はてなキーワード: 2003年とは
自分が@niftyのADSLと契約したのが2000年だったと思う。インターネットが、時間を気にせずに、生活の中にがっちり組み込まれたのはそれ以来だ。以来22年。2003年くらいからブロゴスフィアなるものが登場した。ネット論壇は高度で刺激的で、礼儀を守りつつ論争的であった。自分の体感的には2008年くらいから、「あれ?」と思うことが多くなってきた。はてなブックマークもそこから如実に子供の言い合いのような罵倒コメントが増えてきた。それまでは仮に、イラッと来る言論があったとしても「お言葉ですが、かくかくしかじかの理由で、お考えには多少の齟齬があるのではないでしょうか」くらいにぐっと堪えたものである。2008年ぐらいから急に「やーいやーい、うんこちんちん」みたいな反応が多くなった。
何が変わったんだろうと考えてみると、だいたいゆとり世代が成人し始めるのがそれくらいからであった。ゆとり世代は17年間続いたので、今がちょうどネット活動世代のヴォリュームゾーンかも知れない。明らかに、日本語を読めてない人たち、過度に構図を単純化する人たちが増えてきた。
「ウクライナ兵の決死の戦闘に敬意。終結するまでロシア 軍を叩き潰すしかないが、報道がきちんとなされているか懸念。」
これが従前からの、人命を守るために早く降伏しろと言う彼の持論からの手の平返しと叩かれた。
手の平返しだろうか。以前からのロジックとかけ離れているのであれば、その解釈をまず疑うべきではないだろうか。
「人命のためには降伏が早い方がいいが、それもできないというならば人命を犠牲にしても終結までロシア軍を叩き潰すしかない」
と読めば何の矛盾も無い発言であるし、実際、これ以後の氏のコメントを見るにこの解釈が妥当なのだと思う。報道がきちんとされていないという橋下氏の主張は、ゼレンスキーが全体主義的な強権を発動して国民を盲目にしていると言う橋下氏の見解に沿っている。このtweetの主眼が後段にあるのは明らかだ。
しかし大半の人がそれを読めていなかった。
ウクライナ戦争への評価の話ではない。単純に日本語読解力の問題である。
次に相手に都合がいいように解釈してみると言う精査の段階を欠いている。端的に言えば自己肯定、万能感が強すぎる。客観性が欠如している。
更に悪魔視した相手だと罵倒の限りを尽くしても構わないとする、異論排除傾向と念のために礼儀を守っておこうと言う安全策をとらない無謀さが顕著である。
昔はよかったとは安易には言いたくない。
しかし今の20代30代のヴォリュームゾーンは20年前と比較しても明らかに水準が低下している。IQが30くらい下がっている印象を受ける。
「ディープ産駒で牡馬クラシックを勝った馬は古馬になってGIを勝てない」というジンクスについて検証する。
というか「牡馬クラシック勝利→古馬になってGI勝利」という例がどれだけ少ないかを見ていく。
2000年から2020年までで「牡馬クラシックで勝利したうえで古馬になってGIを勝った馬」は52頭中19頭。
特にダービー馬は、三冠馬たちとメイショウサムソン・ウオッカ・エイシンフラッシュの6頭のみ。
(追記:レイデオロが秋天勝ってるのを失念していた。合計7頭だ)
(追記:1990年代はトウカイテイオーとスペシャルウィークのみ)
早熟でなければクラシックは勝てず、早熟であれば伸び悩むことも多い、ということだろう。
むしろアルアイン・フィエールマン・ワールドプレミア・コントレイルと、
条件に当てはまる馬を4頭も輩出しているディープはよくやっていると言える。
ちなみにサンデーは5頭(ジェニュイン・スペ・マンカフェ・ダメジャ・ディープ)である。
そもそもなぜ「牡馬クラシックで勝利したうえで古馬になってGIを勝った馬」なんて奇妙な条件が設定されたかというと、
ディープ産駒はGIを2勝できない→ジェンティルドンナがGI 7勝
ディープ産駒の牡馬はGIを2勝できない→ミッキーアイルがNHKマイルとマイルCSを勝利
ディープ産駒の牡馬は王道距離のGIを2勝できない→サトノダイヤモンドが菊花賞を勝ってから3歳で有馬記念を勝利
ディープ産駒の牡馬でクラシックGIを勝った馬は古馬になってからGIを勝てない→アルアインが皐月賞と大阪杯を勝利
ディープ産駒の牡馬でクラシックGIを勝った馬は古馬になってから王道GIを2勝できない→フィエールマンが菊花賞を勝ってから天皇賞春を連覇
ディープ産駒の牡馬でダービーを勝った馬は古馬になってからGIを勝てない→コントレイルが三冠達成してからジャパンカップを勝利
こうしてディープ産駒に何とかケチをつけようとして条件を複雑化していったためで、こんなもの最初からイチャモンにすぎないのである。
「マーガリンはプラスチックと同じだ」という荒唐無稽な風説は有名だと思うが、これへのカウンターとして「英単語plasticは樹脂製品を指すのではなく“可塑性の”という意味の形容詞なのに英語のわからぬアホが誤訳して騒ぎ出したのだ」という説があり、SNS等で人気が高い。
先日話題になった件(*1)への反応では非常に多く見られたし、1年ほど前にも「誤訳による日本ローカルな迷信」とするツイートがバズっていいねを2万近くも集めていたようだ。
だがこれは正しくない。margarine plastic とでも検索してみれば英語圏でやはり同じような迷信が普及しているのはすぐにわかる。つまり訳の問題ではなく日本ローカルでもない。
一例としてファクトチェックサイト大手のSnopesは2003年の記事で当時流行したチェーンメール「Butter vs. Margarine」の文面を掲載している(*2)。
Margarine is but one molecule from being PLASTIC(マーガリンとプラスチックは分子1つしか違わない)
Would you melt your Tupperware and spread that on your toast?(タッパーウェアを溶かしてトーストに塗りますか?)
