はてなキーワード: ワンアンドオンリーとは
これ聞いてくる大企業はめんどくさいし、これにしっかり対策できてるやつはたぶん産業スパイ。
コナンで「自分の免許証の番号までおぼえている警官はいねーよ」で見破られる怪盗と同じ
※ワンアンドオンリーの零細企業の場合は意味合いが違う。どこかで一度断られてきたのかな、かわいそーに、とか、うちが一社目かぁ、じゃあ業界の入り方の説明がクッソめんどくさいけどオレがしてやるしかないのか~とか。同業者としていろいろ思うところがある。
※なんで大企業でワンアンドオンリーも同じでないかというと、「独占禁止法」ってのがあって、マイクロソフトに養われたアップルみたいな裏関係がたくさんある。
ここで「アップルのほうがマイクロソフトよりかっこいいから」とかいっちゃうとゆくゆく育っても親会社に人身御供差し出しできねえな~とかいろいろ。
「ディープ産駒で牡馬クラシックを勝った馬は古馬になってGIを勝てない」というジンクスについて検証する。
というか「牡馬クラシック勝利→古馬になってGI勝利」という例がどれだけ少ないかを見ていく。
2000年から2020年までで「牡馬クラシックで勝利したうえで古馬になってGIを勝った馬」は52頭中19頭。
特にダービー馬は、三冠馬たちとメイショウサムソン・ウオッカ・エイシンフラッシュの6頭のみ。
(追記:レイデオロが秋天勝ってるのを失念していた。合計7頭だ)
(追記:1990年代はトウカイテイオーとスペシャルウィークのみ)
早熟でなければクラシックは勝てず、早熟であれば伸び悩むことも多い、ということだろう。
むしろアルアイン・フィエールマン・ワールドプレミア・コントレイルと、
条件に当てはまる馬を4頭も輩出しているディープはよくやっていると言える。
ちなみにサンデーは5頭(ジェニュイン・スペ・マンカフェ・ダメジャ・ディープ)である。
そもそもなぜ「牡馬クラシックで勝利したうえで古馬になってGIを勝った馬」なんて奇妙な条件が設定されたかというと、
ディープ産駒はGIを2勝できない→ジェンティルドンナがGI 7勝
ディープ産駒の牡馬はGIを2勝できない→ミッキーアイルがNHKマイルとマイルCSを勝利
ディープ産駒の牡馬は王道距離のGIを2勝できない→サトノダイヤモンドが菊花賞を勝ってから3歳で有馬記念を勝利
ディープ産駒の牡馬でクラシックGIを勝った馬は古馬になってからGIを勝てない→アルアインが皐月賞と大阪杯を勝利
ディープ産駒の牡馬でクラシックGIを勝った馬は古馬になってから王道GIを2勝できない→フィエールマンが菊花賞を勝ってから天皇賞春を連覇
ディープ産駒の牡馬でダービーを勝った馬は古馬になってからGIを勝てない→コントレイルが三冠達成してからジャパンカップを勝利
こうしてディープ産駒に何とかケチをつけようとして条件を複雑化していったためで、こんなもの最初からイチャモンにすぎないのである。
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053
(出来事)
1981 ジャパンカップ創設(メアジードーツが第1回の勝馬となる)
天皇賞秋の距離短縮(距離短縮後、ミスターシービーが最初の勝馬となる)
カツラギエースが日本調教馬として初めてジャパンカップを制覇する
ハッピープログレス(及び翌年のニホンピロウイナー)が本年からG1に格付けされた安田記念を勝利し、短距離路線の名馬として評価を受ける(短距離路線の確立)
1985 プラザ合意
ニホンピロウイナーが1983年以来3年連続で最優秀スプリンターを受賞する
1987 皇太子夫妻(現・上皇上皇后)が東京競馬場に行啓し、天皇賞秋を観戦する(台覧競馬。勝馬はニッポーテイオー)
タマモクロスが史上初の天皇賞・春秋連覇(史上初の天皇賞2勝)を達成
オグリキャップが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1990年の有馬記念優勝を最後に引退)
東京優駿(日本ダービー)施行当日、196517名の中央競馬史上最高入場者数を記録(勝馬はアイネスフウジン)
社台ファームが種牡馬サンデーサイレンスをアメリカより輸入する
1991 降着制度導入(初の適用は1991年1月5日、中山競馬第8競走におけるミヤギノフジ(13着→15着)
メジロマックイーンが天皇賞秋において、1位に入選するも、進路妨害によって、18着(最下位)に降着(プレクラスニーが1着繰り上がりとなる)
1995 阪神淡路大震災
この年からJRAクラシフィケーション(旧フリーハンデ)がインターナショナルクラシフィケーションに基準を合わせることになる
