることが多いと思う。
読書や美術館巡りを趣味としているインドア人間に対して、いきなり登山やプロレス観戦を勧めても受け入れにくいだろう。
小学生の頃から塾に通って何時間も勉強してもMARCHに入れない人もいるし、高校三年の冬休みから勉強を始めて東大に合格する人もいる。
結局、全て生まれつきの能力・個性に大きく左右される要素であることに変わりはない。
それなのに何故、見た目に関して言及することだけが幼稚なことだとされたり、タブー視されたりするのか。
美しい風景や芸術品を見れば自然と感動するのと同様に、綺麗な人を見れば無意識に良い気持ちになる。
そのような無意識の感情を制御しようとするのは、ある種の理性の片鱗なのかもしれない。
でも、私は美意識を失ってしまうのはとても悲しいことだと思う。
だから、見た目が良いことも性格が良いことや学習能力が高いことと同様に堂々と評価されるべきだし、(せめて身だしなみ程度に)見た目を整える努力も義務教育並みに重要視されてもいいと思う。
結論として、決して人は見た目が全てだと言いたいわけではなくて、見た目だって個人の持つ能力・個性の一つなのだから、変に特別視しなくてもいいんじゃないか、と主張しつつ、今年もできるだけ多く美しいものを見ることができるように祈っている。