実際にはこのネタの出どころは昔から判明しており(*3)(*4)、Fred Rohéというアメリカの自然食運動家が80年代に書いた「The Great Margarine Experiment」なる文章がそれにあたる。
プラスチック説と同じくらい有名な「マーガリンを野ざらしにしたのに虫が寄り付かなかった」という実験が出てくるのもこれ。
この中に「顕微鏡で観察すると水素添加された油脂の分子はプラスチックの分子そっくり」という趣旨の話があり、引用を繰り返されて世間に広まったようだ。
デマを疑うような人たちがこんな検索一発でわかる誤った説を信じてしまうのはちょっとお粗末に思える。
意地悪な見方をするなら、誤訳説を唱える人のツイートには「まったくこいつらはこんな簡単な英語もわからないのか」というトーンが含まれているようであり、
トンチキな相手を馬鹿にしたいが分子構造がどうとかの話は難しくてわからないから自分でも理解できる説に飛びついた…というところではないだろうか。
1 https://news.yahoo.co.jp/articles/f694fdbf2143684adebc45f6e7d5d602b5da2099
2 https://www.snopes.com/fact-check/the-butter-truth/
アップル幹部、Mac Studioは20年以上ものMacの蓄積から生まれたと語る
https://japanese.engadget.com/apple-executives-mac-studio-overwhelming-092025886.html
すなわち2003年当時(略)
その頃は「持ち運べるサイズのノートPCは誰も作っていませんでした。7.5ポンド(約3.4kg)の恐ろしいブリーフケースみたいなものだったんです」と述べています。
1997年の「VAIOノート505」は1.35kgなんだよなあ。
https://www.inversenet.co.jp/pclist/product/SONY-note/PCG%252D505.html
2022年3月21日、第57回ボートレースクラシック(鳳凰賞競走、総理大臣杯)にて、ボートレース史上初の女子選手によるSG競走優勝という歴史的偉業が達成された。
2022年3月21日時点で選手の最低体重制限は、男子が52.0kg、女子が47.0kgとなっており、体重の軽い方が有利なボートレースにおいては、女子選手はハンデをもらっている状態(だからズルい、凄くない)というのが女子選手の活躍に対してつけられるお決まりのケチである。
特に今回は2020年11月に男子の最低体重制限が51.0kgから52.0kgへ引き上げられて男女の体重差が4.0kgから5.0kgと広がって間もない(と言っても1年数ヶ月経っているが)タイミングでの偉業達成だったこともケチをつけられる要因となっている。
『最低体重制限の男女差により女子選手はハンデをもらっている』
というのは果たして本当だろうか?と問題提起したかったからである。
それどころか私はむしろ
『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』
とさえ思っている。
その理由を書いていく。
(細かい部分で知識間違い等があるかもしれないが大筋の主張は変わらないはず)
まず、大前提として押さえておかなければならないのは、「最低体重制限は男女のハンデのために(女子を有利にするために)存在しているわけではない」という点だ。
まるでハンデのために最低体重制限があるかのように書いてあるブログやニュースの記事が当たり前のようにあって驚く。
それでは女子選手の活躍にケチをつける人がいるのも仕方ないのかもしれない。
1988年以前、ボートレース(当時は競艇名称が一般的だったがボートレースで統一する)に最低体重制限はなかった。
最低体重制限がなければ勝ちにこだわる選手たちは当然少しでも有利になるように限界まで減量する。
1987年のSG笹川賞で優勝した野中和夫選手は過度な減量でふらふらの状態だったそうで、それが最低体重制限導入のきっかけだと言われており、
1988年に男子は50.0kg女子は45.0kgという最低体重制限が設けられた(本格運用は1989年から?)。
要するに最低体重制限は、過度な減量から選手の健康を守ること、ふらふらの状態で起こしてしまう事故から選手を守ることが主目的で、女子を有利にするために存在しているわけではない。
女子選手の方が最低体重が軽いのは単に女子選手の方が元々の適正体重が軽いからだ。
日本人の成人男女の平均体重を見ても5kgの差はむしろ小さいと言えるかもしれない。
ここまで「最低体重制限は男女のハンデのために存在しているわけではない」と書いてきたが、正確には「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は行われている。