1998 シーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞を制し、日本調教馬として初めて海外G1を勝利する
タイキシャトルがマイルCSを連覇し、昨年のマイルCS以来、短距離G1を5連勝する
1999 エルコンドルパサーが日本調教馬として初めて凱旋門賞2着に入る
エルコンドルパサーが国内未出走ながら、選考委員会により年度代表馬に選出される
2000 チャンピオンズカップ(ジャパンカップダート)創設
テイエムオペラオーが年間無敗、重賞8連勝、古馬主要G1全勝(グランドスラム)を達成する
JRAによる企画「20世紀の名馬100」がファン投票により選出される(1位ナリタブライアン、2位スペシャルウィーク、3位オグリキャップ)
2001 アメリカ同時多発テロ事件
2002 中央競馬において馬番連勝単式馬券(連単)並びに馬番三連勝複式馬券(三連複)の発売開始
小泉純一郎内閣総理大臣が東京競馬場に来場し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(勝馬はタニノギムレット)
2003 シンボリクリスエスが2年連続で年度代表馬に選出される
2004 中央競馬において馬番三連勝単式馬券(三連単)の発売開始
この年限りで、抽選馬の抽選会における配布制度が取り止めとなる
天皇皇后が東京競馬場に行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬。勝馬はヘヴンリーロマンス)
2006 ディープインパクトがIFHA発表の「トップ50ワールドリーディングホース」で125ポンドの評価を受け、日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めて首位に立つ
2007 日本、ICSC(国際セリ名簿基準委員会)のパート1国に昇格
デルタブルースが日本調教馬として初めてメルボルンカップを制覇する
ウオッカの東京優駿(日本ダービー)を制覇(牝馬による東京優駿(日本ダービー)制覇はクリフジ以来64年ぶり)
皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(台覧競馬)
2008 ダイワスカーレットの有馬記念制覇(牝馬による有馬記念制覇は、トウメイ以来37年ぶり)
2011 東日本大震災/東京大賞典が地方競馬のレースとして初めて国際G1に格付けされる
ヴィクトワールピサが日本調教馬として初めてドバイワールドカップを制覇する
2012 天皇皇后(現・上皇上皇后)が東京競馬場に行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬。勝馬はエイシンフラッシュ)
ロードカナロアが香港スプリント(G1)を連覇(また同年、安田記念を制し、昨年のマイルチャンピオンシップ以来、短距離G1を4連勝する)
2014 ジャスタウェイが日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めてロンジンワールドベストレースホースランキングにおいてレーティング1位を占める
皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(台覧競馬。勝馬はワンアンドオンリー)
ジェンティルドンナが2012年以来、2度目の年度代表馬に選出される
2016 日本中央競馬会が仏・凱旋門賞において、日本国内で初めてとなる海外競馬の競走における勝馬投票券発売を実施する
モーリスが安田記念・マイルチャンピオンシップ・香港マイル・チャンピオンズマイルといった短距離G1(マイルG1)を4連勝する
2017 ホープフルステークスがG1に昇格する
コパノリッキーが東京大賞典に勝利し、G1級競走(GI・JpnI競走)の勝利では歴代最多となる11勝目を挙げる
2918 令和改元
1998年から2023年までのデータをもとにした世代別GI勝利数まとめ。ただし2歳3歳限定GI・地方GI・障害GI・海外GIは除く。
なお2000年にジャパンカップダート(チャンピオンズカップ)、2006年にヴィクトリアマイル、2017年に大阪杯が創設されている。
関連:https://web.archive.org/web/20181105153258/http://www.geocities.jp/right009/keiba.generation.htm