2001年、寺田千恵選手がSG競走の1つ、グランドチャンピオン決定戦で女子選手初の優勝戦進出、結果は5着に終わったものの、寺田千恵選手の活躍がきっかけで女子の最低体重制限が見直され、2003年に女子の最低体重制限が45.0kgから47.0kgへと引き上げられた。
そう、つまり、「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は、本当は女子にとってはもっと軽い体重でも問題ないのにそれだと男子が不利になってしまうからという理由で行われたということだ。
これを『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』と言わずしてなんと言おうか。
「女子がその体重の軽さという特性を活かして活躍するのは卑怯」で、
「男子がその筋力の強さという特性を活かして活躍するのは卑怯じゃない」
引き上げられたが、これらは男子選手の平均体重や厚生労働省の統計データにおける平均体重との差を是正し、且つ選手の健康維持並びに身体能力の発揮による事故防止を目的に行われたものだ。
簡単に言えば男子選手が大型化したから基準も変えたということで、女子選手を有利にする目的ではない。
男子は2回も引き上げているのに女子は引き上げないのかという意見もあろうが、それは減量なしの通常体重が最低体重を割っていて逆に増量に苦しんでいる選手の割合を男女で比較すれば、引き上げる必要がないことはわかるはずだ。
そもそも47.0kgの最低体重制限引き上げが不当な差別であったのだから、むしろ差が5kgに戻ってようやくまともになった(あるいはもっと差があってもいいのかもしれない)と言える。
ボートレースクラシックの優勝戦に乗った6人の体重は、遠藤エミ選手が44.0kgで他5人の男子選手は52.0kgか51.0kgとなっている。
おそらくこの5人の男子選手の中に体重が軽すぎて増量に苦しんでいる選手はいないと思われる(いたらごめんなさい)。
遠藤エミ選手は意図的に最低体重以下まで減量した上で調整重量を積んでいるらしいので軽すぎて苦しんでいるタイプではないようだが、少なくとも最低体重を割ってまで無理な減量はしていないはずだ。
そう考えると、遠藤エミ選手は健康に支障をきたさない範囲でもまだまだ減量できる余地があるということになる。
他の5選手も(最低体重制限導入のきっかけとなった野中和夫選手レベルの過度な減量をするならともかく)健康に支障をきたさない範囲の減量となると可能なのはあと数kg程度なのではなかろうか。
遠藤エミ選手と他の5選手が健康に支障をきたさない範囲でギリギリまで減量した場合に、その差が5kgを超えるのならば、最低体重制限の恩恵にあずかっているのは男子選手の方ということになる。
この問題で考えなければならないのは男女差だけではない。
同じ性別間でも身長差があるのに一律で最低体重が決められていてよいのかというのは議論されるべきだ。
身長の低い男子選手であればもっと減量可能なのに、身長の高い男子選手が過度な減量とならないように最低体重が制限されているため減量できない状態ということだ。
男子の最低体重制限が52.0kgに引き上げられたことにより、今村豊選手が逆に増量がきつくなるという理由で引退したのは記憶に新しい。
同じ性別間の身長差と最低体重制限の問題は女子選手においても同様である。
最低体重制限の公正さを重視すればボートレーサー養成所の受験資格において、身長の上限を低くするのが本来は手っ取り早い。
ボートレーサーを志した理由には、低身長が有利なことに魅力を感じたからというものがかなり多い。
漫画『モンキーターン』の主人公も低身長故に野球の道を諦めボートレーサーになった。
個人的には時代を巻き戻せるのならば、ボートレーサーは低身長の星として、受験資格を男子は身長165cm以下、女子は身長155cm以下くらいにしておけば少なくとも同じ性別感の身長差と最低体重制限の問題は大分解消できたのにと思わないでもない。
しかし、実際には身長制限は段階的に緩和されており、過去の基準であれば受験資格を得ていなかった身長170cm以上の選手も現在活躍している(艇界No.1の実力を持つ峰竜太選手の身長は173cm だ)ことを考えると、今更受験資格を狭めるわけにもいくまい。
また、ボートレースは競技であると同時に興行でもあり、また公営競技なので公共性という意味でも、先鋭化するより門戸を広く開いて多くのファンと選手志望者を獲得することが大事であるから、受験資格緩和路線を否定することはできない。
落とし所は男子で身長160cmなら何kg、165cmなら……170cmなら……
155cmなら……160cmなら……
という具合に男女別で身長によって最低体重を変えることかと思う。
話が逸れたが、この文章で1番言いたかったのは、遠藤エミ選手や女子選手の活躍に対して最低体重制限の男女差を理由にケチをつける人たちは間違っているということだ。
こいつも人生ベリーイージーモードの上級国民やんけ。もうこういうのいいよ
東京都大田区出身。1992年(平成6年)、青山学院高等部に進学。高校時代はフェンシングに没頭し、東京都私立高等学校フェンシング大会2年女子の部で準優勝した[2]。
1995年(平成7年)4月、青山学院大学国際政治経済学部に入学。在学中、仲間とともにスタディツアーでフィリピンに渡航。訪れたスモーキー・マウンテンで貧困問題に直面し、以来国連に関心を持つようになる[3]。3年時に、正規交換留学生として、ワシントン州立大学に留学した[2]。
大学卒業後、新日本監査法人に就職。2003年(平成15年)6月、退職し、人道支援団体「日本緊急救援NGOグループ」(現・特定非営利活動法人ジェン)に転職。イラク難民支援プロジェクトの会計を担当した。2005年(平成17年)6月、オックスフォード大学大学院修士課程修了。
2006年(平成18年)1月、 国連世界食糧計画に勤務。ラオス、アルメニア、エジプト、南アフリカ共和国などに赴く。最後の勤務地となった南アフリカでは、管轄12カ国で行われていた全人道支援プロジェクトを対象に、SDGsの効果測定を主導した[2]。
なにそれトラップやん
ウェザーニュース (子会社)。ウェザーニューズの子会社として設立。2003年4月1日に株式会社ダブリュエックス二十四に吸収合併。
なんてのもあって
わざとやってんのか・・・
https://anond.hatelabo.jp/20220210120348
外壁材『さいでりあ』や屋根材『やねでりあ』を全国発売していたことで知られる。
1991年から放送された、作曲家でタレント、俳優の小林亜星を起用した「パッ!とさいでりあ」のCMが人気を集め
CMソングはシングルCDとしても発売された。このCMには、その他に俳優の古谷一行も出演していた。
社長(当時)安田修が一代で全国63店舗・2000名の社員を有する会社となり、最盛期1995年には500億円以上の年商を誇り、業界最大手とし業績を伸ばす。
社員のノルマは大変厳しく、その強引な訪問販売も問題となった。
1995年秋には、さいでりあ商法が週刊誌で悪徳商法に取り上げられ社会問題となった。
業界内での競争の激化も相まって急速に売上が激減すると共に、銀行が新規融資を止めるに至り、2003年には倒産に至った。
しかし、軽くて丈夫な外壁材として、金属サイディングや金属屋根材をメジャーにした功績は大きく、同業他社や各メーカーも認めるところであった。
一方でシンコーファームの経営は軌道に乗っており、2001年には代表生産馬レディパステルが優駿牝馬に優勝し、
2002年に新興産業から独立して株式会社化。生産専門のマーケットブリーダーとして、その後もシンコウウインディフミノイマージンなどの活躍馬を送り出している。
この度、当社が販売する「首にかけるパーソナル空気清浄機 ピュアサプライ」(以下、本製品)の広告表示の一部において、消費者庁より景品表示法第7条第1項の規定に基づき、措置命令を受けました。
当社は消費者庁から指摘を受けた広告表示に関し、国内外の第三者試験機関によって得られた複数の試験データ、各種研究資料はもとより、多数の実使用者による効果を裏付ける所見を提出しましたが、本製品のような限定された空間の空気清浄を目的とした小型、携帯型の製品については、多くの専門家や関連学術団体、業界団体等によって認められ、確立された試験方法が現段階では存在しないことを最大の理由として、一部の表示を裏付ける合理的な根拠資料とは認められないとの判断が出されました。
尚、今回の消費者庁による措置命令については、一部の広告表示に対する指摘であり、本製品が有する全ての性能、効果を否定するものではなく、使用や販売自体を禁止するものではございません。
https://www.daisaku-shoji.co.jp/20220203.html
【本件の経緯について】
当社では、2003年から本製品と同等の機能、性能を有する携帯型空気清浄機の販売を開始しており、2007年に本製品の旧型品について、消費者庁発足前の景品表示法の所管機関である公正取引委員会事務総局 取引部 景品表示監視室より本件同様の広告表示に関する調査を受けました。当社より根拠資料を提出したところ、数々の試験方法及び取得された試験データは根拠資料として評価できるものと判断されておりました。
2007年当時から現在までに当該関連法規制とガイドラインは一切の変更は無く、今回措置命令を受けた最大の理由となる上記の「確立された試験方法」は2007年当時も現在も存在しておりません。その中で、当社は公正取引委員会から指導を受けた表示方法に従い、現在まで一貫性、連続性をもって適切に広告表示を行ってまいりました。しかしながら、2007年は当社提出の根拠資料の妥当性が認められ、今回も同種の根拠資料を提出したにも関わらず本措置命令が出されたことは大変遺憾であります。
当社は消費者庁へ再三にわたり説明を求めましたが、「2007年当時とは組織が違うので分からない」との回答で未だに明確な回答が得られておりません。当社は引き続き消費者庁へ本件に関する明確な回答を求めております。
https://www.ohmae.ac.jp/mbaswitch/_watch_munitionsindustry/
まず、軍事企業上位100社の総売上高の推移を見てみます。2002年は2862億ドルでしたが、そこから増加トレンドで10年には4554億ドルと過去最高に達しています。以降減少に転じ、14年に3918億ドルと4000億ドル台を割り込んでいます。そこから微増・横ばい傾向となっていましたが、18年に4203億ドルと再び増加ペースが高まっています。
2011年にオバマが「イラク戦争終結」を宣言、米軍完全撤退。
変わっとるやん。というか戦争と連動しとるように見えるけど。
国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。
国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。
わたしたちの仕事の大半はリモートワークになっているのだが、その日たまたま彼と対面で打ち合わせをしなければならず、はたしてその日の晩に彼は発熱したのだった。
おたがいにマスクをしており、打ち合わせもそれなりの距離をとって、アクリル板のパーティションを設置していたのだが、わたしは濃厚接触の疑いがあるということで勤務先から自宅待機を命じられた。
結局のところ保健所は濃厚接触に該当しないと判断したのだが、勤務先から「大事をとってそのまま三日間は自宅待機してほしい」と連絡があった。
かくしてわたしは自宅でみずからを家族から隔離するように、リモート部屋に布団を敷いて起居することとなった。
リモート部屋は六畳ほどの広さで、窓際の隅に机と椅子、モニター、プリンターが置かれている。
そのほかの荷物も雑然と置かれているのだが、布団で寝るぐらいの広さはある。
自宅待機の旨を関係各所に連絡し、そのおかげで滞った仕事をなんとか終えて、夜中にようやく身を横たえるとふと文庫本が目にとまった。
リモート部屋には文庫本専用の本棚が四つあり、棚の上の方には未読の、つまりは積ん読状態の本が並べられている。
下の段には、すでに読み終えたものか、読み途中のもの(あるいは挫折したもの)が入っている。
布団に入らなかったら下段の本には目が届かなかったかもしれない。
そこにあったのは、二階堂奥歯『八本脚の蝶』(河出文庫、2020年)。
かつてハードカバーも買い、読み終えることができず、文庫が出たら文庫も買い、こちらもまた読み終えることができず、そのままになっていた。
なぜか今度ばかりは読めるような気がした。
そうしてこの三日間、仕事の合間に少しずつ読み進めている。
<1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。編集者。2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は2020年現在も存続している。>
二階堂奥歯と面識はない。ただ彼女が大学にいた当時、わたしは留年を重ね、まだキャンパスをふらふらしていた。わたしのいた文系サークルには、彼女がいたという哲学研究会に出入りしている者もいた。留年を終えて、なんとか会社勤めを始め、学生時代の知人に再会したところ、「哲学研究会のOBが中心となって『記憶の増大』というサイトをやっている。二階堂奥歯という人がそこに『八本脚の蝶』という日記を書いている。あなたはボルヘスを好きなようだから、もしかしたら彼女が書いているものも気に入るかもしれない」と言われた。そのようないきさつがあって、わたしは時折パソコンで「八本脚の蝶」をのぞいていた。
「あなたはボルヘスを好きなようだから」という言い回しはやや唐突なようだが、わたしとしてはそう言われたのがわからないでもない。およそ大学というような場所にはひそかにボルヘス読者の群生地があり、わたしはそこにはいなかったけれど、きっと知人には生息地を離れてひとりはぐれているような存在に思われていたのかもしれない。実のところ、ルルフォの書くものの方が好きだったのだけれど。
彼女がみずからの死を「八本脚の蝶」の中で宣告し、日記の更新がとまってからどれくらいたっただろうか。ひと月もなかったかもしれない。
仕事を終えてひとりぐらしのマンションに戻り、夜中にネットを巡回していると、彼女の別れの言葉を見つけた。
それでも彼女を追悼する言葉がネットで散見されるようになり、わたしはそれが実際に起きた出来事だと知ることになった。
直接の知り合いではなかったけれど(知り合いの知り合いだ)、彼女の死はずっと引っかかっていた。
だから「八本脚の蝶」が出版されたとき、迷うことなく買い求めた。
読めなかった。
ずっと読めなかった。
あれから二十年近くたち、ようやく読む気になったのはどういうわけか自分でもよくわからない。
一方で、この二十年ばかりの間なぜわたしは文学書をほとんど読むことができなかったのかはなんとなくわかった。
学生の時分には翻訳文学をそれなりに好んで読んでいたはずなのだが。
わたしは社会生活を送るために、いつの間にやら自分のリソース(脳味噌のキャパシティ)のほとんどすべてを消費していたのだ。
「八本脚の蝶」を読みながら、他者が構築した架空の世界に遊ぶときのどきどきした感じ、わくわくした感じ、ひりひりした感じ、そういったものを思い出し、わたしはきっとそこに惑溺してしまうから、意識的に遠い場所に置いていたのだろうと思った。
二階堂奥歯は生活しながらも虚構と現実を往還していたのだろうと考えると、そのために使われた膨大なエネルギーは超人的なものだったと想像してしまう。
二階堂奥歯のおかげで久しぶりにちゃんと小説を読もうという気になったのだけれど、やはりわたしは本の中に沈潜してしまって、なかなか仕事が手につかない。
「八本脚の蝶」は東大寺大仏殿にある意匠(飾り)のことらしいのだが、そういえば三年ほど前に東大寺を訪れたとき、そのことを確認するのをすっかり忘れていた。
1/12(水) 13:09
今年秋に開催される第20回党大会で習近平の三期目が決まるが、建国以来の中国の動きから見れば異例ではなく、むしろ鄧小平個人の指名による江沢民政権と胡錦涛政権だけが異例だった。鄧小平神話が中国の真相を見抜く目を曇らせている。
1949年に中国(中華人民共和国)を誕生させた毛沢東は、事実上、1976年9月に逝去するまで実権を握っていた。途中で国家主席の座から降ろされてしまった時期があったが、それでも中共中央委員会主席(現在の中共中央総書記)と中央軍事委員会主席のポジションだけは維持し続けたので、27年間にわたって実権は毛沢東の手の中にあった。
鄧小平は最終的には1977年7月に開催された第10回党大会三中全会から復権し、職位としては中共中央副主席、国務院常務委員会副総理、中央軍事委員会副主席と、「副」でしかなかったが、1981年中共中央軍事員会主席、83年からは国家中央軍事員会主席になるなどして「軍」だけはトップの職位を要求している。
職位が何であろうと、実権を握っていたのは鄧小平で、鄧小平の一言は「神の声」として恐れられていた。
1994年に健康を害して政治の舞台から退いたが、それまでの17年間は、実際上の実権を握った最高指導者として君臨していた。
恐るべきは、鄧小平の一存で天安門事件後の中国を統率する指導者を江沢民とすると決めてしまい、その期限を10年と定めて、江沢民の次の代の指導者を胡錦涛として決めてしまったことだ。
こうして江沢民政権を基本10年間、胡錦涛政権を基本10年間と、鄧小平の「神の声」が決めてしまったのである。
もっとも、江沢民の場合は、1989年6月4日の天安門事件があったために指名しているので、1992年10月に開催された党大会まで3年間余分に中共中央総書記をしており、国家主席になったのは1993年である。
したがって江沢民は中共中央総書記のポストに「13年間」就いており、国家主席だけ1993年から2003年まで「10年間」就いている。
その意味で、中共中央総書記および国家主席の就任期間「10年間」を正確に守ったのは、中国建国以来、「胡錦涛一人だけ」だったということが言える。
中央軍事委員会に関しても1982年末の憲法改正により国家中央軍事委員会が設立され83年からは「中共中央軍事員会と国家軍事委員会」が一つになり「中央軍事委員会」となったが、江沢民はこの中央軍事委員会主席を1989年(全人代では1990年)から2004年(全人代では2005年)まで「15年間」も務めている。
というのも、中共中央総書記にも中央軍事委員会主席にも任期期間に関する制限がないことを利用して、2002年に胡錦涛が中共中央総書記になったというのに、江沢民は中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に譲らず、「駄々をこねて」降りようとしなかったからだ。
しかし反対者が多く、中共中央委員会では2004年に、全人代では2005年にようやく中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に明け渡したのである。
その意味で、中央軍事委員会主席に関しては、誰一人「10年間」という期限を守っていない。胡錦涛は江沢民が任期内に食い込んできたために、二期で合計「8年間」しか主席でいることができなかった。
その意味では、鄧小平によって指名されるという異様な事態を、「元に戻した」だけであるとも言えよう。
毛沢東の「鶴の一声」が法律となるというほど人治国家であったことは、今さら言うまでもないだろう。
しかし、毛沢東はたった一人の国家主席(劉少奇)を、その座から引きずり下ろすために、わざわざ文化大革命(1966年~1976年)を引き起こすということまでして、引きずり下ろす正当性を求めようとした点は注目すべきだ。
それに比べて鄧小平はどうだろうか?
いったい何名の国家主席あるいは総書記(当時は中共中央委員会主席)を、鄧小平の一存で引きずり降ろしたか、それをしっかり認識している人は少ない。
拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』に書いたように、建国後、鄧小平が、毛沢東生存中は陰謀により、毛沢東死後は一存により、失脚に追い込んだ国家指導層あるいはその予定者は数知れない。その名前と時期を以下に列挙してみよう。
1954年:毛沢東が後継者に考えていた高崗を、事実捏造により自殺に追い込んだ。
1962年:毛沢東が周恩来の後継者として大事にしていた習仲勲を、冤罪により失脚させた(16年間、軟禁・投獄・監視)。
1981年:華国鋒(中共中央主席、軍事委員会主席辞任)を失脚へ追い込んだ。
1981年:華国鋒の代わりに自分の思い通りに動く胡耀邦を中共中央主席に就任させる(但し、1982年9月で中央主席制度を廃止し中共中央総書記制度に)。
1986年:胡耀邦(中共中央総書記)を「気に入らない」として失脚させ、趙紫陽を後任に就ける。
1989年:天安門事件のときの言動が気に入らないとして、趙紫陽(中共中央総書記)を失脚に追い込んだ。
1989年:趙紫陽の代わりに、江沢民を鄧小平の一存で中共中央総書記・中央軍事委員会主席に指名した。
いずれも中共中央委員会常務委員会多数決議決制度がある中での出来事だ。この制度は毛沢東時代からあった。そのような中での鄧小平の独裁ぶりは群を抜いている。
だというのに、鄧小平の老獪(ろうかい)な言動に騙されて鄧小平を神格化した日本政府は、「中国を孤立させてはならない」として天安門事件後の対中経済封鎖を積極的に解除させ、鄧小平を応援して今日の中国経済の繁栄と大国化を招いている。
何度も同じ図を持ち出して申し訳ないが、中国の中央行政省庁の一つである商務部が『中国外資統計公報 2021』というのを出していて、その中に「対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982-2020)」という図がある。
それを日本語に訳して文字調整などをしたのが以下の図表1である。
図表1:対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982年-2020年)
日本が1989年の天安門事件発生後の対中経済封鎖解除に動き、1992年には天皇訪中迄実現させた成果が、赤線で示した中国投資に参入した新規企業者数で如実に表れている(2018年の赤線ピークは香港関連)。
恐るべきは、2017年にはトランプ政権が中国に制裁を加え始め、バイデン政権になってからも、あれだけ対中制裁を叫びながら、何のことはない、投資額は年々増えているではないか。コロナにもめげず増えている。
いや、アメリカや日本はそんなことはしてないはずだと言う人のために、念のために2020年における国・地域別の対中投資企業数と金額を見てみよう。
上記公報にある当該図表を新規企業数の多い順に並び変え、日本語に訳したのが以下の図表2だ。
図表2:対中投資新規企業数と実行額の国・地域別トップ15(2020年)
ご覧の通り、アメリカも日本も、キチンと対中新規投資をし続けているのである。ここでは引用しないが、2019年も同じだ。
これは鄧小平を神格化し、その姿勢で習慣づいてしまった対中投資が、どんなにアメリカが制裁を叫び、日本が「アメリカと一体である」かのごときポーズを取ってみたところで、減少することはないのを如実に示したデータである。
ちなみに、香港マカオは「中華人民共和国特別行政区」なので新規企業数が多いのは仕方ないとしても、あれだけ日米に寄り添おうとしている台湾が、香港に次いで多いことも注目される(台湾に関しては別の機会に論じる)。
◆「習近平三期目は異例」より注目すべきは「鄧小平神話」の罪悪
習近平は三期目以降を目指すため憲法改正まで行っているので、中国流ではあるものの、一応、憲法を重視しているということは言える。逆に憲法を改正するところまで持って行っているので、三期目以降は既定路線と考えていいだろう。
若者をはじめ中国の庶民は、「中華民族の偉大なる復興」を政権スローガンとして経済的にアメリカに追いつこうとしている中国共産党政権を、悪くは思っていない。むしろ「強い中国経済」に自尊心を刺激され愛国主義が行き過ぎて、ネット・ナショナリズムに向けて燃えている若者に習近平は手を焼いているくらいだ。
しかし日本は「習近平、異例の三期目」、「習近平の独裁強化」、「習近平の権力闘争と路線対立」あるいは「中国経済は今度こそ崩壊する」といった類のセンセーショナルな報道に飛びついて「安堵する」傾向にある。
気持ちは分からないではないが、現実とかけ離れた情報に喜び虚実空間に酔いしれている間に、世界の投資先は間断なく中国に向けて注がれており、中国共産党の一党支配体制を強靭にすることに貢献しているのである。
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。
で、この増田の言う通り、真3は色んな面で真5に影響を及ぼしている作品なので(だから真5発売を控えた去年リマスター版を出したのだろう)、一番関連性があるタイトルは確かに真3。真3はゲームシステム的にそれまでのメガテンから大きくかけ離れたもので、そしてそれがのちの殆どのメガテン、ペルソナの雛形にもなっている。当時は売上があまり奮わなかったらしいが、あれがなければ続くタイトルも生まれず、今頃アトラスはなかったかもしれない。システムだけじゃなく、世界観的にも当時としては異質なメガテンで、真5はその点でも明らかに真3の影響下にある
そして2003年の真3がモダンメガテンの始まりだとすると、オールドメガテンの究極系は1997年のソウルハッカーズだったと思う(これも3DSでプレイできる)。その後しばらくオールドメガテンの系譜は途絶えていたが、そこに復活したのが2009年のSJだった。無愛想なキャラクターやワープ地獄のマップ、凶悪過ぎる敵スキルなど、とにかく「メガテニストの考えた最強のメガテン」みたいなゲームで、当時としてもいまさらこんなの出るのかと驚いた。3DSで出たDSJはそのリメイク版(追加シナリオあり)
というわけで自分も真3 HDリマスターとDSJをおすすめしたい。真4は良さもあるが、システムがこなれていなくておすすめしにくい。真4Fはシステムがほぼ改善されたその続編(名前のせいで完全版と勘違いされやすいが、真4とは別の物語。主人公は4とは別人なのでFからでも始められる)
ヴィーナス&ブレイブス 魔女と女神と滅びの予言ってPS2のゲームがあったんだ。2003年だったかな
池袋のビックカメラに早朝から並んで1番に買ってやろうと思ってシャッターの前にずっと待ってたのに、店員がゲームタイトルごとに「○○の列」を作り始めて、上記のタイトルは呼ばれなかったから「その他の列」の1番前にいた
でも開店直前「V&Bの列」が呼ばれて、その列に移動しようにも他のゲームの列で人だかりができてて遠回りになり、結局は3番目
あれ以来ビックカメラで買い物はしていない
それはともかくせっかくの待ちに待ったゲームを家に帰って楽しむ。休憩がてら2chのスレを読むみたいな事を繰り返してた
その時ふと「OP曲ってシャ・リオンに似てね?」と書きこんだんだ
レスは付かなかった
ゲームしてるようなオタクがTV番組「ワーズワースの冒険」なんて見てないだろうし、その曲名が「シャ・リオン」だって事も知らないんだろう。俺はただのオタクじゃなくてそういうところにまでアンテナ張っちゃってるんだよな~みたいな謎の優越感を感じてた。俺だけが気付いたんだよ。
自分の書き込みに反応が無いこと、有休取って遊んでた俺より先に進んだ人の書き込みも増えてきた事で2chのスレを見る事も無くなって、一人黙々とゲームを進めてた
クリアして話に付いていけるようになって、また2chを見るようになって、書いたり読んだりを楽しんでた
俺は朝から並んで限定版買ったから付属のサントラ持ってるしという感じで高みの見物
そこに書き込まれたんだ
え?盗作?
何が何を?
OP曲のWaltz for Ariahがシャ・リオンに似ているらしい
俺が教えたからか?
スタッフ側の誰かが俺と同じように気付いたんだろう
もしくはたまたまシャ・リオン側が気付いたんだろう
サントラは未だに出ていない
自分のせいじゃないにしても、自分がきっかけだったのかとも思ってしまう事もある
ここならば誰も知らないだろうと思って書いた